運気 八門人相 房中術 癒しの杜 菜根譚 小説 会報Back No. 合気 蜘蛛之巣伝 死の超剋 霊的食養 心法
続 壺中天・瓢箪仙人 1
続 壺中天・瓢箪仙人 2
続 壺中天・瓢箪仙人 3
続 壺中天・瓢箪仙人 4
続 壺中天・瓢箪仙人 5
続 壺中天・瓢箪仙人 6
続 壺中天・瓢箪仙人 7
続 壺中天・瓢箪仙人 8
続 壺中天・瓢箪仙人 9
続 壺中天・瓢箪仙人 10
続 壺中天・瓢箪仙人 11
続 壺中天・瓢箪仙人 12
続 壺中天・瓢箪仙人 13
続 壺中天・瓢箪仙人 14
続 壺中天・瓢箪仙人 15
続 壺中天・瓢箪仙人 16
続 壺中天・瓢箪仙人 17
続 壺中天・瓢箪仙人 18
続 壺中天・瓢箪仙人 19
続 壺中天・瓢箪仙人 20
続 壺中天・瓢箪仙人 21
続 壺中天・瓢箪仙人 22
続 壺中天・瓢箪仙人 23
続 壺中天・瓢箪仙人 24
続 壺中天・瓢箪仙人 25
続 壺中天・瓢箪仙人 26
続 壺中天・瓢箪仙人 27
続 壺中天・瓢箪仙人 28
続 壺中天・瓢箪仙人 29
続 壺中天・瓢箪仙人 30
続 壺中天・瓢箪仙人 31
続 壺中天・瓢箪仙人 32
続 壺中天・瓢箪仙人 33
続 壺中天・瓢箪仙人 34
続 壺中天・瓢箪仙人 35
続 壺中天・瓢箪仙人 36
続 壺中天・瓢箪仙人 37
続 壺中天・瓢箪仙人 38
続 壺中天・瓢箪仙人 39
続 壺中天・瓢箪仙人 40
続 壺中天・瓢箪仙人 41
続 壺中天・瓢箪仙人 42
続 壺中天・瓢箪仙人 43
続 壺中天・瓢箪仙人 44
続 壺中天・瓢箪仙人 45
続 壺中天・瓢箪仙人 46
続 壺中天・瓢箪仙人 47
続 壺中天・瓢箪仙人 48
続 壺中天・瓢箪仙人 49
続 壺中天・瓢箪仙人 50
続 壺中天・瓢箪仙人 51
続 壺中天・瓢箪仙人 52
続 壺中天・瓢箪仙人 53
続 壺中天・瓢箪仙人 54
続 壺中天・瓢箪仙人 55
続 壺中天・瓢箪仙人 56
続 壺中天・瓢箪仙人 57
続 壺中天・瓢箪仙人 58
続 壺中天・瓢箪仙人 59
続 壺中天・瓢箪仙人 60
home > 壺中天・瓢箪仙人 > 続 壺中天・瓢箪仙人 44
続 壺中天・瓢箪仙人 44

世の中には風が吹いている。この風を「世間風」と言う。
 この世に棲
(す)む人間は、この世間風に吹かれ、何かによって無意識に動かされている。風の流れに順応する。
 その無意識には肌に感じない微風が吹き、しかし微風は観じようとすれば、何か心に通うものである。善きにつけ悪しきにつけ、何かしら血が騒ぐような感覚を覚えるものである。

 この世には世間風が吹いている。
 時には噂となって流され、ときには風評となって波及する。世間にはこうした風が吹いている。微風だが伝搬する。そして暗部にまで吹き抜ける。
 そういう幽
(かす)かな風を観じるのは「勘」である。機械測定では観測できないものである。それは絶対界が表面上で、相対界のように見せて、藕糸の部分を隠しているからである。その隠れた部分に、花を咲かせ、実を結ぶメカニズムがある。体系的科学で究明出来ないものである。有機的生命体は藕糸を隠して、相対的現象界に連鎖を及ぼしている。
 花は咲き、実は結ぶ。それは体系的な自然科学を通じての現象でない。有機的なる生命体の現象である。


●結実の前夜

 愈々(いよいよ)余すところ、あと一日を残すだけとなった。
 では、夕鶴儀仗隊から、これまでの足跡を追って見よう。
 この隊は、第三十五師団
(関東)佐倉歩兵二百二十一聯隊に『臨時徴用令状』で徴用された時にはじまる。女子挺身隊として徴用された。此処に集められた女子学徒は、高等女学校生徒から大学生までの、ごく普通の平凡な女性達であった。少なくとも徴用当初の5月の時点ではそうであった。
 ところが、あれから約二ヵ月半が過ぎた。その結果、大きな変化が見られた。眠っていたものが覚醒した。
 その変化は突然変異のような変わりぶりであった。
 最初、普通の子女で、銃後に居た彼女達は、銃を持たされた時点で変異した。異能ぶりを発揮した。射撃や高々度からの降下、そして総ての車輛を乗りこなす運転技術、更には儀仗隊の音楽的感性と分列行進の身体能力など進歩である。
 あと一日……。
 このタイムリミットの中には、歴史が動く「前夜」のようなものが含まれていた。これから先の運命を占う上で、重い意味を持っていた。何かが一斉に動き出す《歴史の歯車》が廻り始めた感じであった。

 特別令で、徴用を目論んだ沢田次郎は、選抜に当り「逆も真なり」の発想で募兵を行った。
 だが男子の小学生などからの、若年層の青田刈りはしなかった。
 銃後の有能者に目を付けた。逆も真なりで、男が駄目な、女を銃前に据える発想で行動した。
 募兵徴用に当り、一人ひとりを自分の眼で確かめ、徹底的に調査をして、頭の程度、性格や意志力、判断力や身体能力、更には、特に視力のいい者ばかりを集めて来た。遠望する「観察眼」に重点を置いたのである。
 選抜に当たっては、家柄や身分にこだわらずである。
 参集者は華族から士族、そして平民までいる。貧農の出もいる。こういう出は、戸籍調査をすれば部落民かも知れない。身分としては最階位である。しかし、一切をこだわらず、能力者を銃前に揃えてみた。
 そうすると不思議にも、それぞれが影響し合って、これまで眠っていた異能が突出した。突然変異のような現象が起こった。銃前でも女特有の能力で、男とは異なる勝れた能力があることが分った。
 その基準にしたものは何か。

 まず人体構造である。
 男と女とでは、躰の細胞が総て異なっている。それは染色体を見ても明らかである。
 特にY染色体
【註】性染色体の一つで雄性決定・精子形成に関与し、X染色体に対立する)の有無が挙げられる。これは増えれば男性型となり、欠如すれば女性型となる。しかし遺伝子は行動を制御するのでなく、化学的形成を制御するのであって、その過程により基礎構成がことなるだけのことで、同一状況に対して異なった反応を示す個性に男女差が顕われるのである。つまり、これが男女の人体構造の違いであった。
 例えば、女は男よりも耳がいい。あくまでもこれは一般論である。音の認識が勝れている。
 逆に、男は女より眼が勝れていて、遠くのものをよく見る。これも一般論であり、総てに当て嵌まるものでない。しかしこれらの特性は、生まれ落ちたときから持って生まれた特性であるといえよう。

 次に挙げるとすれば、発育・成長の違いである。その速度の違いである。
 女は男より発育・成長が早い。乳幼児の幼児期から、十代後半の期間においてはその違いが見られる。
 特に顕著なるものは言葉を覚える早さである。この早さは断然女の方が速い。それは同年齢の男女を比較しても顕著である。言葉を早く覚えるので、読み書きが流暢
(りゅうちょう)なのは女である。言葉の単語数も断然多い。
 しかし男は、言葉数が少ないだけに、空間を見てそこから感じ取る領域と奥行きが広く、男が女よりユートピアンになり易いのはこのためである。空想に耽るのも、男の方が断然多い。一方、女はリアリストである。
 男より空想を抱かず、シビアな現実主義者である。経済観念が発達している。
 斯くして男女には、五官に違いが生じている。したがって各異差から、それぞれが異なった特性を持っていることは明白であろう。

