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続々 壺中天・瓢箪仙人 16

現世と言う「この世」は、あらゆるものが複雑に、複合的に組み合わされて、依存しながら存在している。何一つ、単独で動いているものはない。しかし現世は現象界であり、私たちの棲(すむ)む現象人間界は変化し、流転(るてん)するという制約に縛られている。その為に、固定した実体というものが、何一つない。

 ところが人間は言葉を用いて、現象のそれぞれに名称や名前をつけた。自分の足許
(あしもと)を見て、踏みしめたものを「大地」といい、天を指して「空」と名づけた。そして自分にも、「わたし」もしくは「ぼく」という一人称での呼称をつけた。
 こうして、一旦名前が与えられると、大地も空も固定した、実体を持つ存在に思えてくる。かくして、私たち人間は、固定観念の世界に絡
(から)め捕られ、先入観に襲われるのである。

 人の悲しみや、苦しみの根源には、「死への恐怖」が横たわっている。
 しかし、無常は止
(や)むことがない。変化をし続ける。現象界では、一時たりとも止まる事がない。常に流転するのだ。


●遁走の天使たち

 辺りはとっぷりと陽が暮れた。黄昏はやがて夜の帳(とばり)へと変わり、暗い幕が垂れ下がった。
 夜が視界を遮っていた。水無月、朔で月齢29.0歳。闇夜である。
 真っ黒な垂絹
(たれぎぬ)が降りて、向こう側が殆ど見えない状態であった。鵺(ぬえ)が夜陰に乗ずるには絶好の時間と言えた。闇に溶ける時間帯であった。

 アン・スミス・サトウ少佐は自らのこれまで人生を顧みて、戦前・戦中は変化の中で生きて来たことを痛感していた。彼女は変化の時代を生きて来たのである。そしてこう言う時代に、生きるべくこの世に送り出されて来たのだと思っていた。それは、いい悪いの問題ではない。因果律と理解していた。現象界は原因があり、それに伴って必然の結果が結びついて時代が進んでいる。そう理解しているのである。
 したがって、一見理解し難い現象でも、それは偶然に、突発的に起こったことでなく、何かの意味があって起こっている。そう理解しているのである。
 振り返れば、彼女のこれまでは戦いの連続であった。大半は非日常の中で過ごして来た。だがこれを悲観しない。非日常は、確かに日常とは異なる変化・奇異の連続であろうが、その変化には、何の意味があって起こることである。戦時こそ、非日常の最たるものであった。

 総ての事は、何らかの意味があって現象界に顕われる。
 これは紛
(まぎ)れもなく、物事は成る可(べく)くして成る。これが、この世の現実だと理解していた。
 また、その理解が、彼女の精神を安定させていた。この安定があるために、急変にも対処出来る正安定を失わないのである。そして、極めつけは津村陽平が論じた「なんとかなる」であった。
 この語は、もともと一休宗純の言葉であった。道者を自負する津村の生き方は、また禅に通じるところがあったからである。その津村に、些
(いささ)か教えを請うていた。

 なんとかなるはその教えの中でも、彼女のこれまでの人生を一変させる機転となり、大きな収穫であったのかも知れない。そして人の話に、じっくりの耳を傾ける大事も学んだ。自己主張ばかりして、他人
(ひと)の話を遮ったりするのは愚行の最たるもの、否、蛮行の最たるものと知った。
 他人の話に耳を傾ければ、考え方が理解出来るだけでなく、長所とともに短所も見えて来る。短所の愚や蛮に行き当たり、その欠点を衝いて、窮地に陥っても、また浮ぶ瀬があるのである。知識のみに留まらず、見識が養われ、その眼の肥えたお陰で、胆識まで積み重ねられて行くのを感じていた。世の中で起こっていることは何かの意味を持ち、それは必然で、然
(しか)も必要だから起こっているというのが、彼女の感得した現象界の実体であった。
 では、今をどう捉えるか。

 アンはその窮地ともいえる状況に置かれていた。しかしこれに悲観し、頭を抱えている訳ではない。
 人間はどうあるべきかを探し求める生き物である。それはいい方向を模索し、常に仕切り直しを試みなければならない。不可能を可能に変える挑戦である。
 此処からの脱出一つ揚げても、決して不可能ではない。手は幾らでもある。敵の盲点を衝けば、方法は幾らでもあった。ただ問題なのは不意を突く作戦である。だが実行する以上、大胆であり、併せて細心であらねばならなかった。

