運気 八門人相 房中術 癒しの杜 菜根譚 小説 会報Back No. 合気 蜘蛛之巣伝 死の超剋 霊的食養 心法
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続 壺中天・瓢箪仙人 34

物事は必ず衰勢がある。決して一方的に偏ることはない。
 月盈
(み)つれば則ち食す。栄枯盛衰の法則だろう。
 この現象を起こしているのは、いったい誰か?……。
 万物の生成者と言う点に注視すれば、どうしてもそれは汎神論的になり易い。あらゆるものに神が宿り、一切万有は神であり、神と世界とは本質的に同一であるとする宗教観あるいは哲学観に陥り易い。

 また生成者でなく法則に注視すれば、原始仏教や現代物理学の要に函数理論に傾いてしまう。
 その一方で東洋思想の根底を成す『易経』は、生成者と生成法則とを同時に注視すれば、思想と言うものが浮かび上がって来る。

 『老子』の「第十六章」には、こうある。
 「虚を致すこと極まり、静を守ること篤
(あつ)くすれば、万物、並びに作(おご)るも我は以て復(かえ)るを観る。夫(か)の物の芸芸うんうん/草の香を指す)たる、おのおのその根に復帰す。根に帰るを静といい、これを命に復るという。命に復るを常といい、常を知るを明という。常を知らざれば妄作(もうさく)にして凶なり。常を知れば容なり。容なるは乃(すなわ)ち公なり、公なるは乃ち王なり。王なるは乃ち天なり。天なるは乃ち道なり。道なるは乃ち久しく、身を没するまで殆(あや)うからず」

 その一方で、『道』については「六十章」には、更にこうある。
 「道を以
(もっ)て天下にのぞめば、その鬼は神ならず。その鬼の神ならざるのみに非(あら)ず、その神も人を傷付けず、その神の人を傷付けざるのみにあらず、聖人もまた人を傷付けず。その両(ふた)つながら相傷付けず、故に徳こもごも帰す」
 この言葉の背後に『易経』的倫理と『老子』的教訓が流れていることは明白である。


●一足不退

 世の中を、また人を、本当に動かすのは旗印でな行く、実行力であると、これまで信じてやって来た。
 また、実行力こそ人を、あるいは世の中を動かす原動力であることは誰も疑う余地がないであろう。
 ゆえに本来ならば、旗印など無くても済めば、それにこしたことはない。無いがいいに決まっている。しかし無くてもいいと思う旗印が必要な時がある。決意の程を示す場合は、それに託す旗印に、その信念を顕さねばならないときがある。

 旗印など必要とせず、日々の平凡なる生活において、慎ましく自分に鞭打って、非日常に遭遇することのない人は幸いである。
 だが戦場と言う非日常に遭遇すれば生き抜くための旗印が要
(い)る。自らに掲げるものが要る。
 夕鶴隊はその旗印に「一足不退」を掲げた。もう、これ以上「一歩も退かないぞ」という決意と信念の顕われである。後世に必ず「根」を残すために、夕鶴隊はこの旗印を掲げた。
 この「一足不退」とは、戦いの中に向かって突き進んで行くことでない。生き残るための一足不退である。生還するための一足不退である。そのための戦いであった。よりよい負け方をするための戦いであった。

 徴用で集められた女子遊撃隊はその後「夕鶴隊」と呼称され、儀仗隊
(ぎじょうたい)編制に併せ、旗印の旗衛隊(きえいたい)をも編制した。旗衛隊は旗印を掲げ、その精神を顕すのが「一足不退」であり、この信条こそ、夕鶴隊編制の主旨であった。
 旗衛隊は旗印は、ライトブルーの青地に黄色い月、そして中央に一羽の鶴が描かれたものである。その鶴は仙禽
(せんきん)であり、鶴と仙道の関係は深い。
 『列仙伝』によれば、王子喬
(おう‐しきょう)という仙人の話が出て来る。
 王子喬は五嶽
(ごがく)の一つの嵩山(すうざん)の登って三十年を経ていた。そこへ彼を捜しに人の前に姿を顕した。そして伝言した。「七月七日に氏山こうしざん/河南省)の頂上で待っているように家人に伝えて欲しいと恃む。当日、その通りに頂上へ王子喬が白い鶴に乗って遣って来た。迎えに来た者は遠くから眺めているだけでそこへ行くことが出来なかった。王子喬は手を挙げてそのまま別れた。それは訣別であった。そして彼は鶴に乗ったまま飛び去ってしまった」と言う。
 鶴は仙界の霊鳥とされ、長寿を顕し、高貴の尊い鳥とされている。気高さの象徴である。孤高を持す。深遠を顕す。
 それはまた、戦場に臨んでは、一歩も退かないぞという「一足不退」の誓画
(せいが)でもあった。

 この旗印を見て、誰もが好感を持つとは思われないが、しかし一羽の鶴は、月へと向かう不退転の意識の顕われであり、当然のことながら、陰では陰口の聲
(こえ)も聴こえない訳ではなかった。批判はあった。そして冷ややかに、『夕鶴隊』と名乗る女性戦闘集団を見ていたのである。
 陰口には、「一足不退」とは少しばかり傲慢
(ごうまん)過ぎはしないか……。そのように見る節もあった。
 あるいは“思い上がった自惚れ”と採
(と)ったのか……。その嫌いはあった。
 しかし彼女らは、それを肯定も否定もせず、黙々と……と言うところがあった。
 確かに、そういう陰口が囁
(ささや)かれていた。昭和19年6月19日のことである。この日、日本海軍はマリアナ沖海戦で空母3隻、航空機395機を失っている。
 また同月の15日にはサイパン島に米軍が上陸し、この日から7月7日までのサイパン島玉砕に向かって歩み始めるのである。それは死の行進であり、日本と言う国全体が破局へ向かう「亡国の行進」でもあった。
 だが、夕鶴隊は亡国への行進隊ではなかった。生還するために「一足不退」を掲げたのである。

 こうした状況下で、『タカ』計画準備委員会のメンバーは緊急会議を開いた。
 予想した以上に時流の流れが早まっていたからである。
 予想した以上に早過ぎる……。誰もが同じように感じた時期であった。そして「何故だ?」と、メンバー達は思うのである。情報が漏れているのではないか?……、その疑いが拭えなかった。
 緊急会議に呼び寄せられたのは、夕鶴隊の主任教官のアン・スミス・サトウ陸軍航空士官学校顧問少佐、次席教官のキャサリン・スミス陸軍航空士官学校顧問少尉、教官の兵頭仁介陸軍准尉、観察者の林昭三郎古神道神主の四名に、主宰側の議長の鷹司友悳陸軍参謀本部中佐、副長の沢田次郎東京憲兵隊大尉、相談役の来栖恒雄陸軍参謀本部少佐の合わせて七名であった。

 「来栖君、いったい外事諜報の分析はどうなっているのかね、予想以上に早過ぎはしないか?」と少し苛立った口振りで詰め寄る鷹司。
 「わが方の情報が漏れているとしか思えん、だが分らん!……」と来栖。
 一体誰が洩らしているのか。何で、こうまでに筒抜けなのか?……、その疑念が消えないのである。
 日本はこの時期、明らかに情報戦では敗れていた。機密情報が内部から洩れていたからである。それもかなり高い位置からの極秘といわれるものが敵国に流れていた。更には、背景にある現実としての「情報が漏れる構図」である。

