運気 八門人相 房中術 癒しの杜 菜根譚 小説 会報Back No. 合気 蜘蛛之巣伝 死の超剋 霊的食養 心法
続 壺中天・瓢箪仙人 1
続 壺中天・瓢箪仙人 2
続 壺中天・瓢箪仙人 3
続 壺中天・瓢箪仙人 4
続 壺中天・瓢箪仙人 5
続 壺中天・瓢箪仙人 6
続 壺中天・瓢箪仙人 7
続 壺中天・瓢箪仙人 8
続 壺中天・瓢箪仙人 9
続 壺中天・瓢箪仙人 10
続 壺中天・瓢箪仙人 11
続 壺中天・瓢箪仙人 12
続 壺中天・瓢箪仙人 13
続 壺中天・瓢箪仙人 14
続 壺中天・瓢箪仙人 15
続 壺中天・瓢箪仙人 16
続 壺中天・瓢箪仙人 17
続 壺中天・瓢箪仙人 18
続 壺中天・瓢箪仙人 19
続 壺中天・瓢箪仙人 20
続 壺中天・瓢箪仙人 21
続 壺中天・瓢箪仙人 22
続 壺中天・瓢箪仙人 23
続 壺中天・瓢箪仙人 24
続 壺中天・瓢箪仙人 25
続 壺中天・瓢箪仙人 26
続 壺中天・瓢箪仙人 27
続 壺中天・瓢箪仙人 28
続 壺中天・瓢箪仙人 29
続 壺中天・瓢箪仙人 30
続 壺中天・瓢箪仙人 31
続 壺中天・瓢箪仙人 32
続 壺中天・瓢箪仙人 33
続 壺中天・瓢箪仙人 34
続 壺中天・瓢箪仙人 35
続 壺中天・瓢箪仙人 36
続 壺中天・瓢箪仙人 37
続 壺中天・瓢箪仙人 38
続 壺中天・瓢箪仙人 39
続 壺中天・瓢箪仙人 40
続 壺中天・瓢箪仙人 41
続 壺中天・瓢箪仙人 42
続 壺中天・瓢箪仙人 43
続 壺中天・瓢箪仙人 44
続 壺中天・瓢箪仙人 45
続 壺中天・瓢箪仙人 46
続 壺中天・瓢箪仙人 47
続 壺中天・瓢箪仙人 48
続 壺中天・瓢箪仙人 49
続 壺中天・瓢箪仙人 50
続 壺中天・瓢箪仙人 51
続 壺中天・瓢箪仙人 52
続 壺中天・瓢箪仙人 53
続 壺中天・瓢箪仙人 54
続 壺中天・瓢箪仙人 55
続 壺中天・瓢箪仙人 56
続 壺中天・瓢箪仙人 57
続 壺中天・瓢箪仙人 58
続 壺中天・瓢箪仙人 59
続 壺中天・瓢箪仙人 60
home > 壺中天・瓢箪仙人 > 続 壺中天・瓢箪仙人 28
続 壺中天・瓢箪仙人 28

青葉茂れる桜井の、里のわたりの夕まぐれ、木(こ)の下陰(したかげ)に駒とめて、世の行く末をつくづく……、と『桜井の訣別』である。そこには確かに哀愁があった。何か懐かしい昔を思わせる哀愁があった。あるいは武の「戈(ほこ)を止める」の軍事観を、その歌に馳(は)せたのかも知れない。歴史学などを振り返れば、戦争とは政治の延長などと、軽々しい言説で用いられている。しかし、そうしたものだろうかと思う。この裏には多くのものを包含している。
 つまり、戦争は絶対に行ってはならない。

 何故ならば、戦争をすれば勝っても負けても、いずれも傷付く。また、傷付くだけではない。戦争の内実は、それぞれの国の歴史や伝統、文化や道徳規範までもが反映される。軍国主義に走り、思想は戦争一色に統一されて、敵の屠殺
(とさつ)に精を出さねばならなくなる。人命に大きな損害を受ける。

 しかし、ひとたび行えば、もう誰も止めることはできない。戦争の怕さだ。そして戦争は、一国だけで出来るものでない。相手国がある。相手国は種々の心理戦で悩ませて来る。そして遂には、敗戦国の国民は戦争恐怖症になる。

 戦争は絶対にしてはならない。
 どんなことがあっても挑発に乗らず、今を忍び、何が何でも戦争はしてはならない。極力避けて、絶対にしてはならない。耐え忍ぶ忍耐が必要だろう。軋轢
(あつれき)に屈せず、これを見事に凌ぎきるしかない。凌ぐには政治の力が要ろう。敵国から無理難題を言われても、与野党の暴言を抑え、世論を抑える有能な政治家の政治力が要ろう。
 しかし、今日の政党政治に撥ね返すだけの実力を有しているか疑わしくなる。既に国家間という枠が取り払われたのだろうか。
 この「国際化」というワン・ワールド主義も危険だろう。それは文化や伝統を破壊することである。先祖の墓の上を、土足で侵略者の戦車や軍靴が土足で罷り通る行為を赦すことである。


●不退転

 早朝、新田郷。
 津村陽平は出仕の準備を整えていた。それはまた、先祖との別れを意味していた。訣別を決意していた。
 果たして、再びこの地を踏めるであろうか。おそらくそれは無いだろうと思う。
 さて、仏壇代わりの粗末な箱の中の妻の位牌をどうするか、それに先祖の。
 置いて行くのか、あるいは持って行くのか。
 軍隊では私物は禁止である、持ち込めない。だが妻の位牌は別か?……などと考えてみた。しかし私物には違いない。
 もう鬼神
(きじん)となってしまった妻を、誰も祀る者がいない。
 妻の珠緒は死んだ。そして自分も死のうとしている。津村の家はこれで亡ぶ。陽平はそう観念した。
 もう思い残すことはない。死ぬまでは鬼神とも訣別する。死んで再び会えばいい。長いことあるまい。やがて逝く。そう思った。

 では、それに先祖から伝わる津村家の鬼神をどうするか。鬼神とは先祖霊のことである。先祖は鬼神になり得たか。先祖は神まで、感情を超感情にしたか。昇華途上かも知れない。この先祖をどうするのか。
 津村の住まう裏山には小さな祠
(ほころ)があり、そこに先祖の神々を祀って来た。それは道教か古神道の神らしい。この謂(いわ)れを詳しく聴いたことは無い。だが、そういう神がいることは知っていた。
 だが、これから先、祀る者がいない。そのうえ自分も召されて、やがて死ぬ。

