運気 八門人相 房中術 癒しの杜 菜根譚 小説 会報Back No. 合気 蜘蛛之巣伝 死の超剋 霊的食養 心法
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続 壺中天・瓢箪仙人 57

他人を抑えて支配する力を「権力」と言う。その力はまた、支配者が被支配者に加える強制力をも含む。この強制力構造は一度打ち建てられると、容易には崩壊することがない。その構造自体が堅固そのものであるからだ。こうした堅固なものが、時として崩壊することがある。

 国家にしろ、企業にしろ、またある種の目的を掲げる組織や集団にしろ、これが崩壊を迎えるのは、概ね二つのパターンがある。
 第一のパターンとしては、外圧などの対外的な力が及ぼし、生存競争に敗れた場合。
 第二のパターンとしては、内部構造に腐敗や亀裂が起こり、意図的に対外的な勢力が入り易いように企てられた場合である。つまり裡側
(うちがわ)から、敵の侵入を容易にする売国奴としての利敵行為が起こった場合である。
 人間の有史以来の歴史は、この両方の繰り返しであった。

 黄土の地・中国大陸について考えてみよう。
 支那は千七百年前の三国時代も、また日本が大陸に進出した満州国時代についても、しばしば同じような現象が見られた。
 支那では、古今の戦乱を通じて、それが歴史の中に宿命的なものは感じられる。支那の歴史は振り返れば、数千年の間、おおかた一世紀間隔で、戦乱とは無縁でなかった。
 あれから七十余年経たとはいえ、日中戦争然りである。
 支那の代表的な歴史的な人物は、悉
(ことごと)く悲惨な戦乱の中で人と為(な)り、多くは戦乱の中で人生を経験している。三民主義を提唱した孫文然り。蒋介石然り。毛沢東然りである。

 また無名の人民も、戦争と平和の絶え間ない怒涛の嵐の中で、黄土を耕し、戦々兢々
(せんせん‐きょうきょう)とした中で、子供を産み、育てた。
 そして人民の場合、流亡も離合も、あるいは喜怒哀楽も、汲々とした生計
(くらし)も、戦禍の裡に人生を営んで来た。
 満洲国と言う人造国家の時代を生きた北満の人たちも、同じであったであろう。
 あの当時、底辺の人民の生き態
(ざま)を思うと、一歩間違えば自らの生命と運命の両方を他人の手に委(ゆだ)ねて、大きな賭(か)けをするような苛酷な人生を歩いて来たと言えよう。


●治乱興亡と自然界の理法

 辛亥革命後、満洲は軍閥割拠の状態を呈した。
 この頃、頭角を顕したのが、奉天を支配していた張作霖
(ちょう‐さくりん)である。中国各地では列強に対する利権回収運動が激化していた。これに対して日本政府は、満洲における権益を守るために張作霖との関係を強固にした。また、この関係によって張作霖は、日本軍の威光を後ろ盾として北京へと進出した。

 辛亥革命後の1912年の中華民国初代大総統であった袁世凱
(えん‐せいがい)亡き跡、張作霖は政権争いに加わり、この権力闘争は満洲にも波及する烈しさであった。この飛び火を恐れた関東軍は、張作霖に満洲で勢力を温存するように彼に求めたが、これを聞き入れなかった。権力に固執する聞き分けの悪い漢であった。
 そこで、この聞き分けの悪い漢を、関東軍は爆殺しようと図る。これが昭和4年
(1928)の満州某重大事件である。この一年前、北京で大元帥になった張作霖は、翌年、奉天に入ろうとして関東軍の陰謀による列車爆破で爆殺される。そのとき謀略を図ったのは関東軍高級参謀の河本大作であった。
 当時の日本政府は爆殺事件の真相を秘匿し続けた。恍
(とぼ)ける以外なかったのである。
 発覚すれば国際問題になるからだ。この事件は他国の国家的な支配者を暗殺した訳であるから、これが日本軍の仕業と分れば、日本が世界から袋叩きにされる。当時政権を担当していた田中義一内閣は大陸政策の生温さに批判を浴びて、国際問題となり、自国の危機を招く反逆罪となるからである。だが当時の政府は、軍部に圧力をかけられ、首謀らの河本大作らを厳罰に処すことが出来なかった。軍の言いなりとなり、事件は秘匿され続けた。

 張作霖亡き跡、父やの野望を継いだ張学良
(ちょう‐がくりょう)は、南から中国統一を図って北に駆け上る。戦略的には北伐の構図である。軍閥政府の打倒のための革命戦である。そこで中国国民党政府と手を結ぶ。これとの同じ手を、先に国民革命軍の蒋介石が行っているのである。
 蒋介石は北方の軍閥政府を打倒するため、広東の国民党革命政府が行なった戦争が「北伐」であった。このとき蒋介石は1926年7月に広州を出発し、二年後の1928年6月に、北京に入場している。この策を張学良は真似をしたと思える。
 しかし真似だけでも、心理的効果は大きく、牽制となる。併せて、これは関東軍に対して、徹底抗戦の構図であった。上手く考えたものである。
 関東軍と対峙
(たいじ)し、強(し)いては関東軍を満洲から蹴散らす策に出たのである。策としては上々であっであろう。関東軍は、この虚仮脅(こけおどし)しに、まんまと躍ったからである。

 その証拠に、斯
(か)くして関東軍は関東軍で、満洲全土の支配を目指すことになる。武力で抑え付けようとした。満州事変の発端となった事件である。
 昭和6年
(1931)9月18日の夜に起こった柳条湖事件は、これを雄弁に物語るものである。
 関東軍は参謀石原莞爾中佐らの謀略計画により柳条湖で満鉄線路を爆破し、これを中国軍の仕業と偽り、攻撃を開始した事件である。真相は張学良の駆逐を謀るたのである。しかし力づくの策は下策であった。完全には駆逐は出来なかった。その残党が満洲に入り込んで転覆を謀ったのである。これが日中戦争を泥沼化された一つの要因であった。
 柳条湖事件……。
 この事件は、歴史の流れを見た場合、日本にとっては「吉」に働かなかった。以降「凶」に傾く。企てたとき手柄擬いの「吉」に映っても、好事魔が多しの喩えから、結果は「凶」である場合は少なくない。特に物事を短見的に観測し、近視眼的なミクロ視野では、大局のマクロ視野に敗れる。
 その証拠に、この事件はリットン調査団によって暴かれることになる。そして昭和7年
(1932)、国際連盟調査団長として満州事変に関する報告書を作成したのち、日本の在満権益は認めたものの、満州国建国は否認したのである。国際政治からは、敢えて元兇を引き寄せた形になった。

 近現代史の戦史を紐解けば、日中戦争の“泥沼化”は、中国政府軍だけとの戦争ではなかった。
 だが当時、日本軍は敵対相手が同盟国の支援を受けてこの戦争を遣っていることに気付かなかった。気付いても、独逸への遠慮から、これを見て見ぬ振りをしていた。
 中国軍の背後にはナチス独逸が軍事顧問団に控えており、西安事件からも分るように、西北剿匪
(そうひ)副司令となり、抗日救国を要求して、蒋介石を監禁したことからわかるように、東三省から追われた張学良も戦局の泥沼化の元兇になっていた。これに毛沢東の紅軍が加わって、三つ巴になり、この構図の中を日本軍は相手にしたと言うことになる。一対三の構図である。尋常に考えても、一人で三人を相手にする武技は容易でないことが分ろう。更に日米戦に突入して米英を相手にし、大戦末期にはソ連の参戦が加わり、まさに五つ巴で苛酷な戦争を戦っていたのである。