 「既に国内には、わが国の城門を内側から開こうとする者がいるからです」と冷静さを崩さない沢田。
 いつもこの漢は、冷徹に物事を考える冷静さを持っていた。大して乱れないし、慌てない。
 「内側から城門を開こうとするのは誰です?」と鷹司。
 「参謀本部と内務省です。しかしその人物が特定出来ません、こちらから間者
(スパイ)を送って内務省から情報を仕入れる必要があります」と沢田。
 「堀川久蔵を潜伏させているのでは?」と鷹司。
 「その堀川から、参謀本部の大きな鼠が何匹か居ることを突き止めました」と沢田。
 「その何匹かは、複数のなのか、それともそれぞれが単独に買国行為をしていると言うことかね」と来栖。
 「来栖さんの足許にも一匹おりましたがね」と冷ややかに言う沢田。
 だが、それは本星ではなく、雑魚と言う意味であった。
 「なに?!私の足許に?……。誰だね、それは!」
 「外事諜報班員の前川参謀
(大尉)です」沢田が断言的に言った。
 「なに?前川が……。信じられん!」一見耳を疑うような来栖の口調。
 「来栖さん、それはまだほんの細やかな序曲ですよ。前川参謀を囮
(おとり)に使って、もっと大きな鼠を炙(あぶ)り出しましょう」
 沢田はいつも、人が想起し得ないことを易々と遣って退ける。そして時には、何処かに繋がる力を持ち、あるいはそれを一気に遮断して、自らの手の裡は見せないのである。老練と言うより、一種独特の老獪さを持っていた。
 「当りは、ついているのだろう?」と来栖。
 「意外に大物かも知れませんが、いまは確たる証拠が……」
 「それで前川は、どういうトリックに掛かったんだね?」と来栖。

 「なあにィ、簡単ですよ。結局、女です。武勇を気取るものが、至って美女に弱い。中国から送り込まれて来た日本国籍を持つ美人芸者。彼は、この種の美女に転んだ。
 何しろ日本はスパイ天国ですからねェ、この島国に入り込むのは簡単ですよ。新京・大連間の満洲経由なら意図も簡単に入ってこれる。関東軍の参謀本部とも繋がり、満洲には花柳界の芸妓の巣窟がありますからね。
 これは中華民国軍の間者も八路軍から送られた間者も、そこを経由する。その経由先にナチス独逸がいて、更に延長線上に米国が居たと考えれば、どれも一直線上で繋がる簡単なトリックです。しかしこの簡単なトリックも、仕掛けられた方は全く自覚症状がなかった……。自称潔癖人間の末路です、官僚の盲点でといいますか。自称真面目と言うのは、こういう簡単なトリックに搦められます」
 外国の諜報員は、情報と盗まれたと言うことを感じさせないで盗み取って行く。それに日本の官僚は気づかないのである。
 沢田次郎は日本がスパイ天国になっている状況を説明した。そして日本人の島国的な甘さまで指摘した。

 更にである。
 金・物・色に併せて、食糧難に付け入って次の物が誘惑材料となる。
 そもそも物資難とか食糧難とかは、持てる者が持たざる者に用いる「備蓄は無い」の構図である。「あと六ヵ月分しかない」と言う構図である。資本主義の常套手段である。
 斯くして、資本主義社会では物が余って在庫調整が巧くいかずに不景気が起こる現象に併せて、物が余っていても「売ってあげないよ」の捏造で、物無しを起こす風評現象である。
 その誘惑の一つに、“自分だけ、あるいは自分の家族だけは物資難の時代に充分の足りている”という現象である。
 例えば、米や麦などの穀類、鳥獣の肉、卵、油、農作物及び落花生、ほか衣類などは専ら高級軍人の専用品であり、上司や各機関各部署の幹部との関係をよくするために不可欠な接待用品であり、また潤滑油として利用される物である。更には生きるために必要な食糧から医薬品までもを管理して、これらの物品で部署の課員を牛耳る幹部達は、物品
(食料品など)を潤滑に使用する。戦時ではこれが顕著のになる。
 それゆえ工作員も金・物・色で猟る方法を巧みに遣う。
 これに加えて“安泰法”なるものがある。
 それは上下関係においても、横の関係においても、他人が互いに憎み合い、常に対立していれば、一握りの頂点の指導者はそれだけ自分の地位が安定し、安泰するという策を用いる。演出である。上下間の下克上とて同じだった。

 ナチス独逸から軍事顧問団を招いた中華民国軍も、ソ連から支援を受けている八路軍も、スパイ活動をするに当り、軍から選抜された、且
(か)つ、身分を変えた若い女性を主力として日本に送り込んで来る。
 かつての主力は芸妓に化けて軍隊官僚に取り憑いたが、現在では政治家経由が多い。
 また紹介する政治家さえ確保しておけば、今日では「通訳」として、どのようなターゲットにも送り込め、かつ貼付けることが出来るからである。
 何しろ、かの国は、かつて殷
(いん)の紂王(ちゅうおう)に妲己(だっき)を貼付けた歴史を持っている。
 それも、孔子が「礼法の祖」として尊敬していた周公旦が殷を撃つために仕掛けた、妲己はとんでもない秘密兵器であった。そういう事を企てる。その点から言うと、日本人以上に役者が一枚も二枚も上の国である。表面は真面目腐った官僚など、転ばせるのは分けもないことである。そういう高等訓練を受けた手練が、日本に続々と押し掛けて来る。真面目さだけが取り柄で、疑うことを知らない、間抜けで、お人好しの、可もなく不かもなくの日本人では全く歯が立たないであろう。

 更に遡
(さかのぼ)って、戦中の昭和陸海軍を思えば、この種の軍隊官僚は、巧妙な恋愛に搦めた色仕掛けで転ばせるのは簡単であり、それも転ばされた方は全く自覚症状を感じないのであるから、その技術はイギリスの情報部に匹敵するくらい最高水準のものであった。
 この当時、日本の陸海軍の中には、海外の情報筋にインスパイアされた軍隊官僚が少なくなかった。作戦の変更や、無謀な作戦を企てる愚将はこのようにして画策された。型に嵌められて行った。そして底辺の一般国民を愚将どもが苦しめていた。国が亡ぶ暗示である。

 平成3年当時、日本の、特に商社マンは近隣諸国からエコノミックアニマルと揶揄
(やゆ)されていた。今日でもその延長上にあり、そのように近隣諸国から軽蔑されている。だが、この軽蔑を自覚する日本人は少ないようだ。
 特に、ある華僑雑誌にはこのような記事が掲載された。今でも記憶に新しいことである。
 「強者に媚
(こ)び、弱者を見くびり、北京の独裁者に、金を貢(みつぐ)だけの三流政治家しか選ぶ能のない経済動物」
 この侮蔑的な指摘は、まだ日本人の記憶に新しい。しかし、此処まで侮蔑されて、それを謙虚に反省する日本人は少ない。そして、昨今の現実を見ても、今日の日本人の多くは、中国大陸に、かつての満洲国と同じような砂上の楼閣を築こうとしているのである。企業展開においては、あの頃と殆ど変わっていない。

