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続 壺中天・瓢箪仙人 41

俚諺に「良禽(りょうきん)は木を選ぶ」というのがある。また「賢臣は主(あるじ)を選んで之を扶(たす)く」とある。
 これは賢臣というのは、自分の主になるべき君主の等身大の実像をよく見極めた上で仕官すべしだと言っているのである。
 しかし仕えたうえは、ただ献身的に粉骨砕身すればいいのかとなると、実はそうではない。単に、非理曲直を問わず、仕えるだけなら賢臣とはいなわない。これはで愚臣である。禄を食
(は)んで貪るばかりである。

 賢臣というのは、君主に間違ったところがあれば、一身の利害も顧みず、敢えて面
(おもて)を犯して諫言をするのである。自らが正しいと信ずる念に従い、直言して憚(はばか)らないものである。
 しかし、諫言が聞き入れられれば「よし」であろうが、万一、聞き入れられず、運悪く、君主の逆鱗に触れた場合はどうするか。
 そのことを『礼記
(らいき)』には「三度(みたび)、諌(いさ)めて聴かざれば、則(すなわ)ち、これを逃げる」とある。逃げるとは「去る」と言うことである。

 更に『礼記』では、「人臣、三度諌めて聴かざれば、則ち、義を以て去るべし」とある。直ぐに逃げよとある。無駄な、火中の栗拾いはするなという意味である。
 そして、臣としての身の処し方は「賢者の行や、道を直
(ただし)くして以て直諌す。三度、諌めて聴かざれば、則ち、退(ひ)く」とある。去ればいいのである。
 愚からは逃げればいい。

 臣から見た場合の「君主観」は先ず逃げる、去る、退くという行為で、主従の縁切りを行うのである。この背景には、邂逅
(かいこう)の大事が見えない縦糸(たていと)となって、有機的な縁を繋いでいることが分るであろう。
 『礼記』は、この縦糸の大事を教えている。


●人買い

 公瑞兆(仮名/こう‐ずいちょうは人買いだった。日本名を堀川彦宸(仮名/げんしんと名乗り、戸籍上、庄屋・堀川作右衛門の弟となっているが、この漢は日本人でない。
 日本で生まれ、日本で育ち、日本で学び、日本の気候風土を知り、日本通の日本人を気取り、高文官試験に合格し、農林省の農事技官の役人然としているが、あくまでそれは表の貌であり、正体は裏の貌を持つ漢であった。その裏の貌が人買いである。残忍無比であることは言うまでもない。しかしその貌は闇に溶けて、普段は見えない。
 公瑞兆は話術に長
(た)け、義人を気取り、ターゲットを言葉巧みに誘惑し、酔わせ、いい気にさせ、手懐(て‐なず)け、魅(み)せ、誑(たら)し、騙(だま)し、欺(あざむ)き、そして最後は競りに掛けて売る。人身売買の売人であった。この売人は能弁で蠱惑(こわく)の術にも長けていた。

 公瑞兆の出身地は、張作霖と同じ遼寧
(りょうねい)海城で、この地は中国東北地方南部の鴨緑江(おうりょっこう)を隔てて、朝鮮と接する場所だ。満人(満洲族)に混じって朝鮮人の多いところという。そして、この漢は排日運動を展開する朝鮮人の運動家・安重根(アン・ジュングン)に心酔しているという。だが運動家としての貌も似非(えせ)であろう。正体は日本列島・本州方面の人身売買の首領である。
 表向きは農林省の農事技官の貌で行動する。それを隠れ蓑
(みの)にする。だが裏の貌は、女を道具に遣う人身売買の首領である。
 この漢、動物の飼い方が馴れている。その調教は心得ている。つまり、それは女を「牝」と看做して使役するからである。あるいは地方の支配者の貢ぎ物に使う。
 女を調教するに当り、調教師は決して女の貌を殴ったりしない。また価値の高い、太腿や足も傷付けない。
 殴ったり、蹴ったりする箇所は腹である。腹を殴り、蹴って調教する。鈴江もその手法で調教され、高等訓練を受けて、細作
(しのび)になったのかも知れない。ある日、突然女性が消える。年間わが国では十万人が行方不明になると言う。そういう組織が暗躍するからである。

 庄屋・堀川作右衛門の言によると、この漢が星野鈴江を洗脳し、次に星野周作から何らかの話を聴いていた珠緒が公瑞兆の犠牲になっていた。
 鈴江の場合も、思想工作で洗脳されたといえば聞こえがいいが、要するに攫
(さら)った女を暴力で服従させたに違いないと津村陽平は思った。次に思想洗脳して、間者(スパイ)として敵対国に潜入させ、その国の人民を工作し、あるいは煽動し、工作のための煽動者(アジテーター)として遣う。
 また細作として使役して捨て駒に遣う。消耗品の走狗として遣う。それが人身売買の売人の役目であった。公瑞兆の正体は、女を道具に遣う人身売買の首領であった。日本は人攫
(ひと‐さら)いが横行する人買い天国であったのだ。
 こうした事が易々と出来るのは、満洲、樺太、朝鮮、そして中国大陸からの交通が盛んなことと、日本と言う地理上の位置と島国という特異性を、内側から露呈した形であった。その構造は、外壁は堅固だが、中に潜り込むと言葉と顔かたちが日本人に似ていれば、容易に活動が出来たということであった。そのため特高警察や憲兵の眼を掠
(かす)めながら情報蒐集を行い、スパイ活動や工作活動が容易だった。
 戦前から数代前に、日本に「草」として侵入した三国人は、日本の気候や風土に馴染んだため、外側からは日本人か否かの見分けがつかなかった。この列島は戦前・戦中に懸けて、敵味方入り乱れ、水面下を暗躍する輩
(やから)が多かったのである。容姿や言葉遣いが酷似しているために、一旦入り込むと、その見分けがつかない。特に、三代前となると、見分けるのは至難の業だ。ほぼ完璧に日本人化している。
 それは庄屋の堀川作右衛門のみならず、戸籍上の弟と称する堀川彦宸すら日本人の溶け込み、東京帝大農学部を出て、高等文官試験に合格した農林省の農事技官だった。


 ─────津村情報に基づいて、憲兵大尉の沢田次郎は内容の分析に入っていた。
 東京憲兵隊S分隊が捜査に動き始めていた。S分隊は『ホテル笹山』の地下にある。表からはその所在が分らない。尋問室や留置設備を持っていた。そして、強力な電波網を持ち、敵国情報を傍受する。沢田次郎発案の秘密陣である。財界から寄附を募って集めた施設軍資金で半官半民の秘密陣を敷設した。
 一方、暗号解読については、夕鶴隊のキャサリン・スミス少尉麾下で、元参謀本部の暗号班
(第十八班)の霧島祥子と鈴木直子の二名が担当した。

