運気 八門人相 房中術 癒しの杜 菜根譚 小説 会報Back No. 合気 蜘蛛之巣伝 死の超剋 霊的食養 心法
続 壺中天・瓢箪仙人 1
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続 壺中天・瓢箪仙人 15

 ─────登場人物が複雑に絡み人情噺ゆえ、下記のように表にしてみた。
 「これは繰り返し読まないと、一読だけでは把握し難い物語である。そして、思えば、先祖の同じ血を受け継いだ現代に生きる現代日本人も、この種の血を保因しているのであろうか。
 さて、現代日本人は先の大戦でアメリカの敗れて以降、殆どの日本人が魂を抜かれてしまって、あたかも牡丹燈籠に出て来る欲と色と血とで狂う、そのままを演じておりますかなァ……」と切り出した。

『怪談牡丹灯籠・登場人物名簿』
出演
番号
姓 名 性別 住所・職業 性癖・特技 行為・行動
藤村屋新兵衛 本郷三丁目の刀屋 刀剣の扱い
に煩い
旗本飯島平左衛門に刀の扱いを注意する。その注意事項は「刀を買(め)す時は、刀屋の店先で引抜いて見て入らつしやいましたが、あれは危いことで、若しお侍が気でも違ひまして抜身を振廻されたら、本当に危険(けんのん)ではありませんか」など。
専門筋としての発言は正道と言える。
黒川孝蔵 浪人 酒癖の悪し 酒に絡んで飯島平太郎から斬られる。こういうのは現代でも、昨今の居酒屋ブームに相俟(ま)って消滅する傾向はなし。絡み好きは多い。
飯島平左衛門
(平太郎)
旗本 剣術の達人
だが多少の
癇癪持ち
孝助の父・黒川孝蔵を斬る。
しかし、孝蔵を斬った非は、孝蔵の酒癖の悪さばかりにあるのでなく、平太郎自身、刀剣の取り扱いの未熟も責められるべきである。
一方に、剣術の達人とあるが、この漢の剣術は道場の竹刀剣法か。真剣と竹刀とは大きく異なるので疑問の余地がある。
のちに平左衛門は、自分が孝助の父の仇であることを告げ、孝助を相川家へ逃がす。更に平左衞門は深手を負いながらも、宮辺源次郎を討ちに行くが、反対に返り討ちに遭う。手負いの疵
(きず)を受けたとはいえ、追撃する体力があるのなら、返り討ちは疑問であり、また剣術の達人も疑わしくなる。あるいは源次郎はそれ以上に凄腕だったのか。
お国 平左衛門の妾で、
飯島家の女中
尻軽女 お露と仲悪し。平左衛門の金百両を源次郎と結託して盗む。お国はこれを利用し、黒川孝助に容疑が懸かるよう工作すも失敗。偽装工作を図るなどはしたたか。
また源次郎と密通するのだから、その道も濃厚なのだろう。それに伴蔵を蠱惑する能力も持っていた。この噺の後半はこの女の影響力が大きく、平左衛門の妾をしつつ源次郎と密通し、次に伴蔵ともいい仲になる。
宮辺源次郎 侍で飯島家の隣家
の次男で間男
腕が立つ お国と密通。黒川孝助が見咎め、喧嘩になる。
邪魔な黒川孝助を消すため、お国と一計を案じるが、失敗に終わる。のち飯島家の金品を盗んで逃走する。また金尽きて、金を強請
(ゆす)り伴蔵のところに出向くが、逆に追い返される。ということは、腕は大したことがないのかも知れない。
黒川(のち
相川姓)
孝助
黒川孝蔵の息子、
飯島家の奉公人
剣を少々 平左衛門が父親の仇と知らず、根っからの忠義一字の忠僕。のち百両窃盗の疑いは晴れたが、平左衛門を間男の宮辺源次郎と間違えて刺してしまう。亡き主人の平左衛門の仇を討つため源次郎とお国を追う。
