運気 八門人相 房中術 癒しの杜 菜根譚 小説 会報Back No. 合気 蜘蛛之巣伝 死の超剋 霊的食養 心法
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続々 壺中天・瓢箪仙人 20

人間は不思議なもので、一度合理主義の虜になると、その中から出られないものである。
 物事を利潤優先にして考える。そして、世の中全体が利潤優先によって思考することに比重が掛かれば、その色合いが濃厚になる、それに庶民まで染まって行くと言う現象が起こる。
 “お上”に従順なる忍従と沈黙である。長いものには巻かれる。

 則
(すなわ)ち、これが弱肉強食の理論で強者に恭順して行く庶民の行動原理である。嵐の猛威の過ぎ去るのを待つ姿勢である。
 この原理によって社会全体が染め上げられて行くと、単に黙りこくるばかりでなく、何故か末端の庶民の生命まで軽んじられ、粗末に扱われるようになる。死を恐れるばかりか、死を無視すらするのである。
 今日ほど、人の生命が粗末にされる時代は、これまであっただろうか。
 大戦当時でも、今日ほど酷くはなかった。まだ人の死に尊厳があった。重く受け止めていた。それゆえ死者には、冥福を祈って誰もが手を合わせた。

 第二次世界大戦によって失われた人命数の集計は、アメリカをはじめとする連合国軍の発表した結果によると、当時、全世界で失われた行方不明者を加えた数字で一千五百万人であったと言う。
 これほど多くの人命が失われ、戦争の惨害に凝りている筈の戦後生まれの現代人なのだが、戦後、人の生命に対する考え方が、戦前・戦中以上に、何と荒
(すさ)んでしまったことであろうか。
 一見平和に思える現代にあって、人命は軽んじられている。これは順逆が狂ってしまったからである。本来に人・物・金の順が、人より物と金が先に来て、人が後回しになってしまったからだ。


●水村山郭酒旗の風

 経済智将集団はM資金に注目した。
 その手掛かりとして、養父・星野周作が残した記録帳にあった寧福寺
(ねいふくじ)に預けた仏像と、それに付随されていた奇妙な地図である。現状は暗号化されているが、解読が進めば詳細が明らかになろう。しかし命あっての物種である。此処でくたばるわけにはいかない。
 先ず当面は、一刻も早く新京飛行場に辿り着かねばならない。当面の任務として、今夜の便の飛行機に乗り遅れてはならないのだ。“山こかし”を遣る津村陽平の任務意識である。

 山中から下り、興安驛に向かう途中、ある酒屋の旗を見た。旗が風に靡
(なび)いていた。もし此処に楼台があって、雨にでも煙っていれば、古都の仏教寺院を髣髴とさせるではないか。天狗足で急いでいる最中に、津村陽平が想起したのである。あるいは妄想か……。
 しかし津村にとって、問題は酒屋の旗であった。「酒」の字である。見逃せない。あたかも手招きしているようだった。風流人なら、これを見逃す手はない。

 「重蔵、あそこに酒屋がある」
 「それで?」
 「今は鶯
(うぐいす)は啼(な)かんが、水村山郭酒旗(すいそん‐さんかく‐しゅき)の風と言うではないか」津村は杜牧(とぼく)の漢詩『江南の春』の一節を挙げた。
 「なんだと?」
 津村に風流の虫が起こった。特別に面白いことを遣っている分けでない。だが鄙
(ひな)びた風景の雰囲気に憑(つ)かれた者は、何か捨て難い趣(おもむき)と哀愁があり、一度取り憑かれれば、あたかも磁場に引かれる鉄粉のように、そこに吸い寄せられてしまうのである。
 「酒屋が、わが輩に手招きしている。ちょいと一杯、かっ喰らって行こうじゃないか」
 「こういう時にか?」《馬鹿も休み休み言え》というふうだった。余りにも滑稽に見えたからだ。
 「ああ」《こういう時だからこそ、いいんじゃないか》という相槌
(あいづち)だった。
 「急いでいるのだろう?」
 「ああ、急いでいる。確かに急いでいるが、焦
(あせ)ってはおらん。焦って狼狽(うろた)えてはおらん。急(せ)いては事を仕損ずるというではないか」これを余裕というか、ズレているというか、暢気(のんき)というか、あるいは馬鹿というか……。あるいは、いかれているのか。
 「大した度胸だ。陽平さん、あんたには、ほとほと頭が下がる」重蔵は呆れた。
 「頭は下げんでいい」
 「どこか毀
(こわ)れているのと違うか?」
 「毀れてなどいない。智慧者と言ってもらいたい」
 「なに、智慧者だと?!」聲
(こえ)の調子が一オクターブ上がった。
 「智慧者といっておる」《それが分らんか》と言いたげであった。
 「どこがだ?」
 「だから、こういうのを“維摩
(ゆいま)の説法より屁の一発”という」
 「何だ、それ?」
 「長ったらしい、ぐちゃぐちゃ言う説法よりもだ、屁の一発の方は説得力があるということだ」
 これを表現するならば、《学識優れた在家長者の維摩が著した『維摩経』
(大乗経典の一つとされ、優れた戯曲的手法を以て説いたもので、『維摩詰経』とも)の長ったらしい説法より、屁の一発》という意味のことをぬかしたのである。
 「見ろ」と顎
(あご)をしゃくった。
 「うム?……」
 「智慧者は行動に無駄がなく、観察眼も巧みである。酒屋併設の厩
(うまや)には、駿馬(しゅんめ)とも駄馬(だば)ともつかぬ、馬が繋いである」
 それは此処から先、馬に乗って疾走すると言う意味であった。
 「なるほど」やっとピンときた。
 「今ごろ気付いたか」
 「あんたは確かに智慧者だよ。いいところに眼をつけた」さすがと言うより、抜け目がないという言い方だった。こうして重蔵は納得に至った。

 話術について、一言説明を付け加えておこう。
 話す相手が譬
(たと)え、術者の話にほぼ完全に掛かったと思えても、決してそれで安堵(あんど)してはいけない。最後の最後まで分らないものである。押しの一手は決して弛(ゆる)めてはならないのである。
 だが執拗
(しつよう)に拘泥(こうでい)してはならない。常に塩梅を考えつつ、微妙に調整して言辞を重ね、相手にその方向性を、今度は眼に訴え、納得されるのが話術展開の要諦である。話だけでは、最終的な決め手にならないからだ。
 例えば会議などで、資料や証拠物件を提示するのは、話術とともに、眼で訴える二段構えになっているからである。この要諦を理解し、話の術者は畳み掛けるように、話術を繰り返さなければならないのである。こうして徐々に自分の土俵に引き摺り込むのが、弁論家であり、売り付け商法の詐欺師であろうと、公約を掲げた政治家であろうと、話術は同じこと繰り返すというのが弁術の秘訣なのである。相手が、知的レベルが低い場合は、尚更である。
 矢継ぎ早に、早口で喋り、眼で訴える“根拠見せ”を遣って、話術で相手を丸め込めることが出来る。
 人間界の大半の構成員は、賢人より愚人の数が圧倒的である。学歴があっても学力がないという知識偏重
(へんちょう)社会であっては尚更である。殆どの人が、自分の専門を離れれば、赤子同然の知識しか持たないのである。昨今のテレビ・コマーシャルは、その盲点を衝いた顕著な例であろう。
 ウッドペッカーのような連打の早口。「ゥアアーアー、ゥアアーアー、ゥアアアアアアアアア!……」という甲高い機関銃のような捲
(まく)し立てる聲(こえ)。そして眼で訴える根拠見せ。愚人を納得させる顕著な例である。つまり薄利多売の商売でも、大層な公約を掲げて票を獲得する政治家でも、此処に繁栄の糸口を見出しているのである。

