運気 八門人相 房中術 癒しの杜 菜根譚 小説 会報Back No. 合気 蜘蛛之巣伝 死の超剋 霊的食養 心法
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続 壺中天・瓢箪仙人 17

『空にゃ今日もアドバルーン』……ならぬ、習志野の上空には対戦車ヘリおよび戦闘ヘリなどの編隊飛行が、ヘリコプター隊が展開していた。(写真は当時見たものと無関係で、平成27年10月10日、陸上自衛隊西部方面隊駐屯地の目達原駐屯地上空で筆者撮影)


●亡徴の予感

 YG性格検査の検査用紙が一式余っていた。これは矢田部ギルフォード性格検査の通称名で、これは大きな書店などで市販されている。
 この一式を《真弓に仕掛けて験して検るか……》という、そういう悪戯めいた気持ちが起こった。
 特にこの性格検査では劣等感や協調性、客観性や社会的外向の有無を観る場合に威力を発揮する。この検査用紙は、かつて予備校時代、講師や職員を採用する場合に、第一次テストとして使用したものである。
 予備校を遣っているとき、一次はYG性格検査。二次は生徒や見学の講師を含めての実践授業度。三次は食事の教養テストだった。
 特に食事の際には、箸の上げ下ろし一つにしても、その人の教養度合いが出るものである。それを一緒に食事して、その状態を観察するのである。

 順を追えば一次は、人間の性格性を読み、二次は実際に授業を通じてどれほどの質疑応答に耐えられるかの実践度を験
(ため)し、三次は教養度であり、これは食事をしながら喋る話の内容や、その際の問い掛ける質問に対して、どう答えるかの隠れた箇所を読むためである。会食を挟みながら、それを検(み)るのである。
 食事には、その人の教養が滲
(にじ)み出るからである。
 既に述べたように、血統まで出て来る。血統は、どう誤摩化しても誤魔化しようがない。血統とは躰の奥まで浸透しているのである。人を検
るときの決め手になる。

 さて、YG性格検査である。
 これを真弓に悪戯半分で遣らしたことがあった。
 この検査は質問事項に対し、自分が感じたり思い当たったりした該当箇所の番号に丸印を付けていくものである。氏名を書き込み、直ぐに開始となるのだが、時間はおおよそ15分から20分程度であろうか。
 記入された検査用紙は袋綴じになっていて、中を開くと、点になって表示され、点を追って、線を引くと棒線グラフになって結果を検ることができる。この棒線グラフの読み方に秘訣があるのである。

 私が特に注視したのは、劣等感と協調性であった。これか欠けたり問題があると、こちらの意志が伝達出来ないからである。また知識はあるが、指導は苦手というクズを掴んでしまう。そうなると建設的な意見は何一つ出て来ず、消極的に沈んでしまうからである。消極策を企てて、何でも反対となる。
 私の性格として、金と汗は出さぬが、口を出して、最後は止めておこうという消極人間が大嫌いだったからである。そういう人間は肌が合わないのである。肌の合わない人間と長時間過ごすのが苦痛なのである。
 それと、口の軽い人間である。秘密保持が出来ず、何でも喋ってしまう人間である。特に当てにならないのが、自分では口が堅いと思い込んでいる人間である。この、思い込み人間ほど、当てにならないことはない。
 人間を検る場合、性格もさるものながら、その人間が如何に秘密保持に徹することが出来て、口が難いと言う人間は意外に少ないもので、方色思い込んでいる人間ほど物事を主観的に捉え、始末の悪いものはない。要するに信用できないのである。

 況
(ま)して信頼となると、皆無であり、そういう人間を信頼したばかりに、途中で裏切られたなどはよくあることである。私もそういう苦い経験がある。何度、人に裏切られ、煮え湯を呑まされたことか。
 こういう轍
(てつ)は二度と踏みたくないものである。
 人にはそれぞれに邂逅
(かいこう)があるが、この邂逅によって生涯の友を得たり、人生の同行者を得ると言うのは稀(まれ)である。殆どの場合、最初はそう信じていても、時間が経てば裏切られている場合がある。あるいは眼耳に水で寝首を掻(か)かれることすらある。人には、そういう信頼のおけない魔が潜んでいるからである。最初は、おとなしく同行者のポーズをとっていても、後に寝首を掻くことがある。また味方の振りをして沈黙を保つ消極人間も、実は怪しい人間であり、信頼は愚か、信用すら、信の一字もないことが分る。
 私は、そう直感すると、その場から逃げ出すようにしている。あるいは相手にしないようにしている。既に期待に応えられない人間であるからだ。そう言う場合は去ればいい。

 その際の去り方で参考になるのが、『孟子』の「三度
(みたび)、諌めて聴かざれば則ち逃げる」である。
 『礼記
(らいき)』には「三度、諌めて聴かざれば、則(すなわ)ち、これを逃げる」とあり、また『史記』にも「人臣、三度諌めて聴かざれば、則ち、義を以て去るべし」とあり、あるいは「賢者の行や、道を直(ただし)くして以て直諌す。三度、諌めて聴かざれば則ち退く」とある。これは決して目上だけでもなく、目下でも、またこれまで眼を懸けていた者でも同じである。
 最初は、「まごころ」をもって接する。この「まごころ」は陽明学にある通りである。この鉄則に従い、心から接する。話しもよく聞いてやる。しかし、持続出来ない者がいる。最初の人当たりのみの好感で、これを判断すると大変なことになる。特に同じ釜の飯を喰ったことの少ない者は、邂逅時のイメージを強めてしまうと後で大変なことになる。人間は常に変化して行くものである。変化の中に人間性が出るものだが、その変化を見落とすと、知らぬ間に裏切られたり寝首を掻かれる事があるのである。そういう話しは歴史を検
(み)ればゴマンと記されている。その度に気付かされるのである。邂逅、そして一時の蜜月時ほど宛(あて)にならないものはないし、危ないものはない。
 その結果、至ったものがYG性格検査だった。

