運気 八門人相 房中術 癒しの杜 菜根譚 小説 会報Back No. 合気 蜘蛛之巣伝 死の超剋 霊的食養 心法
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続 壺中天・瓢箪仙人 9

当時、伝習塾玄関前の庭には夥しい紅椿が咲いていた。
 しかし赤い花ではあったが、それがいつの頃だったか、今は確
(しか)と思い出せない。もう記憶の中に埋没している遠い日のことだった。風化しているのである。
 人はこうして遠い日のことを少しずつ忘れて、最後は何も憶えていないような状態になってこの世を去るのかも知れない。
 確か、あれはいつだったか?……。季節と結びつかない、そんな想い出が一つや二つはあるだろう。


●塾泊

 時は刻々と流れていた。
 11月も、あと数日で終わりになる頃、真弓は隔日で塾の講師を勤めてくれた。正午過ぎに遣って来て、塾を始める準備を手伝ってくれるのである。時には午前中に来て、家内と昼食を共にすることもあった。
 この日は三泊三日の塾泊をするらしく、小さなスーツケースを提げて遣って来た。彼女の塾泊は家内に前もって伝えているらしい。それが愉
(たの)しくて仕方ないらしい。
 真弓は伝習塾を、あたかも六朝時代の東晋の詩人・陶淵明
(とう‐えんめい)の『桃花源記』にある世間と掛け離れた別天地、つまり武陵桃源(ぶりょう‐とうげん)と検(み)ているようだった。故に、今日一日限りでなく、明日も明後日も明々後日も存続して欲しいのである。あたかも『桃花源記』の武陵の漁師の心理である。
 この話は、「武陵の漁夫が道に迷って桃林の奥にある村里に入り込んだ。そこは秦の乱を避けた者の子孫が世の中の移り変わりを知ることなく、平和な生を楽しむ理想の仙境であった。漁師は此処で歓待されて帰り、また尋ねようとしたが、今度は見つからなかった」という話である。彼女は次回に来ても、伝習塾が存続して欲しいのである。此処に桃源と観ていたようだ。また彼女の塾泊は、その存続願望の顕われであろう。

 到着するなり《ねえねえ、聞いて聞いて……》という口振りで、つい今しがた、不愉快な事があったことを吐露するのである。
 「この直ぐ近くに船橋信用金庫と言うのがあるでしょ。あそこで、不愉快なことがあったの」
 この“不愉快”の話を家内と聞いた。
 「それで、行員が何かチョンボでもしましたか……」
 「違います、そういうことではありませんの。あたくしが、あそこで、当座の滞在費を預金から下ろそうとしたのです。今の時代は銀行が違っていても、何処の銀行でも引き下ろしは可能ですよね。
 そういう事ではなくって、銀行でお金を下し終わった後、窓口のお嬢さんが素敵な笑顔で『何処かに、ご旅行ですか?』と訊くので、『ええ、まあ……』と返事しましたら、『よいご旅行を』と言うので、『ありがとう、あなたもよい一日をね』と言うと、『ありがとうございます』と言って、またその笑顔が素敵でしたの。
 そこに、意地で感じの悪い、おばさんが後から来てね、何か急いでいるみたいで苛
(いら)立っている様子でしたわ。そして引き下ろしたとき、窓口のお嬢さんが『よい一日を』と言ったのね。
 すると、おばさんたらね『よけいなお世話よ』と言って、お金を掴むように慌てて出て行ったの。これ、相当に不作法と思いません?
 「……………」《さて、どうしたものだろうか、しかしこれに相槌
(あいづち)を打っていいものやら……》
 頭を振って、いや、と思う。人にはいといろと事情があるものだ。もしかすると、無担保無保証の高利の金融筋から「追い込み」が掛かっていて、火急であり、本当に“よけいなお世話”だったのかも知れない。方々からの多重債務を抱えていれば、期限日までに支払いを迫られ、人間はどうしても刺々
(とげとげ)しくなる。

 「それにですね、あれくらいのお金だったら、キャッシュカードで引き出せる筈なのに、どうしてかしら。
 あたくしは引き出す金額が少しばかり大きかったし、それに三井銀行ですから、窓口以外では方法がありませんけれど、少額だったらキャッシング・コーナで大丈夫なのに、おかしいと思いませんこと?」
 「それはおそらく、カード取引停止が掛かっているからですよ」
 「カード取引停止というと?」
 「借金に無縁の方だったら、ご存知ないでしょうが、つまりそのおばさんは、カードで決済出来ない状態にされているのですよ」
 雲の上のお嬢さまは、極貧の債務者の苦しみとは無縁のようであった。
 「あなたは、VISAカードのリボ払い……何て、知らないでしょうね。つまり、リボちゃん」
 「リボちゃんって?」
 「これはリカちゃんじゃないですよ、リボちゃん。貸金業者、つまりサラ金と言う街金業者適用の利息制限法には二つ
(平成3年当時、上限は年29.2%、下限は年18%)あって、金銭の貸借にともなう利息の率を借主保護のために制限する法律ですがね、年29.2%(現在は年18%だがそれでも暴利。事業や商売を遣るとして年18%の利息を払いながら元本も払って、成り立つ商いは今の日本にはない。借入利息が年5%前後で何とか成り立つ)の間で設定されてます。
 例えばVISAカード。これは体裁の良いサラ金カードのことで、簡単に言えば広域カードです。これに倣うが資金業者も多い。リボ払い
(クレジットカードによる分割払いで、固定一定額の毎月の返済方式)は特殊設定で借りた方の債務と言う感覚を麻痺させる狙いもあるようで、例えば最高枠50万円借入したとして、毎月の返済元金返済は1万円で固定されて、初回の1ヵ月目は49万円に29.2%がつく。これを50回払いで返済しても殆ど元金は減りませんよね。貸主の狙いはこの点にあり、全部を払い終わるために50ヵ月、つまり4年2ヵ月も掛かります。元金固定だから、毎月1万円が固定され、支払方法は50回払い。払い終わるのに四年以上も」
 「50万円を完済するのに、4年2ヵ月も?……」驚きの声を上げた。
 「追い込みが掛かれば、こう言うクレジットカードにも手を出す、日本人は律義に支払う性格があり、踏み倒せない。まあ、人にはいろいろ事情がありましょうから……」
 「事情って、どういろいろです?」
 彼女は貸借無用の世界で生きて来たらしい。底辺庶民の暮らしがどう言うものか知らないらしい。

