運気 八門人相 房中術 癒しの杜 菜根譚 小説 会報Back No. 合気 蜘蛛之巣伝 死の超剋 霊的食養 心法
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続 壺中天・瓢箪仙人 18

金鷹館の全貌を窺うと、建物は東西南北に底辺を合わせた正方形であり、この中には中国古典の宇宙観があった。内部は東西南北に合わせ、その四隅である東北・東南・西北・西南の角ごとに八角形の形をしており、これは『八紘一宇』の思想が現されていた。

 また館内の三階には“蘇りの朱赧
(しゅあか)”を暗示する「朱火宮」が在(あ)って、その空間は宇宙を抱え込んだと思われる、長寿のシンボルの、亀の背上に北斗七星が描かれていた。それは天の神を現していた。北斗七星は変わることのない道標であった。
 描かれた亀は鼈
(すっぽん)であり、その背中には、北斗七星が描かれていた。道教思想に基づくものと思われた。

 朱火宮の朱赧
は蘇りを顕すものであり、生まれ変わりとか新しく蘇ったという復元したことを顕すものだった。ここには古代の縄文期の神社の名残がとどめられていた。
 干支に関する思想があり、それはおそらく道教の影響を受けたものと思われる「天子の明堂」を思わせ、四方にあっては四方拝を現し、四神相応の最も貴い地相のをもっていて、正面の窪地に配して赤は朱雀で、南を護る神であった。

 ちなみに、左方である東に流水のあるのを青竜
(青)、右方である西に大道のあるのを白虎(白)、後方である北方に丘陵のあるのを玄武(黒)とする。
 またそれは官位・福禄・無病・長寿をあわせ持つ地相を持つ。
 これは道教思想の四季を神に配した呼称であり、春を句芒
(こうぼう)、夏を祝融(しゅくゆう)、秋を蓐収(じょくしゅう)、冬を玄冥(げんめい)のそれぞれを言い、四方の方角を司る神を現す。これに黄色が加われば「五気五色」を現し、中央の「天子皇帝」の高貴を指すとされる。

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●完全帰納法にいまだ至らぬ現代社会

 年の瀬も押し詰まり、習志野滞在期間が、あと一週間ほどになると、急に人の出入りが烈しくなった。毎日複数の訪問者が遣って来たからである。
 私に接触し、何らかの形で取り込もうとする勢力であった。明らかにそれと分る企業集団の「修養団」系と分る来訪者も多かった。直接午前中から来訪者は、次から次へと訪れる。それだけに、出入りをチェックする闇からの監視の眼が激化しているように体感した。周囲には、刺すような視線が、何処からともなく放たれているのを感じていたのである。それは、わが身が狙われているということだった。
 だが、その視線の正体が解らないだけに不気味であった。そして、この時期になっても、津村老人とは接触出来なかった。時は時々刻々と流れていた。この御仁
(ごじん)も監視されていて容易に姿を顕せないらしい。

 また一方で、双頭作戦が行われていたようだ。私を叩き潰す策である。私の存在が相当に目障りらしい。
 こうしたとき、私の名誉を失墜させ、陥れようとする勢力も隆起しているようであった。
 事あるごとに、武道雑誌には、私を誹謗中傷する記事が絶えなかった。常に槍玉に挙がった。それに併せて迎合する、三人よれば「大東流○○会」という当世流行りのブームに乗ってそれに便乗する便乗組もいた。その便乗組も誹謗中傷派と迎合して、私を叩いた。私を叩けば迎合者が殖えるからである。
 この迎合と便乗で、マイナーな武道雑誌は当時よく売れたようだ。この種の雑誌は販売が好調だった。
 それを、あたかも統計調査などをして、その結果、出された結論などと称して、根も葉もない風評がマイナーな武道雑誌取り上げられた。それは途方もない、呆れ返った“まやかし”に決まっていた。だが信じる者は多かった。自分では見聞してないことまで、事実のように捲し立て、得意になっていた。
 意図は「証拠など、後で幾らでも作ればいい主義」で、それを何が何でも信じ込ませようとする誹謗中傷派の意思が働いているようである。

 だが、世の中の統計調査や支持率調査と言うものは、母集団から一部の標本として弱点や難点のある脆
(もろ)い場所が狙い撃ちされ、数個だけのサンプルが抜かれ、それが全体を代表しているように見せ掛けてしまうのである。こう言う統計調査を「標本調査」と言う。
 その調査に基づく一部を、全データであるかのように思わせ、巧妙に捏造
(ねつぞう)してしまうのである。
 一部に関する観察や調査から、総てに関する結論が引き出される。
 則ち、この一般化は「帰納による論証」であるが、必ず成立する、あるいは真であるとは限らない。一部のサンプルから、成立するかも知れない、真であるかも知れないという程度の留まり、それ以上のものでない。
 標本に基づく、一部の観察や調査に過ぎず、何処までも真実とは無関係な一般化である。それは時として捏造されたり、飛躍する虞
(おそ)れを孕(はら)んでいる。意図をもって、好き放題に如何様にも作り替えられるからである。

 普通、統計調査とか標本調査と言うのは、全体を隅々まで調べるのではない。母集団から一部の内容を抜き取って、過去の証拠として提供し、それで全体調査をしたように見せ掛ける手法である。これこそ、数学的に言えば、「不完全帰納法」の最たるものである。
 例えば、全体の母集団に百個の対象媒体があるとして、このうち四個だけ取り出して、それをこじつけと指弾だけで全体調査をしたと言い放つ。僅か四個だけの資料をもって、全証拠として結論を下せば、信頼出来る一般化を行うのは、不十分であるのにも関わらず、これを「一挙に結論へと導き、全調査をした」と豪語するのである。
 これを「飛躍する虚偽
(きょぎ)」と言う。真実でないものを真実のように見せ掛けることである。
 これは論理学で言う、前提・方法・手続の三種の段階があって、推理・推測の手続上の誤りを指し、相手を欺
(あざむ)いたり、困らせる議論の中で使われる。特に標本調査においての資料を提出した場合には、この手口が遣われる。

 世の中、この虚偽で動かされることが多い。こうした「飛躍する虚偽」は至る所で繰り返され、これを全証拠として世の中に定着させてしまうのである。そして、この方法を用いて、宣伝を強行すれば、この工作は成功する場合がある。これを調査の結果、「飛躍する虚偽」を強引に、世の中に定着させてしまうのである。そしてそれが定着化し、多くはそれが事実として信用してしまうという定着現象である。ほぼ固定化される。
 例えば、わが流は“危ない思想をもった極右”などと揶揄
(やゆ)されている。
 こういう場合、昨今でも能
(よ)く使われる工作法であるが、母集団の小さな標本だけを調査して、それを動かぬ証拠として、「一挙に結論へと飛躍させる虚偽」が形成されることである。
 虚偽をもって動かぬ証拠とする。傲慢な論理である。
 そもそもサンプルと言うのは、ある意図をもって理論だてられる。そうでなければ訝
(おか)しい。無作為に全体の何十、何百、何千、何万という中の媒体を無作為に選び出した訳であるまい。選び出すには予(あらかじ)め用意周到な意図がなければならない。そして命題を完全に証明できないことを念頭に置き、それがあたかも真実のように語られるこの背景には、企てた何者かの狡猾(こうかつ)な読みがあった筈だ。

