運気 八門人相 房中術 癒しの杜 菜根譚 小説 会報Back No. 合気 蜘蛛之巣伝 死の超剋 霊的食養 心法
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続 壺中天・瓢箪仙人 54

人間は必要に応じて殖やされたり減らされたりする。社会の均衡を保つためには、いつでも使い捨てにされる人間が出て来る。人間はそのコントロール下に生きている。これは過去に起こったことでなく、現代でもそのコントロール下で、私たちは暮らしているのである。よく考えてみれば、有無も言わせぬという側面下にある。

 また、こうした暮らしの中で老若男女が、“敢え無い世界”で生きているのである。底辺世界は、これが濃厚である。そして敢え無い世界の暗示は集団催眠に懸かったように「無意識の制御」となっている。
 その最小単位が「分別知」であり、また世間一般の「常識」となっている。“お上”に逆らえない構図である。

 文明は発達し、躍進しているように見えても、いつもこの問題に還って来る。どんな文明も、いつかは凋
(しぼ)むのである。どんなに繁栄してように映っても、やがては崩れるものである。
 歴史を振り返れば、ローマの繁栄のあとに中世と言う「倹約の時代」が来た。

 日本でも平安朝の繁栄のあとに鎌倉時代と言う質素倹約の時代が擡頭
(たいとう)し、これは武家社会となって幕末まで続いた。
 繁栄と質素倹約……。
 質素倹約の時代は、不況から起こったものでなく、一つの歴史的な方向の転換期の顕われであった。生活意識の変革であり、一つの時代の生活背景である。これが顕われると、進歩・発展の途上に戻るわけである。ずっと先、永遠に進歩・発展を続けて行くと思われたものは、実は拡散膨張する力に対し、その作用の反動として「反作用」が起こる。これまで躍進続けた進歩・発展のツケは、ここで見事に確
(しっか)りと回収されることである。その皺寄せが庶民を襲うことは忘れまい。知らぬは庶民ばかりである。


●心魂を伝える

 利権を巡り鎬(しのぎ)を削る。人の世の常であろうか。
 誰もが、存亡を賭
(か)けて外圧に抗(あらが)う。それは個人でも、国家でも変わりない。
 斯くして世は兢々
(きょうきょう)となる。天下を虎視(こし)して、大国に外征する勢力があれば、その一方で小国も守禦(しゅぎょ)に機略有り……。
 偏に運命共同体の存亡に懸かる。
 では、それに動くものは何だろう。
 単に力だろうか。
 聘
(へい)をもって動くものは何だろう……。
 それは至誠だろう。まごころだろう。
 まごころは人を動かす。人を動かさずにはおかない。
 天下のために哭
(な)く。その一粒の涙で人が動かされる。賢人ほど、それが分かる。凡夫にはない感受性である。

 一方で抗
(あらが)う……。
 世にあって、激しく抵抗する。
 この行為の中には、機略において過大を恐れてもいないが、過大を莫迦
(ばか)にしてもいない。兵は詭道であるからだ。敵対国同士は大いに欺(あざむ)くべきと思っている。
 だが、過大を甘く見て、またプロパガンダ戦略を無視すればどうなるか。思想宣伝や工作を無視すればどうなるか。
 おそらく、犬羊
(ようけん)を嗾(けしか)けて豹虎(ひょうこ)と闘うような構図になろう。命令に嗾けられて表面上は前線へ向かうであろうが、奇手無しの戦闘では勝ち目はない。その最たる愚が万歳突撃であった。これでは敗北大である。死ぬ気で闘っても勝てる訳がない。英霊になる時期を早めるだけである。
 果たして、“国破れて山河あり、城春にして草木深し……”などと、甘い感傷主義が通じるものだろうか。
 敗れて、国は残るものだろうか。

 亡国……。
 国が亡びようとする。そこには必ず亡国の兆しを報
(しら)せる音調が流れている。耳を澄せれば、その不吉な調べが聴こえる。
 時まさに、未曾有の国難の迫っている折から、自国の力を過大評価して、果たしてその態度で乗り切れるかどうか。心ある者は、そのように危ぶむ。明日はあるだろうか……と。
 外圧が防衛の坡
(つつみ)を乗り越えてからでは遅いのである。
 その後、国民が辛うじて生き残っても、国土が失われれば、国民は難民となって世界の孤児となり地上を彷徨う以外ないだろう。もうこの時には、かつて在
(あ)って遠くいても、心の支えになっていた見目麗(みめ‐うるわ)しき故郷も、山河も、総て無くなっているのである。還るべき土地は喪(うしな)われているのである。
 しかし実際には、そうなってみなければ分らない。未来に起こることを、正確に読むことが出来ないからである。人間が知ることの出来ないものは、この世には未だ沢山ある。
 昨日があって今日があり、また明日が来ると、誰も何の疑念もなく信じている。

 ところが、忽然と違ったものが顕われる。明日が、今日とは違っていることがある。特異点がそれだ。
 例えばフラスコで湯を沸かす。最初は過熱しても何の変化もない。ところが、やがてブクブクと泡を発ち始める。湯気が出て来る。その先はどうなるのか。放っておけばどうなるのか。急の沸点に到達するだろう。湯は忽
(たちま)ち溢れ出す。酷い時には、フラスコは爆発するだろう。熱湯から気体へ変化する分岐点がある。急激に変化する危険点がある。これを特異点と言う。これは何も技術的な特異点だけでない。時世の変化にも特異点が存在する。今は何の変化も見られない。放っておいても大丈夫だ。ところが、これが危ない。あっという間に特異点に到達する。運命にももれが潜んでいる。その点に到達し、突破し、混乱が生じて、一挙に破滅へと突き進む。事件とか事故とかは、そうしたことから起こる。
 これまでの安全・安泰は、事件が起こって始めて実体が見えて来る。覆ることがある。起きて始めて分るものがある。

 人災でも天災でも、坡を乗り越えられて初めて分るものがある。
 普段では危機に瀕するその予感にも、中心点が生まれず、これを甘く考えがちなのも、また人間であり、その国の国民である。何かが起こって見えて来るものがある。そのときになって始めて気付くものがある。
 だが、深刻化するまで気付かない。被害者が出てみなければ分らない。何かが起こってみて、事態の重大さに気付くのである。
 しかし、そのときは結果的に手遅れである。
 人間にとって、世の中で起きる様々な事件は、総て手遅れなものであり、故に起こった事象は事件となり得るのである。事件とは、被害者の心の隙を突いて襲って来るものである。
 作用と反作用の物理現象から考えれば、自国民意識に限らず、近隣でも、人間のモラルと道徳が退化している時代、被害者は加害者同等の罪があると言えよう。警戒を怠った罪である。

 戦争をしている場合、指導者が無能だと、指導者自身が何ら予測することも、先に見通しを立てることも出来ない。虎の威を借りて権力の驕
(おご)ったも者は、夜郎自大になり易い。心の制御という鍛錬の出来ていない者の特長と言えよう。
 こういう時代の特長は、賢愚が混乱することである。

