運気 八門人相 房中術 癒しの杜 菜根譚 小説 会報Back No. 合気 蜘蛛之巣伝 死の超剋 霊的食養 心法
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続 壺中天・瓢箪仙人 39

智慧の過食と言うことはない。しかし知識の不消化と言うことはある。知識ばかりで消化不良を起こしている不良を起こしているのである。知識は詰め込み過ぎると、消化不良を起こすのである。

 それは何故か。
 ただ知っているからだけだからである。知っている「智」は智慧に変換され、実践に応用されて役に立つ。ただ知識の詰め込みで言っているだけでは、ただの“生かじり”である。智慧として、見識に至ってはじめて効力を発揮する。
 ゆえに知っていても、物知りで終わり、咄嗟
(とっさ)の顛沛(てんぱい)のときには「仁」をなしえない。
 知識だけでは実学的な行動がとれない。物知りの域である。

 顛沛について語りたい。
 顛沛とは、咄嗟
の弾みなどで、躓(つまず)き顛倒(てんとう)することを言う。
 だが、仁者はこうした顛倒時にも、仁をなすと言う。そのとき仁を違
(たが)えない。違えずに、実践する。

 咄嗟の出来事を、泰然として一瞬に処理出来る能力は、どんな俊敏な頭脳の中に貯えられるものでない。それは体験と通して、事上磨錬
(まれん)の功を積んで得られた意識下の能力であるからだ。


●戦機は熟せり

 庄屋宅の道路前並びに玄関前中庭には、キャサリンが乗って来た『くろがね四起(よんき)』の他に、別の武装車輛が並んだ。“武装四起”だけで五台である。それに、国防(カーキ)に塗装された軍用バス一輛と、後ろに黒塗りオースチン・4ドアセダンが並んだ。
 別の“武装四起”は1号車と、飛んで3号車から三台が並び、1号車はアン・スミス・サトウ少佐と助手席に鈴木直子、3号車は鷹司良子と助手席に清水克子、4号車は谷久留美と助手席に鳴海絹恵、5号車は児島智子と助手席に室瀬佳奈が乗車していた。

 彼女らは全員ブローニングM1922拳銃で軽武装している。勤務時の装備・兵装である。
 また各車輛にはボンネットとドアの左右、後部に日の丸とアラビア数字の番号が描かれている。そして無線機を搭載して、交信はマイク付きヘットホーンで、互いが緻密な連絡を取り合う。この思想は、個人格技のスタンド・プレーでは覚束無いことを示している。白兵戦が無効となり、近代戦では遣り方が変化し始めたことを物語っている。
 近代戦では最後の一兵卒同士の、死闘の白兵戦とはならない。“さし”の勝負にはならない。集団で一気に畳み掛けて来る。
 猛々しく、荒々しく、暴虎馮河、つまり虎と素手で格闘する蛮勇では勝てない。大河を徒歩で渡るこの類を孔子は「事に臨んで懼
(おそ)れ、謀を好んで成る」ことこそ真の勇気であると説いた。猛々しいだけでは蛮勇の類。これが喧嘩と戦争の違いである。
 これまで長らく信じられて来た戦闘の最終段階は、個人格技の白兵戦とはならない。
 また前近代的な、大将同士の一騎打ちもない。その前に、一兵卒も大将も死んでいる。指揮官すら死ぬ。それはガトリング砲が発明されて以来、近代戦の戦い方が変化したからである。

 近代戦は大きく変化した。戦闘が三次元立体展開をする。平面ではない。そのため全体が敵前を有機生命体的に駆け回わらねばならない。全車輛が有機化して「常山の蛇」になる。最小単位の細胞が集合して、一つの生命体を作り上げる。そのためには互いに刻々と変化する現状を判断し、適切に行動しなければならない。
 情報戦とは変化を如何に巧く捉えるかに懸かる。
 後続の『くろがね四起』は計8名が乗車していた。更に、先に駆けつけたキャサリンに代わって、2号車には暗号班員の霧島祥子に任せた。助手席には佐久間ちえが乗車した。武装車要員は総員10名であった。

 軍用バスには空挺降下訓練をするために、代行運転者として運転教官の正木信吾
(陸軍伍長)と助教の落合文吉(上等兵)が同乗していた。
 そして軍用バスを運転するのは、ブローニングM1922拳銃で軽武装した島崎ゆりであった。14歳の小娘が、パワステも付いていない大型バスを運転していた。それだけに車幅を意識する勘と身体能力がいる。
 降下要員たちは迷彩色の降下戦闘服を着ていた。
 山田昌子を班長とする第一班の、副島ふみ、有村緑、向井田恵子、青木文恵、長尾梅子の6名と、中川和津子を班長とする第二班の、成沢あい、栗塚さきえ、守屋久美、押坂陽子、宇喜田しずの6名が、これからデモンストレーション降下を行う。降下要員は総員12名である。それぞれの班で、6名ずつが空中陣型
(フォーメーション)を作る降下をするのである。

 そして、キャサリンは孫齢姫
(そん‐れいひ)と伴に、4ドアセダンのオースチンに同乗する。
 これが本日、羽田発・新京行き
(大日本航空の「東京・新京直行便」)の飛行機の乗る孫齢姫を見送るオールキャストの22名であった。
 この22名は、全員が小型乗用車だけでなく、トラックやバスなど大型車輛も運転出来る技術を身に付け、いつ誰とでも直ぐに交替出来るのである。ハンドルの左右に関係なく、あるいは敵軍の鹵獲
(ろかく)車輛すら運転出来る技術を身に付けていた。身体能力が、大いに物を言う。そういう戦闘細胞が、夕鶴隊には粒ぞろいであった。

 暗号に関することでは、本日の指揮権はキャサリンが担っていた。
 任務は暗号コードブックを知るために、星野鈴江を尋問することであった。が、それは即座に解決された。
 残された任務は、内外に向けてのプロパガンダが整いつつあり、併せて星野鈴江こと、孫齢姫を宣伝媒体として遣い、敵陣営に日本軍の実情を過大評価させることが目的である。状況が変化したからである。台本無しでこれから先は即興的に自在に変化する、機転の利いた策が必要であった。そこで、キャサリンは即座にプロパガンダの即興詩を作った。
 では、何ゆえプロパガンダが必要か。
 あたかも「日本の石油の備蓄量は、まだあと2年半もある」というような余裕を、敵陣営に風評・流言させるためであった。それが実
(まこと)しやかに流されればいい。噂は千里疾るからである。実に機転の利いた即興詩であった。
 この即興詩で、李白
りはく/盛唐の詩人で玄宗皇帝に仕えた。彼の詩は天馬行空と称され、絶句と長編古詩を得意とし、時として酒を好み、玄宗と楊貴妃の前で即興詩を作ってみせた。701〜762)程度に振る舞ってみせる。シナリオ無用の臨機応変の変わり身である。キャサリンも、これに肖(あやか)る策を展開した。

 孫齢姫は和服から洋服に着替えていた。手にスーツケースを提げていた。
 「お持ちします」
 オースチンを運転していた漢が駆け寄り、車のトランクに積んでくれて、手を向けて車へと案内し、機敏のドアを開けて直立不動で立っていた。
 これが漢の本日の任務であり、沢田次郎が仕込んだ走狗であった。憲兵下士官らしく機敏で目端が利く。
 機転が利くところは、江戸時代の岡っ引きを連想させた。そして、もう一人の助手席の漢は、耳にイヤホーンを付けていて、常に無線を傍受
(ぼうじゅ)しているようだった。
 女性二人は黒塗りオースチン・4ドアセダンの後部座席に乗り込んだ。冷房が効いて車内はひんやりとし、快適な空間となっていた。全車輛は、指揮車の1号車に併せて、一斉に発進した。蛇腹発進でなく、一斉発進である。これが出来るのは、常に相互の無線傍受出来ていて、それを各車長は聴いているからである。指揮車の発進合図で一斉にアクセルを踏むからである。これが同時発進の秘訣であった。これだと蛇腹にならず、追突も免れ、秒単位の時間に無駄
(ロス)が生まれない。
 全車輛が一斉に、隊列行進並みに発進した。