 これは一方で、官憲当局やマスコミなどで、よく遣われる手法である。
 またジャーナリズムは、こう言う方法で、標本調査をし、あたかも全体の証拠として提出し、実体がそうであるかのように見せ掛けてしまう遣り方だ。
 世間では大なり小なりこの手法が遣われ、マイナーで、規模が小さければ小さいほど調査力は弱く、標本調査をしただけで「飛躍する虚偽」状態で、捏造記事を書いてしまうことである。つまりこの手法で、実際にはその現場に居合わせたのでもなく、わが眼、わが耳で見聞したのでもなく、単なる推測しただけで、「証拠は幾らでもある」の暴言が出て来るのである。言葉と言論の暴力である。

 この遣り方は例えば、戦前の日本でよく使われた思想を取り締まるなどで、特高警察が遣った手法を、現代はそのままマスコミなどが真似して使っている場合が少なくない。その手法で、常に官憲から
監視をされていた大本教(大本)などは、特高警察(旧制の内務省直轄で、思想犯罪に対処するための高等警察の通称。特に宗教家や共産主義者などを対象に社会運動の弾圧に当たった)の一番の槍玉に挙げられて、共産主義者より酷い扱いを受けていた。拷問も烈しかった。
 例えば、大本教の母集団の中から小さな標本だけを抜き取って、この教団の信者の行動様式や気質などを調査し、大本信者の人間像を勝手に捏造し、この宗教団体は「このような者の危ない集団だ」という宣伝と流言を遣る。それも喧伝的にである。徹底的に叩く。
 これは明らかに“まやかし”というもので、一挙に畳み掛ける結論へと導く「飛躍する虚偽」と言うものであり、こうした“まやかし捏造”が日常茶飯事に用いられる限り、特高警察がこの集団を取り締まる大義名分が生まれ、また教団側も、それだけ強固に抵抗し、投獄されても受難に耐える殉教的な使命感をもって何処までも抗
(あらが)うのである。これは徳川幕府のキリシタン弾圧の時の手法に酷似し、また弾圧により、多くのキリシタン信者の中に殉教者が出たことは、よく知られるところである。人間は男でも女でも、叩かれれば叩かれるほど筋金入りになるからだ。死などもろともしない。当時の大本信者も、また『蟹工船』で有名だったプロレタリア作家の小林多喜二も、最後は官憲の拷問によって虐殺されている。
 また、官憲の傲慢として憲兵大尉の甘粕正彦などは、関東大震災の戒厳令下で、無政府主義者の大杉栄や伊藤野枝らを殺害したにも関わらず、死刑にはならなかった。官憲優遇措置である。
 そもそも標本調査という手法に正当性がなく、斯くも悪印象を与えるために、これらが官憲やマスコミによって遣われるのである。

 官憲が宗教団体などを取り締まる場合、まず例えば「大本教の母集団」という全体の一部から、官憲側のイメージに合うようなものを一部だけ摘出し、その一部を小さな見本として作り上げ、これらの一部の信者の思想や、嗜好、行動様式などを調査して、それ自体で「大本教全体像」を一挙に尽くし出し、結論を下し、予言的中率100%の裏側には……という、何らかの捏造を加え、その一部の存在自体が全体像だと見せ掛ける遣り方で、こうして帰納的な一般化を固定させてしまうことである。その中に、出口王仁三郎は、教義と教団の確立に努めるも、昭和10年
(1935)不敬罪と治安維持法違反で拘束され、教団は弾圧され、出口は獄に繋がれ烈しい拷問を受けた。
 これを数学的には「偏った統計による虚偽」と言う。この手法で、勝手に危険人物像を捏造してしまうのである。

 私も、この遣り方で平成3年頃から槍玉に挙げられ、いつしか危険人物像としての私は、全くその人物と同一視されてしまうのである。法治国家の裏側には、「可もなく不可もなく」とか「沈香も焚かず屁も放らず」の類
(たぐい)は見逃されるが、何かの意図によって、そのように看做されれば、それは勝手に一人歩きし、その波及の輪は勝手に広がって行くのである。これを私は「風評の双頭作戦」と呼んでいる。
 一方的に辱
(はずかし)め、卑しめ、名誉や地位を傷付ける場合、この双頭法が遣われる。
 そして、一旦この手法が用いられてその槍玉に挙がれば、全く関係のないところまで連鎖し、好ましくない性質を持った例だけが選び出され、このデータが、横のネットワークで至る所でヒットして、無差別・無作為に選び出され、これ自体が観測されて、新データとなり、その結果、監視されると言う事態を招くのである。
 したがって事実や真実に対して弁明するチャンスすら与えられず、問答無用となって完全に黙殺され、事実とは異なる部分だけがクローズアップされ、以降面白可笑しく、飛び火して行くのである。
 この連鎖は、あたかも生物学上で言う同一の染色体上の二つ以上の遺伝子が、相伴って行動する連鎖現象を起こすのに酷似する。こうなると止めようがない。もうここまで来ると、メンデルの独立法則を上回る高頻度の現象を齎す。したがって止めようがない。勝手に一人歩きする。
 更には危険人物としてだけではなく、やがては抹殺対象にまでされてしまうことがある。これは、昨今流行の予防医学的な不完全帰納法から発生しているのだろうか。将来、禍と思える部分は予防の立場から、予め排除してしまうのである。
 私が抹殺対象にされても、不思議でなかった。

 しかし、もうそれどころではなく、何か得体の知れない闇の集団から命までもを狙われているような気配も感じていたのである。尾行され、監視され、何処までも尾
(つ)け廻された。直截的だった。ご苦労なことだと思う。
 だが、私のこうした背景を「命を狙われると言うのは毎日緊張があっていいでしょ」と言った知人の大学教授も居た。こういうことは、他人事の眼で検
(み)れば愉しいものらしい。人間は、人の不幸を楽しむ生き物らしい。

