運気 八門人相 房中術 癒しの杜 菜根譚 小説 会報Back No. 合気 蜘蛛之巣伝 死の超剋 霊的食養 心法
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続 壺中天・瓢箪仙人 10

現代は多忙の時代である。現代人は「多忙」と言う装置の中に閉じ込められ、仕事に追い捲くられる時代である。
 かつては仕事に関する訓話譚で、こう言われたものである。それは「仕事を使え、仕事に使われるな」などと言われたものである。

 さて、現代はどうだろうか。
 現実には、仕事を使っている人など、既に少数派となり、現実には仕事に追い捲くられ、自主的に落ち着いて、仕事を使い、仕事を処理している人など、殆どいないのではあるまいか。

 一方で、経済優先と言う政策の中では、金と物を優先させることであり、近年のグローバリゼーションという流行語の押し寄せとともに、仕事と言う考え方の中に、不純なものが紛れ込んようにも思うのである。
 これは「仕事を拝む」と言うことから遠ざかり、仕事が生活の糧となり、単に喰って行く手段だけに成り下がっているからである。
 仕事が喰うだけの手段となり、目的からは遠ざかっている。
 この背景の中に、仕事に使われて生きる現実があり、仕事に使われて生きることを余儀なくされる現代人の姿がある。経済優先とはそういう姿を作り出したのである。

 ますます仕事の目的から遠ざかる仕事観を当り前と思い、実際には仕事を拝むことを忘れ去ってしまった時代へとなった。
 この仕事を拝めない現実は、神すら拝めず、人を蔑ろにし、利害に囚われ、評判に患わされ、日一日と本来の目的から益々遠ざかる現実を招いているようである。


●冬の夜咄

 一日経った翌日の深夜のことである。誰もが寝静まっている時間であった。
 銭湯でのことを訊いてみた。
 「どうだった?」
 真弓の“お里”を訊いた。
 見聞した家内の一言一句に、総ての情報が詰まっている。この情報の中には、出生成分から生活環境から、モラルや常識まで含んでいる。そして代々の先祖からの家訓までが分る。その中には血を通じて、霊統まで読み解くことが出来る。
 「帝王切開の痕
(あと)がありました」2.0以上の眼のいい視力で確認したのだろう。
 家内は視力がズバ抜けてよかった。よく本を読んでいたが、常に両眼とも2.0以上をキープしていたように思う。そのために普通人
(現代の標準視力は1.0)なら見えない、とんでもない遠くのものでも検(み)ていたようである。また真弓も視力がよかった。彼女も古代人と同じような明るい視界を持っていたと思料する。暗闇でも何かを感知していたと思われる。感性がいいのである。こうして古代人からその遺伝を受け継いだ二人の女は次元を異にしても、何か見えていたのである。それだけに心因性の衝撃には脆かったかも知れない。

 家内のいい視力で、明るい視界で、何かを検て、疾病を感じ、奇異な手術跡に何かを見たのだろう。これだけで、まだ退化していない肉体情報が分るのである。古代人の何かを引き摺っていたのだろう。
 それはまた、出産に纏
(まつわ)るその後の体調も分る。痛覚の耐久度も分る。なぜこの手術をしたのも想像することが出来る。この帝王切開ひとつで、その後が分るのである。
 この手術は、母体の腹壁および子宮壁を切開して胎児をとり出す手術である。胎児の産道通過が困難で、自然分娩が期待できない時に行うものとされている。これからいろいろなことが読める。これは胎児が産道を通ったか、そうでないかと違いではない。霊的には、もっと深いことが分るのである。
 「ということは?……」
 「子宮に異常の翳
(かげ)りが、あるかも……」
 「疾病
(しっぺい)は、そこか?……」
 「でも、変化してますよ」
 「変化?……」
 「いい方に……少しばかり……」
 「どう検
(み)た?」
 「感情の変化と、身体的には髪の毛のことが……。勢いが出て来ましたもの、黒身を帯びて、艶が出て、許に復元しようと何かが働いています……」
 これは少なからず、後天の暗示か……。では、少しばかりの変化が何か?……。今は分らない。だが変異は分る。霊統に絡む何かが変異したのだ。それに併せて血が変異したのだ。

 「それは血に関わることか?……」
 「おそらく血の中に、多面体の性格の持ち主がいたのでしょう。それが血脈として遺伝した……とかの」
 「血の汚辱と言うやつか」
 「それは身持ちの悪さに顕われますからねェ……」
 「結局、人間の男女はその間には、性交のみだろうからな。それに搦めて双方が近付いて来る。そして性交が済めば、互いは用なしとなる。現代はそう言う血の汚辱が広がっている」
 「血は本来は拡散しますからねェ。拡散して複雑さを増して来る。でも、その複雑なり血の中に新しい血が混じるたびに遺伝子も組み替えられ、この複雑さは単に高校の理科Iの生物で出て来る『メンデルの法則』程度ではないですからねェ」
 オーストリアのカトリック司祭で植物学者のメンデル
(Gregor Johann Mendel)が1865年に発表し、近代遺伝学の基礎となった遺伝の法則であり、生物の形質の相違は遺伝因子によって決定され、交雑によって生じた雑種第一代には、優性形質だけが現れ劣性形質は潜在する。この定理を「優性の法則」という。
 次に雑種第二代には、優性形質を現すものと劣性形質を現すものが分離してくる。これを「分離の法則という。またそれぞれの形質が無関係に遺伝する。これを「独立の法則」という。この三法則を総称してメンデリズム
(Mendelism)と言う。

 血は血族という血脈の中で遺伝として伝わって行く。人は誰しも両親を持っている。その両親にも両親
(ふたおや)が居る。
 これを更に三代前、四代前と遡
(さかのぼ)れば、厖大(ぼうだい)な数の血のネットワーク網が顕われる。大抵の人の場合、血族として明確になるのはせいぜい三代前である。両親と兄弟姉妹と、その従兄弟(従姉妹)などは分ろうが、祖父母の兄弟や子供となると、多過ぎて分らなくなって来る。系図があったところで、そういうものは探しても釈然としなくなる。戸籍を調べても、原戸籍を取り寄せて追っても、系図は特殊な専門知識を持った人でないと過去帳すら組み立てられないのである。したがって、祖父母の兄弟姉妹となると先ず絶望的であろう。

 祖父母と言えば、自分から数えて三代前である。時代で言えば明治以降である。
 明治・大正・昭和そして平成と流れた時代にあって、三代前を推測して、三代前に一組みの男女がいたとする。その男女がかつては平均五人の出産率であったから、その五人がまた五人の子供を産めば、時代を下って人口減少の傾向にあると言っても現在でな120人前後になっている筈である。勿論この中には、子供を五人以上産んだ人がいるかも知れないし、もっと少なかったかも知れない。あるいは先の大戦で死亡しているかも知れない。しかし120人前後の数字は、あくまで計算上の数字である。

