運気 八門人相 房中術 癒しの杜 菜根譚 小説 会報Back No. 合気 蜘蛛之巣伝 死の超剋 霊的食養 心法
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続 壺中天・瓢箪仙人 31

小説には二種類ある。
 一般に本屋などで市販されている書籍としての小説は、「商業小説」と言う。出版社が有能な編集員などを起用して作家に大衆に売れる本を制作させる書籍などを商業小説と言う。ところが、この小説と対照的なのが、「厳密小説」であり、この種の小説は、全く商業小説としては遣い物にならない。

 第一、ページ数の無視であり所定のページ数内に文字を納め切らず、大幅に食み出しているからである。更に客観的な物の見方でなく、主観主体で、「自分は……」とか「自分が……」として、そこには時間無視が挙げられる。第一人称で書かれていることである。

 つまり、端的に言えば「長過ぎる」のである。また読者の興味を惹く内容でないとされる。独断専行型である。
 多忙時代、こういうのは商業主義でいういならば「絶対に売れない小説」となろう。
 言うなれば、「換金できない小説」なのである。大衆娯楽小説として、面白くないのである。恋愛や不倫などの色恋沙汰にしか、興味がなく、それ以外相手にしない無関心派から見れば、娯楽の対象外であるようだ。

 相手にされない小説……。
 商業主義の世界では、この種の作者の作品を「駄作」と言い、才能については「文才がない」と言うらしい。作品になっているか、そうでないかは問題でないらしい。


●百匹目の猿を捜して

 九七式輸送機
【註】キ34、略称九七輸。発動機名:ハ1乙、空冷9気筒、650np×2。実用上昇限度:7000m。搭載量:1750kg。航続距離: 1200 km。開発:中島飛行機(現在の富士重工業) 、製造は中島及び立川飛行機)。大日本帝国陸軍の輸送機である。
 この機の略称は「九七輸」などで、連合軍側のコードネームは『Thora
(ソーラ)』と呼んでいた。
 九七式輸送機の開発は中島飛行機で、製造は中島及び立川飛行機である。
 垂直尾翼に描かれた「丸に十字」が、空挺部隊のシンボルとして図案化されて描かれている。また、この機は落下傘降下訓練用に使用された。空冷9気筒エンジンを主翼に二基つけ、運行指揮官ならびに搭乗員は機長以下3名で、降下員は8名である。
 降下員は戦闘服の上に防寒用の降下外被を着る。背中には、一式落下傘を背負って飛行機に乗り込む。
 機内には降下口付近に鋼索
(ワイヤ)が張られていて、降下員はケーブル状の索道に鉤型のフックを掛け、降下長の「降下!」の下令とともに飛び出して行く。それは死地の赴くために飛び出して行くのではない。必ず生還するという決死隊であり、必ず死ぬ必死隊ではない。再び生きて還る決死隊である。

 この時代の軍隊の考え方は、死の赴くために任務が課せられ、あるいは死守という過酷な命令が下された。
 更に「聖戦」などの言葉も用いられ、戦争は美化されていた。死の美学、滅びの美学が持て囃
(はや)されたのである。任務に死を捧げなければならなかった。軍隊では死を介して、共同体の平等が成り立つと考えていたらしい。そして、極端に死を賛美したのが、昭和陸海軍の特長だろう。この時代に入って、人命軽視は甚だかった。
 しかしこれでは「根」が絶える。「根」が残らない。国が滅んでしまう。軍隊官僚は「根」の意味も知らずに戦争指導して、日本列島を焦土と化した。そして戦後、敗戦責任はとらずに頬
(ほ)っ被(かむ)りした。
 本来、戦争職人は生還を第一に考え、如何にして生命の損害を少なくするかを考える。そこに職人芸を見せなければならない。任務を果たしつつ、必ず生き残るという「運」を養成しておかねばならないのである。
 この運を「武運」と言い、武運は「徳」の顕われである。武門は、武運を重んじた。
 武運が拙
(つたな)くては運を失うからである。負け将棋を、もう一番、もう一番と繰り返してしまう。破綻(はたん)への末路である。

 「死棋腹中、勝機あり」と云う言葉がある。
 碁でも将棋でも、下手な一手を打って、その局面がすっかり死んでしまうことがある。
 例えば碁の場合、多くの人は取られた、また占領された局面を何とか盛り返そうとする。
 「この石を救おう……」などと焦って、あれこれ考える。これを手当てしようとする。
 ところが、そこがいけない。
 捨て置けばいいことを、あれこれ手を打って手当を考えるから、いよいよ局面が窮して、行き詰まってしまうのである。石一つを助けようとして、そればかりに囚われては、戦局全体を忘れてしまうのである。
 その結果、僅かな片隅の小局面を生かそうとして、じたばたした為に、全局面を失って大敗するのである。
 墓穴掘りの、お決まりの最悪コースである。
 これは将棋にも言えることで、「玉
(ぎょく)より飛車を可愛がる」などの愚行が、まさにこれである。愚者の陥る落し穴である。全体の大局が見えないからである。ケチが齎す“目先の慾(よく)”である。
 そもそもケチは、生まれながらに武運が拙い。

 かの江戸中期の儒学者・室鳩巣
(むろ‐きゅうそう)は、新井白石(あらい‐はくせき)の推薦で、幕府の儒官となった人物だが、この鳩巣先生が、旗本や御家人の若侍を集めて講義中、突如「諸君は武術の稽古に毎日専念している。それはまことに結構なことだ。だが幾ら武術が優れているからと言って、武運拙(つたな)くては何もならぬ。ところで、諸君は武運の稽古はしておられるか」と訊いて、此処に集まった若侍を唖然(あぜん)とさせたと言う。
 そして鳩巣先生曰
(いわ)く、「武運を養う稽古こそが、聖人の書を講ずる所以である。武運は徳の現れである。聖人の書を学ぶことは、つまり徳を積む修行なのだ」と喝破(かっぱ)したと言う。

 一般に「徳」というと、安易に善行を積んだり、陰でいいことをしてそれを他言せず黙って黙々と、それを徳と信じて、こうした行為を重ねて行くことが徳と思い込んでいるようだが、実は、徳はそうしたことだけで練り上げて行くものでもない。善徳ばかりを指すのではない。悪徳でも、実はそれが徳であり、これは不徳とは違う。
 不徳は“徳がない”ことを言うが、悪徳は、実に徳の一種であり、それが善であるか悪であるかは、実際には人間側の決めることでなく、天の決めることである。
 これを人間側が勝手に決め、彼は善徳の持ち主で、彼奴
(きゃつ)は悪徳の塊(かたまり)のような人間だと評論するが、この評論は人間側が下した判定であり、必ずしも天の判定ではない。
 況して武運とはそういうものであり、武運は一の生き死にに関わることであるから、それは天界にある物であり、人間界にある物ではない。更には地上界に存在する物でもない。総て、人間には推
(お)し量ることの出来ないものである。
 運は天にあるものである。故に、「富貴は天地有り」と古来より言われてきた。