 早乙女均
(さおとめ‐ひとし)老人は、アンが何も出来ないと高を括(くく)っていた。彼女の存在を「高が女」と検(み)て蔑ろにしていた。また先天の生まれを見逃していた。血筋である。血には裡(うち)には端倪(たんげい)すべからざる力を秘めているのである。その力量を無視していた。女への侮りである。
 彼女は並みの飛行機乗りではない。他人
(ひと)が真似出来ない伎倆(ぎりょう)を持っている。ゆえに鏡泊湖に大型飛行艇が着水で来たのである。この事実である。誰にでも出来るものでない。それを見逃していた。飛行機乗りならば、資格者ならば一様に出来ることではない。彼女だからで来た。天性の才である。見落としていること自体が、一つの虚である。
 虚を衝くには、時間にこだわってはならない。
 アンは「いつまで」という時間を捨てた。
 兵法で決着をつけるには、時間に追われる作業も大事だが、一方でそれに拘泥
(こうでい)せず、囚われずに時空を超越してしまうことも大事である。そもそも人間には、本来の融通無碍(ゆうずう‐むげ)なる超時空の存在が、潜在意識の根底にあって、それが藕糸(ぐうし)の一面を成している。
 いつまででなく、日付にこだわらない同時刻の、同じ時機という刹那
(せつな)である。日時ではなく、秋(とき)なのである。汐時(しおどき)である。そのときは“鵺時間”であり、暗くなるのを俟(ま)つしかない。
 斯
(か)くして虚を衝く材料が、此処にも転がったいた。

 だが、今は大型飛行艇が離水できな状態になっており、艇は生け捕られたも同然であった。離水出来ないように浮標繋留索が邪魔している。故意にそうされてしまった。策に掛かったのである。これを老人は、わが手の裡にあると思い込んでいた。伎倆人の底力を知らないでいた。衝くとすれば、ここである。
 また、心中では《高が女に何が出来る》と見下していたのである。虚は浮き彫だった。
 そのため彼女を自由にうろつかせ、また江静との行き来も緩
(ゆる)めていた。更に、のこのこと言われるままに蹤(つ)いて来た恰好・出立ちも、事を起こして謀略や計略を図ったり、戦いを挑むような態度でないことに安堵(あんど)していた。頭から彼女を見縊(み‐くび)っていたのである。
 老獪な割りには物事に“どんでん返し”が起こることを偶然と思い込み、これを甘く見ていた。

 アンは、この老人の老獪
(ろうかい)なところを見抜いていた。
 「明日は愈々
(いよいよ)勝利宣言ですか?」問うてみた。
 奢りと付け上がりを窺うためにである。
 「いや違います。明日は勝利宣言の声明を出す、声明をします」中々狡猾
(こうかつ)な回答であった。
 声明を出す声明をすると言うのである。大した役者だった。話術に長
(た)けていた。だが長けた分だけ隙がある。
 しかしこれで勝負がついたのではない。
 勝利宣言はあくまでも過程の上での成り行きに過ぎない。現実はこれと異なることがある。特異点が顕われるからだ。それだけに人は絶望の壁に塞がれたとしても、一見運命に見捨てられたときに、これを乗り越える心術の鍛錬が必要なのである。その鍛錬の最たるものが、『陽明学』でいう「事上磨錬」であろう。

