運気 八門人相 房中術 癒しの杜 菜根譚 小説 会報Back No. 合気 蜘蛛之巣伝 死の超剋 霊的食養 心法
続 壺中天・瓢箪仙人 1
続 壺中天・瓢箪仙人 2
続 壺中天・瓢箪仙人 3
続 壺中天・瓢箪仙人 4
続 壺中天・瓢箪仙人 5
続 壺中天・瓢箪仙人 6
続 壺中天・瓢箪仙人 7
続 壺中天・瓢箪仙人 8
続 壺中天・瓢箪仙人 9
続 壺中天・瓢箪仙人 10
続 壺中天・瓢箪仙人 11
続 壺中天・瓢箪仙人 12
続 壺中天・瓢箪仙人 13
続 壺中天・瓢箪仙人 14
続 壺中天・瓢箪仙人 15
続 壺中天・瓢箪仙人 16
続 壺中天・瓢箪仙人 17
続 壺中天・瓢箪仙人 18
続 壺中天・瓢箪仙人 19
続 壺中天・瓢箪仙人 20
続 壺中天・瓢箪仙人 21
続 壺中天・瓢箪仙人 22
続 壺中天・瓢箪仙人 23
続 壺中天・瓢箪仙人 24
続 壺中天・瓢箪仙人 25
続 壺中天・瓢箪仙人 26
続 壺中天・瓢箪仙人 27
続 壺中天・瓢箪仙人 28
続 壺中天・瓢箪仙人 29
続 壺中天・瓢箪仙人 30
続 壺中天・瓢箪仙人 31
続 壺中天・瓢箪仙人 32
続 壺中天・瓢箪仙人 33
続 壺中天・瓢箪仙人 34
続 壺中天・瓢箪仙人 35
続 壺中天・瓢箪仙人 36
続 壺中天・瓢箪仙人 37
続 壺中天・瓢箪仙人 38
続 壺中天・瓢箪仙人 39
続 壺中天・瓢箪仙人 40
続 壺中天・瓢箪仙人 41
続 壺中天・瓢箪仙人 42
続 壺中天・瓢箪仙人 43
続 壺中天・瓢箪仙人 44
続 壺中天・瓢箪仙人 45
続 壺中天・瓢箪仙人 46
続 壺中天・瓢箪仙人 47
続 壺中天・瓢箪仙人 48
続 壺中天・瓢箪仙人 49
続 壺中天・瓢箪仙人 50
続 壺中天・瓢箪仙人 51
続 壺中天・瓢箪仙人 52
続 壺中天・瓢箪仙人 53
続 壺中天・瓢箪仙人 54
続 壺中天・瓢箪仙人 55
続 壺中天・瓢箪仙人 56
続 壺中天・瓢箪仙人 57
続 壺中天・瓢箪仙人 58
続 壺中天・瓢箪仙人 59
続 壺中天・瓢箪仙人 60
home > 壺中天・瓢箪仙人 > 続 壺中天・瓢箪仙人 32
続 壺中天・瓢箪仙人 32

一式落下傘を背負って輸送機に乗る陸軍落下傘兵。(「昭和史」太平洋戦争開戦・昭和16〜17年。毎日新聞社篇より)


●『夕鶴隊』の初舞台

 上下に働き掛けるには、「難関校突破」と「高等文官試験合格」いう無条件で誰からも尊敬されるパスポートを所持していなければならない。
 日本人が尊敬する対象は、“並みの人間”では容易に突破出来ない難しい国家試験に合格して、その席を射止めた人である。
 それと反対に、対照的なのが“政治家への侮蔑”であった。これが明治維新以来の日本人の伝統となった。
 日本人は政治家に対して、陰で侮蔑の悪態を投げ付ける。政治家が日本国民に尊敬されない国民感情の一つである。選挙で当選した者への侮蔑は、今なお烈しい。
 そして高文官試験の合格者と選挙当選者との対照差は、日本では恐ろしいほど克明で、その開きは徹底している。この元兇には、福沢諭吉の『学問のすゝめ』が横たわっているようだ。

 高文官
(高等文官)試験はそれなりの学力がないと合格出来ないが、政治家は学力は殆ど皆無で、高等小学校卒(旧制の尋常小学校の上に接続した学校)程度でも人気さえあれば当選出来るからである。学歴無用。人気投票で選ばれれば良い。高文官試験を合格する学力は無用。知力皆無。
 何故なら、政治家は国民の御用聞きであるからだ。御用聞きに学力も知力も要らない。国民の要望や注文を政治に反映させる力があれば良い。むしろ学力や知力を身に付けた御用聞きなど、民主主義デモクラシーでは本性を発揮出来ない。八方美人のエエカッコシーで終わる。愚の政治屋に成り下がる。政治家ではなく政治屋である。
 学力や知力は政治家に遣われる官僚の仕事である。政治家は御用聞きである。その“けじめ”と“弁え”がないと、民主主義デモクラシーは正常に機能しない。

 日本人は世界でも十指に入る先進国であり、法治国家でありながら、有能な政治家を選び出せず、無能な外国からの二世三世の帰化人系の政治家を並べるのは、そのまま日本人の見識眼と眼力の低さを物語っている。
 貌写真の容姿に誤摩化される。まるでタレント・芸能人の人気投票である。
 そのうえ分けも分らず、民主主義デモクラシーの言葉に酔い痴
(し)れ、民主・民主……と、国民の多くが現(うつつ)を抜かしている。有能な政治家を国民が選び出せない実情である。つまり、芸能人的人気投票に終止している。貌、容姿、衣裳、装飾品、見栄え、弁舌爽やかな語り口の類(たぐい)である。挙(こぞ)って、国民のために粉骨砕身しない国際主義の政治屋である。
 高文官試験の合格者と選挙当選者……。何とその見方に矛盾が生じていることであろう。

 明治・大正・昭和・平成を問わず、明治維新以降の西洋が雪崩れ込んだ日本において、新聞は政治家と実業家に対して罵詈雑言を投げ付け、今なおその延長上にある。
 ところが日本人の多くは、戦前・戦中に懸けて、高等文官試験に合格した高級官僚と、陸士・海兵を合格した陸海軍の軍隊官僚には、殆ど批判を加えなかった。
 特に将官を問わず、高級将校と言われる頭脳としての佐官級に対しては、文句なしに平身低頭した。その対象者は誇らし気に陸大出身者である天保銭型の徽章を胸に示す「天保銭組」と言われる高級軍人らであった。
 一方軍人から政治家に転身した場合には印綬
(いんじゅ)を帯びて徹底的に叩くが、それは元軍人が政治家的な活動をする射程内に入ってからのことである。ここに入ると元軍人でもあっても容赦なく叩いた。
 戦前・戦中、わが国には「三大難関」と呼称された関門があった。それは高文官試験と、陸軍の士官学校と海軍の兵学校であった。この合格者には無条件で文句なく平身低頭した。
 その中でも、陸海軍とも大学校を持ち、同大学校は難関中の難関とされた。この難関校突破者が軍指導部の中枢のポストを占めた。