 「爺さん。以前、火の雨のことをいっていたなァ」と沢田が、神主の林昭三郎に訊いた。
 「ああ、言った。不吉は続くものじゃ。不幸現象は連続する、一回で終わらん。悪い時には悪いことが起こる。もう直、火の雨が降る」
 「いつだ?」
 「今は分らんが、独逸が万歳した後の事じゃ」
 「独逸は負けるのか!」
 「負けはせんよ。自分らの根が絶えんうちに、首領が潰えて、それで見掛け上は、解放されて終わりという構図を作る。巧妙だよ。全く巧いことを遣り居
(お)る。伊太利(イタリア)をみれば分るじゃろう。あの国、もう直、万歳するぞ」
 イタリアには連合国側の政治工作で独裁体制から、国民は離れつつあった。黒シャツに飽きたのだ。

 イタリアは早々と、『日・独・伊の三国間の軍事同盟』から抜けて、結局ムッソリーニを血祭り
(1945年4月28日処刑)に上げてその後、連合国軍に加担した。日本と独逸潰しに奔走した。しかし独逸にも、ヒトラー暗殺計画などが起こりはじめていた。作用と反作用である。現象界の掟(おきて)であり、誰もがこれに翻弄(ほんろう)される。
 日本でも東条暗殺が囁
(ささや)かれていたが、実行には至らなかった。政権交替が目的であったからだ。

 「では、日本だけが往生際悪く、まだ負け将棋をするのか!」と迫るような訊き方をする沢田。
 「参謀本部では、昭和20年9月半ば頃に本土決戦を計画している」と来栖が奇怪なことを言った。その肚が固いらしい。
 しかし火の雨が、日本人の頭上に降り注ぐことには、全くと言っていいほど気づいていなかった。

 歴史を見れば、独逸はヒトラーを吊るし上げ、ムッソリーニ式の血祭りで、来年半ばには戦争を終結させるという運びになる。そうなると、残るは日本ただ一国。結局、以降は世界を相手にして戦うことになる。これこそが、とんだ負け戦を背負い込むことになる。その懸念が大であった。そのうえ日本人の頭上に人工太陽の火の雨が注ぐ。その前に終結させる必要があった。
 
 「大変な貧乏くじです、遅過ぎましたね。講和に持ち込む時期が……」と沢田。
 沢田は、これまでに何度か、講和に持ち込むチャンスがあったが、それを事あるごとに潰して来たのが陸軍の遣り方であったと指摘したのである。血迷って、勲章ばかりを欲しがる将軍達は日本の未来を見ず、自らの目先の欲ばかりを追っていた。これでは幾ら下士官が優秀でも戦争には勝てない。
 もともと日中戦争の構造
【註】ナチス独逸が中国の軍事顧問団に加わり、優秀なドイツ製の武器を商う国家構造)だけでも分析していれば、泥沼の中国戦線での無駄金は浪費せずに済んだからである。余力を残して、英米と構えることが出熈なのである。

 当時の日本は国際感覚はゼロで、高級軍人の多くは無教養者が多かった。単に狭き視野の、短見的な戦争屋であった。暴虎馮河の類だった。
 更には、情報に疎
(うと)く、この時代の戦争は情報戦であることを戦略の中に組み入れてなかった。戦略より戦術にこだわり、この戦争を事務的能力の処理で勝てると信じ込んでいた。大局観はゼロであった。
 囲碁や将棋での平面ゲームには名人級がいても、三次元立体戦争を戦うゲームには勝てない。囲碁や将棋名人は戦争を指揮する指揮官ではないからだ。
 二次元思考で、三次元立体戦は戦えないのである。則ち、戦略とは図表で顕す二次元的なものでないからである。
 昭和16年12月8日以降の戦争は、航空機や潜水艦による三次元立体戦争に変化した。陸軍的な陣取り合戦のような戦術では勝てなくなっていた。幾ら下士官や兵が優秀でも、高級将校の采配が拙
(まず)くては出る結果は「凶」でしかない。
 それに情報戦においては、下士官や兵、また下級将校の未熟な戦術や戦闘では勝てない。グランド・デザインを想起する大局観が要る。

 特に、自国内に巧妙な敵国の間者が紛れ込んで、政府高官しか知り得ない機密情報を引き出している事に気付かなかったのである。
 今日の中国人民解放軍
(前進は国民党の指揮下の八路軍や新四軍として、日中戦争や支那事変を日本軍と戦い、この戦争を勝ち抜いた)の総参謀部第二部には、かつての八路軍を躍進させた大戦当時からの情報戦を積み上げて来た蓄積を持ち、現代でもこの部署の活躍は目覚ましいものがある。日本人の想像を遥かに凌ぐ。日本など到底太刀打ち出来ない巧妙な工作を行う部署として、ごく一部の者だけにしか知られていない。この部署の暗躍は、大戦当時から国際連合軍とともに工作活動に暗躍したと言う。そして驚くべき事は、この部署の現在の活動資金の出所は、日本の無償援助で、日本工作に活動していることである。
 まさに毛沢東が言った「資本家が作ったロープで資本家を吊るせ」だったのである。この部署の脳裡にあることは、敵対相手国をダシにして、ペテンと策略に掛けることしかないのである。

 また策略に特長としては、長年に亘って米国の核や宇宙兵器の技術を盗んで、時刻の兵器開発に充てていることである。その開発にも、日本からの無償援助によって行われていることである。
 更に台湾に至っては、南米からの投資を騙
(かた)り、政府転覆の資金を送り、老練な佐官クラスの手練によってこの部署が運営されていることである。
 日本は戦前・戦中・戦後の時代を経て、現代の平成に至っても、世界でも有数なスパイ王国である。
 特に中国のスパイ活動については、全軍から選抜された「超」がつく美人の若い女性で構成されたスパイ集団がおり、この工作員は中国政府が紹介する「通訳」として、日本に続々と送り出していることである。この工作員が日本の与野党の政治家や官僚に貼り付き、その動きを把握していることである。また財界のトップにも貼り付いて機密情報を入手していることである。

 近現代史では、この活動が盛んになったのは近年のことであり、1996年7月頃から活溌になり、現在も工作活動の延長線上にある。この危険性を問い始めたのは、日本のある政治家であり、北京政府の日本語通訳官として送り込まれた女性工作員と政治家の交際問題を上げたことで一時期騒然とさせたことがあった。与野党の政治家が、日本国家に対して売国的行為を働いていることは疑いようもない事実である。
 こうした動きが、既に大戦末期には日本国内に日本国籍を持つ中国人女性が芸妓などに扮
(ふん)して、満洲経由で日本に入り込んで来たことは事実である。そして陸海軍部の参謀本部(陸軍)や軍令部(海軍)に佐官級の参謀肩章を吊った高級将校に取り憑いたのである。

 国家がその国に戦略を講じる場合、何と言っても先立つものは金である。金なしに、ただ清いだけで、聖戦を標榜しただけで国家戦略を展開することは出来ない。戦争をするにも、また始めた戦争を止めるにしても、結局は金である。金なしで戦争を止めることすら出来ないのである。

