運気 八門人相 房中術 癒しの杜 菜根譚 小説 会報Back No. 合気 蜘蛛之巣伝 死の超剋 霊的食養 心法
続 壺中天・瓢箪仙人 1
続 壺中天・瓢箪仙人 2
続 壺中天・瓢箪仙人 3
続 壺中天・瓢箪仙人 4
続 壺中天・瓢箪仙人 5
続 壺中天・瓢箪仙人 6
続 壺中天・瓢箪仙人 7
続 壺中天・瓢箪仙人 8
続 壺中天・瓢箪仙人 9
続 壺中天・瓢箪仙人 10
続 壺中天・瓢箪仙人 11
続 壺中天・瓢箪仙人 12
続 壺中天・瓢箪仙人 13
続 壺中天・瓢箪仙人 14
続 壺中天・瓢箪仙人 15
続 壺中天・瓢箪仙人 16
続 壺中天・瓢箪仙人 17
続 壺中天・瓢箪仙人 18
続 壺中天・瓢箪仙人 19
続 壺中天・瓢箪仙人 20
続 壺中天・瓢箪仙人 21
続 壺中天・瓢箪仙人 22
続 壺中天・瓢箪仙人 23
続 壺中天・瓢箪仙人 24
続 壺中天・瓢箪仙人 25
続 壺中天・瓢箪仙人 26
続 壺中天・瓢箪仙人 27
続 壺中天・瓢箪仙人 28
続 壺中天・瓢箪仙人 29
続 壺中天・瓢箪仙人 30
続 壺中天・瓢箪仙人 31
続 壺中天・瓢箪仙人 32
続 壺中天・瓢箪仙人 33
続 壺中天・瓢箪仙人 34
続 壺中天・瓢箪仙人 35
続 壺中天・瓢箪仙人 36
続 壺中天・瓢箪仙人 37
続 壺中天・瓢箪仙人 38
続 壺中天・瓢箪仙人 39
続 壺中天・瓢箪仙人 40
続 壺中天・瓢箪仙人 41
続 壺中天・瓢箪仙人 42
続 壺中天・瓢箪仙人 43
続 壺中天・瓢箪仙人 44
続 壺中天・瓢箪仙人 45
続 壺中天・瓢箪仙人 46
続 壺中天・瓢箪仙人 47
続 壺中天・瓢箪仙人 48
続 壺中天・瓢箪仙人 49
続 壺中天・瓢箪仙人 50
続 壺中天・瓢箪仙人 51
続 壺中天・瓢箪仙人 52
続 壺中天・瓢箪仙人 53
続 壺中天・瓢箪仙人 54
続 壺中天・瓢箪仙人 55
続 壺中天・瓢箪仙人 56
続 壺中天・瓢箪仙人 57
続 壺中天・瓢箪仙人 58
続 壺中天・瓢箪仙人 59
続 壺中天・瓢箪仙人 60
home > 壺中天・瓢箪仙人 > 続 壺中天・瓢箪仙人 60
続 壺中天・瓢箪仙人 60

人間の立場には、それぞれに利害関係が存在している。得失が相互に影響し合い、その鬩(せめ)ぎ合いの中に、人間は生きている。
 たいてい利害関係は、ジメジメしたものである。その空気はからりとした爽やかなものでなく、湿気を含んだ粘着性のものである。
 その陰湿は、あたかも梅雨のように蒸し暑く、重苦しく、じっとりと粘り着き、妬
(ねた)ましいものが漂っている。然(しか)も満ち足りたものが、何処にも感じられないのである。
 じっとりとした夜気と同質で、幽婉典雅
(ゆうえん‐てんが)というものでない。梅雨時の雨のように湿気と重さを含んでいる。

 世に「剣難
(けんなん)の相」と言うものがある。人に及ぶ禍をこう呼ぶ。
 近未来に差し迫って来る相である。白刃乱れ飛ぶ相である。
 刺客に襲われる場合も、この相よりいずる。その相には、人間の妬みや憎みが含まれている。生存を邪魔する相である。この相は一個人に限らず、組織にも企業にも、民族にも、また国家間にも存在するものである。

 歴史を変化させる目紛しさの中には、常に対峙
(たいじ)するものとの抗(あらが)いが存在する。そして変化の根底にあるものは、人間の欲望であろう。
 支配者は地位の安定を保とうとする。一方、被支配者はその地位を覆そうとする。逆転を狙って執念を燃やす。その原動力も考えれば人間の欲望である。
 歴史は常に欲望の鬩
ぎ合いによって変化する。利害関係によって止まることを知らない変化が起こっている。
 人類の歴史を振り返ってみると、利権意識のために、世の中が平和になったことは一度もない。


●明哲保身

 哈爾濱(はるびん)発・新京行きの寝台急行『はと號』の特等個室車輛である。空調の効いた快適な車内であった。この車輛には『タカ』メンバーの男女併せて七人が乗り込んでいた。
 夜間の寝台急行のため停車駅は少ない。深夜、双城堡
(そうじょうほ)、陶頼昭(とうらいしょう)などの数ヵ所の駅に停車するだけである。小さな駅には矢のように通り過ぎて行く。
 列車は一路新京に向かって疾走していた。

 昭和18年に入ると、大東亜戦争激化のために運行列車の本数は減らされていた。
 昭和19年7月頃なると、その数は、更に激減した。また陶頼昭駅付近では、蒋介石の国民党軍と毛沢東の紅軍が対峙
(たいじ)しているために小競り合いがあると徐行したり、停車したりした。時にはこの駅で運転が打ち切られることもあった。更に鉄道への空襲を警戒して停車した。この時期になると時刻通りには運行出来なくなっていたのである。度々遅れることもあり、到着時間は予定通りには行かなかった。
 空襲を警戒して昼間より、夜間に列車の運行が集中した。そのため前方を走っている列車が徐行をしたり、停車すると、後続列車もその影響を受けた。そういう状態での新京行き急行列車であった。したがって奇禍が起これば、半日掛かるやら、一日掛かるやら何とも不明なのである。運行はB29の空襲や国民党軍と紅軍との対峙次第であった。
 しかし、このときは幸運にも、大して遅れることもなく運行されていたのである。
 一夜明けて急行『はと號』は、早朝の曠野
(こうや)を走っていた。
 この車輛の貨物庫には極秘物資が積み込まれていた。
 中身は哈爾濱日本商工会や哈爾濱在住の日本人有志から寄附された支援金としての500kgの金塊である。早期戦争終結のための工作資金である。『タカ』の指令を受けて、日本へ運搬中であった。
 そして戦争終結後の経済の建て直し資金である。
 経済の建て直しには、産業を普及させるだけでなく通貨の流通が必要である。貨幣価値である。
 貨幣は金
(gold)の裏付けがいる。例えば紙幣にしても、金の裏付けがいる。単に巧妙に印刷された紙幣では何の意味もない。これが軍の乱発した軍票(軍隊が通貨の代用として用いた軍用手形。大戦末期、進駐地域では、その信用度はゼロに近かった)と違うところだ。