だが仇が見つからず、孝助はいったん江戸へ戻り、主人が眠る新幡随院を参り、良石和尚に会う。婿入り先の相川家に戻ると、お徳との間に息子・孝太郎が生まれていた。一方、四歳のときに別れた母親おりえと再会し、母の手引きにより、宮辺源次郎と国の二人を追い、本懐を遂げる。のち、わが子孝太郎に飯島家を継がせ再興をなす。飯島家の菩提のため、谷中・新幡随院に濡れ仏を建立する。
萩原新三郎 浪人(家を貸して
生計)
美男 お露に一目惚れ。お露のことを想い、悶々とする毎日を過ごす。店子の伴蔵と釣りに出かけ、お露の香箱の蓋を拾う。お露の死を知るも、死んだ筈のお露が萩原新三郎の前に現れて、魅入られる。
お露 飯島平左衛門の娘 美女 新三郎に一目惚れ。但し、生前の恋実らず。恋焦がれて思いを残したまま死ぬ。
お米 お露の下女 ーーー お露のあとを追って死ぬ。
10 山本志丈 医者 ーーー お露と新三郎を引き合わせる。のち伴蔵が病んで往診を恃まれる。事の次第を知った山本は伴蔵にお国の身の上を暴露する。
11 白翁堂勇斎 人相見(陰陽師) 陰陽の術 萩原新三郎宅を訪ね、死相が出ていると告げる。お露が幽霊であることが分り、関わってはならぬと忠告する。新幡随院の住職・良石和尚を訪ね、力を借りよと教える。
12 良石和尚 新幡随院の住職 護符発行 萩原新三郎に純金の海音如来を貸し、朱書の護符を書いてやり幽霊封じを施してやる。仏像と御札で幽霊封じをする。
13 伴蔵(門口屋) 萩原新三郎の店子
で下男
ワル 萩原新三郎の葬儀を済ませたのち、伴蔵と妻のお峰は悪事がばれるのを恐れて、伴蔵の故郷・栗橋に引っ越す。その際、幽霊から百両を受け取り、新三郎の身辺から仏像を退け、御札を剥がすことを請負う。この百両を元手に荒物屋「関口屋」を開店して当たる。金回りのよくなったこの漢は、次に料理屋の酌婦お国を漁色し懇ろになる。しかし、お国との仲を咎めた妻お峰を騙して殺す。女房殺しをした後、お峰の亡霊に祟られる。悪事をうわ言のように喋り出したので、医者を呼んだところ、その医者は山本志丈だった。悪事の発覚を恐れて、山本志丈を殺すが、捕えられる。のち処刑。
14 お峰 伴蔵の妻 嫉妬深い 伴蔵と結託し、百両で新三郎の幽霊封じの仏像盗みと御札剥がしを幽霊のお露に持ちかける。伴蔵に殺された後、伴蔵の使用人たちに乗り移り、良人を呪い殺そうとする。
15 久蔵 栗橋の馬子 口軽 男伴蔵とお国の仲を、お峰に漏らす。
16 相川新五兵衛 侍で黒川孝助の舅 ーーー 自分の娘お徳と黒川孝助との養子縁組を生前の飯島平左衛門に持ちかける。
17 お徳 相川新五兵衛の娘
で、孝助の妻
ーーー 孝助との間に、一子・孝太郎をもうける。
18 おりえ 孝助の生母(樋口
屋五兵衞と再婚)
ーーー 孝助が四歳のときに生き別れる。孝助にお国と源次郎の隠れ場所に手引きする。だが、お国は樋口屋五兵衛の先妻の子であることを知り、これに義理立ててして、お国と源次郎に事の次第を話し、追跡する孝助から二人を逃す。
のち孝助に一切の事情を話し、自害する。
19 樋口屋五兵衛 おりえの再婚相手 ーーー 先妻の子がお国。黒濁の血を持った保菌者だったと推測される。

 以上のように一覧表に挙げて登場人物の役回りを理解しておくと、一般の物語には多い、アナログ物語の展開でないことが分るだろう。更に、舞台変化はデジタル的で、それぞれの場面が複雑に絡み合う複合的な構成になるが、一覧表を念頭に入れておけば、ある程度理解出来るのではあるまいか。

