運気 八門人相 房中術 癒しの杜 菜根譚 小説 会報Back No. 合気 蜘蛛之巣伝 死の超剋 霊的食養 心法
続 壺中天・瓢箪仙人 1
続 壺中天・瓢箪仙人 2
続 壺中天・瓢箪仙人 3
続 壺中天・瓢箪仙人 4
続 壺中天・瓢箪仙人 5
続 壺中天・瓢箪仙人 6
続 壺中天・瓢箪仙人 7
続 壺中天・瓢箪仙人 8
続 壺中天・瓢箪仙人 9
続 壺中天・瓢箪仙人 10
続 壺中天・瓢箪仙人 11
続 壺中天・瓢箪仙人 12
続 壺中天・瓢箪仙人 13
続 壺中天・瓢箪仙人 14
続 壺中天・瓢箪仙人 15
続 壺中天・瓢箪仙人 16
続 壺中天・瓢箪仙人 17
続 壺中天・瓢箪仙人 18
続 壺中天・瓢箪仙人 19
続 壺中天・瓢箪仙人 20
続 壺中天・瓢箪仙人 21
続 壺中天・瓢箪仙人 22
続 壺中天・瓢箪仙人 23
続 壺中天・瓢箪仙人 24
続 壺中天・瓢箪仙人 25
続 壺中天・瓢箪仙人 26
続 壺中天・瓢箪仙人 27
続 壺中天・瓢箪仙人 28
続 壺中天・瓢箪仙人 29
続 壺中天・瓢箪仙人 30
続 壺中天・瓢箪仙人 31
続 壺中天・瓢箪仙人 32
続 壺中天・瓢箪仙人 33
続 壺中天・瓢箪仙人 34
続 壺中天・瓢箪仙人 35
続 壺中天・瓢箪仙人 36
続 壺中天・瓢箪仙人 37
続 壺中天・瓢箪仙人 38
続 壺中天・瓢箪仙人 39
続 壺中天・瓢箪仙人 40
続 壺中天・瓢箪仙人 41
続 壺中天・瓢箪仙人 42
続 壺中天・瓢箪仙人 43
続 壺中天・瓢箪仙人 44
続 壺中天・瓢箪仙人 45
続 壺中天・瓢箪仙人 46
続 壺中天・瓢箪仙人 47
続 壺中天・瓢箪仙人 48
続 壺中天・瓢箪仙人 49
続 壺中天・瓢箪仙人 50
続 壺中天・瓢箪仙人 51
続 壺中天・瓢箪仙人 52
続 壺中天・瓢箪仙人 53
続 壺中天・瓢箪仙人 54
続 壺中天・瓢箪仙人 55
続 壺中天・瓢箪仙人 56
続 壺中天・瓢箪仙人 57
続 壺中天・瓢箪仙人 58
続 壺中天・瓢箪仙人 59
続 壺中天・瓢箪仙人 60
home > 壺中天・瓢箪仙人 > 続 壺中天・瓢箪仙人 19
続 壺中天・瓢箪仙人 19

現代人は何故思考力が鈍ったか。
 一つには多忙があり、また仕事が面白くてたまらない場合、人間は仕事以外に考えなくなる。それに陥り易いのは科学系の従事者、技術系の従事者らであり、多忙の時代その傾向は益々強くなっているようである。

 仕事が面白い。結構な事だ。しかしそれと引き換えに、何を手に入れようとしているのだろうか。
 多忙が作り出す「物」であったのではあるまいか。
 物に追われる生き方を選択し、物を追求する労働が「多忙」であった。多忙によって、誰もが忙しく働き続ければならない。そして経済を第一優先課題にしてしまう。
 だか、それは眼に見える部分に過ぎない。金銭や物質的豊かさが価値判断の基準となり、自分の欲望を刺戟してくれるものだけに生き甲斐を見出そうとしたのである。
 これは精神的支柱の「芯
(しん)」が奪い取られる結果を招いた。


●ホイトウ然

 平成3年11月頃から、私のところに来る来客者は徐々に殖え、12月になると更に殖えた。半ばを過ぎたことから頻繁になった。この半分は武術雑誌『秘伝』(BAB)や『大東流合気武術』part1および2(愛隆堂)をはじめとしてビデオの『大東流合気武術』(BAB)の影響と思われた。
 しかし、この種の物には訣別を告げようとしていた。そして、いま一番の関心の的は、佐藤一斎の『言志四録』の一節であった。次にように論じている箇所こそ、私にとっては重要課題であった。

(わか)くして学べば、壮にして為(な)すあり
壮にして学べば、老いて衰えず
老いて学べば、死して朽ちず

 ここに「学ぶ」という深い意味がある。それは「学ぶ以外ない」と解することが出来るかも知れない。人は学ぶ中に人生がある。この中で最も重要なのは、「老いて学べば、死して朽ちず」のこの箇所である。
 そうならないためには、老いてもなお学び、生涯「学徒」という気持ちを崩してはなるまい。老いても学ばねばならない。楽の上に安座してはならない。苦学の気持ちを忘れてはなるまい。
 では、人は何の為に生きているのであろうか。あるいは何の為に、人は働いているのであろうか。
 単に生活のために働いて、喰って、糞して、セックスして、寝て、それだけで終わりの人生を歩いているのだろうか。
 私は、そのように考えられない。もっと深い意味があるように思う。そういう肉体現象は末節的なことだ。
 もっと深い意味があるのである。人生は、最終結果として「老いて学べば、死して朽ちず」の意味が最も大きいと思うのである。精神的思考を追っているからである。思索することで、出来るだけ長く肉体を維持出来るからである。これは歳を重ねなければ分らない。

 老いて学べば、死して朽ちず。
 この一行は、当時、私の心の中に楔
(くさび)のように撃ち込まれ、今も撃ち込まれてそのままである。それだけ、この言葉が強烈であり、然(しか)も新鮮であった。
 つまり最後のラストスパートである。老いて学ばねばならない。
 もうこの当時、「老いて学べば、死して朽ちず」の課題に取り組んでいた。
 男は42歳の厄年を超えれば、人生の折り返し点に立つことになる。ここからは下り坂だ。下り坂に下り坂の降り方がある。
 習志野での残された時間は、そういう人の出入りも、集中していた。毎日の陳情団然として来訪はうんざりだった。こう言う時期に、12月半ば過ぎは人の出入りが頻繁だったのである。朝早くから夜遅くまで、まるで陳情団のように、人が押し掛けて来ていた。
 その中でも際立ったのが、鷹司家から遣わされたと言う室瀬佳奈というご婦人がいた。全身から気品漂う、ご婦人だった。歳の頃は五十半ば過ぎか六十前くらいの人で、主家・鷹司の侍女頭と言うことであった。このご婦人は、何からの密命を帯びているようだった。