 通貨と言うものは金の裏付けがあって、初めて通貨としての信用が維持出来るのである。
 戦争終結後、政府が遣らなければならないことは、経済の建て直しが第一義である。そして第一次世界大戦後の独逸に見られたようなハイパーインフレだけは、どうしても防がねばならない。恐慌の嵐が荒れ狂うパニックは、何としても抑えねばならない。恐慌の嵐を阻止することこそ、戦後政府の役割である。
 そもそも金融危機などの経済パニックは、前代未聞の恐慌が続けば、次々に波及する性質を持っている。連鎖反応を起こす。恐慌の連鎖が大都市を襲えば、政府など物の数ではなくなる。筆舌に尽くせぬ地獄絵が出現する。

 だが、この地獄絵もどのような地獄絵になるか、その青写真は焼いておく必要があろう。そこまで予期していなければならない。あらゆる想定をしておかねばならない。単に数字を並べたデータ数値による予測だけでは駄目である。慧眼的に洞察力に優れていなければならない。
 生地獄が出現したとして食糧不足、病人、死者、漂民続出、経済破壊などを含めた政治の荒廃が齎す混乱である。こうなると政府管掌
(かんしょう)などでは収拾がつかなくなる。監督官庁が各地に官吏を派遣しても無力に等しい。
 それに併せて警戒すべきは超インフレの経済崩壊だけでない。怕
(こわ)いのは無政府状態になって人民が蹂躙(じゅうりん)され、屈辱を受け、人権は無慙に踏みにじられ、法が無視されることである。そうなると、必ずファシズムが擡頭(たいとう)して来る。
 ファシズム擡頭のメカニズムは、伊太利亜のファシスト党の運動に見られるように同党が権力を掌握し、政治的理念をもって支配体制が擡頭することである。この特性は全体主義的あるいは権威主義的になり議会政治を否定してしまうことである。市民社会的ならびに政治的自由が極度に抑圧される。一党独裁体制になってしまうのである。更に対外的な特長として、他国への侵略政策が採られることである。
 世に不穏が蔓延れば、ファシズムに傾くのである。歴史が示すところである。あたかも独善的正義感を振り回す排他的な「自警団」の類
(たぐい)である。この類の集団には合理的な思想体系が無い。単に感情に訴え、国粋的思想が喧伝されるだけである。背景には一般大衆の思考・感情・要求を代弁する民族的人民主義が起こる。所謂(いわゆる)人民党であり、ポピリズム(populism)である。
 だが真に恐ろしいのは、経済の崩壊だけではないのである。崩壊しつつある、その隙を突かれて、外圧から謀略工作されることである。工作員の煽動が起こる。ポピュリストの暗躍である。暴動鎮圧の名を借りて、テロ行為が過熱化し、それは大きな波紋となって次々と波及していくことである。そして余燼
(よじん)は、約一世紀に亘って続くだろう。百年戦争の類である。
 西洋史を振り返れば、1337年から1453年に懸けての百十数年間にわたって、英国と仏蘭西間で断続的に行われた百年戦争を髣髴
(ほうふつ)とさせる現象が起こる。これに巻添えを喰うのは庶民である。底辺の弱者である。

 もし、地獄絵が出現したら、何百万人もの餓死者が出る。併せて国家自体が壊滅してしまう。国を亡ぼす事態は招いてはならない。戦争終結時の政治家の決断を、後世の人は何と評するか、その当時の政治家には分るまい。だが、国民は救わねばならないのである。
 そのために支援金として集められた500Kgの金塊を持ち帰り、先ず戦争を早期終結を急がせ、戦後の経済復興のための一部に充
(あ)てる。しかしこの程度では、まだまだ不足するのである。
 そこでM資金となる。M資金は、何処
(いずこ)?……となる。
 だがM資金は今以て実体がなく、架空のものである可能性も大である。有るとも無いとも定かでない。
 だが有るとして、この種の物質を追うのは山師でなければならない。お行儀のいい、可もなく不可もないその種には手に負えない。米国軍人に譬
(たと)えるなら、海軍のニミッツ(Chester William Nimitz)、陸軍のパットン・ジュニア(George Smith Patton Jr)のような奇人と表される人物でなければならない。戦時を駆け抜ける山師的な天下の奇人が必要である。
 末端的な専門分野を論
(あげつら)う近視眼視野でなく、全体像を見通す不可視世界までを考慮に入れた行動である。カラクリを見抜く行動眼でなければならない。それは数値を重要視する専門眼とは大いに異なる。
 解決策はミクロにあるのではなく、大局を見据えたマクロにある。細分化した近視眼的な専門眼にあるのではない。

 M資金……。
 それは想像の幻想物であるかも知れない。あるいは幻想物から創出する物体であるかも知れない。
 その行方を追って、津村陽平の奇想天外な智慧と行動力を拝借するに至った。この漢なら、充分に常軌脱線者
(crazy)である。常識に囚われない。正攻法を用いない。分別知で物事を考えない。無分別智を用い、奇手を得意とする。奇妙奇天烈な発想をする山師である。
 山師は「山こかし」をする。それが使命だからだ。
 斯
(か)くして油断すれば、相手方は山師から一杯も二杯も喰わされる。奇手を用いるからだ。
 但しそれは、表立って行動が起こせない。隠密裏でなければならない。密使の形態を持つ。闇の中を行く密使である。非常時の十字砲火の中を行く密使である。並みの人間には勤まらない。不抜の意志がいる。普及の信念がいる。
 また、並みの人間が悟ることの出来ない不可視世界の闇を覗ける視界の明るさと、闇の蠢
(うご)きを見抜く視力がいる。感覚器が、並みの造りの者では駄目なのである。既成外を必要とする。
 津村が密使を仰せつかるとき、『タカ』は、この漢の既成外に一縷
(いちる)の希(のぞ)みを託した。

 「あはたは、並みの人間には見ることに出来ない闇の中を見通す眼をもち、われわれが悟ることのできない何かを悟ることが出来る。そういう秘めたものを持っている。既成外の超意識だ。それが何であるか、今は問うまい……」
 こう聴いたとき、津村はふと阿頼耶識
(あらやしき)を想った。それを想念した。阿頼耶識は八識の中の第八識である。人間存在の根底をなす意識の流れを言う。輪廻を超え、経験を蓄積して個我を形成する。また総ての心的活動の根元であり、心の拠(よ)り所である。
 『タカ』は更に言葉を繋いだ。
 「しかし想像力を絞って考えてみれば、奇想天外で、荒唐無稽なものほど異能としての効果は大きい筈だ。それを期待する」と。
 そこで津村は「山こかしを遣って見せる」と断言し、山師的な言葉を吐いたのである。『タカ』は山こかしに期待した。
 此処まで戦局が悪化すれば並みの正攻法では通用しない。異端者の荒唐無稽な発想が必要であった。
 だが、それは決して蛮勇と言うことではない。五里霧中の霧の中でも、進路を間違えずに進む勇気である。
 また体内に、北極星のような中心点があって、殆ど位置を変えずに示すべき位置を示す羅針盤が無ければならない。津村陽平には、その羅針盤能力があると検
(み)たのである。
 この漢なら、何処に放り出されても道を間違えずに進むだろう。その期待が懸かったのである。