 次に行動力である。
 男は女より身軽に行動する。考えるより、動き出してから考える。思考は後回しである。まず動く。疾る。
 その場合、後先を考えずに動いて、失敗するのは大抵男の方である。
 一方、女は動くより先に考えて行動を起こす。一般論的にいえば、格闘に対する敏捷性も女より、男のほうが素早い。それは元来、男が狩猟をすることでも明白であろう。
 狩猟行為には、眼の良さが問われる。獲物を逸早く見つける能力である。こては眼がよくなければ出来ないことだ。眼が悪ければ得物を為
(し)損じる。標的を射たり、対象物の型や配列の見分けなどは、眼に委ねられる。また猟をする行為の中には方向感覚の問題があり、方向感覚は、女より男の方が勝れている。得物の変化にも敏捷に動いて、自らも素早く変化してみせる。男が狩猟をする所以である。

 人間は進化の過程で、生物学的要因と文化的要因がともに作用し、本質的には二種類の異なる男女、雌雄を区別する「性」を生み出した。その根元にはY染色体が発達の過程で連鎖反応を起こして、全く個別の異なったパーソナリティ
構造(personality construction)を齎したことによる。

 では、その異なった個別能力を上手く利用することは出来ないか。沢田次郎の発想は、此処から起こった。
 更に「巫覡
(ふげき)」の違いに目を付けた。異能力である。
 異能力は当然男女間でも起こる。
 巫覡……。神と人との感応を媒介する異能者を男女ともに巫覡と言う。神に仕えて人の吉凶を予言する者を指す。女を「巫」といい、男を「覡」という。
 しかし、この異能者は「巫女
(みこ)」の言葉からも分るように、女が圧倒的に多い。神に仕えて神楽や祈祷を行い、または神意をお伺いを立て神託を告げる者を巫女と言う。巫女は未婚の少女が多い。「かんなぎ」ともいう。古くは「カムナキ」とも言った。
 神に仕え、神楽を奏して神慮をなだめ、かつ神意を伺い、神降ろしを行いをする異能者を指す。巫女は「めかんなぎ」ともいう。女は超心理的な異能に勝れているのである。未来予知も高い。

 沢田次郎はこれらの点に着目し、度重なる負け戦は、役者の入れ替えで歯止めが掛かるのではないかと考えてのある。それから二ヵ月半が過ぎた。
 徴用から二ヵ月半を経過した頃から、奇妙なことが起こった。全隊は功を奏しつつあった。進歩が早いのである。習得能力が早いのである。女の異能を通じて、九分通りが出来上がった。そして戦場体験、一歩手前まで漕ぎ着けた。いま彼女達が体験出来ていないのは、実際の戦闘のみである。


 だが、問題もあった。それは「血」を検
(み)る感覚である。血を見て、それがどう変化するか、そのデータがなかった。しかし、野戦病院などでは傷病兵の看護をするのは女性である。それは日赤の従軍看護婦が証明している。女は案外、男より血に対する感覚を処理する能力があるのではないか。そこまで考えてみた。そうかも知れないと思う。
 では、残忍な殺傷はどうか。この殺傷には両方が含まれる。殺
(や)る方と殺られる方である。
 血の勝負師は強いと殺り、弱いと殺られる。殺生の状況には、二つが相対的に存在している。
 夕鶴隊員は、これまでそれを疑似体験している。臨死体験に近いところまで迫った。
 しかしである。それは、これまでの体験がシミュレーション体験
(simulation experience)であるからだ。演習が飽くまでも演習である。今風に言えば、夕鶴隊の面々は巧妙なるバーチャル・リアルティ(virtual reality)の世界を経験したに過ぎない。何処までも仮想空間の域である。仮想現実での知覚の範疇(はんちゅう)のことである。あくまで実戦の十字砲火を知らない所詮(しょせん)模擬実戦に過ぎない。
 此処まででは、現実に、敵と命を遣り取りするのでないから、模擬戦を展開して負けても実際に死ぬことは無い。一応、死なないという保障があって隊員は、その安堵感の下で訓練の命令に従っているだけである。
 つまり、問題は此処にあった。「詰め」の問題があった。命の遣り取りを、どう解決するかであった。

 戦争状態とは、何を意味するのか。
 敵対国とは、「敵性」を意味する。この敵性は、敵国または敵国人である性質を指す。更に、戦争法規の範囲内において、敵への攻撃、敵に軍事施設への破壊ならびに破壊工作、敵国ならびに敵国人からの掠奪行為および兵器や物品の捕獲などの戦争行為における加害行為をしてよいと認められる性質の一切を指す。
 また、“敵性用語”などの敵国の言語や言葉を排斥し、追放する動きを時に権力が企て、自国民に強要することである。これまでの日常とは異なり、総てが死と隣り合わせに急変する状態を、「戦争状態」という。
 一方で、戦場で実戦を展開するためには、予
(あらかじ)め訓練を行う。それを積み重ねて、総合的な他との連携をもって演習を行う。実戦の状況を想定して、歩兵軍隊、艦船などの艦隊航行や敵地上陸、航空機での空中戦や地上攻撃などを物理的・生態的・社会的に模擬することである。この一切の行為は、日常ではあり得ない。非日常の戦時の行為である。

 「自分は死ぬことがない」という保障と安堵感は、一方で緊張感、交感神経の作用、血中のアドレナリン分泌などの作用が、総てシミュレーションと実戦では極端に違うからである。この差異こそ、重大な課題であった。これが教練を施す側の最大の問題であった。
 また銃器や戦闘車輛には補給が必要である。補給を断たれれば、武器はあっても撃ったり、走行させたりは出来ない。そして最大の難問は、武器を使い果たして、一方的に「狐狩り」のような状態に陥った場合、それをどう躱
(かわ)し、どう切り抜けるかであった。追われる状況まで経験を積んでいおく必要があった。
 人間の心理として、こういう場合、心理的危機の状況をどう安定させ、どう切り抜けるかである。その回避策が、全く夕鶴隊には、まだ授けられていなかった。そして、この状況下で“頼みの綱で”あった津村陽平は明日にも野戦に出て行く。
 主夕鶴隊の任教官のアン・スミス・サトウ少佐としては、この課題に解決策を求めねばならなかった。それも早急にである。アンは、野戦出動前の津村陽平に、瀉瓶
(しゃびょう)の総仕上げとも言うべき事柄について幾つかの質問を重ねていた。アンは津村から、最後の教伝を教わっていた。

 「先生は、愈々
(いよいよ)明日発たれますね。わたくしとしては、これから、預かったこの子らを、どう指導して行けば宜しいでしょうか。何分にも、全員が実戦経験が皆無です。演習はあくまでシミュレーションの域を出ません。何か策は御座いませんか」
 「安ずることはありません。人生、なるようにしかならないものです。そのときは安心して死ねば宜しい」
 「はあッ?」と驚きが洩れ、《そんなご無体な……》とでも、言葉を繋ぎたいようなアンの心境であった。
 「ご納得、頂けませんか……。つまり状況判断です」
 「状況判断?」
 「さよう。つまり状況を判断するには、まず眼に頼る。次に何に頼ると思いますか?」
 「眼の次……となると、勘ですわね」
 「さよう、勘……。科学的体系主義者が“非科学”と言って憚
(はばか)らない勘。だが思い込みによる直感とか、第六感という種類のものではありませんぞ。勘は勘であり、発信源は己(おの)が魂。迷ったら心を鎮(しず)め、勘を研ぎ澄まして、土地の鬼神(きじん)でも訊きなされ」
 津村は奇妙なことを言った。

