運気 八門人相 房中術 癒しの杜 菜根譚 小説 会報Back No. 合気 蜘蛛之巣伝 死の超剋 霊的食養 心法
続 壺中天・瓢箪仙人 1
続 壺中天・瓢箪仙人 2
続 壺中天・瓢箪仙人 3
続 壺中天・瓢箪仙人 4
続 壺中天・瓢箪仙人 5
続 壺中天・瓢箪仙人 6
続 壺中天・瓢箪仙人 7
続 壺中天・瓢箪仙人 8
続 壺中天・瓢箪仙人 9
続 壺中天・瓢箪仙人 10
続 壺中天・瓢箪仙人 11
続 壺中天・瓢箪仙人 12
続 壺中天・瓢箪仙人 13
続 壺中天・瓢箪仙人 14
続 壺中天・瓢箪仙人 15
続 壺中天・瓢箪仙人 16
続 壺中天・瓢箪仙人 17
続 壺中天・瓢箪仙人 18
続 壺中天・瓢箪仙人 19
続 壺中天・瓢箪仙人 20
続 壺中天・瓢箪仙人 21
続 壺中天・瓢箪仙人 22
続 壺中天・瓢箪仙人 23
続 壺中天・瓢箪仙人 24
続 壺中天・瓢箪仙人 25
続 壺中天・瓢箪仙人 26
続 壺中天・瓢箪仙人 27
続 壺中天・瓢箪仙人 28
続 壺中天・瓢箪仙人 29
続 壺中天・瓢箪仙人 30
続 壺中天・瓢箪仙人 31
続 壺中天・瓢箪仙人 32
続 壺中天・瓢箪仙人 33
続 壺中天・瓢箪仙人 34
続 壺中天・瓢箪仙人 35
続 壺中天・瓢箪仙人 36
続 壺中天・瓢箪仙人 37
続 壺中天・瓢箪仙人 38
続 壺中天・瓢箪仙人 39
続 壺中天・瓢箪仙人 40
続 壺中天・瓢箪仙人 41
続 壺中天・瓢箪仙人 42
続 壺中天・瓢箪仙人 43
続 壺中天・瓢箪仙人 44
続 壺中天・瓢箪仙人 45
続 壺中天・瓢箪仙人 46
続 壺中天・瓢箪仙人 47
続 壺中天・瓢箪仙人 48
続 壺中天・瓢箪仙人 49
続 壺中天・瓢箪仙人 50
続 壺中天・瓢箪仙人 51
続 壺中天・瓢箪仙人 52
続 壺中天・瓢箪仙人 53
続 壺中天・瓢箪仙人 54
続 壺中天・瓢箪仙人 55
続 壺中天・瓢箪仙人 56
続 壺中天・瓢箪仙人 57
続 壺中天・瓢箪仙人 58
続 壺中天・瓢箪仙人 59
続 壺中天・瓢箪仙人 60
home > 壺中天・瓢箪仙人 > 続 壺中天・瓢箪仙人 23
続 壺中天・瓢箪仙人 23

一日の始まりはいつか。古代バビロニアでは、一日(ついたち)の始まりを身三日月の見えたときからとした。そして三日月が見える時刻は夕方の西の空からであった。
 思えば、一日は夕方から始まったことになる。
 古代の日本列島でも一日の始まりは、夕方から始まったことが長らく続いていたことが『日本書紀』にも上げられていて「夕日のくだち」
(夕方6時頃)というときを、一日の始まりとしたと記録されている。
 今日のイスラム暦では、一日の始まりは正午であるが、夜半から新しい一日が始まるとする考え方は、現代人の感覚とは異なっていたのである。この感覚を社会の常識として、歴史的にも空間的にな観点から言えば、この感覚は制約下での強制された常識と言うことになる。
 よく考えれば、一日の始まりは、いつから始まったかと言うことに関して、「いつか?」と訊かれれば、実に曖昧な意識の中で、現代人は多忙に追われた生活を余儀なくされ、時間が一見正確のようにあって、釈然としない日々を送っているのである。

 ただ誰もが一日の始まりは「朝から」という漠然とした中で生きているのである。
 一方「夜はいつからか?」となると、例えば「昨日みた夢……」などということがあるが、ではその夢は、確かに夜みたのであろうが、この夜は午前零時前の夜だったのか、あるいは午前零時を回った夜だったのかとなる。とにかく夜中の12時をもって一日の始まりとするのも、何処か現実的なことでない。
 本来、何処を一日の始まりとするのかは、太陽の運動が終えて陽が沈み、月が見え始めた頃を夜の運動開始と見る方は、よほど合理的であろう。


●才をとるか徳をとるか

 主任教官はアン・スミス・サトウ少佐は「寺小屋教育」を目指していた。生徒と先生が一対一で向き合う教育を考えていた。押し付け教育でなく、師弟が心を通わす対等なる寺小屋教育であった。
 したがって一斉授業ではないのである。利点を引き出すためには押し付けては伸びない。能力に応じて個別に指導する。そういう機能的な考えを持っていた。
 分列行進やその他の軍事訓練においても、指導教官は子弟一体となって学ばねばならない。教えることは、また自らが学ぶことであった。
 これは如何なる分野においても同じであろう。押し付ける一方方向の指導では、教えたことに如何なる反応があって、どういう現象を起こしたか、指導者はそれを知ることが出来ない。
 つまり指導者は子弟に対し、そこから何も学ぶことが出来ないのである。そのため傲慢
(ごうまん)になり、やがては権威主義と言う上に胡座(あぐら)をかいて尊大になる。人間は尊大になったとき、その人の成長は止まる。

 人間は才能や素質があっても、必ずそれらが成就することは限らない。むしろ才能や素質は指導者によって潰されることが多く、また家庭教育でも親の考え方や思想によって、捻れたり狂ったりする。その才能や素質は埋もれ、二度と日の目を見ることはない。
 その顕著な現象が、日本の戦後教育に顕われた。

