運気 八門人相 房中術 癒しの杜 菜根譚 小説 会報Back No. 合気 蜘蛛之巣伝 死の超剋 霊的食養 心法
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続 壺中天・瓢箪仙人 2

閨の秘め事は話すべからず、洩らすべからず。秘密にすべし。
 男女とも、異性についての閨の様子までベラベラ喋る人間は絶対に信用が出来ない。人物評定からすれば、信頼もできず、人望もなく責任感も無い。現代によく見る現象である。

 何故なら、自分の下半身について、他人に自慢する魂胆があるからだ。人間として恥である。しかし気付かない。自分がどれほど多くの人と性を交えたか、それを自慢する輩
(やから)である。
 性の解放とは実に聞こえがいい。そして自由恋愛……。

 そのため小・中・高学校では性教育が必要になった。人生の経験を重ねて自然と身に付けるものだが、性を煽り過ぎたため早熟となり、今や性教育ならぬ、性器教育が必要となった。何もそこまでと思うが、それをしなければ、人口減少に歯止めをかけられないからだろう。既に日本では、子は、子宝でなくなったようだ。秘すべきを早時期から早々と煽ったからだ。自由恋愛と人口減少。これは先進国では密接な関係にあるようである。果たして早時期から濡れ場を煽る必要があろうか。
 濡れ場は秘すべきであり、これを秘すことが出来ない者は、やがて墓穴を掘って、人生から離脱する。霊的には意味不明、病因不明の疾病
(しっぺい)が襲う。精・心・神のうち、「神(しん)」が冒されるからである。現代に見られる現象である。

 また、世には自分の秘密を他人から暴露されて、周囲から指弾されれば、弁解ばかして言い逃れをする者が居る。恥部を突かれて叩かれる。好き有りと言えよう。
 秘密を暴露されれば如何に繕
(つくろ)っても、その繕いは、絶対に繕いきれない。面白可笑しく捏造(ねつぞう)されて、指弾の輪が波及するだけである。

 秘密には魔性がある。
 人が秘密を知った場合、大半の人は、その秘密を、他人にやたら話したがる。愚者の心理である。
 秘密があれば、それを知りたがって落ち着かないし、知ったら知ったで人に話さないと落ち着かない。誰かに話したい衝動に駆られる。これが秘密の魔性である。
 この魔性に自制が効かないのが愚者である。

 愚者と賢者の別れ目は、秘密を漏らすか、洩らさないかにある。
 もし、洩らさずに自制が効けば、その人は既に賢者である。
 この魔性は、それを漏洩させると、漏洩させたことで落ち着かなくなり、また喋ったことを隠そうとして落ち着かなくなる。
 所詮、人は験
(ため)される。検(み)られている。そして秘密の魔性に打ち勝つことの出来る人は、ほんの僅かしかいない。
 秘密を秘密にすることは簡単なようで、難しい。


●風懐

 風懐を楽しむ……。そして、適意、おのずと勝負心
(しょうぶごころ)無し……。
 小事を争わず、競わず、こだわらず。拘泥
(こうでい)の心無し。
 適意とは、心に適うことである。心のままに、随意にすることである。心に束縛や制限や制約を受けないことである。心に任せることである。それには心を鍛練しておかければならない。
 肉体には肉体を鍛練する賞味期間と言うのがあり、それを過ぎれば、肉体は言うことを聞かなくなる。体力低下の現象である。肉体力は年齢とともに低下して行く。
 ところが、心には賞味期限がない。死ぬまで賞味期限がない。いつも何かを感じ、影響を受けている。
 心術として心を鍛練すれば、老いても心は小局面に囚
(とら)われない。肚が出来るからである。
 こだわることに縛られない。こだわって、一局面に全心を奪われない。心全体の働きを小事に悩ませない。何事もこだわらず、その欄
(らん)で囲った小さき枠(わく)に閉じ込められない。自由自在に心を働かせる。
 だが、そこに閉じ込められたら自由を塞がれる。縛られる。容易に抜け出せない。これは不自由への警告である。
 拘泥は慎まねばならない。
 だが私の心は、まだまだ狭量だった。器は甚だ小さかった。それは気付かねば自覚出来ない。

 気付けば、それについて考えてみる。
 今、わが身が在
(あ)る理由を考えてみる。この世に何故生まれでた意味を考えてみる。
 なぜ、生まれてきたか。
 その理由に、その意味に、何があるか考えてみる。
 それは何か。
 いま「一大事」を経験しつつあると言うことだ。人生で最大の山場を迎えようとしていることだ。容易ならぬ重大な事態に遭遇しようとしていることだ。これを一大事と言う。

 人間は人生の中で、三つの一大事を経験する。
 第一番目の一大事は、生まれる時である。オギャーと生まれ堕ち、この世に生を享
(う)けた時である。
 第二番目の一大事は、生を享け、物心つき、人生を経験しつつ、幼少年期を経験し、青年期を経験し、壮年期並びに老年期を経験して、死に至るまでの「生きる」という、生まれてから死ぬまでの間に経験する一大事である。
 そして三番目には、よく生きた後、死の一大事である。この一大事こそ、人生の総決算期の一大事である。
 よき死に恵まれるには、第二番目の一大事をよく生きなければならない。この時期には、またそれぞれの「大事期」が存在しよう。少年期を迎えて、おおよそ遅くとも15歳前後の時期に「人生の計」を立てなければならない。昔の人はこの頃に元服した。成人し、人間のして大人の自覚を改めて覚悟する節目である。
 このとき、「何に寄って生きようか」とする人生の計を立てるのである。
 その計を以て、青年期へと突入する。この青年期にはいろいろなものが俟
(ま)っている。
 この時期を、以後、波瀾万丈の航海にするか、あるいは波風の立たない穏やかな凪
(なぎ)の航海を選択するか、その後の生き方や考え方で異なって来る。その異なりが、人それぞれに種々の変化を齎し、人によって一様でない。しかし、目的地は如何なる生き方をして、どう言う人生を送ろうが、貧富の差なく、最後に辿り着くところは「死」である。誰もか此処に辿り着く。
 第一番目の一大事は、自分では全く責任が取りようの無い環境下で生まれて来る。これ自体は、自分では全く責任の取りようがない。しかし第二番目の一大事は総て自己責任であり、如何に生きたかは自分の責任となる。これが死のその瞬間まで続く。そして死の瞬間を迎えるとき、その時点で焦っても、意のままになるものでなく、死を、善きにするか悪しきにするか、それは人それぞれである。
 つまり、死に恵まれるための第二番目の一大事の「大事の連続」は、瞬間、瞬間をよく生きなければならないのである。よく生きた者だけに、より善く死ぬ一大事のクライマックスが与えられる。

