運気 八門人相 房中術 癒しの杜 菜根譚 小説 会報Back No. 合気 蜘蛛之巣伝 死の超剋 霊的食養 心法
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続 壺中天・瓢箪仙人 37

いい風景に一つとして。
 あたかも山頭火が検
(み)た細い滝水の、「死ぬるばかりの水が流れて」とは、こういう風景を言うのだろうか。

 それは末期
(まつご)の水……。臨終を迎えんとする者が、最後に口を潤す水……。
 静かに水は流れる。清らかに水は流れる。
 死期の穏やかさとは、ここに帰着する。思い残すことがない。未練もない、ただ、水は澱
(よど)まず流れて行く。ここに心が注がれるようだ。死の刹那(せつな)、人は水を欲しがると言う。渇きを覚えるという……。


●細作(しのび)孫齢姫

 昭和19年7月7日、サイパン島が玉砕した。そこ結果、米軍のサイパン島基地から日本空襲が始まった。
 その一日後の8日には、インパール作戦が終結されて、全員撤退命令がでた。死者3万人、戦傷病者4万5千人以上。そして13日には、木戸幸一内大臣が、東条首相に大臣と参謀総長・軍令部総長の分離ならびに海相更迭し、それに代わって重臣入閣を指示をした。翌14日には東条、参謀総長を辞任。18日には東条内閣総辞職した。
 更に22日には小磯国昭内閣成立したが、24日には弱体化したテニアン島の日本軍守備隊を米軍が襲撃し玉砕へと追い込む。太平洋方面では日本軍の玉砕が相次いでいあた。あたかも連鎖反応をするが如くに。

 だが、東条内閣は斃
(たお)れたとはいえ、小磯国昭(陸軍大将)は陸軍内部に押しが利かなかった。東条の残党に振り回される。未だに陸軍内部には佐官級からなる「下克上」が吹き荒れていた。それを小磯首相は抑えきれなかった。『一億火の玉』のスローガンで戦意昂揚を煽り、強気の戦争継続派が猛威を揮っていた。良識派と言う慎重策や戦略策は強硬論に抑えられ、結局、積極論や強硬論に傾いてしまうのである。
 それは更に、戦争を長々と継続させると言うことであった。それも奇手の一つも捻り出せないで、だらだらと継続させると言う愚行であった。
 いま肝心なのは、「どうしたら、より良い負け方をすることができるか」ということだったのである。そのためには、日本にはまだ備蓄があり、奇手としての秘密兵器もあるということを内外に知らしめることであったのである。

 『タカ』計画の主要メンバーが集まっていた。
 「林昭三郎が敵国の間者によって殺害されました。事は逼迫しています。敵もいよいよ本気で、われわれを抹殺に懸かったようです」
 この重要発言を、林老人を赤城赤嶺神社から呼びつけた沢田次郎であった。林老人の死を、内輪ではもうこれ以上隠せ果
(おお)せないと検(み)たのであろう。あるいは「林昭三郎死す」の動揺は去ったと検たのか。
 これからは、起こった事件は“あるがまま”に報せるしかない。敵は、これをどう読むのだろうか。

 この発言に対して「なぜ?」という質問はなかった。密葬したことも分っていた。それが外に洩れてないだけであった。外に対しては辛うじて隠し果せていたようだ。少しでも時間稼ぎができたからである。
 目的は達成された。
 これだけでも、敵にも誤算が起こる筈である。だがこれは一難去ったと言うことでない。難儀は更に連続するであろう。舞台が内地である以上、再び内地で起こる懸念はある。その善後策も問題になる。
 今さら質問しても無駄であることは、此処に参集した全員が知っているからである。ただ新旧が入れ替わっただけであった。
 計画が予定より大幅に遅れ、資金難からも遅々として進まないのは、百も承知していた。

 参集したメンバーは、『タカ』計画の立案者で所長の鷹司友悳
(参謀本部中佐)、副長で実行者の沢田次郎(東京憲兵隊大尉・陸軍法務官)、相談役の来栖恒雄(参謀本部少佐)、主任教官のアン・スミス・サトウ(陸軍航空士官学校軍事顧問少佐)、次席教官のキャサリン・スミス(陸軍航空士官学校軍事顧問少尉)、兵器教官の兵頭仁介(陸軍上等兵)、教練教官の鮫島良雄(陸軍軍曹)、被服担当の柿原浩子(被服班長)、寮母で音楽担当の笹山裕子(音楽班長)、『ホテル笹山』の総支配人で資金調達の小松原光男(陸軍上等兵)、車輛運搬の正木信吾(陸軍伍長)、それに開墾班の津村陽平(陸軍少尉)、戦場緊急医療担当の植村宗次(元海軍軍医大尉)の13名であった。
 そして傍聴人
(アドバイザー)として米国流経済担当の橋爪太(陸軍一等兵)と、軍楽指導の速水俊介(元横須賀海軍軍楽隊長大尉・予備役)いた。
 この会議のメンバーには、一応階級はついているものの、逢ってないが如しだった。傍聴人以外自由に発言出来るのである。策案があるのなら傍聴人すら挙手して発言出来た。

 「その件に関しては、自分が一切を片付けます」
 言葉少なくいったのは、津村陽平であった。
 つまり、この漢の言は「敵を自分に一人に集中させ、一気に叩く」と言うことである。更に津村自身、争いの舞台を内地から外地へ移そうとしているのかも知れない。『タカ』計画の主旨が何であるか、それを薄々感じ取っているのかも知れない。移行前の一仕事と考えていた。
 しかし、どういう手段でそれを片付けるかは説明しなかった。湯村自身が屠殺人になるかも知れない。その覚悟はあっただろう。
 「どうです、津村さんがこう言っておられる。何も訊かずに、お任せしましょう」と沢田。
 林老人殺害の件は、津村陽平に一任された。
 凶事は一度起きると連続するものである。一度何かが起こると、それが連鎖して繰り返されることが多い。これほど気味の悪いものはない。また誰かが狙われるかも知れない。放置出来ない。
 凶事が災厄として連続するのなら、それは運命と言うべきものだ。運命は宿命と違って、その責任は人間に帰するべきものである。人間が解決しなければならない。
 津村はその真犯人に心当たりがあったからである。元兇は連続させてはならない。此処で断っておかねばならない。

 「そこで、お願いがあります」と津村陽平。
 「何でしょうか?」と鷹司友悳。
 「開墾班の老兵に、全員休暇を出して頂けないでしょうか。このまま、家族とも逢わせないで野戦に送り出すのは余りにも不憫
(ふびん)であります」
 津村の懇願であった。
 「いいでしょう、聯隊長令で休暇を三日間出しましょう。しかし、戻れるでしょうか」
 「それはどういう意味でありましょうか?」
 「いや、帰ったら里心が付いて戻らないという意味ではありません。サイパンが陥落しました。米軍の空襲が近いうちにあるかも知れず、帰宅時にその難に遭遇する可能性も大……」
 「もし、そうなった場合は本望です。昨今は戦線離脱とか、どうせ死ぬなら、妻や子とともに死にたい。同じ場所で死にたいと考え、戦線離脱は死刑の重罪であることを知りながら、脱走する兵が居
(お)ります。
 もうわが軍は、昭和12、3年の頃の、節度ある帝国陸軍ではありません。昨今の兵の中には、戦線に踏み止まり上官の死守命令を厳守して死ぬのも、敵前逃亡してその途中、敵地で十字砲火を浴び、敵弾でぶっ飛ぶのも、どっちみち同じという考えが支配的です。
 つまり、こういうのを貧乏籤
(くじ)というのでありまして、急遽(きゅうきょ)集められた応召兵達にとっては一人で死ぬのは好ましくないのであります」
 心置きなく、野戦に出る。後に未練を残さない。そういう心の問題を解決しておきたかったのである。

