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続 壺中天・瓢箪仙人 30

現在の陸上自衛隊の大型輸送ヘリ。CH-47JAチヌーク(AKAGI)。被災地で人員や物資空輸に活躍する。目達原などに4飛行隊を有する。
(写真は当時見たものと無関係で、平成27年10月10日。陸上自衛隊西部方面隊駐屯地の目達原駐屯地上空で筆者撮影)

 筆者の『自衛隊論』を一席。これは筆者個人の見解である。
 いまコンビニでも、自衛隊の『兵器本』が百花繚乱である。
 曰く、「最強の自衛隊」とか「中国軍と戦えば、圧勝」等々という異様な思考者の増加。筆者としては、どうも違和感を感じる。果たしてそうだろうかと思う。この種の本は、おそらく防衛問題の専門紙を取り扱う『朝雲新聞』などが仕掛けた「兵器マニア」向けの本に仕立てたことは明白であろう。日本の自衛隊の戦車、ジェット戦闘機、迎撃ミサイル、イージス艦など考えれば、全て西洋人が発明したものある。
 その発明に、のち日本人の器用さで、世界最高レベルにまで進化させたのだと考えられる。つまり、筆者が論点にしたいのは、これらの西洋式武器製品が、かつての、則ち戦前の機動部隊の空母やゼロ戦などとは全く違うことである。

 しかし、今は日本人独特の発想を持ち得ないまま、かつての日本人独特の職人芸を生み出した根幹が皆無のように思う。
 現代の若者に「そういう ものを生み出した根幹」は何かとは、問うていない。西洋の武器製品の見本市である。
 根本にある大和魂が抜け落ち、また武士道精神抜け落ちている。今日のサラリーマン的自衛官に、忠義、義烈、至誠、敬神崇祖、先祖崇拝、死生一如、義理、人情、仁義など、二宮尊徳的な勤勉の精神といった「日本精神」は皆無である。
 ここに目を向けないで、ここからの派生品である空母とか、戦闘機とか戦車といった「金物(かなもの)」にだけ目を向け、酔っているのでは、物事の「本質」が見えてこないだろう。中身が無いと言えないだろうか。つまり、国民の血税からなる税金によって養っている「軍隊擬き」の中身の人間に国防意識の有無である。
 著者の末坊主も、もう足掛け12年、陸上自衛官として飯を喰っているが、話していると、昔の軍隊の意識と180度考え方が違うことは明白である。末坊主を含めて、多くは使命感がない。

 自衛隊の求人パンフレットを見ても、「国民の生命財産を守る、やりがいのある仕事です」みたいな表現で、自分達の事を自画自賛している。
 本来、「国民の生命財産を守る」のは、警察の仕事であり、あるいは消防隊とか海上保安庁の仕事である。もしくは、警備会社とであろう。また「生命以上のものを守る」のが、本来の軍隊の使命だった筈である。「生命を越えた崇高な価値」のために自分の命を捧げ、死を厭わずに戦い、全体に奉仕する武士ではなかったのか。
 だが「仕事」というと、対価として得られる給与とか福利厚生に目が行っている。これが戦っても負ける軍隊擬きの正体であろう。
 損得勘定動くのは、サラリーマンのそれである。
 本来、かつての武士は全体に奉仕するために戦った。
 ところが今はどうだろう。給与の額とか、生涯賃金の計算とか、福利厚生なんかが、眼中にあるのは何ゆえであろうか。


●降下!

 夕鶴隊は降下訓練に挑んでいた。初段階の降下鉄塔の階段に集合していた。アン教官以下、英国製の戦闘服(シールコート・パンツ)を着込み、降下靴(ジャンピング・シューズ)を履いている。降下靴は紐が絡まる危険を避けて、上部まで編み上げになっている。したがって、紐の通し方は特殊で、結び方から徹底的に仕込まれる。
 しかし、鉄帽は被っていない。既に鉄板の薄い日本製は役立たずになっていた。被ると重いだけで、頭部の動きを鈍らせるからである。満洲事変当時とは大きく時代が変化していた。戦争も時代とともに進化するのである。次々に新しい策が考えられて行く。
 隊員全員は、まず階下で降下者の降下手本を見学する。それをイメージに焼き付ける。
 一方見上げると、降下台の鉄塔階段は長い。
 これから降下口から飛び出し訓練を受けるのである。上部には飛び出し訓練を担当する教官の降下長が俟ち間変えていた。此処で飛び出し訓練を繰り返すのである。それは「慣れるまで」であった。

 航空機の降下口を同じ形の模擬が設えてあって、そこから下へと飛び出して行くのである。飛び出した者は地面に向かって飛び出すのであるから、そのままだと叩き付けられて終わりであるが、そうならないように、飛び出した際、降下者には滑車で作動する鋼索
こうさく/ワイヤロープ)で吊られるようになっている。降下者はそれに沿って降下し、11m下の地面に着地する。
 その見本を助勤の下士官が遣って見せる。以降、「同じようにせよ」と教え込まれる。こういうことは一回しか遣らない。それをイメージして頭の中に叩き込み、あとは自分の躰で験
(ため)すのである。
 この「同じようにせよ」とは、これを下から見て、見学者は「ああいうふうにするのか」と一応確認するのである。下から検
(み)る分には、そう足が竦(すく)みそうなことではない。だが実際に鉄塔の上部に上がって下を覗くと、その感覚が全く違う。まさに足が竦むという感じである。位置による、感覚の違いを此処に来て初めて体験するのである。
 隊員の躰には、雁字搦めの降下訓練用の装備が巻き付いている。その装備を纏ったまま、鉄塔上部まで上がって行く。その高さはおおよそ11m前後はある。