 しかだって、問われるのは、よく生きたか否かである。これは死んだ後では動かせない。もう絶対に動かせない。動かせるのは第二番目の一大事にある、よく生きた期間だけである。より善き死に恵まれるためには、よく生きなければならないのである。
 私の一大事は42歳の厄年を経て、これから愈々
(いよいよ)下り坂に差し掛かった時が遣って来た。これまでは孔子型の「上り坂方式」で我武者羅に人生の坂道を登り詰めて来た。そして山の頂上に到達した。しかし此処に留(とど)まるわけにはいかない。次は下らねばならない。これから先は「下り」となる。今度は下り坂へと差し掛かり、これまで以上に足腰を踏ん張らねばならない。下りは登り以上に慎重さを必要とする。
 下り坂では、登り調子では降りて行けない。減速が必要である。我武者羅はもう必要でない。
 足場を固めつつ、一歩一歩、慎重に下って行かねばならない。常にブレーキを掛けつつ、暴走しないように慎重にである。ここでブレーキとアクセルを踏み間違えば大変なことになる。ゆえにこの際には、もう孔子型のアクセルの踏み込みは必要でなく、老荘型のブレーキを掛けながらの慎重さが必要になってくる。
 登りと下りの大事が、第二番目の一大事の中にはある。
 私は下りの時期に突入していた。これを如何に下るかで、第三番目の一大事の迎え方が違って来る。
 もう青少年期のように、どう登るかは過ぎた。次はどう下るかである。どう生きるかでなく、どう死ぬかである。“何に依
(よ)って生きて行こうか”でなく、「依って以て死ぬ何か」の何かを探さねばならない。
 此処に下り坂を降りて行く一大事がある。


 ─────先ほど、習志野公園に向かう途中、京都からの来客に面会をしにいった。その客が進龍一の明林塾に来ていた。そして客と話した。
 その話の内容は、何故か対等でなかった。対等・同格・同等とは程遠かった。頭ごなしに低く、軽く、安く見られていた。ズバリ言えば、甘く見られて見下されていた。自分の不利を感じた。安売りを強いられているように感じた。
 だが、人には譲れないものがある。簡単には妥協できないものがある。靡
(なび)けないものがある。恭順できないものがある。人には、その人特有の誇りがある。自負がある。
 私は安売りしなかった。胸を張って毅然
(きぜん)として生きたかった。それで、対等を求めて、交渉は白紙に戻した。これが善いことか悪いことか……。現時点では定かでない。
 だが、薄利多売の安売りはしたくない。腐っても鯛の孤高を持したい。安売りせず、一人超然としたい。これが「権威」であろう。宗家とは、また「権威業」なのである。道統の担い手である。

 私はこれまでの自分を贖
(あがな)うために、商人(あきんど)として「商い」をしてきた。商うは「贖う」の意味だ。商いは「贖い」である。人に贖うことを意味する。商人は、人に贖うたけめに商売に励む。そして贖うことで、これまでの過ちを一つ一つ赦しを乞うて行くのである。そのために贖う者は、人に頭を下げる。
 「ありがとうございました」は、贖うための挨拶であり、礼儀である。ここにも人生の儀礼が存在しているのである。
 私の場合、この商いは会社経営者としての商いだった。だが経営に失敗し倒産した。倒産して一時避難で習志野に夜逃げした。夜逃げは、まだ継続中だった。しかし、これで潰えようとは思わなかった。常に再起の機会を窺っていた。その機会が来たような気配を感じ始めたのが、42歳の厄年を終えようとする頃だった。
 周囲の動きが活発になり始めていた。取り巻きに変化が顕われていた。素浪人の貧者に集まった連中は金に集
(たか)って集まったのではなく、裸になった私と言う人間に集まって来た。金に繋がっていないだけに彼らは真物である。
 斯
(か)くして、私に次ぎなる大事が訪れようとした証(あかし)である。
 私の厄年は、また私自身には一生を背負い込む役の大事であった。この人生舞台で下り坂人生を、どう言う役を演じるか、その演じる役であった。
 役者次第で、その劇は茶番にもなるし、一層面白い変化の多い活劇にもなる。また情調を重視した静劇にもなろう。
 もしかすると忍耐劇になって、再び苦渋を強いられるかも知れない。如何に演じるか役者次第である。

 だが、この役者、少しばかり妥協をしない商人であるらしい。いいものは高く売りたい。いいものが薄利多売の商品の中に混入されて、安値で買い叩かれるのは我慢ならん。私はそういう商人であるらしい。
 腐っても鯛である。請われて始めて動く。対等や同格意識が最初から崩れていれば、後々それが不利に働く恐れがある。「いい物は高く買う」が私の持論だが、また「いいものは高く売る」が私の商人魂である。
 私の「士魂商才」は此処にあったと言えよう。
 士魂と商魂は同等同格のものである。腕に覚えがあると言うことは、「理財の才」もあり、その腕を以て商才にも長けていると言うことである。

 古来より武人は、「銭
(ぜに)を愛さず」というような思想が頭の片隅に残っていて、それを信条としている人も少なくないようだ。そのうえ“経済”といえば、それをあまりにも卑しみ、かつ憎む嫌いさえあった。
 貧しくとも、貧しいことを恥と思わず毅然とすることはいい。清貧を誇り、毅然とすることはいい。しかしそれだけでは充分でない。まだ何かが抜けている。それは富みであろう。富まねばならない。清貧と同じくらい、自分の勘定を度外視して、清く富まねばならない。清富である。清く富んではじめて人に役に立てる。私は清く富む法を知らなかった。知らないが故に経営を失敗し、金銭と言うものを甘く見たしっぺ返しを倒産と言う形で、わが身に受けた。贖い方が足らなかったからである。
 経営者は一人を雇傭した時点で、既に四人の人間の生活を見る責任が追わされる。ひと家族分である。雇用や一人でないのである。一人を見ればいいと言う訳でない。家族併せて最低四人を見ることになる。このことをよく理解せず、金銭を甘く見て、あるいは卑しく見ていた。ここに大きな間違いがあった。