 死ぬのは構わないと思う。死んで何の不都合も無い。人間は死ぬものだ。そして、ものは考えようだ。
 自分のように、人生の孤独者となり、身寄りも無く、血縁はみな失った。自分独りである。
 これから先の希望も、志も理想もある訳でない。もう何の欲も、望むものも無い。死ぬを待つばかりのみである。思えば後悔の多い人生だったかも知れない。そういう人生、生きていて果たして楽しみがあるのか。
 生きている愉しみが無ければ、いま生きる人間は、次の愉しみを期待して死ぬのもいいであろうと思う。次の愉しみを期待して死ぬのも悪くない。津村はそう思ったのである。

 「さて、行くか。命を捨てに行くか……」
 独り言を洩らして、この場を跡にした。
 そして思う……。
 これまでは先祖を祀ってきた。至れり尽せりで祭祀を欠かさなかった。次は自分が祀られる番だ。祀ってもらえる。これも愉しみの一つであった。
 ところが、どうだ。誰もいない。気付いたらみな死に絶えていた。
 自分の身の上を案ずるには歳を食った。命を捨てて惜しいと思える歳ではない。そういう惜しい念を残す時代は過ぎ去っていた。この世には殆ど未練はない。何の執着も無い。もはや墓場まで持って行くべき、たって一つの荷物は、わが身一つであった。未練と後悔に執着心を抱かねば、その一つのわが身も、ある意味では宝物かも知れない。自分の足で立ち、あと一踏ん張りのときが遣って来た。
 いざ行かん……いざ。命を捨てに黙々と、粛々と……行く。
 そう振り切って、この地を跡にした。
 妻の位牌を懐にしていた。これだけは何故か、離せなかった。またそれに併せて、わが妻の遺影代わりに描いたF0号
(18.0×14.0cm)の絵。
 話せなかった。未練だろうか……と思う。いや、違うとも否定する。

 とぼとぼと山を下っていた。
 その下る足に、わが身の延命を図る気など毛頭ない。自然のままに朽ちればいいと思う。
 この世で、「わが身」と言う、よき器
(うつわ)は与えられた。小型の器だった。小型の肉体だった。
 その器にも、何の不都合も無い。小型だが、よく出来た器だと思った。その器も、本来は自分の物でなく、神からの借りものだった。もう直、神に返さねばならない。返す時期が迫っている。

 村外れのところまで来た。
 そこに庄屋を始め、何人かの村人が集まっていた。
 大戦末期のこの時代、もう派手な壮行会など無い。五年前とは打って変わっていた。
 黙って戦地に赴き、死んでくればいい。遺骨となって還ればよかった。そういう召集される時代であった。
 だが、津村には遺骨が還る場所すらない。無縁仏で血を閉じる。それもいいと思った。
 「陽平さん、もう行くか」庄屋が訊いた。
 「お世話になりました」
 「寂しくなるのう」
 「では、みなさん。いつまでもお元気で」
 陽平は頭を下げ、死へと一歩、足を踏み出していた。
 「陽平さん、赦してくれ」
 庄屋が追って来て、聲
(こえ)を掛けた。
 「なにを?……」
 「珠緒さんを守りきれんやった……」
 「もう忘れた……」
 「しかし、珠緒さんの名までは忘れまい?」
 「いや、忘れたよ」
 「済まんかった、陽平さん。赦してくれ」庄屋は深々と頭を下げた。
 「もう、遠い昔のこと、すっかり忘れたよ……」意に留めなかった。
 妻の身に、何が起こったか知っていた。あれは崖から落ちたのでない。何者かによって落されたのだ。正確な状況判断が出来る者なら、それくらいの判断はつく。
 複数で強姦された上、千仞の谷に突き落された。その痕跡があった。また強姦の痕跡あった。事故でないことは明らかだった。
 妻の死は不注意から起こった事故による顛落死などではなく、複数の者による強姦殺人だった。それくらいの事は百も承知していた。以前からその影があったことを知っていた。しかし、今はそういうことはどうでもいいと思った。事件にはしなかった。われが罰せずとも、天が罰するだろう……。
 津村陽平は道者
【註】儒家を儒者というが、道家を道者という)だった。老子も孔子も天命論者であったが、その天という意識に双方は違いがある。道教・道家は、禅道に酷似するのである。

 津村は心の疵
(きず)を負った人間であった。
 その後ろ姿に、庄屋と村人の何人かは深々と頭を下げた。彼が尊敬されている証
(あかし)だった。しかし、寂しい別れであった。
 歓呼の声も何もない。寂しい別れであった。死を前提としての旅立ちである。死を用意しての旅立ちであった。その用意を陽平は完了しているのであった。
 おそらく人の死も、そういう寂しいものであろう。仮に畳の上で死んでも、人は一人で死んで逝かねばならぬ。そもそも人間は、寂しい生き物なのである。

 昭和19年ともなると、駅頭での壮行会や、村外れでの村人達が集まっての壮行会は遣らなくなっていた。
 派手な見送りは姿を消していた。かつてあったような、日の丸の白地に『祈武運長久 ○○○○君』などの墨で大書きした幟
(のぼり)はとんと見なくなっていた。質素な、粗末な見送りだった。こうした壮行会が見られたのは、昭和17年の暮れくらいまでであった。
 この時期までは、出征兵士を出すと、「あの家からも遂に応召者が出たか……」と、これを見た多くが感慨を与えたものである。応召の、聯隊に向かう当日、出征兵士は胸に日の丸の寄せ書きの旗を斜めに掛け、駅頭などでは沢山の人集りが出て列をなし、日の丸の小旗を振り歓呼の声を駆けたものである。見知らぬ人でも、傍にいた人でも、通りがかりの人でも、彼らに、敬虔なる黙礼を捧げたものである。これがこの頃までの風俗を特長付けていた。出征兵士を送り出す戦争風景の一コマであった。
 ところが、時代に急変が起こり始めた。

 昭和18年に入ると、めっきり少なくなり、19年に入ると殆ど見られなくなった。何処でも質素に、身内だけで小さく行われるようになっていた。人知れずに出征して行く人、が多くなっていた。一つは物資難も上げられようが、「贅沢は敵だ!」
【註】筆者はこの言葉の「敵だ」の敵の前に「ス」を付けて、「スてきだ」とした進歩的文化人がいたことを思い出す。暗い時代にあっては洒落ていると思う)の内務省の捻り出したスローガンが派手な壮行会をさせないようになっていたのである。
 では何故、この年を境に急な転機が起こったのか。
 確かに戦局が悪化したことにもよろうが、この時から中部太平洋戦線において、死闘と玉砕が相次ぎ始めたからである。

