運気 八門人相 房中術 癒しの杜 菜根譚 小説 会報Back No. 合気 蜘蛛之巣伝 死の超剋 霊的食養 心法
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続 壺中天・瓢箪仙人 46

自由とは、則(すなわ)ち人格の自由であり、人格の自由徒は、良心の自由で無くてはならぬ。良心は縛られるものでない。ただ雑多に流され欲望を満たすことを自由と考えている間は、人格の自由などはない。
 どんな圧迫にあっても、良心に背くことは断じて撥ね返すだけの力をもっていなければならない。しかし、この地からは最初から備わっているのでないから、自らが努力してその力を養う以外ない。
 では良心とは何かということになる。その見解は種々に分れ、これについては議論もあろうが、結局のところ、『陽明学』でいう。「良知」のことである。

 そもそも「良知」とは、孟子から出た語で、先天的な道徳知をいい、王陽明はこれを借りて、朱子学の性即理説に対して、心即理を説き、次に『致良知説』へと展開した。良知は心の本体としての理の発出であり、この良知を物事の上に正しく発揮することによって道理が実践的に成立すると説いた。
 この良知こそが「まごころ」をもって背かない心であり、「まごころ」に羞
(は)じない心である。赤誠であり、至誠である。
 日常生活の中で、種々の問題にぶつかったり、挫折を経験させられたり、行き詰まったり、他人と争ったり、こうした窮地に立たされるのは「まごころ」の欠如と考えられ、「まごころ」が足りないために、行動が「まごころ」に背いたり、良心に咎
(とが)める結果を招いためである。
 そう言う場合は、振り出しに戻って何処に「まごころ」が欠如していたかを検討し、仕切り直しをする必要があろう。


●前夜祭

 話を再び『夕鶴儀仗隊お披露目』の前夜に戻す。
 まだ日本には余力がある……、この気風と気運を高めなければならない。内外に向けてのプロパガンダ工作である。日本国民への啓蒙および激励は、当たれば功を奏する。民衆の支持を得ることができる。ここに着目することが大事であった。
 戦いは敵味方が対峙した時点では、勝運は五分五分である。最初から一方的に負けるような戦いなら始める訳はない。双方とも勝運が五分五分だから遣る。最初は五分五分で釣り合っている。それゆえ、この状態を維持出来れば、敵味方とも無理な戦いはしないものである。それを冷静に分析する。また、戦う前の拮抗を考えた場合、プロパガンダ戦略は重要な要諦となる。人心を怠った方を衝けばよい。戦の駆引きだ。結局、人民の付いていない方は負ける。人民を蔑ろにした方は敗北する。

 この当時、中国では日中戦争以来、蒋介石は民衆の力を一切信じず、また民衆から支持を得ることも考えていなかった。既にその情報を『タカ』メンバーの三羽鴉が掴んでいたのである。蒋介石は国民に対して殆ど思想工作をしていなかった。自らの党を「国民党」と自称しながら、国民は不在だった。権力だけが存在した。
 此処が、彼
(か)の国の弱点だったのである。大戦末期の日本も同じだった。陸軍の中の日本、海軍の中の日本はあったが、日本の中の陸海軍はなかった。
 戦局が末期症状的に逼迫した現在、巻き返しが出来るとしたら、この弱点を突き、日本国民にラジオや新聞を通じて「仕切り直し」の啓蒙すれば、大いにその好機
(chance)は残されていた。今ならこれ以上、無意味な疵口(きずぐち)を広げずに済み、仕切り直しすることが出来る。痛手を大きくすることもない。これで、最小限度の被害で済む、「今ならば」の条件付きで『タカ』計画は、こうして起こった。
 しかしである。
 気になるのは、かつて赤城嶺山神社の神主・林昭三郎が言った昭和19年後半の南海地方臨海部の大地震である。この臨海部には軍事産業の大半が集中している。起これば、国軍力は壊滅的である。これだけで軍部は周章狼狽
(しゅうしょう‐ろうばい)するだろう。
 更に恐るべきは、昭和20年半ば過ぎに降ると予言された「火の雨」である。既にサイパンが予言通りに陥落し、サイパンから米軍機の本土空襲が開始されていた。
 火の雨が降る。この言葉は沢田次郎の脳裡に鮮やかに残っていた。未曾有の危機に瀕しているのである。急がねばと思う。

 そして沢田次郎は、呑鯨
(どんげい)の安積(あさか)財閥の総裁・安積徳之助との駆引きで、備蓄量計算に巧妙なトリックがあり、裏には恐ろしい闇ルートがあることを暴露された。国際経済資本(メジャーズ)と言う名の化け物である。
 その存在を聴いた鷹司友悳と来栖恒雄は言葉を失い、ただただ驚嘆するばかりだった。そして、陸軍参謀本部の手抜かりと言う勉強不足も、改めて思い知らされた。日本は国際音痴、外交音痴だった。
 三羽鴉が共通の意見として抱いたことは、裏に国際ユダヤ金融資本と言う巨大な組織があって、上部に奥の院が存在し、一握りのエリートにより、政治も経済も軍事も、また戦争も平和も操られていること気付いたのである。更には国際規模の傘下には驚愕するような、心胆
(しんたん)を寒からしめるものが存在していた。
 人買い……。
 人身売買組織の暗躍。貧困にかこつけての人買いグループの暗躍であった。そして沢田は、直ぐに堀川彦宸
(げんしん)こと公瑞兆(こう‐ずいちょう)の名が泛(うか)んだ。
 公瑞兆は戸籍上、堀川作右衛門の弟で堀川彦宸と名乗る農務省の農事技官であった。裏の貌で暗黒組織を牛耳る人買いである。だが、これで総てが分った訳ではない。疑問は、買われた人間はその後、どうなるのかだった。性交奴隷であることは想像つくが、誰が買い、誰が奴隷売買にしているのかが不明であった。おそらく奴隷となった女性達は国外へと移送されるのだろう。

 安積財閥の総裁で「呑鯨
」の威名で恐れられる安積徳之助から齎された情報を、『タカ』メンバーの三羽鴉がその情報に基づいて分析に入り、それについて謀議を繰り返していた。
 謀議中、「もし」という仮定で、参謀本部外事課員の来栖恒雄少佐から出た。
 人間の想念が描き出す「もし」という不確実な未来に対して、“ならば”という疑問表現の伴うこの条件語は当たれば恐ろしい。予想外のことでも、想念した通りの悪夢が顕われることがある。

 「もし、彼奴
(きゃつ)(暗黒組織の人買いを指す)が『夕鶴隊』に目を付けたらどうなるだろうか。ただ黙って指を銜(く)えて観ているだけだろうか。どうする、沢田君?」来栖の聲(こえ)には不安が含まれていた。
 「それも考えておりました……」
 「もしという事態が起これば……、どうする?……」と懸念も露
(あらわ)に鷹司。
 「利用します。おそらく、『もし』は十中八九起こるでしょう」
 「その場合、どういう手を打つ?!」来栖が真顔で鋭く迫った。それは熱血漢の興奮と恐怖に震えた言葉でもあった。
 「夕鶴隊から間者
(スパイ)を送ります」冷ややかに言い放った。
 「?…………」鷹司友悳は、《それは理解しかねる》と表情であった。
 「これまでも参謀本部にタイピストとして、中川和津子と山田昌子を送り込んでいるように、今度は敵陣にわが方から間者を送ります」
 「それは潜入と言うことか、人買い被害者の中に紛れ込ませると言うことか?」来栖は眉を少し上げて訊き返した。
 「そうです」沢田の表情は冷ややかで、背中にぞくりとするものを感じさせた。
 「では、誰を送るのです?」鷹司が訊いた。
 鷹司友悳は《まさか妹の良子を送るのではあるまいな?》と怕々とした貌を沢田に向けた。