 運命とか、武運と言う「運」が働く場合、その作用は人間の人智では如何ともし難く、総ては人智を超えたところに働いている。そしてこの働きは、単に偶然と言うことだけではなく、人間の観測出来ないところで必然的に働いている。
 言わば因縁的である。その因縁を人間が観測出来ないから“偶然”という言葉で摺り変えているが、実は現象界では偶然は起こらず、総て意味あっての事象から起こっているのである。
 人間は生まれた因縁に従い、自身の行動や行為を行うだけである。それに反映されて反作用が起こる。
 そして同じ愚者でも、愚者には「格」と言うものがあり、位違いの「ランク」と言うものがある。その中でも最低の愚者こそ、結果は絶望的な悲惨な事態を招く。
 大の虫を生かすどころか、小の虫すら生かすことが出来ず、おまけに自らも没落させてしまう。

 「死棋腹中、勝機あり」
 そう言う場合は、下手を打つより捨ててしまう。放っておく。他を生かすことである。死んだところは眼もくれない。
 死んだ棋譜の中で、別角度を生かして行く勝機というものがあるのである。
 勝機は死んだ箇所に眼をくれては駄目である。まだ死んでないところを生かすべきなのである。
 取られたところ、損をしたところ、そういうところは放っておけばいい。一局面に囚われて全体が死んでしまっては何もならないからである。
 小さな局面に閉じ込められて、それに思い悩むと迷いが生じて優柔不断になり、遂には自由自在性に欠け、裡側より出
(いず)る力が萎縮するのである。
 それはまた、「抜ける術」を知らないからである。
 この術を知っていれば、掴まれて放すまいとしても、それから離れようと、もがくのは智慧のない者のすることであると気付く。そう言う場合は、逃れようとしてもがくのではなく、迎えて果たして行けばいいのである。これが因縁の順なるところである。
 つまり順とは、こういう局面から、するりと抜ける術を指すのである。
 これは身体的束縛や蹂躙
(じゅうりん)だけではあるまい。
 人生においても、そう言う束縛や蹂躙は生じる。摩擦が生じる。
 例えば不幸とか、貧乏の類
(たぐい)である。
 普通、不幸は厭
(いや)である。厭だから不幸から逃れようとする。

 しかし、そうした運命にある場合は仕方がない。不幸と言う因縁が運命的に定められれば、それは迎えて果たして行く以外あるまい。逃げ回っても解決することではない。逃げれば永遠に追い掛けて来る。
 不幸が厭だといって逃げ回っても、そういうものは簡単に諦めてくれない。いつまでも追い掛けて来て離れようとしない。益々くっついてしまう。接着して貼り付こうとする。幾ら背中を向けて逃走しようとしても、それ以上のスピードで追い掛けて来る。

 では、こう言う場合どうするか。
 背中を見せて逃走するのでなく、反対に不幸の方に、こちらから突進すればいいのである。不幸の中に頭ごと突っ込めばいいのである。逃げれば、不幸と自分は相対的な二者の関係であるが、こちから不幸に突っ込めば、自分と不幸が一体となって、もう追いかけて来る不幸は存在しなくなる。そこで不幸は消滅する。
 これは二者の関係を一つにし、一体となったところで、するりと抜ければいいのである。
 これは貧乏の場合も同じだろう。逃げずに一体となって、機を検
(み)て擦り抜ければいいのである。
 また、離さないと執拗に絡んだ力も、こちらが余計にそこから逃げようとするから、ますます離すまいとする力は強引になる。一旦一つになって、その状態が生じてからするりと抜ければ、その束縛からは簡単に抜け出せるのである。
 結局、強引な力に応じてもがくから行けないのであり、一旦引き付けて、一体になった瞬間を狙って、するりと抜ければいいのである。それには「じっくりと待つ」「充分に引き寄せる」という辛抱が必要だろう。
 人間は生まれた以上、やがて死ぬものである。いつかは死ぬ。
 これは何ぴとも免れまい。
 しかし寿命でもないのに早々と死ぬのも厭だし、やはり寿命まで生きたいものである。そのためには思いがけないアクシデントに備えて自己防衛が出来る余力エネルギーだけは、老いたりと雖
(いえど)も養成しておきたいものである。これが「損する余裕」である。
 小局面に囚われるべきでないと教える。小さな局面にこだわれば、自由自在に欠けるからである。亡びるとしたら、そういうこだわりからであろう。


 ─────武運を背負った小集団がいた。徴用された女子挺身隊で編制された遊撃隊である。高等訓練を受けて特殊任務を負う。
 その集団が背中に一式落下傘を背負って、二機の九七式輸送機に分乗して乗り込もうとしていた。降下訓練をするためである。本来、九七式輸送機は降下要員定数は8人である。それをオーバーして、一機に11人が乗り込む。女の体重の軽さを計算してのことだった。
 男の場合、当時の平均体重は62kgとして8人では496kgとなる。
 ところが、夕鶴隊員の22人の合計は899kgで、これに指揮官の体重を加えても総重量1000kg以下である。その1/2が一機分の搭乗員の全体重でも500kg以下となる。重量では11人が乗り込んでも、充分に余裕があり、何の支障もない。

 それぞれは戦闘服を着込み、上衣の両襟には、兵長
(但し、班5人の長は伍長)の階級章と“丸に星”の小さな候補生バッチを着けている。左右の腕には、日本軍であることを顕す小さな「日の丸」が縫い込んであり、所属を示す識別徽章を着けている。また軍帽は、徽章班が掻き集めた近衛兵の帽章に似た黒地のフランネルの布地に金糸の刺繍が入った物を着けている。さらに軍装の上に防寒用の降下外被を着ている。
 武装はブローニングM1922だけである。武器を所持し、携帯していることが、戦闘行為の資格者とされるのである。
 逆に武器を所持していなければ、資格者とはなり得ない。単なる一般民間人の非戦闘員である。
 戦闘員は軍服を着用していることも問われる。
 この時代、戦闘服の迷彩色は布地印刷でなく、油性のペイントで、自分で描くのが一般的であった。自家製の手書きなのである。これを自分で施して自然界の中で目立たないようにカモフラージュする。自然界とか、闇に溶けないでは迷彩色の意味はない。闇に光ったり、蛍光塗料の類は愚である。