 しかし、日本陸軍はその構造が見抜けなかった。一対一の格闘戦と検
(み)て居た。真剣勝負とか、果し合いとか、決闘は好きだが、大局を読むことを知らない国民である。この国民の代表である軍隊官僚(国民の税金で賄う優等生)が、ただ力で捩じ伏せようとした。彼らには政治もなく、外交もなかった。そもそもが日本人は外交音痴なのである。

 むしろ水面下の工作の方が、秘密戦には相応しかったが、当時の日本軍は秘密戦の意味を全く理解していなかった。力で捩じ伏せようとしたことである。これも戦争に負けた理由である。
 武器の優劣有無を問う前に、日本の軍隊官僚に問題があったと言えよう。戦う前から国際的な情報戦や秘密戦に完敗していたのである。
 そして国際的なる情報戦ならびに秘密戦を上げるのなら、シオニズム運動をパレスチナだけでなく、満洲国でも運動を展開していた猶太
(ユダヤ)の存在であろう。そしてイスラエルの世界に誇るべき諜報機関のモサドである。その前進が、1940年に創設されたハガナー情報局の英国課であった。現在でもその流れを受け継いで、世界最強の情報活動を展開していると言う。
 満洲にユダヤを建国する発想。
 これにはハガナー情報局
(今日ではイスラエル諜報特務庁を指す)が絡んでいたと考えても不思議ではない。そしてこの情報局には、多くのサヤン(協力者)がいたと考えられる。情報蒐集をする諜報員への協力者である。

 サヤンとは今日で言えば、イスラエルの国民ではない者をいい、世界各地に住んでいる純然たるユダヤ人のことである。例えば、サヤンは金銭ならびに住宅や車輛などの借用において、一般書式の必要事項に書き込まなくても融通する強力者のことで、銀行ならばバンクサヤン、住居ならばホームサヤン、車輛ならばカーサヤンをいい、真夜中であってもこれらの貸借が可能なのである。これは近年に始まったことでなく、戦前にも戦中にも存在した。当然、満洲国にもサヤンがいたと考えられる。
 更に驚くべきは、病院や医院などにも、ドクターサヤンがいて、警察に報告しないでも銃創を治療してくれるのである。どんな依頼にも快く協力することを旨とし、決して実費以外は受け取らないのである。それだけに画策じみ、陰謀じみている。
 日本人は陰謀史観などを上げれば、事実無根だとか、あり得ないなどと一蹴するようだが、そもそも「あり得ない」という一蹴論に、不可解な、予測不可能な陰謀が巣食う温床を作っている。
 その一方で、日本史における陰謀史観は、「満洲国を起源にする」といい張る人までいる始末である。

 日本の満洲国建国。
 これは単独、つまり日本一国だけで謀れたものなのか。あるいは企てるにして、軍資金の援助者は他に居たのか。
 満洲にユダヤを建国しようと企てたのは米国の国際的なユダヤ資本であった。国際的な市場支配力をもつ大資本である。その資本を利用しようとしたのが、満洲建国のもう一つの手段だった。日本人に満洲建国をさせた上で、その後に国を乗っ取る。充分に可能であった。またこの手段を目的に変換すれば、ソ連への牽制でもあった。北からの侵入を阻止しようと日本は、明治以前から考えていた痕跡があったようだ。
 そして明治以降の日本も、北からの侵入を「おそ露西亜国
(ロシア)」などと呼称していた。戦前・戦中はロシアをソ連を警戒していたことが分ろう。日本の北の国境線が満洲であった。
 考えれば、日本の大陸進出は先ず満洲と言う拠点に、国防の足を踏み入れた。ソ連と中国の間に侵入阻止の楔
(くさび)を打ち込んだのである。その楔打ちは大陸の奥地へと拡大され、やがて西側にも移動していく。
 では、西側には何があるのか。
 そこには北方の騎馬民族の道があり、モンゴル帝国の道があり、更にはシルクロードがあった。この道はシベリア鉄道だけでなく、シルクロードを通じて欧州から亡命して来るユダヤ人達の亡命の道でもあった。この道に奇妙な日本と猶太の『日猶同祖説』が泛
(うか)び上がって来る。この説を論(あげつら)って、日本人とユダヤ人は同根であることを力説する人も少なくない。その一方で、荒唐無稽だと一蹴する人も少なくない。

 斯
(か)くして、親猶太主義と反猶太主義が入り乱れて鬩(せめ)ぎ合う。時には烈しい攻防戦を演じる。この鬩ぎ合いの元兇になってものが『シオンの議定書』である。
 この議定書には「ユダヤ人が世界支配の陰謀を企んでいる」という理論
(theory)で構築されている。
 一説には、ロシア秘密警察が作った偽書とされる。偽書である根拠として白系ロシア人はロシア革命を企てたレーニンをはじめとする革命一派はユダヤ人で、この連中を酷く憎んでいたと言う。そしてその結果『シオンの議定書』が作られたのではないか?という論である。
 この論は、反ユダヤ思想であるということから、親猶太からすれば、捏造
(ねつぞう)された偽書という論が有力になって来るが、ここにも支持派、反支持派との鬩ぎ合いがあるようだ。


 ─────その鬩ぎ合いが、この列車の中で起こっていた。そのような急激な変化の前触れであった。
 「そろそろ昂昂渓
(コウコウケイ)です」吉田毅が聲(こえ)を掛けた。
 この聲の裏には、これからの采配
(さいはい)を津村に委ねるという意図も含んでいたようだ。つまり津村陽平なる人物を再度、験(ため)そうとしたのである。勘のほど、もしくは先を見通す霊的判断である。

 一方、津村は吉田からこう促されたとき、斉斉哈爾
(チチハル)にはユダヤ人のシナゴーグ(synagogue)があるということが脳裡(のうり)に残っていた。またそれが意味ありげに思えた。勘を験されていると検(み)たのである。
 西欧から遣って来たユダヤ人達は、ナチスからの迫害の手を逃れて、続々と満洲国へと向かった。その人達と同じ列車に乗り合わせていたのである。
 もう直、昂昂渓である。大半は哈爾濱へと向かうであろうが、此処から一部は乗り換えて斉斉哈爾へと向かうらしい。シナゴーグを心の拠
(よ)り所にして……。
 その時である。
 一等車から慌てた容子
(ようす)で入り込んできた西欧人が居た。二十歳過ぎの童顔の女性である。
 髪の毛がブラウンで、白い肌をしていたから、西欧の何れかの国の人だろう。あるいは白い肌を持つユダヤ人であるかも知れない。黄土色のリュックサックを背負い、手に赤のスーツケースを持っていた。
 その女性が、津村ら二人の前に顕われて妙なことを言ったのであある。