 「いいでしょう、そこまで覚悟があるのなら。早急に二、三日以内に許可を出させましょう。但し、外泊中の事故や事件においては責任を負いかねます」
 それは戦死扱いされないと言うことであった。
 「万一、そうなった場合は本望でありましょう」《それは戦線離脱に較べれば、本人にしてみれば望むところであります》と言いたかったのである。
 更に逃亡して、このまま沿線沿いに東京方面に上れば、そこに妻子がいる……となる。それは容易ではないにしても、命懸けで伝
(つた)っていけば何とかなる……と思っている者が少なくない。不逞な妄想を抱いている者もいるかも知れない。津村はそう思って、野戦直前での休暇願を申し出たのである。かつては、これが当り前であり、所定日においては家族の面会も自由であったのである。
 ところが今は違っていた。家族には面会させない。外出もさせない。ただ兵営内に閉じ込める。僅か一日の休暇も与えない。野戦行きでも壮行会や愛国婦人会などの激励もない。そして野戦行きの列車に乗り込むと、窓の網戸は降ろされて外が一切見えないようにしてしまう。更に敵性用語の禁止。これでは益々風紀が乱れる一方であった。下級の将兵は敵と戦う前に、日本軍自体を怨みに思い出す。大本営の戦争指導者への不審が募るばかりである。
 負けが込むと、人間は此処まで疑心暗鬼に陥る。余裕がないからである。

 議題は次へと移った。
 「では、『タカ』計画の第一段階を展開しますか」と参謀本部の来栖恒雄少佐。
 「いよいよ、秘密兵器を内外に公開して、お披露目
(ひろめ)をする汐時でしょう。日時は一ヵ月後の八月中旬ではどうでしょう?……」と鷹司友悳。
 「いや、それでは遅過ぎます。少なくとも一週間は早い方が宜しいと思います」
 アンの脳裡には、津村隊がもう直、野戦に出るということを懸念していたからである。
 「どうしてです?」と鷹司。
 「全体的に動きが早くなっているからです」とアン。

 三日ほど前のことである。
 開墾作業で、夕鶴隊が寮
(ホテル『笹山』)に引き揚げていく時間となった。開墾班の作業は、まだ続くが、女子学徒は引き揚げて行く。
 そのとき室瀬泉蔵が、主任教官のアンに走り寄って来た。
 「少佐殿、自分は室瀬佳奈の祖父の室瀬二等兵であります。もう直、自分達は野戦に出て行きます。どうか孫を宜しくお恃みいたします」
 それは懇願だった。
 「戦争が終わるまで、お孫さんを、確かにお預かりします」と言ったことが記憶にあったからだ。
 出来れば急ぎたいのである。津村隊が野戦に出る前に、儀仗隊としての孫娘の『夕鶴隊』の晴舞台を見せて遣りたいと考えたのである。そのために急ぎたい。
 彼らが一端、野戦に出てしまうと、津村も兵頭もいなくなる。学ぶべきことは、その前にと考えていた。

 「では、七月下旬から八月上旬と言うことで、枠に余裕をもたせ最終決定日を20日とします。つまり、東条内閣が総辞職する前後とし、次に有力と言われる小磯国昭内閣が成立する頃とします。しかし、小磯大将は陸軍を掌握する力がありませんので、浮動に悩まされ、省内は納まりがつかないでしょう。沢田君、これをどう検
(み)ます?」
 「積極論や強硬論が未だに強く、また上意下達が乱れてしまった現在、別の形のアドバルーンでも揚げるしかありますまい」
 「つまり秘密兵器の性能目録のお披露目ということですか」と鷹司。
 「現在のところ『くろがね四起
(よんき)(九五式小型乗用車)に装甲板を取り付け、後部座席に九二式重機関銃の装備したものを20輛。
 またガソリン仕様の東京自動車工業
(のちのいすゞ自動車)製の兵員輸送のバス2輛。同東京自動車工業製の軍用トラック5輛。
 その他、遊撃戦を展開するに当りの武器弾薬一ヵ月程度等。これは沢田貿易商会と株式会社サトウ商店よりの寄贈です。
 運転その他は車輛運搬担当の正木伍長が指導中です。『くろがね四起』を夕鶴隊員で運転してみせれば、見せ掛けの“張り子の虎”としては充分でしょう。
 来賓者収容のための『ホテル笹山』の準備も、ほぼ九割方は終了で、総支配人の小松原上等兵に運営は一任しております。大使館担当要員を配属済みです。
 また、儀仗隊用軍服およびその他に戦闘服・事業服等については柿原浩子女史に一任。縫製ミシンならびに縫製職人も増員して作業に入っています。被服班にはこれまでに比べて縫製ミシンを15台を増設。総て自前で被服を作れる状態を確立しました。
 ラジオによる日本放送協会の中継放送ならびに軍楽に関しては、笹山裕子女史ならびに速水予備役大尉に一任し、吹奏楽団は親愛高等女学校の生徒25名が吹奏楽挺身隊として、儀仗隊編制を完了しております。
 また、その式次第ならびに運営全権はサトウ少佐が負います。政府・財界筋ならびに放送筋等の代弁者
(スポークスマン)として、橋爪一等兵に一任しております。
 私のお膳立てはこの程度ですが、このお披露目は概算で約五千万円を見積っております。更に、燃料備蓄筋より『涸れない泉』を確保致しましたので、必要に応じて随時ということです。これで当座は凌げます」と、これまでの運営状況を沢田次郎は説明した。
 そして沢田の考え方には、これまで後方支援に廻っていた女性が、秘密兵器として今度は前面に出る。
 言わば、背水の陣を敷いて立ち向かう構図を作り出したかった訳である。まだガソリンも兵器も、余力があるという構図である。

 そもそも大東亜戦争はどうして起こったか。
 ここに焦点を当てねば、講和に持ち込めないのである。何もかも遣い果たして、諸手を上げて万歳するのは愚であると沢田次郎は検ていた。
 大東亜戦争の戦争原因。
 それは米国第32代大統領のフランクリン・デラノ・ルーズヴェルトにあった。
 ルーズベルトの選挙公約は「ニューディール政策」であったが、やはり限界があった。1929年に始まった恐慌に対処するため、33年以降ルーズヴェルトが実施した一連の経済ならびに社会政策であった。しかし全国産業復興法・TVA・ワグナー法・社会保障法などは巧くいかなかった。そのころ米国には八百万から一千万人の失業者がいた。完全雇用というルーズヴェルトの公約は破綻
(はたん)しつつあった。米国は独占資本家からブルーワーカーに至るまで需要の拡大を望んだ。だが需要を拡大させるには戦争以外ない。
 そこで日本と独逸を踏み台にして需要を拡大させるという策を立てた。日本と独逸をヴェルサイユ体制ないしワシントン体制
【註】ワシントン会議/第一次大戦後の1921年11月〜22年2月、ワシントンで開かれた海軍軍備制限問題および極東・太平洋問題に関する国際会議。イギリス・アメリカ・フランス・イタリア・日本の海軍主力艦の制限して、その結果、九カ国条約・四カ国条約が成立し、日英同盟は廃止)によって雁字搦(がんじ‐がら)めにする策であった。
 日本に至っては、「ハル・ノート」を突き付け、侵略と批難される行動を採らざるを得ない構図を作り出すこと策に出た。これに日本はまんまと搦
(から)め捕られた。そのうえFRBは、ヒトラーに巨額が軍資金を貸し付けた。ナチス独逸は原爆すら作れる科学力を持つようになった。その科学力は、今度は米国が買うという有利な状態に運ぼうとしたのが、ルーズヴェルトdあった。

