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因縁消滅論 2

●天海の超呪術秘法

 徳川家を陰に陽に守護した天海大僧正てんかい‐だいそうじょう/江戸初期の天台宗の僧。1536〜1643)の功績は大きい。
 天海の徳川家守護の計画は「江戸曼荼羅
(えど‐まんだら)」を造る事にあった。江戸城(現在の皇居)を中心に東北(丑寅=艮)の鬼門(きもん)に当たる位置に上野寛永寺(うえの‐かんえいじ)を置き、その裏鬼門に当たる西南(未申=坤)に赤坂の日枝神社を置いた。この上野寛永寺は上野が江戸城に対して鬼門に当たる事から、三代将軍家光が江戸城鎮護(ちんご)の目的で祈願寺として建立し、天海を開基住職にした。

御所門の内部から窺えるものは、曼荼羅の景色である。

 これは京都御所が丑寅
(うしとら)の鬼門の方向に比叡山(ひえいざん)を配した事に習い、上野寛永寺を置いたものである。また日枝神社ひえ‐じんじゃ/滋賀県大津市坂本(比叡山東麓)にある元官幣大社)は、江戸時代、日吉山王社といい、太田道灌が江戸城を築いたとき、比叡山の守護神である日吉大社に習ったものである。

 江戸城の北には日光東照宮
(徳川幕府にとっては家康を神と祀った最高の霊場である)があり、南には芝・増上寺があり、此処から東海道に至る。また東には大手門、西には半蔵門(はんぞうもん)がある。半蔵門は西に伸びると甲州街道に至る。
 この配置の中で殊
(とく)に注目したいのは、日光東照宮で、江戸の中心部から日光までの距離は、京都から伊勢神宮までの距離にほぼ等しいのである。

 天海は伊勢神宮が国家鎮護の聖地としての役を、日光東照宮にも意図的与えようと考えたのである。そして天海によって計画的に設計されたのは「江戸曼荼羅都市計画」であった。この江戸の呪術的結界図は京都御所の模倣であり、鬼門や裏鬼門を押さえた中国占術の「風水」による「四神相応」の都市造りであった。

 四神相応とは風水
(ふうすい)で謂(い)うと、東に河があって青龍(せいりゅう)、南に大池があって珠雀(すざく)、西に道があって白虎(びゃくこ)、北に山があって玄武(げんぶ)とした、中国固有の占術でありこの四神相応に照らし合わせて住居や造営物を建築すれば良運に恵まれた理想境を造る事が出来るとした古代都市国家を反映させたものであった。

 この典型的なものが平安京を築いた京都御所
(現在の京都御苑)であり、御所は四神相応によって計画された、中国古代都市国家を模倣した理想都市の都造りであった。
 天海はこれに習って理想都市という、徳川幕府の「器」を造り、その中に自らが収まって、家康・秀忠・家光という徳川幕府創世期の三代の将軍に仕え、徳川三百年の基礎を築いた僧侶である。

 しかし天海は密教僧として、この器の中に、ただ鎮座する事が目的ではなかった。天海は密教の高僧というだけではなく、その秘法を以て、超呪術を巧みに遣
(つか)った僧として知られている。天海の役目は密教の超呪術を以て、徳川家康の権力を揺るぎないものにするのが、彼の目的であった。

 そして、その知略と知謀は天台密教の修験者として、多いに徳川家に貢献した。彼の法力も然る事ながら、その知略から繰り出す知恵は、絶妙であり、徳川対豊臣の最後の対決を控えた時期、豊臣家と縁
(ゆか)りの有った、浅井長政、堀尾吉晴、加藤清正、真田昌幸、前田利長ら、秀吉の恩顧のあった重臣達を次々に呪殺したという恐ろしい密教僧でもあった。

 これらの真相の程は知る由
(よし)もないが、しかし秀吉の死去後、豊臣家の重臣達は次々と跡を追うように死去しているのである。これを考えると、天海はそうした恐ろしい、超呪術的な修法を身に着け、威力を持った呪者であった事は間違いないようである。
 さて、言行秘術の威力は、一つには言霊による呪法であり、もう一つは霊験を巧みに遣う力量である。これが叶って、意の儘
(まま)に力を施せるという事になる。