 この数の流れを追えば、血は確かに新しい血を呼び込みながら、時代が下がるに従って拡散して行ったことが分る。
 但し、これは飽くまでも階級別にである。血は横の階級同士で拡散する。特にこの拡散で多いのは所謂
(いわゆる)中間階級での拡散である。この階級は分布的に見ても広域に及ぶ。
 ところが中間階級を挟んで、その上下となると、分布は極めて狭く、広域には至らない。上下は殆ど交わらないからである。仮に交わることがあっても、上は下の中間階級を取り込むか、一方、下は上の中間階級を取り取り込まれる因縁が働けば、ここから拡散することもあろうが、現実には階級は家柄間同士、あるいは職業間同士に分類される傾向は強いから、家柄間では旧家は旧家同士とか、また職業間では、その同業者同士から政略的な婚姻をすることが少なくない。
 玉の輿は現実には稀
(まれ)なのである。
 稀ということは血の拡散を妨げ、狭めて行くのである。その結果、同族結婚とかで血の密度は濃いくなる。婚姻が繰り返されれば、近親結婚は血が濃厚になるのである。
 そしてその中に、不純な保菌者が紛れ込んだとしよう。それは以降、子孫を汚染する汚染源となり、やがて時代が下るほど数を増していく。当然その中には、呪われた血や犯罪に絡む血なども含まれて来よう。不安は不安を呼び、保菌者は黒い血を持つことから、黒い血は互いに呼び合う性質が強くなる。
 血統及びそれに絡む霊統までもが変異し、また病変して、次なる保菌者を求めて闇を蠢
(うごめ)く。その中で、血を媒介して、遠い他人同士でも呼び合うこともある。それは「遠い先祖の血」を呼ぶかも知れないのである。
 そもそも考えれば、三代前にはおおよそ120人前後いるのである。こうなると表面上は一見して赤の他人である。しかし、三代前の先祖は同じだったと言うこともある。これまで接触がなかったから、知らないだけだったのである。
 血は惹
(ひ)き合う。互いに惹き合い、そこに「恋愛」という現象を起こさせる。その中に黒い血の保菌者が居るかも知れない。
 こうした血が濃いくなればなるほど、時代は下って、何らかの弊害が多く出て来る。昨今の犯罪多発や犯罪の低年齢化は、この一面を顕著に顕している。醜怪な精神は、こうした血の中に粘着性の汚辱を色濃く残すのである。

 此処には忌まわしい「何か」が絡んでいることが分る。
 何かが蠢いていた。何かが這っていた。
 それは侵入の感覚であったかも知れない。九竅
(きゅうきょう)への侵入である。
 九竅とは九つの穴
(竅)のことであり、人間や哺乳動物の身体にある九つを指す。則ち、両眼・両耳・両鼻孔・口を陽竅といい、後陰・前陰を陰竅とよび、総称して九竅とする。侵入物は一部分からではない。全身を撫(な)で回すように這っていた。
 肌を這い、また穴を探しはじめる。両眼や両耳、あるいは両鼻孔や口から侵入しようとする。
 性器をまさぐり、肛門を探そうとする。尿道を探し当て、排泄口を這い回り、あるいは鉾先を替えて、遂に腔口を探し出す。此処から入り、子宮へと何かを送り込もうとする。こうして隅々まで満身遍体
(まんしん‐へんたい)を這い回ったあと、股に入り腔口に侵入する入り込んでいような感覚を、同時に脳へと送り込もとしたに違いない。そういう感情が侵入者の正体だったかも知れない。それに心因性ショックが合わされ、脳に潜り込まれて神(しん)が冒された。感情は肉体だけでなく、精神にも触れたからである。こういう感覚は夢の中にもあると言われる。

 次に仕種を訊いてみた。
 「水走りを確かめたか」
 それは立居振る舞いの一切についてである。
 「優雅で美しく見えるのは、念を入れて装っているとか、美形というだけの理由ではありません。美しさの根元には、外側でなく内側の静から動へ変化する“起居
(たちい)”にあるようです」
 「どういうことか?」抽象表現を質
(ただ)した。
 「簡単なのは集団の中に入れば、何となく目立つという人がいるでしょ。真弓さんはそう言う人です。生まれが貴いのです。
 また、これは起居です。そういうふうに躾されたのでしょう。それがまた、水走りの優雅さに通じていたのでしょうか。そして何故、人目に目立つのかと言うと、肌とか若さとか、化粧上手という以外の身のこなしでしょう。あるいは気高さから来る機敏さではないでしょうか。それとあと一つは、訓練に耐えた何かです」
 「耐えた何かとはどう言う意味か」
 抽象過ぎて益々分らなくなる。霊媒の審神者的解釈をしているからであろう。
 「何か苦しいことに耐えて得た感受性とか、それを通じて得た教養とかの、生まれつき与えられた先天以外のものと思います」
 「なるほど、瑣末事
(さまつじ)以外の面魂(つらだましい)というやつか……」他とは異なる並々ならぬ一種の精神力か感情の激しさであろうか。
 「激情する人でしょう。泣いても、単に悲歎のために泣くのでなく、激情から流すような……と形容しましょうか、そういう気高さが人格を形成しています……。一方で、性格は不自然に耐えられないとか、不条理に怒り心頭に来る世と言うような、もしかすると例えば義憤とかの赦せない何かに激情するようです」
 激情は、同時に気位だろう。一方で身分格差から起こる。
 「その激情……、何から探った?」

 「あなたの受け売りで、こういうこと言ってみました。例えば、長距離を集団で走ったりしますよねと。
 すると、この集団が最初は塊であったものが走行時間の経過とともに、その中が不思議にも、更に小集団化しますよねと。そしてその小集団は先頭グループをAとし、それに続くグループをBとし、その後続グループをCとして……と言うと、『何だが、伝習塾のグループ分けみたい』というから、もう此処まで言ったら、あとは語らなくてもいいでしょと言ったのよ。すると直ぐに理解したようで、それぞれのグループのビリを、うちでは看
(み)ているのといったら、『なるほど』といって総て理解したようでした」
 「どう、『なるほど』だったのだろう?」
 「彼女、Aグループのビリは、Bグループに落ちればトップに立てる。BグループのビリはCグループに落ちてもトップに立てる。でもグループはCまでしかなかったら、このグループのビリは、何処に立つ瀬があるのでしょうか?と……」
 「それで?」
 「だから主人は、この一番ビリの一人に涙を注いでやる義人だと」
 「なに?義人と言ったのか」
 「ええ」
 「義人と聴いて嗤
(わら)わなかったか」
 「いいえ、感動してましたわ」
 「しかし義人はまずいぞ……」
 「なぜ?」
 「考えてもみろ、義人がやがて搦め捕られる……」
 「どうしてって?……、わたしは人間と言うものの価値を何処にあるか考えて、それは体力とか能力とかの枠に嵌めては、人間は成長出来ないと思っていますわ。一番ビリの一人に涙を注いでやることこそ、今まで一人もいなかった義人ではないですか。居ないから義人なんです」
 「俺は何事も一切の測定の反対主義者だからなァ。体力測定、知能測定、それに性的能力測定も総て反対。自由主義者だ、極楽トンボだ。これで義人と言われては、些か肩身が狭い……」
 「狭くても、狭いなりに尊敬を集めていれば。わたし、言ってやりましたよ、教師が子供に尊敬されずに、どうして教育が出来るのかって……」
 「そしたら?」
 「同じでなければいけないことが、いけない」と切り返して、「実情を論じ、『同じ』ということがいけないということを定義して、彼女は言うの。同じような生活環境、同じような目標意識、同じような食生活。
 そのうえに同じ価値観の上に立っている。これが訝
(おか)しいのではないかと……。これらの『同じ』がいけないと……。
 この『同じ』が、やがて足並みを揃えれば全体主義になり、その全体主義は軍靴の跫音
(あしおと)にも同じものとなって、やがて民主独裁という政治体制が再び擡頭(たいとう)するかも……と言うのよ、どう思う?」
 意味深長なことを言うものだ。民主主義も清潔に偏れば、民主独裁だってあり得るのだ。国民は民主の名をもって独裁者に委託することだってあり得る。これが民主委託。恐れねばならない元兇である。
 人間は、神と入れ替わった時点で、神を蔑ろにし、人間が人間を崇
(あが)める偶像装置を作り出した。
 現にプロスポーツ選手、著名な芸術家、芸能タレントや有名人などの偶像装置を作り出し、そこに儲けや利潤などを追い求めている。ウェーバーが言ったように、プロテスタンティズムの倫理から資本主義の精神が表出されらのである。みんな「一億総中流で平たく」という意識が、実は正反対の結果を招いているのである。
 昨今の個人主義の暴走には、これが顕著に顕われているのではないか。

