運気 八門人相 房中術 癒しの杜 菜根譚 小説 会報Back No. 合気 蜘蛛之巣伝 死の超剋 霊的食養 心法
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続 壺中天・瓢箪仙人 25

人は自分の生死について時として、不安と緊張に苛まされることがある。安楽なるものを需(もと)めても、その側面には冥(くら)さが漂っていたり、単調なるときの流れに耳を傾けると、その違和感は却(かえ)って落ち着きから遠ざけるものが少なくない。そうなると気分は落ち着くどころか、自然から遠ざかる危機感が、何処かに派生している。そこに鎮静を齎すものはなかった。

 現代という時代、自然科学の究明により、自然の総てが分ったように思い込んでしまう。そころが「分ったような」は何処まで突き詰めても、不完全帰納法の域を一歩も出るものでない。その不完全帰納法が横たわってるからこそ、物質世界には筆舌に尽くせない不安が何処かに巣食っているのである。

 だが現代人は不安解決のために鎮静させる薬物を遣う。不安と鎮静が存在するならば、鎮静の方に一層エネルギーを注入して、不自然なる安楽を選び、自然から益々遠ざかろうとする。これは末端だけの解決法であり、実は危険を報せるシグナルが点滅しているのであるから、怕いことではないのか。


●性悪説と性善説

 状況を造る……。奇妙な言葉である。
 その目的は達せられて、夕鶴隊と特務班は、米をはじめとして農作物をそれぞれが大量に背負って帰営してきた。アン教官の思いもよらぬ、彼女のお色けが功を奏したかのようであった。果たして誑
(たぶら)かしたのだろうか。
 人間は余程のことで窮していなければ、あまり行動的にはならないものである。普段は誰もが喰えている時には大人しく、然
(しか)も積極性に乏しく、更には攻撃的ですらない。慎ましいものである。
 ところが窮すると、突然“饒舌
(じょうぜつ)の徒”になったりする。生命の防衛本能だろうか。
 そういう能動的なアクションが、この度は功を奏したようである。

 状況を造るに至った成果は、計測すると米:4斗5升
(約81kg)と野菜類:17貫(約64kg)であった。併せて46人が分担して一人3.2キロを背負って戻って来たことになる。成果としては上出来であった。しかしこうしたお貰いも、度々とは行くまい。乞い歩いて解決する問題ではなかった。根本を解決しなければ、この欠乏状態は改善されないのである。どこか攻める先が違うと、主任教官のアン・スミス・サトウ少佐は思うのであった。それには、戦争の早期解決しかなく、より良い条件で負けるしかなかった。急がなければと思う。
 また、同情を求めたところで、情けも度々強要されては、仏の顔も三度までとなる。
 一回だけは巧くいった。しかし、それは一回限りのものであろう。
 庄屋のオヤジに向かって甘えて言った。「ねえ、おじまさ。この可哀想な身の上、お察し下さい……」の言葉が利いたのである。そして木戸銭の代わりに、米を貰って帰営してきたのである。
 状況は造れたのである。しかし今回限りである。以降は難しくなる。一時期を凌いだだけであった。

 さて、人間が生きる事自体が考えてみれば、何らかに抗
(あらが)い、戦わねばならなかった。生きるということは、何かに抵抗しつつ、自分を表に現して主張して行くことこそ、生の本質であった。それはなければ死である。生き得る間は自分を表現することこそ、生きる因縁に賭けて、ここに格闘が生まれる。だが自らの前途は定かでない。一瞬先には、正体不明で不確実な、何が控えているのか分らないのである。
 生きることは戦うこと。戦いが、人間には死ぬまで課せられている。
 だが戦いは、遣ってみなければ、確実に分っているものはなにもない。
 そのため、戦いは戦って最悪の場合を考えておかねばならない。あるいは机上の空論では想起することのできない異変が顕われる。更に最下位の最悪を考えておかねばならない。
 だが一方で、最高の状態が出現することも考えておかねばならない。夢想もしない最高の状態までである。
 人間現象界は、何が起こるか分らない。


 ─────翌日の早朝である。
 本日も状況造りの第二弾を実行せねばならない。寮である『笹山旅館』に帰営した後、本日の出し物について検討を重ね、何を遣るかを打ち合わせ舞台稽古まで済ませていたいた。寮母の裕子からも音楽的なアドバイスを得て最善を尽くすことで確認済みであった。そして時間は時々刻々と過ぎて行った。時限爆弾作動まで、そんに時間は残されていない。一瞬焦りを覚える。

 今回の「状況を造る」においては沢田次郎においても、ある程度の成果を収めて帰営していた。しかし、それは何処かを脅し、取り上げて、一部をへこませたに過ぎず抜本的な解決策にはならなかった。へこませたのであるから、へこませたところに支障が起こり、その皺
(しわ)寄せが、何れかに波及するだけであった。
 そもそも民主主義なる現象界のシステム下では、常に作用と反作用の制約下にあって、何れかで浮沈と擡頭
(たいとう)を繰り返している。
 1920年代の第一次世界大戦後、何が起こったか。
 その顕著な現れが、ヨーロッパ経済の没落とアメリカ経済の肥大化ではなかったか。その結果、資本主義の現象において、世界大恐慌が起こったではなかったか。
 この恐慌により、世界はファシズムへと傾いて行った。そのファッショ化の申し子として、イタリアではムッソリーニが、独逸ではヒトラーが出現したではないか。恐慌の結果、出現し、擡頭した勢力であった。何れも民主独裁からなる。民主委託からなる。民主主義デモクラシーの中から起こり、占拠で選ばれた代表者であった。勝手に独裁へと伸
(の)し上がった分けでない。国民大衆に支持を得た。
 戦争を平和へと変化させるには、そこに安定した経済を構築し、その背景でしか民主主義は維持出来ないのである。
 イギリスの思想家ベンサム
(Jeremy Bentham)の説いた「功利主義倫理説」の主張する道徳的行為の価値の規準は、多くの人々に最大の快楽をもたらす行為こそを善とする。この思想は功利主義によって齎されるものであるとしてる。
 所謂、最大多数の最大幸福
(the greatest happiness of the greatest number)は、功利を一切の価値の原理と考える個人主義であるが、これは誰もが「ぎりぎり」という基準線から出ることなく、その基準線を維持する範囲において実現することであり、誰から極端に突出してはならないのである。この条件下に限り、個人の享楽と快楽は「そこそこ」という基準線にあって維持出来るのである。何者かが欲を出して、独占してはならないのである。何者かの意図的な暗躍は、結局、その他大勢の微生物を犠牲にして、自分だけが伸し上がるという悪しき個人主義である。
 1920年代のヨーロッパ経済の没落とアメリカ経済の肥大化はアンバランスを生み、やがて第二次世界大戦を起こすことになる。そしてこの渦の中に、日本の戦争指導者達は、そこに落し穴があるとも知らず、虎口に近付いていったのである。その影響下で日本の「一億火の玉」の元兇はここに由来する。
 つまり「何処かに異常が生じた」という一つの顕われが、物資欠乏であり、食糧の窮乏であった。
 この当時の、ある小学校の教員はこう洩らす。