 先立つものは金……。
 この金策に、鷹司友悳と沢田次郎、また来栖恒雄を三名の計画者は頭を痛めていた。何処から引っ張り出して来るか、またその呼び水をどう開拓して行くか、とにかく彼らの目論んだことは、まず「成功モデル」を作り上げることであった。それには政治力が物を言う。その要
(かなめ)に女子遊撃隊『夕鶴隊』を置いていたのである。そしてまだ、力を残している間に、一日も早く戦争を終結させる必要があった。

 よりよい負け方をする交渉術のテーブルに就くためと、その開拓ルートを、彼らは最終キーワードとして「M資金」に置いていたのかも知れない。その残像を何処までも追い掛けていたのである。
 戦いは勝手に始め、勝手に終わらせることが出来ないのである。優位な方とか、勝った方が劣性、あるいは敗戦国に厳しい要求を突き付けるものである。戦勝国に保証する損害賠償金も、かなりの額に上る。
 独逸が第一次世界大戦に負けて、ヴェルサイユ条約で、国際連盟規約およびドイツの領土・賠償・軍備制限などに関する諸条項を含む講和条約の調印で、天文学的な賠償金を命じられたことは歴史の示す通りである。
 また、国内ではヴェルサイユ条約により、ドイツの経済は崩壊し、自尊心を傷つけられたドイツ民族は立ち上がり、やがてヒトラー率いるナチスが擡頭することになる。
 しかし、民族が立ち上がるのは、国内の精神的土壌と余裕が残っている場合に限られる。完膚無きまでに叩きのめされると戦勝国の好き放題にされる。理不尽な要求を突き付けられる。その典型が無条件降伏である。

 日・独・伊の三国間で結ばれた軍事同盟は、日本だけが抜けることを取り残されてしまったのである。
 その懸念が、浮上しはじめたのが、昭和19年6月10日の大日本言論報国会でのヒトラーに激励電を打つなどの言論人の総決起大会であった。これはヒトラーの戦争指導が順調に運んでいないことを暗示していた。
 日本は同年の6月15日には米軍のサイパン島上陸を赦している。迎え撃つことが出来ず、7月7日にはサイパン島で玉砕している。また島北端では在留邦人が約1万人ほど自決している。斯くして18日には東条内閣が総辞職することになる。


 ─────余裕のない戦争は、苦戦が強いられる。国力よりも政治的解決に運ぶ軍資金の運用である。金がなければ、始めた戦争すら止めることが出来ないのである。それにその影響は逸早く庶民の日常生活に及んで来る。この解決を急がねばならなかった。昭和19年以降の戦争状態にあった国民は、日本全体に及んで困窮していたのである。
 小学校のある教員は、自らの心情をこのように洩らした。

「私の月給などは遅配欠配の連続で、大体いつのを貰っているか分らなかった。しかし、私はいい。
 授業中、教壇からみていると児童たちの弁当は余りにも貧しく、それ以上に弁当を持って来られない児童がいた。その欠食児童たちは、弁当を持って来て食べている児童の弁当を少しでも見まいとして、じっと机を睨んでいる児童が何人もいましたよ。そして私が所用で東京に出た際、赤坂などでは夜遅くまで赤々と電燈を点けて、何処かの財閥のお偉さんや、明らかに高級将校と思えるベタ金の階級を付けた軍人らが、両脇に芸妓を抱えて、ご満悦だった。私はその時、これは“おかしい”んじゃないかと深く憎み、心の底から憤りを感じましたよ」
  

 この教員はこのように吐露したのである。
 それはまた、陸海軍の高級軍人に対して差別的な不満を述べただけに留まらず、現実の矛盾を吐露したのであった。その、誰にでも分る矛盾を「おかしいんじゃないか?」と疑問を投げ掛けているのである。それは崩れゆく大日本帝国への警鐘であったのかも知れない。
 底辺に居る者ほど、“崩れゆく蟻塚”や“砂上の楼閣”の崩壊は逸早く感じとるものである。
 知らぬは高級軍人ばかりであった。風
(ふう)を読むのに疎かった。

 そして、この貧しい小学校の教員は、島崎藤村の長編小説『破戒』の主人公の瀬川丑松の言に回帰すると言えばいいだろうか。それは、人間には貧富の差があって、生まれながらに平等である筈の人間が、「おかしいんじゃないか?」と……。
 これに回帰するのではないか。
 筆者である私は、此処に登場する津村陽平と、何故か似ていると思うのである。
 明治後期、信州小諸城下の被差別部落に生まれた主人公・瀬川丑松は、「自らの生い立ちと身分を隠して生きよ」と父より戒めを受けて育った。そして、その戒めを頑なに守って成人になる。その成人になった、例えばこの小学校の教員が、丑松の目で、「私が所用で東京に出た際、赤坂などでは夜遅くまで赤々と電燈を点けて、何処かの財閥のお偉さんや、明らかに高級将校と思えるベタ金の階級を付けた軍人らが、両脇に芸妓を抱えて、ご満悦だった。私はその時、これは“おかしい”んじゃないかと深く憎み、心の底から憤りを感じましたよ」となったらどうなるだろうか。
 おそらく、底辺の正直な眼で「日本はこれで、終わった」と言うのではあるまいか。

 傍にベタ金の階級を付けた軍人がいた。その高級将校が無理難題を押し付けていた。そのとき「夕鶴隊」にいちゃもんをつけた将官がいた。
 この将官は女子遊撃隊を芸妓か、酌婦の類
(たぐい)に低く見下していたのである。
 その相手を、アン・スミス・サトウ少佐がしていた。
 「わたくしたち、芸者の類
(たぐい)に検(み)てお酌をしたり、音なら三味線でも何でもいいという楽隊屋で御座いませんのよ。日本国軍の士気高揚のために、音色(ねいろ)を通じて、国民を啓蒙し、情報戦を戦っておりますの」
 彼女は、物分りの悪い、夜郎自大の将軍に対して厳しい言葉で遣り返していた。
 「何を言うか、女如きが!……」
 女に戦争は分るかという言い方だった。
 この将軍は『夕鶴隊』の歌とフルートの分列行進を、額田屋の「音芸者」と揶揄し、侮蔑したのである。

 「わが国は神風の吹く神国です。女如きとおっしゃいましたが、天照大神は女では御座いませんこと。それに閣下のお母さまも女じゃありませんこと。まさか閣下は……、男からでも?……。いったい誰から、お生まれあそばれましたので御座いましょうか」
 「うム!?……」言葉に窮した。
 しかし、参謀本部兵站総監の霧島太郎
(仮名)中将は、年甲斐もなく怒りに流され、冷静さを失っていた。思わず手を振り上げた。
 その手を、すかさず制する者があった。
 「お止めなさい、霧島閣下!」
 「何だ、貴様は!」
 「東京憲兵隊の沢田です」
 「なに!貴様が『視察人』か……、高が憲兵風情が!」
 「霧島閣下、言葉を慎みなさい。私は、あなたを陸軍大臣の命により逮捕することも出来ます!」
 「うム……、言わせておけば……。東条の犬めッ!」
 「私は東条閣下の犬でもなければ、帝国陸軍の犬でもありません」
 「では、なんだ?!」
 「陛下の一僕
(いちぼく)です。言わば日本国の番犬」
 「うう……ん?!……。貴様ッ、海軍の犬だなァ」
 「あなたは陸軍だの、海軍だなどと、そういう古い縄張り意識で、この大東亜戦争を指導して来たのか!」
 「うム……」悔しさに顔を歪めるばかりだった。
 沢田次郎の厳しい追求は有無も言わせない鋭さがあった。

