運気 八門人相 房中術 癒しの杜 菜根譚 小説 会報Back No. 合気 蜘蛛之巣伝 死の超剋 霊的食養 心法
続 壺中天・瓢箪仙人 1
続 壺中天・瓢箪仙人 2
続 壺中天・瓢箪仙人 3
続 壺中天・瓢箪仙人 4
続 壺中天・瓢箪仙人 5
続 壺中天・瓢箪仙人 6
続 壺中天・瓢箪仙人 7
続 壺中天・瓢箪仙人 8
続 壺中天・瓢箪仙人 9
続 壺中天・瓢箪仙人 10
続 壺中天・瓢箪仙人 11
続 壺中天・瓢箪仙人 12
続 壺中天・瓢箪仙人 13
続 壺中天・瓢箪仙人 14
続 壺中天・瓢箪仙人 15
続 壺中天・瓢箪仙人 16
続 壺中天・瓢箪仙人 17
続 壺中天・瓢箪仙人 18
続 壺中天・瓢箪仙人 19
続 壺中天・瓢箪仙人 20
続 壺中天・瓢箪仙人 21
続 壺中天・瓢箪仙人 22
続 壺中天・瓢箪仙人 23
続 壺中天・瓢箪仙人 24
続 壺中天・瓢箪仙人 25
続 壺中天・瓢箪仙人 26
続 壺中天・瓢箪仙人 27
続 壺中天・瓢箪仙人 28
続 壺中天・瓢箪仙人 29
続 壺中天・瓢箪仙人 30
続 壺中天・瓢箪仙人 31
続 壺中天・瓢箪仙人 32
続 壺中天・瓢箪仙人 33
続 壺中天・瓢箪仙人 34
続 壺中天・瓢箪仙人 35
続 壺中天・瓢箪仙人 36
続 壺中天・瓢箪仙人 37
続 壺中天・瓢箪仙人 38
続 壺中天・瓢箪仙人 39
続 壺中天・瓢箪仙人 40
続 壺中天・瓢箪仙人 41
続 壺中天・瓢箪仙人 42
続 壺中天・瓢箪仙人 43
続 壺中天・瓢箪仙人 44
続 壺中天・瓢箪仙人 45
続 壺中天・瓢箪仙人 46
続 壺中天・瓢箪仙人 47
続 壺中天・瓢箪仙人 48
続 壺中天・瓢箪仙人 49
続 壺中天・瓢箪仙人 50
続 壺中天・瓢箪仙人 51
続 壺中天・瓢箪仙人 52
続 壺中天・瓢箪仙人 53
続 壺中天・瓢箪仙人 54
続 壺中天・瓢箪仙人 55
続 壺中天・瓢箪仙人 56
続 壺中天・瓢箪仙人 57
続 壺中天・瓢箪仙人 58
続 壺中天・瓢箪仙人 59
続 壺中天・瓢箪仙人 60
home > 壺中天・瓢箪仙人 > 続 壺中天・瓢箪仙人 20
続 壺中天・瓢箪仙人 20

昭和18年9月より女子動員年齢は14歳から25歳だったものが、上は40歳まで拡大された。14歳から40歳までとなった。
 写真は東京家政高女の軍事教練である。

(「昭和史」破局への道・昭和18〜19年。毎日新聞社篇より)

拡大表示

昭和17年9月、岐阜市関町では、戦局激化とともに、女性まで刀剣の研師として仕込まれ動員された。
(「昭和史」太平洋戦争開戦・昭和16〜17年。毎日新聞社篇より)

拡大表示



第六章 大戦末期の翳り


●鬼ザメ

 徴用第一日目は講堂に集められ、担当教官の紹介が行われた後、係の下士官から教室に案内されて暫(しばら)く俟(ま)たされた。と言うより、放置された感じで、それぞれが自分の自己紹介を兼ねてを好き勝手に自身を語り、その語ったことに些かな興味を抱かれたり、質問攻めにあって苦慮している女学生も居た。
 こうして一時間ほど放置されたのである。
 そこへ担任の沢田中尉が遣ってきた。
 「皆さん、お互いに各自の自己紹介などはされましたでしょうか」
 沢田の言葉遣いは何処までも慇懃
(いんぎん)であった。軍隊に見られる夜郎自大はおろか、年少者を見下すふうもなく、決して傲慢(ごうまん)ではなかった。それだけに奇妙な違和感すら感じるのであった。
 教室と言われたところは、黒板があって、担任を中心の一点に置き、放射状に全員が半円を作ったような形で机が配置されていた。あたかも大学のゼミのような机の配置であった。
 教師が黒板に向かい、あとはそれぞれが勝手に席に着くのである。席は誰が何処とは決まっていなかった。自由なのである。この自由に面食らったのが、女学校の一斉授業方式に慣れてしまっている女学校生徒達であった。
 席を何処のにするか、もたついている女生徒達に、一喝
(いっかつ)を喰らわしたのが副島ふみであった。彼女は相変わらずだった。貌に似合わず、物言いが男口調である。
 「お子さまランチ、早く席に着かんか!」
 「そう言うことを云っては駄目ですね、あなたは確か……」
 「副島ふみです」
 「副島さんですか、あなたのお名前、一番先に覚えましたよ。皆さんの名前は名札を見れば分りますが、戦場では、いちいち名札を読む余裕がありませんからね。貌と名前を一致させておく必要があるのです」
 すると、辺りからくすくすと失笑が疾った。副島ふみが、教官から皮肉られていると思ったのだろう。

 「あの……、お訊きしても宜しいでしょうか」
 「何ですか、副島さん」
 「これからどのようなことをするのでしょうか」と副島ふみ。
 「先ずはオリエンテーションとして、例えば会社だとしたら新入社員に向けての説明とか教育内容であり、学校であれば指導方針でしょうか。一年間、皆さんを教育する指導目的を段階別に明確にして説明します。
 しかし残念なことに、われわれには残された時間が限られていて、日本が、よりよい負け方をするために、そのタイムリミットが近付いているということです。
 これを分り易く説明致しましょう……」と言って、沢田は黒板に図形を描いて説明に入った。

 「例えばですよ。この教室の何処かに、今から一時間後に爆発する時限爆弾が仕掛けられたとしまよう。
 しかし、その時限爆弾を発見するのに50分掛かったとします。残された時間は僅かに10分です。
 この10分しかないことを、“タイムリミットが狭まった”と言うのです。
 でも、前々から時限爆弾らしいものが仕掛けられた……と、これまで薄々感じてはいたのですが、その確たる証拠もなく、これまで探すのを怠ったと言う訳でもないのですが、結局、捜し出したのが爆発の10分前だったのです。この10分前の状態が、今の日本と言うことでしょうか」
 沢田中尉はショッキングな話をした。
 逆に衝撃的過ぎて、聴いている方は焦燥感に苛
(さいな)まれた。だがそれが実に衝撃的だったからだ。
 説得力のある話術を遣って、最年少の14歳までを網羅した説明をしたのであるが、聴いた誰もがショッキングだったのである。あるいは沢田は、この効果を狙ったのか。