 「私の月給などは遅配欠配の連続で、大体いつのを貰っているか分らなかった。しかし、私はいい。
 授業中、教壇からみていると児童たちの弁当は余りにも貧しく、それ以上に弁当を持って来られない児童がいた。その欠食児童たちは、弁当を持って来て食べている児童の弁当を少しでも見まいとして、じっと机を睨んでいる児童が何人もいましたよ。そして私が所用で東京に出た際、赤坂などでは夜遅くまで赤々と電燈を点けて、何処かの財閥のお偉さんや、明らかに高級将校と思えるベタ金の階級を付けた軍人らが、両脇に芸妓を抱えて、ご満悦だった。私はその時これは“おかしい”んじゃないかと深く憎み、心の底から憤りを感じましたよ」と吐露までする話があった。
 民主主義を標榜する近代市民社会は往々にして、その延長上に戦争があり、戦争の延長の尖端に政治力があって、この政治は、極めて軍国主義に結びつき易いのである。軍事独裁政権も経済優先の個人主義民主政権も同じ民主主義の上に立脚している。必ず最初は平等であっても知能格差、階級格差、経済格差、資産格差などが起こる。

 これを抜本的に是正しなければ現時点では戦争は終熄出来ない……と、沢田次郎は深く感じるのだった。
 状況を造る……。
 こういう末端手当では埒
(らち)があかない。根本を質(ただ)さねばならないのである。沢田はそれを痛切するのである。
 肝心なる大本が質
(ただ)されぬ限り、状況造りはこれから先も長々と続けられ、この国は確実に破局へと向かうだろう。
 時の戦争指導者は実情把握が余りにも遅過ぎた。
 東条内閣が、米軍の本格的な攻勢が起こって、やっと反省を告白する。遅過ぎたと吐露する。
 東条は「もっと早く防戦体制をを完備しておくんだった。二年間も何もしないで空費してしまった」と洩らしている。しかし、事務屋が今頃、吐露しても、後の祭りだった。
 人生に、歴史に「もし」はないのである。
 日本を強引に戦争へと引き摺り込んでしまったとする東条英機ですら、斯
(か)くの如しである。
 日本人の多くは、真珠湾奇襲の成功し、また南方方面へと快進撃をしつつも、その戦いごとに勝ったときの後を、何も用意していなかった。だから結局、先の大戦に負けた。
 名言として、石原莞爾
(いしわら‐かんじ)は「日露戦争は負ける戦争であった」と言ったが、石原の言葉に、連戦連勝の夢に酔う日本人は、この言葉を重く受け取らず、ただ聞き流したに過ぎなかった。最終的には負け戦を強いられる国民的な運命を背負っていたのである。
 日本人は、欧米人に較べて外交音痴であり、戦争向きの国民ではないのである。

 斯くして、急場「状況を造る」を果たした、『タカ』計画準備委員会の鷹司友悳、沢田次郎、来栖恒雄、アン・スミス・サトウ、キャサリン・スミスは雁首を揃えて今後のことを検討した。
 共通した意見の一致は「急がなければ」であった。時々刻々と迫る時限爆弾の爆発前にはよりよく負ける策を施行しておかねばならない。
 併せて、単に終わらせるだけでなく、終わらせる理由を段階別に追って明確にさせて行かねばない。これが出来ないと、終わらせても不満が持ち上がるばかりである。遣るべきは「外交音痴」の是正であった。
 彼ら五人の共通したい面のもう一つは、多くに日本人が忘れている「戦争とは外向の一手段に過ぎない」と言う事実の認識であった。
 大東亜戦争突入の最大の問題点は、日本民族自体の外交音痴が惹
(ひ)き起こした悲劇であった。
 この外交音痴は何も同時の政治家だけでない。昨今の政治家にも多く見られるところである。
 その最たる元兇が、自国の歴史認識において、自らで「侵略国家の烙印
(らくいん)」を押し、自虐的な感情に流されて、罵詈雑言を浴びせていることである。そのうえ背後に、米英をはじめとする連合国に巣食う死の商人の暗躍が蔓延(はびこ)っていた恐るべき事実を一言も触れようとしないのである。
 これでは永遠に戦争は無くならず、またミリタリーバランスすら安定させることが出来ず、常に戦々恐々として、その不安に怯
(おび)えなければならない。武器を遠ざけただけでは、戦争は無くならないのである。
 現象界は作用と反作用に制約される。それゆえ一瞬先が闇である現象界では、天変地異は憑き物である。そてを念頭に置き、最悪の場合に対して備えも要
(い)ろう。
 肝心なのは、『左伝』
(「昭公九年」の昭公記)にある弊害の根本原因を抜き去り、源を塞ぐの「抜本塞源(ばっぽん‐そくげん)」だった。

 夕鶴隊は約束通り、新田郷の庄屋屋敷に出掛ける準備を急いでいた。その後、隊列を儀仗隊型の3列にして出発した。

夕鶴隊・儀仗隊列編制

アン・スミス・サトウ (主)鷹司良子 (右)成沢・有村・副島・守屋・清水・長尾

(中)向井田・宇喜田・押坂・谷・鳴海・室瀬

(左)児島・中川・山田・青木・栗塚・佐久間
(副)島崎ゆり

 島崎候補生は最後尾からホイッスルで全隊を指示する。これに主指揮者の鷹司候補生が、全隊の動向を把握して全隊を動かす。戦闘理論である。
 アン教官が、それぞれの適性を検
(み)て、彼女達の隊列順が決定した。全隊は新田郷の庄屋屋敷に向けて出発した。



●三竦み

 鮫島特務班も、後に工兵の協力を経て設営に駆けつける手筈になっていた。部隊はそのように動いていた。
 だが、状況を造るのは全員でない。設営に携わる班員は、旧班員の25名だけである。
 橋爪太は鮫島軍曹から確
(しっか)り焼きを入れたと見えて、忠実な下僕に改造されていた。
 そして鬼ザメの副官として、虎の威を借る狐になっていた。いや、虎の威を猟る豚だった。この豚の下に初年兵が三名やってきた。片っ端から徴兵して長幼の差はなかった。娑婆ではそれ相当の職にあった中年でも、学徒出身者でも、あるいはこれまで警官をしていた者まで駆り集めてしまうのである。
 橋爪は相手が弱いとなると徹底的い威張り、夜郎自大と尊大を露骨にする。その意味では、まさに虎の威を猟る豚だった。
 本日は、昨日到着した七名と併せて、橋爪の前には初年兵ばかりが10名横一列に整列していた。
 このオヤジ、禿頭を更に剃刀で剃り上げ、つるつるに光らせている。この光こそ、やつの後光であり、強持
(こわ‐も)ての象徴でもあった。髭まで生やしているので見るからに恐ろしい。そしてこの漢、一度着込んだ将校用の軍服をなかなか脱ごうとしない。長靴もピカピカの研かせて履いたままである。このピカピカは、自分でするのではない。初年兵に遣らせるのである。風呂での背中流しまで初年兵にさせる。確かに軍刀の佩環(はいかん)を刀帯革に掛金に吊るしていれば、後ろ姿は将校である。しかし階級章は一等兵を襟に付け、このアンバランスが却って異様だった。
 まず、虎の威を猟る豚オヤジ、訓辞を垂れるのが好きである。