 「己を知っていても敵を知らないのでは戦いが出来ません。私心は捨てて現実を見据えるべきでしょう、今わが国がどういう状況であるかを」
 沢田は夢幻じみたものを一切持っていない。それだけに、冷徹に物事を判断する。言うときは歯に決して絹を被せたりはしない。更には、一つのところに留まらない。思考は変化に併せて流動的であった。変化に対して敏感に反応し、先手を取って幾らでも形を変えることが出来るのである。いつの時代も読みを誤らず、正流で流れていないと、突然の乱気流に翻弄
(ほんろう)されて墜落を余儀なくされるだろう。それくらいの先きを読む思慮は持っていた。
 「そこで、誰を潜入に遣いますか?」戦慄を覚えつつ、鷹司は一番恐れていることを訊いた。
 「あなたの妹さんと副島ふみです。この二人以外に適任者はおりません」
 「……………」鷹司友悳の貌が一瞬青ざめた。任務が余りにも危険過ぎるからである。しかし私心は捨てるべきである、沢田次郎はそう諭した。遵うべきだろう。
 獰猛な猛獣の居場所を常に知りたければ、誰かが猛獣に鈴を懸けに行かねばならない。
 「私は戦時です……などというような言い逃れは致しません。だが戦時故に、この危険な策も奇手として遣わねばなりますまい。敵を知らないのでは、『タカ』は発令とともに頓挫します。もう既に、わが方は参謀本部に、二人の間者を起こり込んでいます」沢田は何処までも冷徹であった。
 それは、《もう、此処まで来れば、引き返すことが出来ません》という言葉と同義だった。沢田の脳裡には中途半端で終わらせず、とことん突き進んで、出来るだけ早く戦争を終結させねばならなかった。遅れればそれだけ、犠牲者を殖
(ふ)やすばかりであった。また、既に日本中が「滅びの美学」に向かって突き進んでいるように観測していた。その最たる言葉が「玉砕」であった。それに続く「万歳突撃」である。此処まで来れば、奇手など打てようがない。一億が火の玉となって滅亡の中に突き進んで、地球から日本が消滅するかも知れないのである。

 「潜入が成れば、貌のない影の皇帝・瞿孟檠
(く‐もうけい)も動くのではあるまいか」と来栖は話題をふって言葉を繋いだ。言葉通り、その可能性は大いにあろう。
 「私は瞿孟檠は身近に居るのではないかと思います。男女の性別は今のところ不明ですが、私の勘では女ではないかと踏んでいます。それも日本人ではないかと……」
 「どうしてそう言えるんだね?」来栖は不審に思って訊き返した。
 「先日、呑鯨こと安積財閥の総裁・安積徳之助が吐露した悍
(おぞま)しい人買いは、統一された統合組織ですが、その組織はどういう方法で商品を仕入れているのかとね。それは、私自身が組織する以前、女子挺身隊の人選するにあたり、同じ考え方で人買いをしているのではないのかと思ったまでのことです。
 つまり、統一された組織で、女のみならず就学前の少年少女の入手に際し、細かい指示を出せる母親のような女でないのかと推理するからである。商品は傷物にしては価値が下がります」
 「それもあるだろう、否定は出来ない……」その聲
(こえ)は冥界から聴こえるように昏(くら)かった。

 「そこで、私が疑ったのが、婦人会です。愛国とは名ばかり……」の似非愛国者の音頭取りに、果たして真の愛国者が居るのだろうか?と、沢田は思う。愛国者然は売名行為に奔る運動家の隠れ蓑だろう。
 筆者である私は、戦後の幼少時期、戦中は熱烈な「愛国」の二文字に命を賭けて奔走した中年の婦人会指導の女性がいた。防空管制下、少しでも明りが漏れいる家があればメガホンで怒鳴り立てて、大声で罵倒したと言うが、日本が戦争に負けた途端、米国を「正義の使者」「平和の使者」と表して、かつて「鬼畜米英」を高らかに叫んでいたこの女性は、戦争責任を天皇に押し付けて、半生は反戦運動に生き甲斐を燃やした人であった。人は、斯くして時代とともに変化するのである。

 「婦人会?……」来栖の聲は語尾を引き摺るような訊き方であった。
 「日米開戦当初なら未だ知らず、既に今は指導的立場にある者は、戦後に向けて動いています。いつまでも強情を張って『決戦だの『戦争継続だ』のと喚いているのは佐官級の強硬派のみ。こういう非現実的な戦争継続者に、この時代の政界財界の指導達は耳を傾ける訳がありません。既に、戦後に向かって動いています。
 『愛国』の二文字を掲げて婦人会も健全なら、開戦当初のように婦人の美徳として、良妻賢母は大いに持て囃
(はや)されましょうが、さて、今はどうでしょうか?……。女性運動家が、底辺の女性を酷使しましたからね。もう同じ轍(てつ)は二度と踏まないでしょう」沢田の言には「疑わしい」という意味が籠っていた。
 「道義が薄れ、秩序が徐々に崩壊に向かっているのは否めんが……」と来栖。
 「負け戦を重ねている実情は貞操観念より、今日を、明日を生きるために精一杯ではないのでしょうか。
 世の背景には、売り惜しみに加えて、石油に譬えれば備蓄量の改竄
(かいざん)がありました。半年分しかないと偽った石油は、実は二年半分もあり、差し引いた二年分は逆輸出して、ソ連に売り流していた。
 あるいは、これを米をはじめとする食糧で物々交換していた。飢えた人間は、喰えるとなれば、自分の持ち物は売り捌いて、わが身を図るもの……。こういう背景では、世相はどう変化するでしょうか。
 人の心は荒
(すさ)み、共食いを始めていると看做した方がよいように思われます。こうした心の隙(すき)を突いて、魔が忍び寄ります。そして、自分の持っている物と、別のものを交換する。それは、もし食糧のようなものであったら、どうでしょう?……。この誘惑に勝てるでしょうか。
 こうした状況下にあって、一方で喰えている者が居り、他方で贅沢をしている者がいるとしたら?……」
 「絶対に赦せん!」来栖は自らで怒り心頭に来ていた。

 「物資難と言われるこの時代に、誰もが飢えている一方で、闇の世界では物々交換で財をなしている者がおります。彼らは豪華な邸宅に棲み、贅沢三昧な豪華な、庶民層では考えられない生活をしています。世の矛盾と言えましょう。昨今、見苦しきことが始まったのは、長引く戦争が元兇があります。こういう元兇は物資難を誘発し連鎖を起こします。その連鎖は蓄えの少ない庶民に真っ先に及びます。
 先日も、こう言う話を耳にしました。僅かな米や芋を求める女性達は交換する物だけでなく。モンペまで脱がされたと言う話が巷に密あふれています。その一部では、このように秩序が毀れて、弱肉強食の状態が顕われています。悪質屋
(あくしつ‐や)が猛威を揮って我が物顔です。然(しか)し乍(なが)ら、他方では戦争に猛り狂う強硬派の連中の熱病は、一向に治る様子がありません」
 「だから、われわれは早期終結を目
(もく)して『タカ』を計画したんだ」熱血漢の来栖は、何かに腹を立てるように、自分の軍刀の鐺(こじり)を床に突き付けた。
 「庶民の多くは、焼け残った僅かな衣類や子供の玩具類、それに書画骨董をもって田舎に行き、農民に米や芋と交換している有様です。また、この聯隊にも『状況を造る』などの、軍人の行為としては甚だ由々しき状態が起こっております。これを捨て置けば、敵に滅ぼされる前に、裡側から滅んでしまいます」沢田は亡国に至る危機を訴えた。
 「それは分っている。しかし、その具体策が分らん!」来栖は依然と荒立っていた。
 「物々交換として米や石油と、有価証券、土地所有権、そして命を繋ぐために身売りまでする。わが子まで売る。食うや食わずの極貧なら顕著です。この現実を考えてみて下さい?」
 「状況が逼迫していることは百も承知しています。まず、一部で行われている石油の逆輸出を止めなければなりますまい。単に、その首謀者を一人や二人捕らえても解決にならないでしょう。正体を暴いて、その息の根を止めなければこの状況を改善することは出来ません。そこで沢田君は影の総帥で、安積財閥の大御所・安積徳之助氏とも面識がある。さて、こうした人物を遣って、次ぎなる手は、どう言う策で行動を起こしますますか?」と訊く鷹司だが、沢田次郎の策に負うとこころは多いようだ。
 「次の手は、この状況下で人身売買が行われている事実を突き止めることです。そして、暴く!」
 「そこで、君は、上流階級や政府高官、あるいは軍隊官僚のと交際が頻繁だった。その噂のあるスキャンダルな女の、下田歌子のような人物を想起したと言う訳ですか?」鷹司が訊いた。