 また、訓練は航空機からの降下と同じように模擬セットの中で行われる。模擬降下である。
 降下長は「降下用意!」の号令を掛ける。
 この号令で、直ぐさま左右の腕を抱えつつ、膝を曲げて降下の前屈態勢をとる。緊張に一瞬である。
 模擬降下体験には機内の模擬になっていて、5人ずつが連続して外に飛び出して行く。このとき機内では総ての電燈が消され、赤ランプが点滅している。この点滅が降下を合図する青色に基地変わったとき、降下長は「降下!」と命令を下す。それはあたかも、生死を分ける刹那であった。その後、実際なら落下傘が開くないか否かの明暗を分ける刹那であった。

 てさ、降下長……。
 降下長は、いつもの降下要員の訓練とは異なることに面食らっている。野郎ばかりのところに、何と女が上がって来たと思っている。それに女どもは今日が初めてと言う。
 しかし、いつもの訓練野郎と違うのは、身体的特徴の違いか、あるいは性別による心理的な感覚の違いか、野郎たちに顕われる。唇の渇きないのである。ところが唇が潤っている。これは何だ?と思う。
 降下長は陸軍准尉であった。この階級は昭和11年
(1936)まで特務曹長と言われた階級である。軍隊で長年飯を喰って来た駆け出しの少尉とか、士官学校を出たての少尉任官前の見習士官とは違う。そのオヤジは年期を積んだ「降下長」であった。
 降下長は上がって来た降下要員の唇の渇きから、個々人の心理状態を判断する。
 ところが上がって来たのは女子部隊員だった。これまでの空挺隊に廻って来た野郎どもの新兵とは異なり、些か勝手が違っう。降下長は彼女らに対して「大丈夫かな」という同情すら疾る。果たして降下出来るのだろうかと思う。あるいは自分の家族に同じくらいの歳の娘がいて、娘と重ね合わせたのだろうか。

 アン教官は本日のために班編制をした。20人を5人ずつとし、五人の長を「伍長」とした。あたかも墨子集団の最小単位の兵員数を用いて決めた。20人と5人ずつとし四班を編制した。その長を伍長とし残りの班員を統率する。班は第一班から第四班であり、射撃時の班編制である。
 野戦では最小単位の構成員が多くては混乱をするからである。少ないほど動き易い。
 「一を以て十に当り、十を以て一に当たる」が、遊撃戦の鉄則である。
 最小単位の細胞が、各細胞と連携して一つの動きをする。あたかも『孫子の兵法』に出て来る「常山の蛇」のようにである。常山に住む「卒然」という両頭の蛇は、首・胴・尾が連携して動く。

 『孫子の兵法』にある「故に善く兵を用うる者は譬
(たと)えば卒然の如し。卒然は常山の蛇なり。其(そ)の首を撃てば則(すなわ)ち尾至り、其の尾を撃てば則ち首尾倶に至る」とあるのに基づき、四班が首・胴・尾となって連動する遊撃法を模索していた。
 常山は中国の五岳の一つで、北に位置する山である。天子巡狩の故地として知られる。そこに棲
(す)む蛇の特異な習性を、孫子は挙げたのである。
 常山の蛇は、頭を攻撃されると、それに応じて尻尾が巻き返して反撃して来る。反対に、尻尾に攻撃を加えると、頭が巻き返しにかかる。また
中央が叩かれると、頭と尻尾が、両方から一斉攻撃を始める。
 この比喩は、自在性を説いたもので、戦法は自在性こそ肝心事項と孫子は言い退
(の)けている。

 つまり、これは生命体が内蔵する「有機性」について語っているのである。
 そして単に「一致団結」などと言う直線的な卑近なことでなく、「常山の蛇」の如く、有機的構造があると検
(み)るべきで、一見断片的と思える構造にも、実は有機的な連動があるということなのである。

夕鶴隊・降下要員班編制の有機的構造

(主任教官)アン・スミス・サトウ (第一班伍長)鷹司良子 谷久留美・成沢あい・鳴海絹恵・青木文恵
(第二班伍長)中川和津子 有村緑・清水克子・栗塚さきえ・室瀬佳奈
(副官)キャサリン・スミス (第三班伍長)副島ふみ 児島智子・守屋久美・宇喜田しず・島崎ゆり
(第四班伍長)山田昌子 向井田恵子・佐久間ちえ・長尾梅子・押坂陽子

 各員は野戦のための真鍮板の認識票
(縦6cm横3cmで数字が刻印されていて所有者の固有番号)を所持している。死を賭しての行動を執るからである。万一の場合は、認識番号で屍体が何者かを確かめる。
 行動を起こすには、その結果を最高の場合と最悪の場合を考えておかねばならない。その中を執っての中間の中途半端はあり得ない。大事なのは、最悪の場合から、奇蹟のような最高が生じたときのことも考えておかねばならないのである。
 アン・スミス・サトウ少佐は総ての行動に奇蹟が連続しなければ、プラン『タカ』は成功しないと確信していた。この確信のみ、神は奇蹟を起こすのである。“天は自ら助くるものを助く”なのである。中途半端に奇蹟など起こらない。うまく事が運んだときのことだけを考えておけばいいのである。
 その考え方が夕鶴隊の隊員全員に浸透していた。何事も巧くいく。中途半端も無いし、況
(ま)して最悪などない。
 最悪は指揮官のみが考えればいいことであり、「必ず成就する」ことを、ひたすら信じればいいのである。
 隊員にその気運があった。一定方向に向かって不思議な高まりがあった。

 班編制があったときのことである。
 「おいッ、お子さまランチ。なんで、お前がうちの班に入っきた?」三班の班長の副島ふみ。
 「だって、決まったんだもん」と口を尖らす島崎ゆり。
 「足を引っ張るなよ」
 「お姉さんこそ、引っ張らないでよォ……」
 「なんだと?」
 「もう直、野戦にいくんでしょ?」声は弾んでいた。
 「お前、野戦って知っているのか。いいか、お外で、お泊まりするんじゃないんだぞ。そのうえ、空からときやがった……」
 「お姉さん、怕
(こわ)いの?」
 「バカいえ、怕くはないが、少しばかりビビっている……」
 「それって、やはり怕いんでしょう?」
 「そうじゃない」
 「ビビると、恥ずかしいわよ」
 「なんで?」
 「ちびったり、お洩らしなんかして……」
 「こら!どつくぞ」
 「降下するより、お姉さんの方が怕い……」
 二人の鬼ごっこが始まった。
 降下訓練日の前日のことであった。