 「勘を研ぎ澄まして、鬼神に……ですか……」
 「眼ですよ。但し、肉の目でない。心の眼、裡側
(うちがわ)の眼。肉の目でなく心の眼で見ることです。
 心の眼で検
(み)ると視界が広がる。遠方がよく見える。それを得るには広範囲に物事を見る訓練をする。
 瞬時に見る。賢者は一般人よりも視界が広いものです。その場合、ミクロを検るのでなく、マクロを検る。
 全体像を見て、大局から判断する眼を養うことです。幾らミクロの局部に優勢を作り出しても、全体像がアンバランスでは、結局肝心なる目的は不十分に終わります。
 今の“まあまあ可
(よし)”を需(もと)めるのでなく、半年後、一年後、二年後、三年後の長期を見通し、五年後、十年後に需めたものが出現していればいいのです。しかし目的と結果は間違わないことです。
 眼というのは、何も頭部だけに付いてのではない。外に向かっている眼だけではない。眼は裡
(うち)にも向かっている。更に、足の裏にも付いている。足の裏には眼もあり、耳もある。そこが見聞きする」
 「妙なことを言われます……」訝しがって訊き返した。
 「妙ではない。鬼神が地の底から足の裏に伝えてくれる。それを聴けばいいこと。あたかも、神風の幽かな囁きを聴くように……。神はいつも囁いている。その囁きが聴けないのは、自他が離別しているからです」
 津村は断固言い張った。
 「自他離別……」アンは復唱するように言う。

 「離別しておれば、死もまた恐ろしいものになる。したがって、死を腹立たしく思ってしまう。
 しかし死は恐れる対象でもなく、また憎む相手でもない。生きることと死ぬことは同根である。その関係は表裏一体である。生死に境目はない。それも、あるが儘に、その現実を受け容
(い)れればいいこと。受け容れれば、死から逃げ出す必要はない。更に、忌み嫌う必要もない。そういう感情は筋違いと言うもの……」と津村は更に言葉を繋いだ。
 「あるが儘にですか?……」アンは半信半疑に訊き返す。
 「人間に死を齎し、それを決定するのは、病気でも事故でもない。況
(ま)して戦争でもない。死を決定するのは寿命です。但しその場合、条件がある。それは運命に恵まれ、死に恵まれていなければなりません」
 「恵まれた死、それは、つまり死に腹を立てたり、感情を露
(あらわ)にして、気分を恐怖で汚染させてはならないということでしょうか。死も、あるが儘でいい。素直に受け止めればいい、死ぬ時が来たら、従順に受け容れればいいと言うことでしょうか」
 「さよう」
 「だから、それ以上、安ずることはない……ということですね。これまでに聴いたことのない素敵な解釈ですわ。以後、心に留め置きます」
 死は現象界で起こる自然現象であり、これが自然現象ならば、決して人間側の意のままにはならない。そう言う制御は無用である。また如何様に努力しても自分の意のままにはなるものでない。従順に遵
(したが)えばいい。津村陽平はそう言いたかったのである。

 「ところで先生は、贅沢は敵と思われるでしょうか、それとも素敵と思われるでしょうか?……、如何でしょう?」
 津村はこの問いに直接答えようとはせず、己を倹にして、人に倹ならず。これを愛と言う。己に倹にして、人に倹なる。これを倹と言う。己に倹ならず、人に倹を押し付ける。これを吝
(りん)と言う……。ご存知でしょうか」
 「吝とは、吝嗇
(りんしょく)の事ですね。つまりケチ。やはり贅沢は素敵なのですね、よく分りましたわ」
 アンは今まで燻
(くすぶ)っていた心の霧が霽(は)れ、疑問が解けたように、晴れ晴れとした貌になった。

 「かつて、孔子は周公旦の礼法について、『もし、周公の才と美あるも、驕
(きょう)かつ吝(りん)ならしめば、その余は観(み)るに足らざるのみ』と説いたことがありました。
 周代の礼楽制度を為した周公旦の名君に比肩し得るような才能と権力があったとしても、驕慢
(きょうまん)になって、人を見下して侮るような気持ちが毫釐ごうり/極めて少ない微量の意)でもあったら、有能な人材はその人のために心を尽くさないだろうという意味です。
 また物を吝
(おし)んで、与えられるべきものを与えないようでは人民は力を尽くさないだろうから、無理強いする質素・倹約は人の心を貧しくし、節約したつもりが、結局、帰すると言っています。ケチの混ざる倹は、世の空気を一層険悪なものにします。こうした世の中では、贅(ぜい)の弾劾は逆効果でしょう。
 むしろ、進んで清貧・清潔に準ずるならば、贅はまた諧謔
かいぎゃく/気が利いていてユーモアを含む意)かつ洒脱しゃだつ/俗を脱していて垢抜けている意)な意味を持つものでありましょう」
 それは、そのまま大戦の戦争指導者に対して、国民の意識に反映されると考えてみれば分り易い。
 津村からの傾聴すべき点は、今もなお、決して少なくなかった。


 ─────『臨時徴用令状』で集められて、編制された夕鶴隊の変化。それは突然変異の如きであった。
 異変が起きていた……。それも、それぞれ個々人にである。
 奇
(く)しくも突然変異のような現象が顕われた直後、彼女達には変化が「二重変化」となって顕われた。
 それは各人の、過去の自分との訣別であった。自分が変化すると当時に、年齢から来る「訣別」という変化が起こった。
 最年少の14歳の高等女学校の生徒だった長尾梅子、島崎ゆり、それに室瀬佳奈にも、同じような変化が起きていた。普通だったら、この少女達は、どうなっていただろうか。おそらく平時なら、平凡な人生を歩んでいることだろう。
 平凡に生きて平凡に死ぬ……。そういう、極めて幸福な人生を送る一生であっただろう。
 また戦時であっても、銃後で、それなりの平凡な生き方が出来たであろう。
 おそらく、沢田が「逆も真なり」の発想をもっての奔走がなければ、彼女達は生涯、劇的な場面には直面し得なかったであろう。大半の者がするように、努力より安楽を好み、易に傾き、微温湯
(ぬるまゆ)に浸かる生活を愛し、人生を深く、深刻に考えるより、一生を平凡に送れることを望んだのではあるまいか。
 あるいは平凡の中に、些かの退屈が生じたのではあるまいか。
 平凡な人生には、必ず退屈が生じる。日々が穏やかだと、緊張がなくなって気力が衰えるからである。

 人生における退屈……。人は、この退屈とともに人生を送っているのかも知れない。
 したがって退屈とは「如何なるものか」を論ずれば、その人の貧富の差とは無関係であり、貧していても退屈は存在し、富んでいても退屈は派生する。あるいは中産階級でも、退屈はあるだろう。人は退屈を媒介として、男女は性交遊戯に奔り、既婚者でも姦通を働き、噂を流言して人を陥れる。総て退屈の為
(な)せる業(わざ)であろうか。
 更に、昨今のような世の中では、退屈に加えて「孤独」がある。退屈に加えて、孤独が重なる。
 その悪しき相乗効果で、掛け合わされれば、「二乗苦」が起こっているのではあるまいか。その二乗苦は紛れもなく「恐怖」であろう。この恐怖は、戦争よりも、あるいは天変地異よりも恐ろしいかも知れない。
 この恐怖について、先の大戦で考えてみれば、こういう事ではあるまいか。