 「私なんか、あそこの銀行の借入申込用紙の連帯保証人欄に署名捺印しましたよ。奇特にも、わざわざ連帯保証人です。実印ついて書類提出させたら、その借主、文句たらたらでゴネて来ましたよ」
 「どうして?……」
 「全国的に、全く信用ゼロだって……」
 「全国的なんて言うと、何だか指名手配みたいですわ」と喜々として言う。
 「そういう事で喜んでは駄目ですよ。私の場合は、たった“レンガ一本”すら貸してくれなかった。その連帯保証人すらなれなかった。超ブラックの“グルグル丸”が付いていたから仕方のないことですがね」
 「あたくし、先生の仰
(おつしゃ)る、レンガ一本とか、グルグル丸の意味が全く分らないのですが……」
 「これだから、素人は厭
(いや)になる……」
 「どう、厭になるというのでの?」
 「私はプロだ。天下のプロ!、つまりですなあ、どんな金融機関も相手にしない信用ゼロ!」
 これを聞いた家内は横で、くすくす嗤
(わら)っていた。
 「天下のプロって、分りませんわ」
 「おい、真弓先生によく説明してやれよ、天文学的数字のゼロの桁数8個を。プロ中のプロで、貧乏神の右代表というやつを……」
 こういう私を進龍一は、「貧乏神の、犯すべからず聖域」と言いやがった。野郎は数字の末尾にゼロが8個が付いているのを喜々として喜んでいた。これが自分でなくてよかったと言うような幸せな貌をしていた。
 あれはまさに恍惚的幸福感に浸った貌であった。他人の不幸が嬉しのである。そういう想い出が“船信”にはあった。
 「よけいなお世話よ」と言った、おばさんの気持ちも分らなくはない。確かにこのおばさんなら、余計なお世話だったかも知れない。追い詰められた底辺の心理であろう。
 私の場合は金融庁の官報に載り全国指名手配の超グルグル丸だから、何処の金融機関も、高利貸しの街金すらも、「今回はご融資出来ません、またの機会を」と言いやがった。何処へ行っても、みな門前払いだった。
 貧乏神と合体した右代表というやつは「よい一日を」と言われて、「あなたもね」と言えるほど、人間回復には至って居なかった。
 それと「あなたもね」といって貧乏神の聖域にでも引き摺り込めばよかったのか……。そういう面白い手もあろう。だがその域に入ると、抜け出すのも大変だ。これが叶うのは、果たしていつのことやら……。

 家内と真弓は、台所に消えて世間話を交わしているようだった。
 この台所も、あと一ヵ月で見納めとなる。この台所は本来の家庭の台所とは違う。病院の給湯室である。
 患者の家族が此処で湯を沸かしたり、看護婦達が試験管やビーカー、シャーレーや煮沸消息に使った検査医療器具の煮沸室でもあった。造りは学校の理科室のようなところだった。その面影を留めた八畳ほどの部屋だった。
 その会話から上がって来る声は、信じられないと言う真弓の「えッ?……、えッ?……」と語尾を引き摺った「うそッ……」の連続だった。二人で愉しく遣っているようだった。おそらく話題の中心は私の醜態であろう。だが、そういう話に付き合ってはいられない。既に割り込む隙間がない。勝手に遣ればいいことだ。

 私は、これまでの生き態
(ざま)について考えてみる。よく生きたか?と。
 一方で、42歳の厄年の折りに、何か掴み、その後の後半の死に態に向けての覚悟を。
 つまり、依って以て死ぬ「何か」である。今からは死に向けての下り坂人生が問われる旅路だ。これについて考えてみる。
 さて、どう生きる。どう最後を閉じる。その死に向かう路程を考えてみた。もう後戻り出来ないところに来ている。そのうえ多額の借金も抱え、身軽でない。身重の重傷者だった。
 では、この重傷状態は如何にして起こったか。
 思えば、これまでの言動に無責任があったのかも知れない。この世は現在のところ、飽くなき二元論で動いている。至る所が二元論で覆われている。しかし、これも突き詰めれば、既に矛盾が生じている。
 この矛盾を小さくしたり解消したりする方法はないのか。
 この判定に終始するのではなく、違う次元はないのか。同じ数直線、同じ土俵で考えると、やはり二元論に行き着こう。横で平たく並ぶのではなく、次元を上下させて見てはどうか。上下で検
(み)ると、これまで見えて来た次元が異なって来る。異なった次元とは何か。決して横の二元論にあるのではあるまい。
 横の生温い、ふやけた世界に存在するものであるまい。上下に眼を移し始めていた。縦割りの隙間である。

 私の思い当たった次元が老荘世界の小国寡民
(かみん)であった。仙界の桃源郷である。
 現象界に在っては無理に進展したり発展することでない。ほどほどが一番いいのである。老荘世界は二元論に終始しない。自然と対話する世界である。哲学をしない「哲学の世界」である。かつて地上は、科学を知らない哲人社会であった。誰もが穀物玄米菜食の蔬菜
(そさい)に馴染み、自給自足を実践し、生活費は殆ど掛からない生活を営んでいた。一切無用の世界で生きていた。これこそ武陵桃源だったのではないか。
 この無用とは、人力の無駄な力を指すのである。無為自然の大自然には手も足も出さない畏敬の念を感じて誰もが生きていた。無手勝流の中に在
(あ)った。これは根元に還る「求心的収斂策」であった。今日のように科学を駆使して、自然から離れて行く「遠心的拡散策」ではなかった。

 食世界も、今日のようには狂っていなかった。食に慎みがあった。飽食をしなかった。誰もが蔬菜で満足出来る体質を持っていた。限られたことに満足し、足るを知る生き方である。それは自然を知ることではなかったのか。自然を知って、足りたるを満足し、生かされていることへの感謝をする生活態度でなかったのか。
 本来自然を知るというのは、足りることを知る生き方で、今日のよう自然科学をもって、自然を知り、自然を利用し、自然を管理する「智」の力を過信することではなかった。自然科学をもって人間が自然の上に文明を築いたときそこに文明と言う錯誤が起こった。
 人間が自然を知るというとき、自然そのものを知り、その本質を明らかにするものではなかった。
 自然科学で言う、本質の明らかにしたとする表現には、自然と言う、総合的かつ統一的な有機生命体を切り刻んで分解し、分類し、解析し、その一つ一つに「分別知」を弄
(ろう)したことで、本来の自然は切り刻まれ破壊され、死んだのである。現代人は屍骸(しがい)の上に御託を並べ、体系付け、理論付けたのである。
 こうなると、無知無学では済まなくなる。哲学するために哲学を必要とした。体系論が必要となった。
 しかし、それは不完全帰納法に踊った完全ではない体系的な帰納法に過ぎなかった。

 かつても、哲学がなかった訳でない。哲学はあった。大変な哲学があった。それは「哲学無用の哲学」であった。そして古代は哲学無用の哲人社会を構成していた。老荘で言う「無の哲理」である。
 最終的には、人は此処に向かうのではないかと思うのである。無とは何もないことではない。自然の中の流転現象の中に無があり、その一つを指して原因と結果を追求する狭いものでもないし、その一コマに体系付けるものでもない。無限なる有機生命体の生命を総合して一切を「無」と言うのである。ミクロ観でなく、マクロ観である。
 現代は、細分化されたミクロ的な生き方に誰もが執心し、それに固執し、こだわっている。重箱の底を突くような拘泥の世界で生きている。こだわることが、いいことだと思い込んでいる。これでは、やがて行き詰まろう。それでいて不完全帰納法の不完全に気付いていない。


 ─────三人で昼食を挟んで、午後のひと時を過ごしていた。
 その寛ぎの中でそれぞれに質疑応答があった。私はこうした時間を大事にする。若い時から、家族が一日に一回、どんなに忙しくても、家にいるときは30分でも、10分でも、5分でもいいから、それぞれに言葉を交わすことを大事にして来た。
 言葉には大きな意味があり、その言動はどんな状況下においても、言葉を使うものに重要な責任があるのである。言葉上の責任は、言葉を喋った言動者その人自身が追うべきものである。
 これは人間が人間として、生きるためには忘れてはならない原理原則で、この原理原則は人間の自由原則にも表裏一体を為すものである。そして、この原理原則に従って生きようとするところに、また人間の苦悩もあるのである。しかしそれは、同時に栄光も控えているのであった。