 そのとき津村隊は、兵頭上等兵の掛け声で、直ぐさま整列した。
 津村陽平以下25名が、横一列に整列し、次々に発進して行く車に対して見送りの敬礼をした。
 津村は思った。
 もう日本の地で、鈴江に二度と逢うことはないだろう。日本で鈴江を見るのは、これが最後だろう。そう思うと、何故か死んだ妻の珠緒と、鈴江の貌が重なり、一瞬の感傷に津村は襲われたのであった。この二人は異母の姉妹であった。そういう事情が、津村を一瞬の感傷に疾らせたのかも知れない。
 もう直、四十のこのオヤジも、かつて星野鈴江を「鈴ちゃん」と呼んだ想い出があったからである。それは遠い昔のことであった。いま、その「鈴ちゃん」が母国に帰る。かの国に帰る……。津村少尉は、そういう思いで、孫齢姫に敬礼したのかも知れない。齢姫は一切の想い出を、かの国に連れて帰えってしまうのである。


 ─────全車輛は一先ず、『ホテル笹山』に向かって走っていた。
 「本日の指揮官は、あなた?」
 星野鈴江はキャサリンに訊いた。
 「はい、キャサリン・スミス少尉です」と毅然として答えた。軍隊用語を遣わないだけに、これまでとは違う印象を与えた。 
 「あなたの、毅然とした態度、誇り高くて立派だわ。まるでマリー・アントワネットみたいで……」
 鈴江はキャサリンに、英国女王陛下の血筋を検
(み)たのだろうか。
 「………………」
 キャサリンは鈴江の問いに、あえて答えないが、彼女の淑女然は崩れないのである。
 「お生まれは?」
 「英国で生まれて、少女時代は日本で育ちました」
 「やはり……。わたしも、中国大陸の斉斉哈爾
チチハル/黒竜江省西部)で生まれて、あなたと同じように、少女時代、日本で育ちましたのよ」
 しかし鈴江こと齢姫は、やがて排日運動に参加することになる。わが子を置き去りにしてまでも、母国に忠誠を誓い、排日へと奔
(はし)った。熱狂的な愛国者となった。同時に間者(スパイ)となった。彼女は母国で高等訓練を受けた細作(しのび)であった。

 「出発まで、だいぶん時間がありますから、わたしどものオフィスで、お茶でも如何ですか」
 「あなた方のオフィスですか」
 「敵情視察も宜しいのじゃはありません?」
 「それもそうで御座いますね、折角のお誘いですから」
 車輛は隊列を組んで走行していた。黒塗りの4ドアセダンのオースチンの前を走っていた軍用バスと、その前の『くろがね四起』の三台が臼井田
(うすいだ)あたりから、方向を変え始めた。
 オースチンは、キャサリンが“オフィス”と言った場所へと向かうため、それぞれの車輛は此処で別れた。
 そしてオースチンは印旛沼
(いんばぬま)付近に建つ『ホテル笹塚』へと方向を変えた。その間、後ろを疾っていた一台の“武装四起”が、オースチンの前に出て、もう一台が後ろをガードした。そしてオースチンは『ホテル笹塚』の車寄せへと到着した。そのとき“武装四起”二台は、此処までの護衛任務終了と言うことで、聯隊へと方向を変えて疾しり去った。
 やがて、車寄せに到着した。静かな貴婦人の如きの到着であった。

 玄関ロビー前には、和服を着こなした寮母の笹山裕子、総支配人の小松原光男
(陸軍上等兵)、それに接待員が黒服の背広で待ち構えていた。持て成しの始まりである。既に“武装四起”からの無線で了解済みであった。
 『ホテル笹塚』には、強力な無線装置を設置している。
 そして裏口の門戸から、地下駐車場へと続く奥まった場所に、『東京憲兵隊S分隊』が配備されていた。表からは容易に、その存在が分らないようになっていた。

 配属された憲兵隊は、トラック並びにサイドカー要員のみが制服憲兵の下士官
(曹長から上等兵まで)で、准尉以上の将校は、みな私服であった。その大半は陸軍中野学校の出身者で占められ、任務は各国大使館と日本外務省の間諜である。彼らは文官として内部に溶け込み、内部情報を防諜する。負けが込むと、官憲の中にも利敵行為を働いて、内側から城壁を開く輩(やから)がいるからである。
 この私服組には有能な下士官も混じっていた。この、はしっこい有能者を、沢田は岡っ引き代わりに遣う。
 時として、彼らは走狗となる。
 陸海軍の将官や佐官クラスや政府の高級官僚の不正行為には容赦がない。不正は徹底的に暴く。あるいは巧妙に駆引きして、交換条件を呑ませる。沢田次郎は陸軍法務官である。陸海軍の行政と司法の、両方の執行権を持つ。
 通信網は万端で、相互間は遠地に居ても特殊周波数の短波無線で連絡をとり合う。この通信システムも沢田の発想であり、S分隊の指揮官は沢田が兼ねていた。
 そして沢田自身は、軍部だけでなく、政財界の各方面に向けて『要視察人』と恐れられる視察人として、水面下を暗躍する。権力の逆利用である。第二の権力と言う。影の権力である。省庁内の内部に、深く潜入して暗躍する。これが視察人であった。彼一流の胆識をもって「毒をもって毒を制す」のである。これは「肚」が出来てのことである。

 では、何を以て胆識と言うか。
 その胆識……。
 もともと知識と言うのは、人の話を聴いたり、本を読んだり、あるいは大学などの教育機関で講義を受けることにより、ごく薄っぺらな、浅い、初歩的な「智」を得ることが出来る。しかしその「智」は、知っているだけと言う範疇
(はんちゅう)を出ない。その枠内の留(とど)まり、ただ知っているという域を出ない。
 単に知っているという「静」である。動きはしない。静止したままで現象を起こさない。
 だが、この「静」に経験と言うものが加わり、経験を多く集積すれば、その「智」は学問に変化し、その変化は次ぎなる段階で「見識」を生む。この見識に、実行力と実践力の「動」が加われば、動きが生じて、これが「胆識」となる。要するに「肚
(はら)」が出来るのである。
 沢田次郎は、この「肚」、つまり「胆識」をもって暗躍する。

 あるときの話である。
 沢田は手下
(てか)の私服憲兵を使って、陸軍省兵器局の歌川征四郎(仮名)少将を徹底的に付け回した。
 日本軍の兵器や銃弾が三国人の流出しているという情報を掴んだからである。この情報に基づいて内部調査を開始した。疑惑が次々に湧
(わ)いた。管理状態が杜撰(ずさん)ではないのか?。故意にそうしているのではないか?……。そして、歌川少将子飼の兵器課長の大島広太郎(仮名)大佐が泛(うか)び上がって来た。