 この物語の時代背景は昭和19年7月半ば頃である。
 当時の戦局はどうだったか。
 軍関係者ばかりではなく、一般市民の中にも、日本の戦局がよくないことは薄々感じ始めた時期である。
 中には短波放送などを通じて、連合軍の優勢を知っていた人も少なくなかった。日本の勝利を頑
(なたくな)に信じているのは一部の、『君が代行進曲』に始まる「大本営陸海軍部発表」のラジオ放送に耳を傾ける視聴者だけであった。
 また列車に乗れば、いつも超満員で一等・二等・三等のランク分けがあっても、二等や三等に押し込められた客が押し合い圧
(へ)し合いの状態になって一等車に雪崩れ込み、一等車に坐る陸海軍の将官クラスの席まで押されてきた客が、将官の坐る椅子の肘掛けに、平気で腰を降ろしていたという話を聴いたことがある。
 大戦末期は軍人が尊敬されなくなっていた。国民の多くは軍人に恭しさを感じなくなっていた。特に職業軍人にはである。既にこのとき国民は、軍人に対して平身低頭なる姿勢を見せなくなっていた。
 原因は、負け戦を演じている日本軍の腑甲斐無
(ふがい‐な)さへの憎悪からである。身内にも多くの戦死者が出たからである。昭和12、3年当時の日の出の勢いは、この時代、日本軍からは完全に失せていた。国家に対して、文句無しに遵うという気持ちは薄れていた。

 こう言う時代に、『要視察人』と恐れられていた憲兵大尉の沢田次郎は、あたかも少女歌劇団の団員を選抜するような眼で、20名の女子学徒を『臨時徴用令状』をもって、第三十五師団佐倉歩兵二百二十一聯隊に集めたのである。やがて、この組織は『夕鶴隊』と命名された。
 夕鶴隊は内地では「夕鶴儀仗隊」として少女歌劇団のようなことを遣るが、一方で外地の大陸を想定した戦闘では、「夕鶴遊撃隊」として「常山の蛇」を展開するのである。少女歌劇団は一人二役を演じるのである。
 また、その「常山の蛇」は二次元平面展開の陸路だけでなく、空路や海路
(海・河川・池)を含めて、三次元立体展開の遊撃戦を遣れるように訓練中だった。そういう目的で編制された女子戦闘隊であった。


 ─────彼女達が入隊して間もない頃の会話である。
 当時の教官は、アン・スミス・サトウ少佐が着任する前の、沢田次郎が担任兼教官を兼ねている時である。
 年長者組は鷹司良子
(日女3年)、中川和津子(明女3年)、副島ふみ(日女3年)、山田昌子(明女3年)、谷久留美(日女3年)の何れも20歳であり、年少組が長尾梅子(実践高女1年)、島崎ゆり(実践高女1年)、室瀬佳奈(共立高女1年)で何れも14歳であった。上と下では年齢差が6歳もある。したがって、当然話題の次元も内容も違う。

 食事も終えた昼食後の寛ぎの、ある日のことである。時空間は二ヵ月半ほど前の5月××日頃のこと。
 休憩室にはそれぞれが、数人のグループごとに散らばって雑談を交わしたり、本を読んだり、トランプをしたりと様々であった。
 一方、ある席では教師志望の副島ふみと、日本放送協会のアナウンサー志望の谷久留美の二人が将来のことについて話していた。

 「まいっちまうよなァ。徴用で、こんな妙なところに引っ張り出されてさァ。おまけに変な訓練、朝から晩まで遣らされてさあ。とんだ貧乏籤だよな」と頭髪を掻き毟
(むし)りながら言う副島ふみ。
 「仕方がないわ、御時勢だから。わたし、大学を卒業したら、日本放送協会のアナウンサーになりたかったのになァ。ああァ……」と溜め息をついて、自分の未来設定がずれたことを悔やむように言う谷久留美。
 「わたしはさあ、高等女学校の教師になりたかった。しかし、当てが外れた。どう考えても運が無い。むしろ軍需工場などに動員されて、おとなしく働いていた方がマシだったかもね」と天秤論の副島ふみ。
 二人は、“妙なところ”に徴用されたことを、自分の不運に結びつけて語っているようだった。

 「ねえ見てよ、あの子たち。なに、あれ。幸せそうな貌して、本なんか読んじゃってさァ。それも本に食い入るようによ。あれ、完全に物語の中に入って行っている貌だわね」と羨ましそうに谷久留美いう。
 「幸せそうなのは、そういうお年頃なのよ」
 「そのうえ、くすくす笑って、いったい何が面白いのかしら。今どき、こういう間延びした牧歌的な平和もあるのね」と呆れたようにいい、数メートル離れた前方の席に坐って、夢中で本を読んでいる年少三人組を顎でしゃくって指し示す谷久留美。
 その光景は、あたかも理髪店や美容院、歯科医院などで待ち時間に、客の退屈を解消するために、よく本などが置かれているが、その客が、待ち時間に本を読んでいるという姿を髣髴とさせた。
 そういう場合の時間潰しに、人は何気無しに本を手にするようである。また、人が手にした本が、どういう本か知りたいと思うのも元来の人間の習性であるようだ。人の手にした本が、何故か気になるのである。
 それに興味を抱いた副島ふみは少し前から、この三人が気になって仕方ない。
 だいたい今どき、笑えるような本があるのかと思う。とにかく人は、他人が読んでいる本のタイトルと内容に興味を抱くものである。読者と本の関係である。

 副島ふみは常日頃から、長尾梅子、島崎ゆり、室瀬佳奈の“お子さまランチ三人組”に興味を抱いていた。
 自分よりも6歳も年が離れている。もし教師になったら、この年齢くらいの生徒を担当するのだろうかと思ったからである。教員志望者は、大学三年時から教職過程の授業とともに、実際に学校に出向いて、教育実習をする最後の総仕上げが残っている。副島ふみは、高等女学校の国語教師になるのが将来の夢だった。国語教師として、平凡に、定年まで教師人生を全うしたいと考えていた。
 ところが、此処に来て事情が違った。訳の分からぬ「要視察人」の訪問を受け、遂に選ばれて
(猟られて)、こうして上下6歳も年齢差のある集団の中へ編制されてしまった。青春期の年齢差は、僅か2、3歳違っても大きく感じるものである。

 「おい。そこの、お子さまランチ三人組」副島ふみは、三人組を茶化すように呼びつけるが、三人は返事をせず、夢中で本を読んでいる。振り向こうともしない。
 「こら!そこの三人組。聴こえているのか!」このように言っても、三人は本に食い入っている。遂に、頭に来たという感じで、立ち上がろうとした。
 「止めときなさいよ」と制する谷久留美。
 「ああいう惚
(ほう)けた、実に幸せそうな貌には、何だか無性に腹立たしい嫉妬を覚えるのよねェ」と忌々しそうにいう強硬論者の副島ふみ。
 「だめよ、からかっちゃ。ほっときなさいよ、子供なんだから」副島ふみの袖を引っ張って、なおも制する谷久留美。
 「子供だから尚更ほっとけないのよ、大人を無視するあの態度。赦せん!」強硬論者は語尾を強める。
 「止めときなさいよ、無視されたら、こちらも無視すればいいのよ」しかし無駄だった。
 「おい!、こら!そこの“マツコと同じ髪型の三人組”!」揶揄するように大声で怒鳴った。
 ちなみに“マツコの髪型・三人組”は、今風に言うと、“ワカメちゃんカット”である。
 ワカメちゃんカットの三人が、年齢的に言えば現在の女子中学生が、何かの本を、夢中になって読んでいる光景を想像すればいい。