 真弓は質問事項を考え付いたらしい。
 「では、そこで問題です」
 「うム?……」
 「日本語に関するご質問です」
 「さて、なんでしょ」
 「でも、中学の国語の文法のカ行変格活用は?……なんて、ご質問は致しませんわ。だって、また『専門外でして……』などと逃げられる恐れがありますもの」
 「言われてみると、御尤
(ごもっと)もですねェ」
 家内がこれを聞いて嗤った。
 「だったら、お前、カ行変格活用、言ってみろ」
 家内に振った。
 「こ・き・くる・くる・くれ・こい……でしょ」
 「うム?」《簡単に答えやがった》と思う。
 「では、サ行変格活用は?」
 「し・し・する・する・すれ・しろ・せよでしょ。これ、未然・連用・終止・仮定・命令の動詞の順に並べています」
 「知らぬは亭主ばかりなりか……」
 「先生は中学からではなく、国文法に関しては小学校五、六年から再履修する必要がありますわ」
 「ああ、よかった。一、二年と言われなくて……」
 胸を撫
(な)で下ろすように言ったのは、些か大袈裟だっただろうか。いやそうでもない。小学校低学年のレベルかも知れない。

 「やはり先生って、答えることが、通常とは完全にズレていますね。でも、それを責めても始まらないので早速、言霊に関してのご質問です」
 「なんざんしょ?」
 「ふざけないでください!」
 「真面目にやります」
 「あたくし、小学校からミッション系だったでしょ。それで、お食事の前とか、就寝時に必ずお祈りをするのです。例えば、手を組んで
『おめぐみ深い天のお父さま、今いただくこの食事を感謝いたします。どうぞこれを祝福して私たちの心と身体(からだ)を丈夫にし、主(しゅ)のご用が出来ますよう、主イエスさまによってお願いいたします。アーメン』と言って十字を切るのです。この習慣って、祈りが本当に聞き届けられるとは思っていませんが、神様に見られているような気になって、いつしかそこを視られて、願いが聞き届けられるのではないかと思ったりしましたわ。祈る心って、通じると思いまして?……」

 「言葉に宿っている不思議な威力についてですが……。
 さて、わが国においては、日本と言う国を、言霊の霊妙な働きによって幸福を齎す国と『万葉集』も出ております。確か、『言霊と語りつぎ言ひつがひけり……』だったのではないかと」
 「言霊の幸ふ
(さきはう)国ですね」
 「さすがに、お詳しい……」
 「でも、幸福を齎す国の成れの果てが科学の進歩によって、それが現代人の信仰になったのかしら?。
 つまり科学が宗教に取って代わり、一方意味の分からないお経とか、お祈りと言うのは根拠も分析も明確でなく、むしろ形骸化したものは必要でなくなり、また日本人の根本にあった言葉も、今や国際語に無くなりつつあります。そして地球語として英語をベースとした世の中が、伝統の根本をずらすことにより、言霊を蔑ろにする道を日本人は選んでしまったような気がするのですけど、先生は言霊について如何お考えでしょうか」
 「繁雑な説明は抜きにして、核心に迫りましょう。言霊とは、そもそも宇宙に遍満
(へんまん)する音声のことです」
 「総てにわたって……という意味のことでしょうか……」

 「言霊を考えてみて下さい。アイウエオの五十音に、濁音、半濁音を加えて七十五音。これは日本語のシラブル
(syllable)、則ち音節です。この音節を言霊に乗せ、完全に発音出来るのは、日本語を使う日本人だけなのです。この国の民族です。五十音から重複音を除いて、つまり『ン』を加えたものが四十八音なのです」
 「四十八音って、この呼び方を語呂合わせと言うか、そういう音節で読むと“ヨハネ”とも読めますね」
 「いいところに気付いた。まさにヨハネです」
 「すると、例えば聖書の『ヨハネの福音書』の第一章の冒頭に出て来る『初めに言葉ありき』ですか。
 則
(すなわ)ち、言葉は神と言う意味ですか」
 「そうです、『言葉は神と共にあった』となります。あの冒頭にある『言葉は初め神と共にあった。総てのものは、これによってできた。できなもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。この言葉に命があった。そしてこの命は、人の光であった』とする、これに回帰します。日本語の四十八音は、その一言一言が神の名だったんです。これを『型神名
(カタカムナ)』と言います。カタカムナはカタカナの意味です。
 ところが、日本人は日本語の七十五音を正確に完全に発音出来るのに、日本語を蔑
(ないがし)ろにし、今や世界の公用語として、英語国民でもない日本人が英語にうつつを抜かしている。国際社会で、日本が世界に先駆けて経済的に優位に立つのは、英語の早期教育をおいて他にないと思い込んでいる。英語こそ、重要課題であり、この大事を強調している。そして、経済優先政策を爆走する日本は、有能なサラリーマンを大量生産して経済を優先し、『先んずれば人を制す』という聡(さと)い者が疎(うと)い者を抑えて、先駆けて金儲けばかりを考えている。そして、大半の日本人の多くは、金で一切の幸せが買えると思い込んでいる。落し穴は此処にあります。金に溺れる構図です……」
 さて、これで巧く説明出来たのだろうか。

 「先生って、ズレているというか、外れていると言うか。知っていることと、知らないことが余りにも大きいと言うか、その落差と言うか、活断層的と言うか、ギャップが大き過ぎて、毀れますよねェ、これじゃァ、規制の測定器が毀
れるわけですわ。でもこれ、決して悪い意味じゃ御座いませんのよ。通常の物差しで、等身大が測れない規格外と、申しているのです。その点は感心致しますわ。
 だって毀れるのが当り前ですと、規格の枠には納まる筈ありませんもの。それに突然、規格外のとんでもないことを言うんですもの。それでいて、どこか遊び心を持っている。そういうところ、嫌いでありませんわ。
 ただし奇妙な行動を公衆の面前で、恥も外聞もなく遣って退ける、あの異常な変わった行動がなければの話ですが……」
 論理学で言う「逆も真なり」は成り立たないと言うことであろうか。
 手厳しいところを突いて来た。最後の人物評定は酷評だった。完全に下半身が無視の対象にあった。
 「何しろ私は、気取り屋のエエカッコシーの真似が苦手でして……」
 「あたくしは、そういう浅慮の詭弁
(きべん)に注意を促してしておりますの」
 この言い回しが巧妙であった。
 愚者が普通やらかす点は「注意を促す」と言わずに、「釘を刺す」と言うだろう。この違いが、読者諸氏はお分かりだろうか。中には、同じことではないかと言う方もいよう。
 ところが、この違いは天地の差がある。

 「注意を促した」と言わずに、「釘を刺した」と言えば、彼女の発言に閉鎖性を生み、箝口
(かんこう)に対して臆測までもが一人歩きしてしまう。言葉を知らない人なら、尚更だろう。
 ところが「注意を促した」となれば、浅慮を詭弁で言い逃れし、本質を暈
(ぼか)してしまう言に、もう一度土俵に引き立てることができる。
 これで暈したブレを生じさせずに、酷評で指弾したことは、そう言われた方が、少しばかり揚げ足を取られた感じになり、また一つ勉強したことになるからだ。敵も話術の手練……。
 油断をし、隙を作ると返り討ちに遭う。
 言葉の術とは換言すれば、呪詛
(じゅそ)の術なのである。言葉には威力があるからだ。一言一句に咒が掛かっている。
 腕力での解決しか知らない愚者は、言葉の持つ本当の恐ろしさが解っていない。兇暴で、傲慢なだけが能ではないのだ。

