運気 八門人相 房中術 癒しの杜 菜根譚 小説 会報Back No. 合気 蜘蛛之巣伝 死の超剋 霊的食養 心法
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続 壺中天・瓢箪仙人 3

人の上に立つ人ほど大抵、苦労人である。苦労人は自分本位の人間でない。自分を殺して、他人のために何かを尽くそうとする。
 尽くす気持ちの強い人ほど、逆に誘惑に強く、妖艶な色香にも簡単には蠱惑
(こわく)されない。

 一方、正義漢然として善人を装い、自分のことを「真面目人間」などと自称する者こそ、実は自己中人間で、全体より自分のことを優先して考える人間である。こうした人間の考え方は、全体がよくなって、それが自分の反映して、やがては自分のそのお相伴に預かるなどの気持ちが毛頭なく、先ず自分のために奮闘し、その奮闘の波及が全体に僅かながら波及すればそれでいいと考える人である。
 何事も「共同募金主義」の微々たる善意に徹する人である。自分の物を人に施すという考えの持ち主でないようだ。

 しかし、こういう考えを持った人は、少なくとも苦労人ではあるまい。マイホーム型人間であり、マイホームと言う殻
(から)に籠る人である。したがってこの殻に、他人が入って来ることも好まないし、他人が訊ねて来て、宿泊すると言うことも好まないのである。
 ただ自分のため、自分の家族のためだけに奮闘する。こうした考えの持ち主が悪いと言うのではない。但し、苦労人ではないのは明白であろう。
 本当の苦労人は自己中心的な野望に動かされないのである。したがって妖艶な美貌にも蠱惑されない人である。
 芯があって、本当に強い人とは、こう言う人のことなのである。


●価格の尖端

 東京で山手線に乗り換える。急いでいる訳でないから、内回りでも外回りでもどちらでもいい。早く来た方の列車に乗り込む。また中央線でもいい。あるいは中央快速でもいい。しかし中央快速は出発ホームが違っているからわざわざ階段を降りて上り、そこまで行くのが面倒だ。無駄な行動が重なる。
 そこで山手線を選ぶ。このホームでは先に来た方に乗る。総て運に任せている。一寸先の闇に対し、人智で一々考えないことにしている。闇には番狂わせが起こる。予想外のことが起こる。それを知れば、不思議も運命に任せる。無為である。意図的な行為しない。自然に委ねる。成り行きに任せる。

 この時間帯はラッシュでないから空
(す)いている。ラッシュなら、彼女は着物だから乗れない。くちゃくちゃにされる。
 十年ほど前、約一ヵ月間、蒲田と東京を京浜東北線で毎朝所用で通ったことがあった。この区間は殺人的なラッシュだった。山手線も京浜東北線に負けないくらいのラッシュアワーになるが、本数が多いために殺人的はならない。それでも着物の着崩れは否めないだろう。下車したときには着崩れで無茶苦茶になっているだろう。この時間帯に着物で乗る女性は居まい。
 この世の中では不思議で、説明の付かないことがいろいろ起こる。
 私はこれらの事に、無理な説明はつけない。況
(ま)して科学的体系などと言う西洋式自然科学観の“世迷い言”を信じない。体系を論(あげつら)って「科学的」と、二言めに豪語する科学的科学信仰の断片的解釈の詭弁に惑わされない。
 しかし科学を否定する訳でない。唯物論の優れた面も認めるし、唯神論に偏重している訳でもない。
 私の否定するのは、二言目には「科学的」という言葉を乱発する連中だ。
 例えば、高校『理科I』の物理に出て来る「フーコーの振子」の、その振動面が地面に対して回転してゆくかとか、「ケプラーの法則」の惑星運動三法則の問題一つ解けずして、「科学的」の語を羅列する輩
(やから)の科学的科学を認めないし、相手にしないのである。最たるは、煽動者の進歩的文化人らの言を鵜呑みにして入れ揚げるシンパの連中である。社会科学的歴史史観の善悪二元主義を担ぐ連中である。
 そもそも肉眼観察では、隠れた部分の藕糸
(ぐうし)は見ることが出来ない。体系主義は眼に見える部分だけを相手にする考え方である。有機的な藕糸部分を最初から無視して掛かっているからである。それでは字面を読んで、内面を洞察しないことと同じである。これでは藕糸を見逃す。隠された部分を是非、想念したい。
 説明の付かないことは吟味する必要はあろうが、努力した結果は「他力一乗」である。努力するだけしたら任せる以外ない。人間に出来るのは此処までである。以後の結果は、人間の知ったことでない。出て来た結果には興味がない。そこに至るまでのプロセスが肝心なのである。

 これは私自身のこじつけかも知れないが、起こったこと、現象に顕われたことは、深層心理に照らし合わせた場合、それ自体関連性が不思議として表出することに気付くのである。意味があって、理由があって、事象は起こる。だが人智では、これが観測されないだけである。
 これを有機生命体の、肉の眼に確認出来ない隠れた部分を「藕糸」と捉えている。肉の眼では観測不可能であるからだ。況して体系的科学論では無理である。説明がつかないことがある。
 人智で、したがってこれに説明をつけることは出来ない。肉の眼では測定も観察も出来ない。体系主義は藕糸を持つ有機的な繋がりを無視して掛かるからだ。
 現象界には、始めがあって終わりあるのでない。「今」は現象の一コマを見ているに過ぎない。一コマは、単なる連綿と繋がるワンカット現象に過ぎない。その大本は連続している。巨大な連結される輪の中に在る。一つの現象は何か意味があって存在している。

 例えばである。
 火事の夢を見たり、暗殺者等の刺客に追い回される夢を見ることがある。それらの夢を見て、最早此れまでという追い詰められた刹那を感じ、その一歩手前で「はッ!」として眼を醒ますことがある。そしてこれが、現実でなくてよかったと胸を撫
(な)で下ろすのである。
 その場合、私自身は既に火事の燃えている現場を目撃したり、あるいは追跡劇に遭遇したことがあり、これを経験や体験として脳裡に記憶している。それが夢の中で再現するのである。再現したいという脳裡体験は、時として未来の暗示となって、現実に起こることがある。この不思議を思うのである。
 合理主義者なら笑い飛ばして一笑に付すでああろうが、意外とそうでもない。夢の暗示が現実で起こったことを目撃したことがある。最初から意味を含んでいるからだ。見た夢は自己想念の裡
(うち)に存在していたのである。一つの未来予測だろう。
 しかし大半の「科学的」を信奉する人なら、種々の不思議現象を非科学的と一蹴するだろう。
 人間の行動は、総て自分だけがしているのではないと思う。
 自力以外の他力が加わっていると思うのである。何処かに他力が加わっている。私はこの他力を天命と解釈し、この他力こそ「他力一乗」と定義付けている。
 この世には人間以外の「何か」の力が働いているからである。そして人間も予期しない特異点が起こる。
 また、この現象界に起こる特異点は、どんでん返し”的な事象は、決してデータ情報の解析で予測出来るアルゴリズムの圏外にある。その証拠に、科学万能過信する時代でも、数日後の天気予報も、地震速報も、また選挙予測も適確に的中させることが出来ないのである。誤差が生じるのである。それは人智では運命予測の時間と位置が性格に特定出来ないからである。アルゴリズムの泣き所である。
 したがって人間の行動は、自分の意志以外の「何か」によって左右されている。肉の眼で確認出来ない藕糸の部分が隠れているのである。

 そういう感想を抱きながら、意志とそれ以外の他力の働きで、先ず新宿紀伊国屋に行って、自著の売れ具合を確かめ、その売上数を確認した後、武道書籍やビデオの類を眺め、一通り見て、その足で神田神保町の古書街をうろつく予定で今日の行動予定をセットしていた。
 そして私に貼り付くように蹤
(つ)いてくる真弓が、武道書籍のコーナーで奇(く)しくも、私の本を手にしていたのである。その本は以外にもよく売れた『大東流合気武術』(愛隆堂)と次回シリーズの『大東流合気武術2』であった。その本のカバーを見て、私の貌と見比べたあと、「先生って、お偉いのですね」と訊くのである。この訊き方は些か皮肉気味であり、バカにした風もあり、あるいは言葉に、見下す嘲笑が籠(こ)っていたのかも知れない。
 更には、運が悪いことに、よりにもよってビデオコーナーで『大東流合気武術』
(BAB出版)の手にして早々とレジで支払いをしているのである。
 《よりによって、なんと言うこった……》と唖然としたのである。
 そして袋に入れて貰って、私にこう言うのである。