 当時、真弓にこれを遣らせて、結果は後日ということで、塾が終わった後、家内に袋部分を開かせて性格を検させたことがあった。検かたは既に予備校当時から教えており、その検を心得ていた。後は検させて報告を待つだけである。
 「どうだ?」
 「真弓さん、相当、荒れている。表情は大人しそうで厄介……」
 「どういう意味だ?」
 「外面如菩薩内心如夜叉
(げめんじぼさつ‐ないしんにょやしゃ)ってあるでしょ、あれ」
 「外見はやさしく穏やかに見えるが、心の中は険悪で恐ろしいと言うことか……」
 「でも、いい人ですよ、本当は優しい人です。しかし荒れている……、でも今は、そうなだけ……」
 やがて変化すると言いたいのか。
 「今が……とは?」
 「神
(しん)が冒されているからです。でも、やがて鎮まるかも……」
 三宝である精・気・神のそれぞれは、精が肉体、気が心情。神が念および光透波
(ことば)を支配する。また光透波は霊魂を本態とする。生きた人間の霊は魂と結んで神に宿るのである。そしてこれが肉体を制御する。
 その際、神と精は、気と言う乗用車で言えばシートベルト的な役割を果たしている。この役割において固く結んでいればいいのだが、この結びが弱いと、神と精はバラバラになり分裂して外部の邪霊に翻弄され易くなる。それらに配されて、時として神
(しん)は眠らされ、肉体は邪霊どもに操られ、別行動する人格が分化する乖離(かいり)現象が起こる。これが霊障というものである。これは何らかの心因性ショックで起こるものとされている。例えば、ある事件や事故を見た場合、言語に絶する残虐な場合は、その時点で神が冒される。そういうことを家内は霊媒の異能で言っているのであろう。

 私はこれだけ聴いて、家内が何が言いたいか、ほぼ理解してしまう。
 またそのように語って聴かせる。こういうときは、日本人に生まれて、日本人の言霊を使っていて、つくづく良かったと思うのである。
 鎮まるの意味も理解出来た。それは沈静化というより、恢復
(かいふく)しているのだろう。身体にその表情が出ているのだろう。その特長が「髪」であった。
 髪の色艶が良くなったと以前、家内が言った。

 特に女の髪は「緑の黒髪」と言われた。艶
(つや)のある美しい髪をそう呼ぶ。
 これは茶髪でもないし、栗毛のような褐色懸かった細い髪の毛でもない。髪自体が護身具である。特に女の髪は、男以上に生命力が溢れている。男の髪は早々と抜けて禿
(はげ)になるが、女はそうではない。それだけ男以上に身体能力も優れており、適応力もあり、生命力も旺盛である。それは女性の方が、男よりも寿命が長いことで身体的には優であることが証明されている。
 髪は血餘
(けつよ)と言った。血が顕す生命の表示である。この力は女の方が旺盛であり、老子が言った世界の始まりは、実に女から始まったからだ。それを象徴しているものが女の髪の毛であり、此処にこそ、本来の生命力が宿っているのである。またそれだけに巫(ふ)としての能力も凄い。霊媒体質や審神者は女の方が圧倒的に多いのである。

 古代中国では女の髪の毛を切って、それを武器の縄にし、これに咒を懸けて人殺しの道具にしたという。
 また、女房は旅に出る亭主に対し、自分の髪を切ってこれを護身具として渡したともある。よく夫人の遺髪などを貰って自分の御守りにし、長らく持ち続ける風習は昨今の日本にも残っていた。女の髪の毛は咒に用いるのみでなく、自分を守る大事な護身具にもなり得るのである。
 その一方で、女は髪の毛を切取られ、丸坊主にされると、それは死を意味した。

 『旧約聖書』に出てくる人物で、土師
(治める者または裁き人を指し、「士師」という呼び方は中国語聖書に由来する)サムソン(Samson)は怪力でペリシテ人を悩ましたことでよく知られる。しかし愛人デリラに裏切りで、一時は怪力を喪失するが、最後には、ペリシテ人から苦しめられているイスラエルを救うと言う有名な話が出ている。
 つまり「髪」には神秘力が宿っていて、この護身具に遣う髪の毛を「護髪」と言った。
 この護髪は自らの生命力のバロメータになるだけでなく、身近な者の護身具にもなり得たのである。

 さて、家内の喋った短い言葉の中の藕糸
(ぐうし)の部分に隠された血餘のことまで、それを読み解く人はそう多くないであろう。『旧約聖書』に出てくる土師サムソンの話は、おそらく進龍一の置き土産だった厖大な蔵書の中に聖書まで紛れ込んでいたから、これを引っ張り出して読んでいたのかも知れない。
 もともと読書家であった家内は、本は作者に関わらず、何でも読むタイプで、これといったご贔屓
(ひいき)筋はなかったようである。ある程度の速読力を持っていた。読んで感想を聞かしてくれる。この分、私は自分の読む手間が省けた事があった。この点、天然の生体抱き枕とともに重宝していた。
 私も、金を払って駄作を掴まされと退屈になり、阿呆な作家の本にぶち当たったりすると、捨てて時々聖書を読むことにしている。野郎の置き土産の中には聖書に限らず、寺院で遣うお経の類
(たぐい)まで混ざっていたが、お経を読むよりも、聖書の方が物語風になっていて読み易く、理解し易いのである。家内もそのことを知っていたのであろう。

 これは欧米人なら、殆ど理解できないだろう。おそらくそうと思う。心で通じ、相手の気持ちを心で察するアンテナが、東洋系の人種の方が敏感で、感性が強いからであろう。
 日本通の欧米人ですら、この短い言葉の裏の隠れた部分を読み解くことは、殆ど皆無に近いだろう。
 況して現代日本人なら、殆ど絶無だろう。
 昨今の日本人は、短い言葉の裏を読むことが出来なくなっているし、そう言う能力か退化するか、完全に抜け落ちていると思うのである。
 また昨今多くみる同居夫婦も、繋がりはセックスとそのフィーリングの一部だから、言葉を介して、相手の心情を読み解く能力は完全と言ってい程、退化していると思うのである。それくらい戦後の日本人は言霊を腐らせているのである。反面、国籍不明の訳の分からない、英語半分混じりのバイリンガル
(二ヵ国語併用)用語が流行し、この書の言葉を若者だけでなく、ジジババまでが使っていて、無理に若作りに挑み、涙ぐましい努力をしているのである。それに、更にジジババを哀れにさせるのは、戦後生まれの団塊の世代のこの種属が、米国人の真似をして、その身振りを自分らの生活に取り入れ、日本の文化まで欧米流の身体言語(ボディーランゲージ)で汚染させていることである。以心伝心の能力が失われ、身振りで、自分の思考や感情を伝達する方法でしか意志表示が出来ないのである。

 確かに、身体言語は人間が言葉を喋る以前の表現方法の一つであったであろうが、それは内面的なものから表出されたものであり、いつの間にか言霊を持たない欧米人用語には、身振り手振りというものが取り入れられたのであろう。だが、彼らは彼らでその国民性を顕しているものだし、それはそれで認める必要があると思うが、さて日本人の精神構造まで欧米風に汚染されていいものやら……、その変化の激しさに躍るばかりが能ではあるまい。それは日本固有の文化破壊に繋がってしまう。
 こうして敗戦国は、時刻の文化や精神土壌を汚染され、侵蝕されて、最後は総てを皆無にしてしまうのだなと思わざるを得なくなるのである。しかし、この侵蝕の早さは加速度を増し、これまで二千年以上続いた日本の伝統的精神性は、日本人自ら放棄してしまったと思えなくもないのである。今日の日本人はそう言う道を大半が選択してしまったと思うのである。おそらくそういう未来が遣って来るだろう。
 しかしそれは平面的で、お粗末な物質未来でしかないだろう。