 「聴け!自分は橋爪一等兵である!お前らを一人前に鍛え上げ、最前線に送り出す。これが本官の任務である!」
 自らを今日来と思い込み、すっかり将校気取りで吼
(ほ)えて、何とも勇ましいことをいう。
 「あのッ……、質問してもいいですか。ぼくたちは一体何処へ送くられるのでしょうか」と気の弱そうな学徒が震える声で訊いた。
 「貴様!ぼくたちだと?……。それは娑婆での言葉でないか。おい!青二才、此処を何処だと思っている。
 此処は泣く子も黙る『鬼ザメ部隊』よ。そして自分が、その副官の橋爪一等兵である!
 貴様、学校は何処だ!」
 「ぼくは京都帝大の学生でした。出身地が千葉県なので、仕方なく召集されました。ぼくという言葉は遣っては駄目なのでしょうか」
 橋爪は学徒兵が、京都帝大と聞いて鼻でせせら笑った。
 「本官は東京帝大出身である。また本学の助教授であった。だがゆえあって此処に居る。
 貴様、バカも休み休み言えよ。此処でなあ、鬼ザメ部隊ではなァ。ぼくなんて言葉、遣わないんだよ」と凄味を懸けて脅す。この漢の小心なところである。
 「あの……のッ、ごめんなさい……、すみません……、赦して下さい、古兵どの」
 「前へ一歩でろ!」橋爪の聲
(こえ)が爆音のように響いた。
 出て来た気の弱そうな学徒兵を思い切り、張り倒した。オヤジはサドの気があり、サドの快感に酔い痴れ、すっかりサド中毒になっていた。軍隊とは斯くも人間を変容させてしまうのである。学徒兵の眼鏡は数メートルきに吹っ飛び、這
(は)って眼鏡を探して哀れを曝していた。「眼鏡・眼鏡・眼鏡……、ぼくの眼鏡……」と泣きそうな貌になっていた。
 その眼鏡を見付けたオヤジは無慙に、その眼鏡を長靴の底でガチャッと踏み潰した。
 学徒兵は「ああ……、ぼくの眼鏡が……」と泣きそうな貌になった。そのうえ長靴の先で蹴られたから泣きっ面に蜂で、哀れを絵にしたような学徒兵だった。

 それを知っていて鮫島軍曹は、涼しい貌で橋爪の豚野郎の乱暴狼藉を黙認している。
 次に鮫島軍曹は帯革を外し、拳銃ホルダーをとって、「橋爪一等兵。これを預けよう」と、拳銃ごと橋爪に渡した。
 「これは拳銃ではありませんか」
 「そうだ、日本陸軍採用拳銃のブローニングM1910である。これは、こうして遣う。弾倉には7発の実砲を装着している。試射を遣って見せる。見てろ、あの木の枝を撃つ」と言って、目標に向けて発射した。
 7、8メートル先の木の枝に命中し枝が落ちた。
 「凄い威力でありますな」
 「これを預けよう。初年兵教育には必要であろう」
 「と申しますと?」
 「言うことを聞かぬやつは射殺してもかまん」
 「射殺してもいいんありますか」頬が弛んで涎
(ゆだれ)を垂らしそうな貌になった。
 「いい、好きなだけぶち込め」
 「感激であります」
 このオヤジが遂に切れた。虎の威を猟る豚は、完全に豚狐然となった。サドが膨らんだ。さぞ、拷問も好きであろう。
 しかし、実砲は一発だけで既に遣い、残りは空砲であった。以降撃っても害はない。橋爪の性格を読んでのことであった。しかしオヤジは知らない。実砲と思い込んでいる。弱い者を“いびる”のが好きなのである。
 虎の威を猟る豚は、ますます横柄傲慢
(おうへい‐ごうまん)になった。隠れた陰性因子が浮かび上がった。

 「貴様らの中で警官、いないか。警官だ!警官だった者は、前へ出ろ!」
 辺りを震撼させるほどの怒声であった。
 このオヤジも、警官には相当恨みがあるらしい。自称筋金入りの共産主義者というくらいだから、その恨みは骨に達し、骨髄の髄まで到達しているであろう。
 一人が震えながら前へ出た。
 「わたしは、つい先日まで警官でした」
 「警官でしたと?……。そういうときはな、“わたし”でなく、『自分』であり、“警官でありました”と言うんだよ。貴様、警官か。いい根性している。足を半歩開け、歯を食いしばれ!活をいれる!」
 そういって無慙にも思い切りぶっ叩いた。しかしこの漢、よろめかずに何とか踏ん張ってたっていた。これがまた橋爪には腹立たしかった。思い切り吹っ飛んでくれれば、一回で赦したものを……と思う。
 しかし、もう赦さぬ……となった。眼が赧
(あか)く血走っていた。そして何とか持ち堪えようとする健気な元警官に、今度は長靴の先で股間を蹴り上げたのである。今度は唸って持ち堪えられなかった。玉が潰れたのかも知れない。唸るだけ唸って気絶してしまった。
 橋爪は野蛮人剥き出しの漢で、かつての学究肌の面影は完全に失われていた。一種の気違いであった。
 やつの中に潜んでいた血に隠れた因子が浮上し、気違いが猛威を揮い始めた。こういう世界では、よく見られる人間現象である。

 橋爪は下から睨み上げるように初年兵の前をうろついた。そしてその中でも尊大そうな漢に目を付けた。一番いやな中年オヤジの前で止まった。尊大を、舐め廻すように見るのである。
 「貴様、何を遣っていた?」冷ややかに、トーンを下げた凄味のある聲
(こえ)で訊く。
 「私は高文官だった。内務省の官僚だ」
 「内務省だと?……。貴様!特高か?……」
 「そうです」
 「そうですだと?……。こういうときはなあ、『そうであります』というんだよ」
 「申し訳ありません」
 「貴様!命、いらんのかい。神聖なる軍隊を、チト舐めていないか。今までに締め上げたのは何人だ?」
 「さあ、何人でしょう……」
 「貴様!此処がよく分っていないようじゃな。此処で、オレに出遭
(であ)ったことの心の底からを嘆くことだろう。そしてだ。この世に生まれ来るんじゃなかったと、つくづく思い知らせてやる……」
 何処かで聴いたような悪態を突き始めた。

 橋爪に脅された尊大オヤジは、心の底から震え上がっていた。それは戦慄と言ってよかった。実体の、虎の威を猟る豚の正体が掴めずに居たのである。橋爪も橋爪なら、内務省の官僚だったという官僚の正体も、脅されれば、この程度の人間だったのである。
 人間は一見、人格者のように思えるような人間でも、ひとたび狂えば、どこまでも残酷になれるのである。
 人間の正体は善と悪の表裏一体なのである。そしてこの表裏一体の生きとし生けるものが、世の中を構成しているのである。
 世の中とは、何とお粗末な構造で出来ていることよ……。