 列車の中での会話である。
 「吉田さん。自分には未
(いま)だもって分らないことがあります、あなたの存在です」
 「それはですなァ、私が『タカ』の一員であるからです。ネットワーク間の相互扶助とお考え下さい」
 「では、あなたの任務は道案内ですか、それとも自分ら、あのエアガールを含めての護衛ですか?……」
 「あなたが目的を達することです。あなたが密使として、目的成就のために『梟の眼』は総智を傾けて助力する。そのために、あなたの総てを支援することが、私の任務です」
 「では、もし自分らに危険が迫ったら?……」
 「つまらぬことを訊かないで下さい」
 「あはははッ……、そうでしたなァ」自嘲し、愚問だったと悟った。
 「……………」吉田は《何と洞察力の鋭い人だ……》と思うのであった。完成が桁違いである。それは常識の既成枠外にあった。そして、津村に益々下駄を預けたくなったのである。戦うなら、こういう指揮官の許で戦ってみたいと思うのであった。単に知識だけで、その種の見識を持つ人間は生まれないからである。物事を無分別智で考えることの出来る人間であった。

 一寸先の闇の中を窺うには、炯眼
(けいがん)が必要である。未来予測である。未来を見ぬ異能力である。それには眼光紙背(がんこう‐しはい)に徹するものがなければならない。
 知識だけに頼るのではなく、それを超えた深意を読み取る能力だ。幽
(かす)かな未来の跫音(あしおと)を聴く異能力である。それは聞こえるのではない。聞こえる訳はない。聴くのである。自らを謙虚にして聴かねばならない。聴く耳を持っていなければならない。
 聴く耳を持たぬ者に、事態は認識していても、その認識は浅いのである。浅い認識では、対岸の火勢を観る姿勢になってしまう。それでは結果的に、瓦解
(がかい)を招く。簡単に挙国一致などは崩れてしまう。政府の指導は失敗に終わる。それに替わって、愚なる連立政権なども生まれて来る。政策は分裂する。動乱期には意図も簡単に連立内閣が出現する。このことは歴史の示すところである。
 また動乱には警察力は弱い。
 法律で雁字搦めにされている警察に出来ることと言えば、せいぜい事後処理くらいなことである。
 ひとたび大都市に巨大なパニックが起これば、警察力など無きに等しい。無政府状態になり、暴徒化する市民の群れが暴れ出して、この勢力が次々に糾合
(きゅうごう)すれば、これに抗(あらが)い、押し返す力などは皆無になる。そうなれば、間違いなく救いようのない動乱が起こる。一挙に国家崩壊へと向かう。
 そうなれば禍根を残し、国家の大計を誤ることになる。その前に応急処置がいる。怠れば手遅れとなり、人類史に汚点を残すことになる。


 ─────哈爾濱は松花江の南岸に沿う東北地区北部の中心都市で、交通や商工業の要衝である。北満の地である。新京より内陸部にある。
 この大都市には、亡命ロシア人をはじめとして、満洲国を牛耳る日本人、漢民族などがいて、それに加え朝鮮人、満人、ユダヤ人らが棲
(す)み付き、まさに国際都市に相応しい人種の坩堝(るつぼ)だった。かつて帝政ロシアが建設した北満の大都市である。
 人種の坩堝の大都市・哈爾濱……。
 そこはまた、利権のゴミ溜であった。常に陰湿なものが渦巻いていた。爽やかな空に反して、じっとりとした粘着質の人の欲望が絡み付く街であった。交通や商工業の要衝とは、兵法上で言う「欲の絡み付く交叉点」なのである。故に人が群れる。
 油断のならない国家規模の欲望が絡み付き、利権を窺っての暗躍があった。漆黒の闇の溶けて、貌を持たない土竜
(もぐら)が徘徊(はいかい)する街でもある。土竜だけでなく、時にはこの地に居着く熟睡者(Sleeper)までが眼を醒まして闇の中を徘徊する。

 利権に絡むとなると、誰もが傍耳
(そばみみ)を立てる。工作員なら尚更である。利権は金銭を含んでいるために国家規模での、一種の拝金主義者の集団である。当然、工作員の中に華僑も紛れ込んでいる。
 白系ロシア人達もソビエト政権に反対した白系露人だが、背景には無神論者の共産主義者
(communist)に追われた敗残者であった。この敗残者はロシアから財産を抱えて哈爾濱へと逃げて来た。
 また、一方で“隠れ白系ロシア人”ネットワークを作り、哈爾濱だけでなく、満洲里から先の赤塔
(チタ)にまで、その情報網を持って暗躍していた。満洲国境付近には逆スパイになった白系ロシア人や、ソ連の庇護を受けて満洲国に潜入する満人の反逆者までいた。多くはソ連産のウォツカ(vodka)に魂を売ってしまった者までいた。赤化の細胞培養され飼育されてしまったのである。また、そこには蜜に群がる蝿ように海千山千の詐欺師や山師が集まって来る。更に日本を追われた凶状持(きょうじょうもち)までこれに群れる。
 これに大陸浪人、国粋主義者や右翼、共産主義者、外国人の仲買人
(broke)、石油メジャーの走狗、そしてスパイまでもが絡み、人間模様の利害関係を複雑にしていた。

 いつしか、黒龍江省の『大油田伝説』まで捏造された話があった。詐欺師と山師の合作説である。
 こうした話の出所に、奇妙なことだが満鉄調査部が絡んでいた。ブローカー擬きの工作員が捏造話に乗って徘徊する。こうした怪しい輩
(やから)がゴマンと暗躍していたのである。関東軍もそれに傍耳立てていた。そして関東軍は、満鉄調査部をソビエト共産党に魂を売り渡した危険思想集団と検(み)ていた。
 満鉄調査部は度々関東軍の検挙の憂き目に遭っていた。小規模なこれまでの検挙は、単に思想取締だが、大戦末期の昭和19年頃に入ると、大規模な一斉検挙が企てられていた。アカ狩りである。
 背景には人間の欲望と我田引水があった。
 野心家は誰もが、大油田の話に躍らされていたからである。
 それに釣られて和蘭
(オランダ)石油資本が動き始めていた。一方、香港からは大英帝国が窺っていた。更に毛沢東の紅軍を打倒したい国民党政府軍の蒋介石もこの話に躍らされていた。
 そして恐るべきは米国だった。
 アメリカ合衆国の僅か1%にも満たない国際ユダヤ金融資本が米国政府すら動かして満州支配を国ごと簒奪する策を立てていたのである。国際ユダヤ金融資本は「外資」の貌を持つ。
 この貌は国際石油資本
International Oil Majors/かつてはセブン・シスターズと呼ばれて7社あったが、再編が進み現在ではエクソンモービル、シェブロン、ロイヤル・ダッチ・シェル、ブリティッシュ・ペトロリアムの4社をいう)でもある。
 この外資は内外から国際経済資本
(Majors)として恐れられていた。日本資本はメジャーを蛇蝎(だかつ)の如く嫌い、かつ恐れた。
 そしてこの恐れは、日本の軍部にも恐怖として貼り付いていた。満州国に進出することを恐れていたし、逆に石油メジャーからすれば、日本軍が黒龍江省で大油田を発掘することを恐れていた。満洲国はそれぞれに国家の利権が絡まり、また軍産複合体の企業の戦略が絡まり、人間の欲望が乱れ飛んでいた。斯くしてこの国は動乱期の唯中に在
(あ)った。