 指揮官は沢田憲兵大尉であり、陸軍中野学校の出の捜査員が隠微に動き始めた。公瑞兆の人身売買に関する捜査である。捜査班はその裏を取るために、実行犯の、かつて陸軍刑務所の看守だった元憲兵の川原広太、清川弥吉、渋川光男の「3川」と、軍医の野村睦次を連行した。
 この四人うち、元憲兵三人は殺人罪で死刑が確定され、軍医の野村は殺人幇助
(ほうじょ)罪で無期懲役が確定されていた。だが、この四人は刑の執行を俟たず、最前線に出す「ならず者部隊」の編成に組み込まれ、混成部隊の人海戦術の人身御供であった。参謀本部特別課では、南方の最前線に送る計画が立てられていた。正規部隊の弾除けで、本隊の防禦壁である。ソ連軍がこの種の「ならず者部隊」をよく使った。ナチス独逸がモスクワ侵攻の際、この種の部隊を最前線に出して弾除けにした。それに倣(なら)ったまでである。
 四人が弾除けに送り出される寸前のところを、東京憲兵隊S分隊は再逮捕した。
 そして「洗い浚
(ざら)い吐けば罪一等を軽くする」という交換条件を出して、四人を身柄ごと買い上げた。
 捜査員はこの四人を厳しく詮議した。その結果、公瑞兆の面が割れた。
 そこで双方の対決を試みた。新たに逮捕した堀川作右衛門の戸籍上の弟である堀川彦宸
(げんしん)の正体を追求するために、小物の四人と引き合わせた。小物四人を尋問をすると、堀川彦宸からの教唆を白状した。
 そこで追求の輪が狭まった。公瑞兆の正体が徐々に見えて来た。だが、この漢が一筋縄でいかない。

 堀川彦宸は農務省の農事技官である。しかし、あくまで表の貌である。表はどこまでも善人然である。
 この漢は闇の中で、裏の貌を持つ。某国の貌を持つ。正体は人買いである。心身売買組織を運営し、海外への斡旋者でもあった。本名は公瑞兆
という。彼奴(きゃつ)は『貌のない影の皇帝』の指令で動く。それによって手下(てか)を遣う大陸人であった。それだけにしたたかである。
 この漢は「なぜ検束
(けんそく)するのか!」と、逆に迫った。
 検束とは、警察権により、個人の身体の自由を束縛して一時警察署に引致し留置することをいう。しかし、拘束したところは、東京憲兵隊S分隊の取調室であった。憲兵は、強制執行法に基づくものでなく、司法権によっても拘束する。その上前を躱して、彦宸の弁は立った。
 容易に口は割らない。能弁で口が廻る。弁舌爽やかと言う、今日の国会議員にも劣らない。
 今のところ奸佞
(かんねい)の言動はないが、腹の中には媚術を駆使する巧みな口を持ち、謀りごとが隠されている。併せて残忍・卑劣な讒言屋(ざんげん‐や)でもある。
 また、この讒言屋は、あたかも孔子が少正卯
(しょうせいぼう)を誅する時に指摘した「五悪」に匹敵するものを含んでいた。つまり、奸険(かんけん)・凶淫(きょういん)・煽虐(せんぎゃく)・肆毒(しどく)・蠱惑(こわく)の五つである。五悪は人として赦せない欠点を指す。
 しかしこの状態では、まだカラクリの全貌が読める段階ではなかった。更に追求が必要だった。

 沢田の周りには、陸軍中野学校出身の松川郁夫少尉と波島洋一少尉がいて、これから、公瑞兆の扱い方について協議していた。何れの少尉も平服
(私服)であり、表向きの身分は民間人であった。
 「公瑞兆は用心深くて、万事抜かりなく、何喰わぬ貌をして、一方深部に陰険なところが観察されます。それゆえ、彼
(か)の容(よう)は『婦』で、身形(みなり)は『組』です」と松川少尉。
 人間観察術の第一評定の雰囲気からの観測である。雰囲気には個人特有の匂いが漂っているから、その匂いを嗅ぎ取れば、そこには自
(おの)ずと本性の人物像が泛(うか)び上がって来る。
 「併せて、この漢、嘘八百を並び立てることに長け、話術に釣り込まれると、如何にも尤もらしく聴こえ、然も弁が立ち、その目的は『利』にあります。しかし、彼
(か)の聲(こえ)は『険』です。険なるゆえに、それは真実らしく聴こえ、論理的には辻褄(つじつま)が合って、公正であるかのように聴こえます。それが話を体系立てて語れるからです。しかし、それだけに博学といえましょう」と波島少尉。
 彼の言は人間観察術の第二評定に基づいていた。
 二人の少尉の言った人間観察術の評定基準は、荀子
じゅんし/50歳にして初めて斉に遊学し、襄王に仕え祭酒となる。讒(ざん)に遭って楚に移り春申君により蘭陵の令となったが、春申君の没後、任地に隠棲。前298?〜前238以後)の挙げた『乱世の徴』に基づいている。

 荀子は中国初期の思想家だが、この思想家が、ナチス独逸の御用学者であったアルフレート・ローゼンベルク
Alfred Rosenberg/ドイツの政治家、思想家。国家社会主義ドイツ労働者党対外政策全国指導者 。ヒトラーの代理人として反ユダヤ主義の新聞や雑誌の発行で暗躍し、またユダヤ人の財産没収に関わった。後に不忠であったと激しく非難され、ヒトラーと決裂。1893〜1946)のその著書『二十世紀の神話』の一文に、何とも不思議なほど酷似するのである。そして第二次世界大戦前夜の、かつてのドイツが、いま私たちを取り巻く環境とそっくりなのである。
 ローゼンベルクは次のように論じている。

 大都会のデパートが、きらびやかで退廃的な贅沢品を飾り窓に並べて、女性達を誘惑する時。
 若者が腕輪をぶら下げ、華奢
(きゃしゃ)な指輪をはめ、目に青い隈(くま)をつけて、女のように腰を振って街を歩く時。
 解放された進歩女性が「結婚は売淫である」と罵倒するとき。
 ロック調の音楽が巷に流行し、ポルノが家庭まで侵入し、ホモが顕われて市民権を獲得し、他方では女丈夫が政財界の場で活躍する時。
 そういう時こそ民主主義が危機に落込んだ時である。
 一撃を加える必要がある時である。

(解説による)    


 アルフレート・ローゼンベルクは、この時こそ「一撃を加えよ」と言っているのである。
 一方、荀子の挙げた『乱世の徴』は、次のように論ずる。

その服は組。
その容は婦。
その俗は淫。
その志は利。
 その声楽は険。

 一番眼に挙げられている「その服は組」は、いろいろな布地で作った色彩を組み合わせ、それをもって華美を表現するファッションのことであり、ローゼンベルクは、これを「きらびかやな、頽廃的で無駄なる贅沢品としている。つまり、物に任せて一般的な贅沢を逸脱していると言うのである。
 第二番目の「その容は婦」は、男の女性化を挙げ、若い男が腕輪をし、イヤリングをし、その他の装飾品を沢山身に纏い、華奢
(きゃしゃ)に振る舞って、女のように腰を振って歩くさまを言っている。
 三番目の「その俗は淫」は、風俗はエスカレートして淫らになることをいい、性風俗までが家庭に流れ込んでいる家庭環境を言う。
 例えばその背景に、性
(せい)が入り乱れ、同性愛、ロリコンLolita complex/性的対象の幼・少女愛の意で和製語)趣味、獣姦趣味、猟奇趣味、夫婦交換、乱交パーティーは「弊(へい)の極まり」としているのである。
 四番目に挙げられた「その志は利」は、為政者自身が国家と為とか、社会公共の利益とかの国民に利益と言う観念が無く、自身が利己一点張りの我利我利の亡者になった時、その国は亡ぶとしているのである。荀子の『乱世の徴』には、そう記されている。
 五番目の「その声楽は険」は、歌でも音楽でも、刺々
(とげとげ)しくて、烈しく、その音色が狂乱じみていることを言う。歌や音楽はいいにしろ悪いにしろ、世相を反映しているのである。