 そこで、『タカ』メンバーの鷹司友悳、来栖恒雄、沢田次郎はその弱点を突いた。自らがそれぞれ最難関試験へと挑戦した。
 鷹司友悳と来栖恒雄は陸大出の陸軍参謀本部員であり、「天保銭組」と言われる高級将校である。
 また沢田次郎は陸海軍の司法資格
(陸軍大臣に属し陸海軍の軍事警察および軍隊に関する行政警察・司法警察を司る)をもつ陸軍法務官であり、陸軍省法務局員である。それぞれは自らの官僚の立場を逆手にとって暗躍した。暗躍の中で互いが「文殊の智慧」を出し合う。何れも悪を知る悪智慧である。悪魔に通じる悪智慧である。天下の悪党の智慧であり、官僚社会の恥部に暗躍する。毒を以て毒を制するのである。
 毒は毒の劇薬であることを知り抜いた者が用いる悪魔の策である。
 真面目で、正直で、杓子定規で、律儀一辺倒で、可もなく不可もなく、沈香
(じんこう)も焚(た)かず屁もひらずの共同体の安全圏にいる無力な「善」では、この劇薬を操ることは出来ない。悪を知り抜いて初めて用いることが出来る。
 遣うには、したたかな策士の面がいる。無力な「善」の外に居て、諸刃の剣を抱えて暗躍する。

 脅し、賺
(すか)し、宥(なだ)め、去(い)なし、躱(かわ)し、巧妙に断ち振る舞う。闇と陰に暗躍する。官僚の盲点を衝いた振る舞い方であった。
 彼ら三人の行動律の中には一定の法則があった。彼ら特有の「階級観」である。地上の人間界を階級社会と検
(み)た。
 この階級観は、日本人が明治維新以降見逃した欺瞞
(ぎまん)の「四民平等」を覆す、縦の階級で暗躍する一種独特の行動様式であった。
 多くの日本人は、近現代史を捏造する策のために多くの国民が四民平等に翻弄
(ほんろう)された。
 自由と平等に入れ揚げ、その「夜明け」を明治維新に求めた。ところが、この「夜明け」が曲者
(くせもの)であった。「日本をもう一度洗濯し候……」の大言壮語が、実に曲者だった。
 幾ら洗濯したところで、士農工商における四民平等など何処にも存在しなかった。
 蓋を開ければ、庶民は「平民」とされ、武士は「士族」とされ、維新功労者は「華族」となり、皇族との差を接近させた。明治維新の「新しい夜明け」は、とんだ曲者だったのである。
 その曲者に気付いたのが『タカ』メンバーだった。暗躍も階級観に基づいての行動である。

 普通人の繋がりは横の関係で波及する構造を持っている。しかし、それはどう階級同士の交流であり、決して縦の上下とは交わらない。階級の中でも一番多いのが中産階級
(中間階級)である。その分布は横に大きく広がっている。
 ところが、上下となると、その繋がりは皆無である。人間法則の「類は友を呼ぶ」であり、その友は学閥とか、同組織内だけの交わりであり、それから一歩出ると、もう繋がる縁はない。因縁は上下とは接触しないようになっている。自分を「中流の上」と思い込めば、その種属しか交わらない。上下は皆無である。
 斯
(か)くして、この階級では神が不在となり、身分や階級があることもいつしか忘れ、自分の存在にすら気付かず、自分の先祖が過去の自分であることにも気付かない。更には子孫は新しき自分、未来の自分であることも知らぬまま人生を潰える人が圧倒的に多い。自分の周辺自覚は兄弟・姉妹だけであり、横の繋がりしか知らない。
 広義に見れば、人類は横の繋がりだろう。

 一方、動植物や鉱物類はその枠外にあって、「外の自分」なのだが、これにも自覚がない。切り離して考えている。自他離別で考える。
 現代人は自分のみの、自分の中に生きているのである。そして縦の繋がりのあることに気付かず、それすら無縁となる。これが神と繋がらない理由である。
 また霊と繋がらない理由である。先祖とも繋がらない。斯くして神も霊も、本来は自分なのだが、その自分である神も霊も否定してしまった。繋がる喜びを知らないから、本当の喜びも知らないのである。知らないから当然、根も断たれてしまう。自分は根無し草になって時空を浮遊するだけである。

 さて、鷹司友悳と来栖恒雄、それに沢田次郎である。この三人はこれまでの勉強会を通じて、人間界の人間現象は階級によって運営されていることに気付いた。
 一口に「平等」というけれど、その平等の根拠は、何処にあるのかと考えた。
 それは単に、法の上の文章に記された平等に過ぎなかった。その平等が、人間界の何処にあるかと言えば、生まれるときと死ぬときの、誰もが生まれ、誰もが死ぬという、その平等だけであった。生まれてから、生きている間の平等など何処にもなく、単に生まれることと息を引き取るときの、みな同じ平等が訪れるだけであった。高貴も下賤も、この平等においては同じである。四期の生・老・病・死のうち、「生」と「死」はみは平等であるが、中間の「老」と「病」には、平等は何処にも存在しなかった。出口と入口には平等は存在したが、その過程には平等はなかった。肝心なる「生きている間」の平等などは何処にもなかった。そこにあるのは、支配階級が被支配階級を現実を把握して支配下を網羅し、合理的に効率よく支配すると言う現実だけだった。
 持てる者が持たざる者を支配する社会構造の断面を検
(み)たのである。

 日本人の有無も言わさず無条件で平身低頭させるものは何か。それは国民生活全体をも監視する司法権をはじめとする国家権力だった。
 この権力を手に入れれば、証拠などは後で幾らでも捏造
(ねつぞう)出来る。官僚社会構造の恥部である。そこに陰に働く暗部があり、そこを衝けば上層が動く。この国家が衝き動かされる。そう検たのである。
 現に、今日でもその現実は横たわっている。
 一方で「官僚恫喝法」がある。秘密を握る者を暴
(あば)いて、恫喝する方法である。それを生かさず殺さず恫喝する。高等工作である。
 これを巧みに遣うのが、日本近隣諸国から送り込まれる「高級官僚に向けての工作員」である。スキャンダルなどをもって、衝き動かす。種々の巧妙な刺戟を与えてその気にさせる。
 この工作員たちは、日本人以上に、一枚も二枚も役者が上である。能
(よ)く訓練された名役者である。
 洟垂れ小僧の駆け出しの国会議員や、キャリアなりたての小僧連中では、まるっきり歯が立たない。海外は国家の威信を懸けて「超」といっていい名役者を送り込んで来る。

 その行動原理は単純である。
 日本人は金・物・色には非常に弱い。スキャンダルの種を仕掛け、そのスキャンダルで揺すぶれば、直ぐに転ぶ。お人好しの日本人を転ばすのは簡単である。心理戦に長けた術者が、日本人の官僚を誑し込むこと等、赤子の手を捻るより容易
(たやす)い。
 それには「猟をする方法」が用いられる。
 しかし日本人には容易には見抜けない罠である。この罠は多くの日本人がその心情からして、有頂天に舞い上がる罠である。この罠を巧妙に仕掛けて来る。自然の成り行きを装って巧妙に仕掛けて来る。