 「些か発言に無理がありましたか?……」
 彼女の酷評指摘に対し、能弁と饒舌
(じょうぜつ)を駆使して、これを遮(さえぎ)ることは出来なかった。
 「いいえ、とんでもありませんわ。言葉に油断のある箇所は、とても人間的で、爬虫類的でないところは、実に好感が持てますわ」と彼女は神妙に宣
(のたも)うた。
 一気に畳み掛け、粘着質の束縛してしまう凄い話術であった。用心してもこの態
(ざま)である。
 「本日のところは、これでお許しを……」
 他愛の無いことで議論しても始まらない。既に私には、真弓の放った言葉の群れに包囲される後味の悪さを覚えた。議論を戦わせて隙を見せれば、その隙間に一気に侵入して来るであろう。こてんぱんにされる。
 これは禅問答の話法でもある。
 こんな術者は、今までに知らない。噺家
(はなしか)や漫談師、講談師以上に恐るべき話芸である。

 「あたくし、先生のそういうところ、嫌いじゃありませんわ。直ぐに自分から短所を暴露するんですもの」
 これはバカと言うことだろう。あるいは好意的に捉えるならば、このバカは少なからず、人間的魅力というところだろうか。果たして褒
(ほ)められたのか、貶(けな)されたのか。何となく肌に沁(し)み入る苦しさを感じた。
 時々バカを遣るのも、何処かに、自身に「吝
(ものおしみ)することなし」の毅然さを持したいと思う願望があったからではないだろうか。あたかも足利尊氏のように……。
 あるいは原憲の物怖じしない毅然さが同居しているのか……。

 私は世の中の目立ちたがり屋のエエカッコシーが好きになれない。どうしても肌が合わない。そういう者が居る酒席は早々と逃げ出すようにしている。精神衛生上よくないからである。そしてこの種の中には、自分のケチを売物にして人気を取る者がいる。そういう手合いを、人間的教養の欠陥と検
(み)る。
 そういう人間は、ケチが如何なる人種か理解してないようだ。そのうえ自覚症状もない。更にケチの最大の欠陥は、人間社会が凭
(もた)れ合いで出来ている構造が分らず、互いに持ちつ持たれつの扶(たす)け合いも連帯感情もない。人生の機微も、人情の機微も、他人の親切心も理解できないのである。自分のことしか念頭にないからケチになる。そのように傾いて行く。
 使命感ゼロで、命の燃焼を知らないから、どうしても臆病になり、そのうえに何か事を行う時は屁理屈を捏ねる。ケチは、もしこの種が人の上に立ったとき、自分は贅沢三昧しているくせに、他人には吝嗇を迫る人間である。

 かつて福井のある禅寺で、そこの和尚と「ケチ」について話したことがある。ケチとは、吝嗇
(りんしょく)のことである。その話の中に臨済宗の禅僧・夢窓疎石(夢窓国師の名で知られる)のことが出て来た。
 和尚曰く、夢窓疎石でも「尊氏に及ばぬものが三つある」と言う話を聴いた。
 まず、その一つは戦場にのぞみて恐怖の色なし。二つは吝
することなし。三つは依怙(えこ)の心なしであった。更に「尊氏に及ばざるものが一つある」と追加した。それが「酣宴爛酔(かんえん‐らんすい)」である。
 つまり、尊氏は原理原則を夢窓疎石に教わっていたのである。その師であった。
 その師が、尊氏をこう言わしめたのである。
 「尊氏は、どんなに泥酔していても、帰宅したら、必ず坐禅を組み、無念無想の一時を持たねば寝
(し)に付かない」と言うのである。
 夢窓疎石は生涯にわたり、歴代天皇から国師号を贈与された人物であり、この人物をもってして、尊氏の凄さが語られていることは、尊氏なる人物が如何なる人物であったか、その「凄さ」に信憑性があり、また説得力があるのである。しかし、それだけ著しい欠点や短所も、夢窓疎石は褒めちぎる以上にあったに違いない。
 むしろ尊氏は、敢えて酔眼朦朧
(すいがん‐もうろう)となるまで酒をかっ喰らい、酩酊し、溺酔し、泥酔状態にあっても、最後は自らに厳格を課せ坐禅を組ましたのではあるまいか。それは、欠点・短所と背中合わせではなかったのではあるまいか。

 さて、自分の長所は何だろうと思って見る。更には短所は何だろうと考えてみる。
 そして、はたと気付くことはあった。要するに、短所は則ち長所だったのである。ピントはチャンスの構図である。
 真弓に手玉に取られないためには、徹底的に短所を曝
(さら)け出し、隠さずに暴露し、短所で迫ればいいと言うことに気付いたのである。短所は隠さずに堂々と曝すものであった。


 ─────午後三時前になった。銭湯が開く時間である。暮れ泥む陽が傾き、黄昏が迫る時間である。
 この当時、この時間から開く一番風呂に通ったものである。毎日ではないが、隔日置きに通っていた。
 誰も入っていない一番風呂に手足を伸ばしてゆったりと浸かるのである。この醍醐味は家庭の小さな風呂では決して味わえないもので、家庭用の脚を曲げて入る風呂は好きでない。
 九州の尚道館ですら、風呂は最初から三人程度が入れるように設計してあり、壁の二面は外の景色が眺められるように造っていた。手足がゆったり伸ばせる風呂である。家庭用の少し大きめのサウナまで設置させた。
 だが残念なのは湯槽を納めた業者が、何を聴き間違えたかラブホテルにあるようなピンクのハート型の物を据え、設置後、今さら取り替えられないと言うことで頬っ被りしてしまったのである。
 浴室内の照明をよく眺めれば、ラブホテルのそれであった。こういうのは、現場に施工主が立ち会って指示すべきであったが、このとき仕事に追われ、その暇がなかった。自慢すべき風呂も、これでは台無しで、出来上がってしまっては後の祭りだった。風呂場にはそういう苦い想い出がある。

 この日も、家内と真弓を先に行かせ、帰って来ると交替に私が行く予定にしていた。
 「今から、彼女と風呂に行け」家内に言った。
 「この時間から?」
 「風呂は汚れない早い時間がいい。時間とともに汚染度が増す」
 「じゃァ、お言葉に甘えてそうしますか」
 「しかしだ。ただ連れて行って風呂に入って来るだけじゃないぞ。よく観察するのだ」
 「誰をです?」
 「彼女の一切合切を、悉
(ことごと)く、仕種(しぐさ)から総て観察して来てあとで報告して欲しい。また彼女との会話の中からレベルを探れ」
 「そうしろと仰るなら、そうしますが、何故です?」
 「それで、生まれが分る。“お里”という出生成分と生活環境が分る。教養のほども分る。近年は学閥はいいけれどモラルや常識が、さっぱりねという知識階級も少なくない」
 「なるほどね」
 「ゆっくりしてこい、四時からの坊主どものクラスは、俺が見てやるから任せとけ」
 「では、お願い出来るかしら」
 こう言って、風呂行きの準備を始めたのである。
 私はこの時点では、その坊主どものクラスが如何に恐ろしいか分っていなかったのである。この恐ろしさを後になって思い知らされるのである。

