運気 八門人相 房中術 癒しの杜 菜根譚 小説 会報Back No. 合気 蜘蛛之巣伝 死の超剋 霊的食養 心法
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続 壺中天・瓢箪仙人 13

血の因子の中に「何か」を封じて次世代に託す。その根本には血の伝達と言うものが利権を搦(から)めてそこに存在しているようである。それは同時に、血への信頼があるからだろう。

 血は信ずるに足りる要素が具
(そな)わっている。
 また何よりも血は、自分の「映し鏡」であるからだ。一番近いものを感じるからである。遺伝から受け継ぐ近親がある。

 血筋を引いた後進者が一人前になったとき、そこには前伝達者が下駄を預けてもいい安心感が生まれる。
 これは不安とは対象的である。信ずるに足りる「何か」があるからである。
 この「何か」は自己防衛的なものでなく、また神経質症状が引き起こす建設的な活動を否定することでもない。下駄を預ける対象であるからだ。


●血物語にみる血の黒濁

 『血物語』は色に絡む因縁話である。
 ある医者がいた。この漢
(おとこ)が血の保因者として、血縁の血を黒く濁して行く。この噺(はなし)、江戸後期の文化十五年(1818)頃から始まる。おどろおどろしい血物語譚である。
 医者は作州美作藩
(さくしゅう‐みまさか‐はん)の御殿医だった。地位も高い。この医者は父親から家督相続を継いだばかりだった。姓名を多賀谷喜三郎(たがや‐きさぶろう)という。
 喜三郎は美作藩御殿医の多賀谷十朗左衛門の一子であり、多賀谷家は医者としては作州では代々の名家であった。美作藩では地位の高い漢方の医家であった。年齢は二十四。そして喜三郎には、最近貰ったばかりの静江という十八歳の新妻がいた。
 静江も名家の出で、美作藩の三百石取りの武門から、喜三郎は妻を迎えていた。静江も城下では美人の誉れも高く、婿の候補者は引く手数多
(あまた)であった。中には五百石以上の上級武士の家もあったが、彼女は初恋の相手として喜三郎が「背の君」であったのである。背の君とは憧れの人ということだ。
 そうした中での相思相愛で、二人は結ばれたのであった。美男美女の、あたかも雛
(ひな)人形のような若夫婦であった。一方で、この若夫婦に妬みを抱く者も少なくなかった。

 美男で優男
(やさおとこ)に生まれついた喜三郎は、役者にしてもいいほどの“いけ面”で、彼が城下を通る度に、若い娘らはキャァキャァと騒ぎ、また上士の奥方連からも美麗なる漢として容色の的にされていた。
 そして喜三郎の性格と言えば、些
(いささ)か優柔不断のところがあり、決断する度胸がなく、また剣術においてなども、その腕はからっきしで、“色男、金と力は無かりけり”を地で行き、御殿医と雖(いえど)も、石高は百二十石であった。
 だがこの石高では、漢方医の熟練の腕のある医者を抱えると言うことは出来ず、僅かに下男と下女合わせて三名を雇うと言う程度の家で、最近隠居した父親とその母親の生活まで賄
(まかな)っていた。決して裕福とも言えず、そうかと言って貧しくもなかった。当たり障りのない平和な日々を送っていた。
 また、喜三郎の性格と言えば、元から気の弱い善人で、その善人ぶりが優男を髣髴とさせた。
 そう言う設定の物語を、私は女四人どもに『牡丹燈記』の語りの次に聴かせていたのである。

 思うに、喜三郎は『牡丹燈記』の登場人物の喬の優柔不断に似ている性格ではないかと思うのである。無力な善人と言えた。
 禍
(わざわい)は、即決断が下せない、煮え切らない、迷いに迷う、優柔不断から起こるのではないかと思うのである。

 「さて、お立ち会い。今度は日本に飛んで、作州美作藩
の御殿医の『血物語』を始めましょう。これは些か下ネタが絡むので、十八歳未満の“よい子のお嬢ちゃま”は、もしこの禁に触れた場合は平にご容赦を……。
 なお、非処女のご婦人方は何の支障も御座いません」
 これを聴いた、家内と真弓が苦笑していた。
 「まあ、失礼ですわね」と真弓は些か、お冠。美貌のほっぺを膨らませていた。

 「この表現の一部には、些か不適当な言葉がありましたか、以後改めます。
 時は文化文政時代。つまり江戸後期ですなァ。
 そろそろ日本中に、攘夷論が持ち上がり儒教の影響力が濃厚になり、これが尊皇論と結びはじめた頃。その典型が江戸中期以降、主に水戸学や国学者・神道家により唱えられた尊皇攘夷論で、最初は天皇の権威を高めることで幕藩体制の安定をはかる意味があったが、幕末には幕政批判の思想的根拠として機能するようになるんですなあ。おおよそそう言う時代は、騒然となり始めた頃のこと。
 こう言う時代と言うのはねェ、必ず歴史が動く意図が含まれるのです」
 「意図って何ですか?」珍しいことに、勅使河原恭子が口を挟んだ。

 「十八世紀と言うのはね、単に日本だけでなく世界が何かによって動かされ始める。この動向の中に自然体とか自然発生的などと言う自然の摂理に従って起こる栄枯盛衰は無くなってしまう。欧米列強が十九世紀以降に企む植民地主義や帝国主義は十八世紀後半頃に仕組まれ、人工的な脈流により動かされ始めるんだ。そして背後には、歴史の側面に関わるある特定の目的とか、意図とかを持った暗躍する隠微な集団が動き、その中で形成されて来るものが構築されて行くんだ。時代は、あたかもそう言う時だった」
 「その話、聴いたことがあります」と真弓。
 真弓なら、もう既にこういう話は繰り返し聴かされていることだろう。

 私は噺を続けた。
 「美作藩の御殿医に最近家督を継いだばかりの、多賀谷喜三郎がいた。美男子だが、優男。そして性格は至って優柔不断。なかなか決断が出来ない。煮え切れない性格をしている。こういう性格者を、昨今では無力な善人と言うのでありましょうか。何事も事なかれ主義に陥って、つい流されて、妥協してしまう……。
 こういう漢の将来は、ほぼ決定的ですなァ。つまり、成り行きに流されて、一度その渦に巻き込まれると、もう、そこから簡単には這
(は)い上がれない。益々流されて行く。そして深みに嵌まる。搦められる。
 この喜三郎、上級武士の大山五郎左衛門の嫁の由貴乃
(ゆきの)を往診したときに話である。
 そして血に纏
(まつわ)る因縁は、この時に起こったと言えよう。
 さて、由貴乃……。『すげ〜ェ……』と形容していいくらいの超別嬪
(べっぴん)。美貌の才女と言われ、歳の頃は二十七、八。
 しかし、大山五郎左衛門、美人の才女を娶
(めと)ったからと言って、いいこと尽くめではない。
 この才女、媚術に長
(た)けている。その術の手練である。天性の才である。頭も切れるが、肉体も妖に満ちている。
 ゆえに妖艶で、時々怪しい眼で漢どもを蠱惑する。この眼に搦められると、速やかに優柔となり、反発心とか抵抗力は和らぐのである。抗
(あらが)う精力は吸収されて、漢は惑わされるのである。狙いを定めた漢は、忽(たちま)ち由貴乃の媚術に搦め捕られ、精気を抜かれた。だが、それだけで満足する由貴乃ではなかった。
 あやかし然とした異常性欲者である。一言で云うと、相当な“好きもの”ですなァ」
 「あやかし然の“あやかし”って、何ですか」興味津々の上原小夜子。