 沢田は、ポーズは気負った『要視察人』として、陸軍省兵器局を毎日のように訪れた。そして長らく、要人応接室で俟たされる。散々俟たされた挙げ句、「今日は局長閣下も、課長も火急の用事で不在しております。どうかお引取を」と言われて、門前払いを喰らう。これを百も承知で、毎日『要視察人』として訪問するのである。
 しかし、あまり執拗な追廻をするので、兵器局課員の佐官クラスの何人かが、沢田の俟たされている要人応接室に詰め掛け、「いま局長閣下も、課長も不在と言っているではないか」と、佐官の課員が追い払おうとするのである。それは「憲兵如きが……」という高飛車な脅しでもあった。
 しかし、この連中が如何に脅そうと、沢田は翌日、黒塗りのピカピカに磨き上げられたオースチンに乗って陸軍省に出向くのである。そのオースチンが、4ドアセダンであるため、これが陸軍省の車寄せに着くと、それだけで大きな威圧のなるのである。
 そして要人応接室で、腰を据えて俟つのである。その俟っている沢田に対し、兵器局課員の佐官が遣って来て脅し、執拗に絡んで、煩
(うるさ)く言うのである。しかしこれを沢田は意に介さない。好き放題言わせる。
 彼らに好きなだけ喋らせる。
 罵詈雑言を含めて散々言葉が出尽くした後、もう喋ることが無くなったというところで、うまずたゆまず、事の次第を諄々
(じゅんじゅん)と説得し、今で言う“粘り強いセールスマン”のよのうな、相手にこだわらないような粘りをみせていた。
 そして陸軍省に、丹念に訪れると、まず顔見知りの課員に貌を合わせると「やあ、ご苦労さん」と挨拶するのである。
 これは、沢田の口先から出た方便ではなかった。そうした挨拶ではなかった。陸軍省で働く省内の課員の労を見て、心の底から迸
(ほとばし)る感謝の気持ちから出た言葉であった。
 この気持ちを、沢田は「人格力」と称していた。陸軍省の課員達は、佐官に限らず尉官に限らず、いつしか沢田の人格力に触れ、鎮静化して要視察人の話を真摯に聞くようになっていた。

 沢田次郎は、歌川征四郎少将と大島広太郎大佐を前に、こう言った。
 「あなた方、お二人の地位も身分も、また階級も充分に存じております。それを敢えて承知の上で申し上げます。私と取引しませんか。算術計算がお出来になるのなら、決して損はないと存じますが……」と巧妙な言い回して取引を持ち出した。不正すら、取り込んでしまう。不正に、必要真価を見出すのである。
 魚心あれば水心あり……。この処世術を遣い、出来るだけ敵に回さないのである。取引の話術である。
 この取引で、二人を巧妙な話術で「一本釣り」してしまった。腹芸である。この腹芸をもって、相手が誰が上であるか読ませるのである。肚で行う術である。これを胆識と言う。
 この胆識を沢田は、「人格力」と称した。年齢は勿論のこと、地位や身分、階級や立場を抜きにして、人間の「格」による序列を明確にしたのである。格下は格上に、シャッポを脱ぐ。格が分ればそうなる。
 そして沢田次郎は、兵器局長の歌川少将と兵器課長の大島大佐を抱き込むことに成功したのである。夕鶴隊に豊富な新鋭兵器が廻されて来るのは、こうした沢田の水面下の暗躍があったからである。まあ、これを悪い言葉で言えば「キンタマを掴んだ」と言えるだろうか。


 ─────車寄せに停止すると、オースチンの運転席と助手席から二人の漢が降りて来て、一人は直立不動で立ち、もう一人が後部座席のドアを開けた。彼らは沢田次郎の忠実な番犬であった。
 一方、ホテル側。
 「よくいらっしゃいました」
 持て成しの聲
(こえ)である。そして支配人が「どうぞこちらへ」と、手を差し出して中へと案内した。
 「オフィスへ」
 キャサリンは総支配人の小松原に告げた。
 「こちらでございます」とエレベーターの方に、小松原が二人を案内した。
 エレベータ前は大理石などがふんだんに遣われていて、ゴージャスな造りになっていた。
 これを見て、孫齢姫は思った。日本はまだこれくらいの余裕があって、備蓄にも余裕があるのだろうと。
 それに、乗って来た車も、武装車輛も軍用バスも、海外で宣伝されていた木炭車などではなかった。何れも歴
(れっき)としたガソリン車であり、4ドアセダンのオースチンに至っては冷房まで利いていた。
 更に驚きは、このホテル自体も、ロビーから冷房か利いていた。そして、エレベータ前は大理石は何とゴージャスな造り……。これは、日本の国力に「まだ余裕がある」ことを物語っているのではないか、齢姫はそう検
(み)たのである。

 エレベーターで5階まで上がった。
 「此処の5階の全フロアーが、わたしたち、夕鶴隊本部のオフィスです」とキャサリンが中へと案内した。冷房の効いた快適な部屋であった。
 そこには、学徒動員令で集められた親愛高等女学校の制服を着た少女達20名が、製図板に向かって図面作製をしていた。
 彼女達は、戻って来たキャサリン・スミス少尉に気付き「お帰りなさいませ」と挨拶を交わし、キャサリンが「お客さまですよ」というと、女生徒の一人が「こちらへどうぞ」とソファーへと案内した。
 そこは窓側に面した見晴らしのいい、50坪ほどの広々とした部屋であった。周囲には高級な調度品が並べられ、マントルピースの上には前飾りとともに、中国宋代の頃を思える「逸品」と称された白磁の壺が載っていた。財宝に等しい高級品であることが分る。

 齢姫は製図板に向かう女生徒達を珍しそうに視ていた。
 「あのセーラー服のお嬢さん達、親愛高等女学校の生徒さんですね。わたしくも、実は親愛高等女学校でしたのよ、懐かしいわ……」
 「そうでしたか」
 「戦時にあっても、生徒さん達は、未だにスカートですのね。てっきり日本の女性は、『贅沢は敵だ』のスローガンに踊らされて質素倹約を旨とし、モンペ姿で、銃後の後方支援に走り回っているとばかり思っていましたわ。
 でも、平時と何ら変わりない生活をしているというのは、それだけ日本に、まだ余裕があると言うことでしょうか?」
 「そう、お思いになって結構です。贅沢はそもそも敵でなく、“素敵”ですから」
 「あなたって、随分とハッキリ物を言われますのね」と齢姫は呆れ気味に言った。
 「事実ですもの」
 「これからは、今までの先入観をかなぐり捨てなければ、判断を誤りますわね」ショックと哀れみが入り交じったような言い方であった。

 「此処に居る生徒達は、学徒動員令で集められた女子挺身隊なんです。今日お見せ致しましたでしょ、日本初の国産実用四輪駆動車の『くろがね四起』。排気量1400ccで、2名乗りのピックアップトラック型の、わたしどもが言う“武装四起”の、あの軍用車輛。現在は九二式重機関銃が据え付けられていますが、更に改良して、九八式20mm高射機関砲を据える車輛改造と、その反動計算……、併せて、対戦車・対戦闘機などを想定とした改善策を立てております。高速走行中の発砲でも、反動を少なくする改良です。あと、半月もすれば完成します。つまり完成と同時に、この車輛が戦場に投入されれば、日本はある程度有利な位置に立てる筈です……」
 それは「巻き返す」という言葉が含まれていた。