 だが、人の善を見れば、また素晴らしい。一方で性悪説も成り立つ。人間の本性は悪とする説論である。
 だが、性悪説で成り立たないこともある。
 人は、他人の死を見て奮い立ち、決意を新たにすることもある。他人の死が勇気を奮い起こすこともある。
 歴史に名高いアラモの戦いを闘った義勇軍の戦士達は、後にアメリカ人に、どう言う勇気を与えたか。
 またタイタニック号が沈没する時、ミス・エバンスは、自分は独身と言うことを申し出て、一旦は乗った救命ボートから降りて席を代わってやり、沈む船に残って残された人達と船上で運命を共にした。その後、彼女の行為が、後の人にどういう感銘を与えたか。
 更にアウシュビッツ収容所で、ある妻帯者の身代わりになって処刑された神父もいた。この神父の胸のクルスは金や銀のものでなく、法衣に縫い込んだ粗末なアップリケだった。

 また同収容所で、同じユダヤ人でありながら、同胞のユダヤ人を売り渡してパンを得る者が居る一方、同胞を助けようと奮闘し、わが身を犠牲にして死んで逝ったユダヤ人も居た。前者は歴史の中で蔑まれ、後者はその美徳が讃えられた。
 そしてこの事実を、わが眼で確
(しっか)りと確認したのは精神分析学の世界的権威のフロイトの弟子であったフランクルである。
 フロイトは性悪説で知られる医学者である。
 フランクルは、人間が持って生まれた習性として欲望を持つ本性は「悪である」と予々
(かねがね)聴かされていたからである。フロイトは東洋研究家としても知られ、性悪説は荀子(じゅんし)の説いた性説である。
 フランクルはユダヤ人であるが故に捕えられ、アウシュビッツに投獄された。そこで見たものは同じユダヤ人が同胞を売る姿であった。
 理性や理性を失った一部のユダヤ人が本能的に自己中に奔り、仲間のユダヤ人を売り渡し、見返りとしてパンを貰って、仲間が引き立てられ拷問にあって死んで逝くのを見ながら、脇で悠々とパンを食べている姿だった。この実情を見たとき、フランクリンは確かに師匠のフロイトの言った通り、人間は性悪説に貫かれていると思ったのである。

 しかし、その側面に異なるものがある。性悪とは逆のことが起こることもある。
 人間は性悪説に貫かれて本能のままであれば、理性と知性がともに欠如し、自己中に奔ると言う光景を見た一方、自らの命を捨てて必死で仲間を助けようとするユダヤ人の姿も見たのである。これまで人間の本能を支配する無意識は、フロイトの言うように性悪説であると信じて疑わなかった。
 しかし、自らの命を棄
(す)てて同胞のユダヤ人を助けようとする別のユダヤ人が居たことに大いに驚いたのである。
 大勢の人間のために、自分の命を易々と捨てる。これは、これまでの性悪説のみでは説明がつかなかった。
 人間の本性は悪であるという性悪説では説明がつかなかった。斯くして、フランクルは今日の現代人には持ち得ない過酷な体験と経験を通じて、美徳なる宗教的無意識を発見したのである。
 人間は誰でも偉大な一面を持ち得る。しかしこれが本能的に自己中に奔ったとき、それが眠らされ、偉大な一面を発揮できない。眠ったままである。
 ところが自己犠牲の形を執
(と)って、「自らが先駆けて死んでみせる」という、この行為に及んだとき、それを見届けた人はどうなるか。人は、この事実を感動をもって確認したとき、人間の偉大さの本性が覚醒する。突如目覚める。
 人間の偉大さが覚醒する事実を、フランクルはその眼で確
(しか)と見たのである。
 人間は善と悪を内包し、静と動、陰と陽を持ち、その何れかに翻弄されてこの狭間に彷徨うのである。時には好意に預り、時には悪態をつかれて追い払われるのである。

 虎の威を勝つ豚の橋爪一等兵は尊大オヤジに怒りの鉄拳を喰らわせた。尊大はその鉄拳を喰らって崩れた。
 虎の威を猟る豚は、更に吼えて兇暴なサディストの猪に変貌しつつあった。
 それを遠くから見ていた二人の漢がいた。
 鷹司友悳と沢田次郎であった。
 「虎の威を猟る、あの漢、どうして、さざわざ豊橋から呼んだのです?」
 「まあ、見ていて御覧なさい」
 それはやがて、《面白いものが見られますよ》という意味だった。

 日本は日清・日露において爾来
(じらい)連戦連勝だった。負け知らずであった。そして日清・日露には緒戦の緊張が連続した。もしこの緊張を継続し続けていたのなら、日本は大東亜戦争すら勝ち続けていただろう。
 だが緊張は続かないものである。緊張を維持するだけでも至難の業であるからだ。殆ど不可能だろう。
 では「何故か」に科学的分析を試みて見なければなるまい。これを分析するに当り、此処に始めて「社会学的分析」が起こる。

 『社会学』の始祖はフランスのデュルケム
Emile Durkheim/M.ウェーバーと共に現代社会学の定立者。著書の中で特に有名なのが『自殺論』である。1858〜1917)である。デュルケムは個々人の心意に還元できない社会的事実を社会学の対象とすることによって、社会学の客観的な方法を確立した。そしてデュルケムの用語として有名になったのが「アノミー(anomie)」である。
 アノミーとは「無連帯」をいい、人々の欲求・行為の無規制状態で、急激な社会変動に伴う社会規範の動揺や崩壊によって生じる現象をデュルケムは発見した。これを「アノミー現象」と言う。アノミーが社会学最大の発見と言われる。
 人間は社会との連帯が失われると、これまで全く正常だった人でも、連帯喪失により「狂う」と言う。
 デュルケムはこの現象を『自殺論』に著している。正常な人でも隔離されてしまうと、最も狂暴な形でで狂うのである。先の大戦当時、つまり大東亜戦争当時、なぜ陸海軍の中で、極端な夜郎自大が発生したか。
 それは軍隊という場所が、娑婆と隔離されて隔離世界を造ってしまったからだ。
 この隔離世界を「奢
(おご)りの構造」と言う。