 残念ながら日本人は、動物の肉こそ、今日では多く喰らっているが、本来狩猟民族ではない。農耕民族の遺伝子を先祖から受け継いでいる。また、遊牧民でもなく、したがって猟をする民族の巧妙な仕掛けを設置する方法も知らない。
 ただ、デパ地下、スーパー、精肉店で「百グラム幾ら」の肉を買って来て、調理して喰らうだけである。
 発泡スチロールに薄切れになって納まっている牛肉・豚肉・鶏肉の類は知っていても、それがどういうふうに捕らえられ、屠殺
(とさつ)され、吊り下げられて解体され、臓腑ごとに仕分けされ、冷凍パックされ、販売ルートに流されて小売店の店頭に並ぶまでの行程は殆どの日本人が知らない。食卓には星条旗が立って、多くの乳製品が並んでも、そもそも狩猟民族でないからだ。

 さて、狩猟民族とは、猟をし、動物を仕留める技術を遺伝子の中に持っている。猟って捕らえること、屠殺すること、解体すること、腑分けすることに何ら違和感を持たない。猟って分解するが、躊躇せず自然体で出来るのである。
 したがって猟り方を知る。
 狩猟民族の猟りは単独ではない。複数で猟をする。そのときそれぞれに役割分担がある。
 日本の猟師のように単独で猟をするのでなく、大きな柵
(さく)を造って動物を追い込んで猟をする。柵を造らない場合でも、役割分担を決めてA地点、B地点、C地点とそれぞれにポジションを定め、更に勢子(せこ)という特異な役割の者を遣う。勢子は煽動者(アジテーター)である。
 この方法で、人間を猟ることも出来る。

 猟り集団の首領が、ある組織をターゲットに狙いを定めたとしよう。そしてその組織のトップに罠を仕掛けたとしよう。その罠は仕掛ければ必ず嵌まるようになっている。狩猟民族には追い込み手順が遺伝子の中でマニュアル化されているからである。
 例えば、この罠を政府高官や陸海軍の高級官僚に定めたとした場合、日本のこの種の官僚の何処に罠を仕掛けたら効果覿面
(てきめん)かを充分に承知している。罠とは、「感化される」という意味も含む。あるいは改造されるとでも言おうか。思考法がこれまでとは一新するのである。
 ちなみに、レイテ沖で敵前逃亡した第二艦隊司令長官の栗田健男海軍中将は、イギリスのMI6
Military Intelligence section 6/エムアイシックス、 軍情報部第6課)に洗脳改造されて某(なにがし)かを吹き込まれ、インスパイア(inspire)されていたそうだ。
 暗部に潜む誘惑材料をちらつかされて感化され、吹聴され、改造され、思想洗脳されていたのである。
 戦艦「榛名」麾下艦隊を、謎の北への反転を命令を出した理由は、これで明確になろう。

 また、海軍上層部だけでなく陸軍上層部も、外国の思想に討ち取られてしまっていた。更に服部卓四郎、辻正信、瀬島龍三らの陸軍偕行社
(かいこうしゃ)の連中だ。日本陸軍のフリーメーソン・グループである。またこのグループは戦後、日本の負の遺産を残した。瀬島龍三は旧陸軍の参謀であったから、戦後、原子力運動を推進した。今日でも日本国民が6万人ものデモをしなにも関わらず一向に歯止めが掛からず、原発推進派(政官業学言の利権ペンタゴン)の推進運動を止められないのは、旧日本陸軍のフリーメーソン・グループの影響力が未だに大きいからである。こういうのを“利権の必要悪”と言うのだろうか。何とも不可解である。

 そして海軍が米英の思想に染められたなら、陸軍はソ連の思想に染められていた。いや、軍のみならず、政界もソ連の思想に染められていた。国策要領はソ連に頼る策で動かされていた。
 終戦間際に、陸海軍や政府中枢が、「ソ連による和平仲介」という甘い幻想を抱いたのは、大正時代からのソ連の宣伝工作活動が相当に効いていたからであろう。

 当時の鈴木総理
(海軍大将)までもが、「スターリンは西郷隆盛のような人物だ」などと、寝ぼけたことを言い出す始末だった。そして陸海軍上層部も、それに乗ってしまった。何をか況(いわ)んやである。
 このように、「自分達の国の思想を吹き込んで、自分達に都合のいい動きをするように相手を洗脳する」という白人スパイ組織の手口に、まんまと引っ掛かったのが、戦前・戦中の日本である。だが戦後はそれ以上だった。
 戦後は戦前以上にスパイ王国に成り下がっているのである。日本のために働いていると称する与野党の政治家の殆どが、白人スパイに手玉に取られた。まんまと絡め捕られてしまうのである。

 かつて玄洋社の頭山満は、政治家と軍人と官僚が嫌いだった。その理由を頭山翁はこう語る。
 「人間ちゅうもんは妙なもんで、民間に居る時は男らしい見所のある奴と思っていても、ひとたび官界という特権的な社会の一員になると三文の価値もない。骨抜きの幽霊にみな化けてしまう。役人でも軍人でも、その職から離れると立派に働ける素質を持っているのに、官界に入って、決まった地位を得ると途端に腰抜けになる」ということだった。
 つまり、人間は役職を得て、肩書きが出来ると腰抜けになるということを頭山翁は言いたかったのである。その腰抜けの代表格が、官界の太鼓持ちの醜態を指摘したのであった。日本で、この手の醜態を晒
(さら)す政治屋は以外にも多い。
 斯くして日本人は猟られる。階級は上であればあるほど、猟られる対象となり、罠を仕掛けられ、猟り易いように感化し、改造し、精神的に弱めておいて、転ぶ状態を作っておき、猟ってしまうのである。

 何処に、どの種類の罠を懸けたら奪い易いかを考える。国を奪う場合は、まず官僚を狙う。国家全体を骨抜きにする場合も官僚を狙う。官僚全員を狙うのではなく、担当するトップ一人だけを狙えばいい。官僚トップとは、今日で言えば事務次官クラスである。事務次官に狙いを定めて賄賂で落し込む策を立てる。感化する場合もその見返りを提示する。提示して、どちらが得かを考えされば、余程のバカでない限り、簡単に改造してしまう。そして、後は事務次官の命令通りに組織が動くのである。海外の工作員が遣う最も知れ渡って手口である。

 鷹司友悳、来栖恒雄、沢田次郎は「日本版インスパイア」を仕掛けていた。感化し、啓蒙し、そして一気の改造する。ロボット化する。悪党の「善」である。
 その仕掛けを参謀本部と陸軍省に向けて開始した。


 ─────百匹目の猿を捕獲するには、現地まで行かなければならない。山の中に分け入って、猿に遭遇しなければならない。遭遇して、天の岩屋戸を抉
(こ)じ開けるには、猿にで遭って説得せねばならない。説得して教えを乞わねばならない。これは簡単なことではないだろう。しかし行くしかない。

 赤城連邦上空。
 一九三〇
ひときゅう:さんまるにN基地を飛び立った九七式輸送機二機は、夕闇迫る垂れた雲の中を運行していた。
 気象班長の話では、赤城連邦黒桧山方面は夕刻より雨となっていた。しかしまだ降っていない。夕闇とともに肉眼での視界は随分と悪くなる一方だった。二機の輸送機は暗雲の中を突き進んでいた。
 「ただいま前橋方面上空。高度3000m。もう直、黒桧山上空。総員、降下準備。降下員は教官の指示に従い時間合わせを行え」と機長よりの通達。
 「9、8、7、6、5、4、3、2、1、今!」
 時間調整の再確認である。
 「総員、降下準備!」と降下長が吼
(ほ)えた。
 降下のための待機
である。用意せよ(stand by)の意味である。