 「こういう女は、時代の転換期に顕われます。言わば特異点
(singularity)に突如顕われます。
 例えば下田歌子の生まれた時代は、明治と言う新時代でした。従来、宮廷の女官は公卿や諸侯の子女によって占められていましたが、明治になると新時代に相応しい女性と言うことで、諸藩士の子女が適任者として登用が始まります。
 このとき歌子は、和歌の師匠の推薦を受けて皇后に奉侍することになります。以降、上流階級や政府高官との交際を始める機会を掴みます。そして泛
(うか)び上がったのが伊藤博文との親交です。伊藤が内宮卿になった頃です。この親交は何を物語っているものでしょうか。不倫のあったのは否めますまい……」
 「つまり、その線から手繰ると、華族女学校
(のちの学習院女子部)の流れを通じて、下々に下れば、愛国婦人会まで……ということか?」その可能性もあるかも知れないと来栖は思った。

 「下田歌子は、この流れの中に勝ち気で好奇心に富み、上流階級の社交場であった鹿鳴館に出入りすることになります。女子教育の母としてと尊敬を集める一方で、一部には如何わしい噂が流れ『姦淫の空気』すらあった。この空気が進歩的な思考の下に、愛国婦人会や大日本愛国婦人会まで流れたとしたら、下田歌子の毀誉褒貶
(きよ‐ほうへん)なる二重人格は、その種の姦淫の思いが戦時でも流れていると言えなくもありません。
 こうして仕掛けの糸を手繰って行くと、それを利用して、人買いが暗躍しているのではないか?と推理したまでのことです。つまり品定めの商品見本は、婦人会が舞台になっているのではないのか?と疑ったまでのことです。此処は女性資源の宝庫ですから……。但し、それは特定た一部でしょう。全部ではありません。
 さて、女性資源の宝庫の中に、下田歌子然とした銃後の良妻賢母の仮面を被った女がいたとしたらどうなるでしょうか?」大胆なる発想で、鷹司友悳と来栖恒雄に釜掛けであった。

 沢田の人物評定は「人を疑う」ことから始まっている。
 庶民の中にも悪党は居るし、上流富豪の中にも善人は居る。また革新主義者のみが人道的な立場を貫けるとかとなると疑わしくなる。また資本家は悪党だとか、貧しい者の中には善人で溢れ返っているなどと、決して思っていない。更に宗教家は聖なる人で、その道の殉教者などとも思っていない。
 この世にはあらゆる善と、あらゆる悪が綯
(な)い交ぜになって共存する社会を構成しているのである。
 一方的な善はあり得ず、100%の悪党も居ないのである。例えば、教師にも、警察官にも、裁判官にも、人格的に立派な人と、そうでない人が存在するのである。脳を灼
(や)く猟奇趣味の愛好者も居よう。軍隊官僚然(しか)りである。陸軍参謀本部は、悪党の巣窟でなかった。負けが込むと、負ける方に掛けて暗躍する者もいるからだ。
 戦後、進歩的な海軍閥で、悪玉説に、昭和陸軍が近現代史が上げられたが、一部の不人格者や無教養者が突出して目立ったに過ぎない。陸海軍を問わず、高級軍人は誰もが夜郎自大に陥り、鬼のような軍人ばかりではなかった。日本陸軍の中にも、サムライと表された栗林忠道中将や井上均中将のような人も居たのである。

 「そこで、わが方から婦人会に間者を潜入させると言うことですか」
 「そうしなければ、M資金に絡む瞿孟檠
(く‐もうけい)の正体を掴むことは出来ません」
 「宜しいでしょう、許可しましょう」遂に鷹司友悳は折れた。
 「しかし、『夕鶴儀仗隊お披露目』のあとです。また、このお披露目には、内外の人買いバイヤーが集まることでしょう。ある意味でこのお披露目は、その糸を手繰
(たぐる)ることが出来るかも知れません。そこで、です……」と切り出して沢田は言葉を止めた。
 「何です?」
 「この二人に、更にキャサリン・スミスを加えます」
 沢田次郎は何処までも冷静だった。冷静と言うより、刃物のように冷ややかで冷徹だった。切れ過ぎる。
 「彼女まで……ですか?」
 鷹司が驚いたのは、キャサリン・スミスはかつて沢田次郎の婚約者だったからだ。婚約が解消されているとはいえ、総てが切れた訳ではあるまい。鷹司はそう思った。
 「選抜の三人は何れも成人女性です。万一の場合も、少女を送り込むより、気持ちとしては重荷になりますまい。それに成人女性なら状況判断も的確に判断する筈です。それにキャサリンが加われば、この中でチーフ的な存在にもなり得ます。決断時の指令塔となりましょう」
 沢田次郎は私情を挟まぬ、何処までも冷徹な漢であった。そのブレない的確さが、また冷ややかなものを感じさせた。それは「ブレない信念」と言い換えてもいい。峻烈
(しゅんれつ)さが存在しているからだ。それだけに無情でもあった。しかしそれは、私心を殺した無情で何処か悲壮なものが漂っていた。

 沢田の信念は、まず疑い、裏を取り、表裏の照合を試み、次に客観的分析に入る。その際、先入観も固定観念も持ち込まない。そして多角方向から媒体を見据える。それは一人の女を見定める場合も同じである。場の雰囲気や身形、装飾品や持ち物にこだわらない。こういう眼から忍び込んでくる肉の眼の情報は無視して、出来るだけ心の中の眼で観ようとする。肉の眼に翻弄されて、外形を捉え、中身を軽視しするような、あたかもフランスの禁欲的信仰を描いたジードの『狭き門』に出て来る「恋の結晶作用」でも女を観ることもない。
 これと同じに、物事を同一視してしまうと、無闇に信じ込まされる微生物と成り下がる。同じ微生物でも「疑う眼」は失いたくないものである。
 しかし「疑う眼」を失った当時の日本人はどうだったか。

 昭和19年半ばを機にして、信頼されるべき筈の陸海軍は聡い者からは見放され、既に見向きもせず、これらの輩は戦後の構図を画策していたではないか。
 庶民はとにかく新聞かが書き立てる記事を信用し、日本放送協会の「大本営陸海軍部発表」には挙
(こぞ)って耳を傾けたではないか。
 これと同じことは戦後にもあった。赤旗の波で埋まり、でもが日夜繰り広げられ革命こそ正義と謳い、それを支持する投書が舞い込んでいた。それは資本家が悪と言うヒステリックな絶唱であった。この絶唱に踊った連中も居た。安易に信じた連中も居た。しかし、これこそ危険な愚行ではなかったか。
 大東亜戦争当時、近衛文麿が組織した大政翼賛会はその最たるもので、多くの国民がこれを信じたお陰で軍国日本の虚像を作り上げたのではなかった。日本人の信じたものに虚像や虚構はゴマンとある。その最たるものが共産主義の虚構でなかったか。
 そしてである。