 「あやかし、と言うのはね、感じで書けば『怪士』と書く。能面では妖気を顕す漢面。しかし、これが女子にもあると言う。その対峙が、般若面であるまいかとの持論を持っている。この面には角があり、妬みや苦しみ、怒りを湛
(たた)えている。満たされない欲の塊(かたまり)が心にあった。それを求めて鬼女となる。
 そういう変わり身を、由貴乃という奥方は持っていたらしい。
 この奥方に、その隠れた異能が埋もれたことを発掘する漢が居た。その漢のことは後で話すとして、奥方について話を進めよう。
 満たされない欲……。人には足るを知ることをなかなか理解できない男女が居る。世の中はそう言う欲者で構成されているのも事実である。麻薬患者のように、もっともっとの欲しがる者のことだ。
 この欲者は決して不断の閨事
(ねやごと)で満足する筈がなく、常々、役者然とした“いけ面”の喜三郎の躰が欲しいと思う。あの漢の男根を思う存分、嬲(なぶ)ってみたい。そう言う欲望が日増しに高くなっていったのであった。ついに事に及ぶ日、喜三郎を往診に呼んだのである。
 由貴乃の実家は代々が家老職を仰せつかる千二百石の家で、当主は父親の佐竹吉之助であった。したがって石高七百石の大山家とは格が違う。そして大山家では、何事も由貴乃の発言権が強かった。亭主の五郎左衛門など、一向に頭が上がらず、恐妻家として片隅に押しやられていた。
 何しろ由貴乃の実家の佐竹家は、藩主・佐竹伊豆守喜房
(いずのかみ‐よしふさ)と親戚関係にあるからだ。それだけに由貴乃の気位も高い。亭主の頭を抑えてしまう。

 この気位女のところに、喜三郎は往診に出掛けた。
 喜三郎の往診は、今日が三度目であった。これまで二度、少しばかり鼻薬を効かせている。由貴乃の企みである。酔わせる手順は整っていた。既に搦めているのである。
 季節は春……。
 春から初夏に変わる、この季節。作州は美作の国では、少しばかり遅い春が来る。備前より分離独立した地域である。いまで言えは、岡山県北部、それゆえ春が遅い。しかし、美作の国は分離独立したといっても、林業が盛んな地域であるから、傍には出雲街道や因幡街道が通っている。美作藩は一万二千石の小藩であるが、人の流れも多い。そういう城下町での春たけなわ。
 さて、春香る、の春……。
 冬から解放された動物は一斉に発情する時期……。春・春・春・春……の春」
 此処で体言止めにするには、実に勿体無い。が、出来れば思い切り「春」を強調したい。
 何しろ、「春の夜の夢」などと言うではないか。春の夜に見る夢は、実に短く、また果敢ない……。
 その春の夜の夢……の春。その未練を引き摺りつつ、体言止め。大袈裟だろうか。

 歌や俳諧などで一句の末尾を体言で終わらせるこ、「実に持ったいなしや……」となる。
 そして穂注ぎとして、「昼下がりの、如何なる物音、しや……」と、このように問うのが、凡夫
(ぼんぷ)の人情でござろうなァ」と此処まで一気に捲し立てた。
 「何だか徐々に、卑猥な方に傾きそう……」と上原小夜子の冷ややかな聲。
 「さて、おのおの方、如何に“しや”と……。
 念のため、申し添えておきますが、わが防衛態勢、万全ですぞ。くれぐれも、おのおの方は座布団など、女だてらに決して投げませんように。念のため、敢えて申し添えておきますぞ……」
 「そういう、忠告する人、わたし好きです……」と、上原小夜子が小馬鹿気味に言った。あるいはそれを実行する意図ありと検
(み)るべきか。
 彼女は、私の眼を見据えて、正視していた。
 「おいおい、それ、何かのテレビのコマーシャルの見過ぎでないのか……。そのように正直に、正面からまともに告白されても、困るではないか……。わたし好きです……なんて、その答礼に、どう回答したらいいのだろう?……」
 「そういう、どぎまぎに、話の腰を折らないように、ご注意を一言」と真弓。

 「以前から往診を依頼し、二度ほど脈を取っていた。喜三郎は医者の所見の手順に従い、肌色を診てそれに応じた漢方薬を調合して渡すだけの仕事であった。この漢のこの日の仕事の総てはそれだけであった。はっきり言えば、由貴乃は何処も悪くないのである。往診依頼は喜三郎と世間話などの雑談に興じることであった。
 あとはさっさと引き揚げればいいのである。しかし野郎はそれを怠った。美女に誘われると、長居して腰が重いのである。読まれていた。
 最初この日、喜三郎は由貴乃の脈を取っていた。その脈を取る喜三郎の手を由貴乃が逆に握ったのである。
 そして、わが方に引き寄せ、眼を合わせ媚術の妙をこらし、誘惑に掛かったのである。
 喜三郎は見てはならない由貴乃の眼を見てしまった。もう蛇に睨まれたカエルであった。動けない。微動だに出来ない。完全に術に掛かってしまったのである。
 由貴乃も美作藩では美貌であり、屈指の美人と謳
(うた)われた女性であった。それに今は脂の乗り切った二十七、八の熟れた躰。これを才女は持て余していたのである。多情を秘めた悶え身の女性。
 女の二十七、八という歳になると、漢の扱い方も馴れて、そのうえ些か濃厚なる性技が好きなのである。上になったり下になったりだけでは満足しない。時にはワンワン・スタイルで、後ろから烈しく責めて欲しい。そういう願望がある。そういうのを、手込めにされる強姦願望と言うのであろうか。
 由貴乃が喜三郎の眼を見て引き倒し、上に乗って来た。被さったのである。発情したように膣は濡れ濡れ、ぐちょぐちょ・ベトベト……。あとは招き寄せるだけ。粘りっけのある蜘蛛の網に掛かった哀れな蝶一匹。
 もう逃げることは出来ないのである。
 由貴乃の眼を見るだけで、喜三郎は貌を赧
(あか)らめた。瞳全体が喜三郎を見詰め、激しい欲望に浮いているのだった。
 熟女のなめらからテクニックに動けず、由貴乃は喜三郎の手を胸の中に引き入れた。野郎にデカパイを掴ませたのです、何と幸せなやつ……。そして、これから何が起こるか、自分でも想像出来た。
 由貴乃は自らの乳房を握らせ、悶
(もだ)えの悦に入っている。あらかじめ喜三郎が逃げ出せないようにしておいて、男根を握り、睾丸を捻り上げ、もうどうにもこうにも逃げられる様子でなかった。喜三郎の男根は天を衝き上げ、今にも爆発寸前あった。喜三郎はきつく股を閉じたが、ついに招き入れてしまった。その挙げ句、あッという間に精根尽き果てた。これが顛落(てんらく)の第一歩であった。だが、これは顛落の序曲に過ぎなかった。
 さて、お立ち会い。ここまでのご理解頂けましたでしょうか」
 「何だか、どろどろとして穢く、いやらしい噺
(はなし)……」と上原小夜子がいった。
 「そういうの、好きじゃないの?……」と恍
(とぼ)けて訊いた。
 「何を訊いているのですか、未成年者に!」家内のきついお言葉。
 家内にまた、“もうバカ・バカ・バカ……”の三連発を喰らわないだけでもましであった。