 悪天候をついて降下する。
 この行動は外部から検
(み)れば危険な賭(か)けであった。しかしアン・スミス・サトウ少佐は危険な賭けなどと微塵(みじん)も思っていないのである。彼女は運の塊を背負って降下するのである。それを信じて疑わない。
 九七式輸送機の両機は編隊を組んだまま、一旦高度を上げて、北に向けて大鳥のように大きく輪を描いて迂回飛行しながら、予定通り、北側から黒桧山方面に突入した。山岳波の影響のためか、機体が烈しく揺れ始めた。暴風雨の中でないにしても、安定が悪くなって来た。至って大気は不安定であった。
 指揮機の機長は不安そうな貌をしていた。
 「二番機、このまま降下します。高度2500mで降下します。安心なさい、大丈夫です」機長席横のアン教官が言った。
 「全員、降下!」二番機の機長が吼えた。
 その降下状況を確認しながら、指揮機の降下員が準備する。
 二番機から夕闇の中を6粒、5粒という数で米粒のような物が降下して行った。
 その確認を俟って、指揮機の降下員が同じく、6粒、5粒という空中陣型を保って降下して行った。
 自由落下高度は300mである。そこまでは降下陣型
(フォーメーション)を作って、互いの衝突を避けながら降下して行く。

 地上では、猿のような矮男
(こおとこ)が曇天の空を見上げていた。一雨来そうな天気であった。その闇空に飛行機の爆音とともに降って来る物があった。
 矮男は、あれは何だと思う。闇空に、幽かに米粒のようなものが降り注いだ。
 「なに!?……。あれは……人間か……」呟いた。
 確かに人間であった。
 その人間の背中から帯びが伸び、やがてパッと白い花が膨らんだ。
 なんだ、あれは降下兵か?……と訝しがった。何で、こんな山の中に?と思った。
 闇夜の中に、白い花がポツポツと咲き始めた。一方、九七式輸送機二機も高度を下げて旋回しつつ、降下員の落下傘の数を数えているようであった。そして全部が開いたのを確認すると東南の方向へと去って行った。

 降下員は半数は無事に着地したようだったが、それでもまだ散らばったままである。散開している。
 「伍長
(五人の長を伍長。班長の意)は班員を確認!」アン教官が怒鳴った。
 多くは落下傘を収納処理しているところであった。
 「第一班、異常ありません」と伍長の良子。
 「第二班、異常ありません」と伍長の和津子。
 「第四班、異常ありません」と伍長の山田昌子。
 しかしとなった。まだキャサリン教官以下、六名が離れていた。
 山田昌子は「しかし、キャサリン先生と第三班が集合しておりません」と付け加えた。
 「北西方向、回光通信器
(手回しの発電式懐中電灯)による救難信号を発見!空に向けてモールス信号による夜間回光で、SOS(トトト・ツーツーツー・トトト)を繰り返しています。切り立った山間部斜辺で、おおよそ現地点より800mから1000mです」と視力のいい良子が吼(ほ)えた。国際共通信号を発して救助を求めていた。
 「では、パラシュートの収納処理が終え次第、捜索に向かいます。各班は回光通信器によって連携しつつ、西北方向へと捜索範囲を展開して下さい」とアン教官。
 捜索が始まった。

 一方、猿のような矮男
(こおとこ)
 矮男は樹に引っ掛かって宙吊りになってしまった降下員に聲
(こえ)を掛けた。
 「おい、小娘!大丈夫か?」
 「大丈夫じゃありません!」小娘が吼
えた。
 「そのままにしていろ、助けに行く……」
 そのとき急に雨が降り出し、雨脚が激しくなった。矮男は急がねばと思う。
 第三班だけ降下陣型
(フォーメーション)が崩れたのは突風に煽(あお)られて崩れ、何人かが空中衝突したからである。辛うじて落下傘が開いたものの負傷者が居るかも知れない。
 矮男は杉の巨木に縄を廻し、樹をまるで猿のように登って行く。
 「早くして、落ちる!……」小娘が喚
(わめ)く。
 「落ちない」矮男が言い返す。
 矮男は背中に指していた鈎棒
(かぎぼう)で引き寄せようとした。そのとき落下傘の紐の掛からず落下傘の布地に掛かり、布がビリビリと避け始めた。
 「ああッ……、破れちゃった。わたし、知らないッと……。わたしの所為じゃないからね……、おじさんの所為よ。そんな変な棒で掻き寄せるからよ。整備隊の整備班長からおこられるわよ」
 「おい、小娘。扶
(たす)けてもらって、大きな口、叩くな」
 こうして小娘は矮男の扶けられて地上に降ろされた。

 「おじさんって、猿みたいねェ……」と感心したように言う。島崎ゆりであった。
 しかしこの猿は、何処かで見たような記憶があったが、今は思い出せない。
 「おい、小娘。他にまだ居るだろう……、ほか何人居た?」
 「降下するとき、誰かとぶつかったのよね、誰と当たったか知らないけど……」
 「お前はぶつからなかったのか」
 「わたしは当たらなかったけど、突風に煽られて、そのとき誰かの頭、蹴ったかも……」
 「暢気
(のんき)なことをいう……」
 「おじさん、ほかの人、捜してくれない?」
 「そのつもりじゃ」
 「どうして、おじさん、こんな山の中にいるの?」
 「知りたいか?……」
 「知りたくない。でも、きっと、お山のお猿さんの真似でもしていたのでしょ……」
 「面白いことをいう……、いい根性だ。捜しに行くぞ」
 「あそこ、空に向けて救難信号。ほら、見て。SOS……」と島崎ゆりが指をさした。
 「こりゃ、いかん雨が酷くなるぞ、急ごう」
 雨脚が徐々に烈しくなった。やがてくるであろう驟雨を思わせた。
 「あッ、あそこにも……」
 「こりゃ、大変だ」
 矮男の動きは猿のように素早かった。とにかく早い。その動きに島崎ゆりは追いつけなかった。
 島崎ゆりの後で見たのは、捜索隊が向かう救助信号だった。全開の燈火で空を照らしている。
 矮男はSOSの方向に向かっていた。
 「ねえ、おじさん、俟って……」
 「四の五の言わずに、確
(しっか)り蹤(つ)いて来い!」矮男が怒鳴る。
 遂に矮男は救難信号の主を捜し当てた。そこは陰に差し掛かった断崖であった。