 「咒殺
(じゅさつ)される。扶(たす)けて……」小声で懇願(こんがん)するように言った。語調(intonation)に狂いのないハッキリと聴き取れる流暢(りゅうちょう)な日本語であった。
 貌が青ざめていた。蒼白
(そうはく)と言っていいほどだ。貌は強張(こわ‐ば)り、恐怖が張り付いていた。
 「なに?!」と、少し驚いたように津村は訊き返したが、女性の喋った言葉の意味が釈然としなかった。
 唐突のことである。

 「津村さん、どうします?」吉田が験
すように訊いた。この漢は、どこまでも津村を験す。そして人物を窺おうとする。彼には人物評定癖があるのか。
 しかし事は急を要するようだ。好奇心のある人間ならば、こういう場合に一蹴するか、意図や思惑に掛かってまんまと手玉に取られるか、その結末を見てみたいと思うのである。
 女性は確かに「扶けて」といった。それを津村は、どう処理するか。
 捨て置けとして一蹴するか、女性の言を真
(ま)に受けて聞き届けるか、その人と為(な)りも検(み)てみたいと思う。人生における人情の機微である。人情家か、否か。そこに津村陽平の全人格が表出される。義人か否か。サムライか、そうでないかの……。
 それはあたかも、窮鳥
(きゅうちょう)(ふところ)に入(い)れば猟師も殺さずという、その機微だろうか。

 歳の頃は21、2歳に見える。追い詰められて、猟られる寸前の逃げ場を失った仔兎のようにも映る。救いを求めて来たのである。
 しかし「咒殺」の意味が釈然としない。奇妙な言葉である。それでも、何か意味ありげで、安易に見捨てることは出来ない。
 袖振り合うも多生の縁という。もう縁が起こったのである。宿縁である。津村は観念した。
 人生には時として「瓢箪から駒」という現象が起こる。
 特に大陸は国境が陸地と隔てられているため、四方が海に囲まれた島国・日本とは異なり、この現象が起こり易いようだ。支那と言う大陸では、黄土に「黄龍」が出現したとしても不思議ではないのである。
 また麒麟
(きりん)・亀・竜と共に四瑞(しずい)として尊ばれた鳳凰(ほうおう)ですら、そんな鳥は居ないと否定するより、居るのだとして五色絢爛(けんらん)にして聲(こえ)は五音を有し、梧桐に宿り、竹実を食い、醴泉(れいせん)を飲み、聖徳の天子の兆として現れる……とした方が、専(もっぱ)ら支持される通有性が生じるのである。況(ま)して、非科学極まりないなどと一蹴してはならない。
 人は時として、自らの人為を総て天象に願うときがある。人は奇蹟を好む生き物だ。そして天の瑞兆
(ずいちょう)に期待するときがある。絶体絶命のときこそ、何とか今の危機を回避して、吉兆や機運に肖(あや)りたいときがある。

 特に危機が迫り、自らの生命が危険に晒
(さら)されている時にである。禍(わざわい)転じて福と成すことを願う。そこに祈りの心が起こる。半信半疑で、半分以上は相手にされないと分っていても、それを承知で懇願してみるのが人間と言うものである。
 もし《咒殺される》と誰かが言えば、《それは大変だ》と親身になった考えてやり、では《扶けて》という要請に対し、老婆心ながら……と、不必要な世話焼きも人生には必要なのである。人間の行為には総て意味があるからだ。
 瓢箪から駒と言うのは、道理上はあり得ず、意外なところから意外なものが出現することをいい、ふざけ半分でも、ゆめゆめ疑わず、親身に聴く耳を持ち、相談や要請に乗れば、奇妙な事が現象化することがある。
 津村は、今がその時機
(とき)だと思った。それに自身にも、何か得体の知れない危険が迫っているように感じたのである。
 この漢には、半信半疑と言うのがない。中途半端がない。総てを直感する能力を持っている。
 一種の異能者なのだ。一寸先の闇の中を視る。霊的なものを感知する。その感知の中に、不穏な動きを捉えていた。
 それは気炎
(きえん)既に衰え、それに対して、北から巨大なものが襲って来る兆しのようなものを感じたのである。何かが、やがて遣って来る。そういう瑞兆を観じたのである。それは“気炎既に衰え”のその直覚であったかも知れない。

 「遅れ序
(つい)でです」乗る気なのだ。悪い冗談だとも一蹴出来ない。そう思う。半信半疑として聞き流していないのだ。
 真摯に捉えて、何らかの解決策を考えてやる気持ちでいるらしい。
 「それで、どうします?」吉田は好奇心に煽られる気持ちを抑えながら訊いた。好奇心が勝ち過ぎて、お手並み拝見の気持ちが強い。
 「昂昂渓で降りて、斉斉哈爾にでも行く手もありますが……」と言って止まってしまった。
 「さて、どうします?」先を聴いてみたい気持ちであった。
 「聞いたことがあるのですよ、斉斉哈爾のことを」
 「それは北満の軍事拠点ということをですか?」
 「内地に居るとき、ある大陸通の人から聞いた話です。斉斉哈爾は牡丹江の兵站基地や綏芬河
(すいふんが)の最前線拠点と同じように、東満の要所と聞き及んでいますが、また此処には軍御用商人も多いことを……」
 かつて内地に居るとき、北満のことを聴いたことがあったからだ。
 「だったら警戒は厳重でしょう。対ソ戦に構えての軍事拠点だし。でも、意外と盲点かも」
 「人を隠すは人の中というではありませんか」
 「まさに」吉田は知ってか知らずか、相槌
(あいづち)を打った。
 「満洲は建国以来、斉斉哈爾を哈爾濱に継ぐ第二の都市と定め、大平原の市街地は外城は官公街、内城は商店街と、満洲国玄関の満洲里の駅の案内にはありました。商店街の商人は、おそらく日本軍の御用商人の筈。その中に紛れ込む手もあります」逆を衝く策である。
 「なるほど、中々の読みですなァ」
 「したがって斉斉哈爾へ……」
 「いい読みです。同意します」
 唐突であるが、これが津村の状況判断である。決して気紛れなどではなかった。勘所を得ていると言えた。
 吉田は、津村の言に従って、ここは様子を検
(み)た方が懸命かも知れないと思ったのである。
 そしてである。
 これまで長年、尾
(つ)け回された経験を持っていた。そして思うのである。《もしかすると、追われているのは、この女性だけでなく、自分らの方も同じであるかも知れない》と読んだのである。勘である。
 だが、この勘は安易に莫迦にしてはならない。これまで度々、命拾いしたことがあるからだ。津村の勘も、そのように働いていると検
たのだろう。
 「懸命な選択でしょう」
 尾行者は津村一行を、哈爾濱に行くものばかりだと思い込んでいるかも知れないからだ。吉田の勘が、そう告げていた。ここらで巻く必要があった。
 「では……」意見の一致を検
た。
 「扶けて下さい」女性は再度念を押した。
 「安心なさい、お嬢さん。衛護
(guard)して上げます。こちらの方は大変な異能者です。一寸先の闇を見通します。安心して下駄を預けても大丈夫です」吉田は津村を指してこう言った。
 異能者と云う言葉が、果たして通じたのかどうか?……。外国人である。また“下駄を預ける”という意味が理解出来たかどうか。
 女性はそう言われて、津村の恰好と人相骨相、それに風体を検
(み)た。身形や持ち物は、見るからに貧者であるが、決して相は卑しからず……。そう検たのだろうか。身形は半僧半俗だが一応、僧の姿をしている。
 蒼白が見る見る間に安堵に変わった。地獄で仏に出遭ったと言う貌をしていた。
 「ああ……よかった」小さな吐露であった。そして、あとは口に緘
(かん)して、何も言わなかった。