 斯くして日独は、世界経済を自由主義市場の覇者として君臨しようとする一握りのワン・ワールド主義者によって追い詰められたのである。その奥の院の指令によって、ホワイトハウスに棲
(す)む高級労働であったルーズヴェルトは「戦争を欲するポーズ」をしたのである。このポーズに、日本では軍閥の一部が過敏に反応した。彼らもまた戦争を欲していたからである。
 ルーズヴェルトの奥の院仕込みの狡猾
(こうかつ)なところは、《自ら戦争を始めるという愚かさ》だけは避ける智慧を失っていなかった。そして再び、ルーズヴェルトは一握りのワン・ワールド主義者の意向を受け、戦争を継続するために再選し、更に三選まで果たすのである。これこそシナリオ通りの体現であった。
 言及すれば、実質上の対日最後の通牒と言うべき「ハル・ノート」において、東条首相に至っては、日米戦が二年以上の長期戦に及んで、「もし海軍にとうてい勝算がないと言われれば、敗戦に踏み切らなかった」と述べていることは、実に興味深いところである。
 また山本五十六も、二年以上の長期戦には当初から勝算がないと言っていたが、それを承知で、なぜ真珠湾奇襲を決行したのであろうか。

 昭和19年7月××日。
 『タカ』計画は当初の予定を大幅に遅れていた。
 そもそも『沢田レポート』によれば、これまで鍛練して来た夕鶴隊は、秘密兵器として昭和19年5月××日に女子儀仗隊を組織して内外に公開する予定でいた。
 だが、また遅れた。
 六月中旬までにはが、更に遅れた。それが当初からの予定が二ヵ月以上遅れている。
 そして、津村隊が野戦に出るのは、敵陣営の動きが予定以上に速い動きをしているからである。
 敵は、つまり国際連合軍は、一気に日本を叩き潰すことに執念を燃やし始めたからである。こちらも予定を前倒しにして計画を遂行しなければならない。そこに二ヵ月の誤差が生じていた。
 また、日本の本土決戦を参謀本部は九月半ばから下旬と定めているようであったが、それより半月前の八月半ばと見ていたことに誤算が生じていたのである。
 更に予想外のこととして、『タカ』計画のメンバーは予言者・林昭三郎を失い、予言者の先見の明が利かなくなっていた。暗号解読のキャサリン・スミス少尉だけの審神者がいても、肝心なるご神託を受ける柱を失っていたのである。斯くして、『沢田レポート』は根本から再検討を余儀なくされていた。計画そのものを大幅に前倒しする必要があった。

 林老人に代わる智慧者。その智慧者を必要としていたが、沢田次郎一人のマジックでは到底手に負えない状況になっていた。そこで津村陽平が加わったが、この漢の智慧に委ね、基本方針と未来展望の見通しを立てねばならなかった。
 また暗号解読については、英文タイピストの霧島祥子
(仮名。21歳、津田英学塾)と鈴木直子(仮名。23歳、津田英学塾)を二名引き抜き、逆に間者としての眼を兼ねたタイピストを夕鶴隊から、明大女子部三年の中川和津子と同学の山田昌子を第十八班(通称暗号班)に送り込むことにした。しかし霧島祥子と鈴木直子は、遊撃戦に参加させない。あくまで事務方である。
 彼女達は分列行進と開墾作業は参加させるが、戦闘には加わらせない。内地で待機し暗号解読に当る。発信者と受信者の確固たる関係を確立させる必要があった。
 彼女ら二人は、大陸に野戦で行くであろう夕鶴隊の戦場と内地を結ぶ無線傍受が担当なのである。綿密な計算の上に、沢田次郎がお膳立てしたのである。
 沢田の脳裡には、このような指し手のプランが集積されていた。

 中川和津子と山田昌子は毎朝五時、『ホテル笹山』の玄関前に到着する一台の黒塗りのオースチンに乗って何処に出勤して行く。何れもスーツ姿で、夕刻には戻って来る。総て送り迎えは、市ヶ谷・佐倉間の弾丸軍用道路を使って黒塗りのオースチンが往来するのである。しかしオースチンのラジエーターグリルには陸軍の五芒星はついていない。宮内庁などが遣う特殊車輛である。
 何か車輛ナンバーに特殊な意味があるのだろう。こういうお膳立ても沢田次郎が用意したものであった。
 手持ちの駒を、活かして遣い才があった。
 行き帰りには、私服の武装した憲兵が、運転士の他にもう一人付いていて護衛するのである。更に車輛の前後には憲兵隊のサイドカーが付き従う。物々しい警戒である。あるいは演出か?……。おそらく、これも沢田の差金だろう。手駒を充分に遣う。
 そしてキャサリン・スミス少尉を中心とした四人でチームを組んで暗号班に入った米国・英国・中国情報の暗号を解読する。特に中国情報は重要な意味を含んでいた。
 『粤漢
(えっかん)打通作戦』の情報が米国経由で入り込んで来たからである。それは日本に、それも参謀本部の中にもワン・ワールド主義者がいることを物語っていたからである。

 更に浮かび上がって来たのが、服部卓四郎
(大佐)大本営陸軍部作戦課長であった。
 一方で米合衆国第三十二代大統領のルーズヴェルトの動きが奇妙で、中国
(国民党政府)に対する認識は変化したことが、戦略的な意味を失っていたとするが、これは巧妙な演出か……。その疑念があった。
 作戦距離2400kmに及ぶ大規模な攻勢作戦で、計画通りの地域の占領に成功して日本軍が勝利したものの戦略目的は十分には実現できなかった。点と線の占領に過ぎなかったからだ。
 果たしてこの作戦に意味はあったのか。あるいは、別の意味があったのか。もしかすると、独逸が絡んでいぬのではないか?……。分析結果が、そのように出たのである。
 ただ解ったことは軍部にワン・ワールド主義者がいることだった。それは日本の敗戦を予期して動いているとしか思えなかった。

 内外を威圧するには、昭和12、3年当時の日本陸軍を再生するしかなかった。弛
(たる)み切ったズボラな兵隊を駆逐し、将兵ともにリフレッシュする以外なかった。その再の使命を託されたのが、女子儀仗隊の顔を持つ『夕鶴隊』であった。やがて精鋭化しつつある秘密兵器であった。


 ─────早朝『ホテル笹山』の玄関前。
 ホテル玄関の車寄せには黒塗りのオースチンが停まっていた。冷房車とみえてエンジンが掛かっている。
 同時刻、夕鶴隊の玄関前の整列時間である。
 そこにスーツ姿の中川和津子と山田昌子は、二人の背広姿の漢に迎えられ、車に乗り込むのである。運転士もその助手もきびきびしていて、私服であっても軍人であることが直ぐ判
(わ)かる。更に、白い手袋が異様に丁重さを煽った。彼女ら二人を壊れ物を扱うような手つきであった。ドアの開け閉めまでしてくれる。
 玄関前には全員が集まっていて、その光景を見ていた。夕鶴隊の整列前である。
 二人は車に乗り込み、集まっている全員に車の窓から、にこやかに笑って手を振って出発するのである。
 オースチンはホテルの車止めを出ると、直ぐに憲兵隊のサイドカーが、車の前後に護衛に蹤
(つ)いた。

 「まるで、お姫さまみたい……」と佐久間ちえが、羨望と憧れのような聲
(こえ)で吐露した。
 「あの二人のお姉さん達、毎日何処に行くのかしら?」と好奇心旺盛の島崎ゆり。
 「よく知らないけど、市ヶ谷台の参謀本部に出掛けているらしいわよ」と長尾梅子。
 「なにをしに行くのかしら?」と佐久間ちえ。
 「英文電報のタイピストですって」と長尾梅子。
 「あの二人のお姉さん、英語に詳しいのね。わたし、敵性用語というから、それを真に受けちゃった。
 大体さァ、ベースボールを野球というのは分るけど、ストライクを本球、ボールを外球、アウトを倒退、セーフを占塁なんて、日本語に言い換えて敵性用語を締め出すッての、一体誰が考えたのかしら?」と、口を尖
(とが)らせて言う島崎ゆり。
 「それは内務省の偉いお役人でしょ」と、些か捨鉢気味に言う長尾梅子。
 「坊主憎けりゃ、袈裟まで憎いというやつね」と佐久間ちえが揶揄するように遣り返す。
 島崎ゆりは、かつて主任教官のアン・スミス・サトウ少佐に出遭ったとき、「あなた、英語へたね」と言われていたことを覚えていたからである。あのときの印象が濃いい。未だに薄らいでいない。しかし、だからといって英語を勉強する訳でもない。心に思うがままに生きている。もともと天真爛漫の性格なのだ。
 「英文電報のタイピストって、いったい何をするのかしら?」と佐久間ちえ。
 「暗号を解読するんですって」と長尾梅子。
 「それって、重要機密……。それをどうするのかしら?」と佐久間ちえ。
 「その重要機密の英文電報って、コード法という暗号コードブックの暗号文ですってよ」と室瀬佳奈。
 コード法とは、情報を表現する記号ならびに符号の体系をいい、情報伝達の効率、信頼性、守秘性を向上させるために変換された情報の表現で、また変換の規則をいう。変換を行うものをエンコーダー
encoder/データを符号化する装置やソフトウェア)、情報を復元するものをデコーダーdecoder/データを復号する電気回路やソフトウェアで、復号器とも)という。

