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続 壺中天・瓢箪仙人 8

幼少時代に想い出の回帰は、常に平戸の海にあった。そして平戸桟橋は、暮れになると、もしかすると父母の何れかが沢山のお土産を持って迎えに来てくれるのではないかという叶わぬ夢の期待場所であった。しかし、いつも期待は裏切られていた。また、それが人生の苦労の始まりであった。そして学んだことがある。
 人間界の法則は、総て幼児期からの経験や体験によって、いつも磨きがかけられる。


●女たちの青春

 総武快速に乗っていた。東京駅までは送って貰ったのである。
 車は先日と同じ、トヨタセンチュリー。
 今度は門から外に堂々と出るらしい。まだ、地下坑道の排水が充分でないのかも知れない。
 外に出ると言うことは、一度門の外に出れば、周囲から視られることで監視を承知の上なのだろう。運転士は昨日と同じ、ボディーガードのような筋肉隆々の体躯の持ち主だった。
 『金鷹館』から東京駅へ、車で送られたが、ルートは不明であった。何処をどう通ったか分らなかった。
 街の風景には全く見覚えがなかった。あるいは故意に、そう謀
(はか)られたかも知れない。
 もしかすると、『金鷹館』の所在地を証
(あか)したくないのかも知れない。敵を欺(あざむ)くには、先ず味方からと言うではないか。

 私は味方ではないが、関わってしまった以上、関係者なのだろう。警戒している気配はあったようだ。
 また、そうでなくとも夕刻の夜の帳
(とばり)の中、たった一回通っただけでは、道は覚えることが出来なかった。道を覚えるとは、眼だけに感じる視覚では記憶することが出来ない。
 道を覚えるには、実際のその道を自分の足で踏んで覚えるか、眼と同時に、眼以外の刺戟になる対象物を目印にして覚える以外ない。したがって車に乗って、ただ助手席に坐り、前方だけを見ていてもその道順というのは非常に記憶し辛いものである。これが、道案内人が助手席に居て、始めて通る道を横で指示しされつつ自分で運転する場合は、全く知らないところを通っても、自分の眼以外に刺戟する対象が実際にハンドルを握り運転するのであれば、記憶に残ることになる。つまり道を覚えるとは、眼以外のものに、もう一つ刺戟する何かがあれば、意外にも夜でも、ある程度の記憶は可能と言うことだ。
 そうなると、眼以外の記憶対象は何か。それは、車のカーブが曲がる度に感じる左右の揺れであろう。揺れを感じれば、何処で、何れかを曲がって、どう進んだかが少なからず分るし、後は信号停止などである。こうして身体に感じる揺れの感覚で、どのように動いて来たか記憶することが出来るのである。
 しかし、これに複雑な入り組むような動きをされれば、一度に多くのことを身体で記憶することは難しい。

 例えば、武術の技を憶
(おぼ)えようとする場合も同じである。
 かつて私の道場には多くの見学者が稽古日度に訪れていた。この見学者の大半は、最初から入門する気など全くなく、“ただ見て敵情視察”という目的で来る者が多く、入門してくれるのは、その一割り程度だった。
 中には、最初入門する気持ちで来ていて、稽古を見て厭になったり、虞
(おそ)れを為(な)して辞退する者もいる反面、最初は入門する気など全くなく、見下する態度で遣って来て、稽古を見て、逆に入門しなければということで入門する者も居た。
 こうした者を合わせて見学者のうち、一割り程度が入門してくれのだが、では後の九割りはどう言う連中かとなると、見学して、技を記憶して「盗む」という武道オタクらである。そういうパクリ目的で見学している者は一目で分り、そう言う連中が来ている場合は、技を多く遣るのである。行う技を次から次へと排出し、立て続けに多く遣ると、これだけで憶えられなくなってしまう。一本や二本遣る分には、反復練習の時間が長いために充分の記憶する事が出来る。
 ところが、同じ時間内に十本以上遣ると、そう簡単には記憶出来ない。短時間に展開させる技法放出はビデオで録画しない限り、殆ど記憶に留めない。記憶の能力差にもよろうが、記憶容量を超えると凡夫の域では記憶出来ないのである。

 同じように、車に乗って、特に後部座席に居て、複雑に遠回りしつつ、次から次へと角を曲がられると、道が分からなくなってしまうのである。このときもそうだった。
 繰り返し四つ角を曲がっての進行だから、故意に遠回りをして複雑行動されば、窓の外は見えていても、目隠しをされているのも同然となる。
 かつては、この方法で料金を倍以上とるタクシーの運転士が多かった。
 特に、はじめて行く土地でタクシーに乗ると、遠回りされて料金が篦棒
(べらぼう)に高かった。10分程度で着くところを倍以上掛かったことを憶えている。
 運転士が最初の会話で客に対して「お客さん何処から来ましたか」などを訊く場合、客の喋る言葉の訛
(なまり)などから判断して、余所者(よそもの)かそうでないかを判断する。判断から何処から来たかを読み、余所者には遠回りして、“吹っかける”というやつである。昔のタクシーの車内には、今日のように運転士の顔写や名前が掲示してない時代があった。
 会話から何処から来たかを察し、余所者からは金を巻き上げる雲助運転士が多かった。目的地までの最短距離を通らずに、わざと長く転がして距離を稼ぐのである。昔は、タクシー運転手が客と会話する第一の目的は此処にあったのである。一つの話術であった。

 私も、近年のことだが、北九州空港からタクシーに乗った時、運転士が「どちらからですか、観光ですか」と訊くから、「ああそうだ」と適当に答えたら、わざわざ遠回りして進行していたから、「おいおい、道が違うじゃないか」というと、慌
(あわ)てて戻した雲助野郎が居たが、隙を作ると、この態(ざま)である。あるいは運転士自身が、自分が客から人間性を検(み)られているとは思っていないのだろうか。
 この構図は、「知らない者から奪う」という弱肉強食の考え方がある。現代も聡い者が、疎い者から奪うという行動パタンーは、未
(いま)だに健在のようである。
 近年は、自分の姿形は着ているファッションについて、外側から検られているという意識はあるのかも知れないが、行為や、自らの心の裡
(うち)を検られていると感じる自意識をもっている人は少ないようである。外ばかりを繕(つくろ)って、内面が不用心である。
 時代は、ますます現代人を金・物・色の欲の世界に引き摺り込んでいるようである。

 車に身を預け、横には真弓と行き先を伴にしていた。
 揺られるままに、揺れの中に身を預ける。別段無理に記憶する気もないのだが、こういう場合、神経は秩序の中に、異常や変化を発見することだけを頼りに、わが身一つに総てを預け、それなりのリズムを感じて記憶する中に、また別の記憶中枢があるように思えるのである。無意識の記憶である。こういう記憶は後から、ある切っ掛けの時に、突然吹き出すように思い出すものである。
 無意識の揺られの中で、こうして東京駅の八重洲側に着いた。
 そして、今は総武快速のグリーン車の人となっていた。
 椅子に身を預けながら、車窓の外のを眺めていた。この風景は、これまで何百回となく眺めたことだろう。
 夜間の進行でも、いま何処を通過しているか覚えてしまっている。この路線を、これまで何度行き来したことか。
 暗くても、いま何処で、次は何処か、車内アナウスを聴く前に分る。躰が揺れ方で憶えているからだ。
 通過して行く景色の車窓超しに夜の遠い街の灯りを眺めながら、世の移り変わりを思った。社会全体が急激な加速度がつき始めたことを感じていた。時は容赦なく変化し、その中に古い人間は置き去りされていく。
 私は古い人間として、もう置き去りにされているのではないかと思うことすらある。
 しかし、42歳の厄年を超え、流れて行く時間との縁
(えにし)は未(いま)だ切れず、その中に過去も未来も引き摺っていた。時間は確実に流れて行く。そんな時空をぼんやりと眺めていた。
 だが、過去の忌まわしい様々な感慨は、まだ疵跡
(きず)として残っていた。未だに私の位置は中間地点の状態にあるのだろう。叩けば出る埃(ほこり)も、若気に至りも、苦悩の日々も、官憲と格闘したことも、いいも悪いも総て綯(な)い交ぜになって感慨の中に取り残されていた。