 「あたくし、先生の売り上げに協力しましたわ」それは、更に嘲笑と皮肉が籠っているように思われた。
 「そんなもの買って、どうするのですか」
 「あたくしが、拝見致しますの」と、やや冷ややかに云った。
 「まあ、見るのは、あなたの勝手でしょうが、それ、ちっとも面白くないですよ」
 「覚悟の上ですわ」
 「出演者は俳優でなく、『超』ド素人の下手演技のオヤジどもで、そのうえ娯楽性ゼロですよ」
 私が演武と言わなかったのは、武道などの経験者でないとその意味が釈然とせず、演技と言った方が分かりやすと思ったからである。また現代はスポーツも武道も、現代は境目のない時代である。総てがごちゃ混ぜになって、その触手は芸能界と地続きになっている部分がある。その意味からは、既に演武は死語であり、巧く立回ったとしても、それは演武でなく、演技であろう。約束上の活劇アクションである。昨今はこの演技が上手いか下手を問われる時代である。見世物役者としての演技性が要求される時代である。
 斯
(か)くして古典の純粋性は消去されて行く。それは伝統の消去でもあった。

 「分かっておりますわ、これを漫才や落語のビデオの類とは思っておりませんから、どうぞお構え無く。面白くないのは百も承知の上ですわ」
 「今だったら返品可能ですよ」
 「分っておりますわ……」
 「見て面白くなくても、その後に、私に金返せと言っても返金しませんよ。私の印税は定価の僅か10%ですから……」
 「そうでしょうね」
 「取るに足りない下手な役者ですから」
 「ええ、存じておりますわ」
 「詐欺だ、ペテンだ、インチキだと言い掛かり付けられても、責任とれませんよ」
 「それはそうでしょうね」
 「じゃあ、どうして?……」
 「さあ、どうしてでしょう……。あたくしの気紛れでしょうか」何か含んだような嗤
(わら)いをした。
 その言い方が、あまりにもツンツンしていたからである。何かに腹を立てているようだった。
 私は全く彼女の心境が分からずに居た。時として気紛れを起こす、こうした行動が、私にはよく分らないのである。

 次に新宿から神田へと向かった。神保町の古書街に行くためである。
 ここでは以前から狙っていた哲学書があった。それはドイツの哲学者のハイデッガーの名著『存在と時間』である。この本には、人間の本質とその構造が論じられ、時間性として実存論的に分析した本である。
 更には継続書の『形而上学とは何か』『哲学への寄与』『ニーチェ』であり、これらの中には「死」についても論じられていた。死の哲学があった。
 全集を買おうと思ったが、以前は価格相当分に、少しばかり金銭が不足していたために購入の機会を逃していた。そこで、このとき思ったのである。

 もう直、豊橋に引っ越しをする。引っ越した後は度々来れなくなる。
 豊橋から自費で通うとなると、私のことだから、豊橋から各駅停車の『こだま』で一旦名古屋に戻り、そこから『ひかり』で東京に出ることになる。その上すっかり、贅沢と横着に胡座をかいてしまった私は、大人しく新幹線の自由席
(普段から貧民窟と呼称)とはいかないだろう。どうしてもグリーン車を利用してしまう。
 極楽トンボになってしまった今日この頃、予備校を経営していた頃のように金銭にはシビアではなかった。頭の中は目算での“どんぶり勘定”だった。むしろ、その懸念があったから、今のうちに欲しい物を仕入れておこうと思ったのである。書籍の買い出しは度々出来なくなる。
 いつの頃からは、活字に餓えた人間への変貌していた。かつては活字にはそうでもなかったが、習志野に夜逃げして以来、退屈紛れに進龍一の蔵書を読み漁ったことから、訳も分らず豹変してしまった。
 この豹変を、「君子豹変す」といきたいが、君子でない私は、決していい方向に傾いたのではあるまい。退屈という気紛れから、このように変わったのかも知れない。そもそも根が愚である。

 もっと本が読みたい。いろいろな偉人の頭の中を覗いてみたい……。
 この行動自体、私の願望による意志であろう。学究欲である。知りたい欲望に駆られる。
 学の無い私は、学び足りない自覚症状が強かった。本を読めば読むほど、世の中にはこう言う偉人がまだまだ居ると気付かされるのである。そして時折、文武両道、友文尚武の偉人に出会うと、心から心服してしまうのである。
 例えば、世には余り知られていない川路利良
(かわじ‐としよし)のような人である。
 この人は日本の警察制度の創始者で薩摩藩士だった。大警視となり、大久保利通の腹心として明治政府の維持に努めた人であった。大警視であり、陸軍少将だった。西南の役にも陸軍少将を兼任し、警視隊で組織された別働第三旅団を指揮した人である。維新後、西郷隆盛の招きで東京府大属となり、同年に権典事、典事に累進している。その後、フランスに留学し、帰国後、警察制度の改革を建議した。フランスの警察制度を参考に日本の警察制度を確立したのである。
 西南戦争以前の明治六年
(明治6年/1873)、西郷は『征韓論』に破れ、野に下る。
 同時にその年には薩摩半出身の森有礼が『明六社』を立ち上げている。そこに文人らの在野の著名人が集結した。西村茂樹、福沢諭吉、西周
(にし‐あまね)、加藤弘之らを同人として結成された日本最初の学術団体である。
 言わばこの連中は、日本フリーメーソン支社の代表メンバーのオールキャストである。
 特に、啓蒙に関して大きな影響力を及ぼし、各業界からの学術者を取り込んで思想の流脈構築に鼓吹し、一方で政府に対する言論暴動なども画策した。この結社からは政府批判の文人が多く排出した。またこの分派から北村透谷
(きたむら‐とうこく)や高村光太郎のような、現在の進歩的文化人の先駆けも排出することになる。後に家永三郎のような左巻きが日本の報道界を左側に煽った。更にこの旋風は教育現場にも顕われた。
 外圧が進歩的文化人を利用したのである。この仕組みが、既に西南戦争
(明治10年/1877)当時には濃厚になり始めていたのである。啓蒙進歩派の『明六社』と無縁ではあるまい。
 そもそも森有礼は薩摩藩士の出であった。西郷と対峙する暗躍構図があった。森有礼は「日本の国語を英語にするべきだ」と豪語した人物である。
 爾来、日本の国語を英語にする運動は今日まで継続されている。森有礼は当時、欧米のフリーメーソン勢力に取り込まれた観がある。それはあたかも先の大戦での、レイテ沖で敵前逃亡した第二艦隊司令長官の栗田健男海軍中将の如き、イギリスのMI6
Military Intelligence section 6/エムアイシックス、 軍情報部第6課)に吹き込まれてインスパイア(inspire)されたのに酷似する。
 このようにして、日本では幕末から明治初期に掛けて、欧米勢力が暗躍していた。至る所に工作の罠があった。それはあたかも内戦の様相を呈していたのである。治安が乱れても当然であった。欧米に啖
(く)われる構図があったのである。

 また、それを前後として、日本各地では不平士族の反乱に悩まされる異常事態が発生していた。この鎮圧に川路は乗り出したのである。内務卿となった大久保利通からの厚い信任を受けていた。
 この時代、不平士族の「喰違いの変」や「佐賀の乱」などが起こり、そこに密偵を放って反乱の動向を探った。単に、正面から正攻法で叩くのではなく、内部から啖
って行く奇手を盛んに用いた。
 これらの奇手には警視隊から選抜された抜刀隊が活躍して西郷軍を退けるのであるが、この抜刀隊の中に薩摩藩に遺恨を抱く、旧会津藩士の佐川官兵衛などの腕に覚えがある剣客を組み入れたことである。普通なら、絶対に遣らない奇手もと言える。本来ならば薩摩と会津では、坂本龍馬の工作で薩長同盟がなった後、犬猿の仲であったからだ。それを川路は用いた。川路の鬼才だろう。
 しかしこれは表面上のことに過ぎない。ただ華々しい功績を羅列したに過ぎない。
 問題は、この裏側に有機的繋がりを持った藕糸の部分である。多くの歴史家や伝記家が見逃す部分である。
 私は川路のそういうところを評価しているのではない。