 戦時には『戦時国際法』というのがある。
 これは戦争状態にある国家間の国際ルールの決まりである。このルールによれば、武器規制があり毒ガス、細菌兵器、不必要な苦痛を与える銃砲の使用などが禁じられている。
 次に、一般市民や非戦闘員を戦闘行為の対象者にしてはならないとあり、攻撃して殺傷をしてはならないのである。
 また戦闘に参加する場合の資格として、正規軍の軍人以外の一般市民でも、次の条件を満たせば戦闘行為の資格者となる。市民が防衛のために義勇軍として蜂起した者も、その資格者に入る。その場合、敵味方の識別を明確にしなければならない。敵の軍服そっくりのものを着用したり、敵の階級を用いたり、あるいは非戦闘員の衣服を着込んで武器を隠し持つなどが国際法違反となるが、これらは殆ど守られたためしがない。
 現に「更衣隊」という非戦闘員に化けた兵士がいるし、また鹵獲品
(ろかくひん)として中国戦線には日本軍から鹵獲した小銃や機関銃や軍刀、それに下士官や将校の軍服を着込んで日本軍を装って攪乱した八路軍の工作員もいた。厳密に帰すれば、これなども戦時国際法違反である。
 だが、毛沢東などの赤軍首脳部は、これを「元手いらず」と称した。この呼称が「資本家のロープで資本家を吊るせ」であった。明らかに戦時国際法違反である。

 更に『戦時国際法』によれば「指揮者の下で秩序ある軍事行動」となっているが、《何と馬鹿な……》と言いたい。そもそも戦争に秩序が無い。その殆どは有名無実である。
 だが先の大戦中、戦時国際法に絶大なる信頼を寄せていたり、これを信じ切って、世界人類の一人ひとりは戦争状態にあっても国際法によって、その人権は保護されているという妄想をもった文化人や知識人も少なくなかった。戦後はその考え方が拡大されて、「無抵抗主義」を決め込む人も少なくなかった。彼らの多くは、無抵抗非暴力ならば、絶対に迫害されたり、虐殺されないという妄想を抱く人達である。戦後の平和主義はこの考え方の上に立脚した。
 戦時国際法によれば、将兵は規律ある軍事行動を採り、暴徒と化してはならないとある。軍人は軍規を厳守せよとある。捕虜は虐待してはならず、強制労働をさせてもならす、負傷兵は衛生管理下に置き、戦闘に関わらない一般市民は保護しなければならない……とある。まるで、スポーツ競技のフェアプレー精神である。果たして、これまでの人類の企てた戦争で、これが守られただろうか。

 実際には敵国の非戦闘員である民間人の物品を盗んだり、無闇に殺害したり、婦女子を強姦したり、その後殺害するなどの戦争状態では茶飯事であり、こういうのも守られた例
(ためし)がなかった。
 更に戦時国際法で驚くべきは「不意打ちの禁止」である。これは、兵は詭道
(きどう)なりを否定しているとも採れる。一部には、茶番のような規制が美辞麗句で並べ立てられている。
 だが勿論これらが発覚し、逮捕されれば死刑は免れないが、これはスパイなどの諜報員も同罪に入り、犯行後は死刑が相当となってる。しかし、それでもするのは、『戦時国際法』があっても無いが如く、結局戦勝国の軍事裁判によって、幾らでもこじつけや捏造
(ねつぞう)が出来るからである。

 戦勝国は敗戦国に理由付けなど幾らでも出来るからである。
 自己証明は理由付けによる。その理由付けに成功したのが、アメリカ独立戦争
(独立革命)で勝利したジョージ・ワシントンを総司令官にして戦った植民地軍(1783年、パリ条約によりアメリカ合衆国の独立が承認)であった。
 また啓蒙思想により第三身分
(平民)の擡頭などを要因として発生したのち、封建的な旧制度と絶対王政を打倒した。それにより人権宣言を公布さて、ルイ16世が処刑されて共和制が成立した。
 何れの革命も、主権は国民にあるという考え方に立ち、国民の選んだ代表者たちが合議で政治を行う体制をいう。この体制下において、近代国家の体裁がなされた。
 則
(すなわ)ち、この近代国家は市民革命と言う社会形態を発明したとき、同時に「国民皆兵制度」を発明したと言うのは当然のことであった。これは則ち、近代民主国家ほど、「戦争好きな国家」はないと言う現実を招き、その正体は破壊と虐殺を繰り返しつつ、国家の存亡を図って行く政治システムだったのである。近代市民社会が植民地主義を生み出し、帝国主義を生み出したと言える。これが欧米主義の正体であった。

 戦後日本人は、この欧米の正体が見抜けぬまま敗戦を迎え、その後の平和教育で学んだことは民主主義であったが、その主義の説かんとする一部だけを拡大解釈して、権利の主張ばかりに留まった。民主主義の肝心なる部分の「義務を履行する」ことには頬っ被りをしてしまった。そのために今日の現代日本人は社会に対する社会問題への感心はどうかと言えば、寒心に耐えない事実が立ち所に見えて来る。
 これは戦前・戦中を生きた日本人とは対照的であった。
 当時の日本人は大和魂という民族特有の社会通念を持ち、後世に対し「根」を残すという考え方があった。
 後に残す受け渡して行く精神である。これが「根」と言われるものである。残すべき種子である。
 ところが今日は、ほとんど崩壊してしまって、今の刹那を楽しむ個人主義が蔓延している。今が楽しければいいのである。此処まで日本精神が破壊されていては、後世への「根」は残るまい。

 日本の近現代史を振り返れば、「根」が絶える元兇が派生した時期が、昭和19年の節目ではなかったのかと思うのである。何故なら、当時の日本国民の多くは、時の権力者、特に大日本帝国陸海軍の戦争指導者たちの無能な国策に疑いを抱き始めていたからである。そしてこの疑いが、一気に爆発したのが、昭和17年6月の帝国海軍のミッドウェーの大敗北であり、この事実を国民が知ったのは昭和19年であった。無能者への失望である。多くの国民は単に戦局悪化を感じるだけでなく、敗戦を意識し始めていたのである。
 ところが軍隊官僚は、これを肌で感じることなく、未だに威張り腐って、夜郎自大のドンキホーテを演じていた。ドンキホーテは、ただ滑稽であるところに面白さがあるのであって、これに威張り腐った夜郎自大が加われば、同じ滑稽劇でも見られたものではない。
 事実は直
(ひた)隠しされて知らぬは国民ばかりでなく、戦争を知らない軍隊官僚も、また国民の変化を肌で感じる能力が欠如していた。そして戦後、自分らの“敗戦責任”には頬っ被りして、戦後も高額な恩給をもらいながら、英雄面して、温々とした安穏・安泰の生活を送った。
 戦後、これらを指弾するための国民会議の類
(たぐい)は一度も開かれたことがない。敗戦責任は一度も問われたことがない。
 斯くして、戦後、現代日本の「屈辱の日本現代史」が始まるのである。現在もその延長上にある。