 「短い間でしたが、満洲
(国)でのご感想は?」吉田毅が訊いた。
 「広いですなァ。それだけに日本人の点と線の二次元的思考で、この国が治まるとも思えませんが……」
 「それはそうでしょう。そもそもこの黄土は、日本の土地とは無関係ですから。だいいち松花江の南岸の黒龍江
(Amur)の壮大な流れを、日本人では制御出来ないでしょう。その智慧を集積した歴史が有りません」
 「では、日本人は去るもののみですか」《残念です》という言い方だった。
 「去っても、想い出はいつまでも残り、かつての懐かしむでしょう。ただし、それは戦争を終結させた後でなければなりません」
 懐かしむのは、しかし今は時期尚早と言わん気
(げ)であった。
 「今の陸軍の遣り方では、強硬論が先行して戦争が長引きますなァ……」
 それは大局観を見ていないと同義だった。視野が狭いのである。
 視野場狭いミクロ的な近視眼では、全体像が見えず、実態を知らない幼稚な観察法では、映る映像が皮相的でしかない。複雑怪奇な社会構造の裏のカラクリが読めない。虚構すら見抜けない。虚報を真実と思い込んでしまう。
 戦争指導者は敵を知らず、己すら知らなかった。
 日本軍の場合、単なる血に飢えた戦争屋に過ぎなかった。大局観を検
(み)る眼力を持たなかった。
 視力は弱く、視界は狭く、柔軟性がなく、諸学に通じた教養はゼロに近かったと言えよう。哲学無しの血に飢えた戦争屋であった。戦争屋は「自他を知る」という兵法の根本を無視し、西欧のみならず、満洲国近隣の東欧の研究すらしていなかったのである。特に西欧の語学を蔑ろにし、言葉や言語を理解せず、音楽などの教養はゼロであった。ガチガチの融通の利かない軍隊官僚でしかなかった。そして惜しむらくは、軍隊官僚の中に自浄作用が働く機能がなかったことである。
 自浄作用が働かない組織に、未来が無いのは当然であろう。

 「それを防ぐには、一刻も早く戦争終結させることです」
 「それが“仕切り直し”ですか……」
 「仕切り直しすることで、一から勉強を遣り直すことが出来ます。敵を知らず、己を知らずでは、自らの勉強不足は認めざるを得ません。それには、仕切り直しをする以外ありません。そうすることで、米国支配中枢であるエスタブリッシュメント
(establishment)が考えてる戦後プランは変更されます。その一方で、欧州戦線が早期に終戦すれば、これに加速がつきます」
 「終結プランですね。しかし夢幻
(むげん)のような気もしますが……」
 吉田は参謀本部にいただけに、この作戦部門
(strategy‐section)が戦争遂行強硬派らで塗り固められていることを知っていた。彼らを説き伏せるのは容易でないと考えていた。彼らの言を抑え込んで終戦にもって行くのは至難の業と思料していた。この部署は「我」で凝り固まっていたのである。妄分別(もう‐ふんべつ)に曇らされていた。

 「それが夢幻であっても、夢は見なければ、夢にもなりません。人間が夢を見るのは、何も寝ている時とは限りません。起きている時でも夢は見れるものです。今の幻夢状態の日中戦争の構造を考えてみて下さい。どういう構造になっているでしょう?……」
 大東亜共栄圏の構造は遠い理想の夢幻だったと言えよう。五族協和も夢幻である。
 漢・満州・蒙古・西蔵
(チベット)・ウイグルの五つの民族にユダヤを加えて、六族協和となれば、更に夢幻だろう。あり得ない夢である。
 『金剛般若経』に基づけば、夢と幻、泡と影である。根拠がなく実体がないのである。
 理想論で言えば、満洲国の地から、欧米列強を完全に駆逐できたうえでの条件付きである。そして日本が盟主になると言うのであるから、何とも虫のいい話である。

 「それには独逸が負け、中国戦線への武器輸出が終了する。同時に、独逸軍事顧問団も引き揚げるという条件においてでしょうか」
 「ナチス独逸が中国軍加担に終止符を打たなければ、それは実現されません」
 「その時が来れば?」
 「日米間の講和条約が可能になるかも知れません。欧米列強の黄土の大地、収奪から手を引かせることが出来るかも知れません。楔を打ち込み、手を引かせる。そのためには早期戦争終結をして仕切り直しをし、この戦争では、いい負け方をしなければなりません。最悪なる無条件降伏などはしてはならないのです。
 したがって、仕切り直しをするには、今のこの機会をおいて他にないのです。この機会を失えば、日本に残された道は、連合軍の言うままの無条件降伏しかありません。そうなると、一体どういうことが起こるでしょうか?……」
 「国際法では兵具や武器その他一切を無条件に、敵に委ねて降伏することをいいますが、まさか、日本列島を無条件で差したして、連合国間での割譲と割拠がおこなわれるのでは?……」
 「そのまさかが起こります」
 これは夢幻などではなく、覚醒した白昼の夢に近いものであった。

 津村陽平は、この「まさか」を覗いて、既不可視世界の現象が時間差によって、現世に顕われることを既に感知していた。
 『津村流陽明武鑑』の方術には「易篇」がある。
 易篇によれば、「易の理
(ことわり)は天地人三才に亘る流行と変化の移り変わり」とある。
 現象界は時々刻々と変化するのである。その時の移りに、「月満つれば則ち虧
(か)く」とあり、変化流行を追えば、満月の侵蝕は、易で言う「亢竜(こうりょう)(あなどり)あり、窮むるの災なり」と明記されている。
 得意絶頂も、順風満々の有頂天も終焉
(しゅうえん)を告げる。
 満月はやがて虧く……。自然の摂理である。人智の及ぶところでない。
 至極の地位、充足した状態、そして得意満面なる絶好調。みな虧
く禍を孕(はら)んでいる。充足至極の地にあるものはやがて失墜する。身を退く時に退かねば、退くことが得策。まだまだと執着してはならない。その先を追い求めてはならない。追い求めれば、貪欲になる。貪欲が進路を誤らせる。見極めが肝心である。しかし見極めるには勇気がいる。
 したがって「まだまだ」が危ない。退
(の)っ引きならない状態の追い込まれるのである。まさに満洲国での野望がそうであった。禍は北から遣って来る。津村陽平はそう検(み)て居た。

 「そもそも王道楽土とか、五族協和などという理想論は絵に描いた餅であった。八紘一宇という指標が、あたかもスコットランドの高地兵の唱える鬨
(とき)の声のような標語(slogan)の範疇(はんちゅう)を出ず、『日本書紀』に出て来る記載自体が、人類にとって遠い理想に見えてきますねェ……」と吉田は嘆くように言った。
 「この理想論は欧米を知らない日本人の外交音痴と言うか、世界と言う世間知らずから起こった愚考です。叶わない夢です。人類はそこまで進化していないからです。しかしそれに向かって努力する価値はあります」
 「日米開戦の時も、独り善がりで『ハル・ノート』を解釈してしまった。外交音痴の極みです。独り善がりで幾ら正義論を打っても、これを受け入れる国など、一国もありますまい。そして裏切られるのがオチです」
 「つまり、世界と言う複雑な代物が、腕力を振り回して勝てると思い込んでいる妄想ですね」
 この妄想には、無根拠なる精神論の安売りがあり、既に大局は完全に見逃していた。兵法の裏に隠れる藕糸は読めず仕舞いだった。戦略は皆無である。柔軟に対応する無分別智の策がない。