 座席の横には真弓が居た。彼女も習志野に向かう途中であった。
 真弓には今日の仕事が残っていた。それを履行するために習志野へ向かう。塾の講師である。
 この女は、自分の役割をきちんと果たす人間であるらしい。そうしないと、一日が終わらないらしい。
 それは律儀からだろうか、それともこの階級特有の約束の履行の厳守にあるのだろうか。
 この階級は、約束をしたことは必ず履行するようだ。つまり、決まったことは、必ず行われるということである。途中で変更がないと言うことだ。
 これは、例えば誅殺命令が一度下されれば、刺客は何処までも追跡して、目的を遂行するという絶対任務を持っていることになる。そうした習慣を、真弓は子供の時から叩き込まれているのかも知れない。だが、実際には、この女性の正体が殆ど掴めないのである。

 習志野に向かった時間は、そろそろ総武快速がラッシュに掛かる時間であったが、まだ混雑するほどの時間ではなかった。それより少し前の時間であったろうか。
 午後六時前であり、グリーン車の車内には些
(いささ)かの空席があったが、それでも会社帰りのサラリーマンと思(おぼ)しき管理職以上の年配者が座席を占めていた。東京始発でこの混雑である。この時間を少し過ぎると、グリーン車にも、人が流れて来て立ち席状態となる。
 十一両編成のうち、二両編成のグリーン車に入れば、入っただけで指定券を買わされる。何とも理不尽と言うか、この構造は銀座のクラブなどで、入店し、「席に坐っただけで5万円前後を取られる」という、あれと酷似している。
 だが、グリーン車は坐るだけでなく、立っているだけでも金をとられる。これは何とも理不尽の一面を感じない訳ではないが、満員の貧民窟より、押し合い圧
(へ)し合いされて、揉(もみ)くちゃにないだけでも増しだろうと言うJR特有の考えが含まれているのかも知れない。また女性の場合は痴漢に遭わなくて済む。貧民窟ほど込んでいない。平成3年当時、痴漢防止の護身料金、〆て五百円也。

 もし真弓のような、「超」がつく別嬪が貧民窟に乗っていたらどうなっただろうか。
 痴漢野郎は寄って来ただろうか、それとも虞
(おそ)れを為(な)して逃げただろうか。不埒(ふらち)な連想を疾(はし)らせて見る。さて、そういう思いを廻らす自分の卑猥(ひわい)に綻(ほころ)ぶ貌はどうか……。卑しくはないのか……。

 「何かいいことありまして?」
 まずい、悟られたか。
 「いえ、最近の世の中の廃頽
(はいたい)ぶりを憂いておりまして……」
 「憂いているわりには、何か嬉しそうと言うか、風紀上よろしくないと言うか、そういう下品な笑みを泛べているようでしたわ」
 《風紀上よろしくないとは、これ如何に?……》此処まで読むのか。
 「何しろ、下品なのは生まれが卑しいものですから……」
 これで逃げ切れるだろうか。

 この日は運良く座席に着くことが出来たが、午前中の馬鹿げた珍芸は、もう絶対に遣れそうもなかった。
 それを警戒したのか、真弓は早々とごく普通と言うか、《風紀上よろしくないと……》ときやがった。
 そして彼女自身、映画などの重役室でよく見る、当時流行だった紺色のミニスカートの上下スーツを着込み颯爽としたスタイルで、クリーム色のブラウスの襟を上衣の外に出し、あたかも上場会社の重役秘書のような恰好をしていた。今度は前日の訪問着のそれではなかった。
 泰然と化け、変わり身が早いのである。話術の手練なればこそだろうか。
 それにしても、何とも“お御足”が艶かしい。
 こういう場合、私の視線は、それ以外の場所に向けるところは他にあるだろうか。しかし両足は、おばさんのようにだらしなく広がらず、きっちりと閉じられていた。
 あたかも当時少女の間に流行した『リカちゃん人形』のような型のよい足をしていた。体躯は大きからず小さからず、全体像はほどよくバランスのとれた容姿端麗であった。

 これを、小説的な冒頭の書き出しで人物の表現するならば、「才色兼備で他に並ぶ者はなく、また聡明な質
(たち)で、国語力に長け、話術をよくし、みんなに愛され、通称真弓先生と生徒からは呼ばれていた……」なんて、書き始めはどうだろうか。

 「先生、宜
(よろ)しいでしょうか」
 何か質問があるらしい。
 「窺
(うかが)いましょう」
 「あたくし、昨日と今日、講師を遣らせて頂くことになり、自分なりに教育論の一つも持っておきたいと存じますの」
 「ほーッ、教育論ですか。しかし、うちではそのレベルにある高級なものは必要ありません。まあ、是非ともと言うのであれば、その一つや二つは講釈を垂れさせて頂いても構いませんが、何なりと」
 「近頃、矢鱈、グローバリゼーションと云う言葉が使われはじめたでしょう。これ、先生、どうお思いになって?」
 「最近、流行の英語学習の早期教育に関係がありそうですね」
 「あたくし、思いますのよ。どうして英語国民でもない日本人が、英語を学ぶ必要があるのだろう?と。
 そう考えますのよ、先生。これどう思いまして?」英語早期教育に疑問を抱いているようだった。

 「そうですねェ。まず歴史を振り返れば、十九世紀の大英帝国ならびにヨーロッパ経済の擡頭と没落、更には二十世紀のアメリカ経済の肥大化に伴った同国主導の地球支配……。
 この現実は、日本人やその周辺国にも多大な影響を及ぼしましたからね。更にこれは戦後、顕著になり、多くの日本人は英語圏国家に靡
(なび)いてしました。
 アメリカ的だと優れていて、総て正しくスマートで恰好よく、日本的だと劣っていて、ダサくて古くて時代遅れと見下す考え方は、戦後日本人の文化意識の特長ですからねェ。
 私が大学の頃は全共闘の時代でしてね、世の中、革命の赤旗の一色で埋め尽くされていましたよ。『アメリカ帝国主義打倒』などの云うスローガンが掲げられていてね。
 ところが奇妙なことに、そう打倒する学生や労働者は何と、アメリカ製のジーンスなどを履き、ハンバーガー片手にコカコーラで、アメリカ礼賛の文化に酔っていましたよ。この矛盾は甚だしいものでした」
 「矛盾とは?」
 矛盾律の概念を引き出そうと言う訳だろうか。