 川路は警察制度構築以前は、薩南で直影流道場で遣い手として知られる人物である。
 「蛤御門の変」に加わった頃、まだ西郷とは懇意でなかった。その頃、川路は十人ほどのメンバーからなる比志島
(ひしじま)隊を率いて有名を馳せることになる。川路は鹿児島生まれで、比志島の生まれてある。
 この比志島という地は、美濃国守護職・志田三郎左衛頼重
(しだ‐ざぶろうざえもん‐よりしげ)の謫(たく)せられていたところであり、頼重は島津久光に扶(たす)けられて、この地に棲んだ人物である。川路はそこに生まれている。
 川路は維新前まで屋敷内に道場を造り、武芸に励むとともに、門人達にただ剣を指導するのでなく、剣の裏付けとしての人格と品格の養成のために詩経、読書、算術、習字などを指導したことである。二十歳を過ぎるときまで教えることで、自分も、人に教わることを学んでいたのである。
 川路は密偵を能
(よ)く使った人物として研究家の間では知られるが、私はそういう事以外に、川路に人間形成に関わった詩経を通じた読書術である。この読書術に興味を抱いたのである。

 習志野に夜逃げし、進龍一の蔵書を読み漁る以前は、川路なる人物の存在すら知らなかった。
 私も十八歳の大学一年の時に道場を構えたが、このときの道場指導は、単に技術面の技法に関することのみであった。人間の統率法とか、講話術とか、人格や品格などという人間学は指導外にあった。
 しかし、習志野夜逃げ以降、自分の考えが軽率であったことに気付いた。爾来
(じらい)考え方は180度方向転換してしまう。
 これまでの無学は思い知らされたのである。単に「大学は出たけれど」という、その程度の無学の人間に成り下がっていた。大学は出たが、何一つ実学は学んでいなかった。その後、大学院に進み、数学者になる野望は抱いていたが、それも途中で挫折したことで、軽々しい野望など木端微塵
(こっぱ‐みじん)に打ち砕かれたのである。
 その軽さの一つに、自身が「無学の徒」であることに気付いた。何一つ学んでいなかったのである。
 一応「大学は出たけれど」の知識は、それなりに詰め込んでいたが、この知識を智慧に変換させて、智慧を見識までに醸成させることを知らなかった。
 見識無くして胆識など生まれない。つまり人を束ねる統率術である。人を説得する説得術である。
 この術を知らずして、また学ばずして、人は蹤
(つ)いてこないし、人望も得れない。狭い範囲の専門バカでは何の価値もないのである。その無学の愚に気付いたのである。
 私はこの時代まで無学だった。自分が「大学は出たけれど」の、その種の無学の徒であることに気付かなかった。
 その無学の徒を覚醒させてくれたのが、進龍一の厖大な蔵書に一部に在った『詩経』であり、中国最古の詩集はその他、諸子百家の読破へ繋がっていったのである。
 もし川路利良のことを知らねば、私はこの大事を見逃したまま、もう直
(じき)七十に手が届く歳まで「無学の徒」して自分の人生を無意味に過ごしていたことであろう。あるいは無学のままで、早々と死んでいたのかも知れない。
 奇しくもこの歳まで生き残ったのは、学びの中に、佐藤一斎の『言志四録』にある「少
(わか)くして学べば、壮にして為(な)すあり。壮にして学べば、老いて衰えず。老いて学べば、死して朽ちず」の、この境地が理解出来たからだが、気付かねば早々と末期病で死んでいたであろう。
 学ぶことが私を救ったのである。その唯一の救いが読書だった。つまり「学」の中に人間と知っておかねばならない教養面が存在したのである。

 私は、この教養面について先の日本軍が、なぜ先の大戦で敗れたのか、そのことについて考え、研究したことがある。その研究の中で分ったことは、戦略を展開する首脳陣に教養があったかどうかの差が連合国軍側との勝敗を分けたような気がするのである。
 つまり、日本軍は陸海軍併せて下級の将兵を指揮する高級将校の教養面が欠落していたことだった。
 将校の質は、明治期の大半が武士の血を引く気骨のある戦争指導者に対し、時代が下って昭和陸海軍の戦争指導者達は教養面が著しく欠如していたように思うである。戦略とか戦術を単に軍事知識のみで理解した戦争職人程度のレベルでしかなかった。人を率いて人望を得るというそういう人間面が、欧米の将校に較べて劣っていたのである。武張って夜郎自大な面ばかりが前面に打ち出されていた。

 かつて日本では最難関と言われた三大難関は“高文
(こうぶん)”といわれた高等文官試験と、陸軍の“陸士”といわれた陸軍士官学校と、海軍の“海兵”といわれた海軍兵学校の入学試験であった。日本ではこの合格者に対し、文句無く無条件で平伏した。したがってこの合格者には、批判をすることすら赦されなかった。それは新聞記事を見ても明らかだった。政府の高級官僚に対しては、ほとんどいちゃもんが付けられなかったし、これにいちゃもんを付けるようなサムライは新聞記者の中では殆ど居なかった。彼らが批判の対象にしたのは、政治家や実業界の実力者や成金で金儲けしたその種の人間であり、最難関突破者には沈黙したのである。
 現代の日本では“高文”に代わる最難関は「国家公務員採用I種試験」である。そしてその合格者に対してはかつて“高文”や“陸士”や“海兵”の合格者に対して殆ど批判しなかったと同等、I種試験合格者にも批判の眼は向けないのである。
 “世間さまの目”とは、こういう眼で世の中を見回しているのである。
 ある意味で、韓非子が言ったように、この中には亡国の暗示がある。つまり亡国の中には、極度の高度に専門化が進めば、その中に亡国の種子が含まれていることを指摘している。専門バカの愚であり、この愚には教養面が欠落していることである。

 私の知人の一人に、あるアメリカの大学の教授が居る。この人は大学教授になる以前は、あるハイスクールで理科の教師をしていて、また趣味のバスケットボールを活かしてこれを指導をしていた人である。
 この人がハイスクール教師時代、選手達の試合出場選抜について、学業を疎かにして、ただバスケットの身体能力があり、その範囲での選手は決して試合に出さなかったと言う。
 理由を訊いてみると、どんなに無理をしても、あるいは過酷なトレーニングに耐えられたとしても、怪我もせず病気もせず、将来、プロバスケット選手になれれば、それにこしたことはないという。ところが、そう言うの選手は稀
(まれ)であろう。
 万一怪我をしたり、病気をしたり、それが長引いた場合、どんなに優れた技術を持っていても、それで一生涯食うだけの特異な伎倆があれば別だが、怪我をした選手、病気をした選手は出場メンバーから外され、試合経験も乏しくなり、やがて世間から忘れ去られる。その時に、バスケット以外に何か特異なものを持っていなければならない。プロバスケット選手で一生涯飯を喰える人は稀である。

 大半の人は、その才能や素質があっても、選手への夢が断たれた場合、企業などに就職をして、それで生活の糧を得ることになる。その糧を得る方法として、必要になるものは何かと言うと、幅広い教養だと言う。つまり学問の必要性を生徒に教えたのである。そのために学業を疎かにし、ただトレーニングだけに励んでいる生徒を除外し、成績が上がるまで正式メンバーには加えなかったと言う。
 彼の判断と指導は正しかったと思うのである。
 私も、このことは習志野に夜逃げして、始めて思い知らされたのである。拙い武術指導以外に、自分は急遽の職として、何が出来るかとなると、これまで遣って来た予備校の延長くらいしかなかった。そのとき私が夜逃げした先が、進龍一の庇護で、奴の塾で底辺の講師として雇ってもらったから何とか喰えたが、そうでなければ、私はどういう仕事に就いていただろうか。
 翌年の2月からは、家内も習志野に呼んで、『伝習塾』という学習塾を遣らせてもらったが、もし奴が塾以外の仕事に従事していて、一般的なサラリーマンだったら、私は何の職も就くことが出来す、疾
(とっ)くに餓え死んでいたかも知れない。今のように神田界隈でほっつき歩き、古書漁りも出来なかっただろう。
 あるいは肉体労働くらいしかなく、躰を壊し、そのうち病んで死んでいたかも知れない。その場合、家族を道連れにすることになる。
 今更ながらに、佐藤一斎の言葉が身に滲
(し)みるのである。
 私は、特にこの言葉のうち、「老いて学べば、死して朽ちず」のこの箇所が好きなのである。
 これは歳を取っても、表皮のサプリメントに依存する若返り健康法に奔らず、中身、それも頭の中身からリフレッシュさせる秘訣があると思う。内側からの心的改造である。そうしたものは表皮を繕
(つくろ)うだけでは、何れ化けの皮が剥がれてしまう。その持続時間は短い。かりに効果があっても一時的ものであろう。
 健康寿命は、サプリメントに依存することで得られるのでなく、自らの頭脳を遣って、死しても朽ちないように、老いて学ぶことにある。金と物に頼った健康寿命は付け焼き刃で終わる。

