運気 八門人相 房中術 癒しの杜 菜根譚 小説 会報Back No. 合気 蜘蛛之巣伝 死の超剋 霊的食養 心法
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続 壺中天・瓢箪仙人 45

兵を誇るには、兵の訓練と兵器の操作を見せてこそ、それは確たる兵力になりうる。プロパガンダの背景には、雄々しく見せ付けることにより、税金引き当て分で観覧ならびに有事の際の出動を国民に納得させる。
 また、それは統治のための国家権力の支配権の確立でもある。
 これは二つの意味を持つからだ。一つは有事の際の緊急出動。
 もう一つは統治のための国内治安統制で、軍隊および内部警察機構の確立であり、暴動の際の鎮圧介入である。だがこれが一旦確立されると、民衆レベルの改革はもはや絶望的となる。その先は読者ご自身で想像してもらえば宜しかろう。

 (写真は当時ものと無関係。平成27年10月10日、陸上自衛隊西部方面隊駐屯地の目達原駐屯地上空で筆者撮影)


●仕切り直し

 催し物を開催して木戸銭を貰う……。大変なことである。賛同者を得るのと同義だった。
 木戸銭に見合うだけのものを提供しなければ、木戸銭は払って貰えない。看板倒れでは駄目である。決して簡単なことでない。
 主催者は木戸銭を貰うために、価値相当のものを模索していた。そのためには、単に「演技をする」という程度では、無理であった。戦争をしているのである。実戦に繋がっていなければならぬ。戦争は勝つためにする。あるいは負けないためにする。必ずしも勝たなくてもいいが、負けないということが大前提である。戦略家の意図だ。
 だが一度やってしまった以上は、負けないため戦う。この一点に集中する。そこには陣型・方角・日取りや時刻などを算出する特異な「軍立
(いくさだて)」というものが浮上する。これが出来て初めて観客は木戸銭を払う。戦争観戦において、観戦者はボロ負けの観戦しない。同胞のいい場面が観たい。観客心理である。
 言及すれば、いい場面に併せて華麗で優雅で恰好よく……という眼を楽しませるものである。

 さて、儀仗隊のお披露目は一種の「儀礼」である。
 現代人はこの儀礼について、「堅苦しい」の一言で考え排除してしまう傾向にあるが、これはとんでもない間違いである。儀礼があるからこそ社会的習慣を威厳のあるもにし、形が整うのである。近代市民社会では決して無視出来ない礼式である。
 孔子も、また老子も「儀礼の大事」を説いている。この大事の中に「中庸」がある。人間は中庸を失えば、不偏不倚
(ふへん‐ふい)が失われて偏倚(へんい)し、拮抗が維持出来なくなえい墜落し易いものである。
 つまり、中庸は、人と人との交わり、また神と人との交わりにおいて、双方とも共に活かすには「どうすればよいか」を課題に取り上げたのが孔子であった。
 そこで、孔子も老子も「鬼神」というものに着目している。

 土地にも、その地下にも、また空間にも天空にも神の存在があり、この神と接するための「礼」を敢えて形式化することにより、降臨を願うという思想で、その特異者や異能者を方士、術士、道士とした。
 この「士」は、武士の“士”でもあり、また兵士の“士”でもあった。つまり「士」は鬼神と交わる者の意味でもある。
 儀礼には「神との接近」があるのである。そして祈りを捧げる。また儀礼で大事なのは苦節の節目に捧げ物をすることである。これは事
(つか)える神に対して当然するべき礼儀である。
 更に認識しておかねばならないことは、神に対して「祈る」ことと「招く」ことは、その意味において全く違うということである。
 神格に事える。そして日々祈る。
 これは誠実の証であり、守護への期待である。人が礼を以て土地神、家神、先祖鬼神の前に額衝
(ぬか‐ず)くことは、かつて日本では日常の礼儀行為であった。それが祈りであった。

 ところが今や、祈りは“招き”に変わった。神格を「招く」という事で「呼びつける」という意味となり、神を人間のため働かせるという行為が、新興宗教などの礼儀知らずの団体で流行し、この種のものが持て囃
(はや)されている。また狐狗狸(こっくり)もそうだ。低級霊を呼ぶ。それが憑く。
 面目なきに、涙こぼるる程度のものでなく、これは危険なことである。「神降ろし」もそうだ。
 自分の欲のために神降ろしをしたとしよう。招いたとしよう。もしそうだったとして、人間は招いた神に、どのようなお礼を返すことが出来るだろうか。これは神に「借り」を作る行為である。この「借り」は非常に危険である。
 借金と同じだから、あとはその返済に喘
(あえ)がなければならない。招き、呼びつければ、それ相当分の代償を必要とする。神は必ず働いた分の報酬を取り立てに来る。したがって、キリスト者が言うように「神か愛」などではあり得ない。無償で人間を救ってくれるという存在ではない。それはヤハウェ(Yahweh)をみれば一目瞭然であろう。イスラエルの神は恐ろしい神である。その恐ろしさは内村鑑三の『キリスト教問答』からも分ろう。それは「救われる者とそうでない者」の相違である。『予定説』解説を訊かれた内村は、質問者のこの言に苦悶(くもん)しつつ、パウロの言葉を借りて回答するに過ぎなかった。
 「神がある人を貴
(たつと)き器として造り、他の人を卑しき器として造りらればとて、吾人(われ‐ひと)あわれむべき人間はこれに対して何とも言うことはできません。吾人は『神はかくなしたまえり。その他を知らず』と言うのみであります」(『キリスト教問答』より)とこれについてこう言い訳する。これは、愛から随分遠ざかった解釈に終止する。

 百歩譲って、神は愛の存在としよう。それでもその愛をもって、人間に厳しく要求するものなのである。
 神を招き、神に頼んだ者は、神が何を要求したとしても、もうそれを拒むことは出来ない。
 古代人は神の要求を恐れたために、先んじて“御機嫌伺い”をした。恭
(うやうや)しく持て成して、労ったのである。神は気易く呼べるものでないからだ。
 これがやがて「礼」へと発達した。
 したがって、一口に「儀礼」といっても、巫覡
(ふげき)の異能がなければ、儀礼は成功裏には終了しないのである。神に借りを作るだけである。満足を得られるものであるまい。
 孔子クラスの大人物になると、このことに気付いたであろう。捧げものをし、奉納を必要とした。
 武芸・武術にも奉納演武と言うものがあるが、これは神前で武を演じることを言う。天覧試合などもこれに入ろう。
 忠節の証
(あかし)と守護を期待して行われる「礼行為」である。氏神、産土神、土地神、家神、先祖の鬼神などは邪を寄せ付けず、魔を払い、子孫を守護する神である。疫鬼や魑魅魍魎(ちみ‐もうりょう)の類(たぐい)を撃退する神である。
 そのために、礼の再編成が必要になり、かつての周公旦の周代の礼楽制度に倣
(なら)ったのである。
 ちなみに「礼楽」は、戦いにおける「軍楽」でもある。戦神
(いくさ‐がみ)の「楽」である。