 併せて宋史『岳飛伝』には、「文臣、銭を愛せず。武将、死を惜しまざれば、則ち、天下は平らかなり、それこそが政治の原理原則であるからだ。その意味では『礼記』でも、「利を専
(もっぱ)らにすれば、民、必ず貪(むさぼ)る」とある。
 社会全体が利潤追求を第一として利益主義に奔り、利益本位で、利権の獲得のみに欲を貪れば、それに反応して民も貪欲になると指摘している。

 これは、法家の『韓非子』の「亡徴」にも合致する。
 荀子の「徴」も韓非の「徴」も滅亡の意味を含んでいる。
 『韓非子』に曰
(いわ)く、「群臣が学問を好み、重臣が子弟の弁術を玩弄(がんろう)し、商人は他国に財を蓄え、庶民の依頼心強き国、そのような国は、亡ぶべきなり」と。
 更に、「刑罰は淫乱、法規に忠実なく、弁舌の巧みなる者を愛してその実行力を考えず、見て暮れの華麗に溺れてその実効性を顧みない君主の国、そは、亡ぶべきなり」と。
 あたかも何処か今日の日本の世情に似ているところはないのか……。
 そして、その元兇を辿れば、この兆候は既に昭和19年半ばには、各組織
(例、陸軍省、参謀本部、近衛師団などの戦争観の見解相違)や、自らが与(く)する派閥網の利権絡みの「敗戦後の処理」を巡って策が前倒しになって実行されていたのではないか!……。
 つまり、誰が一番先に「利」にありつけるかである。利は、誰が一番先に経済的主導権を執
(と)るかということと同義である。
 これを更に辿れば、この当時、日本は果たして戦争をしていたのであろうか?……という疑問が泛
(うか)び上がって来るからである。日本が本当に戦争をしていたのは、日米開戦の前まであった。
 昭和16年12月8日を起点として日米開戦に突入すると、それ以降の戦争の仕方は一変した。愚将達は自国民の生命を消耗させる策に出た。人命軽視である。人の命を消耗品代わりに酷使した。

 近代市民社会は、市民と軍隊が一体であった。軍隊は市民をよく守った。また市民は軍隊を尊敬した。
 ところが大戦末期になると、戦争指導者達は、自らは尊敬されるポーズをとりながらも、夜郎自大に陥り、大の虫を生かして小の虫を殺す策に出た。愚将どもは民間人に犠牲を強いた。生より、死を選択させた。
 これ自体が重大な屠殺
(とさつ)行為であり、その誅は、決して免れるべきものではあるまい。

 だが、そもそも民間人を犠牲にし、生贄にし、秘密保持のために微生物を殺す策というのは、もやは奇手でもなく、机上の空論で愚策を連発させた。自国民、つまり一般民間人を犠牲にする戦は、もはや戦でないのである。屠殺の、それである。
 愚将の戦争指導者は、民間人の“屠殺”しか思い付かなかった。
 最後の最後まで、ついに奇手は出ず終
(じま)いであった。いたずらに戦争を長引かせるということは、奇手すら枯渇し、発想も柔軟性を失い、負け将棋の「もう一番」の連続となり、良識派は更迭されて表には出られなくしてしまうのである。屠殺しか知らない戦争職人は、政治には口出しすべきでなかった。
 斯くして、当時は良識派が、強硬論派から封印されてしまった形跡がある。また、それを逆手にとって、海外からの間者が、日本で好き放題に暗躍し、愚将どもを、“公瑞兆クラスの暗躍者”が易々と手玉に取ったと言うべきであろう。愚将どもは暗躍者の掌の上で乱舞した。間抜けな孫悟空を演じただけであった。
 日本はこのとき、既に情報戦に敗れていた。この敗因を探れば、当時の軍隊官僚に大きな欠陥を検
(み)ることが出来る。

 沢田次郎は、彼ら二人に人物評定をさせて、自身でも「野望を恣
(ほしいまま)にし、天下に動乱を起こす破壊的人物である」と最下等の危険人物とした。しかし、此処で公瑞兆を誅殺してしまっては、『貌のない影の皇帝』まで辿り着けない。泳がせ、監視する必要がある。
 協議の結果、結論は証拠不十分にして泳がせた後、二重スパイの堀川久蔵に接触させることであった。公瑞兆を堀川彦宸として引き合わせ、その後の出かたを見る構図を作った。黒幕探しである。
 仮に『貌のない影の皇帝』にまで行き着かなくても、それに近い奥の院の入口くらいには接近出来ると踏んだのである。
 既にM資金に絡む、瞿孟檠
(仮名/く‐もうけいの名が挙がっているからである。貌のない影は、名を知られた時点で影の生命を終える。暴君然とした皇帝すら、ひとたび外部に名が漏れれば、その時点で皇帝生命を終える。

 沢田次郎は、津村陽平が指摘した通り、瞿孟檠は用済みとなる。闇から闇へと葬り去られる。
 組織の一劃
(いっかく)を暴かれた廉(かど)で、刺客に殺されるに違いないと思っていた。かの暗殺部隊の『P2』(フリーメーソン暗殺集団のプロパガンダ第二部)のような刺客に……。そして、その引金役を公瑞兆が遣らかし、足許に火が点(つ)いた。
 また、性欲絡みで、元憲兵の川原広太、清川弥吉、渋川光男の「3川」と、軍医の野村睦次の四人を唆したからである。女で一本釣りして、性楽で煽って教唆した。あるいはこの四人は以前から、堀川彦宸という人物を知っていて、この漢に性楽の悦を調教されていたのか。
 この種の調教師は女だけを調教するのでなく、乱交パーティーなどの快楽遊戯を通じて、男までも洗脳し、調教してしまうのである。酔わせて、いい気にさせ、有頂天にさせて麻薬のような常習性を植え付ける。この手法は、今日でも地下風俗の秘密組織などで使われている。

 だが、『奸』の右代表とも言うべき公瑞兆こと堀川彦宸は、実行者の選抜に抜かりがあった。
 この漢は、小人の島国日本の気候や風土や人間性の判断と評定において、“日本人小物層”の「常習性」を見抜いていなかった。小人は常習性を引き摺る生き物である。それなるが故に、「また」を期待して、次ぎなる同じことを遣る。この種の軽薄な敖者
(ごうじゃ)を使ったのが、そもそもの間違いだった。軽薄・小人(しょうじん)は、鋭い詰問で簡単に口を割ってしまった。
 公
(こう)は“日本人小物層”の「常習性」を知らなかった。酔うことを知らなかった。知っていても見落としていた。その無知が、足許に火が点(つ)いた……。津村陽平の分析は、このような結論に至った。
 しかし津村は、沢田次郎に、妻の珠緒と、生みの親の鈴江のことを話さなかった。自分の正体もだ。
 沢田の捜索能力ならば、そういうことは言わなくても、自身で嗅ぎとるだろう。それくらいの嗅覚はもっている。告げなくても、やがて分ることだ。