 特に科学信奉者の指導者である場合、余りにも体系主義に頼り過ぎて、時を逸することがある。また指導者の面子などにこだわっていると、手遅れとなっている場合がある。
 始めるにも、止めるにも、時機
(とき)というものがある。
 そして、心しなければならないのは、本当の戦争の地獄が始まるのは、戦争をしているときよりも、戦争に敗れ、戦争に敗北したときから本当の地獄が始まるのである。悲惨なのは激戦地だけの惨状ではない。終わってからも、阿鼻叫喚はある。敗戦が決定してからも、その以上の恥辱と生地獄が始まるのである。負けることの恐ろしさである。だが、日本軍は日清・日露の戦いで勝ち、以降、負け知らずの戦いをして来たために、負ける恐ろしさを知らなかった。無条件降伏の恐ろしさを知らなかった。
 兵は百年練るも、戦争は極力しない方がいい。
 始めるにも、止めるにも、その態度が消極的過ぎると、亡国を招き、時機を誤れば、仮に生き残っても、以後、戦勝国に搾取されるつつ、横暴に屈しなければならない結果を招く。その対価は高くつくものである。

 自らが存在する……。自己主張が出来る……。
 国土あっての物種である。
 普通、その国の国民は、指導者以外の除けば、自然に
存在する力もなければ、また自由に管理したり、制御する能力もない。更に、それを出来るのは政治家でもないし、役人でもないのである。事態が深刻化する以前に警告を感じる能力は、個々人に備わった勘であろう。数値で表せないものである。
 一般に、数値データが入っていると、非常に信用され易い傾向にある。数値が入っていると、一見、より突っ込みが深く観じられるからである。だが、この“より深く”は、また“より専門的”で、“より信憑性”が高いと錯覚するためで、これが勿論真実である場合もあるが、逆に必ずしも真ならずの場合もある。むしろ事象を調査していけば、真でない場合が多いようだ。
 数値の真偽は、素人には見抜けないものである。
 また数値が正しいとして、そのような定量的な点よりも、数値測定以前の定性的な面での測定方法に問題が生じている場合もある。数値が正しいとしても、以前のアナログ表示からデジタル表示に変わっただけで、数字測定における有効数字の変化が起きたに過ぎない。事象は起こるべきして起こるのである。それを観じるか観じないかのことであり、勘が薄れれば、数値に頼る盲目的分別に悩まされることになる。人間レベルの観測では、未だに一寸先は闇なのである。現に、一週間先の天気予報すら正確に言い当てることが出来ず、一日先の地震予測すら明確に出来ないのである。
 だが一方で、ほんの小さな確率で未来予言を出来る人がいる。異能者の類である。勘の働く人である。
 勘は自らで感じて、はじめて勘となる。
 直感や第六感に科学的体系がないからと言って一蹴したり、甘く見てはなるまい。人間には、誰もにその機能が付いている。正常に機能させるには普段からの鍛錬がいる。観じることだ。

 観じて、思い過ごしだろうか……などと想念する中に、少しでも不穏なもの観じれば、それは単に杞憂
(きゆう)であることかも知れぬ。思い過ごしや取り越し苦労であれば、幸いである。
 ところが、そうでない場合もある。
 憂いの中にも、思い過ごしならそれでよいと甘く見れないものが残る場合がある。心の中で、納得いかず、しっくりこないものがある。注意を告げる部分が残っている場合がある。
 心の聲
(こえ)である。あるいは神風の幽(かす)かな聲での囁(ささや)きだろうか。
 これを無視した有頂天が一番危ういのである。得意絶頂に舞い上がることが怕
(こわ)いのである。この怕さを知らぬことが殆(あや)ういのである。素直に観じられないところが殆ういのである。
 そういう思いが少しでも浮んだら、それを自分の料簡
(りょうけん)などと否定せず、そのまま受け取る素直さが必要だろう。
 また暢気
(のんき)に構えないことだ。

 国破れて山河あり……。その種の甘い感傷主義に陥らないことである。
 兎追いし彼
(か)の山も彼の河も、蜜柑の花咲く丘も、何もないのである。
 過去に棲
(す)んでいたなどと、そんな戯(たわ)け話が通用するほど世界は甘くないし、またこの世は“ろくなところ”でもないのである。まっとうなところでもないし、確(しっか)りしたところでもない。常に不安が付き纏う。そして、弛(ゆる)んだ国民の国ほど隙が多く、注意散漫で、ガードが甘く、付け入り易い。
 多目的で、多様化。分裂している状態と言えよう。
 中心に帰一する、何か一つを拠
(よ)り所にする意識が薄いのである。
 こうなると、あれもこれもで多趣味、多様化の先に、見解の一致を見ない分裂状態に陥り易い欠陥があると言えよう。その証拠に、自己主張だけが強くなり、言っていることは十人十色となる。自由奔放主義の成れの果てである。
 不安と心配が総て取り越し苦労で、御破算に戻れば幸いである。


 ─────津村陽平と吉田毅は赤塔
(チタ)の領事館で一泊し、哈爾濱(ハルビン)に向かう帰途にあった。北満鉄道の急行列車に揺られていたのである。満洲国総領事館員が命を張って蒐集した調査書を、津村は入手していた。これを独自に解説した。ソ連の不延長は明確となり、対日参戦の確率は大になった。日本の置かれている不安定な立場が明確になった。
 だが、今はその運命の特異点の予兆も明らかでない。静かだと言えよう。
 また吉田はチタ郊外にある『ニコルスキー交易商会』から、商品見本としてPPsh41短機関銃を2梃仕入れての帰途であった。これは同盟国限定商品であった。
 日ソ中立条約の有効期限内では、日本もソ連の同盟国であった。ソ連側から検
(み)て日本は中立国もしくは準同盟国である筈だ。そこで吉田は『ニコルスキー交易商会』から500梃を買い付けたのである。
 これをシベリア鉄道でウラジオストクの港まで鉄道輸送し、その先は海軍の潜水艦で大東亜圏のインドや東南アジアまで海中輸送するのである。欧米列強と独立戦争をしている独立解放戦線に、金と引き換えに販売するのである。この時代、既に軍票は殆ど信用されなくなり、紙屑同然であった。そこでソ連製の機関銃やその他の銃砲を金で販売するのである。戦争は武器を進化させた。沢田貿易は金本位で、進化した武器販売をする死の商人であった。
 吉田はその買い付けに成功した。
 ここまでは順風満帆
(じゅんぷう‐まんぱん)に事が運んだと言えよう。