 「佳奈ちゃん、随分難しいこと知っているのね。それって、相当やばいことしているということ?」と島崎ゆり。
 「そうかも……。わたし、今度来た二人のお姉さんが喋っているの、つい聴いちゃったのよ。内部諜報ですって、陸軍大臣でも読むような……」と室瀬佳奈。
 「重要機密を読むということ?」と佐久間ちえ。
 「そうらしいわ」と室瀬佳奈。
 「それで、もし見つかったら?どうなるのかしら……」と長尾梅子。
 「官憲に逮捕されて、素っ裸にされて、拷問されて、淫らな悪戯されて、最後は銃殺……かもよ……」と脅すように言う佐久間ちえ。
 「そんなの厭だァ!〜」と島崎ゆりは自分の頬を両掌で覆った。
 情報戦とは、そういうものであるという怕い一面を物語っていた。
 少女四人は、中川和津子と山田昌子を見送った後、それぞれが小集団に固まって、こんな雑談をしていたのである。

 「さあ、皆さん、今日も元気に頑張りましょうね。霧島さんも、鈴木さんも馴れましたか?」と、笑顔を絶やさない寮母の裕子。彼女自身、総てを夕鶴隊に捧げて燃焼し切る人生を歩いていた。
 「はい」二人揃って返事した。
 この二名も、沢田が選んだのである。その意図は、影に仕立てる魂胆があったのは言うまでもない。
 寮の『ホテル笹山』から聯隊教練場までは、雨の日も風の日も儀仗隊列編制で行き帰りを行う。雨の日は頭巾付きの外套を着る。
 梅雨時期は外套を着ることが多かったが、今は夏真っ盛りということで軍服も薄手の物で、シャツの襟口も開襟型となり、少しばかり形体が変化していた。物資の後方支援には上海経由の沢田貿易商会と(株)サトウ商店が控えていた。短期で遊撃隊を編制するには当座の凌ぎにはなる。

 最初の『タカ』計画の起こりは、鷹司友悳と故・笹山大二郎の二人が沢田次郎を取り込んだことから、この計画が起こった。その三人が謀議してこの計画を立ち上げた。そして、鷹司から“女子挺身隊”の特殊遊撃隊の話が出たとき、この話に一枚加わったのが、笹山裕子であった。最後の秘密兵器の“女子挺身隊”に総てを賭ける気でいた。
 ところが、笹山大二郎少佐はノモンハン
(後に大二郎は関東軍に赴任し、関東軍とソ連・モンゴル軍とが国境紛争で交戦して、日本軍が大敗を喫した事件)で戦死し、それに代わって来栖恒雄少佐が加わった。
 『タカ』計画……。
 このプランは、おおかた沢田次郎の脳裡にあった意図が展開されていた。それに軍資金面として、沢田は養父の伯爵・沢田翔洋
(63歳)を取り込み、養父の知人の上海在住の(株)サトウ商店の佐藤信夫(62歳)を取り込んだ。この伝(つて)で、更に鷹司財閥の子爵・鷹司清隆を取り込んだ。清隆は友悳と良子の父である。

 それに加えて、更に沢田次郎はアン・スミス・サトウとキャサリン・スミスの二人のロイヤルファミリーの姉妹を巻き込んだ。アン・スミス・サトウは妹のキャサリンに蹤
(つ)いて日本に来たとき、分けも分らず官憲に逮捕され、アンは国家転覆罪で死刑の宣告を受け、キャサリンは治安維持法で無期懲役となっていた。
 この二人を府中刑務所から助け出したのである。
 更に、不敬罪誣告罪で無期懲役になって、内務省・特高警察拘置所に収監されている赤城赤嶺神社の神主で予言者の林昭三郎を助け出した。
 併せて、治安維持法で無期懲役になって府中刑務所に収監されていた元海軍軍医の植村宗次を助け出した。
 それはまた国家権力への抵抗であり、この場合、毒を以て毒を制す醜悪な方法が採
(と)られた。水面下で視察人は、もう一方の影の権力として暗躍した。陸海軍の軍事警察および行政警察・司法警察をも司る「要視察人」として恐れられた。頭脳権力に対し、頭脳で挑んだ。頭脳毒は、頭脳毒で解毒しなければならない。

 そもそも人間同士の、特に支配階級と被支配階級、権力と反権力、知性と反知性などの鬩
(せめ)ぎ合いを考えれば、この構図自体が滑稽で、かつ醜悪なものである。双方の抗(あらが)いには、前者は少数で圧倒的に力を持ち、一方後者は大多数であり大半は無力である。
 そして支配する方は、対外的には強大な軍事機構ならびに内部警察機能を有し、同時に多大なる財力と情報を独占し、堅固な組織体を構築している。
 この構築は通常、一度打ち建てられると、容易なことでは倒れることはない。もし、一度打ち建てられた体制が崩壊する場合、対外的には戦争状態に入り、敵対国が巨大なライバルである場合は生存に賭けて戦いに挑むが、それで負けたときは、実に惨めで、屈辱的で、敗れた方は途端の苦しみを負う。しかし底辺はこの比ではない。戦時国際法など、あってないが如し。それは広島・長崎の原爆投下だけでも、雄弁に物語っている。
 果たして幼児や赤ん坊までもが、戦闘員であり得ただろうか。
 戦うも地獄、戦いを止めて敗戦国になるのも地獄である。負ける場合は政治的駆引きで、よりよい負け方をしなければ、残された国民は惨めである。特に非戦闘員は惨めである。

 人間の有史以来の歴史の中には、人間と人間の争いが綴
(つづ)られている。
 何千年の間に何千度、争っても、争いに心というものが生じたことは一度もない。同じことの繰り返しは滑稽であり、争いの動機やそれに付随する詳細なる言い掛かりや、大義名分は醜悪なこと限り無し。聖戦を謳っても、それは動機に付随する能書きに過ぎない。勝てば如何ようにも捏造
(ねつぞう)出来る。

 では動機に至る原動力とは何か。
 取りも直さず、その根底にあるものは「人間の欲望」であろう。その欲望には、第一に富の収奪と独占が挙げられる。これは人間同士の争いに限らず、民族間や国家間の闘争も、その動機は欲望である。近代史における富の形成は地下資源、食糧、貴金属、工業製品、人民の労働力やその財産・人権、そして領土である。
 動機に、国家の頂点に君臨する支配者の潜在的欲望が、既存枠外だったらどうなるか?……。つまり世界制覇などを目論んだらどうなるか。
 戦争の原点は支配者の「既存枠外」という欲望の桁にあるのではないか。
 こうした場合、どうなるか?。