 右でも左でも、人間である以上、一度
(ひとたび)権力を与えられると、同じ悪い事をする。これが人間の正体であった。反体制側に居て鎮圧されてるときは、正義漢として振る舞う。しかし立場が逆転して、権力の側に就くとそこで人間が急変する。いい方に豹変するのでなく、墜落・亡国の方に導いてしまうのである。野党に居る側だけが正しいのではない。
 野党にあって、自由や公正を論
(あげつら)っている連中でも、一度、逆転して上座へと序列が変われば、これまでの清貧的なる粗衣・粗食・少食の生活はかなぐり捨ててしまう。贅沢に口が馴染んでしまう。そこに底辺微生物を蔑視する心が起こる。多数側の微生物は、いつの時代も、過去幾度かの戦争で、常に庶民は最前線に立たされて来た。そして多くは、肉弾をもって国に仕えた。無数に死んで逝った。

 沢田次郎は急がねばと思う。いま、人買いとの熾烈な死闘が、これから始まるのである。


 ─────歴史の中に登場する、特に近代史においては自然発生的に歴史が動くのではなく、意図的に、ある意図をもって動かされている現実を思い知らされたのである。
 近代史は、意図的に動かされた痕跡が濃厚である。そして近代史を動かす転換点
(turning point)は宣伝工作による民衆の操縦術であった。世界は情報戦の只中に在(あ)った。
 これは1948年以降の中国で毛沢東紅軍が何故天下を取ったか、それを考えてみれば、蒋介石の弱点が明確に見えて来る。蒋介石は、ナチス独逸から提供される軍事力だけに頼った戦争を遣っていた。頼りは強力な軍事力だった。また、民衆の力を軽視し、力ずくで戦争反対の民衆を抑え込んだことによる。
 一方、毛沢東は紅軍の健軍要領である基本路線にプロパガンダ戦略を用いて、『三大規則』と『注意八項』を上げた。これを解放戦争で徹底させた。

 例えば「遼瀋戦役」で錦州を攻撃したとき、八路軍
(解放軍)の一分隊に、『三大規則』と『注意八項』を硬く守り抜かせるために極端とも言えるプロパガンダ戦略を用いた。その極端な喩えは、りんご園を軍隊が通っても、棗(なつめ)の樹の下で休憩しても、リンゴ一個、棗一粒すら、もぎとろうとさせなかったことである。
 また白菜畑に塹壕を掘る場合は、予め兵士達に砲火の危険を犯して根元に泥がついたまま白菜一つずつを掘り起こさせて、傍らに置き、戦闘が終了すると塹壕を埋めて元通りにし、白菜は元通りに植え直したと言う。これを各地の数ヵ所で、プロパガンダ戦略を用いたのである。こうして毛沢東の紅軍の人気は一気に高まったのである。これだけ考えても、民衆に対して如何に非ねばならないか、その大事が一つの教訓として残されているのである。
 毛沢東に負けないくらい『孫子』を徹底研究して、日本軍に対し「己を知らず、敵を知らず」と孫子の一節を上げて詰った蒋介石ですら、実はプロパガンダ戦略には疎
(うと)かったのである。つまり毛沢東の勝因は民衆の力を重視したことで、蒋介石の敗因は民衆の力を軽視したことである。
 また、日本軍は昭和12年当時、「弱兵」と罵倒した、既にナチス独逸から軍事顧問団を招き、日本軍への屈辱挽回の策を立て、その後、急に強くなるのである。中国軍が急に強くなったことに、これまでの日本軍は太刀打ち出来なくなっていた。武器も日本軍以上に優秀であった。
 更に日本軍はプロパガンダ戦略は皆無であった。

 当時の日本軍も蒋介石同様、『孫子』に記載のある、此処までのプロパガンダ戦略は用いることは出来なかった。
 プロパガンダ戦略で、毛沢東率いる紅軍、蒋介石率いる中華民国軍、更には日本軍と、昭和19年当時のことを列記して比較すれば、この違いが一目瞭然となる。
 まず毛沢東紅軍は、民衆を大いに利用し、民衆に対して民衆を利用してプロパガンダ戦略を図り、決して民衆を殴ったり蹴ったり、また経済的にも苦しめなかった。許のままを維持した。
 次に蒋介石の中華民国軍はどうだったか。
 民衆は信用しなかったが、しかし殴る蹴るの暴行はしなかった。経済的にも、民衆の財産を強奪するようなことはしなかっし、強制もしなかった。

 では日本軍はどうかとなる。
 陸海軍の軍部はどうだったか。
 昭和19年に入ると「決戦
(決号作戦)」をスローガンに、民衆に死を強いるところが多かったのではあるまいか。それは間接的に国民一人ひとり「死んでくれ」というに等しかった。
 更に問題なのは、憲兵政治であり、特高警察が暗躍して容疑を誰彼無しに掛けては、民衆は恐れはするが、靡
(なび)くまい。日本民族は有史以来、「お上」には弱い民族である。お上には平身低頭する民族である。
 第一、日本陸海軍の殆どの高級軍人は国民の誰の眼から見ても、夜郎自大の傲慢は否めず、これでは軍隊が国民から支持されるということは殆どなかったと言っていいだろう。幾ら優秀な頭脳で、陸士・海兵の難関校を突破したエリートであっても、国民からは広く支持が得られていなかったことが分ろう。
 当時の日本軍はプロパガンダ戦略に対しては全くの無知であった。ただ夜郎自大だけが目立った。これは当時に限らず、今日でも日本の官僚主義の中で見られることである。プロパガンダ戦略に疎いのである。

 昨今はそれに気付いた警察・消防・自衛隊・海上保安庁などが、タテマエ上は地域住民に対して毎年恒例の自前の音楽隊を用いてカラーフラッグ隊やドリル演技などのフェスティバルを行っているが、対象者は、趣味として偏ったミリタリーファンらである。一般大衆までは浸透していない。オタク・趣味人の集いで終わっている。仲間内だけの祭典と言えなくもない。これはプロパガンダ戦略から言えば、極小微弱である。

 昭和12年
(1937)日中戦争の発端となった盧溝橋事件以前の陸海軍記念日の行事に比べたら格段、規模が小さいくなっている。今以てプロパガンダ戦略は不十分である。単なるイメージ作りで終わっている。
 そして、日本が急速に傾いたのは日米開戦突入以降のことである。
 これまで一般市民をも招いて、陸海軍はその威容を公開していたが、盧溝橋事件以降は国家機密とか極秘情報として《保秘・保秘》を連発して一切を開示不可にしてしまった。だが、必ずその一方で情報洩れを起こしていた。それは今日でも同じことである。機密情報ほど洩れ易い。
 組織に不満を持つ者は、日頃から憤懣
(ふんまん)やる方ない気持ちを持ち、反撥、造反、隠微は復讐心などの個々人の妄執によって、これらが巷に漏洩しているというのが実情である。そして漏洩先は、海外の諜報機関、企業関係、地下社会などである。日本は戦前・戦中・戦後を通じてスパイ天国である。


 ─────明日に控えた夕鶴儀仗隊の各位の面々は、前夜の興奮で満ち溢れていた。そこには不安と希望が同居していた。
 臨時徴用令状で、第三十五師団
(関東)佐倉歩兵二百二十一聯隊に集められた女子挺身隊は、沢田次郎が見込んだ通り、学ぶ速さに驚嘆するばかりだった。身体能力もあり、頭脳も優秀で、状況判断に長けていた。
 それだけに知能指数が高いことが窺われた。最も奇妙で美しい光景は、牝豹のように敏捷に動作して、高いところから出もひらりと飛び降り、あっという間に標的に迫ったり離れたりして、散開してしまうことであった。希望通りの「常山の蛇」になりつつあった。
 野性の動物のような機敏さと警戒心を持ち、それでいて少しばかり神経質で、用心深さも徐々に身に付いて来ていた。また散開するときは、逃げ道の確保という意識が念頭に置かれ、その論理に従って散るのだが、これはあくまで模擬訓練でのことであり、実戦とはまた別のものである。訓練は、単に訓練の領域を出るものでない。戦場で実戦を経験したものには適
(かな)わないのである。