 だが問題は満洲里からである。隣接国の利権が絡むからである。
 ソ連側から満洲国に入国するからである。此処には海外から流れ込む難民をチェックする検問がある。更にその先から、内外の官権が入り乱れて秘密戦を戦わせることになる。
 尾行を気付かれずに、まかれずに尾
(つ)けることは難しいが、尾けさせて尾行させることも難しい。尾行させる算段は時として外(はず)されることがある。蹤(つ)いて来ているかと思うと、去(い)なされていることがある。肩透かしである。しかし、これが曲者(くせもの)である。油断させて、やはり尾いて来ている場合がある。尾行術の妙と言うべきか。


 ─────満洲里に到着する少し前のことである。
 シベリア鉄道の急行『ザ・バイカル號』はもう直、満洲里に到着する。欧州からの終着駅で、これから先はシベリア鉄道から北満鉄道へと切り替わり、乗客はこの駅で乗り換え、税関の検査を受けねばならない。満洲里はソ満の鉄道で支えられた分岐点で、この街の重要な収入源はホテルや旅館の宿泊客の滞在に関して宿泊料であった。これらの旅館業は日本人相手に商売が成り立っているのであった。
 満洲里は斉斉哈爾
(チチハル)より800kmほど北満鉄道の先にあるソ満国境の街である。街の至る所にはロシア文字で書いた看板が眼に付く。東と北はソ連領であり、南は外蒙の盆地が広がっている。
 そして此処は、ソ満国境に接した街で、常に緊張が余儀なくされ、その一方で日本の領事館もあり、また対蒙貿易の拠点で日本の商社も存在していた。

 吉田毅は喇嘛
(ラマ)僧に扮した津村に訊いた。
 「津村さん。あなたの背負って来た笈
(おい)か旅嚢(りょのう)の中が些(いささ)か気になりましてね」
 「喇嘛僧に扮しています。単なるポーズで背負っているだけです。中身などありまません」
 「しかし大事そうにしている、それが気になりましてねェ……」
 「人は衣服を着るゆえに衣桁
(いこう)の如く、着物掛け【註】衣桁とは着物などを掛ける衝立式の家具の意)の家具なればいい。更に、飯を喰らうゆえに飯袋の如く、飯が袋の中で腐れば糞袋の如く、また酒をかっ喰らうゆえに酒桶の如く、ただそれに似たるのみ……」
 「扮しておられるからですか?」
 「ポーズですよ」
 「でも、中身は?」
 「ときにこの衣桁の如く、飯袋の如く、糞袋の如く、酒桶の如きものは手足を動かすゆえに動物となり、言葉を吐くゆえに、まかり間違えば饒舌家となる。所詮
(しょせん)糞袋は糞袋。斯くして自画自賛して弁解がましく喋り立てる……。こういうのは言葉は幾ら喋っても、論客とは言いません」
 物か心かの違いを説いた。
 「なるほど、あたかも鈴木正三
(すずき‐しょうさん)ですね」
 鈴木正三は三河の武士で幕臣だった。正三は武士道精神を加味した禅を唱え、これを「二王禅」と名付けたことで知られる。
 「しかし、単なる袋や桶ではありますまい?」
 「さて、どうでしょう」
 恍
(とぼ)けたが、吉田は壮気の持ち主だ。熱血漢である。恍け果(おお)せるものでない。
 「扮した、もう一つの目的があるのでは?」
 「さてさて……、困りましたなァ。これからの路銀の足しに、少しばかり商売をしようと思いましてね」
 「はて、商売ですか」
 「しばしを借りて、大道露天の寸劇商売とお思い下さい」
 「寸劇商売ですか?」
 「ちょいと路上を借りましてね」
 「奇なることですなァ、ますます奇です」
 「私は奇舌縦横の野人です」
 「ほ……ッ、これはまた……」《ご謙遜でも》と言葉を繋ぎたい風だった。
 結局、津村は中身を明かさないままだった。隠すまでもないが、しかし大道での寸劇商売は如何なものかという懸念があるからだ。
 津村は満洲里で、もう一つの目的があったからだ。それは、星野周作に一瞥
(いちべつ)だけでも願いたいと考えていた。星野は刀鍛冶である。鍛錬師である。玉鋼(たまはがね)を求めて大陸に渡ったと言う。これが本当なら、寸劇商売に刀を並べても出て来る筈だと思ったからである。彼は姿を顕す。そう確信していた。
 津村の期待は、鬼が出るか蛇が出るかだった。前途に予測がつかない。恐怖が俟っているかも知れない。しかし敢えて此処まで来たら、それを実行すべしと思っていた。
 笈
(おい)の中には、短刀と脇差し五振りが入っていた。日本から発つ前、津村家伝来の『備州長船祐定』の短刀一振りと、哈爾濱の日本人骨董屋で短刀を脇差しを四振り買った。それに津村家伝来の短刀・祐定は津村が普段から懐に呑んだ短刀である。日々それを離すことはなかった。同行二人の短刀である。津村自身の御信刀(ごしんとう)である。

 「私に、乗り継ぎまで、しばしの時間を……」それは与えて欲しいという懇願だった。
 「いいでしょう。しかし奉天憲兵隊の憲兵だけには気を付けて下さい。頭の構造が検挙第一主義です。奇人には見境がありません」
 「なるほど、聴く耳もたぬ類ですな。聴く耳もって人の話を聴けば、その長所も分るというものを、歯牙にも掛けず、がなりたて、聴く耳を持たない。そういう類ですな。心しましょう」
 「もう直、満洲里です。バイカル鉄道の満洲側の終着駅です。満洲領とて安心は出来ません」
 斯くして二人は満洲領へと入って来た。

 「さて、問題はこれからです。私は右に行きます。あなたは、私より遅れて、左に行って下さい」吉田が言った。
 二列に別れた入国チェックの検問であった。
 出て行くときと違って、入国には厳しい照合確認が課せられているようであった。検問は満洲国軍の官憲だが、それを指導しているのは関東軍奉天分室の憲兵隊の指令によるものである。
 吉田毅は何故か用心深い表情を浮かべていた。普段は行き来している経路に警戒の色を見せたのだろうか。津村はこれを不可解に思った。しかし、そこは津村のことである。これまでとは少しばかり事情が違ったことを勘で読み取っていた。あるいは応酬からの難民の警戒に当たっているのだろうか。何かの拮抗が崩れたことは明確であった。
 その背景にソ連が関わっていることは察しが付いた。やがて起こるかも知れない災厄の態
(さま)を、津村は在り在りと心の描くことが出来たのである。
 「いや私の方が右に行きます」
 津村はそれだけ言って、自分の方からすたすたと検問所に近付いて行った。
 「旅券を」係官はそう言った。
 津村は満洲国発行の旅券
(passport)を出した。
 それを検
(み)て係官は「好々(ハオハオ)」と言って旅券を返した。
 津村もにっこり笑って「好々」と言葉を返した。いい加減な相槌であった。

