運気 八門人相 房中術 癒しの杜 菜根譚 小説 会報Back No. 合気 蜘蛛之巣伝 死の超剋 霊的食養 心法
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続 壺中天・瓢箪仙人 48

古代より人間は自分の国をどうやって守るか、それを考え続けて来た。衣食住が防衛できる世界とは、どういうものかを試行錯誤して来た。しかし現代に至っても、その回答は出ていない。


●大和撫子

 米海軍機『グラマンJ2Fダック』が顕われた前後の陸軍機九七式輸送機の機内である。
 「機長。聯隊上空で何かあったようです。旋回して暫
(しば)く待機しますか?」副操縦士が訊いた。
 「俟
(ま)て」
 「しかし緊急無線によれば、聯隊練兵場付近に米軍機から爆弾が投下されたとのことです」
 「なに?!」
 「基地からの緊急無線です」
 「では、下の様子が知りたい。実況放送している筈だから、ラジオを点
(つ)けて機内にも放送を流せ」
 副機長が放送の電波に周波数を合わせた。ラジオでは下の模様が実況放送されていた。
 ラジオからは興奮気味の女性アナウンサーが、いま起こった米軍機からの爆弾投下事件と、それを知った会場のどよめきの熱気を伝えていた。

 「会場の皆さま、いま九八式20mm高射機関砲を装備した武装車輛が戻って参りました。どうぞ皆さま、三人の大和撫子
(やまと‐なでしこ)に大きな拍手をお送り下さい。全国のラジオをお聴きの皆さま、わが日本の大和撫子は健在です。この割れんばかりの拍手を、お聴き下さい。この堂々たる余裕、世界に誇るべき日本の凛然(りつぜん)とした日本女性の姿、その毅然さ、いまだに失われておりません。
 さて今から、約20分ほど前のことです……」
 アナウンサーがこう切り出した出したとき、この放送を聴いていた面々は、その聲
(こえ)の前に釘付けになった。だれも耳を澄まして言葉がなかった。
 策士はこの事件を大々的に宣伝するらしい。もう筋書きは出来上がっているようだった。シナリオ通りのことが運ばれていた。煽ることに尽きた。
 その証拠に、アナウンサーは興奮美味に捲
(まく)し立て、観衆は静かに清聴するばかりだった。

 「この状況を全国の皆さまに詳しく、お伝えせねばなりません」アナウンサーは、自らに使命感があるように言葉を切った。そして更に繋いだ。
 「米海軍偵察機から聯隊内の演習域に爆弾が投下されました。只今
(ただいま)入りました緊急情報では、爆弾は45kg陸上爆弾とのことです。爆弾投下により、いま中継している放送席もかなりの振動を感じました。
 投下後、大きな炸裂音とともに、付近に大きな土埃
(つちぼこり)を巻き上げ、その炸裂の地響きは、辺りを揺るがすほどですた。これは明らかに戦時国際法違反です。
 本日の祭典には、多くの民間人がおりました。此処にお集りの方々は、大半が民間人で女子供の他に、お年寄りも含まれており、紛
(まぎ)れもなく非戦闘員です。この頭上に爆弾を投下したと言うこの事実は、戦時と雖(いえど)も国際法に違反しております。理不尽と言う他ありません」指弾するように言い放った。
 更に言葉を繋いで、「しかしです。不埒
(ふらち)、理不尽な、その空からの敵に断固立ち向かい、遂に敵機を強制着陸させて、捕らえた三人の勇敢なる女性達がおりました。夕鶴隊の三人のうら若き乙女達です。銃後の前に出て、彼女達は勇戦ぶりを目の当たりにしてくれました。いまだに大和撫子、健在なり!……。
 放送席には、この現場を実際に見てきた、捜索隊指揮官の安達憲兵曹長に来て頂いております。そのときの模様を詳しく、お聞かせ願えませんか」アナウンサーは興奮気味に哀願した。
 安達憲兵曹長は何者かの画策で、放送席の前に引きずり出されていた。
 そして二機の九七式輸送機の搭乗員も降下員も、ラジオに耳を澄ませて釘付けになり、上空で旋回して、機内待機状態を保っていた。

 これまで以上に、全国にラジオを普及させる……。沢田次郎の案であった。
 このために沢田は、零細を中小企業のラジオ組み立て工場などに補助金を給付してラジオ生産を増強させ、それによる価格の低下も実行させた。この結果、一般家庭のラジオ所持と普及率は殖えた。また、電気の通っていない地域には送電作業を急がせた。特に東北地方には力を入れて担当者に厳命した。
 沢田は東北地方がこれまで如何に虐げられて来たか、明治維新以来の過去の歴史から知っていた。
 戊辰戦争では、この地域の諸藩
(長岡藩、会津藩)は徳川宗家の恩を忘れず、官軍と戦った。そのために明治新政府の東北諸藩への蔑視は酷いものであった。搾れる取れだけ搾った。
 旧津軽藩士らには、危険の大きい北海道の沿岸警備に当たらせた。また明治35年1月には、日露戦争に備えて、歩兵第五聯隊に無謀極まる八甲田山行軍を遣らせた。更には旅順攻撃や満蒙開拓団は、この地方から強制的に選抜し、凍土の大地に送り込んだ。そして、この度に大東亜戦争。常に東北地方の若者達を最前線の矢面に立たせたのである。
 振り返れば、昭和の歴史の幕開けは、悲惨なる状況から始まった。冷害よる東北地方の打撃。それに追い打ちを掛けた金融恐慌。そして火山の噴火など、昭和の幕開けは暗い歴史で始まった。
 東北地方の山間部ではフェーン現象が起こり易い。颪
(おろし)の一種である。そのため民衆は貧困である。
 東北住民の大半は泣くような暮らしの中で、その聲
(こえ)は広域に渡り、無慙(むざん)に鯨波(げいは)に埋もれていた。この聲を、沢田は大いに利用しなければならと考えていた。ラジオ普及は、民衆を味方に付ける唯一の啓蒙手段であったのである。

 さて、無事帰還した三人である。
 高射機関砲搭載の武装四起は徐行で、ゆっくりと会場内に入って来た。停止して、彼女らが降りると、この武装車輛は整備班に任された。整備班員らが取りつき、整備工場へと動かして行った。
 三人は些か黒煙を浴びたせいか、貌が煤
(すす)け、飛び散った火花で軍服の至る所も穴が空き、焦げていた。それだけ烈しさを物語っていた。押し返した白の木綿ブラウスの襟(えり)も、煤煙(ばいえん)で汚れていた。
 しかし五体に、何ら支障はなかったが、煤煙でくすんだ姿は名誉の負傷兵のような恰好であった。その三人に会場から大きな拍手と声援が巻き起こっていた。
 降車後、一同は整列し、会場に向かって敬礼した。再び拍手が湧き起こった。
 「只今、無事に還って参りました」砲撃指揮官の中川和津子が用意されたマイクロフォンに向かって、透き通るような聲で生還の挨拶をした。彼女の一声が、一瞬静寂になった会場に凛
(りん)と冴え、響き渡った。
 荒らしのような拍手の中を、三人は静々と引き揚げて行った。それは少しばかり重い足取りであった。
 引き揚げる途中、谷久留美が走り寄って来て、三人にそれぞれ手拭を渡し、黒煙で煤けた貌でも拭いたらという意味であろう。そして、「ご苦労さま。アン先生がお呼びですよ」と意味ありげに言った。
 「さて、行くか……」
 それは《勝手に動かしたのだから、叱られに行くか》という意味で、良子が吐露した。
 「そうね」和津子が相槌
(あいづち)を打った。そして二人は、貌を見合わせて苦笑した。
 これから、お目玉を喰らいに行くのである。しかし何処となく、すっきりとした貌をしていた。それを見て佳奈の貌からも笑みがこぼれた。