 「さて、噺を再開しましょう。
 この登場人物の中で、お国たる女性の役回りである。物語を構成する上で重要な役割を果たしている。
 お国は平左衛門が妻を亡くした後、妾として転がり込んでいる。
 もとは飯島家の女中だった女である。その出生は樋口屋五兵衛の先妻の子として生まれて来ていることだ。
 この女が最初、平左衛門の妻の死後、妾の坐に滑り込んでいる。次に宮辺源次郎を妖艶して、この漢の色になる。源次郎は旗本飯島家の隣家の次男坊であり、お国と密通し、次に飯島家から百両の金を盗む。
 密通時はこれを飯島家の忠僕な黒川孝助に見咎められている。また源次郎は密通して、逃亡する際、飯島家から百両の金を盗み、お国とともに逃亡する。
 平左衛門は深手を負いながらも、逆に返り討ちになって、お国と源次郎を逃し、息が尽きる寸前、平左衛門は孝助の父・黒川孝蔵を酒乱ゆえに絡まれて斬った事を告白し、また、源次郎とお国を討ってくれるよう遺言を残して息果てる。
 黒川孝助は主人・平左衛門の葬儀を済ませると、仇討ちの旅に出るが、前に相川新五兵衛は孝助の舅
(しゅうと)にあたり、娘のお徳を孝助に貰ってくれるよう平左衛門に頼み込んでいた。婚姻を経て、孝助は相川家に婿入りする。しかし、そこまでの道程は簡単なものでなかった。

 一方、お露が背の君と憧れた萩原新三郎は浪人で、家を貸して生計を立てていた。
 その店子に伴蔵がいて、この漢は新三郎が、今は亡きお露の髑髏を抱いていることにびっくり仰天する。
 “人相見”の白翁堂勇斎はこのことを伴蔵から聴き、新三郎宅を訪ね、死相が出ていると告げる。お露が幽霊であることがわかり、仏像と御札で幽霊封じをする。ここまでのフィードバック整理は宜しいでしょうか」
 「はい……」と勅使河原恭子、ただ一人。

 「またこの物語には、口の軽き漢が登場する。一般に役者上“もめ漢”と揶揄される輩
(やゆ)だ。その典型が栗橋の馬子の久蔵であり、伴蔵とお国の仲を、お峰に漏らす。秘密保持に不向きな口軽男が登場する。
 思えば何とも奇妙ですが、しかし世間には多いタイプの漢のようですなァ。
 黒川孝助は四歳のときに生き別れた実の母に出遭う。しかし一方、母おりえは、今は樋口屋五兵衞の再婚相手であり、五兵衞には先妻の子がお国がいた。お国は因縁を抱えた女であった。
 斯くして登場人物たちは複雑に絡みあい、それぞれに人生模様をみせる。これはそれぞれの舞台が時を同じくして動いているので、アナログ的理解では無理で、それぞれが同時展開しているデジタル的理解が要る。この種の因縁話では珍しいものである。
 更に伴蔵と妻のお峰は、悪事がばれるのを恐れて、伴蔵の故郷・栗橋に引っ越す。伴蔵は幽霊にもらった百両を元手に荒物屋「関口屋」を開き、成功し、料理屋の酌婦と懇ろになる。酌婦は、飯島平左衛門の元妾のお国に手を出す。伴蔵は、女房のお峰から、お国との仲を咎
(とが)めた妻のお峰を騙して殺す。この場面は栗橋宿のお峰殺しとして登場する。
 だが、死んだお峰が伴蔵の使用人たちに乗り移り、伴蔵の悪事をうわ言のように喋り出したので、医者を呼んだところ、その医者は山本志丈だった。事の次第を知った山本は伴蔵にお国の身の上を暴露する。お国の情夫宮辺源次郎が金をゆすりに来るが、逆に伴蔵に追い返される。伴蔵は栗橋を引き払い、山本と江戸に帰る。
 これまで話した箇所と重複するところもありますが、念のために繰り返しておきます」
 「先生、ここでお峰の亡霊が登場するのですね、あたくし、これまで『牡丹燈籠』は、お露と新三郎だけの幽霊物語と思っていましたわ……」と真弓。