 「あなたは?……」と驚いたように矮男を見た。キャサリン・スミス少尉であった。
 「こりゃ、崖下に宙吊りじゃなァ。あんた、ロープ、もたんか?」
 「そこの切り株から下に……」
 ロープが下に伸びていた。垂らしているが、足を負傷していて、宙吊りを扶けに行くことが出来なかった。
 「わが輩が降りる……。宙吊りに燈火を灯下してくれ。急げ、雨脚が酷くなる……」
 矮男の動きは素早い。敏捷かつ軽快である。スルスルとロープを伝わり降りて行った。
 やがて暫くすると、一人を背負って上がって来た。その頃、漸
(しばら)く島崎ゆりが辿り着いた。
 「あッ!副島伍長さん……。死んじゃったの?」と島崎ゆり。
 「生きておるわい、ただ気を失っているだけじゃ。おい、小娘。手を貸せ、直ぐ下に洞窟がある。そこに運び込む。いいか、あんたは、直ぐに助けに来る。動くなよ、無理をすると拙い。動くな。おい!小娘、蹤いて来い」
 「小娘・小娘といって、なんと人使の荒いお猿さんなの……」と小言をいって蹤いて行った。
 猿は崖したにロープ伝いに降りて行った。145cmの矮男は自分より15cm以上も背の高い娘を背負い、軽快に崖上に登って来た。何とも足回りが軽快で、素早い動きをする。迅速・軽快である。動きに一定の拍子としてのリズムがあった。
 その近くには洞窟がある。そこへ運び込もうとしていた。
 行った先は奥行きがかなり広い、洞窟だった。平たい箇所に娘を寝せた。そして、まず火を起こした。
 火が点
(つ)いて薪に広がると、娘の襟元を開き、両掌で腹部を抑え、一気に活を入れた。服部活である。
 娘は気がついた。
 「あッ!気が付いた……」驚くように島崎ゆりが言った。
 「おい、小娘。この娘に、これを呑ませてやれ……」
 そのとき、矮男は次の行動に懸かって、もうこの場にはいなかった。その動きが早い。まるで消えたようだった。
 「お姉さん、これ、呑んで」
 「なんだ、これ?」
 「知らない。呑ませてやれって……」
 「まあ、いいか」
 小さなコップに琥珀色の液体が注がれていた。
 それを副島ふみは一気に飲み干した。躰の温度が下がっていたので、こう言うときの気付け薬になる。
 雪山などで、セント・バーナード救助犬が雪中遭難者を救助する場合、首輪部にブランデーの小さな樽を下げているところは、よく知られるところである。冷えきった体温を上げる場合に少量のブランデーは気付け薬になる。
 「うまい!」と副島ふみ。
 「美味しい?……」覗き込むように訊く島崎ゆり。
 「これは、ブランデーだ」
 「じゃあ、わたしにも、ちょっと呑ませて……」
 「子供は、駄目」
 「ケチ……」
 「おい、今の、なんだ?……」
 「なんだって?」
 「今、なにか居なかったか?……、人のような、猿のような?」
 「今の、おじさんのこと?」
 「あれ、人だったのか?……」
 「そう、小人
(こびと)のようなおじさんの事でしょ?」
 「世の中には、変な生き物がいるもんだ……」呆れ気味にいう副島ふみ。
 「お姉さん、あのおじさんに扶
(たす)けてもらったのよ。お礼言わなくっちゃ」
 「しかし、降下するとき、誰かが、頭を思い切り蹴ったような気がする。凄い蹴りが入ったような……。
 それですっかり、そこで記憶が消えてしまった……」
 「それッて、わたしかも……。ごめんなさい!」直角の最敬礼をした。
 「まあ、いい。怒りたいところだが、助かったからなァ。これで、貸し一」
 「えッ?……、何だか高くつきそう……」
 「貸しは高くつくもんだ」
 「わたし、借りをつくちゃったの?」
 「そう。……あッ!頸……痛い!……」頸を抑えて悲痛な声を上げた。
 「どうしよう?……、大変だ……」と、相槌はただおろおろするばかりだった。

 世の中は「凭
(もた)れ合い」である。人間界では凭れ合いが物を言う。
 では、凭れ合いの基本は何か。
 味方は絶対に裏切らないことである。味方同士の双方は互いに絶大な信頼を寄せることである。この関係において世の中の凭れ合が成立する。
 ところが世の中を能
(よ)く観察すると、この凭れ合いが崩れていることに気付く。
 孔子が何故、「義」を重んじたか。「仁」を重んじたか。この二つの中に「誠」があり、「まごころ」があったからだ。「まごころ」をもって、凭れ合いの関係は成立する。
 つまり、味方ならびに同じ釜の飯を喰った者同士は裏切らず、何処までも「まごころ」を押し通さねばならないのである。これはまた『陽明学』の基本定理であった。
 敵味方の境目が不明瞭であり、味方陣営の者が味方を裏切り、敵に通じたり、敵に塩を送るような愚行をすれば忽
(たちま)ち凭れ合の関係は崩壊してしまう。連帯感が崩れれば、他人への親切が出来なくなる。これは人間の情を解する神経(センサー)が毀(こわ)れたからである。
 世の中をよく検
(み)れば、何とこの関係が崩壊していることが多いだろう。個人主義である。特に現代は烈しいように思う。

 例えば金銭の貸借において、自分が何処かで某かのローンを抱えていたとしよう。そしてそのローンが払える間は歩頓悟経済的不自由に陥ることはない。ところが、払えなくなって借金のための借金に迫られる場合がある。その場合、一番多いケースは、その人が親兄弟・姉妹や親戚・知人に泣きつくことである。
 「間違いないから絶対に信用して欲しい」と軽口を叩き、そういう筋合いから金を引っ張り込んで来る。
 そして、借金のための借金を繰り返すことになる。こういう循環に嵌まってしまうと、大半はこの蟻地獄から抜け出せなくなる。
 何故か……。

 一番の味方が親兄弟・姉妹や親戚・知人であったからだ。その一番の味方を最初に喰い潰しておいて、「更に」ということは、もう味方陣営からの援助は受けられなくなるだろう。
 一番信頼の出来る、味方陣営の善を早々と食い潰しておいては、もう残る切り札がないだろう。そういう味方は、最後までとっておくべきであり、むしろ難解・難儀と思える方から引っ張って来るのが上策であろう。
 味方を早々と喰い潰してしまえば、下策どころか、策にもならない。人間学においての交際の何たるかを知らない不適格症の患者である。斯くして、この患者は誰からも相手にされなくなり、孤立して、淋しい冷徹の徒と成り下がり厭世観に襲われて自己破壊への方向へと向かう。
 味方を裏切らない……。簡単なようで、実は難しい。

 そのうち、矮男はキャサリンを背負って来た。
 「複雑骨折でないが、骨折している。わが輩が治せば、全治5日……」
 「まあッ!……。治るまで、5日も……」驚いたように言う。
 「普通だったら、一ヵ月以上かかる」《これでもサバを呼んで、少しばかり遠慮気味に言っているのだぞ》という態度を崩さない。
 しかし、まだ三人居ない。
 「まだ三人が居ません」
 6人で飛び出したから、何処かに3人が散らばってしまっていた。
 そのとき、洞窟の入口が騒がしくなった。がやがやと人が群れる聲
(こえ)であった。
 「その三人は、どうやら見つかったらしい」
 話し声の数を即座に読んだらしい。