 「そういう古い考えでは、国民の血と汗の血税を浪費しながら、この負け戦の結末、いったい国民に、どう申し開きするおつもりですか!」
 「うム……。若僧が小賢しいことを言う……」と忌々しそうに言う。
 「霧島閣下。あれを御覧なさい」
 「うム?……。あれは娘ではないか!……。娘は参謀本部第18班のタイピストだった筈だが」
 「お嬢さまは、今日より女子遊撃隊へ転属になりました」
 分列行進をしている霧島祥子を指した。
 「貴様か、娘を巻き込んだのは?」
 「本人の熱望です、唆
(そそのか)した訳ではありません」
 沢田の言葉遣いは軍隊用語を使わないだけに、逆に威圧感があった。それが違和感となって、妙に恐怖感を抱かせるのである。脅しの話術である。
 「うム……」
 まだ往生際悪く、唸る声を上げていた。
 「閣下、われわれに協力して頂けませんか」
 それは囁くような言い方であった。
 「協力だと?……」不信そうに訊いた。
 「あなたは、われわれを推薦し、少々口添えして頂ければ、それだけで、あなたの身は安泰です。身体の安全を保証しましょう」
 なおも、沢田は囁くことを忘れない。囁きで畳み掛けていた。巧妙な話術である。
 「……………」
 霧島の貌は正体不明の恐怖に困惑していた。
 それは沢田の吐いた言葉に不気味な意味合いを含んでいたからである。安易に相槌を打てるものでもなかった。それゆえ急に不安に駆られたのである。あるいは一つのことが因縁となり、そこから徐々に傾斜して行く仕掛けがあるように思われたからである。

 「私は誰からも警戒されている俗に云う『要視察人』です。煙りのないところに、うろつくほど閑でもありません。しかし、です……。煙りのないところに煙りを上げても、互いに利するところはありますまい。これだけ言えば、お分りの筈……」
 囁いているが、明らかに静かな威圧感のある脅迫であった。
 このように脅され、諭
(さと)されて、霧島太郎は口を噤(つぐ)んでしまった。それは沢田次郎の言いなりになることでもあった。傾斜した戸板の上に坐しているような錯覚を覚えたからである。更にはこれまで信念にも似た己の矜持(きょうじ)までもをこの「視察人」と称する憲兵から、ぐっと掴まれ、不気味な、また意味ありげな言葉で呪詛に掛けられた錯覚に陥ったからである。

 世の中には、一定割のクズがいる。どんな組織のも、どうしようもないクズがいる。
 そのクズが、時として蟻の出入りする穴を開け、そこから一気に崩しかける大きな穴になる場合がある。
 それは賄賂
(わいろ)などを受け取り、そこで完全に自らの矜持を掴まれてしまうからである。そうなると、どうしようもなくなる。
 溺れる者とは、矜持を掴まれ、クズに陥って行くプロセスに存在するのではないか。
 どうしようもないクズと、信念を曲げずによく働く愛国者。それは天地に開きがあるように思われた。
 しかし真の愛国者とは、自らが、“愛国者で御座い”というカチカチのポーズなど普段から執
(と)っていないのである。むしろ、いい物は奥に仕舞って見せないものである。ポーズを作っている者こそ、クズを曝しているのかも知れなかった。甘いと、今頃気づいても後の祭りなのである。

 また、どうしようもないクズと同量の、どうしようもないくらい、よく働く優秀なる成分の持ち主がいる。
 他人のために身を捧げる、そういう素晴らしい生き態
(ざま)をしている人がいる。
 しかし、残念なことに、上位と下位の中間にいる、特にいい事もなく、悪い事もない中間層がいて、世の指導的立場にいある者は、いつもこの階級を甘く見ている嫌いがある。気を遣うのは、どうしようもないクズにである。このクズにまで、指導層は、わが人気を得ようとする。
 こうした場合に指導層の眼は、クズの我が儘や傲慢に眼を向け、肝心なる、その他大勢の存在を忘れて、クズのご意見伺いをして、更に取り込もうとわが人気下に同意を得ようなどと、謀
(はかりごと)をする。これが愚である。
 もう一度繰り返そう。
 昭和陸軍の盲点並びに欠点を……。

 それは、積極策が受けた下克上ではなかったか。カチカチのポーズは工作員から見れば、簡単に崩せる蟻塚のである。土台の不安定な砂上の楼閣なのである。築くことが、虚しいのである。
 この下克上を黙らせ、口を慎ませるにも金が要るのである。人間が打算で動く所以である。また、それが不憫な事であった。
 斯くして、人間がロボット化される官僚の弱点があった。猟られたのである。猟り易いから猟られたのである。人間は、金・物・色の何れかで猟られるようになっている。
 参謀本部兵站総監の桐島太郎中将は、要視察人の憲兵大尉・沢田次郎から猟られたのだと思った。


 ─────またこの時期、林昭三郎は、この時代にしては些か高齢で持病を持っているらしく
、よく「疲れている。寝かせてくれ」などと口走るようになっていた。老人は自身の寿命が余り長くないことを悟っていたようだ。
 その度に沢田は「爺さん、もう少し付き合えよ」と、宥
(なだ)め、賺(すか)すのだが、御老体はそうもいかないらしい。
 「この辺が、そろそろ娑婆を去る汐時だと思っている」などと、自身の長居を悔やむことを言い出すのであった。
 「もう少し付き合えよ」は、「そろそろ汐時だ」という言葉で否定されてしまうのである。
 その一方で、年末頃に起こるであろう、東南海地震と火の雨を予言し、“時期は審神者に委ねて訊け”となっていた。その審神者役をキャサリン・スミスが遣るようになっていた。サイパンの悲劇も予言していたが、ついに現実のものとなっていた。玉砕も秒読み段階で、此処が落ちれば、一気に火の雨まで持って行かれる懸念があった。米軍の飛び石作戦は図に当たっていたからである。

 人は何か事件や事故、あるいは予言した取りの災害が起こるまでは信用してくれない。それは、愚かなのだと言うことではない。愚かと言うより、それがそもそもの人間の持って生まれた習性なのだ。
 習性のままということと、愚かであるということは同じことでない。習性は習性のまま理解し、心得ておくべきことであろう。それを覚悟した上での、その先の人間の行動が問われる。
 予見して、それをどう遣うかである。こういう場合、科学的でないと一蹴出来ないであろう。万一の場合を人間は覚悟していなければならないし、運命そのものが死と隣り合わせであることを知らなければならないのである。永遠の生命など相対界では存在しない。
 それにしても、生命は次の世代に亘ることで、生命のリレーが行われるのである。その根本に「根」がなければならない。

 津村陽平は、「根」を残すという考え方には賛成であった。
 国の要素は、その国民の根が残っていなければならない。だが、その根は官僚の根ではない。官僚など、一度亡び、国の根さえ残っていれば、官僚など幾らでも生えて来るからである。根を絶やして官僚を残しても意味のないことであった。そういう官僚は、属国に成り下がる策しか立てられないからである。津村の怒りは此処にあったと言えよう。それが『タカ』計画の立案者と実行者の考えに一致する点であった。故に、わが身を投じているのである。根を残すことを信じて日々を粉骨砕身するのである。
 それが津村の信念でもあった。根を次の世代にバトンタッチすることで今は奮闘しているのである。誰のためでもない。未来のためにである。