 良子
(ながこ)に仕える侍女官の佳奈は、自分の主人(良子)と和津子が親友の間柄であることは知ってる。
 京都から東京に出て来た時に、二人は知り合い、それ以来の友人関係を保っている。親友と言っていい。
 時々意見が食い違って烈しい口喧嘩をやらかすが、その際、反目し合っても、仲違いは長続きしない。いつしか元に戻っている。
 佳奈は良子の性格を知っている。七歳の折りから話し相手として京都の鷹司邸に呼ばれて以来、ほぼ把握しているつもりであった。良子は普段は大人しい淑女のような、お行儀のよさがありながら、突如、夜叉
(やしゃ)のように猛々しく、狂ってしまうところがある。仕える主人のことはある程度、把握しているのだが、和津子のことがよく分らなかった。そして二人は親友と言うより、心友であるかも知れない。佳奈はそう思うのである。
 中川和津子は華族の男爵家に生まれながら、徹底した反戦主義者である。そのうえ何だか掴みどころのないところがあった。華族の反逆児のようなところがあった。その反逆児は、時として無政府主義者のような発言をしたりする。それだけに、彼女は分り難い人物であった。
 特に今日のような、突然猛り狂ったことを平気で遣ったりするのは、何とも理解に苦しむところであった。
 自分では平和主義者と言いながら、時には暴力も辞さないのである。

 和津子の果たした役割は大きかった。米海軍の偵察機『ダック』が顕われ、爆弾を一発見舞われ、それに義憤で怒り立てて、敵機を追撃したとしても、和津子と言う砲撃指揮官がいなかったら、果たして敵機は強制着陸に応じたのだろうかと、佳奈は思うのである。
 砲撃指揮官が的確な判断をし、車輛の進路方向と砲撃角度を示したから、強制着陸が適
(かな)ったと思うのである。そもそも九八式20mm高射機関砲を搭載した武装四起改造車輛は四人で操作する。
 ところが今日の場合、高射機関砲には角度修正をする側角手が欠けていた。その側角手が島崎ゆりだった。
 そのゆりが、本日のメインの空中陣形で降下要員として出るため欠けていた。その欠けた分を、和津子が行ったのである。更に砲撃指揮官としての和津子の判断は的確であった。

 和津子は、佳奈にしてみれば、やはり掴みどころのない人物であった。これまでを検
(み)てきて、課せられた任務は、よく出来るかと言えば、それほどでもなく、またそれ以外に、何か目的をもって行動しているのかと言うと、それも釈然としない。それは佳奈が、彼女ら二人に比べて、六歳も年少と言うことにもよろう。
 休暇のときなど、和津子はよく読書に耽っているが、読んでいる本と言えば、原文のアメリカの歴史であったり、フランス文学の恋愛小説などを原文で読んでいる。任務については、命じられれば的確に、自適判断で処理する能力を持っているが、週に一度の休暇の日も、一日中のんびりと読書に興じているのである。
 そうかといって、和津子には不思議な人徳があった。暢気屋
(のんき‐や)のようなところがあって、“いざ”というとき人間に重味という篤実(とくじつ)さがある。それだけに、貴族の令嬢としての威厳すら漂わせる事がある。実に不思議な娘であった。その不思議に、良子も友として惹(ひ)かれるのかも知れない。佳奈は二人の横顔から、そう思ったのである。


 ─────この放送が中継される10分ほど前のことである。米海軍『ダック』搭乗員は逮捕され、一般尋問は終了していた。
 三羽鴉が角を付き合わせて謀議していた。即決審議である。爆弾投下事件をどう扱うかであった。
 「これを徹底的に利用しましょう、またとないチャンスです」沢田次郎が断言するように言った。沢田は一旦情熱の取り憑かれたら、一本道を進む漢である。“この種の物”は工作の仕方で幾らでも流れが変わることを知り抜いている。
 戦争では勝利する越したことはないが、戦争は政治折衝の延長であるから、この段取りを踏んで変化を齎すことも大事である。したがって徹底的に滅ぼす戦を臨んではならず、また死闘だけに興じていてもならない。

 「しかし沢田君。この場合は秘密保持が優先するのでは?……」来栖恒雄が慎重論を述べた。この漢は性格は地味で、決して浮ついた考えでは動かない。それだけに慎重の物事を考える。彼は腕を組んで渋い貌をしていた。
 「どう利用します?」
 だが鷹司友悳
(とものり)は、沢田の考えを聴いてきたいと思った。沢田には先きを読む炯眼(けいがん)があるからだ。それに考えることが恐ろしい。何処かに毒を含んだところがあった。毒薬のような処方箋を持っている。即効性がある。最短距離で、物事に決着を付ける能力も持っている。
 「来栖さん。秘密はやがて洩れるもの。保持、保持と言いながら秘密情報ほど外に流出して行くもの。
 この際、漏洩を逆利用して、この事件を宣伝をすることもプロパガンダ戦略にはなりましょう。打って付けです。この種の物は、暫く大いに話題になりますからね」沢田は利用する腹を崩さない。上手く利用すれば、これまでの不手際から起こった状況悪化の挽回にもなる。
 「よく分りました。これを内外に向けて大いに利用し、美談仕立てに致しましょう」鷹司は沢田の意図を見抜いていた。プロパガンダの工作の大きさを知っていた。この種の物は、やがて一人歩きし、尾鰭
(おひれ)がついて二重三重に相乗効果が生まれるからだ。
 鷹司友悳は独逸駐在武官補佐官であったとき、ナチス独逸の宣伝相・ゲッペルス博士の国民操縦法を見てきているからである。宣伝相としての才能はナチス独逸を、全ドイツ国民に、最も効率よく効果的に啓蒙したことであった。啓蒙効果が如何に大きいかをよく熟知していた。それだけに沢田の考え方の同調ないわけにはいかなかった。国民を味方に付けることこそ急務であったのである。

 「しかし、大丈夫か、鷹司さん?」来栖は不信そうに訊く。彼には未だに引っ掛かるものがあったからだ。
 「どういう意味だ?」鷹司が怪訝
(けげん)そうに訊き返した。
 来栖が言い終わる前に沢田が制した。総てを言わすと、鷹司の心がぐらつくことを知っていたからだ。
 「構いませんよ、来栖さん。優先順を考えて下さい。だいたい、あのような行動に趨
(はし)るのは、義憤に燃えて『義によって』というやつですよ。日本人好みです。この浪花節を、この際利用して、彼女らを時の人にする。願ってもない幸運が、向こうの方から転がり込んだようなものです」
 「君は相変わらずクールなことを考える漢だなァ。それで面白い絵を描くと言うことか」と来栖。
 「チャンスは、向こうから遣って来るのを俟つのでなく、こちらから作るのですよ」
 それは誇大も含めて、喧伝
(けんでん)すると言う意味であった。更に第三者に言わせれば信憑性は増すと言うものであった。

 「米海軍の搭乗員を尋問しましたか?」
 「即座に、彼らの身許
(みもと)は総て調べました。パイロットはロバート・ネルソン中尉23歳。銃手はアンディー・ブルックス上級上等兵曹21歳。そして問題の航法員はスティーブ・ライアン大尉29歳。
 彼らは何れもカレッジ卒業者以上の志願兵です。ただライアン大尉はハーバード出身です。
 志願前は『ニューヨーク・タイムズ』のカメラマンでした。おそらく志願目的は、表向きは従軍カメラマンということでしょう。しかし、わが情報網で裏を取ったところ、実際のところはおそらく“戦場カメラマン”でしょう。そして、彼が言い張るのは、爆弾投下は誤爆と力説していることです」
 「誤爆ですか?……、民間人が混じっている中でですか。それも女子供が集まっているところで?……」上空からでも、それは見えるのではないかという言い分である。
 これは戦時国際法で言えば、明らかに違反ではないのかと怪訝そうにいう鷹司。非戦闘員に向けての無差別攻撃は、明らかに戦時国際法違反なのである。
 戦闘状態にある対戦国であっても、非戦闘員を殺傷の対象にすることは国際法では禁止されていた。戦時国際法と言うものがあった。しかしこれらは完全に無視されていた。無視されて無慙
(むざん)に猟られた民間人・非戦闘員は多い。東洋人の、それも日本人に対する先入観的憎悪は、当時の欧米人には、今日では考えられないくらい烈しいもので、蔑視も甚だしいものがあった。