 「それで、わたしたち、何をすれば宜しいのでしょうか」と深刻な貌をした谷久留美が訊く。
 「まァ、そんなに焦らずに、一歩ずつ段階を踏みましょう。物事を成就させるには、順序と言う手順があります。この手順を間違うと、例えば、同じ食材でもレシピを間違えば美味い、不味いが起こるでしょ。僅かに砂糖と塩と醤油の順番を間違っただけでも、同じ食材でありながら、味は全く別のものになってしまう。それに大事なのは、煮込む時間や茹
(ゆ)でる時間も同じです。ところが、同じ食材でありながら、最後は味が全く違ってしまう……。中には不味過ぎて食べられない物まで出る。
 したがって、焦ってばかりで、馴染まねば、何事も巧くいきません。馴染むために手順を踏みましょう。
 さて、ご理解頂けましたでしょうか」
 「あの、質問宜しいでしょうか」と山田昌子。
 「あなたは……、確か山田さんでしたよね。それに、前の方が谷さん……。
 この二人の方も、お名前、覚えましたよ。あくまでの戦場での確認です。さて、何でしょうか」と落ち着き払って訊いた。

 「今どき、"recipe" などと言う、敵性用語を使っても宜しいでしょうか。その他、教官殿は敵性用語の多く遣われますが、そういう用語を使っても問題はないのでしょうか」
 「ええ、構いませんよ、この集団では赦されます。但し、教室内だけにして下さい。外で遣うと、負け戦の中に居る日本人は気が立っていますからね、非国民だと罵られるのがオチです。そういうものに関わりたくなければ、言葉を巧く使い分けて、出来るだけ摩擦を避けて下さい。あと、何か質問が御座いませんか」
 「はい!」
 「ええっと、あなたは中川さんでしたよね」
 「そうです、中川和津子です。以前、一度お遭いしております」
 「そうでしたね、あのときは唐突で失礼致しました」
 「わたし、あれ以来、すっと不思議に思っていたのですが、教官殿はどうして、そのような莫迦丁寧な言葉を遣いなさるんですか」

 「丁寧
(ていねい)な言葉遣いで喋っては駄目ですか。私はそう思いませんねェ。
 かの西郷隆盛は、決して相手が年少者であっても、また子供であっても、“おい、こら式”の乱暴な言葉遣いはしませんでした。人は長幼の差なく、同格・同等と捉えていたからです。人間として、お互いに尊厳するべきだと考えていたのです。これが敬天愛人です。天を敬い、人を愛するの心です。
 しかしですね。残念ながら、日本が、こうも負けが込んで来ると、お互いにその心が失われ、日本人同士が疑ったり、啀
(いが)み合ったり、憎んだりしている。今の世がそれです、残念なことだと思いませんか。
 では、どうして、もう少し優しくなれないのかといいますとね。実はね、これが戦争の怕
(こわ)いところなのです。だから戦争はしてはいけないのです。たいいち日本人は、戦争向きの国民ではありません。戦争が下手な国民です。そのうえ抑圧や心理戦に耐えられない。心理戦に持ち込まれると疑心暗鬼に陥り、杯中の蛇影に怯(おび)え、直ぐに音(ね)を上げます。そのくせ思い込みから、変な妄想を抱いている。
 そしてですねェ……。
 これまで多くの日本人は、自分の国が『尚武の国だ』と聴かされて来ましたが、あれは一部の武道格技の英雄を、そういうふうに言って持ち上げたことで、例えば武蔵とか小次郎レベルになれば別でしょうが、一般庶民まで、この国の国民は、尚武の民ではありません。尚武の才能は限りなくゼロに近い。
 武蔵や小次郎と、一般庶民を同じ土俵に入れて論じ合ってはいけません。
 江戸時代の武士の数は、当時全国民の7%以下だった。この7%が武術の類
(たぐい)を学んでいた。
 それでも、みな武蔵・小次郎並に強かった訳でない。強いのは、その頂点のコンマ1以下の少数。
 それを同じ土俵に入れて、その優劣を競ってはなりません。
 では、この差がどれくらい違うかと言うと、例えば、囲碁とか将棋でもいいと思うのですが、アマチュアの六段と雖
(いえど)も、プロの初段には遠く及ばないのです。また笊碁(さるご)や縁台(えんだい)将棋の上手と言っても、アマチュアの初段にも及ばないのです。
 これは、命を張った戦争となると、もっと極端になります。その違いは顕著です。
 その極端さがどれくらいかと言うと、皆さんも学校では学校教練を受けたと思いますが、これを真面目に遣った人は少なかったのではなかったでしょうか。戦争ごっこの真似事をしただけです。それは実際に、前線で戦った兵隊には遠く及びません。真似事レベルは大相撲の力士と草相撲以下の、その程度のものです。
 そこでです。私は皆さんを『向こう一ヵ年間』と言ったのは、つまり向こう一ヵ年間です。この一年間で、皆さん方を戦争の職人にさせてご覧に入れます。遊撃戦を戦うための戦闘職人になって頂きます……。
 では、一先ずここで休み時間を入れて、二時間目の授業に取り掛かりましょう。二時間目は、自前主義についての指導を致します。では、休憩を挟んで、これで解散します」
 側にいた副官が「解散!」と言って、散会を命じた。

 沢田は去っだが、教室内はどよめいていた。自分の身が置かれている立場が理解できないからである。次々に疑問が湧いて来て、それぞれの発言が始まった。
 「皆さん、いま教官殿の仰ったこと、理解出来ましたか!」と谷久留美が不審を募らせていた。
 「分り易くて、理解出来ただけに、何だか恐ろしい。わたしは不安を禁じ得ない。当惑して、じわじわと恐怖が広がって迫るみたい。怕い!」と、危険に対する恐怖に戦
(おのの)く和津子。
 「そうそう。教官は穏やかで、言葉が丁寧なだけに、ちょっと怕いなァ。ニヒル過ぎる。ああいう言い方をされると、恐怖が倍増して、何だか不気味……」と怕そうに山田昌子が言う。
 「もしかすると、何にでも化ける、正体不明の怪人二十面相だったりして?……」と揶揄
(やゆ)するように言う谷久留美。
 「いやだ!、怕い!」と冗談半分に怕がってみせる有村緑。
 「もう、わたし、お家
(うち)に帰りたくなっちゃった」と、べそをかくような貌の島崎ゆり。
 「お子さまランチは、それだから困るだよね」と副島ふみ。
 彼女だけは気丈だった。勇ましい。あるいは、本心は怕いのだが、無理に強がっているのか……。
 「そんなこと言うと、他のお子さまランチまで、お家
(うち)へ帰りたいと言い出すわよ」と諌(いさ)める谷久留美。
 「では、今からこれから先のこと、わが輩が分析してあげましょう」と副島ふみ。
 「そんな、無責任なこと云っては駄目よ。この子たち、本当に動揺するでしょ」と、先ず諌め、宥
(なだ)めるように谷久留美がいった。
 「さて、わが輩が、つらつら考えるに……。
 これから先、教官殿の言葉とは裏腹に、ビシバシ、特訓あるのみ……。特訓に継ぐ特訓。ただひたすら、猛特訓あるのみ。残酷と形容していいような猛訓練、それは生きるため……。生きるために猛訓練をする。
 つい先ほど教官殿が仰ったでしょ、召集解除は戦争が負けるまでありませんって。そして、絶望を抱いてはなりませんって。絶望をしないことで抵抗し、負け戦を戦って、上手に負けるために、絶望しないことで抵抗しましょうと……。これ、何だか詭弁
(きべん)のように思えるけど、皆さんどうかしら?」と副島ふみ。
 「駄目よ、そんなこと言ったら。ますます悪くなるでしょ」と谷久留美。
 「さて、これから察するに、当然そのためには生きるということが前提だけど、戦場で生き残るには、走れないと駄目なんですって。走れない人から死んで逝くんですって。これ、海軍陸戦隊にいる兄が言ってた。
 つまりだなァ、走る、走る、走る……、ただひたすら疾る。結局、われわれは疾走するのみ……ッう、ところかな……」と副島ふみが、諦めを含んだ厭世的なことを言った。
 「えッ?走るんですか。わたし、足おそいの……。どうしようかしら」と心配そうな島崎ゆり。