 ─────空に舞い上がり、降下した夕鶴隊員は全員無事降下したが、それで任務が終了する訳でない。此処からが本当の任務となる。この降下は、本番の初舞台に向かうための序曲に過ぎなかった。此処からが本番の舞台の出演となる。その舞台において、手始めに陸上航法術を学ばねばならない。
 コンパスと地図だけで森林地帯や山岳地帯を移動する。その移動に伴い派生するのが疲労、極度の寒さや暑さ、睡眠不足、食糧不足、栄養失調、体調不良、人格破綻などの傷害が付き纏い、移動を疎外する悪条件が畳み掛けて来る。その悪条件は最悪に絡む地獄絵だろう。
 だが、その地獄絵が如何なる構図からなるか、一枚の青写真は各人が予期して脳裡に描き出しておかねばならないのである。
 では、この地獄絵から生還出来るキーワードがあるとすれば、それは何か。

 アン・スミス・サトウ少佐の脳裡に映し出されたのは、あの奇妙な津村陽平の行動であった。この津村の行動に奇異なるものを観じ、そこに生還の鍵がある直感したのである。そのために、あの日、新田郷へと九五式小型乗用車を駆けったのではなかったか。更待月のいい月の晩であった。この月夜が何かを暗示していた。何か月の影響を受けて“蠱
(こ)”が動いた晩であったろうか。
 “蠱”は月の支配下によって動くとされている。蠱物の動きを予感させたのである。極めて科学的でない行動律であった。しかし何か、惹
(ひ)き寄せるものを観じた。その直覚によって、いま空に舞い上がり、そこから鳥瞰図(ちょうかんず)の如き眼をもって再度の遭遇を求め、行動を起こしている時でなかったか。
 それをアンは反芻するのである。

 湯村陽平の奇異なるものは、何処にあるのか考える。それは「ネガティブ・カルマ
(negative karman)」と言う物かも知れない。この世の物質界を一切を否定したところに存在するのかも知れない。物ではなく、行いかも知れない。そこに奇妙な惹かれるものを彼女は感じていたのである。津村の天性に目を付けた。そこに宇宙の太道を見たのかも知れない。だが太道たいどう/大本)は掴み難い。太過ぎてミクロでは全体像が見えない。

 その例を挙げるならば、「百匹目の猿」である。これを「命の因果律」と捉えた。循環する命である。それも有機的結合をもって、生命体は始めもなく終わりもなくの状態で循環する道教的なものを津村陽平に感じたのである。
 「百匹目の猿」では、実験者がサツマイモを洗って食べる猿に目を付けた。この猿の一族の習慣となって後世に伝達された。ところが、サツマイモを砂地に落し、砂が付着して、食べると砂で口触りも悪くなり、砂が混じっては美味くもない。そこで川で洗って食べる天才的な仔猿が顕われた。川に持っていって砂を洗い流せば美味しく食べられる。それを発見した仔猿がいた。それを仔猿が親猿に教えた。親も真似し、その地域の猿は五年後、殆どの猿が砂の着いたサツマイモは川に持って行って洗い、それで美味しく食べられることを実践するようになった。

 次に何代か後に、サツマイモを海の塩水で洗って食べることに気付いた仔猿がいた。この仔猿は塩水で洗うとサツマイモが塩味付きになることを発見して親兄弟に教えた。数年が経つと、その地域の猿自身がサツマイモを塩水で洗うという食習慣が身に付いてしまった。それがサツマイモを食べるときの食文化となった。
 更に不思議なのは、この地域とは全く関係のない地域にも、同じ現象が顕われていた。そこの猿は塩水で洗うという事を教わらないでも、同じような時を経てサツマイモを洗うという食文化が起こっていたのである。
 「百匹目の猿」では、九十九匹では起こらなかった。百匹目の猿に顕われたとしているところである。
 あたかも、ある日、突然に起こる“どんでん返し”の特異点である。
 特異点に向かうのは徐々にではない。ある日突然にである。現象界では「ある日突然に」が一斉に起こるのである。
 その兆候は、最初一人の天才が顕われて、その天才が何者かを指導したことに始まる。この指導なしに、特異点が顕われようにも顕われようがないのである。
 斯
(か)くして津村陽平を「百匹目の猿」と検(み)たのだろう。

 本番はこれを克服し、目的を果たすことであった。しかしそれは、口で言うように簡単には行かない。幾多の難儀が待ち構えている。しかし、「運の塊」を投入すれば、あるいは難儀も一つ一つを克服して行く可能性はある。だが、その前に遣っておかねばならない問題が残っていた。
 世は情報戦ならびに心理戦に入った。
 障害物は単に肉体に顕われる事ばかりでなく、心的内部のも起こり、更にも況
(ま)して、周りから入って来る「流言蜚語(りゅうげん‐ひご)」という偽情報である。そして偽情報の伝達はある種の伝達速度を持ち、これによって情報戦や心理戦は攪乱を齎す。
 例えば、北海道・札幌から九州・博多までの流言蜚語の速度である。
 この速度に、極秘情報を加えたとしてその内容に情報担当者のみによるものとして当然守秘義務が発生するのだが、この情報に「日本は米国に
勝ったぞ」あるいは「戦争に負けたぞ」という、日本でも極秘情報を扱う担当者にこの情報を流したとして、その速度を計った実験をしたことがあるという。
 この伝達速度は、札幌から博多間までの時間が「人伝い」に寄るものだが、何と24時間だったと言う。恐るべき早さであった。つまり、裏を返せば、デマの伝達速度と言っていい。まさに燎原
(りょうげん)の火の如しであった。
 この速度は敵味方を問わず、攪乱されるアクシデントとを生む。これが奇禍
(きか)となる。禍である以上、決していい方には働かない。必ず災難を伴っている。デマは人間に禍を齎すのである。
 特にパニックの中に在
(あ)っては、自他ともに疑心暗鬼を生む。情報戦・心理戦ともに「諸刃の剣」となっている。遣い方を間違えば恐ろしい。したがって、いい指導者に付いて正しく学びたい。「百匹目の猿」の智慧を拝借したい。
 その初歩の陸上航法術を学ぶところであった。更には、遭遇する「者」に対しては戦わねばならない。格闘戦になる。しかし白兵戦だけは防ぎたい。刀や銃剣による肉体酷使の肉薄戦は避けたい。すんなり躱したい。
 この「者」は、また敵の人間であるかも知れないし、その他の大小の人間を襲う動物であるかも知れない。
 当然遭遇すれば、戦う事態が生まれる。そこには武器を持つ事態が起こる。武器は威嚇だけに留めたい。それ以上には遣いたくない。戦争を知る戦争職人の上策である。一方、下策を用いて、白兵戦は遣りたくない。
 況
(ま)して万歳突撃だけは避けたい。愚である。
 その智慧を「百匹目の猿」にあると検たのである。百匹目の猿は躱
(かわ)す方法を知っているらしい。するりと抜ける方法を知っているらしい。その術を習いうのが捜索する理由である。
 斯くして、百匹目の猿を捜して『天の岩屋戸作戦』が企てられた。つまり、概略としては岩との前で猿を誘き出し、出てきたところを捕獲するという作戦であった。天の岩屋戸の日本神話に因んでいる。