 その日も欲しい書籍を求めて、神田神保町の古書街にいた。この辺は古書店だけでなく、私の知っている出版社も多い。愛隆堂にはよく足を運んだ。この当時も神田界隈によく足を運んだものである。習志野時代は繁く脚を運んでいたように思う。学ぶためにである。
 しかし、狙っていた本が残っているかそうでないかは、運であろう。願望だけではどうしようもない。
 最初の願望は確かに自力だが、後者は他力である。意志とは関係なく、有るか無いかの運だけである。
 気に入った読みたい本があると、値段には関係なく買うことにしている。そのため所持する本が徐々に殖えて、今では足の置き場がないほど周囲には本が積み上げられており、また自宅の壁という壁は、殆どが本を詰め込んだ本棚になっている。
 世の中には本を殆ど買わず、本の所持は最低限度の量しか持たないと言う人がいるが、私は如何なる本も絞り込んでそれを最低限度にするか、まだまだ決めかねている。時折、図書館で本を借りることもあるが、図書館の本はあまり好きではない。期限内に変換せねばならぬ面倒もある。この制約が好きでない。おまけに自分の本なら書き込みが自由だが、公の本は個人の財産でない。そのため自由にならない。

 しかしである。
 公の本であることを知りながら、これを無視する輩
(やから)が居る。
 特に、自分が読もうとした本に、時折鉛筆で書き込みをしている無礼者を発見することがある。酷い者になると、ボールペンで書き込みをしていることがある。あるいは赤色のペンで棒線を引いたり、波線入で横に独断と偏見による註釈などを付けている。自身の見解で註釈を付けるのは勝手だが、それを、貌も知らぬ第三者に読ませるとは何という傲慢であろう。こういう傲慢を見ると辟易するし、腹も立つ。
 こうした場合、図書館の本には誰が書き込みの犯人か特定することが難しい。あたかも、ネット掲示板の匿名提示を髣髴とさせ、姿を晦
(くら)ませているからである。世は、無責任なる便所の落書き時代である。

 私は、かつて煽動術の一つに、『近代煽動術』として「図書館の本に企てることを記載して、全く貌も知らない第三者に自論を展開し、それで賛同者を得る」という方法があることを知った。今日で言う匿名掲示である。この遣り方は、今日ではネットに掲載して、同種の賛同者を得るテクニックが遣われている。
 このテクニックは借りる人が多いと、予測される書籍に書き込むという遣り方の発展型であろう。ネットの掲載は、そういう同調者を求めてのことである。つまり間接的近代煽動術である。

 以前この本を借りた人物は、どういう思考の持ち主だろうと推理したりする。そこまでご丁寧に註釈を付ける以上、それを推測してみたくなるもの人情である。
 果たして図書館で公共物の本を借り、読書する権利があるのだろうかと、その人格と品格を疑ったりする。本に書き込みをしたいなら、自分で本を買えばいいのである。それをせずに、書き込みをするとは如何なる人物か。公私のけじめはあるのか。
 おそらくこの人物は、本に一々註釈を付けるくらいだから、自分の知識を誇りたいのだろう。しかしこの註釈が的外れであったり、稚拙な内容であったりすると幻滅を禁じ得ないことがある。何か不浄に穢されている思いがするのである。実に不快感を感じる。そういう本に当たるのが厭になり、最近は、本は図書館のものを借りず、一先ず図書館で閲覧して、内容に興味がわいたり、もっと深く探求して研究してみたいと思う場合に限り、次に本屋に行って同じ物を買うのである。

 あるいは新書になければ、神田神保町の古書街を尋ね歩き、学究に必要な本を買い込む。そしてその金額が大きくなると、時には数万円から数十万円になってしまうことがある。読んでみなければならない本は、どうしても手に入れ、同じ本を数回、読み直すことがある。
 一回読んで、時たま、ふやけた内容の本に遭遇したときは、一回限りで焼却炉行きになるが、いい本は繰り返し読むため、ボロボロになってしまうこともある。本の装丁や綴じ代
(とじしろ)の部分が崩れ、それを更にドリルなどで穴を欠け、凧糸で自己流の縫い合わせをしたりする。そうなると、初期の頃とは違った形になってしまうが、それでもその本は決して捨てることはない。そういう本こそ、繰り返し読んでも飽きることもなく、愛着もあり、また繰り返し読めば、あたらに新発見して、以前とは異なる感動を受けることがある。

 しかし、最近はそれだけ繰り返して読み替えさせる本が少なくなった。どれもこれも商業主義に乗って、内容の多くは、実にふやけたことばかり書いている。文字の羅列に過ぎない。心に迫る鋭さがない。大半が不倫小説的である。それだけにふやけている。
 命に関わるような……、そういう迫力のある本が少ない。それに較べると、中国の古典物や中国古代の思想物や哲学物、それに日本陽明学はいい。恐ろしく迫って来る。魂を覚醒させる。
 こういう時代であるからこそ、迫って来る言葉の中に端的な手掛かりを掴みたい。小難しい論理などどうでもいい。鋭く迫るものが欲しい。私はこの時代、そういうものに餓えていた。