 第一回目の降下訓練は第一班と第二班が無事に終えていた。滑車の原理により鋼索で一旦釣り上げられ、降下ボタンを押して、降下する。これが矢羽根状に120度間隔の三枝
【註】現在は90度の四枝)あり、遊園地のチェーンタワー【註】ワイヤで釣り上げる遊具)の鉄塔のような感じで、三人ずつで釣り上げられて、降下訓練する。落下時に落下傘が開くようになっている。
 人間が経験する有人降下の最初である。
 釣り上げられ、降下長が「降下準備!」と言い、それを受け「降下!」の合図で切り離しボタンを押し、釣部から切り離される。そして降下して行く。
 降下鉄塔の最上部まで釣り上げられ、次々に降下して行く。第三班が上部に釣り上げられて順に降下した。
 航空機から飛び出し、降下時は降りて行く感覚である。
 上部に釣り上げられると降下長が合図を送る。
 「降下準備!」
 その際、体調不良などをみる。
 「まて、唇が青いぞ、体調でも悪いのか」
 「いえ、何でもありません」
 「では、降下を開始する。前に続き、一定間隔で降下せよ」
 「はい!」
 「おいッ、そこの子供の兵長。歳、いくつだ?」
 「14であります」
 「怕くないのか」
 「こういうの、大好きであります……」
 「呆れたやつじゃのう」
 「では、一番で宜しいでありますか」
 「やってみい」
 「島崎ゆり、候補生・兵長、東京市京橋区木挽町×丁目××番地、夕鶴隊!」
 「降下!」
 それぞれ申告した後、降下する。実際の降下時と。ほぼ同じ感覚で疑似降下を体験するのである。
 島崎ゆりは勢いよく降下して行った。この降下は、殆ど何も考えない単純な行動律だった。
 「続け!」で順に続く。
 「児島智子、候補生・兵長、東京市浅草区向柳原町×丁目××番地、夕鶴隊!」
 「よし、降下!」
 その合図で切り離しボタンを押し、降下する。着地までの時間が計られるのである。
 「守屋久美、候補生・兵長、東京市目黒区本町×丁目××番地、夕鶴隊!」
 「よし、降下!」
 「宇喜田しず、候補生・兵長、埼玉県川越坂戸××村大字、夕鶴隊!」
 「よし、降下!」
 残ったのは副島ふみだけだった。
 「次はお前だ、しかし顔色が悪いぞ」
 「大丈夫であります」
 「よし」
 「副島ふみ、候補生・伍長、東京市文京区本郷××丁目××番地、夕鶴隊!」
 「降下!」
 副島ふみは降下した。自棄糞だったかも知れない。あるいは小さく悲鳴を上げたのかも知れない。
 降下者は総てを信じて、飛び出して行く。自分を信じ、上官を信じ、また落下傘が開くことを信じて……。
 副島ふみは無事に着地していた。
 降下は第四班へとなっていた。第四班も五人全員、無事着地していた。

 夕鶴隊で眼を見張ることは、女性特有の順応性である。適応力が男に較べて早いのである。そのため死生観を解決するのも早いようだ。男のように葛藤することが少ないのである。葛藤より、順応性が勝っていた。自然適応能力である。あるがままに現実を受け入れてしまう。此処が、老子の説かんとするところである。

 島崎ゆりが、降下後の副島ふみに駆け寄っていた。
 「大丈夫だった?」
 「ああ……」
 「ちびらなかった?」
 「ああ」やや不機嫌そうに言う。
 「わたし、お洩らし……したかも……」
 「本当か。お洩らししたか?……。ついにやったか……」急に元気になって、嬉しそうであった。
 「女って、尿道が短いんだもん。こういときは水分、控えなきゃァ……」
 「反省しろよ」
 「お姉さんもね」
 急に副島ふみが不機嫌になった。

 私が習志野網武館で指導していた平成3年当時、この道場には習志野空挺団
(第一空挺団普通科群)の降下要員が何人か居た。
 C-130輸送機からのパラシュート降下の訓練をしていた者が何人か居た。そして彼らが異口同音にして言うことは、実際に輸送機から数百メートルの高さから降下する時よりも、高が11mの降下鉄塔からの降下の方が厭だと言うことであった。やはり、視覚で感じる高11mの方が恐怖を感じるのだろう。

 夕鶴隊はその後、降下鉄塔を訓練を三度繰り返したあと、本日の総仕上げとして、70m級の降下塔に挑むことになる。70mとなると、吹き付けて来る風も半端なものでない。耳許で気流が流れるのを感じる。
 見下ろすと、家々や車輛や人影は遥か下にある。高所恐怖症なら、身が竦
(すく)んでしまって一歩も動けないだろう。しかしこの適性力に合わねば降下は無理となる。
 そもそも女子挺身隊として徴用し、訓練して、遊撃戦を展開出来る兵士として、彼
(か)の地に送り出す。
 沢田次郎が人員を選抜して、とことん人選を吟味したのは、単に視力がいいとか、学業成績が優秀という理由だけで選んだのではなかった。状況の変化に適応する身体能力も重んじた。
 健康状態というのは、単に肉体健康ばかりをいうのでない。心の安定度もその健康に入る。動揺の少ない安定度も含む。選抜者のそれぞれに、優秀とか良好という判断基準を下し、この短い言葉の中にその個人の心身女痛いまでもが含まれていた。三段評価で言えば、優・良・可のうち、優と良だけで、可は一人もいない。