 昨今は失われてしまったが、「儀」は形の整った統一美をいう。あるいはその容姿や動作であり、手本となるべき基準を指す。また基準となるべくモデルをいう。儀を解字からいえば、「人」に音符の「儀」が加わって、「整っていて正しい」という意味を持つ。
 また「仗」は刀や戟
(ほこ)などの兵器をいう。兵仗であり、杖を指し、仗策の指揮杖のことで、この杖を仗身(護衛官)といった。この形式の則り、形式を重んじるのである。
 その手段として、儀仗隊自体を絢爛
(けんらん)と豪華で虚飾し、内外にその虚飾が、内面から出て来る絢爛さと豪華さが必要だと考えていた。
 だが質素倹約で、モンペ姿の日本女性を並べても木戸銭が取れない。うさん臭くなり、しみったれて、貧乏じみて暗い。如何に美人を取り揃えても華やかさは増さない。
 質素倹約も度が過ぎれば見苦しいものになる。それを回避するためには、明るくしなければならない。軍楽には輝き、照らす、神々しさが要る。古来からの軍楽の起きてである。また、きびきびとした動きであり、同時にそれが清潔感となる。この清潔感が態度の毅然さ招く。清々しくなり、それは意志力に繋がり、物事に同ぜぬ態
(さま)を作り出す。
 また隊列の儀仗行進をはじめ、小銃を操作する分列行進と、親愛高等女学校の吹奏楽団が行進曲程度では、少女歌劇団の興行程度で終わる。このような編制を主催者側は考えていたのである。

 以前、孫齢姫
(そん‐れいひ)に見せた羽田飛行場(東京空港)での空中陣型(formation)である。
 夕鶴隊降下員が高度2,000mから降下して、度肝を抜かせ、空中で陣型を整えた、空挺演技を観客に見せ付け、これからの日本の戦力に絶大なる称賛を浴びなければならない。これこそが秘密兵器の目的だった。
 これを披露宴で見せないと、大口出資者から多額の木戸銭は取れない。木戸銭の内訳は、特観
(特別観覧)席料と戦争早期終結基金とがセットになっている。
 加えて、『くろがね四起』
(武装四起)20台の全車輛が有機化して、機動性を持つ「常山の蛇」の展開をデモンストレーションする。その中の数台には、九八式20mm高射機関砲を据えた対戦車・対戦闘機対応の武装四起の高速走行中の発砲できる改造車が必要である。それも九分通り完成していた。これをもって「常山の蛇」で展開する。
 木戸銭が貰えるものあるとするなら、これであろう。


 ─────夕鶴儀仗隊の『お披露目・根回し工作』一週間前のことである。
 沢田次郎は安積邸
(仮名)に居た。
 安積家の当主で、安積財閥の総裁・安積徳之助
(あさか‐とくのすけ)を訪ねたのある。その人物に会うためにアポイントを願ったのである。
 安積徳之助は闇世界では「呑鯨
(どんげい)」の異名を持つ怪物である。暗黒世界の大物である。
 また安積は闇の政財界に通じ、善悪ならびに清濁総て併せ呑んでしまう怪物だった。この怪物は養父・沢田翔洋とは、竹馬の友で、安積家も同じ、維新の功労者としての先祖を持つ伯爵家であった。

 安積家の先祖は戊辰戦争の緒戦となった鳥羽伏見の戦いで、徳川軍と戦った新政府軍の小松宮彰仁親王
(こまつのみや‐あきひと‐しんのう)麾下(きか)の軍監(参謀)を勤めた指揮官であった。その功労をもって伯爵に列せられた。
 現在安積は権威として貴族議員でもある。
 安積家は維新後、影と光の「影」に徹して裏社会に潜み、一方、沢田家はその「光」となって表社会に存在した。両家は、影と光で明治・大正・昭和の世を生き抜いた。そして昭和の世では、安積徳之助は「呑鯨」の異名で裏社会を暗躍した。また一方、沢田翔洋は表社会で政府や政治家との利権を搦め、政商として煌々
(こうこう)を放っち、妖怪「智豹(ちひょう)」の異名で、外資の国際経済資本(メジャーズ)に恐れられていた。
 沢田次郎はこの怪物と妖怪の二者間を行き来し、時には怪物に拝跪
(はいき)して、智慧の一つも拝借し、あるいは妖怪の智慧を拝借して、自らも「世直し」を企て、自らは妖怪「鯰(なまず)」に徹しようとした。改革地震を起こす震源地になろうとしていた。霧の中の五里先を行く時代の先覚者であろうとした。
 今回の企ても、改革地震の先駆けであった。しかし五里先の霧の中を進む人間は、往々にして世間の批難と無理解の渦の中に立たされる。いつの時代も同じである。
 だが、沢田は意志力でその信念を貫いていた。

 また彼は相手が誰であろうと、決して気後れすることはない。堂々と渡り合う。それは養父仕込みの「礼」を弁
(わきま)えているからだ。
 普通、庶民凡夫は突然、身分の高い者や桁違いの大物の前に出ると、過剰に気後れしてしまうものである。
 これは有名スポーツ選手や今売り出しのタレントの前に引き出されても同じだろう。そういう習性が普段から身に付いている。
 しかし、階級の上下や権力の高官、身分家柄の貴人、財力所有の大物の場合、遜
(へりくだ)ってしまうと、これが却(かえ)って相手に対して失礼となる。礼を身に付けておけば、これらの人と会っても無用にペコペコせず対等に物が言えるのである。
 その場合、下がるか、退くか、譲るかは、相手と自分の位置関係が明らかになれば、礼は自ずから判定してくれるものである。着ている衣服の上下、装飾品の有無、全体の身形や容貌など、一切関係なく礼を知れば如何なる相手であっても卑屈になる必要はない。

 安積徳之助は沢田翔洋より、一歳年長の怪物であった。暗黒世界の首領
(ドン)である。それだけに内外の石油メジャーに水面下で通じていた。日本の石油輸入半分はこのメジャーから購入している。
 メジャーは石油供給源の利権を握っていて、購入先の各国に公平に配分するルールをタテマエとして来た。
 当時日本をはじめとする極東アジア地域では世界石油生産の三分の一を独占し、全石油輸出の55%を占めていたのである。
 だが日本は極東アジア地域の中で、もしそれが全面ストップしてしまうと、その影響は大となり、甚大な被害を受ける。また地理的な問題もある。日本は極東に位置し、世界の主要国の中でも最も夜明けが早く、そして日は早く暮れる。これが国際問題において微妙な影響を与える。
 例えば、オイルショックのような事態が起これば、それは消費量に跳ね返る。それに四季のある国は季節ごとに使用量が変化し、平均使用量で換算出来ない弱点を持つ。これが最悪の事態を招く場合がある。
 こうした石油事情の悪い中に、「一発屋」という石油ブローカが存在している。価格の上下に眼をつける。一攫千金を目論み、変化に乗じる輩
(やから)である。
 このブローカーの中には沢田次郎の養父・翔洋の貌もあったし、闇に隠れて、善も悪も綯
(な)い交ぜにして何もかも呑み込んでしまう安積徳之助のような「呑鯨」と称される途方もない怪物も居た。
 既にこのとき、一発屋どもが石油輸出制限措置を採
(と)らせようとして、これに賛成する勢力と、逆にそれを阻止する勢力から、外交官や政治家がその起点や標的となって、双方から揺すられていたのである。
 金・物・色は、誘惑のお馴染みの定番だった。

 まず沢田次郎は、安積徳之助に恭しく拝礼をした。
 「君も元気そうでなによりだね」と一応満足そうだが、《今日は何しに来た?》という言い方だった。
 「はあ、御大
おんたい/総裁または首領などを親しんでの呼称の意)も益々ご健勝でなによりです」
 久しぶりに貌を合わせた二人は、当たり障りのない社交辞令から話を始めた。
 しかし、幾ら養父の竹馬の友とは謂
(い)え、余り馴れ馴れしい態度を執(と)らないように言葉遣いには気を配り、一線を画して臨んだ。礼の基本姿勢である。
 呑鯨・安積徳之助は和服姿で、次郎に葉巻を勧めつつ、自らも葉巻に火を点け、その煙りをくゆらせた。
 だが、これだけの人物になると、油断は出来ない。失言は赦されない。善悪を綯
(な)い交ぜにして、清濁すべてを併せ呑む恐ろしさがあるからだ。影の首領と言われる所以である。