 急行列車の車内放送は、もう直、昂昂渓に到着することを告げていた。車内が降りる乗客で荷台から荷物を降ろすなどして慌ただしくなった。
 「吉田さん、そこで段取りです」
 津村は降りるには降りるが、降りるタイミングを吉田と図ったのである。停車したら直ぐに降りずに、列車が発車する寸前に、その刹那を利用して降りることを示し合わせたのである。虚を衝くためである。隙に乗ずる虚である。尾行者の追い込みを攪乱すためである。乱せば当然の如く、追い込みの網は、何れかの部分で網の紐糸が抜かれ、綻
(ほころ)ぶ筈である。兵法ではこれを「攪乱」と言う。掻き乱すのである。

 乱し、巻くためには裏をかかねばならない。計略が必要である。
 計略の妙締、そして出し抜く。意表を衝く。動きの面白さであろう。
 この「動き」の中には、勝ち難きを勝ち、成らざるを成す。総ては「動き」の中にある。しかし、ただ動けばいいと云うものではない。
 動きくには時宜
(じぎ)を得なければならない。タイミングである。時を見計らう。
 勝ち難きを勝ち、成らざるを成す。総ては「頃合」が決定する。これを外さなければ、人間の生涯における極端な貧苦、窮地に立たされたときの逆境、不時の難に遭遇しても、成らざるを成すことが出来る。
 必ず克服する。必ず難しきを納める。そう信念すればいい。だが、安易に惰性に頼ったり、暴策を用いて焦りを起こすと自滅を招くことになる。
 人生舞台は、惰性でだらだらとした役を演じていると、結局は面白みがないばかりでなく役者自体が惰性に潰され自滅してしまうのである。ゆえに時には奇想天外な“どんでん返し”が必要なのである。意表を衝くことが大事なのである。それは仕掛ける刹那
(せつな)の時宜を得なければならない。汐時である。好機と言う。

 「面白い妙案です。これで尾行を巻けますね。ところで、満洲里から一緒に蹤
(つ)いて来たご老人は、どうなさいます?」
 「なに、心配要りませんよ。あの御仁は筋金入りですから」
 「老人にして筋金入りですか。津村さんも、いろいろと、苦労人とのお付き合いが多いでようですねェ」
 筋金入りの説明を何処まで理解したのかは知らないが、一瞥
(いちべつ)して、吉田も老人の人相風体から、そう検たのかも知れない。確かに苦労人であろう。
 だが老人は、津村らと同じ二等車ではなく、経済的な事情から三等車に乗っていたのである。それでいて、乗り降りの気配だけは瞬時に読むのだろう。苦労人ならの芸当である。運命から鍛えられているのである。
 津村が降りれば、合わせて降りる。動けば、合わせて動く。離れず、近付かずの原理原則を厳守しているようである。何とも苦労人らしかった。
 「あの人は筋金入り……」の津村の言は、多くは語らないが、この一言が何故か運命論を明かし、その実際を示し、妙に説くところがあって、実につまびらかではないかと吉田は観じたのである。
 それが「心配は要らない」に回帰して来るのである。津村と言う漢と一緒にいると、何故か不思議と大船に乗ったような安堵感を観じさせるのであった。

 列車は昂昂渓駅に到着した。
 此処は斉斉哈爾方面へ向かう縦に通じる路線と、哈爾濱方面へ向かう横に通じる路線が交叉
(cross)する要衝駅である。
 成らざるを成す。それは総ては頃合が決定する。タイミングが物を言う。
 列車は静止した。乗客は続々と降りて行く。しかし斉斉哈爾へ向かうと言った三人は降りる気配はない。これまで誰かが坐っていた席に回り込んで坐るポーズすらみせた。一行の素振りである。その素振りを見て尾行者も一行が、このまま哈爾濱へと向かうのだろう思い込んでいる。
 出発のベルが鳴った。そして列車はゆっくりと動き始めた。その時である。
 一行は自分の荷物を手にして飛び出すように列車の外に飛び降りた。ホームに無事に着地したのである。その後、直ぐさま人混みの中に急ぎ足で紛れ込んだ。尾行者は標的を完全に見失っていた。

 「上手く巻いて、躱
(かわ)しましたねェ」
 「それは、吉田さんが予期してのことでは?」
 「読まれていましたか」そう言いながら苦笑を漏らした。
 吉田がそう言うと、この一行の後ろに、例の得体の知れない老人が蹤
(つ)いていた。
 「出所進退、悠々たることが肝心でしょうか」焦らず、慌てないことを指して言った。
 此処に来て、また津村は験されていると思ったくらいである。吉田毅もしたたかな人間であった。
 さすが沢田翔洋から見込まれて、武器商社の沢田貿易に入った漢だけのことはある。そこを請われたのであろう。
 当時、日本の官登用制度は曇っていた。野に遺賢なしと見縊
(み‐くび)っていたからだ。
 いつの時代も人の中には人は居るのだが、それを見出す者がいなかった。また有能な人物がありがら、それを用いる組織が悪くては、有能な人物でも無能になってしまう。吉田は有能な人物であったが、彼を用いる組織が悪かった。それで予備役に廻された。その無能にされてしまった吉田を、有能な人物の検
(み)て、重役待遇で彼を迎えたのが沢田翔洋であった。

 津村自身も、沢田翔洋が如何なる人間か、よく知っていた。伯爵・沢田翔洋のことである。わが子、次郎の養父である。沢田翔洋から「養子に欲しい」と懇願されたのである。次郎の神童ぶりを買われたからだ。そして次郎の将来を託し、津村は妻の珠緒と相談して、泣く泣く手放し、沢田伯爵家に養子に出したのである。今は沢田伯爵家の御曹司だった。
 沢田翔洋は表社会では政府や政治家との利権を搦
(から)め、また政商として煌々(こうこう)を放っち、妖怪「智豹(ちひょう)」の異名で外資の国際経済資本(メジャーズ)に恐れられていた。更に武器商人で、陸海軍の御用商人ある。
 それと対
(つい)なのが、闇世界で「呑鯨(どんげい)」の異名を持つ怪物・安積財閥の総帥・安積徳之助(あさか‐とくのすけ)である。この妖怪と怪物は悪友同士で闇の世界に君臨している。その闇の生き物が、吉田毅を高く評価しているのである。
 この二者は、闇の世界では二大巨頭であった。
 吉田毅は沢田翔洋から絶大なる信頼を得ているらしい。沢田翔洋の片腕であった。