 血餘、護髪……。
 そうしたものが真弓に蘇りつつあると家内が言う。しかし、根本までは蘇らせることが出来ない。深層部には何かが絡み、その糸が縺れていよう。縺れたものは、丁寧に解くしかないのである。
 さて、以前から気になっていたのは、家内が前々なら口にしていた「神
(しん)が冒されている」という一言であった。扶(たす)けてやる解決策は、今のところない。これをどうするかとなる。
 やはり、あの爺さまを捜す以外なさそうである。
 こうして関わってみると、此処には複雑な糸の縺
(もつ)れた何かがありそうである。それに、これまで不思議なことも起こっている。今までに遭遇したことのないようなことばかりが起こっていた。
 数日まで、訳の分からない連中から包囲され、連行されたことがあった。そして、「津村陽平を知っているな?」と尋問されたことがあった。その遣り方と言うか、動きと言うか、それは馴れたプロの仕業だった。
 解放される前、「今日、われわれと接触したことは忘れろ、記憶から消しておけ。賢明な人間なら、必ずそうする」と脅しの捨て台詞を吐いて闇の中に消えたことである。
 そして、もうこれ以上、何の尋問もなく簡単に解放してくれたのである。これを考えただけでも、私の周りは監視されていることになる。そういう危険の中に居る。この連行されたことは伏すべきか……。闇の中で、闇に溶け込んだ連中と遭遇したことは秘密にしておくべきか……。
 彼らは闇からの追跡者と考えた方がよかった。今後、付き纏うだろう。それも執拗に……。覚悟した。


 ─────世の中には喋り過ぎてならないことがある。話術の原理原則である。会話には人間が言葉を発した時期に話の原則が出来た。その原則に原理が生まれた。この原理原則を知らずに世の中を渡ろうとすると、思わぬ落し穴に墜ちることがある。
 この日、老人探索に近くの喫茶店で真弓と話していた。

 「お窺
(うかが)いしても宜しいでしょうか」真弓が訊いた。
 「何でしょうか、真弓先生」
 「その真弓先生、もういい加減に止めて頂けません?」と迫る。
 《わが塾では、教える方はみな敬称でいう。あの越後獅子1号、2号だって、生徒の前では敬称である。いまさら勝手に変更出来るか……》独り言である。
 「いえ、わが塾の講師は、みな『先生』で呼称し合うものですから……、つい普段の癖で……」
 「でも、それは生徒の前だけでしょう?」
 「それだけに、そういうのが昨今は入り交じって、つい呼称で呼んでしまうのです」
 「呼称ですか?……」
 「何なら尊敬の意味を込めて、敬称に改めさせて頂きましょうか……」
 些か彼女には嫌味に聴こえたのだろうか。
 「?…………」
 「問われることは、知っている範囲なら、なんなりと……」
 こう註釈を付けるのは、質問して答えられることは答えるが、答えられないことは答えようがないということと、訊かれた以上のこと以外は、喋らないぞという前置きも入っている。安易に喋ると口を滑らす。
 「先日、殿方が集まられて清談会議を遣ったでしょ……」
 「あれですか。あれは清談などではなく、また愚談などでもなく、まァ、どちらかというと、真弓先生が指弾されたように、愚人の卑俗な『猥談の七愚』です」
 さて、いま言で口が滑っていまいか?……と警戒を始める。

 「そことではありませんの、その後です」
 「後と申しますと?……」
 「福の神さまを、お招きになったでしょ。あのことです」
 「あれはですねェ、路上で転がっている“神さん”というか、路上生活者のオヤジにうっかり足を引っ掛けましてね。それが奇
(く)しき縁(えにし)となり……。しかしですなァ。そのとき、てっきり『猥談の七愚』の一人と思って、やつが酔い潰れて転がっていると判断して、まずは気付け薬に、缶ピール一本でもと奨(すす)めて、これで迎え酒を遣れと促したのです」
 「それでどうなりました?」
 「すると、オヤジは渋々でしたが、ちびちび遣り始めましてね」
 「それで?……」
 「私も“迎え酒”をしたというところです。ただ残念なのは、私の場合はですね、肴
(さかな)がないと呑めない質(たち)でして、非常に不経済で不便な金の懸かる体質をしているんですが、私はオヤジに『お前、酒の肴は?……』と訊くと、やつは直ぐに『これでは……』と奨(すす)めてくれるのです。『そうかそうか……』になって、その一個ぺろっと平らげてしまったのです。そこで『もうないか?』と訊くと、『今のが最後でして……』という。果たして、このオヤジ、いったい誰だ?……となったのです。
 よく見ると、『猥談の七愚』ではなかった。全く知らない人だった。それによく見ると、身形も浮浪者然としていた。全く人違いです。そして更に訊くと『自分は一ヵ月頃前から、この辺りの路上で生活しています』といって、自分が路上生活者であることを告白したのです。

 私は人違いにびっくりして、『何だ、そうすると、お前の最後の飯を、俺が分別なしに喰ってしまったと言うことか?』と詰め寄って、『何でそれを早く言わん、喰ってしまったじゃないか』と叱責したのです。
 人の物を、それも傲慢に喰ってしまって、このときばかりは唖然としましたよ。
 しかし、非は私にある。その男に頭を下げて、『すまんことをした、本当にすまんことをした。簡単には赦してもらえまいが、今から俺のところに来い。この償いはきっとする』といって、無理矢理、わが家に引っ張って来たと言う次第……」
 「すると、それが邂逅
(かいこう)と言う訳ですか」
 「何とも奇妙でしたよ」
 「どう、奇妙でしたの?」
 「まさか浮浪者のくせに、山頭火を知っているとはと思ってもしませんでしたからねェ……。しかし、このオヤジ、山頭火の句集を読んだと言うのです。それが奇
しき縁。あとはご覧の通り……」
 「あたくし……、分らないことがございますの?」
 「はて、なんでしょ」
 「先生の奥さま、どうして、ああ言う方を家に引っぱり来て、怒らないと言うか、嫌わないんでしょ?
 今の世では、マイホーム主義者だらけですからねェ、絶対に嫌がりますわ」
 「さあ、それは家内に訊いて下さい」
 「あと、もう一つ……」
 「なんでしょ?」
 「先生はどうして、つまり弱者に、そこまで情けを掛けるのですか」
 「それは、かの孔子が、極貧の原憲に情けを掛け、彼に、慈悲の眼で孔門の家老に取り立てたでしょ。彼に孔家全般の内務を任せたんです、ご存知ですか」
 「そこまで詳しくは……」
 「貧しくとも胸を張った原憲の毅然
(きぜん)さが好きなのです。昨今の日本人には、とんと見られなくなった姿ですが……」
 「先生が、なぜ何処に出ても、怯
(ひる)むこともなく毅然としているか、よく理解出来ましたわ。そういう隠れた偉人が居るということでしょうか……、かつて先生は、ご本の中には隠者が住んでいると申されましたわよね?」
 「はて、そういうこと言いましたかなァ……」ここは一つ恍
(とぼ)ける。
 「その毅然たる態度が、奥さまにも伝わるのでしょうか?……」
 「さあ……」
 「そうかも知れませんわね、あの奥さまだったら……」
 奇妙なことを言う。家内の何かを見たと言うのか……。
 「今度は、私の方から申し上げたいことが……」
 「なにでしょう?」ベストタイミングの間
(あい)の手だった。
 これは次ぎなる話題を誘う継続の術か……。
 間の取り方が巧い。話術では「併せ拍子」と言う。この間の手に、少しばかり乗ってみるか。