 「マツコ」が登場するのは、漫画家・長谷川町子の作で、雑誌『少女倶楽部』
(大日本雄辨會講談社。現・講談社)の「仲よし手帳」に、昭和15年から連載された少女マンガである。内容は転校生で、快活でそそっかしい天真爛漫なウメコを主人公に、男勝りで快活なマツコ、お淑(しと)やかで聡明はタケコ、ウメコの同級生のテルコ、それにウメコが女学校を転校した際のウメコの祖父母らが繰り広げる物語である。当時『少女倶楽部』を読んでいた婦女子なら誰もが知るところであった。
 とにかく“マツコと同じ髪型の三人組”が利いた。
 そのように指摘されれば、全くその通りで、登場人物の髪型によく似ていて、何故か可笑かった。
 これが、辺りの笑いを誘った。周囲から笑いが漏れ、方々から、くすくす笑いが起こった。
 すると『少女倶楽部』は、かつて年長者の何人かが愛読していたことになる。
 そう言われれば確かに、この三人は“マツコと同じ髪型”だった。この髪型は襟頸
(えりくび)の髪の生え際の上までバリカンで刈った“おかっぱ頭”だった。今風に言えば、『サザエさん』に出て来る、ワカメちゃんの椎茸(しいたけ)頭を髣髴とさせる髪型である。
 それが、そっくりだった。観察眼のいい副島ふみは表現において、それをよく言い当てていた。それだけに可笑しかった。そして、これは戦時の平和な一日の「一コマ」であった。
 平和とは戦争と戦争の間に、ほんの少し訪れる憩いの一時
(rest time)なのである。ごく短い時間である。

 「マツコと同じ髪型の三人組とは、よく言うわね。でも、そう言われれば、三人とも揃いも揃って、何だかそっくりだわ」と笑いながら言う谷久留美。
 「三人のマツコは、いったい何を読んでいるのだ?ちょうと敵情視察に……」
 「止めときなさいよ、からかっちゃァ駄目よ」
 「谷さんは、あの子たちが、なに読んでいるか、興味ない?」
 「あるけどさァ……」
 「わたしは非常に興味がある!行かねばなるまい、好奇心の虫を鎮めるために」変な言い回しだった。
 こう言って、副島ふみは忍び足で、後ろに廻ってそっと近付いて行った。一方、マツコ三人組は気付いていない。彼女の注目の的は、島崎ゆりだった。副島ふみは何故か、この娘には無性に惹
(ひ)かれるのである。
 島崎ゆりは、ひたすら本に食い入り、時々噴き出すような笑い方をする。副島ふみは、その笑いの根元を知りたいと思う。島崎ゆりの背後から覗き込んで、何を読んでいるか知りたいと思った。そっと覗き込んだ。
 一方、そういう好奇の的になっているとは知らない島崎ゆりは、覗き込まれたことすら気付かずに、本に夢中で食い入っていた。そして自身でも、時々本の内容の可笑しさに、くすくす洩らすのである。
 しかしである。
 それから暫くして、突然、副島ふみがバカ笑いを始めた。我慢出来ずに、火山が噴火するようにである。
 最初は「ぐふッ……」とか「うふふ、むむむ……、うひひィ……」などの、徐々に迫
(せ)り上がっていく笑いだったが、遂に我慢出来ずに、忍び笑いが、ゲラゲラのバカ笑いに変わった。笑いが噴いたのである。
 島崎ゆりの読んでいた本は『のらくろ』
(田河水泡の漫画『のらくろ二等卒』)であった。
 このマンガには、凡夫が想像もつかない奇を衒
(てら)うストーリーが満載されている。
 例えば、主人公の“のらくろ二等兵”が風呂を沸かすのに、爆裂弾を使うなどの奇想天外な発想から起こる異様ぶりである。本にはその手のものが頻出している。それが、またクレージーで可笑しくもある。

 副島ふみのバカ笑いで、後ろから覗かれていることに気付いた島崎ゆりは、呆れ声で切り返した。
 「お姉さん、どうしたの?」
 それは《泣き笑いをして、一体どうしたの?》という、彼女の異常事態を訊いているのである。
 「これが笑えずにおれるか」
 「でも、お姉さんの貌、涙でべちょべちょ。笑い過ぎると、最後は結局そうなるのよね」
 「なんだと!」
 「涙腺が弛んでいるんじゃないの。こういうのはねェ、最初に心の準備が出来ていないと駄目なのよ」
 「なに!」
 「そうでないと、気付いた時にはもう遅い。全身が涙と笑いでごちゃ混ぜになって、もう修正が効かなくなっている。そうなると最悪。眼の周りがべちょべちょ・どろどろになって、せっかくの美人も台無し。歌舞伎役者の隈取りみたいになるのよ、気を付けましょうね」と諭すように、しゃあしゃあと言ってのける。
 「うム?……」
 島崎ゆりの人を喰ったような言い回しに副島ふみは驚いた。
 「心の準備が無いと、全身に震えが来るほど、大笑いの波が押し寄せて、泣くのも笑うのも一緒くた」
 「お前、うまいこというなァ」と島崎ゆりの説明に感心する副島ふみ。
 彼女は、島崎ゆりのマツコ頭を「この、この、この……」の連発しで、くちゃくちゃに掻き回し、これまでより一段とスキンシップを深めた。マツコ頭を掻き回してみせることで、自分の意志表示したのである。
 「もう、いやだァ〜」髪の毛を掻き回されたことで、島崎ゆりが不愉快な悲鳴を上げた。彼女こそ、いい迷惑だった。

 ちなみに、長尾梅子は『フクちゃん』
【註】昭和11年から始まった横山隆一作の四コマ漫画の『江戸っ子健ちゃん』の派生作品。大学帽にアルファベット柄の着物を着たフクちゃんが主人公になった漫画)で、室瀬佳奈は『小婦人』【註】アメリカの女性作家ルイーザ・メイ・オルコット(Louisa May Alcott)の自伝小説「若草物語」で、日本では明治39年に北田秋圃が『小婦人』と訳した四人姉妹の物語)であった。彼女だけが、三人の中で一番神妙な貌で読んでいたからである。
 ちなみに『若草物語』は清教徒
(Puritan)であるマーチ家の四人姉妹を描いた物語である。時は南北戦争時代の頃で、父は黒人奴隷解放のために北軍の従軍牧師として出征する。そしてマーチ家は女ばかりとなるが、日々を慎ましく暮らす一家のことを描いた物語である。
 マーチ家は決して裕福ではないが、それでも明るく、仲睦まじく暮らしす様子が描かれている。そして四人姉妹は大きな試煉を姉妹達で克服しながら小婦人
(Little woman)として成長して行くのである。
 副島ふみは国文に在籍するだけあって、この物語を既に読んで知っていた。
 また清教徒の社会を描いた米国の小説家のホーソーン
(Nathaniel Hawthorne)の『緋文字』を連想して、改めて慎ましく生きるということを再認識したようであった。
 斯くして、彼女達はそれぞれに成長し、古いものから新しいものへと訣別の時を迎えていたのである。

 最初、彼女達は平凡と退屈と孤独を併せ持って、『臨時徴用令状』の出頭命令で聯隊へと遣って来た。
 軍隊は、彼女達にとって異次元の世界であった。実際には間近で見たこともないし、況
(ま)して銃器を操作したり、高々度から空中陣型を保ちつつ降下し、目的地に着地するなどの高等訓練は、これまで一度も夢想だにしなかった。更には車も、乗用車から大型トラックまでの運転など遣れるとも思っていなかった。しかし遣らされた。気付くと、遣れないと思い込んでいたことが遣れるようになっていた。そして退屈と孤独は此処にきて、一気に崩壊した。恐ろしいと思い込んでいた恐怖は消えた。扶(たす)け合う仲間が出来たからだ。
 何故ならば、直截的に死と対面しなければならなくなったことも要因だろう。
 これまで怕
(こわ)いと思ったことでも、見えない方が得だと考える愚かさが打ち砕かれた。命を賭けて、生か死かを、自分で選択しなければならない立場に置かれた。その選択に戦慄を覚える事態に直面した。戦争と言う時代が、それを招いた。
 だが一方で、彼女達は退屈も孤独も、そして生死に対しての恐怖も、今はないであろう。そういうことを考える暇がないと言うべきか。これは当時の日本人の殆どが持っていた感想であろう。
 戦時は平時と違って、退屈・孤独・恐怖の殆ど消滅してしまう。常に、死と直面していれば、生死に関する恐怖も薄れる。今を生きることで精一杯であるからだ。