 昔、家内と籍を入れたばかりのとき、平戸の連れて行って祖母に会わせたことがあった。
 私は、祖母からひとこと小言らしいことを言われ、「とっかえひっかえも、これで終わりにしなさいよ」と釘を刺されたことがあった。私の“とっかえひっかえ”は、頗
(すこぶ)る評判が悪かった。とっかえひっかえでは、親戚の手前もあったのであろう。そして“鼻つまみ者”として揶揄されていた。
 祖母は家内に、厳しい貌で何か懇々
(こんこん)と話している様子を、このとき遠望したことがあったが、武家の為来(しきた)りか、わが先祖からの家訓でも言ったのかも知れない。
 そのとき家内が聴いたことは、「武家の妻女って、恥ずかしがったりしないのですね」と、祖母から聞いた事を話したことがあった。それはどう言うことかと穿鑿してみたら、どうも「動き」にあるらしい。祖母の言うところの「水走り」であろう。滑らかな動きをいう。肩から腕や手に掛けての仕種にある。
 勿論、恥じらいは必要だろうが、武家では身分が高いほど、自分の躰を見られることを恥ずかしいと思わないというのであった。前は手で隠し、手拭などで隠してはならないというのである。
 物で隠すと動きが制約されて、片手では肝心な時に隙を作ると言うのである。女は風呂に入る際に一切手拭を遣わず、それを遣うのは上がった時だけと言うのである。この教えは手拭などで湯槽の中を汚さないという意味もあったらしい。
 武家では前を隠す場合も、右手で隠すか左手で隠すかで身分が顕われたと言う。
 一般に信じられている左右論は、右は利き手だから自由にしておき、左手をます最初にとなるのだが、これは身分の低い下級武士に言えることである。上級武士は左右が異なる。下に防禦を任せるからである。更に公家はとなると、これが左右とも全くのフリーであり、左右論は存在しないが、護身のために余り大事とは一般に思われない「左前左大事」があったと言う。
 また近年に急増した女性の小水の音である。この音も高貴ほど、恥とは思ってないと言う。また脇毛すら剃らないと言う。「高貴ほど自然のまま」という、その種の話を、上層階級の人から聴いたことがある。人工手入れの愚を、その人は語ったことがあった。それは奇しくも祖母の話と一致するのであった。

 また祖母から聞いたことは、武士の妻女は身分が高いほど、自分の裸を隠したりはせず、一般人に較べて裸に対する感覚が違い、堂々として、何ら偏見は持っていないと言うのである。このことを家内は親から子へ、子から孫へと武門は伝えて来たと、祖母から聴いた言うのである。こう言うのは、何代も続いた伝統である。
 そして極めつけは、武家の就寝時の「北枕」であろう。北枕で、寝ても太陽を追っているのである。
 こう言う側面に武家の儒学実践と結びつく。顛沛
(てんぱい)もその中に在(あ)る。所謂(いわゆる)武家の女大学である。
 江戸前期の儒学者・貝原益軒
(かいばら‐えっけん)の封建道徳の最たるものとして「女大学クソ喰らえ」は、近年に言われたことであり、江戸期からの武家の妻女の修身は、明治維新とともに亡んだのではなかった。
 また、公家は更に武家より一段高い位置にいるのであるから、こうしたことは顕著だろう。
 これがいい悪いではない。そういう一切は、世代が変わっても、血の中に受け継がれて行くものであり、遺伝子の中に集積されているのである。血の要素は、人為的に組み替えが行われない限り、遺伝上変更出来ないのである。

 私が“一切合切を、悉く、仕種から総て観察して来い”と言ったのは、その正体を知るための「生まれ」であった。並と同じか、並みと違うか、これで総てが分る。その意味の指示だった。したがって、「なるほどね」と相槌を打ったのである。
 人間観察とは、此処まで至らないと、その隅々までは分らないのである。人間は如何に口で巧く繕
(つくろ)っていても、仕種や動きでお里が知れてしまうものである。それを見届けさせようとしたからである。
 この時期、習志野では午後三時には薄暗くなり、四時ともなると夜の帳は降り始め、至る所では燈火
(あかり)が灯(とも)り、五時ともなると真っ暗となる。真っ暗でないかも知れないが、九州と較べてその暗さが早く遣って来るから、感覚的には真っ暗であった。この暗さが二時間は違っているようだった。そしてこの地域特有の空っ風が吹く。冷たくて乾燥した風である。

 家内が、銭湯に行く際は普段着の上に“綿入れ半纏”を羽織る。こう言うものを何着か持っていたので、そに一着を真弓に貸し、洗面器に石鹸とタオルを入れたものを小脇に抱え、下駄履きで、同じ恰好で銭湯に向かった。女物の赤い柄の半纏を羽織り、下駄の音をカラコロ響かせて喜々として出掛けていったのである。
 カラコロ……カラコロ……だったら、まさに牡丹燈籠である。だがそれを髣髴とさせるには、まだ時間が早過ぎる。妙なことを連想したものである。
 おそらく真弓は銭湯と言う大衆浴場を知らない筈である。驚くか、嫌がるか、珍しがるか、単に興味を抱くかの何れかであろう。そういう反応を示し、どう言う仕種と行動をするかで総て、お里が知れるのである。それを詳細に観察して来いと依頼したのである。

 平成3年当時、歩いて6、7分くらいのところに『花月湯』という風呂屋があった。此処は、大久保商店街を抜け、京成電車の踏切を渡り、そこから左に折れて70メートルほど行って、次に右に折れ、大方70メートルのところに風呂屋があり、その横は『花月館』というエロ映画が専門の映画館があった。その風呂屋が毎日午後三時に開くのである。それに合わせて一番風呂に送り出したのである。

 そうこうしているうちに、幼稚園児の受験組と、小学校低学年の生徒が遣って来た。
 玄関の引き戸を勢いよく開け「こんにちは!」と叫
(おら)ぶような大声で、次々に中に入って来る。
 私は年齢的には、この位の歳の子供が一番好きである。仕種などは一日中、見ていても飽きないのである。
 その仕種といい、行動といい、仲間との喋り方といい、それが穢れてないだけに真の従順さを感じ、その純粋性に心が洗われる思いがするのである。そういう子供達を一日中見ていても飽きないのである。
 そういう子供達が、席に坐り学習をはじめるのであるが、今日は私が担当なので、いつもとは勝手が違っているようで、どぎまぎして緊張しているようだった。
 その内の幼稚園の女の子が、遣って来て「今日、ちとせ先生いないの?」と聲
(こえ)を掛けたのである。
 「そうだよ、今日はいない」
 「じゃあ、おじさんが今日の先生?」
 「そうだよ」
 「おじさんって、教えきるの?」
 「まあ、何とかね」
 「わたしねえ、由佳ちゃんというのよ」
 「ほッ……、由佳ちゃんか……」
 「おじさん、大丈夫なの。これねえ、附属
(小学校入学審査)の問題なの。ここ教えてよ」と、テキストを突き出して言うのである。
 この女の子は、私の実力を験
(ため)そうとしているのである。この子のスキンシップは、まず人を試験することから始まるらしい。
 私はその問題集を出されて思わず《なぬ?……》となってしまったのである。簡単なようで、実はそうではなかった。何と知能検査テスト
(intelligence quotient)だったのある。
 有名私立の小学校や初等科は学科テストではなく、入学審査として知能検査をするのである。知能の発達した上位の子供を合格とするのである。言わば、知能指数検査の過去のテスト問題集だった。それには幾つかのパターンがあるらしく、IQ判定は知能検査で測られた精神年齢を生活年齢で割り、それに100を掛けたものである。知能の発達程度を検
(み)るために用いる。この幼稚園児らは、こういう複雑な訓練をしているのかと驚かされたのである。これに講釈を付けるのは何とでも言えるが、要するに遣っていることが分らないのである。
 分らないオヤジの私が、幼稚園児から知能程度を験されていたのである。
 学習効果としては、同じ種類の検査を何度も受ける事による慣れや試験傾向の学習する方法で、意図的に試験結果を向上させる方法である。訓練によって試験傾向に慣れると言う方法と遣うようだ。こういう遣り方も家内が考えたのだろうか。家内は短大時代の看護婦になる前、保育科の保育士免許を取得していた。だが保母を断念して、のちに看護婦になった。このときに知能検査の方法を学んでいたのかも知れない。
 そしてその女の子は、「おじさん、駄目だね。これ、こうするんだよ」と言って、自分で遣ってみせるのである。《知っているのなら訊くな》と言いたかった。