 かつては“銭”といえば、そういう物には目も呉れず、銭に対して横を向くことによって、それを「清簾
(せいれん)の士」とする風が高く、またそれに甘んずることを清貧とも豪語された。
 しかし、清貧と豪語するその貧は、実は赤貧だったのではないかと思うのである。清貧の赤貧を間違えてしまったのである。
 私の場合は赤貧を通り越して、濁貧だったかも知れない。濁貧では結局商いの何たるかを知らないから、自己を安く売って、目先の金を手に入れようとするのである。その場凌ぎで終わる。
 だが今はその失敗を犯して、その愚を悟り、もう同じ轍
(てつ)を踏まない経験は積んでいた。
 安売りに妥協はせず、踏み止まるべきだ。過去の経験からである。
 やはり腐っても鯛である。孤高を持したい。腐った鯛でも、此処は痩せ我慢して、価値以下には安く売らないのがサムライと言うものだ。

 さて、痩せ我慢の腐った鯛は交渉決裂後、一年半以上も棲み付いた習志野の最後の見納めをするつもりだった。習志野公園に遣って来た。今年の春、花見をしたベンチに腰を掛け、当時を思う浮かべて、自分一人の感傷に浸っていた。
 思うは風懐である。
 だが風懐を楽しむなどと称して、実は分ったようで、分ってななかった。言葉だけで理解している。まだまだ実践力に欠けていた。人生の味わいが分っていなかった。甘さがあった。頭の鍛練が足らなかった。鍛練は首から下だけでなく、首から上の鍛練が大事なのである。

 その狭量の顕われが、これだった。頭はまだまら完全には生き返っていなかった。
 《どいつも、こいつも、糞っ垂ればかりだ》と思ったが、《いや、いかん、いかん》と頭を振り、《これでは苦海に身を置きながら、自他同根の意識が薄れるではないか。あまりにも狭いではないか……》と、未だに心術が不安定であることに腑甲斐無
(ふがいな)さを思った。要するに人間が小さいのである。穴(ケツ)のあなが小さのである。度量がない。小心である。そこに翼々が起こる。
 小心翼々とは、一方で詩経
(大雅、大明)に解釈すれば、いい意味では、慎み深く細事にまで注意する細心さを表すが、転じて、悪い方の意味では、気が小さくて、びくびくしているさまの小胆をいう。

 だが、人はこのような狭量を、愚かにも愛憎の中に持ち込む。それでいいはずがない。そう反省する。
 狭量は運気を失墜させ、運命を誤らせる。
 小事にこだわる、狭量から起こる小競合
(こぜり‐あ)いは避けるべきだ。
 適意、おのずと勝負心
(しょうぶごころ)無し……は、果たして理解出来たのか。もう一度反芻してみる。

 また傲慢
(ごうまん)になっては、《自他離別で、心の格差が開くばかりだ》と、些(いささ)か反省する。
 だが、ふと眼に付いたバス停横のコンビニがあった。それが旧
(もと)の木阿弥の構図を作った。物に心が動いた。誘惑された。
 脳裡にはコンビニと言えば、ピールと日本酒のワンカップである。私の脳裡には「コンビニ・イコール・アルコール」の図式しかない。いかれている。頭の中は、ほぼアル中一歩手前だった。
 そこでビールでも買って、真昼間からかっ喰
(く)らい、酒でも呑んで、ひと時の憂さ晴らしでもするか……の、たった今までの反省が忽(たちま)ち消え失せた。悪しき豹変により、一挙に低空飛行してしまう。またそれは、それで可(よし)とする。勝手な理屈だった。愚者である。
 コンビニで缶ビールを一箱
(ロング缶6本入)ごと買い取った。併せて、日本酒のワンカップの四個繋ぎも買った。
 そして“摘み”の肴
(さかな)は、数件先の鳥屋で……となった。
 私の体質は、酒だけを、単体でぐいぐい呷
(あお)ることが出来ない。必ず酒の肴を必要とする。肴がなければ、缶ビールの半分も呑み切らず、日本酒の場合は二口三口くらいで呑めなくなる。極めて不経済な、燃費の悪い体質をしていた。アルコールだけで解決出来ない浪費型の体質をしていた。

 また風流に添える花鳥風月も必要とする。そういう付属品を必要とする。動力的に言えば、極めて不経済である。それだけ手間が掛かる。実に燃費が悪い。
 眼も舌も、同時に楽しませずにはいられないのである。風流人の欠陥かも知れない。泣き所だろう。
 併せて舌の愉しみには肴が付随していないと、どうにもこうにも呑めないのである。そこで肴の“摘み”が必要になる。燃費に悪さには泣かされ、不経済には嘆きがあった。それを敢て遣るのが風流人である。
 貧士の客好きは、側面に、苦悶の一面を抱えているのである。
 では、なぜ真昼間からかっ喰
(く)らうのか。それは津田沼から東京間の総武快速でのひと時の慰安を楽しむためである。慰安を楽しむ以上、酒と肴が要る。これがないと楽しめない。口許が寂しい。この間、グリーン車に納まって、お行儀よく坐っている訳にはいかないのである。そういうケツの痛くなるようなことがしたくない。根が酒呑みであった。
 一つ鳥屋で、和食風“鳥尽くし”の逸品でも買うか……となったのである。バカである。
 ところがビールを買い、鳥屋に飛び込んで、びっくり仰天したのである。そこに、何と真弓が坐って、婆さんの話し相手をしていたのである。何と言う奇妙な怪現象……。それは予測不可能だった。
 不意を突かれた。これを不思議と言わず何と言おう……。
 妖怪変化
(へんげ)のような、奇妙なる蠱術を見た思いだった。それは蠱惑から生まれた幻影でないのか。思わず目を疑った。
 「何と言うことだ」と驚嘆したのである。