 「もで、正直に告白すれば、私は八紘一宇と言う思想には至りませんが、しかしこの満洲の地が気に入っているのですよ、内地にはない気風が……」と吉田は吐露した。
 「自由闊達ですか?……」
 「そうです」
 「だが腕力だけで、何処まで人を屈服させ、心服させるに至りましょうや」
 「そこで、危惧されるのがソ連の対日参戦?……」
 「必ず参戦はあるでしょう。何よもその確たる証拠が、ソ連軍の最強を誇る第五軍の東への移動準備。満洲国総領事館の屋根裏部屋の窓から、その様子をハッキリと確認しました。もう直、満洲国は崩壊する……」
 それは“不穏”と形容していいほどだったと付け足したいくらいだった。霹靂
(へきれき)に耳を塞ぐ、深慮遠謀(しんりょ‐えんぼう)を髣髴とさせたと形容していいくらいだった。貨物列車は兵器を搭載して東に向かっていた。もう日ソ中立条約は、この時点で有名無実になっていたのである。無視されたと言ってよかった。

 「ソ連が満洲の国境を越えて、侵攻してきた場合は?……」
 「日本は筆舌に尽くし難い、悲惨な負け方をするでしょう」
 「悲惨な負け方とは?……」
 「兵は詭道
(きどう)なりを忘れ、油断すると謀られるということです。油断とは、油を断たれると言う意味です。日本は謀られて、裏切られ、大敗北を期します。そのときに犠牲は大きいでしょう」
 「それだけですか、日本が大敗北するだけで?……」
 「いや、その程度では済まされません。敗戦後、日本の連綿と続いた歴史は捏造され、大東亜共栄圏そのものの構想が、後の歴史で叩かれます。全世界からの一斉攻撃です。時に満洲は、日本の大陸侵略して侵略戦争を仕出かした指弾されるでしょう。歴史の汚点として、人類史の中に永遠に記されるでしょう。そして国民は戦争後遺症として、自虐的な心情へと陥れられます。元兇は音も立てずに忍び寄って来ています。
 しかし残念なことに、この跫音
(あしおと)を聴ける戦争指導者は、今の日本にはおりません。居るのは夜郎自大の軍隊官僚だけ……。
 その隙を突いてソ連は攻め込んで来る……。
 負け戦を重ねる日本軍は、完全に兵法の基本である“兵は詭道
(きどう)なり”を忘れています。ソ連の対日参戦は、兵法に則った詭道に他なりません。攻め込まれても、卑怯呼ばわりは出来ますまい、これだけ油断しては……」それは《非は日本に有り》という言い方だった。

 油断していたのは、日本の軍部の落度でもあった。国際状勢を知らなかった。日ソ不可侵条約を安易に信じ込んでいた。
 そもそも大戦の前に、石油の備蓄量などを企業家任せでなく、陸海軍とも、軍自らが備蓄の実情を正確に把握すべきだった。実はこのとき、半年どころか、二年半以上も日本の石油資本は備蓄していて、闇では巧妙な仕組みで、ソ連に逆に輸出していたくらいである。
 軍は、金儲けに聡い企業家の巧妙な仕掛けが見抜けなかった。独逸同様、日本の軍隊官僚は杓子定規な書類仕事を好む性癖があり、これでは聡い企業家の巧妙な仕掛けは見抜ける筈があるまい。
 一杯どころか、二杯も三杯も喰わされて、経済観念に疎
(うと)い軍隊官僚は、企業家に手玉に取られていたのである。戦争に伴う経済観や軍事観が未熟だったと言えよう。
 また戦争哲学すらなかった。戦争芸術など皆無である。戦略
(strategy)と言うグランド・デザインを描く能力がなかった。かのナポレオンのように、血の芸術家にはなり得なかった。況(ま)して、血の勝負師でもなかった。軍隊官僚はエリート風を吹かしただけであった。
 斯
(か)くして、津村はソ連の対日参戦があると力説する。その根拠に、赤塔(チタ)の満洲国総領事館で入手したコピー情報を携えていた。
 「では、これを阻止するには、早期戦争終結をさせる以外ないのですね」
 「そうです、急がれます」

 津村の脳裡には、満洲国の総領事館で得た機密文書に関心があった。自分なりに暗号解読に懸かっているのである。敵国の暗号は単純な『奇数・偶数法』であることを見抜いていたのである。奇数群がAからZまでを表し、偶数群が1から10までのうちの数字である。カタカナの場合は、奇数群がアからンまでを含み、これに濁音が付随される。
 津村は数学者でないが、図形的な感覚から、図式の描かれているものを読んでいた。記憶術の能力に長けていた。満洲に向かう飛行機の中で、キャサリンから預かった暗号コードブックの乱数順を、総て記憶していたのである。
 忍法などでは数字の記憶を行う記憶訓練を行うが、これを用いて、総て記憶したのである。
 津村独特の解釈法で、図形化し、数字枡を脳裡に描いて数字をカタカナに変換し、一気に記憶してしまうのである。これを自ら「有機的記憶法」と称していた。有機的に繋がった隠れた部分の藕糸
(ぐうし)を読む。不可視部分を読み解くのである。まさに脳が霊的な生き物であることを証明するような驚異現象であった。

 津村は普段から脳を鍛錬していた。頭の体操どころではない。脳に負荷を加え、徹底的に鍛えるのである。記憶力倍増法である。
 津村に言わせれば、脳は超高等生命体であるという。この生命体は過去の厖大なデータを記憶して宇宙を旅する。虚空蔵菩薩の「蔵」である。記憶の貯蔵庫である。
 虚空蔵とは、サンスクリット
(Sanskrit)の「アーカーシャ・ガルバ」の漢訳である。記憶の「蔵」あるいは無限の智慧と慈悲の「蔵」である。
 「虚空」「空間」「天空」を意味し、則ち、虚空蔵
(アーカーシャ)は宇宙に他ならない。星の一つや二つ支配できるだけの能力を持っている。
 だが一方で、人間の肉体な脆
(もろ)い。
 特に首から下は、単純に反復訓練することで、鍛えることは出来るが、下手をして転んだだけで、打ち所が悪ければ死ぬことがある。頭部の頭蓋
(ずがい)は容器として脳を保護しているが、顛倒(てんとう)して頭部を打ち付けたりすれば、簡単に死んでしまうことがある。それゆえ、脳は肉体の一部として発育したが、肉体そのものでない。脳は独立した超高等生命体である。

 もし、脳が肉体の一部として、人間に帰属するものなら、疾
(と)に昔に、脳に匹敵する躰(からだ)に改造されていなければならない。
 だが現代人に至っても、その痕跡が見られない。むしろ人間は進化するどころか、退化しつつある。精神世界は太古に較べて逆行を始めている。超感覚が失せ始めているからだ。超高等生命体の脳が眠らされているのである。その証拠に、現代人の霊的神性は曇らされた。数値主義の結果からだ。
 数字は、一方で妄信を生む。数字を過信し過ぎて、いつの間にか誑
(たぶら)かされいるのである。