 アンは思う。ここで終わるならば、津村から聴いたMとは、対等に渡り合えないであろう。乗り切ってこそ対等の資格がある……。
 「では、明日になって、その声明を出すための、声明をお窺いしましょう」それは《愉しみですわ》という言い草だった。
 「いえいえ、声明とはほんの説明書代わりに過ぎません」と、更に余裕のあるところを見せた。
 一方、アンも今日の深夜こそ、鵺
(ぬえ)が舞い上がる電撃の遁走行があると絶望に打ち拉(ひし)がれていなかった。彼女はこれから何かが起こる気配を感じていた。
 兵法でいう八門遁甲の「甲
(一尊)」は、三奇(さんき)が変化して、六儀(ろくぎ)の中に隠れるのである。甲は一尊であり、これを甲尊という。三奇は乙奇(おつぎ)、丙奇(へいき)、丁奇(ていき)をいう。そして六儀は戊儀(ぼぎ)、己儀(きぎ)、庚儀(こうぎ)、辛儀(しんぎ)、癸儀(きぎ)という。
 一尊は六儀の中に隠れて“どんでん返し”の現象を起こす起因となる。また一尊は三奇に変化して六儀に中に隠れるため、甲が隠れると言う意味である。つまり甲は「遁
(のが)れる」ということになる。
 甲という尊に当たる純粋なエネルギーは、三奇や六儀のフィルターを通して様々なものに変化し、物理的な事象を起こすことが八門の遁甲術なのである。その大きな現象は、敵が隠れたものを「見逃す」という事象が起こり、これこそが「八門金鎖の陣」の要諦である。これこそ満蒙の騎馬民族の「三元式遁甲」に他ならなかった。
【註】詳細は拙著『八門人相事典』(学研)を参照)

 偶然は意味無くして突然起こるものではない。この世に偶然などあり得ない。総ては起こるべくして、必然として起こっている。必然が偶然に映るのは、人間にそれを感知する能力がないからである。総てのことは、何らかの意味をもって現象を起こしているのである。
 いま構図上は虜
(とりこ)状態である。完全に拉致され、生け捕られている。そして難儀は、早乙女均という老人とその警護役の青年との、この二人を相手にすることになる。それは取りも直さず、堕天使(だてんし)を相手に戦う事に他ならない。今から堕天使相手に戦う。その覚悟が要るだろう。

 しかし懸念もある。
 アンはこのシナリオを考えてみた。着水し、その後のことである。手回しが良過ぎるのは、この湖に着水することを事前に知っていたからであろう。それは情報漏洩によるものか、故意に洩らされたものか、その何れだろう。その構図の中で、いま何が起こっているのかを考えてみた。そして、シナリオの結末は果たして明日の早乙女老人の勝利宣言か。この疑念に、アンは迫ってみた。
 本日の別れ際、アンは老人にこう訊いた。
 「明日はいよいよ勝利宣言ですか?」と。敢えて、余り愉快ではない徴候を問うてみたのである。
 しかし老人は、この問いを次にように答えた。
 「明日はその声明を出すという声明です」と。取って付けたような、何と傲慢な答え方ではないか。
 答え方が奇妙だった。
 不自然も甚だしかったが、また、如何にも余裕を感じさせた。これだけで、背後には相当な組織の実力者の影響があるのだろう。それは黒幕と言ってよかった。今は“X”なる人物だろう。

 「余裕ですのね」僅かばかり厭味を言った。
 「いやいや、これでも控えめで、まだほんの幕開きの直前の口上に過ぎません」
 いったいこの余裕は何処から来るのだろう。背後の後ろ盾が控えていないと、こういう大口は叩けまい。しかし、その震源が不明であった。
 肝心なる“X”なる人物が不明のため、敵を知る基本態勢が整っていない。つまり兵法でいう「敵を知れば殆
(あや)うからず」が、未だに成立していないのである。
 そう懸念した時である。
 青年が老人に満洲語で、何か注意をするようなことを言った。それは“相手の機嫌を損ねて……”というように感じたのである。老人と護衛役が去るとき、アンは一瞬おやと思った。
 この二人に「格」の差を感じたのである。
 どこか逆転していまいか。アンの直観だった。
 それま先ず第一に警戒差の違いであり、気配りや着眼点の違いであった。老人は気を弛め、青年は警戒を怠らない。更に身分的な差も感じるのである。凡眼では一見、老人が“主”で、青年が“従”なのであるが、アンの眼にはこれが逆転して映った。そのとき「もしや」と直覚したのである。勘である。そこには主従関係の順逆が見て取れた。