 しかし、「鬼門」は「気門」であると同時に、「気」を扱う者は、どうしても「鬼」に魅入られることが逃れられない。よくある事であるが、呪術師や祈祷師は無慙
(むざん)な最期を迎える事が少なくない。それは霊験の妙なるが故に、魔力を鬼に売り渡すのか、あるいは魔力を制御しきれずに、魔力に振り回されるかの何(いず)れかであると言われる。

 こうした場合の因縁は、まず、「臨終の断末魔
(だんまつま)」に顕われると云われる。この因縁を背負って居る人は、凄まじい断末魔が訪れると言う。
 呪術師、祈祷師、霊能者、あるいはそれを売り物にして来た自称霊能者を含めて、その断末魔は恐ろしい因縁を背負っている。凶事そのものを背負っている人間は、「断末魔の因縁」によって終焉
(しゅうえん)を迎える。



●断末魔の因縁

 何事も、見抜いたように物事を的中させる人間は恐ろしい。それは見抜いていること、あるいは見抜かれていることから来る恐ろしさではない。こうした霊的世界を覗く、些
(いささ)かの力を持ち合わせている因縁そのものが恐ろしいのである。つまり、「霊感の強さ」を持ち合わせている人間の霊体質である。

 世の中には、不可視世界を覗く事のできる小数の人間がいる。こうした人間は、過去をズバリ言い当て、未来を易断してその予測を明確にする。そして、未来予測の恐ろしさは、病気を悉
(ことごと)く治す事である。
 「病気治し」といえば、実に聞こえが云い。しかし、病気は自分の不摂生の上に降り懸かった「因業」であるから、因縁論で云う場合、この因業は、最後の最後まで病気を背負った人間が抱え込む事であり、簡単に取り除いてはならない。最後の最後まで、病気と共棲
(きょうせい)する事により、因縁は解消し、昇華するのである。

 これを取り除いた方も、取り除いて貰った方も、次なる因縁を背負い込み、来世の世で同じ事をしなければならなくなる。

 密教系のある僧侶が斃
(たお)れた。病院に運ばれ、危篤(きとく)状態となった。医学的知見から検(み)て原因不明である。僧侶は自分の意識の中で訴える。そして僧侶の身には、身体中に劇痛が疾(はし)り、ある時は身体中に猛火を投げ込まれたように燃え盛って熱くなり、また、ある時は氷り漬けされたように、凍傷の中に追い込まれ、極寒に襲われた。
 こうした場合の入院は、現代医学では全く手が出しようがないであろう。
 現代医学でも解らない未科学分野は、歴然と現世に横たわっているからである。

 僧侶の意識感覚は、風が吹いても、身が切られる思いがし、骨がバラバラになる幻覚が襲って来る。蚊一匹が耳許
(みみもと)に飛んでいても、その羽音で肉がズタズタに切り裂かれ、耳の穴から杭(くい)を打ち込まれるような幻想が次から次へと襲って来る。これこそが、「断末魔」で、因縁によるものだが、これは来世へと連続するものである。

 こうした局面に接するのは僧侶だけとは限らず、呪術師、祈祷師、霊能者、神官、神父、牧師、あるいはそれを売り物にして来た自称霊能者も例外ではないだろう。
 例外いなく断末魔に襲われ、語るの恐ろしい臨終を遂
(と)げる者が少なくなく、その遺族も悉(ことごと)く不幸に見舞われるのは、まさに「因縁」から来るものである。

 昨今のように貧富の差が激しくなり、持てる者と持たざる者の格差が激しくなると、怪しげな宗教や祈祷
(きとう)が流行し出す。これはいつの時代も同じ出である。好景気と不景気を周期的に繰り返す歴史の連続性の中には、必ず「魔」が控えていて、外邪(がいじゃ)の風に煽(あお)られ、その「魔」から「力」を盗み、これを用いる者が出て来る。そして結果的には霊魂を弄(もてあそ)んでいるのである。
 これこそが、悪因縁の「因業
(いんごう)」を作る事になり、この頑固で無情なさまは、果報を招く因となる業(ごう)となるのである。



●悲号啼泣嗚咽の因縁

 自然が一個の人間に与える自然の摂理は、概ね次のように分類される。
 誕生期、授乳期、幼年期、少年期、青年期、壮年期、老年期、病床期、そして最後に死期がくる。まさに生・老・病・死の思惟のサイクルを循環することになる。
 誕生期から少年期に至るまでは、凡
(おおよ)そが母親の手で面倒がみられ、それでも子供はその背後に父親の後姿を見ながら成長していく。しかし、こうした父親の後姿は、昨今は殆ど成りを潜めたようだ。