 思わず「あへッ?!」と声を挙げてしまった。
 婆さんは真弓を指して「先生。お客さんですよ」と言うのである。
 この婆さまの取り扱いが難しい。一歩間違えばとんでもないことが起こる。この婆さまには、危険物取扱資格が要るのである。取り扱いを間違うと後が怕
(こわ)い。
 取り扱いを間違えば婆さまは、私の悪評を並べ立ててをべらべらと喋る。悪評を吹き込む。また真弓は真弓で、婆さんの訊かれるままに、総て答えたのかも知れない。もしかすると、わが塾で「講師をしている」などと喋っているかも知れない。根掘り葉掘り訊き出すのは、あたかも警察の事情聴衆の巧妙さを持っている。
 これは拙
(まず)いぞ……。

 「今日は、訳の分らぬ客ばかりだ……」とぼやいていると、「先生、こちらのお嬢さん。先生のところの塾の先生ですってね」と変なことを訊く。現象界の「畳み掛け」である。悪いことは連鎖する現象である。
 普通、一般人が思い過ごしで陥る凶事は、“苦あれば楽あり”の安易な俚諺
(りげん)を信じている。これだけ苦しんだのだから、次はきっと善いことがあるに違いないと言う希望的観測である。
 ところが現実は違う。楽しいことは連続しないが、苦しいことは連続する。これこそが生死・苦悩が付き纏う苦海の実態であった。ゆえに「苦海と」言う。この苦海現象を見逃してはならない。苦と楽か交互に遣って来ないのである。楽は一発花火のように打ち上げられれば、一発の閃光
(せんこう)で終わりあるが、その後は暗黙の闇が襲って来る。継ぎなる花火がなければ、その後の闇は継続される。苦あれば楽ありでない。苦あれば、次も苦である。

 この婆さまは別名“商店街の拡声器”といわれるほどのお喋りだ。「超」と形容してもいい。先触れを平気で遣る。
 善きにつけ悪しきにつけ、数時間後には、ほぼ全域の津々浦々に広まっている。それも面白おかしく、勝手な想像も加わって、勝手に脚色がされて事実無根も実話にすり替わってる。この婆さまは、そういう凄い、口コミの高等技能を持っていた。
 また噂話を広めることを生き甲斐にして、高齢にもめげず、執念を燃やして長生きをし、無事老齢期を乗り切っている。その長生きの秘訣は、話題になりそうな、私のような悪党の噂を広めることに恐ろしい執念を燃やすことだった。
 更に、この婆さまは煽動者としての才がある。この才と高等技能が結びつけば、その後の結果は想像に難しくない。その用い方次第では、時として妖怪に化身
(けしん)する。婆さまの天性の才だろう。
 しかし、もっと驚くべきことがある。
 この婆さまを誑
(たら)し込んで、銀行借入の際、連帯保証人にした奴が居る。この野郎の特殊技能は、婆さま以上に上回っていた。野郎は誑し込みに、婆さまと一夜の閨(ねや)を伴にして寝たのだろうか。何処の誰とは言わない。ご想像にお任せする。

 此処での長居は無用だ。一瞬、真弓を叱りたくなった。《俺の立場も考えろ》と言いたかった。
 こんなところで時間浪費の道草など啖
(く)ってはいられない。こういう場合は早々に切り上げ、一人で単独行動するに限る。
 《こんなところでぐずぐずしていると、今度は俺が婆さまと閨を伴にする羽目になるではないか》
 何でここまで真弓は読んでくれているのだろうか。是非、深読みしてもらいたいものだった。
 もう、考えてから……などと、悠長なことは言っていられない。今から考えれば、後手に回る最悪は見えていた。考えてからでは遅い。まず行動。アクションを起こす以外ない。80歳過ぎの婆さまと閨を伴にするのは厭だ。私には老いらくの恋人を持つ趣味はない。
 逃げる。考えずに逃げる。これこそが進退窮まった人間の行動律である。
 「さて……」《逃げるか》と、腰を上げてバス停へと向かった。足早である。老いらく現場から遠くに離れたい。
 すると真弓も素早く蹤
(つ)いて来た。ぴったしマークされた感じであった。暫(しば)しの道行きを共にするらしい。彼女は尾行技術だ巧みである。これも天性の才だろうか。

 世の中には天性の才を持つ人間が、何と多いことか。人はそれぞれに、どこかにこうした異なる才能を持っている。
 暫くバス停に立った。そこへ、バスが来たので無言で乗り、無言で坐り、駅前に到着まで無言だった。
 津田沼駅で、新宿までのキップを買うと、彼女も同じ区間を買い、改札を抜けると、後ろから蹤いてくる。ぴったりマークしている。これでは探偵劇の容疑者追跡の尾行である。
 同じ乗車口に、同じように立ち、十一両編成の列車が来ると、同じようにグリーン車に乗って、勝手に何処かの席に坐ると、その横に遣って来て坐ったのである。