 考えるに、明治以降の日本の学校教育システムは、表向きは「西洋の文物の摂取」に置かれているが、根底にあるのは高級官僚育成の為の儒教的な科挙システムではなかったと思うのである。この根拠は福沢諭吉の『学問のすゝめ』であったのではないかと思う。この根底には、官僚主義を煽る思想が横たわっているのは明確であろう。
 日本の近代史は、この『学問のすゝめ』より学閥社会が構築された。「学」を問う社会が出現した。
 厳密に謂
(い)えば、学歴よりも学閥であろう。この背景には明治以来の「高等文官試験」(現在の国家公務員第I種試験)という役人選びに制度が横たわっているからである。
 貧しい家の者が、学問によって天下国家に貢献し、人民のために一肌も二肌も脱ぐ。この構造は、福沢諭吉が初期の代表的な啓蒙書により、はじまったのではなかったか。つまり、これが学問論になり、また基本的な国家論になったのではなかったか。
 つまり、学閥で分類する国家運営構造である。あるいは学のある者が、学の無い者を支配する構造である。
 近代の学問論は、エリートと非エリートを分類・仕分けした。キャリアとノンキャリアである。
 その分類・仕分けに学閥並びに、派閥構成のために支配階級と被支配階級を設定した。人の世は派閥の学力で動いている。
 そしてその説く所は、民衆支配と支配秩序維持、そして高級官僚優先の発想だった。

 だが、もはや時代遅れで、制度が疲労を起こしているこの科挙システムを維持してる限り、「国民が主役の政治」などと標榜しても無理な話である。現在の学校教育は明治以降の置き土産として残留し汚物が堆積するように益々悪化させる元兇にある。日本の学校教育システムは、高級官僚優先の社会の仕組みを補強して、彼らが自分達の既得権益を死守していくための基礎的な枠組みが図られている。そして国民は、いいようにあしらわれ、「一人ひとりの国民が主役」などと詭弁
(きべん)を使って嘯(うそぶ)く。
 ともかく、「国を滅ぼしているのは、左翼よりも官僚」というのが、私の持論である。
 また、左翼に弾圧を加えたのは時の、泣く子も黙る内務省ではなかったか。特高警察と言う走狗を放って、標本調査による統計調査だった。母集団から標本となるべきサンプルを抜き取り、これに意図する筋書きを付ける。これだけで簡単に思想弾圧出来るのである。
 そして恐怖すべきことは、一挙に結論へと飛躍する虚偽が遣われる。

 例えば、共産主義者という母集団からその中の小さな標本だけを抜き取り、彼らの行動様式や気質などを調査して、共産主義者なるイメージを一般国民に植え付けてしまうことである。
 それを法的に施行するのが官僚と言う、エリート集団だった。一般の庶民には実に弊害であろう。
 また、そういう気配は戦前戦中からあり、当時でも高級官僚優先の社会の仕組みに疑いを持つ有識者は少なくなかった。もし、民主主義デモクラシーの下で、「一人ひとりの国民が主役」を標榜するならば、自由意思の尊重も併せて尊厳されなければならないだろう。

 その、人間を尊重することを重んじたのは、西郷隆盛ではなかったか。
 この精神を高く評価したのは日本人よりも、欧米人の有識者の方が多かった。西郷個人の持つ人間評価論である。西郷隆盛の精神は欧州でも早々と紹介され、それに尊敬する有識者は多かった。今日にない、明治人の偉大さである。
 西郷隆盛は、決して相手が年少者であっても、その人格を尊重したのである。人は身分や年齢に関係なく尊重されねばならない。その尊重によって、年少者は年長者の大きさと懐
(ふところ)の深さを学び、はじめて尊敬と言う意識が芽生える。長幼から起こる長老としての尊敬は、最初、人は長幼の差なく、同格・同等と捉えていたところから始まったのではなかったか。尊大は慎まねばならぬ。
 その人が偉いのではなく、権威が偉いのである。また権力者も、権力者そのものが偉いのではなく、権威が偉いのである。その権威の偉さに、人は平身低頭するのであって、その人個人に頭を下げるのではない。
 人はみな尊いのである。尊い人間にするかしかいかは、真の人類愛を知るところから始まる。
 それが西郷隆盛の「敬天愛人」ではなかったか。
 天を敬い、人を愛するの心である。
 アン・スミス・サトウ少佐は「敬天愛人」の言葉が好きだった。


 ─────少佐は分列行進の指導に当たっていた。傍にはキャサリン・スミス少尉と、副官の鮫島良雄軍曹が付添っていた。
 「あなた達の任務を明確にさせておきましょう。まず、皆さんは儀仗隊であり、時として戦闘隊に早変わりします。二つの貌があることを念頭に置いていて下さい。
 さて、最初ので出しの部分です。マーチングバンドなら、最初にドラムが『ダッタン・ダッタン・ダーン・ダン』と鳴ります。それが鳴り終わり、そこから数えて足踏みをして、『一・二・三・四・五・六・七・八、二・二・三・四・五・六・七・八』と数え終わってから同時に、そこから第一歩を踏み出します。このリズムを確り心の裡に刻み込んでください。女性の場合は膝を高く上げ過ぎてはいけません。爪先は付けたまま、踵だけで足踏みして下さい。速足発進は指揮者の号令か、最後部にいる副指揮者のホイッスルの合図で動き出します。
 では、成沢候補生、有村候補生、児島候補生、副島候補生、守屋候補生、清水候補生、宇喜田候補生、押坂候補生、室瀬候補生、に遣って頂きます。呼ばれた候補生前へ」の無作為に選び出した。
 七人は横一列になって片手間隔の位置を執
(と)る。
 「では、鷹司さん、指揮を……。キャサリンは拍子を取ってあげてください……」
 キャサリンは腰を叩いて足踏みを始めた。この音と拍子の取り方を、良子は検
(み)ていた。最初の一歩である。
 武術で言えば一番最初に起こる「起勢」である。陰から動への変化の刹那
(せつな)である。
 最初の「起勢」が起きるとその刹那に、「一・二・三・四・五・六・七・八、二・二・三・四・五・六・七・八」と数えてあげて、「いま!」と聲
(こえ)を掛けた。一回でコツを掴んだようである。

 「では次ッ。中川候補生、山田候補生、谷候補生、向井田候補生、鳴海候補生、青木候補生、栗塚候補生、佐久間候補生、長尾候補生は、正・副の指揮者による、踏み足の出だしの稽古をします。指揮者は指揮杖を持って下さい。そして感じを掴んで下さい」
 同じくキャサリンが拍子を取った。アンは同じように数えた。そして「いま!」と聲を掛けた。
 「では、次は全隊で行います。少しレベルを上げます。儀仗隊型で行います。列は3列です。
 儀仗指揮官はギャサリンで、次に主指揮者の鷹司候補生、そして右列は最初の成沢候補生
(フルート)、有村候補生、副島候補生、守屋候補生、清水候補生、長尾候補生の順です。
 中央列は向井田候補生、宇喜田候補生、押坂候補生、谷候補生、鳴海候補生、室瀬候補生の順です。
 左列は児島候補生
(フルート)、中川候補生、山田候補生、青木候補生、栗塚候補生、佐久間候補生の順で、更には最後尾に副指揮者の島崎候補生(副指揮者)の配列で行きます。
 島崎候補生は最後尾からホイッスルで全隊を指示します。但し、主指揮者は鷹司候補生ですから、主指揮者の指示に遵います」