 戦後のハリウッド映画の中には、ナチス独逸なみに日本人を憎悪する映画があるが、最初から日本人を、その対象にして作られたものであるからだ。要するに「イエローモンキー」である。彼らが最も蔑視すべき対象であった。近年も日本の文化などを対象にして“日本映画”擬きを米国人が創作しているが、例えばアメリカ人作家のアーサー・ゴールデン
(英語版)による小説『SAYURI(さゆり)』を原作としたスピルバーグ作品の映画化である。
 映画の内容は1927年に起こった世界恐慌によって、貧しい漁村の九歳の少女、千代が京都・祇園を模した架空の町の花街の置屋に売られ、厳しい生活を描いている。既に間違いは、祇園の芸者は「売られてなる」と言う仕組みにはなっていない。

 また、主要な女性キャラクターを、すべて非日本人が演じていることである。芸者役の綺麗処は、中国などのアジア系の女優が独占し、まさに、ヒロイン総取りである。日本人はその引き立て役として適用されているくらいである。何か意図的であることを思わせる。そして滑稽なのは、しんみりとしたい場面で、祭囃子のような派手目の曲が鳴ったりなど、実にちぐはぐな印象である。日本人を愚弄している観すらある。
 よくも親日家と言ったものである。
 そもそもこうしたところにも、日本人に対するナチス独逸並みの偏見がある。親日家と言うのは、明らかに自称だろう。非常に解
(げ)せぬところがある。スピルバーグ作品をよく見ると、作品の何処かしこに不可解な理解に苦しむ「解せぬ」ところがある。
 アメリカ系ユダヤ人のスティーヴン・アラン・スピルバーグ作品のユニバーサル映画には、ドイツ兵の大量抹殺のシーンが多く描かれている。
 例えば『インディ・ジョーンズ』シリーズには、独逸軍を「畜鬼」として描きだし、片っ端から葬り去る。
 娯楽映画としては痛快だが、もしあれが、独逸と同盟国だった日本軍だったらと考えれば、この活劇も痛快さも半減する。またスピルバーグは親日家というが、果たしてどうか。単に日本人を意識してのポーズにも思える。八方美人的ポーズである。しかし欧州人は、日本人に比べれば未
(ま)だいい。白人扱いしている。

 しかし日本人はその限りでない。イエローモンキーは恐ろしい生き物であるとも定義付けた。米国は黄色い猿を恐れたのである。大東亜戦争後、GHQ
General Headquarters/日本を占領した連合国軍総司令部)は日本人を骨抜きにするために、戦争を永久に放棄させる目的で「第九条」を押し付けた。
 だが、押し付けられた非自主的な憲法であれば、本来は出来るだけ早く改正して、日本人独特の憲法を創ろうとするのが当り前である。同じ同盟国だった独逸は、先の大戦で敗戦国にも関わらず、幾度のなく憲法改正を行い、自国の時流に適合するように努めて来た。
 ところが、戦後日本人はアメリカから押し付けられた憲法を有難く、金科玉条のように押し頂き、憲法改正を唱える者を軍国主義者、破壊主義者などと糾弾して非国民視してきたのである。
 もうこれ自体で、日本人は人間ではなく、猿であるということを認めたことになり、戦勝国が押し付けるというこういは「動物を管理する」というのと同義であった。

 動物の本能で日本人は動いているという日本人蔑視が働いている。ところが現代日本人は、この深層部に隠れた本当の意図が見抜けない。なぜ型に嵌めようとするか、その意図が見抜けない。それは戦争後遺症もあるからだろう。しかし、その後遺症は集団催眠術に掛かった暗示から来るものである。
 猿や鶏など、集団生活を送っている動物に、しばしば同じような現象が見られる。
 生物学的には、“突っつきの順位”とか、弱肉強食からくる“マウンティング的序列”というのがあって、特にニホンザルの場合は顕著である。これらの順位とか序列と言うのは、優位の鶏が解の鶏を嘴
(くちばし)で突っつくという生物現象である。このように下位の鶏は上位の鶏から突つかれれば、これを遣り返すことが出来なくなる。これは鶏の集団内で順位序列が決定してしまったからである。これが決定されると、なかなか以降は突き崩すことは出来なくなる。猿でも同じだろう。
 ニホンザルの世界でも、は社会的順位を確認するために上位のものが下位のものに対しても行う行為に、マウンティング
(mounting)なるものがある。

 それは「押し付け」というもので、“突っつきの順位”とか“マウンティング的序列”というもので、この暗示に掛かってしまえば半永久的に抜け出せなくなってしまう。腕力では覆せないものである。特に階級社会では顕著であり、国際秩序の中では更に明確であり、新世界秩序という“枠型”は絶対的なものになって、この枠に嵌められると、日本人を含む普通に市民は、永久に人権が奪われた状態に置かれることになる。それは無意識に「奴隷化」であった。そして、このような秩序が確立されると、抜け出せない集団催眠術に掛かることである。
 今日、戦後七十年以上も経ちながら、日本人は米国押し付け憲法のジレンマ
(dilemma)から一歩も抜け出していないのである。永久板挟みの構造が今日の日本社会である。その未来像は、おおよそ検討がつこう。この確立は、新世界秩序内の強大な軍隊と内部警察機構により厳重に管理監督され、この監視下では、まず市民による改革は絶望的になる。
 斯
(か)くして、国民は知的順に階級化され、能力別に機能化され、その他大勢の一般大衆は家畜化されるだろう。現に、この家畜化構造に、企業や資本家に奉仕する「社畜」という人種がいるではないか。

 「戦争において、誤爆は必ず一定比率で発生するものです。またそのように認識されています。誤爆をゼロにするのなら、戦争自体を遣らないことです。ゼロが絶対的要件ならば……です」
 「しかし、この日に限ってということがあるだろうか。何で、ただ一機だけ飛んで来て、この日に限り」と腕組みをしたまま来栖は、このことが実に妙なことだと怪訝そうにしていた。また、この日に限りと言うことは『ダック』搭乗員に出撃命令を出した者も、この日の祭典を知っていたことになる。
 あるいはスティーブ・ライアン大尉自身が、この情報を知り得る入手ルートを掴んでいたと言うことか。
 そういう懸念で来栖は、このこと自体を訝
(いぶか)しく思ったのである。

 日本列島は狭く、然
(しか)も、人間も施設もびっしり詰まっている。標的(戦闘員)に命中すればよし。
 仮に標的を外し、民間人に当たっても、誤爆で済まされる。この場合、戦闘員は夕鶴隊員をはじめ陸海軍の将兵だが、その一方で、この日の祭典は一般人にも公開していたのであるから、彼らはまさしく非戦闘員であり、女子供老人も混じっていた。それなのに、スティーブ・ライアン大尉は誤爆であったと言う。担当部署は偵察や誘導の技術を身につけた航法員である。この航法員は、そもそも何を偵察し、誰を誘導したかったのであろうか。また『ダック』の内陸部侵入は、何かの意図があってのことであったのだろうか。
 例えば、習志野や佐倉を狙って、それが手前に墜ちたり、更に奥の内陸部に墜ちたとしても、日本列島は狭い。また東京湾を囲んで、一帯は都市構造を持っている。仮に、東京に威力の大きいな新型爆弾を東京ではなくその手前であったら、それでも東京は無傷と言えたのであろうか。
 沢田次郎は、これを「試している」と検
(み)たのである。そう考えると、何もかもが辻褄が合って来る。