 そこで休憩時間を終えて、沢田ともう一人、中年婦人を連れて教室に入って来た。
 「さて、いろいろと臆測が飛んでいるようですね。しかしその臆測が、裏切られるようなことをして申し訳ありませんが、皆さんの被服指導をして下さる柿原先生です」と、品の良い婦人を紹介した。
 それ以上のことは何も語らない。婦人は銀縁の眼鏡を掛けた、洋装の麗人と言うふうで、胸に縫
(ぬ)い付けられた名前には柿原浩子・千葉市××町××番地・血液型×と記されていた。
 「柿原でございます。皆さま方の制服作製をお手伝いさせて頂きます」と短い挨拶をして終わった。
 指導すると言わず、作製をお手伝いと言ったところに、この婦人の奥床しさがあった。徳が滲
(にじ)み出ているような女性だった。

 次に再び沢田が話を始めた。
 「皆さん、これに注目して下さい。これは皆さん達に実践して是非実行して頂きたい『三つの誓い』です。
 この誓いを実行している条件において、皆さん達は、ご自分の命を生きる方の因縁に結びつけることが出来ます」と、額に入れた文章を突き出した。そこには『毅然・清潔・淑女』の三つが書かれていた。
 「あの……、清潔と淑女は、何となく分る気がします。だけど、毅然の意味がいま一つピンと来ません」
 「毅然の意味ですか、そうですね。分り易く言えば、落込んだときや悲しいとき、また苦しいとき、更には絶望を感じてどうしようもなくなったときに、姿勢を正して胸を張ることでしょうか。
 例えばせでねェ、フランス革命時のマリー・アントワネットを考えてみて下さい。
 彼女はギロチンの断頭台に上る時に、めそめそしたり、怖じけたり、足は震えたり、あるいは誰かの手を借りて断頭台への階段を上ったでしょうか。胸を張り、王家の気品を失わず、断頭台への手摺を、あたかも指でピアノの鍵盤を叩くように昇って行ったと言います。さすがマリア・テレジアの姫君です。
 つまり毅然とは、絶望に瀕しても、動ぜず、ご自分の生きた足跡に有終の美を飾ることです。前途に塞がる絶望に対し、絶望に激しく抵抗することにのみ、絶望を覆すことが出来るのです。それ以上のことは、誘導のようになってしまいますので、皆さんご自身が、自前主義とは何かを考えてみて下さい。
 では、柿原先生。私は隣の教官室に居りますので、何かあったら、何なりとお申し付け下さい」

 このようにして、彼女たちは被服指導を受けることになったのである。それも、自分の衣服は自分で縫うというかたちであり、柿原浩子
(仮名)が基本から洋裁の指導して行くのである。
 既に生地
(きじ)は用意されていて、布地は将校用の制服の生地と同じものだった。仕立服である。
 仕立てる順は第一種軍装、奇襲戦闘服、事業着の三種であり、これを午前中の授業で、一週間で作り終えることだった。
 被服指導の柿原は、予め沢田中尉から各人の体形データを受け取り、把握していると見えて、個人別に型紙を用意していた。本日の集合以前に身長・胸囲・胴回り・腰回りなどを身体検査表から把握していて、即座に製作に入れるように準備していた。そして20人を能力別に分け、四人ずつを五班にして得意とするところを担当させたのである。その指導法を人の動かした方は見事であった。僅か数時間に裁断と仮縫いまで一気に進ませてしまったのである。後は、ミシン掛けの得意な者が翌日、一気に縫い上げるという段階まで漕ぎ着けていたのである。
 そして、これらが午後2時を回った頃に終了した。その後、遅い昼食となり、食事時時間は45分だった。
 食事の一切は器並びに出来上がり食糧などを糧食班へと取りに行くのである。
 男ばかりの軍隊に、このような紅一点の集団が紛れ込むと、一瞬男どもは面食らい、どぎまぎさせる場面があったが、それがまた昼食時間の肴
(さかな)にされて、誰々がこうだったとか、誰かが色目を使ったとかの嗤(わら)いの題材になるのであった。教室からはいつも彼女達の笑い声が絶えなかった。


 ─────午後は後片付けを含めて3時から、分列行進の訓練であった。舞台が一変して“どんでん返し”が起こったのである。彼女達が思いもしない事態が起こった。午後からは分列行進で、練兵場で行われた。
 彼女らは、のろのろと躰を重そうに動かし、グズグズと、ダラダラとしていた。
 この様子を苦々しく見ていた教官がいた。
 「おい!そこの牝
(めす)ども、その歩き方は何だ!」教官はグズグズ・ダラダラに怒り心頭に来ていた。
 「まあッ、牝ですって、失礼な!……」キッとして、誰かがそう言った。
 「誰だ?!いま言ったやつは!……」オヤジは声を荒げた。
 この怒声に女子学徒の面々は、下向き加減で一斉に沈黙した。鬼ザメの前に名乗り出る勇気はない。
 彼女達は、この教官も沢田中尉と同じように考えていたから、混乱が生じて面食らつた。鬼ザメ教官を甘く見たのだ。しかしこのオヤジは、とんでもない筋金入りの鬼教官だったのである。鮫が噛み付いた。鮫の横には伍長助手の古参の上等兵
(伍長助勤)二人が立っていた。

 練兵場では三、四百メートルくらい離れたところで、初年兵の匍匐
(ほふく)する姿勢での這(は)い蹲(つくば)っての前進が行われていた。初年兵の大半は三十から四十過ぎで、もう老兵と言っていい連中だった。
 その老兵の一人に若い青年将校が、指揮刀を鞘ごと振り上げ、初年兵の肩を、繰り返し殴打
(おうだ)している光景が見られた。それが残酷に映った。
 「あのおじさん可哀想……」と誰かが吐露した。彼女は扱
(しご)かれている初年兵に、密かに憐愍(れんびん)を覚えたのである。
 「いま言ったやつ、誰だ?前へ出ろ!」怕い貌の鬼軍曹。
 辺りは一瞬静寂に包まれた。
 数秒ほどたって、「わたしです」と向井田恵子
(仮名)が一歩前に出た。
 「何処の学生だ!」
 「明治大学女子部です」
 「なに?!……」
 鬼軍曹は《女に学問はいるのか!……》という古いタイプのオヤジで、小学校しか出ていない人間には腹立たしい羨望で、昨今の世の移り変わりにも嘆いているところだった。
 鬼軍曹と言われた男は鮫島良雄といい、35歳の古参で、農家の次男坊で小学校しか出ていない。学問無用の男であった。
 要するに、このオヤジ、戦場での飯場部隊の叩き上げであった。
 普段の初年兵だったら、ビンタの一つも喰らわすであろうが、流石
(さすが)に鬼軍曹も、女子だけには手を出さないらしい。しかし鬼軍曹は目下の生意気な者が大嫌いなのである。ただ忌々しいだけであった。学問を振り翳して、小理屈をいうからである。鬼ザメは学問をする女性をそのように思い込んでいるのである。