 「概念の二義的な意味を誤りですよ。例えば『旧約聖書』の『レビ記』
(第八章12)の箇所などには『姦淫するな』と命令が出ているでしょ。それはセックスをしてはならない相手を列挙しているだけで、セックスそのものは禁じていない。矛盾律の意味の理解が未熟だと、当時の『アメリカ帝国主義打倒』などの云うスローガンを掲げ、その片方で無意識に『アメリカ礼賛』の文化に入れ揚げる風潮があったことです。これは矛盾律を定式化したアリストテレスの形式論理学の矛盾と酷似していたのでしょうか。
 今日でもそうですが、日本人は韓非子型の矛盾と、アリストテレス型の矛盾の相違に気付いていない。矛盾を論理学的な解釈で理解できず、自分の頭で考えていることと、行動していることの区別が曖昧なのです。
 こう言う一面は矛盾のほんの一部でしょうが、韓非子型の論理は反対をも、矛盾と呼んで区別しない。
 一方、アリストテレス型の形式論理学では、反対と矛盾をハッキリと区別している。この区別が曖昧だと、混乱を生じると警告しているのです。
 更にです。彼らが自分の入れ揚げている白熱した議論と言えば、マンネリ化したマルクス・レーニン主義であり、滑稽なのは『マルクス・レーニン』と言ったり、『マルクス・エンゲルス』と言ったりする。そしてこの科学的社会主義の二人の提唱者たちを、同一人物のフルネームと思い込んでいる「白痴
(はくち)旋風」が一方では吹き荒れていましたからね。赤旗旋風だけでなく、マルクス気触(かぶ)れの旋風として、白痴旋風まで吹き荒れていました。当時は、共産主義者であらねば、人に非(あら)ずでしたからねェ……」

 真弓は神妙に聞いていた。
 「滑稽と言えば滑稽ですねェ。その滑稽さに、何処か今日日
(きょうび)の英語熱とは一致していません?」
 「符合しますよ、背景に煽動者が居るのですからね……」
 「日本人って、どうしてこうもアジテーターの煽動に踊り易いのかしら?……」
 「また当時、誰もが、アメリカの揺るぎない自信に酔ってしまいましたからね。多くはアメリカの傲慢に酔った。力は正義なりに酔った。
 アメリカの傲慢の根底には、日本人が経験したことのない難儀に遭遇してない点が上げられます。
 特に米国では、つまり彼
(か)の国では、自国の領土内を日本のように、一度も空襲を受けたことがない。
 そのため戦争の怕さを知らない。そして弱肉強食論です。正義は力なりです。正しい方が必ず勝つ。そう信じている。そこに戦争観不在の米国社会が生まれました。キリスト教国家は、白と黒の二元論しかありませんからねェ。
 何も、戦争を知らないのは、戦後生まれの日本人だけでなく、アメリカ国民だって、軍人を除けば、殆ど何も知らないでしょう。中でも、ベトナム戦争や近年の湾岸戦争を体験したことのない軍人なら、尚更です。
 今や軍人と雖
(いえど)も、戦争の恐ろしさは何も分っていないのです。そのくせに、かの国は世界の警察官を気取る。
 その象徴が文化支配であり、言語支配です。その言語支配の中に、日本が取り込まれ、既に英語は日本でも公用語にしてしまおうとする文部省
【註】平成3年当時は文部科学省と言わず文部省といった)の動きがありますからね。
 日本の欧米化、つまり日本文化や日本精神を破壊して、精神的文化的属国政策を遂行しているのです。これに諸手を上げて賛成する文化人
(進歩的文化人を指す)も多いと聴きます」

 「あたくしの個人的な見解ですけれど、英語の早期教育よりも、日本語の再履修教育を、大人も子供も遣るべきと存じますの。この考え方、保守的過ぎますかしら?」
 「なるほど、国文出身の方らしいことを言いますね、それは正しいと思いますよ。
 さて、日本人がピーチクパーチク、欧米人並みに会話英語が出来たからと言って、国を超えて地球規模で交流や通商が拡大するとは限りません。問題は英語圏国家の文化理解ですよ。果たして日本人は、例えばアメリカと言う国が、完全なる厳格な階級社会であること全く理解していません。
 日本人のアメリカ観は、上下の差が無く、民主主義国家である。こういう神話は明治期から囁
(ささや)かれていましたからねェ。それだけじゃない。島崎藤村すら、有名な小説『破戒』の主人公の被差別部落出身の小学校教師瀬川丑松(せがわ‐うしまつ)は、差別のないアメリカに亡命を志していましたからね。
 アメリカは日本人に自由の新天地というイメージを植え付けましたが、この元兇は福沢諭吉の『天は人の上に人を作らす云々……』のあれですよ。この名言は、第三代大統領のジェファソンの独立宣言の言葉です。
 ところが現実はそうではなかった。
 英語圏国家の殆どは自由などなく、上から下を押し付ける押し付けがましい国家だったのです。その押し付けがましい元兇になったのが、今の日本の現憲法です。これは全日本人の意志を代表しているものではありません。議論しつくされていない。しかし民主と言うことと同時に、二元論で書かれた美辞麗句に、多くの日本人は酔わされた。酔って、犯す可
(べ)からずものに祀り上げた。ここにアメリカ礼賛主義が生まれた。アメリカ万歳です。言わば、酔った連中は日本語が、よく理解出来ていないということでしょうか」
 特に戦後の日本人は文章でも、単に字面だけを追って、その文章の裏に潜む「隠れた意図」を見抜けない頭に改造されて来た。戦後の教育は、国際連合軍の思考改造政策の毒牙に掛かったのではなかったか。つまり言葉の持つ意味を深く追求しなくなった。したがって言葉の裏に隠れた作為や策略が読めないのである。

 「いいご意見ですわ、あたくしも同感です。
 自国の言葉がよく理解できなくて、では『日本のグローバリゼーション?……』となると、殆どの人は答えられないでしょうね。言葉だけが先行して、国際意識ゼロ、国際政治観不在というのが、今の日本の現状と云うところでしょうか。これからの地球化の時代となると、この感覚が日本人にあるかどうか、これ自体が、実に疑わしくなって来ます。まったく仰る通りですわ」
 当時は、「三化け時代」と言われた。その第一が高齢化、第二が情報化、第三が国際化であった。しかし肝心なる国際化の意味が全く分っていなかった。
 今日でも、国際化、グローバリゼーションと云う言葉は盛んに遣われている。

 ところが、大半の日本人には「日本のグローバリゼーション」がない。国際化の波に乗って、英語、英語と言うけれど、英語で日本の文化や伝統を外国人に説明する、グローバリゼーションがない。更には地球規模の現実世界が、実に多様であることを知らない。
 グローバリゼーションとは、国を超えて地球規模で交流や通商が拡大することを指すが、根底には世界全体の中に在って、古来より連綿と続いた日本の伝統や文化を外国人にどう伝えるかの日本人の英語力がない。
 これは単に英会話が出来ると言うだけの範囲では駄目である。古来からの日本精神を知り尽くし、その伝統や文化を外国人に伝える日本語変換の英語力である。その日本語変換の能力が、今日の日本人には欠如しているのである。既に日本語そのものが死んでいるからである。
 四季があり、温暖な日本の気候・風土以外に厳しい自然環境や社会の現実、更には政治環境にある後進国の実情や現実を知らない。その環境の中で生活する人民は実に、日本人以上にタフである。耐久性もある。