 怪物は石油の話を始めた。
 「次郎君。かつてルーズヴェルト大統領の対日石油輸出禁止に、日本海軍は日米開戦突入前夜、如何なる理由で大義名分をこじつけたか知っているかね?」呑鯨・安積は沢田次郎の認識状態を確信して訊いた。
 「日米開戦前、山本五十六大将は近衛文麿首相に、半年や一年は存分に暴れてみせるといったのでは……」沢田次郎はこのように認識していた。
 「では、半年や一年のこの期間、何を根拠にそう言ったか知っているかね?」更に訊いた。
 「坐して死ぬよりはと……」
 「では期限切れの一年先、二年先は、どういった?」
 「責任が持てないと、ごねたのでは……」
 「石油の備蓄量が根拠だったんだよ、大東亜共栄圏の傲慢
(ごうまん)にのぼせ上がってしまってなァ」
 「と、申しますと?」
 「日本の世論だよ。この国の世論は、マスコミが国民の煽動者
(agitator)になって煽る悪癖がある。それに民衆は踊る。幕末時は攘夷論が揺れ動いてこれが倒幕運動の中で横行した。いざ明治になると、洋化運動で明六社(明治6年(1873)森有礼(ありのり)が発起人となり、西村茂樹・福沢諭吉・西周(にし‐あまね)・加藤弘之らを同人として、結成された日本最初の学術団体。政治経済宗教などを問題にして啓蒙思想を鼓吹。その最たるものが福沢諭吉の主唱する脱亜入欧主義)の連中が西へ西へと煽(あお)った。そして今度は、松岡洋右外相の談話に始まった『大東亜共栄圏』だ。更にだ、悪癖は続く。欧米勢力を排除して、日本を盟主とする満州・中国および東南アジア諸民族の共存共栄にのぼせ上がってしまった。
 これは明らかに悪乗りだ。しかし、悪乗りはいかんよ。
 いいかね、日本の世論は常に極端から極端に180度偏向する。それも、悪乗りでだ。
 その中でも、運と頭脳に恵まれた君みたいな利口者は、したたかに極端から極端に流れて、成功する者もいるがな……」
 沢田はこれを聞いて些か苦笑した。皮肉を嗅ぎ取ったからだ。その皮肉の中には、かつてのブルジョア個人主義者は時勢に併せて180度偏向し、次は国家全体主義者として軍部の先棒を担ぐのかという意味が込められていた。それは沢田の身分が陸軍法務官で憲兵大尉で、世間では『要視察人』として恐れられている存在だからだろう。しかし、沢田次郎は意に介さなかった。

 「私を日本の歴史の裏切り者のようなことは言わないで下さい。ただ時流に反応しているだけです。
 そういう偉大な裏切り者の、右代表になるような器
(うつわ)ではありません。私は日本の片隅に居る一国民に過ぎません」と去(い)なすような言い方をした。
 「ほォーッ、なるほど。言い方もいろいろあるものだ」その言葉には明らかに皮肉が籠
(こも)っていた。
 「私は時流の乗って、狂気に踊って騒ぐほど楽天家ではありません。また自らの思考を停止するほど、世論に流れて楽な方を選ぶ蛮勇もありません」
 「なるほど。だが、陸軍司法官で憲兵大尉として陸海軍の司法権まで持つ、国家権力の右代表という者が、片隅の一国民である筈がなかろう」懸念を崩さすに訊いた。衝くところは衝く。
 沢田は苦笑しつつ話を繋いだ。
 「物理的な破壊とか、外圧という圧倒的な理不尽に、些か腹立たしく思っているだけです。こうしてお願いに参っているのも、そうした、行くところまで行って、潰える運命に歯止めを掛けて仕切り直しをしたいと願ったまでのこと。人間の風向きは時代によって、その正邪が変わるものです」
 正も邪も無く、須
(すべから)く一切は衝動であって、それは自然現象のようなものだと言いたかった。
 「そうだ、人間は時代ととも変わる」
 「またそれに伴って、自分の思考まで変わってしまっています。しかしその変化に、日本は常に外圧によって思想工作されてきました。その工作すら、されていることに気付かず、本人も知らぬうちに変えられています。この度
(たび)の大戦も、気付かぬうちに、いつの間にか戦争をし、緒戦の勝利に酔い痴れて提灯行列をやらかす始末。都合が悪くなると国民は聾桟敷(つんぼさじき)に置かれ、それに気付いたら、誰も知らぬうちに陸海軍はボロ負けしていた……」と巷(ちまた)に流布されている俗っぽい感想を述べた。

 「だがなあ。ボロ負けは、メジャーの石油備蓄量の偽りから始まったんだよ……」
 「私もそのように認識しています」
 「昭和16年4月時点には、海軍だけで徳山や四日市の燃料厰
(ねんりょう‐しょう)には480万キロリットル確保していた。この備蓄量はその年の夏から計算して使用料の一年分相当だ。しかしそれは海軍のみ。
 陸軍も独自の備蓄があり海軍相当量強を確保していた。つまり、この時点で軍・産を合せれば、2年半以上はあった。但し、陸軍は沖縄や樺太、更には満洲の貯蔵施設であり、輸送に距離があり過ぎる難点があった。だが、この距離はまさに大東亜圏の広域を目論んだものだ。これを海軍は知っていた。而して、海軍は自分らの使用可能総量が一年と見積っていた。最初から陸軍の抱える石油など当てにはしていない」
 「まさに、海軍の中の日本を髣髴とさせますね、日本の中の海軍ではなくて……」沢田は皮肉めいたことを言って嗤った。
 「しかし実際には、まだ二年半以上もあったんだ。したがって海軍の真珠湾奇襲は早計だったね。
 海軍は何ら戦争目的もなく、目的不在のまま、戦端の火蓋
(ひぶた)を切ってしまった。結局、半年や一年という期間は楽観的な見解から始まった」と、これまでの経緯を述べた。
 「日米交渉は続いていたからですね。しかしこれを無視すると言う、図に乗った米国への甘えがあった。山本五十六大将もこの甘えに何の保障もないことを知りつつ奇襲を画策していた……というところでしょう」
 「つまり昭和16年の夏時点だが、これまで八ヵ月以上に亘り、日米交渉が続けられていた。だが、あの奇襲で交渉をぶちこわしてしまった。ハル・ノート
(公文が事実上の対日宣戦布告となってしまった。日米交渉によってそれまで積み上げてきたものを、一挙にぶちこわしてしまった。これが、外圧と言うものだよ」
 「外圧とは政治家の意図以外の力と言うことですか」沢田は気になる点を訊いた。
 「米国のような民主体制下では、政治家は単なる高級労働者に過ぎんのだよ。単に彼らは、国費をもって法外な高給で踊る操られる媒体だ。操るのは、操り人形の糸を握った傀儡師
(くぐつ‐し)。傀儡(くぐつ)は傀儡師の思惑の台本で踊るだけだ。人形の傀儡には台本の未来図は書けんのだよ。そこまでの全知全能ではない。
 また、ルーズヴェルトとハルの二匹の狐狸
(こり)は『日本に奇襲攻撃をやらせた方が、アメリカ世論を燃え上がらせるのに都合がよいではないか』という意見で同調・合意し、これまでの交渉を一気に無視して、最後通牒を突き付けた。日本は、その意図を見抜けず、まんまと狐狸の罠に掛かったということだ」