 ─────二機の九七式輸送機は大空を舞った。総勢22名を乗せ、それぞれに11名が分乗し、担当指揮官に指揮されている。
 指揮官の意図するように、あたかも『常山の蛇』のように動かねばならない。二匹の常山の蛇は、躰は二つに別れていながら合体して一つになり、頭脳の双頭だけを残し、首・胴・尾が連携して動くように訓練されている。有機的な連動をもって動く。頭の何れかを攻撃されると、それに応じて、尻尾が巻き返して反撃を加える。
 反対に、尻尾に攻撃を加えると、頭が巻き返しにかかる。また中央が叩かれると、頭と尻尾が、両方から一斉攻撃を始める。そのように連動していなければならぬ。これを遊撃戦の理想としていた。そして威嚇以上の白兵戦はしない。そうなる前に阻止したい。あたかも諸葛孔明の「七度擒
(つら)えて七度縦(はな)す」の心服への術である。その術を「百匹目の猿」が会得していると検たのである。これをもって自らは争わないし、敵に戦いも挑ませない。
 これがアン・スミス・サトウ少佐の発想であった。
 その発想の最初を験すために、第一回目の降下訓練が行われた。

 大空に舞う九七式輸送機二機は、N基地の二十七万坪の広大な敷地の上を大きく旋回しつつ、降下位置を決定しようとしていた。アン教官は一番機の機長横の操縦席にいた。
 「機長。高度を上げて下さい」
 「しかし、少佐殿。基地上空で、現在300メートルです。降下兵に課せられる最高高度は上弦は340mと決まっております」
 「その上弦の340mまで高度をとって下さい。総て責任は、わたしがとります」
 「しかし、全員が本日、初めての降下員ではありませんか」
 「大丈夫です」自信をもって相槌を打った。

 高度300mは自由落下を意味し、重力以外の外力が存在しない状況下での運動を指している。物体の自由落下運動は、鉛直方向下向きに一定の重力加速度 g で加速する。運動方程式は等加速度直線運動
(位置によって異なるが、ほぼ毎秒毎秒9.81mの割合の速度変化に等しい)である。
 したがって降下兵は、人間が微小重力を得るための有効な方法は、現在のところ自由落下のみとしている。この利用において、航空機や宇宙船もこの利用により運行されている。
 しかし、アン教官は高度を800m以上に上げ、出来れば1500m付近から飛び出し、自由落下の位置に入ったらその後、パラシュートを開いて着地することを考えていた。今日で言う、スカイダイビング的な発想である。空中で降下員が降下陣型
(フォーメーション)を組み、目的地上空に散開せずに、ほぼ同位置に着地する発想である。
 これは大陸奥地の地域を念頭に置いた地形を想定していたからである。降下長の合図で順に繰り出して降下したら、それぞれの降下員にタイムラグが出る。その修正を、空中で出来ないものかと考えていた。
 今回は単なる初歩的な実験であるとしても、本番の大陸奥地では、この考えに基づく降下を考えていたのである。

 「機長より、降下員へ。現在、高度340m、降下用意!」
 これを聴いて降下長は慌てた。提出された降下計画より40mも高い高度にあり降下高度の上弦だったからである。はじめての者には、このステップが容易でない。初回からいきなりこれでは、少々ハードルが高い。
 「なんと馬鹿なッ……」と降下長は思わず吐露した。
 しかし機長命令であった。遵うしかない。
 「降下用意!」降下長は怒鳴った。
 次に「待機」と掛かる。降下準備での待機である。待機は用意せよ
(stand by)の意味である。
 機体中央部の左側の降下扉が外され、風向きを見るために帯状の号旒
(ごうりゅう)が外に流される。号旒とは吹き流しのことである。これで風向きを見る。
 降下員は鋼索にフックを掛ける。そして九七式輸送機は一旦大きく旋回して水平高度を採った。
 「降下ッ!」
 降下員は、何の躊躇
(ちゅうちょ)もなく次々に飛び出して行った。その後、ポッポッと白い花が咲いた。
 降下長はその数を数える。そして、総て開いたのを確認して安堵を覚える。
 二番機にはキャサリン教官以下11名が降下を俟っていた。“常山の蛇”は連携して動いていた。共同の連帯がいい。無駄口を叩かず機敏であった。
 「指揮機より、二番機へ。降下用意」
 「二番機、降下指令確認」と応答があった。

 二番機である。
 「機長より、降下員へ。降下用意!」
 二番機にも降下扉が外され、号旒が流されている。風向きを計っている。
 降下員は待機の構えに入っている。
 二番機の降下長が吼えた。教官以下、鋼索にフックを掛けて命令を俟った。
 「降下!」
 各員、勢いよく飛び出して行った。そして、白い花がポッポッと咲き始めた。降下長は時間を計りながら、その数を数えて行く。そして無事に総てが開いたことを確認した。

 指揮機である。
 「機長。高度を1500mまで上げて下さい」
 「えッ?1500mですか」機長は酷く驚いた。
 そもそもが挺進部隊で降下訓練機である。高度を上げると、機自体に烈しい震動が起こる。九七式輸送機の最高時速は365km/hである。振動による負荷が懸かる。運行に支障が出る。その懸念が機長にはあった。
 「最後は、わたしが降下します」
 「えッ?無茶です。1500mですぞ」《気は確かですか》という訊き方だった。
 「わたしは、空中分解して墜落する戦闘機から、高度2500mで降下したことがあります。大丈夫です、安心なさい。あなたには責任がありません、命令です」
 機長は渋々高度を上げた。
 下で見ている連中は指揮機の動きを訝しがった。そのうえ肝心な主任教官が降下して来ない。飛行機は益々高度を上げていたからである。見ている方は「どうしたのかしら?」という感想で空を見上げていた。高度を上げた機は、既に4倍以上も高度をとっていた。高過ぎる、尋常じゃない……、誰もがそう思う。
 「降下長!降下します」降下口でアン教官が言った。
 「えッ?少佐殿、降下高度を遥かに超えています」心配そうな貌で訊いた。
 「大丈夫です」と言ってにっこりと笑った。
 「機長殿。今から少佐殿が降下します」と機内有線で連絡をとる。
 「了解!」
 「少佐殿、本当にいいんでありますか」
 「心配要りません」
 「少佐殿ッ。降下ッ!」
 アン教官は鋼索にフックを掛けずに飛び出して行った。
 「少佐殿ッ!」と呼びかけた時には遅かった。フックの掛け忘れに気付いたからである。
 あと期待するのは、降下員が自ら補助紐を引いて開くしかないのである。
 しかし落下傘がなかなか開かない。それを見た降下長が慌てた。
 「どうした?……なぜ開かない。紐を引け、紐を引くんだ、少佐!」と叫んでいた。