 これを思うと、私の身の上は津村老人とよく似ていた。
 かつて、津村陽平老人は戦線離脱の敵前逃亡容疑で東京憲兵隊から陸軍刑務所に投獄され、昭和20年10月17日まで投獄されたと言う。大赦令によって無罪となったも束
(つか)の間、今度はGHQの民政局から戦争犯罪の容疑として獄房送りになっている。それは、戦犯容疑者に仕立て上げられることだった。
 鷹司家用人の兵頭仁介氏が、そのように教えてくれた。そして氏は言った。容疑の証拠とか罪状は「後から幾らでも作ればいい」と。それが巨大権力の遣り方だと言った。
 証拠は作れば、幾らでも好きな罪状で捏造出来る。自称、法治国家の遣りからである。そもそも裁判自体が不完全帰納法によって構成されているからだ。決して100%の事実を裁いた訳でない。その証拠に冤罪が生まれる。
 更には、敗戦国日本を処罰する極東国際軍事裁判自体が捏造ではないかと言った。この不裁判こそ、不完全帰納法の最たるものだった。
 国際連合軍の巨大な権力に、津村老人は粛清されつつあったと言える。この巨大な権力は、人間の殺傷与奪の権を握り、その酷薄な権利によって底辺の微生物の命を弄
(もてあそ)ぶ。果たしてこの権力とは如何なるものか。何故こうまでしなければいけないのか。
 この話を聴いて、私は津村老人は容易に姿を顕さない理由が、これで釈然としたのである。それを鷹司家では庇護しているのかも知れない。しかし、その庇護すら津村老人は辞退して、自由に生きている。何と痛快なことか……。既に権力を手玉にとっているのである。

 自分の身を自分で決着付ける。まさに自前主義だった。
 私もそうした制約も蹂躙
(じゅうりん)もされない自前主義に徹したいものである。この“まやかし”の世、自由自在に生きてみたいものである。ろくでもない世の中なら尚更である。
 そう感得した時、「窮すれば通ず」という言葉を思い出した。もう、煩わしい世間とは離れて、去ればいいのである。去るに当たり、学ばねばならないことも多々あった。
 それは、おそらく津村老人が生きる原動力においているであろう、「少なくても可
(よ)しとする小国寡民であるのではないか」と思うのである。単に頭数を増やせばいいと言うものでない。
 自浄し、人としての完成を目指すには、独自の自力更生を信条とし、決してブランドなどを需
(もと)めないことである。標本調査で捏造しても、中身は高の知れた三流品、四流品である。中身は純真無垢ではない。正真正銘でもない。それらに程遠い。
 それゆえ、この種の不完全帰納法には、法則の正しさを証明するよりも、他者への説得を促す煽動の技術として用いられることが多く、この種の帰納法には「説得の技術」に、種々の陥穽
(かんせい)がある。これに多くの大衆が引っ掛かる。捏造の暗示に振り回される。斯(か)くしてこれが激しい思い込みを作る。

 兵頭氏は津村老人を、このように言わしめた。
 「厳しかったのは、陸軍刑務所より、戦後の米軍の戦争犯罪容疑者の独房だったと聴いております。激しい拷問があったとも言います、執拗なまでに。今もその追求や穿鑿
(せんさく)があり、日本の権力筋も、また米国諜報機関の追跡が執拗に繰り返されていると聴きます。米軍の軍事法廷では死刑は恩赦もなく、時効もないのです。未だに日本は戦争を終結させておりません。敗戦国日本の負け戦は、まだ継続中です」と。
 平成3年当時、終戦から、もう46年も経っていた。
 マスコミなどでは、当時は「もやは戦後ではない」と豪語された時代である。この豪語が、実は巧妙な煽動工作だったのか。

 だが、捏造された背景に、まだ先の大戦を引き摺って闘っている人が居たのである。敵前逃亡を疑われた人達だ。そしてその背景には、粛清しようとする組織の傲慢
(ごうまん)があった。
 この傲慢が殺生与奪の権を握り、酷薄な権利を弄
(もてあそ)んでいるのである。権力は、社会構造が必然的に派生させる不必要な邪魔者を密かに排除しようと企む。
 近代市民社会においての概念から言えば、不必要な人間など存在しないのである。絶対に認めてはならないとなる。その場合、重大問題に関わる人物なら尚更で、こういう対象者は必ず粛清されるようになっている。
 それも公平な裁判でなく、非公開で、一方的な正義の名において粛清してしまう。

 特に近代市民社会においては、国家権力が対象者や容疑者を裁く一方的な権限を握ってしまった。それを高度な法治国家の社会と言う。このような高度な社会は、また捏造や工作もより高度になり、重大問題が世の中に洩れる前に、その虞
(おそ)れのある場合は予防措置として、対象者を葬ってしまうのである。
 この法律論理から言えば、本来、国民は国家の国民を葬る権限は付託していない。また付託しないことこそ民主政治の基礎であった。ところが人間牧場の管理が複雑化し、巧妙な手段がとられ始めると、闇から闇へと葬る隠微な集団の暗躍が始まる。
 またタテマエとして、「環境への悪影響を配慮して……」などと歯の浮くようなスローガンが遣われ、劣悪な環境が、次の犯罪を連鎖させるなどと嘯
(うそぶ)く。そのスローガンに搦(から)め捕られて、闇から闇へと葬むられた無言の粛清された者も多く居たようだ。その一人が、南京大虐殺で国際連合軍に処刑された松井石根(いわね)大将だった。

 昨今の標本調査で割り出した標本を例に上げ、悪とか欺瞞
(ぎまん)だと捏造を企て、それを環境の所為(せい)にする考え方は戦後、大いに持て囃(はや)された。だが果たして環境が総て、他に影響を与える温床になったのだろうか。
 劣悪な環境と言えば、日本が敗戦した終戦直後の方が今よりもっと酷かった。当時は日本国自体が疲弊していた。ところが、当時の人々は劣悪なる環境に引き摺られて行ったかと言うと、必ずしもそうではなかった。
 自分で自分を制御する方法を知っていた。環境に引き摺られる確率は、現在の方が高い。人真似が盛んな時代だから、直ぐに悪化の様相をみせる。多くの物が溢れ、金さえ出せば何でも手に入る時代にである。

 一方で「集団の論理」と言うものがある。
 これは数が固まった場合の集団論理である。
 人間は一人ひとりの一人の場合は絶対に正しい。その人格は決して悪人でない。正しい判断も出来る。
 ところが二人となると矛盾が生じる。意見の喰い違いが起こって、それぞれの言い分に矛盾が生じて来る。
 これが三人となれば、どうだろう。三者鼎立
(ていりつ)で拮抗を執(と)るだろうか。無理だろう。そこでは三人三色のカラーが表出されて、派閥が生じる。力が拮抗すれば、鼎立で睨み合いが生じるが、一人でも弱い者が混じると、その者から啖(く)われ始める。
 では四人ではどうだろう。こうなると、一人を除け者にして三者でつるむか、二人ずつに分裂して対立が生じるだろう。世の中とは、こうした「集団の論理」で動かされているものである。