 家内の現に言及をした。
 「同じということは、迷わず妥協するということだろう、それが賢い道の選択ということだろう。それを懸念して出た言葉だろうな。譲歩とか協調と言えば聞こえがいいが、靡
(なび)くと言うことへの懸念だろう。靡いて、それが『最大多数の最大幸福』などと云う功利主義価値観に摺り替えられれば、次ぎなる道徳基準値が設定されてしまう。そして、やがてあることないことが『最大の快楽値』などの数字で変換され、その数字は改竄され捏造されて現代風の社会正義なども生まれて来る。またそれは同時に選ぶべき径(みち)があるのに、それを放棄し、同じ流れに乗って、その流れはやがて全体主義へと一本化されて行く……」
 「最大幸福という価値観は、ギリギリの最大多数の幸福のことですよね。誰もが最大多数のために、ギリギリの生活水準で我慢する、それがベンサムの唱えた功利主義ですよね」

 「そうだ、だが功利主義倫理説はその通りに運営されていない、特に民主主義と言うレベルでは。結局この集団の中には古人主義に奔り過ぎて、極端なスーパーリッチも生まれるし、底辺の路上生活者のような超プワーも生まれる。快楽主義とは結局、上下を隔ててしまう。
 地球上の人類が殆どぎりぎり基準で、平たい幸福感を、こういう『最大』という言葉に摺り替えている。
 愚かにもベンサム用語に酔うと、幸福を維持するためにぎりぎりの生活を強いられる。決してそれ以上でもないが、それ以下はあり得る。みな中間で我慢するということだ。しかし現実的には無理だろう。そういう人間は一人も居やしない。
 自分のために頑張るとは、一方で、利益の配分の不公平を生むのだ。利益は公平には配分されない。
 前資本主義と言う経済形態が高度に発達すればするほど、近代資本主義にあっては尚更、聡い者が疎い者を制する実情が生まれ、貧富の格差は広がる一方だ。作用としての『幸福』と云う言葉が存在する限り、反作用としての不幸もあり得る。また幸福は長期間保てない。何処なバランスが狂って、不幸に顛落
(てんらく)する確率の方が高くなる。この維持は安定期における一次現象にすぎん。何しろ現代の科学至上主義は、不完全帰納法の上に構築されているからな。不安定なんだ」
 「いつもあなたの仰
(おっしゃ)る、ニュートン以来の万有引力の法則が、距離の二乗に反比例するという、この実験が未(いま)だに繰り返されていると言うことでしょ。つまり、科学者でもこの法則を、必ずしも信用していないと言うことですよね?」
 「そうだ。自然科学は実験途上であり、これはこの思考法や体系法が不完全帰納法であるからだ」
 「よく分ります」
 「しかし、よく分る対象が、もっと殖えて欲しいが……と願う」
 「真弓さんもその一人ですよ、現代の科学至上主義が不完全帰納法と知ってましたもの。不完全帰納法だって帰納法ですからね。不完全帰納法で証明される命題は正しいかも知れないとか、正しいこともあるかもということでしょ。つまりこれが証明されただけなんですよね」
 「そうだ。だからな、正しいかも知れないし、正しいこともあるかもということだろ。『かも』とか『あり得る』と分っていても、しかし、敵か味方は判別がつかん」
 「何の?」
 「彼女だよ」
 「味方と思って下さい」
 「何を根拠に?」
 「言葉ですよ、言葉。人間の口から出て来る言葉ですよ。あなたがいつも言っているでしょ、言葉は浸透すると。言葉は光透波
(ことば)だと。これ、完全帰納法ですよね」
 「どうしてだ?」

 「言葉と言うのは、一度口からでた以上、それを再び呑み込むわけにはいかないでしょ。一方通行です。
 例えば仏教でもキリスト教でも、またユダヤ教やイスラム教でも、『姦淫するな』
(仏教では邪淫するな)とあるでしょ、あの言葉。言葉は完全帰納法としての証明の正しさを示しています。『姦淫するな』だけで、もう完全な帰納法。これは命題の正しさを証明しています」
 『姦淫するな』は旧約聖書の「レビの書」
や「創世の書」に挙げられている。

 レビに書によると「おまえの家に生まれた、父の妻の娘を犯してはならぬ。それは、おまえの姉妹なのだから、彼女らを犯してならぬ」
(第18章 11)
 一方、創世の書には「あの女は、実際のところ私の妹で、父の娘ですが母が違います。そして私の妻になりました」
(第20章 12)とレビの書とは逆のことが書かれている。
 これは主がモーセに法を与える以前は、法は存在しないから、姉妹との近親相姦は悪とされていなかった。
 イスラエルの民の太祖アブラハムは、妹サラと堂々と結婚しているのである。
 法のない以前では、近親相姦を禁止していないのである。斯くしてユダヤ教とキリスト教では相違があり、近親相姦しても神からは罰されることがなかった。その証拠に、近親相姦によって生まれた子供の子孫は益々栄えたとある。
 この相違は、ユダヤ教が『因果律』であるのに対し、キリスト教は『予定説』で救済に掛かる。これが律法である。これを象徴しているのが、モーセの律法命令をイエスが解釈する場面である。
 モーセは「姦淫するな」とした。
 この命令に対しイエスは「だが私は言う、色情をもって女を見れば、その人はもう心の中で姦通
(かんつう)している」(「マテオによる福音書」第5章 28)
 
有名な一句である。心の中での姦淫を論じているのである。
 では、仏教の因果律ではどうか。
 俗人「在家者のための五戒」がある。殺すな、盗むな、邪淫するな、妄語するな、酒を飲むなである。
 仏教、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教に共通するのは『姦淫するな』である。色の乱れを禁じているのである。色情の高揚を戒めている。