 そうこうしている矢先に、有名私立小に通う、札付きの学年ワーストスリーの小一坊主が割り込んで来て、「おじさん、これどう解くんですか」と算数の問題集を突き付けたのである。
 設問のは「いま大きな池の中で、鶴さんと亀さんが仲良く遊んでいます」という書き出しで始まる文章題である。
 この坊主には、一冊参考書を投げ与えていて「此処を読んで、もう一度、自分の頭で考えろ」という詭弁は使えまい。第一、これを解くための類似参考書の置き場所が分からない。
 「うん………」と唸ってしまった。
 「おじさん、大丈夫なの?」
 その問題を見て考え込んでしまった。
 「うん………」唸り聲は、そう簡単には消えない。
 昔風で言えば『鶴亀算』である。
 連立方程式を利用すれば簡単に解けるのだが、書いている文章の意味が、今一、理解出来ない。仮に、二元一次連立方程式で解いたにしても、この小一の坊主が果たして納得するか。
 鶴をXとして、亀をYとする、X+Y=a、2X+4Y=bというやつである。
 だが、この坊主は、既に解答済みなのであろうが、私を験すように訊くのである。自分でも解る問題を質問しているのである。
 私は説明することを考えていたのだが、あまりにも唸っているので、「おじさんって、やっぱり問題、難しくて分らないんだ」と決め付けて、自分の席に戻って行く途中に垣間みたのは、一瞬勝ち誇ったような貌をしていた。
 「おい、坊主!」
 坊主を引き戻した。
 「あのねえ、おじさん。ぼくの名前ね、翼
(つばさ)というんだ。坊主でなくて、名前で呼んでよ。ぼくのお父さん、JALのパイロットなんだよ。おじさん、パイロットって知ってる?」
 「ああ……」
 「大型旅客機のジャンボを操縦するんだ。運転じゃないよ、操縦だよ。分る?」
 「ああ……」
 親父がパイロットで、名前が翼か……、よくあるワンパターネームだが、この辺は、親の仕事の譲渡意識が働いているのだろう。わが子もパイロットさせたいのであろう。開業医の親が、わが子を医者にして病院経営の利権を譲渡したいのである。
 この坊主に一言いってやりたかった。《解けないんじゃない、お前に分らせるために、どう説明したらいいか考えてるんだ……》と唸っていた。
 「おじさんじゃァ、この問題、無理だよね。明日、千歳先生がいるときに訊いてみようッと……」
 結局、この坊主に理解させる方法に苦慮して終わってしまった。おまけにこの坊主、学年ワーストスリーのためか、毎日通って来ているようだった。
 「おい、坊主。おじさんは分らない訳じゃない。説明する方法が分らないのだ」
 「でも結局、わからないんでしょ。明日の先生、おじさんじゃァないよね?」
 「ああ……、明日はやらない。今日だけだ」
 「あッ……、よかった」
 この坊主は胸を撫
(な)で下ろし、これで総てが解決したのである。

 坊主が退き下がったあと、今度は算数問題で、コンパスと定規の問題を持って来た。小二の愛くるしい女の子である。
 この子が入塾する前、いろいろといちゃもんがあり、親は大蔵省の役人であり、それも東大法学部卒のキャリア組で、この娘は有名私立に通っていたが、算数の図形が極端に悪いということで、親と入塾に関して、持論の指導論を戦わせたことがある。勉学指導についても議論である。特に「答を見ながら」という箇所には意見が食い違った。
 この子がコンパスと定規の問題を使うプリント問題を検
(み)ると、設問として、まず「問1は90度を二等分しなさい」とあった。コンパスと定規だけを使って、作図して解答する問題である。一般的と言えよう。
 但し小二でコンパスと定規を使うのは、公立の小学校の指導要領より前倒しで、習う時期は早いのである。
 有名市立では、小中高一貫教育であれば、学年を超えた前倒し授業で、高校一年一学期の時点までに殆ど高三までの全教科を終了している。それ以降は大学受験のみに力が注がれる。したがって小学校の期間内に、中三までの全教科を終了してしまう学校も少なくない。この小二の女の子も、前倒しの算数の授業を受けているのであろう。
 そして「問2は90度を三等分しなさい」とあった。まあ、これもコンパスと定規だけを使って出来る問題である。
 更に「問3は180度を三等分しなさい」とあった。つまり直線の線上をコンパスと定規を使って三等分する。これもさして難しくない。コンパスと定規で正三角形が容易に描けるのであるから、底角が60度を3つ描けばいい。直線の三等角である。容易である。
 ところが、問4だけには驚かねばならなかった。
 何と吃驚
(びっくり)?!……である。驚き桃の木山椒の木であった。120度の角を、同じく「コンパスと定規を使って角の三等分」とあったのである。わざわざコンパスと定規を指定している。
 問1から問3までは容易である。だが問4は異常であった。狂っていた。出題者の心理を疑った。
 読者諸氏もよく考えてみて下さい。コンパスと定規を使っての角の三等分ですぞ。
 こんなふざけた問題を、出題者は子供に「三大難問の一つ」を解答せよと迫っているのですぞ。
 この女の子は、問3までは自分で出来たと言う。しかし問4が、どうにもこうにも、中々できないと言うのである。当然である。出来る分けない。

 出題者は本気で小二生に「三大難問の一つ」を解かせようとしたのであろうか。
 角の三等分は90度、180度、270度、360度のこれだけは三等分が可能である。しかしそれ以外の角の三等分はコンパスと定規では無理である。
 解けそうで解けないのは120度という角度である。この角を三等分すると三等分の一角は40度であり、この40度をコンパスと定規だけで、どう作図すると言うのか。
 この問題が曲者なのは、100度でなく、120度という角度である。100度なら三等分角の一角が整数でない。ところが120度の二等分角は60度で、正三角形の底角
(底辺の両端の内角)に一致する。一見、簡単と思うのは、これを利用して……などと錯誤を起こすからだ。
 しかしそうは問屋が卸さない。120度の三等分角は40度である。これをコンパスと定規だけというのは無理である。角の三等分は不可能である。
 またもや唸ってしまった。
 「おじさん、大丈夫。唸ってばかりで、どこか悪いの、それとも病気なの?」
 「病気じゃない」
 「だったら、いいけど。この問題ね、学校の先生は『分度器を使っては駄目です』というのよ。コンパスと定規とだけでやりなさいって。おじさん、分る?」
 「……………」頭を抱えて再び唸ってしまった。
 何故なら、この問題はコンパスと定規とだけでは解答出来ないからである。答があるとしたら、正解は「コンパスと定規とだけでの命題は解答不可能」だろう。つまり「解なし」である。この「解なし」が、この子に理解出来るだろうか。
 世の中には、最初から答のあるものばかりが存在しているのではない。答えなし、解なしがあるのである。
 そして出題者は意地悪な数学マニアかも知れない。だいたい小学生に「解なし」を教えてどうするのだ。