 こうして隊列順が決定した。それぞれの敵性を検てのことだろう。
 但し、不都合があれば、その組合せは変更も可とした。これは大事なことである。
 思い込みや固定観念を持ってはならないのである。不都合があれば次々に変更し、悪いところや好ましく思われるところは改正して行くことが本来の民主主義である。押し付けられたことを厳守することでは決してなかった。
 民主主義デモクラシーが正しく機能するためには、一番、現状に適
(あ)った理想形に変化させて行けばいいのである。主役が誰か分れば、自ずとその判断が出来よう。だか、主役が誰か分らず、指導者と指導を受ける側が無知であり無能ならば、何処までも押し付けられたものを墨守するだろう。それは精神的に大人になれない愚者特有の現象であろう。
 この隊列行進を繰り返し稽古した後、更に自らで研究をするように支持した。
 アン・スミス・サトウ少佐の教練する分列行進は続けられていた。


 ─────その後、奇妙な会議が持たれた。
 『タカ』計画の第一回の連絡会議が召集されたのである。この参加者の中には服役中の刑務所から直行する御仁も居た。
 この会議は明後日の「円卓会議」に向けての準備委員会会議である。召集メンバーは次の如しであった。
 「ほーッ、これが『タカ』計画の大方のメンバーか」と橋爪太が洩らした。
 橋爪は東京帝大の経済学部助教授で、自称“筋金入りの共産主義者”で、またアメリカ共産党員だった。

『タカ』計画準備委員会・会議   昭和19年5月××日










10
11
12
13
14
15
議 長
副 長
相談役
主任教官
次席教官
教 官
教 官
被服担当
音楽寮母
観察者
観察者
観察者
資金調達
運 搬
軍 楽
鷹司友悳
沢田次郎
来栖恒雄
アン・スミス・サトウ
キャサリン・スミス
兵頭仁介
鮫島良雄
柿原浩子
笹山裕子
橋爪 太
林 昭三郎
植村 宗次
小松原光男
正木信吾
速水俊介
28歳
24歳
28歳
27歳
24歳
40歳
37歳
31歳
25歳
40歳
60歳
35歳
38歳
30歳
50歳
陸軍参謀本部中佐
東京憲兵隊大尉 陸軍法務官(司法)
陸軍参謀本部少佐
陸軍航空士官学校(陸軍航空総監管理下)顧問少佐
陸軍航空士官学校(陸軍航空総監管理下)顧問少尉
陸軍准尉
陸軍軍曹 特務班長
親愛高等女学校 被服科教師
元親愛高等女学校 音楽科教師
東京帝大経済学部教授
古神道神主(特高警察拘置所から直行)
元海軍軍医大尉(府中刑務所から直行)
陸軍上等兵 元帝国ホテル支配人
陸軍伍長 輜重部隊
元横須賀海軍軍楽隊長大尉
実務(立案者)
実行(視察人)
時務(外事諜報)
教務(全権指揮)
教務(暗号解読)
教務(射撃担当)
教務(基礎教練)
傍聴(軍装被服)
傍聴(生活指導)
傍聴(経済錯乱)
傍聴(異能者)
傍聴(医療技術)
傍聴(総支配人)
傍聴(運転技術)
傍聴
(軍楽技術)

は本日の出席者を指す。 執行者:鷹司友悳。 議長:沢田氏次郎。 執行者副官:鮫島良雄。

 実に奇妙な会議であった。
 席に着いても何も行われない。語りもしない。それぞれの紹介は何もない。
 ただ集まったメンバーが円卓を囲んで坐っているだけである。紹介もなけば、会議の始まりもなく終わりもない。坐ることが退屈であれば、退屈と言えるが、少し見識があれば、集められた人物の品定めをするくらいの余裕はあろう。この違いを、一番よく知っているのが沢田次郎であった。人間観察に長けた漢である。
 副官の鮫島軍曹だけは着座せずに、執行者の後ろに付き従って、直立不動の姿勢でいた。

 「おい、沢田君。この召集執行者は誰だ!なぜ何も言わずに坐っているだけじゃ!」
 こう怒鳴ったのは、大学教授の橋爪太であった。このオヤジは会議自体を訝
(いぶか)しがると言うより、招集されながらもこの状態を怒っているような言い方であった。このオヤジは未だに尊大だった。
 「私です」
 鷹司友悳が挙手した。
 「これは会議だろ。なぜ始めん!」と見下した言い方だった。
 「此処ままでは行けませんか」と涼しい貌をして鷹司が冷ややかに言い放つ。
 「まあまあ、橋爪先生。落ち着いて。お里が知れますよ」と宥
(なだ)める沢田次郎。
 「君は議長なのだろう?」
 尊大な貌をして沢田を指弾するように言う。
 「そうですが、これではいけませんか。さっき所長の鷹司さんも仰ったではありませんか、此処ままでは行けませんか?と。私は、なるほど……と思って感心しているのですよ」
 「だいたい頭のいい者が考えることは、さっぱり分からん」
 「しかし先生は偉くはないが、頭はいいと、常に仰っておいでではないですか」と沢田。
 「うん……、いまいましいことをいう」
 「おい!豚……。ちっとは黙っとれ!」怒り心頭に来たという威厳に満ちた貌で、敢然と立ち上がった老人が居た。神主の林昭三郎である。
 「わしを豚とはな、何と無礼な!……」
 「豚でないなら、飯を一週間も抜いて、豚から、はよう卒業せい!」
 「ううん……」
 「おぬしはゴイム。つまり豚じゃ!」吼
(ほ)えて一喝した。神主は毅然として遣り返す。
 「あんたは?……、いったい誰だ」とビビるオヤジ。
 「拙者は赤城の山の赤嶺神社のヌシじゃ」といって胸を張る。
 「ヌシとは?」
 「ヌシ以上に説明がいるか!」神主は何処までも毅然であった。
 「ますます分らんことを言う爺さんだ。どうなっているのかね、沢田君!」
 「誰かこの豚、ここから永久追放しろ!次郎!」神主が沢田に吼えた。
 この神主は、沢田次郎を「次郎」ということから考えて、余程以前からの知り合いなのだろう。
 「まあまあ、爺さん、そんなに怒らんでも……」今度はオヤジが言い出した。
 「次郎。言っておくが、赤城の山のヌシは荒らぶる神じゃ。一度起こらせると中々鎮まらんぞ!」
 「分っているよ、爺さん」
 沢田次郎も、この神主とは友達のような口の利き方をする。