 「がら空きですよ。空き席、他にもたくさんありますが……」と言うと、「いいえ、ここがいいんですの」と言って譲らない。何だか波立っているようだった。
 「もう、とっくに先に発ったと思ってましたよ」
 「あたくしに、何か怒っていらっしゃるの?」
 「いいえ」
 「でも、怒っているみたいですわ」
 「それは眼の錯覚でしょう」
 「あたくし、視力は両眼とも2.0ありますのよ」
 「私は今、猛烈に世間の理不尽に腹を立てているのです、あなたとは無関係です。気にしないで下さい」
 「でも、気になりますわ」
 「それでも気にしないで下さい。私は自分自身の小心で、狭量なところに怒っているのです。厭なことがあって、独り相撲しているだけです。それは同時に、世間の見下す奴らに、怒り心頭と同じくらいに土俵際で鬩
(せめ)ぎ合っているのです」
 「それで、何か良いこと、あしまして?……」
 立腹は健康によくないと言う意味だろうか。
 「……………」妙なことを訊くと思った。
 「あッ!ここ、綻
(ほころ)びていますわ」と言う。
 「うム?……」奇妙な。
 言われてみれば綻びていた。
 家内はこの綻びを見逃したのだろうか。否、そんな筈はない。用心深い女である。見逃しはない筈だ。常々の信頼は此処にあった。では誰かの故意か……。
 疑っても仕方ない。とにかく気付かないうちに糸が解かれていた……。
 「ここ……」
 「捨て置いて下さい、別に気になりませんから……」
 「放置すると、伝染しますわ」この執拗さは何だろう。
 「別に構いませんよ」《戻ったら縫ってもらいますから……》という気持ちがあった。
 この程度なら気にはならない。捨て置けばいい。何も大袈裟に構う必要はないのだ。それがどうした言うのだ。人のことは構わないで欲しい、そんなにベッタリの、いい仲ではないのに……。何でここまで奇妙なことをする。
 「あたくし、いつも綻びを繕
(つくろ)える裁縫道具を携帯しておりますの、縫って差し上げます。袖のこの部分を出して下さい」
 そういう物を和風のハンドバックの中に入れているらしい。
 《何と用意のいいこった……》と思った。この手回しのよさは何だ。何だか用意周到と言う感じだった。
 「これは、どうも、恐縮です」
 この恐縮は、繕ってもらうことに同意した意味である。同意した以上、彼女もこれを認めたことになる。認めた以上、双方とも同意したのである。
 しかし袖の部分が綻びているといっても、表面からでは些か縫い辛い筈い。表面を縁取るよな縢
(かが)り縫いでは、また何れ綻びよう。一時的な応急処置では効果が薄い。一度裏返しにする必要がある。

 和服はミシン縫いではなく、総て高級品は手縫いである。
 和服を縫う場合は、特別に和服の裁縫技術をもっていなければならない。この技術を持った裁縫をする人を「お針子」という。針仕事の熟練者である。
 彼女はどれほどの腕か知らないが、綻び一つ縫うにも、こういう場合は纏
(まつ)り絎(くげ)といって、三つ折りになった山の部分の表布は、小さくすくって針目が目立たないように絎縫をいする。したがって人が着たままでは遣り難い。
 こういう場合は気を利かさねばならない。そう思うと直ぐに廊下に出た。
 廊下の方が客席の隙間より広い。私は立ち上がり、雪駄を蹴り脱ぎ、白足袋の儘になって、さっそく野袴の紐を解き、着物の角帯を解いて、速やかに着物を脱いだ。半襦袢
(はん‐じゅばん)一枚になった。果たして彼女は此処まで予測出来ただろうか。
 では、なぜ半襦袢か。着流しではないからだ。
 袴を履く場合、半襦袢の方が下半身は動き易い。況
(ま)して幅の狭い筒状の野袴である。これに長襦袢だと動き辛いのである。下半身部分は要らない。
 当然半襦袢だから下半身は褌一枚で、その下はスッポンポンである。そして褌は、夜目にも鮮やかな非常に目立つ「赤褌」であり、私の先祖の旗印の赤であった。私はこの赤が好きなのである。赤誠を顕すからだ。
 この赤誠が、日本の国旗の赤の中にも存在し、日の丸が美しいと思うのである。

 ちなみに共産党の旗も赤だ。この赤はナチスドイツの社会労働党の鈎十字
Hakenkreuz/ハーケン・クロイツ。卍と同起源で右鉤で45度回転させ、1919以来のナチ党の党旗に用いられた)を囲った赤に由来するらしい。全体主義の国家社会主義者の象徴であった。スターリンの社会主義ソビエトは、この赤に倣(なら)ったとも、あるいは逆とも言われる。そもそもヨーロッパの右回りの思想は赤を象徴したとも言われる。体制を覆す情熱の革命の色である。社会主義政策において、スターリンはドイツの国家社会主義を模倣したともいう。

 さて、私の赤褌について一言付け加えておこう。
 露骨にも前の垂れ返しに、一見勢いを付け、あたかも膨らみが、胸を張るように盛り上がっていた。だが勃起しているのではない。それ以前の状態であり、決して勃起した訳でない。念のため。
 また私は露出狂ではない。同意の結果、そうなったまでだ。私は同意をこのように自分では認識していた。どこかズレているだろうか。
 この行為に、真弓は驚いた口調で唖然としながら、《先生って、恥じも外聞もありませんのね》と失笑気味に思ったに違いない。
 はて?……何処に、恥と外聞が同居しているのだろう。私にはこの状況判断が出来ない。

 がら空きのグリーン車と雖
(いえど)も、無人ではない。貸切専用車でない。何人が坐っている。一応社会性がある。密室でない。
 その客らが、私の方を眺めながら《何処かのバカが、何かとんでもない奇妙なことを遣り出したぞ》と注目したのである。
 この注視は、褌の垂れ返し部分の中央が、あたかも胸を張るように盛り上りっていたことだろう。注目者は内心、負けたとか、勝ったかの比較でも行っているのかも知れない。
 そもそも着物を来た男女が、目立つような恰好をして、グリーン車の一部を占拠しているのである。これ自体で充分に目立っていた。当然、興味の的にはなるだろう。

 「私と一緒に居ると、凄く恥ずかしくないですか」
 いかれた質問だったかも知れない。
 「……………」
 「私のようなのが傍に居ると恥ずかしいでしょう?」
 「はっきり言うと『超』ですわ。先生って、恥ずかしいという感覚が故障していますのね?」
 「さあ、どうでしょうか……。故障と言われましても、何しろ自覚症状をともなわないものですから……」
 「毀
(こわ)れていますね、完全に!」
 「毀れていると言われましても、どこがでしょう?」
 「頭がです」
 「しかし自分では毀れているという感覚がないのです、お赦しを」
 「だから毀れていると申し上げているのです」
 「さて、さて……、困ったものですなあ……。要するにあなたは、何のかんの言いながら、私と言う、同行者が傍
(そば)に居ると恥ずかしいのだ」
 「いいえ!世の中には斯
(か)くも奇妙な行動をする人が居るものだと、今更ながら感心しておりますの。世の中って、狭いようで、実は広ようですね。こううい変わった人がいるですもの……」
 こんな人間を始めて見たという言葉で詰
(なじ)ったようだ。
 その言い草は呆れたと言うより、侮蔑に近いものであった。それに念を押したようである。
 やはり私は、世間の感覚も視線も、“世間さまの目”から大幅にズレて居るのだろうか。あるいは一般常識と社会性の思考回路が狂っているのだろうか。しかしこの狂いは、自分では自己修正出来ない。自己修正機能が本当に毀
(こわ)れているのかも知れない。