 「上空からは、どこに民間人がいるのか、あるいは非戦闘員が誰なのか、分りはしませんよ。何処に誰が紛れ込んでいるなどは最初から考えてもいないし、見えてもいない。その場に民間人が居たとしても、カメラマンの心理で言えば、誰がどうなろうと全く考えていない。ただ考えているのは一大スクープだけです。それを承知の上で、ただ一機内陸まで乗り込んで来て、上空から何かを試したという事が考えられます」
 「では、航法員はのスティーブ・ライアン大尉は、彼自ら爆弾投下のレバーを引いてそれを試した、あるいは試したかったということですか」
 「多分にあります」
 「では、なぜ試すのです?」
 「上空から、日本の猿でも撮影したかったんではないでしょうか」
 「なに猿だと?!」
 「そうですよ、来栖さんはウエストポイント留学当時、日本人がどのように見られていたか、薄々感じていたのではありませんか」
 「そういえば思い当たる。不愉快な言葉だった。日米開戦前のことだが、フランクリン・デラノ・ルーズヴェルトは日本人のことを『中国人が猿をレイプして生まれた半人間が日本人だ』などと言っていることを、かの国の巷
(ちまた)で聴いたことがある」
 「私もイギリスに住んでいた頃、英国首相ウィンストン・S・チャーチルも同様なことを言っていたことを聴きましたよ」
 「何と言うことを!……。ヒトラーはそこまでの侮蔑は日本人にはしなかった」
 「つまり、深層部にはユダヤ人を見るような眼が、白人社会にはあると言うことですよ。そういう思い込みが今以てある。ルーズヴェルトの意図が何であるか泛
(うか)び上がってきませんか。彼は戦争だけでなく、日本人を根絶やしにしたかった……これで、日米開戦の裏が見えて来るではありませんか」
 沢田は二次元平面的な発想はしない。戦略的な思考で作用と反作用の関係を裏の裏まで読んで多次元的な発想をする。それだけに発言には人を射竦
(い‐すく)めるものがあった。しかし威嚇や恫喝(どうかつ)の類(たぐい)ではない。何か強い期待を抱かせる射竦め方であった。
 「君はそこまで読んでいたのか」来栖が驚愕したように訊いた。
 「しかし、ルーズヴェルトを影で動かしているのは別のところにいます」静かだが裂帛
(れっぱく)した気合いが裡に秘めていた。
 「つまり、石油を牛耳る国際経済資本
(メジャーズ)ということか……」そして鷹司が合点がいったように相槌を打った。
 「お気付きになりましたか」
 沢田次郎は鷹司友悳の人となりを検
(み)た。彼をどう判断するかを検た。その検た結果で、鷹司が一致の次善を取るか、不一致の最善を取るかで、そこが「将の将たる器」か「兵の将たる器」かの別れ目となる。鷹司は奥の奥までを読んだようである。

 これで話が文句なしに即決した。何事も、滑るように上手く行くとは期待してなかったものの、人は、如何なるものにも自尊心があり、これを多少でも傷付けられると敢然と立ち上がるようだ。
 斯くして実況放送は、誇大とまではいかないまでも、煽りに煽る、またとない宣伝媒体になったのである。
 日本中が湧き立つような『忠臣蔵』擬きに演出しなければならないと沢田は思った。そのためには演出が必要であった。
 あたかも元禄15年
(1703)12月14日の赤穂義士の吉良邸打ち入を事件を、並木千柳(宗輔)らの合作によって、浄瑠璃・歌舞伎狂言に引き合いに出し、『仮名手本忠臣蔵』に仕立てたようにである。
 プロパガンダ戦略は「義」を表に打ち出して宣伝することである。
 爆弾投下に当り、夕鶴隊の三人が行動を起こし、そこ実行者を追跡、反撃してし、遂には強制着陸させて、そのうえ炎上爆発寸前のところを扶
(たす)けたというこの事件を、上手に料理して演出し、美談仕立てにしなければならなかった。
 ちなみに日本の敗戦後のことだが、米国婦人部隊の女性将校らは、捕虜になった日本兵の前で平気で素っ裸になり衣服を着替えたという。つまり当時のアメリカ人からすれば、日本人は人間ではなく猿であるから、少しも羞恥心など覚える対象ではなかったのである。これも時代に、人間が操作された見下しと侮蔑意識の顕われであったのだろうか。

 三羽鴉のうち、計画の大枠を定めるのは鷹司友悳
(とものり)である。その大枠を相談役の来栖恒雄が運営上の諸問題について適当な助言または調停などを行う。こうして出来上がった大枠を、緻密に実行して行くのが沢田次郎である。計画案を実行して、その動きは他社には真似の出来ない暗躍と謂う行動で『要視察人』として細部にわたり潤滑油の役割を負うのである。つまり暗躍する軍師である。智将が行う実践である。その異能ぶりが沢田次郎にはあった。要視察人として権力者に恐れられる存在である。

 時は昭和19年7月半ばである。戦局は悪化の一途にあった。挽回は不可能に近い状態になっていた。
 そしてこの年に入ると本土決戦が意識され、国を挙げて“一億火の玉”の滅びの美学へ傾いていた。
 従来は満20歳が徴兵適齢期であったが、これが満17歳に引き下げられた。女子の学徒動員も14歳に引き下げられて軍需工場などで勤労を強要された。総て戦局の退化に伴うものであった。戦闘要員の不足と、消耗品としての命を補うための非常措置であった。そのために老兵と言う60歳を越えた老人も徴兵されたし、身体障害者にも軍服を着せるという事態が生じていた。もはや日本の軍隊は、人的資源が底を突き、こうした高齢者や不具の者まで徴用していたのである。戦争を長引かせた、負け戦の成れの果てであった。
 海軍は事実上連合艦隊を失い、陸軍は高齢者や身体障害者まで服役を強いていたのである。
 そして本土決戦を『決号作戦』と称した。この作戦には陸海軍合わせて240万人以上を大動員する計画になっていた。これは内地だけであり、更らに拡大して大陸や半島に散らばっている将兵も掻き集め、その方面からも兵員や軍需品を内地に向けて転用しようとしていたのである。

 満洲事変以来、既に十五年に亘る長き戦争を続けており、更に240万以上を動員するとなれば、日本人の青壮年層ならびに老年層は根刮ぎ動員することになり、子供を含めてそういう弱年者にまで軍服を着せて俄仕込みの兵隊に仕立て上げようとしていたのである。
 さて、240万と言う数字である。
 この数字を思えば、強大な軍隊をイメージするが、それはあくまで錯覚に過ぎない。
 戦国時代の合戦ならば戦闘人員の頭数は大きな要素となる。だが近代戦においては、頭数より兵備であり、また兵の訓練の質が物を言う。この条件が整ったうえで、はじめて兵員数が問題になるのである。このことを戦争指導者は机上の空論で安易なる誤算を冒していたのである。
 これこそ、日本は亡国に向かって驀進していたといえよう。ここまで根絶やしにしては、終結後の不平等降伏に対して、レジスタンスすら企てることが出来なくなるのである。フランスにおいてのレジスタンス運動はD‐Day
【註】戦略上重要な攻撃もしくは作戦開始日時を表す米国の軍事用語。Dには日付を指すと言うが諸説あり)に向けてナチス独逸を逆転しつつあったのである。


 ─────『黎明の祭典』と銘を打った夕鶴儀仗隊のお披露目には、とんだハプニングが起こっていた。
 願ってもないプロパガンダ戦略に打ってつけの材料が転がり込んで来た。これを内外に向けて大々的に放送すれば面白い結果が顕われるだろう。
 打たせて取る。叩かせて義の構造を作る。これこそ喧嘩の仕方であり、大衆を味方に付ける方法である。そして助っ人にも「義」が生まれる。
 義によって助太刀申す……。日本人の十八番
(おはこ)で、日本人が最も情熱を燃やす構図であった。
 大東亜戦争は無謀な戦争ではなかった。この戦争を指導した戦争指導者がみな揃いも揃って凡将であった。山本五十六をはじめとする凡将どもはみな無能だった。無能なるが証拠に、凡将どもには戦争目的が不在だったのである。ただ事変と言う、事件を起こしたいだけであった。戦争を事件扱いしては勝てる訳がない。
 そして蒋介石が指摘する「己を知らす敵を知らず」であった。更に島国人特有の“縄張り意識”であった。
 この縄張り意識の中に陸軍の日本、海軍の日本があり、日本の陸海軍ではなかった。日本不在の陸海軍であった。この狭窄的縄張り意識は、今日でも警察と自衛隊の関係にあり、また海上保安庁と海上自衛隊の中にもある。最初から考え方や思想が分裂しているのである。