 特に、頭の中は女のくせに……という思考が出来上がっていて、差し出口や小賢しい態度を嫌う。屁理屈を吐く、此処の集められた女子学徒が嫌いで、逆らうと容赦がないのである。
 「お前か、生意気なやつじゃのう……」と言って、じろじろを睨みつつ、「その場、腕立て30回!」と怒声を響かせた。
 「えッ?……」困惑した表情を見せた。
 「はよう遣らんか!」今にも喰い付きそうだった。
 向井田恵子は渋々腕立てを遣り出した。
 「いちィ、にィ、さん、しい、ごォ、ろく、なな、はち、くう、じゅう、じゅういち、じゅうに、じゅうさん、じゅうよん、じゅうご、じゅうろく、じゅうしち、じゅうはち、じゅうく、にじゅう、にじゅういち、にじゅうに、にじゅうさん……、ああ、もう駄目……」遂にくたばってしまった。
 「おい!牝!……。文句を言うならなァ……。高が、腕立ての30回くらい出来てから言え。
 いいか、聴け!自分は特務班の鮫島軍曹である。此処では誰もが、泣く子も黙る『鬼ザメ』といってなァ、恐れられている。戦場で八年、飯場の飯を喰って来た。いいか、戦場ではなあ、そのようなへなちょこではなァ……、そういうへなちょこから一番最初に命を失う。
 今から、お前らの弛
(たる)み切った牝豚の腐れ根性を叩き直してやる!……。
 これから分列行進を行う。今日は今日の分だけ、きっちりと勤めてもらうぞ。覚悟せい!」
 容赦のない鬼軍曹ぶりを見せた。

 鬼ザメは最近陸軍に出来た『陸軍女子通信隊』などの、女が軍隊にも進出してくるのに、日頃から腹立たしく思っていたのである。“ここぞ”と言わんげに、徹底的に扱
(しご)くつもりでいた。
 それに戦場では、女は弱い生き物である事を厭
(いや)というほど見てきた。女は犯され、淫らに凌辱(りょうじょく)される生き物だった。その悲しさを見てきた。凌辱された挙げ句、最後は無慙に殺される。
 鬼ザメが大陸で見てきた事実の中には、ある将校が占領した地域の捕虜の女達を捕まえ、それぞれ後ろから犯しながら、女の頭に拳銃を向け、絶頂の瞬間に引金を引いて撃ち殺し、その刺戟を楽しむ不届きまでいた。
 その度に《人間のすることじゃァねえ》と反吐
(へど)を吐きたい気持ちになったのである。自分にも、同じ年頃の娘が居たからである。それを知るだけに、女は、鉄砲の弾の飛んで来る場所に出ないで、銃後で、大人しくして欲しかったのである。鮫島軍曹には鮫島軍曹なりの戦場論があった。
 ゆえに鬼ザメは、ここで扱き上げて、彼女らが此処から逃げ出すことを一方で期待していたのである。
 鮫島軍曹の言えることは《早くお家
(うち)に帰りなさい》だった。一日も早く、此処から逃げ出して欲しかったのである。

 整列、気を付け、休め、右へ倣
(なら)え、回れ右、右向け右、左向け左、点呼の番号などをやった。
 特に鬼ザメは、列の乱れが気に入らず、また点呼の際の番号は1からはじまって、最終の20まで点火花火のような早さで淀みなく進まないと、「直れ、番号!」を何度も繰り返させるのである。
 戦闘組織において、全員が意志の統一を図れないうちは、その乱れが最悪の結果を招く殆
(あや)うさを知り抜いていた。迅速さに欠けば、命を失うのだ。鬼ザメはそう確信していた。
 また迅速さに劣れば、それだけ生き残る確率は低くなる。それだけに分列行進も、一糸乱れぬというきびきびしたものが求めた。のろまはそれだけ命取りなのだ。
 彼女達は初日に、余りにも乱高下の烈しい体験をして、全員が面喰らい、教練が終わった午後5時には誰もがヘトヘトであった。
 「ああ……わたし、もう駄目……」
 「わたしも、死にそう……」
 そういう聲
(こえ)が方々から挙がっていた。
 その後、教室の戻って行った。

 そのときも彼女達のダラダラした動きが気に入らず、「遅い!早く動かんか、この牝豚どもが……」と口穢く罵るのである。彼は彼なりの、愛情の裏返しであった。厳しくすれば、途中で断念するか、諦めて帰ると思っていたのである。
 教室に戻ると、沢田中尉の他に、もう一人洋服姿の女性が立っていた。ニ十代半ばの年齢であった。
 「今日の教練、ご苦労まさでした。しかし感想は聞きません。皆さんの貌を見たら、何が書いてあるか一目瞭然です。特に、今日の鮫島軍曹は不評でしたね」
 「……………」
 この不評と云う言葉を鮫島軍曹は苦々しく聴いていた。

 「さて以降、指示に遵
(したが)って、隊列を組んで、寮まで向かって行って下さい。暫く寮生活を遣って貰います。ここから歩いて15分くらいのところです。
 なお、不評続きで度々申し訳ありませんが、分列行進とともに、軍歌を歌いながら帰って行って下さい。
 では、あとは行進曲指導を笹山裕子
(仮名)先生が行います……」と、沢田中尉が笹山裕子を紹介した。
 「お前ら、なんか、軍歌の一つくらい知っとるか!……。おい、そこのセーラー服!」と、鬼ザメがお国訛で年少の娘を指さした。
 「えッ?わたしですか。えとねえ、えとねえ、えーッ〜と、『月の沙漠』!……」と苦し紛
(まぎ)れに言ったのは、副島ふみから、お子さまランチと揶揄されている島崎ゆりだった。
 「お前、軍隊をなめとるとか!」と凄い剣幕で怒鳴り上げ、喰い付かんばかりの、まさに鬼ザメだった。
 八年も外地で十字砲火の弾の下を潜り抜けて来た鮫島軍曹は、あまりの意識の違いに驚き、《何をいうか、この小娘が……》と烈火の如く怒ったのである
 「鮫島軍曹。いいではないですか、『月の沙漠』でも……。女の子らしくていい」
 「しかしですなあ、中尉どの……」
 「本来は『国民進軍歌』とか、『紀元二千六百年』とかがいいんでしょうがね、この際、『月の砂漠』でいきましょう」
 「中尉どの、いいんでありますか。もし……」
 「苦情が出たら、私が責任をもちます。構いませんよ」
 「中尉どのが、そう仰るのなら……」鬼ザメは渋々退き下がった。
 「では笹山先生、お願い致します。なお笹山先生は、ご結婚前まで、高等女学校で音楽の先生をされておりました。今回の寮母を兼ねて、皆さん達のお世話を致します。何かあったら笹山先生にご相談してください。
 では、あとは宜しく。なお、これから先、出勤と退勤のときは、小銃の兵用帯革
(へいよう‐たいかく)を腰に絞めておいて下さい。それでは配って下さい」
 鮫島軍曹以下、助勤の兵隊達の手で兵用帯革
(帯革には革の前盒左右が2個付き、実砲入れ)が配られ始めた。
 帯革は戦時下における外見からの体裁であろう。帯革をすることで、周囲の眼から彼女達への避難を和らげようとしていた。この時代、表面は何処までも軍国調でなければならなかった。
 それを受け取った副島ふみが、「うわ……ボロっちィ……。そのうえ何だか臭そう……」と指先で摘んで遠慮の無いことを言った。
 鬼ザメは《何を言うか!この御時勢だぞ》と言いたげに、苦々しい貌で歯ぎしりしたようだった。
 「そうですね、見るからにボロっちィ……。でも、皆さんの制服が出来上がるまでには新品を用意しておきます。それまで辛抱して下さい。では笹山先生、あとは、宜しくお願いします……」
 こう言って一礼をして、沢田中尉は去っていった。去って行く沢田に、鬼ザメと兵隊二人は、きびきびした室内での15度の礼をした。