 津村にしてみれば、ただ釈然としないのが、星野周作の存在だった。鈴江を嫁として津村家に引き入れたとき星野は忽然
(こつぜん)と姿を消した。舅(しゅうと)は、津村家には姿を顕さなかった。振り返れば、不可解な事が多過ぎた。
 珠緒と鈴江の父親であるこの漢は、果たして日本と大陸を股に掛けた刀剣鍛練の徒であったのか……。なぜ大陸に渡ったのか?……。この動機である。
 星野周作は大陸で、民間人の軍事探偵の平戸出身の沖禎介
(おき‐ていすけ)に出遭っている。果たしてこれは偶然か。
 沖禎介は北京で東文学社で教鞭を執
(と)りつつ、一方で、明治36年には文明学社を設立して、清国内で子弟を養った。また明治37年(1904)、日露宣戦布告に際しては、沖は在清の日本人同志らとともに日本陸軍の特務機関に属し、以降の校務は門人に托して、自らは東清鉄道を破壊するため、ロシア軍の『東方輸送妨害作戦』の挺身隊を組織した。星野はその頃、沖と知り合い、その組織に加わった。
 彼らはラマ僧を装い、北京を発
(た)って蒙古不毛の地へと至り、更にロシア領まで潜入していた。五十有余日を経て、漸く目的の任務も遂行できて、あと一歩と言うところでロシア国境軍の巡邏隊に捕獲された。
 そのとき星野周作は、その難を逃れて再び清国に舞い戻り、斉斉哈爾
(チチハル)の製鉄業者の孫熈英(そん‐きえい)に匿われた。やがて沖禎介が哈爾濱(ハルピン)郊外で銃殺されことを知る。

 星野周作はその後もロシア官憲から『東方輸送妨害作戦』の挺身隊の一味として追われていた。だが、孫熈英に匿われ、日露戦争が明治38年に終結すると、孫熈英の娘・美麗
(びれい)を娶(めと)り、美麗ともに満洲鉄道付近の長春(満洲国建国以降、新京と改まる)に棲(す)み付く。果たしてこれも事の成り行きか?……。
 その辺は、津村自身も掴み取っていなかった。
 だが津村は、「貌のない影の皇帝」を操る更に上に『総帥X』なる人物がいるのではないかと睨んだ。深部に奥の院がある。まだ奥がある。何ぴとも触れてはならない琴線がある。そこに奉天派軍閥の総帥・張作霖の亡霊がいる。亡霊は琴線そのものだった。そう検
(み)たのである。
 その亡霊を、やがて沢田次郎が暴く。『総帥X』なる人物も次郎が暴くだろう……と、津村は思った。
 では、『総帥X』の行動原理は何か。何を見返りにするのか?……。
 また、『総帥X』は「貌のない影の皇帝」を動かす原動力は何だろう。人間の権力欲か?……。

 ある漠然としたものが泛
(うか)び上がって来た。ワンワールド……。新世界秩序……。これからの世界の原動力は、この原理で動かされるのではあるまいか。その価値観で、世界は一新する?……。考えられないことはない。あるかも知れない。しかしその原理で実際に世界が動くには、まだまだ人身御供が足りない。多くの生贄(いけにえ)の血を必要とする。生贄の血がまだ、少なくとも二年半分くらいの石油備蓄量に匹敵するくらい必要なのだろう。
 その単位は数キロリットル程度のものでないだろう。その4.5倍強の数万、数十万ガロン
(gallon)の単位に迫るだろう。現に、先の大戦での犠牲者の血を換算すれば、それに匹敵するか、それ以上だろう。
 したがって『総帥X』は、富……名誉……などの、そういう薄っぺらな、安っぽい欲望のために動いているのではない。そんなものには全く興味を示してはいまい。富の独占とか、経済成長とか、工業製品とか、領土とか、労働力とか、貴金属とか地下資源などではない。簒奪
(さんだつ)が目的でない。
 況
(ま)して植民地主義とか帝国主義などでもない。その潜在的なる欲望は、地球規模の権力支配であり、それが新世界秩序という法律である。神の域の物を欲している。

 もし最高の欲望があるのなら、全世界を支配する「権力」であろう。それも一国などと言う最少の国家単位でなく、世界数百ヵ国という地球規模の支配である。地球の最高権力である。
 この『総帥X』に、もし最後の針に餌として付けて投げるその餌があるとするならば「世界支配の権力」である。それは「貌のない影の皇帝」まで内包し、完全に支配する権力である。支配者のそれは、その権力自体が「法律」になる。全知全能の神となる。支配者の一言一句が、既に法律なのである。神の言葉である。
 『総帥X』を暴くなら、世界支配の権力という、法律にまで迫らねばならない。その法をもって、琴線に触れる位置まで迫ってはじめて、その正体が明白になるのである。人間を動かす原動力は、この欲望に回帰出来るのではないか。新世界秩序は法律という権力だった。そう思うと津村は、思わず戦慄を覚えた。

 そして津村陽平は、背後に筆舌に尽くし難い、何か巨大なものが蠢
(うごめ)き出した気配を感じた。その巨大なものは、やがて日本もを呑み込むであろう。そういう、予言めいた巨大物を夢想した。その示顕(じげん)を想った。
 そして沢田次郎がそれを暴いたとき、M資金の封印が解かれる。その正体が判る。存在を実在のものにするのか、架空にするのか、それは関わった当事者が、その実体を見る。これに心血を注ぎ、戦争という政治折衝で争奪戦を競い、その行為が無駄でなかったという確証が掴めたとき、敗者はそれに敗れたとしても、満足を覚えつつ、世を去る決心がつくであろう。

 そもそも争奪戦に大義名分など無い。どうでもいい事なのである。大義名分……。その理由付けは、後世の歴史家の仮託で、幾らでも捏造出来るからである。
 津村陽平と沢田次郎親子の思考回路も、行動律も、遺伝系から言って、よく似たものである。津村陽平はそのように感得した。目的は違っても、思索する経路は同じだろう。それは最初、小さな川の如きものだろう。
 それが思索を同じくして、水源の源点
(一点)に回帰する。その水源を遡(さかのぼ)れば同源である。
 これを表現するなら、荀子の「其源可以濫觴」となるだろうか。
 荀子は子道に、「長江も水源に遡れば、觴
(さかずき)を濫(うか)べるほどの、または觴に濫(あふ)れるほどの小さな流れである」と説いた。
 ちなみに濫觴
(らんしょう)とは、物事の起こりをいい、源点を指す。それは一点に回帰するものである。

 大戦末期の昭和19年7月末、日本は戦争終結に向けて、連合国側の様々な思惑や利権や割譲を巡って、動乱的な一騒動が持ち上がろうとしていた。そして縺
(もつ)れた糸は、更に複雑に幾重にも絡み付く。
 この当時、敗戦がほぼ決定されようとしていたとき、三国人の人買いが暗躍していた。それに謎のM資金が大陸の彼方で、見え隠れしていたのである。沢田次郎は配下に指図した。敵は身近に居る。そしてその敵は、意外にも反枢軸国の高官かも知れないと。また、片棒を担ぐのは日本人であるかも知れないと。
 それだけに、糸は縺れた。複雑に絡み合った。
 禍福が縺れ合い、解
(ほど)きようのない糾(あざな)える縄の如しとなって……。