 「独断と偏見の補足説明をつけさせてもらえば、私は小学校低学年を平戸で育ちましてね」
 「平戸って、天文年間、ポルトガル人が渡来した長崎県の平戸ですか?……」
 「そうです」
 「何だかロマンの街と言う気がしますね、日本のお寺と、西洋の教会が林立していて……」
 「平戸は島でしてね、今のように大橋なんて掛かっていませんでした。あの島には船で行くのです。
 私の時代には、そういう作られたロマンはありませんでしたよ、鄙
(ひな)びた田舎の街ですからね……。
 ロマン云々は、後世の『町興し連中』が勝手に企てたことです。仮託です。事実無根と言いませんが、後世で作られました。実態は今とは異なり、本当に、誰も彼も貧しかった……」
 「そうでしたの……」
 「あの時代、私は伯母から養育されました。父は当時、八幡製鉄の職工でしたが、何しろ母が躰が弱く、それで伯母の家に預けられて育ったと言う分けです。当時、平戸は貧しい港町でしてねェ、あの島の人達は、私が北九州で育った以下の環境下にありました。子供の頃、恐ろしく貧乏だと思いましたよ。極貧と言ってよかったでしょうか。当時、伯母は津田英学塾を戦前に出ておりまして、戦後は、今で言うNTTの前身の平戸支局の電電公社に勤めていましたから、なかなかハイカラな女性でしたよ。その伯母に育てられたのですが、同じクラスの級友に、極貧の漁師の小倅
(こせがれ)が居て、こいつに無理難題を吹っかけて、遣ってはならないことをよく遣っていました」
 「先生はいじめっ子でしたの?」
 「そうかも知れない。よく伝馬船を漕がしたり、使いっ走りにして用事を言付けていましたからね。それに自分の物を施すことを知らなかった。それだけに間違いなく、いじめっ子でしたでしょう」
 「……………」
 「この極貧の小倅、給食時間は欠食児童でしたよ。その欠食現場を一度だけ見たことがあります。見ていて何だか哭きたくなりましてね。その子、その時間は手洗い場に行って、水道の蛇口に口を突け、水を呑んで肚を満たすのです。呑んだ後、穢い袖口で口を拭たとき、私の貌をふと見たのです。しかし、二、三回スキップして何事もなかったように逃げる去って行くのです。その去り際が、実に哀れで、哭きたくなって、悲しくなって仕方ありませんでした。以降、その子と大変仲良くなりましてね。よく家へつれて来て、伯母のおやつを一人分殖やさせたり、そこで一応恩を売っておいて、また走狗に遣っていましたがね」
 「先生は、結局いじめっ子だったんだ」
 「そうかも知れない。でも弱者に暴力を加えたり、傷付けたり、罵倒したり、奪ったりはしなかった」
 「恥を知ってらしたの?……」
 「どうでしょうか……」《当時、私は暗愚だったのである》と付け加えてやりたかった。
 「……………」

 「小学校三年の一学期、母が恢復したので、私を迎えに来ました。その時ばかりは、母が、まるで余所
(よそ)の人のように見えたものです。そういう想い出がある。このときの担任は、東京女子大を出たばかりの私の従姉でした。
 母が従姉と話している間中、その走狗にされた子は、分かれ際、私の貌を睨むようにじっと見詰めていた。
 泣きたいくせに、じっと歯を食いしばった我慢していた。結局、彼を見たのはそれが最後でしたよ……。
 その後、母に連れられて北九州に戻ったのですがね。そのお別れ会で、その子、私に『おたっしゃで』と言ってくれたのです。そして子のシャツは、姉のお下がりと思われるリンゴの模様が入った粗末な物を着てましたよ。足は、ちびった便所の草履のような物を履いていた。ときどき裸足で学校に来ることもあった。
 その子はね、小学校三年と言うのに、栄養失調で幼稚園児くらいの躰しかなかった。
 その当時、私は人に与えられるだけの物を持ちながら、何一つ与えることを知りませんでした。そこに、今でも後ろめたさを感じるのです。そして私は、二十歳の成人式で平戸に帰ったとき、当時の級友から、その子が漁に出ていて嵐の海で遭難したと聴きました。遺体は上がらずじまいです。その話を聴いたとき、土下座して『すまなかった』と謝りたい衝動に駆られましたよ。まあ、言わば、今風に言えば、自己中の卑怯者だったんでしょうか……」
 「……………」
 「だから、貧しい人や底辺に置かれて、愛すべき微生物を遣っている困窮の民、難儀の草莽
(そうもう)には自然と慈悲の心が疾るのですよ。これで一つずつ、これまでの罪穢(つみけが)れを贖(あがな)っているんでしょうか。真弓先生の以前言った、根っからの商売人で……」
 「そこまで言ってしまうと、これまでの美談が全部台無しになってしまいますわ。だいいち最後の一言は、あたくしへの、皮肉を超えて糾弾
(きゅだん)にも聴こえますもの……」
 糾弾とは、これ如何に?……。痛いところを突いて来た。
 私は、いつ罪状を上げて、罪を問い質したと言うのだ。この非難、「われに罪なし!」だった。
 「以後、揚げ足を取られないように、話術の研究に精進します」
 「それそれ、その一言が、身も蓋もなくす元兇。お分りですか!」
 「……………」《なかなか鋭いところを突いてくる》私は完全に手玉に取られていた。
 さて、こうなると、もう喋ってやらないぞ……となる。そもそもこのレベルが、私の狭量なところである。
 このように反省するも、また直ぐに忘れてしまうのである。今まで懺悔の気持ちで一杯だったのが、いつの間にかわすれてしまって、旧
(もと)の木阿弥に戻る。何たる無態(ぶざま)……。