 しかし、本能的には強さの反面、脆
(もろ)さも併せ持っているようなところが窺(うかが)えた。それだけに危惧すべき克服箇所であった。短所を抑えて、長所を発揮させることが指導側の教官に求められた。それゆえ懸念すべきは、野戦に出て実戦を体験して行くと、時として、短所が顕われて動きが取れないことがある。心から崩れて行く。それは精神力などの言葉で片付けられるものでなかった。
 心の深層部に潜む、魂に関することであった。
 徴用された子女は14歳から20歳までと若いだけに、此処との鍛練は未完成であった。指導教官の課題はこの補いの点にあった。それは強気で押し通すこととは違う。機械的な補いでは補い切れるものでない。個々人の心の鍛練による。したがって、俗っぽい叱咤激励では用を為さない。長ったらしい訓辞も垂れるだけ無駄である。体験による実戦指導のみである。しかし日本は、欧州西洋圏
(レジスタンスを含む)や東南アジア諸国、あるいは大陸の婦人部隊の養成は、大きく遅れを取っていた。
 そのため日本は敗戦後、占領軍に対し、フランスなどのように対独抵抗運動をする義勇軍のレジスタンスは一度も展開されなかった。下克上で論陣を張り、勇ましいことを喚
(わめ)いた佐官級の戦争強硬論派が居たにも関わらずである。不思議なことであった。その連中も「鬼畜米英」と罵倒したわりには、一矢(いっし)報いることなく、何ら抗(あらが)うこともなく、大人しく占領軍の軍門に降ったのである。
 フランス義勇軍のレジスタンス運動家の中には、婦人部隊の兵士が多く居た。男女の別なく、ナチス独逸と戦った。
 ところが日本は、婦人部隊の養成に欠けていた。そもそも婦人部隊の発想がなかった。
 これは明治39年
(1906)の丙午以来の「女性を敬遠」する男尊女卑迷信が災いしたのだろう。結局、日本列島では、男女混成のレジスタンス運動は起こらなかった。
 米兵の横暴で屈辱的な敗戦時、昭和30年代の安保闘争や、昭和40年代の全共闘の抗議闘争すら起こらなかった。大戦当時、威張り腐って夜郎自大だった高級軍人が進んでマッカーサーの軍門に降った。

 『ホテル笹山』では明日に控えた夕鶴儀仗隊の前夜祭が行われていた。夕鶴隊メンバーたその家族や関係者を含む内輪だけの招待会
(reception)のようなものである。形式は立食パーティーで五百名前後の招待客が集まっていた。それだけに席上は大掛かりであった。この手配を総支配人の小松原光男が総指揮して接客に当たらせていた。
 独逸大使夫妻をはじめ、ソ連大使夫妻、満洲大使夫妻、インド臨時政府大使夫妻、ほか蒙古、チベット、ウイグルなどからの外交高官や同盟国陸海軍駐留武官も参集していた。
 夕鶴隊の女性達は明日のお披露目のために依頼された衣装や髪型を担当する構成係のような人達で、当時で言えば“髪結い”で今風に言えばスタイリスト
(stylist)であろうか。出演者22名の隊員と教官2名は、それぞれにホーマルドレスや振り袖の訪問着を着て、あるいはこれまでの夕鶴隊の制服(第一種軍装)のまま招待者の接待に当たっていた。また補助役として親愛高等女学校の挺身隊生徒50名が動員された。
 招待客の中には陸海軍将校の軍服姿も見えた。その中の何人かは参謀本部や軍令部の参謀肩章を吊った者も居た。
 そして会場の内外の警備は東京憲兵隊S分隊の私服
(平服)憲兵が担当していた。警備担当の憲兵は「招待状なき者は如何なる身分であっても入場罷(まか)り成らぬ」と厳命されていた。入場チェックが厳重であった。

 『ホテル笹山』は土地家屋貸借以来、突貫工事で増改築が行われ、約2ヵ月掛けて体裁だけの完成を見た。
 総経費は2,700万円で、現在の金額で換算すれば、当時の物価指数は290倍であるから、大凡
(おおよそ)78億3千万円ほどであろうか。軍費としては大した額でない。これでは軽巡洋艦の一隻に価格にもならない。この全経費を企業後援者に賄ってもらった。「早期終戦・仕切り直し賛同者」の企業群である。
 ちなみに戦艦『陸奥』の価格は3,000万円であった。

 言わば国庫から捻出したものでなく、大半は自前であった。こうすることで軍部から後ろ指を逃れることができるのである。然
(しか)も、善意の自前で協力するのである。ある意味で私兵を養っているようなものであった。したがって『タカ』の発令と実行は誰からも制約を受けないのである。自己裁量で動けるのである。
 また夕鶴隊も、その装備や武器ならびに車輛や燃料等の半分は、善意の後援者によるものであった。

 規模は地下二階、地上五階、客室数500室に、別館和室30室を数えた。駐車スペースは大型車輛を含む120台程度、規模的にはそんなに大きくない。
 また秘密構造として、地下二階には駐車場&車輛整備室、出動時待機室、燃料備蓄室、武器庫 &射撃練習場室、防空壕室、食糧貯蔵庫兼野菜栽培室、電話電信および電探&無線暗号室、化粧&衣装室
(変装着付け)、海外入電信&電波室(遠距離防空システム装備)、作戦&捜査会議室、取調&留置室、経理&金庫室、印刷&偽造室、最上階への直通昇降機室、冷暖房空調管理室、地下水汲上げ装置ならびに発電装置と電池室を備えていて、停電時にはこれだけで全館を賄(まかな)う能力を持ち、併せて強力な無線装置(末端の中継システム装備)を設置していた。一種の地下要塞である。
 要塞の特長は配備された各部屋に、五人を一単位として数える「伍長」を据え、配置所には、兵営を兼ねた宿泊装置
(カプセル)を配した勤務と就寝を一体型にしたことである。室内空間が無駄に遊ぶことなく全機している。室内空間の密度を拡大したことである。
 これは今日の都市空間とは、正反対の戦場空間思想から構築したものである。
 戦闘員は各室で任務を遂行し、そこで寝起きする。住&食完備で、食事は上階ホテルの従業員食堂で摂る。
 例えば、駐車場&車輛整備勤務の戦闘員は「整備長」を伍長とし、その室に宿泊のためのカプセルが設置されていて、出動時以外はそこで寝泊まりする。部署は15の専門セクションがあり、それぞれに5名ずつが常時詰めている。これを三交代で行う。これは艦船勤務要員と同じように有機的に関係し合う仕組みである。
 S分隊は分隊だが、総勢約250名前後が輪番
(rotation)を組んでいる。規模は、むしろ駆逐艦の小型艦船並みの大隊であった。常時戦場の思想を掲げる沢田次郎のアイデアだった。要塞と謂われる所以である。

 本設備の運転は上等兵から曹長までの有能な憲兵下士官で動かされていた。こうした下士官を沢田は『要視察人』として各聯隊から掻き集めて来て、特別任務に当たらせていた。だが、これを以てしても近代的情報戦を戦うためには不十分であった。まだまだ装備や設備に遅れを取っていた。ネックは軍資金不足であった。
 精神主義一本槍の陸軍は、情報戦の何たるかを理解せず、潤沢な予算が廻って来ないのである。そこで自前資金調達でとなるのは仕方のないことであった。
 更に地下基地には特殊装置として、敗戦を予期しての爆破装置を内蔵していた。そのときが来たら、全員退避させた後に、一切を総てを吹き飛ばす計画になっていた。爆破装置のキーは沢田次郎が持っていた。一切を闇に葬るのである。
 だが沢田のプランには、この基地を爆破した後、プランBの策として、婦人部隊によるレジスタンス運動を展開する構想を持っていた。降伏した場合、降伏条件をよりよい負け方へと移行させるためであった。そのためにも夕鶴隊は必要不可欠な遊撃部隊組織であった。