 この教訓として、当時の陸海軍の足並み不揃いは、第二次世界大戦が勃発する前の独仏関係の「フランスの構図」によく似ている。開戦前、仏蘭西
(フランス)の軍事力は独逸軍のそれを数段も上回っていた。格段も上と言ってよかった。しかし軍事力も性能も独逸軍より遥かに上回っていながら、意見が分裂して方針が纏まらなかった。
 当時の仏蘭西は統一性を失い、各部署は縄張りを主張したため、独逸軍と電撃作戦に敗れた。そのため仏蘭西国土はあッという間に席巻され、国土の喪失に追い込まれたのである。
 そして国土の奪還に立ち上がったのは、政府軍ではなく、労働者や農民などで組織された非正規軍のパルチザン
(partisan)であった。抵抗運動を企てたのは、仏蘭西レジスタンスであり、対独抵抗運動により仏蘭西は国土を奪還で来たのである。
 しかし日本においては占領軍に蹂躙
(じゅうりん)されながらも、日本レジスタンスは起こらなかった。それぞれに考え方や意見があり、抵抗運動の一本化が出来なかったからである。
 この「一本化出来なかった」という事実は、日本近隣諸国に大きな吉報を齎していると言えよう。特に半島においては、例えば北朝鮮においては書記長の意志に対して一枚岩であるのに対し、自衛隊は有事の際に政府や警察、海上保安庁に足を引っ張られているという実情である。ここまで分裂していては、かつてフランスが独逸に電撃作戦であッという間に国土を蹂躙された構図に酷似するといえよう。
 もし北朝鮮が朝鮮半島の統一を果たせば、日本列島を征服する可能性は、日本の“仲間割れ構造”みても充分にあるといえよう。

 話を戻して、先の大戦の無謀論に焦点を当ててみよう。
 大東亜戦争無謀論には、米国の工業生産力を論
(あげつら)い、また超大国視するところから、これに挑戦したことが無謀だと言う意見が圧倒的である。しかし、これでは答えにならない。
 それなら、米国が大国であるということを知らない日本人が、戦前には日本人が一人でもいただろうか。
 当時の日本人は、米国が大国であることも、日本以上に物質文明が発達していることも、ペリーの砲艦外交の時から熟知していた。嘉永六年
(1853年7月)六月以来、日本には拝米・恐米の空気が漲(みなぎ)り、問題点を挙げるなら、この方であろう。だが一方で、巨大な敵に立ち向かうのも日本人の最も好むところで、誰が観ても勝てない戦いに挑んだ例は幾らでもある。小能(よ)く大を制す。これこそが日本流戦争法の極意であった。背景には、神風が吹くことを知っていたからである。

 例を挙げれば、源義経の鵯越え、楠木正成の千早城、織田信長の桶狭間。更には赤穂浪士の吉良邸に打ちいった四十七士の忠臣蔵。どれも日本人好みである。何れも、比較を絶する大敵に圧勝した例である。そして勝利は誰が見ても、予想的には勝てる筈がなく、競馬でいえば超大穴である。この超大穴に賭
(か)ける者は殆ど居ないであろう。
 それでも予想外の超大穴現象が起こった。その点からいえば、日本海海戦も超大穴現象と言えよう。
 こう言う戦例は無謀と言わず、むしろ名将の知的戦略的規範的戦術を絶賛したからに他ならなかった。そのうえ、小兵力が大敵を敗るこの書の構図に、日本人は異常な情熱を燃やすのである。
 沢田次郎は、これを“願ってもないチャンス”と検
(み)た。おまけに安達憲兵曹長まで、この状況を間近で見た証人として、放送席上に送り込んでしまったのである。