 「ここで解説を捕捉……。
 房中之術は単に性技するだけでない。性行為を指すのではない。自らの精気をコントロールする術である。
 媚術を使われ、蠱惑された喜三郎は目先の愉楽に惑わされ、あたかも蜘蛛の網の捕えられ固着した哀れな昆虫だった。蜘蛛の網に固着されてしまえば、昆虫はただ悶
(もだ)えるしかない。その悶えがまた、むしろ心地よくすら感じる。
 こういう捕えられた姿は、外から見ると悍
(おぞま)しい限りだが、本人にとっては桃源郷の居るような感じを受けるのである。蠱惑の妙である。眼は弛み、うつろになって為すがままである。殆ど抵抗出来ない。
 これは房中術で鍛練を積んだ人間でも精気のコントロールは難しくなる。極楽と地獄を何度も行き来し、しかし戻るのである。限界に決して近付かないし、そういう場面の接触は避けるのである。
 況
(ま)して熟練者は、接近せず、“据え膳食わぬは男の恥”などの小さな了見はない。根本には接触しないことを厳守し、万一接触して止むをあない事で限界に近づいた時は、打つべき最低限度の術を用いて精気を放出することなく許に戻すのである。熟練者は、仮に意識も朦朧(もうろう)になったとしても、そう言う最悪の事態に遭遇したとしても戻すのである。
 しかし経験の少ない初心の者はスレスレの限界が分らず、経験が乏しければ、自己流に終止したり自信過剰から、うっかりし過ぎるのである。過ぎれば、最早コントロール出来なくなり、直に心地よく極楽に登り詰めてしまう。
 こうなると思考は鈍り、躰動は麻痺し、然も愚かにも自身が麻痺して衰弱しているのにも気付かず、ただ静かに溺れてしまうのである。喜三郎はこの恐ろしさを知らなかった。由貴乃の躰に溺れたのである」
 「……………」女どもは冷たい表情で能面のように黙り込んでしまった。

 「では、こういう濃厚場面は飛ばして、次なる第二幕へ……。
 この情事を見られたのですなァ、大山五郎左衛門の弟・左門に。これは非常に拙
(まず)かった。
 左門は神道無念流の免許皆伝で、滅法腕が立つ。しかし、次男坊のため部屋住みでうだつが上がらず、未だに嫁の来てがなく、日頃からムンムンもこもこ……。その捌け口に難儀していた。そのうえ金がない。
 いつも義姉の由貴乃に惹
(ひ)かれる始末だった。しかし、そのチャンスは未だになし。
 この点、『牡丹燈記』の覗き屋の翁爺を酷似しておりますなあッ……。
 こう言う話は、どうも脇役として覗き屋が登場するようですなァ。作者の演出の中には、こういう種属が加わらないと、物語が面白くならないという既成概念があるのでしょうか……。
 さて、みなさんは、どう思われますでしょうか」
 「そういう感想訊いても、何か、意味があるのでしょうか」と真弓。
 「まァ、一応参考意見と思いまして……」
 「いやらしいとこ、避けて先へ進んで下さい」と甲高い聲
(こえ)で、おぼこ娘の勅使河原恭子が言う。
 この、おぼこ娘の聲を聴いていると、何が何やら分らなくなって、この奇妙な高音にこちらの方が魅惑されそうだった。そして彼女もなかなかの巨乳である。このデカパイには、わが方が蠱惑されそうであった。
 つい、あの巨乳の貌を埋めて……などと考えてしまう。下手をすれば、窒息する危険も感じられたので、そういう軽率な行動を妄想することは止めた。
 しかし最近は母親が子供に乳を与えていて、つい気持ちよくなって寝てしまい、赤子を窒息させるという事故も起こっているので注意を要す。いらん心配はここらで止めて、話を戻す方が無難である。

 「さて、優柔不断の喜三郎は、この春から初夏に変わる、この季節の、うきうき感に酔っていた。為
(な)すがままに酔わされ、迎え入れれしまった。そして、互いは直に果てた……」
 「先生〜ッ?……」
 豊満な乳房の持ち主の勅使河原恭子が一声を放った。妖艶に満ちていた。
 「何だい?……」
 「この物語、情愛に絡む愛憎物でしょう。どうしてこうも、絡み付いて、ここまでドロドロしているのでしょう?……。男女の仲は何故、粘着性のものが付き纏うのでしょうか。わたしには分りません。愛とは、この程度のものだったのでしょうか」
 「そういうことは、直ぐに、こうだと決め付けずに、もう少し余裕をもって、人生を見詰め直す必要があると思うが、早急に結論を出すのは、あと何年か、何十年か、生きているうちに勉強して下さい。急いではなりませんぞ。時間を掛けた方がいい。いま私に言えることはこれだけで、一口に愛と言うけれど、この愛は簡単に語れはしない。人生を経験する必要がある。人間は、斯
(か)くの如き、迷える仔羊に過ぎないのだから、なぜ迷うのか、これを根本から考えて、かつて釈尊がこの世を『苦海』としたか、考え直す必要があろう。
 また人間は余りにも外の物を追いかけましたからなァ……」
 「意味慎重ですね……」と真弓。