 「それで?」
 「帰納法の論証は必ず成立すると言う意味から、結論は真です。これ以外にありますか」
 「そうだな」
 「完全帰納法は、『かも知れない』じゃないんです」
 「だがなァ、帰納法的説得術と言う話術もあるからな。説得されて落し穴に落ちることもある」
 「どういうことですか」
 「統計調査と言うのがあるだろ、あれは標本
(sample)を作る時の手口で、サンプル調査のことだ。
 帰納法的説得術と言う話術を知らねば、まんまとこの罠
(わな)に懸かる。
 この手法には、集団の全部について調査する代りに、母集団から抜き出したいくつかのサンプルについて調査し、その結果から確率論によって、全体を推測する遣る方が使われている」
 「と言うと?……」
 「帰納法と言う弁法が、隅から隅まで悉
(ことごと)くというのであれば、証明された命題だ総て正しいことになる。ところが、確率と言うものを持ち出して、サンプルを作る時の手口で遣られたら、総て証明出来たとはならない。そういう意味の敵か味方かを言っている」
 「と言うことは、標本モデルを作るためのサンプルですから、何処か一部を抜粋したということですね」
 「したがって、隅々とは、隅々なんだ。したがって標本調査を確率論で構築すると、命題の証明の威力は『かも知れない』で終わる。完全でない、これこを不完全帰納法の最たるもの……」
 「でも、完全なのでしょう?一切合切の全体像を母集団に代表させているんですもの」
 「そう思い込む落し穴。多くの現代人がこのトリックに掛り、大半は檻穽
(かんせい)に落込んでも自覚症状がない。運命共同体の中での人間牧場の住人だからな」
 「落込んでも自覚症状がない……という症状、何処か恐ろしい……」
 家内の恐怖心は正しい。
 こうして家内から訊き出し、一連の流れを追って、真弓と言う全体像が浮かび上がって来たが、今度は周囲環境である。その取り巻き連中が分らない。謎を深めるのは一見静謐
(せいひつ)に見える穏やかで鎮まったような状態から、いつ動に転じるのかの「起」を読まねばなるまい。

 「全体像から何を感じた?」
 「但し、一点だけ曇りが……」
 「恐慌感
(きょうこう‐かん)って分りますか?」
 「ああ、恐れ慌
(あわ)てることだな、つまり慌てて何かに迷っていることだな?」
 「驚いたり、狼狽
(うろた)えたりの感情が身裡(みうち)に流れているような……、何処かにそういう箇所があってちらつくんです。慌ただしい蒼惶感(そうこうかん)。あるいは急変に遭遇した時の取り乱し。あれ、放置すると危険なんです」
 「どう、危険なんだ?」
 「わたしは霊媒体質だから、喜怒哀楽に顕われたものが極端化したとき、その感情が時として密度を持ち、物質化して動き廻ったりするのです。そうなると自分でコンロトールが出来ません。でも、真弓さんの恐慌感は次元が違うために押さえようがなく、つまりですね、制御が出来ないと言うより、他を介入させてしまうのです。因果が複数に重なりますからね」
 これは堆積という意味だろか。あるいは連続して繋がっているということだろうか。まるでデジタルとアナログのような違いをもつようだ。
 「意味が分からん」説明を求めた。
 「感情を抱いた人の生霊を取り込んだり、あるいは死者の感情と言うのがあるでしょ、例えば無念などの。こういう冷たい感情まで引っ張り出して、自ら恐慌を齎す……、と言えば説明がつくでしょうか。
 そういう過ぎてしまったものとか、恨みとか、酷いものになると激しい怨念なども引き出して、自らで苦悶するのです。酷いと悶絶ということもあります。感情と言うのが、同質と言うか、同じ波調のものが、あるとき迎合するのです。特異点が重なるのです、これ、連続ではありませんよ。亡者が複数重なって、そのときが一番恐ろしい。恐慌です」
 「それで、一気に吹き出し、怯
(おび)えた恐慌を増幅すると言うことだな。これが神が冒されているから命を消耗させる疾病になっていることか」
 「そうです。時として分裂を起こす。それで人格が多重化する……という説明で……、つまり、二つ以上に人格が分裂分化した……と説明で、命題の証明になるでしょうか」
 「その説明、よく分る。繋がっているのでなく、複数重なって、他者が自己制御を不能にすると言うことなんだな」
 「その通りです、神
(しん)が冒されるとはそういうことなんです」

 「これをさせないようにするには、どうすればいい?」
 「わたしには分りません」
 「厄介だなあ……」
 「でも、あの人、何か恐慌するようなものを以前見たと思うんです。そのときに心因性ショックで他者と波調が重なった……と言えば、分りますか」
 「ああ、わかる。意識の複数の合意というやつか?……」
 「恐慌の動機になっています。それは一度のみならず、繰り返しますから、忿怒
(ふんぬ)を持つだけで心に蓄積されて降り積もり忿蓄(ふんちく)を起こします。これが溜まると火山が噴火するように大噴火を起こすでしょう。そして立て続けに連鎖を引き起こす、これ怕いことなんです」
 「では、それが特異点として、心が炉心溶解したような、そういう感じの危険があるということだな?」
 「ええ、実体感のあるような悪夢です。それを見た時に烈しい衝撃を起こすんです。そのため心が逃げ場を失って、悪夢に留まると言えばいいでしょうか。留まって閉じ込められ、そこに鍵がかかってしまうんです。
 これは『気』の世界より次元が上で難儀なことなんです、だから疾病……」
 「疾病はよく分った。だが解除法は分らない……。まてよ……」
 やはり、あの人に訊く以外ない。そう思ったのである。無意識に津村老人を捜し求めていたのは、こういう捜索意識が働いていたのかも知れない。

 「何か思い当たりましたか」
 「お前、今年の春、公園の桜に下で見ただろう。奇妙な爺さまが朱塗りの見事な盃の中に酒を零して、その中に桜の葩
(はなびら)を泛(うか)べたことを?」
 「あの仙人のような、お爺さんですか?……」
 「どう思う?」
 「どう思うって?」
 「つまりだ。僅か8cm程度の直径の盃の中に、桜の葩一枚を天から注いで浮かべようにすれば、浮かべる側、つまり天がある意図を以てする以外ないと思うのだが、任意の投下位置に定めて見事に遣って退けた、あの手品のような、そうでないような、風流人の遣ったことをだ」
 「あれ、つまり木鶏
(もっけい)でしょうか……」
 「お前、妙な言葉、知っているなァ」
 「だって漢文に木鶏のことが紹介されていて、『之
(こ)れ望むに木鶏(ぼくけい)に似たり。その徳、全(まった)し』とありました。木彫りの鶏のような、その徳は心の中に充実した徳のことなのですが、この徳には二つあって一つは人徳、もう一つは天徳と書いてありました。つまり天徳は人為の価値観を超越した、自然体から発した心のことでしょうか、そのように解説していましたわ。だから、わたしが思いますに、あのお爺さん、人徳ではなくて、天徳があるのですよ、きっと。僅か8cm程度の盃の中に、桜の葩一枚なんて人間業(わざ)とも思えない妙技が出来るのは、天徳があるからだと思います。天が祝福して、あの妙技を見せてくれたと思いますわ」