 「皆さん、こんにちは笹山でございます。この中には女子大生のお嬢さんが何人かおりますねェ。皆さんの中で、ブラームスのピアノ曲とか、何か弾ける方、御出
(お‐い)でになりません?」
 そう問われて、その場が沈んでしまった。ピアノ経験者が殆ど居なかったからである。
 そこを、後ろから和津子が、良子を突き出すように《今日は沈んでばかりいないで、今度はあなたが遣りなさいよ》と言わんげであった。
 「さあ、良子さん……」
 良子が渋々挙手した。
 「そちらのお嬢さん、ピアノ大丈夫ですの?……」
 「はい」と小さく返事をした。
 「じゃァ、お願いしようかしら……。
 『月の沙漠』でしたわねェ。本来この曲は童謡ですが、人の歩調に合わせることも可能ですね。
 まァ、2/4拍子か、2/2の2拍子すれば、行進は可能ですわ。では、ここで少しばかり、お稽古いたしましょ。では、あなた、この指揮棒を持って御覧なさい」
 良子に指揮棒が渡された。
 長さ80cmほどで、直径2cmの竹竿
(亀甲模様の竹)の根の締まったところから、ほぼ真っ直ぐに伸びた指揮棒を渡し、竿の先には3:4:5の比の三角の赤い旗が付けられていた。笹山裕子は良子に事細かに指導していた。そして他は、その場で足踏みして30分ほど稽古を重ねた。
 ある程度できたところで、二列横隊の前に良子を置き、指揮をさせた。
 指揮者は竿を垂直に上げ、前90度に倒したところから一斉に足踏みとともに歌い始める。しかし、これがなかなか合わない。それぞれがバラバラで、一糸乱れないようになっていない。お互いの命は離ればなれなっていた。

 良子の頭の中には、先ほど言った鮫島軍曹の《いいか、戦場ではなあ、そのようなへなちょこではなァ、そういうへなちょこから一番最初に命を失う……》が頭から離れない。それに《一糸乱れず》の息の投合した箇所が全員には何処にも感じられなかった。《これでは駄目だ。自分達は戦場に出されれば、一番先に死んでしまう……》という不吉なものを感じた。
 「もう一度やってみましょう」笹山裕子が繰り返した。
 そして、更に30分が過ぎ、西陽は傾き、もう黄昏
(たそがれ)が迫っていた。良子は自分でも、これでは駄目だと思う。単に音楽の練習をしているのではなかった。女学校時代の音楽の授業の延長ではなかった。もう此処は立派な戦場だった。鮫島軍曹が言う理不尽な戦場だった。命を掛けた戦場だった。

 「鷹司さん、今日はこれくらいにして、あとは寮に戻ってから致しましょう」と言うのである。
 夕食の時間は午後5時30分と決まっていたからである。既に30分超過し、歩いて15分であれば45分を失ったことになる。それを気にしていたのである。この時間超過も、戦場では命取りになるのである。
 後続部隊が集合時間に僅か10分遅れただけで、支援を俟つ先発部隊が全滅していたということも珍しくなかったからである。そのことを笹山裕子は知り抜いていた。そのことを良人から聴かされていた。
 笹山裕子は二十代半ばの新妻であった。しかし良人はノモンハンで戦死した。
 それに鷹司友悳
(とものり)少佐とも、陸大(陸軍大学校)時代からの親友だった。良人と鷹司とが、脳漿を絞って智慧を併せ、早期の戦争集結を模索していることを知っていたからである。それだけに、志半ばで良人を失ったことは残念でならず、また良人の志を継いで、鷹司から“女子挺身隊”の特殊遊撃隊の話が出たとき、この話に一枚加わったのである。鷹司のプランが、決して無謀な荒唐無稽でないことを理解したからである。
 良人が生きていたとき、鷹司と沢田の三人が集まって、角を付き合わせるように烈しく議論しているところを何度となく見てきたからである。
 たからこそ、女子の特殊遊撃隊の組織造りに協力したのである。しかし、既に時遅しという観もあった。急がなければ……という気持ちが彼女は彼女なりにあったのである。

 女子学徒の彼女らが教室の外に出たとき、陽は既に沈みつつあった。
 「ねえねえ、こんな詩、知っている。『晩
(くれ)に向(なんな)んとして意(こころ)(かな)わず、車を駆(か)って古原(こげん)に登る。夕陽(せきよう)限りなく好(よ)し、只是(ただこれ)黄昏(こうこん)に近し』というのを……」と言ったのは明治大学女子部文学部の成沢あい(仮名)だった。
 「だれだれ、その詩の作者?……」同じ学部の向井田恵子
(仮名)だった。
 「唐代末期の詩人・李商隠
(り‐しょういん)の詩に『楽遊原(らくゆう‐げん)』なの……」と成沢あい。
 「夕陽
(せきよう)限りなく好(よ)し、か……。何だかロマンチック……」と感嘆の意を顕す向井田恵子。
 「そのように感じるのは短見よ。本当はね、作者の李商隠は、この詩の背後にある不吉なものを感じ取っていたの。確かに夕陽だけを見ると、斜めに傾く夕陽は美しいわ。でもね、それはあたかも、滅び行く大唐帝国の末路に重ね合わせて詠んだのよ……。美しいものの中には、こういう怕さも隠されているわ」
 「では、この詩。裏には、そう言う怕いイメージが詠
(よ)まれていたのね。何だか、負け戦をしている今の日本みたい……」と銷沈した向井田恵子。
 「さあさあ、皆さん。今日は大分時間も遅れていますから、急いで戻りましょう。寮まで元気よく行進して帰りましょうね。じゃァ、鷹司さんお願い」と寮母の笹山裕子が言った。
 鷹司良子が先頭に出た。
 「全隊、二列縦隊!」と言って、指揮棒を高く垂直に掲げた。そして「月の沙漠!」と言い放って、前方に向けて直角に下げた。
 全員は足踏みと共に「月の沙漠」を歌いながら行進を始めた。


 ─────一方、鷹司友悳
(とものり)と沢田次郎は、まだ練兵場教官室に残っていた。どうするかを話し合っていたのである。
 「沢田君、大丈夫ですか」
 「大丈夫ですよ、鷹司さん。私が直に、彼女達を三ヵ月以上も掛かって、此処に集める前から観察して来たのですから。大学や高等女子まで行って、任にあったり、普段の生活態度、学業成績など、また身体検査表などからも繰り返し検討して、最終的に20名に絞り込んだのです。彼女達はそんなにヤワではありませんよ」沢田次郎は自信をもって言う。
 「では、この中に女学校まで行かずに、尋常小学校で学業が終了している者が三名含まれていますが、彼女達はどのように選抜したのですか」鷹司友悳は不審な点を訊いた。