 ─────ひたすら仕切り直しの時機を窺う。
 アンと佳奈は“夜陰に乗じて、気付かれず”という江静との行動を履行するために、彼女が身を寄せていたロシア正教会附設の孤児院を訪ねていた。
 二人は身軽で来ているから、いつでも行動可能であった。別に用意された宿泊場所に、一夜を明かす必要はなかった。好きなところに居ればいい。江静を連れ出せば、いつでも飛行艇に戻れる準備が整っていた。
 ところが江静は、孤児院に居る、三歳から七歳までの孤児九名を置いて行けないという。自分ひとりが逃げ出す訳にはいかないという。そこで、子供全員も連れて行くことになった。
 幸運だったことは、孤児たちが何れもカッパで、全員泳ぎは達者という。古式泳法が出来るのである。湖岸から飛行艇までを泳ぎきることは不可能でなかった。芸は身を助くというか……。
 作戦計画は、夜陰に乗じて、気付かれず音を立てずに、静かに泳いで目標点まで行く。泳法をもってすれば不可能でない。
 『空龍』は四発の大型飛行艇である。積載量も大きい。子供九人など、どうにでもなることであった。
 斯くして、これから先の運命が決定された。


 ─────鏡泊湖周辺には幾つかの奇妙な組織があった。大小合わせて様々な集団があった。
 ロシア正教会古儀式派の無僧派の一派をはじめとして、外モンゴリアから伝来したという喇嘛
(ラマ)教の黄帽派(ゲルー派)も、こうした組織であった。
 更には『三国志』で語られる魏の曹操の嫌った淫祠邪教
(いんしじゃ‐きょう)などもそうである。特に、儒者のある一派は淫祠邪教と看做されていた。
 淫祠邪教の「邪教」とは、邪
(よこしま)な教えをいい、邪宗( じゃしゅう)ともいわれる。邪宗とが主に他宗教を非難するときや、国家権力や統治者等が特定の宗教 を、敵性宗教であると看做し、弾圧目的で用いる用語である。また、帝政ロシア政府が承認した宗派まで、この地に集まっていた。
 此処には宗教団体か政治結社か、あるいは宗教を語る武闘派組織が存在し、不可解ではっきりしない組織が幾つか存在していたのである。

 例えば在家裡
(り)のような、官憲の捜査の対象外の新興宗教である。
 この宗教は宗教結社のようなもので、当時の満洲国で三百万人に信者数を誇った教団であり、満洲国移民社会の中で発展し、一定の社会的影響力をもっていた。また道教系の修養慈善団体で赤十字社に準ずる紅卍字会などである。こうした結社は組織的優勢を獲得するために、関東軍および満州国政府に協力する道を選んだ。
 掲げるスローガンは国民党軍や紅軍と異なり、反満た抗日を掲げず、特に在家裡に至っては、仏教に儒教を組み合わせたもので「仁義礼智信」を教義におき、信者同士の総合扶助を表に出し、表面的にな毒にある存在とは看做されなかった。
 斯
(か)くして、この種の類似宗教結社が雨上がりの竹の子のように湧き起こったが、日本官憲からの危険視はされなかった。日本侵略に対し、この種の類似宗教結社は牙を見事に隠し終えたのだった。

 親日派を装うことで、これを隠れ蓑
(みの)にし、裏や地下を通じて本性を隠したのである。
 この隠れ蓑を、検挙第一主義の間抜けな日本の憲兵や特高は捜し出すことが出来なかった。蜥蜴
(とかげ)の尻尾きりで、本体に行き当たらないのである。これが当時の満洲国における関東憲兵司令部の実体であった。そして捕まえたのは、みな小物か、全くの無関係な善良な市民や真面目な開拓農民だった。無辜(むこ)の市民が捕らえられた。誤認逮捕である。容疑者は拷問を受けて廃人同様となり、最後は死に至らしめて「取調中に死亡した」で片付けられた。日本内地でも満洲でも、この態(ざま)であった。日本官憲の間抜けぶりがよく分ろう。

 この間抜けでお人好しの島国育ちの日本官憲は、血統に基づく権威にほだされ、信じ易い盲点を衝かれて、まんまと裏をかかれ、愚行のみならず、蛮行を繰り返していたのである。その最たるものが、雛壇のお飾りにされた
清朝第十二代皇帝・愛新覚羅溥儀(宣統帝)であろう。日本軍部(関東軍)に擁せられて満州国の執政になった最後の皇帝である。
 この皇帝には種々の方面から寄生虫が群がっていた。その中でも関東軍は、宣統帝に取り憑いた真田虫
(絛虫)だった。生かさず殺さず、養分吸収に余念がなかった。これは欧米列強模倣の“日本版”というべきものであった。
 のちの日本敗戦後、国際軍事法廷に喚問された石原莞爾
いしわら‐かんじ/陸軍中将で満州事変の首謀者)は、日本の大陸への侵略主義の非を問われたとき、砲艦外交を日本に仕掛けたペリーも喚問せよと、逆に欧米列強の帝国主義を指弾した。お前らが先に帝国主義・植民地主義の手本を示したではないかと皮肉った。
 関東軍は満州支配で、満人を“水呑み百姓”化したのである。それが露骨だったので、その手段と方法が、後世の歴史で指弾された。汚点と言えよう。