 こうして酒屋に入り、酒を一杯どころか、何杯かをかっ喰らうことになった。
 呑みながら酒屋のオヤジと、馬を貸借する話を始めたのである。この辺が交渉人の妙である。交渉は巧くいった。タダで貸せと言うのではないからだ。
 だが、駄馬では何十里も走れない。直ぐにくたばる。そこが気掛かりである。次の手を考えておかねばならない。だが今は先ず借りる。これだけを念頭に置いておけばいい。
 これからの策としては、京白線の白城子
(はくじょうし)まで辿り着く。駄馬に鞭打ち、乗り潰してもだ。そのときはまた、何処かで馬を探せばいい。津村陽平の懐(ふところ)は暖かい。たんまりある。それも持ち馴れぬ金である。自分の金でないから、金離れもいい。ついでに気前もいい。
 誇張を前面に出して、金で何とかなることは金で解決する。そのうえで狡計
(こうけい)を巡らす。ここにおいて津村陽平は、異常な勇気と術策を揮って、あたかも敵中突破のようなことを企てたのである。
 この漢の忙
(せわ)しなく大陸を行き来する南船北馬の骨折りは、果たして実るのか?……。

 そのために白城子驛に着き、まず新京行きの汽車に乗る。それも急行列車でなければならない。そして一気に新京入りする。唯一の疾走策である。
 当時はコンピュータも携帯電話も無い時代である。今日のように文明の利器など皆無である。総ては自力で自前だった。自力移動が中心の時代である。時間通りに間に合って「幾ら」である。「走れメロス」の時代である。任務は時間に「間に合う」ことが必要条件だった。
 だが智慧者は、わが足だけを酷使しない。頭を酷使する。脳漿
(のうしょう)を絞って智慧を捻り出す。天狗足と馬のリレーである。これを以て、何とか間に合わせる。その自信はある。
 ときに、私設外交官のような真似もする。
 更にこの漢、些か滑稽にも快男児を気取っている。そして奇知警句湧くが如くの執念を燃やすのであった。一種の狂人である。

 馬は二頭だった。話術と金とで丸め込んだ本日の成果だった。
 この二頭に、それぞれが分乗するのでない。一頭に二人が乗る。そして一頭を、その後ろに従えて疾る。空馬だ。つまり二頭に分乗すれば、乗り潰せばそれまでである。そこで、一頭に二人乗る。十六世紀の日本の戦場武士の騎馬武者の考え方である。騎馬武者は決して一頭を乗り潰さない。交互に使って馬を労る。
 また、騎乗球技に「ポロ
(polo)」というものがある。ペルシア起源の騎乗球技である。四人ずつ騎士が二組に分かれ、一個の木のボールを馬上からT字型の長柄の槌(マレット)で相手側のゴールへ打ち込み合って勝負を争う競技である。この競技では馬を次々に交替させて行く。馬を烈しく消耗させる競技である。
 したがって一頭に長く乗らない。馬に疲れさせないために、次々に交替を遣って変えて行くのである。消耗戦を闘う競技である。争奪戦では、一人の騎乗者がボールを追いながら、四頭ほどの馬を15分から20分おきに乗り換えて行く競技である。この競技をするには、馬を所有する時点で、大変な金が掛かる。自前で、牧場まで準備しなければならないからだ。日本にポロ選手が少ないのは、こう言う理由である。

 これを同じような競技は日本にもある。「打毬
(だきゅう)」という。おそらく、これも遠くはペルシアを起源とするのだろう。
 騎乗者らが二組に分れ、それぞれに紅白の綬帯布帛
(じゅたい‐ふはく)を、肩から腰に斜めに掛けて打毬杖を振るって、広庭上にある毬を自分の組の毬門(きゅうもん)に早く入れることを競う競技である。
 この競技も金が掛かる。今日では宮内庁と、青森県八戸市の長者山新羅神社や山形県山形市の豊烈神社のみ伝承されている。ペルシア起源であるから、何れも酷似している。消耗戦を闘うため馬を定期的に、交互に乗り換えていくのもよく似ている。

 また十六世紀の戦国時代、戦場では、一人の騎馬武者が二、三頭ほどの馬を引き連れている。
 特に大陸などでは多く見られ、駿馬を一方的に乗って潰さない騎乗の仕方である。気候風土から生まれた智慧である。
 これと同じような乗り方を、津村と重蔵が行って広大な黄土を疾走していた。
 重蔵の体重が75kgで身長が186cm、津村の体重が45kgで身長が147cm
【註】本来ならば陸軍士官学校受験前の身体検査で不合格)、併せて120kg。これは騎馬武者が40kgの鎧を着け完全武装して、体重が75kg前後の武士が乗ったのとほぼ同じである。馬にしてみれば「苦しゅうない」の重量である。
 二頭を交互に乗れば、一頭のみを潰さなくて済む。
 乗り継げるところまで行く。興安驛までは、もう一息だった。次に京白線の白城子驛まで向かう。鞭を馬にくれて、一気に疾った。猛烈な疾走である。
 まずは白城子まで……。当面の目標課題だった。
 次に白城子驛から午前9時55分の汽車に乗れば、新京には午後9時40分前後に到着する。時刻表ではそうなっているが、昭和19年夏の頃であり、沿線付近の小競り合いや空襲などがあれば、時間通りに運行されているかは分らない。既に満鉄の時刻表は信頼が薄まっていた。それだけに、満洲の曠野
(こうや)では、馬に乗れることも生活の必要条件になっていた。

 馬がだいぶんくたばったなァ、そろそろ替えなければ……。津村の感想である。
 二人は途中で農家の厩を見付けて、某かの金子を払い、二頭の馬を交換した。少しでも大目に払うと、直ぐに乗って来た。金に糸目は付けない。手厚くして払う。ケチらない。農民には器量のあるところを見せる。すると、その主人には信用が大となる。味方にもなる。こうして尊敬を勝ち取るのである。
 これは『三大規則』と『注意八項』を掲げ、毛沢東が使った手である。遠望的ビジョンとしては、プロパガンダの戦略である。その戦略の一つが人民との調和であった。毛沢東は人民を取り込むためには、この策が必要だと確信していた。この点が、蒋介石との根本的な違いであった。
 蒋介石は人民の力を軽視したために、大陸での争奪戦は敗れた。『孫子』の兵法は、知ったふうで実は何も知らなかった。蒋介石より、更に愚が酷かったのは、日本に陸海軍だった。この、明治維新以来のこの軍隊組織は、敵を知らず、吾
(われ)も知らなかった。開戦当時、武器は、米英に対して多く所有しながらも、負けは最初から見えていた。戦争指導者が愚かだったからだ。
 毛沢東の「智」は、今日でも学ぶ点が多いだろう。歴史に記されていることは、いつの時代も顕著な教訓となる。まず敵を知り、自分を知るには、歴史に学ぶ必要がある。歴史には戦争と政治の多くの教訓が語られているからだ。