 この日、私の応対はこのご婦人の話を聴き、要請に応えることで午前中を費やされた。
 一目見て、このご婦人はどういう人なのか一目瞭然になった。格が高い。
 どこか明らかに庶民とは違う、上層階級の人であった。しかし、私は最初、このご婦人が鷹司家から遣わされた人とは知らず、ボロの半纏を着たまま適当にあしらったことがあった。
 こういう人が来ても怯
(ひる)みはしない。怯まないから遜(へりくだ)りもしない。遜らないから無礼にもならない。常に誰の前に出ても毅然とした態度は崩さない。人間は身形でないからだ。
 かの原憲を検
(み)れば一目瞭然であろう。礼を尽くして胸を張ればいいのである。
 庶民と言うのは、突然身分の高い人に接したり有名人に接すると、途端に気後れしてしまい、莫迦
(ばか)に遜るものである。小人ならば尚更、それが習いの性(さが)となって、遜り、これが却(かえ)って無礼を働くものである。ところが、これを無礼と思わないものが多い。
 そう言う礼の何たるかが分りかけて来たときだった。

 12月に入ると来客の多さに閉口し、私と言う人間は、自分の着ている物などの身の回りに構わなくなっていた。ボロの綿入れ半纏を洗濯もせず何日も着込んでいると言う有様であった。髭も剃らず、洗顔も歯磨きも適当にというズボラになり、半纏の下の着ている物と言えば、稽古道衣にボロの野袴という出で立ちで、見るからにホイトウ然だった。銀座には呑みに行けないし、そういう大忙しの状態であったので、形振り構わなくなっていた。
 家内からは「その匂う半纏洗濯しますから、別の物に着替えたらどうですか」と言われながらも、同じ物を着込んで離さないのであった。穢れた垢
(あか)にすら愛着があった。風呂に行けと言われながらも、それが億劫で面倒だった。況(ま)して髭を剃ること自体面倒で無精髭を生やしていた。何処から見ても、立派な乞食だった。
 それに、着替えれと言われた綿入れ半纏からは、一部が綻
(ほころ)びたり破れたりして、綿が食(は)み出していた。いつも「着替えて、繕う」と言われながらも、何故か同じ物ばかりを着ていたのである。此処まで穢くなれば、何処から見ても立派なホイトウだった。性格は至って“ぐうたら”である。
 こうなると、何故か哀愁を感じて、山頭火と一体型になるのである。
 山頭火の句に「ホイトウとよばれる村のしぐれかな」というのがある。

 行乞僧・山頭火は、何処へ行っても乞食扱いだった。そして鉄鉢
(てつぱつ)を捧げた乞食坊主は、誰が見ても“お貰い”に映った。
 乞食坊主が来ると、道々、子供達は遠巻きにしながら「乞食が来た、乞食が来た」と囃
(はや)し立てた。道を擦れ違う際、子供達は笠の下から山頭火の貌を覗き込もうとした。
 しかし、このときの心境を山頭火は、自分では物貰いとも、托鉢僧ともなんとも要領の得ない自分の心境を愧
(は)じてはいるものの、「乞食が来た」と言われればやはり寂しいに違いなかった。自分は一介の乞食坊主と思う。そして自身でも頷(うなず)くのである。ああそうか……と。
 また、自分でも頷き、納得する以外なかった。

 さびしい鳥よちちとなくかこことなくか 

 ある小さな料理屋の前に立った。その店内の階段の横で鏡台を前にして、酌婦が化粧しているのを見る。その酌婦は髪を撫
(な)でたり、化粧をしたりしていた。
 この酌婦は玄関前で山頭火が観音経を読経しているのに気付いている。また酌婦は山頭火が読経を上げているのを断わりもしない。「あっちへ行け」とも言わない。そして相変わらず化粧に余念がなかった。
 この女性は断わりもしないくせに、そうかといって喜捨してくれる様子もない。酌婦は横目でちらちら山頭火の方を見つつも、ただそれだけだった。このしたたかさに山頭火は根負けして、その場を去った。
 次に、ある店の前に立った。
 そこには老婆が居た。読経を始めると、老婆は何やら抽き出しの中を探し始めた。断らないのでそのまま読経を続けた。老婆はそれでも抽き出しの中を探し続けていて、托鉢僧が店前に居て読経をしている関係上、何か喜捨したいのであろうが、探している物が見付からないらしく、気の毒そうな貌をして、一方で探し物をしていたのである。そして漸
(ようや)く見つかった。それを持ってきて鉄鉢の中に入れてくれた。“ちゃりん”と軽い音がした。
 山頭火は、さて幾らくれたのだろうと中を覗くと五厘銅貨だった。「厘」という単位は、貨幣の単位で、円の千分の一、銭の十分の一である。極めて少額だった。
 そして山頭火は思う。この婆さまは、かつて何処かで拾った五厘銅貨のことを思い出して喜捨してくれたのだろう……と。
 更にこの婆さまは、たった五厘で極楽に行くつもりりだろうか……と。
 人は、銭金
(ぜにかね)ではないと言う。
 ところが、五厘とは如何に……。そこに疑念が疾る。乞食坊主を見て、それなりの施しからがあろう。

 人それぞれに貧しさがあり、その貧しさには物質的貧しさばかりでなく、精神的な貧しさも含まれていたのであろう。
 そういう私も、貧しかった。その貧しさは清貧などとは程遠く、赤貧を通り越して濁貧だった。
 身形も形振り構わずになっていたから、心までも貧しく、既に仏道で言う「無財の七施」の身施を犯していた。見るからに不潔な身形で迷惑を掛け、清潔に保つことを怠っていたのである。濁貧の証拠である。
 毎日の来客者で、うんざりしていたのである。
 そういうときに、ある若僧が訪ねて来た。人を見下す青二才である。
 そのときも相変わらずボロを纏っていた。塾前が悪ガキの捨てゴミで散らかり捲っていた。掃除をしなければと思い、玄関前を箒で掃いていた。こういう些細な、僅かながらの作業も、“五厘程度?”の役には立っているだろう。
 若僧は掃除をする私に注目した。
 すると、この若僧、「ねえねえ、おじさん、ここに曽川先生って言う人、居るだろう?……いま居るかいかなあ?」と訊くのである。
 「さあ、どうだろうか。居ないだろう。何しろ極楽トンボで、あたり構わず飛び回っているからなァ……」
 「だったらさあ、オレ、こういう者だけどさあ。先生が帰って来たら、此処に電話してくれるように恃
(たの)んでくれないかなァ。いいだろ、おじさん」
 「ああ、いいよ」と安請け合いした。
 若僧は帰って行ったが、名刺を見ると「新潮社○○編集部 本庄○○」と印刷されていた。だか、この名刺はゴミ箱へ直送した。
 私には患わしくてどうでもいいことであった。
 若僧が帰った後、はて!……と気付くことがあった。思わず膝を叩いてしまった。
 それはボロを着ていると、人は見下すということに気付いたのである。ホイトウ然とすることこそ、人物評定の決め手であると感得したのである。そこで、“いいことを思い付いたぞ……”となり、ボロを引き摺ることを思い付いたのである。
 したがって誰が見ても、乞食然と思えるこのスタイルは、人を欺
(あざむ)く秘訣だと感じたのである。おそらく津村老人も、その手を使って敵対者を欺いているのかも知れなかった。
 欺くことこそ、兵法で言う「詭道
(きどう)」だったのである。そして、このとき「欺く愉しさ」を知ったのである。