 「そういう非科学的なことを言っても困りますなァ。正しく弁証法に照らし合わせて、正・反を明確にするべきじゃないのかね、沢田君」オヤジが尊大ぶって猶
(なお)も言う。
 これを大人しく聴いた執行者副官の鮫島軍曹が、歯をギリギリ遣り出した。そして遂に堪忍袋の尾が切れたのか、橋爪一等兵の禿頭を思い切りぴしゃりと張り倒した。実に見事な、いい音がして、周りは失笑する者はいれども、彼に同情する者は一人も居なかった。

 「おぬし、でかしたぞ。わァはァ……。久しぶりにいい娯楽を見せても立った。刑務所では娯楽と言う娯楽はなかったからのう。このゴイム、頭を叩かれるだけでも存在価値がある。愉快愉快……。結構結構……。でかしたぞ、おぬし」荒らぶる神は怒りを鎮めた。
 しかし考えれば、橋爪太も荒らぶる神の「怒り鎮め」だけに置いているというのは、何とも不経済の感じであった。遣い道はあるのであろうが、それを沢田次郎は証
(あか)さない。また、鷹司友悳にも半分種明しをしだけで、それ以外は今のところ何も見せていない。
 「これはどうも恐れ入ります」
 鮫島は頭を垂れて、分けの分らぬ爺さまに平身低頭した。
 「教官どの!申し訳ございません、自分の教練の仕方が甘かったようです。明日から橋爪一等兵に、二度とこのような横柄な態度をとらないよう厳重に注意した上、この腐った傲慢を、根本から叩き直して反省させる所存であります。終わり」
 執行者と議長にきびきびした45度の礼をした。
 「では、閉会しましょう。今日の会議は閉会しました。解散」
 始まって5、6分足らずのことであった。呆気ない会議だったが、集まったメンバーは何を検
(み)たのだろうか。
 この会議の目的は、実に此処にあったのである。


 ─────午後7時。女子挺身隊は今日一日の教練と作業が終わった。寮に向かう一団の列にアン・スミス・サトウ少佐とキャサリン・スミス少尉も加わっている。
 以降、儀仗隊型で行われることになり、列は今から3列である。
 指揮者の良子は“指揮者肩章”を掛け、「全隊〜ィ、速足
(はやあし)!」と号令を下した。
 全隊は発進した。
 良子の胸にはいち・いち、いちに・いちに、左右・左右……」のメトロノームが刻まれ出した。

 「今日もいいお月さま。右10時の方向……」と和津子。
 「段々満月に近付いているみたい。もうすぐ十三夜かしら……」と山田昌子。
 全隊は良子の心の裡
(うり)には、「いち・いち、いちに・いちに、左右・左右。いち・いち、いちに・いちに、左右・左右……」のメトロノームは正確に時のリズムが刻まれている。

 「空には朧月
(おぼろづき)ですか?……」とキャサリン・スミス少尉が訊いた。
 「はい」と和津子。
 「綺麗でしょうね」
 「綺麗です」《目が見えればの話でですが……》と和津子は言いたかった。
 「鷹司さん、歌いませんか」とフルート奏者の成沢あい。
 「ねえ、鷹司さん、歌いましょうよ」と児島智子も促す。
 「おぼろ月夜なんて、どうかしら?」と和津子。
 「えッ?……」《そんなこと急にいわれたって、その曲、一度も練習もしたことないじゃないの……》と良子は思う。
 これをどうするか、アン・スミス・サトウ少佐は黙って聞いていた。良子の臨機応変性を検ているのかもしれない。

 良子は、自分が験
(ため)されていると思う。さて、どうするか?……。心の裡は迷っていた。
 「左右・左右、左右・左右、左右・左右、左右・左右……」そう言って、指揮棒を斜め上に掲げた。演奏用意である。指揮棒を上て、一旦横一文字にして振り上げた。
 そして宙で一回円を描き、「全隊〜ィ……」と言って、再び中斜めに肩に付ける。《一糸乱れず》の息の投合したものになり始めていた。
 「左右・左右、左右・左右」
 八呼吸で二回を拍子取りしていた島崎ゆりが、最後尾からホイッスルで全隊を指示を送った。
 フルートの二重奏が前奏部分を奏で始めた。そして彼女達の合唱が響いた。もう、和音の付け方を誰もが把握していた。

 ♪菜の花畠に、入日薄れ、見わたす山の端
(は)、霞ふかし。春風そよふく、空を見れば、夕月かかりて、にほひ淡し……。里わの火影(ほかげ)も、森の色も、田中の小路をたどる人も、蛙(かはづ)のなくねも、かねの音も、さながら霞める 朧月夜。(作詞:高野辰之、作曲:岡野貞一)
 文部省唱歌として広く知られていた。
 初夏の夕暮れ時、彼女達の歌声が静かに流れていた。


 ─────遅い夕食も終え、ラウンジで全員が寛
(くつろ)いでいる時である。
 食後のひと時であった。それぞれ思い思いのテーブルに位置し、好きな場所に坐り、アン・スミス・サトウを囲んでお喋り程度の話をしていた。ときどき笑い声が洩れる。
 そういう話の中で、アン・スミス・サトウはこういう話を切り出した。
 「皆さんは兵舎のことを、ご存知かしら?……」
 「兵舎って、兵隊さんの棲
(す)んでいる住いと言うか、お家というか、そういうところですか……」
 最年少の長尾梅子が訊いた。
 「ええ、そうです。さて此処で、兵舎について考えてみて下さい。兵舎とは、どういうところか知っていますか、はい、分かる人……」
 「はい!」
 「島崎さん」
 一見、島崎ゆりは《なぜアン先生は、島崎候補生と呼ばないのだろう?……》と思う。
 「兵舎とは、兵隊さんの寝起きをしたり、食事をしたりする兵営内の建物です」