 「つまり、老子が説いた『徳』のことだな」
 「そうです。端的に言えば、欧米流の善悪二元論に振り回されない徳と言うことでしょうか。それは木鶏なのでしょう。総て善悪・清濁の相互とも併せ呑んだ、こだわりを捨てた徳のことです。解説の天徳の欄には、そう書かれていましたわ」
 「善悪・清濁の二元論的な価値観に闘わないということだな」
 「無用の妙用とでもいいましょうか……」
 「では、無用の妙用にもう一度出遭うとしたら、何処に行けばいい?」
 「さあ……。でも人間って無用を有用にすると無駄な格闘を始めます。一方で有用を無用にすると、そこに霊妙な世界が出現します」
 「お前なァ、そういう言葉、次から次に何処から出て来る?」
 「それは頭の中からです、記憶媒体の中枢でしょうか」
 「その記憶媒体から、過去の記憶を思い出して、爺さまの居場所、分らんのか?」
 「だったら、桜の樹の下では?……どうですか」
 「なるほど、そうかも知れん……。あの爺さまは天徳がある太長老なのだ……」
 日を改めて、あの辺りをうろついてみるか。そういう気になっていた。

 《さて、酒でも買って来て、燗酒にして一杯引っ掛けて寝るか》久しぶりにそういう気持ちになった。
 どうも、今宵は焼酎お湯割りでではなく、出来れば寒い夜である。こういう日は、日本酒の熱燗がいい。そう思って外に出た。
 夜中、暗い街灯の下を、とぼとぼと酒を買いに出掛けた。この時間だと、コンビニまで行かねば酒屋は開いていない。やけに寒い晩だった。もう疾
(と)っくに午前二時を回っていたであろうか。
 塾を締めたのが午前零時頃だった。深夜組の親の迎えなどが終えて、その日一日が終了となる。そしてこの時間を回った頃、遅い夕食となる。それが終わり、後片付けが終わって床に就くのであるが、今日も何事もなく一日が終わったと言う感じだった。就寝の挨拶が終わって、真弓も、私も家内も部屋へ籠る。
 それから暫
(しばら)く、以上のような話をして寝ようとしたのだが、寒い日などは重宝する“天然の生体湯たんぽ”を抱き枕にして肌熱だけでは、何となく、寝るのに勢いが足らない。どうしても一杯、かっ喰らって勢いを付ける必要があった。
 そこで夜中の酒買いとなったのである。
 「酒、買って来る」
 丈足らずの短めの厚手の褞袍
(どてら)というか、綿入れの半纏(はんてん)と言うか、そういうのを引っ掛けて外に出た。外は寒い。
 懐手
(ふところで)で、夜道をコンビニまで向かう。
 そして、ワンカップの2級酒の安瓶6本入の束を買って、ついでにレジの前で売っている“おでん”を買い需
(もと)め、それを摘み代わりの肴に、ちびりちびりやる。そういう侘しい、寒い夜の過ごし方も悪くない。
 これには貧士的で、侘しさと貧しさが漂っていて、哀愁があって、猶
(なお)いい。適当に見繕って金を払おうとした時である。後ろに数人、不穏な連中が並んだ。
 《何だ、こいつら……》と思ったとき、その数人の一人が、「あんた、金を払ったら、我々の後を蹤
(つ)いてくるんだ。逃げようと思っても、無駄だよ」と、耳許で囁(ささや)くような小声で言うのであった。
 この無礼な連中は、私をこれから拉致・誘拐する気らしい。その素早い行動は、明らかに何らかの訓練を受けた、そういう連中だった。何処かの組織に所属する、そういう形跡を窺
(うかが)わせた。
 私は、こういう突然の途方もない包囲に一瞬呆れた。蹤いて来いというから、蹤いて行く以外ないらしい。特殊訓練を受けた者に抗
(あらが)っても勝ち目は無い。要するに不意を突かれて猟られたのであった。
 先頭に一人、両脇に各一人ずつ。そして後ろに一人で、十字に囲まれたのである。こういう場合、後ろが強敵である。武器を持っていて狙いを定めているのかも知れない。
 「そのまま歩け」誰かが乱暴に言った。
 私には隙があったのである。隙がないにしても、またこの時間に酒を買いに行かなくとも、既に見張られていることは容易に察しがついた。居場所もすっかり調べているのであろう。

 これには遵
(しがが)う以外無かった。抗っても無駄なことであった。コンビニで買った酒の束と“おでん”の見繕いを両手に提げたまま案内人の言に従い、蹤いて行くことにした。果たして、酒の束が入った袋ごと振り回し、誰かの頭上に叩き付けておいて、やや温い“おでん”の見繕いを誰かの貌に浴びせ掛けて、そこから疾って逃げることが可能であろうか。
 《いや》と頭を振る。
 逃げたところで逃げ仰せはしないし、これくらいの連中ならば、次は寝込み、わが家を襲って来るだろう。
 そう考えると賢明ではなかった。遵う以内ないのである。
 だが、案内人は路地を曲がりくねった不思議な歩行を繰り返すのである。だいたいこれまで見慣れた景色とは違うところを通っているのである。今まで通ったことのない路地から路地への曲がりくねる。これ自体、居場所を隠す魂胆であったろう。おおよそ20分ほど歩いただろうか。長い距離だった。
 案内した先に一台の黒いワゴン車が止まっていた。
 案内人の一人が、素早い動きでワゴン車の横ドアを引き、乗れというふうに顎
(あご)をしゃくった。
 座席に推し込められるような形で、詰め込まれ、私が乗ると案内して来た前方にいた男も乗ってドアを閉めた。他の三人は車の外を固めるようである。

 「何だ、あんたら!」車に押し込められた恐怖から、少しばかり引き攣
(つ)った声を上げた。
 「尋問するのは、こちらだ」
 この切り替えしに黙る以外なかった。言われてみれば、猟られて拉致され、今から何らかの尋問を受けるらしい。
 「訊かれたことだけを喋れ」
 中の一人が乱暴に言い放った。
 昔の特高警察も、こうして狙った獲物を包囲した後、何処に連行して引き立て、執拗な拷問などを加えて、必要なことだけを喋らされ、拉致された方は言われるままに、知っていることを自白したのだろうか。
 「津村陽平を知っているな?」
 さて、これにどう応えたらいいものか。一瞬迷った。
 「もう一度訊く。知っているな?」
 「三度あって、貌見知り程度だが、詳しくは知らない……」
 私の貌に懐中電灯の光を当てながら、顔色から何かの変化を窺っていた。
 「今日、われわれと接触したことは忘れろ、記憶から消しておけ。賢明な人間なら、必ずそうする」
 そして、もうこれ以上、何の尋問もなく簡単に解放してくれたのである。
 私を解放した後、外にいた三人が機敏な動きで車に乗り込み、車を急発進させて夜の闇の中に消えた。何とも不思議な連中で、貌のない人間達だった。闇の中が似合う、そういう些か恐怖を与える連中だった。
 車が消えて行く先を眺めたが、ナンバーを表示する部分の燈火が、故意に消されていてナンバーを読み取ることは出来なかった。訊きたいことだけを訊いて、闇の中に消えたと言う感じであった。
 最近は朝晩めっきり寒くなった。私は一瞬、津村老人の孤独を思った。