 「だから、この物語は単に、話でなくて噺なのです。噺は珍しいと言う意味ですので、幽霊が他にも居ても不思議ではありません。それも、お露と新三郎の幽霊と違って、性格的には些か意地が悪い……。
 さて、かつて父・浪人黒川孝蔵の息子・孝助は平左衛門が父の仇
(かたき)と知らず、飯島家の忠僕となって登場する。ここからは三遊亭円朝の創作話となる。
 孝助は平左衛門から剣術を教わる。また平左衛門も黙って教えていた。
 孝助は平左衛門の妾・お国と、隣家の次男・宮辺源次郎との不義密通を知ることになる。源次郎とお国、邪魔な黒川孝助を消すため、一計を案じるが、失敗に終わる。源次郎とお国は飯島家の金品を盗んで逃走する。
 孝助は平左衛門を間男の宮辺源次郎と間違えて刺してしまう。平左衞門は、自分が孝助の父の仇であることを告げ、孝助を相川家へ逃がす。飯島平左衛門は深手を負いながらも、宮辺源次郎を討ちに行くが、反対に返り討ちにあってしまう。平左衛門はかつて黒川孝蔵を斬ったことの真相を孝助に打ち明ける。
 孝助は以前から平左衛門が懇意にしていた相川新五兵衛が、飯島平左衛門宅を訪れ、自分の娘・お徳と黒川孝助との養子縁組を持ちかける。後に新五兵衛の娘お徳と祝言を挙げた後、平左衛門の遺言に従い、逃げた源次郎とお国を追跡する。亡き主人・平左衛門の仇の仇
(やゆ)を討つため、逃亡した源次郎とお国を追う。仇討ちの旅である。
 一方、純金の如来を盗んだ伴蔵も祟
(たた)りを恐れて出奔していた。出奔先で、伴蔵は酌婦をしていたお国に遭い、その色香に迷って付け入ろうとする。伴蔵の女房お峰が嫉妬の挙げ句に殺され、またそれが化けて出たりする。飯島家のお家騒動に、また伴蔵と女房お峰の因果噺が絡むのである……」

 日本人好みの筋書きの「絡み」で複雑化する。
 ただ、この複雑化は、それぞれが同時に動いているために、アナログ的に時間を負うことは出来ず、場面場面でそれぞれのカットで追うしかない。
 噺を進めた。
 「伴蔵は悪事の発覚を恐れて医者の山本志丈を殺すが、捕えられる。孝助は良石和尚の予言に従い、人相見の白翁堂勇斎を訪ね、孝助は四才の時に別れた生母のおりえに奇しくも廻
(めぐ)り遭う。
 そして母親から事の一切を聴く。孝助が探していたお国は、母親の再婚相手の連れ子であり、源次郎とともに宇都宮に隠れていることを知る。
 母おりえがお国と源次郎の隠れ場所に手引きしてくれるというので、孝助は宇都宮に出向くが、おりえは、夫に義理立ててお国と源次郎に事の次第を話し、この二人を逃す。
 母おりえは孝助に一切事の次第を話し、自害する。また孝助は二人を追い、本懐を遂げる。
 お徳との間には一子孝太郎が生まれ、その子に飯島家を継がせ再興がなった後、如来を盗まれ御札を剥がされて死んだ新三郎のために新幡隋院に濡れ仏を建立する。最後は勧善懲悪の趣旨で、万事、めでたしめでたしでこの物語は終了する……。最後は、何とも日本的ですなァ」
 「それにしても、やはり中国の陽と、日本の陰は対峙的ですね」と家内。
 「でも、やはり、わたし、怕い……。どうして人間って、何故こうまでドロドロしているのでしょう。粘着質の欲に、こうまで搦め捕られているのでしょう?……」と上原小夜子。