 「彼女達は愛国婦人会の赤坂区でしてね、これまでは芸者見習いの少女たちです。しかし、頭脳と身体能力が優れていて心身ともに健康で、惜しまれる人材です。その内容の一切を現地の卒業した小学校まで出向き、直接当時の担任に会って、これまでの様子を聞き込んできました。但し、家は貧しかったようです。
 一人は福井で、後の二人は埼玉です。また彼女らの赤坂の職場まで行って聞き込んで参りました。更に三日ほど彼女達の周囲を張り込んだでしょうか、徹底的に身辺まで調査しました」
 「それで、問題はなかったと……」
 「そうです、自信があります。これ、全員のリストです。学業成績は教務課に一部開示を求めました」
 「三人だけ尋常小学校でね……」
 「三人とも小作人の極貧と言っていいほどの貧しい農家の娘で、一人は女郎に叩き売られる寸前でした。芸者見習いに上がったの奇遇だったのでしょう。赤坂では見習いとして下働きをしていたようです」
 沢田は『臨時徴用令状』で集めた女性達のリストを見せた。

臨 時 徴 用 令 状 に 関 す る 調 査 リ ス ト

No 氏  名 年齢 学校名 身長・体重 視力(右・左) 学業 健康 家・身分









10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
鷹司  良子
中川 和津子
副島  ふみ
山田  昌子
谷  久留美
成沢  あい
有村   緑
児島  智子
向井田 恵子
鳴海  絹恵
清水  克子
青木  文恵
栗塚 さきえ
守屋  久美
宇喜田 しず
押坂  陽子
佐久間 ちえ
長尾  梅子
島崎  ゆり
室瀬  佳奈
20
20
20
20
20
19
18
18
17
17
16
15
15
15
15
15
15
14
14
14
日本女子大3年
明大女子部3年
日本女子大3年
明大女子部3年
日本女子大3年
明大女子部2年
日本女子大1年
お茶の水女大1年
明大女子部2年
愛国婦人会赤坂
実践女子愛国赤坂
政家高等女子1年
愛国婦人会赤坂
目黒高女愛国赤坂
愛国婦人会赤坂
政家高等女子1年
実践女子愛国赤坂
実践女子愛国赤坂
実践女子愛国御徒
共立女子愛国御徒
160cm 46kg
165cm 48kg
161cm 45kg
160cm 46kg
159cm 45kg
160cm 44kg
165cm 49kg
161cm 46kg
159cm 45kg
159cm 43kg
160cm 44kg
164cm 47kg
160cm 45kg
157cm 41kg
159cm 43kg
160cm 46kg
158cm 48kg
159cm 43kg
157cm 42kg
158cm 43kg
1.9 2.0
2.2 2.2
1.9 2.0
2.0 2.0
1.9 1.7
1.9 2.0
2.0 1.8
1.9 2.0
1.9 1.8
2.0 2.0
1.9 1.7
2.0 2.0
1.9 2.0
1.9 1.8
1.7 1.9
2.0 2.0
1.9 2.0
2.0 1.8
2.1 2.0
2.3 2.2



















良好
優秀
良好
良好
良好
良好
良好
良好
良好
優秀
良好
良好
良好
良好
優秀
良好
良好
良好
優秀
良好
華族(子爵)
華族(男爵)
平 民
士 族
平 民
平 民
士 族
平 民
平 民
平 民
平 民
平 民
平 民
士 族
平 民
平 民
平 民
士 族
士 族
平 民

 「そうですか、彼女達は日本の宝ですね。大事に守り、育てましょう。それに眼のいい者ばかりを、20人もよく集めたものです。よくぞ此処までと思います。戦場では眼の良さに左右されますからねェ。全員が最低でも1.7以上とは驚きです。彼女達を大切にしなければ……。日本には、こういう優れた女性もいるんだ」
 「しかし貧農の彼女達を、こういうところに駆り出して、その保障などは充分なのでしょうか」
 鷹司の気に掛けていることは、貧農と言われた子女の家であり、娘達から入る手当を当てにして生活している筈であった。それが、駆り出されたとなれば、それに対する保障である。未婚の女子の動員でも、仕事をもっているものは一般の女学生のように勤労動員に参加しなくてよかった。職についている者は免除されていたのである。それを駆り出し、徴用の名目で今から特殊任務に就かせようとしているのである。また、それは沢田の一番気に掛けるところであった。

 「それは大丈夫です。陸軍省に掛け合って、今日の一般女子の給料相当分の三倍分の俸給を出させました。
 親御さん達も不服はないでしょ。それに俸給は陸軍省からではなく、所属の置屋から直接送金をさせるようにしておきました。われわれの存在は分らない筈です」
 「憲兵と言うのは、こういうとき非常に都合がいい。誰もが私服の憲兵となると、高級将校でも震え上がりますからね。私を自由の動けるようにして下さったのは鷹司さん、あなたです」
 高級将校が、将校の私服憲兵に震え上がるのは、憲兵隊が国家機密に関わる極秘捜査をしていると検
(み)るからだ。

 自分に疚
(やま)しいところがなくても、私服の憲兵将校の存在は2.26事件以降、恐ろしい存在となり、更にこれを震え上がらせたのがゾルゲ事件だった。ゾルゲ事件に関わり、ソビエトに日本政府の機密などを流出とさせていたのは、ドイツ人新聞記者でソ連赤軍諜報員リヒャルト・ゾルゲだった。
 このゾルゲに深く関わったのが、朝日新聞記者で、東亜協同体論を主唱していた尾崎秀実
(おざき‐ほつみ)であった。尾崎は貴族院議長で、日中全面戦争期の首相の近衛文麿の懐深く入り込んでいた。尾崎は近衛から聞き込んだ機密情報をゾルゲに流していたのである。つまり、このときソ連は日本が北進策を執(と)るか、南進策を執るかでヨーロッパ戦線の将兵の割り振りに悩まされていたのである。
 当時、ソ連は快進撃をするドイツ機甲師団の前で苦戦を強いられていたのである。しかし、日本は南進策に出て南太平洋に戦線を展開すると言うことが分ると、ドイツのみに戦力を集中させることが出来た。また、当時の関東軍の実力のほども充分に承知していたのである。容易に満洲には攻め込めなかったのである。

 「君を法務省から憲兵隊に引き抜いたのは、正解だったようですね……」
 「鷹司さん、それにしても笹山
(笹山大二郎少佐。裕子の良人で、鷹司友悳の陸大時代からの親友だった。ノモンハンで戦死した)さんを失ったのは痛いですね」
 寮母である裕子の亭主だった笹山大二郎も、研究会の三羽鴉
(さんばがらす)で、『タカ計画』の立案中だったのである。
 それに鷹司も、人事に関しての影響力は当時微弱だったために、ついに笹山をノモンハンに出兵させて戦死させてしまった。今でもそれを残念に思っていた。『タカ計画』はそれだけ遠退いてしまったからである。
 「いまでも、あと半年早ければと思いますよ」