 これは昭和17年のミッドウェー作戦の敗北により、米軍側はアリューシャン列島のアッツ島、キスカ島を占領に懸かる。アッツ島は孤立無援のまま玉砕を強いられる。キスカのみが奇蹟の撤収を果たしたが後のこの地での生還兵も激戦地へと赴任し命を落した。以降、ギルバート諸島中部に位置するタラワ島・マキン島・ペリリュー島での激戦地では総て玉砕した。そして昭和19年6月15日には、サイパン島に米軍の上陸が開始される。この流れの中に、昭和19年は異常な年の転機を迎えていた。
 軍に対して、国民の尊敬の気持ちが急速に薄らいで行くのである。戦争指導者への信頼が薄らぐ。

 この当時のことを知る人の話では、例えば、当時は列車移動も大変な時代で、汽車のキップすらも自由に手が入らず、三等車などまで超満員であったと言う。こうした列車に乗って、二等車でもあっても、三等車からの客が雪崩れ込み、陸海軍の将官クラスや参謀肩章を着けた高級将校が坐る席の肘掛けに、庶民の客がその肘掛けの上に尻を乗せる有様だったと言う。これだけで、夜郎自大の軍人は、国民からの信頼を得ていなかったことになる。それだけ多くの国民が、戦局の悪化を短波放送などで既に知っていて、ラジオでガナリ立てる「大本営発表……云々」は殆ど信用していなかった。君が代行進曲とともに「大本営発表」が始まると、また嘘が始まった……程度にしか思っていなかったのである。国民のポーズだけは“お上”に併せて、戦争をしている積もりだった。
 この作用に対する反作用は、負け戦の末期に顕われて来る現象である。
 そして歴史を検
(み)れば、秦の宦官で丞相の趙高(ちょうこう)の例からも分るように、劉邦(りゅうほう)が攻めたとき、趙高は自ら秦の城壁を内側から開き、漢の敵兵の侵入を入り易くした。負け戦は、売国奴が徘徊することである。
 当時日本にも内側から門戸を開き、米軍の侵入を容易にしたり、外地での戦局を悪化させて、激戦地の地獄絵を創作する計画があったことだ。戦後処理において優位に立とうと企てるからである。
 陸軍の偕行社の服部卓四郎、辻正信、瀬島龍三らは、その最たる利権争奪者ではなかったか。
 つまり大東亜戦争は、単に米英との戦争でなく、日本は国民の知らないところで日独戦を戦わねばならない羽目に陥っていたのである。つまり奇なるところは、軍事同盟国が、互いに間接的に戦うという巧妙な仕掛けがなされていたことである。このことに大半の国民は気付いていなかった。また、気付かされなかった。
 末期現象にあっては、愛すべき大半の微生物は、軍隊官僚からツンボ桟敷に置かれていたのである。

 また街頭での「千人針」も消えた。昭和19年に入るとこうした古い慣わしは殆ど消滅していた。
 千人針とは、縦15cm、横80cmほどの晒
(さら)しの布を二つ折りにし、両端に紐を結んで、これを腹に巻くのであるが、この布は予め篦(へら)で筋を付けておいて、縦横の線の交叉点に一人が一針ずつ刺し、合計千個の赤糸を縫い付けるもので、これを千人針と言った。
 親しい者から出征兵士は受け取ったり、また親しい者が出仕する時に贈るものであった。
 特に、これは女性が担当し、女の愛情が戦場での男の命を護ると信じられていた。この愛情が、弾すら除けるとされていた。女房は亭主が出生する際、街頭の十字路などに立って、千人針をお願いしたものである。平時ならともかく、しかし戦時の召集甚だしき時代の千人針は、容易ことではなかった。
 それに千人針の、特に上質なものとされたのは、寅年の女に限り、この歳の女性が好まれたようだ。虎は千里をゆき、また千里を帰るとされたからである。

 実は私の母も、大正3年生まれの寅年だったが、女学校時代から千人針にはひっきりなしに駆り出されたことがあると、生前語ったことがあった。
 千人針は、したがって単なる腹巻きではないのである。保温のための腹巻きというより、兵士の身を護る安全祈願の呪術による護符であったと考えられる。こうした風習の根拠になったものが道教の思想であろう。

 津村陽平に千人針の腹巻きなど無い。街頭に立ち、それを縫ってくれるような妻もいない。既に天涯孤独になっていた。頼りない防弾具だとと、津村には軽視するつもりはさらさら無いが、千人針の真の目的は、単に赤糸で虎を形作るだけでなく、それに縫い込む白銅貨にあった。
 普通は五銭銅貨が遣われたが、昭和19年頃になると、千人針用の晒し地に、十銭銅貨を縫い込むというのが流行していたらしい。人手を借りるより、銅貨の防弾性の方が効果的と思ったのだろう。腹部に銃弾を浴びなくても、頭に浴びればイチコロであった。だが、出征兵士として送り出した亭主の安全祈願を図る女房の願いは、これが精一杯だった。

 この時代のなると火力も一層巨大になって、欧米製や中国軍が遣っていたドイツ製の武器は、日本陸軍や海軍陸戦隊が遣っていた鉄帽を簡単に貫通する殺傷力も持っていた。鉄帽で銃弾を防ぐことが出来たのは、日米開戦前の日中戦争が勃発した初期であったろう。中期から敗戦まで、日本の鉄帽は防弾性が失われていた。
 日中戦争も中盤に入ると、中国軍はドイツ製のモーゼルM98歩兵銃や機関銃やチェコ製の軽機関銃が猛威を揮い、殆ど太刀打ち出来ず、日本軍を散々悩ませていた。中国軍は独逸軍事顧問団の軍事指導で、日本軍を見たら直ぐに逃げる以前とは異なる、精鋭・精強部隊に生まれ変わっていた。これまでの日本陸軍では、太刀打ち出来ない強豪集団になっていたのである。これを指導したのがナチス独逸であった。

 津村陽平は昔、父より、子供の頃に聴いた話を思い出していた。
 それは幼馴染みの武士の子と商家の子の話であった。この話は父が子供の頃に聴いたものかも知れない。
 室町戦国期のことだろう。あるいは元服を前にした子供同士の話であろうか。
 武士の子は貧しく、商人の子は裕福だった。そういう設定の話である。
 津村はそういう話を、子供のときに父から聴いたことがあったのを思い出した。