 「さて、余談はこれくらいにして、続きを進めましょう。
 喜三郎が、愛欲に溺れ、愈々
(いよいよ)愛憎の深みに嵌まって行く。男女の愛憎は、結局、血の狂いに辿り着く。血が濁り、翳りを作り、黒みを帯びて行く。黒い汚染された血のことである。このことをよく理解しておいて下さい。
 喜三郎が精根消耗させて衣服を整え立ち上がったとき、障子の向こうに人影が疾った。もしやと思う。
 見られたか!……、あるいは隙間から覗かれて一部始終見られ、知られてしまったか。一瞬悪寒が疾った。
 だが、それが誰か分らない。喜三郎は何事もなかったように大山家を出た。
 わが家に向かって暫く歩いたところで、男の声に呼び止められた。
 『御殿医どの……』
 喜三郎はこの聲
(こえ)を無視して、足早に去ろうとした。
 『俟たれい、御殿医どの……』
 その聲は大山家の次男坊・左門であった。水を浴びせ掛けられたようであった。
 『拙者に何か?……』喜三郎は仕方なく足を止めた。
 だが、怯えているのである。左門は神道無念流の達人である。そのうえ左門は正邪に厳しく、美作藩でも気骨のある武士として知られていた。もし、大山家に居るとき、影を感じたのは左門だったかも知れない。喜三郎は戦慄した。
 『嫂
(あによめ)は如何でござった?』
 『……………』喜三郎は言葉を失った。
 そして左門は太刀の鐔
(つば)に左手の親指を掛けている。その気配から斬るかも知れない。その虞(おそ)れが充分にあった。
 『何を怯
(おび)えてござる……』
 左門のこのポーズを、どう捉えていいか喜三郎は迷った。この場で土下座して詫びるべきか。あるいは正邪に厳しい左門は、この場で切腹せよと言うのであろうか。切腹するなら、介錯を申し受け候などと言い出しかねない漢である。戦慄する以外なかった。震えが止まらない。
 喜三郎は咄嗟に土下座し平蜘蛛のように這
(は)い蹲(つくば)った。
 『何をなさる、御殿医ともあろうお方が』
 『いかようにもご処分を、しかし……』《命だけは》と言いたかった。
 『御殿医どの、拙者も武士……、魚心あれば水心……』
 『どういう意味でございましょうか』
 『まあまあ、そのように這
い蹲らずとも……。さあ、お手をお上げ下さい』と、心の中では嗤(わら)いながらも小心で気の弱い喜三郎の心中を見透かしていたのである。
 『大山さま……』
 『なあ、御殿医どの……』左門は勿体をつけた。

 左門の話は嫂
(あによめ)であった。この女は意外に執念深いと言う。一度食らいついたら底無しで、どこまでも襲って来る性格であると言う。一度手を出したら最後、何処までも顛落するよ言う。
 だが左門は何ゆえ、嫂の性格まで知り抜いているのであろう。あるいは既に寝た憶えがあるのか……。
 そして左門の話は、喜三郎の新妻・静江を拝借したいと言うのである。その代わりに嫂を口説いて、逢い引きのセッティングをするので、この条件下では?という。他言をしないと言うことであろう。
 果たして喜三郎は苦悶した。
 『わが妻・静江を……』
 『さよう。だが貸す貸さぬは、御殿医どのの胸三寸、いかようにでも……。ただし貸さぬでも構わぬ、そのときは告げるまでのこと……』
 誰に告げると言うのか、これに喜三郎は迷い、咄嗟の判断に迫られた。だが、左門は踵
(きびす)を返し、立ち去ろうとする仕種を見せ始めた。そして背を向けてゆっくりと歩き始めた。
 『左門どの。俟たれい……、どうかお俟ちを……』
 『何でござる、急に』
 『あの……、拙者……』条件を呑んだのだ。
 『おッ!そうか、その気になられたか。何とも賢明・賢明……』
 『それでは、どういう手筈で?……』
 『御殿医どの、月下の晩……』
 『月下の晩?……とは』
 『もうじき、春・弥生の満月が御座ろう……、その月下の晩……』
 弥生満月とは新暦のことで、4月11日頃を指す。旧暦では三月弥生で十五夜の晩であった。
 『では、場所は?……』
 『城下の外れに松葉亭という山荘がござる。御殿医どのも松葉御殿のことは聞き及んでおろう。ここで毎月恒例の“月待講”が行われもうす。御殿医どのも奥方を連れられて、月待ちに来られると宜しかろう』
 作州美作は今の岡山県東北部に当り、出雲街道ならびに因幡街道が通る山地で、備前より分離独立した地域である。そして些か寒い。そのため、春の桜も遅く、新暦の4月半ばが見頃となり、また満月の夜に夜桜見物が行われ、松葉亭は美作藩上士や豪農らが、お忍びで通う高級な茶屋としても知られていた。
 『弥生、十五夜……』
 『確
(しか)と約束、果たされ……、御殿医どの』左門は念を押した。
 こうして喜三郎は顛落の因縁が始まるのである。
 落し穴はこれだけではなかった。“望月講”という観月会が、実は曲者
(くせもの)であったのである。この講には、月下氷人(げっか‐ひょうじん)という男女の縁を取り持つ周旋屋が横行する。今風に言えば人身売買のバイヤーである。少年少女を買い求める仲買人が集まって来る。
 この周旋屋の総元締に文州屋影由
(ぶんしゅうや‐かげゆ)という漢がいた。本業は高利貸しで顔も広く、美作藩の上士や豪農などの地元の有力者に影響を及ぼす漢であった。表の顔は金貸し、裏の顔は月下氷人である。
 更に奥の顔として、この周旋屋は売買もするのである。美男美女を販売するのである。そして月が人間に齎す影響を完全に知り尽くしていた。恐るべき咒者であった。
 この配下に大山左門も居るらしく、文州屋影由は影で美作藩を仕切る“影の易断”の首領であった。この地で影の総帥として闇の中に君臣した。
 では、文州屋影由が何ゆえ“影の易断”の首領となり得たか。
 この漢、媚薬の調合に長け、これを用いて人を操る。そして様々な指令を飛ばすのである。併せて陰陽の術にも通じ、かなり深い霊的知識を持っていた。不思議な神秘の術を使う。咒者として手練である。そして月下の蠱物
(まじもの)を知り、これを能(よ)操る。人を意のままにする異能者だった。