 「私は石器時代並みの野蛮人だと嘲笑する者をおります。この嘲笑、中
(あた)らずと雖も遠からずと思いますが、如何でしょう?」
 こう質問する折りにも、真弓はせっせと着物の綻びを繕っていたった。
 「それをあたくしに、ご質問なさるの?……」叱責するような言い方だった。
 「これは失言でした。この愚問、撤回します」
 そう言ったところで漸
(ようや)く繕い終えたようだ。
 そして、グリーン車の廊下部分で再び着物を着直し、角帯を「貝の口」
【註】男の帯結びの中で最もポピュラーな結び方で結びが「貝の口」のようになる。私はこれしか結べない)に結び、袴を履いた。
 「さて、東京までの道中、酒でも喰らいますか。勝手に昼間から酒をかっくらう性癖があります。何しろ風流人ですから。それを念のためにお断りしておきます」と言いながら、缶ビールの栓を引き抜いた。
 先ずは口汚しに、最初の一口を思い切り胃袋に流し込む。そして呑んだ後で、肴に手を出す。
 「あの……、あたしにも、お酒頂けません?」
 「あなたも風流人ですか。宜しいですよ、さあどうぞ……。さて、ビールにしますか日本酒にしますか」
 「お酒、頂きます!」些か怒っていた。

 なぜ彼女が日本酒にしたのか、それを推理をする。ビールを喰らうと小便が近くなる。それを懸念してのことであろう。私の勝手な推測である。
 女の尿道の長さは、男に較べて短い。そこで我慢すると、尿道炎の恐れもある。
 男はともかく、女の場合、着物では小便が垂れ難い。尻を出すまでに難儀する。最近の狭いトイレでは尚更である。そこで下半身周りを警戒する。
 戦前・戦中は着物の場合はノーパンが多かったが、戦後はその傾向が激減した。更に激減に影響を与えたのが、あの有名な「白木屋の大火災」である。
 白木屋は東京日本橋の寛文年間から続く老舗中の老舗百貨店である。その老舗に、昭和7年12月半ば、大火災が発生した。時はクリスマスセールだった。玩具売場ではクリスマスツリーがセットされていた。だがツリーの豆電球が故障して、作業途中、電気火花が付近にあったセルロイド製の玩具に燃え移り、これが大火災の出火原因になった。
 その頃の女性の一般的な服装は着物姿で、下半身はノーパンであった。着物では、下着はつけないのが普通である。小便のとき困るからだ。
 白木屋の大火災と言えば、必ず女性に下着の話が話題となる。今日までその語り継がれは「下着伝説」とさえ言われている。このときに日本では女性が下着を付けることが流行し始める。下から見上げる火事の野次馬の目に晒され、上昇気流に煽られてスッポンポンの下半身が丸見えになったからだ。手で押さえて健気にも隠した女性達が居た。そのため顛落する女性が相次いだ。

 着物に戻そう。
 なぜノーパンがいいのか。それは着物の場合、小便が遣り辛いからだ。それでノーパンとなる。スッポンポンの方が便利だからだ。
 私は不埒
(ふらち)にも、卑猥(ひわい)にも、真弓の下半身の心配を勝手に想像してみる。一体どうなんだろうか?と……。
 しかし訊くわけにはいかない。想像するだけである。
 男女とも美醜に限らず、大小便を排泄しない人間は居ないからだ。
 そして、私の子供の頃からの疑問は、例えば時代劇などで、美人のお姫様が敵の手に墜ち、一時期、座敷牢などに収監されて、そこで正坐をしている姿を見る。
 特に映画などでは、私の記憶に鮮明に残っているのは、お姫様役の佐久間良子が正坐したまま囚われているのである。またカメラは周囲を振って背景を映すが、廻りには便所らしいものはない。その時の結論は、美人は大小便の排出をしないというのが、おそらく小学校三年くらいまでの私の認識であった。ところがその後、一変する。
 彼女は「白木屋の大火災」を知っているのだろうか。

 人間とは、美しい部分だけを所持している訳でない。美の裏には醜も、それと当量存在するのである。美醜綯
(な)い交ぜ、善悪両有が、人間と言う生き物の実態である。美しい一面だけを見て喜んでいられないのである。美なるものも、同じ分だけ醜を抱えている。その最たるものが美醜同根である。清濁併せ呑み、善悪綯い交ぜである。それは何れも、等量分ずつ所有する。
 この理屈を知ってから、私は美醜に惑わされることはなくなった。美に蠱惑されないのである。
 当時、確かに真弓は人が振り向くような大した美人だった。大半の男なら、彼女の前に引き立てられれば赤面して、しどろもどろになるだろう。しかし私はそうではないし、そもそも小学校高学年時代の環境は女性の中で育った経歴を持つ。美醜の囚われない免疫は、この頃から養われていた。

 それに私は、悪には強いが、美人には弱いというタイプではない。逆である。美人には強いが、悪には弱いという人間である。
 また美徳少なく、悪徳多しの不真面目な人間である。自分のことを真面目人間などと断言して憚
(はばか)らない人間でない。私は正義漢然が似合わない。正邪で判断すれば、邪に比重が掛かろう。悪党である。
 だが悪党にも信じるものがある。確信する真理がある。悪党でも自然の摂理は認めなければならない。
 人間は美醜に限らず、清濁も、善悪もそれを等分するだけを誰もが所持しているのである。それが何れに傾くかは環境であり、また血統であり、更には霊統であろう。
 この世の中には血と霊が関わる禍
(わざわい)は、環境で起こる以上に多いのである。更には運・不運を決定する「因縁」である。
 因縁は必然である。禍福は糾
(あざな)える縄の如しの螺旋構造になっていから、因縁は時として特異点を作り出し、必然を決定する。現象界では、それが必然として姿を顕す。
 血と霊が関わった場合、そのその深層部まで入って行かねば、改善は難しい。美醜の根元には、これが絡んでいる。世に「因縁」と名の付くものは多い。色恋沙汰にもこれが絡み、それだけに人間の因縁を深くしている。