 「結局、ハル・ノートは米国当局の予想から構築されている。交渉が決裂して、戦争になることを望んでいたということですね」
 「そうだよ、外交音痴の日本は、まんまと罠に掛かったのだよ」
 「これが罠である以上、はじめから用意周到だった、ということでしょうか。その用意の中に、プランAだけでなく、BもCもあった。そして万事を準備したのちに、日本側の受諾せざることを仕組み、最終的には日本に全面降伏か、あるいは戦争かを、二者選択で強いる策があった。そこで、海軍は真珠湾奇襲に踏み切ったということでしょうか。しかし“已
(や)む無く”は、彼ら戦争屋の方便でしょうが……」
 「しかし、この筋書き……だがね、よく考えると、余りにも出来過ぎていると思わんかね?」
 「つまり、表面上の対日石油輸出禁止というのは、表向きのこと……。そして易々と真珠湾を叩かせたことをですか」苦いものを噛んだような貌で、恐る恐る訊き出すように、沢田は問うた。
 「そうだよ。それで、余りにも奇襲攻撃が上手く行き過ぎた。第二次攻撃までは出来過ぎるくらいの戦果を齎した。その結果、どういうことが起こると思うかね?」
 「国中、上から下まで狂喜して有頂天に舞い上がる。幸先のいい緒戦の勝ち戦に気をよくする。その結果、もっと遣れ遣れとなる。国中が提灯行列と軍国主義一色染まる……というところでしょうか」沢田は人間心理の脆
(もろ)さを指摘した。
 「そこだ。勝ったと思い込んだ勝ち戦は、裏から見れば、敵の虎口に、いい気になって近付くことだったんだよ」
 「それは、あたかも項羽
(こうう)と劉邦(りゅうほう)の時代(楚漢戦争)、項羽の叔父に当たる項梁(こうりょう)が定陶(ていとう)を攻め込んだときの構図に似てますね。項梁軍は連戦連勝にいい気になって深入りし、秦軍の懐の奥深く侵攻した。そして定陶に居座って孤立してしまった。それが敗因となって、項梁は秦の章邯(しょうかん)に敗死した……というところでしょうか。まさに、この構図を髣髴とさせますね」
 「世間では『歴史は繰り返す』などと、バカなことを抜かす学者が居るだろ。だが、厳密には歴史は決して繰り返さんのだよ。歴史が繰り返したように映るのは、人間の思考が似ているからだ。その思考で、現代人は古代人と同じようなことを考えるからだ。それがあたかも、歴史が繰り返したように見えるだけなのだ」
 「よく分ります」
 「それは、どういうことか分るかね?」
 「秦の章邯が途方もなく勝れた、名将ということだったのでは?……」
 「その通りだ、章邯は途方もなく勝れた名将だった。この構図を、真珠湾奇襲作戦からミットウェー海戦まで当て嵌めれば、人間の思考することは、そっくりじゃろう」と促すように訊いた。

 「日本海軍はいい気になって、次から次に新たな作戦を展開した。将兵の誰もが自軍は、勝ち進んでいると思っていた。ところが、ルーズヴェルトの方は、役者が一枚も二枚も上だった。その名役者に、狐のような国務長官・ハル
(Cordell Hull)が付き従っていた……、そういうことでしょうか?」
 「これには政治のみならず、裏で国際経済資本
(メジャーズ)で絡んでいて此処が活断層を起こしたのだよ」
 「それは……つまり、このメジャーズ
(国際経済資本=国際ユダヤ金融資本=FRBの同根群)が、傀儡のルーズヴェルトを突き動かし、ルーズヴェルトはハルに罠を仕掛けさせた……ということでしょうか。
 ハル・ノートからすれば、日本軍の中国ならびにインドシナからの完全な撤退を要求し、中華民国国民政府以外の中国における、政府および政権の否認などを主張は、裏を返せばメジャーズの意向でもあり、日米交渉に露骨に顕われたということでしょうか」
 「そこで考えられることが、ルーズヴェルトを突き動かした圧力だ。つまり大統領のスポンサーだ!」
 「それは、つまり……、ロスチャイルド家の大番頭・ロックフェラーの意向?……。見えて来るものは、オハイオ・スタンダード石油会社。いま世界は、国際的な経済メカニズムでコントロールされているというところでしょうか……」
 「これで国際経済資本の本当の正体が見えて来るじゃろう。つまり、国際ユダヤ金融資本だよ。ヒトラーに巨額の軍資金を貸し付けた張本人だ」こう言って、呑鯨は呑鯨らしく豪快な笑いをした。
 「それがFRB……」
 「そうだ!」
 「その正体が見えたとして……、もう日本は、既に外圧で、次ぎなる戦後の第一歩を踏み出しているということですか?」
 「そうだよ、この第一歩に当り、誰が甘い汁を吸うか?……ということだ。此処まで来ると、もう戦争屋ではケリがつけられないところまで来てしまっているんだよ。どうするね、次郎君。君だったらどうする?……どういう策を用いる?」詰将棋の“詰めの一手”を問うような訊き方をした。
 呑鯨は次郎の頭脳明晰なる智慧の一端でも披露させよと、嗾
(けしか)けるような訊き方をしたのである。

 「お言葉ですが、私は噛み付き犬にはなりません」
 「ほォーッ、君らしいな。一見、鳩のように素直に見えて、それでいて蛇のように賢い。それだけに、愚かな噛ませ犬にはならんか。さすが智豹の仔
(こ)だ。豹は嗾けても、噛ませ犬などにはならず、ただ得物を猟るだけか。そして君は、いま残されている限られた石油の奪い合い参画するのではなく、これを丸ごと頂こうと目論んでいる。大方そういうことじゃろう?」
 「そこで次に、御大に呑み込んでもらいたい恰好の得物が居ります」
 「誰だね?」
 「アラブ石油
(仮名)の山上源太(仮名)
 アラブ石油の山上源太は『アラ源』の名で経済界では恐れられていた山師であった。
 「なに?!山上源太だと!」
 「そうです」
 「あの化け物の『アラ源』を、わしに呑めと言うか!……」驚嘆の怒声だった。
 安積徳之助は心の中で《この若僧、とんでもない話を持ち込んできおった》という表情で、その聲
(こえ)は怒声に近かった。

 アラ源は当時、北は樺太の栄浜・大泊間から、また南は台湾の台南
(高雄)・台北間までの主要港に独自の石油貯蔵槽を持っていた。更に東京湾内の川崎扇島に、総備蓄量八百万キロリットルの地下貯蔵槽を造ろうと企てていた。これは長期購入契約をして一年間一千万キロリットルの契約をして、そのうち二割相当の二百万キロリットル購入分を割引させるという魂胆と駆引きからだった。つまり年間一千万キロリットルを購入したとして、代金を値引きさせて、八百万キロリットル分だけ支払う。よく考えたものである。
 アラ源は野心家であった。
 この漢の脳裡
(のうり)には、日本の石油備蓄量の残高量が、常に計算済みだったのである。したたかに算盤を弾く計算達者であった。政商と言われる所以である。その意味では化け物であった。
 化け物は山師だけに、遣ることのスケールが違う。
 山師『アラ源』はアラブ石油の利権を握り、その異様さが当時の日本の財界から、一時はそっぽを向かれた漢である。それが余りにも《下手物
(げてもの)》であり、山師であり、また政商の名を恣(ほしいまま)にしていたからである。行儀の悪い野蛮人を思わせた。
 また、お行儀のいい財界人達は、アラ源に猛烈な違和感を覚え、山師共通の、例えば石油の採掘とか流脈調査などに対して篦棒
(べらぼう)な金を投資するこの賭けは投資と言うより、もはや危険な投機と指弾した。
 そもそも相手が外資のメジャー資本であるから、気の小さな企業経営者は、こんな危険な話に一枚加わる訳がない。まさにリスクの大きなギャンブルであった。アラ源が山師と言われる所以である。
 しかし、この山師は山師であるだけに、腹芸が特異な役者であった。近年に譬
(たと)えるなら、田中角栄のような人物であろう。
 もしアラ源のような漢が、日米開戦前に外務大臣か、外務省の高官だったら、ハル・ノートの意図など簡単に見抜いていたであろう。彼は高等文官試験の科挙並みの難関なる国家試験には受からなかったかも知れないが、実践現場の叩き上げの職人然としての外交官なら、教科書通りの知識の見解を逸して、米国側の意図を見抜き、当時の日本の危機を救っていたであろう。
 これは現場職人と、お行儀のよいお坊ちゃまクンとの実力差は、決断力と実践力の相違である。