 生活水準が経済的にある程度裕福になると、自殺率や兇暴率が急増することは、デュルケムによって発見された。例えば自殺率の急増については、生活水準が低下したことで起こることは誰でも知るところである。しかし生活水準が向上することで、自殺者が急増するとは一体どういうことか。
 簡単である。生活水準が向上したからである。
 社会を構成する一員として、生活水準が向上した場合、これまでの人達とは連帯が断たれる。並みの人と連帯が断たれ、そうかと言って、上流階級に潜り込めるほど上流階級は下からの人間を受け入れるようにはなっていない。この成り上がり者めと一蹴して、軽視するだけである。そうなると、生活水準が向上した人はどうなるか。これまでの並みの人との横の連帯は断たれ、そうかといって上にも潜り込めない。つまりこれが連帯が断たれた状態で、無連帯なるアノミー現象が起こる。
 これが起こると、これまでの人は、途方に暮れる。茫然自失
(ぼうぜん‐じしつ)が起こる。急性アノミーが発生すれば、これまで正常だった人は、狂人となり兇暴になり始める。これまでの社会通念が通らなくなり、合理的決定が出来なくなる。
 アノミー現象はこれまでにもヒトラーにも、またフロイトらにもよって発見されていた。特にフロイトは軍隊における上官と部下の関係においてアノミー現象を発見した。
 全隊を指揮する指揮官はどんなに苦戦していても簡単に音を上げず、泰然自若としていれば、その指揮官をみている下級の将兵は、命令通り能
(よ)く戦う。
 ところが及び腰になったり、逃げ腰になったりすれば、その部隊は浮き足が立って来る。夜もろくに眠れなくなり、命令もいい加減に聞くようになる。厳格な軍紀は不安定なものに変貌する。これまで無敵と思われた軍隊は急に腰砕けとなる。アノミー現象が起こったからである。

 この急性アノミーに加えて、「単純アノミー」がある。
 単純アノミーは、これまで信じ切っていた人から裏切られたり、陥れられた場合に起こる。
 確信していた主義などが崩壊して、完全に否定されたり、あるいはその思想を設立したものが教義や信条を変更して、180度転換した場合に起こるのである。
 これを昭和19年当時の日本軍に置き換えて考えればより分り易いだろう。
 わが皇軍は既にことき、負け将棋をもう一番、もう一番と繰り返し、すっかり国民の支持は得られなくなっていた。戦えば、戦闘して負けるより、戦う前に敗走する者の方が多かった。もはや軍隊の体裁を為
(な)していなかった。単に一部のみが優勢であった。
 アノミーが発生すると、軍隊は急激に脆くなる。また、弱くなった要因を見つけ出さずに放置すると、亡国を招く。兵は、あっという間に潰走
(かいそう)する。これが軍隊の崩壊である。

 この崩壊を食い止めるには一つしかない。絶対に過ちを認めない断固とした処置である。これを「絶対無謬
(むびゆ)説」という。何処までも理論や判断が絶対に正しいと押し通す強硬主張である。
 だがこの処置を下す場合、盲点がある。それが三竦
(さんす)みの崩壊である。三竦みが利いている場合、崩壊を食い止めは可能である。
 例えば、『関尹子』
【註】伝説上の戦国時代の周の人。姓は尹いん、名は喜。老子が函谷関を通過した時そこの官吏だったので関尹子と称された)に、蛞蝓(なめくじ)は蛇を、蛇は蛙を、蛙は蛞蝓を食うとあるところから、この三者は互いに牽制し合って、いずれも自由に行動できないことをいう。これは、それぞれに長所を持つカリスマがあって、存在する三竦みである。

 沢田次郎が何故、橋爪太を呼んだか。
 この漢は、三竦みのうちの何れかの才を持っていた。それが機能した。その機能を逸早く見抜いたのが、沢田次郎だった。彼は橋爪のマルクス経済論に価値を認めた訳でなかった。そもそもマルクス経済論など橋爪自身が信用してなかった。このオヤジは既にこの論理が虚構であることを薄々感じ取っていた。このオヤジに目を付けたのは、内務省の特高警察次長として、猛威と手腕を揮う堀川久蔵を生け捕るためだった。
 つまり三竦みの構造は、「鮫島良雄橋爪太堀川久蔵」という互いの牽制構図の中で、最終構図の理想形である堀川の生け捕り策として、橋爪を用いたのである。
 沢田次郎は橋爪の器用をこの三竦みのキーワードとしていたのである。もし、堀川久蔵を鮫島が鬼軍曹と言えども、堀川の人間改造は出来なかったであろう。むしろ、単純アノミーに陥っていた橋爪太を起用した方が早期解決で来たのである。橋爪の異様性や兇暴性を効果的に利用出来るからである。沢田が堀川取り込むために「三竦みの構造」を構成する方法として橋爪を起用し、橋爪の改造を鮫島に求め、改造後に、橋爪を堀川に充てるという巧妙策を用いたのである。世の中には往々にして、至る所に三竦み現象が存在している。

 「鷹司さん。堀川は橋爪によって、90%は改造出来ます」
 「君も手の込んだことをする……」
 「堀川はしたたかです。並みの人間には手に余ります。絶対無謬に至らせるには、橋爪が適任者です。そのうち橋爪は堀川をアメリカ共産党員に仕立て、アメリカの情報まで盗むでしょう……。覚えておいて下さい、アメリカ共産党員は殆どがニューディラーです。その中に潜入するのです」
 「ニューディラーとはTVAでF.ルーズヴェルト大統領が実施した一連の経済・社会政策のことですね」
 「つまり一時期、共産主義化しようとしたこのときに活躍したスタッフがニューディラーです。橋爪は末端の片棒担ぎでしょう。しかし担ぎ棒の尖端には海軍の水交社は陸軍の偕行社のエリートが絡んでいます。わが国政府にも、あたかも秦の趙高
(ちょうこう)のような人間が居ます。邪神界(がいこく)の利益のために働く連中です。彼らの奔走は日本国民のために利益でなく、自分の個人主義を満喫させるために働く勢力です。ヅクには毒を持って制す。毒蜘蛛の原理です」
 「君も恐ろしいことを考え付くものだ」
 「かの国の情報は、国家機密を握る一部の者でないと、秘密蔵の鍵は開けられないのです。橋爪・堀川は互いに牽制しながらも、いいコンビです。そして橋爪の威力が落ちて来た場合、再び鮫島が焼きを入れて発破をかける。これこそ三竦みの永久運動の原理です」
 「永久運動の原理ですですか……」
 鷹司は思わず苦笑が出掛かったのを噛み潰した。
 「物理学では永久運動は不可能とされていますが、人間の世界の心の連動は、その人間が死なない限り、その連鎖が永遠に継続されます」
 「何か秀
(ひい)でた、カリスマを保持する者は、そのカリスマを絶対に手放さない限り、連鎖は半永久的に起こります。心の奢(おご)りの構造は、生活水準が急変した場合に起こります。橋爪が狂人になれるのは、このためです。あの二人は戦争が終わっても、死ぬまで終わらないでしょう……」
 沢田次郎の言葉は運命的であった。
 デュルケムの単純アノミーは、実に激甚
(げきじん)なのである。



●火の雨

 夕鶴隊は状況を造りに奔走していた。彼女達は才ある女性だった。
 最近は男不足から、才ある人材不足を補うために、女性にも白羽の矢が立ち始めた。
 この頃になると、陸軍に女子学徒によって組織された通信隊なるものが設置された。これがやがて「陸軍女子通信隊」へと発展していく。
 電話交換業務をはじめとして、通信の無線傍受などを目的とする暗号解読などの任務に携わって行く。
 通称“第十八班”はこの業務を主に担当することになり、無線電信における暗号コードブックによる暗号組替などを行うようになった。またサイフィ通信文は、所定のアルゴリズムに従って置き変える転置を用いる。
 これの暗号の発信先が、各国に展開した大使館や領事館であった。
 この班では女子大学学生による英語堪能者が中心に構成されていた。女子通信隊では傍聴を中心に情報収集が行われていた。女子通信隊の業務は中心がデスクワークであり、『夕鶴隊』のように戦闘機能は持たない。単に作戦司令部の作戦状況の「駒置き」である。戦闘をするために軍服を着ているのではない。