 喜三郎は左門に弱味を握られて、望月講に妻の静江を連れて行き、あとは左門の為すがまま……。
 こうして深みに嵌まり、左門は、今度は兄の五郎左衛門毒殺の話を持ちかけた。
 まず、兄を毒殺して、嫂の由貴乃の新たに妻に迎える。しかし、左門はそれだけで満足しない。由貴乃の実家の家老職までを奪い取って藩政を動かし、主席家老になり、次に自らは美作藩主になる野望を抱いていた。
 その第一の足掛かりとして御殿医だった喜三郎に目を付けたのである。
 兄を殺したのち、次に由貴乃の実家の当主の佐竹吉之助を毒殺し、その弟・大四郎も殺害する殺人計画を立てていたのである。表向きは美作藩きっての正邪に厳しい気骨のある武士として、武勇を誇っていた左門であるが、裏はこうした恐ろしい側面を持っていた。
 そして此処まで告白された以上、もう喜三郎は逃げることも出来なかった。このまま顛落して行く以外ないのである。
 だが左門も狡猾な漢であり、何事につけても、魚心あれば水心で『その暁には』という言葉を持ち出し、多賀谷家に石高加増の鼻薬を効かせることを忘れなかった。喜三郎はそれで動く以外なかったのである。
 それから半年後、左門の兄・五郎左衛門が死亡した。毒を盛られて死んだのだが、死因は心不全だった。
 喜三郎がヒ素とトリカブトを微妙に調合し、それを食事の度に少量摂取させていたのである。もともと兄の五郎左衛門は生まれつき病弱な質で、性にも淡白な漢であった。これでは由貴乃も満足する訳がなく、左門の第一の目的の大山家の当主になるという野望は果たされた。次に佐竹家の家督を奪い取る作である。

 遂にその機会は訪れた。由貴乃の弟・大四郎は長らく江戸に居て柳生新陰流を学び免許皆伝の腕前である。
 美作藩主の前で天覧試合となった。太刀合の際の獲物は木刀である。袋竹刀などではない。木刀はある意味で真剣と同じである。打ち所が悪ければ、死ぬこともある。死ななくても片輪になる虞
(おそ)れもある。それを敢えて承知の上で双方は同意したのである。
 左門はその時にも喜三郎に細工を恃んだ。木刀の尖先の点の部分にトリカブトに毒を少量付け、掠
(かす)り傷でも、やがて死ぬように仕組んでくれと恃(たの)んだ。
 トリカブトは“鳥兜”と書く。鳥兜は塊根を乾したもので、烏頭
(うず)または附子(ぶし)といい恐ろしい猛毒であるが、漢方では生薬とする。喜三郎はその薬効に詳しかった。
 左門は、由貴乃と同じく大四郎の佐竹家千二百石を鼻に掛けるこの漢が、常々気に入らなかったのである。
 不断から鼻持ちならないと苦々しく思っていたのである。天覧試合は双方とも互角。勝つ可能性があれば、最後の一厘に賭けて、大四郎を葬るしかない。
 左門の勝ちは、大四郎を殺すことであった。相打ちでも躰に触れ、手負いを負わせるだけでも効果があり、やがて確実に死ぬ。佐竹家に乗り込むチャンスが生まれる。こうした下準備が整ったところで、多賀谷家は石高の加増があり二百石になった。左門の野望拡大とともに、喜三郎の、“毒を食わば皿まで”の顛落人生が始まったのである。
 ここまでの、おのおの方のご理解、出来ましたでしょうか」
 「天覧試合ではどちらが勝つのです?」と家内。
 「それは工作が巧くいかず、双方、引き分ける。よってトリカブトの毒は佐竹大四郎には届かず」
 「では、佐竹家は誰が?……」再び家内。
 「佐竹大四郎は後に毒殺される。喜三郎の妻・静江も病死する。そして由貴乃は男子を産み、その子は清十郎と名付けられ、由貴乃は原因不明の病気で死ぬ。佐竹家の悉くも病没し、清十郎は佐竹家の家督を継いで、後に美作藩の主席家老になる。生き残ったのは喜三郎ただ一人。左門は後に闇討ちされて斬殺死する」
 「この物語、血塗られていてドロドロとして穢い感じ……、それでいて何だか怕い」と上原小夜子。
 「でも、人間とは本来本性を顕せば、裏ではこうした一面を持っているのかも……。特に、わたしたちが知らない何処かの裏には、実際にこういう事が、血争いで行われているかも……」と勅使河原恭子。
 「この物語、いったい誰の作なのでしょうか?……」と真弓。
 「それはですなァ、自称、私めの駄作。半年前、猟奇作家大賞の作品募集に応募しましたが、文章には不適当な箇所が多く、映倫でもクレームがつきそうな濃厚・妖艶な濡れ場が多過ぎると言うことで“没”しなりました。
 見事に一次審査で落選、一喝の門前払い。何しろ卑猥過ぎて、活字には出来ないですって。
 吾輩を落した審査員の神経疑います……」
 この一言で、周囲の女どもから嗤
(わら)いの燻りが起こり、嘲笑を買った。

 しかし、私は負けない。
 「雨にも負けず、風にも負けず……で、駄作小説の話を続けましょう。
 私が運が良い、なぜなら当局に密告や通報されなかったからだ。これだけで随分と運が良い。
 何しろグチョグチョ・ベチョベチョなる克明な、リアル表現が多過ぎますからなァ。映倫検閲でも上映禁止の太鼓判を捺されると言うことは、国務大臣下の検閲当局や警察庁の内務検閲も許可ならずで、下手をすると猥褻裁判で、渋沢龍彦並みの厳しいお咎
(とが)めを受け、罰金刑では済まされんでしょうな。運が悪ければ完全に懲役です。もしかすると、公然猥褻罪でソ連や中共のように即刻、銃殺かも知れません。
 本日は十八歳未満の“よい子のお嬢ちゃま”も同席している関係上、そういう卑猥なる紊
(みだ)れた夫婦交換のスワッピングなどの濡れ場は、完全カットでご提供しております」
 「それにしては……」と家内が何か言おうとして口を噤
(つぐ)んだ。

 「では、映倫検閲で上映禁止の猥褻箇所は、完全カットで話させて頂きます。
 さて、文化文政より二十数年前の寛政の頃、一人の身窄
(みすぼ)らしい佝僂(くる)漢と、その女房と思われる密教瑜伽(ゆが)の女行者が流れついた。瑜伽は、今日で言うヨーガのことである。密教ヨーガと思って頂ければいい。
 この年の寛政二年
(1790)、松平定信による寛政の改革の諸政策の一つ「寛政異学の禁」が施行された。
 この佝僂と女行者が松葉の丘に棲み付き『松葉講』という講を開いた。連れの女行者は歌舞伎踊を舞う。気性は烈しいが、なかなか美貌の持ち主だった。絶世と形容していいほどの美人だった。狐媚
(こび)の術を巧みに遣い、妖艶を得意とする。佝僂には勿体無い美人女房だった。女房は流行唄に併せて、艶やかな女歌舞伎を舞う。これが城下で大いに受けた。美貌のために忽ち民衆の人気をさらった。
 佝僂は松葉講と言う講組織を作った。この講が忽ち地域の流行となった。佝僂は異能者だが、女房の人気が高まるにつれ、わが身を外に現すことを殆どしなくなり、女房の陰に隠れた。闇の首領になったのである。
 佝僂は能
(よ)く影を操った。能く咒(のろい)を遣う。そのため平伏(ひれ‐ふ)す者も多い。
 松葉亭での講は月に二回開かれる。新月と満月の時である。新月の時を「暗闇講」と言い、満月の時を「望月講」と言った。この講の夜に、上流の男女が戯れるのである。淫
(みだ)れに乱れる。
 その講には一朱銀
(最少額で最小形の銀貨で16個で金1両に当たる)二枚の木戸銭を必要とした。だが、この木戸銭のうち半分は松葉講に使われる。半分は「鼠(ねずみ)講」に使われるのである。一人が二人の子を持つあの鼠講である。
 そして二人の子は、それぞれに二人ずつの子を持ち、親は孫が出来た時点で四人の孫を支配する。
 この講は、子や孫、曾孫や玄孫
(やしゃご)などを勧誘させ、鼠算式に拡大させることを条件として、加入者に対して加入金額以上の金銭その他の経済上の利益を与える一種の金融組織のことである。