 「凄い自信ですわね」
 羨望と言うより、それは無理だろうという些か否定した返事に近かった。
 「ええ、わたしは数学者ですから」
 しかしキャサリンも、齢姫の否定に対しては負けてはいなかった。綿密な計算の許で計画が遂行されていることを強調したかった。こういう場合、過小評価されると困るのである。過大評価してもらって、敵陣営の指導者の妄想を膨らませ、恐れさせる必要があった。
 「そう……」
 少し鼻で嗤
(わら)って、小馬鹿にした中途半端な返事であった。彼女はキャサリンの言ったことを全面的に認めている訳でない。
 「此処に来る前は、わたし、お茶の水女子大で数学の教鞭を執っておりました」
 この切り返しが“駄目押し“であることは分っていても、そう言わずには納まらない心境であった。

 だが、齢姫の認識に徐々に変化が起こり始めた。
 このままズルズルと虎口に引かれて、負けるとばかり思っていた日本にも、まだ、こんな底力が残っていたということに驚嘆したのである。こういう少尉のような有能者がいる……。孫齢姫は驚かざるを得なかった。
 恐るべし日本人。無から有を作り出す日本人……。
 決して侮ってはならない。
 既に、此処に居る可憐な少女達も、みな戦闘員なのだ。みな学徒兵なのだ……と彼女は思った。追い詰めれば武器を持って挑んで来る。これまでの考えを一新せざるを得なかった。
 追い込むと、負けると分っている戦いでも、一丸となって窮鼠
(きゅうそ)となり、欧米の横暴に牙(きば)を剥(む)く日本人……。無理難題の難癖を付けて、追い込んではならないと思う。

 しかし、孫齢姫が認識したのは、昭和16年の日米開戦前までの話である。それまでは少なくとも、サムライとしての、日本があった。
 ところが今は違う。
 昭和19年になると、かつての7、8年前の昭和陸海軍は不在になっていた。僅か十年も満たずに、日本軍は官僚の悪弊が出て、見事に崩壊していた。明治期に見た気骨のある軍人はめっきり少なくなっていた。
 この当時の日本の秩序は崩壊しつつあった。
 軍人ですら、サムライのような人は少なくなっていた。軍隊官僚が蔓延り、その誰もは夜郎自大であった。
 佐官級の強硬論で押しまくる下克上と夜郎自大の軍隊官僚主義を阻止するには、早期講和と反官僚主義しかなかった。定説のなってしまった悪しき習慣を打倒・打破するには、参謀肩章を着けて、踏ん反り返る
官僚主義の突出を阻止し、排除する以外なかった。強硬論者は一刻も早く排除しなければならない。本来の良識者に戻さねばならない。そうしなければ、暴走して国が亡ぶ……。それをこれまで憂慮してきたのである。

 かつて明治期、日本陸軍はプロシア陸軍のクレメンツ・メッケル少佐に参謀教育を受けた。メッケル少佐は「日本陸軍参謀本部の父」と言うべき存在となった。
 メッケル少佐は陸軍大学校の教壇に立つなり不穏当な発言を学生の前で行った。
 「余をして、もしプロシア陸軍の精鋭一個聯隊を指揮せしめるなら、日本の全軍を一挙に壊滅するも容易とは言わぬまでも、充分可能なり」と発言した。
 これを聴いた陸大学生は、侮辱甚だしいものとして憤慨し、全員総立ちとなって「なに!」となった。
 しかし、メッケル少佐は動じなかった。以後、一時間に渡って毅然とした態度で戦略論の講義を続けた。彼の講義の戦略構想は、実に革命的で、巧緻
(こうち)であった。
 だが、幾ら講義内容が巧緻であっても、メッケル少佐に対しては風当たりが強く、このような発言をする外国の軍人を招いて講義させるのは如何なものかとなった。これでは日本の内情は筒抜けになると懸念した者が多かった。しかしメッケル少佐は意に介さない。

 昂然
(こうぜん)として、「そもそも日本は独逸大帝国の敵ではない」といって憚(はばか)らなかった。
 だが一方で、この傲慢なる大天才に、ただ一人称賛してやまない日本人が居た。明治天皇である。
 明治天皇はメッケル少佐の唯一の称賛者であり、その天皇を視た彼は、以降、そのお姿に涙が出るような感動を覚えるのである。彼は明治天皇に西洋の理想的君主像を検
(み)たのである。
 またメッケル少佐の天皇に対する態度を検
(み)た陸大学生らは、参謀教育の教授としての真価を認めるようになる。斯(か)くして日本は、謙虚にプロシア独逸から緻密なる陸軍機構を学んだのである。
 これは師弟一体として双方に「聞く耳」があったからである。

 だが、今の日本陸軍はどうか。箴言に聞く耳はあるのか。
 佐官クラスの下克上的な発言が目立ち、強硬論が罷り通るのは、聞く耳がないからである。
 これを「殆
(あや)うし」と検(み)たのである。
 強硬論派の傲慢。
 これを殆うしと検た。
 『タカ』計画は、その阻止に向けて、一刻も早く戦争を終結させ、欧米列強のアジア収奪に鉄槌を打つことが目的であった。

 「日本人って、何か事があると、一つに纏まってしまいますのね。わが国にはない国民資質ですわ。何がいったい、このように人を纏めてしまうのかしら?……。あるいは天皇陛下のお人柄かしら、それとも……」と言いかけて、やめてしまった。
 「それとも……、何でしょう?」そ
 キャサリンはその先を訊こうとした。
 「人間には感情と言うものが、御座いましょ?この感情、中々侮
(あなど)り難いものですわ。何故なら、無知な連中と来たら、何かと固まりたがるでしょう、何々組みとか言って……。
 連帯意識こそ、人間には必要だと思い込んでいるでしょ?これ、困ったものですわ。そこで、感情に走るのを鎮めるのは、何かしら?」と誘導するようにいう齢姫。
 「あなたは、感情に水を指すのは論理とお考えですか、小難しい論理で有識者を納得させるような?……」
 「有識者層が納得すれば、やがて激昂
(げっこう)する感情主義に走り易い庶民層も、空振りに終わるから、感情は鎮静化するのじゃありませんこと?」
 「そうでしょうか」とキャサリンは反論気味に切り返した。
 「違うと仰るの」
 「それは、生まれながらに、この国の人は律儀で人情に厚く、正直で勤勉だからです。いま何を為すべきか知っているからです。故に律儀で、人情に厚く、正直で勤勉にならざるを得ない。この国の気候風土がそうさせる。日本人とは、そういう人種なんです。罹災時や戦災時でも、人を押しのけて、われ先にとならず、きちんと順番を守る。自分の番まで辛抱強く待つ。これは秩序の何たるかを知っているからです。こういう民族は世界でも稀
(まれ)ですわ」
 これが、あるがままのキャサリンの『日本人観』であった。

 「律儀で人情に厚く、正直で勤勉?……」
 彼女は同じ言葉を反芻
(はんすう)した。
 「人って、嘘をつく生き物でしょ。でも、この国の人は、出来るだけ嘘をつかないように心掛けたり、実直であろうと心掛けるのです。不完全でも、出来るだけ完成されたものに近付こうと努力する国民なんです」
 この国の国民はそう言う国民だとキャサリンは言いたかった。
 「実直ですか?……」
 齢姫は、自分が鈴江と名乗っているとき、実直過ぎるほどの実直過ぎる漢を見た。その漢は、むしろ嘘が下手で、質朴なる資質をしていた。そして、ふと津村陽平の名が泛
(うか)び上がった。それは元亭主……。
 懐かしくも、また愛と憎しみが絡む、更に、哀れみと虞
(おそ)れを感じる元亭主・津村陽平……。
 思えば津村陽平の体形など、ちっともよくない。矮男
(こおとこ)で、頭が大きく背が低くてアンバランス。
 その津村が、何故か無性に懐かしく思えるのであった。