 ─────私を変性女子といい、家内を変性男子といった。不可解で奇怪な言い回しである。そういう力は私は毛頭ない。またそういう大それた器でもない。一介の凡夫である。
 家内とて、人格が分裂する程度のヤワな霊媒体質で、既に精神分裂病を患っていて、これまでに入退院を繰り返し、殆ど恢復の期待できない不安定な状態にあって、私自身も、地に足の着かない極楽トンボだった。
 それを……と思うのである。
 何故か……。
 また真弓は「どうして奥さまは、無条件で先生に蹤
(つ)いて来るのですか」と訊いたことがあった。
 それに対して、次のように説明した。
 「下駄を預けているからでしょう」
 「信用しきっていると言うことでしょうか?」何処までも彼女は半信半疑である。
 「人は信用しているだけでは下駄は預けないでしょう。人間の信用なんか当てになりませんからね。それに信用し切っていても、体制がいつ崩壊するか分らない。人間がする行為の中で、絶対とはないのですよ。
 そもそも人間は、不完全な生き物であり、神ではない。ただの人間です。未だに不完全帰納法の上を歩いている。その上に文明を気付いた生き物と言えば分るでしょうか」
 「では?……」
 「不完全であればこそ、そこに何か賭
(か)けてもいい、何かがあると思いませんか」
 「それはつまり、信頼?……ということでしょうか」
 「そう言うところでしょうか、下駄を預けるのですからね」
 「でも、その信頼すらも不完全であり、信頼する行為も人間がするものですから、いつ崩壊するか分りませんわ」
 「そう、いつ崩壊するか分らない。しかし、下駄を預けた以上、信頼する以外ありますまい」
 「どう言うことです?……」
 信用と信頼の違いである。
 信用は確かだと信じて受け入れることをいう。言わば「推測の確認」である。
 一方、信頼は信じれ頼ることを言う。つまり信じると言う背景に「下駄を預ける」という意味を含む。自らを一切任せ、それだけに単に信じるだけでなく、運命共同体的な任せることまでを含む。自ずと信用と信頼は信じ切る次元が異なるのである。

 「信頼すると言うのはねェ、人間を信頼している訳ではないのですよ。言わば、天を信じ、神を信じ、かつ進行する方向が一致している条件下で、この気持ちが起こり、それが確信的になります。信じて疑わない。
 つまり人を信頼すると言うことは、同時に自分を信頼して、信じて疑わないのです。
 人間、自分以外は、わが身から外れれば、親子兄弟姉妹と雖
(いえど)も、自分の外にある存在ですからね。
 例えば、自分が大怪我をしたとしましょう、あるいは大病に罹り、悶絶するくらいに相当な苦痛を受けているとしましょう。この痛み、果たして自分自身以外に、痛覚で感じ取ることが出来るでしょうか。無理です。
 自分の外に居る分離した人間に、この大苦痛など、痛覚で感じ取ることはできません。ただ傍観しているだけです。それ以外、手はないからです。そしてせいぜい感じることが出来ても、悲しんだり、悔やんだり、同情したり、気の毒に思うくらいです」
 「でも、そういう気持ち、大事ですわ」
 「しかしねえ。進行方向を同じくし、同じ価値観の上で、何は物事を実践している場合、苦痛者自らが途中で斃
(たお)れたとしても、その後を任せることが出来る人間がいれば、苦痛者の痛みは半減するでしょう。
 否、半減する以上ではない。もう、信頼するということは、自分以外の人をも信頼するということだから、痛みなど無くなって、痛み発生以来、この上もない安堵
(あんど)が訪れるのです。平静を味わい、もう思い残すことはないと言う境地まで至り、これまでの苦痛に苛まされていた痛みは、殆ど消えてなくなるのです。
 互いに信頼し合い、下駄を預けると言う行為は、つまり、こう言うことをいうのです。信頼は永遠に進行形なのです。これが信頼している効用です」

 「では、奥さまは、もう先生に完全に下駄を預けてしまっているのでしょうか」
 「下駄は、預けようと思っても、預けてないでしょう」
 「どうしてです?」
 「だって、下駄を持っていないからです。持っているのなら、もう疾
(と)っくに預けていますよ」
 真弓は《なにをトンチンカンな……》という貌で聴いていた。
 「あたくしの言っているのは、そういう“物”でなくて、心から信頼しているのかということです」
 「信頼ですか、さあどうでしょうか?……。何しろ至る所にガタが来て毀れていますからねェ」
 「あたくしも、そういう毀れた人に、下駄を預けても、宜しくってよ」
 「下駄をですか?……」渋るように言った。
 「下駄だけでなく、命も預けても宜しくってよ……」冗談半分で験
(ため)すのだろう。
 時々この手を使って人を験す性癖がある。何度この手に引っ掛かったか……。
 「そこまで、言われると、困りますなァ……」
 「何なら、この躰も、宜しくってよ」
 「何とご奇特な……、実に素晴らしいことを仰る。そういう冗談を言うと本気にしますよ」
 「冗談ではありませんわ」
 「冗談でないなら、家内に訊いて下さい。下駄箱のキーマンというか、下足番は家内ですから。私公認を貰わない以上、無断で、お綺麗な真弓先生のお美しい“もの”は頂けませんから……」
 「結局、困らせるのですね」

 「困らせてなんかいない、家内だったら公認するかも……。
 私と家内は、単に肉の繋がりではないのですよ。肉以上に、血以上に、霊統で繋がっているから、進行方向はいつも一致しているのです。例えばね、わが子の事や兄弟のことを考えてみましょう。私は親子の間柄と言うのは、家族一同が、同じ電車かバスの乗って、同じ目的地に、例えば行楽とか旅行で、そういう景勝の目的地に向かっているだけのことだと思っているのです。
 これが子供の場合は、年齢が若いとか躰が小さいとかで、兄弟姉妹の場合は一時期、趣味や指向が一致していると言う程度でしょう。だから同じ電車かバスに同乗する。最初は家族揃って同一行動を遣る。その時点では統一しているように映ります。一般世間では、よく見掛ける光景です」
 「そのようですね、動物園などに行くと、そういう光景をよく見掛けますわ」
 「ところが、同一趣味に興味が無くなり、向かう方向も完全に一致していなければ、厭になって途中で降りることだってあり得るのです。
 現代は、親子関係において、子は鎹
(かすがい)でもないし、子宝でもなくなっている。親が邪魔になれば、早々と養老院とか老人ホームなどに叩き込みますからねェ。そう言う意味では、現代にも、姨捨山という現実が消えていないのです。
 また老人も、自分のこれまで生きた経験を、後世に伝えられなくて、虚しく、寂しく死んで逝きます。何故そういうことが起こるのか、何故そういう現象が現代に限り、頻繁
(ひんぱん)に多発するのかを考えて見たことがありますか」
 「物質的に豊かになったからでしょうか……」