 「先ずはこちらへ」
 吉田が道案内をした。よく知っているらしい。そして斉斉哈爾方面に向かうホームへと向かった。
 斉斉哈爾にはユダヤ教のシナゴーグがあるといった。そのためか西欧から来た乗客が多い。その乗客の多くが大きな荷物を抱えている。誰もが着の身着のままと言う感じの急拵えの風体をしていた。烈しく追われたのだろう。そして満洲国に亡命した。そのように映る。多くは既に難民と化していた。
 それぞれの貌には、筆舌に尽くし難い苦渋が満ちていた。追われる者の姿である。ユダヤ人に至っては気の毒なくらいだった。気の毒だが、誰も手を貸す者は居ない。同情はしても、手までは貸さない。自分で立って行く以外ないのである。

 人生における人の成敗は、時にある。時が左右する。その時が嵐ならば、嵐の納まるのを辛抱強く俟ち、遣り過ごすしかない。時が来れば、また開く道もあろう。
 長い人生を上手に処するには、得意な時にも驕
(おご)らず、絶望の淵際に立たされてもこれに失望せず、減失に陥らないことである。いつの日か浮かぶ瀬が顕われることもあるのだ。とにかく今は、その渦に巻き込まれて溺れ死なないことが肝心である。難しいのは、ここなのである。
 当時の満鉄路線の哈爾濱に向かう駅の順だが、斉斉哈爾は昂昂渓から楡樹屯
(ユジュトン)を経由して、次の駅だが、この間が実に長い。そのように記載されている。

 津村は何故、斉斉哈爾を思い付いたのだろう。急遽
(きゅうきょ)そこに行くと言い出したのだろう。気配を感じたからだ。勘が働いたからだ。このままでは、尾行を巻くのに、過剰なエネルギーが遣われるからだ。総てをリセットして仕切り直しが必要なのである。
 「尾
(つ)けられては、彼女を救えません」
 「そうですね。そこで吉報をもう一つ」
 「何です?」
 「斉斉哈爾には飛行場があるのですよ、意外に知られていませんがね。此処からは哈爾濱行きの定期便が飛んでいるのです。明日は定期便に搭乗して哈爾濱へ。そして今日は、一晩、私の配下の宿屋に泊まり、早朝、哈爾濱へとひとっ飛びします」
 「なかなか用意周到ですねェ」
 「これだと、鉄道より随分と時間の短縮になります。これから哈爾濱までは安心して下さい。此処には我々の連絡網があります。配下と言っても『梟の眼』の機関員の宿屋です。こういうときには何かと便利です」
 困ったときの相談所なのであろう。こういう相談所を『梟の眼』機関は、要所要所に置き、万一の場合の緊急避難場所にしているのだろう。
 この機関は、連絡の行き届いたネットワークを持ち、緊急避難時におけるいろいろな抽斗
(ひきだし)を持っているようだった。動きが活発になっている。そのように感じる。
 それだけに世情の動きの進度
(tempo)が速まり、何故か慌ただしく感じるのである。時の移り変わりを知らせているようであった。一つの時代が終わり、時代が変わろうとしているのである。

 昭和19年7月頃になると、戦局も終盤を迎えているためか、国家間では権益などの思惑に併せて動きが活溌になっていた。この慌ただしさは、満洲国の地にも及んでいた。これまでの平和が一変したような不穏な動きが呈し始めていた。現に、この年の7月には満洲でもB29の初空襲が鞍山
(あんざん)や奉天にあり、終局を暗示させた。
 満洲国全土をのんびりと、列車で旅する時代では無くなっていた。そういう楽しみをする時代ではなくなっていた。日本人が考える支那大陸のロマンは喪失しつつあった。赤い夕陽の満洲は遠い昔になりつつあった。
 昭和16年12月8日からの日米開戦以来、満洲国では戦時にあっても戦争とは無縁の小康的な平時を保っていたが、それも束
(つか)の間のことだった。米軍機が満洲国の懐(ふところ)近くまで迫って来るのは、既に危機的状況のあるのである。暗雲が垂れ込めるだけでなく、重大な危機が迫っているのである。最早そうなると新京(現在の吉林省長春市)から500km離れている哈爾濱も無縁でないであろう。誰もが胸騒ぎがするような不穏は、時代が風雲急を告げているのである。

 更に日本は日ソ中立条約を楯に、ソ連は連合国と迎合して参戦はないだろうと高を括
(くく)っているが、これはとんでもない間違いであった。ソ連は条約を延長などする気はない。これを過信すると、手痛い裏切りを受けるであろう。
 赤塔
(チタ)の満洲国総領事館の屋根裏部屋から視たソ連軍の動きは、実に奇妙な動きをしていた。対独戦に併せて西に向かう貨物列車の積載物に併せて、東に向かう積載物も決して少なくなかったからである。
 既に最新型のT-34/85の戦車や自走式多連装ロケット砲の『カチューシャ』が、東に向かっていたからである。
 これはソ連が中立条約を覆して、参戦準備を始めていると解釈で来たからである。それに独逸攻略に大勝利をあげつつあるソ連きっての精鋭部隊の第五軍の動きである。第五軍の一部が極東方面に振り分けられたという情報が齎されていたからである。これだけを分析しても、ソ連の対日参戦は明白になりつつあった。

 英米をはじめとする連合国に叩かれ、これに加えてソ連が参戦するとなると、日本は亡国の憂き目を見る。
 日本が世界地図から消滅する。少なくとも、むこう一世紀の間、国家の再建は不可能であろう。このまま負け戦をダラダラと続けていれば、敗戦の犠牲は一層大きなものとなり、これ自体が、非常に高いものにつくであろう。ここまでくれば、戦争の大義名分など何の意味も無くなっていた。当時の日本軍はそれだけ国際情報には疎かったのである。
 負け戦と言うのは、一度負け将棋を始めると、あとはズルズルと虎口に引き寄せられるように、もう一番もう一番と繰り返し、気付いたときには元も子もなくなっているからである。丸裸にされただけでは済まされず完全に息の根を止められて、現世から消滅してしまう。意地が結局、そのようには込んでしまうのである。そうなると、根っこすら残らなくなってしまう。
 この当時は亡国の徴
(しるし)が漂っていた時代であった。

 津村一行は吉田毅に連れられて案内する宿屋に入った。その後を満洲里からの老人も蹤いてきていた。尾行の形跡は何もなかった。
 宿主から目立たない部屋へと案内された。秘密部屋のようになってるところであった。
 「此処なら誰にも見られず安全です」宿主はそのように説明した。
 その宿主の目配りといい、きびきびとした動きといい、常人のものではなかった。高等訓練を受けた軍人のそれであった。
 「さて、皆さん。長旅でお疲れでしょう。風呂など、どうですか」吉田が一同に促した。
 吉田は何処でどう手配したのか知らないが、何から何まで行き届いていた。配下のネットワークが動いたのだろう。
 津村は満洲里から影のように蹤いて来た老人に促した。
 「せっかくのお勧めです。われわれは風呂にでも行きますか」
 「はあ」
 老人は相槌を打って、津村と風呂に行くらしい。部屋には昂昂渓駅に到着寸前に扶
(たす)けを求めて来た女性と吉田が残った。
 その間、おそらく彼は女性から根掘り葉掘りと、尋問擬いの何らかの情報を訊き出すであろう。そのための風呂への勧めであったかも知れない。あるいは津村と老人との“水入らず”を思ったのかも知れない。