 しかし現代は違う。
 現代の退屈は平和ボケから来る退屈である。
 現代の世を生きる老若男女は、その大半が誰だって心にむらむらしたものを抱えている。その湧き出て来る雑念が、あの女とやってみたいとか、あの男に抱かれたいとかのその類で、然もそれで居て、そういう下心はいつも隠している。
 だが日中は、仕事中は、誰もが営業中の貌をして、そういうものは微塵
(みじん)も見せない。取り澄ましておくびにも外には出さない。秘してはいるが、そういうものを心の裡に隠している。退屈と、そして孤独から起こる内面の“一皮むいた心”の正体は退屈と孤独だった。如何なる人間もそう言うものを抱えている。
 近年流行の不倫も平和な日常が齎したものである。そして性を貪ったあとは堕胎ということになる。
 結局、生命は戦争でも平和でも殺されて行く。既に堕胎による胎児の数は、堕胎王国の日本では、先の大戦の戦没者の数を上回っている。太平洋戦争で死んだ日本人の死者数は約310万人
(軍人及び軍属210万人、赤ん坊を含む非戦闘員80万人)で当時の日本人の9%が犠牲になった。それもたった三年八ヵ月の期間である。
 しかし自由恋愛などの不倫を働いた後に始末された人工中絶の嬰児屠殺
(えいじ‐とさつ)は、戦後から換算すると、日本人の一割以上が嬰児屠殺されといわれる。この数はユダヤ人の600万人虐殺どころではない。
 結局、平時でも戦時でも生命は殺されている。
 退屈・孤独・恐怖は裏を返せば、平和と繁栄、そして自由と平等の副産物である。
 あるいは成長し続ける経済政策の副産物である。ものが溢れ過ぎ、便利で快適な世の中になると、この種の現象が起こる。何という皮肉であろう。

 『夕鶴隊』の編制メンバーは14歳から20歳までで、後に参謀本部の暗号班のタイピストの二名が21歳と23歳であった。全隊員の平均年齢は、17.36歳である。全員が学業や健康に勝れていたとしても、心身の鍛練がなければ、精神的にも肉体的にもその能力を活かすことなく、その魂は虚弱であったであろう。
 しかし、約二ヵ月半の鍛練で状況が一変した。
 時代は戦時である。
 既に一般市民
(非戦闘員)も空襲も経験している。防空壕に逃げ、あるいは別の空爆圏外に逃げ果(おお)せても、家を焼かれたりして、併せて衣食住も不自由であった。生きている事に生き甲斐を感じた時代である。
 食糧も物資も燃料も、一部の秘匿者によって独占され、それらは庶民に廻っては来なかった。
 持てる者と持たざる者の格差ばかりでなく、喰える者と喰わざる者との格差もあり、大半は食糧欠乏で痩せ細り、食べる物は激減し、着る衣服は乏しく、家は焼かれて棲むところもなく、明日ももなく、防空壕の中に逃げ惑い、あるいは敵戦闘機の機銃掃射にも遭い、泥だらけの、虫けらのような状態にあった。
 それでも生きていれば、まだ「生きている」という実感があった。生の実感があった。退屈・孤独・恐怖とは無縁だった。何しろ戦争をしていた。生きている以外に、それらを考える暇がなかった。

 夕鶴隊も戦争をしていた。
 最年少者達の子供っぽい恐怖と、これまで、何を遣っても不甲斐ないと思い込んでいた絶望とは、これを機に訣別してしまった。彼女達の無邪気なときは終わった。
 戦時に併せて成長したのである。子供の時代は終わり、果てしない未来に向けて、探検への足を一歩踏み出したのである。これから先のことは総て探検である。
 やがて帝国の国境を越えて、遥か彼方の水平線の向こうへと探検の足を進めて行くのである。この探検は、戦争が終わるまで召集解除はされないのである。
 沢田次郎は最初「召集解除は戦争が負けるまでありません」と断言した。
 戦争が終わるとは、戦争をよりよい負け方で終わらせなければ、戦争は終わらず、また負けることもないのである。阿修羅の如く永遠に続けることになる。そのためには、よりよい負け方で負けなければならない。
 その負けが訪れるためには、奇蹟が起こらねばならない。神国に神風が吹かねばならない。
 奇蹟を起こし、神風を吹かすには、その先駆者として、これまでの既成概念に凝り固まった哀れな人間どもを驚かせてやらねばならない。それが新概念の創造であり、これまでの既成概念の破壊であった。それが絶対的な力となる。それに疑問を挟む余地はない。新概念の創出こそ、誰からも束縛されない、次の時代の大きな力となるのである。もう彼女達に、無邪気な小娘時代は終わったのである。

 貧農の出の鳴海絹恵、栗塚さきえ、宇喜田しずの三人は極貧の小作人の娘として、身売りされるような運命にあった。彼女達が居た農園は、残酷な蕁麻
(いらくさ)と茨(いばら)が生い茂った絶望の失楽園であったかも知れない。しかし、蕁麻と茨の眼に見えない鎖を断ち切った。もう今では、忌まわしい鎖は寸断されていた。
 その世界の絶望的な貧困とも訣別した。垢抜けたのである。
 互いの影響力が、容姿端麗の体躯まで身に付けさせたのである。教練により、弛んだところ引き締まったのである。それが心まで引き締めた。そうなると容姿まで変わって来る。
 高々度からの落下傘降下は死への恐怖を断ち切った。
 また小銃射撃は自他同根でないと弾が的を反れることも学んだ。遊撃戦訓練を通じて、多勢による正攻法は必ず勝つとは限らず、その戦闘方法の価値が取るに足らないものであることも知った。
 「常山の蛇」の遊撃展開において、昼の太陽に頼り、その下でしか戦えない哀れな兵士は、蝋燭の焔
(ほのお)のように容易(たやす)く消されてしまうことも知った。知ることで、これまでの既成概念が破壊された。
 彼女達は一皮剥けた女性になっていた。それぞれ個々人に、過去との訣別があった。


 ─────鷹司良子
(ながこ)と中川和津子が話していた。昼食後の休憩時間のことである。この日は朝から忙しかった。明日の準備で、各自は担当部署を片付けて行かねばならない、そんな多忙の一日の休憩時間のことだった。和津子は率直な疑問を良子に投げ付けていた。
 「わたしたち、普通では考えられない、相当きつい訓練しているのに何故かきいついと思う、その自覚がないのはなぜでしょう?」と和津子。
 「それはねェ、教官のアン先生のお人柄じゃないかしら……。アン先生は一度も聲
(こえ)を荒げたり、男の教官と違って、あまり怒鳴ったりしないでしょう」と良子。
 「それは女だからよ」吐き捨てるような和津子の言い方だった。
 「そういう俗っぽい世間流の既成概念で、考えては駄目よ。男女に関係なく、それは人間としての人柄が滲
(にじ)み出ているから、その人柄に人は蹤(つ)いて行くわ。つまり、それは下駄を預けてもいいという人と人との信頼関係で、下の者は辛い訓練も辛いとは思わないし、簡単な訓でも、信頼関係がなければ、その訓練を残酷と思ってしまう。結局、人は男女に関係なく、仮によ、打算抜きにして考えた場合だけど、その人の人柄から滲み出る人生の機微が決め手になるのじゃないかしら?……」
 「それが、下駄を預けてもいい信頼関係?……」鋭く迫って訊き返す和津子。
 「そうだと思うわ」
 「でも、それはそうだとして、わたしたち、何故このようなハードな訓練をするのかしら?」益々分らないという口振りだった。
 「それは、わたしたちが幹部候補生だからだわ」
 「幹部候補生?……。幹部候補生って何なの?わたしたち、やがて部下を持ち、部下に命令する立場ということよね。だったら、良子さんは『死守せよ』などと命令、下せる!……。これって、残酷と思わない?」
 「……………」言われれば、そうかも知れないと良子は思った。
 「わたし、とても、そんなこと出来ない。自分が死ぬの、怕
(こわ)いくせに部下を指揮したり、『死ね』と号令を下すことなど、わたしにはできない。その資格もないし自信もない。自分が死を恐れながら、どうして他人に死ねと言えるの?!」和津子は良子に迫るような言い方をした。
 「……………」良子は彼女の問いに、何らかの回答を探そうとしたが、今はその答えが出て来ない。