 「それはねェ、この世と言うのが、資本主義の市場原理と、その根本にある利潤の追求のみを目的とした金や物の振り回されている世界を人類が歩いているからです。これでは無用になったと言う親は、もう不要物でしかありません。そしてこのシステム下では、粗大ゴミとして、歳老いた親は産業廃棄物なのです。
 況
(ま)して半身不随になったり、自力歩行はマナならぬ状態やボケて徘徊したり、寝たっきりだったら、その価値は殆どありません。しかしねェ、この粗大ゴミでも生かしておいて医療的価値のある場合は、障害者として利益を生みますから、その親族は簡単には捨てません。医療年金や障害者年金に縋(すが)り、金銭を給付されると言う利点がありますからね。これ、結構いい収入なんです」
 「側面には、生命を物に換算する悲しい現実がありますのねェ」
 「こういう哀れな非人間的な行為が出来るのは、現代の現役主義というのがあって、その専門職種を担当する現役こそ、大きな発言権があり、一番大事だとする考え方があるのです。そこで老人と言う、産業廃棄物化したジジババは要らなくなります。しかし、ジジババもなかなかしたたかな生き物。
 今の世は、ジジババ自身が産業廃棄物になりたくないために、つまり子から棄
(す)てられないために、若作りをして、涙ぐましい努力をしています。棄てられないように必死で抵抗するのです。
 昨今の健康寿命とか、若作りとかは、明らかに自然の摂理から外れているのですが、これを敢えて行うから爺さまや婆さまは中途半端に枯れてしまうのです」
 「中途半端に枯れてしまう……とは、どういうことですの?」
 「枯れが身体の至る所で同時進行現象を起こさない。部分的に、一方では極端に枯れ、他方ではまだ枯れずに残る箇所が出来るからです。例えばボケているのに髪は黒々とか、歯がないくせいに食欲旺盛とか、老いてもなお性欲が納まらないとか、聲
(こえ)はジジババの嗄(しわが)れ声だが、肌はツヤツヤとかの中途半端な枯れ方で、同時進行で全体が枯れない。これは大変に不幸な事です。枯れる場合、一度に、一斉に、総合的に枯れれ行かなければならない。一部枯渇ではだめだ。それが本来の枯れ方です。それが全体的に、同時進行で訪れた場合に、人間は生・老・病・死の四期の中で、より善き死に恵まれる。
 ところが、死に向かう同時進行であるべき箇所に、中途半端な未練が残留していると、より善き死に恵まれない。これ、分りますか?」
 「これだと、要するに安心して死ぬことも出来ないということかしら……。つまりボケることも、病気になることも赦されない。そして棄てられたくなければ、寿命が来ても、ダラダラと生きていなければならない。薬漬けにされて生かされる……ということですね。現代人は死期が来ても、簡単に死んではいけないのでしょうね。何だか変な感じ……」

 「今の世は死んではいけない『生の哲学』で、医療が動いていますからね。現代の世は、生きることだけが余儀なくされますから、死にたくても、結局、死から引き戻されてしまう。こうなると哀れですよ、中途半端ですから……。
 死ぬ時期が来ても、死ねないから大変な苦痛でしょう。この苦痛、現代の若い世代、あるいは自分の子どもにすら分ってもらえないでしょう。自他離別の方向を進んでいるいますからねェ……」
 「人間が物に豊かになる側面には、こうした悲しい現実が存在してますのね……」
 「だから心の繋がりが必要であり、人間同士は霊的に繋がっていなければならないのです。
 私たち夫婦はね、霊統で繋がり、霊的世界に向かい方向も一致しているから、霊的家族の形態を構築しているのです。そこでは心の下駄を預けて、互いに信じて疑わず、信頼し切った中で、理想郷を追い求めているのです。これを追求して行くと、どうしても老荘的になり、小国寡民の、まァ、言わば山奥の桃源郷の一劃に魂で辿り着こうとしているのではないでしょうか……」

 「山奥の桃源郷って?……」
 「自前主義で、自足時給。何でも自分の事は自分でする。禅にもあるでしょう、『粥を食ったら、茶碗を洗っておけ』と。
 禅問答に『粥を食べたら器を洗え』というのがあって、『趙州洗鉢
(じょうしゅう‐せんぱつ)』のがあり、ある僧が趙州和尚に質問したのです。この坊主、和尚に『修行の目的な何ですか』と訊いた。すると和尚は『あなた粥(かゆ)を食べたか、まだか?』と問うた。坊主は『もう食べました』という。
 和尚は『そうか、だったら食べた茶碗は洗っておけ』と言ったそうです。これ、どういう意味か、真弓先生は分りますか」
 「えッ?……、どういう意味かって訊かれても……」
 「この公案が解けたら、下駄、預かってもいいですよ。ついでに、命も躰も丸ごと預かりましょう」
 「もう!……、調子に乗る!……」
 抜けぬけとと調子付いた私の言葉を拗
(す)ねたように遣り返して来た。そして私は、不埒(ふらち)にも、言葉が相手にどんな反応を示すか、それとなく窺(うかが)っていたのである。観測者の心理であった。

 「本当の修行と言うのはねェ、例えば禅でも同じですが、特別な修行なんて要らないのです。よく世間の葬式坊主どもは、涅槃経だ、阿弥陀経だといって、格好をつけ、畏
(かしこ)まって坐禅を組み、またこうした禅坊主屋の座禅会などに騙されて、会員らは高額な会費を払ったり、霊的スポットとか、パワースポットなどと称して、寺院に宿泊することが最近流行っている。そこで写経したり、訳の分からない朝の勤行(ごんぎょう)に付き合わせて、坊主に読経に併せてお経を上げる。しかしそういうことは、禅では一切必要としていないのです。だから趙州和尚は質問した坊主に『食べた茶碗は洗っておけ』と言ったのです。
 つまりですなァ、人間は食べる物を食べ、その後、食べた物は糞として排泄される。喰って寝て、それで終わりという訳です。だから、『食べた茶碗は洗っておけ』と、さらりと公案と解いてみせたのです」
 「では何故、坐禅を組むのです?」