 ご婦人が訪ねたときも、私は欺いていた。いや、そのつもりだと思い込んでいた。
 「あの……ッ、もし」
 「はあ?、なにか……」
 「曽川先生は、ご在宅でしょうか」
 「さァ……」恍
(とぼ)けてみせた。
 このご婦人は、無精髭を生やして、ボロを纏う、私をどう見たのだろうか。
 「先生、いま居
(お)られませんの?……」
 「何しろ、極楽トンボですからなァ……、人間のクズですよ」
 「あなたは?……」
 「ご覧の通り乞食です。路上で拾われて、お情けで、ここの下足番に雇ってもらっています」
 そう言った私の貌を、婦人は正視した。しげしげと睨
(にら)んでいた。それは《果たしてそうかしら?》という鋭い眼光だった。炯々(けいけい)としたものを感じた。
 さて、この眼力を騙せる仰
(おお)せるか。
 「ご冗談でしょ?……。だって乞食に見えないのですもの」
 「そう言って頂くと有難いですなァ。しかし乞食です」
 「嘘でございましょ!」
 そう言い放った鋭い言葉の中には、真意を見抜く人物鑑定眼あったようである。
 このご婦人のように格が高く、礼を身に付けている人は、即座に人物評定して簡単に見抜くようだ。
 一方、礼を身に付けておけば、かような格が高い貴人にあっても、無用にぺこぺこ、米搗バッタように頭を下げ続ける必要はない。毅然としておればいい。
 しかし、根比べなら負けはしない。
 「天下の乞食です、100%正真正銘です」
 「かようなご冗談の遣り取りに付き合っている暇、御座いません」見抜いてしまっていた。もうこれ以上、隠せ仰せない。正体はバレてしまっていた。

 「申し訳ありませんが、このゴミ、片付けて参りますのでしばらく……」
 塵取りに寄せ集めたゴミを持ってゴミ箱に行く途中だった。
 そこへ本日の午後からの担当の真弓が遣って来た。余すところ、此処での授業はあと数回で終わる。日にちもそんなに残されていかなった。彼女は早めに来て、いつも家内と打ち合わせをするのである。そのために午前中に遣って来る。
 婦人は真弓の貌を見て、はッ!としたようだった。奇遇にも鉢合わせになったのである。
 「お嬢さま!……」婦人はびっくりしたようだった。
 「佳奈さんこそ、どうして?」
 佳奈と呼ばれた女性は、真弓が此処で講師をしていることを知らないようであった。
 「あたくし、此処の塾の講師ですの」
 「えッ?……、ではこちらは?」
 「先生ですよ、曽川先生」
 「えッ?、えッ?……、どうしましょう……」
 「この先生、人が悪いでしょ。よくこれで騙されますのよ、だからなかなかの狸なの」
 「えッ……ッ、その狸に何か御用でしょうか?」と低姿勢で切り出した。
 私には一つの確信があった。礼を身に付けておけば、人間は上に行くほど、その人の礼を検
(み)る。そして退(さ)がるか、譲るかは、相手の自分の位置関係が明らかになれば、礼によって自ずと判断出来る。この判断を、人間は位置関係の高い程、容易に見抜くのである。眼力の凄さである。

 「わたしは室瀬佳奈
(仮名)と申します。本日は急な用で……、先ずこれを」と言って結び文を渡した。
 開くと、「本日午後4時、お迎えに上がります。鷹司良子」とあった。
 以前より、鷹司良子氏からは“検
(み)たら直ぐに処分を”と言われていた。この決まりを破るわけにはいかない。
 「火、火、火……。ライター、ライター」と言ったら、真弓がすかさずバックからライターを出した。見ると高級なジッポーの赤いライターだった。彼女は喫煙の習慣はなかったが、時々こういう事態に備えて普段から用意しているのであろう。
 極秘文書は焼却処分しなければならないのである。残されない。また拾われたり、ゴミ箱の中を探されて誰かに見られる恐れがある。至る所に監視の眼があるのである。こうした様子すら視られているかも知れない。
 こうした監視下では、家の中であろうと、外であろう同じだった。むしろ外で、焼却処分する方が余計に見られるが、監視者は何が焼かれたか内容までは分るまい。私としては、「何かを検て、それを焼いた」というイメージ付けの、こちらの方を監視して欲しかったのである。兵は詭道なり。この道の定理である。
 「あの……」室瀬佳奈氏は、まだ何か言いたそうであった。
 「まだ、狸に何か御用でしょうか……」
 「少しばかり、お時間を……」
 「構いませんよ、佳奈さん。この先生、半分は粗大ゴミですから。それにねェ、お酒さえ出せば何処でも蹤
(つ)いていらしてよ。何時間でも、時間作れますから……。どうぞタヌキの置物は好きなところに持っていらして下さい。毎日、極楽トンボですから。時間だけはたっぷりあります」
 婦人は苦笑した。
 家内は、おそらく真弓と、私の悪口を有りっ丈吐き出して互いに悪評を並べ立てるのである。一つのストレス発散であった。仲良くなり打ち解けて気心の知れた者とは、こう言うことを互いに並べ立てて、普段から腹に思っていることを散々並べ立て悪罵を付くのである。こういう悪評を傍で聴いていると、また面白いものである。逆にそれだけ信頼されているのかと、安堵すら覚えるのである。普通、人間は夫婦であっても、そこまで言わないからである。それが手の取るように分かり、悪態をつかれているのは、信頼の裏返しであった。
 私をタヌキの置物と言ったり、半分は粗大ゴミだなどと言う真弓も、それだけ打ち解けて信頼が起こり始めているのだろう。口先の徒だけではない、私の「損する余裕」が分り始めて来たのだろうか。

 「では、さっそくのお誘い、有難く。さて……、居酒屋にでも行って、陽の高いうちから、酒でもかっ喰らいますか……」
 酒でも喰らわねばエンジンが掛からない。殆どアル中だった。何処も彼処も毀
(こわ)れていた。正常なものは殆ど残っていない。修復は難しかった。粗大ゴミがいいところだろう。
 そう思わねば、「今」を乗り切れない気がしていた。狂人化することにより、何とか乗り切れそうだった。小心なのだ。
 婦人は蹤いて来た。
 話を聴くために、朝っぱらから奇妙な行動に出た。こうした行動自体、奇妙なだけに監視側も、さぞかし分析に困っていることだろう。攪乱策である。何事も、危険が身に迫った場合、狂人化することにより難を逃れる場合がある。正攻法では意図を見抜かれてしまう。奇手とは、狂人が遣うから奇手と言うのだ。
 数に対して同数の数を繰り出しても勝てる訳がない。特に私のような一匹狼の“掩護射撃が殆ど無し”では多勢に勝てる訳もなく、煙
(けむ)に捲くことすら出来ない。
 津村老人から、私は何一つ術を学んだ訳でないが、その術がおそらくこうしたものではあるまいかと想像して自流で、この「今」を演じているだけである。