 ─────兵頭仁介は六月末日付けをもって、陸軍准尉から上等兵に降格されて、津村小隊の25名の隊員の一人に加わるのである。この部隊は小銃を担う代わりに、鶴嘴と鍬を担う。官品の配給が充分でなく、ボロを纏った粗末な老兵部隊であった。
 このとき水筒を持たない老兵部隊に、新たに追加された室瀬佳奈の祖父・泉蔵から、瓢箪30個が寄贈されたのである。腰に瓢箪を付けていることから、いつの頃からか「瓢箪部隊」と呼称されるようになっていた。

 津村候補生は幹部候補生バッチが取れて見習士官になっていたが、正式な少尉ではなかった。見習い少尉と言う階級で、階級章は准尉を着けていた。しかし官給品の配給された物は、軍刀は下士官用の曹長刀と言われるボロ軍刀で、将校のそれとは違っていた。拳銃も旧式の南部十四年式拳銃一梃、そして軍靴はなく地下足袋であった。水筒のみは兵の物が配られたが、それに併せて、常に瓢箪を腰にして開墾作業に励んだ。
 作業時は全員、上半身裸である。下半身の袴下
(こし)であり、裸同然で作業をしていた。
 袴下とは、衣袴
(いこ)の下に履くズボン下のような物である。誰もが赤褐色に日焼けし、そのうえ60代の老齢者は弱り切っていた。

 そのとき一人の老兵が斃
(たお)れた。
 「鮎蔵ォ、死ぬなッ!鮎蔵!……眼をさませ!」
 一人の二等兵が大声で、斃れた年配者に向かって悲痛な叫び声を上げていた。
 そこに、津村小隊長が飛んで来た。
 「どうした?」
 「太田鮎蔵が斃れました、息をしておりません!」
 「おい太田、どうした?」
 津村小隊長は聲
(こえ)を掛けた。
 「いかん、これはいかんぞ!……。誰か手を貸せ、兵舎に運ぶ!」
 作業を中断して、津村は斃れた老兵を掘建て小屋の兵舎へと運ばせた。
 「小隊長どの、鮎蔵は大丈夫でありますか!」と覗き込むように訊く。
 津村は首を振った。
 太田鮎蔵は、既に死んでいた。
 「小隊長どの、何で、われわれは貧しいのでありますか!われわれは、どうしてここまで酷使された上に、牛馬以下の扱いを受けるのでありますか!」それは抗議する剣幕であった。
 「すまん、ゆるせ、太田二等兵。抗議して来る!」津村は憤然と立ち上がった。
 何ゆえ老いた人間を酷使するという憤りであった。何もかも無理がある。その皺寄せが弱者に来る。怒りの根元であった。
 「小隊長どの、俟って下さい」
 止めたのは降下された兵頭上等兵であった。

 「今は得策ではありません、いま暫
(しばら)く控えて下さい」宥めるように言った。
 「これを放置すれば、また明日、明後日と死にます。老体での炎天下の作業は限界があります」
 「自分が掛け合って参ります、いましばらく、お待ちを……」兵頭は掛け出して行った。
 「田村上等兵。全員に小休止を命じて下さい」
 津村が敬語を使うのは、田村と言われた上等兵が65歳の大正初めか明治の末期に、徴兵で練兵を受けた超の名のつく古参兵であったからだ。
 田村は弱々しい聲で、「みなさん、小休止を致しましょう」という程度の超古参兵であった。
 この超古参兵も、やがて斃れよう。不憫
(ふびん)であった。
 津村陽平は、何かが間違っていると思う。何処かで、歯車が違ってしまっているのだと思う。
 自分はいいと思う。
 しかし、とっくに兵役を過ぎた高齢者を、戦場に引っ張り出すのは何処か間違っている思う。何処かで、全体が狂い、その異常に、誰もが気づかないのである。日本は、何処でこうなってしまったのだろうかと思う。

 昭和19年6月19日〜20日、帝国海軍はマリアナ沖海戦で、空母3隻を失い、航空機395機を失った日であった。
 このぼろ負けの要因は同年の3月31日に、パラオ大空襲の際、海軍乙事件で「あ号作戦」の元になる『新Z号作戦』計画書など最重要軍事機密が、米軍の手に渡ったためだ。
 このとき日本の重要機密事項は米国側に筒抜けだった。米軍が把握した日本海軍の兵力、ならびに航空機や艦船の数、補給能力等の重要情報をもとに約一ヶ月をかけて用意周到な作戦を練り上げたが、間抜けにも日本海軍は「新Z号作戦」計画書が、米軍に渡った事を全く知らなかったのである。

 マリアナ沖海戦での責任は連合艦隊参謀長の福留繁にあったが、米軍将校の指導するフィリピンゲリラの捕虜になって「Z作戦計画書」を奪われ、コピーされて米軍に重要機密を洩らした。斯くして、日本の敗戦は決定的になった。しかし、福留繁は責任をとって自決することもなく、また何ら処罰されることもなく、軍法会議にもかけられず、その後、第二艦隊司令長官に栄進した。
 この利敵行為を何と表現すべきか。そしてその栄進を……。
 更に近現代史の奇なることは、防衛省などに残る公文戦史の中で、福留繁への敗戦責任は殆ど指弾されてないことである。防衛省も陸・海・空の自衛隊も、かつて犯した旧陸海軍の同じ轍
(てつ)を二度踏んで、軍隊官僚化されていく傾向にあるようだ。
 これこそが、当時の日本陸海軍の軍隊官僚の現実だった。そして現代も、米国から買い込んだ最新武器を手にして、属国アメリカ主義の、その延長上を歩いているようだ。



●刺客

 明け方に見る夢と言うものがある。
 こういう夢は「的中夢」などと言われる。また「正夢」などとも言われる。
 昨晩から月が美しかった。美し過ぎるために、林昭三郎は落ち着かなかった。妙に蜈蚣
(むかで)が騒ぐなどと言って、その夜、外を出歩いていた。風に押されるようにであった。
 白絹の着物に、錦の紫の袴を履いていた。腰には鉄扇を差している。護身用である。

 此処、四、五日長雨が続いた。それが昨晩から夜が白む前に掛けて晴れて、いい月夜だった。ふと、外を出歩きたくなった。じっとしていては落ち着かないのである。
 また、何かが風雲を告げているようでもあった。
 蜈蚣
が騒ぐのは、一方で“蠱(こ)”が蠢(うごめ)き始めたからである。何かが煩(うるさ)い。騒がしい。月の光に反応して蠱が蠢いている……。それに反応して蜈蚣が煩く騒いでいる。もう直、時代の転機が来る。新旧が交代する。そう検(み)たのである。