 毛沢東の智の数々……。人間性はともかくとして、智将としての学ぶべき点は多い。
 智将の言。話をするときは何ぴとも話は穏
(おだ)やかにする。買い物の支払いは軍票を遣わず、一回ごとに現金で支払い、値段は公正にする。物を借りたら返す。物を壊したら弁償する。人民を殴ったり、怒鳴ったりしない。農作物を荒らさない。婦人をからかわない。捕虜を苛めない。以上、『注意八項』である。
 この『注意八項』を、昭和17年以降のミッドウェーで大敗北を帰した後の日本軍と比較してどうか、それ以降の日本の陸海軍がどうだったかと考えれば、国家総動員法が如何に愚法であったか分るであろう。
 人的および物的資源を統制し運用する広汎な権限を、一切政府に与えた委任立法は、則
(すなわ)ち、軍を横暴にさせることであった。手柄ばかりを吹聴するようでは何もならず、愚である。陸海軍の軍人が夜郎自大になったのはこのためであった。敵を知らず、吾も知らなかったのである。勝てるわけがない。
 毛沢東は抗日運動を通じて、日本軍の愚を知り抜いていた。日本軍を蛮行を反面教師と検
(み)た。炯眼(けいがん)である。
 反対のことをすれば巧く行く。戦争に勝てる。そう検たのである。事実その通りになった。毛沢東は人間現象の何たるかを熟知していた。ゆえに人民を掌握して広大な中国大陸を手にした。
 少人数のゲリラ戦を展開するうえでは、欠かせないと検
た。この眼力は鋭く、洞察力に長けていた。
 敵を知り、己を知る。敵国民を味方に付けるばかりでなく、自国民まで味方に付けてしまったのである。これがやがて民族解放戦線へと繋がり、国際輿論まで味方に付けてしまったのである。流石
(さすが)に、毛沢東は智慧者だった。
 津村もその智慧者に、肖
(あやか)ったまでである。

 馬の脚を借りれば、待ち時間がないから、時間的には汽車で行くより早くなる。前の汽車を追い掛ける。これを交互に組み合わせれば、更に時間の短縮になる。馬が疲れれば、行った先で馬を売る。新しい馬を買う。
 この調子で大日本航空Z便の出発時間まで、何とか間に合う目処
(めど)が立ったのである。だが奇禍がなければの話である。その状況を確保しておいて、先ず白城子を目指して駆ける。午前9時55分の汽車に、間に合わせる。その執念で疾走した。この策は巧くいく。信念でもあった。


 ─────午後6時。日本に向けて飛ぶ当日である。第三回目の訓練飛行は大日本航空Z便として、そのまま日本に向かうことだった。今夜11時30分発のZ便が、そのまま本番となる。時は切羽詰まっていた。
 『空龍』の搭乗員は、今夜の飛行計画指令を、飛行場指揮所で説明を受けていた。運行会議である。それに関連する搭乗客の身分なども発表された。そしてこの運行に当たり、『梟の眼』の機関長自ら運行指揮をする策を立てた。

 「乾坤一擲。皇国の興廃は本日の運行に総てがかかる」布袋さまが重々しく開口一番に発した一言は、成るか成らぬかは、この日の運行にかかっていた。それは搭乗人物の中に、国運を左右するような大物が搭乗するからである。
 Z便には乗員乗客を併せて26名が乗る。更には金塊500kgも積み込まれる。最初からその計画になっていた。更に江静と美雨の母子が追加乗客となった。
 搭乗客は満洲国各省庁の高級官吏と皇帝
関係者、それに満洲経済界からは新京日本商工会議所の理事達で、更には哈爾濱でロシア人救済事業を展開する白系ロシアのガリル財団のメンバーである。
 早期戦争終結と日本の戦後を処理するために、日本と満洲間において、経済工作で資金調達を担当する。

 運行会議での巡航ルートは発表された。これまで極秘にされた内容である。コックピットのクルーも全く予期しないルートだった。それは深夜に新京飛行場を飛び発ち、日本海洋上の会合点であるX点に着水し、そこで要人一名を拾うというとんでもない至上命令であった。それも制空圏を失っている日本海である。またこの海域には米潜水艦がうようよいる。着水時に魚雷攻撃を受けることもある。
 さて、皇国の興廃が懸かるこの度の運行に対し、この作戦が成功しなかったらどうなるかなどの選択は、運行側にない。成功しなかったら、皇国は亡国に向かうだけである。その加速が早まるだけである。それ以外の可能性はあり得ない。したがって事前に“成功しなかったら……”などと、そこまで考える必要はない。失敗した時点で、皇国は世界地図から消去される。国が消える。それだけだ。
 その場合に残された道は、一億火の玉でなく、“一億は赤子まで含めて悉
(ことごと)く玉砕する”か、総て言いなりの“無条件降伏”して、戦勝国から列島は分割され、日本国民が戦勝国の奴隷となるだけである。
 したがって成功しなければ、日本は歴史からの退場となり、この時点で日本国は終焉
(しゅうえん)する。自称「紀元二千六百年」の神国日本は崩壊する。

 布袋さまからこの話を聴いて、クルー全員は暫
(しばら)くの間、沈黙した。この場では沈黙する以外、果たして何があるだろうか。
 アンの貌は、この作戦を計画自体が無謀であるのか、任務が困難であるのか、またそれをどのように感じたのか、彼女の表情には顕われていなかった。その表情は無表情と言えた。敢えてその無表情を形容すれば、例えば、人が烈しい激論の末に法外な結論を出されたときにする唖然とした衝撃、そういう烈しい衝撃を受けたときに見せる無表情であった。
 『空龍』の搭乗員の10名も、長い間、沈黙を続けた。
 ついに布袋さまが、沈黙を破って切り出した。
 「どうだろう、サトウ少佐。この作戦は無理だろうか」専門家の意見を聞くと言うふうにである。
 アンはこれまでにも、こう言う作戦を聴いたような気がした。いつのことか今は明確に思い出せないが、何か無理難題のような計画を持ち掛けられ、説得され、実行した憶
(おぼ)えがあった。
 そもそも彼女が府中刑務所に収監されていたとき、突然沢田次郎が遣って来て『タカ』計画に加わらないかと説得された。官憲当局から国家転覆罪を捏造
(ねつぞう)されて、既に死刑判決を受け、刑の執行を俟つばかりのときだった。今さら何が起ころうと驚きはしない。今までが既に無謀だった。
 今回の作戦が如何に無謀であろうとも、知ったことではない。