 「そうですね、笹山さんを失ったのは痛恨の思いですね。人事局のバカどもに、いいように使役されていましたからね。そのうえ日本の軍首脳は陸海軍ともは、ビンタ主義の上等兵のレベルで戦争指導をしていますからね、勝てる訳ありません。この時代、精神主義で近代戦を戦うことは土台無理なんです。そのうえ米国は大量の焼夷弾を雨霰のように高高度の上空から降らせて悠々と去って行く。空襲で罹災した地上は火の海……。
 もうこれだけで、心理戦には敗れています。
 日本国民全体は、純真無垢で、そのうえ小人かつ小心ですからね。それは隣同士で疑心暗鬼を生む。
 体裁よく“隣組制度”といっても、互いに監視し合う“ちくり屋”ではありませんか。庶民とは所詮こう言うものですよ。見ている世界が小さいから、大衆娯楽に傾く。大衆娯楽、つまり映画や野球や相撲などが、平時で順調に大衆に提供されている時は、あまり騒がないし、問題も起こらない。ところが、平時が戦時になった途端、まず物資が欠乏し、国家予算の大方が軍備に廻される。福祉など構っている暇がない。これまでの価値観が一変します。それが下克上並みの逆転です。価値観の違いが逆転してしまうのです。
 民意は当然反戦に傾きますよ。だから、戦争と言うのは速戦即決が肝心。しかし軍首脳はこのことが分っていない。速戦即決が出来なければ、戦争は絶対に遣ってはならない。
 ところが軍首脳は、快進撃だった日中戦争初期の、あるいは日露戦争当時のレベルで、旧式の戦法を展開しています。万歳突撃なんて愚の骨頂。所詮上等兵レベルで、米英の戦略に長けた教養人である政治家には、日本人レベルでは勝てません。最初から歯が立たない。
 そのことを一番よく知っているのが、海軍の水交社や陸軍の偕行社の一握りのエリートではないですか。
 彼ら、エリート集団は底辺の愛すべき庶民の微生物の命など、何とも思っていませんからねェ。
 世の中は賢者によって政治は指導されていない。動かされてもいない。愚者どもの欲で政治は引き摺られ、そのうえに世論が重なって来ますからね。それを巧く利用して、頂点から牛耳っているのが一握りのエリートです。底辺の微生物が生きようが、死のうが全く念頭にない。もう、こうなると国家の横領ですよ。
 その証拠に、もう戦う前に、欧米に身売りしている。そのうえ、その下も聡い者は右へ倣えですからね、どうしようもありません。軍隊官僚のいいように扱われていますなァ。好き放題です。
 鷹司さんのお知り合いで誰かいい人、おりませんか」

 「それだよ。しかし今度、君も私も一階級ずつ昇進して、君は大尉になります。これまでより少しは動き易いでしょう。それに私も参謀本部の作戦課に加わって、戦争の早期終結に奮闘します。そこでですね、参謀本部外事課に、米国ウェストポイントに留学経験のある来栖恒雄
(少佐)君が居ます。陸大時代の同期です。
 彼だったら連合国軍の事情にも明るい。既に、われわれの計画に加わってもらう話しがついています」
 「そうですか。じゃァ、私も私服憲兵に物を言わせて、無能な将官どもを突ついて震え上がらせますか」
 将官や佐官は、私服憲兵に弱いのである。
 それに海外経験の長い、欧米人の生活様式を身に付けた沢田次郎のような男のは、口頭質問などにおいても震え上がるような恐怖を覚えるのである。これはイギリス諜報部などの遣う話術であった。
 更に、言葉が丁寧
(ていねい)なだけに、却(かえ)って何か秘密を握られているのではないかと疑心暗鬼に陥るのである。憲兵政治の怕さである。
 影で憲兵が暗躍することは、こうした冥
(くら)い影を投げ掛け、人々を不安に陥れるのである。秘密警察の暗躍がそのような現象を起こしていたのである。
 このことを一番能
(よ)く知っていたのが、ヒトラーだった。走狗に使ったのはゲシュタポGestapo/秘密国家警察)だった。
 ヒトラーこそ「戦争は欺瞞
(ぎまん)である」と言わしめ、政治の延長に戦争が絡むと、こうした恐怖政治を誘発することを知っていたのである。そのことを、また沢田次郎も能く知っていた。ゆえに私服の憲兵将校として、闇の中を暗躍するのである。よりよい負け方をするためにである。

 「明日、来栖君が此処に遣って来ます」
 「では私も、鷹司さんにお願いがあります」
 「何ですか」
 「いま豊橋の歩兵第十八聯隊に、橋爪という老兵がいます。最近、召集されたということで、二等兵として新兵教育を受けています。この漢を、こちらに呼び出して下さい」
 「その老兵とは、何歳ですか」
 「そうですね、かれこれ40歳になりましょうか」
 「40歳にもなって召集ですか。日本の軍部も随分馬鹿げたことをしますね」
 「だから呼び出して欲しいのです。この漢、もとは東京帝大の経済学部の助教授でした。本来は召集を受けない高文官でした。ガチガチのマルクス経済学に嵌まっていて、今も、その虚構の夢から醒めていません。
 また、現在もアメリカ共産党員でもあります」
 「凄い経歴を持っていますね、アメリカ共産党員ですか」
 鷹司友悳
(とものり)少佐は呆れるように言った。しかし決して否定的でない。柔軟な思考力があった。
 「だからこの凄さが役に立ちます。特務班の鮫島軍曹の従兵として付けてやって下さい。
 本日、二一〇〇
ふたいち‐まるまる/午後9時)付けで、豊橋聯隊本部に軍の至急伝を打ち、明朝〇五〇〇まるご‐まるまる/午前5時)までに『笹山旅館』に必着するよう出頭命令を出して下さい。
 なお下士官の従兵になるには『従兵規則』で、一等兵以上となっているので、彼を本日付けで、一等兵に昇進させ、大至急出頭させて下さい」
 「しかし、国鉄では無理でしょう。汽車では早くとも明日の昼過ぎになってしまいます」
 「だから、お願いしているのです。参謀本部命令で、豊橋の陸軍航空隊の便に搭乗させれば、羽田には早朝に到着します。それから陸軍の輸送隊の車に乗せ、『笹山旅館』まで送らせればいいのです」
 「しかし、随分と無茶ですね」
 「無茶だから、あなたにお願いしているのです」
 「分りました、それは約束します」

 東京憲兵隊の沢田次郎中尉は、参謀本部の鷹司友悳少佐の密命を帯びているが、この地の召集した女子学徒達を、命令で強制させる気持ちは毛頭なかった。何処までも、彼はイギリス流の紳士であった。
 やんわりと包み込み、話術で説得する才に長けていた。また、そこを買われていた。
 彼の生まれは極貧である。幼児期に棄てられたと言う。
 極貧と言うより、もともと捨て子で、伯爵・沢田翔洋
さわだ‐しょうよう/仮名)氏に拾われた人物だった。
 子供の居なかった養父翔洋は、次郎を養子に迎えた。次郎は幼少より、神童ぶりを発揮した。小学四年までを学習院初等科で学び、翌年、翔洋は次郎を連れてイギリスに渡った。以降、英国で育ち、そにケンブリッジ大に進み、更に帰国してから東京帝大法学部から高文官試験に合格し、高級官僚として法務省に入省した。その後、鷹司友悳から引き抜かれて東京憲兵隊の憲兵中尉となった。
 身分は司法資格を持つ陸軍法務官であった。憲兵隊の隊長も、彼には頭が上がらないのである。
 この沢田の才を日頃から高く買っていたのが、陸大出身の参謀本部の鷹司友悳だった。友悳はドイツ駐留武官補佐官の経験を持っていた。

 その頃、ナチス独逸
(ドイツ)の信管が「ペーパークリップ作戦」で、これが米国に移動して、ナチス独逸の技術者が加担したこと情報を入手していた。米国FRBがナチス独逸を支援して、貸付金を回収するというペーパークリップ作戦を知っていたのである。広島に投下されたリトルボーイは、ペーパークリップ作戦で完成された原子爆弾であった。
 原爆の日本投下までの極秘情報を掴んでいたのである。どうしても投下される前に、よりよい負け方の構図を作る必要があった。そのために鷹司友悳少佐は粉骨砕身して、沢田次郎中尉と共に、早期終結策を着実に実行していたのである。
 ただ誤算があるとすれば、本土決戦を昭和20年9月初旬と見込み、万一投下される場合は、その一週間前と見込んでいたのである。そのため、同年の8月15日から25日前後に、何らかの大きな本土への攻撃があるのではないかと予測していた。