 「やはり、お手を煩
(わずら)わして救助されてしましたか」とアン教官。
 「あんたか、こういう空からの茶番を考えたのは?……」皮肉げに言う。
 「茶番でなく、無断外泊者を此処まで捜索に参りましたの」涼しい貌で言う。
 「言い方も、いろいろあるものだ。それは大変でしたなァ、少佐どの。わざわざこの大雨の中を。全くご苦労なことだ……」矮男はまだ皮肉を崩さない。
 「津村伍長。あなたを無断外泊者として逮捕します」強気で言い放った。
 「ほーッ……。逮捕とは、これ如何に?……」
 「黙って連行されて下さい」
 「あんたも、強気な人だ。少佐」
 「本当は心からお礼申し上げたいところですが、事は急を要するのです」
 「しかし、この雨。暫く止まんぞ。この時期、豪雨となって、この辺が何処も彼処も滝のような川になる。
 怪我人も居ることだし、暫く麓にでも移動して、休養して行くことだ。雨はこのまま降り続く。やがて道も分らなくなって、三日間は降り通しだ。ここで下手打って遠方移動すると、今度こそ、本当の遭難になるぞ」
 「三日間も……」
 「雨が開けるのは早くて三日後。それに、川となって道は変わる、あとからでは移動は容易でないぞ。それは雨が上がってもだ。したがって麓へ移動する必要がある」
 「では、道案内をお願いします」

 津村は貯えた薪
(まき)を集めて火に焼(く)べた。外は雨が降り続いている。
 「火を絶やすな。雨の中をうろつく化け物が居る。此処らはそういう獣がうろついている。啖
(く)われた者もいたという……、火を絶やさぬことだ」
 火がパチパチと爆
(は)ぜていた。焔が大きくなって洞窟内の影が揺れた。外は酷い雨だが、洞窟内には水が流れ込まないようになっていた。

  「少佐。あんたは不思議な人だ」この言葉に中には、多方面に亘り、いろいろな意味が含まれていた。今宵のこともそうだ。
 津村陽平はそう言った。
 「それは、お褒
(ほ)め頂いているのでしょうか」
 アンは、《あなたほどでは……》と言いたかった。
 「急いでおられる……、なぜ急がれる?」
 「戦時ですもの」
 「そうか、戦時か……。老兵も応召されて、負け戦に参戦か……」
 津村は意味ありげな、分ったような口を聞いた。
 「お願い出来ますか?……」
 彼女は熱い眼で訴えた。懇願する眼であった。
 「では、まずは逮捕でもされて、重営倉に出も入るか……」
 「?…………」重営倉が不意を突いた。自分を追い込んでみせるからだ。
 津村陽平のこうした一面が理解に苦しむのである。人を啖っているのか……と思う。
 「空からとは奇怪な行動をする人だ」《その無謀は命取りになにますぞ》と加えたかった。
 その奇怪は怪しさを含む、常識では考えられないほど不思議だと言いたかった。苦労人ゆえか。あるいは既に死の狭間で何かを垣間みたのか。一見悟ったようなことをいう彼女を訝しがった。
 人間界の総ての法則は、その人の体験によって、最後の磨きが掛けられていく。

 「それは、先ほどお聴きしました」
 「その青い目が訴える高貴の彼岸。妙に、わが輩のような老いた、冷め切った血まで騒がせ、沸かせる。
 わが輩は、しかしあんたの心の奥が読めない。おそらくわが輩に限らず、誰も読めまい。だが、あんたはわが輩如きに悟ることの出来ない巨大なものを秘めているような気がする。それが何であるか問うまい。
 わが輩は、その昔、わが父より、感性と悟性を分有して、瞑想し、想念する術を習った。成るべきして成る想念に描いたものは必ず成就する現象界の不思議を習った。その荒唐無稽と思えるその想念をもって、あんたを検
(み)てみよう……」
 「どのように見えましたでしょうか」
 「完成しない青写真が見える」
 「でも、完成しなくとも、青写真が焼けるものなら、それに挑んでみたいと思うのも人間の欲……」
 「では、あんたの欲望の一翼を、わが輩も荷なえと言うか……」
 「できれば……」
 斯くして話は成立した。
 百匹目の猿は捕獲出来た。『天の岩屋戸作戦』は一応、成功裏に終わった。


 ─────日本で男尊女卑の考え方が始まったのは、いつの頃からであったろうか。
 普通、江戸前期の儒学者で教育家であった貝原益軒
(かいばら‐えっけん)あたりの「益軒十訓」に出て来る『女大学』から端を発していると思いがちだが、実は男尊女卑の考えが濃厚になったのは、明治期の“明治39年(1906)の丙午(ひのえうま)”の迷信から始まったらしい。
 中国でも、日々の暮らしの中で干支が広まるのは十一世紀頃の北宋時代末期である。
 日本においても干支は用いられていたが、丙午という干支を信じる平安貴族たちは少なかった。

 しかし、江戸期に入ると干支の組合せが特有なものに変化して、丙午は「勢いがいい」という意味からこの絵との女性を嫁に貰うと亭主が啖
(く)われるというデマが飛んだ。斯くして、この年を機に、大衆の間でデマが実(まこと)しやかに囁かれ、やがてこれが男尊女卑に繋がることになる。
 更に時代が下がるほど、この迷信は酷くなった。これが女性差別思想に直結したのだが、発端は根も葉もない“誤解釈による干支観”の流言から始まったのである。

 丙午……。
 道教では、丙午が60年に一回巡って来る。
 だがそれは“女の丙午”の年には火の勢いが強くて、この年に剣を鍛練すると名剣が生まれるという言い伝えがあった。それを日本では明治期、“女の勢い”を解釈され、運命学者が勝手の「勢いの強いは悪妻」と定義してしまったのである。この年、つまり「明治39年
の丙午」から大々的に流布されてしまったのである。
 大衆はこの流言を信じた。無責任な運命学者の言を信じた。
 女性の地位が降下して行くのは明治39年以降のことで、大正・昭和に成る程、烈しくなり、男尊女卑の思想が日本に定着したのは、西洋思想が雪崩れ込んだ明治中期以降のことである。
 むしろ幕末期の下級武士階級から、多く偉人は輩出したのは、武門の家を守った良妻賢母から生まれたものである。これは「女大学」の影響でない。家を、家内という女房中心に動いていた証拠である。その家の女房がわが子を育て、厳しく躾け、教育したからである。下級武士でも、教育程度の高かったことは、武門の家の母親の影響であった。母親が偉大であったからだ。

 だが近代は、西洋文化流入により、明治以降は多いに混乱した。その最たるものが、明治5年12月に突然変更させられてしまった太陰暦から太陽暦の採用であった。その代表的なものはグレゴリウス暦で、365日を一年と定め、四年年ごとに閏日
(うるうび)を置き、百年ごとに閏日を省き、また、四百年ごとに閏日を省くことをやめる暦修正である。

 夕鶴隊は初公演の舞台を、何とか演じてみせた。曇天の中の強行降下である。
 だが、これで終わったのではない。始末に撤収が残されていた。
 出張ったところからが速やかに撤収しなければならない。居座ってはならない。重い腰を据えて居座っては中国戦線の二の舞になる。此処は内地だが、誰にも気付かれずに痕跡のも残さず撤収しなければならない。電撃的なスピードで目的地に降下し、無事成功裏で終わったら、速やかに撤収しなければならない。
 だが歴史を検
(み)れば、その禁を冒したものは多い。例えば南京攻略の圧勝であった。
 このときは、大陸に居座るのでなく、速やかに撤収すべきであった。歴史的眼光・眼力で、この攻略を考えれば、寛大な条件をもって講和をすべきであった。条件がどんなに寛大であっても、日本軍はそれにより弱さを曝したことにはならない。むしろ背後から中国軍に手を貸すナチス独逸を牽制する意味で大きな効力があった筈である。泥沼に引き摺り込まれないぞという意志表示である。
 昭和陸軍の戦争指導者はこの寛大さに欠けていた。そして正反対の方向に向かって歴史の法則を真っ向から蹂躙
(じゅうりん)するものであった。愚である。
 しかし、今日の実情を振り返れば、日中戦争当時の、同じ轍
(てつ)を二度踏む政財界の愚がちらついているように思うのである。知識があっても、道義に欠ける「道」を忘れてしまった現代、日中戦争当時の同じ轍を踏むだろう。政財界を見渡すと、そのように動いている。