 「わたし、此処に来て二ヵ月半になるけど、これまでずっと考えて来たの。それは、此処での格差……。
 わたしたちは、確かに他の兵隊さんとは違って、いい兵舎にいて、ホテル住まいで、わたしと山田
(昌子)さんは少しばかり英語が出来るからと言って、まるでお嬢さま扱いで参謀本部に出仕て、憲兵隊の護衛付きで、冷房のよく利いた高級乗用車で出掛けている。これは身に余る、分不相応な優遇と思っているわ。
 ところが一方で、津村少尉のような、年配高齢ばかりの老兵隊があって、そこでは牛馬のような、過酷な重労働を遣らされている。いつもね、この格差、いったい何だろうと思うのよ。そしてあそこの部隊の人達、見ていると虚しいほど律儀なの。それ、見ていると、何だか可哀想で悲しくなるわ」
 「でも、本人達はそう思っていないかもよ……」
 「だけど人間は、命の重みは同じだったのじゃないかしら。津村少尉の老兵隊の、明日に控えた野戦行きは『弾除け』という風評も聯隊内では流れているらしいわ。どうして、人間の命に、ここまで格差があるのかしら……。ねえ、わたしの疑問に答えてよ、良子さん」
 「それは……」思わす口が澱
(よど)んでしまった。
 「あなたの、お兄さま。参謀本部の中佐でらしたわよね、そして夕鶴隊の創設者。
 この創設者は、いったい何を考えて、この聯隊に、わたしたちを集めたのかしら?……。わたしの父も海軍の軍人だけど、時々わからなくなることがあるの、軍人と言う人種が」と和津子は冷ややかに言った。

 彼女には分らないことへの苛立があった。和津子の父親は海軍軍令部兵務課長の中川直文少将だった。
 家柄は華族の男爵家で、幼児期から花よ蝶よと育てられ、何不自由したことがない生活をしてきた。極めて優遇された環境で育った。紛れもなく良家の令嬢であった。そういう環境下でありながら、何かしら反逆児のようなところがあった。その反逆児精神で、同じ華族の家の良子に迫った。
 和津子は分らないことが腹立たしいのである。また分らないから、こうして根掘り葉掘り訊いて、これから先の身上を案じているのかも知れない。

 「戦時ですもの……」
 「その一言で済まされる!?」迫るように鋭く訊き返した。
 「……………」良子は返す言葉が見つからない。問い詰められれば、どうしても伏し目がちになる。
 「ねえッ、黙ってないで答えてよ」和津子は一つの疑問が起こるとそれが連鎖して、次から次へというタイプの性格の娘だった。しかし、それは幾ら訊いても永久に埋まらない違和感のようなものであった。
 「わたしには分らないし、今は答えられない。もしかすると、永遠に答えられないかも知れない。でも、自分に与えられた役目だけは果たしたい。今はそれだけ……」
 化粧気のない良子の若い目尻には、幽かに皺
(しわ)が走っていて、何故か苦悩した貌が痛ましかった。
 一口に戦時と言う。それゆえ諦めにも似た自分の運命を悲しく思って、一時の悲愴感に浸る。そういう環境下の空気では、今が確かに、戦時を思わせる不穏な違和感があったのは事実であった。
 和津子は思わず大きな溜め息をついた。息をするにも、辛いような重い溜め息だった。
 「わたしって馬鹿ね。誰にも分らない質問を、何故か何故かと問い詰めたりして……」と自分自身に、白々と冷たく嗤
(わら)う和津子であった。
 また良子も、様々な苦しみを、散々思い悩んで、涙で洗い流す以外解決しないと思った。此処まできたら、居直る以外ないのだ。そう思うと何故か可笑しくなって、「うふふ……」と冷たい笑みがこぼれた。
 「何が可笑しいの?」訝
(いぶか)しそうに、和津子が訊いた。
 「わたし、よく考えると、元から気の弱い善人だったんだなァ……と、いま気付いたの。それがこうして、此処でハードな高等訓練を受けている。ちょっと可笑しいというか、これ、不思議と思わない?」と良子。
 「ええ、思う思う……」
 「そういう時ねェ、わたしね。羊が一匹、羊が二匹……と数えるようにしているの」
 「どうして、数えるの?」
 「以前、野外演習で、露営で一夜を明かした時があったでしょ。その時ね、羊が一匹、羊が二匹……と誰かが数えていたの」
 「だあれ、その人?」
 「島崎ゆりッて子、いるでしょ。最年少の、佳奈と同じ年齢のあの子」
 「ちょっと変わった子ね」
 「でも、あの子、発想が面白いのよ」
 「どういうふうに?」
 「あの子、ときどき変なこと言うの」
 「どんな?」
 「人生とは、実験ですなんて」
 「どういうこと?」
 「人生にはいっぱい仮説があって、その仮説を実験を通じて、一つずつ壊して行くんだって」
 「へッ……、おもしろいこというのね」
 「そして、最後の残るものが真理ですって」
 「なるどほ……。仮説を一つずつ壊すことによって、真理に一歩ずつ近付くと言う分けか……。中々おもしろいわね」
 「それでね、羊が一匹、羊が二匹……と数えると、いま悩んでいることなんか直ぐに忘れてしまっていって気付くと、いま何を悩んでいたんだっけ?となって、悩みがすっかり消えているんですって」
 「そうかもね、おもしろい発想ね」と和津子。
 「でもね、羊は百匹以上になっても消えないことがあったんだって。それでも数え続けたら、段々数が大きくなって数を間違えて、何処まで数えたか、今度はそれを思い出すための悩みの方が大きくなったんだって。
 これ、可笑しいと思わない?」といって、良子の口から笑いが漏れた。

 その時である。
 「噂をすればなんとやら……。あれ、見てよ」と和津子。
 「国文の副島さんじゃない。それに噂の島崎さん」と良子。
 「あの二人、歪
(いが)み合っているようで、実は仲がいいのよ。二人とも随分と気が合うみたい」
 「彼女、高等女学校の国語教師志望だったのよね。副島さんの家はね、本郷で大きな薬問屋しているの。知ってた?」良子が訊いた。
 「いいえ、知らなかった」和津子は初めて聞いたという貌をした。
 「彼女の家。上は、みんな男ばかりで、男二人に女一人。副島さんは末っ子なの」
 「そうだったの。ということは、島崎さんは妹代わりか……。きっと可愛いのね」
 良子も同じような想い出があった。それは佳奈であった。
 佳奈が東京から京都の鷹司家に来たときは、小学校に上がる寸前の六歳の頃であった。良子が高等女学校に進学するその年であった。二人は六歳の年齢差があった。あたかも、スイスの女流児童文学作家のシュピーリの小説に出て来る『アルプスの山の娘』
(『アルプスの少女ハイジ』で知られる)の主人公ハイヂを髣髴とさせた。
 佳奈は利発な少女であった。良子の話し相手に選ばれた娘であった。良子はこの娘を痛く気に入った。
 しかし一方で、いつか佳奈が鷹司の家を厭
(いや)になって、東京に逃げ帰るのではないかと恐れた。
 大学へ進学する際、良子と佳奈は東京に出た。良子は日本女子大へと進み、佳奈は共立女子へと進んだ。そして佳奈は京都以来、侍女官としてよく仕えた。それは今も継続中であった。