 「いいえ」
 アンはこれまで暫し俯き加減だった背を起こして、肯定とも否定ともつかぬ返事をした。
 「それは無理ではないということか」
 「無理とは言わないまでも、無意味です。愚かな作戦です」
 「どういうことかね?」
 「この、たった一回の航行によって、戦局の事態は何一つ変わりません。本作戦は独創的な思いつきとは存じますが、制空圏を連合国側に抑えられている以上、それを敢
(あ)えて遣るとなれば、それ自体が愚行となります」思うところを率直に吐露した。
 「だが、蛮行ではあるまい!」布袋さまは愚と蛮の違いを突いた。
 それは蛮行ならならぬが、愚行なら分っていて、敢えて愚を働くと言う意味である。だが、愚を愚で終わらせないところに智慧者の思惑がある。こう言って、布袋さまはアンの反応を検
(み)た。
 「えッ?」彼女の声は思わず上がった。
 「われわれには、だからといって、贅沢な作戦は行えないんだよ、サトウ少佐。これが限界だ。
 これ以上、美辞麗句を並び立てて、美名で作戦命令を出したとしても、結局、歯に衣
(きぬ)を着せて終わりとなる。そこで率直に貴官の飛行機乗りとして、飛ぶか飛ばないかを訊いておる」
 「では、志願致します」肚を決めたと言う返事である。
 「いや、志願などしてもらわなくてもいい。貴官に対し、わしは飛べと命令しているだけである。
 わが『梟の眼』が需
(もと)めている搭乗員は、我が儘(まま)な飛行機乗りではない。一見、不可能と思える任務を、意図も簡単に易々と遣って退ける飛行機乗りだ。他には需めん」
 「お言葉ですが機関長殿。わたくしが、自らこの任務に就こうとしない限り、『空龍』は何処にも飛べはしませんわ、1kmは愚か、500mも。在
(あ)り来たりな言葉で言うではありませんか、馬を川縁に連れて行っても、馬に水を飲ませる事は出来ないと」
 布袋さまは、これを聴いて苦笑した。
 「確かにその通りだ」
 「だったら、わたしくは蛮行は致しませんわ」
 「なに!断ると言うのか」
 「人の話は最後まで、よく聞くものですわ」
 「うム!」
 「わたくしは蛮行はしないと言っているだけです」
 「どういう意味だ?」
 「でもですねェ、愚行なら遣っても宜しいかと……。わたくしは日本陸軍のお雇い軍人ですが、その前に一飛行機乗りの可能性を目指す、その種の人間です。お望みとあれば、アクロバットの一つや二つ……」
 「おもしろいことを言う……」苦笑しながら感想を洩らした。
 「でも愚行を働く以上、弁償だけはご勘弁願います。こんな高い飛行機、わたくし個人では、壊したり撃墜された場合に到底弁償できませんわ。それで宜しければ……」
 「それはよかろう。錐揉みでも、背面宙返りでも、貴官の好きなように飛行し給え」
 「ではご遠慮なく、思う存分に飛ばさせて頂きます」
 「ところで、あいつはどうなっている?……。あの頭のでかい奴だよ。まだ戻らんのか」
 布袋さまは福禄寿を指摘した。
 「あの方ですか。徘徊が始まると、処構わずですから……」
 「困ったものじゃのう」
 「わたくしも困っております」
 一同は、『タカ』メンバーである津村陽平の復
(かえ)りを待ちわびているのであった。
 本来ならば、搭乗時間の一時間前には手続きをすることが常識である。それが時間的には無視されていた。
 ここに福禄寿・津村の、全員に気を揉
(も)ませる一因があった。処構わず徘徊する。

 更にである。難問は山積みだった。
 至上命令は日本海のX地点で一旦着水し、そこで一名拾うという……。
 話によれば、その人物は名を明かされていないが、重要人物であることは明白である。その人物を駆逐艦でX地点の会合点で向かわし、内火艇で接近したのち『空龍』に乗り込むと言うのである。
 夜の日本海……。その場所は、今は定かでない。会合地点をXとしているだけである。
 離陸した後、暗号でX地点は指令されるのであろう。だが洋上で、果たしてこれが可能なのか。それ自体が不明であるというより、まさに無謀な綱渡りである。実行が不可能に近い命令を押し付けられた上に、津村陽平がこの態
(ざま)では、果たして困る以外に何が出来よう。
 だが、軍人は命令に従わねばならない。ゆえに搭乗員一同は、今回の作戦が如何に危険か、如何に不可能に近いか、それを心に新たにしたのである。
 そもそも鏡泊湖に着水して訓練を開始して以来、無謀な、難解なことを経験しなければならなかった。

 頼りになるものと言えば『空龍』の能力である。
 二式大艇を改造した優れた面を持っている。だが反面、旅客機仕様である。戦場を飛ぶべき飛行機でない。
 まず戦時の飛行機の条件として絶対出力であろう。発動機の力である。併せて火力であり、強力な武装を搭載していることである。
 だが『空龍』は旅客機である。格闘戦は闘えない。そのように造られていない。だが優れた面も持つ。
 発動機の三菱火星22型を改良して強力なハ43型改
(星形複列18気筒)で、プロペラは二重反転式・六枚翅で推進力を増強し、最高時速270ノット(500km/h)、そして高度8千7百mの上空を航行する。旅客機にしては足が速い。しかし発動機はともかくとして、武装は威嚇のためで、お飾りだった。九七式20mm自動速射砲が機首に1門搭載されているが、軍用機としての機能は殆どない。敵機に遭遇した場合、戦闘できる状態にはない。
 敵に遭遇すれば、足の速さを活かし、躱
(かわ)して去(い)なし、逃げ切るしかない。逃げ切れる可能性は少なからずある。鈍重な四発機でも、海面すれすれに飛べば、その充分に勝算はある。
 まず海面波を発生させる。追撃機は海面すれすれの低空飛行だと、機首から海面に突っ込んで大破するかも知れない。追撃機にそういうアンラッキーな事態が起こるかも知れない。敵に後ろを追わせておいて、『振り向き態
(ざま)』という「横薙ぎの術」である。誘い込んでの「入身」と思えばいい。
 だが些か、現実離れした希望的観測の観もある。条件は極めて不利であった。

 今は午後6時を回った頃である。太陰太陽暦で一日の始まりを考えれば、現代は一日がいつ始まるかについて漠然と朝からと思い込んでいるが、では夜はとなると釈然としなくなる。よく「昨日みた夢」などという。では「昨日」とはいつのことなのだろうか。そうなると、夜中の12時を一日の始まりと考えるのは、科学的でないようにも思えるし、現実的でない。
 このように思考していくと、むしろ太陽が運動を終えて月が見え始める頃から、つまり夕刻の頃からの方がよほど合理的で、科学的でないのか。
 アン・スミス・サトウ少佐は、これから長い一日になりそうだと思った。