 しかし、夕鶴隊では表向きは儀仗隊であり、裏は高等訓練を集積した戦闘隊であった。更に通信なども、陸軍女子通信隊とは異なる通信技術を開発して、隊員一人ひとりが戦場での頭脳となって、一対多数と言う形で戦闘を展開出来るように『タカ』計画の主目的に上げられていたのである。遊撃戦における戦闘思想である。
 一人ひとりが有機的な繋がりを持つ細胞なのである。その細胞は集団化して、一つの同一方向へ連動して動くのである。戦闘展開可能な、細胞型ゲリラ戦である。
 第一の目的は儀仗隊としての役割、第の二目的は戦闘隊としても役割、そして第三の目的は分裂した個別化が起こっても独立性を持ち、個々人が頭脳として遊撃戦を展開出来る遊撃隊を目指していたのである。
 だが、これは時間との戦いであり、時間切れになると、途中で頓挫
(とんざ)する虞(おそ)れがあった。
 さまに、かつて沢田次郎がいった「時限爆弾の秒読み段階」に入っていたからである。


 ─────この時限爆弾の病読み計算をしているもう一つのグループがあった。
 キャサリン・スミス少尉と、赤嶺神社のヌシの神託を受けた林昭三郎である。
 キャサリンは審神者としての訓練を受けていた。二人は『笹山旅館』に籠
(こも)っていた。二人の任務は神託暗号を解読することであった。
 爺さまは、扶占
(ふうせん)という砂盤の上に、占木をT字型に渡し、本来は横に審神者が居て降臨で得た卦を検(み)る。更には「天津金木(あまつ‐かなぎ)」なるものを遣う。
 これは若木の小枝を天津金木を置き並べて「置座
(おきぐら)」の机上に配置し、宇宙の真理神律に基づき、罪悪と真偽を検る。爺さまはその術に長けていた。
 しかし審神者が欠員していたので、爺さまはキャサリンを指名して恃
(たの)んだのである。
 この日、赤城赤嶺神社のヌシの祭神は蜈蚣
(むかで)は騒いでいた。朝から喧しい。

 「少尉さん。朝から蜈蚣が騒がしい。こりゃ、急
(いそ)がにゃならんぞ」
 「はい」
 「邪神界
(がいこく)が近付いているぞ……」
 爺さまの言った「邪神界」は、欧米を虚構した勢力を指す。ニューディラー群を指す。
 「暗号解読、急ぎます!」
 「メッソンが来る」爺さまが吼えた。
 メッソンとはフリーメーソンのことである。今やフリーメーソンは外国からの勢力からだけではなかった。
 日本の国内にも多くいて、陸海軍の軍部の中にも培養された既成勢力が猛威を揮い始めていた。
 例えば海軍の水交社や陸軍の偕行社などの高級将校の中にはこのブルジョア思想に入れ揚げる自称エリートという輩
(やから)が少なくなかった。このエリートは、自らが利するためにフリーメーソン勢力の高級メンバーとなって、暗部から天蚕糸(てぐす)で日本を操ろうとしていた勢力である。ユダヤ人のことでなく、国際金融資本を標榜する勢力である。アシュケナジー・ユダヤという。改宗者を言う。その勢力支持層を言う。スファラディー・ユダヤではない。
 このエリート集団に、「日本国」と言う概念はない。彼らの概念にあるのは、地球規模の「ワンワールド」であった。新世界秩序である。
 これは欺瞞に満ちたものだが、その欺瞞は外から容易に覗けないように巧妙な仕掛け手出来上がっていた。
 虚構の仕掛けは幾重にも重なって巧妙さを構築していた。それは「世界平和」とか、「国際政治バランス」などの言葉を使い、何かを仕掛けようとしていた。原爆投下を辞さない勢力である。

 それを、赤嶺神社の神主・林昭三郎は「もう直、火の雨が降る……」と吐露した。それをキャサリン少尉に囁いたのである。
 キャサリンは「火の雨ですか」と驚いた。
 「そうだ、曇りの日と出た。だが、これも解らん。それだけだ。他は神託が在
(あ)ったかも知れんが、知り得たのはそこまでだ……」
 「曇りの日の……火の雨……が降る……」
 キャサリンはこの不吉を思った。恐ろしいと思った。
 「酷いことが起こるぞ、だがそれは神がするではないぞ」
 「人間の手で、科学の火の雨を降らせるというのですか?……」
 「さよう」
 「阻止に全力を尽くします」
 「人間が自分でするのじゃ……。人間の力で、不吉は絶たねばならぬ……」
 時限爆弾は既に秒読み段階に入っていた。
 本土決戦だとか、何だかんだと喚
(わめ)いているときではなかった。事は逼迫していた。直ちに戦争は終結させる必要があった。
 「火の雨が降る……」
 その前に阻止しなければならない。阻止出来なければ、雨が降った後ではどうにもならなくなる。

 日本は阻止のために殆ど動いた形跡はなかった。
 日本の励んだこと。零戦と大和。
 それ以外に何もしなかった。日本はお寒い現状だった。邪神界に較べて、大発見も大発明もこれ以上のものはなかったし、奇抜なる「奇手」も生まれて来なかった。結局、零戦と大和をもって、その限界をギリギリまで発達させたに過ぎなかった。
 さて、この時期、日本はさて置き、米国の原子爆弾であるが、「もし」ナチス独逸がその気になって本格的に研究に撃ち込めば、世界の歴史は変わっていたであろう。既に原形と青写真は出来上がり、ナチス独逸は米国より先に原爆を開発していたであろう。当時原子力研究ではナチス独逸が科学の最先端を走っていた。
 原爆の原理を発見したのはユダヤ系独逸人のアインシュタインであったが、それが本当に可能かどうかを実証したのは米国の理論物理学者のオッペンハイマー
John Robert Oppenheimer/第二次大戦中、ロス・アラモス研究所所長として原子爆弾の完成を指導。1904〜1967)だった。

 このときアインシュタインは、今にもナチス独逸が原爆を開発してしまうのではないかと、恐れた。
 そこでルーズベルトに手紙を書いた。そして直ぐにも、米国がナチス独逸に先駆け、原爆を造るように強く進めたのである。
 もし、アインシュタインが米国に渡らなければ、それから先の歴史も変わっていたであろうし、あるいは日本人の上に人工太陽の火の雨は降り注ぐこともなかったかも知れない。
 ヒトラーが本気になって原爆開発の着手していたら、今日の世界地図は大いに違っていたろう。
 ナチス独逸の科学者は、マンハッタン・プロジェクトより、格段に優れ、当時米国が恐れたのはことことであり、FRBは多額な軍資金を貸付、ナチス独逸の科学者をアメリカに引き抜いたのである。
 当時、米国はナチス独逸に遅れること50年以上。こういう科学的後進国が独逸に先駆けて原爆を手に入れていたのである。軍事技術はナチス独逸が世界一であった。その世界一の科学力は、国際ユダヤ金融勢力のFRBに買収されてしまったのである。
 赤嶺神社の神主・林昭三郎の懸念した「もうじき火の雨が降る……」は、そんなに遠いことではなかった。