 思えば、満洲国は関東軍が牛耳って、僅か十三年の命だった。この夭折に関東憲兵司令部が関わっていたことは否めない。検挙第一主義が自らの寿命を縮めたのである。牛耳ったつもりが、金・物・色で牛耳られていたのである。それは関東軍参謀本部と関東憲兵司令部が、安易に軍事優先ばかりにこだわった結果であった。
 更に、秘密結社や就業結社か間接的に関与し、水面下から洗脳し、宣伝し、工作する実態に気付かず、表面で人物評定をしたためであった。単に統治の権威主義にこだわったのである。そして日本の軍組織は、自分で自分のことを解決する自浄能力を欠落させていた。況
(ま)して、後世に業績を評価される遺産的なもの、つまりレガシー(legacy)まで欠落していた。遺(のこ)ったのは負の遺産だった。
 満洲国で展開された五族協和の裏には、政治結社や宗教結社の水面下の暗躍があった。
 特に、在家裡を模倣した類似新興宗教の結社の暗躍は巧妙だった。日本官憲の裏をかいていた。
 つまり背景には日本侵略を一種の嵐と看做し、やがてこの嵐は去ると検
(み)ていたようである。そのために日本官憲に協力する姿を装って、信者は密偵になるなどの道を選んだ者も少なくなかった。密偵を隠れ蓑にしたのである。

 特に日本官憲は、この巧妙の裏に巨大な国際的な組織があることを見抜けないでいた。そして昭和19年になると隆盛を誇り、光は表に出て結社活動をし、裏では地下に潜って国際的な巨大な輪の一員となった。その温床となった地が、満洲には数百ヵ所にのぼり、鏡泊湖周辺にもこの種の類似宗教結社が活動していた。多くは無宗派とか無僧派を標榜した。そして相互扶助を表面に打ち出しているため、表向きは慈善事業を展開して社会定期認知度を向上して行くことになる。それはまた、真偽のほどを攪乱し、検挙一点張りの日本官憲の眼では、この種のものが毒か薬かが判別出来なかったのであった。
 では、宗教結社がこの地に白羽の矢を立てたのは、如何なる理由からか。

 この辺はなだらかな丘陵地は堰
(せき)に沿って続いていた。軍事兵学で考えれば、この地は、湖を鏡の真中に置き、四方は攻防の祭祀(さいし)における軍立(いくさだて)を象徴していた。四ヵ所の方角のうちの東西南北は神を顕す位置を示す。あるいは四方の拠(よ)る土地神(よち‐がみ)を顕すこともある。これを「四神相応(しじん‐そうおう)」という。そこには四つの聖なる神格化された獣が存在するのである。接するには、礼を以て供犠(くぎ)する。古代はその方角の神に供物を捧げた。

 これは四神に相応じた最も貴い地相のことで、左方である東に流水のあるのを青竜
(せいりゅう)、右方である西に大道のあるのを白虎(びゃっこ)、正面である南に窪地(くぼち)のあるのを朱雀(すざく)、後方である北方に丘陵のあるのを玄武(げんぶ)とする。このように配当した地を「四地相応」ともいう。
 そして鏡のように鎮まった中央が本位であり、内裏
(だいり)の中宮を為(な)す。牡丹江が塞き止められた湖だけに、夾谷(きょうこく)の箇所があり、ときに岩肌が剥き出しになった丘陵でもあった。峡谷と異なるのは幅の割りに細長い谷はなく、幅は広いが岩肌がそのまま陸(おか)を為しているのである。こうした箇所に飛行艇は近付けないのである。翼を損傷するため、中央に留まるしかなかった。
 『空龍』は鏡泊湖のほぼ中央に坐して翼を休めた。それはまた、遁走の機を窺ったものでもあった。
 一方、この地域の自治区長で自警団団長の早乙女均
(さおとめ‐ひとし)の表面を上手く繕った陰謀を打ち砕くための機を窺ったものでもあった。