 風呂でのことである。
 「陽平さん。御無沙汰しています」老人は嗄
(しわが)れた聲(こえ)で言った。
 「もう何年になるでしょうか」その何年は、何十年と同義である。
 「さあ……、何年でしょう」そう言った貌には苦渋が滲
(にじ)んでいた。
 これまでの音信不通の、その歳月に長きものを感じた。そして津村は《あなたの娘の一人は日本を去り、もう一人は死んだ》と教えてやりたかった。だが言わなくても、それは感じているのだろう。これまでに色々とあったからだ。
 最初の女房の鈴江に去られ、二人目の女房は死なせてしまい、長らく人恋しさの中で生きて来た。そして父十朗左衛門も去った。母小梅はそれ以前に去られていた。それだけに人恋しかった。
 この寂しさは鈴江も含めて、この世でのの人恋しさは現実に生きている人間の生々しい感情となる。
 特にこの世を去って鬼神と化した者にはである。これはまた「孝」に繋がるものではなかったか。死者を想う気持ちである。これこそ鬼神を想い、そこに誠実な祭祀の心が生まれるのではなかったか。それが陽平に巣食う人恋しさであった。
 そして人は、一度人恋しさを覚えてしまえば、もう再び、人の存在せぬところに行くのは辛過ぎるというものである。その辛さは、おそらく星野も同じであったであろう。
 「長い間、大変だったでしょ?」《今まで、何処で、どうしてました?》と、訊くのと同義で、これまでの経緯を訊こうとしたが、黙して語らずであった。
 「あとで渡したいものがあります」
 老人はそのために長旅を伴にして来たのである。この老人こそ、珠緒と鈴江の父親の星野周作であった。津村陽平の義父である。義父は此処で、これまでの総てを清算する気でいるらしかった。人生の帳尻合わせをするのだろう。


 ─────吉田は奇
(く)しくも、窮鳥として飛び込んで来た女性の身許を訊き出していた。
 急行列車の中で、一等車から逃げるように雪崩れ込んで来て、突然、「咒殺
(じゅさつ)される……」と奇妙なことを言った女性の名は、アニー・セミョーノヴァというロシア系の名前を持つユダヤ人であった。
 ユダヤの烙印は、祖父母に何分の一かのユダヤの血が混じっていたからだと言う。それだけで独逸ではユダヤ人扱いされていた。国籍は独逸で、ミュンヘン大学を19歳で卒後し、今は同大学の大学院生と言う。
 年齢は22歳で、満洲国への亡命者であった。父親はロシア系独逸人でフランクフルトの銀行家でトモロビッチ・セミョーノヴァ。母親はユダヤ系独逸人でターニヤ・セミョーノヴァと言う。両親はナチスの迫害を逃れて、二年前から哈爾濱にいると言う。彼女一人が学業でミュンヘンに残っていた。元々はフランクフルトに住んでいたと言うのである。ここまでは、吉田が訊き出した彼女の身許であった。

 安堵したのか、彼女は津村や吉田に潤んだ眼を向けていた。そして彼女の手と腕は、半袖のワンピースから覗けている範囲では、湯村の無骨な手とは大違いで、柔らかな毀
(こわ)れ易い細工物のようであった。気品のある顔立ちで、育ちのよさを思わせた。容姿は美形だが、美人と言うより、童顔で可愛らしい。
 人間削岩機と表された津村が、力を込めれば、握り潰せそうな繊
(ほそ)くて、優しい手と腕をしていた。富豪の娘に見られような華奢(きゃしゃ)であった。
 津村は、彼女の繊くて、優しい綺麗な手を見て思う。この娘は、これまで家事などをしたことがあるのだろうか。炊事や洗濯の経験はあるのだろうか。そういう事は、おそらく雇用の女中
(maid)にでもさせていたのであろう。彼女に労働の跡が窺われなかった。

 「お嬢さん、日本語はどこで?」吉田が訊いた。
 「わたしはミュンヘン大学大学院の語学研究生なんです。そこで日本語を」
 「先ほど、妙なことを言いましたね。咒殺されると?……」津村が訊いた。
 「黒魔術です。その組織から狙われて、またナチのゲシュタポ
(Gestapo)から追われて此処まで逃げて来たのです。今の列車にもゲシュタポが乗っていました。逮捕される寸前でした。
 かつて実家はフランクフルトにありました。今は独逸軍に接収されてしまいました。
 そしてケルン、エッセン、ハノーバー、ベルリンと転々とし、独逸占領下のワルシャワ。南下してハンガリーのブダペスト。更には北上してソ連領のブレスト、ミンクス、モスクワ、カザン、スベルドロフスク、オムスク、ノボシビスク、イルクーツク、ウランウデ、チタ、マンチューリ……。長い道程でした」辿ったコースを説明する記憶力は中々いいようである。
 しかし、ここまで喋って、咒殺の真相は証
(あか)そうとしなかった。忌まわしい暗示に掛かっているのかも知れない。以降、頑(かたくな)に口を閉ざしてしまった。
 秘密儀式などの生贄
(いけにえ)として、人身御供か何かで狙われていたのであろう。現に、食人をすることで悪名高い儀式が存在するからである。そして満洲国への亡命。これまで幾多の危険を掻(か)い潜(くぐ)って来たのである。長い旅路であったに違いない。

 日本人は「満洲」というと、直ぐに傀儡国家・満洲を想像するようだが、厳密には満洲と言えば、東北三省
(遼寧・吉林・黒竜江)と内モンゴル自治区の一部に棲(す)む民族名のことで、国名ではないのである。国名を上げるなら「満洲国」が正しいのであって、満洲と満洲国では、意味が大きく違っているのである。
 満洲国は日本が満州事変により、中国の東北三省および東部内モンゴル
(熱河省)をもって作りあげた国家のことをいう。戦後の近現代史の歴史教育はこの辺のところが曖昧(あいまい)で、不明瞭である。
 そして今日、中国で言う偽満州国といわれる国は、併せてユダヤ問題に絡んでいた。『満洲合衆国』構想である。『河豚計画』である。

 この構想に日産コンツェルンの鮎川義介が深く絡んでいた。
 鮎川は米国のユダヤ資本を満洲国に導入しようと考えていたからである。この地で殖産興業をしようというのである。その一つは満洲重工業株式会社であった。特に米国に働き掛けてユダヤ資本を参入させて、外資により、殖産計画を企てていた。
 しかし日本の民族資本が圧迫をされることを懸念した動きもあった。特に鮎川の日産グループの満洲進出は日本企業とって大きな脅威であった。そこで親猶太と反猶太との攻防戦が繰り広げられるのである。
 この構図は、また国際派と民族派との鬩ぎ合いでもあった。