 言葉と云うものを、しみじみと考え直してみる。日頃、気に留めないで無意識にべっている言葉には思いもよらぬ重要な意味が秘められている。
 霊学的には、言葉を「光透波
(ことば)」という文字で顕す。光を浸透させる波動である。
 一度
(ひとたび)発すれば、天にも通じてしまう。神道の祝詞(のりと)は、この原理に基づいている。
 ここに言葉の重要なキーワードがある。
 だか今日ほど、言葉が汚らしく用いられている時代はない。この汚らしさはかつてなかったことだ。どの時代にも存在しなかったことだ。しかし、現代は、ありとあらゆる罵詈雑言で溢れ返っている。ネットの掲示板など、この罵詈雑言の見本市である。敵対者を徹底的に詰る。呪いのような言葉まである。言葉は汚らしく、現代人に穢
(けが)れを齎してしまった。その穢し方も匿名だから、なお凄まじ。人間を、人間以下の言葉で指弾している。こういう浅はかな言動は、やがて巡り廻って自分に跳ね返って来よう。
 そして、現代人の言葉には「信用」と言う重さが完全に欠落している。
 世の中は信用の出来ない言葉で溢れ返っている。
 この愚かさに現代人は気付かない。世も末を思わせる。

 私の知人に、名人級の日本刀の研師が居る。刀屋をしている生業で、研ぎを依頼することがる。
 この人は一風変わった研師で、預かった刀に、預かった預り書を書かないのである。預かり書をくれとか、研ぎ上がりがいつかとか確認すれば、直ちに「帰れ!」の一喝で終わりである。もう、何度依頼しても絶対に研がない。また、預かった刀は一目で総てを見抜き、一瞬に記憶してしまうから、研ぎの以来を人を替えて持ち込んでも研がないのである。
 この「帰れ!」の一喝は凄い。
 この言葉の中に総ては包含されているのである。ここで人間を見抜いたのである。見抜かれた者は、もう二度と、この御仁の研処を訪れることは出来ない。それだけ、最初に吐いた言葉は重いのである。また信頼度も含まっている。信頼せぬ人間の仕事は請負われないからである。
 言葉の重さが、ひしひしと伝わって来るようである。
 そして、話術の遣い方の難しさを感じるのである。時には、話術は即答を迫られることがある。決断を即答でせねばならないことがある。そのうえ、言葉は光透波である。光を浸透させる波動である。これは一度発されれば、放たれた矢も同じである。元には戻せない。
 言葉が光透波である以上、文面に書いて誓約しなくとも、その波動はもう戻らない。口約束でも、重いというのは此処にある。話術のキーワードである。訂正が二度と利かないのである。
 私は平成3年以来、言葉の重さを、今もなお感じ続けている。

 直ぐさま、レシートを引っ掴み、レジで金を払って出た。単独行動を決め付けていた。しかし、監視者であり尾行者の真弓は、私のピッタリ、マークして蹤
(つ)いてくる。彼女から話術の「滑り」を指摘されて苦々しく思ったのも束の間だった。
 私は油断しているつもりはないが、彼女は幽
(かす)かな感情の動きまでも読み取るような話術の交叉(こうさ)の中から感じるよう訓練しているのだろう。それが何故、家内とは心を赦して、女学生のような会話をするのだろうか。
 もう、これだけで分身現象が起こっているというのか。あの忌まわしい現象が……。
 不可解な術に翻弄
(ほんろう)されながら、もう午前中だけで徐々に疲れて行った。さすがに、これ以上はどうにもならないところまで来ていて、物凄く疲れるのである。
 何か霊的なものに引っ張られているのだろうか。何だか自分のエネルギーが吸い取られて行くようである。
 斃
(たお)れる前に万歳したいくらいだった。意地でなく、感情だった。


 ─────次に習志野公園に遣って来た。津村老人を捜してのことだ。この御仁を捜索しているのである。
 しかし、此処に来たとて、老人はいまい。だが、犯罪捜査でも現場百回と言うではないか。過去の痕跡は、必ず残っていると言う。
 私も真弓と同じ追跡者であった。二人して老人を追っている。その追跡者が、また闇からの追跡者に追跡されていた。
 何故追うのか。何故捜すのか。不可解な追跡劇である。
 訊かねばならぬことがあるからだ。これを訊かねば、解決の糸口が掴めない。知らないことが多過ぎる。知らなければ乞うて学ばねばならない。
 事が手に余ることは認めたくないが、認める以外あるまい。このままでは心身が参ってしまう。
 誰かに協力を仰ぐ以外あるまい。あの爺さまの力を借りる以外ない。
 真弓に関わる依頼の件は、複雑な愉しみを覚えるところである。彼女と居ると心の浮き立つ何かがある。
 これまでに感じたことのない、奇妙な愉しさがある。心の何処かでは、われこそ彼女の庇護者という自負がある。
 しかし一方で、深層部に罠が仕掛けられていることを悟れるほど、私は老練でないし、老熟もしていない。
 一言で云えば、読みが浅過ぎた。本旨を忘れてしまっていた。
 人格が分離する。分身現象を起こす、そのようなことがあろうか。それを否定しながらも、どこかで認めていたのかも知れない。私の方こそ、肉眼現象のみを科学とする考え方こそ、非科学と思い込んでいたのかも知れない。唯神論に傾き過ぎて、いつの間には唯物論を見下していたのかも知れない。中道を見失っていたのかも知れない。何れにも偏ってならないことを忘れていたようだ。
 だが、現象界では起こっている現象の枝葉末節な一部に過ぎないだろう。思い込みが、判断を誤らせているのかも知れない。
 そのうえ肝心なる仕掛人が分らぬでは、今も時々刻々と真弓の心身を蝕
(むしば)み、生命を奪おうとしているのである。早く救わねば……。だがその結果、私は必ずや責めを受けるだろう。われに罪なしと喚いたところで、誰も聴く耳を持たないだろう。
 しかし、爺さまは、私を拮抗申し分ない「荒ぶる魂」を鎮め得る変性女子と変性男子が居るなどと、鷹堂良子氏に吐露したのだろう。そうなると、この爺さまにこそ責任があり、私としては「われに罪なし」である。
 こうなると爺さまを探し出して、責任と取ってもらわねばならない。
 それにしても不可解なことがある。そもそもドッペルゲンガー現象というこんなことは日常茶飯事に起こっているのか。もう一度、唯物論的に検証せねばなるまい。安易にオカルトに流れてはなるまい。