 そして踵
(きびす)を返し、戻ろうとしたとき、《もしや、わが家にも?……》という虞(おそ)れが疾ったのである。ああいう手際能(よ)く迅速に行動出来る暗躍集団は、簡単に包囲して家人を拉致することなど朝飯前だろう。直感したのは、真弓が攫(さら)われたのではないかと思ったのである。
 《大変だ……》こう思うと急いで帰宅せねばならなかった。
 だが、曲がりくねった路地を通ったために、現在位置が何処か暫く分らなかった。それを正しく認識できるまでに些かの時間を要した。
 直ぐさま走り、息を切らせて、わが家の前に辿り着くと、玄関に燈火
(あかり)が杲々(こうこう)と点(つ)いていた。
 何か、あったのだのだろうか?。懸念したことが現実になったか?……。そういう悪い思いが脳裡を過ったのであった。
 「おい、何かあったか!」
 そこへ家内と真弓が並んでいた。二人の女が綿入れ半纏を着て、玄関の上がり框
(かまち)のところに立っていた。
 《ああ……、よかった何事もなくて……》と思うのであった。
 「遅かったのね」
 「ちょいと野望用で……」
 「余りにも遅いから、心配してたんです……」
 「だから野暮用が入り込んで……」
 「何が野暮用ですか、もう一時間以上も経っていますよ」
 《なに?一時間以上も……》私には、ほんの数分の出来事と思いっていたが、一時間以上も経っていたのであった。いらぬ緊張が時間感覚を麻痺させていたのかも知れない。あるいは曲がりくねった道の仕業か……。
 さて、これをどういうふうに説明すればいいものやら。
 監視され、時として狙われ、動きを封じられ、そういう暴力が、私の周りに蔓延
(はびこ)り始めていたようである。

 「さて、酒でもしますか……、パーッと行きましょう、パーッと」女どもの機嫌を取りなすように言った。
 「深夜です」冷ややかに真弓が言った。
 「そういうこともありましょうが、こういう湿っぽいのは精神衛生上よろしくありません」
 「能天気ですね……」家内も冷ややかであった。
 「能天気と言われても、何しろ極楽トンボは軽薄が売物……。これ、お土産」
 “おでん”の包みを差し出した。すっかり冷えてしまっていた。
 「じゃァ、温めましょう」
 「真弓先生も、そんなに角
(つの)を出さすに……。パーッと行きましょう」
 「全く、能天気……。もうこれ以上の形容、し難し……」
 「そんな貌すると、鬼の八重歯が見えますよ」
 「あたくし、八重歯なんてありません」一瞬睨んだ貌が笑いへと豹変した。
 そして夜中、侘しい電燈の灯の下で、ひと時の呑み会となった。
 「こういう冬の夜咄
(よばなし)も、なかなか面白いでしょう。それに雪でも降れば最高ですのにね」
 「冬の夜長の……ですか」
 「冬の夜長の怪談夜咄なんて、如何でしょうか」
 「もう、納涼大会、終わったでしょうに……」
 「だから、その逆も真……」
 「例えば?」
 「牡丹燈籠なんて、如何でしょうか?……」
 「剪燈
(せんとう)新話ですね」
 「真弓先生はさすがにお詳しい……」幇間
(ほうかん)太鼓持のように、女二人どもの機嫌取りをしていた。こうでもしないと、一時的にも拉致された気配を悟られてしまう。この場は慎重を期す必要があった。
 「剪燈新話、中国の文語体の短編小説集。作、瞿祐
(くゆう)……。日本版の牡丹燈籠の原話になった……」
 その淡々と語る真弓の声には、何か不気味に籠
(こも)るものを感じた。もうそれだけで、立派な怪談話の件(くだり)だった。
 「なかなか恐ろしい響きですねェ……」
 「あたくしの知っているの、ここまでですわ。内容、剪燈新話に出て来る『牡丹燈記』のこと、実は詳しく知りませんの。先生、冬の夜話、語って訊かせて下さい」一変して声が陽気に変わった。
 「じゃあ、聴かせてしんぜましょう。しかしですなあ、夜中の便所は怕
(こわ)いもの。寝小便垂れないように、今の内に女性のみなさんは済ませておいた方がいいですよ。寝小便垂れて、翌朝、蒲団を外に干されるのは実に恥ずかしいものですからねェ」
 「それこそ、よけいなお世話です」
 「とは言ってもね、ここは汲取便所。こういうポテチン便所は、昔から相場が決まっている……」
 「そういう揄
(からか)うの、止めて下さい」家内は釘を刺す。
 「相場が決まっている……ッて、どう言うふうに?」
 「此処は出るんですよ」
 「何が?」
 「出るとはねェ、出るんです」
 「だから何が?……」
 「言えません」
 「言い出しておいて……。結局、幽霊なんていって脅すんでしょ?」
 「違う!断じて違う……」
 「どう、違うんです?」
 「だから、出るんですよ」
 「だから、何が?と訊いているんです」
 「教えましょうか?……、それとも止めときますか」
 「じゃあ、教えて下さい」
 「それはねェ……、出るんですよ」
 「だから、何が?と……」
 「怕いんです、怕いから、もう少し燈火を落しますか」
 「そんなことしたら、よけいに怕いじゃありませんか」
 「怕いから、少し燈火を落すんです」
 「早く教えて下さい!」
 「ポテチン便所につきものは……」ここで一呼吸置いてみた。
 「ええ……なあに?」身を乗り出すように訊いて来る。
 勿体付けて充分に引き寄せたところで、「便器の下から……」と、再び間を置き、じらすだけじらせて、女二人の娘々とした貌を覗きながら、「見たな〜と、便器の中に貌があるんです!」と言い放った。
 すると女どもは、黄色い悲鳴を張り上げて「キャーァ〜!」と余韻を曳く大声を出したのである。
 「もしもし、夜中ですよ」
 私は、こういう嚇
(こわ)かして他愛のない悲鳴を聴くと最高の幸せを感じるのである。悪い趣味だった。
 「だって、面白半分に怕がらせるですもの」
 「冬場の納涼大会も、捨てたものじゃないでしょう?」
 「何をバカなこと言っているんですか」
 「だから、聴いた後で、寝小便垂れないように、お早めに……と言っておいたんです」
 「そんなこというから、引っ込んだじゃありませんか」
 「そういうのは我慢しない方がいい。膀胱炎になりますからなァ」
 「全く信じられない……。先生ってやっぱり毀
(こわ)れている……、完全に規格外、不良品……」
 「しかしですぞ、まだ続きがあるのですぞ……」
 「もう……」
 「今のは序の口、お湿り程度。怕いのは此処からですぞ……」
 「もう厭!……」
 「じゃあ、止めときます」
 「言い出しておいて、あっさり引っ込めないで下さい」
 「しかし、厭なんでしょう。だから話せません」
 「もう!……。そんなところで止めると、よけいに気になるじゃありませんか」
 「寒くなった。酒でもかっ喰らって、まず愉しく暖まろうじゃありませんか……」
 こうして、夜中の呑み会が始まったのである。
 “おでん”を肴に熱燗で酒を呑む。決して華やかではないが、こうした侘しさの中には、侘しさなりの愉しみがある。呑むほどに酔う。そして細やかな酔いにも愉しみが存在していた。果たして、風流には程遠いものだろうか。
 そして、剪燈新話に出て来る中国版「牡丹燈籠」の『牡丹燈記』は、またの機会に……。
 後日、乞うご期待!……。
 こうして次の日はというか、もう次の日になっていたのだが、この日は何も起こらなかった。周囲には監視されていたり、何者かが張り込んでいるという気配は感じなかった。
 その日は無事に終わり、真弓は更に一泊して、二泊三日の日程をこなして帰っていった。元気になったようである。
 それから暫
(しばら)く平穏な日々が続いた。