 ─────誰もが寝静まった深夜のことである。
 アニー・セミョーノヴァだけは襖で隔てた隣の部屋に寝ていて、男三人は同じ部屋に居た。そして津村と星野が密談のような聲
(こえ)を殺しての話をしていた。
 「これを陽平さんに譲渡したい」これまで蒐集したと思える分厚い書類を差し出した。
 「どうしろと?」
 「分析し、研究して頂きたい。一人の人間が一生を捧げて蒐集したものです。わしの命と言っていい」
 分厚い書類は、星野周作が日本軍の探偵としての調査記録が記されているものであった。日露戦争開戦前からの調査記録であり、ソビエトの経緯やその後の政権についてのことである。
 当初の沖禎介とともに東清鉄道を破壊するため、ロシア軍の『東方輸送妨害作戦』の挺身隊を組織に参加して以来の、自らが暗躍したことも記されていた。
 「それを、なぜ自分に?……」津村は《何故?》と訊きたかった。
 「一番相応しいと思ったからです」
 星野はそう言ったまま口を閉ざしてしまった。多くを語らずというふうだった。
 「養父よ、あなたは此処で尽きる気ですか」
 「わしは、もう充分に生きた。手渡す譲渡人が来てくれたお陰で、これで安心して死ねる」
 「鈴江に会う気はないのですか、いま満洲に居ます」
 一瞬、星野の貌がぴくりと動いたが、頸
(くび)を横に振って、その意思のないことを表示した。それは一つの時代が終わろうとする暗示でもあった。
 「疲れたんだよ。これで終わりにしたい」
 「なんと弱気な……」
 「いいんだよ、これで」
 「哈爾濱には?」
 「目的は果たした。もう此処で充分です」
 「これからどうするのです?」
 「さあ、どうしますか……」
 星野周作は行く当てがないらしい。自らの命の終焉
(しゅうえん)を覚悟しているようだった。この地で死ぬのかも知れない。

 「酒でも呑みませんか」津村はこれまで、養父と親しく語ったこともなかったし、親子の儀を結んだこともなかった。
 そこで、最初で最後の儀を結ぼうと思ったのである。
 「儀の盃ですか、いいですね。では是非」
 星野の娘を二人も預かりながら、一人からは去られ、もう一人は死なしてしまった。珠緒の死は、死なしたと言うより殺されたのである。その経緯が、もしかすると今渡された種類の中に記されているかも知れない。
 調べ上げ、分析し、研究すれば何かが浮上して来るかも知れない。日露戦争前夜の沖禎介
(おき‐ていすけ)の話も記載されているかも知れない。なぜ大陸に渡ったのかを。単に、刀剣の玉鋼(たまはがね)を求めてだけのことではあるまい。他に何か目的があった筈だ。

 沖は長崎県平戸出身で、大陸において、北京で東文学社で教鞭を執
(と)りつつ、一方で、明治36年には文明学社を設立して、清国内で子弟を養った。
 また明治37年
(1904)、日露宣戦布告に際しては、沖は在清の日本人同志らとともに日本陸軍の特務機関に属し、以降の校務は門人に托して、自らは東清鉄道を破壊するため、ロシア軍の『東方輸送妨害作戦』の挺身隊を組織した。星野はその頃、沖と知り合い、その組織に加わった。つまり、沖とともに、日本軍の探偵になったのである。
 彼らは喇嘛僧
(ラマ‐そう)を装い、北京を発(た)って、蒙古不毛の地へと至り、更にロシア領まで潜入していた。五十有余日を経て、漸(ようや)く目的の任務も遂行できて、あと一歩と言うところでロシア国境軍の巡邏隊に捕獲された。
 そのとき星野周作は、その難を逃れて再び清国に舞い戻り、斉斉哈爾
(チチハル)の製鉄業者の孫熈英(そん‐きえい)に匿われた。やがて沖禎介が哈爾濱(ハルピン)郊外で銃殺されことを知る。

 星野周作はその後もロシア官憲から『東方輸送妨害作戦』の挺身隊の一味として追われていた。だが、孫熈英に匿われ、日露戦争が明治38年に終結すると、孫熈英の娘・美麗
(びれい)を娶(ためと)り、美麗ともに満洲鉄道付近の長春(満洲国建国以降、新京と改まる)に棲み付く。
 明治39年、娘の齢姫
(れいひ)が生まれた。星野周作は暫(しばら)くは日本の妻子のことを忘れ、刀剣鍛練に没頭した。それに、娘・齢姫は丙午であった。このことを星野は大いに喜んだ。中国では丙午生まれの女性は火の神に準(なぞら)えて、製鉄鍛練には好ましい神として崇(あが)められていたからである。

 星野は娘の齢姫を、物心ついたときから鍛冶場で修行させた。父親の才を受け継いだ娘だった。その娘を連れて日本に戻ったのは、齢姫が11歳ほど年であったろうか。
 齢姫は目鼻立ちがよく、11歳にしては上背もあった。よく発育した美少女であった。周囲では彼女一人に羨望の的が集まった。
 津村はこの娘に熱を上げた。小学校高学年で、転校して来た満洲からの転校生は憧れの的であり、勉強もよく出来た。齢姫は星野鈴江と名乗り、自らの出生の満洲族の血を消して、日本人になりきっていた。
 高等小学校を卒業して、津村は県立中学に上がり、鈴江は名門の女学校へと進んだ。そのころ星野周作は村外れに『鍛練処・星野』という鍛冶屋を始めた。農繁期は釜・鍬などの農具を作り、農閑期になると刀剣を鍛練した。しかし、妻の旧姓石田静子は、もう再び星野周作の許
(もと)に戻らなかった。かつての女房は琵琶奏者として自らで生計(くらし)を立て、それを生業(なりわい)にしていた。そして娘の珠緒は全盲で、眼は開いているが、視えないのである。完全に視力を失った“開き盲”だった。

 一方、鈴江は一子次郎を産み落とすと大陸へと去った。祖国愛に目覚めての日本出奔だった。しかし、これにも裏があった筈だ。そのとき裏の仕掛けが分らないだけであった。唆されたことだけは明白であった。
 そして鈴江が去ったあと、代わって姉の珠緒が顕われた。妹の責任を取ってという形で顕われた。
 津村はその開き盲女を、やがて妻に迎え、心より慈しんだ。珠緒のお陰で東京造形美大へも行けた。無事卒業も出来た。
 その後、絵描きになったが、津村は絵を売らない画家であった。あるいは異端過ぎて、絵が売れない画家であったかも知れない。暫くは、家伝の丹薬を販売して生計を立てた。これを食餌法として、健康剤として自家製販売をした。家元の『秘伝丹』である。需要はあった。
 ところが、薬草採取において珠緒が崖から落ちて転落死した。だが実際には強姦され、その後、無慙に崖下に投げ落されて殺されたのである。妻は無念の死を遂げた。怨みは霽
(は)らす。必ず霽らす。
 しかし、津村は堪忍した。まだ敵討ちは早計と検
(み)たのである。暴いても小物しか上がって来ない。根刮ぎ暴くには、時期を俟たねばならない。津村は義父の星野周作が顕われるまで辛抱強く俟ったのである。そこに星野が顕われた。星野が真相を握っているからと読んだのである。こうして念願が叶い、星野と会うことが出来たのである。
 津村がひたすら俟ち続け、“山こかし”を遣ってみせる原点には、星野周作に絡んだものがあると睨んでのことであったかも知れない。その俟ち続けた星野に漸
(ようや)く会うことが出来た。そして“山こかし”の最重要課題とも言うべきM資金の存在である。この存在も明白になることだろう。
 手渡された分厚い書類の中には、事の真相が記載されていることであろう。分析・研究すれば、これまでの隠されたものが浮き彫りになるだろ。