 「確かにその通りですね。でも、フランス革命以来、世界の先進国は近代国家の様相を整えました。
 近代国家とは近代市民社会の構造を持った社会のことです。つまりこの社会では、軍令と軍政が分離した文民が統制された社会構造を言います。ここに市民社会の原形があり、軍令を軍政が分離しているということが実行されている状態に限り機能するのです。
 もっと分り易く、清教徒革命を知っていますか?」
 「聞いたことあります、確か社会科の歴史の授業では1642年から49年の軍隊が起こした革命で、別名ピューリタン革命と習いました」
 「あなたは、ピューリタン革命を、1642年から49年に起こった革命と、日本流の学習法で暗記した訳ですね」
 「はい」
 「でも、どういう革命で、その革命では何が行われていたか知っていますか」
 「ええっと、そこまで訊かれると、分らんと言うか、知らんと言うか……、結局分らないというか……。全く分りません」と島崎ゆり。
 「あなたは正直ですね。その正直、大事にして下さい。軍隊では、部隊全員のみんなが正直でないと、命は共有出来ないのです。
 さて、いま島崎さんが言った年号は、ピューリタン革命を1642年から49年と暗記した。おそらく、他のみなさんもそうでしょ。日本では未だに暗記教育が盛んで、左脳の働きばかりを重要視していますからね。
 そこで、左脳から右脳へ移して物事を考えてみましょう。左脳は記憶する事だけを得意とする働きに限られまる。これは右脳に較べて創造性がありません。つまり、近代以降の『科学的』と名の付いた思考法と言うのは、明らかに左脳重視の思考法です。左脳は答えがあれば、記憶の範囲において力を発揮しますが、答がなければそれから先はお手上げです。
 さて、ここで解答のない答案用紙に想像力を働かせて考えてみることにしましょう。この観点に立ってピューリタン革命の経緯を考えてみましょう。更に、この革命が起こった原因について考えてみましょう。
 時は十七世紀の中頃、スチュアート家のチャールズ1世の専制政治に、議会が反抗して1642年に内乱が勃発しました。何故かと言うと、議会は専制政治、つまりその制約下に居ない封建領主の家来ではなかったからです。彼らは言わば信仰を共にする同志の集まりで、クロムウェルらの率いる清教徒だったのです。
 つまり清教徒では信仰を共有しているから、同志は誰も対等なのです」

 「えッ?えッ?……。軍隊で対等なんですか。それじゃ、階級はどうなるのですか?」と大学生の谷久留美が質問した。
 「軍隊だって、対等という箇所が存在しているのです」
 「対等という箇所がですか」と副島ふみ。
 いつも島崎ゆりを“お子さまランチ”と言って憚
(はばか)らない彼女は、人の命は、誰もがみな対等ではないのか?……と気付き始めた。
 「はっきり言えば兵役に就いている間は、下級兵士は上官の命令に遵う義務が生じますが、一旦陽が暮れて兵舎に戻って来ると、一兵卒も将校も、また将軍すらも対等なのです。人間としては、みな対等で、上下の階級差なく、お互いにそれぞれに人間性を尊厳しました。
 わたしが西郷隆盛を尊敬するのは、その点にあるのです。敬天愛人こそ、人間としての人間性の尊厳を重んじた言葉です。
 でも、福沢諭吉の“天は人の下に人をつくらず……”ではないのです。アメリカ合衆国第3代大統領のジェファソンが起草した宣言したジョン・ロックの自然法思想に立脚して自由・平等・幸福の追求を天賦の人権として主張した宣言に帰する福沢諭吉のあの言葉とは違います。この言葉には対等が謳われていません。フランス革命やアメリカ独立に大きな影響を与えた自由と平等と、対等と言うのとは意味が違います。字面だけを追って、その文字の表面的解釈では駄目です」
 アンの言っていることは、大学のゼミのような形になり始めていた。

 「平等とは差別がなくって偏りが無いことを言い、また対等と言うのは、双方の間に優劣や高下のないことですね」と中川和津子が確認するように訊いた。
 「そうです。自由と平等と、それに博愛はフランス革命つまり、ブルジョア革命においての鼓舞するスローガンに過ぎません。あの種の平等に対等は存在しません。あれは単なる平等主義を説いているだけで、対等を軍隊に用いれば、戦闘にあるときも兵舎に戻ったときも対等と言っている訳ではないのです」
 「それはどういう意味なのですか」と山田昌子が訊いた。

 「本当の対等とは、戦闘に従事しているときは上官の命令には絶対に服従しなければなりません。
 ところが兵舎に戻ってくれば、上官も部下もないのです。戻って来て政治方針や、その他の討論をするときは将校も兵士もありません。誰もが自由に自分の意見を述べて構わないのです。
 人一人の人格は独立していて、この独立は何者も犯すことが出来ないのです。
 したがって軍隊内部の上下関係と市民社会での対等な関係を両立させうるというのが近代軍隊の特長です。
 つまり軍令と軍政は分離していなければなりません。
 この分離を見事に遣って退けたのが、クロムウェルらの率いる清教徒でした。お互いに固い信仰で結ばれていたのです。そして遂には、議会軍が王軍を破ります。ただいけなかったことは、後にクロムウェルが護国卿となり、軍事独裁を行なった事です。結局こうなっては、旧
(もと)の木阿弥になります。
 しかし一方で、対等と言う意味を教えています。
 だから今は寛ぐ時間……。
 わたしはこれから消灯時間まで、自由に寛がせてもらいます。皆さんも自由に寛いで構いません。戦いが済んで兵舎に戻って来たのですから……。
 だから、服装も自由なのです。こうした時間を過ごすには必ずしも制服である必要はありません。
 ただし、夜間戦闘ならびに勤務の場合は、その限りではありませんので、公私をハッキリと区別しておくことが大事です。
 兵舎とはそう言うところであると理解出来たら、今から思い思いに自由に過ごして下さい」

 誰もがアンの言葉を聞いて、軽い衝撃を受けたようだった。兵舎に戻れば上下はない。勤務以外は自由にしていい。制約は受けない。何と大胆な考えだろうと思う。

 「それでか……、アン先生は、わたしのことを島崎候補生から“島崎さん”と呼んだのは……」島崎ゆりが一人で納得していた。
 「ねえ、ゆりちゃん。これから先も、毎日二つの切り替えがあるといいね」と長尾梅子。
 「そう、これからもずっとあるといいね。でも、これから決戦になると、どうなるのかな。毎日切り替えあるのかなァ……」
 「ずるずると決戦の方に近付くと厭だなァ。厭と思うのは非国民なのかなァ……」

 昭和19年の年明けは、敗北続きの中で年が明けた。冥
(くら)い年明けだった。
 またそれは敗北の、皆殺しの虎口へと引き摺られる戦いを強いられる時代の幕開けでもあった。1月2日はニューギニア島のグンビ岬に米軍が上陸している。以降、日本はズルズルと虎口へと引き寄せられ、3月には兵役法が改正となり、老兵までもが戦場へと駆り出されることになる。
 更に5月に入ると、防衛司令部令が公布された。しかし女子挺身隊結成率は7%と低調であったため、警視庁は再度召集状を送付して、女子大生による宣伝挺身隊まで組織して、女子挺身隊への呼び掛けを行っていたのである。そういう矢先に、鷹司良子らは5月上旬に『臨時徴用令状』をもって、召集に応じなければならなかった。
 こうして第三十五師団
(関東)佐倉歩兵二百二十一聯隊に、20名の戦闘を目的として組織した女子学徒隊が発足したのである。この女子部隊は銃後などではなかった。戦場の弾丸の飛び合う激戦地へと駆り出されたのも同じだった。軍事教練により、高等訓練を受けた女子の戦闘部隊であった。
 それを発令したのが『タカ』計画を発令した二人の男であった。そしてこの男らは策士であり、各界から有能な人間を引っ張って来て、早期戦争終結の道を模索したのである。