 此処で、佝僂と美貌の密教瑜伽
(ゆが)の女行者との出遭いの件(くだり)に触れておこう。
 雑木林に囲まれた山道を一人の女行者が歩いていた。その行者、名を楓
(かえで)と言った。楓の後を影由という佝僂が蹤(つ)けていた。その容姿は見るからに見窄らしく、また醜かった。
 楓は美貌の行者である。背丈もそれなりにあり、容姿端麗である。また、女でありながら、賊殺傷の術を納め腕も立つ。子供の頃より、そう言う術を身に付けていると思われた。
 『おいッ!、何故、わしの後を蹤ける……、卑しき佝僂如きが……』穢く罵った。
 楓は佝僂の影由を、見下すように冷ややかに言い放った。明らかに蔑んでいた。
 『女、ぬかせ……』
 『佝僂……。お前如き醜い漢が、女をものにするには二つしかない。一つは力づくで無理矢理、相手を女にしてしまうことじゃ。だが、その佝僂では無理だろう。お前はそれが出来ないから哀れだ。
 それと、あと一つ。狙った女を全身全霊で心から尽くし、仕えることだ。さて、どちらを選ぶ?』
 『てめえ、何か勘違いしていないか。俺は何れも選ばない。もう、既にお前は俺のものだ……。お前は既に俺に仕えている……』
 『なにを馬鹿な!……。そう言う戯言
(たわごと)はいわぬことだ。しかし、お前は偉いわね。わしの恐ろしさも知らず、そこまで大ボラを吹くのだから、その点は褒(ほ)めてあげる……』
 楓には、確かに腕にあることを思わせた。
 『既にお前は俺に仕えている……』
 『佝僂!……言うな。もうお前は赦せん!……。絶対に赦せん、殺してやる。地獄に堕ちろ!』
 楓は腰の後ろに隠し持った逆刃刀を抜いた。山刀である。普通の刀と刃が逆になっている。
 刀の造りは本来、鎬
(しのぎ)と刃からなるが、これが逆に入れ替わっている。鎬の部分に刃があり、刃の部分が鎬になっているのである。釜と同じ構造になっている。そのため逆手握りすると、触れただけでも恐ろしい切断力を持つ。逆手に持ち、疾って擦れ違い態(ざま)に軽く触っただけでも、肉を断ち、骨を切り裂いてしまうのである。楓はその手練らしい。また自信があり、これまで何人もの漢を葬って来ているのである。
 楓が疾った。動きが早い。刀術の手練を思わせた。
 しかし、影由は微動だにせず、佝僂の躰を晒しただけであった。醜く曝している。動こうとしない。
 そして内縛印
(ないばくいん)を組み『ノウマクサンマンダ・バサラダンセン・ダマカラシャダソワタヤ・ウンタラタカンマン』と真言を唱え、次に印を剣印に作り替えて『オン・キリキリ』と唱えた後、直ぐさま刀印の結び替え、再び『オン・キリキリ』と、地面が響くような肚の底から搾り出す聲(こえ)で唱えた。
 楓はもう一寸一分一厘すら、躰を動かすことが出来ない。その場で不動金縛りに懸かっていた。
 『お前は俺の女だ』影由は同じことをもう一回言った。
 『はい、あなたの女でございます』
 楓は完全に毒を抜かれていた。そしてこれまで修得して来た術が、他愛のない術で、影由には全く歯が立たないことを悟った。生涯、佝僂の影由に仕えて献身的な女房になる。
 松葉亭は影由と楓が、無から有を作り出したものであった。この世と言う地上にあたかも砂上の楼閣を作り出したのである。

 松葉亭は小高い丘の上にある楼台を持ち、松葉御殿などと言われていた。この裏の貌は恐ろしい魔術集団であった。この魔術集団に大山左門の野望が絡み付いたのである。
 この御殿は表向きは茶屋であるが、その奥には美男美女を交わらせ、得た子供を売買していた。またその子供を育て、利権のために秘密兵器に仕立て上げるのである。あたかも周公旦が女の赤子を、妲己
(だっき)の如き秘密兵器を作り出し、殷の紂王に送りつけ、この国を滅ぼしたように、そういう策略を巧みに使う易断の首領でもあった。
 その食指は美作藩のみに留まらず、松葉亭を基点に全国に影響を及ぼす策略家でもあった。身分は下級の武士か、小作の百姓かは分らないが、今では大きく伸
(の)し上がり多大な影響力を持っていた。更に特異なのは傭兵の貸出だった。かのロスチャイルドが、欧州の王侯貴族に勇敢なスイス人やクルド人の傭兵を貸し出したように……。
 影由自身が呪詛の術を教え、殺法を楓が教えた。
 この傭兵衆は黒徒衆
(くろかちしゅう)と言われ、身体能力の優れた男女から構成され五人の長を“伍長”と言い、十人の長を“什長”と言った。最低、五人単位で貸す。一人1日三両。五人で十五両。これを三日借りると四十五両。十日で百五十両。黒徒衆は単なる戦闘術だけでなく、十人揃えばヤクザの喧嘩すら一日で片付けてしまう。小国の藩など五十人も揃えれば、簡単に転覆させ、乗っ取ることも出来る。
 しかし、それだけでない。策を遣い、少人数で煽動工作まで遣って退けるのである。一方で呪術集団であるから、後継者の育成も欠かさない。自前で子供まで作り出してしまう。それは懊悩
(おくのう)を抱えた保因者であっただろう。育てた子供の中から巫覡を作り出す。巫覡のうち、女を巫、男を覡という。まず審神者(さにわ)の才のある子供を男女双方から五十人ずつ選び出す。そして易断させる。的中すれば残し、外れれば豪商や豪農に奴隷として売る。易の才のある者だけを繰り返し、テストして絞り込み残して行く。