 「まだ、九時を過ぎたばかりでございましょ、こんな時間に開いているお店なんてあるんですか」
 「開いていませんよ、無理に開けるんですよ」
 婦人は意味が掴めないでいた。
 鳥屋の婆さんは今日も元気だった。
 「婆ちゃん、借りるよ」
 「借りるって何を?……」
 「決まっているだろう、どうして此処に来たか察しがつくだろう。三階、いいかい?」
 「何て人だろうねェ……」と飽きてつつも、帰れとは言わない。
 この遣り取りに、蹤いて来た婦人は呆れていた。
 「勝手知ったる他人の家だ。適当に何か出してよ」
 「あいよ……」
 この辺は機転が利く。
 「婆ちゃんのそういうところ、好きだよ」
 「巧いことばかり言って。しかし、幾ら好きと言われても、躰だけは売らないよ……」
 「売られても買わないよ」
 「本当に、何と言う人なんだろう……」
 そう言いつつも、ずかずかとビルの階段を上り始めた。その後に婦人も続いていた。
 三階の大広間に来ると、広々とした席の中央を占拠した。そして、勝手に酒瓶と湯呑み、グラズ、ポットなどを掻き集め、摘みが下から上がって来る前に、ちびりちびりと遣り始めるのである。
 向かえ合った婦人の唐突に訊いた。
 「しっかり毀
(こわ)れれますでしょ?……。でもこれくらいでびっくりしないで下さい」
 「……………」
 「呆れましたか?」
 「今までにお遭いした方の、どなたとも違っていて、わたくし、些か面食らっておりますの」
 「そうでしょうね、最初、誰も言葉を失います。心中、お察し申し上げます」
 「……………」婦人は唖然として言葉にならない。
 「しかし同情もここまで……。ところで、あなたもどうです、一杯?」
 「えッ?……。どうしましょ」混乱して、とぎまぎしていた。
 「どうすることもない、朝っぱらから、かっ喰らったらいいのですよ」
 「その前に少しお話を……」
 「そうでしょうね、そのために時間を割
(さ)き、あなたも此処まで遣って来た。そうど、私に構わず話して下さい。こういう、一応表面は毀れて狂人化してますが、中身は聞く耳もっていますから……」
 「では、よろしいでしょうか……」と言って、重い口を開き始めた。




●臨時徴用令状

 さて、これから先の話は敷衍
(ふえん)である。押し拡げて書いてある。この時代を駆け抜けた人から、当時の模様を聞き及びそれを参考に、独自に想像を膨らませた部分もある。したがって必ずしも歴史的な史実とは一致しない。架空も含む。
 物語の時系列は昭和19年に遡
(さかのぼ)る。
 また当時の時代背景を詳細にし、然
(しか)も小説的にフィクションも交えて展開している。あらかじめこれを断っておく。

 ─────昭和19年5月のことである。
 「わたしは鷹司家の侍女として十三の歳には、公家奉公をしておりました。この歳のときに、東京から京都の鷹司家に上がり、良子さまの侍女として、お話し相手をかね、身の回りのお世話をして参りました。
 良子さまが京都の女学校から、文京区目白台の日本女子大に入学されました折り、わたしも一緒に蹤
(つ)いて上京致しました。実家は東京御徒町にあり、祖父が当時はそこで漆職人をしていたのでございます。そして、わたくしどもの家より、良子さまが通学なさり、祖父と父母でお世話を致しておりました。
 日本は日米開戦により徐々に締め付けられ、庶民の暮らしも苦しくなり始めた頃でした。確か、あれは昭和十九年の春でしたでしょうか。良子さまは当時20歳で、各大学にも学徒の義勇隊が組織され、これは女子大もおなじで、“女子挺身勤労令”が公布され、これは徴用令として下令されて軍事教練を課せられることになったのでございます。わたしは良子さまのお世話をしつつ、昼は女学校に通っておりましたが、二人共々、臨時徴用令状は《第三十五師団
(関東)佐倉歩兵二百二十一聯隊ニ集合セヨ》というものでした。
 戦争の激化の様相を極め、帝都も空襲に曝されていました。殿方だけでなく、女子も戦力の一員として戦争へと駆り立てられていました。徴用と言いながら、実質上は徴兵でした。
 国民勤労報国会では最初、14歳から25歳までの未婚女性に限りとなっていましたが、やがてこれが45歳まで拡大されました。帝国政府は同年春より女子挺身隊令を発令して14歳より25歳までの女性に兵役を課せ、特に身体能力の優れた女子は武装隊として徴兵され、わたしも当時14歳になっていましたから、佐倉の歩兵聯隊
(特別遊撃教練)へと入隊した訳でございます。その時の教官が、いま鷹司家の用人の兵頭仁介さまでございました。
 兵頭さまは当時、退役後、陸軍特務曹長で、しばらく予備役として、京都におられて中等学校の教員をされていたと聴いておりましたが、再び徴兵され、わたくしたちの教官時には准尉でした。のち、先生もご存知とは思いますが、予備士官学校で幹部候補生の射撃の教官として東京の聯隊へと赴任され、津村陽平さまの教官をなさりました。『瓢箪部隊』のことは聞き及んでいることと思います。
 あの瓢箪部隊に、実は漆職人だった当時61歳の祖父が居たのです……」

 「なんですと!」
 私は仰天して酒をかっ喰らっている湯呑みを落しそうになった。
 「わたしたちの女子武装隊は東京赤坂の愛国婦人会・國華分隊と日本女子大生の混成の戦闘部隊でした。
 この武装挺身隊は暗号名『タカ』と呼ばれ、挺身隊は小銃のみならず、92式重機関銃一梃で武装した自分ら以上に重武装をした女子学徒の戦闘隊でした。組織抵抗することで作られた特殊部隊でした。
 重機関銃班は分隊長の他に1番が機関銃手1名で、合計8番までなり、分隊長は小十字鍬
(しょうじゅうじしゅ)というものを持ち、攻撃目標を決定します。鍬が向けられた方向を攻撃します。2番手・3番手・4番手は照準眼鏡と高射照準具などを運搬し、武装はそれぞれが南部式小型拳銃と帯剣、5番手から7番手までは弾薬運搬で武装は帯剣のみ、8番手は九七式狙撃銃に狙撃眼鏡を付けたもので武装します。
 わたしは特に視力がよかったために狙撃手に選ばれ、狙撃の訓練を受けました。そのときの教官が兵頭さまでした。実に厳しい教官でした。
 他は九九式短小銃で武装した遊撃隊十名からなり総員は十八名でした。良子さまが一番年長者であられ、分隊長を致しておりました。平均年齢は十七歳位ではなかったでしょうか……」と言って、室瀬佳奈氏は淡々と語りはじめた。