 一方、温室環境の中に居る日本人は、「中の上」以上に居る階級は、小学校に入る前から高額な月謝を払ってエリート校に進学し、高度な英語力を身に付け、一流大学を出ても「知識だけが優等生」では、英語圏の欧米支配が終わり、それに代わって擡頭しつつあるインドやその周辺諸国の、欧米に取って代わるエネルギーには太刀打ち出来まい。既に英語圏国家は終焉
(しゅうえん)しつつあるからだ。

 日本は確かに、敗戦の焼け跡から不死鳥のように蘇
(よみ)り、短期間で経済発展を遂げた。
 高度経済成長は、科学技術などを初めとして、大きな恩恵を日本人に齎した。しかしその恩恵は、総て物質的な恩恵に留まった。
 今日の日本社会の環境や教育環境は途上国から見れば、よく整い、誰もが公平な条件にあって、恵まれていると言えよう。しかし、教育と言うのは心身ともに鍛練されればならない。
 言わば、古人が説いた武家の中の「文武両道」であり、また「友文尚武」である。
 「文」の世界、特に文が知識のみの留まり、これが知性に至っていないのは、それだけ現代日本人が智慧をまだ身に付けていないことになり、また教養はゼロに近いことを顕している。記憶としての知識はあっても、知識を活かして、これを見識に替え、更には見識を胆識に変換させる方法が未熟である。軽佻浮薄な、肚の据わらない日本人ばかりが、この列島には溢れていると言うことである。
 つまり、善も知らず悪も知らず、可もなく不可もなくであり、悪いこともしない変わりに、善いこともしないという、そういう人種ばかりで溢れているということだ。

 「これから向かう世界動向の特長としては、やがて欧米支配も終焉を迎えるでしょう。
 二十一世紀は、おそらく地球化時代が訪れるでしょうが、英語だけでは対応出来ないでしょう。また、二言目には英語、英語……と言いますが、これがまた疑わしい。最近の英会話教室の駅前留学を見て下さい。
 あそこに留学するだけで、何と百万円くらいの費用が掛かる。しかし、あの学習方法は駄目でしょう。会話を学んでも、それはパターン化された、これまでの古い、日本人が英語を勉強するその延長であるからです」
 「古いと仰りますと?」
 「あなたは、ああ、どちらかというと、学校が聖心でしたから、世間で俗に云うエスカレーター式だったでしょう?」
 「ええ、小学校から附属でしたから……」
 「上級学校への入学のための受験に苦しんだ経験と想い出は?」
 「ありませんわ、試験はありましたけど」
 「それじゃァ、下々の受験地獄は分らない訳だ。一般庶民の受験生の苦しみを知らない訳だ。劣等感に苛まされる苦悩の日々を……」
 「そのように露骨に言われると、些か心外ですわ」
 「例えばねェ、英単語学習と言うのがあるでしょ。つまり受験英語です。英単語を覚えると言うのと、受験に出題される英単語とは、その数が異なるのです。大学受験に必要とする単語数は約二千語程度なのです。
 ところが高校三年のレベルと習得していなければならない教科書範囲では一万語を超えているのです」
 私は『赤尾の赤単』時代の人間だった。バカ正直に、AからZまでを暗記しようとした非効率人間だった。

 「ということは、約八千語が受験には出題されないということですか」
 「そこで、考えたオヤジが居た」
 「オヤジって?」
 「ある高校の英語教諭ですよ。このオヤジが過去の大学受験に出題された単語数を割り出し、確率から『出る順』という、まあ言ってみれば受験法則でしょうか。そして出る順に英単語の学習して行く。そうすると受験に出題される確率の少ない方は、わざわざ受験時には覚えなくて済む。本格的な英語学習は大学には行ってから遣ればいい、こう考えたのでしょう。
 勿論、多く知っていることは決して無駄ではありません。但し、受験指導と言うのは、その生徒が潤沢で豊富な学力を所有していて、大学で、学問をするというハードな勉学に蹤
(つ)いて行く才能があればいいという但し書き付きですが……ね。
 しかし現実はそうではない。必ずしも受験者はそういう生徒ばかりとは限らない。
 生徒分布で検
(み)るとね、今一歩で、力及ばずという生徒が意外に多いのです。つまり、ボーダラインすれすれが多いと言うことです。
 そういう“すれずれ生徒”を受験で合格させるというのが、進学塾や予備校のチューターという役割です。
 生徒に最も効率のいい、合格ラインすれすれの大学受験を奨め、そこに、すれすれの成績で押し込んでやるというのが、この担当者の職人芸と言うか、名人芸と言うか、私はその現場に居ましたからね」
 「先生って、つい最近まで、そういうお仕事されていたんですか」

 「そうですよ、家内もね。だから二人とも、その厳しい現実を知っていますよ。この点は、家内も講師兼チューターをしていたから同じでしたがね。予備校や進学塾は、単に一般的な学習塾でない。生徒を志望校に送り込んで、その実績で評価される。途中の奮闘ぶりは一切評価されない。結果だけが評価の対象でした。
 予備校では私が代表取締役で、家内が監査役だった。予備校戦争で毎日が悪戦苦闘の日々ですよ、弱小でしたからね。だから一方では、この種の学習産業の裏が見えるのです。
 それにね。予備校では英語のヒヤリングの授業には欧米人の講師を使っていましたがね、彼らが大学受験の英語問題を見て『何て難しい問題だ』と驚いていましたよ。だいたい日本流に捏
(こね)ねくり回した長文読解なんて、英語圏国家にはありませんからね。あれは日本人が考えた和製英語問題ですよ。こういう難解な英語問題を考える出題者自身が、実は日本のグローバリゼーションを説明する能力を持っていない。日本精神や文化のことを殆ど知らない。皮肉なものです」
 「……………」
 真弓は神妙に訊いていた。

 そして大学時代を振り返って思うのだが、大学での英語の授業は、英語教師と言うレベルの教授でなく、その多くは英文学者であった。欧米の古典英語を研究する日本人だった。生まれて一度も外国に行ったことがないという教授までいた。ただ日本人の頭で、英語圏の英文学を研究すると言う人達であった。
 したがって、会話となると疑わしいところがあり、和製英語が英語圏の国々の人に伝わるかという疑問も抱いていた。この世界は英文学の世界であり、英会話の世界ではあるまい。
 私の世代は、そういう和製英語の世界で教育を受けた世代であった。

 「実際にはね、欧米人商社マンでも、自分の母国語が解らず、長文会話については日本人の英語力堪能者の通訳を介すと言うこともあるのですよ」
 「皮肉なものですね……」
 「英会話と英語力は必ずしも同じものでない。また英会話自体は、そもそも大学受験の英語力のようにボーダラインで競うものでないし、その人の才能そのものが物を言う会話の世界です。この世界は受験の才能がなくても、挑戦出来る。一方、ボーダーで競うものは、大学別の傾向が解れば、克服する方法もある。巧く入学することも出来る。但し、大学の勉強に蹤いて行ける才能がなければ、入学しても脱落しますがね。つまり留年ってやつですよ。
 ところが、英会話とか、この種の語学産業にはボーダーもないし、入学試験もない。金さえ出せば誰でもいらっしゃいです。これでは最初から九割り方が脱落しているのも同然です。大半は遣る前から失格者ですよ。これを知ってて募集をする。受験指導ほどシビアじゃない。また、効果のほどが明確でない。英語産業の虚構ですよ。虚構こそ、裏社会の専売特許です」
 「先生って、裏社会に通じている人なのですねェ」
 「いや通じてはいないが、魂胆が見えるだけですよ。だからこそ、この裏には語学産業の仕掛人の英語学習に対する不純なものが紛れ込んでいと検
(み)たのです」
 この時代、多くの英会話教室や英会話学校が駅前に林立し、テレビでも派手に宣伝していたが、現在は跡形もなく消えている。それに代わって、今度は小学校からの英語押し付け教育である。当然、背後には何らかの不純なる政治力学が働いている。
 しかし多くに日本人は、赤旗の波の革命の夢に酔うが如く、今度は英語を通じた国際化の波に酔った。
 「では、不純なものとは、何ですの?」