 「これからホテルで、軽いお食事でも如何ですか。ピアノの演奏で見聞きながら……」
 「それも、日本の底力かしら?……」
 「ええ、そうでしょうね」
 「元寇の頃、日本はかの国に朝貢しなかった。ただ一国、朝貢せずに、元と戦った。底力を見せれば、恐ろしく変化
(へんげ)しますのね。帰国したら、このことを、わが国の指導層に間違いなくお伝えしますわ」
 「では、お食事でもしながら、ピアノの演奏でも」
 「折角ですから、では、お言葉に甘えて……。
 あのッ……、わたくし、着替えさせて頂いても宜しいかしら。日本に居る、これが最後になるかも知れませんわ。日本に居るときくらい、日本人の星野鈴江で居たい。日本を去るときは日本人として去りたいわ……。
 もう二度と、この地を踏むことはないかも知れませんので」
 「では、どうぞ」
 キャサリンは更衣室へと案内した。
 暫くすると、齢姫は鈴江に早変わりしていた。和服を上手に着こなした日本人の星野鈴江になっていた。
 彼女は、津村陽平と添い遂げたあとも、津村姓は名乗らず、星野鈴江で通していた。

 レストランを兼ねた広々としたラウンジでは、静かなピアノ曲が弾
(ひ)かれていた。
 ヨハネス・ブラームスの『交響曲第1番ハ短調』が弾かれていた。演奏者はフォーマル・ドレスを着た笹山裕子であった。彼女の礼儀観である。
 彼女ら二人をテーブルに迎えた接待員は、女性尊重のマナーに遵い着座させたあと、総支配人の小松原光男が接待員を伴ってワゴンで料理を運んで来た。まずワインが出され、それに優雅な手つきでグラスに注ぐ。
 此処にも、孫齢姫は日本の余裕を見た。まだ余力を残しているから、此処までのことが出来る。恐るべし、日本と思った。
 その後、食事を楽しんだあと、羽田へと向かう。


 ─────『ホテル笹山』の玄関前の車寄せにはオースチンが停車していて、エンジンが掛っていた。冷房車である。
 オースチンに同乗したキャサリンと齢姫は、これから羽田
(東京空港)飛行場へと向かう。
 寮母の笹山裕子、総支配人の小松原光男と接待員、それに親愛高等女学校の生徒数名が立ち並んでいた。見送りの挨拶である。
 オースチン運転者とその助手は背広姿だが、躰付きからからも、動きの機敏さからも軍人であることはひと目で判る。目付きが違う。一方で白い手袋が異様に丁重さを煽る。彼女ら二人を壊れ物を扱うような手つきをする。ドアの開け閉めまでする。
 オースチンはホテルの車止めを出ると、直ぐに憲兵隊のサイドカーが重厚なエンジン音を響かせて、車の前後に護衛に蹤
(つ)いた。要人警護の体形である。
 一瞬これに驚いたのが、孫齢姫こと星野鈴江であった。
 「あら、憲兵隊が!……」
 一瞬、星野鈴江は顔色を変えて慌てたように言う。
 「こちらの方が、一番安全ではございませんこと。お約束通り、羽田飛行場まで安全に護衛致しますわ」
 「そうでしたわね」
 孫齢姫は漸
(ようや)く事情が呑み込めたのか、直ぐに穏やかになった。

 「本日、今からお見せしたいのは、今年五月初頭から始まった訓練の、これまでの途中経過です」
 「五月から今日までの、約二ヵ月半の途中経過ですか?」
 「そうです」
 「あなたは、毅然と発言される方なのですね、何だか自信に溢れていて、涼やかに感じますますわ。あなたのような方が日本人ならば、日本の軍隊も、夜郎自大にならずに、もう少し平和裡に物事を解決出来たでしょうに……」
 「わたしは、もう日本人ですわ、少なくとも心は……」
 「清々しいご返事ね。でも、ちょっと風変わりなところは気になりますけれど」と齢姫は、些か批判気味に言った。まだ何処かで、日本を侮るような発言が言葉の裏に隠れていた。
 そんな無知なる批判に対して、キャサリンは毅然と頭を上げた。
 「日本の今の姿、お目に掛けましょうか?」と冷たく訊
(たず)ねた。
 「まだ別の貌があると仰りたいの?」
 「ええ」
 「ハッキリとしていらっしゃるのね、あなたは」
 「僅か二ヵ月半の訓練で、何が出来るかと思っておいででしょうが、呆れたり、驚愕
(きょうがく)したりなさらないとお約束して下さるのなら……、お目に掛けましょう」
 孫齢姫は幽かに嗤
(わら)った。
 「わたくし、これでも世の中の地獄を多く見て来て、酸いも甘いも噛み分け、世慣れた人間なんです。滅多なことでは驚きは致しませんわ」
 人を侮るような傲慢が隠れていた。
 彼女はきりりと整った容貌で、何か、気に入らない人間を軽蔑するような、些か尊大なところがあった。

 「では折角、お下しくださいましたので、あなた様のご判断が、これからご覧に入れるものによって、代わりませんように」と、一見神に祈るような口調で、キャサリンが静かに述べた。
 「少尉さん、今は二十世紀。現代は経験と理性と知性が物を言う時代。それに科学的なる判断力によって、決断を下す時代ですよ。前近代的な精神論一辺倒では時代遅れです」
 「でも、わが国は神国です」
 「大した自信ですわね。それで、この期
(ご)に及んでも、この国に神風でも吹くと、お思いになって?」
 「この国には、いつも神風が吹いておりますわ。いつも神は、この国の民に囁
(ささや)いていますわ」
 「まさか……」
 「ただし、幽
(わず)かな囁きに対して、聞く耳があったらの話ですが……。しかし日本の、この戦争を担当した戦争指導者は、昭和の科学体系主義の溺れ、科学一辺倒でゴリをした挙げ句、遂には反転して、非科学的な精神主義で、自らのボロ隠しをしようと焦ったから、日本が不利に傾いただけです。戦争指導者達が神風を聞き分ける耳を持っていたら、この体たらくはなかった筈です。
 そこで、わたしどもは、この期に及んで、その聞き分ける耳を持ったと言うことです」
 「それは突然変異ですか」
 「いいえ、連綿と先祖から受け継いだ、自らに備わった神風を聴く耳に、いま気付いただけです」
 「それは、なあに?」
 「人間だけが奇蹟を起こせることです、その気になれば。神はそう囁いています」
 「まさか奇蹟があるとでも……」
 「ええ、御座いますわ」
 「奇蹟などは起こりませんわ、それを願うのは希望的観測じゃ御座いませんこと」冷ややかに言った。
 「そういう、お考えなのですね?」
 「ええ、他にありまして……」
 「では、あなたの脳裡に描いている奇蹟など、決して起こる筈がないとい言う、その奇蹟を、ここで起こしてご覧にいれます」

 佐倉から東京都心に向かう弾丸道路間は、昭和19年7月のこの時点、サイパンは陥落し、日本軍守備隊は玉砕したが、東京都心は壊滅的な空襲被害は出ていなかった。東京都心が一面焼け野原になるのは、昭和20年3月10日の大空襲によってである。B29の飛来はあったが、その焼夷弾被害は一部であった。この戦時下においても、市民生活は食糧難と物資難を除けば、通常通り営まれていた。
 斯くして車は羽田飛行場に到着した。そして旅客航空機も、敵機来襲がなければ、時間には多少の誤差が生じでも、通常通り決まった航空路で運航されていた。