 「それは現代のことを言っているのだろ?……。今、きみは『怪談牡丹燈籠』を、今日の日本人に重ねて見ているからだろう。先の大戦に敗れた戦後日本人は、心を黄金の奴隷になることで、物質的豊かさを手に入れたからな。日本は、幕末から明治に懸けて、そういう道を日本人全体が選択したからだ。
 何故だか分るだろうか。西洋が流れ込んで来たからだ。この時期を第一次日本精神敗北と捉えていい。日本はアメリカにこれまで二度、戦争に負けた。一度目はペリー来航の時で、黒船来航で日本精神は破壊された。
 そして次の二度目は大東亜戦争の大敗北だ。この大敗北は、日本人がこれまで連綿と受け継いで来た日本の古い文化や伝統を無視する傾向を作り出し、その下敷きが敗戦と言う形で、戦前・戦中世代と、戦後世代を分離分裂させ、世代間の架け橋を奪ってしまったからだ。共通の認識を失わせてしまった。これが今日の日本文化が、かつてに較べて希薄になった証拠なんだよ。これは悲しいことだが、もう、この流れを誰も止めることが出来ない。ただ、戦後の日本人は無味乾燥な世界で、金・物・色だけを追い掛けて行くしかないし、また日本人の大半が、欧米から持ち込まれた民主主義デモクラシーの平面的多数決の政治システムのよって、皆で選んでしまった。平面的多数決のルールで、この道が選んだのが今の日本の現状なのだ」
 「先生は何故、そこまで断定的に言うのですか?!」上原小夜子が迫るように質問して来た。

 「何故ならだ。それは日本人は言霊を失ってしまった。そのために、多くの日本人は正しいイントネーションで日本語が喋れなくなってしまった。その結果、大半が訳の分からない国籍不明の言葉を喋っている。
 本来は、“べらんめい言葉”の江戸下町弁も、江戸時代、言霊を破壊する策として、町人文化で流行した言葉だが、黒船来航の砲艦外交の脅しに一度負け、先の大戦で二度負ければ、当然言霊は破壊されても仕方ないことだ。この敗北により、日本語は、ほぼ破壊されたと見ていい。
 そして、今はどうだろう。
 日本の青少年は言うに及ばず、ジジババまでアメリカ文化のどっぷり浸かっているだろ。日本中どこへ行っても、日の丸は引き摺り降ろされ、星条旗だらけだ。ハンバーガーやホットドッグ、コーラやアイスクリームにデザートの数々、セックス大流行で、何処のラブホテルも満員、スケートボードやラップミュージック。
 子供も大人も、みなぴょんぴょん飛び跳ねている。何もかもダンスに踊っている。かつて日本に舞いがあったことをすっかり忘れている。大地に足を着けて着実だった日本の精神文化や武士道と言った惻隠
(そくいん)を忘れ、欧米から雪崩れ込んだ異文化に入れ揚げてしまった。
 ラジオから聴こえて来るDJ
(disc jockey)の語りはバイリンガル(bilingual)で、半分英語と国籍不明言語。二言語を上手く使い分けているようでありながら、言っていることは意味不明。結局国籍不明で日本人であることを完全に忘れ、根本から逸脱している。
 そのうえ大半の日本人は、アメリカ人のように手振り身振りの生活を取り入れ、欧米文化に何の不都合も感じていない。日本人の精神土壌は、こうして大袈裟・大仰なるボディーアクション言語に作り替えられてしまった。
 ここまで破壊されて、果たして日本人の言霊は亡びないと言えるだろうか。至る所で、ガッツポーズが繰り出され、投げキッスまで飛ばされ現状。かつては欧米人の真似をして猿真似などと揶揄されていたが、今ではどう言う聲
(こえ)を諸外国から聴かれなくなった。これは日本人が欧米の身体言語に馴染んだと言う証(あかし)だろう。この頃は、中指まで立てたり、拳を突き出すジジババまで居る。
 こうして戦争の敗北と言うのは、伝統的な精神土壌を破壊し、その民族からこれまでの精神土壌を一気に奪い取り毀して外国を導入することなのだよ……。
 だから、かつての日本に伝わる幽霊噺より、外国のホラーものが受けるのだ。そして、ホラーでもオカルトものでも、昨今の日本人はそうした噺をするときのルールすら知らないものが多くなってしまった。礼儀不在の世の中になった。また、こういう世の中で、私たちは生きている……」