 「自分の事は自分でする。そう言う人間になるために、修行者は坐禅を組むのです。ただそれだけ」
 「これって、うっかりすると見逃してしまいますよね。本当は一番大事なことなのに、忘れてしまって、自分で勝手に善悪を作り、また損得勘定を計算して、儲かったかそうでないかのプラスマイナスで人生を考えてしまいますものねェ。結局、こうした思い込みの判断が、本来の人生を本質から逸
(そ)れさせてしまうと言うことでしょうか……」
 「つまり禅の本質は、坐禅を組む事に目的があるのでなくて、『食べた茶碗は、自分で洗っておける人間になるため』に坐禅を組むのです。これには特別な修行なんて要
(い)らないんです」
 「でも、先生は今もなお、修行なさっているのでしょ?道場で、どうして稽古をなされるのです?」
 「私は記憶力が悪いから稽古をしないと、『食べた茶碗を、自分で洗うことを忘れる人間』なんです。生まれつき暗愚で、愚鈍ですから。要するに、先生と呼ばれるほど偉くもないし、またバカなんです。だから、バカは人の三倍稽古をしなければならない。これは、わが身を護る人生の根本の護身術なんです。
 本来、護身術とは死なないように、簡単に殺されないように稽古をするものです」
 「それで、先生は護身術を身に付けたのですか?」
 「さあ、どうだか?……。しかし、こうして未だに生きていると言うことは、今年で42年になりますからねェ、今なお生きていることは42年間の護身術を身に付けたと言うことでしょうか。
 江戸初期に天才的剣豪の佐々木巌流
(小次郎)は、越前の人で、また毛利氏の臣であったと言われ、のち細川忠興に仕えて、『燕返し』の剣法を案出して、船島(巌流島)で、宮本武蔵と闘って敗死します。この剣豪にして42歳以前に潰えています。才能があるのに私より短命でした。私もねェ、これまで何回か死に懸かっているのですよ。運命から殺されかけたことがある。三度以上もあったでしょうか。
 しかし、殺されずに、まだこうして生きている。生きる因縁があるからでしょう。死ぬときは死に、殺される時機
(とき)には簡単に殺されるものです。因縁でしょう。私はこの因縁を必然と考えている。
 それはねェ、何とか稽古して『食べた茶碗は、自分で洗っておける人間』に少しばかり近付いたということでしょうか……」
 「それで身を護る術を身に付けたということでしょうか。でも、身を護るというのは大変でしょ?」
 「格闘しなければ大変ではない。護身術は格闘術でない。人と争わない、だから誰にでも出来ますよ」
 「誰にも出来るって、そんなに簡単なことですの?……。今の世は至る所が危険で、毎日何処かで殺人事件や傷害事件が起こっていますわ。こういう危険から、どういう方法で身を護るというのです?」

 「武術はそもそも根本には礼法がるのです。対峙した相手と闘わず、争わない礼法です。つまり道は、先に行きたい方に譲る。自分が出しゃばらない。人を先に遣らせる。摩擦は避ける。危険な場所には粋
(いき)がって近付かない。肩で風を切って歩かない。傲慢な態度を示さない。普段から食の陰陽を知って、食べていいことの悪いものを知り、病気に罹らない体質を作り上げる。これは体力を養成するということではないから、くれぐれも間違わないように……。
 また、墜ちる飛行機には乗らない。こういう飛行機に乗ると、幾ら世界最強を自負しても、墜落飛行機内では抗
(あらが)う格闘法がない。だから直感して、墜ちる物には乗らない。霊的知覚と霊的反射神経を養う。
 また衝突したり脱線する列車には乗らない。車も然
(しか)り。特に自信過剰な若者の車や、走行中に携帯電話を掛ける者の車には絶対に乗らない。
 イベントなどの会場には近付かないし、将棋倒しになるような花火大会には行かないし、大勢が詰めかける行楽地にも行かない。更には正月三箇日の神社仏閣にも詣でない。こうして自分で慎みを深くしていれば、運命と言うのは人間を簡単には殺しはしない。しかし、自分が強いぞと思い上がれば、時として運命は人間に牙を剥くことがある。自分は簡単に死なないだろう、凄い術を身に付けたから、簡単には殺されないぞと高を括ったとき人間は簡単に運命から殺されてしまう」
 「蛮行を遣らないと言う事でしょうか?」
 「そう。勝ちは譲ればいい、いいところはみな欲しい人に遣ればいい。自分は頭を低くしていればいい。目立つことはしない。陰に隠れる。ひっそりと慎ましく生きる……。
 ただそれだけで、相手を躱
(かわ)し、去(い)なし、簡単に身が守れてしまうものです。しかし、そうでない場合もある。そのために『最後の最後で出す切り札』を隠しておかねばならない。
 かの老子先生も、孔子に忠告したでしょ。『いい商人と言うのは、大事な物は店先に並べず、いい物は奥に隠しておくものだよ』と。これは、物事を平面思考で考えるなということです。この世は二次元的な思考では通用しない。最低でも三次元的な立体思考で考えねばならない。それには深い読みが必要です」
 「では、平面でない別の思考を発見したと言うのですか?」
 「発見はしません、かつて昔にあることを探したしたということです」
 「そういう昔を探し出したのです?」
 「老子の小国寡民……」
 「具体的には?」
 「道は先に行きたい人に譲る。欲しい人には好きなだけ利益を遣る。色や流行を追わない。お義理セックスもしない。無駄な精禄は安易に浪費させない。射精は排泄行為ではない。
 粗衣・粗食で自分が今の足るを知って、それで充分に満足する。着飾る必要はない、さっぱり片付いて清々しいのがいい。持ち物は最小限度でいい」
 「あたくし、奥さまが何故、いつも粗末な身形で、走り回って頑張っているか分りましたわ。これからは見習わなくちゃ」

 「斯
(か)くして、これが老子の説く小国寡民……。
 此処では物を外に追い求めず、自身を自浄し、精神上の安らぎと安住を得る。そして独立独歩、自力更生、自給自足、誰の世話にもならず、自分の事は自分でする。出来なくなれば死ぬ。また高級品やブランド指向に趨らない。肉常食を止め、乳製品た鶏卵の摂取を止める。また化学調味料や、生乳・牛乳や、これらから作る乳製品
(粉乳・濃縮乳・クリーム・バターなど)を原料とする飲用乳などの、腸壁に腐敗物質を残留させる加工食品は食べない。
 あくまでも玄米を中心とした玄米穀物菜食の蔬菜の馴染む体質造りをする。刺激物は出来るだけ摂らない。
 私の場合は、残念な事に酒から卒業出来ず、未だに酒品の保てない愚かさはありますが、その愚かさも年とともに枯れるでしょう。精神的土壌の育成としては、感謝の気持ちを忘れない。天に生かされている事の有難さを知る。そして土を拝む。これは現代人の一番忘れていることです。土地を拝むことが出来ないから、未だに日本は自給自足体制が作れない。愚かなことです。
 政治家どもは海外から輸入した方が安くつくという理由で、時刻の自給自足体制を放棄してしまった。この放棄は近い将来大変、高くつくものになるでしょう。そしてこの国の国民と言うのは、金・物・色の欲望の夢から醒めきれない……」
 「これって、深刻な問題ですわねェ」
 「そう、日本の未来は深刻な問題ばかりに汚染されている。それでも欲の夢から醒めきれない。
 だから私が逆のことをして小国寡民の桃源郷を目指す……。そのためには、まず情報に振り回されない教養と学力をもち、情報と言うのは総て危険感を煽る道具だと見抜くことが肝心。だからテレビも新聞も、情報を伝達する雑誌なども読まない。こう言う中には隠れた偉人など、誰一人として居やしない。古代の思想の中にこそ、現代には発見出来ない。そういう偉人は隠れている。そのために人は本を読むのです」
 「先生の仰ること、よく分ります」
 「小国寡民、そして終着駅は桃源郷駅。しかしそこから先は不明で行って見なければ分らない……」
 「あたしも、そこに行ってみたい……」真弓は少女のように眼を輝かせた。