 こうした評価が出来るのは、おそらく200人以上をリストアップして、その上位20名だけを選抜したということである。全体を200とするなら、その上位一割りを選抜したと言うことになる。これは200名集めて、これまで高文官試験などで用いられる選抜方法ではない。
 例えば、この当時、三大の最難関の登竜門と言えば、“高文”と称する高等文官試験、“陸士”と称する陸軍士官学校、“海兵”と称する海軍兵学校であろう。日本人は、その国の一般大衆は、これらの合格者に対し、無条件に平伏する。激烈な競争を経て選抜されたという優れた人材を意味するからである。所謂、途方も無いエリートである。
 だが、この“途方も無いエリート”の中には、ある一定の割合で指弾されるようなクズがいる。人間現象界の不思議なところである。
 例えば、日本でも優秀な人間だけを集めた高級官僚を考えてみればいい。
 極めて厳しい定員枠を設けて試験し、面接したところで、その枠には必ず、ある一定のクズが混じる。例えば不祥事や贈収賄いなどを引き起こし指弾されるクズの類である。要するに、クズは知能程度と無関係に発生することが分る。常に一定比率でクズが存在する。集団を為す現象人間界の弱点であり、泣き所である。そして仮定と現実の差が余りにも大きいのである。

 沢田の思考には人員選抜に関して、まず状況判断を正しくして、パニックを起こさない拮抗安定の、弥次郎兵衛的な釣合が取れる安定であった。例えば位置の上下に動揺しない釣合力である。またそうした眼を持った天性的な人材であった。傾けても倒れない天性を求めた。
 心の安定度を立体的に捕らえ、あたかもジャイロ・スコープ
(gyroscope)である。心的表現で言うなら、上下が対称であり、かつ第二の円輪がその直角軸を支え、更に第三の円輪が第二の直角軸で支え、こうした状態での独楽の回転は、空間において常に一定方向に保てる。これは空間における安定能力である。この能力を有する者は、同時にパニックが起こったとしても、動揺が小さく状況判断正常から直ぐに正しい見識を下せる。
 そういう心身健康人を、沢田は捜し歩いたのである。このジャイロ・スコープ安定を、その人間の持つ「固有の運」と解していた。生まれながらに、運をもつ女子学徒を探して歩いた。安定度を求めてのことだった。
 そして200人をピックアップし、その総合的な上位者を20人選んだ。それが夕鶴隊の構成員だった。この構成員は「運の塊」であった。運のいい者だけを集めた観があった。

 このメンバーは、この当時の総合判断から下した「僅か20人」であったかも知れない。そのため構成員間の摩擦も小さい。傾いてもても直ぐに拮抗を取り戻す。そういう心身優秀者によって夕鶴隊が組織された。
 しかし、構成員はまだ主目的が何であるか、明確には明かされていない。意図者から「徴用」と言う名で集められ、身体能力並みの訓練を強いられているだけである。換言すれば「武運の鍛練」であろうか。
 武運が拙
(つたな)くては、運も開かぬし、「他力一乗」も働かない。武運は「徳」の顕われであるからだ。
 斯くして、第一日目の降下訓練は終わり、夕刻を迎えた。戦いすんで陽が暮れて……であった。
 N基地は27万坪もある。広大な訓練敷地があった。
 その基地の片隅の一劃
(いっかく)に露営地が割り当てられた。訓練最終日まで此処で過ごすことになる。そして最終日の夕刻、この地から直接、輸送機に乗り、空から目的地に降下する。そういう訓練の第一日目が事故もなく、恙(つつが)無く終わったのである。

 人間は鍛え、訓練し、その訓練が高等になれば成る程、変わっていくものである。その最初に変化するところが肉体である。これまでの日常生活で弛んだ肉体も、ある程度の制限と規則正しさが加われば、「引き締まる」という、まず眼に見える現象が起こる。非日常に肉体が順応しようとするからである。
 夕鶴隊の彼女たちもそのような変化の中にあった。動きも自然と機敏になり、相互間の日常会話も、駄洒落のような無駄口は聞かなくなって、必要最低限度の端的な言葉だけで互いの意志表示が出来るようになる。
 本来の意味での信頼関係から生まれる日本人特有の「以心伝心」である。動きや、目配り及び眼の向いた方向のもで、何を意図しているか瞬時に理解する能力が開発されて行くのである。


 ─────野営する。野外で一夜を明かす。それは単に女学生時代の楽しい夜のキャンプファイアのひと時でない。非日常の戦闘時の野営である。光源制限もあり、上空から見た場合に光が洩れていてはならない。そうした非日常状態での野営であった。夕食をすませ、大地の上に一晩の塒
(ねぐら)を設営する。そして一人ひとりは露営のための「携帯天幕」を背嚢とともに所持している。つまり一人用のテントである。
 携帯天幕は縦×横がそれぞれに1.5mの正方形で、支柱を立て、天幕を連結させれば、一人用から最大38人用の幕舎まで設営出来る。また雨などに降られれば、雨合羽にも早変わりする。

 更に食事は本来は飯盒炊飯であるが、この欠点は米を携帯し、洗い、研ぎという日本の軍隊特有の効率の悪い炊飯があって、これを改良した携帯食糧を個々人が所持し、湯の中に浸けて熱を加えるというもので、あとは携帯燃料を使っての火起こしであった。所持品を極端にコンパクト化してしまうのである。野営時の原則であり、併せて畳の上以外で、何処にでも寝れるという肉体の適応力を養うのである。人間は生き残りに賭けてサバイバルを駆使するなら、どういう場所であっても必要時間だけは寝れるという肉体を養っておかねばならない。
 地べたでも、石がゴロゴロしている辺鄙
(へんぴ)な場所でも、更には沿岸沿いの沙漠のような砂地でも、何処にでも寝れる肉体を養って、充分に睡眠出来るという適応力を養っておかねばならない。こういう適応力は半分文明生活の中に足を突っ込んで、肉体の一部は露営訓練するでは済まされないのである。
 水がなければ歯も研けないし、逆に、その貴重な水では歯も研かない。こういう行為をする文明生活の一切から遮断してしまうのである。自然の中に身を置くのである。その一員となるのである。
 また水は水筒一個の水の量が、何日もの自分の肉体を養う命の蔓
(つる)ともなりかねない。併せて「食」においては野性のものから薬と毒を見分ける知識と、更には小動物を捕らえてそれを食糧にする捕獲術も身に付けておかねばならない。こうした露営経験を積んで遊撃訓練を重ねて行くのである。