 こうした話の中に酒の肴
(さかな)を運んで来た鳥屋の婆さまが突然口を挟んだ。
 「それって、赤坂区の國華分隊のことかい?」
 「そうです」
 「赤坂区の愛国婦人会には、わたしの妹が居たからね。國華分隊なら妹がいた。妹の名は清水克子
(仮名)と言うんだ。確か、華北の石家荘方面に居たと聴いていたからねェ」
 「えッ?……。では、あなたは?」
 「姉の文代。旧姓は清水だけど、今は杉山……」
 「では、清水さんは?」
 「妹かい、もう疾
(と)っくに死んじゃったよ。あれは昭和22年だった。大陸から引き揚げて帰って来たんだよね。帰って来た時、胸を病んでね。寝たり起きたりして、最後は結核で死んじまったよ……」
 「じゃァ、あんた、國華分隊の生き残りかい?」
 「そうです、わたしは御徒区」
 「妹は引き揚げて、帰って来てから急に塞ぎ込んでしまったね。あれだけお喋りだった妹が、殆ど口を聞かなくなってしまった。直ぐに黙り込んでしまった。何か恐ろしい、酷い目に遭ったと聴いていたけどねェ、それ以上は語らずじまいでさあ、最期は黙ったまま逝っちまったよ……」
 「あんた、國華分隊に居たのなら、詳しい話くらい知っているんでしょ?聴かせてくれないかい……」
 「ところで、婆ちゃん。出身は赤坂なの?」と私が訊いた。
 「そうだよ、実家は芸者衆の置屋だったんだよ……」
 「だったら、婆ちゃん。まさか昔、芸者だったりして?……」と私。
 「そうだよ、芸者していた。売れっ子だったよ……」
 この婆さまの言葉の歯切れがいいのは、そういう事だったのかと思ったのである。
 「こうして、清水さんのお姉さまに、いま、遇うのも何かの縁ですね、当時のことをお話ししますわ」
 こうして、当時の戦況の模様を室瀬婦人は語り始めた。

 おそらくこの話の中に、津村老人の敵前逃亡の容疑の謎があるのだろう。そのために兵頭氏か、鷹司良子氏がこの婦人を私に、話を聴かせるために差し向けたのであろう。当時の模様を克明に語ることの出来るのは、その現場にいて体験して来た者だけである。
 兵頭氏は、この女子戦闘隊から犠牲者が出たと言ったが、それだけではなさそうであった。何は不可解なものが絡んでいた。更に、室瀬婦人の話を聴くと、津村老人から聴いた話の中で骨折した61歳の長老は、この婦人の祖父と言うことになる。そしてこの時期から、何か判らぬ陰に付き纏われることになる。
 以下、室瀬佳奈氏から聞いた話を物語風に纏めるも、当時の戦時下を想像してこれから先はフィクションを交えている。


─────昭和19年春、明治大学女子部の中川和津子
かづこ/仮名)は二年次に進級していた。中川和津子と鷹司良子は家柄が華族の出で、中川家が男爵、鷹司家が子爵であった。父親同士が懇意だった。その関係で普段からよく知っていた。
 そういう和津子の周りに不審な若者がうろつき回った。
 若者の年齢は24、5歳で卑しいと言うほどでもないし、身形もそんなに悪くなかった中肉中背で黒い背広を着て、中折れ帽を被っていた。一応何処から見ても紳士に見えた。
 若者は大学から帰る途中の電停まで、後を付けていた。
 そして突然聲
(こえ)を掛けて来た。
 「中川男爵のお嬢さまでいらっしゃいますか」
 「はい、中川ですが……」和津子は何気なく返事をした。
 「実は私はこういう者ですが」と背広の内ポケットから身分証明書のようなものを取り出した。
 このように切り出されれば、和津子は身分証明書など見なくても分っていた。
 若者は憲兵だった。
 「大学生活も二年次ともなると、学業も充実したものになったでしょ?」
 「……………」和津子は何と返事をしていいものやら困惑した。
 思い当たる事があったからである。それは鷹司良子と、プロレタリア劇団の演劇を、先日、良子と二人で見に行ったばかりであった。そのことで咎められたり、憲兵隊に連行されるかも知れないと危惧したのである。
 「実は、あの劇、私も鑑賞しましてね、いい内容でした。感動すら覚えましたよ。さて、立ち止まらずに電停まで歩いて頂けませんか。私も監視されている身ですから……。ああこれは失礼、私は東京憲兵隊の沢田中尉と申します。お見知り置きを……」
 「……………」《お見知り置きを……》と言われても、なぜ憲兵を知っておく必要があるのだろうかと懸念した。
 「この途中に、感じのよいコーヒーショップがあります。あなたにはご迷惑おかけしませんから、少々お時間を拝借いたしたいと思っておりますので、ご同行ください」言葉は非常に慇懃
(いんぎん)だったが、半ば強制的であった。これでは断わりようもない。
 「構いませんわ」和津子は観念した。遵うしかないのである。