 「先生は、ご本が好きなのですか。あるいは読書家なんですか」
 「本は別に好きではない。本の中には、隠者が居ることが好きなんです。それを探し出したときに感動します。偉人に人生を教えられます。それが本の中に居る隠者です」
 「本の中に隠者が居るんですか?……」
 「本には隠者が数多く潜んでいるのですよ」
 「あたくしには、よく分りませんが……」
 「時折、本を読んでいて、思わぬ隠者に出くわすことがあります。その邂逅
(かいこう)を求めて本を読むのです。別に本が好きと言う訳ではありません」
 「どのような邂逅があるのですか」興味津々とした貌で訊いて来る。
 「人は、僅かな家族と友人との中で生きている。接するのは僅か人です。しかしそれだけでは寂しい。それに、こうした人達は自分が窮地に陥ったとき、的確な回答をしたり、助言を与えてくれるには人生経験が貧弱です。友人に打ち明けて話したところで、お囃子の間
(あい)の手です。単に相槌に過ぎません」
 「でも、打ち明けることで、少しは気持ちが落ち着くのでは?……」
 「それで、解決するでしょうか」
 「解決までにはいかないでしょうが……」
 「そこで私は、死ぬか生きるか、深い、重い本を読むのです。命に関わるような迫力のある本を」
 「迫力のある本とは、例えば?……」
 「そうですねェ、『聖書』などはどうでしょうか」
 「聖書?……」頓狂な声を上げた。
 「あるいはジャンジャックルソーの『懺悔録』とか、司馬遷の『史記』とか、クロポトキンの『ある革命家の思い出』に併せて、『論語』や『老子』、それに『酔古堂剣掃』とか『十八史略』、また中江兆民の『一年有半』とか、またホーソーンの『緋文字』もいいですね」
 「随分と堅いものばかりですね」
 「もっとカチカチだったら、道元の『正法眼蔵
(しょうほうげんぞう)』は、どうでしょうか」
 「カチカチ過ぎて、何だか肩が凝りそうですわ」
 「あなたは国文の出身なのでしょう?」
 「でも、肩凝りを催す堅い本は、あまり躰には宜しくないのじゃありませんこと」
 「生命が緊張している時です、進退窮まって跡がないのです。こういう場合、カチカチの本でいいのです。大難に臨んで、少しも心を乱さない本がいいのです。惚れた腫れたの恋愛物や、セックス三昧で離婚騒動に発展する、すったもんだの不倫物などの、ふやけた本を読むと、緊張時に得るものがありません。愛の園に入る前に、最初から失楽しています
【註】某作家の『失楽園』を捩った)。こんな種では魂が弛んでしまいます。そのうえ緊張を弛める本には、その中にアドバイスをする隠者が隠れていません」
 「その、隠者があたくしには、よく分らないのですが……」
 「人間は、だらだらとしたふやけた、甘っちょろい世界で生きているのではありません。この社会では、誰もが一歩間違えば、命に関わる世界で生きているのです。命に緊張が失われて、弛んでしまえば不幸現象に遭遇します。ボケもその一つでしょう。この世の社会生活というのは常に危険が孕
(はら)んでいます。人類の歴史を見ても、人の世で危険のない安全な社会が一度でも存在したでしょうか、そんな社会は何処の国でも、一度も出現しかなった。この世界の住民は、ある種の契約を社会と結んで生きているのです。社会通念と言うのがその契約です。この契約の中では絶対に危険は認めなけれならない。それは絶対にです。万一の場合、殺されることも容認しなければならない」
 「災難や天変地異などですか?……」
 「もし運悪く、不幸現象に見舞われたとしましょう。あなたは、その禍
(わざわい)が自分の身に降り懸ったとして、それを社会の何処に訴えますか。おそらく訴える先はないでしょう」
 「そうですね、その通りですわ」
 「そういう訴えることがあるとしたら、その社会では犯罪者や弱者を完全に淘汰して懸かるでしょう。そういう社会はナチズムが渦巻まいています。一番怖れなければならない社会です」
 「それでは強者の奢
(おご)り昂(たがぶ)った社会になりますね、よく分りましたわ」
 「本の中に隠者が居ると言ったのは、危機に陥った時に、短い言葉、つまり、たった一行の言葉で一隅を照らしてくれる短い言葉なのです。本の中に居る隠者の、たった一言が思わぬ光を灯
(とも)してくれるのです。人間は誰しも心に悩みを抱くとき、心の支えになるものを欲しがるものです。その一言が、今の自分の必死を救うことがるのです。人が言葉で救われるのは、理論家の小難しいダラダラとした長ったらしい論文調の中にあるのではありません。たった一行、あるいは数文字の言葉で事が足りるのです」
 「いいことを聴きましたわ」
 そこで、《では、講釈の木戸銭を払って下さい》と言ったら、これまでの発言は水の泡になるだろうか。一瞬不埒なことを考えていた。

 この日もそう言う本を求めて、古書街を散策していた。
 その後、お目当ての本屋に寄ったが、そこでは私が買おうとしたハイデッカーをはじめとした西洋哲学系の書籍はなく、それに代わって哲学書コーナーには、中国古代の春秋戦国時代に現れた多くの思想家
【註】諸子百家のことで、儒家、道家、墨家、法家、名家、農家、縦横家、陰陽家、兵家、小説家、雑家の総称)のグループが勢揃いしていた。その部分だけひと束(たば)ねしていて、40万円の定価が付けられていた。この40万円に唸ってしまったのである。しかし唸っても仕方ない。やはり買うしかない。

 ちなみに、平成3年当時の40万円と言う金額は、一般サラリーマンの平均月収の2倍から1.5倍程度であった。普通、この金額の金を持ち出して、古書を買うなどと女房に告げたら、それだけで大喧嘩になろう。恐妻家ならば尚更だ。忽
(たちま)ち罵詈雑言を頭から浴びせられ、「買ってもらわなくていい!」の一蹴で終わりだろう。
 こういう現場を、私は何回か遭遇したことがある。
 現に私は、現在の尚道館の玄関を刀屋の店舗に改造している。
 娘が「将来、刀剣商として美術刀剣に関わってそれを職業にする」というので、今は日本刀の勉強をさせている。娘は古物鑑札が取得しているが、それだけで刀剣商が遣れると言う訳でない。それを裏付ける眼力を養わねばならない。今はその勉強中である。
 娘の願いに応じて、尚道館の玄関を刀屋に改造した。延べ十畳ほどの刀屋である。此処に五十振りほどを刀剣を常時用意している。
 わが店には時折、夫婦連れの来客がある。
 来客の亭主は買う気満々。一方女房の妻君は、何とか亭主を思い止まらせようとする。そして夫婦間で、買う、買うなの鬩
(せめ)ぎ合いが起こる。
 そういう客でも先ず上がってもらう。亭主の言に従い、刀剣の何振りかを、上がってもらって広いところで鑑
(み)て貰う。
 もともと造りは道場なので一般の民家と頃なり、その広さは充分で、昔の一番広い畳で50畳強ある。そのゆったりとした道場で、夫婦どもども鑑て貰らうのである。予算を訊けば、普通上限は50万円前後が多い。
 要望にあった50万円前後の手頃な刀を鑑てもらったあと、暫くすると、夫婦は恥じも外聞もなく、何と、夫婦喧嘩を始めるのである。そもそも来店以前に、亭主が女房を黙らせ、買う段取りが確
(しっか)りと付いていない。女房の「丸め込み工作」が出来ていないのである。
 ここに来て、買うの買わないのと揉
(も)める。つまり人の家に来て、夫婦喧嘩を始めるのである。そういうものは「うちで遣れ」と言いたい。

 刀などあってもなくても、日常生活を送る分は何の支障もなく、また必要性もない。日本刀など、一般サラリーマンからすれば、趣味の鑑賞を除けば無用の長物だろう。
 夫婦喧嘩の内容から察すると、妻君は、どうやら薄利多売のディスカウントショップが好きなようだ。
 一方オヤジは、刀が欲しくてたまらない。居合か剣道の愛好者のようである。そして挙げ句の果てに、呆れるのだが、空いた口が塞がらない犬猿の仲のような夫婦喧嘩をおっぱじめる。選
(よ)りに選って、こうしたところまで来てである。
 こういう喧嘩も、趣味の相違からサラリーマンの夫婦に多いようだ。

 生活には不要な日本刀購入を、ぎりぎりの金でやっているから無理もないことだが……と、少しばかりの同情もあるが、要するに潤沢な資金がないからであろう。月給の多くはマイホームやマイカーのローン返済に喰われるからである。そのうえ就学年齢の子供が居れば、学校以外の教育費も掛かる。更に子供の学費やその他の支払いもあろう。その中から、生活には必要ない日本刀を買おうとするのである。何処かで無理をしていることが分る。これでは売る方も苦慮する。購入後の返却トラブルも少なくない。そこで、素人や一見さんお断りとなってしまうのある。
 これは業者同士で交わす刀剣会情報などにも挙げられる。結論としては「世帯持ちのサラリーマン相手では商売にならない」というのが定説になっている。余裕のない人に売らないという商法である。
 レベルの高い理解者にこういう日本古来に美術品は売りたいものである。売手も客を選ぶのである。
 そこで金持ちとなるのだが、刀に付加価値を付けるだけの目利きでないと、世界の富豪からは相手にされないと言うのも実情のようである。

 平成3年当時のこのとき、家内に「本を買いに行く」と言ったら、限度枠で40万円出してくれた。一言も云わずにである。愚痴も小言も言わなかった。釣り銭も、持って帰ってこいもなかった。「本を買いに行く」の鶴の一声で、40万円出してくれた。
 家内はおそらく綿密な計算をした上で、亭主のために提供出来る金額の上限が、これで精一杯と思ったのだろう。あるいは毎月、コツコツとへそくりしていた金も併せて、本日の提供額は、これが上限であったのだろう。何とも見上げた根性である。女の根性とは、こういうところにあるものである。何も女性がマラソンをしたり、レスリングをしたり、柔道をしたりの肉体的根性でない。ガッツポーズも無用である。
 私はこうした家内の根性を、一々言葉で表現して感謝の気持ちを伝達しないが、気心が知れた女房なら、自分の亭主の心くらい「女の勘」で簡単に読んでしまうだろう。家内の求めたものは、言葉上の極めて信頼性の薄い在
(あ)り来たりの社交辞令より、私の喜ぶ貌でそれを感得したと思うのである。欧米人のように大袈裟なボディアクションしたり、一日一回「愛しているよ」と言わなくても、日本の夫婦は以心伝心で亭主の気配を簡単に読み取るものである。ボディアクションも、お追従擬いの歯の浮くような言葉も無用だった。
 ところが、近年はこの以心伝心能力が退化の一途にあり、太古の人と異なり、今では失われた心理能力欠如から、一々言葉を介さないと分らないようになってしまっている。