 食事も終え、班ごとに携帯天幕を連結させての就寝前のひと時であった。
 天幕の中での語らいである。アン教官がふと、フルート奏者の成沢あいと児島智子に訊いた。
 「どうして成沢候補生と児島候補生は沢山ある楽器の中からフルートを選んだのですか」
 「縁だと思います」と明大女子部生の成沢。
 「わたしも縁です。少数の楽器店で最初に出くわした楽器がフルートでした。フルートに優しさを感じたからです。おそらくその時にトランペットに出くわしたとしても、私の場合はフルートだったと思います。それが、わたしとフルートの縁でした」と、お茶の水大生の児島。
 「縁ですか、そうでしょうね……」とアン。
 「わたしも、フルートを始めたのは帝都にB25という重爆撃機が顕われて、心を掻き回すような爆音の下で安らぐものはとなったとき、フルートの優しい音色に惹かれて爾来それが縁となって今日に至っています。この戦争が起こったのも、その側面に派生した因縁が奇しくも、わたしの場合はフルートに結びついてしまいました。そう考えていくと複雑で、きりがありませんが、フルートが無かったら、重爆撃機の音を聴いただけで心は錯乱状態になり、精神が正常に保てたか否か、そこに帰って生きます」と児島。
 「わたしも、重爆撃機から投下される爆弾の矢羽から聴こえる奇妙な風切り板の音だけで、頭が変になりそうでした。あの音で狂って発狂していたかも知れません。何とも不気味な厭な風切り板の音は聴いただけで戦慄を覚えます。恐ろしくて、ただ震えるだけで発狂するかも知れません。あの音の怕さが心を逆撫
(さか‐な)ですることから、これを克服する力を需(もと)めたのです。あの音に対抗する音として、わたしの場合はフルートの音色でした……」と成沢。
 彼女ら二人は音に癒しを需めたのである。

 まず歴が上空に顕われると、悲鳴のように警報のサイレンが鳴る。最初、4秒間の鳴響が起こり、次に8秒間停止し、再び4秒間鳴り響き、8秒停止しての、この順を10回繰り返す。これを『空襲警報』という。
 この警報が鳴れば、既に敵機が迫っているから、落ち着いてはいられないし、直ちに防空壕に逃げ込まねばならない。万事を窮すである。至急退避の体勢をとらねば、無差別攻撃で殺されてしまう。
 だが、この警報の中でも、サイレンが中断すること無く、3分間鳴り続けるのが『警戒警報』である。この場合、敵機が来襲する気配がないので、やがて警報は解除される。
 日本列島では、ほぼ全域に警報が鳴る施設が設けられて、国民は地方都市にいても、東京や大阪のような大都会並みの警報を、一日に何回も聴かされるのである。そしてこの警報のサイレンが、あたかもパヴロフの犬の条件反射のようになって、悲惨な爆撃イコール警報と結びついてしまうことがある。警報恐怖症である。

 そもそも焼夷弾をはじめとする爆弾類には、空襲によってパニックを起こす心理的な戦術がとられている。それはまた、焼夷弾などを使って、恐怖を起こすために、心理作戦に出るのが戦術の常識である。
 この場合、最も効果的と言われるのが、焼夷弾に取り付ける「風切り板」
【註】鋼製尾翼部分に取り付けられたもので、六角形の筒状)といわれるもので、これを取り付けることによって、爆弾投下の際に「風を切る音」を発生させるのである。「風を切る音」は爆弾投下を受ける、地上の避難民には、以上の大きな心理的な破壊を齎す。心因的ショックと言っていい。異様に戦慄させる「発狂の音」であるからだ。

焼夷弾の構造図(上/ドイツ軍・下/アメリカ軍)

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 心理学的にも、「風切り板」から発生する「ヒューンー」という、尾を引く、この独特の異様な音は、精神に異常を来す周波数にセットされている。続けてこの音を立て続けに聴くだけで、戦場に慣れていない現代人の10〜15%ほどの人は発狂すると言われている。現代戦は巧妙であることを知らねばならない。
 開戦
(昭和16年12月8日)して、翌17年4月18日には東京・名古屋・神戸にB25の飛来があり、数ヵ所に焼夷弾が投下された。そのときも風を切る音で悩まされた人が続出したと言う。けたたましい空襲警報のサイレンが咆哮(ほうこう)を放ち、その後、重爆撃機が姿を顕す。そして焼夷弾の雨を降らせて足早に逃げて行くのである。
 時間帯は多くの場合、昼間より夜に集中し、燈火が点いている場所を攻撃目標に投下して行くからである。

 その後、東京に飛来するのは、もはやB25ではなかった。B29という超大型重爆撃機である。この物語より、約五ヵ月後の昭和19年11月1日のことであった。
 この超大型重爆撃機はB25のおおよそ四倍以上あるのである。サイレンが鳴ってその後、顕われたのは高高度の1万メートルを飛ぶB29であった。「バカでかい」と形容する超大型重爆撃機であった。そして高高度から焼夷弾の雨を降らせて絨毯爆撃を遣り、悠々と逃げ去って行くのである。
 そしてこのとき、初めてこれを見た東京市民は、墜落して行く日本の哀れな戦闘機を自分の肉眼で見たのである。この日、B29の21機の編隊が顕われた。大爆音を響かせていた。焼夷弾の雨を降らせたあと、爆音とともに西方へと飛び去るときであった。