●贅沢は素敵だ。

 贅沢は敵でなく、「ス敵」であった。敵の前に「ス」を付ければ“素敵”となる。
 そういう考え方をする人が居た。
 某文化人で、敵の前に「ス」を付けて“贅沢は素敵だ”と喝破した人がいた。それだけ、当時の日本人は、総てが軍国調に運ばれて行く事に、些かの食傷を覚えていた。負け戦で、日本全体は昏
(くら)かった。深刻な敗戦を思わせて黄昏れていた。そのうえ、この時期に入ると、ジャスもダンスもいけないとなる。国民の娯楽は狭められていた。

 しかしこの昏い時代にも、艶
(あで)やかなもはあった。優雅で華麗なものはあった。
 昭和12年10月20日、ラジオから『愛国の花』
(福田正夫作詞/古関裕而作曲、佐伯亮編曲)という、国民歌謡の一種の軍歌が発表された。この歌がラジオから流れると、多くの婦人層に支持され愛唱されることになった。
 翌13年には歌手・渡辺はま子の吹き込みでコロンビアレコードから発売されると、男女を問わず、忽ち多くの支持者を獲得した。
 そもそも軍歌は悲壮極まる短調仕立てで、荒々しい二拍子からなる。猛々しく武張ったものを強調する。
 ところが『愛国の花』は、優雅にして六拍子の長調メロディーである。そのため歌のイメージから、荒れ地に咲く清らかな花を連想させた。そして、これを主題歌にした映画『愛国の花』
(松竹)が、昭和17年1月12日に封切られている。映画の内容は、野戦病院に勤務する看護婦と、傷病兵の清らかな心の交流を描いた純愛ものである。当時、絶賛を博したことで知られる。

 また、これと同じ現象は、『南の花嫁さん』
(藤浦洸・作詞/任光・作曲)にも見られる。作詞者の藤浦洸は、南方ムードで作詞したと言う。また女優も李香蘭(り‐こうらん)をイメージしていたが、彼女は満洲にいて帰れなかったため、その代役として高峰三枝子が起用されて絶賛を得たことであった。高峰はこれにより、一気にスターダムに伸し上がる。その後、軍隊慰問では一番リクエストが多い歌であったと言う。
 この曲は昭和18年1月の新譜で、特に工場などで学徒動員で徴用された女学生や手織工場の女子従業員に愛唱された歌であり、悲壮な二短調の荒々しい軍歌に食傷気味になっていた勤労女性には大いに喜ばれた歌であった。
 人は優雅を好むのである。また華麗を好む。貧しても、人は貧乏性を回避したいと考えるものである。貧しても、腐っても鯛という誇りはある。この誇りを失えば、自身の人格を失うことになる。

 贅沢は敵だとすれば、それは欠乏を顕す。経済的に困窮していると、他者から見られる。同時に足許も見られる。そうなると、欠乏しているのではないかという状況下が、裏目に出て、同情は愚か、融通してもらえるものもしてもらえなくなる。廻してくれないのである。
 物不足とは、要するに足許を見られて、敬遠されることなのである。そこで打開策としては「まだ有る」と言う状況、つまり「見せ掛けにおいても、まだ有る」と思い込ませねばならない。
 所謂「見せ金」の状況である。貧すれば、まずこれを作る。貧すればこそ、作らねばならぬ。
 これが確立できれば、融通の可能性は出て来る。欠乏して台所が火の車では駄目なのである。問題なのは、実際に有るか無いかではない。あるように見れられることが大事なのである。いったい、わが家の台所が火の車で、誰がインサイダー情報を教えてくれよう。この情報を駆使せずして、今の経済的困窮を覆す手はあるだろうか。余裕の無い者に、手を貸す者は居ない。
 しかし、当時は国民に欠乏を強いたことから、足許を見られた可能性が高いと言えよう。金の無い者に、金を貸さない理屈である。返済能力の無い者には金は貸さない。金貸しは、金に困っている者に貸さない。金の余っている者に貸す。貧者に貸さず、富者に貸す。金を借りるなら、富者を装わねばならぬ。

 一方、「贅沢は素敵だ」となれば、余裕を顕す。富を顕す。経済的自由を顕す。不自由でない。欠乏していない。これが「まだ有る」状況である。
 ところが、財布の紐を締めて、贅沢は敵だとして節約・倹約を促す……。欠乏と不景気を煽る……。
 果たして、敵国に与えるインパクトは、どちらが大きいだろうか。
 贅沢は素敵だ……。
 物があるから、この状況は作れるのではないか。
 何とも、皮肉であるが、一方で的
(まと)を得たスローガンにもなり得る。
 食糧の汲々とし、物資に不足が出始めると、もうこれは倒産前の不渡り手形を出す一歩手前となる。当然、取引会社などは「あの会社は怪しいぞ、倒産するのではないか?……」等の風評が流れ、仮にまだ余録があっても、そうなると取引停止が殺到するのではあるまいか。
 それに対して、同じ条件下にあり、不渡り手形を出す一歩手前であっても、余裕を見せれば、「あの会社はいま経営が厳しいらしいが、それでも社長の采配で何とか切り抜けるだろう……」となれば、取り付け騒ぎが起こったり、無体な取引停止は起こらないだろう。要は余裕のポーズだ。

 問題は、逼迫した状態で、欠乏の色を見せて引き締めに掛かるか、余裕を見せて「まだ有る」という状態にするかに懸かるのであり、困窮すれば、それは内側よりも外側に大きな動揺や見縊
(みくび)りが起こるのである。現状をこのように分析されてしまう。敵に見透かされる倹約や節約は、国力の現状を曝(さら)すことになるのである。それは余裕のないことであった。

 贅沢は敵だ!
 一見、贅沢をして浪費を戒めるスローガンように聴こえる。しかし、これは欠乏を意味する。経済的不自由を指す。裏から観れば、結局そうなう。万歳ポーズだ。
 そのため食糧難で、物資難で、もう直、底を突くと検
(み)られてしまうのである。
 一方、贅沢はしてなくとも、余裕を思わせれば、極端な節約と引き締めはしなくていい。普段のまま過ごせばそれが余裕であり、まだ余力があると看做される。万歳ポーズは回避される。
 この違いは大きく、裡
(うち)よりも外に対して大きな影響力を持つ。欠乏して、逼迫していると思われただけで、その評価は過小となり、例えば“斜陽会社は早く潰してしまえ”となるのである。

 贅沢は敵だ。
 このスローガンから、敵国は、つまり連合国軍は、日本は輸入禁止措置に対し、経済が逼迫し経済は立ち行きいかない状態になる……と踏むからである。経済封鎖の悪影響である。
 その最たるものが、「ABCD包囲陣」
(ABCD encirclement)ではなかったか。
 国際連合軍は昭和10年
(1930)代の後半頃に、日本に対し、対日経済制裁として、特に資産凍結ならびに石油禁輸を連合国同士で協力して、日本を追い込みに掛かった。欧米人が猟りをする構図である。
 これにより、日本は罠
(わな)に追い込まれて行く。猟ろうとする動物を、勢子(せこ)を使って銅鑼(どら)や太鼓で囃(はや)し立て、経済封鎖の罠に日本は搦め捕られた。「ハル・ノート」然(しか)りである。
 これは勢子の銅鑼や太鼓の囃子の策略であった。まんまと囲いに追い込まれたのである。
 ちなみに、日本の東南アジア進出に対抗してとられた連合国包囲陣は、Aはアメリカ
(America)・Bがイギリス(Britain)・Cが中国(China)・Dがオランダ(Dutch)のことである。