 この日本酒のワンカップは、栓の口の部分に小さな白い盃がついているやつである。
 真弓はビニールを剥がし、栓を捻り、盃を手にして手酌するつもりだろう。
 私は些か同情の念が疾しり、「お酌をしましょうか」と、要らぬお節介をした。
 「いいえ、結構です!」即答だった。
 「えッ?即答ですか」
 「……………」
 「何か困らせることいいましたか」
 「いいえ!」
 そう言って、自分で手酌をして呑もうとするところだった。
 「あのッ……、女が一人で手酌すると、みっともないですよ。お酌しましょう」と気を遣いながら言うと、「どうせ、あたくしはみっともない女です」と言って、何に腹を立てているのか解らず仕舞いだった。何が彼女の心を荒立てているのだろうか。
 こういう場合は、あまり構わず、本人の遣りたいように遣らすしかない。
 一口、二口、三口と盃が重なった。そのうち、しゃっくりを始めた。

 「大丈夫ですか」
 「大丈夫じゃありませんわ」
 「背中でも摩
(さす)りましょうか」
 「いいえ、結構です。あたくし、もともとお酒には弱いのですの」
 「ではどうして、呑むのです?」
 「だって、お酒でも呑まないと遣っていられないじゃありませんの!」
 彼女は《一体どちらがみっともないのか》と、私に問うているようだった。
 それは、先ほどの着物を脱いで綻びを繕ったことを指しているのだろうか。いらぬお節介をしたと言う反省と同時に、私の世間とはズレた行動を採る、下半身の赤褌の赤を“赤っ恥”と捉えたのだろうか。
 「どこか遠くの、離れた席に、私だけ移動しましょうか」
 「いいえ、今さら移動するとなると、恥じの上塗りですわ」
 やはり、彼女は私の下半身のスッポンポンに怒っているようだった。しかし、赤褌は付けていたぞ反論したい気持ちだった。

 かつて『いなかっぺ大将』
(川崎のぼる作)というマンガがあった。
 主人公の田舎っぺの風大左衛門
(かぜ‐だいざえもん)少年は、猫のニャンコ先生と共に柔道修行に明け暮れるのだが、何か嬉しくなる(興奮その他で眼がハート型になる)と素っ裸になって赤い越中褌一枚になる癖があり、更に赤褌をひらつかせてジャンプする子供向けの“ずっこけギャグマンガ”だった。その『大ちゃん数え歌』という主題歌まで憶えている。
 これは昭和40年代にはテレビでも放映されたし、少年雑誌にも連載となり、単行本も発刊されていた。あの時代、私は大学生だったが、この“ずっこけギャグ”が面白くて、よく見たものである。このマンガを見て久々に童心に返ることがあった。その当時は、わが家はカラーテレビではなかったが、50年代にはカラーだったので再放送シリーズを毎回見ていた。当時は自宅で学習塾を遣っていたが、この再放送を家内とよく見たものである。家内も鼻歌混じりで、その主題歌を歌っていた。
 別に私は、このマンガのギャグを真似した訳ではないが、「ふりちん健康法」でパンツ無しで冷やして冷却するか、仮に固定するとなると、わが先祖の平家の旗印である赤褌であった。赤褌にはエネルギーを感じるのである。赤こそ命のエネルギーである。生きている躍動のエネルギーである。赤は活動を顕す色である。

 しかし、白となると、少しばかり事情が違って来る。
 白は源氏の旗印である。わが遠い先祖は壇ノ浦で敗れ、落ち武者となって平戸に落ち延びたと言う。そして以降「岩の先から平戸島に上陸したので岩崎と名乗った」と言う。その後、松浦家に遣え松浦水軍の一翼を担ったと言う。
 白旗は、わが先祖・平氏の憎き仇
(かたき)。遺恨なり……、今から数えて八百三十余年である。
 ゆえに褌は白では困るのである。赤でなければならない。死に装束の白は好まない。行きている間は生命の象徴である赤に身を纏いたい。
 潔白の白、純白の白、白昼の白は、一方で死を想わせる。この世とは異なる、あの世を連想させる。
 生きている間は赤で通したい。これは現世に生きる生活者のスタイルであった。

 仏道の涅槃論などでは赤は煩悩
(ぼんのう)の火、白は涅槃の悟りをいう。しかし煩悩多き人間が悟ることが難しい。特に蠱惑され易い現世では……。悟りは何ぴとも至難の業である。生きている間は煩悩の業火(ごうか)で灼かれる以外ない。
 悟りこそ、それは実は煩悩の中に存在するのである。煩悩なくして悟りなしである。
 生きている間は煩悩塗
(まみ)れであっていい。煩悩の赤が悟りの白に変わって行く中に、人の人生が在るのである。当然死期が近付けば赤は白に近付いていなければなるまいが、白に近付くには、赤の煩悩三昧(ざんまい)に浸り切って白に変化する必要がある。この浸り方が中途半端では、真っ白な純白にはなり得ず、途中の如何わしいピンク止まりで、そこで潰える。中途半端では不完全燃焼である。
 私は故に、赤は人間現象界のエネルギーの赤と捉えているのである。生命は燃やさねばならない。火焔の赤が必要だ。生命の象徴なのである。
 また赤褌は、学習院の水泳の授業等の男子の水泳着でもあり、ここでは赤褌が用いられ、赤は、紫とともに高貴な色とされていた。
 私は先祖の旗印の赤色を、急所保護の護身法に遣っていただけである。何も指弾されたり、罵倒されるいわれはない。破廉恥を働いた覚えはないのである。
 酒に弱いと自称した真弓が、銚子を一本開けた頃、酔いが幾分口を軽くしたのか、これまでの経緯を話し始めた。