 12月である。風は冷たい。
 洋服ならコート、和服なら羽織か鳶合羽
とんび/ダブルの袖無し外套(がいとう)で二重廻しの黒羅紗(くろらしゃ)のインバネス。和装用コートとも)が欲しい。
 平成3年暮れから翌年の1月に掛けて、習志野では珍しく雪が降ったことを覚えている。したがって12月は寒かったように記憶している前年も習志野で年を越したが、このとき習志野網武館に通う道場の女性が、私の寂しい一人正月を哀れんで、お重を持参してそれを頂いたことがある。
 それにボロ病院跡に棲んでいる。掃除もままならず、何処かの病院で看護婦をしている女性も掃除機持参で掃除を遣ってくれたことを覚えている。家内を呼ぶ前のことだった。
 この冬は暖冬だったが、平成3年は意外と寒かった。月末には九州に発ち、翌年は豊橋だったが、栃木の門人を訪ねて復
(かえ)りに習志野に寄ったら大久保通りは積雪跡が残ったいた。此処も雪は降った形跡が窺われた。
 一方、栃木は雪は深かった。
 栃木では日光東照宮を訪ね、その後、栃木を案内した門人の紹介である神社の宮司と遭った。西郷頼母が東照宮の禰宜時代の話を窺
(うかが)うためである。この所用のあと、習志野に立ち寄ったのである。
 もし、この年も越していたら雪に遭遇していたかも知れない。あるいは雪が降ったのは、年が明けての1月の頃であったか。
 しかし、平成3年12月は寒かったように記憶する。
 その時期の習志野公園である。
 横に真弓を伴っていた。いや、マークされている、ピッタリと。
 「此処で津村老人に遭いました。この年の桜の季節である。満開に掛けての時期です。風流でした。一人風流を遣って、奇なる現象を見ました。今も脳裡を離れません、それを家内と伴にみたのです」
 「何を見たのです?」
 「さて、これを一口で説明するのは難しい……」
 彼女はこれをどう言うか?……。果たして二口でも三口でもとなるか?……。下手に滑らせてもなるまい。
 「難しいのでは、お訊きしても無理ですね」
 「説明出来ない自分の無力を思い知らされます」
 「そういう事はよくあるものです」
 「私に力があったら……と思いますよ」
 「力があったら、どうしますの?」
 「そりゃァ、説明しますよ。二口でも三口でも言葉を弄
(ろう)して……」
 「弄されなくても、あたくし知ってますもの。伯母から全部聞きましたから……」
 「そういうのは、早く言ってもらわないとこまりますなァ」
 「だって、先生が『一人風流』を遣って……、勝手に想い出話を切り出すんですもの……」
 この話の持って生き方も、結論誘導も、何か意図的には込んで行くような流脈が漂っているようにも思えるのである。
 こうした話術の訓練、あるいは弁術指導を受けたことのない者なら、簡単に見逃し、疑いもしない流れなのである。しかし、その思い込みが危うい。まんまと手玉に取られていることがある。それに滑らせるような“揚げ足を取る見せ場”を易々と与えてしまうからである。
 一言一句を即時に記憶し、その情報分析を遣って、発言者の欠点を見抜くのである。
 かのイエスは、これをファリサイ人
【註】イエスの時代に盛んだったユダヤ教の一派で、紀元前2世紀の後半に起こりモーセの律法のみを厳守せよと力説した。律法を守らない者は汚れた者として徹底的に斥けた。イエスはその偽善的傾向を激しく攻撃した。言わば反イエスであった)との会話の中で易々と遣って退けている。

 その有名な場面は、モーセの律法に照らし合わせての「姦淫するな」である。
 ファリサイ人は「先生
(イエス)、この女は姦淫をした最中に捉えられた者です。モーセの律法では石殺(いしごろし)にせよとあります。あなただったらどうしますか」(『ヨハネによる福音書』第八章4、5)
 この言葉は話術によって、イエスを陥れる策が弄されていた。
 「あなたたちの中で罪のない人が、まずこの女に石を投げよ」
 この言葉でイエスは、ファリサイ人を如何に切り替えしたかである。
 これを聴いた他のユダヤ教徒らどうしたか。
 「老人をはじめ一人一人去って行った」
(『ヨハネによる福音書』第八章9)
 イエスの言葉を聞いて誰一人、石殺の刑を執行することが出来なかった。
 ユダヤ教においては、死刑執行は石打ちによって行われる。この時代、役人が刑を執行するのでない。民衆がするのである。今日の裁判員制度に些かよく似ている。重大な刑事事件につき、一般市民が職業裁判官とともに一つの合議体を構成し裁判する制度であり、この市民を裁判員という。2004年制度を導入のための法律が成立し、09年から施行された。
 当時のユダヤ教徒らは、自主的に刑の執行に介入した。そのためこれが娯楽の一部になり、民衆は喜び勇んで死刑執行に加わる。娯楽的な死刑執行だった。日本でも江戸時代獄門磔の刑は、見世物として一般大衆の公開された。このときに種々の物売りが出たとある。
 「罪のない人が、この女に石を投げよ」は判例変更を実現させてしまった。易々と、たった言葉一つを遣ってである。この物語は以降重要な結論を導くことになる。
 言葉一つ考えても、斯くも恐ろしい威力を持っているのである。

 真弓の言を思った。やはり話術か……。
 それも媚術あるいは蠱術で、蠱惑する達人か……。大した心理戦を展開する。世の中には言葉を知り尽くした政治家以上に、言葉を弄
(ろう)し、そういう弁舌巧みの手練がいるのである。
 これは歴史を紐解いても歴然としている。
 かの『韓非子』は「亡徴」言うではないか。
 「群臣が学問を好み、重臣の子弟は弁術を玩弄
(がんろう)し、商人は他国に財を蓄(たくわ)え、庶民は依頼心が強き国、そのような国は亡ぶべきなり」と。
 この亡徴の「徴」は滅亡の「しるし」の意味である。この「しるし」を、韓非は徴
(しるし)と言った。
 思えば、今日の日本の状況に酷似するではないか。

 ちなみに“学問を好み”とは、学問するためのものでなく知識習得や学歴取得を指し、有能なサラリーマンのその知識を目指す。細分化され専門化された知識のことだ。知識は経歴を証明するその「知」のことである。知性とは無関係である。
 次に“子弟は、弁術を玩弄
し”とは、あたかも国家を司る重臣の子弟が、国会議員の二世三世を指し、今日の行政府の構造そっくりではないか。子が親の利権を受け継ぎ、孫が子の利権を受け継ぐ代議士利権である。
 この利権防衛に、その子孫は饒舌
(じょうぜつ)で巧みな弁術を身に付ける。
 また企業家は、儲かればいいの“とことん利潤追求主義”で、儲けた金は税金逃れに諸外国の財を蓄え、国籍を日本以外に移してしまう。そして庶民と言えば、大半が聾桟敷
(つんぼさじき)にされて、人間牧場の中で飼われて自覚症状も持たない。その中の住人であるから、勿論、監督役に依頼心濃いくして自主性がない。
 更には憂さ晴らしを旅行、娯楽、スポーツ・芸能、性交遊戯で日々の不満・鬱憤を処理する。思考力ゼロにして、個人主義謳歌
(おうか)は此処にある。斯(か)くして亡国に成り下がる。