 一方、吉田はトランクにPPsh短機関銃2梃と暗号化した資料が詰まっている。しかしトランクは日本軍軍属のフリーパスの保障がされたものである。中身は点検されない特権があった。
 「中身は何ですか?」
 「私は商業特権を持った日本の商社員だ。日本軍の極秘物件である。その回答は致しかねる」
 「これは失礼しました。しかし中は点検致しませんが、内容だけでも」
 「特五型榴弾である。貴官は決號榴弾というのを聴いたことがあるか。極秘事項に属するものである。点検が出来るのは陸軍大臣閣下と兵器局長閣下のみだ。したがって何ぴともこの中身を検ることは出来ない!」
 「はッ!失礼致しました」
 「職務熱心で宜しい」
 こうして問答の末、吉田はやっと中身の点検を受けずに通されたという感じであった。
 後ろを追いついて来た吉田に訊いた。
 「どうしてですか。あなたは商業特権がある。この厳しい検問は毎度のことですか」
 「いや、今日に限りです」なぜ今日に限り厳しいのかと吉田は思ったのである。
 「何か訝
(おか)しいですねェ……」

 そのときである。
 「津村さん。津村陽平さん!」と検問している官憲が聲を掛けた。
 「振り向かないで下さい。此処では、私の名前を知る者は居ません。止まらないで、そのまま駅まで進みましょう」
 「どういうことです?津村さん」
 「私の旅券は満洲国発行の、名前は暢伊仙
(ちょう‐いせん)です。職業はラマ教の僧侶です。此処で私の名前を知る者は居ません」
 「何か解
(げ)せませんねェ」
 それは情報が漏れているという言い方だった。誰かが津村陽平のことを漏らしたのである、
 「おそらく私の名前がもれたとしたら、参謀本部からでしょう」
 「何ですって!?」
 「鼠は何処にでも居るものですよ」
 津村は心当たりがあった。幹候時代に、その種の鼠が居たことを思い出したのである。また重労働の開墾班に廻されたことも……。敵は参謀本部に間者
(スパイ)を送り込んでいるのである。

 堀川彦宸
(げんしん)。戸籍上の堀川作右衛門の弟で、本名は公瑞兆(こう‐ずいちょう)。堀川作右衛門も三代前を辿れば、幕末期、大陸から日本に遣って来た帰化人である。この帰化人は最初、長崎に根を降ろした。そこから東へと移動した。その頃に知ったのが「庄屋株」の存在だった。庄屋株は、旗本株や御家人株と同じようなもので豪商や豪農に向けて売り出されていた「株」のことである。
 ちなみに江戸生れの幕臣で、長崎の海軍伝習所に学び、オランダに留学に留学し、後に戊辰戦争で、箱館五稜郭に拠って新政府軍に抗したが間もなく降伏した榎本武揚も、その何代か前は旗本株を買った豪商の出であった。代々の徳川宗家の幕臣ではない。血筋と素性は町人である。その名は釜次郎。旗本株を買って武士になった俄の士である。先祖からの直参ではない。
 この時代、これまで5%しかいない武士層が、株の売り出しなので7%に増加するのである。更に郷士と言う武士ではない、苗字を持つ町家出身者が武士を名乗ったのも、幕末特有の現象である。

 これと同じように堀川の三代前は苗字とともに、庄屋株を買い、三代前の先祖が庄屋になったのである。
 関西では土地を支配する自作農のことを庄屋といい、関東ではこの種の自作農を名主と言う。村方三役の長である。しかし堀川の三代前は西から東に移動したため、西にいた頃の庄屋として村請制度のもとで、そのまま関東に流れ着いたと言える。
 この種が帰化人の特長である。したがって名主と言わず、庄屋と言う。それは三代に亘って、新田郷に棲み付いたのである。
 それを頼って、公瑞兆が堀川彦宸の戸籍を手に入れたのである。
 堀川彦宸は日本国籍を手に入れているが、巧妙に化けた中国人。農務省の農事技官。
 津村陽平の使命は何処から洩れたか。それを辿れば堀川彦宸が浮ぶだろう。この漢なら、津村隊が極秘裏に大陸に野戦に出たことも知っているだろう。
 津村は改めて、水面下で秘密戦を戦っていることを認識した。武力の上に胡座をかき、安穏とした古い戦略思想では勝てない時代になっていたのである。
 秘密戦……。
 それは情報に基づいた戦争法である。しかし情報と言うのは、正しいものは多くある中で、たった一つしかないのである。他は総て偽情報である。真偽を判定するのは単にデータだけでなく、最終的にはその人の勘が物を言う。見通しも、指導者の勘に負うところが多い。数値一辺倒ではないのである。

 「いよいよ敵が動き出しましたか」
 「そのようですなァ」
 津村は内心“こうこなくっちゃ面白くない”というような気軽な相槌を打った。
 「ほどよい緊張があって、いいですな。羨ましい限りです」吉田は奇妙な言い回しで津村を煽
(おだ)てた。
 人間には常に一定割合で、「ほどよい緊張」があった方がいいのである。危険は遠ざけるのでなく、危険の中に身を置いて、緊張があった方がいいのである。こういうのを無意識の緊張と言う。
 しかし、人間が緊張を忘れた時に思わぬ事件や事故が襲って来る。そうなると変化に対応出来なくなる。混乱は、こうした局面に起こるのである。また突然の現代病などに遭遇したときも、その驚きは同じようなものであろう。死病に罹病しただけで、病気でも死なない人間が、病気で死ぬのは「人間は病気では死なない」という運命法則を覆すからである。そう言う場合に、「人間は寿命で死ぬ」ということが全う出来なくなるのである。事実、病気の暗示に掛かって死んで逝くのである。
 この死が、「緊張を忘れたツケ」であることは言うまでもあるまい。

 「緊張しますねェ」吉田は喜々としていった。
 あたかも今から一波乱ある期待を込めて言うのであった。
 「はしゃぐのも、此処までですよ」津村は釘を刺すように言った。
 「しかしです。これまで私は、あなたのような桁違いな人に遭ったのは生まれて初めてです。あなたのような考え方をする人を、これまで知りません。正直言えば、心より師とも仰ぎたいところです」
 「妙なことを言われる……」
 「あなたは既にこの世の課題である、貧富を超越しております。苦労人でありながら、その苦も楽も超越しておられる。そこを学びたいのです。教えて頂ければ、土下座してでも……。そして態度といい、人相風体卑しからず……」吉田は感嘆したように言った。
 「吉田さんは、原憲をご存知でしょうか?」
 「孔門七十人の原憲ですね。平家物語に出て来る清貧で知られる哲人……」
 「左様」
 「毅然たる態度、これから勉強致します」
 「勉強出来ましたら、お返事下さい」
 「えッ?」
 吉田は津村陽平の懐
(ふところ)の深さが測りかねていた。底も、底無し沼である。何処までも深い。簡単には測れない。
 人間学の中に、ニーチェの言葉が登場して来る。
 独逸の哲学者ニーチェは「人を知る方法」として、三点観測すれば、その人物像が泛
(うか)び上がって来るとしている。ニーチェの「挿話観測」によれば、まず第一に“三つの挿話”があることを挙げ、挿話に基づき、その人がどう言う人であるか明らかにしているのである。
 三つのエピソード……。
 人を測る“物差し”になるらしい。
 津村陽平を測る物差し。その第一は毅然なる態度。第二は飄々
(ひょうひょう)とした風流人。それでいて、表情には一片の曇りも弛緩(しかん)もない。更に炯々(けいけい)たる双眸(そうぼう)。齢(よわい)とともに端正さが深まった人品を持っている。人相骨柄卑しからず。風体も悪くない。