 帳場から一升瓶とコップを拝借して、二人はコップ酒を遣り始めた。
 「コップ酒……。なんとも味気ないですなァ」
 星野はそう言って、荷物の中から瓢箪と朱塗の盃二つを取り出して、一つを津村に進めた。
 「ほォ……ッ、これは……」
 「見事でしょ。わしはいつか、婿
(むこ)とこれで酒を酌み交わしてみたいと思っていた。死ぬ前に、是非と考えていた。それが今日、適(かな)ったような気がする……」感慨深く言った。
 「これは確か……」津村は手にした盃を見て、はたと感じるものがあった。
 「心当たりがありますか?」
 「飴瓢箪蜂図……」瓢箪が見事に飴色がかっていた。
 「ほォー、そういう銘が付いていますか。いい銘ですねェ」
 「瓢箪も盃も、銘は室瀬泉蔵作……」
 「なに?室瀬と言うと、もしや東京御徒町の塗師・室瀬加衛門の一派では?……」
 「よくご存知ですね」
 「わしは刀鍛冶だ。鞘塗りの依頼で、何度か塗りを恃んだことがある。この塗師には心当たりがある。昔のことだが朱塗りの鞘に、瓢箪図と蜂図を恃んだことがあった。今でも覚えている、名人級の腕だった」星野は昔を思い出して懐かしさが込み上げていた。
 「朱鞘に瓢箪図と蜂図。なんともいい構図ですね」
 「室瀬か、室瀬泉蔵か。懐かしい……」
 「室瀬泉蔵は今、哈爾濱に居ます。会いに行きませんか」
 「哈爾濱……、哈爾濱か……。些か年寄りには荷が重いようです」
 「いや、そちらの連れの話では、斉斉哈爾から哈爾濱まで飛行機で、ひとっ飛びだそうです。どうです?われわれと一緒に行きませんか」
 津村が誘っているとき、
 「さよう!ひとっ飛びです」と、これまで寝ていた吉田毅がゼンマイ仕掛けの人形のように飛び起きて、そう答えた。
 「吉田さんも人が悪い。聴いていましたか」
 「これは申し訳ない。つい、お二人の話に引き込まれまして」
 「では、そちらの御仁
(ごじん)も一緒に。酒の一献でも……」
 「はあ、いいですなァ」
 こうして夜を徹して酒盛りが始まった。わいわいガヤガヤと過去の回想を縦横に並べ、在
(あ)りし日のことを語り合った。酒が口を軽くさせ、また時には笑いを誘った。愉しいひと時であった。

 そこに突如、隣で寝ていたアニー・セミョーノヴァが襖を開けて立っていた。むっくり起き上がったと言う感じであった。
 「あの……」
 「なにか?」
 「余りに、賑
(にぎ)やかですもの。わたしも、お相伴頂けないでしょうか。お金なら米国ドルでも、英国ポンドでも、独逸マルクでも、仏蘭西のフランでも、何でもお支払いします。それも総て金貨で」
 「うム?!何を莫迦
(ばか)なことを……」
 「お嬢さん、金など要りませんよ。ご希望なら仲間にでも入って一献?」津村が促した。
 「では、遠慮なく」
 こう言って割り込んで来たアニーの貌を見た星野は、ハッとしたように、「あんたはロシア人だね?」と訊いた。
 「えッ?わたしの父はロシア系独逸人です」
 「さようか」
 これまで星野周作が、どれだけ多くのロシア人と接触して来たかを如実に顕す人物鑑定眼であった。西欧人の見分けが一目でつくらしかった。
 「星野さんは、ロシアが長かったのですか?」
 「日露戦争の前からです。戦争前は日本軍の探偵でした」
 「軍の探偵ですか、これは驚いた」吉田は今更ながらに驚いた。
 「娘さんは、何語が喋れるのかね?」星野が聴いた。
 「母国語
(ドイツ語)と、それにフランス語、ギリシア語、英語、日本語、ロシア語、それに旧約聖書にあるアジア語族の中のセム語派のヘブライ語(Hebrew)が少し……」
 「ほォー、あんたはロシア語が喋れますか。では、いいものを持っている。暫くお俟ちを……」
 そう言って、星野は荷物の中から一通の封筒を取り出した。そして「これを持っているといい」と付け足したのである。

 「なんです、これは?」
 「ソ連のコミンテルン
(Komintern)の紹介状です。ソ連への出入り、また通過には、満洲国の旅券以上に効力がある」如何にも自信ありげであった。
 「えッ?コミンテルン!。第三インターナショナル
(Third International)は1943年に解散したのでは?」と不審に思ったアニーは訊き返した。
 「確かに解散した。しかし解散しても効力がある。ソ連ではこれを旅券代わりに提示すれば、満洲国の旅券以上に権威があり、自らを闘士と自称すればいい。その威力は大きいですぞ。満ソ国境では、民間人は出入りに何かと苦労することがある。何しろ満洲国は陰謀渦巻く国ですからなァ。満洲国の旅券では、入るのも出るのも権威としては貧弱で信用も薄い。お分かりか。必ず何かの時に役に立つ。氏名は特定されていないから、誰が持っていてもいいんだ。この紹介状を持っている者にのみに効力がある。持っていなさい」
 「ではお言葉に甘えて、そうします。万一の場合は渡り舟です、本当に有り難う御座います」
 コミンテルンとは、第三インターナショナル
(Third International)を指し、1919年に創立された世界各国の共産党の国際組織である。ボリシェヴィキ党創始者のレーニンらの指導下にモスクワで創立され、国際共産主義運動の指導に当たったが、次第にソ連一国の利益に従属するようになった。
 星野が差し出したのは、この組織が発行した紹介状と言うのである。

 「それにしても、渡り舟などという言葉、よく知っていますね?」吉田が訊いた。
 「わたしは、日本の『俚諺集』を読んでいると、聖書以上に感心させられることがあります」
 「なに聖書だと?!あなたはユダヤ教徒でないのか」吉田が意外だと言う訊き方をした。
 「わたしはユダヤ人の烙印が押されていますが、これでも歴
(れっき)としたギリシャ正教徒なのです」
 「これは驚いた」
 「何分の一かのユダヤの血が混じっていたとしても、東方キリスト教を信仰したって赦されるでしょう。
 父も母も、わたくしと同じくギリシャ正教徒なのです。哈爾濱には東方正教会、つまりギリシャ・カトリック
(Greek Orthodox Church)のソフィスキー教会というのがあるの、ご存知ですか?わたしは、父が満洲から送って来た写真でしか見たことはありませんが」
 「ああ、場所だけはね。わが社の哈爾濱支店のオフィスから、キタイスカヤ街通り近くにあるソフィスキー教会の塔が見えるからねェ。あなたがクリスチャンと言うのは意外だったなァ。それでは、あなたは白系ロシア人なのか」
 「そうです」
 四人で盃を重ねつつ、話は意外な方向へと転がりはじめていた。


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