 「私はねェ、達者な英語を喋れると言うレベルは、最低でも英検一級が必要で、国際英会話やビジネス英会話の中級以上が必要で、同時通訳並みの才能が要
(い)ると思うのです。その才能の無い者が、駅前留学しただけで英語が喋れると言う錯覚を抱かせている語学産業に、些(いささ)か疑いの眼を持っている。
 あの種の学習方式では、並みの学力とその程度の学識レベルでは、とてもじゃないが、無理でしょう。何しろ流行には飛びつき易いし、島国育ちの日本人は飽きやすの好きやすで、冷め易い人種です。同じことを何年も何十年も懸かってやると言う根気は、実は外国人の比ではないのです。国家に忠誠とか、君主に忠誠とかの意識は外国人以下。その以下連中が、時代を変化させる煽動媒体になった。選挙でよく見る浮動媒体です。
 こういう考え方と、いい加減な、中途半端な心構えで、英語、英語と言っているのです。
 第一ですよ、中学レベルの英語で赤点ばかり採っていた生徒が、少年後期を経ての段階で、その継続は惰性を生みますからね、そんなに進化は起こりませんよ。期待薄です。才能は持って生まれた天性であり、天性が突然変異で起こりうる確率は実に低い。進化なしと検
(み)ていいでしょう。
 進化なしの学力で、どうして達者で流暢な英語力が身に付くのでしょうか。赤点生徒は、やがて高校・大学と進むでしょうが、高校でも大学でも、バカはバカなりに受け皿はありますからね。その時点で、雷にでも打たれて突然変異でも起これば別ですが、まず堪能な英語が喋れるなどの現象は起こらない筈です。赤点成績は以後も継続され、依然引き摺ったままだと言えましょう。
 もしそれでも、英語とか英会話に挑むチャレンジ精神があるのなら、まず正しい日本語を確
(しっか)り勉強して、国語力を身に付け、その後に英語に挑戦すべきでしょう。英語は目的でありません、手段です。日本語を世界に伝達するための手段であり、目的は英語で日本の文化や伝統や、日本精神を伝えることが目的です。そのために英語を学ぶ。この目的意識があって、はじめて学ぶ意味が明白となる。流行や商売のためという漠然とでは駄目なのです。世界の中での日本人の確認です。その認識です。誇れる何かです。
 日本人が世界に伝えるグローバリゼーションなくして、何のための英語でしょう」
 「ご尤もですわ、素晴らしいご意見ですわ」
 感嘆して相槌を打った。

 「日本不在の、果たして駅前留学をしたところで、同時通訳並みに英語が喋れ、長文読解も易々とこなすことが可能なんでしょうか。楽々と英字新聞の隅々までもが読み仰せると言うのでしょうか。
 第一、日本に居て、英語国民でもない日本人が、英語を欧米のビジネスマン・レベルで早口で喋れるとは、とても思えません。英語で喧嘩することも出来ません。話術は英語に限らず、才のある術者の専売特許です。
 話術の才能の有無は、本人自身で確認すべきだ。話術の才能の無い者は、無理に英会話に齧
(かじ)り付くことはない。これ自体、無駄な徒労をしていることになります」
 「つまり、これからの国際社会での地球化時代と言うのが、大半の人は自分でもよく理解できず、ただ流行に踊って、英語、英語……と騒いでいるということでしょうか」
 真弓は私の矢継ぎ早の勢いに気圧
(けお)されて感じで感想を洩らした。

 「更に問題は、子供に英語学習をさせる、その親の在
(あ)り方にあります。親の姿勢です。自分が遣らずに子供にだけ遣らせる。これは親の我が儘でしょう。
 私は長い間、塾や予備校を遣って来て、その現場で自分の眼で見てきたことは、生徒達の親が、自分に託せなかったことを、少しでもいい学閥を望んで、
子供に無理な発破を掛けて、親自身が受験に興じていたことですよ。魂胆には、親が見返りを求める気持ちがアリアリです」
 「見返りというと?」
 「もし、子供が成功した場合です、考えてみて下さい。親は子供に投資をした御陰でどうなります?」
 「成功した場合の代償は大きいでしょうね、しかし成功しない場合は悲劇でしょうね」
 「この場合、成功しない場合が大でしょう。成功する場合もあるし、そうでない場合もある……」
 「つまり、必要条件と十分条件ですね」
 真弓は奇妙なことを言い出した。これだけで話術を相当に鍛練して来た数学的要素を持っていた。
 何処かで話術の高等訓練を受けているか、受けていたということだろう。簡単に私が揚げ足を取られてしまうのは、彼女にこうしたこれまでに鍛練の研鑽からだろう。まさに、敵も然
(さ)るものなのである。だから揚げ足を取られて、引っ掻かれたのである。
 彼女の出身が国文だったので、単に国語と言うことだけの固定観念を抱いていたが、もしかすると、それを前面に打ち出し、肝心な部分は奥に隠しているのかも知れない。

 肝心な物は奥に隠して見せない。これは老子流の考え方である。既に論じたが、有名な「老子と孔子」の対談である。このとき孔子は老子を「端倪
(たんげい)すべからず人物」と、心の底から舌を巻いたではないか。
 そのとき本当に実力のある商人は、「いい品物ほど奥に蔵
(しま)い込んで、店先に並べないものだ。それと同じように、君子のような立派な学徳を備えた人物ほど、それを表面には出さずに決してひけらかさないものだよ」と老子は言った。そのとき老子は驕気・多欲・態色・淫志の四つを挙げた。この「四つを取り去れ」と厳しい忠告をした。
 この忠告に、孔子は端倪すべからず人物として、老子の言には、拒絶反応ゼロだったのである。
 更に孔子は「老子を見るに、それ猶
(なお)、竜の若(ごと)きか」と表している。

 真弓が話術の高等訓練を受けて論理学に精通しているとなれば、滑らかに使いこなせる論理的発想法を持っていることになる。恐るべしである。
 必要条件
(necessary condition)の定義。Pが成り立つとき、Qも成り立たないという関係があるとき、PをQの必要条件という。則(すなわ)ち、Qという命題が成り立たねば、Pと言う命題も成り立たない。
 十分条件
(sufficient condition)の定義。命題Pが真であれば、事項または命題Qが真であるという関係があるとき、PをQの成立のための十分条件という。則ち、PはQの集合の中にある。
 そしてPがQに対して必要条件ならば、QはPに対して十分条件。
 またPがQに対して十分条件であるならば、QはPに対して必要条件である。