 では、第三は?……となると、直ぐには浮んで来ない。そこで暫
(しばら)く考えた。
 そして、はたとして泛
(うか)び上がるものがあった。津村の第三の挿話は奇舌(きぜつ)である。美辞麗句を纏わず、歯に衣(きぬ)を着せない。
 軽忽
(けいこつ)を窘(たしな)め、一計を立てる。話術である。話術の妙である。
 それを文章に残すことが出来るのである。
 津村は意気投合して気が合うと、話術の一貫として結び文を渡す。胆識を示す啓示書である。あるいは水墨画のような絵である。その絵は禅画の趣がある。画家特有の習性か見知れない。一筆書きで、即興で描いてみせる。この集大成したものが先祖から伝わる『津村流陽明武鑑』である。
 そして吉田毅がはたとして思い当たったものは、津村陽平は「威を以て臨まず、徳を以て人心を掴む名人」であることに気付いたのである。

 いい話や、どんなにいいことを喋っても、口に出した言葉は直ぐに消えてしまう。聴いた方も直ぐに忘れてしまう。よほど印象に残る心に刻む内容のことなら別であろうが、普段の“いい話”程度のものは忘れるというのが常である。
 ところが、喋った方は自分がいいことを喋ったと言う自負があるから忘れないであろうが、では相手がそれを覚えているかとなると、そうではない。もう疾
(と)っくに忘れてしまっている。聞き流されれば、それまでというのが言葉の欠点である。その欠点をして、怪しからんと、ほざいてみても後の祭りである。
 また諫
(かん)しようにも言葉だけでは駄目である。人間の記憶力など、実に頼りないものである。
 そうならないためには、繰り返し言うしかないのであるが、同じことを二度も三度も言うとなると、言う側も大変である。そこで文字にする方法を採る。文章として綴っておけば、「それを読め」で事足りる。言葉を文章にしたものであれば、繰り返し訴えるのと同じことである。文章が残っていれば、口で繰り返し言わなくても済むのである。
 また、繰り返し聴きたい方は、それが一つの心の拠
(よ)り所となる。人間が本を読む所以である。

 文章で説く。津村陽平が胆識の書である『津村流陽明武鑑』を、満洲に発つ前に沢田次郎に手渡したのは、そのためである。これに戒喩
(かいゆ)が記されていた。プロパガンダ戦略である。この戦略書を言葉にして、言って聴かせても記憶の残すことは難しい。繰り返し読まないと、簡単には理解できないものである。蘊蓄があり、意味深長な言葉こそ、文章に著しておくべきなのである。
 また、この書は「戒喩」が記されている。
 「生け捕った者は然
(しか)る後の解き放て」と教えている。そして根元には、「柔よく剛を制す」というのがある。一見強そうに検(み)えて、猛々しい剛の者ほど、柔には弱いのだと教える。この思想はもともと老子の教えである。それを身をもって学ぶには、まず読むしかない。繰り返し読むしかない。一回限りで理解してしまうことは難しい。
 戒めの書でもある『津村流陽明武鑑』は、そもそもが武門の書であり、宮家方
(みやけ‐かた)の文門・文鑑に対峙(たいじ)したものである。公家故実(こじつ)に対して武家故実である。儀礼や起居(たちい)振る舞い、禁忌や習慣、言葉遣いや行為が記されている。口喧しく、説教するのでなく、読ませて導くのである。


─────津村陽平は諷言飄逸
(ふうげん‐ひょういつ)なる人物である。才学があり、然(しか)も時に奇舌縦横で、生まれつき狷介孤高(けんかい‐ここう)である。忌憚(きたん)のないことを言う。調子を合わせて追従することもないし、妥協することを知らない。自分の意志を守って“わが道”を行く姿勢を崩さない。そのうえ貧乏と来ている。ために誰も寄り付かない。
 飄々乎
(ひょうひょう‐こ)として世俗にこだわらず、超然としているだけに掴みどころがある訳でない。仮に近付く人物がいても、並みの凡夫(ぼんぷ)ではない。奇想天外な発想をする。一種の奇人である。

 それでいて、津村の嘆きは「嗚呼
(ああ)、人間がいない。人がいない。自然界配列の天地の間に、人が抜けている。世間はこんなに濶(ひろ)いのに、どうして人がいないのだろう」だった。
 ところが、世の中が平時から戦時に急変した。戦時には、人が何事かを求めて奇人の許にも訪ねて来る。奇弁畸行の変わり者にも政情を伺いに遣って来る。こういう時期に、津村は応召されたのである。応召されて密使にされた。
 任務は好きでもなく嫌いでもない。奇人には相応しい役所と思っている。悪くはないと思っている。
 この漢、本性は原憲然である。原憲の生まれ変わりのような漢だ。貧乏を全く気にしない。貧乏であろうと慌てることはないと思っている。飄々然だが、目的意識を持ち、その目的にはある一定の規則性すら窺わせるのである。信ずるところに生きている。そして修養に務める。そこに自
(おの)ずから、積極的な人生の楽しみ方が生まれて来る。津村にとって愉しみの場は、天地である。何処であってもいい。

 赤貧洗うが如しという。極貧者はこの喩
(たと)えで揶揄される。困窮甚だしく、何も持ち物がない。洗い流したように所有物は何一つ持っていない。こういうのを赤貧という。だが同じ貧乏でも、赤貧があり、また清貧がある。無一文は確かに赤貧だろうが、心魂を持ち合わせている者は、心と魂があるだけに丸裸でない。清らかなるものを纏っている。
 徳なき者の貧乏を「赤貧」という。一方、徳ある者の貧乏を「清貧」という。
 この同じ貧乏の中に、十六世紀のはじめに日本を訪れたフランシスコ・ザビエル神父は、次のように言うではないか。
 「日本人はキリスト教国民のもっていない一種独特の特質がある。それは、武士が如何に貧しくとも、その貧しい武士が、富豪なる人物と同等に、人々から尊敬されている事である。日本人全般を見回しても、武士に限らず、平民でも、貧しさを少しも恥に思うような者は一人もいなかった」

 『論語』にも、こうある。
 孔子と子貢の『貧乏問答』である。
 子貢曰
(いわ)く「貧にして諂(へつら)うことなく、富みて驕ることなきは如何」と。
 子曰く「可なり。未
(いま)だ、貧にして楽しみ、富みて礼を好む者には若(し)かざるなり」と。
 この遣り取りは、子貢が「先生、貧しくても卑屈にならず、人に諂ったりなどせず、また金持ちになっても少しも威張るところがない、というのはどうでしょうか」と訊いた。
 すると孔子は、「悪くはないが、貧しくとも人生の楽しみ方を知っている貧者には遠く及ばないし、また富んでいても礼儀を好む富者には及ばないものだよ」と答えた。