 こう言う噺には霊的なルールがある。それを破ると精神を病む。冒されて疾病
(しっぺい)状態になる。要注意である。
 かつて蠱
(こ)に関わる話をする時は、充分に注意して掛かれと言われたことがある。油断すると危ないと言うので合う。“蠱”とは蠱物(まじもの)だ。人を惑わすものだ。ゆえに人に災難が及ぶ。
 これは魅入られたということだろうか。あるいは蠱惑されたということなのだろうか。“蠱”に魅せられたのだ。この魅せる鬼を「鬼魅
(きみ)」という。
 この世にはこういう鬼が居る。魅せる鬼が居る。怒り狂う夜叉
(やしゃ)で人を害する。魅せられて狂うのである。妖艶に迷う。あたかも美人の麗卿の妖艶に魅せられた青年・喬のように……。

 日本版『怪談牡丹燈籠』は、最後は勧善懲悪で終了している。孝助がわが子の一子・孝太郎に飯島家の家督を継がせてこの家を再興させることで、めでたしめでたしの結末で終了することになる。しかし、本旨は果たしてこれで終了したのであろうか。

 「これからの日本は、どうなるのでしょうか?……」と上原小夜子。
 「それは、きみ達が考えることだ、私に訊いても答は出ない。しかしヒントくらいはある。それはだなァ。
 背後に隠れた藕糸
(ぐうし)の有機的な繋がりを読むと、その根底には人間の色欲が絡んでいるようにも思えるのである。仏教でも「姦淫するな」とある。また神道でも「姦淫に対するタブーを挙げ、これを『国津罪(くみつつみ)』として挙げている。
 『国津罪』とは、“生膚断
(いきはだたち)・死膚断(しにはだたち)・白人(しらびと)・故久美(こくみ)・己(おの)が母犯せる罪・己が子犯せる罪・母と子と犯せる罪・子と母と犯せる罪・畜(けもの)犯せる罪・昆虫(はうむし)の災・高津神の災・畜仆(けものたふ)し蠱物(まじもの)せる罪”である。
 白人とは肌の色が白くなる病気で、「白癩
びゃくらい・しらはたけ/児童の顔面に白色の円形斑を生じる皮膚病)」とも呼ばれ、あるいは逆に皮膚が黒くなる黒癩をいう。所謂ハンセン病である。
 ちなみに、イエスはこうした患者を治しているし、現にファンダメンタリスとで有名なメアリー・ベイカー・エディ
(1821〜1910)は『福音書』にある通りの「汝の信仰、汝を癒せり!」を実践して息も絶え絶えの重症患者を、忽ち元気にさせたことで知られる。メアリー・ベイカー・エディは医者も病気も近代医学も信用しなかった。信用するのは『福音書』だけであった。何故なら、近代医学は周知の通り不完全帰納法の上に立っているからである。それゆえ実験は滅多に行われないし、これまでの臨床例とする観測も不完全である。
 この不完全さは医者自身がみんな知っている。
 ファンダメンタリスたりちは確信をもって「汝の信仰、汝を癒せり!」を実践している。このクリスチャンサイエンスはアメリカで急速に流行し、この治療法に対して、病人を治すことを医者自身は常識に反すると一切の反論はしなかった。これまで本気になって抗議を企てた医師団はなかった。つまりファンダメンタリスたりちは、現代医学が未だに完全でない「不完全帰納法」の上に確立されていることを知っているからである。
 ゆえに科学実験ではニュートン以来の万有引力の法則に対して、未だに物理実験が繰り返されているし、現代医学における臨床例も科学的観測においての帰納法は、総て「不完全帰納法」なのである。
 特にガン発症においても、同じ発症をしながら一切の治療を受けずに十年も二十年も長生きして居る人が居る一方、ガン発症から一ヵ月も経たないうちに、医者の言に従い摘出手術や抗ガン剤投与して、早々と死んで逝く人もいる。つまり、現代医学は未だに完全をみない「不完全帰納法」なのである。
 更に臨床例を並び立てても、それは総て特称命題に過ぎず、この命題から「人は死ぬ」という法則が導き出され、この全称命題に対しては、結局は今なお、「不完全帰納法」から導き出された一時的な結論に過ぎないからである。つまり正であるとは限らず、また真であるとも言えない。何故なら不完全帰納法であるからだ」
 「先生の『不完全帰納法論』以前も少し聴かせて頂きました。特異なお考えと思います。ただ、こうしたことに耳を傾ける人がいないのは、何とも残念ですが……。あたくしは先生を支持致しますわ」と真弓。