 そのときである。
 これを肉眼で見た人達の話によると、B29目掛けて虻か蚊のような一機の戦闘機が舞い上がったという。
 戦闘機はうす曇りの空を一直線に突っ切り、B29の編隊のド真中に突っ込んで行ったと言う。その突っ込みようは飛箭
(ひせん)の早さで駆け上ったと言う。戦闘機乗りの単独で挑む孤独な闘いであった。戦闘機の優美とも思える軽快なスピードが、それを見ていた周囲の人に、むしろ美麗な姿として網膜に映り、ある種の感動を与えたと言う。
 ところが、この感動は此処までだった。

 軽快な飛箭のスピードの戦闘機は突如反転したのである。その反転は被弾したからであった。戦闘機は落下を始め、錐揉
(きり‐も)み状態となって、くるくる回転して地上へと落ちて行くのである。
 そのとき誰かが「落ちる、落ちる」と大声を発したと言う。
 超大型重爆撃機は悠々と西の空へと去って行ったという。一方、戦闘機が落ちて行くさまを見た多くの目撃者は地団駄を踏んで「日本の他の戦闘機はどうしているんだ?友軍機はどうなっている!」と、軍の不甲斐なさを詰
(なじ)ったと言う。既に戦争指導者の愚行は庶民でも薄々感じ取り、もう殆ど信用していなかった。幾ら末端の戦闘員が優秀で勇敢でも、トップがこの態(ざま)では、勝てる筈の戦争でも勝てる訳が無い。
 このとき庶民は、戦争指導をする軍隊官僚の不甲斐なさを疑い始めていたのである。
 そして勇敢な末端の戦闘員が錐揉
み状態になって小さな姿を曝し、落ちて行くのを無慙(むざん)と思ったことであろうか。

 B29は編隊を組んだままそれを乱すこと無く、鎧袖一触で払い落し、編隊には些かの狂いもなかった。それを目撃者は茫然
(ぼうぜん)として見ていたと言う。あたかも放心状態であったとい言う。
 実際に人間が死ぬ現場を目撃者の誰もが見たのである。この目撃者たちの脳裡には、勇敢な戦闘員一人と、安全圏にいて机上の空論で愚策ばかりを立てる参謀本部の作戦課員の無能を対比して描いたのかも知れない。
 一般国民の平均月収より高い、それなりの俸給を受け取り、軍隊官僚である作戦課員らは、最後の最後までとうとう「奇手」の一つも捻り出すことは出来なかった。奇手が捻り出せない代わりに夜郎自大になって威張るだけであった。
 また内地・外地の別なく、参謀本部の何れかに属する陸大出の“天保銭組”には、常に一名の上等兵が割り当てられていて、陸軍では当番兵、海軍では従兵と呼ばれた。曹長以上の下士官ならびに、准尉以上の将校以上は歴
(れっき)とした職業軍人である。職業軍人として生計(くらし)が立てられ、それなりに家族を養える俸給をもらってる。徴兵のために、已む無く兵士にならざるを得ない下級の一兵卒とは違う。その職業軍人が、当番兵や従兵を無給で酷使するというのは日本独特の軍隊奴隷制度であった。この奴隷制度の中で、高級将校は威張りに威張った。最難関を突破した者だけに与えられた特権であったのだろうか。
 一方で大戦末期、奇手の一つも出て来ない机上の空論はどうであったろうか。

 国民の多くは、この頃から「世界に誇るべき、わが連合艦隊は、どうして敵機の侵入を簡単に赦してしまうのか?」と疑い始めていた。
 多くの国民は、昭和19年頃まで、連合艦隊航空戦隊の不滅を信じていた。ところが、こう度々空襲に襲われると「いったい連合艦隊航空戦隊はどうしているのだ?……、世界に誇るべき零戦はどうなったのだ?」と疑いはじめたのである。
 昭和17年6月5日に起こった大敗北をミッドウェーで、総て失ったことを知らないでいた。また、一切を厳重に秘せられていた。情報に乏しい国民の大半は、知らぬまま二年間も過ごしていたのである。
 だがその支障は、公海上でも起こっていた。南方に向かう輸送船はこの海域で悉く沈められていた。連合艦隊が決定的な打撃を蒙って以来、海軍は護衛戦力は皆無となり、日本の船舶は次々に撃沈され始めていた。これは訝
(おか)しいぞとなったのである。

M69油脂焼夷弾の構造と仕組み

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 鋼製尾翼に取り付けられた銀色の風切り板は、鋭い高音の笛のような音色を発し、容赦なく、無差別に襲い掛かるのである。
 脳の音中枢の恐怖心を取り除く為には、こうした音や、爆発音、砲弾が破裂する音に動揺することなく、精神統一を図ると同時に、慣れておく必要がある。そして焼夷弾投下の大きな目的は、大火災を発生させて非戦闘員までもを焼き殺し、一人残らず鏖殺
(みなごろ)しにする作戦であると言うことを忘れてはならない。
 襲って来る順は、神経の音中枢への破壊心理から始まり、その後、爆弾の雨が降って来る。音中枢が破壊されれば、やがて発狂し、爆弾の雨の中に突き進む異様な避難民の行進が顕われるかも知れない。
 神経の中枢を狂わせるのは、「風切り板」から発生する「ヒューンー」と、尾を引く、この独特・異様な音である。

 この「風切り板」の音に抗
(あらが)うために、成沢あいと児島智子はフルートをはじめたという。賢明な選択であったと言えよう。
 それをこの二人はフルートとの出遭いを「因縁」といった。こうして観てゆくと、此処には戦争が齎した因と縁が横たわっている。彼女たちが焼夷弾の音を聴かなければ、それに対峙
(たいじ)する優しい音は見つからなかったかも知れない。因縁が齎す「果」は、また空間的にも時間的にも縦横の編目のようになって何処までも繋がり、全体力としてその力が一点に集中する関係になっていた。