 ─────ほぼ同時刻である。
 一方、津村陽平と岩村重蔵はまだ車上の人だった。
 二人は込み合う三等車を避けて二等車に陣取っていた。二等車輛だと込み合いは少ない。現在、京白線
(白城子・新京間)の前郭旗(ぜんかっき)・七家子(しちかし)辺りの牧歌的田園地帯をのんびりと走っていた。実にのんびりである。白城子発・新京行きの午前9時55分発の急行に間に合ったのだが、まだ先は長い。
 今は午後6時。新京まではかなりある。それに速度は遅いようにも感じられる。何か先に事故か事件でも起こったのか。気が気でない。奇禍
(accident)の匂いのする不穏の気配を感じないでもなかった。しかし津村には“プランB”があった。念には念を入れる漢である。先を見越して、早めに手を打つ。

 昨今のサラリーマン
(社畜)のように命令されなければ動かない漢でもないし、智慧が枯渇して種切れにはならない。この漢、サラリーマン化した社畜の頭で物事を考えない。
 裏の裏まで読んで、常に「万一の場合」という危機管理を備えいる。それは、プランBどころか、プランCもDも、Fまでも用意している漢である。転けてもタダでは起きない。行掛けの駄賃は確り回収する。
 脳裡には常に、備える態勢が出来上がっていた。しかし用意があるからと言って、それに胡座をかくことはない。常に不測の事態を予期している。戦時は何が起こるか分らないからである。だが不測の事態は、何も戦時だけとは限るまい。日常でも事件や事故は起こる。忽
(たちま)ち、日常は非日常となる。
 人間に降り懸る災いは平時でも、いつ何時、不慮の現象として突然襲うか、不確実で「一寸先は闇」なのである。闇であるからこそ、常に不測の事態に対して備えていなければならない。運命には特異点があり、いつ何時どんな“どんでん返し”が起こるか分らない。
 運命の得意技は、不意の一撃である。それを躱
(かわ)せるだけの霊的反射神経を養っておく必要がある。勘の働く人間とは、常に備えを怠らない、そういうものである。

 「なんだ、とうとう停まってしまったぜ。どうする?」重蔵が訊いた。
 これまで徐行を繰り返していた列車は、のろのろ運転から遂に停まってしまった。それも驛でもない曠野のど真中でである。
 「さて、どうしたものか……」例の調子で思案した。
 「この辺り、見るところ民家らしいものが乏しい。それに生憎の雨と来ている」
 外は雨が降り出していた。
 津村は俯き加減で思案していた。これは運命の不意打ちだった。突然襲った張り手の一撃だった。気紛れな禍神
(かしん)というべきか。だが運命に向かって《何をしやがる》と悪態をついても仕方ない。
 「これからちょいと、走って見るか」と重蔵が乗るかと思って訊いてみた。
 「雨だぜ」否定的である。
 「だから走る」誘うように促した。
 「もう少し気の利いた策は出て来んのか?」
 やはり乗らなかった。
 こう言うときに出て来る返答に、意外と正解が隠れているものである。

 「だったら待つ。したばたしても、なるようにしかならなん」鬱気
(うっき)が晴れればそれでいい。
 「じゃあ、従がおう」おそらく正解だろう。
 それから5分経ち、10分が経った。しかし一向に動く様子がない。
 張り詰めた静寂が徐々に大きくなって行くようだった。汽車は静寂の中で停止していた。停車の事情を知らせる車内アナウスもない。これが静寂を大きくしていた。
 ただ待つしかない。
 外は雨だった。徐々に時間が過ぎて行く。経過が加速しているように感じる。
 このまま“仕方がない”で見過ごすか、それとも何か行動を起こすか……。ここが思案の為所
(しどころ)だった。懐手で、次の手を唸ってみた。
 ついに30分が過ぎた。そして立ち上がろうと決心した途端、汽車が動き始めた。
 皮肉なものである。
 暫くすると雨が止んでいた。気紛れな禍神は去ったようだ。
 このまま順調に走ってくれれば、一、二時間遅れたとしても何とか間に合う。あとは祈るしかなかった。
 列車は万宝山まで辿り着いた。新京までは2、30kmの距離まで縮まった。もう一息である。しかし走ったり、徐行したりの繰り返しで、定刻より大幅に遅れていた。寛城子辺りをのろのろ走っていた。
 本来ならば、午後9時40分には到着していなければならない。既に10時を廻っていた。大日本航空Z便は午後11時30分発である。あと1時間と少々……。

 「こうなったら、やはり馬だ」重蔵が逸
(はや)るように言った。
 僅かな選択肢の中では、馬しかあるまい。津村も、重蔵が言い出す前から、その気持ちでいた。このまま乗っていて、何とか着くかも知れない。あるいは何処かで、長時間停車するかも知れない。だがベストな選択肢は、馬だろうと思う。もうこれ以上、禍神の思い通りにはさせない。
 今が腰を上げる汐時
(しおどき)だろう。気取りも気負いもなく、ついに意を決した。況(ま)して不誠実の欠片もない。ただ汐時を知るだけである。
 「降りるぞ」

 徐行する走行中の列車から津村が跳んだ。重蔵も続いて跳んだ。二人の決断の結果である。
 二人は飛び降りて、燈火
(あかり)の見える農家を目指した。厩(うまやど)を目指して一目散である。向かった先に馬がいた。大きな農家で数頭いた。厩はほの暗いが夜目が利く。そのうちの一頭の馬と眼が合った。馬が嘶(いなな)いた。呼んだようにも思った。その嘶きを聴いて、家人が出てきた。馬泥棒とでも思ったのだろうか。そこで即交渉である。金をみせて、借り賃を払うから貸してくれと恃(たの)んだ。奮発した金額である。新京飛行場までの借り賃である。満洲圓で百圓であった。寧福寺での拝観料と同額であった。
 借りた馬は二頭である。快く貸してくれた。鼻薬が利いているからだ。人は現金なものであることを知り抜いている。
 津村は“皇国の興廃”を百圓で買った。決して高いとは思わない。たった百圓で、国運が買ったと思えば安いものである。
 金と言うのは有効利用すると、こう言うときに生きて来る。出し惜しんではならぬ。
 遣うときはダムの堰
(せき)を切ったように勢いよく遣う。しみったれて、ちびちび遣うのはよくない。金の勢いが死ぬ。金は活かして、はじめて金の効果を発揮する。貯め込んだり、欲張ったり、出し惜しんだ金は、死んだ金である。そんな金に勢いはない。
 金には一つの法則がある。
 出て行く金と入って来る金である。両者は別々の金でない。一体の金である。別々なのは、紙幣という物が別々であって、内実の質や量は同じである。出て行けば、それに相当するものが再び入って来る。
 出て行って、入って来ないのは、所有する者の心構えが、金の法則に反しているからだ。金から嫌われているのである。嫌われれば、出て行った金は二度と戻って来ようとはしないものだ。出て行った切りである。
 例えば、入って来る金があると嬉しいように、出て行く金も同じくらい嬉しい気持ちで送り出す。
 そうすると想念の世界は、再び同量のものを用意してくれる。心象化現象である。
 だが入って来るときが嬉しくて、出て行くときが悲しければ、悲しい心の持ち主の懐に、金は再び同じ量を揃えてはくれない。売買不成立。不履行を起こす。是、一つの金銭法則である。