 此処で、前後を走っていた憲兵隊のサイドカーは方向を変えて姿を消した。
 飛行場では孫齢姫を迎えるために、“武装四起”と軍用バスで、先に準備を整えたサトウ少佐麾下
(きか)は既に整列をして、日本の底力を披露するために俟ち構えていた。
 車が停止すると、助手席から私服の漢がゼンマイ仕掛けの人形のように飛び出て来て、機敏な動作でドアを開けた。ドアが開くと、和服姿の孫齢姫がゆっくりとした動作で車から降りた。続いて、キャサリン・スミス少尉が降りた。
 「満洲国・孫齢姫さまと、指揮官殿に対して敬礼!」と鷹司良子
(ながこ)が、よく通る聲(こえ)で号令を掛けた。
 全隊は一斉に機敏な動作で敬礼をした。全員、白の手袋をしていた。その白がよく目立った。併せて、そのきびきびとした動作が、また男と違って優雅であった。
 今から、日本の底力のご開帳である。

 「わたしは、この遊撃隊の主任教官・アン・スミス・サトウ少佐です」
 「すると、あなた達は、ご姉妹
(きょうだい)?……」驚いたように訊く。
 「ええ。本日の指揮官のキャサリンが、今から、あなたに奇蹟をお見せ致しますわ」
 「大した自信ですこと……」言葉の中に嘲
(あざけ)りの響きが漂っていた。
 しかし齢姫は、母国で自身の頭脳を買われ、あれだけの軍事教育と細作
(しのび)としての高等訓練を受けながら、こんな単純な原理が分らないのだと、アンは思った。肉の眼で見たものだけを信用する……、それは常人としては当然のことであったかも知れない。
 「いまから逐一、指揮官
(キャサリン)がご説明致します」
 アンがそう言い放ったとき、西北西の方角から爆音が響き、やがてその点が徐々に大きさを増して姿を顕して来た。九七式輸送機である。この機には夕鶴隊の12名の降下要員が乗り込んでいる。
 連合軍側のコードネーム『Thora
(ソーラ)』は飛行場上空を大鳥のように大きく旋回した。上空1000mほどのところを旋回し、更に高度を上げ始めた。

 「あれはN空挺団の航空基地から飛び立ったコードネーム『Thora』
(連合国側の俗称)です。今からパラシュート降下をご覧にいれますわ」とキャサリン。
 「えッ?……。飛行機は高度を上げているではありませんか?」
 「そうです、これから約3000mまで高度を上げ、2000mで水平飛行に移ります」
 「まさか、そこから降下すると言うのじゃ……」信じられないいう表情で喋っていた。
 「ええ、そのまさかを遣ってご覧にいれます」
 キャサリンは既に、悪天候の中で降下した体験を持っている。赤城連邦黒桧山上空から降下した。それが確たる自信になっていた。また、これから降下して、空中陣型を作る全員も悪天候下で降下して、生還したことが大きな自信になっていた。
 『くろがね四起』1号車の指揮車には、管制塔と九七式輸送機の機長との無線通信がリアルタイムで交信状況が流され、それが車の拡声器を伝わって外部に響いていた。
 「こちら機長。現在の羽田上空を高度2000mで飛行中、状況を知らせ……」
 「こちら空港管制塔。12時30分現在の天候、至って良好、快晴。西南東の風、風力2。気温27度。湿度62%」
 「了解。本機は降下員を高度2000mで降下させる」
 一瞬、この無線通信に管制塔は混乱の声を上げた。
 「機長、もう一度お窺いします。高度2000mでありますか?」
 「そうだ」
 「あの……。もう一度」
 「高度2000mで降下員を降下させる」
 「……………」管制塔は沈黙した。
 そもそも、自由落下の高度は300mと聞いていたからである。降下高度が異常に高過ぎる。
 これまで聞いていた常識の壁を越えているからだ。何故だろう?と思うが、軍の新たな作戦だと思って管制塔は発言を控えた。

 「この飛行場は、このデモンストレーションのために、90分間、閉鎖されています」とキャサリン。
 「それは、わたくしのために?」
 「そうです」
 飛行場に渡航する搭乗客らは、上空に陸軍の輸送機が大空を旋回していることに不審を抱き、それぞれが快晴の空を見上げていた。

 「こちら機長。降下長は、降下員を降ろせ!」
 「降下員を降ろします!」と降下長。
 「了解」と機長。
 降下長は左側の降下口の扉を外しに懸かる。風向きを見るために帯状の号旒
(ごうりゅう)が外に流される。吹き流しを流して、風向きを計る。
 「第一班、降下待機!」
 この待機は、航空ならびに航海用語で「用意せよ」
(stand by)ということであり、「事に備えて」の意味を持つ。
 この時点で、一般降下なら、降下員は降下口付近に鋼索
(ワイヤ)が張られていて、降下員はケーブル状の索道に鉤型のフックを掛け、降下長の「降下!」の下令とともに飛び出して行く。しかし、その気配がない。
 降下するタイミングを降下長は計っていた。
 第一班の降下員は6名である。6名が降下態勢をとった。
 そして「降下!」と吼えると、次々に飛行機の降下口から、1粒、2粒、3粒と……6粒が降りて来た。まるで小さな点であった。
 しかし、6粒のパラシュートは開かない。下から見ている方も、降下して降下要員のパラシュートが開かないことに不審を抱いた。誰もが「何故だ?」という気持ちで上空を見上げている。
 「おい。あれ、見ろよ!」
 誰かだ大声を上げた。
 「どうしたんだ?……、変だぞ、落下傘が開かないぞ。まさか……事故か!」
 そんな聲
(こえ)が、飛行場の方々から上がり始めた。不測の事態に対する一つの恐れと、どよめきが上がっていた。惨事に驚愕する聲である。不慮に対する恐れである。
 「おかしいぞ、これは事故か!……あるいは、落下傘の紐
(ひも)が縺(もつ)れたのか?」

 この当時、日本人はインドネシア、スマトラ島南東部での『パレンバン空挺作戦』での成功裏で降下したことは知っていたからである。そして、軍歌『空の神兵』
(昭和17年(1942)4月にビクターレコードから発売。この頃まで日本人は勝ち戦を信じていた)の歌までなった。当時は、誰もが口ずさんだ歌である。
 この歌は、梅木三郎が作詞し、 高木東六が作曲して、灰田勝彦と大谷冽子
(きよこ)が歌い、「天降る落下傘を青空に咲く白薔薇」に譬(たと)えて歌ったことでよく知られていた。
 「しかし、六人全員ということがあるだろうか?」
 下で視ていた飛行場に居た搭乗客や見送りなどの客は、あまりにも奇妙なことに騒然となり始めた。口々にいろいろなことを言い出した。
 誰もが口々に「落下傘が開かないぞ!事故か!」とがなり立てていた。
 中には、「開いてくれ」祈りにも似た聲を張り上げている者も居た。

 これは孫齢姫も同じであった。
 「事故のようですわね、それも一度に六人も」冷ややかな言い方であった。
 「そう、お思いになって?」
 「違いますの?」驚いたように訊き返す。
 「もう少し、お俟ちなさい。状況が分りますから……」
 そういうと、六個の粒は空中で不思議な動きを見せ始め、六個の粒は一つに集まり始めた。そして一旦中心に集まった塊は再び散り始め、大きな円形を作った途端に、六個の粒は一斉に白い花を咲かせた。
 これに孫齢姫は唖然とした。奇妙な降下法を見たからである。
 下から視ていた多くは、「だいたい、今のは何だ?……」と、一瞬大掛かりな魔法を見たと言う感じで、どよめきのような聲を上げ、降下して来る降下員に、惜しみない拍手が送られて来た。地上に降り立った迷彩色に、ワイン色のレットベレー帽の降下員は、直ぐさま落下傘処理に懸かっていた。