 「この桜通の桜の絨毯
(じゅうたん)、江戸期に風流なる有徳の士がいましてね、桜小路を造ろうと考えたのですよ。桜と言えば春の夜の熱烈な恋愛を感じますが、その季節が余りにも短いものだから、小路に墜ちる桜の花弁を雪の舞い墜ちる乱舞に譬えて、『山門の中にみゆるは桜まい』と詠んで、山門自体を絵の額縁と譬えたのでしょう、その中で桜吹雪が乱舞をしていると観たのです。
 こうして考えますと、日本人と言う民族は、つくづく戦争向きの人種ではありませんね。むしろ和歌を呼んだり、俳句を作る方が向いていると思いませんか。あなたはどう思います?」
 東京憲兵隊の沢田中尉と名乗った若者は、憲兵としては、実に憲兵らしくない将校だった。むしろ高い教養を身に付けた知識階級のインテリゲンチアを思わせた。
 「……………」
 しかし、これを憲兵将校の誘導尋問と考え、安易に答えなかった。
 「そのように警戒しなくても宜しいですよ、私はそういう四角四面の堅物ではありませんから。普段の非番に日には、神田神保町に出掛けて、トルストイの長編『戦争と平和』やツルゲーネフの長編『その前夜』なども読みます。また、カール・マルクスの『資本論』も読んだことがあります。マルクスの『資本論』にある労働価値説、少し矛盾があると老いませんか。いかがです?」
 能弁と言うより、なかなかの理論家だった。果たしてこれは、アカ狩りのための巧妙な誘導尋問なのか?と和津子は考えたりした。これまでに想像した憲兵のイメージとは、全く違った若者だった。
 「まだ、わたくし、そこまで学んでおりませんの。折角ご意見を求められて、あなたまさのご要望に添えないことを寔
(まこと)に残念に思いますわ。これからは、もっと学んで、何なりとご質問の答えられるよう勉学に勤(いそ)しみたいと存じます」
 「もう直ぐです。この路地を曲がったところに、素敵なコーヒーショップあるのです。此処は、ちょっと穴場ですので、他の方には内緒にしておいて下さい。さあ、どうぞ……」若者は店内へと導いた。
 「まあ!……」和津子は感嘆の声を挙げた。
 「如何にも童話か、御伽噺
(おとぎばなし)に出て来るようで、とてもメルヘンチックで、何だか空想的な感じが漂っているでしょ。いいと思いませんか」と女心を擽(くすぐ)るなことを言った。
 果たしてこれは誘導尋問なのだろうか。和やかな笑顔を決して崩そうとしないこの若者が、和津子には不可解でならなかった。
 二人は、フランスのルイ十五世時代を思わせるロココ風のテーブルに着いた。
 若者は中折れ帽を脱ぎ、髪は七三に分けた長髪であった。憲兵と言うその臭いも、軍人らしさも、何処にも感じられなかった。変わった軍人だった。不思議と形容してもいいような若者であった。
 若者は欧米人のように呼びを鳴らし、直ぐにコーヒーを注文した。
 暫くすると、店の主人が直々にコーヒーを運んで来た。近頃は滅多にお目に掛からないウィンナーコーヒーである。砂糖が入り、泡立てた生クリームが載った上質のものであった。この物資難の時代、考えられないような贅沢であった。
 「もしもですよ。こういうところを、その筋の方に見られたら、お困りになりませんこと?」
 「大丈夫です、私は官憲側の人間ですから。でも、あなたは、こういう私を見て、矛盾を感じていらっしゃるのではありませんか」
 「……………」
 これが誘導尋問ならば、些か拙劣
(せつれつ)過ぎるのではないかと和津子は思った。
 「あなたは、日本がこの戦争に負けると思っていますか、それとも勝つと?……」
 「わたしく、女ですもの。戦争のことは分りません、殿方が遣っていることですから……」
 「あなたは、正直な方だ。ところで最近はよく眠れますか、時々空襲警報のサイレンなんか鳴ったりして、煩
(うるさ)いと思いませんか」
 「でも、戦争をしているのだから仕方ありませんわ」
 「あなたのお父上は海軍軍令部の兵務課長の中川直文
(仮名)閣下(海軍少将)ですよね」
 「ええ、でも父とは殆ど話しませんし、第一、帰宅することが最近は少なくなりましたから、殆ど貌を合わせることはございませんわ」
 「もう一つ、訊いても宜しいでしょうか。あなたと鷹司良子さんは、ご親友でしたね?」
 「ええ、良子さまが何か?……」
 「いいえ、そういうことでお聞きしている訳ではありません。確か、良子さんの兄上は参謀本部の鷹司友悳
(とものり)少佐でしたね、あなたはご存知でしたか」
 「ええ、存じております。これまでにも、何度かお会いしておりますから……」
 「鷹司少佐をどう思われます。いえ、これは疑って訊いている訳ではありません。少佐の人となりを窺っているのです」
 「さあ、どうお答えして宜しいのかしら……」
 「難しい質問でしたか。では、良子さんの侍女官の室瀬佳奈さんをご存知ですか」
 「佳奈さんは共立女子の生徒さんと訊いておりますが……。でも、わたしくとは年齢も違うし、ただ窺っておりますのは、京都時代からの、お話相手のような関係とだけしか存じませんわ」
 「その関係とは、例えば『アルプスの山の娘
(Johanna Spyri作。野上彌生子訳/ 岩波文庫 1934年発刊)に出て来る、ハイヂとクララのような関係でしょうか?」と、佳奈と良子の関係を問うた。
 「さあ、そこまでは詳しく存じませんわ」
 「有り難うございました。いろいろと聴かせて頂いて。では、お体に気をつけて下さい。此処の勘定は済ませておきます。時間の赦す限り、ごゆっくり寛いでお過ごし下さい」
 そう言って、恭しく頭を下げ、中折れ帽を被って店の外に出て行った。
 和津子の脳裡には疑惑の霧が立ち籠めていた。
 憲兵中尉の沢田と名乗った若者は、要注意人物として和津子を此処に連れ込み、幾らかの質問をして動静を探ったのだろうか。憲兵にしては余りにも物腰が柔らか過ぎた。そのため質問の焦点が総てボヤけていたのである。言葉遣いも、余りにも丁寧過ぎた。全く不可解な人物と言う他なかった。憲兵ともあろう者が、なぜあのような柔和な態度で接触して来たのか、まるきり検討がつかなかったのである。
 翌日、和津子はさっそくこのことを良子に話した。
 そして昨日、若者に誘われて入った店に行くと、店は閉店されていた。
 和津子は何故だろうと思って見ても、考えただけでは分らなかった。

 それから、一ヵ月程経った5月初旬、突然『臨時徴用令状』が届いた。
 召集令状と同じ薄桃色の“赤紙”だった。文面の文字は徴用となっていたが、実質上は男子と同じ召集令状であった。この令状は中川和津子にも、鷹司良子にも、また室瀬佳奈にも、東京市の兵事課の課員の手で直接届けられたものであった。
 余談ながら、召集令状の赤紙を「一銭五厘」などの単語で軍隊用語で遣われるが、現代人のこの認識は遺憾ながら間違っていることが多い。普通、この一銭五厘を郵送葉書や印刷代に換算して、これがそういう金額であろうと考えられているが、そういう意味ではなく、あくまも一銭五厘は軽蔑用語なのである。戦時下の兵隊の値段は一銭五厘の価値もないという意味の軽蔑用語なのだ。物の値段ではない。
 彼女たち三人はこれまで戦争を抽象的な概念として捉えていなかったので、現実に召集令状の赤紙が届けられたことは驚きであった。理不尽などと考える暇もなかった。有無も言わせぬものであった。それに自分達は女だから常に銃後に控えていればいいのだと高を括っていたのである。それだけ日本は、戦況が逼迫していたのであろう。中川和津子は、なぜ憲兵中尉と名乗る若者が接触して来たか、分るような気がした。

 同年5月××日、午前9時30分、臨時徴用令状により《第三十五師団
(関東)佐倉歩兵二百二十一聯隊ニ集合セヨ》の下令の許に女子学徒義勇隊召集によって、特別遊撃教練のために大学・高等専門学校学生ならびに愛国婦人会に所属する女学校生徒たち、20名が集められた。全員が中等学校以上の教育を受けた者たちであった。此処には女子大生のスーツ姿や女学校のセーラー服姿が集まっていた。しかし、その中にはモンペ姿で竹の下駄(大戦末期は材木が不足したので下駄の材質は竹であった)を履いた少女が交じっていた。

 「あそこに居るセーラー服の女学校の生徒さんたち、此処に何にしきているのかしら?」良子が訊いた。
 「きっと見学か何かでしょ」和津子が答えた。
 「見学って?」
 「この御時勢ですもの……。“女子挺身勤労令”の影響でしょ、それに“警視庁消防部空襲災害状況”なんてものもあるしね」
 「じゃあ、わたしたちに配達された『臨時徴用令状』ってこと?……。あれって、見学のことかしら?」
 「とにかく、この御時勢、何があっても不思議ではありませんわ。それに西太平洋の南方方面の島々も陥落していることだし帝都空襲もあったことだしね。米軍の爆撃機もB25からB29に変わるらしいわよ」
 「B29って?」
 「良子さんは何も知らないのね」
 「わたしく、そういう軍国少女ではありませんもの……」
 「二十歳になって軍国少女も無いものでしょ。B29はこれまでのB25のジョン倍以上もあるそうよ。
 先日、お父さまの持って帰っていらした『海軍報道』の雑誌にはB29の性能データが載っていてね、全幅43.1メートル、全長30.18メートル、高度7600メートルを時速550キロで飛行するてですって。航続距離はね、5230キロで、これを十名から十四名で操作し、四発エンジンですって……」
 「まるで化け物じゃない。そんな巨大な飛行機、飛べるの?」
 「飛べっこないでしょ、そんなの架空の物体なんだから。米軍の脅しよ、青写真の上での、妄想から生まれた架空飛行機……」
 「でも、そんなのが飛んで来たらどうしよう……」良子は不安そうに訊いた。
 良子の横には常に、侍女官の共立女子のセーラー服を来た室瀬佳奈が付いている。二人より年下なので随分と幼く見える。今で言えば大学生と中学生の開きである。この時代だから、初潮前かも知れない。
 「お嬢さま、そんなお化け飛べませんよ。和津子さまが仰る通りですわ……」
 「そうかしら?……」
 三人は聯隊の練兵場の入口付近で、彼女らはこう言う立ち話をしていた。