 人と金の法則もある。
 金は堰を切ったように惜しみなく遣う。そこに人は動かされる。現金とは、そういうものである。
 此処に人を動かす利害関係の原動力がある。人が態度や主張を反転させるのも、この喜怒哀楽の中にある。金の遣い方が朗
(ほが)らかであれば、そこに好意が生まれ、暗くしみったれていれば好意は失われる。しぶしぶ遣われた金は、死に金である。金からも人からも応援を得ない。

 二頭とも賢そうな牝馬
(ひんば)であった。いい馬である。
 津村は交渉を上手く運ばせる話術に長けている。切羽詰まっても泰然としている。肚を据わらせ、地に足がついている。それだけに精神的パニックに襲われることなく、急
(せ)いているという弱味を見せないし、そのようにも見られない。それだけに、対面者に信用と安堵を与えるのである。
 馬を借りた。その馬が話し掛けたようにも思えた。
 優しい眼をした馬であった。
 道教仙術の中には動物と話す術がある。公開されない禁術である。遠い国のニュースなどは、鶴をはじめとした渡り鳥から聴いて知たという。
 《わしを乗せて、ひとっ走りしてくれんか》
 《何処まで行くのです?》馬が訊いたような気がした。
 《ちょいと、その先の飛行場までだ》
 《新京でしょ、随分ありますよ》
 《自信がないのか?》
 《そういう訳ではありません。わたしなら、ひとっ飛びです》
 《お前、名は何と言う?》
 《飛
(とび)ツバメでございます》
 《ほーッ、飛燕
(ひえん)か。速そうで、いい名だ。で、向うは?》顎でしゃくった。
 《朱
(あけ)ツバメと申します。妹でございます》
 《飛燕に朱燕の姉妹馬か、恃
(たの)むぞ》
 《お任せください》
 こうした動物との疎通は、別に津村が特別に異能なる読心術が使えるわけでない。日常の雑多なる悪想念を取り払い、曇らない心で聴くだけである。そうすると、動物が人間に話し掛けて来る意思が伝わって来るし、人間側も動物に自らの気持ちを伝えることが出来る。こうした場合に困難なのは、欲に捕われたり、自分の都合で一方的な思惑を露
(あらわ)にすると、動物の心を読むことが出来ない。したがって、そういう我念を一切取り払えばいい。そして、心を清らかに澄ませる。異能者はそれくらいの事は遣って退けるのである。
 ここまで来ると一種の宗教的な心情と言えよう。
 願いは亨
(とおる)のである。

 津村と重蔵は馬を馭
(ぎょ)して、あと一息なでの距離を疾走した。
 そもそも、人間と馬のこういう会話がある訳でない。しかし想念することで、その話を聞ける者は聴く。動物との会話は想念の世界だ。そういう想念をもって、動物と会話する術が仙道にはある。紀元前にはそれを心得た術者がいた。
 例えば、孔子の門の公冶長
(こうや‐ちょう)である。
 彼は鳥を操るだけでなく、鳥語が聴けた。それは直接聴けたのではなく、術を遣って、鳥語を聴く変換作業をして聴いたという。彼は遠方の情報を、鳥から教えてもらったという。そういう術を知っていたという。
 公冶長は『論語』では、その名が編名として記されている。異能者だったとある。
 また『史記』
(仲尼弟子列伝)には、その名を連ね、孔門の弟子は「業を受け身を通ずる者七十有七人。皆、異能の士なり」とある。異能の士とある以上、みな優れた能力を持っていたことになる。公冶長は孔子の娘を娶(めと)った。彼が孔子ファミリーの一員になるくらいだから、術者としても優れ、人物としても優れていたのであろう。

 岩村重蔵は、何処までも津村陽平に従う。それは津村の智が勝っていることを認めているからでない。
 津村という一風変わった小さな巨人を尊敬しているからである。人となりである。器である。それゆえ津村には、一目も二目も置く。年齢も体躯も無関係である。矮男
(こおとこ)は、やはり巨人だった。
 そして津村の他者との違いは、誰が考えても絶対絶命と言う場面に完全として立ち向かう闘志である。
 津村は如何なる“どんでん返し”が起こり、その直後に不測の事態が生じても、決して絶望をしない漢であった。歴史や時間にも、人間現象界では「意外性」と言うものが隠れている。これに気付かねばならない。
 したがって絶望を抱けば、禍神が忍び寄る。これをよく承知している漢であった。
 そして今は戦時。
 平時とは180度異なる。その状況下にあっても、津村は絶望しない。最後の最後まで諦めない。諦めるのは死神から引導を申渡される刹那である。臨終の刹那は動かし難い。運命には逆らわないが、運命に関与してそれを書き換えることくらいの奮闘ぐらいはする。そこに意外性が起こる。絶望しない故である。

 そもそも戦争は人間が遣るものである。
 幾らいい兵器を大量に所有していても、その兵器を遣うのは人間である。人間には、同じ組織内でも妬みや嫉み、あるいは羨望や恨みが起こる。そのうえ下克上と来れば、どうなるか。その虚を衝かれれば脆いものである。この度の戦争は、もとはと言えば、経済を背にして始まった政治戦争であった。
 経済が発端となった戦争は、幾ら武力を行使して、力で押さえつけようとしても、愚かなことだ。抑える処方箋が違う。
 経済制裁を矢継ぎ早で連打されれば、最終的には経済力の勝る方が勝つ。したがってこの場合、最も有効な処方箋は、経済は経済力で最終的には決着を付けねばならないのである。腕力で遣り返しても、それ以上の腕力で反撃されれば、それまでだ。当時の陸海軍には、この意味が分らなかった。『北風と太陽』の物語で、北風ばかりを演じて来た。太陽の燦々
(さんさん)とした光と温かさを策として用いることが出来なかった。
 その顕著な例が、日本憲兵隊の検挙第一主義である。間者を逆利用する頭がなかった。それどころか、無関係な無辜の市民まで弾圧し、敵ばかりを多く作った。つまり秘密戦に負けた。その負けで、今でも東南アジアの国民から戦後補償で指弾され、身の覚えのない従軍問題まで抱えている。

 岩村重蔵は碌
(ろく)に小学校も満足に出てない漢である。彼に学は皆無であった。物心ついたときから父親とともに山に入り、猟師としての手解きを受けていた。山に棲み、山の生活者としての経歴が長い。爾来、それ一筋だった。
 ところが、津村陽平の父親の十朗左衛門から四ツ足の命を奪うことを咎
(とが)められた。人間と同じ性を持つ四ツ足を啖(く)うべきではないと咎められた。重蔵が急変したのは、それからであった。
 その後、重蔵は津村陽平に付き従い、周囲から補佐役を買って出たのである。
 重蔵は思う。
 おそらく津村は、この度の戦争の全体像が見えているのではないかと。
 津村の請うままに、道案内として羅針盤の役を買ったのは、このためであった。この漢には何かが見えているのだ。重蔵はそう思った。

 「翔
(かけ)るぞ!」
 「俟て。おれが先触れをする」重蔵が馬上から申し出た。
 横に並んでは抵抗力を受け、幾分なりとも風に災いされる。そこで先鋒を、つまり“風よけの役”を申し出たのである。
 重蔵が風よけになって一番手を遣る。その後ろに津村が従う。この走行陣で飛行場門営まで直進する。門営を通過すると同時に、津村と逆転する。競馬での決勝点
(goal in)と思えばいい。