●夕鶴隊の初舞台

 「おおい……!来たぞ!……。重蔵、半鐘を鳴らせ!」
 誰かが怒鳴っていた。そして突如半鐘が鳴り出した。
 この半鐘を、夕鶴隊の誰もが聞いた。
 「火事かしら?……」
 「違うみたい」
 「じゃあ、あの半鐘、なに?……」
 「あれは歓迎の合図です」とアン教官が言った。
 「歓迎ですか、わたしたちを歓迎しているのですか」

 新田郷の庄屋の堀川作右衛門は羽織袴姿で、彼女らを迎えた。恭
(うやうや)しく頭を下げた。
 「これは皆さん、ご苦労さんです。さあ、こちらに……。此処を皆さん方の控室にお遣いなされ」
 そのときである。
 「庄屋さん。為吉のところの婆さんが煩
(うるさ)くて……」と一人の中年漢が駆け込んで来た。
 「なんだ、為吉のところの婆さんが、今お出でになった皆さん方の隊長さんに遭わせてくれといって煩いんです」
 「なんでだ?」
 「面会させろと聞かないんです」
 「そのお婆さん、わたちたちに面会したいのですか」アン教官。
 「そうなんです、ぜひ遭わせてくれと煩いんです」
 「では、お遭いしましょう」
 「とんだ人騒がせの婆さんでして……」と庄屋は謝る。
 やがて足腰が余り丈夫でない老婆は黒紋付の、一張羅と思える訪問着に身を包み、両脇から訪問着を着た二人の男女に支えられて控室へと入って来た。老婆は腕に何やら抱えている。
 「お瀧ばあ、なにが言いたい?……」と庄屋が婆さまに促した。
 塔婆はその場に、ちょこんと坐らされ、何やら搾り出す掠
(かす)れた聲(こえ)で、「あの……わしは瀧といいますじゃ、これ……、死んだ孫娘の17歳の時に作った晴れ着だった。ところが……、袖を通さぬまま逝ってしもうた。それで……、これ……」と言ったまま、後は尻切れ蜻蛉のようになり、何やら聲を搾り出していたが、聴き取れず、それに代わって嫁と思える訪問着の中年女性が聞き役に廻って、「ばあちゃん、何んやね?」と訊いて、それを伝えてやっていた。
 「あの、袖を通さずに死んだ、その17歳のときの者は、実はわたしの姉でして、祖母はいつも姉の写真を見て、何か呟く今日この頃なんです。祖母の申しますのは、皆さん達の誰か、お一人に袖を通して頂き、踊りのひと舞いと言っているのです。それ見たら、何も思い残すことはないと言っています。どうでしょうか、誰か、お一人……」
 「分りましたわ」アン教官。

 中年女性は老婆の耳許で「了解の件」を囁いてやった。老婆は急に安堵した貌になり、この世には何の未練もない貌になった。
 その貌は「死ぬのはかまん、しかし未練を残しては……」という最初の、そういう貌であったが、それが見る見る間に安堵の色と豹変した。もう極楽往生の貌であった。そして両脇から抱えられて静々と下がっていたった。
 「どうも、ああした者が顕われて申し訳ありません。では、あと一時間ほどで11時ですが、宜しかろうかのう、お願いして……」
 「ご安心下さい」アン教官。

 「アン先生。お引き受けしたとして、どうしましょうか」良子が訊いた。
 「それは、あなたに任せます」
 「わたしが……」
 「状況判断して御覧なさい。ああそうそう、鳴海候補生。あなたの郷里は福井でしたね、これ、袖を通してみますか……」アン教官は農村出身の鳴海絹恵を指名した。あるいは老婆のイメージの中に、鳴海絹恵を見たのだろうか。
 「でも、わたし踊り出来ません。村祭りでの盆踊りくらいしか……」
 「その手拍子・足拍子で、腰を落とせば日舞になります、臨機応変に遣ってみませんか」
 鳴海絹恵は暫く考えて「はい」と返事した。
 「では、鷹司候補生に一任しました。皆さんは指示に遵い、あなたたちの手で、今日のことを遣って御覧なさい」
 《やはりアン先生は、わたしを験している》と良子は思うのであった。それは智慧を共同で出し合って、脳漿を搾ってみよということであったのだろうか。良子はそう捉えた。リーダーシップの才を検
(み)ようとしていたのであろう。

 そう思うと、良子自身も、これまでの殻が一皮剥けたようで、「物は考えよう」という発想に切り替わっていた。発想を切り替えても、何の不都合もない。特に臨機応変に変化が求められる場合、過ぎた理想も志も、廃れて後悔ばかりしているようでは、生きていても張り合いがないし、愉しみがない。
 なぜ老婆が崩れかける躰を引き摺って、此処まで遣って来たかを考えてみた。
 人間にとって「老いとは何か」と考える。なぜ人は死ぬのだろうか?……と良子は考えてみた。
 発想の転換から出た結論は、人は老いることにより、次の愉しみを得るために死ぬのだと……。
 もうあの老婆は、自らが先祖として祭祀の鬼神になろうとしているのではないか。今まで先祖を敬い、尊んで来たが、これからは自らが、次の愉しみを得るために死んで逝くのだと……。
 ひとたび死ねは、今度は至れり尽くせりで、祭祀してもらえる……。この気持ちが安堵を貌に広がらせたのではあるまいかと思うのである。いい貌だったと思う。

 「ちょっと、佳奈さん……」と良子は周囲に気付かれないように小さな聲
(こえ)で室瀬佳奈を呼んだ。
 「何でしょうか、お嬢さま」
 「あなた、荒城の月、踊れるでしょう。鳴海さんに教えてあげて下さい」
 それは「即興で遣ってみせよ」ということと同じだった。良子は佳奈が、日本橋の日舞の教場に毎週一回通っていて、そこで踊りの手解きを受けていたことを知っていたのである。
 「分りました」
 一回限りのことであると室瀬佳奈は悟った。

 これから全員で「即興」を演じなければならないのである。それが恙
(つつが)無く出来て、はじめて臨機応変は完成する。ゆえに良子は《アン先生は、わたしを験している》と検たのである。
 そしてアン先生は、どういう人だろうと想う。
 きっと徹底した現実主義者に違いない。しかし本来は、様々な世界に心を遊ばせるロマンチェストかも知れない。だからこそ、切迫した状態にあっても、変革を否定的に捉えるのでなく、想像することが出来る人なのだと……。
 今から先は、此処に居る20名の夕鶴隊員で、近未来を想像しなければならなかった。良子はそう思った。