 支配者は長い時間を掛けて、自国の経済成長など待つ気長さはないだろう。最も手っ取り早い方法として、軍事力を行使するのである。侵略戦争の類だ。軍事を用いて隣国を征服しようと懸かる。富みを収奪する方法としては、これが最も効率的である。
 軍事力の行使……。
 この「効率的なる実績」は、人類の古代史から現代に至る戦争を見れば、それは実に手っ取り早いか、それを何よりも雄弁に物語っている。それが戦争の永遠性である。金を払って買うのでなく、武力で脅してタダ取りするからである。誰が考えても、効率的と言えるだろう。
 だが、永遠に人類史上で繰り返されては、やがて戦争が生み出した科学力で人類は亡ぶだろう。
 一旦は、抑止させて見る事実がいる。歴史的根拠がいる。
 沢田次郎はその根拠を想起していたのかも知れない。


 ─────二十三夜。そんな月が出た夜中である。
 草木が眠る……と言う、そんな形容の時間であったろうか。真夜中である。丑三つ時である。
 津村陽平は予言者・林昭三郎が刺客に斬り殺されたという場所に来ていた。
 この漢は神出鬼没である。いつでも何処にでも顕われる。そして気付いた時には消えている。不思議を身に付けた矮男
(こおとこ)であった。動きが猿のように素早い。そのように、劣等感を抱かないように幼少より訓練された。
 躰が小さいだけで何不自由はない。小さい故に、その小柄に合わせた理想的な動きも父より教わった。理想的な動きを研究し、繰り返し修練を積んだ。それを積みつつ、また動きを改良した。そして最後には自分に適合した動きのみが残った。
 小さいと言う欠点は、自由に転じることで見事に克服していた。但し、小人
(しょうにん)のように躰が小さいと言うことは、それに感ずる劣等感も突き難くあった。こればかりは改良出来なかった。

 だが、陽平は佝僂
(くる)ではない。幼児期、佝僂病に罹った訳でもない。親が、更にその親が、先祖が、小柄なだけであった。父の津村十朗左衛門も小柄だった。祖父の津村鍵十郎も小柄だった。
 父は“三尺達磨”などと揶揄されたこともあった。しかし父は意に介さなかった。書画にも通じた文武を納めた人である。神道無念流剣術の達人であった。小柄だが腕が立った。父は、祖父の鍵十郎を凌ぐ小さな巨人であったと言う。先祖は代官であったが、また剣客でもあった。
 陽平は、その小柄な父も祖父も誇りに思っていた。決して人には知られないが、その二人を誇りに思っていたのである。人情家の面が好きであった。恥を知るばかりでなく、人の不憫も知っていた。人生の機微を知る武士だったという。

 陽平は、最後に林老人から手渡された鉄扇を手にしていた。そして最後の場面を思った。
 なぜ斬られたのかを考えた。鉄扇を林老人は手にしていた。そのとき敵の刃を受けるのに遅れた。
 では、何故遅れたのか。その推理である。果たして林老人は、刃を受ける気があったのか。むしろ受けずに斬れられることを望んだのではないか。
 津村は、そういう気がしてならなかった。
 何故、刃を受けなったのか。
 陽平は、今わの際に受け取った鉄扇を見た。一体この鉄扇は何だ?と思う。そして、襲われた時間は月下であった。何か、この流れに、何があるのか?……。それを思案していた。
 そして鉄扇の中に書かれた、「夢」の一文字。この意味するものは何か。
 夢の文字、一体なにを意味するのか。
 解字からすれば「目が見えない」の略体に「夕」あるいは「月」であり、夜の暗闇に覆われてよく見えないという意味を持つ。更に転じれば、目を塞いで見えるものとなる。それが「梦
(む)」である。現実離れした思考を意味する。美梦となれば「愉しいこと」をいう。
 だが、愉しいことは感傷的な意味ではない。夢の一文字は禅にも通じ、また老荘思想とも一致する「後に何も残さない」という意味である。夢は覚めれば、後には何もないのである。それだけの相対界を人間は生きているのである。

 津村陽平は相対界の、跡に何も残さない現実を生きていた。自らが矮男であっても、肉体が去れば、後には何も残らない。それゆえ自由であっていい。その自由の中に利点もある。標的としての目標自体が小さくなるので、敵が襲う場合、矢でも剣でも実砲でも定め難い。その動作を敵に予測させなければ、小さな短所は長所となる。それは自らを知る抜いて、能
(よ)く工夫することであった。工夫により短所は長所となる。これ、相対界の理(ことわり)である。
 天と地、昼と夜……。何れも相対概念である。向き合い、相反して対立している。

 陽平は、林昭三郎が刺客に斬られた月夜の晩のことを想った。その晩、妙に蜈蚣
(むかで)が騒いだという。蜈蚣は土中に棲む。古来、蜈蚣は神の使いとされ、また怪異なものとされた。
 蜈蚣が騒ぐのは、一方で“蠱
(こ)”が蠢(うごめ)き始めたからである。何かが煩(うるさ)い。騒がしい。月の光に反応して蠱が蠢いている……。それに反応して蜈蚣が煩く騒いでいる。何かを告げていた。
 何を告げていたのか……、陽平はそれを想起してみた。
 ふと、血色の蠱が泛
(うか)び上がった。
 陰陽道で言う十二神将……。その十二神将とは蠱のことである。
 仏道で言う薬師如来の眷属
(けんぞく)・十二神将とは違う。陰陽道で言う十二神将とは蠱のことである。
 巫蠱
(ふこ)をいう。
 呪術で用いる“蟲”であり、惑わず蟲で、あるいは処刑された者などの人を惑わず魂を言う。そして“蠱”が血色を見せるとき、火難兵乱を暗示する。
 二十三夜。月を見れば、月が赧
(あか)い。血色を見せている。
 『祥瑞災異
(しょうずい‐さいい)』という思想がある。めでたい前兆である吉兆と天災地変の災い。明らかに血色の月は何かの暗示である。近未来の起こることを暗示している。

 八門遁甲……。
 十干のうち乙丙丁を三奇とし、天の八門と、地の八門である休・生・傷・杜・景・死・驚・開を八門とし、その両者を組合せ、遁甲の「遁」は幽隠の道を顕し、「甲」は儀をいう。この両者を合わせて「六
(甲)儀」という。
 その際、陰陽の変化に合わせて隠陰の術を用いる。凶を避け、吉に往く。この術は、推古朝時代、「百済の僧・観勒によって齎され、暦本、天文・地理書および遁甲方術書を貢
(たてまつ)る」(推古紀)とある。
 蠱と式神
(識神)。識神とは、仏道では護法神をいう。
 凶を避けて、吉に往く術こそ、火難兵乱から遠ざかる道。
 如何なる凶が、いかなる理
(ことわり)で待ち受けているか、その理の源を知らねばならない。これが分らずして今後の計画遂行はあり得ない。更に計画全体に、如何なる影響が出て来るか、その吉凶の判断が果たして正鵠(せいこく)を射ているか、それを確かめる必要もある。
 そして蜈蚣が騒いだのは、「迫り来る狂乱を告げていたのではないか」と陽平は考えたのである。

 今宵の月は莫迦
(ばか)に赧(あか)かった。血のように赧かった。
 血色の月下で林昭三郎から返還された鉄扇を開いてみた。蠱が反応する月……。そのように陽平の脳裡には映った。そして驚くことに夢の一文字の周りに小さな数字がびっしりと丸い輪を作って並んでいたのである。
 それが模様のように書き込まれていた。その模様が数字が夢の一文字を取り囲んでいた。数字を解読するには乱数表より、読まねばならないだろうが、凶を避けて、吉に往く暗示が記されているように思えた。
 乱数表は乱数の列を順次並べた表のことで、0から9までの数の集合上に定義された一様分布の無作為抽出標本が実現されたもので「一様乱数表」という。そして乱数の定義は、「乱数賽
(らんすう‐さい)」を用いての骰子(さいころ)に委ねられ、正二十面体の20個の面に0から9までの数を二度ずつ書き入れたものをいい、これをふって、出た目の数から成る列は一様、乱数と看做される。