 こういう経済界の中に在って、「アラ源はついに狂ったか」などの流言が流れ、その流言は兜町などでも知れ渡っていた。常識人の殆どが相手にしなかった。だが、日米開戦で事情が一変した。石油の急騰である。
 この急騰に力を得て、アラ源は次なる行動を起こす。これを千載一遇のチャンスと捉えたからである。広域なる輸送ルートを試みようとしたことであった。それが一発屋の石油ブローカーとしての側面の貌だった。
 また、満洲の富を満洲鉄道に乗せて、陸路で大連まで運び、海路で門司港からアラ源ラインを通じて日本内地の首都圏に運ぼうとしていたのである。
 更に、アラ源の野望は大陸へと飛び火した。大陸打通構想である。これが粤漢
(えっかん)打通作戦へと繋がっていく。しかしアラ源の大陸打通構想と、軍部が企てたが粤漢打通作戦の根本的な違いは、軍部は“負け将棋をもう一番”として企てたことに対し、アラ源は「戦後の仕切り直し」として、この構想を抱いていたのである。これはスケールと広域視野の違いである。
 山師は東南アジアの富を、このルートに乗せて、日本に運び込もうとしたのである。日本列島を縦断する南北のルートに併せ、満洲の富を満洲鉄道で東京まで直行させる。更に東南アジアの富を大陸打通で日本に運び込む。壮大なスケールの野望を抱いていた。
 特に、大陸打通に関しては陸軍に取り憑き、まんまとその作戦を展開させてしまったのである。昭和19年5月27日のことであった。
 アラ源の野望はこれらのルートを通じて、限りない野望を燃やすことであった。そして主要港の海底に巨大な海底貯蔵槽を設置する。この点を、線と結んで流通ルートを造る。この「点」とは、中間タンクのことであり「線」は流通用路線と言うことである。つまり五百キロリットル以上の石油の陸揚げをして、そのに中間タンク
depot/石油備蓄置場)のを設け、精油所や石油基地を設立して、日本に着くまでに原油を精油にしてしまうという奇想天外な発想に基づいていた。このラインを『アラ源ライン』と自称していた。

 「化け物が呑めるのは御大をおいて他にはおりません。もう日本は戦後に向かって歩いているのでは?」
 沢田は呑鯨に鎌を掛けて検
(み)た。
 ところが、呑鯨・安積徳之助も中々の役者で、善悪併せ呑む以上、時として腹芸の一つも打ってみせる。そのことを沢田は知り抜いていた。
 「わしの呑み込み料は高いぞ」呑鯨は貌を赧
(あか)らめ、突っ撥ねるようにいう。
 「承知しております。ところで御大はアラブ石油の山上源太が、上海に事務所を構える外資のセントラル石油から、長期契約で積み込むべき原油を確保していることをご存知でしたでしょうか」
 「なんだと?!それは本当か!」そういう情報を、いま初めて聞いたという表情である。呑鯨の語気には知るのが晩過
(おそ‐す)ぎたという怒りが紛れていた。

 沢田次郎は海外の『梟の眼』
(owl eye)を通じてこの情報を入手していた。養父・沢田翔洋は沢田貿易商会の海外出張所を通じて、アラブ石油の山上太郎の動向を探っていた。この情報が上海のK機関を通じて入って来たのである。
 また陸軍法務官で、“視察人”としての沢田には、情報手下の網があり、それが蜘蛛の巣のように張り巡らされ、満洲をはじめとして、支那
(中国)、内蒙古、チベット、ソ連国境付近、東南アジア諸国にも散らばっていて、暗号名(コードネーム)を『梟の眼』から逐一、新情報が齎されるのであった。『梟の眼』は沢田機関の長(cap)の暗号名だった。
 『ホテル笹山』は表向きは和洋折衷の宿泊施設だが、裏に別の構造を持っていた。そのように改造した。
 館内には強力な無線設備を整え、その受信網をもって、内外の時々刻々と変化する新情報を入手していたのである。
 特に海軍の暗号電報情報には眼を光らせる必要があった。ソ連と通じようとした軍令部の軍隊官僚には、特別な注意を払っていた。“負け将棋をもう一番”グループである。
 海外の駐留武官事務所から齎される情報については、要注意で、これが海軍では軍令部の戦争指導者や、今後の国策に反映されていない事実を掴んでいたからである。
 中間地点で「握り潰し」が行われていた。
 一方、陸軍では佐官級の強硬論者で押し通され、大半は如何なる情報も「聞く耳もたぬ」になっていた。
 要するに陸海軍とも、この期に及んで、負け将棋の更に“もう一番”を企んでいたのである。それは亡国を暗示するものであった。今こそ、早く戦争を終結させて新たに「仕切り直し」する必要があったのである。

 「御大の出演料は呑み込んだ長期契約確保の30%では?」最初はそう言う胸算用を立てていた。
 「……………」呑鯨は30%の提示に渋い貌をした。難色といってもよかった。
 「しかし、御大。半分よこせとは多過ぎますよ、それは欲張りと言うものです。
 私ども若者は、余生はそれなりの残っておりますが、さて御大はその余生を換算して、あと何年とお思いでしょうか。残された余生に多額の出演料は必要ありますまい。金はこの世のもの。地獄の底までは持って行けますまい。お年を召されれば、どんな強者
(こわもの)も焼きが回ります。
 そこでです。私も、それ一割りにしてくれとは、さすがに気が引けます。そこで、清水の舞台から飛び降りたつもりで30%と申し上げているのです。無理を承知で30%と言う私の心もお察し下さい」
 沢田はしたたかな交渉をした。押し切られれば、上乗せして10%上乗せして40%でも構わなかった。そのボーダーは40%であった。
 「君も父上に似て、中々の駆引き上手だなァ。まるで根っからの商売人だ。感心する」
 「それは褒
(ほ)め言葉と採(と)らさせて頂いて宜しいのでしょうか」笑みを泛べて、相手の肚を見透かすように訊き返した。しかし、と思った。軽々しく感想を述べるべきではないと痛感した。返す言葉に、些か話術に甘さがあったことを認めた。
 「よーしィ、分った。三割りで手を打とう」余りにも快く請負い過ぎる返事であった。余りにもタイミングが良過ぎる。
 「うム?……」簡単に手打ちされたことを不審に思った。《何かある》そう思わずにはいられなかった。
 これだけの人物である。若僧の持ち込んだ話に、簡単に喰い付く筈がないのだ。言葉に何か含んでいると思った。交渉話術の難しさだ。そもそも年季が違う。