 「おい、見ろよ。いま降りて来たのは全員女だぞ。日本陸軍の婦人部隊だぞ」そういう聲が上がり始めた。
 この時代、日本軍の婦人部隊などある訳がない。狙撃隊一部に女子狙撃兵や、無線傍受などを行う通信隊の女子隊員はいたが、組織的に、戦闘に参加できる婦人部隊の編制は、アジアの中でも一番遅れていた。
 かのスバス・チャンドラ・ボース
(ラース・ビハリ・ボース(1886〜1945)と区別し、彼を「中村屋のボース」とも。ラースと協力して日本政府の援助を受けてシンガポールに自由インド仮政府を樹立した。1897〜1945)が組織したインド独立運動を展開するインド国民軍ですら、婦人部隊(ジャンシー連隊で、INA婦人部隊の前進)が組織されていたからである。日本にはこの時代、婦人部隊は正式には存在しない。徴用された女子学徒隊であった。
 それだけに、いま見た落下傘降下は驚きであった。
 そして、「これが日本陸軍の『今』か……」という進歩の足跡を見た一般市民の聲があった。時代は時々刻々と変化し続けているのである。
 国民の多くは、国会での参謀本部課員の佐藤賢了
(けんりょう)中佐の「黙れ!」発言で、未だ夜郎自大と思い込んでいたからである。

 更に、降下は第二班へと移った。
 「第二班、降下準備!」と機長の声が掛かり、降下長が一先ず待機を命じ、次ぎに「降下!」と怒鳴り、それに併せて、第一班と同じように、空から6粒の小さな点が降って来た。
 そして空中で、陣型を作っている。
 「あれはフォーメーション
(formation)という空中陣型です。降下員は降下しつつ、落下重力に合わせ、空中で陣型を整え、目的場所に、より近く降下する新たな戦闘技術です。わたしどもは、悪天候の中でも、より安定した降下ができるよう精進を重ねてまいりました」とキャサリンが説明した。
 「日本の女性も、斯
(か)くも勇ましく変身して、驚きですわ」
 この言葉で、一目置いたことは確かであった。それはまた、不承不承の敬意であるような言い方であった。

 「しかし勇ましいだけでは、御座いませんのよ」
 「どういうことです?」
 「女としての嗜
(たし)みや優しさ、またその本分も知っておりますわ。未だに大和撫子(やまと‐なでしこ)の気風は崩れていませんわ。これから、それをお見せ致しましょう」
 「どういうことでしょう?」
 「ご覧になると、お分かりになります。準備のために、少々お時間を……」
 キャサリンがそう言い放って、持ち場を離れたとき、すかさずアンに、暗黙の了解でバトンタッチされ、孫齢姫の相手を姉が遣る。
 「あなたたち、ご姉妹には感心させられますわ、少佐殿」
 「この集団は遊撃隊であるばかりではなく、また東洋一の誇るべき女子儀仗隊でもあります。わたくしどもは猛々しいばかりの軍隊では御座いませんのよ。それを今からご覧にいれますわ」とアン。

 いま降下して来た12名も、これまでの戦闘服から、薄めのカーキ色の夏季用防暑服
(上:長袖開襟シャツと上衣。下:スカートの夏季ユニホーム)に着替えていた。白い外に折り返した木綿のブラウスが、よりいっそう清潔感を際立たせていた。
 全員、夏季用の茶色皮の帯革と茶色皮の拳銃ホルダーに納まったブローニングM1922拳銃で軽武装している。また、ワインカラーのベレー帽と黒皮の婦人靴は英国空軍婦人部隊の英国製品で、沢田次郎の養父・沢田翔洋の経営する沢田貿易商会からの寄贈品であった。上海経由で、隠密裏で日本に届けられて来た。
 「次は、日本人女性の華麗で優雅で機敏なところを、お見せ致しましょう」
 「……………」
 近年の日本女性のあまりにもの変わりように、孫齢姫は言葉で表現する苦心をやめ、そういう無駄な努力を慎んだ。それが、一瞬の沈黙になって顕われた。
 「わたしどもが、これからお見せするのは『常山の蛇』の一部です」
 「常山の蛇?!……」
 齢姫は言葉を疑うだけでなく、その意味に驚きもした。彼女も本国で、同じような遊撃訓練を受けていたからである。

 「最初、九人での分列行進とその反復
(ドリル)演技です。いま指揮杖を持っている指揮者(ドラムメジャー)は本隊最年少で、本日、軍用バスを運転してきた島崎ゆり、14歳です」
 わざわざ「14歳」と言う年齢を上げたことも、孫齢姫に向けたデモンストレーションか。その意図は大いにあろう。
 分列行進の演技と言う。
 この分列行進の展開図は、キャサリンが幾何学的な円と直線の交叉により、その時間差を計算して考案したドリル演技である。鼓笛奏者の小太鼓
(ドラム)に併せて、隊員が行う分列行進である。単なる集団移動のための隊列行進ではない。足運びと、きびきびとしたクイックステップを特長とする。一人の指揮者を軸に、四人ずつが、きびきびと優雅に交叉する分列行進である。

 「そんな年少のお嬢さんが、バスを運転して来たのですか……」と驚きの聲。
 それは信じ難いという驚きであった。進歩を遂げるのは機械だけでなく、人間も、時代とともに進歩しているのである。
 「この儀仗隊を『夕鶴』と申します。夕鶴は遊撃隊であると同時に、また儀仗隊でもあるのです」
 「夕鶴……。素敵なネームングですわね」
 「この隊には、三つのモットーがあります。それは『毅然・清潔・淑女』の三つの誓いです。日本人女性が欧米にも負けないためには、この三つのモットーが必要です」
 「三つのモットー。それが毅然・清潔・淑女ですか……」と齢姫は自分でも感心したように繰り返した。
 「総て、沢田次郎憲兵大尉が考え出したことです」
 「えッ?!……」驚いたような返事だった。
 孫齢姫の顔色が、一瞬豹変したそれは紛れもなく“沢田次郎”の名によってである。
 「わたしたちは、沢田大尉のプランに従って、指示通りに動く駒に過ぎません。ただ天才のプランを信じ、それに従って……」
 「少佐殿。それで、あなたは宜しいの?」
 「いいも悪いもありませんわ、いま戦争をしているんですもの。戦争をしている以上、有能な指揮官に従うのは道理と言うものです」とアンは率直な返事をした。
 「……………」
 孫齢姫は適当な言葉を見付けられずに絶句した。そして、アン・スミス・サトウ少佐に警戒しながらも、彼女に一目置くようになっていた。