 「アン先生は、どうして空軍に入ってテストパイロットになろうと思ったのですか」と忌憚
(きたん)のない質問を島崎ゆりがした。
 全員はアンとキャサリンを囲んで円陣を作り、それぞれに思い思いの姿勢で寛いでいた。露営にあるといっても営舎での寛ぎの時間であったろうか。しかし露営は、また非常時である。非日常である。戦闘服は着たままであった。
 「それも縁かしら」
 「何かに繋がっている縁ですか……」と島崎。
 「そうです、それが大きな輪になって、総てが有機的な生命体となって繋がっているのです」
 「では、此処に居るみんなとも元々繋がっていて、今ここにいるということですか」と長尾梅子。
 「だから縁が、わたしをその道に誘ったのかしら……」
 「不思議ですね」感心したように島崎ゆりが言う。
 彼女は壮大な生命の繋がりの輪を連想したのだろうか。
 「みなさんに一つだけ、前もってお報せしておきます。それはまた、わたしたちは、必ず戻って来るということです。それをお報せしておきます」
 「それは出掛けて行って、任地で任務を果たし、成功して、再び戻って来るということですね」と佐久間ちえが訊いた。
 「そうです。今日の段階では正確な場所が不明ですが、その不明場所をAとしましょう。現時点をPとし、P点からA点に向かい、A点からQという任務を完了して、B点に向かい、Qを迎えたままC点に向かって、C点から最初のP点に戻ってきます」
 「それは移動の三角形を連想しますが、どうして直接行って、帰ってこないのです?」と谷久留美。
 「周囲に、別の観測者が居るからです」
 「巻いているのですか」と谷。
 「そのように理解して下さい。まだ、その観測者の正体が掴めないからです」
 「それは、わたしたちが見張られているということですか」と成沢あい。
 「そうです、見張られていることを利用して泳がせ、観測者を発見するのです。したがって行動は複雑になりますが、必ず戻って来ることが最初から設定されているのです」
 「必死隊ではなく、決死隊なのですね」と機転を利かす山田昌子。
 「だから命を賭しても死にません。生還するのです。その後も、全員総て生還します」
 「どうして、そう言い切れるのです?」と不審がる中川和津子。
 彼女の心には、常に反戦論者の意識があり、戦いを挑まれてもそれを無抵抗で、また無服従で、戦いを極力避けるという考え方を抱いていた。

 当時もこの考え方を支持する人が少なくなく、特に知識階級ほどこれに支持する者は少なくなかった。そして何よりも、祖国愛とか聖戦完遂とかの言葉に恐ろしいほどの拒否反応を示すのである。一種のユートピアン的思考である。したがってこの支持者は愛国心にも抵抗し、靖国神社にも抵抗するのである。徹底した無抵抗主義者であった。こうした考えのまま終戦を迎えた人達の中には、結局、この無抵抗主義論が米国の思想教育の結果から起こったとも知らずに生涯を終え、無抵抗主義こそ、最良の思想と思い込んで、それを使命にしたり信念にしたりするのである。
 この使命・信念で戦中を生きた人は、またお人好しにも、相手国の攻撃手段の中に、幾分にも良心があると信じ切っているのである。ところが、日本に原爆を投下した米国に「幾分かの良心」があっただろうか。
 原爆に携わった研究者も投下指令者も、日本人に対しては赤ん坊までを含めて戦闘員と決め付け、人工太陽で広島と長崎を灼いてしまったのである。非戦闘員の赤ん坊や幼児までもを……。
 これが無抵抗主義の成れの果ての結末だった。

 したがって無抵抗主義という言葉こそ、響きはいいが、現実には、むしろ思い込みに奔らせる元兇であり、譬えば、ユダヤ人がナリス独逸に無抵抗主義を貫いたら、ヒトラーはユダヤ人虐殺を中止しただろうか。
 逆に無抵抗主義を貫けば、ユダヤ人の大虐殺には拍車が掛かったのではあるまいか。
 またその後も、人類は無抵抗主義によって、大量虐殺に拍車を掛けたのではなかったか。
 例えば、ポルポト派の大量虐殺とか、ユーゴスラビアの「民族浄化」というスローガンのもとに大量虐殺が起こったのではなかったか。無抵抗主義を貫けば、却って敵国をつけ上がらせるばかりなのである。この事例の方が、歴史的に検
(み)ても遥かに多いのである。しかし大衆というのは、そこまで綿密に事実確認や状況を分析したり、その裏に潜む意図が見抜けるほど賢くもなく、また研究も積極的ではない。殆どが感情的で、権威筋の言に弱く、権威の言うことは無条件で鵜呑みである。権威を疑うことを知らない。

 したがって一番てっとり早い方法として、「無抵抗主義こそ善で、武力による国防を悪だ」というマスコミ誘導の策に懸かってしまうのである。この世論誘導により、大多数の国民が巧みに醸成され、スポーツだ、芸能だ、グルメだ、海外旅行だ、快楽や娯楽だと言う方向に傾いて行くのである。自らの棲む自国の国土を失ってなにが無抵抗主義だとなる。
 いい加減は平和主義者、中途半端な平和主義者、一国平和主義を重んじる平和主義者が、しかし戦争を体験して行く中に、敏感に警戒警報に反応し、またこれが急激に高まると、アノミーが起こる。やがてこれが民主の名をもった「民主独裁」にも偏ったりして、世はまさに軍国主義一色に染め上げられて行く。戦争の恐ろしさとは、個々人の内面に潜む怒りにも結びついてしまうのである。
 斯くして、食糧などに欠乏が生じれば、「衣食足りて礼節を知る」ことすら忘れて行くのである。