 「君の父上・翔洋には、わしは一回、命を扶
(たす)けてもらったことがある。
 あれは確か明治45年
(1912)の辛亥革命のときだった。わしと翔洋はその当時、三十代初めで、ある財閥系の商社に居た。そして革命真っ最中の戦場に踏み入り、双方の指揮官に武器を売り付けていた。
 その当時、国民党、北方軍閥などの革命勢力が入り乱れておってな、それぞれに売り歩いたものじゃ。また二人で営業成績を競っておった。そのために口から出任せのところもあった。
 あたかも、『韓非子』に出て来る『楚国に矛と盾とを売る者がいて、自分の矛はどんな盾をも破ることができ、自分の盾はどんな矛をも防ぐことができる』と誇張した、まさにあれだよ。
 米国製のガトリング砲をはじめ、カノン砲などの火砲、小銃などを、現地で馬車を仕立て強力
(クリー)を含めて百人前後の商隊を組んで、戦場から戦場へと、見本を持って注文を取り付ける売り歩きをしていた。
 戦場から戦場の売り歩きの商社マンは、何も日本だけでなく米国・英国・仏蘭西
(フランス)・白耳義(ベルギー)・和蘭(オランダ)・墺太利(オーストリア)・独逸などがあった。各国の武器見本市の商戦合戦だった。
 わしと翔洋は、それぞれの商隊の責任者だった。
 あるとき張作霖
(ちょう‐さくりん)麾下の奉天派軍閥の中に妙な戦争屋がいてな、この戦争屋が、わしに、かの『矛盾』に出て来る『お前の矛で、お前の盾を突いたらどうなるか』と訊きおった。だが、そんなものは答えられる筈がない。そもそも矛盾だからな。
 そこで、この戦争屋は、わしを詐欺師呼ばわりして逮捕し、収監し、蹂躙
(じゅうりん)しおった。軍閥裁判に掛けられ、死刑判決を受けた。危うく死刑になるところだった。ところが、わしの窮地を知った翔洋は、枢密院の顧問官であった実父に、直ぐさま頼んで、枢密院議長の山県有朋公に働き掛けてくれた。危ういところ扶(たす)けてくれたという分けだ。
 その借りを、いま返そうじゃないか。これで貸し借り無しということでどうだ」
 だが、呑鯨がこう切り出したときが怕い。過去にも手痛い思いをしたことがある。条件を持ち出しても腹芸で躱
(かわ)されてしまうからだ。気付いたら貧乏籤を引かされていたこともあった。喰えないところのあるオヤジだった。

 「宜しいいでしょう、帳消しに致しましょう」
 しかし一方で、沢田は《これは人生の貸借対照表の帳尻合わせだろうか、あるいは義理返しか》と思う。
 「だが、慌てるのは早い。これからが本題だ」
 《そら、おいでなすった》と思った。呑鯨は妙なこと交換条件を持ち出したと警戒した。交渉話術は数段も上だからだ。呑鯨は肉食系の生き物であった。
 「つまり条件付きですか?」
 沢田は微妙な問いの意味を直ぐに察した。なるたけ感情を殺して訊いた。
 「君に売りたい情報がある。買う気があるかね?」これは決して強制したり唆しても居ない。しかし、唆さないことが却
(かえ)って誘いになることもある。
 「内容によります」誘導に乗った観
(かん)が否めなかった。
 「いい内容だよ、どうだ?買うか!」些か高圧的な態度が露になった。こう言われると、断る力はない。
 また、そう切り出した言葉には裏があるように思えた。《それにしても》と思う。怕いのは具体的な話を聴いてからだ。しかし刻一刻と剣難
(けんのん)は増して来るようだった。
 沢田次郎の心の裡
(うち)を読むような訊き方をして睨み据えた。これまでも、呑鯨の同じポーズは度々見てきた。そして断るのも地獄、了解するのも地獄だった。

 「地獄情報でなく、極楽情報ならお買い致しましょう」少しばかり、訊きたい衝動に駆られたからだ。
 このように切り出したのは未
(ま)だ、禍福(かふく)に対して、予感する情報に中心点が生まれていないからである。
 それに、何かがあるのは分るが、判然としなううちはどうすべきか、俟たねばならない。しかし表に顕われてから行動をとるのは結果的に手遅れの場合もある。さて、どうしたものか?と沢田次郎は思った。
 「上手い注文をつけるなァ君は……。もちろん君にとっては極楽情報だよ。いい負け戦の出来る朗報満載の極楽情報だ!」語尾を強めて沢田の貌を睨み据えた。それは憮然
(ぶぜん)とした表情であった。
 沢田も、まさに蛇に睨
(にら)まれたカエルであった。それは《さて、どうする?》と睨んだ貌であった。しかしこの態度は消極的すぎまいかとも思う。これでは並みの凡夫と何ら変わりがないではないか。
 持ち掛けられた情報を蹴れば無に帰し、此処まで来たのが“子供の遣い”で終わる。それに、やっとの思いでこれまでの深潭
(しんたん)に辿り着けたのに、と沢田は思う。
 だが、呑鯨も沢田を若僧扱いせず、一応、交渉人と看做している。取るに足りないと思っていない。決して軽く扱っていなかった。応えねばなるまい。

 「お買い致しましょう」決断の一声であった。そう言うしかなかった。何故なら、既に秘事の一端を洩らしているからである。こうなると長々と考えている暇はなかった。
 「これで、結局、手打ちだな。その代金は30%の上に、もう10%乗せて頂こう」
 《やはりそうだったか》と沢田は思った。何と言う厚顔さだろう。しかし、この報酬要求にはサバ読みは無いようだった。妥当だと思う。またこれを呑まねば、この場で醜く争うことになろう。呑むしかない。交渉話術の奥義を見たような気がした。
 「……………」沢田は内心、唸った。《一筋縄でいかない相手だ、上手く乗せられたか》の悔いが残った。
 やはり相手は、一枚や二枚上でなく、三昧も四枚も上手の、さすが呑鯨の異名を取る安積徳之助だった。
 沢田は10%浮いたと思っていた戦後復興費に充てる金を呑鯨の安積財閥の総裁・安積徳之助に“浮き分”を呑まれてしまった。しかし、いいだろうと思う。それでこそ呑鯨だ。影の首領だ。流石だと思う。
 この構図を裏から観れば、確約を取り付けたことになる。もう覆せないのだ。これからの流れは、この約定をもって履行されて行く。この契約は当時の金で1,000億円の約束がなされたことだ。これをM資金で支払う。そういう返済計画が出来た。しかし、これは契約がなされた以上、違
(たが)わず履行されなければならない。以降、絶対に変更されない。裏社会の陋規(ろうき)である。

 「いいか次郎君。石油事業で確
(しっか)りと認識しておかねばならぬことは、石油の備蓄工場というのはなァ、工場内に自家用タンクを持っていることだ。そのタンクは、誰もが一方的に入れるものばかりと思い込んでいる。その工場で使用する石油と思い込んでいる。普通はそう思い込んでしまう。それは政府の役人も、陸海軍の参謀肩章を付けた高級官僚らも同じ考えで、そのように思い込んでいる。
 しかし、こういう場合は大抵裏がある。つまりじゃ、反対に此処から一回も使用されることなく、出て行く石油もあるんじゃ」
 「盲点ですね」
 「これがトリックだ。此処に、ありありとした不審を感じないだろうか!」断言した言葉に、確信のほどが溢
(あふ)れていた。
 「盲点を衝
(つ)かれて誰もが見逃すということでしょうか」とトリックの事実を認めた。
 「実に、此処が盲点だったんだよ、誰もが疑いもしない死角だった。石油業者は一旦、自家用タンクに五百キロリットル程度貯蔵する。しかし、これから少量ずつ運び出すんだ。その運び出し先が正確には掴めないのだよ、政府の役人や陸海軍のお偉方には……。あるいは既に帳簿上からは消えているのかも知れない。故意に行った疑いもある。君が推理して、何処に運び出され、誰に流れたと思うかね?」
 呑鯨は恐ろしい闇ルートのあることを明かした。それは日本が備蓄量を掌握出来ない元兇を物語っていた。
 漸
(ようや)くこれで、手打ちと相成った。