 月夜の晩、林昭三郎は落ち着かなかった。何かが騒いでいた。あるいは胸騒ぎか。
 あるいは誰かが迎えに来たのか。そういう不思議な感覚に駆られていた。それを怪しいというのだろうか。
 月が何かを告げている……、そう感じたのである。
 しかし一方で、疲れていた。また、もうここらで寝かせて欲しかった。娑婆に長居し過ぎたと思っていた。そろそろ汐時だ……。そういう思いが強くなっていくのである。
 それが月夜の晩に出歩かせた。爺さまは、それを「自分の感覚が訝
(おか)しいのだろうか」と思った。
 自分で、つくづく「老いた」と思った。疲れたと思う。その思いが、早く寝かせて欲しいという願望に繋がっているのだろう。娑婆に長居し過ぎたことを悔やんでもいるようであった。

 女……、女房……。そういうものも、昔いたらしいと思う。もう、生き別れして随分と久しかった。
 その一つが、娑婆で長居をしているという感覚であったかも知れない。
 遠い昔、女と媾
(まぐわ)った感覚がある。その感覚は、老いた今でも幽(かす)かに残っていた。だが、それ以上のものはなかった。
 老いたわが身にも女がいて、女房がいて、何れかの女がいたのなら、男女は抱き合えば、それも生きる愉しみであろう。そういう感応は、まだ残っていた。しかし、若かりし日の女は去り、また女房もこの世から去っていた。遠い日の過ぎたことであった。

 「何が、近付くか?」
 老人は、独り言のように幽かに自身で気配を吐露した。
 後を蹤
(つ)けられているという感覚を抱いた。誰だ?……と思う。
 「まさか鬼女
(ゆうれい)であるまいなァ……」
 再びそういう言葉を呟
(つぶや)いていた。
 そして思い直す。
 今さら、わが身に鬼女が襲って、取り殺そうと、もう恐れる歳ではない。いま殺されたとしても惜しむ歳ではない。充分に生き、老いたと思っている。
 だが遠い昔、鬼女と交わった男の話を聴いたことがある。鬼女が顕われたのは、こういう美しい月夜だったと聞いていた。そういう話を昔、年寄り聞かされたことがあった。
 老いても、鬼女と情を通わすことは可能であるという。しかし鬼女の交わると、僅かに残った生気すらも吸い取られ、老人の場合、そのまま衰弱して死ぬと言う。

 老人の前に、一人の美女が立った。立ったと言うより立ち塞がった。和服の美女であった。見事に和服を着こなし、日本人の振る舞いが身に付いていた。動きも仕種
(しぐさ)も美しい。思わず、眼を疑った。眼を見張るような美人であったからだ。
 老人は息を呑んだ。
 「お前は誰だ?」と訊く言葉を失っていた。美女の術に懸かっていたのかも知れない。
 しかし、この女が鬼女でないことの保証はなかった。もしかすると、本当の鬼女であるかも知れない。鬼女は絶世の美女であると訊いたことがあるからだ。
 その不安で、一瞬、わが心が動揺した。それに美女には陰険な空気が漂っていた。老人はそれを即座に感じ取っていた。女の容姿は中肉中背だが、やや背丈はある方だった。

 「林昭三郎さまでしょうか?」美女が訊いた。
 しかしその問いには、脅しも威嚇
(いかく)も感じなかった。穏やかな訊き方であった。
 「そうだ」
 「あなた様は赤城赤嶺神社の神主・林昭三郎さまでしょうか?」と同じことを訊
(たず)ねた。
 「いかにも」
 胸を張るように応えた。
 「お年を召されましたねェ、林昭三郎さま……」
 「そうか、老いているか……」
 「老いておりますとも、でも……」女は何か言いたそうであったが、言葉を止めた。
 「よく作っているが、お前は細作
しのび/間諜の意)だな!」
 老人は、よく訓練された細作と検
(み)た。高等訓練で作り上げた美貌であった。しかし女は美しかった。

 「さようで御座います、わたくしは確かに細作です」
 その日本語の響きは美しく、聲
(こえ)の音も高さも、珠が転がるように美しい張りのある言霊であった。言霊を能(よ)く遣うのである。いい響きの日本語だった。
 「細作が拙者に何の用だ?」
 「お命を頂きに参りました。あなた様をこれ以上、生かしておくと、わが陣営に悪影響が出て参ります」
 「そういう陣営とは、売国集団のことか?」
 「売国集団とは、わたしくを、その陣営に仕える国を売った売国奴とでも思っておられるのでしょうか」
 「そうだ」
 「筋違いでございます」
 「なに?!……。日本人でありながら、日本を売るのは売国奴であろう」
 「わたくしが日本人なら、そうでしょうね。でも、わたくしは日本人では御座いませんの。したがって、買国行為は、いまだかつて致しておりません。わたくしは愛国者ですわ。
 生国の国家に対して、忠節を誓う一僕
(いち‐しもべ)で御座います」
 「なに?!……。いい響きの言霊を遣いながら、日本人でないとな?」
 老人は驚きの聲を上げた。三国人は、ここまで美しい言葉を遣えないからだ。上手に、悠長な日本語を喋ったしても、“サ行”と“タ行”に語句の未熟が出るものである。それが全くないのである。

 「本国では、徹底したスパイ教育と、敵地での社会工作をする高等訓練を受けて、日本に満洲経由で潜入してきましたわ、それも易々と……。こういうのを、この国では頭隠して尻隠さずと言うのでしょうか……。
 尚武・尚武と表面上は勇ましいことばかり言うようですが、虚実の何たるかを見逃しているようです。
 風に吹かれる柳のように、雪に撓
(しな)る竹のように、柔軟におなりあそばせ。猛々しいばかりでは、盲点となって、やがて虚を衝かれますわ……」
 日本がスパイ天国であることを告げているのである。日本のガードの甘さを指摘しているようだった。その観察眼は正確であった。的を得ていた。更に、張り子の虎の日本の現状まで分析していた。

 「では、かの国の細作ということか」
 「はい」素直な返事だった。
 「かの国では、女ばかりを集めて狐媚
(こび)を遣う術者を養成していると訊く。それで漢を落すと言う」
 老人は薄々女が月夜の晩に姿を顕したか悟った。殺しに来たと悟った。
 「よくご存知ですわ……」
 「それで拙者と闘うというか……。はて、それで勝てるのかね」
 老人は、やんわりと訊いた。些か腕に覚えがあるからだ。
 かつて神道無念流剣術の達人・津村十朗左衛門から学んだ『鉄扇術』を心得ている。腕には覚えがある。

 「お年を召しているくせに大層なことを言われますと、ご自身に困惑が生まれませんこと?そういうのを老骨の浅知恵と言うので御座いますよ」
 女はまだ得物を手にしていない。殺すと言いながら、何で殺すのか分らない。しかし、殺さずにはおかない刺客であることは分っていた。殺す気でいることも分った。
 「もう、娑婆にいるのは飽きた。そろそろ汐時を思いっていた。しかし、老いたりと雖
(いえど)も、どうも殺されるのは好かんでのう」
 「所詮、無理な能書き……。この構図なら、殺される以外ありますまい」
 女は強気を崩さない。だがそういいつつ、殺気を漂わせながらも、一歩も動こうとしない。一番いい狙いの角度で、その間合を計っているからである。
 老人も、遣り返して来る計算は充分にしていたのである。また、こちらが動けば老人も動く。その計算はあった。
 老人は思った。もし、若いときだったら、この女に勝てたであろうに……。しかし、今は事情が違う。老いた分だけ動きが鈍かろう。
 結局、殺
(や)られる以外ないであろうが、ただ殺されるだけなら虚しい。勝てないにしても、抗(あらが)いたい。最後まで抗って死んで逝きたい。