 「以前、副島さんが、最年少のお子さまランチ三人組に、何て言ったか覚えている?」良子が訊いた。
 「マツコと同じ髪型、でしょ?」可笑しそうにいう。
 「あれ、本当におかしかったわね。みんな、噴き出しちゃった」
 「ほんとほんと」
 「それでマツコ頭の三人組は、それから髪を伸ばし始めたんだって。佳奈が言っていたわ」と良子。
 「そういう理由だったの、知らなかった」
 「いよいよ明日か……」
 「ついにその日がきたわね」内心、半分は怕いが半分は感無量という貌を輝かせていた。

 休憩時間のひと時を、副島ふみと島崎ゆりは二人で指揮杖
(major stick)の稽古をしていた。副指揮者の島崎ゆりが、副島ふみに杖の遣い方を教えているのである。傍から見ていて、それが随分と愉しそうであった。


  ─────使命は「贅沢は素敵だ」である。主旨は「素敵」に重点を置く。
 また、それに合わせて「備蓄の石油はまだ二年分もある」である。それに信憑性を持たせねばならない。余裕があることを見せ付けねばならない。連合国側への経済力の宣伝工作である。この時代に至っても、日常生活に余裕があることを内外に向けて訴えなければならない。日本国民は欠乏状態に陥っているのではないことを知らしめねばならあに。経済的困窮など皆無と思わせねばならない。まだ余裕は有る。そのポーズを作ってみせることであった。
 「贅沢は素敵だ」となれば、余裕を顕す。富を顕す。経済的自由を顕す。不自由でない。欠乏していない。
 これが「まだ有る」状況である。

 これと同じ現象は、『南の花嫁さん』
(藤浦洸・作詞/任光・作曲)をみても分ろう。
 昭和18年1月の新譜のこの歌は、特に工場などで学徒動員で徴用された女学生や手織工場の女子従業員に愛唱された。悲壮な二短調の荒々しい軍歌に食傷気味になっていた勤労女性には大いに喜ばれた歌である。
 人は優雅を好むのである。また華麗を好む。貧しても、人は貧乏性を回避したいと考えるものである。
 貧しても、腐っても鯛という誇りはある。この誇りを失えば、自身の人格を失うことになる。
 夕鶴儀仗隊のお披露目な、この信念で貫かれている。この『夕鶴儀仗隊株』をもって、インサイダー情報を内外に流言するのである。この株に高値を付ける。高騰させる。
 この流言に「保証金規制制度」が無い。清算取引である。

 そこで、沢田次郎は言う。
 「夕鶴儀仗隊のお披露目を、少女歌劇団の興行程度で終わらせてはならない」と釘を刺す。
 また、沢田の発想としては、夕鶴隊を少女歌劇団程度で終わらせる気持ちなど、さらさらない。この小道具で次なるマジックを考える。したたかなところがあった。このしたたかさは親譲りか……。

 更に、「金は、金の裏付けが要る。しかし、金がなくても、その裏付けには、何も規制が無いのですよ。美辞麗句は幾らでも付けられます。問題は、その信憑性が有るか無いかです」と更に詰める。
 詐欺師には、詐欺を働くための種々の、錯覚を齎す小道具が要る。
 併せて、此処一番の大勝負で、天下の詐欺師になる必要があると。それには、相場師になる前に、詐欺師でなければないと。そして、持てる者や物資を秘匿する者を欺
(あざむ)いて、一杯食わせる作戦を立てる。
 そのターゲットは、反東条派と政友会一派。要約すれば、近衛グループである。傘下のグループ員には官界や財界の大物が要る。企業家群である。
 あたかもFRB
(Federal Reserve Bank)の連邦準備制度Federal Reserve System/FRS。米国で、1913年の連邦準備法に基づいて制定された中央銀行制度。全国を12の区に分かち、各区に1行ずつ設立された連邦準備銀行をワシントンにある連邦準備制度理事会が統括)により、各連邦準備区に設立された私立銀行群であり、この私立銀行群が奇妙にも連邦政府に成り代わって、ドル紙幣の発行や市中銀行の監督などを行う。何とも奇妙な金融組織である。
 そのミニ版が大政翼賛会の前身である近衛グループであった。
 ここから、信憑性とともに、高額なの木戸銭を巻き上げねばならない。そして秘匿した二年分の備蓄石油を吐き出させる。

 そもそも、軍部から「石油の備蓄量は?」と問われて、「あと半年分しかない」というのは詭弁である。
 質素倹約を旨として、あと半年に踊らされる方も、踊らされる方だが、問う方も答える方も、何か銅臭芬々
(どうしゅう‐ふんぷん)とする匂いを感じる。同じ質素倹約を旨としても、その質素に徳があれば清貧だが、徳がなければ赤貧だろう。
 この場合の表現を端的にすれば「貧するも羞
(は)じるに足らず。羞ずべきは、これ貧にして志なきなり」ではあるまいか。徳の欠如は志の欠如であり、既にこの貧は赤貧と言えよう。
 日米開戦を前に、石油の備蓄量を問い、「あと半年分しかない」というこの言は、物不足の混乱なのかで実際には「まだ二年半分もあった」のに、「半年」と偽るのは何故か。その魂胆は何か。
 肚は見えていた。突然のオイルショックにかこつけての、石油を備蓄する各企業の経営者達は、これを「千載一遇のチャンス」と検
(み)た。そうに違いない。明らかに経営者の画策であった。そのために秘匿した。
 利潤追求に併せて競争原理を用いれば、計算に聡い経営者なら当然これを遣るだろう。
 「石油の備蓄量か幾らか?」この問いこそ、石油を商う企業経営者の千載一遇のチャンスだった。
 昭和48年
(1973)に起こった第四次中東戦争のでのオイルショックのときも、店頭からトイレットペーパーが一斉に消えたことは、まだ記憶に新しい。業者の画策だった。

 日本はエネルギーに限らず、食糧の自給率も他国に比べ低いのである。遅かれ早かれ、産油国の禁輸がなくても深刻な状態に陥ることは眼に見えていた。そして、軍部が問うた備蓄量は?を、一種のパニック状態と検た経営者は、これを千載一遇のチャンスとして捉え、保身を図ったと言えよう。逆に犠牲的精神はゼロだったと言える。この経営者達の搾取的言動を見抜いたのは、当時の軍部の中には殆ど居なかった。調査もせず、頭から経済人の言を鵜呑みにしていたのである。ところが『タカ』計画のメンバーはこれを疑っていた。

 そもそもこの計画が持ち上がったのは、「権門、上
(かみ)に驕(おご)れども、国を憂うる誠なく。財閥、富を誇れども、社稷(しゃしょく)を思う心なし」の、5.15事件の三上卓が作詞した『昭和維新の歌』の一節に回帰したからである。
 当時は確かに状勢は困難になりつつあった。そして時代が逼迫すればするほど、これを千載一遇のチャンスと検る輩
(やから)が増えてくる。
 こうした輩は人々の困窮状態をチャンスと捉える“冷たい情熱家”なのである。その意味では、三上卓の言からは「日本の経済界には失望した」という無言の訴えがあるように思うのである。つまり、時価より高く売り付ける魂胆があったからだ。その冷たい情熱家の魂胆と千載一遇のチャンスと検る輩
(やから)から、秘匿した物資を吐き出させるのが、そもそもの『タカ』計画の主旨であった。それにより、よりよい負け方をする交換条件を出し、戦争の早期終結を図るのである。



  運気     八門人相     房中術     癒しの杜     菜根譚     小説     会報Back No.     合気     蜘蛛之巣伝     死の超剋     霊的食養     心法