 速やかに撤収・撤兵する。兵法の鉄則である。
 だが、簡単なようで、実にこれが難しい。
 人間にはその場に馴染む順応能力があるからである。急激な変化でも、直ぐに馴染
(なじ)んでしまう。生活環境の違いも、気候や風土の違いも、直ぐに馴染んでしまう。棲(す)めば都と思う。出張ったときはこれが仇となる。つい長居をしてしまう。去るべき時機(とき)を逸してしまう。日中戦争の愚であった。

 「撤退ですぞ、急がねばならん」
 「いま、長雨が続くと仰ったではありませんか」
 「それは居座ることではない。もう直、もう一度、なにかが飛んで来る……」
 今度は別のものが飛んで来るという意味である。別のものが偵察に来るということだ。
 「分りました」
 この返事は「敵味方の標識」が分った上で“分りました”と言ったのだろうかと思った。
 敵味方の標識はなにも、「陸軍」対「海軍」の構図だけでない。大戦前から日本では陸海軍の足並みは揃わなかった。縄張り意識が、部外者の口を阻
(はば)んだ。
 しかし大戦末期になると、陸軍の中には種々の派閥が出来、それが縄張り意識を作り、日本の中の陸軍ではなく、陸軍の中の日本であった。また海軍も同じで、海軍の中の日本であった。ここまで分裂しては、勝つ戦争も勝てない。そもそも、大東亜戦争は日本が欧米に勝つ戦争であった。

 では、何故負けたのか。日本の国軍が分裂していたからである。
 しかし多くの戦史家の多くは、日米との物量の差を上げて、この差から「先の大戦は無謀な戦争であった」としている。もし、「差があった」とするならば、分裂していたか、一枚岩であったかの差であろう。この差で負けたのである。日本人はいい武器を持っていても、戦争に勝てるような民族でない。今日の自衛隊然りであろう。縄張り意識で分裂しているのである。したがって大事を見逃し、小事にこだわる。これこそ、日本人の島国根性であった。細分化するのは巧いが、大局を検る目に欠けている。それを雄弁に象徴するものが、昨今のネットの世界だろう。
 人類はマクロに生きず、ミクロの中で、陰の支持者を求めて「縄張り争い」あるいは「派閥争い」をしているのである。それを支持競争と人気競争で競っているのである。大局がないと言えよう。

 さて、戦に負けが度重なって来ると、その負けに乗じて戦後、少しでも自分を敵国に売込み、あたかも秦の趙高
(ちょうこう)のような輩は暗躍するようになり、内側から城門を開いて敵の侵入をよくしようとする売国奴が顕われて来るからである。
 大戦末期は、高級軍人の一部にもこういう売国奴が顕われ、敵に内通し、敵の侵入をよくするために暗躍したものが居た。日本人が日本人を売るという構図だが、売る方の日本人の意識の中には、既に日本人と言う意識はなく、“国際人”という意識を持っていた。その最たるものが、連合艦隊参謀長の福留繁や高須四郎らがアメリカ軍将校の指導するフィリピンゲリラの捕虜になって「Z作戦計画書」を奪われ、コピーされて米軍に重要機密を洩らした、この事件などであろう。福留は責任をとって自決することもなく、また何ら処罰される事もなく、軍法会議にもかけられず、その後、第二艦隊司令長官に栄進した。また高須は古賀峯一連合艦隊司令長官が遭難し、その生死がはっきりしない時に、自分が先任だからと言う理由で、連合艦隊の指揮権を取ると宣言し、連合艦隊長官として勝手に兵力を動かし、軍令部や大本営を混乱させ、アメリカ軍に利敵行為を行なった。そういう輩が日本人と言う意識を超越し、国際人として国際連合軍の一員として水面下で暗躍していたことである。
 連合軍は連合軍だが、この連合軍はワンワールドを目指す国際連合軍なのである。多くは同じ日本語を話しながら、通訳などをして日本の情報を連合国側に流していた。そういう水面下の暗躍も多くの国民は敗戦日本の焦土と化した列島に生きて行くことになる。

 雨の降る漆黒の空に爆音が響いた。偵察を思わせた。
 このとき津村陽平が“もう直、もう一度なにかが飛んで来る”と言ったのは、何も陸軍機が榛名山の麓付近の上空を飛ぶというのでなく、それは海軍機かも知れないという意味であった。海軍機が陸軍機の行動を探っているという意味だった。
 そもそも黒桧山に接近するとき、高度3000mを保ち、北から侵入して、榛名山の麓付近に降下したいという痕跡そのものが、外部に流れていたのかも知れなかった。奇手を含む作戦などは連合国側に高く売れるからである。機密事項の売却である。
 それをアン・スミス・サトウ少佐は、あり得ると感得したのである。この降下自体が「奇手」ではなかったかとアンは思ったのである。それを流せば連合国側に高く売れる……。あり得ることだと思うのであった。
 その「高く」は終戦後に大きく物を言うようになる。海軍の一部には「水交社」経由で感化組や啓蒙組、更には改造組が芽生えつつあったと云ってよいだろう。その証拠に、戦後の東京裁判で、A級戦犯として処刑された海軍の高級軍人は一人もいなかった。日本人から、日本を売り渡して国際人になることによって、戦後、大きな利権が転がり込んだのである。

 「あんた、案外、物わかりがいいなァ」
 この言葉が津村の言わんとした意味を了解したということであった。
 「雨が止む節目があるということですね」
 「やがて東南の風が吹く。時折、気紛れに吹く風じゃ。その風が吹いてから少しの間は雨が小振りになる。居座ればその後に襲う豪雨で、此処は水没する。その前に移動するのが上策であろう……」
 「分りました。では、その東南の風とは、いつ吹くのです?」
 「風は気紛れじゃからのう……」
 それを見極めよという意味である。
 「風は気紛れ?……ですか……」
 「ああ、気紛れ……。そして気紛れは慰めもする……」
 「……………」
 「死んで逝く者まで、時には慰める……。この辺は、みな貧しい……。あんた、食糧はあるか?」
 それは自分の喰う分は、自前で用意しているかと言うことであった。里の者の食糧を分けてもらう等をするなという意味であった。底辺は、みな貧しいからだ。
 「はい、多少は……」
 「この辺の貧しい者は、みな『振り米』を持っている。みな貧しいからのう……。水呑百姓は飲まず食わずに何とか生きている。生きているが、みな、殺さず、生かさずにだ……。そういう、お上のお達しで、何とか生きている。そして唯一の安心が、細やかな振り米」
 「振り米?……」
 「米は貴重だ。この辺の作物は粟
(あわ)・稗(ひえ)・黍(きび)と麦を中心に、米がほんの少々……。
 これらを併せれば五穀……。その五穀を、普段から少しばかり竹筒に入れておいて、死にかかった病人の耳許で振って音を聴かせてみせる。そして、言うんじゃ。『これ、今から炊いて粥
(かゆ)をつくるからな』と。
 すると病人は、こっくりと頷
(うなず)いて、安堵したかのようにほっとし、そのまま安らかに息を引き取ると言う」
 「なんだか悲しい話……」
 「人間は、みな悲しい。生きるものはみな不憫
(ふびん)……、みなそういう世界に生きている」
 「……………」
 「さて、気紛れの風が吹いて来た……」
 全員は、次の場所に向けて移動となった。