 この場合、温々
(ぬくぬく)とした母親の過保護の許(もと)に育った子供は、いつまでも乳離れが出来ず、生涯を母親のペット的な存在としての人生が余儀なくされる。これも、家長制度が崩れると言う因縁から発したものである。

 さて、一個の人間が独り立ちをする最もピークに達する時期は、少年期から青年期に掛けての青少年時代で、この時に人生の流れの転換を迫る思春期が訪れる。凡そ14、5歳から十代の後半であろう。

 人生の流れの転換とは、今までの「性欲無し人間」から「性欲有り人間」に変貌
(へんぼう)を遂げる時期を指す。概ね、人はこの時期に至って異性に関心を持ちはじめ、その理想像を描いて青春の謳歌に更(ふ)ける。自らの空想の中に意中の人を求め、その理想像を追求めて人生を生きて行くことになる。

 「性欲有り人間」とは、あたかも蝉
(せみ)が古い殻から抜け出して、新しく脱皮し、異性を求める人生最大のクライマックスである思春期なのである。更に、次に青春を謳歌するというピークが遣ってきて、人は此処で人生の計を描き、自らの未来にこれを託す。

 だが、今日の日本人は思春期の時期が、五十年程前に比べると、大き崩れてしまい、早熟となってしまった。早熟とは、一種の老化現象であり、寿命が早く尽きると言うことを意味するのである。早く成長した分だけ、早く衰えるのである。

 曾
(かつ)ての日本人は、欧米人に比べて極めて遅かった。それは欧米人と日本人を比較した場合、欧米人は肉食や乳製品摂取の食事が中心であり、逆に日本人は穀物菜食主義であった。それに欧米人のように大量に食事を摂取するという習慣もなかった。日本に残る食生活の一部を顕わす言葉に、朝餉(あさげ)と夕餉(ゆうげ)があるが、昼餉という言葉は存在しなかった。日本人が、一日3食の食事をするように改まったのは明治以降のことである。

 それまで一日二回の穀物菜食を少量摂取することで、日本人の食禄
(しょくろく)は細長く引き伸ばされ、その細く伸びた食禄のせいで日本人は世界の長寿国になれたのである。
 しかし今日の若者を見る限り、果たしてこの長寿が約束されるか、否か、極めて疑問である。一日4食主義や5食主義に変わろうとしている今日、飽食の時代は、日本人に早く寿命が尽きるような結果を齎
(もたら)しているのではあるまいか。

 また今日に言うように長寿、長寿といっても、この新記録を更新している人達は、明治から大正生まれの人達であり、彼等は元々穀物菜食主義者の時代に生まれ、生きた人達であった。それでも老醜に至った今、彼等は人間が人間として活動の出来ない、病院の固いベットに縛り付けられた、食物状態の長寿であることを忘れてはならない。

 さて、「性欲過剰」あるいは「異常性欲」などの現象は明らかに因縁によるものである。
 食肉や乳製品などの動蛋白摂取は、性腺を狂わせ、早熟させ、異常性欲へと趨
(はし)らせるのであるが、その元凶は因縁が絡んでおり、多くの場合は「色情因縁」である。
 色情因縁者は、まるで虎口に引き寄せられるように、異性を好み、同性を好み、色狂いの道へと墜
(お)ちて行く。

 これは一人の人間が終焉
(しゅうえん)を迎える時、その臨終において、「死に態」が各々に影響を与えるからである。盗賊難、難病・奇病の疾病、造反や下剋上など、他人に及ぼす様々な迷惑は、総て過去世(かこぜ)からの因縁であり、これが引き摺(ず)り、また次なる因縁を迎える事になるのである。総(すべ)てが、時代を代えて繰り返されているのである。

 色情因縁もこうした時代の繰り返しであり、過去世
(かこぜ)が現世に再現されているだけの事である。そしてこれに絡んだものが、「断末魔」である。

 断末魔は「悲号啼泣嗚咽
(ひごう‐ていきゅう‐おえつ)」といわれる臨終の時の、「悲しい叫び」「声を立てて泣く」あるいは「むせび泣く」更には「涙をポロポロ零す」などの地獄行の悲しみが、一種の嗚咽(おえつ)となって顕われる現象である。
 臨終に際し、人間は痛いから泣くのか、泣くから痛いのか、こうした「痛さ」を感じる死に態は、特に末期ガン患者によく見られる現象である。