●喜怒哀楽の日々

 平成3年11月の下旬の第四日曜日、習志野で最後の講習会が開いた。関東地区の講習会である。
 本来は東京新宿で行う筈の講習会が、会場の都合で使用出来なかったからである。そこで急遽、習志野綱武館での開催となった。
 この日の午前から習志野綱武館で講習を行い、午後は食事を挟んで講話である。私が臨席する関東での講習会は、これが最後であった。午前中は習志野綱武館で柔術指導し、午後から家内が作った手料理と個々人の差し入れの酒肴等で講話であるが、これは早い話が「呑み会」である。人が集まれば自然とこうなってしまう。
 酒を喰らい、手前味噌の武術譚を展開し、それに相槌を得ながら、結局最後は、当時では珍しい進龍一の置き土産だった32インチの大型テレビ画面で、エロビデオの鑑賞をするのである。つまり“もろ”の外国物であり、卑猥で、えげつないものを参加者全員で鑑賞し、最後は訳の分からぬ批評を下すのである。
 その度に家内から苦情を云われたことがある。

 「ああいう嫌らしいの、止めて下さらない。わたし、眼のやり場に困ります」と言う。
 「それなら、お前も一緒に酒肴のお相伴にあずかって、堂々と鑑賞すればいいじゃないか」
 「そんなこと、恥ずかしくて出来ますか!」
 「見て、悶
(もだ)えるからか?」と揄(からか)うように訊くと、「もう、バカ、バカ、バカ!……」と言って台所に消えるのである。

 もし、此処に真弓が居たなら、この場はどうなっていただろうか。
 彼女は塾泊のあと、週二の割合で通って来てくれ、塾を手伝ってくれていた。
 半分は家内の話し相手であろうが、あるいは逆だったかも知れない。真弓は以前にも増して生き生きしているようであった。病的な白さが徐々に薄れ、何かしら息吹きが蘇ったようである。疾病から抜け出しているのでは?……という驚きすら感じるのである。
 今までとは異なり、何か急に元気になって行くようだった。それが眼に見えて分る。
 彼女と貌を合わせる度に、過去の忌まわしい禍
(わざわい)から抜け出して行くような恢復(かいふく)の兆しを感じたのである。

 この日、執
(と)り行われた講習会は日曜日で、塾では日曜日は午前中で授業は終了する。午後からは週一回の細やかな休暇時間である。彼女を呼び出して、この場に付き合わせたら面白いことが起こっていたかも知れないと卑猥なことも考えてみた。あるいは家内のように、バカ、バカ、バカの三連発で終わりだろうか。
 こういう愉しい日々も、一方で、足早に過ぎて行くようだった。いま思えば、この時期、誰もが生き生きとしていた。しかし、こう言う日々は、長くは続かないものである。束
(つか)の間のことである。
 そして私と関
(かか)わった人達は、その束の間の只中にあった。
 ただ残念なことは、やがて貧士の客好きも、これで終焉する。終熄に向かっていた。

 何せ此処は、習志野中の悪ガキを集めたとはいえ、痩せても枯れても塾である。勉学の場なのである。マニアのエロビデオ鑑賞会でない。
 それゆえこの日の講習会終了後、大型テレビでエロビデオの鑑賞をするは問題があった。18歳未満のガキどもに覗かれれば、非常にまずいことになる。父母に知れれば不評を買う。いや、不評どころではない。
 指弾・糾弾されて世間の批難を浴びよう。官憲に告訴されるかも知れない。
 こういう鑑賞にバカどもを参加させたら、大変なことになり、もしかすると悪評が悪評を生んで、更に悪ガキが倍増したかも知れない。蝿が集
(たか)るような場所に蛆が湧く。自然界の摂理だ。

 これは私一人の勝手な妄想である。
 更にこの妄想を膨らませて、この場に越後獅子の1号と2号が居たらどうなっていただろう。
 女どもは徒党を組んで烈火の如く、怒り狂い、凄まじい焔を巻き上げて指弾するかも知れない。そういう最悪な場面に遭遇しなかっただけでも幸せであった。妄想もほどほどにしなければなるまい。際
(きわ)どいところだった。
 私は子供の時から女性の中で育って来たので、女の本当の恐ろしさを知っている。女が怒るとき、一番怕いのは、単独で怒り心頭に来たときでない。角を生やし、夜叉の如き狂相をみせても、単独ではその範疇
(はんちゅう)である。

 ところが単独が複数化なると、つまり二人以上で徒党を組むと、その猛威が凄まじいのである。古今東西を問わず、そういう事件を多く発生している。日本でも“米騒動”や“米寄越せ”でお馴染みである。つまりウーマンパワーである。女は怒らせたら怕
(こわ)い。夜叉(やしゃ)になる。
 夜叉を思い出す度に、私は遠い先祖のことを想い、当時、先祖は女の夜叉変化
(へんげ)を知らなかったのではないかと思うのである。伝説と言われる因縁話である。これに魂が想い致さねば、夜叉の怒りは消えまい。腹霊に成り済まして、私の肚に棲んだ狐の意味も分らなくはない。霊的世界では、そう言う事があるのかも知れない。

 この日、関東地方は勿論のこと、遠くは静岡県や愛知県からも、また栃木県からも受講者が遣ってきた。
 関東では最後と言うことで、二十人ほどが習志野綱武館に参集したのである。いつも見慣れたメンバーが集まったのだった。その中に愛知県豊橋市から八光流柔術皆伝師範の松永猛氏が、この日のわが『西郷派大東流秋期講習会』に来ていた。
 関東での講習会は、これが最後であると言う旨を伝えた。そして習志野を所払いになったことも伝えた。
 もう、この地を去るのに何も思い残すことはなかった。心爽やかであった。そして松永氏は、前にも聞いたことがあるのだが、私が所払いで習志野を追われていることを知ると、「もし、行くところがなければ豊橋に来ませんか?」という、お誘いを受けていたのである。
 次なる新天地は愛知県豊橋と決まった。
 既に下見を済ませ引っ越しの手配も済ませてあった。塾の机や椅子などは残しておいて、塾を閉鎖すると同時に、僅かばかりの家財を運ばせる手筈になっていた。
 私の心境は、必要とされなければ去り、必要とされるところに出向くまでのことである。