 ドリル演技は島崎ゆりを指揮者に、第一列目に押坂陽子、佐久間ちえ、長尾梅子、室瀬佳奈。第二列目に青木文恵、栗塚さきえ、守屋久美、宇喜田しずの九名で、この九名は3.7kgの九九式短銃を担っている。本日の演技者は全員が15歳以下である。
 そして鼓笛隊として、小太鼓
(ドラム)として向井田恵子、鳴海絹恵、清水克子の三人と、フルート奏者は成沢あいと児島智子である。彼女らがドリル演技外に位置して演奏を行う。
 指揮杖を胸に斜め構えた島崎ゆりは、きびきびとした動作で「いち・いち、いちに・いちに、左右・左右。いち・いち、いちに・いちに、左右・左右。いち・いち、いちに・いちに、左右・左右……」と拍子取りの聲
(こえ)を懸けている。
 その拍子に合わせて、小太鼓は鳴り響き、二列が静かに動く。中央で静止すると、指揮者が指揮杖を巧みに操って杖を廻し、きびきびと動かし始めた。小太鼓はそれに併せて鳴り響いている。そして、一旦指揮杖がとまった。詮議者全員が静止すると、静かにフルートの二重奏の前奏が流れ始めた。『南の花嫁さん』
(藤浦洸・作詞/任光・作曲)である。
 この曲は昭和18年1月の新譜で、特に工場などで学徒動員で徴用された女学生や手織工場の女子従業員に愛唱された歌であり、悲壮な二短調の荒々しい軍歌に食傷気味になっていた勤労女性には大いに喜ばれた曲である。

 一旦、足踏み静止した9人は、島崎ゆりの呼子
(ホイッスル)で動き始め、九九式短銃を担った分列行進は、キャサリンが幾何学的な円と直線の交叉により、時間差等を計算して考案したドリル演技である。音楽に合わせて演技者全員がきびきびと、切れのある動きで、然(しか)も女性特有の優雅さを失うことなく行う分列行進である。演技時間や約3分30秒間であった。そして最後に、短銃を8人が順に横回転させ、全員は回転し終わったところで空に向けて空砲を放つのである。
 大和撫子の威厳に賭
(か)けての演技を最年少グループが演じてみせた。そして周囲の何処からともなく、大きな拍手が起こった。これを見ていた、飛行機を待つ搭乗客や見送り客である。

 最終演技は、22名全員による『月の沙漠』の歌と分列行進の演技であった。
 指揮者
(ドラムメジャー)は、鷹司良子である。
 良子は指揮杖でなく、長さ80cmほどで、直径2cmの竹竿
(亀甲模様の竹)の指揮棒であった。指揮棒の尖端には3:4:5の比の三角の赤い小さな旗が付いている。良子は亀甲竹の指揮棒を高く垂直に掲げた。この合図により、一歩前進して、一斉に足踏みが始まった。
 「全隊〜イ、ィ、速足
(はやあし)!」
 ほぼ同時に、前方に指揮棒を直角に下げた。そして直ぐに右肩に戻す。肩刀
(かたとう)の体勢である。
 全隊は一斉に進んで行った。その間、良子は指揮棒を肩に倒したまま、「いち・いち、いちに・いちに、左右・左右。いち・いち、いちに・いちに、左右・左右。いち・いち、いちに・いちに、左右・左右……」と拍子取りの聲を懸けている。
 その状態で、斜め上に指揮棒を上げたまま、宙で一回円を描き、「全隊〜イ、月の沙漠!」と言い放って、再び中斜めに肩に付ける。指揮者は心の中で常に拍子取りを忘れない。それは、きびきびとした敏捷な動作であった。一糸乱れぬ動きであった。それと同時に、成沢あいと児島智子二名のフルートの二重奏が、哀愁のある前奏部分を奏で始めた。このときも指揮者は、楽譜を頭の中で、一小節ごとに音符を追っている。
 前奏が終わると、一斉に和音付けての合唱が始まった。フルートの二重奏とともに、その合唱は聴かせる歌になっていた。音に深い音域があった。歌いながらも、きびきびとした動作で歌と演奏が行われた。

 良子だけは、楽譜の流れを追いながら、常に拍子取りの「いち・いち、いちに・いちに、左右・左右……」を繰り返しているのである。人体メトロニームであった。
 フルートの二重奏と合唱は、一番
(4)から二番(4)、その間は伴奏のみで、三番(4)から四番(6)まで歌い終わると、後奏はフルート演奏が終わる頃、指揮者は再び指揮棒を真上に掲げて横一文字に頭上の構え、一旦肩に斜め倒し、再び指揮棒を斜め上に上げ、“終了近し”の合図を後ろに送るのである。
 その合図が伝わると、また斜め上に上げたまま宙で一回円を描き、一斉に合唱は指揮者が肩に斜めに倒した時点で終了して、ピタッと止る。同時に行進も停まる。
 この分列行進を見ていた羽田飛行場に群がった周囲から、惜しみない拍手が送られた。奇妙な婦人部隊への拍手であった。

 飛行場には、午後3時発の羽田発・新京行き
(東京・新京直行便)の飛行機が到着していた。二発の九七式輸送機を内部改装した旅客機である。
 夕鶴隊は横一列に教官2名と退22名が整列していた。
 「今日は、本当にいいものを見せて頂きました。日本を改めて見直しました」と孫齢姫。
 そして、最年少と言われた島崎ゆりに眼が留まったらしく、「あなたの演技も運転も素晴らしかったわ」と聲を掛けた。
 「ありがとうございます」と島崎ゆり。
 「どうか元気でいて下さい」
 「わたしたちは大和撫子です、簡単には挫けません」と良子。
 「あなたの指揮者としてのリーダーシップ、とくと拝見させて頂きました。立派ですわ」
 「ありがとうございます」と返礼する良子。
 「皆さんのこと、忘れませんわ。今日のこと、一生忘れませんわ……。それでは、お別れです」
 「お名残惜しくはありますが……」本日の指揮官のキャサリン・スミス少尉。
 「戦争が終わって、もう一度会えるといいですわね」
 「でも……」と翳りのあるような言葉を言ったのはキャサリン。
 「皆さんも、もう一度会えることを祈って下さい。わたしくも、祈ります」
 「では……」とアン。
 「皆さん、これでお別れです。ごきげんよう」
 「星野鈴江さま」とアン。
 「はい?」
 「あなたにお、渡ししたいものがあります」とアン。
 「なんでしょう、少佐……」
 「これは、あなたを安全に新京飛行場に送り届け、あなたの陣営に帰還出来るように、わが偽造班が、労を尽くして巧妙に偽装した関東軍にも見破れない通行証です。あなたは、満洲国の国務院長の李章亀
(い‐しょうっき)閣下のお嬢さまで、齢姫として登録済みです。これを使って、満洲国の行政機関や司法部も、また関東軍司令部や在満大使館なども、ご自由に往来なさりませ」
 アンは、齢姫に通行証を手渡した。偽造の通行証だが、真物の域のものである。日本の偽造技術の得意とするところであった。戦争は、こうした分野にも進歩を齎すのである。

 そして齢姫は思った。
 もしかすると、自分は日本という国を相手に戦うというより、自分の生んだ子の沢田次郎と、戦う羽目になるのではあるまいかと思うのであった。更に泛
(うか)び上がったのは、「事に臨んで懼(おそ)れ、謀を好んで成る」のこの一節であった。沢田次郎とは、そう言う男では?……と。

 昭和19年7月××日、羽田飛行場は快晴の炎天下の中、地面からは陽炎が立ち上っていた。
 午後3時発の大日本航空の「東京・新京の日本線」の羽田発・新京行きの飛行機は定刻通り出発した。
 孫齢姫は、横一列に整列した24名の夕鶴隊員に窓側の席から手を振っていた。
 そして指揮者である良子が「敬礼!」と号令を掛け、その機敏な動きは、白い手袋ともに一糸乱れぬ白一直線であった。横一列に美しく並んだ。
 飛行機が徐々にプロペラの回転数を上げ、滑走路に向けて方向を変え始め、進入路に入って行き始めた。
 「直れ!」の号令が掛かったが、今度は全員が飛行機に向かって手を振りはじめた。
 彼女達は飛行機が浮き上がり、小さくなるまで手を振って見送っていた。



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