 末期ガン患者を襲う痛みは、多くは化学療法による失敗により、投薬の副作用が殆どであり、こうした療法を受けて無慙
(むざん)に死んで行く患者は、慢性病をこれに頼って「生」を繋(つな)ぐ事を選択した因縁により、「悲号啼泣嗚咽」の苦しみを受ける事になる。
 まさに因果応報
(いんがおうほう)の原理に則して、本来の衆生の持つ、過去における善悪の業(ごう)に応じて、現在における幸・不幸の果報を生じ、現在の業に応じて、未来の果報を生ずることが決定されたと看做(みな)されるべきであろう。

 中国・東洋医学の『素問』
(宣明五気篇)によれば、「肺は魄(はく)に蔵す。魄とは能(よ)く動き、能く泣く、痛痒(つうよう)これによりて覚えるなり」とあり、意識下で感じる痛みは肺が司り、また、臨終に際しての様々な動作も肺が司ると言っているのである。そして「涙」は、肺に属した現象である。

 東洋医学では「肺は水の上源である」と論じており、肺は涙を遵
(したが)え、涙の水源になっているのである。臨終に際し、涙を零して泣くと言うのは、既に断末魔の兆候であり、泣けば泣くほど断末魔の痛みは激しくなって、その意識下は元凶を意識しているのである。
 こうした「泣く」という死に方をするのは、末期ガン患者に多く、この発症から死亡に至るプロセスには、一種の因縁が絡んでいる。この因縁の元凶こそ、「肉
(じし)喰った報い」である。

 因縁解消には、迷わぬ心が確立されていなければならない。特に人生で一番難しいのは「死に態
(ざま)」であり、死に態が穢ければ、その人が苦労して積み上げた輝かしい栄光も、これにより御破算(ごはさん)になる。
 臨終に際し、心が迷わない事を「正念」といい、臨終の作法による心構えを「臨終正念」という。臨終に際し迷いを起してはならない。邪念に取り憑かれたり、外邪に襲われてはならない。

 人生に於て、「死」というこの事実が存在している事ほど重要なことはない。「死」こそ、一大事なのである。この一大事をどう乗り切るかで、来世の幸・不幸が決定される。しかし、来世を知覚できない凡夫
(ぼんぷ)は「死」の重要性が解らず、意識体は繰り返すと言う「見えない心」が存在している事を知らない。「知らないもの」は存在しないと安易に切り捨ててはならない。しかし、これを非科学として退ける者は多い。

 そのくせ、自分が死に直面すると、大騒ぎし、迷い、苦悩する。臨終に際し「死」というものを泰然自若として素直に認める事は非常に難しくなる。本来の人間の人生の修行は「死」に重点が置かれ、「死」という難問を解決する為に、人は人生を経験するのである。しかし、最終段階に「死」を経験するという一大事を飛ばして、ただ死に至るまでの途中のプロセスが楽しければそれでよいとする凡夫は決して少なくない。
 これにより、一切が御破算になり、次ぎの意識体の繰り返しが、不幸に塗
(まみ)れてしまう。そして、これこそ悪因縁の最たるものなのである。



●因果報応の原理

 新興宗教や霊感占のの多くは、因果報応の原理で貫かれている。また、それらの枝葉の部分に、先祖供養と因縁消滅を掲げている。教義の大本は「善悪二元論」であり、一方を善、もう一方を悪と決め付けて、悪は正義によって滅ぼされるという、カトリシズム的な善悪二元の「神」対「悪魔」、「天国」対「地獄」の宿命的対決が説かれている。

 この二元論的思想は、何も今日にはじまったことではなく、古くからこのような善悪二元の抗争はあった。
 「神武天皇と長髄彦
(ながすねびこ)」「日本武尊(やまと‐たける‐の‐みこと)と熊襲(くまそ)」「伊達安芸(だてあき)と原田甲斐(はらだ‐かい)」など全て、善悪二元論で物語の展開がなされ、御伽噺(おとぎばなし)や寓話の「うさぎとかめ」「花咲爺さん」「カチカチ山」「猿蟹(さるかに)合戦」「桃太郎」「浦島太郎」「俵藤太」などに至るまで、善と悪の二元定義がなされ、因果報応の原理がここでも貫かれている。