 津村陽平は、林昭三郎が、なぜ斬られたかを考えてみた。斬られることで、老人は何かを守ろうとしたのではないか。そのように採
(と)れるのである。この鉄扇そのものに、何かの意味があるのではないか。
 では、扇を開いてその模様がなぜ月と反応したのか。この模様は血色の月以外でも反応して泛
(うか)び上がるのか。
 月が赧いとは、月が変色した訳でない。月を赧く見せる地球の作用がある。その作用は何か?……。
 陽平は、はたと気付くものがあった。地下からの電磁波……。地上へと電磁波が出ているとき、地震が起こるのではないか。そういう暗示を模様は示したのではないか。そこに何かが拠
(よ)り来る源があり、それを掴めば深遠が覗けそうな気がしたのである。そうなれば凶の忍び寄りすら察知出来るかも知れない。
 殺害現場から、刺客が忍び寄ったコースを夢想しみる。何処から来て何処に去ったのかを……。
 陽平は夢想とともに、過去を遡
(さかのぼ)って歩いていた。
 歩くに従って、いつか来たことのある道へと遡っていた。この道は確かに見覚えがあった。やがて道は行き止まった。突き当たった先に何かを採掘した小高い丘があった。この辺は人が近付かない荒涼の地であった。
 辺りは赤茶けている。どこか地獄に似ていた。混合酸化物のカスを棄てる堆積場の跡地だった。今は近所に家など一軒もない。
 しかし、二十年ほど前までは何件が家があった。その一軒が鍛冶屋だった。その一軒が崩れかけた廃屋となっていた。今は人など棲
(す)んでいない。

 カスを棄
(す)てる堆積場を「カラミ」といい「スラグ」という。此処はそういう堆積場の跡地だった。
 炉などで鉱石を溶解および精錬する際に、溶剤の作用によって生じるカスをカラミというのである。あるいはスラグ
(slag)という。製鋼スラグは、特に「鋼滓(こうさい)」といい、非鉄製錬では「カラミ」という。また踏鞴(たたら)吹きなどでは「のろ」という。何れも刃物の材料となる玉鋼(たまはがね)を抽出する時に出るカスだ。

 此処に佇
(たたず)んだ津村陽平は、二十年ほど前の記憶が蘇(よみがえ)った。
 今は廃屋になった家屋は鍛冶屋で『鍛練処・星野』という屋号の店があった。普段は農鍛冶をするが、時として刀剣を鍛練していた。そしてそこに、満洲から来たと言う親戚筋の娘がいて、その名は鈴江といった。
 この家は、もしかすると何代か前から、この地に根を張った「草」だったのかも知れない。
 林昭三郎を葬った女刀鍛冶は、満洲経由で日本に入り込んで来たものと思われた。その女刀鍛冶と鈴江が、陽平には同一人物に思えた。林老人を葬った刺客は一人であろうが、刺客に協力した仲間がいたに違いない。
 いったい誰が、赤城赤嶺神社の神主・林昭三郎の情報を探ったのか。その存在を知り得たか。

 そもそも林昭三郎は不敬罪誣告罪で無期懲役として、特高警察拘置所に収監されていたではないか。あるいはその予言が異能者として、政府筋からは毛嫌いされていたのかも知れない。
 これまでの『タカ』計画の会議に引っ張り出されていた津村陽平は、この異能者を取調べたのは特高警察であり、その取調べに当たったのが堀川久蔵であることを知っていた。そして堀川の名は、何故か、新田郷の庄屋の堀川作右衛門と繋がるのであった。果たして親戚筋か。
 更に、堀川作右衛門は協力を申し出ている。この協力はただの善意か、あるいは何かの意図があるのか。
 聯隊の演習場の一部を開墾してみてはと提案している。
 併せて、《わしの弟は農林省の農事技官をしている。稲をはじめとする穀物栽培法に詳しい。農薬を遣わない農法じゃ。それに川魚の養殖法も学んでいる。この智慧、遣ってみては》と進言している。では、その詳しいと称する「弟」とは何者か。いつも、開墾具合を将校を従えて視察に来る技官の“あの漢”か。

 しかし、堀川作右衛門に弟がいるということは聞いたことがなかった。
 弟というのは不可解だ。弟と称するのは何者か。更に、奇妙に符合する堀川の苗字である。この二人は何処かで繋がっているのではないか。津村は咄嗟にそのことを考えてみた。
 内務省の元高級官僚の堀川久蔵、新田郷庄屋の堀川作右衛門、それに「弟」と称する農林省の農事技官、この技官とともに、視察に来る幹部候補生上がりの将校の繋がりは、個々人が単独で動いているのか。
 いや、と津村は頭を振る。彼らは一蓮托生の同じ仲間、つまり星野鈴江を背後から協力する日本での協力者でないのか。また、農林省の農事技官と幹候上がりの将校は年が同じくらいであった。

 更にである。
 林昭三郎を斬った真犯人が仮に星野鈴江として、あの晩、何処から来て何処に帰って行ったのか。協力者はいなかったのか。思われるところは、庄屋の堀川作右衛門が匿
(かくま)ったのではないか。そして庄屋の堀川作右衛門は、何代か前に日本に帰化した大陸の「草」と考えれば、この四者の関係と、女刀鍛冶と称した星野鈴江との繋がりに辻褄(つじつま)が合うところが出て来るのである。
 『タカ』計画の情報は、この接点において洩れている……。考えられることだった。
 庄屋は、林昭三郎が斬られた日の昼間、聯隊に電話して、わざわざ津村とその助手の兵頭仁介を伴って「状況を造りに」と呼び出している。これは一見親切に見える。そう映る。果たして、意図ありか、偶然か。
 確かに時刻は入れ違いだが、もし合致していたらどうなっただろうか。三人纏めて斬るつもりだったのだろうか。
 こうした臆測は次々に連鎖した。
 この連鎖が正しいか否かは判然としないが、今、「戦争がしているのだ」と考えれば、それも符合するような気がする。こういうことは、あるのかも知れない。

 津村陽平はもう一度殺人現場に戻ってみた。そこで改めて、辺りを見回してみた。斬られる刹那
(せつな)を夢想してみた。この夢想の中に、犯人は登場するのか。星野鈴江は顕われるのか。
 津村はふと後ろをみた。
 何か黒い影を感じた。現実に見た訳でない。その存在を感じただけであった。得体の知れない、粘液系の粘るものが纏
(まつ)わり付く黒い影があった。それを少し前から感じる。離れた闇の中から何者かが、何処からか凝視している。視ている。視られている。そんな感覚があった。それは獲物を虎視眈々の狙う冷たい眼であった。
 林老人も、そういう眼に付く纏われ、斬られたのだろうか。

 わが身に「凶」が起こるとしたら、得物として狙われ、猟られるのだろうか。
 敵は、虎視眈々として狙っている。これに抗うのは無謀だろうか。津村はそう思ったのである。
 悪い事は重なる。
 二回続いて悪いことが起こると、三回目も起こる。つまり三回目のこれは、一つの現象と言える。それが三度重なって連続すると、それはもう歴
(れっき)とした現象と言ってよい。しかし、それがいつ起こるかは予測がつかない。予測がつかない故に、狙われた方は逃れられない「蜘蛛の網」に閉じ込められたといえるかも知れない。網に搦め捕られた……、勘がそれを告げた。

 そのとき津村は自分が狙われた事を確信した。狙う双眸
(そうぼう)は精悍(せいかん)なる黒豹だと思った。
 そして何故か、その黒豹が星野鈴江そのものに思えたのである。
 《だれだ!》と言いかけたとき、その影は消えていた。津村は急に疲れを覚えた。今まで覗いていた影の双眸を妄想であって欲しいと願った。
 もう直、世が明ける。そろそろ聯隊に戻るか……。そう思ったときである。

 何処からともなく、いい馨香
(けいこう)がした。しかしその馨りは、心を持たない冷たい臭いであった。遠い昔のことが蘇(よみが)った。月下美人……。そういう馨(かお)りのする女を知っていた。