 門営は目前である。
 「開門!」重蔵の大地を揺るがす怒声が響き渡った。
 この聲
(こえ)に驚いた飛行場の門兵は、慌(あわ)てて三八式歩兵銃の銃口を、前方から突進する馬上の二人に向けた。そこに奇(く)しくも津村隊副官の兵頭仁介がいた。彼は津村の復(かえ)りを待ち詫びていた。刻々とZ便の出発が迫って、気が気でないからだ。飛行機は発動機を廻し、あとは誘導路に進入する状態となっていた。万一乗り遅れれば……、その懸念がある。心情穏やかでなかった。
 兵頭は肩から掛けて腰に提げていた回光通信器の手回しハンドルを回し、管制塔にモールス信号を送った。
 これも、管制官は信号に気付いてもらわねばならない。気付くか気付かぬかは運であった。
 〈後一名乗客アリ。Z便ノ発進ハ暫ク待タレタシ〉必死に送り続けた。

 「その飛行機、俟った!」今度は津村が怒声を響かせた。
 だが津村の怒声は、発動機の音で掻き消され、コックピットクルーには聴こえない。既に誘導路にゆっくりと侵入し始めていたのである。しかし津村はそれでも諦めない。馬を蹴りに蹴った。
 《飛びツバメ、わしをあの飛行機の乗せてくれ》心の中で飛燕に願った。
 《はい、必ずお乗せ致します》
 猛烈に馬を飛ばした。
 「俟った俟った。その飛行機、俟った!」
 矮男が発動機が回転している飛行機へと猛烈な勢いで近付いていた。

 「管制塔からしきりに発進を促しています。どうします、機長」航空通信士の加納だった。
 「しばらく待機!」
 「機長。あと一名、搭乗客がおります」艇尾展望室に居たエア・ガールの良子から操縦席へ打診があった。
 「諒解」安堵の返事である。
 しかし機長は、“諒解”と言いながらも、前方の整備員に車輪止めを外させ、機を誘導路に走行させる指示を出したのである。機は誘導路から滑走路とへと向かい、発動機は益々けたたましい唸り声を上げて、プロペラの回転数は加速されていた。翼のフラップは「下げ翼」となり、今にも滑走を始めようとしていた。停止せずに動いているのである。機は滑走を開始した。
 滑走を始めた機に向かって、津村は馬を蹴った。異能的な離れ業
(わざ)である。会心の一撃ならぬ、会心の疾走だった。なかなかの手綱捌きである。猛スピードで駆けいる。流れるような素晴らしい早さであった。このとき空気抵抗になる網代笠と鹿角杖は、とっくに重蔵に預けてある。
 搭乗扉が少しばかり開かれていた。あたかも《速く乗れ》と言う合図である。馬を蹴って矮男
(こおとこ)が扉の隙間に飛びついた。笈を背負ってである。一縷(いちる)の希(のぞ)みを託してである。
 猿と化して飛びつき、希
みはついに亨(とお)った。まさに間一髪であった。【註】実際にこう言うことが出来たかどうか不明だが、名作『怪傑ハリマオ』には似たシーンがある)
 斯
(か)くして津村陽平は搭乗したのである。津村にしてみれば、とんだ冷や汗ものであった。
 これを遠望していた兵頭仁介も岩村重蔵も、思わず胸を撫
(な)で下ろした。



●ゼロ號出動

 飛び立つ側があれば、これを迎える側がある。
 日本内地の第三十五師団
(関東)佐倉歩兵二百二十一聯隊に徴用された『夕鶴隊』の今に、その視点を移してみよう。数ヵ月前、徴用された女子遊撃隊員は、今どうしているだろうか。
 主任教官のアン・スミス・サトウ少佐が懸念したように隊員たちは“状況造り”のために、闇米や芋の買い出しに駆り出されているのだろうか。あるいは決戦の近いことを念頭に置き、遊撃隊員として、日々猛訓練に励んでいるのであろうか。

 暗号文〈梟ハ飛ンダ〉が、『ホテル笹山』内の東京憲兵隊S分隊の強力な無線傍受網で受信されていた。この無線傍受網は地下施設にある。
 それに加えて、たった今〈鵺ガ飛ビ発ッタ〉が受信された。この暗号文を受けて、今度は〈巣箱ノ準備ハ整イツツアリ〉と返電された。意味は、二式大艇改造型の『空龍
』の着水港である。
 『空龍』は水陸両用機であるが、日本への飛来は羽田飛行場には降りない。大型水上艇の図体は余りにも大きい。羽田にはこれを着陸させるだけの長い予備滑走路がない。また一度降りてしまえば、次は離陸させるだけの滑走路が不足している。もう二度と飛び立てない。少なくとも2000m級の滑走路がいる。したがって巣箱へ行き来は、着陸でなく着水できる海上がいる。これが飛来する『空龍
』の巣箱なのである。
 そこで、今は使っていない横浜港の、かつてサイパンに向けて定期便を飛ばしていた水上港で離着水する設備を整えようとしていたのである。それが〈巣箱ノ準備ハ整イツツアル〉の返電である。
 『空龍』は内地では接岸する母港が必要だった。それが横浜港なのである。

 夕鶴隊の深夜の兵営内である。突如、非常呼集を報せる緊急ブザーが鳴り響いた。
 「ゼロ號出動!……。繰り返す、ゼロ號出動!」それは緊急出動を報せる営内放送であった。
 『ホテル笹山』内にある兵営は騒然となった。地下の東京憲兵隊S分隊の地下施設から指令されたゼロ號出動であった。隊員はゼンマイ仕掛けの人形のように、直ぐに飛び起きた。起き態
(ざま)、直ちに制服を身に纏い軽武装しなければならない。ゼロ號出動とは戦闘目的以外の出動を指す。夕鶴隊では決號作戦に併せて、出動はゼロ號から貳號まで参段階あった。その参段階のうち、一番初期的な出動を指す。したがって戦闘出動ではない。

 「なになに?ゼロ號出動って……」誰かが訊いた。
 真夜中に起こされて、開口一番の誰かの質問だった。
 「知るものですか!」誰かが不機嫌に言う。
 「ねえねえ、誰かゼロ號出動って、分る?」また誰かが訊いた。
 「それはねえ、早起きしろと言うこと」他の誰かが諭
(さと)すように言った。
 この言い方は適切かどうかは分らないが、この時間に叩き起こされるのであるから、急変するような何かが起こったのだろう。
 「まだ午前三時よ、草木も眠る丑
(うし)三つ時……。この、どこが早起きよ」不機嫌者がいった。
 「丑三つ時だから、緊急出動が発令されるの」断定的な、仕方ないと云う言い方だった。
 「何処に出動するのかしら?」好奇の気持ちで誰かが訊いた。
 秘密厳守とはいえ、人間の知りたいという好奇は簡単に消えるものでない。好奇から派生した噂は、次々に波及するものである。