 これらの御伽話の多くは、「めでたき物語」であり、名もなき者が一時の栄耀栄華や一族の栄華に預かると云うもので、裏を返せば善悪二元論でありながら、善玉と悪玉が倶
(とも)に主人公であるという筋書きになっている。
 そして善悪二元論の要
(かなめ)は、悪玉が善玉に教化されて、善玉に与(くみ)するストーリーである。そのために「めでたきことのはじめ」として、手放しの楽天性をもって展開されるが、ストーリー全体を反芻すると、その根底には明らかに善悪二元論からなる「因果応報の原理」が貫かれている。

龍王より下された釣鐘。俵藤太(たわら‐とうた)は龍宮城で龍王の一族に恭しく持て成された。俵藤太は、藤原秀郷(ふじわら‐の‐ひでさと)の異称であり、藤原秀郷は平安中期の下野(しもつけ)の豪族で、左大臣魚名の子孫といわれる。その異名は「田原藤太」とか「俵藤太」ともいわれた。940年(天慶3)平将門の乱を平らげ、功によって鎮守府将軍となる。弓術に秀で、“むかで退治”などの伝説が多い。

 因果報応の原理を利用するのは、何も新興宗教家や霊感占師や祈祷師だけではない。古来から政治や、大衆の愚民工作の為にも利用されてきた。

 例えば、江戸幕府の政治政策を例に上げて見よう。
 徳川265年は、その長き歴史の中で、享保・寛政・天保と各々の時代に江戸の三大改革が行われてきたが、その大きな目的は、将軍の力を強大にする為と、中央集権化を進め、その上に大名と大商人に特権を持たせ、封建制度を強化することであった。そして、その手段として用いられたのが、二元観に基づく「善悪二元論」であった。

 この二元論的思想は、幕府が過酷な圧政を実施して、民・百姓から、税や年貢などの膏血
(こうけつ)を絞り取るには非常に都合がよく、また仏教の「極楽と地獄」の思想や神道の教義・教典・神話などを持ち出して、彼等を善人として慰め、あるいは死後は極楽浄土に行けて、死後は報いられるなどと煽(おだ)てたのである。

 その上、寺や神社は体制側の庇護
(ひご)を受けている為、民・百姓の信任の厚い僧侶や宮司の言葉には、彼等も容易に随(したが)い、寺社の多くは、庶民の憤慨(ふんがい)や恨みなどを反(そ)らす為に一役かっていた。この意味で、寺社は幕府にとって唯一のクッション媒体であったのである。

 歴史を振り返って分かるように、凶作や冷害が続く度に百姓一揆や打ち壊しが起こったが、このとき幕府や藩側に荷担したのは寺社であった。
 幕府、もしくは諸藩は、互いの世俗的利益の為に結託し、怠惰な社会構造を構築したのが封建制度であった。

 しかし近代では、この封建的ヒエラルキー
(ピラミッド型階級制度)に対抗した反動として起ったものが、倒幕運動の中心となった尊王攘夷思想であった。だがこの思想とて、体制の逆転を狙って起った、世俗的利益の逆強奪であり、再び封建的様相を強めていった。

 封建制度の中心課題である、「寄らしむべし、知らしむべからず」の封建精神は、身分制度を確立して幕藩体制末永く安定させ、独占的な政治を貫くためであり、善悪二元論はなくてはならない思想であった。民・百姓を愚民化して酷使し絞れるだけ絞り、彼等を体制側の思惑通りに、一定の方向に誘導する為には好都合であったのだ。
 そして体制側やお上に反抗することは、法を乱す悪人とする新秩序を作り上げたのである。幕府にとっては、都合のよい朱子学
(しゅし‐がく)などが受け入れられたものこの為であった。

 この考え方は、一方を善とするには、他方を悪としなければならず、ここに何処まで行っても交わらない平行線のような、善悪対決の二元論の宿命があるのである。そしてここから争いが起こり、やがて戦争になり、自分を正義、他人を不義の悪人と決め付けて、滅ぼすための大義名文が掲げられるのである。
 特に善悪二元論の思想は、十七世紀に入って盛んに使われるようになり、相対的な発想に大衆を誘導することに成功したのである。そのもっともよい例が、フランス革命であった。