 節約や倹約は、裡に向けては引き締めを促し、スローガンとしては無駄遣いをしないということで、それなりの意味を持とう。ところがそれを底辺に押し付け、上が湯水の如く浪費していては意味がない。
 むしろこうした場合の、これを強要する言い出し屁は、底辺の微生物が、せっせと質素倹約に励むのを横目に見ながら、自分は贅沢三昧に耽るというのは、歴史上にはゴマンとある。これこそが、権力側の「愛すべき微生物観」である。
 権力側
(当時の陸海軍の戦争指導者)が、底辺の庶民を検(み)る場合、あたかも“顕微鏡下の微生物”としてしか見ない。それ以上の見方はない。“その程度”で見る。これは実に残酷な見下しである。
 大の虫を活かし、小の虫を殺す見方である。しかし、高が、小の虫を生かせ得ずして、どうして大の虫を生かすことが出来よう。この考え方は、共倒れを誘う暴言である。
 贅沢は敵だ。この言葉が、甘く見られ、底の浅さを見せ付け、共倒れを誘うスローガンであった。

 これと似た考え方に「痛みを分かち合う」という言葉がある。しかし、この分かち合う場合の配分比は、百分比
(percentage)で推移させる事が多い。特にこの考え方は行政機関で頻繁(ひんぱん)に用いられる。
 頭から、百分比で計算して「幾らだ」と迫る遣り方である。これを政治と言うらしい。無能な政治家ほど、この手法を遣いたがる。
 昭和16年12月8日の日米開戦当初から昭和20年8月15日の大東亜戦争敗戦まで、この手法下に愛すべき微生物は置かれ、それを戦争指導者達が、顕微鏡下の微生物視をしていたのである。人間の命の浪費であった。人間の命は「赤紙」で幾らでも集められると思っていたようだ。
 だが、顕微鏡下の微生物も時として反抗することがある。
 それか改革運動に繋がったり、あるいは革命に繋がる。権力に胡座
(あぐら)をかき過ぎると、やがてこの種の鉄槌(てっつい)を喰らう羽目となる。暴君が失墜するのは、そのことを雄弁に物語っている。それは高級官僚とて例外ではない。
 議会制民主主義が、デモクラシーの理論で正しく機能すれば、暴君は糺
(ただ)せ、智を自称する官僚の横暴も阻止出来る筈である。だが、それが機能していないという事は、人類がまだそこまで進化していないことを顕している。それは個人主義が、公を飛び越えて、悪しき個人主義に暴走しているからである。その元兇には経済と同居する金銭至上主義が挙げられる。その一方で、裏付けのない紙幣が乱舞しているからである。

 紙幣は「金」としての裏付けが要る。金の裏付けが要り、換金価値がある事だ。
 一方、偽造紙幣を大量に市中にばらまけば、忽ち経済は暴落する。
 当時、軍票などはその甚だしきものであった。偽札、然
(しか)りである。
 何れも経済を混乱させ、政治を翻弄
(ほんろう)させた。これは、戦争屋という軍隊官僚が政治に介入したからである。そのうえ、内務省案で捻り出された「贅沢は敵だ!」の言葉に踊ったと言えるだろう。
 むしろ「日本の石油の備蓄は、まだある。二年半はある!」と内外に向けて喧伝・豪語していたら、「贅沢は敵だ!」のヒステリック喧伝より、よほど気か利いていたと言えるだろう。喧伝媒体を誤った。

 戦前・戦中は、インサイダー情報に関する規制は皆無だった。株式取引に関しては、今日のように「保証金規制制度」が無かった。当時は清算取引であった。此処が重要なポイントである。それは逆手にとると、逼迫状態を切り抜ける奇手ともなり得た。日本には、米国や英国のように専門の経済班を参謀本部に設けていなかった。参謀本部・参謀次長直轄には研究班があったが、専門の経済謀略の研究は初歩的なものであった。


 ─────夕鶴隊オフィスの防音完備の会議室では、鷹司友悳と来栖恒雄、それに沢田次郎の三羽鴉が、角を付き合わせて密談をしていた。
 「夕鶴儀仗隊のお披露目を、少女歌劇団の興行程度で終わらせてはなりますまい」と沢田。
 「充分に心得ておりますが、仮に、このお披露目興行で、幾らの“上がり”がありますか」と鷹司。
 「そういうケチなものは、最初から相手にしてはいませんよ」と沢田。
 「では?……」といって、沢田の、些かマジック気味な発言に種明しをしてもらいたいような来栖。
 「昭和の初期、伊東阪二
(いとう‐はんに)という漢がいたのを知っていますか?」と沢田。
 「一応、内部者取引
insider trading/上場会社等の役員や大株主などが、一般には未公開の内部情報を利用して行う証券取引。しかし現在は不公正取引として厳しく規制)で、勇名を馳せた相場師とは聴いるが……」と、伊東のインサイダー取引を指摘した来栖。

 伊東阪二
(1898〜1969)は多彩なを手掛けた人物であった。作家で、相場師で、社会運動家で、本名を松尾正直という。また、昭和5年頃に、伊東は共産主義は虚構理論で作られたことを見抜いていて、共産主義の崩壊を予見していたとも言う。
 この御仁、『国民新聞』ならびに、雑誌『日本国民』の経営者であり、また川端康成や与謝野晶子らの製作上の請負人
(producer)でもあった。伊東は彼らを世に知らしめた売出人である。
 また“東洋のマタハリ”と呼ばれた川島芳子
(愛新覚羅顯シ(あいしんかくら‐けんし)/川島浪速の養女となり、日本で教育を受けた。1907〜1948)と親交があり、その一方で熱烈な愛国者でもあった。更に大東亜戦争を回避しようとして、日本国中を遊説しことでも知られ、一時期「時の人」となった。
 また、遊説は、戦争反対の国民運動を目的とした。この熱烈な愛国者は、日本が日米開戦に突入するのを憂いていた。
 ところが、「東条英機暗殺を計画」したため?、軍部に、詐欺容疑を捏造
(ねつぞう)されて逮捕された。
 その捏造内容は遊説時、それに集まった商人や資産家に、詐欺的な相場や投機の儲け話を持ちかけたという疑いからだった。大東亜戦争反対論者であるから、容疑などは後で幾らでも作れるのである。
 伊東は投獄中、残酷な拷問を受けたとされる。そのために後遺症が残った。一旦は起訴されたものの、拘禁性精神病を理由に保釈された。

 「まさか君は、伊東阪二を見習おうとするのでは?……」と鷹司。
 「その、まさかを使ってみるのも、寸劇の俄芝居では一興とは思いませんか」と沢田が嗾
(けしか)ける。
 「敢えて、その怪
(け)しからんことを遣って、意外な手品でも……」《実は企んでいるのでは?……》と言いたそうな鷹司。
 「その怪しからんことですよ。われわれは近代という時代で、近代戦を戦っているのです。つまり情報戦。
 その情報戦の実体は“噂”の一言に尽きます。その噂を臭わせるだけでいい。それだけで情報操作が自在に出来ます。金が有るように見せ掛ければ、その噂が金を呼ぶ。あるいは、それだけで株は乱高下する。
 昭和の初期の六、七年頃、伊東阪二という、噂一つで巨万の富を手にした相場師がいた。その漢の名が伊東阪二。この漢は、保証金規定制度がないことに目を付けた。それは噂一つで、一文無しでも、金が有るように見せ掛け、信用されれば、空売りも空買いも出来た。それで相場が張れた。ここに大きなキーワードがあるのですよ……」と意味ありげにいう沢田。