 このとき真弓が「これ、全部、包んで頂きますの?」というから、「そうですよ、丸ごと包んで頂きます」と答えた。
 すると「重いでしょうに……」という。
 「別に」と返事すると、「包んで持ち歩くの、お困りじゃありませんこと?」とネジの外れたことをいう。
 「困っても、構いませんよ」と言い放してやった。
 「あの……、あたくし、そんな重いもの下げて、持ち歩くだけの体力ありませんのよ。お手伝い、致しかねますが……」という。
 「あなたは面白いことを言う人ですねェ……」と相槌を打ってみた。
 そして自分でも、こんなものを実際に持ち歩けば、さぞ相当な体力が要るだろうと、それを想像してみた。
 「あたくし、この頃、自分のエネルギーが減少しているようで、何か躰に力が入りませんのよ。何だかフワフワしているような感じで……」
 「フワフワというと?……」
 「高山病ってあるでしょ。あたくし、高い山でのトレッキングしたことありませんけど、人の話などを聴いて、何だかあれと似た感じの、最近、呼吸する空気が薄いと感じますの。気圧の低下とか、酸素欠乏で起こるような、そんな感じがしますのよ。別に難聴とか、意識障害などはありませんが、夜になると泣きたいような気持ちになったり、それでいてフワフワとした夢の中で何処かを歩いて来たような、そういう感覚に囚われることがあります。そのときは訳の分からない疲れに襲われて、気付くと朝になって幾分元気を取り戻すのですが、何だか疲れた感じ……。とにかく変なんです」
 「フワフワとしてですか」果たして、このフワフワ感はなにか?……。
 「ええ。そんな訳で、最近エネルギーの薄さを感じますのよ、したがって本日はお手伝い、致しかねます」
 彼女の口から奇妙なことを聴いたと思ったのである。
 あるいは真弓の肉体には、肉体現象以外の何か、つまりドッペルゲンガー現象が度々起こっているのではないか、そしてそれを分離した分身の何れかに、その激しい消耗を感じているのではないか?……。そういう思いが疾
(は)ったのである。

 しかし真弓は、家内のように感情家でもないし、見るからに霊媒体質でない。精神は直ぐに心因性ショックを起す毀れ易いガラス細工のようなものでない。何処か気丈である。
 精神状態も正常であり、人格破壊をするような分裂症気味でない。精神は至って健康である。
 また家内のように異能の才を持つ訳でもない。ごく普通に健康に近い肉体をしている。素っ裸にして確かめた訳ではないが、そのように想像出来る。どちらかといえば色白の美人である。その白さだけが、私には何故か気になるのである。
 そして近親による濃い過ぎる血……。
 しかし近代は、“いとこ同士”の結婚も認められている。こう言う世で“いとこ同士”を近親結婚とは呼べないだろう。そういうものを現在のところ感得出来ないからである。
 もし、そういう深層部に血の関わるような病因が存在するなら、今のところはそれは確認出来ない。
 しかし白蝋のような、白さだけは気になった。
 この白さに何か隠されているのだろう。その白さは驚くほどに白い。またそれだけに美人度が大きい。瞳も大きく然も誠実を顕す黒である。最近殖えた犬眼に見る茶色でない。澄んでいる。背も高い方ですらっとした体躯をしており、鼻筋も通っていた。それだけに大した美人に映る。
 その美形は、大女将にもあった。
 この人も若い頃は縁談話が引きも切らずにあったかも知れない。その名残が老いても躰全体に漂っていた。もともと血縁が美形の美男美女の血を引いているのかも知れない。逆に、血はそれだけに美形という形で濃いくなり濁って行く。時折世の中に眼の覚めるような美人が醜男
(ぶおとこ)を亭主にしたり、逆に役者にしたいような美男が決して美人とは言い難い醜女(しこめ)を嫁にしていることがあるが、あれは濃いくなってしまった血を、無意識に美醜の拮抗を取るために薄めているのであろう。拮抗が美に醜を呼び、また醜が美を呼ぶのだろう。
 何となく道理に合っているように思う。
 ところが、美男美女の血より、もっと怕いのが醜男醜女のペアーである。これは濃いくなった血は薄まらないので、ますます濃厚さを増す。三白眼や藪睨
(やぶ‐にら)みという斜視や眼が浮いたようになる目付きは、人相学的には、濃いくなった血の掛け合わせてとも言われている。血が劣性のまま醜悪になるのである。血が濃いくなり、濁りを増せば、人相に凶事の現象が顕われるものである。

 さて、真弓の場合である。
 こういう美形の女性は皇室の遠縁か、明治期以降の華族出身の高貴の生まれに多いと言われているが、その可能性はあったかも知れない。それに住居を高輪に構え、桁違いな何か大きな財産を所有しているようにも思える。しかし、その反動か反作用として、並みの人間には襲われそうもない不幸はあったかも知れない。おそらくその不幸が、大女将の結び文にあった忌まわしい内容であった。
 家内は、彼女が《神
(しん)が冒されているのでは?……》と云った。心の問題ではなさそうである。
 だが、何かを目撃している。そのとき心因性の衝撃のようなものは、何か途方もない恐ろしいものを目撃したときに派生したものであろう。そうでないと普通、突如、神を冒されることはない。
 この辺も詳細に事情を調査しなければ、今のところ分らない。また時間が経てば、その辺のことも分ってくるであろう。

 真弓は本の持ち歩きと言う訳の分からない心配をしていた。
 「心配無用です。こんなもの、持ち歩くのに体力なんて要りません。頭を遣えばいいのです」
 今どき本を買って、重い本を持ち歩くバカなど居ない。本は、よく買う人ほど手ぶらなのである。
 これと正反対の現象を、昨今はよく見ることがある。
 例えば、街に急増して溢れ出さんばかりのキャリアバックを引き摺る、手持運搬行為である。この運搬行為を遣られると、周囲の音を撒
(ま)き散らし、実に喧(やかま)しい。一種の街頭での騒音公害だ。それに何とも横着さが鼻に突く。
 だが本人は全く気付いてないようだ。人の迷惑も考えはしない。それにその迷惑の中に、立っている人の足の上を平気で引き摺ることである。この引き摺りに、足の指を轢かれたという被害者も何人か知っている。
 更には、自分がケチで精神的貧乏症で、その病状に気付いていないようである。これが危うい。
 観察者から、そういう側面を見られているのである。現代の愚行である。

 私の道場では現在、かつての「個人教伝方式」を復活させた。一斉指導の、一般によく視られる試合形式や反復練習方式は止めた。昔の遣り方で、師匠と弟子が真剣勝負で渡り合う、そういう昔の稽古法に戻した。お気軽稽古を止めた。それだけに参加者は最初からレベルが高い。
 此処に参加する門人
【註】わが流では「門人」を最上位に置く。私は自分の眼で直接選んだ者だけを門人とする)は、遠方者が多い。近所はいない。
 また遠方者も殆どが手ぶらで遣って来て、道場に宿泊するか、近くのホテルに泊まり、また早朝教伝を受けに遣って来て午前中に終了してしまう。午後も夜も稽古は行わない。早朝のみである。そして、一通り日程をこなすと帰って行くのであるが、帰る場合も手ぶらである。キャリアバックなど引き摺って来る者などは居ない。往
(い)きも復(かえ)りも手ぶらである。
 それに早朝の稽古は午前五時から始まる。門人はそれ以前に起きて、稽古の段取りを自分でする。こちらは用意などしない。
 早朝稽古の第一の目的は「朝の気」である。この「気」は午後や夕刻の気とは違う。
 兵法にもある通り、「朝の気は澄んでいる」一方「昼の気は濁ってる」のである。この清濁の差は大きい。
 この気について『孫子の兵法』
(軍事篇)に次のことを言っている。
 「朝がたの気力は満ちて鋭く、昼の気力は弛み、夕暮れには気力が尽き果てる。而
(しか)して、戦さ上手は、敵の気力が鋭いときは避け、敵の気が弛み、尽き果てたところを攻め入る」として、「兵は詭道(きどう)なり」に補足説明をつけている。
 兵は詭道なりの言葉は一般にもよく知れ渡り、有名な言葉に一つになっている。ところが、この言葉を表皮で捉えては意味が釈然としなくなる。また西洋科学流の体系的にこの短い文章に迫っても、肝心なる隠れた部分の藕糸に全く気付かず見逃してしまう。
 孫子の兵法は「藕糸」の部分は多く、体系学で読み解いても殆ど意味が近い出来ない。かの魏の曹操猛徳が孫子を徹底的に研究し、その註釈者であったことは有名である。曹操は単に詩才があるだけでなく、孫子の藕糸を読み解いた人物としても知られている。曹操が名君ゆえにである。