 善悪二元論は、因縁的に見て、片手落ちを作り上げる構造になっており、一方が突出すれば、片方がへこむと言う構造になっている。一方を立てれば片方が立たず、その反動により「恨み」が生ずる。「恨み」は、恵まれないという心の不満が起る為、その恨みや怨念は、どうしても得をした者に向けられる。この恨みや怨念が、意識体の中で一種の畸形
(きけい)を作り上げるのである。



●因縁を深めるもの

 人の心の中には、常に、何処に「罪の意識」なるものがある。たいていの人間の心の中には、罪の意識と言うもの存在する。罪の意識を抱いていながら、普段は思い出そうとしないだけである。しかし、確かに、どんな人間にでも罪の意識は存在する。

 生きていく為には、自分以外の他を喰
(く)っていかなければならないからである。他を啖(くら)うことにより、自分の存在は許される。他の命を頂かなければならない。動物の命を喰らい、植物の命を喰らい、そして他人の幸せまでもを啖(くら)う。啖うことにより、自分の生存が許されるからである。

 しかし、罪の意識が抜き難いものになると、その人間の精神は蝕
(むしば)まれることになる。精神に異常を来す。そして精神の蝕みは、やがて疾患(しっかん)として躰(からだ)に顕われて来る。人はそれを「業(ごう)」と呼ぶ。業は、その行為が未来の苦楽の結果を導く働きをするからである。善悪の行為は、因果の道理によって、後に必ずその結果を生むというのが、仏教伝来以来の教えである。事実、業の果報である「業病(ごうびょう)」なるものが存在する。

 また、「業に沈む」という現象がある。特に日本人には、罪の意識の中に、悪業
(あくごう)の為に苦しみを受け、輪廻(りんね)して浮ばれないという意識が存在する。この国の住人は、業も、人間の営みの一部として受け入れる。何事も、「業だから」という。

 不幸に取り憑
(つ)かれたり、不運が続いたり、理不尽に押し切られたりすると、一時は肚(はら)を立て、怯(おび)えを見せ、感情に流されるが、やがて時間と倶(とも)に、そうしてみたところで始まらないと諦めの気持ちが起こる。

 生れついての業病に苦しむ人は多い。悪業
(あくごう)の報いで罹(かか)る難病で苦しむ人は多い。憑霊(ひょうれい)の一種であるから、何とも気の毒である。しかし、これに自覚症状を持たない人は多い。科学の発達した時代に、そんなことはないと、科学的と云う考え方を妄信している人は多い。
 しかし彼等の云う科学的は、今日の最先端の科学ではない。せいぜい中学の理科程度か、高校の理科?程度の古典的な物理学を、安易に科学と称しているに過ぎない。その「安易」をもって、異口同音にして、業病などと言うと「科学的でない」という。その切り返しは鋭いが、一貫して「科学」という言葉も、現象も理解していない。

 その「科学的でない」と云い放った人が、あるとき、突然斃
(たお)れる事がある。あるいは何処から飛んで来たか分からないような矢弾(やだま)に斃れる事がある。斃て、自分でも死んだことさえ気付かない人もいる。頑迷さから抜けだせていないからだ。

 また、輪禍
(りんか)もある。
 輪禍とは、電車や自動車などに、轢
(ひ)かれたり跳ねられたりする災難のことで、多くは死亡する。こうしたことを数えたら切りがない。此処には三次元の肉の眼には見えない、異次元の法則が働いている。運命の陰陽が働いている。陰陽に支配される人間の人生が、その中に包含されている。その包含された人生の中で、人間は喜怒哀楽を繰り返している。

 つまり、人間とは、「人生」という一つ穴の狢
(むじな)として、人間は生きているのである。自分だけが正しくて、他は総て間違いであると云い放しつつ。
 そしてその人生は、想像もつかないほど短いなものなのである。当然こうした縮図の中では、因縁なるものは、必然の現象として姿を顕わすを得ないのである。因縁は次から次へと起こる。連鎖する。

 しかし、原因が結果を生むのではない。結果が原因を生むのである。結果が、その人間に相応しい因縁を派生させるのである。原因が結果を生むのではない。結果が原因を生むのである。原因を派生させるのである。だからこそ、現代人は因縁を深める因子を背負って生まれた人種と言える。だから、自分の死角に引き摺
(ず)り込まれて、危険の自覚症状も持たないまま死んでいくこともあるのである。



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