 「安達曹長にお窺い致します。米海軍機を強制着陸命令に遵わせて着陸に導いたのは誰ですか」
 「自分の知る限りでは、夕鶴隊の婦人隊員であると確認しております」
 「では夕鶴隊の婦人隊員はどなた達だったんでしょう?」
 「詳しくは存じませんが、鷹司候補生、中川候補生、室瀬候補生の三人で、名前を存じているのはそこまでです」
 「その三名の婦人隊員の方々は、どういう行動をとったのでしょう?」
 「自分が敵機来襲の報を聞き、捜索隊編制を命じられたのは、当聯隊上空に未確認飛行物体が顕われた以降のことです。そこで急行し、駆けつけた時には爆弾投下がなされていました。急行する途中、爆弾炸裂の大音響を聴きました。そして聯隊練兵場に駆けつけた時には、上空で、米海軍機と武装車との一騎打ちが始まっていました」
 「それを詳しく、お話しして頂ければ」
 「自分は、こういう奇妙なというか、こういう地対空の凄まじい激突というか、一騎打ちと言うのは、見るのが初めてなんです。ただ唖然とするばかりでした」
 「いま手元に廻された情報によりますと、九八式20mm高射機関砲を搭載した『改造型武装四起』を運転していたのは鷹司良子候補生、砲手は室瀬佳奈候補生、そして砲撃指揮官は中川和津子候補生となっておりますが。この三名の女性隊員だったのでしょうか?」
 「その通りです」
 「まず、航空機対武装車輛の一騎打ちの模様をお聞かせ願えませんか」
 「米海軍機『グラマン・ダック』の武装はこの日、45kg爆弾を二個を抱え、更に7.62mmのブローニング旋回機関銃を後部に武装していました。複葉機では実戦配備されているだけに、索敵や偵察に勝れた機能を持っています。また上空では敵機と遭遇した場合ですが、戦闘機を除く、例えば輸送機の場合には後部の旋回機関銃が大きな威力を発揮します。そして爆弾投下は一発だけであり、このとき未だもう一発抱え込んでいたのです。この一発を残して、武装車輛と一騎打ちを試みたのかも知れません」
 「その詳細をお聞かせ下さい」
 「敵機は急降下から水平の体勢を執
(と)りました。一方、武装車輛も驀地(まっしぐら)に敵機と激突するような凄まじさで突っ込んで行きました。敵機は水平飛行を整え、真っ直ぐに『改造型武装四起』に向かって来ました。これは戦闘機ならば機銃掃射体勢です。それはあたかも猛禽(もうきん)が、か弱き野のウサギを猟るような体勢でした」証言者は、か弱き野のウサギが猛禽に猟られる惨事を強調して、ここで一先ず言葉を切ったのである。大いなる心理効果で、視聴者はその先が聴きたいと釘付けになる間合を計ったのである。おそらくそれを沢田次郎から言い含められていたのであろう。沢田子飼の憲兵であった。
 「それで、どうなりました?」《ウサギはどうなりました?》と同義である。ウサギと言う表現が気に掛かるのである。
 憲兵曹長は直ぐに答えず、額の汗を手の甲で拭いながら、少しばかり勿体をつけて、生々しい生死の臨場感を植え付けて、言葉を選びながら喋っているのである。知能的と言えた。沢田次郎の子飼の部下なのだろう。
 「敵機の水平飛行に対し、武装四起は怯みもせず体当たり体勢から高射機関砲を発砲しました。これは威嚇の意味も含まれていたのでしょう。砲弾は敵機の翼を掠めただけでした」
 「敵機は、上手く逃れたということでしょうか?」
 「そうです」
 「そして、どうなりました?」
 「敵もさるもの……」
 「どういう意味です?」
 「再び猛禽の如く襲い掛かって来たのです。再び上昇し、180度の弧を描いて旋回し、一旦高度を上げ、その位置から急降下して一回目の襲撃と同じように、二回目も凄じい勢いで襲い掛かりました」
 また、ここで言葉を切ってしまったのである。奇妙な話術であった。じらすこと、甚だしかった。少しずつ話の中に取り込んで来る間合が絶妙であった。捲し立てる話術とは正反対に、ぼそぼそ語り、聴き手を話の中に取り込んで来るような『沈黙の話術』という術である。これにか掛かると、聴き手は、その先をもっともっととなって、落ち着かなくなってしまうのである。
 「その後は、どうなったのです?」
 「つまり、小能
(よ)く大を制の場面を想像して下さい。まさに、あれです。意志力のある方が勝ちます。
 芯
(しん)です。彼女達には芯があり、信念がブレかったのです。怯(ひる)みませんでした。それは勇敢と言うより、信じられないほどの強靭さを感じさせました。あたかも、錐(きり)を揉(も)み込むように……。
 こういう一騎打ちは、最初に怯んだ方が負けです。一方、敵の海軍機は、僅かに躱
(かわ)そうとした。これで勝負有りでした」
 安達曹長の辞
(ことば)はよく計算されていた。間の取り方が上手い。言葉を切るにも、その要所要所に、先入観に陥るポケットを用意していた。
 「どういう決着で終わったのです?」疑問を率直に訊いた。
 「今申し上げた通り、怯んだのです。それが方向を躱そうと言う行動に顕われた。そうなると、どうなるでしょう?」今度は逆に質問した。そして、じっくりと反応を検
(み)る。
 「ということは、その隙を突かれたということでしょうか」アナウンサーは世の大半が考えるようなことを訊いた。そこを“俟ってました”と待ち受けて、すかさず切り返すのである。これを「間の話術」という。媚術とか、問答術にある
 「敵機が方向を躱すのと、同時の刹那
(せつな)でした。高射機関砲から5発が連射されました。そのうちの1発か2発が敵機の左翼を掠(かす)め、翼の燃料タンクを撃ち抜いたのです。やがて黒煙を上げ、不時着せんばかりの状態に陥りました。エンジンに異常が起こり、火を吹くのも時間の問題でした。しかしそれ以上の攻撃は加えなかったのです。それは捕らえることを考えたからでしょう。最後に、警告弾を連射し、〈強制着陸セヨ〉という合図を送ったのです」
 「それに従わねば、どうなります?」怪訝そうに訊いた。
 「撃墜も已
(や)む無しです。しかし敵は強制着陸に応じ、着陸体勢に入るとき、大石や窪(くぼ)みなどの障害物で、大きく跳ね上げられ車輪軸が折れました。その後、機は滑るように、胴体着陸して何本かの樹木を薙(な)ぎ倒し、大木に激突して停止しました。機体から、物凄い黒煙が吹き上げていました。数秒後には発火して、爆発炎上するだろうと検(み)ました。しかしです……」
 「えッ!しかしとは?……」
 「自分は黒煙を噴き上げている敵機が、もう直、爆発することを予知していました。そこで退避のために大声で『爆発するぞ、機から早く離れろ!爆弾に誘発するぞ!』怒鳴りました。しかし……と謂うのは、その後のことです」
 「で?……」アナウンサーの話の術に懸かっていた。誘導した方に質問してくれるからである。こうなると反対の聲
(こえ)など挙がる筈がない。
 「普通は黒煙を吹いてもう直爆発するような物体には人間の心情として接近しないものです。しかしです。
 彼女達三人は、もう直爆発するであろう飛行機の中から負傷している米兵を扶
(たす)け出したのです。
 このとき一人だけは無傷でしたが、他二人は負傷して気絶しているものまでおりました。彼女ら三人と無傷の米兵一人の併せて四人が、負傷した二名を安全圏まで引き摺
(ず)り出し、無事、救助に成功したのです。
 その後、不時着機は炎上し、爆発しました。恐ろしい熱風と轟音が周辺を烈しく振動させ、その轟音が一瞬耳を聾
(ろう)するばかりでした。まさに間一髪でした」
 「美談ですね、彼女達は命を張ったのですね?」うっとりとしたような感想を洩らした。
 「しかしです……」
 「えッ?まだ“しかし”があるのですか」
 「本当の美談は此処からです」
 「その美談とは?」
 「自分は彼女たちの勇気に、心から感服致しました。そこで質問しをしたのです。なぜ、撃墜しなかったのかと、またどうして、わが身の危険を冒してまで、米兵を、爆発寸前の機内から助けたのかを……です」
 「すると、どう答えました?」
 「その中の隊員が謂うには、『敵は強制着陸命令に応じました。これは降参したからです。降参した人に、どうしてこれ以上、無用な仕打ちや、生命に危害を加える必要があのでしょうか」というのです。まさにその通りでした。更に、『降参した人に危害を加えることは戦時国際法に違反します。また武士道に外れます』というのです。自分はこれを聞いて、心がじんと熱くなりました。これこそ胸を張れる回答だと思いました。彼女らの態度が実に爽やかでした。そして自分は、サムライの娘である故郷の『娘子軍』と重なりました」
 「娘子軍?……」
 「自分は生まれは福島の会津若松です」
 「会津若松と言うと白虎隊ですね?」
 「いや、白虎隊だけではありません。むかし祖母から聴いた中野竹子の『娘子軍』と重なったのです」
 「中野竹子……、娘子軍……」
 「国難に当り、国を救う娘子軍です」
 憲兵曹長はそこまで話して言葉を切った。もう、何かが込み上げて来てこれ以上、話を続けられないという状態になっていた。
 「大変、いいお話でした。先ほどの爆弾投下事件に対し、捜索隊指揮官の安達憲兵曹長に放送席に来て頂きお話を聴かせて頂きました。まだまだ武士道日本は健在です。これこそ世界の誇るべき日本精神ではないでしょうか。わたしたち日本人は、もう一度心を点検して襟を糺
(ただ)したいものです。
 さて、皆さま。遠くの方から飛行機の爆音が聴こえて参りました。あれは間違いなく、今度こそ、わが友軍機です。日本の飛行機が近付いて参りました。陸軍輸送隊の九七式輸送機です」
 再び女性アナウンサーは興奮気味に実況を始めた。もう直、日没である。暮れ泥む空に、爆音も高らかに2機の九七式輸送機が近付いて来た。

 安達憲兵曹長にしてみれば、この女性アナウンサが「なぜ易々と敵がただ一機、内陸部まで侵入して来たのでしょう?」と訊かれれば、それに対しては「日本が制空圏を失ったからです」と回答せねばならず、この回答だけでも辛いものがある。あるいは言葉を濁しても、これは国民に対して逆効果であった。更に「迎撃する友軍機は何故飛ばない?」となる。そこを突かれれば身も蓋もない。
 この一言が、訊かれないだけでも幸運だったと言えよう。
 長広舌
(ちょうこうぜつ)になって、導かれるままに長々となっていたら、不意に、「なぜ?」が訊かれたかも知れない。もし、この事が訊かれていたら、回答如何で、沢田次郎の計画は、根底から崩れる結果を招いていたかも知れない。日本の、「未だに余裕がある」の化けの皮が剥がれるからである。張り子の虎の実情が分るからである。隠さねばならなかった。