 一方で、「進言」まやは「説得」という話術がある。
 進言し、あるいは説得する。これは高度な話術を必要とする。人間界は話術によって世界に現象を起こしているからである。
 例えば説得の話術である。相手を説得する場合、利己的なことと知りつつ、説得しなければならないことがある。あるいは進言に迫られる。その場合、まず大義名分を掲げさせる。その実行を促せ、縦横に夢を語り、言葉の中で取り込んでしまう。下劣なことは充分に知りつつ、名目を与えてやる。
 しかしこの術は、逆も真にはならない。逆は逆である。その言葉の中に、努力は実ることない。努力を妄信する奴はバカだと、この甘さを指摘するかしないかである。

 もし、する場合、志は立派だが、理想には到底到達出来ないので、その理想には誤りがあり、また理想には誤りとともに弊害があり、それを指摘しつつ、理想は追わない方がいいと進言する。
 だが、努力は実らないが、その努力することに意義がある。そこに人生の目的があると説得すれば、「努力する他力がある」ことも教えてやる。その場合、この中で二者選択があるが、そのどれを選ぶかで、その人の次元とレベルが分って来る。話術の術者は、その掲げた志の裏を読むのである。
 此処に話術の妙がある。
 韓非は、そのランクを上下に分け、上は君主として遣うは「籠絡術」を用い、下は臣下で「統御術」を遣うと言っている。つまり進言したり説得する術者の身の安全を図れとしているのである。そのためには自分の存在を認めさせ、話術を用いる場合は事の善悪を超越して、目的のためには手段を選ぶなとある。
 これは善悪以前の、あるいは理論以前のものなのである。裏を読む技術である。これを知らぬと、行いは愚となる。これを日本流に言うなら、かの愚行を働いた“浅野内匠頭になるな”ということだろう。
 もし、現代に浅野内匠頭のような経営者が居たら、その会社は半年以内に潰れるだろう。創業社長でなく、二代、三代に、この種の社長が経営者を引き継いだら、間違いなく半年と持たないだろう。老獪なる智慧者に対し、真面目一方で、誠意だけでは通用しないのである。老練さのない経営者は社員やその家族を路頭に迷わし、困窮させるばかりである。生活感覚や糧を得る手段が何であるか、それが分らないような経営者は経営者の資格なしなのである。
 トップを司るということは、それだけ重大な重荷を背負うのである。私も、かつて重大な重荷の意味が理解出来ていなかったから、会社を倒産させて苦い経験がある。巧言令色の法を知らなかったのである。
 つまり、それは話術を知らなかったと言うことである。

 更に孔子ですら「巧言令色を身につけよ」と力説している。『論語』的に生きて行こうとするなら、結局此処に落ち着く。巧言令色の法が必要になる。摩擦を起こさず、躱
(かわ)し、かつ去(い)なす術である。老獪に四つに組んではならない。組めば未熟な方が負ける。老練技術のない方が負ける。

 孔子はまた、“公私を使い分け、巧い処世術”を身に付ける法として、堂々と「言を察し、色を観る」と教える。つまり、「相手の言葉を聞き分け、顔色で心を見抜け」と言っている。話術において重要なキーワードである。
 現に、古代中国の「礼」を研究して行くと、この例は、そもそも神に仕える礼であり、祝い事や祭り事に対し祝辞を述べる法であるが、この述べる術を「佞
(ねい)」という。この佞は、今日でもよく耳にする。
 例えば、結婚式場での歯の浮くような祝辞や、その他のイベントなどで語られる祝辞は、心にもない「佞」が多分の含まれ、あたかも毒を撒き散らすように周囲に振りまかれる。参列者は佞に“美辞麗句”の、心にもない毒が含まれていることに気付かない。ひと時の祝や祭に酔う。
 古代中国では、礼の遣い手を「佞」と呼んだ。
 「佞」の意味は、口先が巧
(うま)く、人に諂(へつら)うことに長け、口先は巧いが心はねじけているこの種の人間をいい、原義は「人あたりがよい」ことを指す。弁舌爽やかで言葉巧みということだ。邪なる人間もこれに含まれる。深層には巧みなだけに、誠意がない。今日でもそういう人間現象を起こしている事象を、多く見ることができる。態度も優しいし、言葉も優しい。いい雰囲気で、相手を酔わしてしまう輩も多い。
 「佞」が巧妙に遣われ始めたと言うことである。

 更に探求すれば『左伝』には「不佞は非難される異能
(特殊能力)」と論じられているが、孔子は「佞人」を口達者と挙げ、弁舌容色をもって君主に取り入るとし、一方で「巧言令色足恭の徒」として軽蔑の対象にしたが、またこれに異論を唱えたのが荀子(じゅんし)である。
 荀子は「便辟
(べんぺい)左右なる者こそ、真に君主に仕える臣で遠方の出来事を逸早く察知し、多くを見聞し、蒐集して、その口こそ窓である」と「佞」を忠臣と揉めちぎっている。これも人それぞれの才であろう。
 しかし、才は用いる者によって毒にもなり薬にもなる。問題は敵か味方かである。
 それを見抜くには、心の深層を読む読心術の才がいる。

 また『礼記』によれば、「利を専
(もっぱ)らにすれば、民、必ず貪る」とある。
 言葉少なだが、実に蘊蓄の深いことを述べている。
 利益主義、利益本位、利益至上主義で治められている国の世の中の国民は、利益ともに何処までも貪ると言うのである。
 こういう社会の縮図を考えた場合、これは今日の日本に何処か似ていないか。
 更にである。もっと驚くことがある。
 それは紀元前三世紀頃の中国戦国時代の思想家・荀子の挙げた「乱世の徴」である。

その服は組。
その容は婦。
その俗は淫。
その志は利。
 その声楽は険。

 四番目に挙げられた「その志は利」は為政者自身が国家と為とか、社会公共の利益とかの国民に利益と言う観念が無く、自身が利己一点張りの我利我利亡者になった時、その国は亡ぶとしているのである。荀子の「乱世の徴」には、そう記されている。