商家の子── サムライの家では、みんな何処で死ぬのか?
武士の子── 戦場だよ。
商家の子── お前のおやじ殿は、何処で死んだのか。
武士の子── 戦場だよ。
商家の子── お爺(じじ)殿は?
武士の子── やはり戦場だよ。
商家の子── それで、お前はその戦場に出て行こうと言うのか。
武士の子── そうだよ。ところで、お前のおやじ殿は、何処で死んだのだい?
商家の子── うちの畳の上でだ。
武士の子── お爺殿は?
商家の子── やはり、うちの畳の上でだよ。
武士の子── それでお前は、今夜もその畳の上で寝るのか。
二人の問答を
聴いた神──
商人が戦場で死んで、武士が青い畳の上で死ぬのはおかしいだろう。それだったら、武士も商人もいらんではないか。

 世間の常識からすれば、家業・家伝や武技・職能に関係なく、誰でも青い畳の上で死にたいと思う。死闘を演じる戦場より、青い畳の上で静かに死にたいを思う。誰でも安全の方がいい筈である。安全第一がいいに決まっている。それは武士も商人もを問わずにである。
 しかし、極貧の武士は何故、豪商と同じくらい尊敬されていたのか。
 問答の論点は此処にある。
 かつて日本人は、海外の人から敬意を持たれていた。
 イエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルは言う。
 「日本人にはキリスト教国民のもっていない特質がある。それは武士が如何に貧しくとも、その貧しい武士が、豪商と同等に人々から尊敬されていることだった。清貧なる貧しさを、少しも恥だと思っている武士はいなかった」と、ザビエル神父は、当時の日本人の「清貧」さについて、驚きと感動の念を表している。

 この神父は、武士の清貧を高く評価した。貧しい武士に偉人像を見た。昨今のテレビ時代劇で、茶番として扱われている武士像ではない。尊敬に価する武士像である。
 この武士像は、先の大戦時の軍人の中には、殆ど見られなかったものである。武士像は夜郎自大の中には無かった。自らの本分を全うしただけであった。ゆえに貧しくとも尊敬された。
 ザビエル神父は武士の背景に、貧しくとも、毅然
(きぜん)さを失わない凛(りん)としたところを感じていたのであろう。

 これは、生と死の二元大局が導いた「死生観を解決した胆力」であろう。その胆力を知る「胆識」を弁
(わきま)えた思想でもあった。あるいは揺らがない心の安定を表す「不動心」であろう。
 更には、命を引き換えにしても屈しない「ネバー・ギブ・アップ」であり、「不屈の精神」であろう。
 また、武士階級においては、死をわが心に充てて学ぶ以上、死は怖れるものでもないし、憎むべきものでもなかった筈である。かの吉田松陰が示す通りである。
 生きて大事業を為
(な)す見込みがあるなら、いつまでも生きて、長生きして生き存(なが)え、とことん生き抜けばいいし、死して不朽の可能性があるのなら、いつ何処で死んでもいい筈である。
 生死の流れの中に在って、人生の処し方を何処に置いているかの心の問題でもある。
 単に死の問題を潔さた、武勇に裏打ちされたその種のものの数直線上に置いていないことは明白であろう。
 何処までも心の問題である。
 そして、死を意とせず、生死を超えて自分の職能を信じ、それに安住している心境をザビエル神父は「武士が如何に貧しくとも、その貧しい武士が、豪商と同等に人々から尊敬されている」という事実を発見したことであった。

 安住……。
 それは決して安全圏の安楽に身を置くばかりのことでないであろう。安全第一を図ったとしても、そこが絶対に安全と言うことではない。安全と思えたその場所ですら、完全帰納法に回帰されるものでない。何処にいても同じである。魂の安住は、常に自らの心の中にある。

 ボロの軍服を纏った応召兵が衛門の前に立った。矮男
(こおとこ)である。
 「おい、お前。何処へ行くか」
 上等兵の衛兵が見下すように訊く。叱責より、見下しであった。矮男と検
(み)たからである。
 「中へだ……」毅然として言った。
 「俟て、何の用でだ?
 「召集だ」
 「召集令状は?」
 「そんものは無い」
 「無いでは済まされん。それが無いと聯隊内には入れん、ここは軍隊だ」
 「中へ入れんということは、では、帰れということで、帰っていいのか」
 「うム?……」衛兵は迷った。
 「それなら帰る、手間を取らせた……」矮男は踵を返した。
 「俟て!訊いて来る」
 「いや、訊いてこなくていい。帰るから安心しろ。手間を駆けた……」
 矮男は迷わず踵
(きびす)を返した。すたすた帰って行く。しかし帰るといっても、何処に帰る場所があると思う。今さら新田郷には戻れない。訣別済みである。
 では、何処へ行こうか……。
 軍隊にも無用と思ったのか。この時期、身体障害者まで必要とした時代である。

 とぼとぼ歩いた先に、気持ちの良さそうな木陰があった。
 あそこで少し休むか……、矮男は木陰に遣って来た。坐って背を樹木に凭
(もた)れ掛けた。
 眼を瞑
(つぶ)った。眼を閉じて、何か遠い昔のことでも想いを馳せているのだろうか。あるいは別のものを観じていたのだろうか。
 彼は樹液の動く音を聞いていた。樹木の中では水が音を立てて動いていた。それがこの漢には聴こえる。心の中にその音を伝えている。いつの間にか、樹と問答を交わしてた。

 天地曰
(いわ)く、一心帰命。曰く、棄私。曰く、中心帰一。
 言葉は簡単である。だが実際には、そんなに簡単なことでない。
 人間にとって最大の敵たる我執と傲慢、そして自惚れ。これらをものの見事に打ち破って、禅では「百尺竿頭
(ひゃくしゃく‐かんとう)」という。更にその先に一歩踏み進めよという。
 百尺竿頭須
(すべから)く歩を進むべし、十方世界是れ全身と。既に工夫を尽くした上に、更に向上の工夫を加える。また、十分に言葉を尽くした後に、更に進めよ説く。
 『無門関』
(伝灯録)にはそうある。

 百尺の竿の先から、一歩足を進めるにはどうしたらよいか。頂上を極め、そこで自己満足して留まるか、その先を更に一歩進めるか。もし、一歩進めようとすれば、わが身をこの世に投じなければならないだろう。
 小悟では、羅漢の悟りでしかない。一歩進めるには菩薩行を遣るしかない。
 《どうする!》
 樹木が問うたような気がした。
 《まァ、俟て。少し休んで行こう……》
 漢は意に介さない。
 《飯でも喰うか?》
 樹木が訊いたような気がした。
 《それもいいなァ。喰うか……》
 漢は、眼を閉じたまま、自分のポケットをごそごそ遣り出した。そして二、三の落花生を取り出した。殻を指で潰して、中身を口の中に放り込む。落花生はこの漢にとって、この上も無い精力剤だったのである。