 ─────孤児院である。
 此処には九名の子供達と保母代わりの江静、それにアンと佳奈がいた。策を練っていた。
 これからいよいよ作戦開始である。既に女三人はそれぞれに自己紹介済みである。
 夜陰に乗じて脱出を決行する前、江静が妙なことを言った。
 「孤児たちは確かにロシア正教会古儀式派の無僧派の庇護
(ひご)の許で養育されていますが、養育主は教会とは無関係で、単に場所と名義を借りただけに過ぎません。本当は養育ではなく、少年少女の飼育の場に遣っているだけなのです」
 それは別に資金提供者
(sponsor)が居ると言うのである。

 「それを詳しくお訊きしましょう」
 「日本官憲の密偵というのをご存知でしょうか。探偵とは違う、民族の魂を売り渡す内通者のことです。
 例えば官憲の手を借りて、虎の威を借る狐のような日本官憲の寄生虫的な存在です。自治区長で自警団団長の早乙女と名乗る老人は、その名が本名かどうかは存じませんが、巧妙な手を遣って買収し、官憲に取り入ったと考えられます。また側近として蹤
(つ)いて廻る身辺護衛役の青年は孟檠(もうけい)という名です」
 「えッ!孟檠?……。それは瞿
(く)孟檠という名でしょうか?!」
 「そこまでは分りません。しかし名は孟檠といい、老人からは恭
(やうや)しく扱われていました」
 これは逆順であり、主従が逆転していることを匂わせた。
 更にこの関係は「内部主義」であり、時代に歩調を合わせるという客観的の眼がなく、独善的と言えた。
 つまり主体を押し通す思考で強行され、主体性社会主義のような微細な差異を、アンは江静の言葉から読み解いていた。それは《何者かの指令で動いている》という読みである。そう検
(み)たのである。

 アンは既にM資金に絡む瞿孟檠のことを、柳田奥太郎陸軍少将の備忘録
(memorandum)である重要極秘事項『柳田メモ』を通じて知っている。その備忘録に「M」なる人物が登場して来る。
 また津村陽平からも、探索する人物が貌のない影の皇帝と称される瞿のことを聞いていた。M資金に絡んだ人物で、日本内地で人買いとして暗躍する暗躍する公瑞兆
(こう‐ずいちょう)のことまで知っている。またこの両名は、津村が追跡する某事件の容疑者だった。

 「では、見せ掛けとは異なる関係だということですか?」
 「本当の主は孟檠です。本来の関係は主従が逆転しているのです。わたしを万宝山から連れ出すとき、そこに姿を顕したのは、Mと名乗る人物でした」そのMは孟檠のMだった。
 「Mという人物?……」
 アンはこれまで津村の教示を受けて、勘の研ぎ澄ましを学んで来ている。五官の他に六感まで刺戟する勘の修養に努め、藕糸
(ぐうし)を読む術を学んだ。裏の裏を見る術である。そしていま直観することがあった。
 逆順のトリックである。表だけを見せて裡側を見せない詭計
(きけい)である。これで欺く。
 これに思い当たったとき、ふと鳥居一飛曹が結び文に、英文で走り書きした一節に「逆順に注意の上、このプラン通りに遂行して下さい」とあったのを思い出した。これから察すると、鳥居一飛曹はこのトリックを知っていたのだろうか?……と思うのであった。
 水面下では手の込んだ動きを、研ぎ澄ました勘から、ひしひしと感じていたのである。そしてアンは、いま秘密戦を戦っているのだという自覚を持った。水面下の暗躍を思った。

 「わたしが此処に連れて来られたとき、教会のヨシフ神父さまは、Mには気を付けろといわれました。Mは孟檠のことです。しかし、神父さまは、いま病に臥せっております。そこで、わたしは此処を去る前に、どうしても神父さまにお別れの挨拶をして参りたいと思いますが、少佐も一緒に行って下さいますか」
 「ええ、勿論ですわ」
 こうしてヨシフ神父のところに行くことになるのだが、少しの間、この場所の面倒を佳奈に命じた。
 九人の子供達は、これから此処を抜け出して、湖の中央に浮ぶ飛行艇に乗って脱出することを知らない。いつもと同じように、寝間着に着替えて寝るだけだと思っている。寝る前の暫
(しばら)くの間の遊戯というか余興というか、枕投げのようなことを遣って騒いでいた。