 「さて、先の補足説明を致しましょう。
 胡久美とは、背中に大きな瘤
(こぶ)ができることで佝僂病をいう。要するにセムシですな。しかし、こういう人が時として異能を発することがある。私はこうした身体畸形者を侮(あなど)りません。
 残りを順に説明すると、次のようになります。
 己が母犯せる罪とは、実母との相姦
(近親相姦)の罪。
 己が子犯せる罪 とは、実子との相姦の罪。
 母と子と犯せる罪 とは、ある女と性交し、その後その娘と相姦すること。子と母と犯せる罪とは、ある女と性交し、その後その母と相姦することの罪。
 畜犯せる罪とは、獣姦のことで、細分化すれば獣姦については“馬婚
(うまたわけ)”“牛婚(うしたわけ)”“鶏婚(とりたわけ)”“犬婚(いぬたわけ)”との罪を挙げている。
 昆虫の災とは地面を這う昆虫
(毒蛇やムカデ、サソリなど)による災難である。
 高つ神の災とは落雷などの天災とされる。また、こうした災難を防ぐために、香を焚き、その香の煙りは道教で言う天帝へのメッセージとして送り届け、あるいは道教での雷対策として武帝の護符と言うものがある。この護符は『霹靂神
(へきれきしん)護符』というもので、朱書することで知られる。
 高つ鳥の災 とは、大殿祭
(おおとのほがい)の祝詞(のりと)には「飛ぶ鳥の災」とあり、猛禽類による家屋損傷などの災難とされる。
 畜仆し蠱物
(まじもの)する罪 とは、家畜を殺し、その屍体で、災厄が人に及ぶように神霊に祈祷し、他人を呪う蠱道(こどう)のことである」
 「先生って、どうしてそこまで知っているのです?」とおぼこ。

 「それは本にみな書いてある。本を読んだら分る。その本からみな学んだ。
 国津罪は『姦淫するな』のタブーを挙げ、この禁に触れるなとしているのである。
 罪の本義については一定ではないが、特に仏教でも禁止している生きとし生けるものの殺生である。それに併せて『姦淫するな』である。犯すなということである。
 これは、またモーセの言葉にある通り、『旧約聖書』の“姦淫するな”に通じ、更にはイエスの『だが私は言う、色情をもって女を見れば、その人はもう心の中で姦通
(かんつう)している』(「マテオによる福音書」第5章 28)に通じている。姦淫することは、欲界にあっても、重大な罪なのである。これは述べた通り……。
 特に『色情をもって女を見れば、その人はもう心の中で姦通している』のこの箇所である」
 こうして順を追って補足説明した。

 日本版『怪談牡丹燈籠』の登場人物を見ると、「色情をもって女を見れば、その人はもう心の中で姦通している」に触れる男女が出て来る。
 特に宮辺源次郎とお国、また伴蔵については甚だしきことがある。
 この物語は、隠れた部分に「姦淫するな」の箇所が挙がっている。もし、姦淫がなければこの物語のドロドロとした凄まじい人間模様は発生しなかったであろう。欲界の地獄を這
(は)うような人間模様が繰り返されている。そして「血穢れ・死穢れ」を齎す生膚断・死膚断の禁を犯している。
 生膚断とは「生きた人間の膚を傷害において傷付けることであり、血を流して穢れさせた罪」とされ、また死膚断は「死人の膚を切り裂く罪」を挙げている。これは人間に限らず、生きとし生けるものの動物全般に言えることで、これら動物を切り刻んで喰う罪も挙げているのである。
 更に『天津罪』においては「畦放
(あはなち)・溝埋(みぞうめ)・樋放(ひなち)・串刺・生剥(いきはぎ)・頻蒔(しきまき)・逆剥(さかはぎ)・糞戸(くそへ)」の八つを挙げ、これは高天原で素戔嗚尊が犯した罪だとされている。