 例えば資料の提示などにおいて、数値データが入っていると、非常に信用され易いと言う盲点がある。数字に意味があり、説得する側は突っ込みが深くなり、より専門的で、より信憑性が高いように、説得された側は感じてしまうものである。勿論、これは真である場合もある。
 しかし、この場合、逆は必ずしも真ならずで、実
(まこと)しやかであるが、真でない場合も多々ある。
 数値データに間違いがあった場合、喩
(たと)え、何分の一の極小さな数字が間違っているために、エラーが起こるのである。
 あるいはデータの数字が、過去の実証例に存在しなかった場合である。縦
(よし)んば、その数値が正しいとして、その定量的な観点よりも、数値以前の定性的な面が遥かに重要な場合があるのである。真か偽の、このことへの判定であり、それを見抜く能力である。
 序
(つい)でながらに、コンピュータが広く普及した現代、かつてのアナログ表示からデジタル表示へと移行した現代は、科学実験報告書から有効数字についての分別(sense)が後退してしまった。小数点以上の実際に目的に必要とする有効数字以上に、小数点以下の桁数の増加が有効数字にすり替わってしまった。
 つまり少数点以下の桁数が多いほど、より信憑性があり、より信用がおけるものとする安易な考え方が生まれた。「細かい」という安堵意識である。それを正確と思い込んで、やたら小数点以下にこだわる。これも科学と言う現代社会の信仰が齎した愚かしい“妄分別”だろう。
 これは脳を鍛錬して養われた無分別とは、180度対峙するものである。正反対である。つまり直観が無視されてしまったのである。

 そこで、数値の真偽は見抜くことが肝心なのであるが、真偽を見抜く場合は、いったい何が拠
(よ)り所になるのだろうか。
 ここに「無分別」の修練が大事になって来る。この修練こそ、脳を鍛錬することに他ならなかった。この鍛錬が直観を養う方法であった。術と置き換えていいものだ。
 したがって人間は、脳の単なる宿主
(やどぬし)に過ぎないとするのは、脳が鍛錬によって成長する超高等生命体でからである。だが鍛錬しなければ、眠り、そして曇らされるのである。
 人間は単なる脳の宿主。それゆえ宿主が死ねば、脳も死ぬ。またその反対もあり得る。
 この構造は人間と脳が運命共同体であることを表している。運命共同体は、脳は時として宿に死に危険を知らせて警告する。この場合の警告は超感覚で伝える。不可視世界を介入しての伝達方法である。それが「勘」である。その勘は脳に出動を方ら来かける。未来警告である。これを感じて藕糸を読む。隠れた部分が見えて来る。
 暗号文の内容は、ソ連の軍事動向の様子であった。乱数表無しで、これを解読した。
 ソ連第五軍が動いているという重大情報である。

 最初、英国は、ソ連が独逸と不可侵条約を結んだとき、北極海経由で戦闘機や戦車の武器援助をしていた。
 この条約により、ソ連は英国や米国からの武器支援を得て戦備を充実させることができた。独逸によって不可侵条約が破られるまでの最低二年間は、その戦備充実に充てられ、また独逸も戦備充実と隣国への侵略計画を押し進める下準備ができた。だが英国は、北極海経由の悪天候の海で危険を冒しつつ、空母や輸送船で武器支援をしたところで、そのメリットは「何か?」を考え始めた。この武器支援によって、英国は独逸Uボートからの魚雷攻撃で、これまで英国艦船は多大な損害を被っていたからである。
 スターリンは要求をすれば、幾らでも要求し、それが貪欲だったからである。これに人間を検
(み)た。ソ連と言う国の正体を考え始めた。チャーチルは渋り始め、やがて武器支援を打ち切る。だが、米国のルーズヴェルトはスターリンの人間性が見抜けなかった。欲しいものは幾らでも与えた。こうして英国と米国の支援格差が起こったのである。
 この頃になると、英国からソ連向けの武器援助は停止されていた。そのためソ連は、独自に武器を開発・生産することが迫られていた。そこで独逸国内に工作員を放ち、独逸から科学者を引き抜き、新兵器を開発させる計画を立案中である。
 英国首相チャーチルはスターリンの意図を見抜いていた。やかて、ソ連は火事場泥棒のようなことをして満洲国へと攻め入るだろう……。チャーチルの読みである。一つ遣ると言えば、十をくれと言う漢である。貪欲である。獰猛な羆だった。

 チャーチルがスターリンについて、危険視した「警戒八項目」の機密文書も併せて入手していた。
 油断のならぬ警戒八項目は、遠謀にして深慮、聡明にして老練、猜疑
(さいぎ)にして保命、周到にして狡猾(こうかつ)、静穏にして豹変、贅美(ぜいび)にして濃厚、清雅(せいが)にして淡味、満寵(まんちょう)にして悉皆(しっかい)の八つである。羆に警戒せよという意図の機密文書であった。それは裏を返せば、日ソ不可侵条約は有名無実と言うことであった。それを信じていたのは、日本政府の落度であった。当時の大本営陸海軍部はこうした裏切りに遭(あ)う末路すら読めなかったのである。

 要するに清濁併せ呑み、善悪綯
(な)い交ぜなのである。チャーチルこそ、無神論者の特長を端的に、よく言い表していると言えるだろう。スターリンについて、研究したチャーチルの人物評定である。
 日ソ中立条約を締結した外務大臣・松岡洋右はスターリンを表して、歴史上の人物に準
(なぞら)えて「西郷隆盛のような大きな人」と絶賛したが、その人物観察は未熟であったと言えよう。第一印象だけの表皮を観たに過ぎなかった。
 スターリンの心の裡
(うち)まで見透かすことが出来ず、大物然とした見掛け倒しに誑(たぶら)かされたと言うべきだろう。これは明らかに謬見(びゅうけん)であり、見当違いも甚だしかった。本当の羆(ひぐま)の狡猾さや怕さを知らなかった。あたかもライオンに餌を差し出す兎であった。果たしてライオンは、兎が差し出した餌だけを喰うだろうか?……。そこまで器用な食べ方は出来る筈がない。丸ごとガブリである。
 外務大臣として、お人好しであったといえよう。要するに外交音痴だった。

 その点、チャーチルの方が人物鑑定眼は正確であった。羆の狡さや恐ろしさを知っていた。スターリンを奸雄
(かんゆう)と検(み)て居た。
 そしてこの人物評定に加えて、ソ連の軍事観である。英国情報部
Military Intelligence section 6/MI6(エム・アイ・シックス) 軍情報部第6課)が蒐集し分析した機密文書である。
 MI6といえば、レイテ沖で敵前逃亡した第二艦隊司令長官の栗田健男海軍中将に、某
(なにがし)かを吹き込み、インスパイア(inspire)した部署(section)で知られる。

 津村陽平は自分の知る限りの暗号解読知識と不可視世界を覗く眼で検
(み)た分析によって、自分なりに日本の以降の行方を易によって占っていた。易断によればいい結果ではなかった。不吉なものが転がっていた。
 大勢が死ぬ。大勢の同胞300万柱が喪われる。人的犠牲としては余りにも大きい。国土も割譲・割拠されるだろう。津村の易断であった。