 ─────『タカ』計画の首謀者三人と年より一名が、まだ教官室に残っていた。それぞれがテーブルを囲んで、深刻な角を突き合わせる密談をしていた。そしてそこには、プラス1名の御仁が居た。赤城赤嶺神社の神主・林昭三郎である。この爺さまは不敬罪になるほど、予言を的中させていた。
 爺さまは、扶占
(ふうせん)という砂盤の上に、占木をT字型に渡し、横に審神者(さにわ)が居て降臨で得た卦を検(み)る。だが今は審神者をする者が居なかった。
 それを補うために、沢田次郎はアン・スミス・サトウとキャサリン・スミスの姉妹に目を付け、今は目を失ってしまったがキャサリンへの能力を高く買ったのである。そのうえ暗号解読に、異能ぶりを発揮する数学者であった。

 「爺さん、これからどうなる?」
 沢田次郎は林昭三郎に訊いた。
 「おい、次郎。お前は弟子だぞ。弟子の分際で拙者を“爺さん”などと気易く言うな、尊敬しろ。赤嶺神社のヌシには、大いに尊崇する必要があろうが……」
 「はいはい、尊崇するよ、ヌシさん」
 「ちっとも、分っておらん……」
 「さて、爺さん、神託はどう出た?」
 「拙者の感ずるところ、近いうちに大地震が起こる。これは大きいぞ」
 「何処で、いつ?……」
 「拙者の神託によれば、今年末じゃな。東南海と出た」
 「つまり名古屋方面と言うことか?」
 「そうじゃ!したがって此処まで分れば、対策も考えられよう。同時にじゃ、この地震は軍事産業の大半をを襲うほどの猛威を揮い、壊滅状態になる。それで益々武器弾薬が不足する。
 いま南海地方の臨海部には、どういうものが設置されているか分ろう。被害を考えて、先に動かしておくことじゃな。津波も大きいぞ、並ではない……」
 こう言う話を聴いて、三人は顔色を失った。

 「沢田君、もし大地震が襲えば、軍部は現時点より、少なくとも1/4を生産が停止してしまう……。
 日本は麻痺の状態に陥ってしまいます。そうなる前に手を打たねばなりません。君の手品で躱
(かわ)す策はありますか」と鷹司友悳。
 「鷹司さん、大地震は何も被害の面だけで考えてはなりますまい。もし、大地震が起こったとして、一体どういうことが起こるか、予測出来ますか。最も単純な事態が生じます。戦争指導者は、愚人化が起こります。軍部は愚人の集まりと化すでしょう、どうします」と沢田次郎は詰め寄るように訊いた。
 「つまり、これまで大本営陸海軍部の遣って来た事を考えれば、つまり大地震が起こったを隠してしまうことですね。これは一方で、この事実を隠してしまう。その結果、更に戦争終結への時間が長引き、また負け将棋を一番重ねる事態が生じる……。最近の『進め一億火の玉だ』のスローガンは、益々これが大地震を機に火に油を注ぐ結果となりかねません。さて……」
 鷹司が先の言葉を濁した。

 「そろそろ東条を暗殺しますますか」と来栖恒雄。
 「しかし、それを我々が遣るのは効率的ではないし、合理的な帰納法によるものでもない。そう言う小事は他にも幾らでもいます」と沢田。
 「その工作は出来ています、鼻薬は利かしております」と、したたかな沢田。
 「そこまで読んでいましたか」と鷹司。
 「起爆になる刺戟さえ与えれば、既に時代遅れになった精神主義を逆利用出来ます。東条には不可解な楽観主義がありますからね。これに業を煮やす連中は少なくありません。刺戟を与えて利用すればいい。
 だが私の懸念するところが、そういう事ではありません。外地で何かが起こるような気がします。なあ、爺さん、他に神託はなかったか」と沢田。

 「神託には南方の島で起こると出た。じゃが、何処か分らん」
 「来栖さん、どう思いますか」と沢田。
 「もしかすると、サイパン
(西太平洋、ミクロネシアのマリアナ諸島南部にある島。第一次大戦後、日本の委任統治領)かも知れませんなァ。もしです、いま此処で何か起これば当然、東条内閣は倒壊するでしょうが、わが方にとっても、非常に拙いことが起こる。此処にはサイパン守備隊がいる。斎藤義次中将が指揮する第43師団を主力とした守備隊がいる。この守備隊は約三万人で構成されている。この兵力を失うことになる。それにいま攻められれば孤立化する恐れがある。
 この守備隊が全滅し、玉砕したとなると、此処から大掛かりな大空襲が帝都方面に容易になる。
 これ自体、いい条件で戦争終結には持って行かれなくなる。仮に本土決戦を遣るにして、竹槍でも戦いようがありません。
 サイパン守備隊を撃破して進撃する米軍の火器は相当なものでしょう。これは拙いことになる……」と来栖は深刻な貌をして言う。
 「来栖さん、攻撃をかけるのは、まず参謀本部のようですね。ここでバカどもを黙らしておかないと、意見は推し切られて一方的になる。そうなると東条の居残りも考えられます」と沢田。
 「それを懸念して工作しているところです」と来栖。

 「爺さん、起こるのはいつだ?」沢田をずけずけ訊いた。
 「慌てんでもいい。もう直じゃ……」
 「もう直とは、いつ!……」と沢田。
 「そう急かされても、今わしには審神者がおらん。審神者無しで、どうして時期まで分る。ただ、起こることは間違いない。それも遠くないぞ……」
 「沢田君、急ぎましょう……」と鷹司。
 「だがじゃ、拙者の分らんのは、年は分っている。分らんのは、月と日じゃ……。何しろ審神者がおらんからのう。これを何とかせい、次郎」
 「爺さん、考えておく……」
 「それじゃあ、遅いぞ!」
 「今日は遅くまで引き延ばしてご苦労だったな、爺さん。あとは宿屋に戻って、ゆっくりと養生してくれ」
 「沢田君、林さんはご高齢でもあられる。充分に配慮して、これまでの牢獄での垢
(あか)を落としてもらいましょう。とにかく、暫く休養してもらうことが先決でしょう」と気遣う鷹司。
 「それは考えております、今、爺さんに死んでもらうと困りますからね……」
 「おい、次郎。拙者を大事に扱え。お前の言う、『要』重要人物だろうが!……」
 「だから、こうしてブタ箱から出してやって歓待している。これが不服なら、もう一度、ブタ箱に戻ってもらってもいいが……」
 「あのなあ、何で拙者が、警察に捕まったか、よう分らんのじゃのう」
 「御時勢だからだよ」
 「そうか、御時勢か。とんでもない御時勢じゃのう」
 「今日は『笹山旅館』でゆっくりと寛いでもらいましょう。歓待する用意は準備しております。軍の車でなく、私の車で送らせます。さて我々は、もうひと踏ん張りです」