 貧にして楽しむとは如何なるものか。人生を愉しむ極意とはどういうものか。
 おそらく『酔古堂剣掃』に出て来るような“好きもの”を言うのだろう。

 貧にして客を享(もてな)す能(あた)わず。而(しか)も客を好む。
 老いて世に狗
(したが)う能わず。而も世に維(つなが)がるるを好む。
 窮して書を買う能わず。而も奇書を好む。

 『論語』にある通り「朋
(とも)有り、遠方より来る、また楽しからずや」の教えが好きだった。
 友と言える、その種の人が好きなのは勿論だが、その中でも酒を携え、魚を小脇に抱えて来る人は、なお好きであった。そうなると、尚更、「楽しからずや」になるのである。
 つまり心友である。親友ではない。「心友」である。
 友とは、心で付き合うものだ。自他離別が無いものを言う。
 自他同根ならば、心を通わすことができる。そこに魂の交流がある。
 心を通わし、魂の交流を図る。津村の理想論だった。人間が心魂を傾ける場合の必要十分条件であった。


 ─────話を一日前に戻す。
 哈爾濱日本商工会の理事の山根耕三が、15名の老兵隊と軍属1名に対して、職人組合の長屋へと案内していた。そこは長屋と言っても、三階木造立ての遊郭然の貌を持った商工会運営のアパートであった。凝った江戸の造りがなされていた。その意味では遊郭然とした古風な時代物的な趣があった。
 その趣に対して、室瀬泉蔵は感歎の言葉を漏らした。
 「これは何と……」驚きである。
 天井が聚楽であったからだ。正方形の枡枠とカーブした反枠には漆職人の技巧が冴えていたからである。天上板に嵌められた蒔絵も見事だった。
 「泉蔵爺さん、何を唸っている?」梶野二等兵が訊いた。
 「見れ!分らんか」
 「なにを?」
 「天井の職人技だ」
 「うム?」梶野は天井を見上げた。
 「どうだ!」
 「これは……」梶野が唸った。唸る以外なかった。

 「さて、皆さん。個々人にこれから約一年間、仕事を世話しました。働いて頂きます。年季奉公と思って下さい」
 これを聴いて周囲から苦笑が漏れた。
 「わしらに何を遣らそうとする?!」乱暴な言葉で岩村重蔵が聴いた。
 「此処で職人を遣って頂きます」
 「職人?」重蔵が奇妙な貌をして訊いた。
 「そうです、職人です。しかし皆さんが想像している職人ではありません。皆さんは全員が満洲国軍の将校扱いです」
 「将校だと?」
 「そうです、将校です。満洲国軍では軍席簿にも皆さんが将校として登録され、上尉です。つまり、日本軍で言えば、大尉と言うことになります」
 「大尉だと?……。このわしがか……」
 「そうです、上尉です。そこでお願いがあります。皆さんは満洲軍に属しながら、一方で職人的な職業を持って頂きます。毎日、職人として仕事をするなり、商店を経営するなり、あるいは学校、会社、技官、農業団体、宗教団体に勤務して頂きます。そこからは、それに見合うだけの報酬が支払われます。それは皆さん方の個人所得です。何に遣おうと勝手です」
 「こういう御殿のようなところに住まわしてもらって、そのうえ給料まで出るんかい?」
 「そうです、それは仕事に応じての報酬です。そこで、これまで戴いた情報に従い、皆さんの職業を、一方的に決めさせて頂きました。不都合の場合は訂正致します。壁に張り出しますから、ご検討下さい」

            
副官
1班伍長

兵頭仁介(40)上等兵
日本での職業:元中等学校国語教師
哈爾濱:ハルビン高等学校教授(満洲軍上尉)
室瀬泉蔵(61)二等兵
日本での職業:漆職人
哈爾濱:工芸学校教官(満洲軍上尉)
河村啓次郎(47)二等兵
日本での職業:貿易商社員
哈爾濱:沢田貿易支社員(満洲軍上尉)
梶野太郎(50)二等兵
日本での職業:農業(小作)
哈爾濱:バルビン農事技官(満洲軍上尉)
郡司与一(46)二等兵
日本での職業:洋服仕立業
哈爾濱:洋裁店経営(満洲軍上尉)
2班伍長
成田光男(55)上等兵
日本での職業:私大教授(考古学)
哈爾濱:満洲建国大学分校教授(満洲軍上尉)
雪村留治(45)二等兵
日本での職業:新聞記者
哈爾濱:満洲日報記者(満洲軍上尉)
三村賢治(49)二等兵
日本での職業:板前
哈爾濱:料亭松屋板前長(満洲軍上尉)
野島源吾(59)二等兵
日本での職業:宮大工
哈爾濱:日満神社棟梁(満洲軍上尉)
相川 聡(42)二等兵
日本での職業:従軍僧侶
哈爾濱:日満寺住職(満洲軍上尉)
3班伍長
浅沼重吉(59)上等兵
日本での職業:満鉄(調査部)退職者
哈爾濱:東満鉄道車輛技官(満洲軍上尉)
橋爪 太(41)一等兵
日本での職業:東京帝大助教授
哈爾濱:満洲建国大学分校教授(満洲軍上尉)
佐伯雅夫(56)二等兵
日本での職業:柔道整復師
哈爾濱:衛戍病院准医師(満洲軍上尉)
松田恭二(45)二等兵
日本での職業:作曲家・歌手
哈爾濱:ハルビン放送局員(満洲軍上尉)
堀川作右衛門(52)二等兵
日本での職業:庄屋(名主)
哈爾濱:ハルビン農事技官(満洲軍上尉)

 津村隊の老兵の平均年齢は50.25歳であった。この年齢で、兵隊として組織抵抗するには、余り年を取り過ぎていた。人間の楯として徴兵されたような、戦闘不適当な部隊である。老兵達は応召により集められていた。弾除け要員である。人間防波堤である。老いた上に身体障害者まで混じっていた。隊列行進など、ろくにできなかった。そういう身体能力は退化していた。敵弾に当たるために、また命を張って防波堤にするために掻き集められた老兵である。
 老兵には楕円形の真鍮板
(しんちゅう‐ばん)が配られていた。認識票である。だが岩村重蔵だけは軍属で、これを持たない。文官待遇の民間人である。兵隊でない。
 認識票……。
 これが存在するのは、敵弾に斃
(たお)れた場合、屍体が何者かを識別するためである。交付目的は、屍体の確認だけであった。この真鍮板を「認識票」と呼んだ。認識票には番号が打ち込まれ、非常な即物性の意味合いを含んでいた。側面には残酷な響きが漂っていた。
 これが配られると、もはや人生の前途は断たれる。冷たい死への予言を下されたようなものである。青い畳の上での死も、断たれることになる。遠い戦地の中で斃れて行くことになる。死は、そういう死しか残されていなかった。この認識票を貰った老兵の一人が呟
(つぶや)いた。