 後に毛沢東は『孫子の兵法』の、この箇所に目を付け、孫子解釈を「朝の気は鋭、昼の気が惰
(だ)、暮れの気は帰(き)、故に善(よ)く兵を用うる者は、その鋭気を避けてその惰帰(だき)を撃つ」との箇所を、彼は「一を以て十に当り、十を以て一に当たる」と解し、これは赤軍革命の原動力になった。この力に日本軍は散々悩まされ苦戦を強いられるのである。そして毛沢東は驚くような意表戦術に「反撃に転ずるのに有利な時機(とき)は敵軍の勇気が尽き、わが軍の勇気が満ちている時が記述されており、追撃開始の時機、戦車の轍(わだち)が乱れ、旗が靡いている時が記述されている。これには戦略的防禦の原則が説かれている」と、僅か言葉少なに述べた「兵は詭道なり」の孫子の一文を絶賛しているのである。

 したがって私も、早朝稽古に重きを置き、気が弛るみ、気が萎える午後や夕刻の夜間を一切廃止してしまったのである。この時間帯は、心身ともに進歩は効果薄なのである。
 第一、弛るみ、萎えた時間帯に何かを詰め込むとしても、頭の鮮明な働きが損なわれているから、頭だけが残って、躰が先に進んでいるという二分化現象を起こすのである。こうした心身分裂にも、ドッペルゲンガー現象が起こっているのではないかと思うのである。本来なら心情と生体は一致した行動を採らねばならない。早朝稽古の所以である。
 私自身、昔は早朝の朝稽古を中心に参加したものである。それがいつの頃か、朝と夜が逆転してしまった。そう言う理由もあって、朝のみの稽古を重視している。これは一般の道場と大きく異なっている点である。

 では、手ぶら参加で、門人達は道衣や着替えや洗面具はどうするのか。
 宅配便で送りつけ、また宅配便で送り返すのである。考え方も動きが実にスマートである。
 しかし、スマートに振る舞わねばならない時代に、キャリアバックを引き摺る手持搬行為は、如何にも時代を逆行しているのである。それとも“ケチ”と“勿体無い”の意識が同居しているのだろうか。私はこの考え方が好きではない。結果的には薄利多売のディスカウント商品と同じように、安かろう悪かろうになる。

 さて、真弓の質問である。
 これ以上質問攻めに遭
(あ)うと、返事に苦慮する。無駄なエネルギーも遣う。
 頭を遣えばいいで打ち切り、後は考えさせればいい。頭は使うためにある。アクセサリーではない。
 家内からこの日、40万円ほどを預かって来ていた。あるいは無理矢理にせびり出したのかも知れない。
 そういう金であった。しかし買えば、そこでオケラになる。これを買うと、習志野所払いの立退料と相殺しても、残るのは僅かである。そこに懸念がある。だが、このときオケラ覚悟で買う気になった。やはり今しかない。前回も取り逃がしている。
 こういう物は値切っても安くならないだろう。高いなら止
(や)めれとなる。本屋のオヤジの返答は予想出来た。だがしかし、これだけのシリーズを、一人で全部集めるとなると、相当に時間と金が掛かる。それが分るゆえに、覚悟して値切らず定価で買うしかない。

 古書の書籍商売も古物商鑑札が要る。書籍業界で入札に参加するためには「書籍」の資格が要る。私自身も書籍を扱う範囲の、都道府県公安委員会が発行している古物商許可証をもっている。その仕入れが如何に過酷な競りを掻い潜って、落札されるかその仕組みを熟知している。それだけに値切れば、売らないのは百も承知していた。ここは黙って、言い値で買うしかなかった。
 本屋のオヤジが私の顔色を見ながら云う。
 「とうとう、お買いになりますか。おそらく、そうなると思っておりましたよ」
 オヤジは私が迷った挙げ句に、“やっと買う気になったか”と検
(み)たのだろう。その読みと眼力は正しかった。
 だが、この自信たっぷりに、私の心内を見透かしたようなこと云ったのが気に入らなかった。私としては、触れても欲しくない逆鱗に触られたという気がした。客を検
る目の眼力を自慢したところが何とも、私の心を逆撫(さか‐な)でしたのである。
 この言い草が癪
(しゃく)に障り、負け惜しみを云ってみた。
 「狐はウサギが死ねば、その死を哀れむ……」
 「はあァ……、あなた、ご同業ですな?」
 「今は、書籍から手を引いていますがね」
 「なるほど……」
 「これ、此処の住所に送ってくれませんか」と言って、豊橋の住所を教えた。
 「ほーッ……、愛知県豊橋から……。これはまた随分と遠いところから……。
 ようがす!こっちも江戸っ子だ。負けましょう。何しろ、狐はウサギが死ねば、その死を哀れむなんて、久しぶりに粋
(いきな)な言葉を聴きましたからねェ。講釈師の粋な講釈譚の木戸銭として、送料こちらもちで、代金は10万円勉強させて頂きましょう」と、下町の江戸言葉で活きのいいことを言って、価格を30万円に下げてくれたのである。この差額は私にとっては大きかった。
 「先生って、交渉がおじょうずですねェ、根っからの商売人ですわ」
 《根っからの商売人》が、些か私の心を逆撫でしたように思えた。
 「そちらのお嬢さんは、なかなか巧いこと云いなさる」と感心して、「でも、これ以上負かりませんよ、これ以上、下げると仕入れ値を切ってしまう」と嘯
(うそぶ)くのである。
 おそらく《逆商を売するな》と言うことだろ。
 逆商売とは、商売人が別の商店に来店し、買う時に自分も同業者として値引きさせ、それを仕入れ値同等に持って行く交渉商売を「逆商売」と言う。売主と買主が駆引きで歩み寄るのである。価格の尖端
(せんたん)を知る者同士の「買い叩き」とも言う。本当の価格は、時価値のその一番尖(とが)った点に存在しているのである。この点の見極めが難しくて、株でも穀物相場でも金融派生商品(デリバティブ)でも苦労する。
 これを聴いて、仕入れ値は、落札値のおおよそ半分であろうと検
(み)たのである。

 普通、古物業者は日本刀でも同じだが、落札値の三倍を掛ける。寝かせる時間も計算するからである。
 物によっては、一年も二年も寝かせることがある。直ぐ売れるという物ではないからだ。
 書籍も美術品も同じだが、価格の尖端は常に動き上下するが、不動産のように「時間を超えた概念」を持たない。したがって、複利終価も複利現価に対する「率」という換算法がない。問題にされるのは、市場での購入価格である。店頭販売の基準となる。また、これが税法上蹤
(つ)いて廻る。そして一年を超えれば、所得税が掛かる。重要なのはこの点である。だが、同じ蒐集家でも、プロとアマとでは価格の価値観が違う。
 それが掛かる前に書籍ならば、古書の市場で再び競争入札に参加する。その場合、売主は市場主宰者
(会主)から売値の六分から一割の歩合を取られる。市場で売るより、店売りの方がベターの方だが、強気ばかりでは在庫も抱え、商品の入れ替わりがないと客に見向きもされなくなる。そこに駆引きが起こる。
 つまり、買主を売主が決めるのである。これは一般の小売商売と反対である。薄利多売の商法は売主が買主の消費者の商品を買ってもらって、米搗
(こめつき)バッタように頭を下げるが、逆商売はこれと反対である。
 買主が売主に頭を下げるのである。言ってみれば、一つの在庫調整である。日本ではこれを「棚卸し」という。江戸時代の商いシステムからの伝統である。つまり帳簿棚卸しと実地棚卸しとの帳尻合わせをし、在庫を整理して総て決算してしまうのである。