 「みんな、聞いて下さい」保母代わりの江静が言った。
 「なあに先生?」年長の子が訊いた。
 此処の子供達は大半が満人で、一部は日本人、漢人、蒙古人、新疆
(ウイグル)人らであった。肌の色もそれぞれに違う。江静の言った“大東亜の子供達”である。子供達は自国語よりも、日本語の方が達者であった。
 江静が言葉を教えていたのであろう。江静の殺された亭主は、日本人だったという。彼女も普段は日本語を使っていたのだろう。

 「これから大事な話があります。よく聞いて下さい」と、江静が切り出したのである。
 アンは佳奈に子供達の纏め役を命じている。九人の子供達が一糸乱れぬ動きをしなければ、この脱出作戦は成功しない。全員無事に、一人も損傷なく飛行艇に辿り着き、この地から脱出を図らねばならない。
 「大事なことって、なあに?」別の子供が訊いた。
 「これから新しいところに移ります。みんな一緒です。そこで守って欲しいことがあります。新しい先生を紹介します。佳奈先生です。いまから先生の言うことをよく聞いて下さい」
 江静はこう言って子供達の行動一切を託したのである。
 アンと江静はこれからヨシフ神父の寝所に行く。同時に子供の纏
(まと)め役を佳奈が担当する。

 いよいよ佳奈の出番となった。
 この孤児院は半分が教室で、半分が子供達の生活の場となっていた。孤児院自体が俄
(にわか)作りの平屋の掘建て小屋であり、粗末な木製の二段ベットがおかれ、後は物置などになっていた。貧弱な寄宿舎である。
 佳奈が黒板の前に立った。彼女は黒板を前に、まず自分の名前を書き、自己紹介を始めた。
 初対面での名前というのは重要な意味を持つ。蔑ろに出来ない。
 名は「命」であり、また音を発すれば「鳴」である。名を口に出して音を出し、命ずれば相手の本体とその名は同義となる。名を祝福すれば寿
(ことほ)ぐことになり、卑しんで呪っえば禍を与えることになる。その心得があれば、名をもって命じ、従わせることが出来る。人は名によって、名を呼ばれて動くのである。つまり相手の名を知るということが、以降の人生を決定するのである。蔑ろの出来ない所以(ゆえん)だ。

 佳奈は、ただいま訓辞中であった。
 先ず、子供たちを身長順に並べた。同じ身長ならば年齢を重ねた順にして、男女の別なく横一列に並べたのである。そして大きい方から順に名乗らせた。それに応じて順に名を名乗った。
 「胡美帆
(コ‐メイファン)女7歳(頭巾番号1)。黒岩豊子・女7歳(頭巾番号2)。曾永福(ソ‐ヨンフー)男6歳(頭巾番号3)。戸部新一・5歳(頭巾番号4)。余葉青(ヨ‐イェチン)女5歳(頭巾番号5)。夏雪梅(カ‐シュエメイ)女4歳(頭巾番号6)。白鈴風(ハク‐リンフォン)女3歳(頭巾番号7)。康明貴(ケン‐ミングイ)男3歳(頭巾番号8)。柳鉄男5歳(頭巾番号9)
 この順に、番号を1から9まで割り振った。この番号を泳ぐときに被る頭巾
(ずきん)に、蛍光塗料で書いてやったのである。
 子供たちが江静から習った泳法は、甲斐小堀流という。
 この流派は戦国期に起こり、籠城
(ろうじょう)した側への城攻めの際、先鋒隊が濠を渡って、城の石垣に取り憑くまでの術である。また籠城側も、黙って先鋒隊が渡って来るのを指を銜(くわ)えて見ている訳でない。渡り終える以前に、濠の中に刃物を隠した伏兵を置く。此処に敵味方が相乱れての攻防戦がある。
 具体的には、ここで繰り広げられるのは、敵味方相俟っての二つ巴
(ともえ)の水中柔術である。水中格闘を遣る以上双方は、ざんばら髪では泳がない。髪を掴まれれば、それ自体が急所となる。掴まれれば溺れる懸念もある。そのため、頭にぴったりした頭巾を被る。掴みどころを無くしてしまうのである。