 「裏とは、逆輸出?……。あるいは欲しい者への国内での闇小売?……」
 「いいところに目を付けた、流石だ。この備蓄基地が日本の島々に分散しているんじゃ。国内の闇小売は買手を探せば大して問題ないが、逆輸出は関税を通る。輸出先は中立国のソ連!」語尾を強めて言った。
 「つまり日ソ中立条約を楯にですか……」半信半疑で訊いてみた。
 「それも貿易名目で、ソ連へ、日本の備蓄石油を不心得者の仲買人が堂々と横流しして輸出している」呑鯨は断ずるように言った。
 「何ですって?!」驚愕と通り越して悲鳴のような返答であった。
 直ぐに沢田の脳裡には、歯舞
(はぼまい)諸島・色丹(しこたん)島、並びに南千島の国後(くなしり)島・択捉(えとろふ)の島々が泛(うか)び上がった。そして樺太の日本領内。これらの島々の貯蔵タンクから税関を通って、ソ連に流れていたという巧妙な裏構造。これこそ驚愕(きょうがく)に価するものだった。日本の持つ盲点を見事に衝いたものだったからだ。これこそが逆輸出の巧妙な仕組みであった。沢田は思わず唸った。誰も気付かぬ抜け穴だった。
 「では、国内での闇小売は、どういう方法で販売するのですか」
 「買いそうな相手を捜し、手紙で案内状を出し、買手は空のドラム缶を船に積み込み、数隻の漁船を仕立て買いに来る。この業者には樺太方面や北方の備蓄タンクのある島々にも、北廻船で巡航する仲買も居る」
 「では、その支払いは?」
 売買がある以上、資本主義では売主から、買主へ「支払い」を要求される。
 「物々交換!」あたかもその言葉は断言であった。
 「えッ?物々交換?……、それは例えば米などの食糧で……、ですか?」
 「そうだ!それにまだある。今は紙屑同然になって値下がりした有価証券。特に満鉄株は人気がある。顧客はソ連だ。あるいはだなァ……」と言い出しておいて、呑鯨は咳払いをして勿体をつけた。
 「あるいは何です?」急かすように訊いた。
 「土地所有の証明を記す登記簿謄本の写しを証拠にして、土地と米を物々交換する、90kg単位でな。
 この閲覧幇助
(えつらん‐ほうじょ)には法務局の下級官吏が絡んでいるだろう」裏には、米などの物品での賄賂の流入が行われていることを臭わせた。
 もうこれだけで、戦後を意識した流通の動きが国内で起こっていた。
 食うに困った国民は、戦災で焼け野原となった、かつて自分の家があった土地を手放そうとしている。それを米と物々交換しようとしている。土地で、暫
(しば)しの命の繋ぎを買うのである。背に腹は変えられないのである。弱者の泣き所であった。彼らは流通のベルトコンベアに乗せられていた。弱者を啖(く)う組織は理不尽と言えた。
 「……………」沢田は、もう言葉にはならなかった。
 「あるいはじゃ……、庶民にも買い易いように、土地所有の登記原本
(権利)を米で物々交換する」
 まさに爆弾発言であった。前代未聞の話を聴いたからである。おそらくこれは、戦後を意識した「闇商の売第一号」であろう。
 これを聴いて、沢田次郎は驚愕
(きょうがく)した。恐ろしい情報であった。
 その一方で軍部は、本土決戦の戦費九百億円を、国庫から前倒しで払い出させようとしている。この時代、それぞれの思惑が欲望に乱れて暗躍していた。

 背に腹は変えられない弱者をターゲットにしたこの商売、果たしてこれで総てか。まだあるように思う。
 沢田次郎の懸念はこれで終わった訳でない。これは、どう考えても組織的な動きであり、単に個人の商売ではなかった。統一された統合組織が動いているのでないか。何者かに指揮されているのではないか。そう疑った。この話を聴いて、刹那にそう思ったのである。
 沢田はその構図を考えてみた。これは三つ巴
(ともえ)になっているのではないのか?と。あるいは三竦(さんすく)みなのかも知れない。それだけに妙な動きであった。
 所謂
(いわゆる)《蛇の呑み合い》である。

 例えば此処に三匹の蛇が居るとする。この蛇は、投機的な蛇だ。
 Aと言う蛇が居て、Bという蛇が居て、Cという蛇がいたとしよう。それぞれは投機屋である。
 この投機屋は、また日本の未来を売買する博奕打ちでもある。この構図の中には、不思議にも、本当の実力者が誰なのか分らないのである。その貌が見えて来ない。
 つまり、蛇同士に呑み合いをさせる黒幕が、誰なのか不明に終わってしまうことである。これには複雑な絡み構造があって、二重三重の複合的な利権者が絡み、解明不能にしていることである。仮に、善悪併せもって呑鯨が化け物のアラ源を呑んだとして、次に誰がこれを呑むのかということであった。
 だが、呑鯨だって生き物である以上、食物連鎖の輪の中にあり、大物の呑鯨だってこれを呑む、更に上の化け物が居る筈である。

 「まだあるぞ」それは《おまけだ》と響いた。「石油も米も、また色でも、物々交換も遣る」と言い放ち、それは畳み掛けるような言い方だった。
 「つまり……色は女ということですか?……」恐る恐る切り出した。
 「女だけでない。就学前の少年少女もだ!」その言葉は、心胆
(しんたん)を寒からしめるものであった。
 「それは人買い。人身売買組織?!……」沢田の驚愕はボルテージを上げた。思った通り、総ては一つの組織であった。
 沢田次郎にはその確信があった。
 そして直ぐに、堀川彦宸
(げんしん)こと公瑞兆(こう‐ずいちょう)の名が泛(うか)び上がった。
 公瑞兆は戸籍上の堀川作右衛門の弟で、農務省の農事技官である。其奴
(そやつ)の裏の貌は人買い。公瑞兆の正体が薄らと浮上して来たのである。この漢は日本の人買いの暗黒組織を指揮しているのであろう。
 更に疑問が湧いた。
 では、この漢を誰が走狗に遣っているのか。そう思うと、M資金に絡む瞿孟檠
(く‐もうけい)が泛び上がり、貌のない「影の皇帝」と言われたXが浮上した。
 では、このXは、誰が使役しているのか?……。Xは上部組織の走狗だろう。
 その上部組織は如何なるものか。あるいはフリーメーソンの上位にあるイルミナティ?……。
 沢田次郎に幽
(かす)かに泛び上がたのは、呑鯨こと安積徳之助がいった「国際ユダヤ金融資本」という聞き慣れない響きが、いつまでも耳の中で反響していた。奥の院は、此処に辿り着こう。人間界の総てを呑む巨大金融資本である。だが相手が巨大過ぎた。強大過ぎて、身構えても何の意味も為(な)さなかった。思わず地の底が揺らぎ、巨大な輪の中に呑み込まれてしまう恐れを感じた。
 目の前には国際規模の巨大な輪が存在していた。その巨大な輪が廻っているような感覚を覚えた。