 そこへ背広を着た青年が近付いて来た。仕立ての良さそうな背広に中折れ帽を被っていた。
 その青年が防止を脱いで一言いった。
 「みなさん、こちらに集まって下さい。これから集合徴用と名簿とを確認させて頂きますので、令状を係のものに見せて、お名前を確認させて下さい」
 そのとき中川和津子は「あッ!」と聲
(こえ)を上げた。
 「知っているの?」良子が訊いた。
 「あの方、東京憲兵隊の沢田中尉とか言ったわ……」和津子が怕々と答えた。
 「もしなすると、わたしたち、とんでもないところに集められたのかも知れない……」
 良子の言葉には恐怖の色で滲
(にじ)んでいた。
 集められた20名の女子学徒は、係の下士官によって講堂へと移動させられた。

 青年が舞台壇上に上がり自己紹介を始めた。
 「私は沢田次郎
(仮名)です。皆さんを向こう一年間、全教練の担当させて頂く……、まァ、中等学校以上で言えば、担任教師とでも言いましょうか。そのように思って下さい。では、軍事を担当します、いえ、皆さんの体育を担当します教師の兵頭先生を紹介致します」
 そのとき良子が、顔見知りの所為
(せい)か、小さ声を挙げて「あッ、兵頭のおじさん……」と呟いた。
 兵頭仁介は鷹司家に出入りしていたから、既に知っている貌で、また父の鷹司清隆
きよたか/仮名)の茶飲み友達で、碁の相手でもあり、この御仁は日本古典に詳しく、中等学校の国語教師だった。しかし、どうしてこの場に居るのだろう?と良子は思ったのである。
 兵頭は陸軍准尉の階級を付けた軍服姿だった。
 「自分は練兵を担当する兵頭仁介准尉である。諸君に、兵事に関する指導をする」
 「兵頭さん、いけませんね。そういう固い軍隊用語を遣われては。お嬢さまたちが驚いているではありませんか。普通の言葉で喋って下さい。
 実は私も、こういうカチカチの軍隊用語は大嫌いなのです。
 こういう御時勢です。皆さんもよく考えてみて下さい。いま日本の戦局はよくありません。はっきり言えば負け戦を闘っているのです。宜しいですか、この戦は負け戦なのです。でもねェ、負けるには負け方と言うのがあってねェ、負けるにしても、上手に負けなければなりません。上手な負け方をするために、私は皆さんの『負け方指導』として担任教師を申し出た訳です。そしてですね、この戦争は負ける戦争を戦うのですから、どうしても、負けは絶望を誘うものです。また、皆さんに下令された『臨時徴用令状』は、言わば召集令状と同じもので、召集解除は戦争が負けるまでありません。戦争が負けるまで、毎日どうか我慢して下さい。
 そして我慢して切り抜けるためには、絶望を抱いてはなりません。いいですか、絶望を強いる世界では、絶望をしないことで、抗
(あらが)う以外ないのです。負け戦を戦って、上手に負けるために、絶望しないことで抵抗しましょう。皆さんの力で、上手に負けるよう組織抵抗して下さい」
 良子は、奇妙で、不可解なことをいう人だと思った。

 「あの?……」
 集合した何処かの大学の女子学生が挙手した。
 「質問ですか、質問は受け付けません」
 「?…………」この場が突然騒然となった。
 口々に、「これ、一体どういうこと?……」などと言い合っていた。
 「では、ですね。皆さんを此処に集合させ、『負け戦を闘ってくれ』と命令した方が居
(お)られます。その方を最後の紹介して、その後、皆さんへのオリエンテーションを始めますので、まずは当事者の方から自己紹介して頂きます。わが『タカ』組織の所長です」
 『タカ』組織
(計画)は、よりよい負け戦を目論む準備委員会である。
 舞台壇上に上ったのは、良子の兄の鷹司友親だった。参謀本部の少佐である。
 「あッ?お兄さま……」小さく驚いた聲を上げた。
 兄はこの日、参謀肩章の付いた軍服ではなく、私服の背広を着ていた。
 「私はいま紹介に預かりました此処の所長の鷹司友悳
(とものり)です。皆さんを向こう一年間、負け戦を闘うために担当教官とともに指導してまいります。
 さて、世の中、どうにもならないことがあります。また、諦めねばならないときには諦めねばならないときがあります。そういうときは、諦めないのではない。諦めるのです。諦めまいとして頑張っても、それは徒労におわります。どうにもならないときはリセットするのです。こういうときは格闘しても無駄です。難局は難しく考えずに、当たって、さらりの抜ければいいのです。頑迷にこだわる必要はありません。
 どうしようもないときは、どうしようもない方法がある。それでさらりと抜けて、こだわることを止めようではありませんか。
 申し遅れましたが、私は陸軍省参謀本部の鷹司友悳少佐です。また担任は東京憲兵隊の沢田次郎中尉、それに教練担当の兵頭仁介准尉。これから皆さんを、向こう一年間教育いたします」
 しかし、それにしても奇妙だった。軍隊用語が遣われていないから、軍国調でないことが却って不可解を思わせて違和感を感じざるを得なかったのである。
 「では、これから教室の方にご案内します。係に蹤
(つ)いてそちらにお向かい下さい」と沢田が言った。