 「そもそも遺伝的な素材が悪くて、その素材が子供に受け継がれている実情からして所詮無理なことです。ところが、これを残念ながら、親は理解していません。
 どこかに『あしたのジョー』的な、コーチやトレーナーの指導がよければ、やがて、わが子もチャンピオンは夢でないと思い込んでいる。これが子供の未来を歪
(ゆが)めたのです。こうした子供の未来を歪めた親の人生設計が、いつの間にか子供の未来まで歪めている。特にプロスポーツ選手や歌手、テレビタレントや映画俳優などは、半分は親の意向が含まれ、子供に金を稼がせるという親の我が儘が含まれている。親の身勝手と言うものです。
 子供には子供の天職が、それぞれに遺伝子の中に振り分けられているのに、どうして、そちらの方を伸ばそうとしないのでしょうか。
 しかしねェ。勉強嫌いの子供だって、工作をさせれば驚くような才能を発揮する。また泳がせたり走らせればそれだけで、ずば抜けた能力を発揮する子供もいる。こういう方面の才能を延ばせば良いのですが、この辺が文部省の高級官僚らの高邁な言に振り回され、踊らされている。こういう川柳があるではありませんか。
 『俺の親みりゃ、俺の将来知れたもの』と。
 これは生徒が、自分の素材と成分の悪さを皮肉ったものですが、私はそう言う現場を、塾や予備校を通じて見てきましたよ」
 遺伝的素材とは何か。血から枝分かれした血脈である。血の成分である。
 そこには必要十分条件
(necessary and sufficient condition)が存在していなければならぬ。後天的訓練だけではどうにもならない。天性成分がいる。PがQの必要条件であると同時に十分条件である場合、PをQの必要十分条件という。この天性成分がいる。

 「では、先生も、また奥さまも、どうして学習塾を遣られているのです?」
 鋭いところを突いて来た。だが「いい質問ですね」などと感心していられない。単に金儲けで塾を遣っていると思っているのだろうか。そう思われては、些か心外である。
 「うちに来る生徒の多くはね、高校生だって、まだ新聞を読める学力がないんです。また来年、何処かの私立の底辺の高校に入って行くであろう中三生も、とてもでないが新聞を読んで理解する学力がない。言わば国語力の欠如です。国語力が欠如していて、どうして算数・数学の文書題が解けるのでしょう。
 また数学以外でも、理科にしても社会にしても、更に英語にしても、設問は総て日本語で書かれています。
 それは高校の教科書でも大学の教科書でも同じでしょう。
 但し大学の場合は、担当教官の語学に好みによって、数学が英語で授業され教科書が英語だったり、水力学や熱力学などは、ドイツの物理学者によって確立された学問ですから、教科書がドイツ語なんてのも珍しくありませんが、日本人である以上、基本は日本語、つまり国語なんです」
 「それはそうですわね。人を説得にするにしろ、納得をさせるにしろ、討論・論争においての極めて重きを為すのは雄弁の術ですわ」
 彼女は、私の目的を窺
(うかが)っているようだった。論理的思考が巧みのようだった。

 更に「どうして学習塾を遣っているのか」の問いに対し、これを資本主義経済理論の「市場は自由に任せればいい」という論説に基づけば、確かに自由に任せれば、それはそれで、落ち零れは落ち零れ並みに、何処に落ち着くだろう。やがて終熄
(しゅうそく)する。しかし、それは落ち零れとしての終熄である。
 こうならないためには、市場経済にも「介入」が必要である。これは自然林に介入して、ある程度の伐採をしておき、いい条件付けた後に、成長の自由に任せるという発想である。
 これをもっと具体的に譬えるならば、例えば夜間の電車の中で、誰か弱者が、酒酔い客から暴力擬いの難癖で絡まれていたとしよう。大半は、「そのうち」を期待する。やがて車掌が飛んで来て、鉄道警察に緊急連絡を取ってくれるとか、そのうち誰かが……という、「そのうち」を期待して、自分は何もしないことに決め、つまりこの受難ステージを成り行きに任せたとしよう。これで「今」の受難劇が納まるだろうか。
 やがて次に駅に到着して、酒酔い客は暴行罪などで逮捕され起訴されるであろうが、それは早くとも数分後のことである。今ではない。今直ちに終熄させることは出来ない。義憤に燃えている人なら、尚更、介入して暴力を停止させるべきだろう。
 資本主義経済、特に近代資本主義は、市場の自由の任せることが、ケインズ論理の主旨になっている。
 ところが、自由に任せて落ち着くまでには、自由だけでは即効性がない。時間軸を必要とする。
 その「即効性」を私と家内は、習志野時代の短い時間に「一人くらい居ても不思議ではない」という命題に取り組んで奮闘していたのである。劣悪環境は放置してもよくならない。介入して軌道修正を加えた条件があって劣悪環境は正常の戻せる。これ、落ち零れ塾の救済原理である。

 「したがって、うちの塾は、高校受験や大学受験を目指す進学塾ではないのですよ。もっと基礎的な、勉学姿勢指導をする塾なんです。補習塾といえば分り易いでしょうか。学校の授業に蹤
(つ)いて行けない生徒が来る塾なんです。机に向かう勉強以前の、勉強する姿勢を教えているのです。
 通って来る生徒が『勉学とは何か』だけの、この一つだけでも掴めば、やがてこれが知識を通じて、その生徒の学問に発展して行くのではないか、と希望を抱いているのです。そこから改めて、彼ら自身で勉学について考え直し、最初の基礎から遣り直すことに目覚めた生徒が一人くらい出て来てもいいではありませんか。
 こういう生徒が、一人くらい居ても不思議ではないと思っているのですよ」
 落ち零れに介入した教育機関は、これまでにあっただろうか。殆どなかった。落ち零れは放置された。
 現に、落ち零れに介入した「戸塚ヨットスクール」は“世間さま”の猛攻に遭い、閉鎖を余儀なくされたではなかったか。以降、落ち零れは救済されることはなかった。放置されて、彼らは荒ぶる神となり、犯罪と言う形で放置の怒りを打
(ぶ)ちまけた。放置された段階で、犯罪予備軍になってしまったのである。
 戦後の日本の一国平和主義標榜は、日本はこうして弱体化し、最後は締め出して、介入者を葬り去ってしまうのである。
 やがて真弓が鋭く突いて来た。
 「目覚める一人を期待したと言う訳ですか、それ、過去にありまして?」
 鋭い突きである。臨床上の効果の有無を確認したのだろう。
 「必要十分条件が起こり得た確認ですか」
 「ええ」
 真弓の形式論理学はアリストテレス以来の伝統的論理学のようで、命題の内容ではなく、形式のみに依存してその妥当性が決まる推論を体系的に突き止めようとしていることであった。形式論理学者の特長である。

 だが、私は文字が読める程度で終わらない。文字や読めただけでは方向性がない。人生を生きて行くための方向性である。何処に向かうか、目的地を明確にする必要がある。まず、その前に日本人のしての母国語の確認が必要だ。少なくとも新聞を読める理解力である。
 それには、新聞が読めるレベルであるが、文部省
(現在の文部科学省)の定義によると、中学三年卒業程度を指すらしい。
 もし、埋もれた層から必要十分条件は起こる条件としては、まず日本人として日本語が理解出来るという条件下に限る。国語力の基礎把握である。これを叩き台にして、行動を起こし、行為をする。それが切っ掛け作りであり、この偶然
(素材は埋もれていたのだから必然)が起こりうる確率から、動機付けをして行く。これを私は「元の素材に戻す復元」と、当時定理付けていた。元に戻るべき素材を見つけ出し、あるべき姿に戻す。
 これが私と家内の塾をはじめる切っ掛けであり、またこの切っ掛けを通じて、家内は、私の夢に一枚噛んで来た。それは籍を入れただけの結婚であった。それだけであり、他に望むことは何もなかった。
 馴初
(なれ‐そ)めは、私の掲げる『西郷派大東流馬術構想』の夢に恋愛をしたことであった。その手段として塾と言う職業を選んだ。塾は目的でなく、最終目的に到達するための手段だった。