 「易道を教わるとなると、難しいものでしょうなァ」
 「この道は特別、教わると言うものは何もありません」
 「どうして教わる必要がないのです?」
 「易の師を師事し、教わり、また伝えるということは敢えてそれをしなくとも、教わるべきこと、伝えるべきことは皆、易経に書いてあります。そういうものは、総て言語に絶し、文章に絶しています。易経を繰り返し読んで自得する他ありません。基本は自身で繰り返し熟読をすることです。
 これは『孫子』も同じでしょう。文字や言葉だけでは、眼に見えない隠れた藕糸
(ぐうし)が分りません。そうなると、全体を有機生命体的に解釈する以外ありますまい。そして『孫子』と同じく、易経の字面や文句に捉われてはならないことです。則ち、自得!」
 「自得ですか……」《気が遠くなるような話だ》と吉田は思った。
 「さよう。自得以外ありません。繰り返し繰り返し、何度でも易経を熟読なさるが宜
(よろ)しかろう。しかし易経の字面や文句に捉われてはなりませんぞ。真意は字面や文句にあるのではありません。易断の示唆は『卦』にあるだけで、文句や文字は無関係。文句や文字は、古人がそれに解釈する上で、便宜上用いただけのもの。それに惑わされ、捉われてはなりませんぞ。要は藕糸を見抜く観察眼にあり……」
 「能
(よ)く検(み)ると言うことですか
 「それも表皮だけでなく、内部までも、その奥底までも。広く、深く、世の中を見渡せば、これまで見えて来なかったものまで見えてきます。深部や意図が浮上してきます。それには先ず人間を観察することです。天地人のうち、最も接近していて観察出来るのは人間です。人間を学ぶことです。人間を学べば、易経の真意が分ってきます」
 「奥深いですなァ……」
 その奥深さから、想像物を産み出したのである。想像物を産み出すのは脳である。脳の宿主は、その想像物から哲理を生み出し、また芸術まで生み出した。だが窮地の追い込まれて錯乱すれば、脳の秩序だったものは狂い出す。狂えば機能しなくなるのである。

 大戦末期、戦争指導者の脳は確かに機能しなくなっていた。中枢
(分別知)すら見失っていた。無中枢(無分別智)の存在すら知らなかった。中枢を見失ってしまったから無中枢すら知らないのである。
 そして中心帰一を忘れ去っていた。原点に返る道まで見失った。謙虚な眼を喪っていた。視野が狭く、中心から大きく逸脱していた。その最たるものが、陸海軍のおのおのが分裂した“陸軍の中の日本、海軍の中の日本”であり、「日本の中陸軍、日本の中の海軍」ではなかった。中枢が分らなくなっていた。そして精神論で爆走し、然
(しか)も中途半端に突き進んでしまった。確たる戦争目的がなかった。
 所謂“常識的な中途半端”に汚染されて、常識外れの無分別な発想に至らなくなる。斯
(か)くして奇手が死んだ。つまり智慧が枯渇(こかつ)し、奇手を封じてしまったと言えよう。大戦末期、最後まで奇手は出て来なかった。奇手は封じられた組織で、わが身の立場の保身だけを図っていた。この種の組織の所属する脳は、全体が共鳴して一斉に狂い出すからである。そして集団滅亡へと向かう。此処まで悪化させれば、もう勝利など何処にもないのである。あとは無慙(むざん)に破壊されるだけである。

 「易経は直覚するものです、秩序立てて直覚すれば、それで宜しい。難しいことはない。ただし……」
 「ただし、何です?」
 「恐怖したり、怯
(おび)えに狂った脳では直覚出来ません」
 吉田はこれを聴いて恐ろしいと思った。この恐怖感は正しいだろう。
 脳は、組織内では連鎖反応するからである。寄り集まり、互いに絡み合い、狂いの連鎖反応を起こすからである。所謂
(いわゆる)(ひ)き合う共鳴である。この共鳴が起こると、機能するための秩序は失われ、あたかも集団催眠に懸かったように、組織全体が狂い出すのである。そのため正しく機能しなくなる。
 幻覚を掴み取ったのでは、そこから繰り出されるものは“自死”でしかない。自滅である。滅びの美学へと傾倒し始める。自身の終焉
(しゅうえん)の想像である。脳は如何ようにも変化して、時には自滅へと傾くこともあるのである。
 終焉の想像は、しかし滅びの美学の中で、死に怯えて死にたくないと思うのは人情である。誰でも、のたうち回って死にたくはないだろう。願わくば、滅びの美学を知覚した時から、このまま無明界へでもいいから、脳の狂った回転のままに、無限の旅路に就
(つ)きたいと思う筈である。
 だが果たして、特攻隊員に、また兵卒に課せられた万歳突撃に、無限の旅路に就く終焉の想像があっただろうか。
 自滅消失の旅……。果たして正しいだろうか。発想に狂いはないだろうか。

 『タカ』は早期戦争終結のために、奇抜な発想をする人材発掘に迫られていた。そこで白羽の矢が立ったのが無名だった津村陽平である。戦時には、これまでの平時の常識人とか、異なる奇抜な発想が出来る人材を要していなければならない。その点、津村陽平は打ってつけの人物と目されていた。
 この漢は大局観を心得ているのである。中心を見失わない漢だった。また、喰わせ者としての才がある。
 外見と才能の不一致……。寝業師としての所以
(ゆえん)である。一種の天下の奇人である。
 喰わせる時は、一杯も二杯も喰わせる。気付いたら、盥
(たらい)の中で泳がされていた……。気付いたらそうなっている。
 この漢は寝業師であるだけに、歩速を弛
(ゆる)めて罠に追い込んでも、それは盥の中だった。山こかしをするだけの人間であった。器(うつわ)が超弩級(ちょうどきゅう)である。恐れるもの無しなのである。
 津村陽平には、もう何も失う物が何もなかったし、持っている物が殆どないのである。無一物であった。
 そしてこと漢は、この世は「捨てて行く中に真理がある」と信じている。思考は極めて老荘的である。
 神仏ともに在って、神仏に願わず、ただ尊ぶばかりの存在を知っていた。祈るが、願わずの信念である。共に在ることを有難いと思うのである。

 人間は変化する。それは進化するのでなく、変化するだけである。
 二十世紀に至って人間は急速に変化した。価値観も大いに変化した。そして今もなお、変化しつつある。
 津村はそう思うのである。そんな気がするのである。
 二十世紀に至って何が変化したかと言うと、人間の所有する兵器の変化である。兵器は昔から、敵ばかりでなく、己すらも斬り捨てることの出来る諸刃
(ものは)の剣だった。その刃は何れも斬る。
 大戦当時は政府がこれを所持した。爾来
(じらい)武器は変化した。兵器は時間とともに小型化され、今日に至っては超小型化された。併せて高性能から超高性能へと変化した。それでも「諸刃の剣」であることには変わりない。

 仏蘭西の思想家・モンテーニュ
(Michel de Montaigne)は言っているではないか。
 「古今に亘る広い読書体験と鋭利な自己省察に基づいて、自然に則した生き方こそを善とする」と。
 古代の神々の時代は、人間が鳥獣と会話し、遠方のニュースも鳥獣から聴いた。そう言う古代があった。
 古代には神なる人間の精神支配に長
(た)けた超能力者がいた。異能者がいた。だが現代では、異能者と言えば異端視される。奇人・変人の扱いを受ける。
 では、何故そうなったか。
 人間は自ら移動するようになって、かつての能力を捨てたからだ。そして退化した。
 しかし退化する以前はどうであったか。
 兵器すら存在しなかったのである。無為自然の中に居た。自然から遊離されていなかった。
 だが老荘に添えば、人間性に深い洞察を加えれば、ソクラテス的人生哲学に到達する。此処に至れば、人類は世界が壊滅するまでの“鏖殺
(おうさつ)の愚”は避けるだろう。