 「おじさん、本当は解けないんでしょ。さっき、一年生の翼くんの問題解けなかったから、二年生では絶対に無理よね。おじさん、頭悪いの?……」真剣に眼を据えて訊いて来る。
 時として、愛くるしい天使のような貌をした幼少女が残酷なことを平気で言う。
 「そういうことを露骨に言ってはいけない」
 「でも、お月謝払って塾に来ているのよ。塾の先生って、本当は頭のいい人がやるのよ。きっと千歳先生だったら分るよね。でも、明日も、千歳先生お休みだったらどうしよう、こまったなァ……」
 「困らなくてもいいよ、明日はおじさん居ないから……」
 「ああ……、よかった。もし、千歳先生いなかったら、恭子先生に訊いてみよう。ああそうだ、おじさん、小夜子先生知っている?……高校生の美人のお姉さん?」
 「知っているよ」
 「小夜子先生って、すごく頭がいいんだよ。どんな大学だって簡単に合格しちゃうんだから……」
 「おいおい、お嬢ちゃんよ。この問題の正しい答は『解なし』なの。これ、解らないだろうなァ……」また頭を抱えてしまった。
 「でも、小夜子先生だったら朝飯前よ」
 《そういう問題じゃないんだよ》
 もしかすると上原小夜子も、幼少女期、大人にこういう残酷なことを平気で言う愛くるしい児童だったのだろうか。上原の残酷は、漸
(ようや)く高三になって、その毒牙を家内から抜かれて改めたようだ。それまでは講師泣かせの疫病神であった。今は改心して、わが伝習塾の強い助っ人であった。
 「この問題はね、小夜子先生も解けないんだよ。解
(かい)がないんだ」
 「なあに、解がないって?」
 「答がないんだよ。世の中には解なしという現実があるのだよ」
 「ちっとも、おじさんの答え、答えになっていない。やっぱり本当は頭が悪いのね。もういいいよ、頭のいい先生に訊くから……」
 《おいおい、そういう事じゃない》と言いたかった。
 そもそも「角の三等分」は、コンパスと定規だけで解くのは、数学史上、幾何学の「三大難問」とされているのだ。

 三大難問を上げれば、その第一として、角の三等分。その第二として、円と等面積の正方形を作れと言う円積問題。その第三として、形が同じで体積を二倍にせよという立方倍積問題、別名デロス問題とも言う。
 これまで簡単だろうと思い込んで、多くの哲学者や幾何学者がこれに挑んだ。しかし然に非ず。
 立方倍積問題を別名デロス問題というのか。
 ギリシアのエーゲ海上にデロスという小島があり、古代にはアポロンの神殿があって、信仰や通商の中心地であった。ところがプラトンの時代、恐ろしい疫病が流行した。毎日、何十人もの人が死んで逝った。だが誰もどうすることも出来なかった。
 そこで、人々はアポロンの神殿にお伺いを立てた。
 アポロンの神曰
(いわ)く「この神殿の祭壇をその形は同じままで体積を二倍にせよ、然為れば疫病は止めてくかわす」というお言葉があった。このお言葉により、立方倍積の問題をデロス問題とも言うのである。
 デロスの島民は、形は同じままで体積を二倍の祭壇を作るためには一辺の長さを何倍にすべきかを幾何学者に訊いた。仮に祭壇の一辺を1の長さにすれば、2の三乗根を作図することになる。立方根となる。
 更にギリシャ幾何学の作図問題にはコンパスと定規だけしか神から赦されていない。コンパスと定規は聖なる道具とされていたからである。
 ちなみにフリーメーソンのコンパスと直角定規の差金は、ユダヤ神秘主義からなる聖具とされていたからである。ソロモンの神殿をはじめ、こうした石造建築はコンパスと定規だけにより設計され造られたのである。

 「形は同じままで体積を二倍にせよ」とは、コンパスと定規だけで「2の三乗根を作成せよ」ということなのだ。
 これは、ある長さを定規して、その立方根の長さを作成せよというのである。だが、デロスの島民自身も、また依頼を受けた幾何学者も誰一人として作図法が見つからなかったのである。つまり解放は見つからなかったのである。
 その後、二千年を経てもこの問題の立方根を作図する解答者はまだ出ていない。
 また、「与えられた角をコンパスと定規だけで三等分せよ」という角の三等分問題も同じである。
 但し、90度、180度、270度、360度は除く。それ以外の角である。角の二等分なら直ぐ出来る。四等分も八等分も簡単である。だが、三等分となると、そうは問屋が簡単には卸さない。

 紀元前五世紀頃、ソフィスト
(sophist)という職業があった。
 アテナイで法廷弁論や修辞学などを教える職業である。よく知られるのは古代ギリシアの哲学者プロタゴラス
(Protagoras)や弁論家ゴルギアス(Gorgias)らが、その代表者である。彼らは「人間は万物の尺度」という彼の言葉はその相対主義を簡明に表現したもの言ったのである。また何も存在しないものが、仮に存在したとしてもそれを確認し伝達することは不可能と説いたのである。価値の相対性を説いたことで知られる。

 法廷では詭弁を専
(もっぱ)らとする者がいたので、長い間、詭弁家と同義語だった。そのためソフィストは幾何学の得意者でなければならなかった。既に法廷では幾何学論理が用いられていたのである。
 この時期、正三角形を初めとして、正方形、正五角形、正六角形などの作図は簡単であり、また2と3と5の冪
(べき)を掛けた正多角形なら簡単に作図出来た。
 冪とは累乗のことで、同一の数または文字を次々に掛け合わせることをいう。xを累乗してaとなるとき、xをaの累乗根という。冪根
(べきこん)という言葉で表された。
 しかし正n角形の中で「正十七角形」だけは難題問題であり、まだこれまで解答者は居なかった。
 これは十八世紀に、ドイツの数学者・ガウス
(Karl Friedrich Gauss)が顕われるまで難問とされていた。
 ガウスは、十八歳で正十七角形の幾何学的作図に成功し、最小自乗法・整数論・曲面論・虚数論・方程式論・級数論などを論じたほか、天文学・電磁気学にも精通し、数学の王といわれた。またゲッティンゲン大学教授兼天文台長としても有名である。
 そして、その後「角の三等分」「円と面積が等しい正方形を作る」「形が同じで体積を二倍にする」は、それ自体が不可能であると言うことは証明されたのである。
 この問題には「解がない」のである。ギリシャの三大難問は、解がないのである。
 だが、「解なし」と悟る人間は現代でも稀である。解のない問題に挑戦するチャレンジャーが、未だに後を絶たないのは何ゆえか。

 そのチャレンジャーを象徴する言葉が、日本では「遣れば出来る」なのである。
 挑んでも、努力が実らないことがある。これを知ることが肝心である。これを教えようとしない。人はみな遣れば出来ると思い込んでいる。此処に怕さがある。
 ところが、日本の経済も、日本の政治も遣れば出来る主義で、我武者羅に挑み「人間には無限の可能性がある」などと詭弁を使う。
 だが数学上、解があっても解けない方程式があるのである。
 大天才数学者ガウスによって、彼の存在定理に従えば、「n次方程式には必ず解
(根)がある」ことが証明された。だが、それでいて五次以上の方程式は代数的には解けないのである。この解けない事を示したのが、フランスの数学者および革命家であるエヴァリスト・ガロア(Eariste Galois)である。数学者として十代の頃に『ガロア理論』の構成要素である「体論」や「群論」の先見的な研究を行った大天才である。
 「解があっても解けない方程式がある!」
 これこそガロアが、つまり数学が人々に突き付けた重大な認識だったのである。ところが、この認識は現代に至っても、特に日本では重大このうえもない認識であるということを大学を初めとして、その下の下級学校でも教えようとしない。そういうことは教科書には一切書かれていない。ただ最初から答のある問題ばかりに眼を奪われ、「解のない方程式」とか「解があって解けない方程式」があることを教えたがらない。
 この「教育機関が教えたがらない」という現実の中で経済も政治も社会も、全く五里霧中の中を突き進んでいるのである。