 「星野鈴江か?……。いや、孫齢姫
(そん‐れいひ)!」
 津村は匂いを嗅ぎ取って、そのように訊いた。
 「そうで御座います。もと、あなたさまの女……」
 鈴江は日本人と見間違わんばかりに、見事に着物を着こなしていた。
 その聲
(こえ)が、懐かしくも、また胸を苦しくさせて、遠い日の記憶を蘇らせた。その記憶の中に、湯村陽平は一時期、鈴江の肉体に執着した事があった。そして一子まで設けた。
 だが鈴江はその子を産むと、津村に押し付けたまま、暫くして姿を消した。
 貧困でありながら格式張った武門の津村家に、鈴江は居着かなかった。鈴江が姿を消したとき、かつて『鍛練処・星野』もなくなっていた。

 『鍛練処・星野』の店主、則ち刀鍛冶の星野周作は、かつて大陸の地に鉄鉱やコークスを需
(もと)めて探し歩いた。表面上は日本陸軍の探偵であった。日露戦争開戦にあたり、民間人の探偵として日本陸軍の特務機関に協力した間者(スパイ)であった。
 明治34年
(1901)、星野周作は妻子(妻・静子と娘・珠緒)を日本に残したまま大陸へと渡った。
 星野は刀鍛冶であり、また妻の旧姓石田静子は石田流筑前琵琶の筆頭奏者であった。星野は刀剣鍛練に没頭するあまり、いい鉄鉱を需めての大陸渡航であった。妻子を残しての事であった。日露戦争が始まる三年前のことである。

 同じ頃、大陸へ渡航した者がいた。長崎県平戸出身の沖禎介
(おき‐ていすけ)である。
 沖は北京で東文学社で教鞭を執
(と)りつつ、一方で、明治36年には文明学社を設立して、清国内で子弟を養った。また明治37年(1904)、日露宣戦布告に際しては、沖は在清の日本人同志らとともに日本陸軍の特務機関に属し、以降の校務は門人に托して、自らは東清鉄道を破壊するため、ロシア軍の『東方輸送妨害作戦』の挺身隊を組織した。星野はその頃、沖と知り合い、その組織に加わった。
 彼らは喇嘛僧を装い、北京を発
(た)って蒙古不毛の地へと至り、更にロシア領まで潜入していた。五十有余日を経て、漸く目的の任務も遂行できて、あと一歩と言うところでロシア国境軍の巡邏隊に捕獲された。
 そのとき星野周作は、その難を逃れて再び清国に舞い戻り、斉斉哈爾
(チチハル)の製鉄業者の孫熈英(そん‐きえい)に匿われた。やがて沖禎介が哈爾濱(ハルピン)郊外で銃殺されことを知る。

 星野周作はその後もロシア官憲から『東方輸送妨害作戦』の挺身隊の一味として追われていた。だが、孫熈英に匿われ、日露戦争が明治38年に終結すると、孫熈英の娘・美麗
(びれい)を娶(ためと)り、美麗ともに満洲鉄道付近の長春(満洲国建国以降、新京と改まる)に棲み付く。
 明治39年、娘の齢姫
(れいひ)が生まれた。星野周作は暫(しばら)くは日本の妻子のことを忘れ、刀剣鍛練に没頭した。それに、娘・齢姫は丙午であった。このことを星野は大いに喜んだ。中国では丙午生まれの女性は火の神に準(なぞら)えて、製鉄鍛練には好ましい神として崇(あが)められていたからである。
 星野は娘の齢姫を、物心ついたときから鍛冶場で修行させた。父親の才を受け継いだ娘だった。その娘を連れて日本に戻ったのは、齢姫が11歳ほど年であったろうか。
 齢姫は目鼻立ちがよく、11歳にしては上背もあった。よく発育した美少女であった。周囲では彼女一人に羨望の的が集まった。
 津村はこの娘に熱を上げた。小学校高学年で、転校して来た満洲からの転校生は憧れの的であり、勉強もよく出来た。齢姫は星野鈴江と名乗り、自らの出生の満洲族の血を消して、日本人になりきっていた。
 高等小学校を卒業して、津村は県立中学に上がり、鈴江は名門の女学校へと進んだ。そのころ星野周作は村外れに『鍛練処・星野』という鍛冶屋を始めた。農繁期は釜・鍬などの農具を作り、農閑期になると刀剣を鍛練した。しかし、妻の旧姓石田静子は、もう再び星野周作の許
(もと)に戻らなかった。かつての女房は琵琶奏者として自らで生計(くらし)を立て、それを生業(なりわい)にしていた。そして娘の珠緒は全盲で、眼は開いているが、視えないのである。完全に視力を失った“開き盲”だった。

 津村陽平は、星野鈴江のセーラー服姿が眩しかった。憧れの女性だった。それぞれは同じ学年だが、津村が15歳で鈴江が14歳であった。鈴江は、学校復
(かえ)りに、跡をつけて来る津村陽平が腹立たしかった。
 彼女は陽平を、矮男
(こおとこ)の癖に……と思う。
 跡をつけた、そこは寂しい村外れだった。
 彼女は、こういう男が嫌いであった。傴僂
(くる)でないにしても、矮男が嫌いなのである。それに陽平は躰に較べて頭がデカい。そのデカさが、また大嫌いであった。
 「あんた、何故、わたしの跡をつけるの?」
 「それは……」津村はしどろもどろになった。
 「わたしを奪う気?……、チビの小人
(こびと)さんで。奪うなら奪いなさいよ。でも、矮男なんぞに、タダで奪わせないわよ。わたし、こう見えても高いのよ。
 分る、小人さん。わたしは高級娼婦以上に高いの。高価なの。あんたの家、貧乏でしょ、極貧でしょ」
 「うム!……」
 こう言われると些か我慢ならない。頭脳明晰な津村も、心穏やかでなくなり、自分の肉体を揶揄され、家の貧乏のことを言われると、腹が立つ。怒り心頭に来た。そうなると普段の冷静さを失う。
 「あんた、それでも男?……。わたしと添え寝して貰いたいと思うのなら、あんたの母様か、父様の隣にでも入れてもらって、おチビさん同士で慰め合えばいいのよ」
 「もう赦さん!お前がそこまで言うなら……、お前は、もうオレの女だ。お前を遠慮なく奪う!」
 「何をバカな……」見下して意に介さない。
 「既に、お前は俺に仕えている……」
 「口先ばかりでは、何とでも言えるわ。チビの小人さんに資格などありません」
 鈴江は津村を臆病者と検ていた。
 「オレをそこまで愚弄
(ぐろう)するか!」陽平は吼(ほ)えた。
 「ええ」
 陽平が猛り狂ったのとは正反対に、鈴江は冷静に、冷ややかな返事をした。
 「ならば、見せたいものがある」
 津村は度胸を験されていると検
(み)たからである。
 「なにを?」
 「これだ!」
 袴を捲り揚げ、天を衝くような、巨大な松の節くれのような一物を見せた。躰とはアンバランスで、とにかく一物はデカい。大人の、“並み”ではない。天下の上品
(じょうぼん)だった。最高品質と言ってよかった。
 津村の県立中学では洋服の制服が主流であったが、一部の貧しい家の子弟は紋付の着物に袴であれば、それもよしとして看做されていた。
 「……………」それを見た鈴江は唖然
(あぜん)とした。同時に、巨根に魅せられた。憑(つ)かれた。
 津村は、もう一度、鈴江に言った。
 「お前は、既にこれに仕えている」
 鈴江はその言葉の暗示に掛かったように「はい」と返事してしまった。彼女は完全に毒を抜かれていた。気付いたら、一物に奉仕していた。強引に押し入って来る巨根を、陰唇一杯を広げて、男女の契を結んだ。