 国防という意味においては、戦争状態にあってな日本全土を鉄壁の防衛態勢に整え、何処からも侵入を赦さないという防禦が出来ていなければならない。したがって戦争において、最も危険な二面作戦というのは取らないものである。つまり、攻めるか守るかである。一方だけを徹するのが戦争の仕方であり。これを両方遣るというのは兵力が二分化されて効果も中途半端に終わるからである。結局、二分の一で戦い負ける公算が大きくなる。
 しかし、機密情報などが漏洩して、鉄壁の防塁を潜り抜け、敵が内部に侵入して民間人に成り済まし、政治の奥の院に接近して、金・物・色で買収や、家族の脅しを懸けられれば靡
(なび)く高官も出て来る。こうなっては高官の中にも、命の固執するという自我が顕われ、我先にとなってビビり始めるのである。その結果、敵の要求を安易に呑むという事まで出てくる。例えば無条件降伏などの脅しである。敵に機密情報を握られ、国情が知れて好きなように掻き回される実情が派生すると、もう二面作戦どころか、三面作戦となり、それぞれの兵力は敵の三分の一になってしまうのである。情報戦は近来の戦いにおいて、侮れば甚大な被害が及ぶ事態を招くのである。
 この時代の国民は軍事情報に関して無智ではなかった。
 また市販されている雑誌にも『海軍報道』などの定期刊行物があり、これにより、当時の国民は武器の性能などについても、ある程度把握していたのである。中には長じた者がいて、戦前・戦中を通じてミリタリーマニアがいたからである。


 ─────なぜ、この種の事件をクローズアップして「話題」に取り上げるのだろうか。
 民主政治下というのは大衆の投ずる政治であり、これは人間が遣る政治のことである。したがって、民主政治の反対はと質問すると、多くは“軍国主義”と答える。しかし、民主主義デモクラシーの反対は軍国主義ではない。デモクラシーの反対は「シオクラシー」である。人間が遣る政治に対して、神が遣る政治、哲人が遣る政治をシオクラシーといい、この構図は“神でない人間”対“神に近い聖人あるいは哲人”である。
 デモクラシー下では、人間の格に関係なく身分に関係なく、被選挙人として政治家になることが出来る。言わばこの政治システム下では、政治形態がプレッシャー政治となる。政治家は人気投票の投票率で大きなプレッシャーを受けることになる。

 例えば農民の票で出た政治家はその圧力を受け、漁民の票も同じ、鉱業票
(炭坑・鉱山など)も企業票も同じである。宗教も各産業も同じである。更には当時は軍閥票というのがあった。狭いところでプレッシャーの乱立乱獲があるのが政治の基本構造は、つまりデモクラシーなのである。
 そして浮動票と言うのある。一時の「時の人気票」である。時の人に投ざれる票である。タレント票というものである。貌がブロマイドや銀幕で売れていれば、それだけで当選する。著名な作家である場合も人気候補になる。また、政治家が媚を売るのは古今も、この浮動票にである。ポピュリズム
(populism)に大いに動かされる人民主義である。

 戦争指導者は直截、国会壇上に立って政治的な発言をしなくとも、その役職だけで、当時は有名政治家並みに「時の人」であった。山本五十六などは、銀幕スター並みにブロマイドが売れていた。
 民主主義デモクラシー。人間がする政治。哲人でもなく聖人でもない、“並みの人間がする政治”をデモクラシーと言う。
 この浮動票に媚を売る政治形態を悪いとはいわないが、よい政治形態であるとも思われない。
 日米開戦前のルーズヴェルトがどうであったか、歴史を見れば一目瞭然となる。
 1933年当時のアメリカの景気は一進一退で、完全雇用はなされていなかった。達成には程遠かった。
 ルーズヴェルトはそういう経済下で政権を担当し、米国民の彼に対する不満は、実に大きかった。
 これに対して一方の独逸のヒトラー政権はどうであったか。ヒトラーは政権を担当すると、忽ち完全雇用を達成してしまった、また、この比較下において、ルーズヴェルトは国際経済資本を為すその走狗とも謂
(い)われる“ニューディーラー”を側近に置いた。ニューディーラーとは、アシュケナジー・ユダヤ人のことであり、セム族の血を受け継ぐ血縁の末裔ではなく、ユダヤ教改宗者のカザール人(紀元千年頃に改宗)である。

 アシュケナジム
(Ashkenazim)。つまり、ディアスポラ(離散)したユダヤ人のことである。
 彼らはユダヤ人を名乗り、中世以降はドイツ、更には東欧に移住した人達である。改宗後のその伝統や文化をそのまま受け継ぎ、職業としてはカトリック下では一番卑しいとされるが貸金業が与えられた。後に金融を一手に担ったためにナチス政権下ではホロコーストの対象となり、大半がその犠牲になった。
 アメリカではニューディーラーが中心となり、ルーズヴェルト政権下でニュー・ディール
(New Dea)政策を展開する。この政策は1926年10月に始まった暗黒の木曜日に始まった世界恐慌に由来する。
 1933年にルーズヴェルトは政権を担うと、失業者救済の大規模な公共事業や産業界への統制により経済復興を図り、のちには社会保障制度や労働者保護の制度改革を進めるなどをしたが、典型的なアメリカ資本主義には馴染まなかった。当時の保守的な人土の米国では、ニューディーラーは敬遠された。戦前の日本で言えば“アカ”という意味で、感覚的には嫌悪されら。
 更に、彼の画策は幾つかは最高裁の違憲判決により阻止された。そのため親ルーズヴェルト的な人物を殖やすために最高裁判事の定員を増やすなどの非常手段を用い、やっとのことで遂行可能という状態であった。
 ルーズヴェルトは不人気の大統領であった。そこで次ぎなる手が真珠湾を日本海軍に叩かせることであった。斯くして"Remember Pearl Harbor " が企てられたのである。
 デモクラシー下での人気投票とは、自国のその他大勢を如何に満足させ、浮動票を多く取り込むかという政治構造で動かされているのである。

 浮動票はプロパガンダ戦略において大きな意味と役割を持っているからである。言わば「浮動票の誘導」が可能であるからだ。毛沢東の「詭」と「詐」を考えれば明白となる。更に毛沢東は曹操を再評価したことにある。『三国志』の「魏書」に出て来る曹操の戦術と用兵を高く評価しつつ「事に応じて奇を設け、敵を譎
(あざむ)き、勝利を制するにあたっての変化は神そのものといってよかった」とあり、奇妙なことだが唯物論者が「神」という語を用いているところに注目したい。
 特に「奇を設け、敵を譎き」とはこの言葉の裏に、『孫子』がいう“藕糸”の部分を読み取っているからだ。この有機的な繋がりを「藕糸」と見てとり、これを「神」と表現したのであろう。そして藕糸を見抜く上で、更にその下に「人民」というものがって、毛沢東は人民主義によって兵を用いたといえるであろう。それが『三大規則』と『注意八項』であった。
 毛沢東は軍隊を学校に変え、人間改造という点に重点を置いて革命運動を展開したのである。これが民衆軽視の蒋介石と大いに異なっていた点である。民衆の意識改革を人民主義を通じて行い、これを軍隊に取り入れたことであった。
 日本では、戦前・戦中、ここまで「藕糸」を読み解いた兵法学者
(兵家)は殆ど居なかったと言っていい。日本人がこだわったのは、戦闘における戦術であった。ミクロしか見ていなかったのである。細分化する専門家のレベルで終わっていた。これも日本が戦争に負けた理由と謂える。
 せいぜいスローガン的な標語として国民に押し付けたのは「贅沢品は敵だ」の愚語であった。
 欠乏を、敵に公表しては底が突き始めているのを読まれてしまう。“武士は食わねど高楊枝”の、ただ清貧に甘んじているポーズだけでなく、潤っている態
(さま)も見せ付ける必要があるのである。その意味で「兵は詭道」なのである。

 機動性に富む夕鶴遊撃隊の武装車輛の優雅な動き。根底には「常山の蛇」の藕糸が隠されていた。その有機的作用は外界から窺い知ることが出来ない。そして米海軍『ダック』の誤爆はプロパガンダ戦略において、浮動票的な役割を持った。これを利用しない手はないのである。瓢箪から駒であった。
 そこで見てきた証人にラジオの前で証言させる。沢田次郎は浮動票が二重の相乗効果となって波及することを企てたのである。
 だが、このラジオを通じた実況公開には弱点もあった。『改造型武装四起』に据えた九八式20mm高射機関砲である。この高射機関砲は総重量が373kgもある。
 この重さは1400ccクラスの普通乗用車に乗せたことになり、ファミリーカーでピアノ一台強を乗せて疾しるようなものである。更に左右に方向転換せねばならず、併せて車と言うのはアクセルとブレーキを交互に踏み分けて走るようになっている。そのとき搭載された機関砲に、どういう重心の掛かり方をするかで、運転技術が未熟だと、横転することもあり、その安全性も実験されてはいなかった。更に九八式20mm高射機関砲の兵器としての速射砲のレベルもである。
 この時代にあっては、既に旧式兵器に入っていた。撃っても、命中率がそんなに高いものではなかった。戦争も物質的な進化を遂げるのである。