 有名なドイツの社会学者ウェーバー
(Max Webe)は、政治家を指して「最高の役人は最低の政治家である」と言った。つまり、政府の要人的政治家とか高級官僚というのは、朝から晩まで答えのある問題ばかりに取り組んでいる。最初から解答のある問題に挑んでいる。また、頭の構造自体がそのように加工されている。
 加工され、出来上がってしまった頭で物事を考え、善後策を対処しようとする。奇抜な発想がなく、行動には奇手が出て来ない。
 しかし、政治家とか官僚と言うのは、最初から答のない問題に取り組まねばならないのではないか。この取り組みこそ本来の任務でなかったのか。
 だが現在も、ウェーバーの言葉に耳を傾ける政治家や官僚は皆無であろう。

 官僚ら彼らの目指すところは、強い権力志向を持ち、一握りのエリート集団によって、我田引水的な分け前に預かる「山分け主義」で、この日本を横領することだけなのである。
 特に、それは議員数削減などに見られる。削減目的は、国会議員の数を減らしてしまえば、一人頭の山分け分は多くなるからである。
 表向きは国費節税をタテマエにしているが、国費節税をするのなら、国会議員の給料を一般サラリーマン並にすればいいことである。給料を上げつつ、議員数を減らすのは、国民に選ばれた多数決により、最終的には「民主独裁」に持って行くためである。
 また、日本と言う国は僅か四百人程度のキャリア層
(高級官僚群)で運営されているが、この数は殆ど変化しない。ピラミッドの頂点の一劃群で、決して殖えることはない。最初から定数性であり、裏を返せば利権主義が働いている。それは自分らだけが牛耳られる社会構造を目論むからである。その利権を最たるものが、官僚が中央や地方の政界に打って出る構造を作り、また官僚から特殊法人や大企業に天下る構造を一つの大きな利権として維持して行くことが目的なのである。これには以前から多くの批判がありながらも、一向に改まらないし、改めようとしない。
 斯
(か)くして、日本国民の頭上の上には「最低の政治家と官僚」を戴(いただ)く、天下の「日本国」という問題解決力皆無の国家が出来上がってしまったのである。

 私と家内が遣っていた当時の伝習塾の指導姿勢には、こうした生温い、ふやけた社会構造にも鉾
(ほこ)を突き付け、その命題に迫ったのだが、結局世間には理解されなかった。バカを多く集めて金儲けしているくらいにしか思われていなかった。何故、墜ち零ればかりを集めて救済しようと奮闘していたか、この熱意も、滾(たぎ)る指導姿勢も、世間からは受け入れられなかった。地域環境が悪くなるという理由で追い払われた。
 伝習塾には、確かに有名市立受験の幼稚園児や有名私立の小・中学生も来ていた。
 ところが彼らは、みな学内ではワーストスリーに入る児童や生徒であり、決してその集団の頭でなく尻尾だった。則ち頭、オツムだけが優等生というこの社会構造に、私は怒りの鉄槌
(てっつい)を撃ち込みたかったのである。
 しかし、こうした根底にある指導姿勢は殆ど世間には受け入れて貰えず、地域住民からも指弾の対象にされていたのである。

 奇
(く)しくも、私は奇妙な実情に出くわした。担当した一時間ばかりの低学年クラスの実情に苦慮したのである。そして思うのである。この時間の、このクラスは、何という小悪魔どもを寄せ集めたのだろう。
 小悪魔の相手をしただけで、ガックリ来るほど疲れてしまった。エネルギーを坊主どもに吸い取られた感じだった。
 今日一日の小悪魔相手の激戦がやっと終わった。僅か一時間程度のことだが、小悪魔どもの押収にガックリ疲れてしまった。身も心も、疲労困憊
(こんぱい)だったのである。
 大人は子供が分ったように見下し目線で子供に向かう。しかし、子供の事は何も分っていなかった。分った振りをしていただけなのである。私も子供の事は何も分っていなかった。小悪魔どもから高を括った高慢に、お灸を据えられたことは、私にとって良い薬だった。


 ─────緊急参謀会議。
 講師を集める場合、このように称する。今まで指導していた講師の授業を一時停止して、この間にフィードバック指導を試み、上級生が下級生を指導するのである。その指導中の30分ほどを利用して、緊急対策会議を行うのである。
 会議の目的は「支援システムの再確認」である。難問を突き付けられたり苦悶する問題に直面した場合、それを短時間に、どう解決するかの再確認である。支援体制のチームの機能と即効性である。それを多大に再確認する。講師は難問と格闘しない。これ、個別指導の要諦。代わりに、得意とする者が専門知識を発揮すればいい。同じく個別指導の原理原則。これを無視しては個別指導は成り立たない。必要十分条件である。

 「あの翼って言う子、直接、連立方程式で指導したってだめですよ。もっといい方法がありますもの」家内が切り出した。
 それば、図形指導というもので、数字で教えるのでなく、絵を描いて、面積図で教える遣り方であった。
 あの坊主の持ち込んだのは文章題の「お話し問題」で、面積図で解ける方法を知っていて家内はその遣り方で指導していた。また、連立方程式は面積図で解け問題でもある。
 例えば、面積を出す縦・横の関係で、縦を1匹の足の数、横を頭数、面積を足の数として、面積図から解く遣り方である。
 問題は二元一次連立方程式を解くことより、国語解釈で話の順番を組み立て、設問の括弧内に文字と数字を入れて、回答して行く形式を採っていた。低学年児童には理解し易い指導法だった。
 本来この計算法は、鶴と亀との合計数と合計足数を知ることによって、それぞれの数を知るものだが、図形として示していれば意味が通じるのだが、書いている文章の意味が分からないのある。文章による引っ掛け問題だった。つまり問題には“最後のオチ”というのがあって、此処で回答者は罠に嵌まることもある。
 個別指導と言うのが、単に上級学校を出て、学士や修士や博士の肩書きをもっていても、それだけで生徒に指導出来ると言うものではなかった。教えることと、知っていることは別問題だった。ここにきて改めて教えることの難しさを悟ったのである。
 講師陣が「教える」ことに行き詰まった場合、互いに智慧を出し合うのである。支援体勢を作る。戦う時の重要な体勢である。これは兵法にも通じるのである。戦いは個人戦ではなく集団戦である。個人格技では勝てないのである。個人格技では特異な才能者ほど優位だが、連携して戦う方法もある。支援体勢を作ってそれぞれの持ち場を活かして連携すれば負けない戦い方もある。戦いと闘いは違う。そのうえ一人では疲れる。

 さて、私である。
 果たして「先生」と呼ばれていいものか。小悪魔から「本当は頭が悪いのね」と疑われた。
 また小悪魔どもは、先生と言わずに「おじさん」と言いやがった。それは正しい。ずばり正解。必要十分条件に適
(かな)っていた。文句なしである。そのうえ頭が悪い。必要必要十分十分条件に適う。
 「これから、私のことを先生と呼ぶの、止めてくれないか」
 「相当に堪
(こた)えたようねですね」家内が言いやがった。
 「じゃあ、何と呼べばいいのですか」
 「これからはおじさんでもいいし、もっと親しみを込めて、下町風に“おいちゃん”でもいい」
 「それは、ちょっと……」真弓が首を捻りながら反論した。
 「私は当分、バカどもの補導係でも遣らせてもらうよ」
 「でも、補導する先生が、警察に補導されないようにして下さい」
 抜けぬけと上原小夜子がいい、「そうそう……」と勅使河原恭子が相槌を打った。
 結局この場は、一同全員爆笑のもとに閉会したのである。



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