 「殺すか!」老人は吼
(ほ)えた。
 「はい」涼しい返事が谺
(こだま)のように帰って来た。
 「しかし、それはちいと残酷過ぎやしないかね」
 「でも刺客ですから」
 「この、老いた者を、何で殺す?……、なぜ死に急がせる?……」
 「わたしく、辻斬りですもの」
 「斬るか」
 「はい。わたしくしは辻斬りを得意とします。出遭えば斬ります」
 「はたして、辻斬りとな?」
 「辻斬りが、わたしの本性……。つい先ほども、一人葬りましたわ」
 「人を斬ったのなら、血の匂いを漂わせている筈だが、その臭いがない……」
 「わたしは玄人
(プロ)でございます」
 女は長く言わなかった。短く吐いただけであった。
 「成る程、いよいよ斬るか……」
 「はい」
 涼しい返事を何処までも崩さない。その返した返事に美しい響きがあった。綺麗な、透き通る聲であった。
 「これが拙者の、信ずるべからざる、思いもよらぬ幕引きとはなァ……」
 「そのように嘆いては困りますわ。わたしくを、がっかりさせないで下さいまし」
 そのように言われても、老人は何故か虚しかった。

 「虚しいのう」
 「それは?……」
 「易々と殺されては拙者の沽券
(こけん)にかかわるからのう……」
 「そういう悲しいことを仰らないで下さいまし。わたしく、悲しくなってきますわ」
 女は美しい顔に悲しさを漂わせた。諭すようにいい、憂いを含んだ貌をした。泣きそうな貌になった。
 老人は自分がいま辻斬りに遭遇し、それに抗おうとしていたのであるが、その意欲が失せていた。闘っていることを忘れてしまっているのである。あるいはそういう戦意を失わせる術なのかも知れない。
 美女は泣いた。
 「女。なぜ泣く?……」老人は訊いた。
 一方で、これは高等な心の隙間を縫って忍び込む手練
(てだれ)の術であるかも知れない。老練な術である。
 その術であれば、老人は易々と術に掛けられていることになる。

 「あなた様を斬る前に、いい物を見せてあげますわ。見たら、斬られてもいいと思う筈です」
 美女は妙なことをいった。そして艶麗
(えんれい)な表情を作って、帯を解き始めたのである。
 人のいない場所であるが、しかし月下で、そのようなことを始めたのである。解くほどに、いい臭いが漂って来た。夜咲く花の芳香であった。こう言う臭いを「月下美人
(夜間に開く花で、月下香またチュベローズの別称)」と言うのだろうか。いい香りである。老人はそう言う感想を抱いた。
 それとも、このいい臭いは、迷わず成仏せよと言う、死に逝く者への哀れみの臭いであるのだろうか。
 帯を解き、着物を脱ぎ、襦袢
(じゅばん)一枚になり、月下香の臭いは更に強くなって来た。夢でも見ているような気持ちで老人は佇んでいた。
 腰巻き一枚になり、上半身は乳房まで曝
(さら)している。
 老人は想った。昔、こういう女を見たことがあると。
 それは果たして誰だったか?と……。誰だったのだろうか、それを想った。

 「お前は誰かに似ている……」老人は茫然
(ぼうせん)としたまま昔を吐露した。
 「似ている?って、誰にでしょう?」
 「それは誰だったか?……」
 「でも、想い人に似ていると言われれば、女は嬉しいものですわ……。それで、わたくしを、お口説きになりますの?……」
 「いや、拙者は老人。老人は年甲斐のないことはせぬものだよ」
 自分でも馬鹿な会話をしているとは思っているであろうが、しかし、せずにはいられなかった。
 「でも、遠慮なさいますな。年甲斐もないから、いいので御座いますよ」
 「お前、辻斬りと申したな?」
 「はい、辻斬りで御座います」
 「では訊くが、人を斬る前、そうして着物を脱ぎ、誰にでも乳房を曝して、油断させておいて、不意を突き人を斬るのか」
 「滅相もございませんわ、これは特別で御座いますの。林昭三郎さまに限りの、特別で御座いますのよ。こういうこと、他の方には絶対に致しませんわ」
 「では、拙者に限りというのか?。役得と言うものかのう……。これ、有難いと思わねば罰当たりというものだのう」
 「さようで御座います」
 「老いた身に、寔
(まこと)に結構なものを見せて頂いた……。ありがたや……」
 古い記憶を蘇らせたのだろう。

 「わたしくし、つい先ほど、辻斬りをして参りましたでしょ。そのときに、お巡さんに見つかりましてね。
 『何をしている?』と訊かれたから、『わたしくは刀鍛冶で御座います。昨今の非常時につき、軍刀の注文を頂いておりますが、斬れ味の悪い刀は職人としての誇りが赦せません。そこで刀の斬れ味の善し悪しを、下賤
(げせん)の者を斬って試しているのです』と言ったら、お巡りさんたらねェ。『職務熱心でよろしい』と言うのですよ。これ、おかしいと思いませんこと?」
 「うわはァはァはッ……、確かにおかしいな。間抜けなお巡りの面白いしゃれ
(ジョーク)じゃのう」
 「はじめて、お笑いになりましたわ」
 「ああ、つい年甲斐もなく笑ろうてしもうた」
 「お笑いになるのに、お年のことなど関係御座いますまい。もう、ご自分が若かったらなどと、考えてはなにませぬ」
 「そうさのう。しかし若くあっても、やはり拙者には無理じゃ……」
 「そんな情けないことをおっしゃいますな」
 「拙者の昔が観えるか?」
 「ええ、あなた様は澄んだ心の持ち主……」
 「そうだったかなァ……。歳老いた所為
(せい)で、そういう心も枯れてしもうた。しかし、想えば遠い昔が懐かしい……」
 「それだけ、前の女の方。つまり亡くなられた奥さまのことを愛
(いと)おしんでおりましたのね」
 「そうだったなあ……、もう、二十年以上も昔のことじゃったが……。思えば懐かしい……」
 「では、奥さまの許
(もと)に行かれませ」と美しい細作が言った。
 「女!……」
 「なにで御座いましょう?」
 「これ以上、拙者を弄
(もてあ)ぶのはよせ。人の心の中を土足で踏み込む真似はよしてくれ。そして拙者の老いを哀れむのもよしてくれ……」
 「では、ごめん!」
 気合いとともに動いた。
 女は後ろ手で、長脇差しを逆刀に握り、老人の欠盆
(けつぼん)に向かって下から斬り上げた。有無も言わせぬ早さだった。長脇差しを何処に隠し持っていたのかも分らなかった。しかし凄まじい剣であった。
 老人はそれを防ぐに、鉄扇を握って受けようとしたが、早過ぎて間に合わなかった。肩口が切り裂かれ、鮮血が滴り落ちていた。白絹に血が赤く染めた。
 「なぜだ!」老人は悲鳴を放った。
 隙を突かれたのか?……、いやと思う。抗っても、最初から勝てる相手ではなかった。よく訓練された敵国の間者であった。
 崩れゆく老人を見ながら、女は「少し悪趣味だったかしら……」と小さく呟いて、その場を去って行った。
 その場に、月下美人の臭いだけが残っていた。



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