 そこへ巡査が通り掛かった。
 「おい!貴様……」
 矮男は怒鳴られた。
 「なにか?……」
 「なにか?があるか。今を、なんと心得ている?……、戦時だぞ、戦時!……。この非国民め!」
 こうして後ろ襟
(えり)が破れるくらい掴まれて派出所へと連行された。
 連行して来た警官に、同僚の警官が訊く。
 「どうした、その小人
(こびと)?……、何処かの見世物小屋からでも逃げ出したか?」
 「わからんが、この戦時下に不謹慎にも怠けていた」
 こう言われて、その意味が理解しかねた。
 「所長
(派出所の責任者で巡査部長か警部補)が来るまで、暫く、打(ぶ)ち込んどくか」

 矮男は大人しく留置された。なぜ拘留されたかも訊きもしない。官憲の暴力も、この不当を訴えない。そのうえ勝手に持ち物まで調べられた。
 巡査の一人が小脇にした包み物を取り上げ、中身を調べ始め、「なんだ、これは。位牌ではないか。それと美人画の絵か。それに落花生が、おおかた1斤
(1斤は普通160匁(もんめ)で、600gに当たる)ほどに、穢いボロの襦袢と猿股(さるまた)。随分と穢いな……」
 「穢いものはゴミ箱に捨てとけ。小人は乞食だろう……」
 「だが、落花生は棄てるな。それはオレら二人で山分けだ。それと美人画の絵。オレの家に飾る」
 「ああ、分っているよ」
 落花生は山分けされたあと、僅かな包み物は棄
(す)てられてしまった。しかし、矮男はこれを知らない。
 最近の官憲が傲慢と言え、他人の持ち物を無断で棄てるとは思わなかった。秩序はあると思ったいた。礼もあると思っていた。ここまで酷いとは思ってもいなかった。この国は法治国家と思っていた。

 留置所には先客がいた。先客は馴れ馴れしく訊いて来た。
 「あんた。なに、遣
(や)ったんんかい?」
 この漢は、学生崩れであろう。大学か高等学校の中退者である。
 「さあ?……」
 「あんた、理由も無く打ち込まれたんかい?」
 「そうらしい……」
 「最近の警察は酷いもんだなァ。理由も聴かず、オレだってこれだ」
 「それは災難だったァ」
 「随分と暢気
(のんき)なことをいうな、あんた……」
 「そうだろうか」
 「オレ、気付いたんだよ。上手い手がある……。この話、聞くかい?」
 「別に………」
 「興味ないか……。しかしいい話だぞ。徴兵って、あるだろう。これ、逃れる方法、実は最も簡単なことがあったんだ。これを遣えば、徴兵が避けられ、軍隊と言う監獄を免れて絶対に死ぬことがない。戦場という地獄にも行かんでもいい」
 「そりゃ、ムショに入ることだろう……」
 「知っていたのか」
 「それで、一番安全と思えるムショに入っているということか?」
 「いい考えだろう、此処では絶対に銃弾や砲弾の十字砲火が無い」
 「そうだろうか」
 「違うというのか?」
 「何も、最近は弾は横からばかりでなく、上からも来る……」
 「爆弾か!」
 「そうだ」
 「そこまでは気付かなんだ……。あれは厄介だなァ」
 「だから、こう言う、ちっぽけな牢屋は上から来れば、一溜まりもない……。空襲には脆
(もろ)い」
 「あんた、以外と観察力あるなァ」
 「そういうことに感心するより、わが身を心配しろ」
 「どういう意味だ?」
 「ならず者、部隊というのを知っているか」
 「なんだ、それは?」
 「だから、ならず者だ」
 「ならず者と言うと、つまりィ……、悪い事ばかりして、手のつけられない者とか、道楽者とか、一定の職業がなく渡り歩いて諸国を放浪し、恐喝や強請
(ゆす)りなどをする者、または住所不定の無頼漢とか、ごろつきとか、極道とか、やくざとかの、そう言うのをいうのか。そういうものばかりが、寄席集まった部隊があるというのか」
 「負け戦を、もう一番、もう一番と、下手な詰め将棋をする“お上”が苦情の空論で考えることだ。
 人間の末端は犬猫以下だ。人の命は一銭五厘で幾らでも作れると思っている。そういう机上の空論で考える軍隊官僚がだなァ、底辺の命を人海戦術に変える愚策を考え付かない訳でがないではないか……」
 「そう言えばそうだなァ……。いやァ〜、呆れるくらい、戦争指導者は恐ろしいことを考える」
 「顕微鏡下の微生物の扱い方は、いつの世も変わらん」
 国家権力はいつの時代にも、横柄な態度を崩さない。下々など眼中に無い。

 「では、いったい神風の吹く、神国日本とは、どういう国かなァ?……。果たして吹いているのだろうか」
 「この国には、常に神風は吹いている。神が囁
(ささや)いている。だが、幽(かす)かに囁く。それに真摯に耳を傾け、よく聴く者がいない。ただそれだけだ……。何者かが、詰まらん国にしてしまったということだろうか……」
 「いつ、そういう国になった?」 
 「明治維新後、西洋が雪崩れ込んでいたときからだ。この国は、西洋の悪癖を真似した」
 「西洋の悪癖とは?」
 「富国強兵とともに、たった四百人で国家を牛耳る官僚たちが横領する、しょうもない国が、今の日本。
 これは西洋の帝国主義から学んだ悪癖の映し……」
 「あんた、恐ろしいことを言う人だ。それで官憲に捕まったのか?」
 「そういうことだろう?……」
 「それで、オレたちは、これからどうなるのかなァ?」
 「そのうち、五芒星の星のマークを付けた屠殺
(とさつ)車が来る……。粗大ゴミとしての弾除けとしてな」
 「人海戦術の的になるのか?……、それは人間標的か?……」
 「その懸念も否定出来ない……」
 「悪夢が現実のことになるのかなァ……」
 「かも、知れない」
 こうして以降、拘留された二人は黙ってしまった。先客者は自分の近未来を見たのだろう。もう言葉を失っていた。死が貼り付いたからだ。

 津村はこうして留置所で一夜を明かしたが、昼食も夕食も、此処では振る舞われなかった。故意に振る舞わないのでなく、時代は食糧難なのである。被疑者に飯を出すほどの余裕もなにもないのである。
 警官すら、空きっ腹を抱える時代であった。被疑者の権利など、完全に無視されていたのである。警察に逮捕されたり、身柄を拘束される事自体で、既に世間からは犯罪者として見られた時代である。被疑者や容疑者に人間としての人権は無かった。