 こうして林昭三郎は刑務所から、人間らしい場所へと移されるこのになった。
 黒塗のオースチンの男が、林を車へと誘った。この漢も、おそらく憲兵であろう。


 ─────林昭三郎は、無事に後を尾行されることもなく、『高山旅館』に着いた。玄関前では裕子と支配人が待ち構えていた。
 「よくいらっしゃいました」
 「あんた、先ほどのご婦人じゃのう」
 「はい、よくおいでくださいました」
 「よく、おいでくさだいましたもない……。勝手に次郎が、連れて来たのじゃ、まあ、しかし此処は、刑務所より随分と増しそうじゃのう。女子
(おなご)しの泊まり客も多いことじゃ。今どき珍しことじゃのう……」といって、爺さまが、よたよた歩いていると突然躓(つまず)いて転けてしまった。
 それを遠望していた島崎ゆりが、「ああァ……、お爺ちゃん転んじゃった」と言った。

 そこへすかさず、キャサリンが手を伸べて「大丈夫ですか」と訊いた。
 「いや大丈夫じゃない。長い間の刑務所暮らしで足腰が弱ってしまっとる……」
 「それは大変で御座いましたね」
 「さて、あんたは?……」
 「先ほどの会議の席に同席した者です」
 「目が見えぬのに、よく気付いてくれましたなあ、礼を申し添えておく……」
 「周囲には、少し段差が御座います、お気を付けて……」
 「じゃァ、あんたが、赤城の山の赤嶺のヌシを呼んだのか?……」
 「さあ、どうでしょうか?」
 「妙じゃのう、何かが反応しとる。妙じゃ、妙じゃ。こうした不思議、久しぶりじゃ……。何か、わくわくするのう」
 「今日はごゆるりと……」
 「これは忝
(かたじけな)い」
 林昭三郎はこうして奇妙なものを感じながら、部屋へと案内されて行った。

 奇妙と言ったのは、「恕
(じょ)が足りぬ」と普段から思ってる恕に久しぶりに出遭ったからだ。
 恕とは人を思い遣る心である。その心とは、また霊的に感知する異能的な能力を顕すものであった。
 また、喩えは恕は巫
(ふ)が忘我の裡(うち)に神意を窺(うかが)うときの心の状態を顕すものであった。これは人に対する共感能力と言えた。
 人に共感し、その心がまた神の神託にも触れることが出来るからだ。
 だが、この能力を長く保つことは難しい。心が安定し、心を鍛練しておかないとこの維持は難しくなる。
 林昭三郎はその霊的共振をキャサリンに感じた。
 爺さまは、この外人を何者かと思う。その御霊は何処から発しているのかと想う。長生きはしているものじゃと、意外にも嬉しくなった。これからは赤城の山の赤嶺の神を鎮まってもらわねばならぬ。

 さて、孔子の学『論語』には、自分の生き方の根本に「忠
(まごころ)」と「恕」を置いて、それを拠り所にしている。恕は孔子の実践学において最も重要な事項であった。
 この実践学は、孔子が願回に示したように、天地鬼神に情けを掛けて、思い遣ることであった。
 その心をもってのみにしか鬼神には触れることが出来ないからである。つまり神託を得ることが出来ないのである。そのことを林昭三郎は知っていたのである。
 しかし……と思う。
 現実の世を生きる人間の多くは、その修行が足りないのである。人間の心を知るには、余りにも未熟なのである。林昭三郎は、それを悲しいと思った。
 この爺さまも、自分なりに、より善き死に方を企む余裕があった。ゆえに人の心を読む。いいものは受け入れ悪いものは排除してしまう。また悪いものには近付かない。直ぐに離れる。
 しかし沢田次郎は、口ではああ言いながらも、何故かこの青年とは離れ難かった。それがこれまでの腐れ縁となっている……と思い、思わず苦笑するのだった。


 ─────一方、未だに教官室で角を突き合わせる三人。まだ短期の見通しの結論だ出ない。
 鷹司友悳中佐は参謀次長下に置かれる研究班で、ここは第二十班の戦争指導の研究を行う班で、その責任者であった。
 また来栖恒雄少佐は、第十八班の無線諜報とともに、陸軍情報部に籍を置く情報班主幹として敵国情報を情事把握できる立場にあった。これら最高指揮は参謀総長であった。
 「来栖さん、サイパン陥落はいつです。外事諜報では、どうなっています?」
 「分析では、早くて六月中旬。遅くとも七月一杯と検
(み)ています」
 「以外と早く来ますね」と鷹司。
 「では、そろそろ女子学徒隊を動かしますか、その前に……」
 「ヒトラーがワーグナーの行進曲に肖ったようにですか。いいでしょう、遣りましょう。ヨーゼフ・ゲッペルス博士に肖
(あやか)って、彼女達を広告塔に遣いましょう。広告塔に遣って、陸軍には未だこんなに怕い秘密兵器があったのだと内外にアピールしましょう。では沢田君、次の一手は何ですか」
 「その一手は私にも分りません。みなサトウ少佐の頭の中にプランの一切が詰まっています。外から窺い知る事は出来ません」
 「しかし、分るだろ、君ならば……」と来栖。
 「これは飽くまでも推測ですがね、彼女の行動様式から推測して、落下傘
(パラシュート)降下でしょう」
 「どうして落下傘降下なのです」と鷹司。
 「彼女の経歴を考えてみて下さい。英国空軍のテストパイロットです。テストパイロットが、どういう任務かあなたもご存知でしょう。海軍の某大尉は、零戦が完成する前に、かの機は、空中分解して殉職したではありませんか。死ぬ危険が大です。それを敢て遣る。もう、これは“女だてら”などといえません。今まで日本人が想像していた女性像を彼女は一挙に塗り替えようとしています。そういう人物が考えそうなことは、“女だてら”などと蔑視していたこれまでの考えを一掃することくらい平気で考え付きますよ」
 「君の推測力は鋭くて、身震いがするほど怕
(こわ)くなって来ます」
 「だが鷹司よ。女子学徒隊には、今お前の妹が居るのだろう……。良子さんに、もしもの事があったらどうする……、心配か?……」
 「いや……」と言いながら、鷹司の貌は翳りを見せた。
 「鷹司さん、彼女は大丈夫ですよ。そんなにヤワはありませんよ。こうしたハードルも次々に越えて行く。
 私は彼女の身辺を徹底的に調査しました。安心して下さい。そもそも、現在、五体満足で、成績優秀で身体の能力があり、そのうえ何よりも視力が優れていると言う才能を持った女子は居ませんよ。もし、20名のうち一人でも、事故で死ぬような者が出たら、そのときは、この帝国も、よりよい負け方をするチャンスを逸します。そのときは我々は、みな敵の海の中に置かれて、日本は世界と図から消えます」
 「そうなると拙いですなあ」と来栖。