 そして早い時期から男女を交わらせ、子を産ませる。その他、各家で不倫から不要になった子、世に出してはならぬ不詳を子を、また生まれて恥じなければならない子を貰い受け、長期に懸けて養育する。幼児期より能力別に教育する。あるいは更に合法的に、上士などの武家や豪商に取り入り、誰の胤
(たね)か分らない子供を産ませ、血筋系図を作り、再び策を用いて掛け合わせる。
 鼠算的に殖えて行く構造ではないが、血筋系図により、近親相姦を起こさせて黒い血を作り出すのである。
 影由は全国を見聞して廻り、黒濁血この残忍であること知っていたのである。
 松葉亭で下働きをする男衆や女子衆は美男美女が多く、そういう男女を豪商の旦那衆に斡旋したり、藩上士に斡旋するのであった。中には男色者も多かったからである。これも貸し出すのである。添え寝としての少年少女も貸し出す。半日とか一日と言う単位でなく、一ヵ月でも二ヵ月でも半年でも一年でも好きなだけ貸す。借主が飽きれば、また次ぎなる新しいのを貸す。
 影由は古代中国の周が、何故覇者になり得たか徹底的に研究した。その血を思った。かの妲己が何故紂王の愛妃として送られたか、周公旦の遣り方を学んだのである。
 殷と言う国のことを研究し、それを知る儒学者を訪ね歩いた。周公旦は、表向きは孔子が手本とする礼法の始祖である。そして周公旦の隠された手法を知ったのである。
 こうして影由は美作の国に根を生やした。そして周旋屋を自称した。自らは「月下老人」と称した。
 月下老人とは氷人と同じ意味で、唐の韋固
(いご)が月夜に逢った老人に将来の妻を予言された故事に譬(たと)えて、男女の仲を取り持つ周旋屋を指す。

 それから二年ほどして、喜三郎の妻・静江には女子が生まれ、一方、由貴乃には男子が生まれた。はっきり言えば、静江が産んだ子は誰の子か分らない。また由貴乃の子も誰の子か分らない。複数に遊ばれて生まれた子である。
 静江の子を由佳といい、由貴乃の子を清十郎と言った。清十郎は後に佐竹家を家督相続して家老になり、元服した後、清十郎は由佳を、わが妻にした。もうこれだけで充分に恐ろしい。この夫婦は黒濁の血を受け継いでいることになる。その血が、また後世に拡散して行くことになる。清十郎は母に似て色情家であった。特に男色を好んだ。美少年が好きだった。
 あるいは周旋屋の文州屋影由が仕掛けた、複雑な保因者の胤を孕
(はら)んだのかも知れない。そういう胤が後世に及んだ。その血は佐竹家から起こった。
 あるいは周旋屋の文州屋影由が仕掛けた複雑な保因者の胤を孕
(はら)んだのかも知れない。そもそも血脈が不明であった。
 斯くして、この組織に喜三郎は取り込まれたのである。以降、蹂躙される人生が続き、喜三郎も妻・静江も四十前後で他界している。死亡原因は定かでなかった。そして喜三郎の子孫は代々の医家であった。
 一方、大山家の由貴乃も四十前後で他界している。毒を盛られたとも言うが定かでない。他界原因は不明である。また左門は大山家の当主にはなったが野望も此処まで。
 ある晩、酒に酔って帰宅中、夜間襲撃、複数の視覚から襲撃に遭い斬殺された。口封じに、影の暗躍者があったことも窺わせる。結局、左門はよからぬ黒濁の血に加担し、死んで逝った。悪運尽きたと言うべきか。
 斬殺されたのは、松葉亭の多くの裏を知り過ぎたからとも言う。

 こうして寛政年間
(1790)から約二百年が経った。当然この中には親兄弟姉妹で近親相姦が行われた可能性も含んでいる。近親結婚が繰り返されているからだ。
 それから初代・文州屋影由から数えて、第九代に亘り二百年が過ぎた。
 平成3年に至って、二百年目を迎えた。この年月を経って、濃厚な血と黒い血は決して影をひそめたのではなかった。いまも猛威を揮っているかも知れない。自由恋愛真っ盛りである。同性愛者と同じく、不倫が市民権を得て奨励される時代である。色は様々な形を替えて入り乱れる。もう止める術はない。激流のように流れ出した。
 この流れは澱み、濁り、黒い血を綯い交ぜにいしながら猛威を揮い、怒涛の激流となって流出し、もう今となっては、何ぴともこの流れを止めることは出来ないだろう。
 この時代、孔子の戒めた『色戒』は殆ど厳守されなくなっていた。
 また色界は、三界の一つを為し、欲界の上に位置し、欲望を離れているが、なお物質的存在である「色」からは解放されていない世界なのである。
 そして『血物語』の話は、黒い血の保因者が多賀谷家と大山家のその子孫の男女間で、相思相愛劇の恋愛が始まったと言うところから起こったのである。

 双方の家は黒い血を蔵した血脈家系である。
 黒い血の中には「呪う血」が含まれているかも知れない。どういう血で今日まで至ったかは知らないが、この血が現代に顕われ、恋愛と言う形で何者かを惹
(ひ)き付ける。相思相愛は、単に一目惚れとか、単純恋愛ではあるまい。何かが呼び、反応する。その反応に絡み付くような粘り着くようなそういう血が混入されている可能性が高い。愛とは盲目、双方が盲人となる。この言葉の側面に愛着(あいじゃく)が表裏をなしている。あたかも糾(あざ)える表裏の縄である。
 斯くして肉と霊は双方で入り乱れる。
 一方、周旋屋の文州屋影由の利権も厳重な秘密保持で九代目に至って栄えた。
 政治や経済に影響を及ぼし、文化にも芸能にも影響力を持っていて、文州屋は今では芸能プロダクションに姿を替えていた。『文州芸能プロ』と言うのが、それであった。

 かつての周旋屋の面影などなく、関東と関西に報道や金融を併せ持つ一大組織となっていた。だが、この組織は深層部の知られないところに、血を操った影を忍ばせている。
 だが最初は男女の中から始まった話である。そこに血が媒介する。黒く濁った血である。その血が現象界の何かに絡む。連鎖を起こす。
 大本に戻れば具体的なシンボルは何か。この大本を解説すれば、老荘で言う「玄牝
(げんぴん)」であろう。
 女性器である。
 女性器は仁愛の心も、善悪の価値観すらない。そこは生殖して生命を産むだけ。それ以外何もない。これに男か関われば、剣に絡む龍として一切の心に関係なく、どんどん産むのである。それを倶利迦羅
(くりから)が象徴している。善悪にないところから、人間の生命は産まれた。黒くても濁っていても、どんどん産み、それが後世の生命体として、この世に関わりを持っただけである。これが人の世を構成する。