 では、なぜ檻の中に居るか。
 事件は作れば、幾らでも檻の中で作れるのである。警官の物言いは、戦時下ということと、身形
(みなり)はホイトウだったからだ。それで、警察に連行された。この理不尽を悔いても仕方ない。身形から甘く見たのだろう。津村の姿は、一種の侮蔑すら感じたのであろう。みすぼらしい姿で、徹頭徹尾を判断されたことは明らかだった。それに矮男然が拍車を掛けた。
 その後、尋問を受けた。氏名と住所を言えという。次に、生年月日と職業を言えという。
 これには困った。
 何故こうした目に遭わなければならないのかと思った。身形が悪かったからだろうか。
 警官は名前、住所、生年月日、職業を言えと立板に水……のように言う。矢継ぎ早に訊かれても、切り返して答える気がしなくなた。そして、これが今後の元凶となった。収監される羽目になったのである。

 以降、「監置零号」として扱われる。黙秘権を遣ったからだ。被疑者扱いで、身柄を拘束された。
 矮男は肚を決めた。
 以後、黙秘する。「完全黙秘」する……と。これが情熱的信念となった。
 そうすれば、素性は一切分からなくなる。証明する物がない以上、証明させなければ、容疑は容疑のままで幕を降ろすしかない。あるいは監置されたまま送検されるかも知れない。しかし、それだけで送検されるはずもない。そのうち冤罪など過去の事件と帳尻併せされて、最悪の場合は、殺人犯に仕立て上げられて死刑になるかも知れない。証拠は幾らでも作れるからである。
 だが、そうなれば、そうなったでいいと思った。
 いっそ、わが人生がさっぱりしていいと思った。抗
(あらが)う気持ちは失せていた。肚を固めた。
 完全黙秘を通すと。
 石の地蔵になると。
 そうなると、官憲は石の地蔵には手が付けられなくなるだろう。
 され、こうなるとこの収監に如何なる番号が付くのだろうか。
 あるいは、「監置××号」とか。具体的には「監置壱号」なのだろうか。
 監置壱号でも、零号でも、どうでもいいような気がした。名無しの権兵衛だからだ。

 一般に犯罪を犯したりあるいは、その容疑のある者が容疑者として逮捕された場合、まず司法警察員の取調べが行われる。これに対し、被疑者は黙秘を通す権利がある。
 裁判所の裁判官が尋ねる人定質問相当の問いである、氏名・生年月日・住所・職業などの、種々の問いに答えなければならないのだが、これに黙秘をする権利が認められている。しかし、一切答えなければ、完全黙秘となる。法治国家のルールである。
 これに派出所の所長は頭を痛めた。何と呼んでいいか分らないからである。
 本来ならば、姓名や生年月日を名乗り、微罪や容疑誤認の場合は説論釈放となって解き放たれるのだが、完全黙秘されれば、実刑が科される場合がある。
 名前を名乗らない矮男は「零号」と呼ばれた。しかし矮男は返事をしない。
 それに相槌を打つ分けではない。ただ聞き流すだけである。
 「なぜ返事しない、零号!」
 答えないことが、苛立を募らせているようだった。
 しかし、頭を痛めた筈の所長が肚を据えた。根比べをして遣ろうじゃないかとなったからだ。
 「まァ、ゆっくりとしていくことだ」と独り言のようにいうのである。
 「……………」
 「小さいのう、零号。歳幾つだ?」
 矮男は肚の中で思う。《言わん!》と頑に口を閉ざした。
 「その手で来るか、零号……。したたかじゃのう」
 矮男には尋問に答える必要はない。そして何か他のことを想えばいい。これまでのことを回想すればいい。
 わが人生が、不運であったと思えば諦めがつくか……。
 否、と思う。これを愉しみに思えばいい。愉しみは幾らでも、何処にでも転がっている。そう思うと、矮男は何故か愉快なった。そして、にたッと嗤ってしまった。それが逆撫でしたらしい。
 「おい!何がおかしい!」
 所長は矮男を張り倒した。漢は風船のように軽く飛んで行った。そして蹴り、貌を踏みにじった。もう血だらけだった。何度も貌を蹴られ、歪
(いびつ)に変形していた。
 「覚えておくんだな、わしの名前を。巡査部長の大橋というんだ。もう直、定年だ。警察を退職したら、女房と残りの余生を静かに暮らしたいと思っている。定年を前に、あまり面倒を掛けぬことだ」
 所長は捨て台詞を吐くように言った。その「退職したら、女房と残りの余生を静かに暮らしたい」と考えているこの所長にして、一皮剥けば、その下は、この残忍ぶりであった。自他離別の人間だった。完璧なる個人主義の塊と言えた。

 早朝のことである。といっても、まだ暁闇
(ぎょうあん)である。夜は明け切っていない。
 夜は明け切っていない。白んでもいない。
 そのとき拘置所内の鉄格子が警棒で、ガンガン叩かれて起こされた。
 「起きろ!」巡査が一喝した。
 遣り方が野蛮であった。檻の中の面々は家畜扱いであった。何らかの緊急時で、叩き起こされたのである。
 「お前らを移送する。行く先だけは教えておこう。泣く子も黙る陸軍刑務所である」
 檻の中の二人は罪人用の深編笠が被せられた。被疑者や容疑者が人目を避けるための笠である。そして両腕には手錠に腰紐だった。


 ─────津村陽平を俟っていた聯隊では、幹部候補生の教官の兵頭准尉が訝
(いぶか)しがっていた。
 「おかしいですなァ。津村陽平は昨日の早朝、新田郷を出たと言うのです。
 それにですなァ。わが聯隊の衛兵の話では、津村陽平らしき背の低い漢が来たというのですが、衛兵は中に居れずに身分の確認中、何処
(いずこ)に行ってしまったというのです……」
 「もともと、あの方は、自ら来るような人ではないのです。こちらから三顧の礼をもって、迎えねばならなぬ人だったのです。軽く扱って、無礼を働いてしまいました。非はこちらにあります」
 アンは、あたかも諸葛孔明が、劉備の居る新野城まで出向き、自ら軍師にしてくれと懇願されたことに恐縮していた。

 「ところで、教官は何故、津村を欲しているのです?」
 「猫のような身のこなし。素早い身の動き。的確な洞察と鋭い見識。そして胆識から発する豪胆な態度。
 みな、わたしたちには必要です。是非のものです。これを学び、教わり、身につける必要があります。小能
(よ)く大を制すです。それに、あの方の知る食餌法の大事です……」
 「食餌法というと?」
 「少量の食餌で長時間、何日も戦える体力並びに体質維持法。何か特別な方法を会得している筈です。
 野戦を戦い抜くためには、その秘訣を学ぶ必要があります。コップ一杯で何日も戦えるような……。
 それを教わる必要があります。これが分らねば、プラン『タカ』は失敗に終わります」
 「そう仰るのなら、是非探してみます」