 松永猛氏は当時68歳で、平成3年の北九州尚道館で行われた「第三回夏季合宿セミナー」に参加した、八光流柔術の皆伝師範でもあった。ただの皆伝師範ではない。
 氏は日本で三番目に師範になった人で、初代奥山龍峰先生から信任を受け、また均整術という治療師としても日本でも有名な人だった。この当時、松永氏は愛知県豊橋市に「神武館」という鉄筋二階建ての道場を開かれていて、そこに、私たち夫婦を呼んでくれたのであった。
 ついでに内弟子のテツもいたから、この男も連れて行くことなった。だが節約男は交通機関を利用しない。移動は徒歩であった。歩いて移動するのである。もうこの時期は居なかった。

 平成4年1月3日付けをもって豊橋に転居する。私と家内は、また次の新天地の豊橋に向けて移動し、此処で新たなる開拓を始める。しかし、当時頃から賃貸住宅を借りる場合、住民票と保証人を必要とする時代になっていた。そういうものが一切なしで転居出来ることは有難いことであった。家内と私は北九州から住民票を動かせないのである。会社の債務処理の関係上、住民票は勝手に動かせないのであった。

 また習志野に一年半以上棲めたのは、進龍一が“又貸し”したからである。私は家賃を土地家屋の所有者でなく、その所有者からかつてのボロ病院跡の家屋を借りている奴に月々の家賃を払っていたのである。この家賃を奴が何に使おうと知った事ではなかった。月々家賃はきっちりと払われていた。支払済の「通い帳」を持っていた。後日の金銭を授受する時の覚えとする帳簿である。これに授受の際に署名捺印を貰うのである。
 これは出るところに出れば有力な証拠となる。しかし奴は、これが自分の金玉を握られていると言うことを知らなかったようだ。

 また本来ならば、此処に棲むためには住民票と保証人を必要とするのだが、又貸しのために難を逃れた。これがなかったら、塾と言う生業すら出来なかったであろう。それに習志野市に市県民税も払う必要はなく、市県民税は福岡県と北九州が納入先であった。また此処での利益分は北九州の所在地のある法人の利益として経常しているために、これまでの負債分と相殺していたのである。
 要するに帳簿上は赤字だから、所得申告は必要だったが非課税であった。総てが好都合の構図であった。

 平成3年の北九州尚道館で行われた「第三回夏季合宿セミナー」は、感慨深いものがあった。
 参加者の多くが、感動とともに帰宅の途につき、中には平成3年の大晦日から翌年の4年にかけて、今度は冬季合宿セミナーを開いて欲しいという声があった。そして、私はこの声に答えるべく、合宿の構想を練りはじめた。その構想の中には、単に合宿を巧く纏めるだけでなく、自らの進退も纏めねばならなかった。
 合宿終了後、帰りは関東方面からの参加者と道中は共にするが、私ら夫婦は名古屋で下車し、そこから豊橋に向かう。もう習志野には戻らない。帰りはそのまま豊橋に直行し、新天地を開くだけの近未来のビジョンを立てた。

 平成3年30日から大晦日を挟み、北九州の尚道館に集合し、翌4年の正月2日まで、三泊四日の冬の合宿を計画した。そして正月合宿とともに、豊橋への引越準備を平行して計画していたのである。その計画実行のためには些かの段取りがあった。塾を畳む段取りである。
 この正月合宿は、習志野空挺団の下瀬上等兵が立案したものであったが、野郎はC-130輸送機からのパラシュート降下の訓練中、落下傘の紐が躰に絡み付き、大怪我をして未だに入院中であった。言い出し屁は参加出来なくなっていた。

 まず、伝習塾の机や椅子、その他の学習塾の機材などは、殆どそのままに残し、家財だけ12月中旬頃に豊橋に送っておいて、私と家内、それにテツの三人は北九州の冬季合宿セミナーに参加する。そして帰りは、もう津田沼まで戻らず、寝台特急で名古屋まで行き、そこで下車。
 そこから普通電車に乗り換えて、豊橋まで向かう……という計画を立てたのである。もう、習志野まで戻らないのである。これから先、二度と習志野には棲むことはない。東京や千葉から参加した道場生とは、名古屋でお別れだった。更に豊橋に行けば、もう塾は遣らないであろう。総ては此処で終了する。此処で終わり、そして尽きる。
 家内も、習志野限りで塾講師生命が尽きるのであろう。最近の張り切り方を見ていると、此処で燃焼してしまうようだった。それだけに輝いていた。家内の生き生きとした表情が眩しいようであった。
 それは例えば、蝋燭が消える前に、本の一瞬明るく燃え上がるあのような焔である。それに似ていた。
 このように決まると、引越準備を始めた。次なる新天地は俟っていようが、それは必ずしも良い面ばかりでない。何かを犠牲にして新たなものを手に入れなければならないからである。

 立退料等は既に市役所から受け取っていた。運送屋を手配し、交渉は無事成立した。習志野から離れる準備は着々と進んでいた。
 しかし、残された課題もあった。それは習志野の地に対する些かの心残りである。思えば離れ難かった。この地への愛着だっただろうか、それとも未練であっただろうか。
 天命に従えば、天は私に習志野での活躍の場を以降、与えなかった。また、私には習志野での活動の場はなかった。
 必要とされていない。去るのみである。
 習志野に居ることは、不要であるという証
(あかし)だった。天は、私の所払いを命じた。
 この所払いにおいては、素直に従う以外なかった。その代わり、次の活躍の場を、天は与えてくれた。それが豊橋だった。この地で新たなことを始めればいい。
 私の天運は、これで尽きたのではなかった。次の新天地を与えてくれたのである。この地で、次なる理想を求めて羽ばたく以外あるまい。

 天は、私に習志野経由で「豊橋行きの切符」を与えてくれた。天も粋
(いき)なことをして下さると思う。
 これに文句を言うと、罰が当たるというものだ。有り難く従うしかない。
 やはり、習志野を追われても、私の活躍の場は、ちゃんと用意してくれていたのである。天は私を見捨てなかったのである。この心境には、寂しさと次なる嬉しさが同居していた。
 人間は常に喜怒哀楽の中でしか生きられないようになっている。
 人の人生は千差万別である。人さまざまである。人がこれに応ずるのは、喜怒哀楽の中に人生を作り出すからである。如何に喜び、如何に怒り、如何に悲しみ、如何に楽しむか、それはこの四つを除いて他にない。
 換言すれば、それか「如何に生きるか」と言うことであった。それは自らで自律し、この中に原理原則を打ち立てることであった。それゆえ人は、自らの生き方に、どのような喜怒哀楽を演出し、如何に対応する喜怒哀楽を持っているかが問われることになる。これは、その人個人の人生の出来栄だろう。



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