 人は変わるものである。時間とともに変わるものである。しかし、いい方に変わることは少ない。頑迷に流れて、悪い方に傾いて行く方が圧倒的に多い。徐々に悪い方に変化しながら、最悪のコースを辿る。
 では何故そうなるのか。
 変化する転機状況が中途半端であるからだ。ドン底に落ちて喘
(あえ)ぐような、底を這いずる廻ってのたうつような苦悩を経験して、初めて人はいい方向に変わる。しかし此処まで墜(お)ちて忍耐強く辛抱し、我慢して、それから立ち上がる事が出来る人は少ない。大半はそうなる前に潰える。もう二度と浮上しない。沈んだままで潰えて行く。没落する家とは、多くがそう言う家である。予定された通り、亡びる運命にある。あたかも『予定説』を髣髴とさせる。
 それが厭なら、変わらねばならない。その変化を、運命法則では「仕切り直し」と言う。
 二進も三進もいかなくなれば、もう一度、出直して最初の時点に戻ればいい。進退窮まれば、振り出しの戻ればいいのである。だか戻るには、それ相当の勇気がいる。毀
(こわ)れかけたものは、毀れるの任せ、一度潰して、もう再出発をする。この策を「武の道」では《奇手》という。振り出しの戻すことを言う。
 毀れかけて傾いた建物の上に幾ら頑丈の建物を建てようとしても、頑丈は得られない。それはあたかも、負け将棋をもう一番、もう一番の愚行と同じである。
 幾ら粘っても、武運拙く、運気の逃げたところに、再び運気は訪れない。
 運気を再び願うのなら、振り出しに戻って、心機一転の仕切り直しが必要である。
 沢田次郎は「今から仕切り直しだ」と自分で自分を励まし、気持ちも新たに、安積邸を後にした。


 ─────負け戦をしていると雖
(いえど)も、まだ日本軍に「余力が残っている」ことを、内外にプロパガンダ戦略(propaganda strategyとして宣伝工作することである。負け戦はしていても、仕切り直しの方策は要る。
 踏ん張って、転んでも「タダでは転ばないぞ」という気概が要る。仕切り直しにおいて、対等のテーブルに着くためである。そのためには「余裕」も必要である。損していても、また余力があるという余裕である。

 この宣伝工作は、いま現在のあらゆる階級に見せ付け、日本に余裕が残っていることを、内外に知らしめなければならない。
 特に蒋介石の国民党政府軍には、必見させねばならない。
 また、当時も日本には帰化人となって二代三代と言う階層も居た。現に日本軍の中にも紛れていたと言う。そういう者を逆利用して、大陸へ知らしめればいいことであった。
 一方で負け戦で滅びの美学に傾く、悲哀感は何としても阻止したい。滅びの美学に傾いた根本には「坐して死ぬよりは」の凡将の言が反映されている。
 この愚を阻止したい。沢田次郎の絶叫でさせる。
 そして昭和19年半ばを過ぎると、幾ら物資不足とはいえ、陸海軍の特攻兵器もこれまでの戦闘機や爆撃機から、格段墜ちる粗末な物体が登場し始めた。
 兵器の質の変化は、本土決戦のために戦闘機や爆撃機を温存させるためである。
 その温存論が低品質の木製の特攻機
(一旦飛び立つと車が外れる仕掛けで、二度と着陸出来ない)、ベニア板の特攻モーターボート(震洋)、特攻ロケット桜花(一式陸攻の下から発進)、人間魚雷回天(鉄管有人爆破装置)など使用され始めた。
 これらの兵器は一度人間が操縦室内に入れば、外から鍵が掛けられて出られない構造になっている。この種の粗悪物は、既に尋常な兵器ではなくなっていた。

 大東亜戦争当時、日本国民は命を賭けることを国家から否応無しに強制された。
 「心から国を思う人は戦って下さい。また、そうでない人は戦わなくて結構です」という自由選択は一切なかった。軍部は天皇の名を用いて、自分らの失敗の不手際を国民の押し付けた。底辺の微生物の命は、印刷代“一銭五厘”の価値しかない赤紙で幾らでも製造出来ると高を括
(くく)っていた。
 「国のため死ね」と言う。果たしてこの命令にどれだけの人が賛同し、自分の命を簡単に投げ出すことを好む人が果たしてどれだけ居るだろうか。熱望の聲
(こえ)を上げて、「死にます」という人は非常に稀(まれ)であろう。それに、死を覚悟したものは怕いものがないというが、それは嘘である。死んでもやむを得んと心決していても、死は、生きている人間には一度も経験がないから怕い。気狂いに至れば別だろうが……。だがその場合、半分は人間で無くなっている。

 陸海軍の高級軍人
(将官・佐官級)を含めて、誰もが死にたくないのに、当時の日本国家は外圧的な圧力を掛けて死ぬことを強制したことは末代までも、この非が拭えまい。当時の担当者は永遠にこの誅から逃れられない。多くの戦歿者の前で土下座すべきであろう。併せて、日米開戦の矢を射た山本五十六らの、ポーズは反対の立場を置いたこの種の輩の非も裁判すべきである。これまで一度もこの種の国民裁判は行われたことはなかった。

 陸海軍の特別攻撃隊。「神風
(じんぷう)」「敷島」などの呼称は確かに勇ましい。そして若者はその呼称を背中に背負って出撃した。出撃が度々繰り返された。
 しかし皮肉なことに、これだけ尊い命を賭けても、日本には神風が吹かなかった。いや、吹いていた。確かに吹いていた。だが、この神風の囁きを聴く、適任たる戦争指導者が居なかった。どこまでも真珠湾奇襲の華々しい緒戦の勝ち戦に引き摺られた。勝つ条件が揃っていても、勝つことが出来なかった。武器所有比では米国を遥かに凌いでいた。日本は米国に物量で負けたと言うが、昭和16年時点の武器比較では米国を上回る量を保有していた。一年未満で勝つ戦争に勝てなかった。長々と約三年八ヵ月以上
(昭和16年12月8日〜昭和20年8月15日間)もだらだらと引き摺ってしまった。

 『孫子』のいう「戦争はやたらすべきでない、戦いが避けられないのなら戦わずして勝つこと、戦争をしない戦争を考えよ」を完全に無視した戦争であった。そして「戦いは拙くても速やかに終結させる」の長引く戦争を戒めた言も無視された。その結果「兵は拙速
(せっそく)を聞くも、巧久をみず」であった。
 つまり、兵は疲れきり、士気は挫かれ、戦う力は出し尽くし、財政も底を衝き……という、このような状態にあっては、幾ら智謀を注ぎ込んでも焼け石に水であった。この期間に、日本人の大きな悲劇が横たわっている。そもそも人類の歴史の中で、戦術が巧みで、長期戦を勝ったという戦争の歴史は、例を未だかって一度も見たことがないのである。戦争が長引けば、国家に利益を齎したためしがない。斯くして財政が尽きればどうなるか。
 特に痛ましいのは、特攻隊を編制する時点でのプロセスである。この側面には指揮官が、他人に強制して命をかけさせる人道上・倫理上の理不尽が横たわっている。これこそ、以ての外と言えるだろう。

 更にこれらの特攻兵器の操縦室に入る若者に「熱望」と教唆して国民の心を操作し、その一方で直截的死地に向かわせる指令を発した指揮官ならびに、大東亜戦争指導者は、指令を下したこと事態に大きな責任があろう。その誅に伏するは必定。決して軽かろう筈がない。
 この当時の指揮官は、若者を死地へ向かわせた洗脳者に変身していた。サムライからは程遠かった。
 更に食糧難の時代、自分は飽食していたとなると、これは重大な過失であり、その過失をなに喰わぬ貌で遣り過ごし、戦後、彼らの多くは自決することもなく、何ら責任も取らず、おめおめと生き残り、熱
(ほとぼり)がさめたころ復活し、政治や経済の世界で大きな影響力を示した。「諸君だけを死なせない。自分も必ず最後の一機で突入する」と豪語した指揮官の言は、遂に実行されることもなく、また出撃する特攻員達と堅く交わした約束は最後まで履行されなかった。高額な恩給の給付を受けて、戦後は何事もなかったように安穏と暮らした。
 これこそ理不尽の最たるものである。タイムリミットは迫っていた。早急
(さっきゅう)なるプロパガンダ戦略を必要とした。



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