 ─────津村は陸軍刑務所に送られた。彼は手荷物は処分されていて何もなかった。手ぶらである。
 ここでは最前線に出す「ならず者部隊」の編成が急がれていた。混成部隊である。
 作戦課では、南方の最前線に送る計画が立てられていた。正規部隊の弾除けにして、本隊の防禦壁にするらしい。その編成であろう。軽い命だった。
 不法を働いた者が片っ端から、六人ずる四畳半部屋に押し込められた。広さは一人一帖も無い。おそろし狭さだった。手荷物は私物として没収されていたが、津村にはそういうものはなかった。
 此処の住人は「点呼!」の号令で、全員は正坐をしなければならない。しかし津村は正坐などしない。
 ごろんと、ひっくり返ったまま起きようともしない。
 昨日、派出所の所長から殴られ蹴られ、踏み潰された貌は左右が歪のままであった。黙秘しただけで、この態
(ざま)であった。

 「おい!点呼だ!」憲兵の腕章を付けた看守が怒鳴る。
 周りの一人が「あんた、楯を突いても始まらない。ここでは大人しく素直に従った方がいいぞ」と言った。
 それでも起きない。
 「貴様!起きんか!点呼のときは正坐するんだ!」と看守が怒鳴る。
 しかし津村は聞く耳もたないという感じで、涼しい貌をし、ひっくり返ったままだった。
 「おい、来てくれ!この漢を取調室に連れて行け。徹底的に痛めつけてやる!」
 看守はサディスト的な貌になって引き攣
(つ)っていた。
 そして、津村は連れて行かれた。
 取調室というのは拷問部屋だった。水を掛けるので、大型のシャワー室と思えばいい。血反吐
(ちへど)を吐いても洗い流せるようになっていた。
 まず上半身を引き破られた。脱がせるというものでない。ボロをひっぺ剥がした。あたかも鶏の羽をむしるように、無慙に剥がされた。

 「おい!お前。監置零号というそうだな。半殺しの拷問実験に遣ってやる。躰に電流を流して、一切を自白させてやる。それとも心臓注射がいいか。
 おい、左右の小指に爪の間に電極を突き立てろ」
 看守長の憲兵が、部下二人に命じていた。看守長は憲兵曹長であった。腕の赤文字で書かれた「憲兵」の腕章が威圧的であった。

 ちなみに心臓注射というのは、ナチス独逸で考案されたもので、空気を貯めた注射器を心臓近くの静脈に撃ち込み、少量の空気を送り込む。これは日本においては、主に動物実験に遣ったウサギや鼠などを殺して解剖する場合に用いる方法で、心臓注射をすると小動物は、あたかも鼠花火はきりきり舞いして、痙攣を起こし、最後の足掻きをするのと似ている。投薬を用いて殺すより、経費が懸からないからである。
 また、心臓注射を人間に用いて拷問する場合は心臓近くの静脈に空気を入れてそれが心臓に還るのを俟ちつつ拷問を加えて行く。麻酔分析するより安価だからだ。

 津村陽平を革手錠で椅子に縛り付けて、両方の小指の爪の中に5寸大の畳針を無理矢理に差し込んだ。
 そもそも5寸大の畳針はこれ自体が拷問道具だった。これだけで、かなりの苦痛である。しかし顔色一つ変えない。聲
(こえ)も洩らさない。何故だと思う。
 憲兵は痛くないのかと思う。あるいは神経が麻痺して痛覚が無いのか。それとも狂った気違いなのか。
 「針の尖端に電極を繋げ」と曹長が命令した。
 部下はダイヤルの目盛りを徐々に上げて行く。そして一気の極大値にした。全身烈しい痙攣を起こし、遂に余りの衝撃で気を失ってしまった。関節の節々には感電の跡が出ていた。それだけ強烈な大容量が流された。
 一旦、電源を落し、水を掛けた。
 気を失って、椅子ごと転がってしまった。
 「水を掛けろ!」
 頭から水を掛け、竹刀で叩きまくる。肌が裂け、至る所が破れて血が噴き出していた。肉片のように転がっていた。
 「貴様、気合いが足りん。簡単に気を失うな!」
 水を掛ける方と、竹刀で叩くのと交互にやる。水を掛け、次に肌が破れるまで叩く。徹底的に叩く。
 「起きんぞ」
 「少しばかり強過ぎたか」
 「拙
(まず)いですなァ」
 しかし、津村は起きなかった。躰全身、血だらけになっていた。大量な出血だった。
 「死んだか」
 「念のため、軍医を呼んで来い」
 他のもう一人に言付けた。
 「川原さん。これ、拙いですよ」
 川原と呼ばれたのは看守長であった。
 「少し、遣り過ぎたか」
 「もし死んだら、取調中の病死か何かで、診断書を書かせますか」
 「しかし、軍医が捏
(ご)ねたら?」
 「金と女で買収すればいい。それにだ、あの軍医には新田郷でいい思いさせてやっているではないか」
 「あんたもワルですね」
 「お前ほどではないぞ、清川。お前も相当なワルだ。何しろ、犯した女の性器に、最後は石地蔵の頭を突っ込んだのだからな」
 清川と言われた漢は伍長だった。同じ村の出身であるらしい。
 「しかし、先日のアカの女は随分と楽しめましたねェ」
 「あれはよかった、遣り放題で。しかし死んだのが拙かった」
 「そうですね……」

 この会話を津村は総て聴いていたのである。肉片となって、無慙に転がされているにも関わらず、総て聴いていた。
 天網恢々疎にして漏らさず……。津村は反芻した。
 「渋川、軍医はどうした?」
 渋川と言われた憲兵も伍長だった。
 「直ぐに来る」
 「お前、ドジ踏んだのではあるまいか」
 「いや、大丈夫だ。軍医には鼻薬を効かせておいた。あの軍医、金と女には目が無い。簡単に転ぶ」
 「軍医殿が、さっそくのお出ましだ」
 軍医は聴診器を当てた。
 「もう少しで死ぬところだったよ。わしも、これ以上は庇
(かば)いきれんぞ。先日も女を、淫らな言語に絶する悪戯をして殺してしもうただろう。こういうことは、これくらいにして、暫く大人しくすることだ。
 これが発覚すれば死刑は免れんぞ。憲兵のこういう行為は、厳罰に処されるからな」
 「分っておりますよ、軍医殿。ところで、この漢、どうなります?」
 「なんとか、助かるだろう。しかし放置すれば死ぬ、念のために陸軍病院に廻すことだ。官憲とはいえ、三人も殺せば間違いなくお前らは死刑だ。それに、わしも共同正犯で危なくなる。厳罰は免れん」
 「しかし、この矮男
(こおとこ)、中々強情ですよ。見上げた根性と言うか……」
 「それにしても、あんた達はどうしたら、ここまで残酷になれるのかねェ」軍医は呆れたように言う。
 「さあ、性癖でしょうか」と首領格の川原が冷笑しつつ言った。
 「今回は、被疑者の持病による事故としておこう」
 「宜しく、野村軍医殿……」
 この話も、津村は総て聴いていた。