 「私は大学を卒業して、一ヵ月間職にも就かず遊んでいましたからね。理由はいろいろあります。適当に喰って行けると高を括
(くく)っていたのでしょう。教師になりたい訳でもないのに、教員免許なども取りましたしね、当時の生き方は、いま思えばいい加減だったのでしょうか。そのいい加減人間に、ある日、ある高校に就職を斡旋をされたのです。仕方なく勤めることにしましたよ。ところが、この学校が酷かった。
 博多中の不良少女はかりを集めたそれは酷い学校でしたよ。辛うじて学校法人の体裁を保っているというようなところで、生徒は殆どが文盲でした」
 「文盲と言うと?」
 「小学校の算数の加減乗除が出来ない、分数が出来ない、第一、九九は言えない。アルファベットのAからZまで26文字が順に言えない。国語の漢字は殆ど読めない。文章がすらすらと読めない。
 それでいて色気付いて、まさに娼婦であり、大人びて、教室でタバコは吸うし、教室の窓枠のサッシは総て灰皿。教室の中は煙り濛々でしたよ。あなたの出た行儀の良い、お嬢さま学校とは天地の差……」
 別に厭味を込めて言ったのではないが、真弓はカッチと来た表情を示した。つい、口が滑って要
(い)らん説明を付随させてしまったが、それほど酷い学校だったと言うことを説明したかったのである。
 「いや、これは失言。とにかく赴任した学校が、強持
(こわ‐も)ての女子校だったということです」
 「それで?……」
 「奮闘しました」
 「結果は?……」
 次々に矢継ぎ早に畳み掛けてくる。雄弁の術を心得た手練の特長である。迫りのに、間を持たせないのである。話術の術者の妙技である。

 「結果だけ言いますと、私が担任をしていたクラスの生徒の一人が、突然変異
【註】ダーウインは突然変異を偶然の繰り返しの連続と論破したが、偶然は短期間に起こることはあり得ない。初めから在った必然である)したのです。それも『超』のつくワルが……。そして、彼女はその後、学校始まって以来の福岡県立女子大へと進み、卒業後、自分の母校の教師になっています。
 つまり、一人くらい居ても不思議ではない生徒が、生物学上のカエルや昆虫に見られる変態をしたのです。
 最初の基礎から遣り直すことに目覚めた生徒がいたのです。その変わる切っ掛けが国語学習にありました。世の中で最下位に位置され、落ち零れと揶揄
(やゆ)されるこの階級の救済がしたいのです。
 家内が毎日声を張り上げて、生徒達を叱咤激励するのは、総てこれに賭
(か)けて奮闘しているのです」
 「いいお話ですね。あたくし、これから身を引き締めて、国語を担当させて頂きますわ。自分でも、その任務と言うか、使命と言うか、それに賭けて奮闘する勇気が湧いて来ましたわ。遊び半分ではなく、真剣にお手伝いさせて頂きます」
 もしかすると真弓は国語だけでなく、それ以外の能力をもっているのかも知れない。隠して表に現さないのも話術の術だからだ。

 不完全帰納法は世の中に大きな誤解を与えている。あらゆるこれまでの該当実験は、科学的観察における帰納法であるが、これらは総てみな不完全帰納法である。更には人の体験から得られた法則等も、またその帰納法も、勿論のこと、総て不完全帰納法である。世の中は絶対に正しいとは限らない科学法則で動かされているのである。これに疑問を抱かないことこそ、世の中は煽動されて、その宣伝下に置かれ人民は操作されていることになる。

 言わば、これを数学的に表現すれば、数学的帰納法
(mathematical inducion)であり、数学的帰納法は総て自然数で成り立つ命題を証明するための証明法である。等差数列の和などもこれであり、ある自然数nに関する命題が、n=1について成立し、次に任意の自然数kについて、その命題が成立すると仮定すれば、k+1についても成立する。これはどんな自然数でも成り立つのである。つまり以上二つが証明されるならば、その命題はどんな自然数についても成立する。これを証明することこそ、命題を証明するための証明法なのである。
 それは反論にも耐え得るということである。
 私は、埋もれた存在から「一人くらい居ても不思議ではない生徒」と常に探し求めていた。しかし、私に耳を貸す者は皆無であった。それに同調したのは結局家内一人であった。数学的帰納法で言えば、この発掘と私が若い頃から掲げて来た『西郷派大東流馬術構想』の夢の中に「一人くらい居ても不思議ではない生徒」を求めて滾
(たぎ)るような奔走動機も、帰納法に回帰していることが分るであろう。

 だが、私と家内の情熱は、地域住民には理解されず、結局いちゃもんを付けられて「習志野所払い」を喰らってしまった。なぜ、この「滾
(たぎ)る情熱」が分ってくれないのだろうか。私の怒りである。

 「自分の足許を固めずして、現代日本人は日本人として自覚がなく、日本の文化や伝統、更には歴史と言った日本的なものを蔑ろにしています。自国の言葉が分らずして、どうして海外が理解出来ましょう。
 私は団塊の世代でしてね、幼稚園の頃や小学校低学年の頃は、敗戦の傷跡を引き摺った時代を生きて来ましたよ。物がなくって、給食の時間は欠食児童まで居ました。その後、給食は学校が給食費を徴収して出されるようになりますが、出て来る食品は、今とは随分と異なり、酷いものでした。
 牛乳などはなく、脱脂乳でした。脱脂乳ってね、牛乳から脂肪分をほぼ全部抜き取った後のもので、スキムミルクなんて呼ばれていましたがね。それに大学の寮生の食事には、牛肉ではなく、鯨の肉の調理したもので筋だらけの鯨の肉の中でも最低の物でした。寮に遊びに行くと、よく食事時間に、寮生らは『今日もスジラ』だといって、毎日の貧食を嘆いていました。
 牛肉が今日のように安く食べられるようになったのは、つい近年のことです。
 現に、私は学生時代は九州博多ですが、この地域には『物貰い』と言う階級が居
(お)りましてね、物乞いをして生活する人が最近まで居ましたからね。東京や大阪などの都会では、そういう物貰いや乞食は居なくなりましたが、地方では、今でも見ることが出来ます。(平成3年当時、渋谷の鉄橋下では、傷痍軍人のアコーデオンやギター演奏をして軍歌を歌う物貰いの集団を見たことがある)
 つまり、私ら世代は、生まれた時から物不足に鍛えられて育った世代です。
 ところが、今は違う。最初から、物で溢れれいる。色まで溢れている。
 科学技術の発達の御陰で、その恩恵を誰もが受けるようになりました。しかし、その背景の裏にあるのは、過剰便利と過剰快適環境と、更には母親の過剰保護が、日本人を自然から遠ざけているのです。
 もっと生の自然、もっと生の人間、つまり、自然とともに生きる人間世界の人間観こそ、これからの教育には必要でないのでしょうか。この大事を忘れて、日本人は日本以外の欧米文化のみに目を奪われて、それに追随して行くことになります。これ、訝
(おか)しいと思いませんか」