 下から見ている方も、降下して行くアン教官を見守っていた。
 此処で見ているのは夕鶴隊員ばかりでない。落下傘整備兵の一団を空を見上げていた。大変かことになったぞというような貌で全員が見ていた。
 「アン先生の落下傘が開かない」
 「紐が縺
(もつ)れたのかしら……」
 「開かない!」
 「開け、開いてくれ」祈りにも似た地上からの聲
(こえ)であった。
 そして自由落下の位置に入った途端、落下傘が急に白い花を咲かせたのである。
 「ああよかったァ……」
 そして見守っている全員の直ぐ近くに着地したのである。それを讃えて、全員の拍手が送られた。
 「見学、ご苦労さん」アン教官は笑顔を作って隊員に呼びかけた。


 ─────本日はもう一度、降下する。
 それもこれまでの陸軍降下規定を無視し、自由落下高度を超えてである。
 1500mで降下し、自由落下高度まで迫って、そこで落下傘の紐を引き、開いたのである。落下して行く際、躰を垂直降下に平行に預け、あたかも意識をもって落下箇所へ移動しているようだった。手と足を広げそれが方向舵になっているようだった。そして着地点に意識して近付いているようだった。
 アン教官の頭には空中での降下陣型を意識し、目的点の一点に着地出来ないものかと考えていた。
 降下高度が300m程度では着地点が、それぞれに広がってしまうからである。出来るだけ降下員同士は散らばらずに集合出来ないものかと考えていたのである。
 一回目の航空機による降下訓練は成功裏に終わったと言えるだろう。そして第二回目の降下訓練を300mより高い1000mに考えていた。
 降下が終われば、まず落下傘を自分で畳む。装備の保守は落下傘整備兵が行うが、最初は自分で畳んで数回使う。最初の一回から、いきなり自分で畳んだものを使う。慣れないと、あちらこちらが食み出している。そこで、「自分で畳んだから、開かなくても怨むんじゃないぞ」と落下傘整備隊長から言われる。そして躊躇していると飛行機から突き落とされる。責任の範囲を自分にいつも向けているのである。開かなければ自己責任である。そこで戦中は「落下傘大明神」の言葉が生まれた。

 そして、「落下傘大明神」という言葉を印象的に憶えているのは、習志野空挺団の下瀬上等兵
(三等陸曹で旧階級では伍長)が、平成3年8月のわが流の夏季合宿セミナーで、自分の雪駄に、この“大明神さま”を書いて写真に映ったことである。
 野郎は自分の雪駄の左右のそれぞれに「落下傘」と「大明神」を書いていた。


 ─────さて、小説に話を戻そう。
 夕鶴隊の第二回目の降下訓練だった。時刻は暮れ泥む午後6時30分であった。
 夏場とは云え、関東方面の暮れ泥む時間は九州より早い。本来は夜間飛行で訓練を開始したかったが、許可が出なかった。粘って確保した時間が午後6時30分であった。参謀本部の鷹司友悳中佐のゴリ押しも、これが限界であったようだ。また成功率の有無が不確実であったからだ。説得出来るほどの根拠がなかった。
 降下訓練を赦しているN基地では、どう検
(み)ていたのか。降下員が危険というより、九七式輸送機二機と熟練の搭乗員を惜しんだのかも知れない。
 一八〇〇
ひとはち:まるまる/午後6時)、降下員全員と輸送機の搭乗員は指揮所に集合していた。降下訓練の30分前である。

 「これからの降下高度は1000mです」アン教官が言い放った。
 この言葉に全員が沈黙した。
 ただ、挺進部隊大隊長の木山少佐だけが反論を唱えた。
 「サトウ少佐。それは無茶です。高度1000mなんて途方もない高度は、今までに誰一人経験がない。その高度では間違いなく、降下員全員は死にます」
 「ご安心なさい、木山少佐。今日、わたしは高度1500mから降下し、掠り傷ひとつ負わず、こうして此処にいます。夕鶴隊のこの子たちは大丈夫です。わたくしも、さすが図々しく、1500mとは言い難いでしょう。これでも控えめに、1000mと申し上げておりますの……」
 「……………」木山少佐も、呆れたというより、もう開いた口が塞がらなかった。女の強引と言うものか。
 「各機の機長はどうですか?」
 「それは命令でありますか」
 「命令ではありません、協力して頂きたいのです。また、明日の夜間降下に備えて、本日は最終訓練で確認しておきたいのです。
 おそらく明日は参謀本部命令で一九三〇
ひときゅう:さんまる/午後7時30分)の下令がある筈です。それも高度3000mでです。
 気象班長。明日のこの時間の群馬県前橋市北方の赤城連邦の天候はどうですか?」
 「明日の黒桧山
(くろびやま)山麓の天候は、午前は快晴、午後曇り、夕刻より雨となっております。この雨天では気流が悪いと思われます。降下には頗る不向きであります」と率直に、気象班長の茂山少尉が言った。
 「わたしたちに贅沢な気象条件を選ぶ時間はありません。予定通り、一九三〇に降下を決行します」
 「サトウ少佐、あなたは何故そんに死に急ぐのです。無茶です。幾ら参謀本部の命令とは言え、これは自殺行為ですぞ。私は賛成しかねます」
 「懸念には及びません。無事、帰還しますわ、ご心配なく」と、おっとりと悠長に言い放つ。
 「しかしねすなァ……」とまだ木山少佐は異論があるらしかった。

 「そこで、機長を始め、搭乗員にお願いがあります。黒桧山に接近するとき、高度3000mを保ち、北から侵入して、榛名山の麓付近に降下したいのです」
 「正気ですか!……」機長の一人が聲
(こえ)を上げた。
 「この山の高さは1828mですが、天候は悪い場合、乱気流による山岳波で機は大きく揺れて、烈しく乱高下する筈です。そのときも冷静に、そのまま侵入して頂きたいのです。気流が乱れたとしても直進し、われわれは山麓付近上空の2500mで降下します」
 「馬鹿な!……。そんこと出来る訳がない。降下する前に、乱気流で、機の方が空中分解するかも知れません。大変な航空事故がおこりますぞ」と聲を荒たげて他の機長が抗議した。
 「空中分解は致しませんわ、両機とも無事に帰還出来ます。ただ気流の乱れで、多少揺れると申し上げているのです」
 「あなたはどうして、そこまで言えるのですか!」と木山少佐。
 「わたしく、かつて山岳地上空で、高度5000mで乱気流に遭遇し、烈しい震動のために2500mで空中分解した戦闘機に乗っておりました。もと英国空軍のパイロットで、スーパーマリン社のテストパイロットでした。
 スーパーマリン・スピットファイア
(設計者:R.J.ミッチェル)の“スピット”の意味、投球による変化球とでも言いましょうか、隼(一式戦闘機)や零戦(零式戦闘機)のように小回りが効くということでしょうか。みなさんに決してご迷惑、おかけしませんわ。ご安心なさって、わたしたちを、そこまで運んで頂き、降下した時点で帰還して下さい。あとは、自分の面倒は、自分でみます」
 「……………」
 辺りに暫く沈黙が流れた。
 そして全員は、アン・スミス・サトウ少佐の強引さに推
(お)し切られてしまった。