 『タカ』計画には、背後に幾つかの日本内外を交易する企業のスポンサーがついていた。併せて養父の沢田翔洋や鷹司財閥の鷹司清隆、更には安積財閥の総帥・安積徳之助らの口添えもあった。また『要視察人』の功績でもある。
 しかし沢田次郎は工作資金に悩んでいた。彼が駆使する「賄賂術」には多額の金が掛かるのである。
 この世にタダのものは一つもない。みな値段がついている。代償を払うことがこの世の法則である。これは作用と反作用の法則からも分ろう。対価を払うことを原理原則とする。それを効率的に円滑的に運用する方法が「賄賂術」であった。
 そもそも特殊労働を依頼して、タダと言う訳にはいくまい。賄賂は依頼者も、依頼請負人も正当な労働報酬として受け取っていい筈である。現に国際政治は国際賄賂術の中で経済的な運営がなされている。これは官民問わず同じである。そして賄賂は特別とか特殊という名目で経費処理がなされている。
 また日本の日常生活の中にも、特別とか特殊という名目というそれ相当に金の懸かるものはある。

 例えば、弁護士費用とか特定の医師による手術費用等である。その人しか遣れない特技的なものである。
 一度、依頼すればタダではない。金が掛かる。
 一方、裁判でも金がなければ、刑事事件では国選弁護人が付くし、民事裁判の場合は弁護人無しで、自らが弁護人の代行をすることができる。
 また医者の手術を必要として“要手術”の危険信号がくだされても、金がなければ鐚
(びた)一文も遣わず、病苦と闘い、その苦痛や短命に甘んじればいいことである。
 政治家が一般サラリーマンに比べて、庶民から見れば法外な報酬を得るのは合法的なる賄賂の受給であり、また特殊法人などで研究している科学者が一般サラリーマンより報酬が高いのは、それ相当の頭脳労働をしているという自負があるからだ。この自負がなければ、巷のサラリーマンと同じ報酬であっていい筈だ。
 このように、賄賂は合法・不合法問わず、存在しているのである。
 したがって国家形体が変われば、その国の法的には、賄賂を必要とする国家もあるのである。「纏
(まと)め役」の特別報酬と考えればいいであろう。その報酬を、自らの持つ特殊話術の才能で交渉や示談に当たるからである。斯くして、国際賄賂術なるものが必要になって来る。清潔を売り看板にがなり立てても、陋規を知らねば、請負った方は馬鹿を見る。肝心なる報酬が空では要は為すまい。不渡り手形のようなものだ。

 現在のところ、この出遅れの甚だしいのは日本だけであろう。
 日本人は、「陋規」を学ばなかったためである。民主下では清潔だけが能ではないのである。清潔が偏り過ぎれば、それは傾き過ぎて最後は軍国主義に走るであろう。ヒトラーは清潔な政治家として知られていた。また東条英機首相も人格者で清潔な軍人として知られていた。賄賂に転ぶ人物ではなかった。しかし、国家は全体主義に流れた。「賄賂術」の何たるかを知らなかったからである。
 今日でも田中角栄が並みのチンピラ政治家と違うと言われるのは、「陋規」の何たるかを心得、デモクラシー下では、政治家は御用聞きと理解していたかである。少なくとも田中角栄は清潔を看板にして夜郎自大で踏ん反り返るような政治家ではなかった。この、田中と対称的だったのが、先の大戦当時の陸海軍の高級軍人であった。当時の軍人が昨今の警察官や自衛隊員以上に威張っていたのは、これで明白になろう。清潔に偏り過ぎたと言えよう。これこそ「水清ければ魚棲まず」の所以である。
 人間の原理原則を学ぶには「賄賂術」ならびにその根幹を為す「陋規」を知っていなければなるまい。裏社会や闇社会に働き掛ける特殊交渉法である。

 話を戻す。
 反対を抑えて、黙らせ、味方につけるには多額の買収費を必要とする。物より、人の抱き込み同意を取り付けるには金が掛かる。人心を虜にするには多額の金が掛かるのである。
 また、時の権力者や実力者を予備役に廻したり、左遷したり、追放・
排除したり、更には粛清するにも金が掛かる。その賛成者を募らねばならないからである。
 買収は賄賂術は「陋規」に基づくものだが、陋規を施行するにはタダでは出来ないのである。落すための裏金がいるのである。今日でも企業や官憲の一部が、せっせと裏金を貯えるのは、陋規を施行するためである。
 その意味では談合における事前の打ち合わせも、陋規に基づいての賄賂術である。そして、昭和19年時点では「国際賄賂術」なる秘術が登場していた。この秘術を巧みに使いこなしたのが、アラブ石油の化け物と表される『アラ源』こと山上源太であったし、安積
(あさか)財閥の総裁の怪物と表される『呑鯨(どんげい)』こと安積徳之助であった。
 更には、沢田の養父で伯爵の沢田翔洋
(しょうよう)も「国際賄賂術」を心得ていた。この術を心得ているために、養父は妖怪『智豹(ちひょう)』の異名で、国際経済資本(メジャーズ)から恐れられていた。
 『タカ』計画に対する支持者は少数であったからだ。よりよい負け方をして終戦に持ち込むには、この程度では焼け石に水であった。中途半端に終われば、天下の大泥棒の汚名は免れないのである。だが、後戻り出来ない。采
(さい)は既に投げられていた。後戻りすれば亡国である。
 則ち、以降の日本人は、永遠に人権を剥奪され、残された身分は奴隷の身分だろう。そうした国家体制に組み込まれると、強大な軍隊と内部警察機構の監視下で、人権回復が絶望的になり、かような奴隷制度下では知的保有者は知的な仕事が与えられ官僚等の高級奴隷となり、それ以外が肉体を駆使する肉体的奴隷として機能下され、最終的には家畜化されるである。主権を剥奪されたためである。
 沢田次郎にしてみれば、世の中の最下位に居る「草莽
(そうもう)の臣」の救済こそ急務であった。


 ─────午後6時。レセプション会場である。館内は冷房が効いてひんやりとしていた。此処に五百名ばかりの招待客は、まず笹山裕子の弾くピアノと成沢あいと児島智子のフルートの二重奏の音色で迎えられた。三名の奏者はイブニング姿であった。
 夕鶴隊の父兄は軍用至急電報で「招待状」が送られていた。殆どの招待客は今晩、翌日のお披露目の二日目の晩と、二泊三日の日程で招待を受けていた。そして前夜の集いだけで豪華絢爛を極めていた。欧米の晩餐会を髣髴とさせた。
 夕鶴隊員22名と教官2名は、各自が好みに応じて、振り袖訪問着、イブニングドレス、あるいは夏季軍装の制服と様々であった。誰もが香気に匂うような姿をしていた。