 「私と家内は、執着の桃源郷駅までのキップを買って電車に乗車したのです」
 「あたしも、その電車に乗りたい……」
 「ただし私の乗った電車はボロ電車ですからね、窓もろくに閉まらないし、座席シートは敗れ放題でリクライニングでないし、背凭
(せ‐もた)れの衝立板は、超がつくくらい車内内装はボロで溢れています。
 そのうえ強風や大雨、大雪には弱く、度々停車して、立ち往生の連続です。時には窓から這い出て、線路工事もしなければ成りません。重労働です。それでも宜しければ、乗車拒否は致しません」
 「じゃァ、同じ終着駅まで乗車は許可していただけるのでしょうか」
 「乗車拒否は致しませんが、しかし、途中下車は出来ませんよ。何しろ、ドアが毀
(こわ)れて開きませんからねェ。このボロ電車ね、ドアから入るのではなく、窓から無理矢理乗り込むのです。乗り込んだら最後、終着駅まで途中下車は出来ませんが、窓から乗り込み、停車駅なしを覚悟して、波瀾万丈の旅をなさる根性があれが、どうぞご乗車下さい」
 「では、乗車させて頂きます」
 「どこが目的地か、もう一度確認しなくていいのですか」
 「だって、下駄を預けるのですもの。目的地など、知る必要がありますか、そこ、桃源郷でしょ?」
 「言われてみれば、ご尤も……。では、死出の旅にご案内しましょう」
 「それは死ぬまで、ということですか」
 「この電車は、確かにオンボロ電車ですが、運転手兼車掌は決して乗客の命を粗末にしません。終着駅まで確
(しか)とお世話致します」
 私は運転士と車掌を兼ねていた。
 乗車を許可したのは、真弓が長い寿命でないと家内から聞いていたからである。決して真弓の美貌に酔った訳でない。
 況
(ま)して魅惑もされないし、蠱惑すらされず、この女と肉体関係まで及ぼうとは思っても居ない。あるがまま、霊的世界の同一家族であればいい。この家族に、肉を介してのそういう行為は必要ない。愛欲の世界に身を投じ、そこで悶絶し苦悩する人間でもなかった。その辺は早々と卒業していた。

 霊は、肉の媒介など必要なく、その真意をそれぞれが瞬時に確認出来るのである。
 家族揃って向かう終着駅は仙境であり、かの陶淵明が著した『桃花源記』に出て来る「武陵桃源」である。
 浮世と言う、人間が醜く争う金・物・色の欲界を離れて、あたかも秦の戦乱を避けた人達の子孫が、世の変遷を知ることなく、また知る必要もなく、世間と掛け離れた平和な生を楽しむ仙境の地なのである。人間同士の啀
(いが)み合いも、鬩(せめ)ぎ合いも、駆引きもなく、争わないそういう世界を目指すのである。終着駅は此処に辿り着くのである。

 小国寡民の桃源郷では、まず土を拝むことから始まる。土を拝み、同時に日の恵み、月の恵み、血の恵みを知り、これらが三位一体になっている構造を学ぶ。そして、人間はその大地から生まれた農作物を食べ、人体に土からのエヘルギーを貯える。これが生体である肉体と渾然一体である不可分の関係を学んで「身土不二」を大切にする。大事なのは国内産であることだ。外国の物は、霊的波調が合わないからである。こういうものを長らく摂っていると、やがて日本人のとしての霊的神性は失う。見通しが利かなくなる。
 ところが現代はどうだろう。
 自給自足ができない日本では外国の波調の合わない物ばかりを摂取して、日本人としての肉体と言霊を狂わしている。日本の食物市場には安価と言う理由で外国産の物が多くなり、今では完全に国内産を圧倒してしまっている。身土不二は破壊されてしまっているのである。
 身土不二の破壊は、現代人に日・月・地の尊い恵みに対する有り難味を忘れさせ、ただ昨今の居酒屋や外食産業で見られる飲み食い三昧に明け暮れるという病的社会を作り出し、ここに様々な問題が派生し始めた。
 ところが、物質至上主義や科学万能主義は、これらをもってしても有効な解決策を見出せないまま、時々刻々と自己破壊の方向に向かわせている。

 老子を太一神とする小国寡民のシステムの中に在
(あ)って、独立独歩、自給自足の生活の中に欲を離れれて人間の大道を見出す、昔ながらの百姓の里なのである。そこの住民は、決して自然を管理したり支配しようとは考えない。自然と共に在り、その中の人間となる。
 言わば自然の営みに奉仕する奉仕者なのである。自然と融合し、精神文化を確立して、現代人のような人間そのもを排除・疎外して、非自然である多忙・徒労・混乱の中に身を埋没させる衰弱から回避する。その世界の奉仕者を目指すのである。
 その理想郷が、私の場合は『西郷派大東流馬術構想』であった。
 だが現在とところ、そこの住民になろうと、私に下駄を預けたのは、家内一人であった。その一人の中に、今度は真弓が加わろうとしていた。
 彼女も、この世に生を享
(う)け、人間とは何かと追求し始めているようだった。


 ─────私が“火の中”に在
(あ)っても涼しい貌が出来るのは、常に世間さまとは、逆のことを選択しているからである。その他大勢に流れない。また流行を追うこともない。
 ドン底に墜ちても不幸と思わないのは、世間さまとは同じ土俵で物事を考えないからである。常に世間さまとは一線を画し、世間さまとは、精神的には同レベルで肩を揃えたくないからである。いつも外して、同調もしないし、気にも掛けない。ただ淡々としているだけである。
 したがってデマもにも患わされないし、煽動にも乗らない。誘惑もされない。色には特に誘惑にされない。美人にも強いと言う自負もある。自分で自身を見失わないのである。盲目にはならないのである。そうした多くの経験を積んで来た。故に、すったもんだの家庭争議を起こしたことは一度もない。取っ替え引っ替えしたが礼を尽くし、筋を通した。どさ回りの経験がある自称“苦労人”である。