 「国とは、国家とはねェ、システムとしての行政機能や司法機能を指すのではないのですよ。
 国とか、公と言った場合、そのこにはその人固有の生まれて育んだ、郷土とか地域、また家族や親戚筋、更には友人知人が有機的に繋がった輪の世界が存在しているのです。その取り巻きの人達によって自分と言う存在があり、こうしたものは必然的かつ習慣的に含んでいなければならず、この枠を拡大すれば、国と言う考え方が出て来て、そこに公と言う世界に繋がって行きます。
 公というこの同義の意味合いにおいて、国と言う意識が、その国民の感情には生まれ、同時にそれは言語・文化・習慣・伝統・気候・
風土といったものに繋がり、そこに四季の自然があり、環境と言った世界が生まれます。
 この要素を含んでいる必要十分条件において、共同体としての民族意識や、国イコール郷土、あるいは故郷という概念が生まれます」
 「成る程、君らしい考え方だ。私も同感です」と鷹司が相槌を打つ。

 「これまでも日清・日露で、国を守るために、死を覚悟して死んで逝った英霊は数知れず。彼らは、何のために死んで逝ったのか。それは郷土や故郷の存続を願って、命を捧げて行ったのではないでしょうか。
 その命を捧げる第一の理由は、自分の生まれ故郷の無数の祖霊や祖父母、また親兄弟姉妹の以降の安泰を願って、それと引き換えに死んで逝った。切に日本の安寧を願って、命を捧げて死んで逝った。
 したがって、彼らの苦渋は単にこうして言葉で喋ったり、筆舌に尽くしがたい苦悩があったのです。安易に人間の命を1銭5厘の紙切れで考えてはなりません。子孫の繁栄と、幸福を願って戦争を戦い、死んで逝ったのです」
 「その通りだ!」
 これを聴いた来栖少佐は思わず手を叩いて拍手した。

 「しかしですね。東条だけは靖国神社に祀ってはなりません。英霊の魂が穢れます。
 東条大将は確かに善人です。実に清い人で、人格的には立派な将軍です。しかし、東条大将はチャーチルのように戦略家ではありません。単に出来のいい事務屋でした。事務屋と戦争を指導する戦略家の才を、同じ土俵で計ってはなりますまい。したがってそうなる前に、戦争を終結しなければなりません、事務屋には、事務屋に相応しい死に場所があります」
 「というと?……」来栖少佐。
 「徳があるか、才があるかです。東条一派には確かに才はある。しかし徳がない。
 それはフィリピン第四項空軍の冨永恭次中将を検
(み)れば一目瞭然ではありませんか。小東条と言われた東条首相兼陸相の腰巾着は、東条の真似をして、彼の地で憲兵政治を行っているではありませんか。ああいう者が戦争を指揮しているのでは日本には勝ち目がありません。
 今は才の者が表に出る舞台は過ぎています。徳の人物を表に立てなければ、国民は蹤
(つ)いてきません。愚者が指揮をしたのでは戦争を終結させることが出来ません。
 言うなれば、時代は、才をとるか徳をとるかですが、もの二者択一の決断において躊躇
(ちゅうちょ)なく、徳に人を起用しなけれなりません。
 蛇足を付ければ、それはかの西郷南洲
(隆盛)の言葉に回帰されます。
 南洲の遺訓には『国に功労あるものは賞
(金や物)を与えよ、功労あるからといって決して地位を与えてはならない。地位を与えるには、自ずとその地位に相応しい見識がなければならない。功労あるからといって見識無き者に地位を与えると国家崩壊の元兇になる』と、この言葉が何よりも、それを雄弁に物語っているではありませんか。功労ある者に地位を与えた結果、今日の事態を招いているのです」
 「成る程、君の説明はよくわかります。では、具体的に聴くとして、陸軍では地位を与えていい人物となると誰でしょう?」来栖は神妙か貌で訊いた。

 「これはあくまでも私個人の私観から選ぶとすると、今井均中将か、あるいは石原莞爾退役中将でしょう。
 また海軍であるならば、遅過ぎた四番バッターなどと言われている小沢治三郎中将でしょう。
 もし、小沢中将がミッドウェー作戦を指揮していたならば、おそらく南雲忠一中将のように大敗北は免れていたでしょう。更に、小沢中将に山口多門少将がコンビになっていたならば、あの戦いは楽々と勝っていた筈でしょう。日米戦は昭和17年
(1942)で終結していました。
 陸海軍のこうしたバランスがあれば、もっと以前に、よりよい形で講和に持ち込んでいたかも知れません。今となっては遅過ぎますが……。
 わが国は神国です。神国には、いつも神風が吹いていました。ところが、この神風の細やかな吹いている風を戦争指導者達が、誰一人として聴き取ることが出来ませんでした」
 「よく分ります、そのタイミングを逸したと言うことですね」
 「タイミングを逸したからこそ、昨今は愚将ばかりが持て囃
(はや)される結果を招いたのです」
 沢田次郎がこう言い放って、暫く沈黙が流れた。辺りに重い空気が垂れ込めた。

 「では、さて沢田君、君の父上からの秘密軍需物資が英国より届いたということです。明日には、全員に配給が可能です。早速、プラン『タカ』を発動します」
 「分りました」
 「有り難う……」
 「私はあなたのために動いたのではない、礼には及びません。私はあなたの夢に乗っただけです。そのことだけで充分です」
 こうして愈々
(いよいよ)『タカ』が動き出すことになる。



  運気     八門人相     房中術     癒しの杜     菜根譚     小説     会報Back No.     合気     蜘蛛之巣伝     死の超剋     霊的食養     心法