 「そういうことは、上の人しか分らないわよ。下っ端のわたしたちに、分るものですか!」山田昌子が怒鳴るように言い返した。寝込み襲われたと感じている彼女も不機嫌であった。
 「でも、それでは困るんだよなァ。おい、島崎。お前、鬼ザメのところに行って、事の次第を訊いて来い」
 そう言ったのは、第三班伍長の副島ふみだった。
 「えッ、えッ?……わたしがですか」
 早々と出動準備を終えた島崎ゆりが、自分に指を差しながら訊き返した。
 「そいうだ、お前が一番適任だ」
 「そういうのはですね、班長どの。自ら訊いて来たらいいじゃないですか」
 「やかましい、直ぐに行け!」
 「厭
(いや)だ、わたし」
 「上官の命令だ。兵隊は上官の命令を素直に聞くものだ」
 「でも素直になれない。だってあの軍曹怕いんだもの」
 「怕いから、お前が行くんだ。獅子奮迅
(しし‐ふんじん)の勢いで訊いてくればそれで済む。これも浮世の義理だ。黙って行ってくれ」
 「余計に厭です」
 「なんだと?」
 「お姉さん……。いや班長どのは、大学生なんでしょ?」
 「そうだが」
 「大学生は、わたしのような女学校の小娘よりも、ずうーッと偉いんでしょ?」
 「勿論だ」
 「あのねェ。本当に偉い人は、怕いことも、世の不幸も、自分ひとりでわが身に担い、何事も率先することで己を磨くんです」
 陽明学の「事上磨錬」の一節を知ってか知らずか、島崎ゆりがそう諭した。
 「うム?……」思わず絶句した。《諭されたか、それとも遣り込められたか……》彼女はそう思料した。
 この二人は“マツコと同じ髪型”以来、互いに急接近した。あのとき副島ふみは、島崎ゆりに見事に遣り込められた。彼女は自分の涙腺が毀れたのではないかと思うくらいバカ笑いして涕
(なみだ)を流した。その奇縁をもって、これまで以上にスキンシップを深めたようである。この二人は『臨時徴用令状』で徴用された婦人部隊という生々しい人間関係の中で、友情と人間関係の密度を増しているようであった。
 副島ふみにとって、島崎ゆりは一番遣い易い、妹のような存在だった。ときに妹は姉のダシに遣われる。しかし妹も、簡単にダシにはならない。揚げ足をとって遣り返す。

 「副島さん、止めときなさいよ。その娘
(こ)、揚げ足を取るのは、あなたより数倍も上なんだから。要するにゼロ號出動とは、非常起床と言うこと。訊いても訊かなくても、事実は変わりはしないわ」宥(なだ)めるようにいうのは、同じ大学の谷久留美であった。
 ゼロ號出動……。
 これ自体が、何の事やら分からない。兵営内はがやがやと種々の言葉が飛び交いながら、着替えと軽武装の準備が急がれていた。準備終了後、地下の駐車場まで直行しなければならない。そう言う彼女たちも、いま何かが起こったか容易に想像がつく。

 「点呼準備!」このときの夕鶴隊指揮官は中川和津子であった。
 駐車場では全員が弾かれたように、きびきびと動き、戦場のように殺気立っていた。
 「点呼だ、急げ!」週番下士官は、鬼ザメの異名を持つ鮫島良雄軍曹であった。
 班編制は降下時編制で、第一班から四班であり、第一班の伍長の鷹司良子と第一班の班員の室瀬佳奈は満洲行きで抜けていたが、第一班は二班との混成班編制をしており、残りの三班と四班は従来通りであった。そして第一班にはタイピストとして加わった霧島祥子が、第二班には鈴木直子が編制された。彼女二人は暗号解読のタイピスト要員だった。直接戦闘には加わらないが、緊急時には軽武装して出動する。

 「一列横隊、整列。右へならえ!」隊員指揮官である。
 「番号!」鮫オヤジが青筋を立てて吼
(ほ)えた。
 「1・2・3・4・5・6・7・8・9・10・11・12・13・14・15・16・17・18・19・20」と、最終の20まで、点火花火のような早さで淀みなく進み、文句無しの整列である。隊員は第二種軍装
(夏季)に軽武装で整列していた。
 「申告致します。総員20名、異常ありません!」と布帛の指揮者肩章を掛けた中川和津子だった。
 「教官殿に対しィ、頭
(かしら)ァ〜中(なか)!」と青筋の鬼ザメ。
 この場に忽然と姿を顕した沢田次郎に、一斉に受礼者の眼に注目する。
 あたかも闇の中から泛
(うか)び上がって来たような顕われ方であった。この漢は相変わらず背広姿(平服)であった。

 沢田はこの日、代理の臨時教官であった。
 「深夜に突然起こして申し訳ありません」
 相変わらず物腰の柔らかい。憲兵大尉で陸軍法務官だが、軍人らしくもないし、夜郎自大でもなかった。この漢には他人を認める人権尊重が行動律になっていた。それが言動にも顕われる。なかなか智者である。あるいは親に似て食わせ者か……。右も左も関係なく、人を“其
(そ)の気”にさせて操ることに長けていた。
 「教官殿から、本日のゼロ號出動について伝達がある」鬼ザメが吼えるように言った。
 「昨日午後11時30分、鵺
(ぬえ)が満洲から祖国へ向けて飛び立ちました。その準備として、これから横浜港へ出動します。みなさんは出動準備を開始して下さい」と柔らかい口調で話した。
 が、それ以上の説明は、何も為
(な)されなかった。これを聴いた隊員は、いったい鵺ってなあに?……。
 だいいち祖国?……、準備?……、横浜港?の意味がさっぱり分らない。何かに関連づけようとしても、このそれぞれが結びつかない。分っていることは、これから直ぐ横浜港に出動することであった。これがゼロ號出動であるらしい。
 そもそも“ゼロ號”という番号の意味が不明だった。番外の緊急もしくは非常事態と言うことであろう。
 連想として、番外のイメージから非常事態しか思い浮ばない。内容を知らされない彼女たちは、これ以上想像を逞しくしても分らないことであった。

 夕鶴隊員の各員は祖国について思った。自分たちにとって祖国とは?……。
 祖国とは父母兄弟姉妹が居るところ。また身近な友人とか、そういう懐かしく思う人が居るところ。祖国は自分のとって、これらの人達を通してのみ、存在するところであった。そこには国家とか、歴史とか、気候や風土でもなかった。自分にとり、そこに棲
(す)む人であり、また親しい人が居るところであった。
 日本を離れて、遠い外地にいる人や異国にいて戦場で闘っている人にとって、祖国は東側にあり、知らず知らずのうちにも就寝前、自然と遥拝
(ようはい)を行ってしまうのも、祖国と言う心情からであろう。
 心の中では家族の誰かに呼びかけたり、切実なる離別の哀感に誘われるのも、人の心には、自分の生まれた土地に対する自分の肉体と生まれ故郷の土地が繋がっているという『身土不二』から、この心情が起こるのだろう。そして共通の心情の中に、臨時徴用された夕鶴隊の彼女たちもいた。


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