 これは、法家の『韓非子』の「亡徴」にも合致する。
 荀子の「徴」も韓非の「徴」も滅亡の意味を含んでいる。
 『韓非子』に曰
(いわ)く、「群臣が学問を好み、重臣が子弟の弁術を玩弄(がんろう)し、商人は他国に財を蓄え、庶民の依頼心強き国、そのような国は、亡ぶべきなり」と。
 更に「刑罰は淫乱、法規に忠実なく、弁舌の巧みなる者を愛してその実行力を考えず、見て暮れの華麗に溺れてその実効性を顧みない君主の国、そは、亡ぶべきなり」と。
 あたかも何処か今日の日本の世情に似ているところはないのか。

 荀子の「徴」は更に続く。
 「その声楽は険」と芸能の実態についても挙げている。
 歌でも音楽でも刺々しくて、どことなく気違いじみている。そういう、静寂を掻き乱す歌や音楽を挙げているのである。そして現代の子供は、学校の音楽の授業で「童謡」を殆ど習ったり歌ったりしなくなったのである。日本人の詩的情緒の感性は、
九分かた破壊されている。郷愁とか情緒が、今日の日本の青少年からは抜け落ちてしまった。
 そして、昨今の音楽として存在するのは、ただ喧しい、騒がしいだけのロック調の音楽である。跳ねて飛んで、拳を振り上げ、足を踏み鳴らすだけである。これは、軍靴の響きに似ていないか。
 その歌詞には、英語混じりの、国籍不明なものばかりが繰り返し歌われ、この手の音楽が氾濫
(はんらん)しているのである。昨今の歌には、国籍が無いのである。母国語が無いのである。日本語の持つ、独特の言霊が死んでいるのである。
 そもそも芸能界から漏れ出して来る音楽は「歌は世につれ、世は歌につれ」という言葉があるように、善きにつけ悪しきにつけ、歌は世相に反映しているのである。

 晩唐の大詩人・杜牧
(とぼく)の作に、こういう詩がある。

 煙りは寒水を籠(こ)め、月は沙(しゃ)を籠(つつ)む。
 夜、秦准
(しんわい)に泊れば、酒家近し。
 商女は知らず、亡国の恨。
 江を隔てて猶
(なお)唱う、後庭花。

 この詩に登場する「後庭花」とは、陳の最後の帝、叔宝
(後主(こうしゅ)といい、南朝陳の第5代の最後の皇帝。姓は陳、諱は叔宝。陳叔宝。後世では亡国の君主として暗君の典型とされる)が政治を顧みず、酒池肉林の楽を繰り返しているうちに流行った歌で、正しくは『玉樹後庭花』と呼ばれ、これぞ「亡国の調べ」の代表格にされるものである。
 さて、日本列島の何処かに「後庭花」に、よく似た唄が夜の巷のネオン街に流れていないだろうか。
 もし、そういう唄が街に流れているようだったら、亡国に調べの兆しと言えるだろう。

 そして昨今の特長と言えば、民主主義デモクラシーの名に便乗した一般大衆の身勝手な要求。こういうエゴが自己主張とともに益々強くなって行くことであろう。これが如何に危険な兆候であるか、これに気付く現代日本人は少ないようだ。
 亡国の背景には、かつての文明の中心世界であったアテナイと酷似するところがあるのではあるまいか。
 アテナイは古代ギリシアの代表的ポリスで、文化の中心地で、アクロポリス上のパルテノン神殿の旧跡など遺跡が多いところである。この国で、民主主義が幅を利かした時代があった。
 民主の名をもって、この文明国の国民は段々我が儘
(まま)になり、いい気になり、自由を謳歌し、個人主義が蔓延り、自由を欲する以上に古人の自由を保証させ、物質的欲望ばかりを露(あらわ)にした。国民は、いやが上にも快楽を追い求め、やがて個人主義は制御しきれなくなり、崩壊して総てを喪失した。
 今はただ、民主主義デモクラシーの名が、今日残るだけである。
 アテナイ人は、自ら社会に帰属することよりも、個人に寄与することを欲し、最も欲した個人の自由が、自己の責任より上回ったことで、いつしかアテナイ人は自由すら失い、もう二度と自由を得られるどころか、この国の文明は亡んだのである。
 この二の舞に、今日の日本が陥らねば幸いである。個人自由主義の根底に、法を無視した放埒
(ほうらつ)が存在しなければ幸いである。

 人間が企てる革命に背後には必ず、これを煽る煽動者が居る。煽動者を温存させる温床は、一方で貧富の差が烈しくなり、持てる者と持たざる者が明確になり始めたときである。それを煽動者は、ある指令に基づいて水面下で暗躍する。社内全体の金銭や資産の保有が、ある一部だけに集中すると、必ず階級的な物質的な条件は拮抗を失い始める。
 例えば、フランス革命の十年、ニ十年前を歴史に振り返って考えてみればいい。
 当時の国王はルイ十六世である。彼は決して暴君でも、悪人でも、愚物でもなかった。むしろ良心的で、勤勉な善人であった。だが、国王たる信念や勇気、それに権威がなかった。
 また、その妃マリー・アントワネットも聡明な婦人であった。しかし流行の進歩的概念にうかされ、王妃らしく振る舞うことを嫌い、ただ上流階級の貴婦人のように振る舞った。それに周囲の貴族連も、時の流れに併せて迎合した。アカデミー評論を始め、文学作品や演劇など、総て悪質な冷笑に満ち、皮肉ならびに茶化し、あるいは風潮として時の文化人たちは、破壊的な調子で自らの国を卑
(いや)しめた。これこそが亡徴の兆しだった。国が亡ぶ前夜に顕われる。フランス革命前夜も、こうした状態だったのだろう。

 今日の日本も、何処かこれに酷似していないだろうか。デモクラシーは畸形することもあるし、民主独裁という政策に傾くこともある。それはもとで醜悪な国民同士の派閥争いや権力争奪にも発展しかねない。そうなると近隣諸国との外交問題も拗
(こじ)れて行くだろう。派閥的権力闘争の結果、争論曲説され、その隙に外国の陰謀と工作の魔の手は伸びて来るだろう。
 フランス革命の前夜を思えば、過激派のジャコバン・クラブは完全にプロシアに懐柔され、バスチーユ監獄襲撃の際にはプロシアのアジテーターが混入されていたことは歴史的にも有名である。ダントンも英国のピット政府に買収され、ミラボーすらその仲間であった。
 フランス政府の唯一の頼りはオーストリアだったが、これに対して、革命派は「オーストリアとの同盟破棄はバスチーユの占領と同じく、我々にとって最も必要な条件である」と煽動したのである。斯くして同盟は破棄された。あたかも、今日の日米安全保障条約の破棄を訴える如し。
 このときのフランス国民はどうだったか。
 国民の多くは政治に愛想を尽かしていた。政治に対して無関心が広がり、この蔓延は平和と享楽と個人主義謳歌の興じていったのである。
 この歴史的史実は、また一方で現代に生きる後世人に、警鐘的なシグナルを送っているのではあるまいか。



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