 軽音楽の演奏が流れる中、副島ふみと島崎ゆりが立ち話をしていた。
 「お前、馬子にも衣装だなァ」
 島崎ゆりは振り袖の訪問着を着て、少しばかり“お澄まし”していた。既に髪型はマツコ頭でなく、少し伸びた髪を結い上げていた。
 「お姉さんも、負けず劣らずよ。そのワインカラーのイブニングドレス、とてもシックで素敵。さすが馬子にも衣装……」晩餐会に出席するようなそのファッションを、島崎ゆりは彼女なりの形容で褒
(ほ)めた。
 「馬子にも衣装は、やはり、お前の方だろう」と譲り合う。
 「違う、お姉さんの方よ」と譲り合の応酬を遣る。
 そのとき副島ふみは、誰かと眼を併せ、「あッ!」と声を放った。
 「あッ……、お兄ちゃん……」
 「えッ?何処、何処?……」とゆりが訊く。
 「目の前……」
 「お姉さんのお兄さんって、海軍の軍人さんなの?」
 そこには制帽を小脇に挟んだ二人の海軍士官が立って居た。
 「ああ、そうだ。うちの兄貴。上が薬太郎といい、下が薬次郎というんだ。二人の兄貴、ともに『薬』という字がついて、おかしいだろ?」
 「薬太郎さんに薬次郎さん……。ほんと、何だかおかしいね、薬が付いてて」
 「うちは薬問屋だからな。親父が商売繁盛で、ともに薬の字を付けたんだ。笑っちゃうよな」
 副島ふみの家は、本郷に卸問屋として江戸時代から続く老舗の大店
(おおだな)だった。
 「おい、ふみ。だいたいこれは何だ?……、どういう集まりだ?」薬太郎と言われた長男が聲
(こえ)を掛けた。長男はつい最近まで海軍陸戦隊に居て、現在は予備役の中尉であった。今日は海軍中尉の真っ白い第二種の制服を着ていた。
 「それにだ。何で、あそこに憲兵大尉が居るのだ?」そう言ったのは次男の薬次郎であった。
 薬次郎は海軍大学校二年次で大尉
(だいい)であった。同じように第二種の制服を着ていた。腰には海兵卒業時に賜った恩賜の短剣を吊っていた。
 「あの方は、最初のわたしたちの教官だった先生」とふみ。
 「こんばんわ。わたし、こちらのとても優しいお姉さんに、朝から晩まで、いじられて、毎日可愛がられている哀れな仔羊です」と、すかさず割り込んで、現状を訴えるゆり。
 「だいたい、何だ。この子は?」と薬太郎。
 「ああ、こいつかァ、わしのダチ公」男の兄弟の中で育ったふみは時々男勝りの乱暴な言葉になる。
 「お前、その、はしたない言葉、嫁入り前の娘が言うことか。いい加減に直せよ」と薬次郎。
 「そうだ、いい加減に直せよ」とゆり。
 「なんだ、こいつ!」副島ふみは島崎ゆりの結い上げた頭を、マツコ頭のときと同じように掻き回そうとしたが、するりと逃げられてしまった。
 「ねえ、お兄さん方、分るでしょ。毎日このようにいじられているのです。どうか、お願いですから、いじらないように仰って下さい」と切実に訴えるふみ。
 「駄目だぞ、ふみ」薬太郎がきつい貌で注意をするも、「めッ!」と言う程度で、殆ど効果がないようであった。
 「駄目だぞ、ふみ」同じ言葉で遣り返すゆり。
 そして、兄二人は「困ったものだ」と吐露しながら、立食席へと離れて行った。
 「あッ!お父さんとお母さん」島崎ゆりは両親の貌を見てにっこり笑った。
 「元気だったかい?」母親が娘の状況を訊いた。
 「うん、元気だった」
 「それにしても、立派な着物だなァ。どうしたんだ、これ?」父親が驚いたような貌をして訊く。
 「これ、上から下まで借り物。こちらのお姉さんのも、そうよ」
 「こちらは?」母親が訊いた。
 「同じ班の伍長
(班長)さんなの」
 「これはこれは、娘がとんだお世話になりまして」父親と母親がが副島ふみに深々と頭を下げた。
 「いいえ、とんでも御座いません」副島ふみの言葉は、語調を上品に改め、急に他所行
(よそいき)言葉になっていた。
 「はあッ……、これはこれは」と、ゆりの両親は、ふみの気品ある上品さに再び頭を深々と垂れた。
 「お父さま、お母さま。あちらで、お食事でも如何でございましょう。戦時の食糧難の時代で、何も御座いませんが、お口汚しでも……」
 「ははッ……、ありがたく頂戴致します」また、再び両親揃って頭を下げた。
 ゆりの両親が立食の席に向かった後、ゆりはふみに口を尖
(とが)らせて抗議した。
 「お姉さんって、とんだ猫かぶりね」
 「なんだと!」美形の貌を歪
(ゆが)めてい熱(き)り立った。
 「だって、そうじゃない。相手で、極端に人が変わるのですもの……」
 「お前、戦争が終わったら、たっぷり可愛がってやるからな」
 「戦争が終わったら、わたしたちは召集解除なんです」
 「お前に召集解除なんかない!お前の学校、確か、実践高女だったよな。そこの教師になって、半永久的に召集解除無しのお前の担任になって、ビシバシ鍛えて遣るからな」彼女は島崎ゆりが従順に靡
(なび)くまで、締め上げてやりたいのである。それだけ、ゆりが小賢しくもあり、また可愛いと思っているのかも知れない。
 あるいは、こういう少し生意気な妹を欲しがっていたのかも知れない。
 「じゃァ、わたし、そのときは佳奈ちゃんのいる共立高女に転校しようッと」
 「そしたら、わしも教員転学願いを申し出て、共立高女に赴任する」
 「えッ!そんなの、有りなの?……」ゆりは、もう付き合って入られないという貌をした。
 「有りだ、これが人生の現実」
 「え〜ッ、わたしって不幸……。人生にこんな貧乏籤引くこともあるのね、悪夢だわ」
 そう言うゆりも、本当は悪夢などとは思っても居ないのかも知れない。本当に厭なら仮病を遣っても此処から逃げ出すだろう。二人は若干の長幼の差があるが、何故か気心が合うのかも知れない。

 会場の他方では、地方農家出身の愛国婦人会赤坂区の鳴海絹恵、栗塚さきえ、宇喜田しずのそれぞれの両親や兄弟姉妹が三人を取り囲んで、これまでの経緯と雑談を交わしていた。三人は髪を結い上げ艶
(あで)やかな振り袖を着ていた。そして親兄弟姉妹は三人を身分違いの別人のように、わが子を見ていた。
 そのわが子の姿は、芸妓のそれではなく、何処かの名門のお屋敷の令嬢のような恰好であったからだ。
 口々に、「この集まりは、いったい何だい?」とか、「その立派な着物、どうしたんだい?」などの、尽きぬ質問をぶつけていた。招待者の各位は、今までに見たことのない光景を目
(ま)の当たりにし、別世界の絢爛さに驚愕していたのであろう。

 また、他方では鷹司良子と中川和津子の二人を囲んで、和津子の父親の海軍軍令部の中川直文少将が娘に露骨な質問を突き付けていた。中川少将は軍令部の兵務課長である。海軍の白い第二種軍装に参謀肩章を吊っていた。
 「誰だ。こんな企てをした者は?」
 「わたしの兄でございます」
 「なに?友悳
(とものり)君がか?……」
 「申し訳ございません」
 「良子さん、別に謝ることないわよ」と和津子。
 和津子の父親が「こんな企てをした者は?」と訊いたのは、この二人が通常の制服のまま対応していたからである。父親は娘が婦人部隊の制服を着ていたので、些か不審に思ったのだろう。
 「良子さん、お元気でしたか?」和津子の母がご機嫌を窺った。
 「御陰さまで」
 「あなたたち二人、何だか以前と違って、少し垢抜けしたと言うか、これまで以上に大人じみたと言うか、何か特別な訓練でもやっているの?」
 「そんなことないわ、お母さま。心配するようなことなりません、安心なさって」
 母親は少し見ない間に、娘の変わりように些か驚いたようであった。二人は和津子の両親を立食の席へと案内した。
 そのとき、良子は室瀬佳奈の母親と祖母を見て、向こう側も良子に逸早く気付き、「これはこれは鷹司さまのお嬢さま」と言って良子に深々と頭を下げた。
 良子は佳奈に気付き「佳奈さん、此処よ」と言って手を挙げ、「どうぞ、ごゆっくり」と水入らずの時間を提供してその場を去って行った。