 私の店でも、月に二回、刀剣市場通いで在庫調整を行う。半月前に仕入れた物件を半月経って売れ残れば、その後の半月は市場で売ってしまう。残しても、三ヵ月以上は置かない。売れない物は早々と売り払うのである。在庫を抱えないのである。こうして商品の新陳代謝を図る。
 この辺が、一般の刀剣蒐集家と違う商行為で動いているのである。売れない物は抱えない。種類・数量・品質を調査し、総てを半月以内に整理するのである。サラリーマンではこの種の決算書を作れないから、自分の財産の「資産の部」と「負債の部」に半月事の現金と帳簿上の誤差が生じているか分らないのである。近年殖えた、ローンで購入したマイホームを資金不足から手放すローン不履行はこうした処に起因している。
 これは日本刀などの美術品においても同じだろう。
 サラリーマン蒐集家は、贋作
(ババ抜きでいうババ)を掴まされても泣き寝入りで、贋作を売って次ぎなる蒐集品を入手するという機転を働かせない。ただ、よくても悪くても所持するだけである。社会勉強や金銭勉強などの金銭哲学は全く分っていないのである。要するに場当たり的な衝動買いで、考え方が一方通行で、思考能力不足で、結果、どんぶり勘定である。サラリーマンに多く見掛ける。頭の中が時代の多忙に振り回されて、思考力が鈍麻したか、退化したのだろう。

 しかし刀剣商は、そういう事はしない。
 直ぐに売る。原則としては長くても三ヵ月以上は在庫を抱えないと言うことであり、この売買を通じて自分の眼力が正しかったかどうか、その腕のほどを試す。眼力があれば安く勝って高く売る。ここに利鞘分が生じる。利益である。
 ところが、仕入れが高く、売り払う場合に安く買い叩かれれば、そこには損害が生じるために損をすることになる。それを数十振り売買してそのトータルが買値より売値の方が勝っていれば儲けであり、これが逆ならば損をしたことになる。この中に、今の価格の尖端
(せんたん)があり、その読みで眼の勝負をするのである。
 この考え方は、一般世間の商法では余り知られていない遣り方で、買主は売主に儲けが出れば礼を言うのである。これは一般の小売商売とは、逆である。

 さて、購入した書籍の落札価格は、定価40万円に対して、この三分の一がおおよその15万円前後が落札値である。高くても20万円以内だろう。それを10万円値引きしたとしても30万円前後で、まだ充分に10万円以上の儲けがある。しかし寝かせる時間も覚悟の上の仕入れであるし、その目利きとしての入札眼力もあるから、別に高くもないし、安くもないというところだろう。そういう付加価値部分は大したものである。
 逆に、オヤジに《あんたは大した商売人だよ。あんたこそ、根っからの商売人だ》と表彰状の一つも付けてやりたかった。

 普通、サラリーマン・レベルでは、こうした商い世界の仕組みが分らない。定価をそのまま信じている。
 私はこのとき、なぜロスチャイルドの始祖の初代に当たるマイヤー・アムシェルが、普通の人なら安易に見逃してしまう、“がらくた”同様の古銭に目をつけ、タダ同然で買取り、付加価値をつけて、持ち前の知恵を駆使し、手書きのパンフレットを作り、その上に、独自の創意工夫を懲
(こ)らして、顧客になりそうな人達にパンフレットを郵送したのか分かるような気がする。そして古銭を売る相手は、ディスカウントを好む一般庶民ではなく、時の権力の座にある王侯貴族や、富裕の商人層などの上流階級であった。
 対象者を薄利多売の底辺に向けていなかった。今日のように、顧客に矢鱈
(やたら)ぺこぺこ頭を下げる米搗バッタ式の「お辞儀商売」はしなかったのである。
 毅然として、良いもの珍しい物を高く売る商売に誇りを持っていた。
 マイヤーの成功の秘訣は、一握りの頂点に狙いをつけたことだ。米搗バッタのような“お辞儀商売”をしなかったことである。
 富豪への道は、無から有を生む「理財の才」であろう。フランクフルト地方の領主、ヘッセン・ハナウ家のウィルヘルム公に、古銭を売り込むチャンスを掴んだのは、この理財の才によるものだ。

 つまりこの場合、その才の胤
(たね)は古銭そのものにあるのではなく、古銭に目をつけ、これに“付加価値をつける”ことだった。マイヤーの「先見の明」であろう。そしてこの明は、ブルジョア革命の洗礼を受けて近代資本主義の金融面を荷なうことになる。
 マイヤーは『タルムード』をラビ
【註】ヘブライ語では「わが主人」という意味で、敬称で用いられるユダヤ教の教師)について学び、金は金を生むことを知っていた。実にユダヤ人的な金融論理である。そしてユダヤ商法を研究すれば、薄利多売者を相手にせず、一握りの金持ちを相手にする商法だった。
 ユダヤの商法理論から言うと、金持ち一人に売る売上高と、その他大勢の中間層に多数に売る総売上がほぼ一致すると言う。大勢に販売エネルギーを分散して遣うより、僅か一人のために、親切と真心と誠実を集中して売込んだ方が、エネルギー的には楽であるからだ。エネルギーを薄利多売で分散しなくていいからである。
 売込み先のターゲットの絞り方に、この商法の特長があるといえよう。つまりマイヤーの商法は“一見さんお断わり”であり、売主自らが、直々に客を選ぶという商法である。「これは」と思える顧客になりそうな相手に、手書きのパンフレットを郵送したのはそのためであり、今日のDMや電話勧誘のように無差別に、手当り次第と言う訳ではなかった。この無差別には薄利多売の影がちらついている。
 だがマイヤーが無坐別攻勢をしなかった。世界の金融王の先見の明は、ここにあったと言えよう。知識でなく、智慧であった。経済論と言う知識でなく、実学での智慧であった。

 これからの時代、その他大勢を相手に煽動術的商売を展開するか、焦点を一ヵ所に当て、どこをターゲットにするかの分岐点の時代だと言えよう。前者は煽動、つまり、煽りが中心であるから口コミの才能があれば誰でも可能だろう。載せればいいことである。それを階層群の仕分けにおいて遣る。弱いところを撃つ。
 ところが後者は相当な眼力と、それに付随された教養面が大いに物を言うことになり、これは修行を要し、老練でないと、将の将は簡単には落せない。最も高等技術を要するところである。これには流行がないため、付け焼き刃的な商売では直ぐに化けの皮が剥がれてしまうのである。

 以降、マイヤーの意図が戦費を貸し付けるために国家に貸付け、その後、証券取引所に影響を与えて株価の上げ下げを企む遣り方は、ユダヤ商法が決して薄利多売を目論むものでなかったからだ。
 資本主義における真の商売相手は末端の諸費者でなく、付加価値をつけて国家のトップに食い入る経済システムこそ、資本主義は始めて威力を発揮するのである。
 ところが現代の商法を検
(み)ると資本主義とは程遠い、社会主義的な経済政策が優先されているようにも思えるのである。これでは、最後は「ねずみ講」のように行き詰まるであろう。
 社会主義的な経済政策の変形は、平等のチャンスを謳う「マルチ商法」に酷似するようである。更に「ねずみ講」的では、未来永劫に渡って永久連鎖を繰り返さなければならないからである。しかし現象界では、永久連鎖は起こる筈のない。経済も、人間と同じ意思を持った生き物である。流動的で予想もしない変化をする。
 今日の近代資本主義は、高度大衆社会とともに「今が旬」あるいは「今が花」の経済システムであることが分ろう。時間が過ぎれば、賞味期限切れで無慙
(むざん)に色褪(いろ‐あ)せる宿命を持つ。



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