 「万一だ。もしも……清算手段が無くなった場合は?……」と来栖。
 「そのときは消えればいいことです」と涼しい貌をして一蹴
(いっしゅう)する沢田。
 「消えて、それでお終いですか?」と不思議そうに訊く鷹司。
 「ほとぼりが醒めれば、また姿を顕せばいい……。人の噂も七十五日……。
 情報戦には情報過多が常に起こる。多情報に流され、一体どの情報が本当か分らない。しかし正しい情報はたった一つしかない。ゆえに水面下では真物を求めて暗躍が起こるのでは?……」と意味ありげに沢田。
 「それを、君は……、空売りも空買いも、流言や風評で攪乱
(かくらん)するということですか。内部者取引で勝負しろということを言っているのですか?……」と恐々に訊き出す鷹司。

 「金は、金の裏付けが要る。しかし、金がなくても、その裏付けには、何も規制が無いのですよ。美辞麗句は幾らでも付けられます。問題は、その信憑性が有るか無いかです」と沢田。
 「すると、噂を駆使して、有るように見せ掛け、無い信憑性を捏造して、何者かに吹聴する……ということですか?……」と鷹司以上に、恐る恐る訊く来栖。
 「この際、真面目は捨て置き、此処一番の大勝負で、われわれは天下の詐欺師になる必要があります。その格好の餌がM資金……」と沢田。
 鷹司と来栖は、互いに貌を見合わせて唸ってしまった。それは、恐れを為
(な)したということでない。荒唐無稽なM資金が実際に有るのか無いのか分らないのに、その信憑性を捏造して、沢田次郎が何かを手に入れようとするマジックの一端が見えて来たから、つい唸ってしまった。これこそ瓢箪から駒であった。

 「つまり、君はその噂を、信憑性のあるものに捏造しようというのですか」と鷹司。
 「われわれには、この度のお披露目の仕度金が五千万円と少々。これでは権力丸ごとは買収出来ない。
 それを、お披露目資金に丸々使えば、この時点で線香花火のように燃え尽きて終わりです……。
 それでは所詮
(しょせん)、一夜の火花……。
 そこで、われわれは相場師になる前に、詐欺師でなければなりません。単なる博奕打ちレベルでは、筋金入りの詐欺師になれません。この世のゲームを楽しむには、詐欺師の気概です。
 この世を一つの博奕場と検
(み)る博奕場世界観です。真面目一方では、ただ搾取されるだけ微生物……。
 持てる者に対し、律儀は無用……。有るところからは、有るだけ頂けばいい。
 そこで、相場師に食らいつくそれ以上の悪党になる。この世の悲しみは、一切敵として迎え撃つ。それが天下の詐欺師の真骨頂……。そういう素敵な詐欺師になりませんか」
 「まるで、天一坊だなァ」と呆れ顔の来栖。
 しかし来栖恒雄も、これは面白いと思う。持てる者や物資を秘匿する者を、欺
(あざむ)いて、一杯食わせるのも面白いと思う。
 ただ問題は、天一坊を真似たとして、大岡政談の中では名奉行の大岡忠相に“徳川吉宗の落胤”の偽りが、見破られたことだ。この二の舞になってはならない。

 「だが詐欺を働くには、才能が要る。少なくとも、モンテ・クリスト伯程度の素質が……」と沢田。
 「モンテ・クリスト伯というと、大デュマ
(Alexandre Dumas)の伝奇小説の『巌窟王』ですか?」と鷹司。
 「そうです。船員エドモン・ダンテス
(一等航海士)が獄中で知った老師(ファリア神父)の遺財(モンテクリスト島の財宝)を得て、パリ社交界に神出鬼没し、自分を陥れた敵に、伯爵になって復讐を決意する……。
 このときエドモン・ダンテスは怖
(お)じ気づいたりはしていない。堂々と、イタリアの貴族モンテ・クリスト伯爵を名乗った。そして、富と権力と智慧を駆使して、いよいよ復讐を開始する。
 つまり大事なのは、智慧に加えて、勘と度胸です。肚を据えて掛からねばなりません。怯
(おび)えは禁物。
 詐欺を見破られるようでは話になりません。
 何よりも、勘と度胸を駆使して、ターゲットに錯覚を植え付け、見せ付けるための種金が要ります。無いものを有るように見せ掛ける“見せ金”が必要です。それを例の支度金で賄う……」と意味ありげに仄
(ほの)めかす沢田。
 「錯覚を起こさせるダーゲットとは?」と鷹司。
 「もちろん反東条派のお偉方……。更に、幻覚を誘発させるために、元政友会崩れも必要な小道具。つまり久原房之介
(くはら‐ふさのすけ)の一派、あるいは残党。総て調査済みです」と沢田。

 ちなみに久原房之介は慶応卒で、久原鉱業を設立し、後の日立製作所の基礎を築いた人物である。政友会入りし、逓信大臣を歴任。2.26事件に連座した後、政友会総裁となる。
 「つまり、反東条派と政友会一派ということですね」と鷹司。
 沢田の言った反東条派とは、石原莞爾を指すのである。この予備役軍人の息の掛かる経済人に働き掛けるということである。これで、ある種の動きが出ると検
(み)たのである。
 この動きの中に、それに見合う、つまりM資金に相当するものを引っ張り出そうとする魂胆であった。そのためには、大陸まで出向いて、M資金が有るか無しはか別にしても、信憑性を作り出すためにポーズを作らねばならないのである。沢田は、これを伊東阪二に因
(ちな)んで『伊東方式』と呼称した。