 一方、中国大陸では蒋介石に許には独軍顧問団が派遣され、米国は蒋介石の顧問として情報戦に参加し、フライングタイガー米空軍義勇軍が上海事変を演出し、空爆下の路上に子供が泣き叫ぶ写真をライフ誌に載せて世界に配信されて、それが上海から南京追撃戦となり、南京大虐殺が演出されたことの情報まで掴んでいた。
 ところが、こうした重大情報を、日本陸海軍部の戦争指導者たちはどう処理するか、処理については全く無能で、結局、握り潰すという愚行に終止した。戦争終結の模索の道を無策のまま手を拱いていたのである。
 ナチス独逸の不可解な行動に振り回され、大使館などの情報を入手しながらも、その処理能力がなかった。
 多くの情報を入手しながらも首脳部は国際政治で、有効に利用する方法を知らなかったのである。既に情報戦では負けていたのである。
 これに地団駄を踏んだのが鷹司友悳少佐だった。日本の負け戦を充分に把握していたのである。そこで子飼の沢田次郎中尉に協力を求めた。彼の頭脳に肖
(あやか)ろうとした。
 また沢田は、敗北に向かう日本の戦争終結の方法を模索し、上手な負け方をするにはどうしたらよいか、鷹司友悳と共に研究し続けていたのである。それが一縷
(いちる)の望みを賭けて、有能な女子学徒を募り、彼女らに『よりよい負け方の指導』を教授するつもりであった。
 自分の持ちうる限りの話術を使って、彼女らを説得しようと考えたのである。
 女子武装隊のプランを持っていた鷹司少佐は、沢田の話術に賭けた。彼女らを高等訓練して、遊撃隊に遣おうとしていたのである。


 ─────笹山裕子は女子学徒達を引率して宿舎へと帰って来た。
 「此処ですのよ、今日から此処が、皆さんの寮になります」
 そこは和洋折衷の、ホテルと日本旅館が同居していた。あたかもフランス建築に検
(み)るバロック様式の風格があり、一方で、しっとりとした日本風の落ち着きがあった。
 「うあッ!……すごい……。あんな立派なグランドピアノがある……」と有村緑の驚嘆。
 広々とした一階ラウンジ横には、グランドピアノが置かれていた。このラウンジは、その横の大食堂と繋がっていた。
 「まあ、素敵なところ……。まるで帝国ホテルを少しばかり小さくしたような旅館ですね」と押坂陽子。
 「此処、本来は主人が跡継ぎでしたのよ。でも、ノモンハンで……」
 「ご主人、戦死されたのですか」と副島ふみ。
 「ええ、残念ながら……。でも、主人の志を継いで、鷹司さんと沢田さんの計画に加わったの……。
 さあ、皆さん。これからゆっくりとお風呂にでも入って、お食事でもしましょ。話はそれからです。
 それに皆さんは三人ずつ一部屋で、これを七部屋に分けさせてもらいました。ロビー横の掲示板に名前とお部屋の番号を張り出していますから、名前の通り一組みになって好きなように利用して下さい。あとは支配人と案内係が、皆さんをお部屋まで案内します」
 「うわッ……、素敵な旅館。女学校時代の修学旅行を思い出すわ、夜寝るとき枕投げしませんこと」とはしゃいで言う谷久留美。
 「バカね、わたしたちの部屋は大部屋じゃないの。それぞれが三人ずつの個室なのよ。三人で、どうして枕投げできるのよ。三人だけでは面白くないわ。あれは大勢で一斉に遣るから面白いの」と遣り返す副島ふみ。
 大学生は女学校時代のことを思い出し、現役の高等女子の生徒は、小学校の修学旅行時の枕投げ以外経験が蘇ったようだ。果たして女学校の枕投げとは、どういうものだったのだろうかと想像するばかりだった。
 此処に徴用された女子学徒の年齢差は六歳であった。
 「ねえねえ、みんな。此処のお風呂、露天風呂もあるそうよ。案内図に大浴場の他、露天風呂もあって、それぞれのお部屋もバス・トイレ付きですって……」と山田昌子。
 彼女達は修学旅行にでも遣って来た、少女のようにはしゃいでいた。ひと時の娯楽が訪れていた。
 入浴、食事、そしてお喋り……。どれも彼女達にとってはエネルギー源であり、明日の活路力になり得た。

 「うおーッ……、これは何だ何だ?……。まるでディナーじゃない」《この物資難のときに……》と仰天する副島ふみ。
 大食堂には接客係の男女が控えていて、年配の支配人が「よくいらっしゃいました」と頭を下げ、席まで一人ひとりを案内するのであった。
 それから暫く遅れて、寮母の裕子に案内されて、鳴海絹恵、栗塚さきえ、宇喜田しずの三人が入って来た。
 「おい、きみたち、なんとセーラー服ではないか。今までのモンペはどうした?」と副島ふみ。
 「あの……、裕子先生が、わたしたちに……」鳴海絹恵が口を澱
(よど)ませた。
 「その制服、わたくしが、かつて勤めていた女学校からお借りしましたの。だって、このお嬢さん達、モンペに竹の下駄でしょ。何かと、ちぐはぐと思って、用意させて頂きました。あなたたちの制服が出来上がるまでです。一週間後には出来上がると言うことを、被服の柿原先生から聴いております。
 あなた達は沢田中尉さんから選ばれたのですもの。日本が、よりよき負け方をするために、わたくしも、あなた達と一緒にお手伝いさせて頂きますわ。
 今日は初日です。初日くらい、ちゃんとしたお持て成しで歓迎します。何も御座いませんけど、どうぞ沢山召し上がって下さい。それでは始めましょう」
 席に着くと接客係がウエーターになりウエートレスになる。その動きはレストランのそれであった。

 このとき良子は思った。これは兄が仕組んだものなのか。
 召集した此処の全員を取り入り、自分の計画を実行するために、沢田中尉を走狗に遣い、それに京都に棲んでいた頃の、退役した兵頭仁介までを准尉に返り咲かせ、何から何まで使役しているのではないかと……。
 こう考えると、良子は背筋が寒くなる思いがした。そして、一体兄は何を企んでいるのかと思うのだった。
 苦悶と疑念は良子の心に徐々に広がって行った。
 良子にとって、こういう食事は子供のときから見飽きた風景であり、それは和津子も、佳奈も同じだっただろう。兄の思惑に懸念を感じていた。

 その後、本日の最後として、分列行進と合唱の指導を寮母の裕子から受けた。ピアノ演奏での『月の沙漠』のコーラスで和音の付け方を教わった。聲
(こえ)の質と音程で、担当音域も決めてもらったのである。
 更に、フルートが二本あると言うことで、楽譜の読めて、吹奏楽の経験がある成沢あいと児島智子の二名が選出された。そして前奏部分を教わっていた。フルート演奏は彼女らが担当することになった。
 この夜はフルートの二重奏が館内の隅々まで響き渡って、眠りの前の癒しのひと時を作っていた。
 そして、徴用第一日目は何事もなく終えた。午後10時消灯。



  運気     八門人相     房中術     癒しの杜     菜根譚     小説     会報Back No.     合気     蜘蛛之巣伝     死の超剋     霊的食養     心法