 「有り難や、これで死に損なわずに、迷わずに、一直線に冥土へ行けるわい」
 実に皮肉なことを言った。
 そして、横に老兵が同じようなことを認識ようを掲げて吐露した。
 「これこそ靖国の門鑑じゃ、有り難や……」
 周囲はこの言葉に吊られて、冷たい嗤
(わら)いが起こった。死を覚悟した嗤いであった。
 この当時の男子の平均年齢が42、3歳である。戦死するからである。自分の年齢を平均年齢から差し引いて行く分か長ければ、残りは余生である。その余生すら、嗤い飛ばした観すらあった。
 津村隊に集められた老兵は、兵隊としては組織抵抗するには不向きな集団であった。
 生き残るとしたら「智」で残るしかなかった。生きるために智慧を廻らす。それを武器に闘う。
 そうした側面に『タカ』計画があった。この計画に添って、智慧が練られ、この智に津村陽平が一ひねりした策が用いられた。「山こかし」である。詐術である。敵を欺く。

 「図に乗っては危ういぞ」
 「どうしてだ?」
 「あまりにも盲進し過ぎる……」
 「そういうものは蹴散らしてくれよう」
 この、驕りの構図に敵を陥れれば、しめたものである。
 そして深入りさせる。
 そこで陥る錯覚がある。勝ち進んでいると思い込んでいたことは、誘った方が勝たしてくれるからである。
 これは味方が強いのでない。敵が弱いポーズをして、次々に勝たしてくれるのである。勝ったのではなく、勝ち過ぎる構図の中に取り込んでいくのである。兵法の初学である。
 この構図に図に乗り、勝ち戦に有頂天になると、攻め入る方は益々難道を行くに従い、道は細くなる。最後には山川相迫って、草木が茂れる場所へと導かれているのである。火計である。
 先の大戦も、昭和17年5月27日を境に、この火計に陥ったのではなかったか。ミッドウェーの二面作戦の愚は兵法の初学を地で行くような過ちであった。情報も、闘う前から大いに洩れていた。
 更に先任主義がそれに追い打ちを掛けた。
 意見対立の上に繰り広げられる脆弱な短所。閨門の不和。宿老の不一致。然
(しか)も優柔不断。
 軍備は充実していたが、活用を知らず。そのうえ貨利を貪るばかり。勲章の数を殖やす以外何も考えていない。人的欠陥こそはけ戦の始まりだった。

 このことを津村陽平は、よく知り抜いていた。そこで、老いた身で闘うにはどうすればいいか、歴史に学んだ。老兵を哈爾濱日本商工会の理事の山根耕三に託し、職人組合の長屋に住まわせたのは、職人的能力を各自発揮してもらって、此処で力を蓄えつつ、次の段階に移行させるためであった。一年間、仮装のポーズを採らせるためである。そのために先ず職人的能力を発揮し、ある者は会社員として、また農業従事者として、更には教育関係者としてなりすます。業師的なところを発揮してもらう。そのうえで、週に一回の割合で、満洲軍の軍事教練に参加する。階級は退役の上校扱いである。途端に全員が将校になる。真の目的は、やがて哈爾濱を振り出しに新京に至り、そこから北京に向かうコースに至る。北京から南下して強行軍をするのである。
 津村の脳裡には「山こかし」をするために『柳田メモ』がある。柳田奥太郎少将のメモランダムである。
 このメモランダムを、津村は兵頭から示されて、総てを記憶していた。それに貌の見えない瞿孟檠
(く‐もうけい)という人間である。更にこの人物はM資金に関わると検(み)ていた。瞿孟檠の指令が、公瑞兆(こう‐ずいちょう)までもを動かしている。
 公瑞兆は日本人でない。
 日本で生まれ、日本で育ち、日本で学び、日本の気候風土を知り、日本通の日本人を気取り、高文官試験に合格し、農林省の農事技官の役人然としているが、あくまでそれは表の貌であり、正体は裏の貌を持つ漢であった。その裏の貌が人買いである。残忍無比であることは言うまでもない。しかしその貌は闇に溶けて、普段は見えない。
 このカラクリには巧妙な仕掛けがあると検た。

 公瑞兆の出身地は、張作霖と同じ遼寧
(りょうねい)海城で、この地は中国東北地方南部の鴨緑江(おうりょっこう)を隔てて、朝鮮と接する場所だ。満人(満洲族)に混じって朝鮮人の多いところという。そして、この漢は排日運動を展開する朝鮮人の運動家・安重根(アン・ジュングン)に心酔しているという。だが運動家としての貌も似非(えせ)であろう。正体は日本列島・本州方面の人身売買の首領である。
 表向きは農林省の農事技官の貌で行動する。それを隠れ蓑
(みの)にする。だが裏の貌は、女を道具に遣う人身売買の首領である。
 この漢、動物の飼い方が馴れている。その調教は心得ている。つまり、それは女を「牝」と看做して使役するからである。あるいは地方の支配者の貢ぎ物に使う。

 だが、闇の世界での「陋規のバランス」も崩れつつあった。
 それは、昭和16年12月8日を起点として日米開戦に突入したことである。それ以降の戦争の仕方は一変した。愚将達は自国民の生命を消耗させる策に出た。人命軽視である。人の命を消耗品代わりに酷使した。

 近代市民社会は、市民と軍隊が一体であった。軍隊は市民をよく守った。また市民は軍隊を尊敬した。
 ところが大戦末期になると、戦争指導者達は、自らは尊敬されるポーズをとりながらも、夜郎自大に陥り、大の虫を生かして小の虫を殺す策に出た。愚将どもは民間人に犠牲を強いた。生より、死を選択させた。
 これ自体が重大な屠殺
(とさつ)行為であり、その誅は、決して免れるべきものではあるまい。
 だが、そもそも民間人を犠牲にし、生贄にし、秘密保持のために微生物を殺す策というのは、もやは奇手でもなく、机上の空論で愚策を連発させた。自国民、つまり一般民間人を犠牲にする戦は、もはや戦でないのである。屠殺の、それである。
 愚将の戦争指導者は、民間人の“屠殺”しか思い付かなかった。
 最後の最後まで、ついに奇手は出ず終
(じま)いであった。いたずらに戦争を長引かせるということは、奇手すら枯渇し、発想も柔軟性を失い、負け将棋の「もう一番」の連続となり、良識派は更迭されて表には出られなくしてしまうのである。屠殺しか知らない戦争職人は、政治には口出しすべきでなかった。
 斯くして、当時は良識派が、強硬論派から封印されてしまった形跡がある。また、それを逆手にとって、海外からの間者が、日本で好き放題に暗躍し、愚将どもを、“公瑞兆クラスの暗躍者”が易々と手玉に取ったと言うべきであろう。愚将どもは暗躍者の掌の上で乱舞した。間抜けな孫悟空を演じただけであった。
 日本はこのとき、既に情報戦に敗れていた。この敗因を探れば、当時の軍隊官僚に大きな欠陥を検ることが出来る。