 「しかし、お偉方はその気になったとして、それで、その先は?……」と来栖。
 「日米戦の前に、石油の備蓄量は半年分しかないと嘘をついた連中。則ち、いま現在、その秘匿物を持っている連中……と言えば、お分り頂けるでしょうか」と沢田。
 「その連中は、かつて石原将軍と連携して、日中戦争の解決を図るために奔走したグループと言うことでしょうか」と鷹司。
 「そのグループは秘匿した備蓄の石油を、日米戦には使いたくなかった。あくまで日中戦争の泥沼解決に使いたかった。そのために日米戦が起これば、それに廻す備蓄量を半年分しかないと偽った。しかし、これは当時の全備蓄量ではない。少なくとも、あと二年分はあった。それを半年分しかないと言った。この言を、海軍は鵜呑みにした。半年分しかないから愚行なる真珠湾奇襲を遣った。まんまとルーズベルトに乗せられた。
 彼らが秘匿した目的は、海軍の軍艦や空母を動かすためではなく、中国戦線の泥沼解決に使う予定でいた。
 しかし、今さら出し惜しんでも後の祭り……。時は逸した。もう意味は無い。今では無意味になったそれを吐き出させて、M資金
(今は架空)と交換する」と沢田。
 「だが、その無意味と看做されている秘匿した二年分の石油を海軍に横取りされまいか。つまり海軍はナチス独逸が、昭和20年の前半には負けると検
(み)ている。独ソ戦が終われば、ソ連の飛行機は無用になる。
 それを、満洲の凍土地域の一部と交換する条件を立案中とも言われている。もう直、独逸は負けて、独ソ戦は終結する。それで、ソ連の飛行機を譲り受けるとも……」と、情報将校らしい意見を来栖は述べた。
 「なに!」と鷹司。
 「だが、それはあり得ません。その情報によれば、海軍は独ソ戦には無用になったソ連の航空機を廻してもらうという腹ですね。しかし、それは不可能でしょう。海軍案にソ連は飛びつきません。そういう国ではありません。これは海軍の妄想です。今度はその飛行機で、ソ連は満洲、朝鮮、樺太、北海道を襲撃します!」と断固言い張る沢田。
 「どうして、そう言えるんだい?!……。それに日本とソ連の間には、日ソ中立条約がある!更に、この戦争の終結をソ連に仲介依頼する計画もある!」と烈しい口調の来栖。
 「来栖さん。ソ連が、どういう国か考えて御覧なさい。海軍はそこまで分析出来ていない。その考えは、甘いの一言に尽きます。彼
(か)の国は日ソ中立条約など、クソ喰らえだ。おそらく独逸が降伏してから三ヵ月以内に満洲に侵攻して来る可能性が大だ……」
 沢田は臭わせ、また謎掛けのようなことを言った。
 「すると君は、彼の国をどういう国と思う?!……」来栖は半信半疑で迫った。
 「陸軍の情報筋も、同じ“海軍毒”に侵されているのではありませんか。あの国は、交換条件に半分を遣るといえば、それで満足する国でしょうか。決して半分などには乗っては来ない。半分と言えば、全部欲しいといってくる、そういう国ですよ。これこそ海軍毒の妄想の最たるもの。
 むしろ手堅いのは、政財界を丸め込んで、天一坊式に『伊東方式』で吐き出させる……」と沢田。
 「それを、M資金で買うと言うことですか」と鷹司。
 「そのためには『タカ』計画の後ろ盾が必要となります」と沢田。
 「政財界に信憑性を持たせるための影の役ですか?……」と鷹司。
 「それを、あなたの父君に遣って頂きます」
 沢田次郎の「影」というのは、公家の威光を指す。平安時代からの貴族の威光である。この貴族を旧華族と言う。明治維新以降の新華族ではない。維新功労の華族なら、養父の伯爵・沢田翔洋でも形がつく。
 だが、沢田の意図は公家出身で、皇族にも繋がりを持つ、鷹司清隆でなければ信憑性を齎すための威力は無いと検ていた。影として影響力を及ぼすには、どうしても鷹司清隆の貴族の影響力が必要であった。
 この影響力をもって、反東条派を翻弄
(ほんろう)させる。その翻弄の結果、軍上層部を動かし、一方で、財閥群の秘匿した石油の備蓄を吐き出させる。軽く見積っても二年分はあると踏んだ。この量をM資金と引き換えにする。

 戦争が終結したとして、戦後の復興には巨額な金が要るからである。
 その効果を狙って、二年分の秘匿した石油の備蓄量を内外に示すことで、この度の戦争を早期終結させる。
 その根本には「贅沢は素敵だ」の合い言葉が働いていた。しかしこれはまた、反東条派の思想でもあった。
 だが戦争強硬派とは逆行するものであった。


 ─────夕鶴隊にも、「贅沢は素敵だ」という意見の持ち主がいた。主任教官のアン・スミス・サトウ少佐である。アンは夕鶴儀仗隊のお披露目を、この信条で貫こうとしていた。
 そのためには儀仗隊自体を絢爛
(けんらん)と豪華で虚飾し、内外にその虚飾が、内面から出て来る絢爛さと豪華さが必要だと考えていた。それは衣装などの装いを言うのではない。
 あくまで内面の豪華さであり、内面から滲
(にじ)み出て来る「輝いた美」と「自信」でなければならないと考えていた。付け焼き刃ではない。真物である。
 短期速習指導とはいえ、それを真物然と見せ掛ければならなかった。木戸銭が取れるだけの“値打ち物”に仕立てねばならなかった。

 練兵場では、隊列の儀仗行進をはじめ、小銃を操作する分列行進が行われていた。それに随して、親愛高等女学校の吹奏楽団が行進曲の指導を受けていた。
 小銃の操作指導は、大陸で実戦経験を持つ兵頭仁介上等兵と鮫島良雄軍曹であった。

 野戦行きを間近に控えた兵頭上等兵は腰には、かつて大陸で使っていたと言う通称『馬賊拳銃』と言われるモーゼル連発銃を吊っていた。この拳銃はモーゼルC96
(重量1,100g)という銃で、ドイツ帝国で開発された自動式拳銃である。
 昭和18年4月からは、『モ式大型拳銃』の制式名称を与えて、準制式拳銃として採用し、この拳銃の弾丸も『モ式大型拳銃実包』として国産された。

 ちなみに、モーゼル銃の発明者はドイツ人のマウザー
Paul von Mauser/1838〜1914)で、彼の発明後、日本陸軍はこれに装銃改良を行い、軍用銃として三八式歩兵銃を生み出した。
 モーゼル銃の拳銃ホールダーはブローニング1922拳銃
(重量700g)のものより長くて大きい。モーゼル銃は装弾数も10発から20発で、実砲を装着すれば全重量は1,750gもある。馬賊拳銃と言われただけに威力も大きい。射程距離も長い。

 大陸での実戦経験豊富な兵頭上等兵の撃ち方の指導が行われていた。
 兵頭が大声で我鳴
(がな)り立てていた。この漢に階級は無用だった。将校も下士官もない。
 「小銃を上手に扱うには苦労人の気持ちが分らにゃならん。射撃は苦労人の気持ちが分かってはじめて上達する。人間界の法則は、総て体験によって最終的な磨きが掛かる。これまでのように、ただ撃てる、発射出来るという程度では駄目だ。最後に磨きを掛けるのは、苦労人の体験による。この苦労人の気持ちは、眼・心・手の一致に集約される!……。分ったか!……」
 この表現が難解である事は百も承知だが、敢えてこう言う以外ないのである。
 これを聴いた夕鶴遊撃隊の20名は、既に射撃経験はあったが、今は最終的な磨きについて「詰めの一手」を教わるところであった。それは詰め将棋の「王手」である。この「一手」が甘いと躱
(かわ)される。逃げられて、次は自分が王手を喰らう羽目となる。
 しかし、そう言われても……となる。言葉では難しいからである。体験以外それを知る方法はない。
 夕鶴隊員は手に九九式自動短銃を担っていた。全員戦闘服に降下靴
(ジャンピング・シューズ)、そしてワイン色のレットベレー。背中には1番から20番までのゼッケンが着けられている。教官は名前で呼ばず、装銃者を番号で呼ぶ。その番号をメガホンで怒鳴る。へまをすれば兵頭教官の罵声が飛ぶ。
 遊撃戦の戦闘配備を採らせ、『常山の蛇』として展開させるのである。人
(歩兵)でも車(武装四起)でも、同じ動きを展開させる。撃ち方に併せて遊撃戦の展開法を指導していた。兵頭は大陸での豊富な実戦経験者であった。戦争しか知らない大陸苦労人であった。



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