 一八三〇、夕刻の掛けての夜間訓練に二機の九七式輸送機に分乗した。
 指揮機はサトウ少佐以下、10名。二番機はスミス少尉以下、10名。総勢22名であった。そして降下高度は1000mであった。日本陸軍でこの高度で降下するのは前代未聞であった。周囲の者は、極めて成功薄と看做していた。
 この日の夕刻、降下高度は1000mが話題になった。大半は半信半疑というより、無理だろうという意見が主流を占めていた。それに女子挺身隊からの選抜要員である。いわば素人集団と看做されていた。
 当然、こうなると成るか成らぬかの賭けが始まる。娯楽の少ないこの時代、こうしたことを種に娯楽を作ってしまうのである。成るは殆ど皆無で、成らぬが圧倒的多数であった。そのうち怖じ気づいて引き返して来るというのが定説になってしまい、賭け倍率はコンマ以下の低いものであった。しかし、中にはバカがいて、常識外れの投機を張る者も出て来る。面白半分である。「もしも……」という小さな可能性に賭けて、この娯楽を楽しむのである。

 降下要員を乗せた九七式輸送機は爆音を立てて離陸した。機体が浮き上がって一旦高度を上げたら、大きく旋回して更に高度を上げて行く。遂に上空1000m付近で水平飛行に入った。降下口の扉は外されている。そして次々に飛び出して来た。
 最初の5人が連続し、次に6人が出た。二番機の降下員である。だが鋼索にフックが懸かっていないので、落下傘を引き出す帯は伸びていない。落下傘の引き出し帯がないのである。そして空中陣型がなされた後、落下傘が開いた。11個の白い花が咲いたのである。
 「おォ……ッ」と地上からはどよめきが上がった。
 次に指揮官機が更に高度を上げ、1500mに達した。そして同じように5人が連続し、次に6人が出た。
 分離降下は互いが空中で衝突するのを避けるためであろう。固まっての複数降下では、空中での衝突が起こるからである。そういうことも計算していたのであろう。
 全員は一人の死傷者もなく無事着地した。運のよさであろうか。あるいは、そういう者同士が選抜された観があった。これを選抜した選抜者は、天成の才能以上に、人の持つ運を重視したのかも知れない。


 ─────翌日の午前10時。鷹司友悳中佐は参謀本部にいた。
 そこに電話が鳴った。
 「班長殿。N基地司令官の松島閣下から、お電話です」と下士官が取り次いだ。
 「さて、とうとうおいでなすったか……」と独り言をいった。
 抗議の電話であろうと思った。
 「もしもし、参謀本部・鷹司中佐」
 「まことに申し上げ難いが、貴官のところの“お嬢さん方”、何とかなりませんか……」それは《あんたが飼っている女どもだ》という言い方だった。特に“お嬢さん方”に侮蔑が籠っていた。
 「どういう意味でしょ?」と平然と訊き返す。
 「それがですなァ、実は、降下高度の300mを遥かに超えて、何と5倍の1500mで降下したのです。
 まるで曲芸師のようなことをして。ああいうのを、その……、本官の立場からして困りますなァ……」
 「松島閣下。憲兵隊の『要視察人』のお目見えになりましたか?……」と、意味ありげに言った。
 「いや、その……」
 「閣下も、今年の暮れには退官でしょう。出来れば、無事平穏に退官なさりたいと思いませんか……」
 「それは、もう……」
 「なければ、『視察人』がそのうち行くかも知れませんよ。何しろ『要視察人』ですから……」
 「それは困る……、絶対に困る!」
 「だったら、ご婦人方の他愛のない無茶、少しくらい眼を瞑
(つぶ)ってもいいではありませんか」
 「それはそうだが……」
 「暫く、見ざる・聞かざる・言わざるで、お願いできませんか」誘導するように、謎を掛けるように言う。
 「そう言われても……、しかしですなァ、本官の立場というものが……」
 「その立場、巧く拵えて上げましょう。多少、ご迷惑をお掛けするかも知れませんが、そこはそれ……、魚心あれば水心というでしょう。司令官厳命で、何とでもなりましょう。お聞き届け願えませんでしょうか、あとは、お任せ下さい」
 「貴官がそう言うなら、それもまた……、まァ、仕方ないことしょう……」
 「何卒よしなに……」
 「わかった」
 電話はこれで切れた。鷹司友悳は重い釘を刺したのである。この釘は容易には抜けまい。



●縦の影響

 「この予算額。信じられないほど高い、どうしてこうも高いのですか」と鷹司友悳。
 「それは、『タカ』計画には莫大な金が掛かるということです」と沢田次郎。
 「しかし、大半は賄賂と宣伝広告費ばかりじゃないか……」と呆れたようにいう来栖恒雄。

 「われわれには陸軍省や参謀本部を掻き回すほど、知名度がありません。知名度がなければ、金を懸ける以外ありません」と沢田。
 「それにしても、賄賂だけでこの金額とは?……」
 来栖が「法外だ」というように首を捻った。
 「来栖さん、賄賂は高いから効き目がある」
 「それはそうだが、しかし、それにしても……」なおも首を傾げる来栖。
 「あなたは高いと仰る。しかし、お偉方は金好きであることを忘れてはなりますまい。彼らは彼らで、佐官を納得させるために苦労しておられる。その苦労を金で買えれば、安い物ではありませんか」
 沢田次郎は、陸大出の参謀本部にいる佐官の横暴を指摘しているのである。
 既に述べたが、昭和陸軍には皇族の、例えば閑院宮元帥の参謀総長など名誉職に過ぎず、実際に発言力などは皆無に等しかった。発言力を持つのは、若手の佐官級の高級将校であった。
 昭和陸軍の悪しき伝統になりつつあったのは、議論が対立すると、積極論が対抗側の意見を制する風潮が出来上がって、それが悪習化しつつあった。慎重策や戦略策は強硬論に抑えられ、斯くして佐官級によって捻り出された机上の空論が実戦現場に無理な命令として下令されていったのである。つまり、昭和陸軍の組織内部には公然と「上意下達」が乱れていたのである。論争が起こると、積極論や強硬論に傾いてしまうのである。
 これが大東亜戦争の敗北の一因となった。