 此処の集まった20名の女子学徒は下士官の兵に引率されて教室と称するところに連れていかれた。そして此処で暫く俟てと言われたのである。
 「ねえねえ、聴いて。わたしたち妙なところに連れて来られたと思わない?」と開口一番に切り出したのは日本女子大の谷久留美
たに‐くるみ/仮名)であった。
 「いま鷹司と名乗った少佐。鷹司さんのご親戚かなにか?」同大学の副島ふみ
(仮名)だった。
 「……………」良子は口を噤
(つぐ)んだ。
 「ねえ、鷹司さん。答えてよ」副島ふみが迫るように訊いた。
 「……………」良子は苦悶した。
 遠巻きに和津子が、この様子を心配そうに見ていた。
 「あの……、すみません、今は……」《そんなに問い詰めると、困っておいでです……》と言いたいのであろうか、室瀬佳奈が割って入った。侍女
(官)としての役割を果たしているのだろう。
 「なによ、あなた!……」副島ふみは、セーラー服を着た幼い女学生の佳奈を忌々しいように言った。年下と見下しているのである。割って入られたことを些か立腹したようだった。
 「でも、一つだけいいことあったわ。だって、東京憲兵隊の沢田と言う中尉さん。何だか外国で教育を受けたようで、変な人とは思わない。言っていることが、とても憲兵とは思えないわ、敵性用語も使うしさあ。少しばかりダンディーで、伊達なところがあってさァ。それに、言うことが変わっているじゃない。絶望を強いる世界では、絶望しないことで絶望と抗えなんてさァ……。
 何だか言うことが、実に哲学的だとは思わない……」と谷久留美。
 「だけど、変だと思わない?……、負け戦をしろなんて?……」と副島ふみ。
 この言葉で、この場が沈んだようになった。
 「知らない同士が此処に集まったのも、何かの縁。みんな、自己紹介しない、どうですか?」と谷久留美。
 「賛成!」と和津子。良子に向く鉾先を変えなければならないからである。
 「学校名とさァ、年齢……」と谷久留美。
 「えッ?……、年齢まで言うの……」と驚いたような和津子。指名されたのが唐突であった。
 「年齢、言っては困るの?、お嫁に行き損なって薹
(とう)が立っているから?……」と茶化すように谷。
 方々から、口を抑えて失笑とも付かない嗤
(わら)いが漏れた。
 「おい、こら。そこの女学校の生徒、よくも嗤
ったな。学校と年齢を言え」と副島ふみ。彼女は卒業後、高等女学校の教師になる予定でいた。教育実習で女子生徒の習性を知り抜いているのである。
 「えッえッ?……、わたしですか」自分の貌に指をさして困惑しているのは、セーラー服の島崎ゆり。
 「そうだ、きみだ!」と命令調の副島ふみ。
 「わたしは……えっと……。実践女子の島崎ゆり
(仮名)です。年齢は14歳」
 「うわ、若いッ……。もう完全に少女の領域。でも、ネンネ
(赤ん坊並みの世間知らず)……ね」と谷久留美。
 「えッえッ?……、ネンネって?……」と訊き返す島崎ゆり。
 「きみは、お子さまなの……」と副島ふみ。
 「次のお子さま、14歳は居ないか?……いたら手を挙げな」と再び命令調の副島ふみ。
 「はい」と佳奈。
 「おお、きみか。学校どこだ?」と副島ふみ。
 「共立女子です。室瀬佳奈、14歳です」
 「14歳はわかっとる、手を挙げたんだからな。では趣味は?」とオヤジ口調の副島ふみ。
 「えッ?趣味もですか……、どう言ったらいいのでしょうか、言っても理解してもらえないと思います」
 「理解してもらえるか貰えないか、それは聞いた者の判断だ。そういうのを一々心配しなくて宜しい。お子さまランチは、訊かれたことだけを言えば宜しい」と命令調の副島ふみ。どこか踏ん反り返っていた。
 世の中には変わった人もいるものだと思いつつも、佳奈は決心したように語り始めた。

 「わたしの家は御徒町で代々が漆職人をしていて、今は祖父一人で家業を遣っています。父は海軍陸戦隊の硫黄島守備隊にいて、そこで戦っています。でも、お影さまで、祖母も母も戦災にも遭わず健在です。
 祖父は瓢箪が好きで毎年、育てた瓢箪に、漆で昆虫の絵を描くのです。蜂なんて、真物そっくりに、あたかも瓢箪に蜂が止まっているように描きます。わたしも時々真似をして描いたりしますが、祖父のようには描けません。漆を操るの、本当に名人芸なんです。
 いつも、飴色の瓢箪に自分の好きなものを入れて、旅などして、旅先であれで盃の零して呑んだら、どんなに美味しかろうと。私は未成年ですから、お酒などは早いでしょうが、祖父は瓢箪に毎晩お酒を入れて、一人で楽しんでいる姿を見ると、私も何だか古
(いにしえ)の雅(みやび)に戻ったような錯覚になり、思わず万葉の風雅の世界に誘われたような気持ちになります。
 みなさん、瓢箪のこと、ご存知ですか。瓢箪ってね、神仙界を顕しているんですよ。
 『壺中
(こうちゅう)の天』という物語、ご存知でしょうか。『一壺天(いっこ‐てん)』とも言います。
 これ、桃源境的で不思議なお話なんです。『不思議の国のアリス』より、もっと面白いんです。
 費長房という河南省汝南
(じょなん)の郡庁の役人をしていた人が、薬売りの老翁とともに壺中に入って、別世界の楽しみをした話なんです。
 ある日の夕方、庁舎の二階から下を見ていると、郡庁の城壁に露天商の店が並んでいました。その店の中で薬売りの老翁がいてね、老翁が店仕舞をしていたんです。そうした情景を費長房は一部始終見ていたんです。
 すると、老翁は城壁の傍
(そば)に置いてあった壺の中に、隠れて消えてしまいました。
 費長房はそれを見てね、《今の老人はきっと仙人に違いない》と思うのです。翌日も待ち構えて、夕刻の店仕舞の頃、そこへ行って、『私は昨日、あなたが壷の中に消えるのを見ましたが、あなたは仙人でしょう。きっとそうでしょ。是非、私も壺の中に連れて行って下さるまいか』と言うのです。
 しかし、この願いは最初断られました。
 爾来、費長房は壺の中に入りたい一心で、壺公の世話をやき、壺公も費長房の誠実さを認めるようになりました。そしてついに頼み込んで、壺の中に入る機会を得ました。すると忽
(たちま)ち、壺の中に引き摺(ず)り込まれ、ふと気付くと、非常に景色のいい所に出ていたのです。
 そこには金殿玉楼
(きんでん‐ぎょくろう)があり、広い庭園には、珍しい樹や花が一面に咲き乱れ、泉水(せんすい)なども至る所に設けられ、寔(まこと)に目を見張るばかりの素晴らしい世界だったのです。桃源郷を髣髴(ほうふつ)とさせたからである。
 更に大層見事な金や玉で飾った建物があり、その中に案内されました。そこは一つの小天地であり、別世界でした。艶
(あで)やかな侍女たちから美酒(びしゅ)や佳肴(かこう)の、大変な持て成しを受けました。そして歓待さて帰ってきます。
 費長房は壺の中で起こったことを回想すると、そこはまさに「壺中の天」だったのです。日常とは掛け離れた非日常の異空間の別天地だったのです。壺は瓢箪を同じように看做され、実は瓢箪は魔除けなのです。
 この話、子供の時から随分と祖父に聴かされ、これは子守唄代わりでした。
 だから、わたし、瓢箪を祖父と一緒に育てることと、育てた瓢箪が収穫されて、それに漆で絵を描くことが趣味なんです……」いつしか佳奈は能弁になっていた。

 佳奈はこう切り出したことで、全体が和やかな雰囲気になり始めていた。集まった女子学徒たちは最初、初対面の所為か学校ごと、國華分隊の地域ごとに固まっていた。ところが、佳奈の話によって、堰
(せき)を切ったように、それぞれが自分の自己紹介を兼ねて自身を語り始めていた。
 一方でそれは、闇からの追跡者が、戦後の今の世だけに暗躍しているのでなく、既に戦中から暗躍をしているということであった。その冥
(くら)い影が、現代にまで及んでいるのであった。



  運気     八門人相     房中術     癒しの杜     菜根譚     小説     会報Back No.     合気     蜘蛛之巣伝     死の超剋     霊的食養     心法