 私の知人に当時、学徒動員時代に、こういうことを言った人がいる。それは今日で言うセクハラを、もっと烈しくしたものであった。
 「女子学徒が働く軍事工場では、性的紊乱が烈しかった。特に徴用工の女子学徒に対する強姦擬いの迫り方は恥知らずの日本人だった。こういうのが居るから、日本は戦争に苦戦するのだ」と、当時の非日常下の人物評定に悪罵を突く人がいた。
 この時代は「衣食足りて礼節を知る」こと、すっかり日本人に忘れさせた時代でもあった。
 こうした状況を防ぐためには、戦争を論ずる前に、起こってしまった戦争を止めさせることが必定だ。議論は止めさせた後でも戦えるが、戦争で命を失えば議論することすら出来ないのである。
 『タカ』計画は戦争停止のために動いていた。そのためには、敵国にこれ以上の攻撃は無用だと考えさせることであった。
 まず、戦争を止めさせる。敗戦後の地獄を軽減させるためにも、出来るだけ連合国との間に、よりよい負け方を構築させなければならないと考えていた。それには「今」を生かして「今」しかない早期終結であった。
 一日も早く終わらせるために戦っていたのである。

 「中川候補生、わたしが生還するとするそいえた信念の根拠を示しましょう」
 「絶対に生還するという根拠ですか」和津子は訊き返した。
 「あなたが、信頼出来ると思う人は誰ですか」
 「尊敬出来る人です」と和津子。
 「では、鷹司候補生はどうでしょうか?」
 「私も信頼出来る人となれば、やはり尊敬出来る人と思います」
 「英国では、日本人として誰が一番尊敬されているかと言うと、東郷平八郎元帥なのです」とアン教官。
 「東郷元帥が日露戦争で勝ったからですか」と和津子。
 「それだけではありません。皇国の興廃が懸かっている時に、必勝を確信して戦ったからです」
 「最初から勝つと確信していたのですか」と良子。
 「戦いというのは、本来は勝つか負けるか、敵対者同士でも、分らないのです。遣ってみなければ分からないものです。ところが最初から勝つと確信している戦いでは、負けないのです」
 「どうしてです?」と和津子。
 「考えても御覧なさい、皇国の興廃が懸かっている時に、負けたらどうなりますか?」
 「国が亡くなります……」と良子。
 「そうです。皇国に棲む皆さんの生まれた国も、育った環境も、親や兄弟姉妹をはじめとする周囲の人達との繋がりや棲んだ土地、またその土地の気候や風土、更には文化や伝統までもが、みな失われます。そういう状況下にあって、生き残るとしたら負けない状況を作り出すしかなく、負けたらどうなるかは、その先を言わなくても分るでしょ?」
 「負けたら国が、丸ごと滅亡するということですか?」と山田昌子。
 「そういう状況にあって、負けたらどうなるかの心配はいるでしょうか」
 そうなれば世界地図から日本の姿は無くなるだけである。かつての故国は違う国になり、違う国の統治者から日本列島は統治されることになる。

 「つまり、大成功をしたことだけを考えていればいいということですか」と副島ふみ。
 「そうです、ただそれだけです。神話史から、天岩戸、その後、どうなりました?。これを考えて下さい。開いたじゃありませんか。開く因縁があったから開いたのです」
 「なるべくしてなったということですか」と和津子。
 「他に何が考えられます?」
 「……………」和津子は言葉に窮して苦悶した。
 「今度の作戦『天の岩屋戸作戦』と言います」
 「天岩戸を開きに行くのですか」と山田昌子。
 「そうです。その手始めに、あそこから明日は航空機からジャンプしなければなりません」とアン教官は呟いた。
 「航空機から……」と一瞬驚いたような副島ふみ。
 彼女は、些か苦手であるからだ。
 「高さが数百メートルあります。今日の70mの約3倍です。3倍あったとしても、最初から大成功するのです。誰一人失敗すること無く、全員が成功するのです。明日は航空機から降下して、全員が無事帰還することだけを考えて下さい。それ以外はありません」
 「でも、もし……」と山田昌子。
 「歴史に刻むのに、“もし”はありません。ただ現実があるだけです。事実が残るだけです。それ以外に歴史に刻むことはありますか?……」
 「事実は事実として刻まれる……ということですね?」
 「大成功したという事実だけが刻まれます」と谷久留美。
 「なんと幸先のいいことでしょう」と相槌を打つ山田昌子。
 「幸先のいいことをするのですから、幸先のいいのは当り前です」
 「うわァ……。なんと断定的!」と、呆れた感情を隠さなまま、正直に感想を洩らす島崎ゆり。
 「断定以外に幸先のいいことがありますか、島崎候補生?」
 「まったくありません。疑う余地、微塵もありません」

 この遣り取りを聴いていて、良子は何と強引なと思いつつも、アン・スミス・サトウという少佐が、この断定によって、また必然を確信することによって、英国空軍のテストパイロットを志願したのではないかという気がして来た。これも必然の運命だったかも知れない。
 では、もう一つの必然は何か。
 それは此処にいる全員が、必然によって集められたという必然であった。必然を背負って、いま運命が動いているのだという確信すら生まれて来たのである。偶然によって寄席集まったのではなかった。誰もが繋がっていた。縁ある者同士が有機的に、見えざる運命の手によって、手を握り合っていた。

 「それと、この作戦の開始は、3日後の夜間のパラシュート降下です」
 「夜に降下するのですか?」と山田昌子
 「夜間降下です」
 「でも、わたし、お月さまの出ているときがいいなァ。雨だったらどうしよう……」と島崎ゆり。
 「雨でも、お月さまはあるの……。雲の上には、お月さまがちゃんといるのよ」と室瀬佳奈。
 「そう、雲の上にはお月さまがある。そこで、お月さまは笑顔を作っているはず……」と谷久留美。
 だが自由降下において、高度が300mを超える位置までには航空機は運航しない。彼女らはロマンから月を描いたのだろう。
 「だったら、良子さん。みんなで『月の沙漠』と『雨降りお月さん』、歌いませんか。ねえ、良子さん。歌いましょうよ」と和津子がせがんだ。
 「よし、では全体……整列!」
 やがて、フルートの二重奏がしっとりとした音色を響き渡らせた。どこか哀愁のあるメロディーが辺りを支配していた。夜のひと時の静かなハーモニーが夜陰に流れた。



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