 融通の利かない、コチコチの石頭どもは、何も将官を問わず、将校全般にこれが伝染し、ただ清いことが潔いことに結びつき、特攻隊の滅びの美学にまで直結されいったのである。
 青年の命を作戦の「駒」に遣い、使い捨てにするという発想が、やがて支配的になる。
 だが一方で、作戦課長や作戦課員、自らは航空機に乗って突入せず、安全圏に席を確保し、即席で人間兵器を育成し、学徒生にお粗末な尉官の階級を与え、体当たりさせるこの種の下策ばかりを考えていたのである。
 この命令は、将官の司令官名で下令されるが、それを立案するのは佐官級の石頭どもだった。これを封じさせねば、戦争は永遠に、完全に、死に絶えるまで続けられるのである。
 その手始めに、本土決戦のシミュレーションとして企てられたのが沖縄戦であった。
 昭和20年4月から6月23日まで沖縄本島では、烈しい米軍との激戦が行われ、その模擬戦を通じて参謀本部、つまり陸海軍大本営は、同年の9月を日程に置き、本土決戦を計画していたのである。この種の情報は昭和19年当時には、国民の間でも囁
(ささや)かれ、決戦に至るのではないかという疑念が抱かれていた。

 「そうは言うが……、しかし官憲の贈収賄い容疑を潰す手段は講じているのですな」と来栖。
 「私は『要視察人』です。煙りを立てそうな者は、予
(あらかじ)め排除しております」
 「排除とは?」と鷹司。
 「排除するために、証拠など、後で作れば宜しいでしょう。幾らでも作れる。叩けば、小さなものは、一つや二つは出て来るでしょう」
 「考えてみれば恐ろしい発想だねェ。しかし、君が考えそうな事だなァ……」と来栖。
 「高官ほど、庶民と違って、幾らでも権力にしがみつく手段を策し、弱味は多いもの……」と沢田。
 「下は清いが、上は濁っているということか。つまり、下は清いものしか触れさせてもらえない、ところが上は穢いものまで触れる機会が多くなる。まったく痛いところを突いている……」感心するように言う来栖。
 「ただし、内務省の鼠一匹が、どうしても捜し出せない……」と沢田。
 「そこで堀川久蔵を、二重間者
(逆スパイ)に使うという訳ですか……」と鷹司。
 「以外と、一匹の鼠。もしかすると、独逸大使館あたりで駐留武官の軍服着て、鈎十字勲章をつけて、ヒトラーに忠誠を誓う、そういう大鼠かも知れませんよ」と、爆弾的な発言を沢田がした。
 「しかし、果たしてそういう事があるだろうか?……」と来栖。
 「来栖さんまで、参謀本部のコチコチの石頭になってどうするのです。
 あの連中、つまり同盟国のナチス独逸は、簡単に信用してはなりませんよ。日本がこの泥沼の戦争を戦うために仕掛けたのは、ナチス独逸ではありませんか。日中戦争は、陰で独逸が天蚕糸を引いていたのです。同盟国を装った巧妙なトリックに、日本は懸かってしまいました。毒牙あることに気が付かなかった。
 特に日本陸軍は、そのトリックが見抜けなかった。甘かったと言えましょう」と沢田。
 沢田は清く正しく、潔癖性の石頭の末路を指摘した。清水に魚棲まずである。官僚主義の愚の一面である。
 民主主義デモクラシーに、清潔一辺倒を求め過ぎれば、必ず社会主義化してしまう恐れがある。これはまた国家全体主義に繋がり、やがて民主独裁というファシストが擡頭
(たいとう)して来る。

 沢田は来栖の甘さを指摘した。その通りに、現在まで事が運ばれてしまったことを、「この態
(ざま)だ」と言いたかったのである。
 戦争は始める時にも巨額な軍資金を必要とするが、止めさせるには、巨大な歯車を止めるために、更に相当な金が要る。その金の遣い方において、有効な手段を講じ、有能な身体能力・頭脳もともに優れた女子学徒を集め、彼女らの働きに期待したのである。そして目指すは、大陸奥地に終結の鍵を握るキーマンがいることを発見したである。
 戦後長らく噂されていた「M資金」である。そのキーマンが、かの地に居ると言うのである。

 『タカ』計画のメンバーは、その情報を早くから掴んでいて、戦争終結のために、その巨大資金を遣おうとしていた。しかし、そこに辿り着くには、様々な有能者の智慧が必要であり、そこに難儀が横たわっていたのである。
 更には、敵味方が交錯し、情報までもが多数飛び交っていた。
 その情報が正しいのは、たった一つであるが、その一つを見分けるために、その検分する審神者がいるのであった。そのために赤城赤嶺神社の神主・林昭三郎も引っ張り出されたし、その審神者として、暗号分析に長けた数学者のキャサリン・スミスもメンバーの一員として集められたのである。しかし、それでもまだ運動資金が不足していた。これではM資金のキーマンまで辿り着けない。そこに至る道標
(みちしる)べとなるべき人物に津村陽平が居たのである。どうしても、この漢の智慧と術を借りなければ、最後の奥の院には辿り着けないのである。
 斯くして、アン・スミス・サトウ少佐以下、22人が黒桧山山麓に飛ぶことになったのである。

 堀川久蔵を、二重間者に……。
 「その尻尾を掴みかけているということですか」と鷹司。
 「しかし逮捕して締め上げるには、徹底的な証拠がありません」と沢田。
 「そこで、二重間者として堀川久蔵が必要という訳か……」と来栖。
 再び求職させて、間者を内務省に放つという訳である。
 「それにも金が懸かります」と沢田。
 上層部を動かすための工作資金である。
 「なるほど……」と来栖。
 「さて、こういうわれわれも、一蓮托生の同じ穴の狢
(むじな)。くれぐれもこの事をお忘れなく……」と沢田が悪魔のようなことを囁(ささや)く。
 つまり、何処かで誰かが転ければ、単に計画が失敗に終わるのではなく、その後、この国から「根」が一切断たれてしまうことが懸念されるからである。急がねばならないと思う。
 「君の特異な『三竦み』という訳か……」と来栖。
 「一旦、毒蜘蛛の毒を喰らったのです。喰らった以上、とことん最後まで喰らって下さい」と沢田。
 「まさに君は毒蜘蛛だ」と冷笑気味に言う鷹司。
 「自覚症状を和らげるために、さんざん毒の痺
(しび)れに酔っていて下さい。そうなると何も怕(こわ)くもなくなり、安楽は思いのまま……」と沢田と唆(そそのか)すように言う。
 「歴史に名を留めずにか……。下手をすると、天下の詐欺師として汚名を被ることになるかも知れん……」と来栖。
 「しかし一旦、公演を始めた初舞台の幕引きは、まだ引いてはなりますまい」と沢田。
 役者は揃った。『夕鶴隊』の初公演の舞台の幕開きはカウント・ダウンが始まっていた。遣り直しの利かない一回限りの初舞台だった。



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