 「次に『天津罪』の補足説明を致しましょう。順に説明すると、畦放とは田に張っている水を、畔
(あぜ)を壊すことで流出させ、水田灌漑(かんがい)を妨害すること。
 溝埋とは、田に水を引くために設けた溝を埋めることで水を引けないようにする灌漑妨害すること。
 樋放とは、田に水を引くために設けた管を壊すことで水を引けないようにする灌漑妨害すること。
 串刺とは、素戔嗚尊が高天原において天照大神の田を妬んでこれを行ったと記しているが、その目的は収穫時に他人の田畑に自分の土地であることを示す杭を立てて横領したこと。
 生剥とは、馬の皮を生きながら剥ぐこと。
 頻蒔とは、他の人が種を蒔いた所に重ねて種を蒔
(ま)いて作物の生長を妨げること。
 逆剥とは、馬の皮を尻の方から剥ぐこと。糞戸とは高天原で素戔嗚尊が天照大神が大嘗祭
(または新嘗祭)を斎行する神殿に脱糞したことを指す。これが非礼であることは、言わずとしれたことですなァ。
 さて、科学の発達した現代、と言っても、自然科学の実体は不完全帰納法からなるが、妖艶美に魅惑され、鬼魅に心を奪われる御仁
(ごじん)は少なくない。肉は亡んでも霊は亡びず……というそう言う霊統を保菌する保菌者は決して少なくないようだ。こういう保菌者にまんまと搦(から)められ雁字(がんじ)搦めにされて、肉欲に溺れる輩(やから)も少なくない。
 古人は『大凶時の禁』を説いた。この時間帯を殆
(あや)ういと忠告した。
 宵の口には魔が棲
(す)むと言った。魅惑される愚者を虎視眈々と狙っているから警戒せよと言った。行灯(あんどん)や燈籠(とうろう)に灯が入る頃である。この時間に関わるなと言った。この拘泥から凶事が起こることもある。

 霊的に関わった「何か」があるのだ。狂う麻薬性のような歯止めの利かなくなる「何か」があるのだ。
 この「何か」に、油断してはならないのである。
 隙を作った以上、遣ったことは注意を払わねばならぬ。ゆめゆめ有頂天に舞い上がって、油断し、「油を断たれてはならない」のである。油断禁物である。

 この言葉には、霊的な話を好んでする人や、怪談話、更にはホラー物などを好む人などに、よく耳打ちされる忠告である。こういうことを面白半分に興味本位の趣味人は、この忠告を“何と大袈裟な……”などと、一笑に付すことが多いようだが、過ちを指摘する心尽くしを甘く検
(み)てはならない。
 警戒し、殊勝な気持ちで、心して懸からねば殆
(あや)うい。魂を鬼に持って行かれる。ついには神(しん)を冒される。面白半分に関わって、不治の疾病に罹ることがある。神を冒されるとは、そういうことだ。
 心して、忠告を安易に聞き流してはなるまい。冒される前に「何か」を読むことが肝心なのである。
 物事を深く考えない時代、現代人は「読む」ことが不得意になってしまった。立場や位置が把握出来ず、周囲に振り回される現象は、読みが出来なくなったためである。読んでも浅くなってしまったからだ。

 この夜に跨
(また)がって、冬の夜噺は、もう暁闇(ぎょうあん)の朝を迎えた。
 こうしてこの噺はお開きとなった。何か、心に伝達するものが伝わっただろうか。もし、響くものがあったとしたら幸いである。


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