 また血には血統と言うものが左右する。
 その血がいいか悪いか、例えば犬なら犬の血統を検
(み)る場合、餌を食べさせて見れば分る。雑種の犬でも立派な風格のある犬も居るし、血統書付きでも見窄らしい犬とか、しょぼくれた犬も居る。したがって見た目では血統までは判断出来ないが、餌を食べさせるとその食べ方に酔って「生まれ」を知ることが出来る。
 しかし、食事の態度だけは如何なる事があっても誤摩化せない。由緒正しい犬は、何処か毅然としたところがある」
 「血統の由緒正しさとは何ですか?……。実際にそれ、証明できるのですか」と上原小夜子。

 「ああ、できますよ。こういう動物の態度は犬だけでなく、野性の猫にも見られる。
 例えば、イリオモテヤマネコだ。
 沖縄県西表島だけに生息するネコ科の哺乳類で昭和40年
(1965)に発見され、今では特別天然記念物になっている。野性のままで人を寄せつけず、原始林の中に潜んで、自分の捕えた獲物以外食べないと言う猫である。これまでに何度が人間が餌付けしようとしたが、総て失敗。人間が与えた生肉は食べずに死んでしまったと言う。
 この種の特性であろうが、プライドが高いと言うか、矜持を持し、一人超然として孤高を持すと言うか、浅薄な文明には毒されず、自分の命や生き態
(ざま)を、他人の世話になって施しを受けるくらいならば、「潔く死を選ぶ」という武士の生き方を髣髴とさせる。
 腐っても鯛というところがある。動物にもそういうやつがいる。見上げた根性だ。
 体形は頭胴長約60cmで、尾長20cm。暗褐色の地色に縦列の黒斑があり、頭骨などに原始的な特徴を残している。
 斯くの如く、こういう動物にも毅然とした性格を持つものもいる。
 動物でもこのような毅然さを持ち、それは人間でも同じであろう。毅然とした生き方を選択し、毅然として死んで逝く人がいる。けっしてガツガツしていないし、空腹にも強く、どんなに腹が減っていても、ゆっくりとよく噛んで有難く食べる。
 血統とは躰の奥まで浸透しているのである」
 「先生の言う通り、そうかも知れない……。血統って、そういうものかも知れないと思うわ。
 うちの駄犬をみれば、先生の言うこと、何となく納得ができます」と勅使河原恭子。
 この娘の家では犬を飼っているらしい。しかし、ガツガツしているところが由緒正しい血統の血筋を外しているのだろう。
 猫でも犬でも、血統のいいものは姿自体が美しい。
 私もかつてシャム猫を何度か飼った事があるが、形がよかった。多く餌を与えても、ガツガツ食べず、小型のライオンのように腹がぺこんとへこんでいた。血統書付きでなかったが、シャム猫の特長を持っていた。

 更に経験談から話すと、私はこれまで長期の断食を合計四回やっている。また、断食指導も度々したことがある。断食講習会まで開いたことがある。
 実際に断食は本断食をしている時よりも、それが終わってからの方が難しい。
 断食の手順は、断食準備期間・本断食・断食終了の補食期間の三つに分けられる。
 断食準備の補食期間を経て本断食をこなし、そこで断食終了となるが、一番難しいのは本断食を終えて、再びはじめと同じように補食期間に入り、米粒数個の重湯から徐々に戻して行くのだが、これを茶碗一杯を一時間ほど掛けてゆっくりと食べるのである。しかし、血統が悪い人は、一時間掛けて食べるのを僅か1分以内に済ませ、それで終わってしまう人がいる。見苦しいガツガツ食いである。そのうえ「何だこれだけか」と、食べ足りないと不満を漏らす。そして補食期間を終える前から早々と普通食に戻し、その後、大変なリバウンドが顕われって断食を失敗する人がいる。こう言う人は至って血統の悪い人で、断食には不向きである。食糧難が襲えば真っ先に死ぬ人であろう。
 つまり空腹トレーニングに絶えられない人である。三度三度朝昼晩の食事を摂り、それに間食や夜食などを入れて、一日四食も五食もするそういう卑しい口を持った人は、断食に絶えられない人で、結局こういう人は自ら進んで食を乱し、食に対して慎みを知らぬ人と思うのである。今の足るを知らない人であろう。
 現代にはこう言う男女が殖えた。贅沢を覚えた、この時代の特長だろう。やがて食糧危機が襲うが、現代日本人の未来も見えている思いがする。

 血統とは、人間の一生の何割りかを支配し、その人の生き態と、最期の死に態を決定しているように思うのである。
 血統などと言うと、“江戸時代でもあるまいし”と時代錯誤を指摘する人がいる。“今どきそんなものが存在するか”と高を括る人がいる。
 今日の一億みな総中流の時代、日本には血統など存在してないように思える。だが、私の言う血統は運命の善し悪しでも、その異差でも血統が絡んでいるように思えるのである。
 血統は大別すると次のようになる。

貴 系 高貴な生まれの人である。皇室関係者は言うまでもなく、かつての公家や旧華族あるいは上級武士などが、この生まれの人である。
裕 系 この血統に生まれた人は自己犠牲旺盛で、聖職者に多く見られるが例えばわが身を犠牲にして、自分の命を引き換えに、他人の命を救える人である。生き方に清々しさを感じる。
良 系 裕系に較べると利己心が強く、自分より他人とまでの考えには及ばない。まず自分であり、個人主義を謳歌する人で、政財界のトップとかエリート志向に走り、そこそこ成功している人である。
駄 系 この血統は、まず家柄が悪いと言えよう。しかし運が悪いと言う訳ではない。一面に逞しさがあり、意地を通して上へ伸し上がろうとする雑踏のような強さを持っている。芸能界やスポーツ界での生存競争にも絶えられ、競争の烈しい世界では驚くべき力を発揮する。
悪 系 最低の血統と言えよう。善悪の区別が明確でなく、悪事を平気でやらかす。上品ぶってもその仕種(すぎさ)の中で悪系のボロが出てしまい、隠し通すことは出来ない。欲望のままで生きている。行動に残忍さが出るのも、悪系の特長である。
畸形系 生まれながらに片輪として生まれる障害者。例えば小児期ビタミンD不足で佝僂病に罹った「せむし」などの脊柱や四肢などで異常に湾曲をした脊柱後湾などを抱えた人である。しかし障害者でありながら、中には特異な異能を発揮することで、貴系を対等・同格に扱われる場合がある。

 人間には持って生まれた血統が何処にも付き纏って来る。
 これは単に身分が低く、家柄が悪いなどのことではない。血に問題があり、その血に黒い血、濁った血が保因者として含まれている場合、それが陰性から陽性に変化したとき、何かが吹き出して来る。血とは黒濁の何かを含み、その人個人に運命としての影響を与えているのである。
 だが『血物語』はこれで終わった訳でない。
 卑猥極まる猥褻箇所を完全カットしても、その後の終盤が残っているのである。引き続き清聴願いたし。



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