 やがて鈴江を、津村家に入れた。年齢的には少年少女だが、陽平は鈴江を娶
(めと)った。父・十朗左衛門も反対しなかった。嫁の美貌を讃えた。そして男子が生まれた。
 生まれた男子は一貫目
(3,750g)はあろうと思われる玉のような赤子であった。生まれながらに健康優良児であった。
 しかし、それから暫くして姿を消したのである。
 鈴江は普段から、「満洲は日本人のものでない。満洲は満洲民族のもの。満洲から日本人を追い払わねば」という考えを持っていた。いつの頃からか、日本の地下組織の排日運動にも参加するようになっていた。彼女が乳飲み子を置いて、姿を消したのは、そのためだったかも知れない。鈴江は母親になるより、かの国の愛国者になる道を選択したのである。妻・鈴江は、否、孫齢姫は熱血なる愛国者であった。
 津村は乳飲み子を抱えて難儀した。彼が15歳の頃であった。
 乳飲み子を抱えて、父・十朗左衛門とともに、貰い乳をするために村中を駆け廻った。
 村人からは、口々に「かつての神童
(幼少年期の津村陽平)も、これでは形無しだ。乳飲み子まで押し付けられたうえに、てめいの女房にまで逃げられて何と言う態(ざま)だ」と揶揄された。

 そんなとき、旅の琵琶法師に出遭った。
 琵琶法師は女であった。目癈
(めしい)たる女であった。その女が鈴江によく似ていた。年齢差はあったが、体形といい、貌形といい、姉妹と見間違うほど、よく似ていた。
 目癈たる女の名を珠緒といった。筑前琵琶の名手であった。女琵琶法師が、やがて津村家に居着いた。
 居着いたのは訳あってのことであった。そのうち身許が分かった。珠緒と鈴江は異母姉妹という。珠緒の母親
(旧姓を石田静子)は日本人。鈴江の母親(孫熈英(そん‐きえい)の妻・孫美麗)は中国人であった。
 津村の家に姉が遣って来た。旅の琵琶法師ということで……。名目上はそうなっていたが、姉・珠緒には負い目もあったようだ。
 最初、女琵琶法師は、乳飲み子に手が掛からなくなるまでという事で暫くの間であったが、以降、陽平が懇願して、陽平と珠緒は幼子を抱えたまま夫婦
(めおと)になった。この夫婦は、身長差も然(さ)る事ながら、年齢差が14、5歳ほど違っていた。
 陽平の絵への意欲が、夫婦の縁を繋いだのかも知れない。陽平は妻をモデルによく絵を描いた。そして中等学校を卒業して暫くすると、予科へ通い、後に東京造形美大へと進んだ。目癈たる妻は良人の金銭面を支え、また養父の面倒をよくみた。妹への我が儘と、子供の押し付けに負い目を感じて、ひたすら仕えていたのかも知れない。

 「姉様、お亡くなりになったそうですね?」
 「ああ、三年前……」
 「どうして?」
 「誤って、崖から転落した」
 「それを本当に信じてらっしゃいますの?」
 「……………」陽平は憂鬱な貌になった。
 「その貌から察すると、本当は殺された……のでは?……。どう?図星でしょ」
 「オレが手を下さんでも……、やがて天がなァ……」
 「それは、甘いんじゃありませんこと。それでも、あなたは姉の亭主ですか!」叱咤するように迫った。
 男勝りの鈴江は、昔からそうであった。強気で物を言う女であった。
 「オレを責めるか……」
 「女房の仇
(あだ)も討てないで、もと亭主面は、肩身が狭うございませんこと?」
 「馬鹿なことを……」
 「珠緒姉様の亭主が、聴いて呆れますわ。ああッ……、何とも情けない!」
 鈴江は利
(き)かん気に挑発していた。
 「それで、手のこんだ気配を残して、オレを呼び出したのか」
 「お気付きになりましたか」
 そこまで見透かされているとは思いもよらなかった。陽平は背筋を鞭打たれたような衝撃を受けた。

 「日本名、星野鈴江。中国名、孫齢姫
(そん‐れいひ)。オレをどうする気だ?」
 「此処で斬っても宜しいのですが……。さて、あなたさまは、如何お望みでしょうか。それとも、地べたに這
(は)い蹲(つくば)って、命乞いでもなさいますか?……」
 「命乞いをしてもいい……」
 「それで、あなたは、よろしいの?」
 「オレには、お前が殺せん。だから、オレがカマキリの雄
(おす)になろう」
 「啖
(く)われてもいいということですか……。ところで、次郎はどうなりましたか?」
 「お前に似て、頭脳明晰で中々の美男子だ。背丈もある。オレとは違う。何から何まで正反対。
 伯爵・沢田翔洋の養子となって、英国留学の経験を持つ。ケンブリッジ大を経て、東京帝大法学部の出身者となった。のち高文官
(高等文官)となり、今は陸軍法務官で行政権と司法権を持つ憲兵大尉」
 「つまり、わたしとは、敵・味方と言う関係ですか」
 「そうなるだろう」
 「そして国益を巡って、母子
(おやこ)で争う……。皮肉なものですわ」
 「次郎の母親は、お前でない。死んだ珠緒だ。次郎に、お前の面影などない。あるのは珠緒の面影だけだ」
 「悲しいですわ」
 「それを、お前は望んだ」
 陽平は鈴江を責めるように言った。

 「わたし、もう直、母国に帰りますわ。あなたは?」
 「オレも彼
(か)の地に行く」
 「あなたとも敵・味方ですか、津村少尉殿」
 鈴江、つまり孫齢姫は、何処か自己破壊的なところがあった。
 「ではなぜ、林昭三郎を斬った。林老人は、斬らずとも、病んでいた。悪性腫瘍が全身に廻り、余命はそう長くなかった。それを、なぜ斬った!」
 鈴江はうなだれた。小娘のような貌になり、その貌はまさに、彼女の少女時代の再現であった。
 「お赦し下さい……」
 小娘の仕種
(しぐさ)で、着物の袖で貌を覆った。
 「化けるか、女狐!媚でオレを誑
(たぶら)かすか」
 「あなたは、あなたの道をお行きあそばせ。所詮
(しょせん)交わることとのない水と油……。
 ただ最後に、お願いがあります」
 「なんだ?」
 「これ、次郎と別れたあと、母国の鉄鉱の玉鋼で作った独楽
(こま)。この独楽、日本の貝独楽(べいごま)にも負けませんわ。もう、こういう物で遊ぶ年ではないでしょうが、あなたの息子に、渡す機会があったら、いつの日か……」
 そのあとは涙声になって言葉にならなかったが、わが子に《おそらく、至らない母を赦して……》とでも言おうとしたのであろう。陽平はそう思った。
 「分った」そう言って、小さな鋼の独楽を受け取った。
 「いつの日か……。ごきげんよう」と鈴江は、何かに後ろ髪を引かれるように言った。
 やがて空が白んでいた。そして人の近寄る気配を感じた。
 「人が来る……、行け!」と短く叱咤した。
 もう、そのとき鈴江こと、孫齢姫は消えていた。齢姫はよく訓練された細作
(しのび)であった。武器は自身の美貌と、逆刀造りの刀剣で、敵の欠盆を切断する秘術である。そして細作らしく、媚術をよく遣う。
 大した女狐だと津村は思った。あるいは60年に1回巡って来る丙午の勢いがそうさせたのか……。

 「班長殿、ご無事でしたか。いま誰か居たのでは?」兵頭仁介だった。
 兵頭はキャサリン・スミス少尉を伴っていた。
 「何でもない、何事もなかった」
 津村陽平は、鈴江との会話をこの二人は、聲
(こえ)は聴こえないにしても、二人の検て居たのではないかと思った。キャサリンには、遠くの聲は聴こえなかったであろうが、もしかすると遠望しながら、陽平と鈴江の口の動きを見て、読んでいたのかも知れない。
 陽平は、鈴江が言った「いつの日か……」が、心に降り積もるように堆積した。
 そして自らも《いつの日か……》と呟いていた。




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