 アンは、世の中には津村陽平のような奇怪な人物が居て、何故この種の人間に巡り会うことがあるのかを反芻した。思えば不思議な因縁であった。
 彼女は《人間界には、そうして偶然や奇遇が沢山転がっているのかしら。ある意味では、これらの事象は偶然でなく、必然であかも知れない。人間は、こうした必然を神の決めた確率から偶然と呼び、人智の及ばないところを必然というなら、確かに偶然かも知れないが、その一方で別の偶然もあるのではないか。それは時代や国家を超越して繰り返される人間現象の時空というもので遭遇する偶然と言う必然……》などと繰り返して見るのであった。
 必然と言う因縁を思った。

 風が変わった。雨が小降りになった。撤退の隙間が開いたのである。この間隙を抜けて虎口から脱出を図らねばならない。
 移動が開始された。

 移動に際して、骨折1名。脳震盪ならびに頸椎亜脱臼1名。足頸
(あしくび)捻挫等の軽傷者3名であり、損害は軽微だった。津村陽平に言わせれば骨折者は全治長くて5日と言った。これ自体が奇蹟的だと言えた。
 全員が偉大な運を背負っていたのだろう。
 運が良いとは、九星気学で言うように、九年周期で乱高下することを言うのではない。また良い方位に行っても有頂天に舞い上がるような驚きは発生せず、更には悪い方位に行っても極端に悪くなるという運命の陰陽に翻弄されることではなかった。常に安定しているのである。この安定をもって、運が良いと言うのである。
 したがって有頂天に舞い上がるほど良いことも起こらず、地獄のドン底に叩き落とされるような不運も起こらない。運の良い人間は、常に安定しているのである。周期によって上下振動が起こらない状態を、運が良いと言う。平凡の偉大である。

 津村は靴の類を履いていなかった。草鞋
(わらじ)である。そのため、苔むす滑り易い岩場の上も滑らずに進むことが出来た。岩場歩きの達者であった。
 骨折者1名は移動に担架という手もあるが、傾斜地では担架では移動が困難である。傾斜地では山の熟練者が背負った方が早い。背負って降りた方が自由が効く。
 猿が自分より大きな背丈の女子を背負って闇の中を翔
(かけ)た。早い、とにかく早い。飛ぶように翔た。後続者は後を追い縋るのがやっとだった。後続者から見て前方の猿との距離は一向に埋まらない。
 後を追う連中は思う……。
 前方を疾走する猿との距離感が掴めないのである。不思議なものを見ていた。やっとのことで距離を縮めたと思っても、近付いた分だけ引き離されていて何とも前方に不思議な物体を見えているのであった。しかしその物体も後続者の気配を感じつつ後ろへの配慮を怠っては居なかった。後続の全隊がどのような状態であるか把握しているのである。指揮官の器であった。
 遅れる者は「その場に動かずに居れ」と猿が吼えた。猿は「後で迎えに来る」と吼えた。捻挫の三人組と、他に何名かを残し、猿は疾った。
 急がねばならない。もたもたしていると道は途端に急流の滝のようになる。その状態が如何なることか分っていたのである。先を急いだ。着いた先は洞窟の中の奇妙な一軒家だった。燈火
(あかり)が点いていた。
 屋号は“丸に重”の字の『やど重』だった。

 「おい!……、岩村重蔵、いるか!」
 「誰だ!オレの名をフルネームで呼ぶやつは?……」
 中から、のっそりとした大男が出てきた。
 「わが輩だ」
 「猿か。妙なもの、背負っている……」
 「部屋を貸せ」
 「こういう日は高いぞ。ご覧の通り、部屋は満杯。なにせ夜逃げ、兵役逃れ、詐欺に犯罪逃亡者、共産党員や無政府主義者、官憲に負われる思想犯、間者
(スパイ)、大道香具師、托鉢坊主、更には色事師、駆け落ちに足抜き、鉄火場の付馬(つきうま)、心中希望の男女の登山者とかが駆け込んで、まさに凶状持(きょうじょうもち)や世間師の駆け込み寺だ。忙しいこった。みな峠越えらしい。
 だが奥まった納屋なら、些か空きがある……」と大男は顎で先をしゃくった。
 『やど重』は世間の吹き溜まりであった。
 「あと二十人ばかしが来る」
 「遭難したか!、何処かの登山隊か何かか?……」
 「そうだ、遭難だ。救えッ!」
 「ああ、わかった。洞窟の奥だ……」《奥に進んで、そこへ行ってくれ》と指示しているのである。空き部屋がないという意味である。
 猿は奥へ駆け込み、背中の女子を横たえた。躰がぐにゃりとしていた。
 「こりゃァ、いかん」とぐったりとした女子の額に手を遣った。発熱している。しかし命に別状ないと思うが油断も出来る。骨折は発熱した後、奇妙な後遺症が出るからだ。
 「岩村重蔵!松明
(たいまつ)を表に立てろ。そして二人ばかり手を貸せ。外にまだ遭難者が居る。居場所が分るように目印を立ってろ。分ったか、岩村重蔵!」
 「フルネームで呼ばれなくても分っているよ」

 斯くして遭難者はみな収容・保護された。
 しかし、夜半から降り注ぐ雨は再び激しさを増し、一向に止む気配がなかった。収容保護されたものの最大の危機は過ぎ去ったのだろうか。これで総て安堵出来る状態にいたったのだろうか。
 否と思う。
 まだ、これからではないのか。この世界にはそういう問いはないが、しかし最大の危機が通り過ぎたと思った瞬間、最大の危機が待ち受けている事がある。特異点は何の前触れもなく、突然起こるのである。最大の危機の変貌である。
 降り注ぐ雨に最大の危機も最少の危機も、そんなものは何一つ暗示されていない。したがって、考えても仕方ないが、時間の経過は放置すると悪い方向に運ばれてしまうことがある。言うまでもなく、一刻も早く抜け出さねばならない。
 津村陽平に通達が終了した後、長居は無用である。しかし、長居しているようにも思える。それは負傷者の影響である。だが、そのために長居すれば致命的なことが起こる場合もある。移動が賢明である。
 何故なら、人間には適応力があるからだ。環境や状況に馴染んでしまって、つい腰が重たくなる。こう言うときこそ危険である。馴れて居着けば危うい。兵法にはそうある。斯くして、出て行くのが億劫
(おっくう)になるのである。こう言うときこそ、それを断ち切り出て行かねばならない。特に自分を忘失した者ほど、居心地のいい場所になる。危険だ。
 遊撃戦を展開する集団こそ、同じ場所に長居してはならないのである。その移動時間が迫っていた。



  運気     八門人相     房中術     癒しの杜     菜根譚     小説     会報Back No.     合気     蜘蛛之巣伝     死の超剋     霊的食養     心法