 そのとき、再び半鐘が鳴った。
 そして誰かが大声で「軍のトラッが来たぞ!」と叫んでいた。
 「困ったことに鳴りましたなあ。中止せよということでしょうか」と庄屋が駆け込んで来た。
 「いいえ、あれは工兵の設営部隊です。わたしが呼びましたの。まだ、奥地にはこれないご老人、大勢いらっしゃるでしょ?」
 「しょりゃあ、まだおりますが……」
 「では、あの部隊に移送させますわ」
 アン教官は狭い範囲の地域限定を考えるより、広範囲に渡り、この催し物を拡大しようとしていた。彼女特有の自由なる不羈奔放
(ふき‐ほんぽう)なる思想によるものだろう。

 彼女達の楽屋裏は、準備に併せててんやわんやだった。
 「あと15分ですよ」と誰か伝令が叫んでいた。
 その頃、表には軍のトラックに乗せられた殆ど寝たっきりの老人と背の低い中年男が寄り添っていた。
 「津村の親父殿。よく来てくれましたな……」と庄屋が聲を掛けていた。
 それを訊いたアン教官は、「あんな状態で、トラックに揺られては大変でしたでしょうに」と訊いた。
 「あの津村の親父殿。あの人の先祖は、この辺一体を村を納める代官でしてなあ、そりゃ大きな代官屋敷を構えておった。大した羽振りだったと聞く。しかし明治のご維新で、最下位に顛落してしまいましたんじゃ。
 しかし腐っても鯛。実にあの一族は誇り高く、毅然としておりました。この辺でも昔は津村一族と言えば、その武勇も凄かったと聞きます。あの家は、奇妙な術を遣う家元なんですよ」
 「奇妙なと言うと?……」
 「あれ、何とか言いましたなあ……。道家の術の何とか言いましたなあ……。
 あの付添って来た、恐ろしく生の低い、あの漢。実は親父殿の息子でしてな、東京造形美大を出ておるんじゃが、あれでも絵描きでしてな。しかし不思議なことに、自分の絵を、一向に売ろうとしないんじゃ。あるいは売っても売れないかも知れん。絵を売らない画家と言うより、絵が売れない画家だったかも知れん。
 親子併せて誇り高い人だからな。そのために極貧と言っていい。恐ろしく貧乏なんじゃ。それでも生きているから、また不思議なもんじゃ。
 あの息子も高い教養を身に付け、絵に関しては相当なものじゃろうが、少しばかり偏屈でしてな……。要するに人からの同情を嫌うんですよ。物を貰うのが厭なんですよ、あの親子の毅然さには驚かされます……」
 「今どき、そういうサムライが日本にいるのですね」
 「しかしじゃ、もう時期、40歳になろうと言う漢にも赤紙が来た……」
 「では、年寄りは?……」
 「死ぬじゃろうな」
 「そんな……」
 「もう、見るもんがいないからな。赤紙が来た日、あの親子は既に、死に目の盃を交わしておろうて……」
 「悲しいですね……」
 「たから、もし……も、と思いますよ」
 「もし……も、とは?」
 「こんなに戦争が長引かねば、あの親子は貧しいながらも清貧が保てて、無名として生き、無名として死んで逝けたものをと……」
 「身につまされますね……」
 「率直に、お訊きしたいが、やはりあなたは軍人で、少佐の階級章が示す通り、陸軍少佐なんだろう?」
 「否定いたしませんわ……」
 「だったら、わしも協力したい。協力させて貰えまいか。それにわしの弟は農林省の農事技官をしている。
 稲をはじめとする穀物栽培法に詳しい。農薬を遣わない農法じゃ。それに川魚の養殖法も学んでいる。この智慧、遣ってみなさらんかのう。
 こうして、度あるごとに状況を造ってばかりでは、後がもたんでしょう。聯隊の演習場の一部を開墾してみなさらんか。自給自足体制が作れると思いますが……」
 「有難いお話です、早急に相談して検討致しますわ。今日は今日のことで、全力を尽くしますので……」
 斯くして夕鶴隊の初舞台が始まった。仮設舞台が設営工兵によって作られていた。
 そして司会役を買って出たのは、谷久留美だった。彼女は、もしこの戦争がなければ、日本放送協会に就職してアナウンサーになっていたことであろう。
 見物人から拍手の渦が巻き起こった。年寄り達は、この日ばかりと、身形を質し、紋付袴に身を固めての来場であった。冥土の土産が始まっていたのである。
 鳴海絹恵が艶やかな振りそでを着ていた。彼女手には一本の舞扇が握られていた。

 『荒城の月』から始まって、『蘇州夜曲』『何日君再来』『愛馬花嫁』と続き、かつての歌謡曲の『宵待ち草』『祇園小唄』『明治一代女』『満洲小唄』『支那の夜』『南の花嫁さん』『愛国の花』『麦と兵隊』『愛馬進軍歌』『国境の町』『暁に祈る』そして『加藤隼戦闘隊の歌』と続いて、最後は『月の沙漠』でフィナーを飾った。
 この即席の催しに参加した一人の中年男性は、特に『麦と兵隊』『愛馬進軍歌』『暁に祈る』を作詩した栗林忠道大佐
(後、コチコチの高級将校から妬まれ硫黄島に左遷させられたという)のことを能(よ)く知っていて、「軍人の中にも本当に血も情けもある武士のような軍人が居りましたよ。大半は武張って夜郎自大で、型通りのカチカチの威張り腐った将校が多かったが、栗林大佐はそう言う人達とは異なり文才もあったし教養人でした。
 ああ言う人がもっといてくれたら、日本も此処までは負け戦をしなかったものを」と吐露したのである。
 いい話だった。
 既に幾ら、極秘情報だとして、軍部や政府が極秘は遣いしても、短波放送マニアという連中が居て、もう日本の負け戦は世間に流布されていた。政府が厳重に取り締まって隠そうとしても、ラジオを通じての事実は隠しようがなかったのである。

 帰り際のことである。
 恐ろしく背の低い、画家と称する漢は、全身、着ている物はボロを身に纏っていた。直立不動であった。
 しかし態度は毅然としていた。その毅然さに、彼
(か)の原憲を検た。原憲は孔門七十子の一人である。
 彼は上からは雨漏り、地面からは湿気が立ち上るような粗末なあばら家に住み、座して琴を弾き、歌う生活をしていたのである。原憲の清貧さは、『平家物語』で知られるところである。
 一瞬、その原憲の清貧さを髣髴とさせた。
 「召集令状が来たそうですね、大変でしょう」
 アン・スミス・サトウ少佐が声を掛けた。同情したのだろうか、あるいは気の毒と思ったのだろうか。
 「この度は、応召であります」彼は直立不動であった。
 その言葉遣いからして、既に兵役を経験しているものと思われた。
 しかし何故か、この背の低い漢に心が惹かれた。全くボロを纏いながら恥と思っていなかったからである。
 深い印象で刻まれた。彼女は何故だろうと思う。
 これまでの日本人には居なかった人材のように思えたからである。画家は凄い人に違いないと思った。



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