 「お母さん、お婆ちゃん」佳奈は貌をほころばし、二人に近寄って行った。佳奈も良子と同じ制服のままであった。「元気だったかい?」祖母が嗄れた聲
(こえ)で、孫娘に話し掛けた。
 「今日、お爺ちゃんは?」
 「ああ、お爺ちゃんはねェ、津村少尉さんと一緒にね、漆の手解きに一生懸命。それにね、津村少尉さんにピッタリ張り付いて、なんかおどおどする変な人が居るんだよ。あの人、堀川さんと言ったかね。年配で、それも、あの年で初年兵ですって」
 「お爺ちゃん達は、いつ戻るの?」
 「明日の朝だよ」
 「じゃァ、お爺ちゃん達は、休暇の間、何してたの?」
 「朝から晩まで、漆職人の手解きと、見習いだよ。世の中には変わった人もいるもんだよね。久しぶりの休暇と言うのに、朝から晩まで家に籠りきりで、漆塗りの練習をするなんてね」母親は三人の行動に呆れたように言うのであった。

 立食席には津田英学塾出身のイブニングドレスに身を包んだ霧島祥子と鈴木直子が、参謀本部兵站総監の霧島太郎中将を挟んでその夫人と、鈴木直子の両親の六人で会食を楽しみつつ親子の話が交わされていた。祥子と直子は髪を結い上げ、それそれにピンクとブルーのシックなドレスを着ていた。まるで舞踏会にでも顕われた姫君を髣髴とさせた。
 鈴木直子の父親は陸軍の技術将校で、陸軍省兵器課員の鈴木常次郎技術大佐であった。双方の父母は軍用電報で招待状が来たから、まずは来てみたという感じで、些か規模の大きさに驚いた様子だった。

 この会場には明日の『夕鶴儀仗隊お披露目』の実況放送のために日本放送協会の放送スタッフ数十名も到着していて主催者側とに打ち合わせが午前中から行われていたのである。
 招待客達は自分の家族単位に立食を楽しみながら、午後7時に前夜祭が催された。
 「ご来場の皆さま。只今から夕鶴儀仗隊前夜祭を開催致します。それでは開催に先駆けて、夕鶴儀仗隊発起の構成主要メンバーをご紹介させて頂きます」を放送協会の司会の女性アナウンサーが告げた。
 壇上には制帽を小脇に挟んだ軍服姿の五人の登壇者が並んだ。
 「皆さま方より向かいまして左から、議長で陸軍参謀本部の鷹司友悳中佐……、副長で陸軍法務官の沢田次郎憲兵大尉……、相談役で陸軍参謀本部の来栖恒雄少佐……、主任教官で陸軍航空士官学校顧問のアン・スミス・サトウ少佐……、次席教官で陸軍航空士官学校顧問のキャサリン・スミス少尉……の方々です」
 それぞれは紹介された後、順に一歩前に出てきびきびと敬礼をした。そして一人ひとりに拍手が起こった。
 紹介は更に続いた。
 夕鶴隊兵営の寮母で音楽指導の笹山裕子、被服担当で親愛高等女学校の被服科教師・柿原浩子、軍楽指導で元横須賀海軍軍楽隊長大尉の速水俊介、夕鶴隊軍医の元海軍軍医大尉の植村宗次、随行教官で陸軍軍曹の鮫島良雄の五人が紹介された。
 「それでは皆さま、ごゆっくりとお楽しみ下さい」と司会者が中を締め括り、その後、笹山裕子の弾くピアノと成沢あいと児島智子のフルートの二重奏の音楽が始まった。
 この合間にアンとキャサリンの姉妹は軍服から、白と黄のイブニングドレスに着替え、二人は肩には左から右下に流れる英国王室の白地に赤の縁取りのある布帛
(ふはく)を掛け、少し褐色懸かったブロンドの髪は晩餐会に併せて美しく結い上げられていた。胸を張った毅然さは、何処かの王国の妃のようであった。
 控室の楽屋では、五人の髪結い職人
(stylist)に扮した“化粧・衣装室”のS分隊員が伍長以下、着付けに、髪のセットアップにと、大忙しで、てんてこ舞いしていた。
 隊員達の着付けや髪結いに、注文が次から次へと殺到するのである。
 美しく着飾り気品に満ちた二姉妹は、教え子達の父兄に、にこやかに挨拶回りをしていた。

 そのときである。空襲警報のけたたましいサイレンが鳴った。これまで静かに流れていたピアノとフルートの演奏は、突然の出来事にピタリと止んだ。これまでの賑
(にぎ)わいに水を指す異様なサイレンであった。
 空襲警報のサイレンは4秒間の鳴響と、8秒間の休止を含め、連続10回繰り返される。この場合、敵機は上空近くにあり、万事を放擲
(ほうてき)して退避をせねばならない。またサイレンが中断無しに、3分間鳴り続けるのを警戒警報と言う。空襲警報と警戒警報の違いは、後者の場合、やがて解除される場合が多い。

 ホテルの館内放送は〈三宅島防空監視所発、二〇一〇
(ふたまる・ひとまる)。空襲警報発令、空襲警報発令。米大型重爆撃機B29、ソノ数30アマリ。三浦半島、南西方面ヨリ高々度デ急速接近シアリ。当館上空マデノ到達予想時刻オオヨソ5分。万一ニ備エテ警戒サレタシ〉と空襲を告げた。
 そして館内の照明が一斉切られて、内部の赤外灯へと切り替わった。辺りが赤一色へと変わった。同時に窓側の重厚な防禦シャッタが、ガラガラと音を立てて閉じ始めた。辺りはどよめきとともに騒然となった。

 「皆さま、ご安心下さい。当館の防禦シスレムは万全です、どうかご静粛に。皆さま、落ち着いて、ご静粛に願います。万一被弾に至っても、人命その他に損傷は御座いません」と言い放ったアンは、白いドレスの裾を持ち上げて舞台壇上へと駆け上がった。
 シャッターが完全に下まで降りたとき、再び照明がポツポツと点
(つ)き始めた。これにより安堵と落ち着きを取り戻したようだ。
 「皆さま、とんだハプニングで失礼致しました。
 でも、このハプニングを仕掛けたのは、わたしくどもでは御座いませんのよ。せっかくの楽しいレセプションに水を指したのは、あちらまさですの。明日にでも、アメリカ大統領に、厳重注意申し上げますわ」
 アンがこう言い終わると、会場のあちらこちらから笑いが漏れた。
 「さて、皆さま。賢者は、よく如何なる時でも平常心を失うなと言われますが、まあ、考えてその通りだと思います。わたくしも、これは至言
(しげん)と思っておりますが、でも、わたくし、その平常心というのが、どういうものか未だにピンときません。普段と同じ心などと言いますが、なにせ、わたくし、普段からそういう心の持ち主でないために、先ほどの空襲警報で、つい狼狽(うろた)え、はしたなくも、こういう場合、切れて矢でも鉄砲でも持って来いとなりますの。先ほども狼狽えて、右と左の靴を履き間違えてしまいました。
 でも、人間って不思議で御座いますね。間違えても、無理に履こう思えば、何とか履けるものです。今も左右間違って履いたままです、少し窮屈ですけど……」
 再びこのスピーチで会場から笑いが漏れた。
 「でも、これ以上、あちらさまの好きにさせませんわ。ここらで、ひとつ女の意地をご覧にいれましょう。
 女が怒ると怕
(こわ)いことは、お集りの殿方なら、よくご存知の筈。明日は、今日以上に思い切りドレスアップして、豪華で絢爛な、そして優雅な恰好いいところを、ぶつけてご覧にいれますわ。これも浮世の義理です。明日を乞う、ご期待ください」アンはユーモアたっぷりに所信を述べた。
 こう言い終わると、会場のありらこちらから、笑いとともに溢れるような拍手が巻き起こった。
 そして、館内放送は空襲警報解除を伝えた。



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