 沢田次郎は、彼ら二人に人物評定をさせて、自身でも「野望を恣
(ほしいまま)にし、天下に動乱を起こす破壊的人物である」と最下等の危険人物とした。しかし、此処で公瑞兆を誅殺してしまっては、『貌のない影の皇帝』まで辿り着けない。泳がせ、監視する必要がある。
 協議の結果、結論は証拠不十分にして泳がせた後、二重スパイの堀川久蔵に接触させることであった。公瑞兆を堀川彦宸として引き合わせ、その後の出かたを見る構図を作った。黒幕探しである。
 仮に『貌のない影の皇帝』にまで行き着かなくても、それに近い奥の院の入口くらいには接近出来ると踏んだのである。また『柳田メモ』によれば、極秘情報として知られてはならない瞿孟檠の名が挙がっている。
 貌のない影は、名を知られた時点で影の生命を終える。暴君然とした皇帝すら、ひとたび外部に名が漏れれば、その時点で皇帝生命を終える。

 沢田次郎は、津村陽平が指摘した通り、瞿孟檠は用済みとなる。闇から闇へと葬り去られる。
 組織の一劃
(いっかく)を暴かれた廉(かど)で、刺客に殺されるに違いないと思っていた。
 かの暗殺部隊の『P2』
(フリーメーソン暗殺集団のプロパガンダ第二部)のような刺客に……。そして、その引金役を公瑞兆が遣らかし、足許に火が点(つ)いた。そう検たのである。
 更には、裏に星野周作が関わっているのではないか。
 珠緒と鈴江の父親であるこの漢は、果たして日本と大陸を股に掛けた刀剣鍛練の徒であったのか……。なぜ大陸に渡ったのか?……。この動機である。
 星野周作は大陸で、民間人の軍事探偵の平戸出身の沖禎介
(おき‐ていすけ)に出遭っている。果たしてこれは偶然か。
 おそらく必然であろう。意図あってのことだろう。
 星野周作はその後もロシア官憲から『東方輸送妨害作戦』の挺身隊の一味として追われていた。だが、孫熈英に匿われ、日露戦争が明治38年に終結すると、孫熈英の娘・美麗
(びれい)を娶(めと)り、美麗ともに満洲鉄道付近の長春(満洲国建国以降、新京と改まる)に棲(す)み付く。果たしてこれも事の成り行きか?……。
 その辺は、津村自身も掴み取っていなかった。
 だが津村は、「貌のない影の皇帝」を操る更に上に『総帥X』なる人物がいるのではないかと睨んだ。深部に奥の院がある。まだ奥がある。何ぴとも触れてはならない琴線がある。そこに奉天派軍閥の総帥・張作霖の亡霊がいる。亡霊は琴線そのものだった。そう検たのである。
 その亡霊を、やがて沢田次郎が暴く。『総帥X』なる人物も次郎が暴くだろう……と、津村は思った。
 では、『総帥X』の行動原理は何か。何を見返りにするのか?……。
 また、『総帥X』は「貌のない影の皇帝」を動かす原動力は何だろう。人間の権力欲か?……。

 ある漠然としたものが泛
(うか)び上がって来た。ワンワールド……。新世界秩序……。これからの世界の原動力は、この原理で動かされるのではあるまいか。その価値観で、世界は一新する?……。考えられないことはない。あるかも知れない。しかしその原理で実際に世界が動くには、まだまだ人身御供(ひとみ‐ごくう)が足りない。多くの生贄(いけにえ)の血を必要とするのである。
 津村陽平は、背後に筆舌に尽くし難い、何か巨大なものが蠢
(うごめ)き出した気配を感じた。
 その巨大なものは、やがて日本もを呑み込むであろう。そういう、予言めいた巨大物の蠕動
(ぜんどう)を夢想した。その示顕(じげん)を想ったのである。
 その想いに、何故か「雪峰山」が重なるのである。この山は、標高千メートル以上もある山だ。この山の話をかつて父・十朗左衛門から、聴かされたことがあった。
 雪峰山は、現地の村人の話では“雪の妖精”が棲
(す)むと言う。それに何故か粤漢(えっかん)打通作戦が妙に絡んでいた。粤漢鉄道沿いに南下する。それはどういう意図と目的でか……。


 ─────津村は沢田貿易哈爾濱支店長の吉田毅と満洲里に来ていた。星野周作を誘き出すためである。
 津村が満洲里に来た、もう一つの目的は星野周作に出遭うことであった。奇なる確率で、もし出遭えればと思っていた。それは偶然でも、運命の必然でも、どうでもいいことであった。必要ならば、運命は偶然など瞬時に必然に変えてしまうだろう。因縁が引き合わせる筈だ。
 津村はその因縁を必然に置き換えて、堅く信じていたのである。念ずれば通ず。津村の確たる信念である。ゆえに確信と言う。確信ならば疑いようもない。起こるべきして起こるものである。事象とはそういうものであり、事件も事故も、無意識の不安や心配から起こるものである。青天の霹靂、寝耳に水まで遣って退けるのである。この意味では、まさに運命は生き物であり、ダイナミックに大きくうねる化け物であった。

 最初、沢田次郎の計画では、出発点は東京羽田飛行場、東京新京直行便で、満洲の新京から大陸の奥へと侵入し、満洲里までいく。次に北京経由で華北石家荘方面へと下る。このルートに、北京を振り出しに石家荘・邯鄲・漢口間に京漢線までの約千三百キロ……と聴かされていたのだが、満洲里に星野周作がいることで事情が変わった。星野が、何故か粤漢打通作戦に関わっているのかも知れないと思ったからだ。勘である。
 したがって、吉田に恃んで、待ち時間に大道露天での俄
(にわか)商売を思い付いた。寸劇である。

 満洲里はシベリア鉄道で、満洲に至る終着駅である。また満鉄の終点の駅でもあった。
 満洲里には奉天憲兵隊の分隊があり、此処で入国チェックを行っていた。検問は満洲国軍の官憲が行う。この検問に、二人は無事に通過した。

 津村は吉田の赦しを得て満洲里ホテルの前の路上に露天の寸劇商売を始めた。
 笈の上に止めた蓙
(ござ)を敷き、その上に刀剣五振りを並べた。そして自らは露天主面して、でんと坐ったのである。
 「さて、お立ち会い。ここに取りい出したるは、日本の名刀……」
 客がいないのに店主面して聲
(こえ)を掛けたのである。奇妙な物売りであった。
 これから、鬼が出るか蛇が出るか……。念ずれば通ず……、確たる信念である。



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