 「軍医殿も、われわれと同じ一蓮托生の仲間ですよ。何年か前、いい思い、したでしょう」
 「おお、あれはよかった。少し歳を食っていたが、肌はよく中々いい女だった、眼は見えなかったがなァ」
 「だから、貌を覚えられずに済んだじゃありませんか」
 「そうだったのう」
 「川原看守長殿も、大したワルですよ。隣村の新田郷に眼の見えぬ美貌の人妻がいて、それを盥回しするなどと企むのですから……」
 「盲の美人か。あれは前々から聴いて、あの辺では大変な噂だったからなァ」
 「そこで企んだ訳ですか、盥回しにすると。そして、われわれで犯しまくったあと、地蔵の頭まで突っ込んで散々楽しみ、最後は殺して山まで運んだ。事故で顛落したように見せ掛け、谷底に死体を捨てた」
 これは猟奇の次元だった。世にこういう犯罪は意外に多い。手口が巧妙ゆえ、知られないだけである。

 「これ、死体遺棄ですよ。しかし、そうしないと足がつくだろう」
 「オレは隣村の山田郷の貧乏百姓の次男坊。百姓じゃ喰えんからな。いい思いして特権をちらつかせる、こんな結構なことは無い。だから憲兵になった……」
 「まあ、どう考えても、わしらは間違いなく地獄行きじゃなあ」と嗤
(わら)う軍医。
 神をも恐れぬ四人組みだった。
 斯くして、近代に語り語り継がれて来た『犯罪環境論』は覆る。犯罪は劣悪な環境が作るのでなかった。犯罪者は貧困とか劣悪な環境の中に存在するのではなかった。確かに、犯罪と環境の結びつきはある。だが、此処にいる四人は決して劣悪な環境の中にいるのではない。軍医は医師であるし、憲兵三人は司法の捜査及び執行者である。逮捕権まで持つ。
 現に、近年はNHKの職員までもが満員電車の中で痴漢まで働く。決して貧しいからでもなく、教育が無いからでもない。並み以上に高い教育を受け、日本でも最高峰の学閥の出身者である。痴漢などをはじめとする猟奇に絡む事件は、紛れも環境と這う関係な犯罪である。もし国家が『犯罪環境論』を挙げるのなら、国家はそれに対しても責任の義務を負う。
 この場合、当時からすると、傲慢による憲兵の犯罪は、陸軍法務局の憲兵教育不備の点からいって、陸軍省に責任がある。そして全責任は陸軍大臣にある。しかし近代戦史を調べても、憲兵犯罪について、陸軍大臣が責任を取ったり、辞任した例はない。そこまで行く前に被害者の口を封じてしまう。

 「それにしても看守長殿。盲の亭主、矮男と聴いていたんじゃ?」
 「この矮男か、違うだろう。監置零号は、この刑務所に来たとき、貌がぐちゃぐちゃだったからなァ、貌はよく分らんが、たぶん違うだろう」
 「それなら、いいんですがねェ」
 それを、津村は総て聴いていたのである。
 だが津村が、粗末な手荷物を持ち込んでいたら、間違いなく殺されていただろう。その中には妻の絵があったからだ。一寸先は闇である。命拾いしたというべきか。
 しかし、これで拾って、津村にはどういうものでもなかったであろう。

 明治以前の社会生活では報復を重んじて来た。肉親が殺されたら、その殺した相手を殺すことが赦され、相手を殺すことで均衡は保たれていた。そのために「報復」という敵討ちが赦されていた。報復することで、心のと恨みの拮抗をとっていた。
 ところが明治以降は、それが赦されなくなった。報復は国家に委ねた。国家が犯人を裁く権限を握ってしまった。個人での報復は禁止されてしまった。
 これはまた、肉親を殺された者の怨念が宙に彷徨う現実を作り出した。被害者の考えた犯人への裁きが不服の場合は、そこに恨みが起こる。だがそれは無視される。犯罪より、行為より、人命第一とする。こうした社会を、高度に発達した近代市民社会と言う。

 だが、よく考えてみれば高度な市民社会では、犯罪者を庇う社会でもある。どんな凶悪な悪党にも、必ず擁護団体が出来て、犯罪者救出の救出のキャンペーンをやって、遂に上告して無罪勝ち取り運動を遣る。それを政治に結びつけたり、闘争運動に結びつけて、啓蒙宣伝活動に利用する。被害者の気持ちなど、お構えなしにである。
 強者が驕
(おご)り昂(たかぶ)るのを規制するために、弱者を庇う概念を作り出した。その概念が犯罪を犯す虞(おそ)れのある強い者を庇うことになった。予防措置を執れなくした。犯罪が起こるのは仕方がない。
 犯罪が起これば、犯人を検挙して教育を施すために刑を科すべきだろう。そして、この概念から生まれたものは、罪は憎むが、人は憎まずと言うものだった。
 しかしである。
 泥酔したり、麻薬常習であって、犯行時、心神喪失では無罪となる。それは酒が悪いとなり、麻薬が悪いとなる。高度に発達した近代市民社会では、罪は憎むが、犯罪者は憎まない。そのために犯罪者に対しては教育のために厖大な経費が懸かる。何故なら、犯罪者の血は次の世代にも遺伝するし、特に人殺しの血は次の時代に受け継がれる。霊的繋がりが科学的と言う言葉で一蹴される社会では、しかしこれを認めない。黒い血の遺伝を認めない。
 だが一方で、強姦殺人をされた上に家を焼かれたり、幼子を殺されたり、娘や妻が犯されて殺された者の心の思い、痛哭
(つうこく)には意を用いない。一切が救済されない。
 社会通念上、それは許容の範囲であるからだ。結局、被害者の怨念は宙に浮いたままである。



  運気     八門人相     房中術     癒しの杜     菜根譚     小説     会報Back No.     合気     蜘蛛之巣伝     死の超剋     霊的食養     心法