 「バス停に行く途中に鶏肉屋さんが在るでしょ。あたくしがあの店の前を通り掛かっているとき、お婆さんが出て来てね、『今度、新しく曽川先生のところの塾で、先生になられた方ですか』なんて訊きますのよ。そこで、『ええ』と言うと、お婆さんたらね。『ちょっと、うちでお茶でも飲んで行きなさいよ』と煩く言いますの。あたしくもご挨拶がてらに、お寄りしただけですの……」という。
 これは故意に、鳥屋に入ったと言う訳ではないという申し開きなのだろう。それに婆さんから呼び止められた目印は、訪問着のような着物を着ていることであった。呼び止められた目印はこれだった。
 もしかすると、「超場違いの先生」とでも、既に宣伝されていたかも知れない。
 悪事千里を走るである。噂も同じである。この噂が既に走っていたのかも知れない。この界隈を着物でちゃらちゃら動いているのは彼女くらいしかいないからである。目印は「超場違い」に違いない。

 「そしてね。『おたくの先生がバス停に行くときは、うちの前を必ず通るから大丈夫ですよ。ここで俟っていたら』と言うから、それだったらと思って、お言葉に甘えて暫くお邪魔しておりましたの」
 このとき私は、鳥屋の前を通ることはなかった。一旦家に戻った時に、擦れ違いが起こっていた。説明されてなるほどと思う。真弓の故意でないことが判明した。
 その後、明林塾に立ち寄り、来客に対応し、その足でバス停に向かった。
 しかし、この回答に些か不審が混じっていた。
 私が明林塾に行く経路の中にも鳥屋の前は入っている。私の歩く姿を婆さまは見逃す筈がない。見た筈だ。それを見ながら遣り過ごしている。そして真弓のときは注視した。何故だろう?……。
 あるいは婆さまは、私が通り過ぎたのを知っていながら遣り過ごし、真弓だけを止めて、何かを訊き出したと言う画策すら泛
(うか)びせが上がって来る。
 更にはもう一つ。
 それは真弓の故意でないにしても、この女は目立つ。特に着物の群青色
(ウルトラ・マリン)が人目を惹く。わざと、それを見せ付けたのか?……。その懸念が思われた。
 私はこの女性がよく分らない。しかし何れも考えられたが、別に気にとめることではあるまい。忘れればすむことだった。
 酒でも、かっ喰らって済んだことは忘れるか……。それが一本、また一本とビールと酒のごちゃ混ぜで、酩酊に近付いていった。東京に着いた頃には、すっかり出来上がっていた。

 しかし不可解である。道中で反芻
(はんすう)してみた。別の角度から鬩(せめ)ぎ合いがあった。
 それは忘れようとした忘却の中で頭を擡
(もた)げるのである。何故だろう。
 そのときバス停の前を通ったら、もう真弓の姿はなかったのだ。何処に居たのか?……。
 居なかったから、それで、てっきり先に行ったとばかり思い込んでいた。万一の場合も、落合場所は決められていた。さして道行きに同伴行動を執
(と)ることはない。それならそれでいいと思ったのである。また、あらぬ誤解が減る。
 しかし、そんなことはどうでもよかった。
 そういう世間風の噂などどうでもいいことであった。

 むしろ、この日の見事に晴れ渡った晩秋特有の季節である。そして、この季節の晩秋のいい貌を、去年見て知っていた。
 この季節に身を置きたい。ひと時の哀愁に浸りたい。そういう願望が、銀杏の絨毯の習志野公園前の大通りを歩るかせた。その歩いた先に習志野公園の晩秋があった。最後に公園に寄って、これまでの想い出を整理してみたくなったのである。
 それが、真弓との擦れ違いを生じさせていた。
 更には忽然
(こつぜん)と顕われた、かの老人の仙人然とした会話に少しばかり時間を費やし、しかしそれは霧に包まれ、去り際、老人がいつ消えたか釈然としなかった。不思議なこともあるものだと思った。隠行(おんぎょう)に術を遣ったのだろうか。その疑念が脳裡(のうり)に過(よぎ)った。
 しかしその世界が余りにも深過ぎて、何処に消えたか皆目検討がつかなかった。
 暫
(しばら)く佇(たたず)んだあと、バス停に向かい途中、コンビニで酒とビールを買い、鳥屋で酒の肴をとなった次第である。
 この『擦れ違い劇』の経緯が段々分って来たのである、その構造が……。
 構造内部には、もう次元自体の活断層現象が顕われているように思われた。何処かで食い違いが起こっているのである。
 時空軸の歪
(ゆが)みか?……。古くは「隠淪(いんりん)」と言ったらしい。

 隠淪といえば、普通、世の逃れて姿を世間から隠すことだが、急場の術として、逃走する時などの用いる術で他に姿を替えたり、観測者の目を眩ませて擦り抜ける術があると言う。別の物に化けると言う。その時空の隙間があってそこに姿を隠して擦り抜ける。そういう隠淪なる術があると言う。それを当事者同士ではなく、全く別の第三者
(煽動者)が企て、目立たぬ死角の中に隠し、人目を欺(あざむ)くと言う。何か周囲には不穏を思わせる、その類の奇妙な蠢(うごめ)きが起こっているようだった。

 昭和30年代、テレビドラマなどで盛んに「擦れ違い恋愛劇」が放映され、これが庶民の娯楽に受け入れられて大ブームになったが、あれも作者が隠淪を想起して企てたものであろう。こういう芝居は大衆・庶民に大いに受けるのである。悲恋物は多分に時間と偶然が連続して交叉する隠淪が盛り込まれて運命に翻弄されるストーリーを描き出している。隠され、見えなくなって擦れ違いを起こす奇が繰り返される。妙と言えよう。
 その典型が昭和20代後半にブームになった『君の名は』
(菊田一夫作の連続ラジオ放送劇)であった。
 ストーリーは悲恋ものであり、内容は、氏家真知子と後宮春樹の悲恋を隠淪風に描いている。仕掛けには時間誤差のマジック的な要素があった。大衆はこうしたマジックに、大衆の心理で掛かり易いようだ。
 それは人間の深層心理に「悲恋に終わる恋」の願望があるからである。



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