 大戦末期になると対空砲弾は、標的に向かって方向を変える“知能”を持ち始める。これまでの、発射されたら、炸薬によって押し出された慣性力によって、ただ飛んで行く“阿呆弾”から、「知能弾」へと代わりつつあり、米国はこの機能を対空砲撃に知能をもたせた。阿呆弾なら何処までも砲手の腕が頼りであり、またその養成に時間が掛かり、また優秀な砲手が必要となる。しかし鋭敏な腕をもつ対空砲手でも、上手な対空砲撃は数撃てば当たるという弾薬消費の消耗戦となり、下手な対空砲撃では数撃っても当たらないと言う実情が生まれていた。米国は大戦末期になると、VT信管
Variable-Time fuze/近接発火信管)なるものが発明された。
 これにより一大転換が図れ、命中率、撃墜率ともに向上したのである。特攻機は艦船突入に際し、かつて恐れられたものだが、この発明により、特攻機の激突率は格段に落ちたのである。
 時代は変わりつつあった。精神主義一本槍では通用しない時代になっていた。
 VT信管は弾頭部に微弱なレーダー波を発信する小型真空管を仕込み、標的が接近したらレーダーが強まりそれを受けて信管が作動して炸裂し、榴弾
(りゅうだん)が四散する仕組みになっており、標的機を撃墜する機能を有していた。これは砲手が飛んで来る方向に機関砲の銃口さえ向ければ、大凡(おおよそ)は当たるような仕組みになっていた。もう砲手の腕に頼らないでも命中するように、人間側が機関砲に助けられる時代に代わりつつあったのである。
 しかし、日本側はそこまでの進歩を遂げていなかったのである。旧態依然として砲手の力倆に頼っていた。

 武器の旧式が暴露される……。これが沢田次郎の懸念であった。誰が遣っても当たるというものでなければならなかったが、辛うじて救われたのは、このとき砲手を最年少の室瀬佳奈がやっていたのである。
 果たして、これがどのように敵から判断されるかが不明なところであった。翼を射抜いたのは、訓練の賜物と検
(み)るか、単に“まぐれ当たり”と検るのか、敵の判定が微妙なところであった。
 幸運な“まぐれ”と見て欲しいのである。その“まぐれ”が、根底には新兵器の開発の結果と錯覚すれば、これこそ兵は詭道であった。詭計は敵将に判断を誤らせることにある。
 運良く、この点に誤解を招けば、VT信管並みの当たらな発明が、日本側にも、既に存在しているのではないかと誤算してもらえばしめたものである。そのうよに判断されれば、夕鶴隊に『娘子軍』的な評価が出て来るのである。日本軍の一部に、早急なる近代化が進んでいると看做されるのである。
 つまり沢田が意図したことは、夕鶴隊そのものが有機的な「新発明」なのである。しかしこの新発明は、序篇に達しただけであった。


 ─────『黎明の祭典』は、まだ続いていた。お披露目メインの九七式輸送機からの降下であり、空中陣形
(formation)を披露することであった。有徳の士から木戸銭を貰える唯一の目玉であったからだ。
 「さて、皆さま。遠くの方から飛行機の爆音が聴こえて参りました。あれは間違いなく、今度こそ友軍機です。日本の飛行機が近付いて参りました。陸軍輸送隊の九七式輸送機です」アナウンサーは次の次元に飛んで興奮の域にあった。手元のプログラムには空中陣形とあったからである。
 これまで安達憲兵曹長と話したことなど、すっかり飛んでしまって、今は、次の段階に移ったことだけが問題であった。いい意味で取れば客観視する報道人。悪く取れば移り気な好奇心の旺盛者である。

 降下を中継する報道の仕掛けは少しばかり手が込んでいて、大掛かりというより緻密な計算で組み立てられていた。それだけプロパガンダ戦略には金を懸けたと言うことである。しかし動いたのは、表向きは東京憲兵隊S分隊の独立職人集団であった。この仕掛け作りに、その関係のプロが編制され、電話電信および電探と無線暗号室の暗号班員、電波室の電波班員、更には動力を配線したり照明器具の取り付けは電池室の電池班員らの専門スタッフであった。この祭典が夜間時間になることを最初から前提にして動いていたからである。
 特に仮設の管制塔への出入りは、軽量エレベーター取り付けと電気系統などを昇降機室の班員が担当し、土木関係の作業には防空壕室の班員が担当した。彼らが独立職人集団と言われる所以である。

 表面の軍籍は憲兵だが徴兵されて憲兵になる以前は、それぞれの技術屋だった。その彼らが、何とも奇妙な胤
(たね)が分らないような緻密な仕掛けを施したのである。そうなると仕掛けは緻密にならざるを得ない。そして遠く離れた中継には暗号班と電波班が、外部から会話が聴けないように一旦暗号に組み替え、中継地同士を通信可能にする無線電話を開発していたのである。彼らは頭も使い、用途に応じて道具を巧妙に使い分けるのである。
 更には、飛行機無線が管制塔にも届き、同じ周波数を用いれば、無線機搭載の各車両には、総て通信可能と言う装置を搭載していたのである。要するに憲兵の裏の貌は、独立職人集団なのである。
 この独立職人集団を編制するにあたり、沢田次郎は『要視察人』として何処にも出入りし、その道のプロの窃盗犯らを刑務所まで迎えに行って、彼らを招き、憲兵に仕立てたのである。

 例えば、S分隊の地下二階には、巨大な金庫が据え付けられていて、この金庫の番人で、金の出し入れをする経理の担当者は数字に明るい銀行マンと、一方で、手癖の悪い鉤師
(かぎし)と言われる金庫破りの名人とがセットになっていて、彼らは表向きは「憲兵」と書かれた白地に赤文字の腕章をした憲兵だが、過去の素性を辿れば大泥棒も混じっていた。更にこの金庫室に隣接するものが、偽造室であった。証明書や官公印刷物を偽造する偽造師を抱えていることであった。聖人と狂人の紙一重の差の独立職人集団である。
 マクロ的から見れば、実に奇妙である。表社会では受け入れられない変人・奇人の非常識の輩
(やから)であった。陋規(ろうき)に通じる者達である。だが沢田は、この奇妙に目を付けた。彼の着眼力である。
 言わば、これは頭脳集団
(think tank)の“野盗の類(たぐい)”に、陸海軍の司法権を持つ権力を持たせたのである。それも警察の持つ行政権の範疇(はんちゅう)だけではなく、一段と強制力のある司法権までもである。
 「陸軍大臣の命により!」と発すれば、階級に関係なく、憲兵上等兵でも尉官は勿論のこと、佐官でも将官でも逮捕出来たのである。例えば、捜査会議室の班長ならびに班員は知能犯で、前科歴ある元詐欺師や無政府主義者で構成されていた。悪が悪を裁く、沢田お得意の毒をもって毒を制す策である。

 人は短所には眼を瞑
(つぶ)り、長所を活かして遣う。過去は一切問わない。沢田のモットーであった。
 そして憲兵の仮面を被った“野盗の類”は、このときばかりはと異能な才能を発揮したのである。
 S分隊には、その道の名人達が約250人ほどで編制され、駆逐艦の乗組員数の単位で聚
(あつ)められていたのである。
 更に、その特長と言えば、三交代で、あたかも艦船勤務要員と同じように、互いが有機的に関係し合う仕組みになっていたのである。



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