 自分では世間さまより、多くの地獄を見て来たと思っている。精神的辛さも苦渋もより多く舐めて来た。
 安易な同調がないのである。私が此処に上げる“世間さま”とは、大衆と呼ばれるその他大勢の、自分自身を“中の上”と思い込んでいる中産階級、中間階級を指しているのである。
 したがって、私自身は自らの過ちに贖
(あがな)うために、商いをしているのだが、その商いは決して世間さま全般に対しての飽きないではない。相手は最上流か、最下流である。過去を贖うのは常に最上流か、最下流である。その他大勢の世間さまを構成する階級に、罪を働いたことはこれまでの過去を振り返って、認識出来ないからである。私が確認出来るのが最下位にいるこの人達に「何もしなかった」という罪の意識を感じるのである。

 知っていて何もしなかった、知っていて知らぬ振りをした傍観者を気取った罪である。可哀想と思いながら慈悲の手を伸べなかった。この罪は“少なからず”の程度では済まされぬ実は大罪だった。途方もなく多いいいのである。
 では、最上流には何を働いたのか。いいものを高く売らなかった。安く売ったり、中途半端な値段で売ってしまったからである。思えば、金に転んでいいものを高く売らずに安く売ってしまった。少なくとも適正価格で売らなかった。この罪も大きい。
 その人達には、心から贖って行かねばならない。
 また「贖う気持ち」は、いつの頃からか、地獄を検
(み)る眼と同じになっていたから、世の中の巧妙な絡繰りの側面を覗いてしまったのである。

 譬
(たと)えば、どう言うことか。
 世の中は、世間さまも構成群は、不完全帰納法
(incomplete induction)のトリックに騙されたその他大勢から構成された集合体と検たからである。
 これに最初に気付いたのは、大学に入って物理実験と言う、いわば解り切った実験?を繰り返し同じことを遣らされた時だった。私は工学部の学生であったから、一年の物理実験と二年の電気実験は、たった1単位なのに必須科目なのである。この合わせてたった2単位足らないだけで進級出来ないし、況
(ま)して卒業も出来ない。それそれ一年間、びっしりと遣らされる。あるいは電気実験の変わりに理工学部では化学実験などもある。
 特に一番不審に思ったのは物理実験で、入学して直ぐに感じた私自身の中での違和感だった。これは腹立たしいほどの違和感だった。何れの実験も、自然科学実験に用いられる帰納法であり、これを「不完全帰納法」という。
 では、なぜ「不完全」と言われるのか。

 これを物理実験に置いて説明しよう。
 この実験は「該当実験」であり、その裏付けには法則が常に成り立つという認識の上に立っている。これを当時、説明出来る学生も、実験に際して煩いほど付き纏う大学助手どもも、あるいは担当教官も不完全について説明出来る指導陣は一人も居なかった。あるいは知っていても教えなかった。この存在に気付いたのは、一冊の哲学書からだった。この書籍にはニュートン以来の物理学のことが述べられていた。この物理学自体が不完全帰納法であると書かれていた。
 つまり法則について、法則は、常に成り立つ、あるいは真であることを必ず証明するものでなく、「成り立ち得る」あるいは「真であり得る」ことを証明するものだとあった。私の違和感が、これが原因だった。
 つまり、完全真理でなく、不完全真理だったのである。ゆえに腹立たしいほどの違和感を感じたのである。
 これまで高校や大学で習った物理学自体が、不完全帰納法によって解かれていたと言うことを知ったからである。
 端的に言えば、物理学で出来た法則の数々は「正しいかも知れない」という範囲に留まっていることだ。
 完全帰納法で、絶対ではなかったのである。
 それゆえ同じことを何度も繰り返し、過去の数値と合っているか繰り返し実験するのである。そして実験する行為の中に、「正しいかも知れない」というそこまでしか証明できなかった。正しいのではなかった。飽くまでも「かもしれない」と言う範囲に留まったのである。
 これは自然科学が不完全帰納法で説かれていると言う事実だった。幾ら体系付けようと、結局は論理説明に留まり、体系主義はそれ以上のものでなかった。

 これは自然科学の科学者が、科学信奉者が、過去の夥しい該当実験を繰り返したにも拘らず、何億回でも、何兆回でも、その度に同様の結果が得られたから、正しいかも知れないという範囲を、確実に完全に正しいとは言い難い条件にないにも拘らず、「実験によって既に証明された」としたことであった。つまり、該当実験を何億回も、何兆回も、したという事自体を科学的証明として、反論を赦さない構図を作り上げ、この構図はかなりの説得力を持っている。多くの現代人は該当実験の数の多さに納得する所以である。
 しかし、ではそれなのに何ゆえ解り切ったこと、証明されて結果が出ているのに何故となる。
 それは該当実験が、帰納法的に今なお証明されてい回からである。何億回でも、何兆回でも繰り返すのは、ニュートン以来の物理学が不完全帰納法の上に立っていることである。完全に証明された訳でない。

 物体落下実験は、どの物体も、その物質も、いつ誰が落しても、「落ちる」という実験なし実験で、物体が落ちると言う落体の法則が完全なる帰納法で証明されたと、未だに言い切れてないことである。
 これこそが、数々のこれまでの法則証明の正体であり、その正体は、不完全帰納法の上に立っているものだった。実験を通じて得たことは、確かに「物体は落ちた」というところまでだった。此処までが証明できた過ぎなかった。それから先の確信も、証明も何一つ行うことが出来なかった。
 これは、実験しなかった物体は落ちなかったかも知れないからだ。実験しなかった時刻には、かつて落ちた物体が果たして落ちたのか。その懸念が疾る。多くの科学者が抱いている共通問題である。
 これまで何億回と遣った科学者は、その落体実験が別の科学者であったり、比重が空気より大きくて、そういう物体だったら落ちないかも知れないではないか。まだ発見されていない物体もゴマンとあり得よう。物体は必ず落ちるとは確実に言えないからである。これは、このことについて科学者でも反論出来ないであろう。

 更にである。
 これまでの仮説の上に、新しい新説が起こり、これまでの実験結果が立ち所に覆されてしまった事実があって新たな法則が発見されることな度々あったからである。新しく出現した科学者の実験が、それ以降の科学者の発見により否定されてしまったと言うことが度々起こったからである。
 十七世紀のニュートンの万有引力が「距離の二乗に比例するという法則」は、一見分かり切った事実でありながら、果たして事実か否か、未だに実験が行われている事実は、この法則が未だに不完全帰納法の上に立っていること物語っているものなのだ。それでありながら、現代人にとってその多くは、この実験が信用出来ないものと思っていない。例外を認めようとする頭の柔軟性が、完全に固定化されてしまっているのである。
 それは「変数の分離」を知らないからである。
 そのうえに困ったことは、科学批判の精神が欠如してしまったことである。現代医学すらその実態は、不完全帰納法の上に立っていることだ。この事実は医学者の誰もが認めるところである。ところが医学者でないその他大勢は、完全に心から信用し切っているのである。
 あるいは「科学的」と云う言葉で、思考改造されてしまったのかも知れない。



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