 「だから、英語以上に日本語を大事にしなければならないということですね。そのご意見、よく理解出来ますわ」
 「何故なら、日本語には言霊が宿っていますからね」
 そして言霊は話術の原点である。
 しかし、この言霊については後日、質問を受けることになる。
 日本人の言霊、段々廃れていくな、美しい日本語は消滅する運命にあるのだろうか……。
 そう思ったところで、列車は漸
(ようや)く津田沼に到着した。
 私の一日は、まだ終わっていなかった。その長い一日の終盤に掛かっただけであった。

 JR津田沼から京成津田沼へと向かう。二ヵ所の駅が離れているのが、些か不便であった。駅を出て歩道橋を通り、イトーヨーカドーの前の歩道を歩き、京成津田沼に向かわねばならない。これだけ不便であり、雨の日は些か難儀する。しかしこのコースも何百回となく通り、それ以外には京成バスに乗るかタクシーに乗るかであるが、この七時前後の時間帯は国道69号線が込むため何れを遣っても、殆ど時間的には変わりない。
 運良く電車が来れば京成線を利用した方が早い場合がある。バスも大して変わりないが、電車の方が停車駅が少ない。京成線では、大久保は一つ先である。そこで京成線をとなった。

 さて今日はとなる。悪ガキどもの暴走に目を配らねばならない。何処で何をしているか、注意していないと思わぬところから苦情が飛び込んでくる。塾閉鎖まで一ヵ月弱であるが、最後の有終の美が飾れるか否かは、バカどもの態度そのもので決まる。
 こうしたバカが集まる体質は、何も伝習塾以来のことでない。そもそも、こうしたバカは、既に昭和50年代の習志野網武館にあり、一時期、バカがものすごい勢いで殖えたと言うか増殖ことがあった。あたかも黴菌が増殖するようにである。

 昭和56年
(1981)4月、茨城支部で全国大会を開催したことがある。
 そのとき北九州からも道場生を70名ほど動員し、津田沼から大型バス2台と習志野網武館の道場生の車数台に分乗して、会場の競馬会の美浦厚生会館に向かったことがあった。このとき悪ガキのバカどもに、バスのシートを座席ごと破られ、また宿泊所の美浦寮の畳と襖をボロボロにされたことがあった。このとき、とにかく子供の数が多過ぎて統制がとれなかったのである。習志野網武館の少年部の数だけでも、当時は百名に迫る勢いだっただろうか。
 とにかく無茶苦茶、数が多いことを憶えている。
 このときの悪しき伝統が、そのまま伝習塾に引き継がれたという感じで、何となく悪ガキの掃き溜めになったと言う感じだった。

 それでも決して進化なしではなかった。遅々として進化の兆しは顕われていいた。その進化に向けて家内は心を砕いているようだった。
 個別指導であるから、学年は無差別である。横割りではなく縦割りである。その無差別を学年別に分類するのでなく、成績順に分類して年齢抜きの、3クラスに分けていた。ABC順であり、Aは成績上位者、Bは成績中間者。Cは成績下位で勉学の対する姿勢が出来ていない生徒。
 こうして分類してみると、AとCは少なく、Bの生徒が多いのである。それぞれの特徴は、Aはほったらかしてもある程度、自立して勝手に勉強を遣る方で、Cは根本から「人間として」と言うテーマで挑むから、実に手間が掛かり、Bは自立心が欠如していて、必ず講師2名以上が付いていて、何らかの方向性を与えねばならないのである。
 また、Aに入る生徒は高校生や大学浪人生、それに有名私立の小学校受験の幼稚園児。
 Cは中学生と小学校高学年の落ち零れ組。
 Bは高校受験の中学生で、Cほど手間はかからないが、しかし動物で言えばヌーのような集団であり、そこにはリーダーが居て、集団をリードし、方向性を与える者が要
(い)るのである。そして一番恐ろしいのは、この階層に、もし煽動者が侵入して集団を煽動してリードし、先頭に立って意図的な方向性を煽ったら、どうなるだろうか?……という懸念であった。操作され煽られ易い階級である。妥協や協調や、それに知識もそこそこ在り、文盲でない。知識に対しては広い理解力を持つ。高学歴すら持っている。
 しかし曲者は、この「理解力」であり、これは、これまで歴史の中で度々繰り返されて来た“仕方がない”とか“已
(やむ)むを得まい”というこの結論を導いてしまうことがある。中途半端な妥協や、協調性の置き土産である。日本人はこれに翻弄(ほんろう)され易い。
 近現代史を紐解けば、かつて“已
(やむ)むを得まい”を吐露して、連合司令長官・山本五十六の「真珠湾奇襲作戦」に嫌々承諾をしたのは海軍軍令部総長の永野修身でなかったか。これにより、日本は日米戦で大敗北をしたではなかったか。
 ある意味で、中途半端で「文盲でない」というレベルでは、時としてこうした判断を下し、国防を誤らせてしまうのである。

 現に消費社会においては、企画者が焦点を当てる対象である。物が売れるとは、この階級が格好の消費者になるからである。
 人間社会に置き換えれば、今日に一番多い「人真似
(ひとまね)人間」であり、この中間層は常に指導者を必要とするのである。また流行に流される体質をしているのである。
 指導者が方向性を示さない限り、自立しては動かないのである。方向性を必要とする集合体であった。此処にも大人社会の縮図があったのである。
 ただ、Cは常に意外性を孕
(はら)み、ちょっとした刺戟で、突然変異する奇異なる集合体で、その刺戟一つで善くもなり、悪くもなると言う素質があって、それは扱い方次第であった。家内はこの階級に執念を燃やし心血を注ぎ込んでいるようだった。

 斯
(か)くして、伝習塾は家内と越後獅子1〜3号までが今日一日を奮闘するのである。
 そして新戦力は真弓だった。
 塾の教官室は、学校の職員室と同じようになる。ここでは頭を合わせた全員が先生であり、名前だけをとって家内が千歳先生、上原小夜子が小夜子先生、勅使河原恭子が恭子先生、そして鷹司真弓が真弓先生だった。
 そして時間別に、それぞれのローテーションを組むのである。講師間の順次の交替システムである。
 では私はというと、オブザーバーで、何もしない。傍聴人と言うより傍観者である。ときどき抜け出して、コンビの前で屯している悪ガキどもを塾に連れ戻すのが役目だった。言わば補導係である。
 そのついでに、鳥屋の婆さまの店に立ち寄り、このビルの三階の居酒屋で、酒などをかっ喰らって、一杯気分で塾の戻るのである。時にはすっかり出来上がって戻ることもあった。

 今になって考えれば、この時期、伝習塾の女性講師群は、何か異状に滾
(たぎ)っていたと思うのである。
 一つの使命感をそれぞれが持ち、各自が認識する邂逅
(かいこう)によって、滾った一瞬一瞬に力が結束されていたように思うのである。それまでは各自がバラバラの環境にあって、教養度も生活習慣も、またその環境も違うのだが、伝習塾に集まると、一挙に結束し、同じ目的に向かって驀進していたと思うのである。そして家内も此処で遅い青春を遣っていたようだ。それが生き生きしている表情に顕われていた。
 このとき全員が元気で、溌溂
(はつら)さが眩(まぶ)しいほど輝いていたと思う。それが無慙(むざん)にも残された一ヵ月で燃え尽きようとしていた。燃焼し切る気持ちで、彼女らは同次元・同時代を生きていた。
 家内と真弓は遅過ぎた青春を、また上原と勅使河原は、今が青春の只中を生きていたのである。



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