 「王道楽土とは、いったい何だったのでしょうね?」吉田が訊いた。
 「幻覚ですよ、狂った脳から生まれた。おそらく疑心暗鬼に取り憑かれた強迫観念からでしょう」
 「と、言いますと?」
 「満洲国と言う人造国家を考えれば一目瞭然でしょう。人は、此処に大都市の未来形が在
(あ)ると言う。
 しかし、そうでしょうか。期待した巨大都市の発達や、文化的かつ経済的なる活動において急激な膨張を齎したこの地の日本人は、神をも恐れぬ思い上がりで固まってしまった。経済的繁栄に狂喜した。経済優先政策に湧いた。そして、建前上は、この地で独立国を謳
(うた)った。それが砂上の楼閣と言うことも知らずに。
 では、この独立国は、いったい何でしょう?……」
 「はて?」
 「満洲国民には戸籍が無いではありませんか」
 「そういわれれば、確かに……」
 「此処には、どれほどの人口が?」
 「そうですなァ。ざっと四千三百万人ほどでしょうか」
 「では、満洲国民は?」
 「えッ?満洲国民ですか……」吉田の貌が苦悶に満ちた。
 「一人もいない筈です」断言するように言った。
 「そう言われれば確かに……」図星されたという言い方だった。
 「結局此処では、誰もが日本人であることを捨てきれないのです。独立していないのです、米国のように英国の植民地から脱して、独立国家ではないのです。日本人は満洲国に移住しても、満洲国民になりたくないのです。日本人がこの地で立派な鉄道と大都市を形成しながら、満人からは殆ど尊敬されず、背後では排日運動が起こっている。そして日本人をはじめとして白系ロシア人、満人、朝鮮人、ユダヤ人らが居ならが満洲国民を名乗る者は一人も居ず、この国は、国民が居ない畸形
(きけい)なる人造国家なのです」
 「それは、まさに砂上の楼閣……」
 「その通り」
 「赤い夕陽の満洲は、実は砂上の楼閣だった……」
 「此処では、人間疎外の空しい喜びしかありません」
 「それが今、不吉な翳
(かげ)りを落し始めた……ということでしょうか」
 「それゆえ破滅への進路を変更しなければなりません」
 「つまり『タカ』が発令されたということですね……」
 「早くしないと、日本人は安易に寸刻の時間と空間の中を争うだけの、奇怪な、畸形な文明の中で徒労を繰り返し、疲れ果て、病んで行くばかりです。それは精神まで廃頽させるということです。お分りか!」
 進路変更をする……。
 それは日本だけが進路変更をするのではなく、日本が進路変更をすれば、つまり此処で仕切り直しをすれば必然的に、米国もそれに反応して、これまでの方針を改めなければならない。二十世紀は連動関係にあり、その原動力で世界が動いていると言うことを意味するものであった。
 急がれるが、反省点を洗い出し、それを駆逐して、仕切り直しをする。そこに単純な二元論は存在しない。

 「その反省は大いにあります。その大きな反省点は、独断専行と既成事実の積み重ねて皇軍を腐らせて来た関東軍。この関東軍が日本を泥沼の戦争に引き摺り込んで来た元兇。関東軍司令官の暴走を止められなかった日本陸軍の欠陥的構造。これらを是正するには遅過ぎた観があります。しかし老婆心ながら、『タカ』が動き出した。泥沼の支那戦線を切り上げ、軍部の無能者を一掃する作戦『タカ』の企て……。
 そして誰もが鎖に繋がれ、自らの意思と自由を奪われながらも、これに反対せず、またそのことに味気付かない。これでは亡国以外にありますまい……」
 怕
(こわ)い話であった。
 亡びるときの定番のストーリであるからだ。直ぐそこまで亡徴が迫っていた。

 「それが、つまり亡徴……」津村は《禍は、その兆しより起こる》と言いたかった。
 「易断に亡徴が顕われているのですね?」
 「さよう。この世界は善悪二元論で片付くほど単純ではない。敵味方の単純な構造から出来ているのではありません。実に複雑怪奇。その現象を無中枢なる脳から湧き起こった。現象界特有の事象です。
 したがって少なくとも理想と言ったエコイズムと振り回しただけでは物事は解決しません。この独善的エゴイズムを振り回して悪を亡ぼせば、総て善になるとは短見的な近視眼発想。善悪綯
(な)い交ぜ、然(しか)も清濁併せ呑む。この構造こそ無分別の最たるものです」
 「まやかしの二元論などでは、この現象界は治まらない……。そういうことでしょうか?」
 「清濁併せ呑む……、肝に命ずべきことです。異も同も、ともに同根。両者は別々のものでない。そして有も無も同根。これを異なったものと検
(み)るのでなく、『異なったものを同一と観る』ことこそ大事。
 形式理論では矛盾に思える蔑視的観点を、状況判断に応じて変化させ、時と場所に活用することこそ、今は急務でありましょう。つまり、これが無分別の重要なるポイントの一つ……」津村は要点を示した。

 これは西田哲学で言う「絶対矛盾の自己同一」で、異と同は禅で言う「打成一片
(たじょう‐いっぺん)」の意味である。これは坐禅に徹底して総てが一体として体得される境地を指し、転じて、一切を忘れて専心することを言う。つまり、「異即同、同即異」のことである。

 「普通は『同じ』というと、仲が良かったり、異なると異端視して排他的になる。それを、異も同も一体同根と検る。そういうことですね?これは善悪にこだわらず、また清濁によって分類するのでなく、無分別によって一体化する。そう言うことですね?」
 こだわりを捨てる。この世の真理は、捨てる中にこそある。吉田毅はそのように感得した。

 急行『はと號』は、一路新京に向けて夜の漆黒の中を走り抜けていた。北満の曠野を疾走していた。

 世の中には、分別は善、無分別は悪だと論(あげつら)い、無分別を一蹴する嫌いがある。ひたすら善を追及することこそ、正しいと思い込み、悪の根元たる無分別を容認してなるものかと、拒絶する考え方がある。そして無分別こそ、不道徳と指弾する青い正義論がある。
 先の大戦も“聖戦”という独り善がりの正義論から起こった。
 しかし論語的解釈の見方を変えて、老荘的思考で物事を考えてみれば、また違ったものが見えている。それは禅的であるといってもよい。
 とかく分別の世界では、正解は善のみしかないとするこだわる考え方がある。善悪の中で、正解は善のみとすれば、どこかすっきりしていいように映り、これが最高だとする傾向にあるようだ。
 つまり、「右でも左でも構わない」ということに、了解し得ない狭量的な思考は容認し難いと思い込んでいるようだ。これが外国との異文化交流をスムーズに行わせない元兇となった。先の大戦当時、日本人は井の中の蛙であった。外国の気候や風土、文化や伝統などが理解できず、押し付けがましい独善ばかりを強要した。
 更に、異は同と根が一緒であることを知らなかった。彼我の両方を知らない「我」だけが独断先行していた。
 先の大戦の悲劇は、ここから始まったのである。

 この物語は、更に続編として、第三話の続々壺中天・瓢箪仙人』へと続きます。


小説壺中天・瓢箪仙人』 第二話 完

 





<<戻る トップへ戻る

  運気     八門人相     房中術     癒しの杜     菜根譚     小説     会報Back No.     合気     蜘蛛之巣伝     死の超剋     霊的食養     心法