 時代を戻す。
 佳奈は頭巾の後ろと前に、番号を割り振ったのである。
 更にこの流派は、裸足で泳がない。足の裏を損傷する恐れがあるからだ。そのために裏側が革で出来た足袋を履
(は)く。素足では石垣に取り付けないからである。本来は足袋の上に草鞋を履いた。足の裏の防禦と足掛かりのために足袋を履いて、水陸ともに動きを敏にするのである。

 夜間の泳法に辺り、持ち物は最低限度のものとし、履物など一切の身の回り品は総て袋に詰める。袋は左右に延びた紐で、頭に固定する。こうして移動に当たりの訓辞と注意を促した。
 さて、こういう場合、“最低限度の持ち物”が問題になる。自分にとって、何をそういうのか、この点が問題になるのである。
 子供の中に「犬はどうするの?」と訊いた子がいた。その子は一番背の低かったのが柳鉄男であった。
 鉄男は、みんなから「テツオ」の愛称で可愛がられていたというか、面白半分にいじられていた。子供たちの玩具的存在だった。
 佳奈は子供達に夜中に「泳法の練習をする」とだけ伝え、その準備を指示していた。彼女はどうして、此処に九人の子供がいるか分らない。しかし見るからに裕福な家庭の子供でないことは察しがつく。
 みな貧しい身形をしている。粗末と言うより、みな襤褸
(ぼろ)を纏っている。
 表面上は孤児院というが、何か動物か飼われているような気すらするのである。家畜が飼育され、そのうち頃合いになったら、何処かに売られて行く……、あるいは食べ頃になると出荷される……。そんなイメージすら抱いたのである。

 思えば、可哀想な身の上だった。
 心の深層奥深く、貧しいばかりでなく、貧しさ故に売られた記憶が残っているかも知れない。
 此処の少年少女には貧しく、辛く、悲しい厭
(いや)な、寂しい過去があるのかも知れない。そういうことの方が多い筈である。戦災で家を焼かれたり、あるいは、ある日突然どこかで攫(さら)われて、父母と離ればなれになり騙されて、此処に連れて来られたのかも知れない。死ぬほど怕(こわ)い思いをして、人攫いの憂き目にも遭遇したことであろう。
 しかし、誰もがそれを微塵
(みじん)も表面に顕していない。どの子も笑顔を絶やさず、いつも笑いに被われている。これを佳奈は、何故だろうと思う。
 そして直ぐに思い当たったのが、江静の人柄だった。美雨の母親である。その母の、母性愛に被われているのである。江静自身の愛情が、子供達にバリアとなって、皆を守っているという気がしたのである。

 江静は「此処には、三歳から七歳までの孤児が九人居ます。戦災で親を亡くしたり、遠くから攫
われて来た子供達です。この子たちを置いて、わたし一人が逃げ出す訳には行きません。子供達は大東亜の子供です。此処に置いては行けません。もし、わたしが逃げたとなると、子供たちは後で酷い仕打ちをされます」
 此処で子供が自警団から飼育されているようなことをいった。何処かから連れて来られると言うのである。
 そこで、アンの一声で「子たちも一緒に連れて行きましょう」となった。

 佳奈がその纏め役を任されていた。その任、立派に果たしてみせよう……、佳奈の心境であった。
 これから、子供にしては夕食の世話をするところであった。このとき毬栗頭
(いがぐり‐あたま)の鉄男が舌足らずの舌でくっちゃべり、一人で人気を博していた。仲間裡(いち)のペットのような愛玩動物であった。
 鉄男は此処では呪されておらず、みんなから寿
(ことほ)がれていた。
 そのため周囲から鉄男に向けて、鉄男、鉄男……の鉄男コールの連打が飛んだ。鉄男は愛称で「鉄ちゃん」などとで呼称されず、年下の三歳児からも、もろに「鉄男!」とフルで呼ばれる。ニックネームが、そもそも鉄男なのである。それだけ、何を遣るか分らない悪戯坊主であることが分る。その度に剽軽
(ひょうきん)に戯(おど)けてみせる。またこれが、皆からペットされる理由だった。五歳児にしては、些か心身ともに発育が遅れていた。
 しかし好奇心が旺盛な児である。何にでも興味を持つ。眼にとまる物が、悉
(ことごと)く真新しく映る。あたかも三歳児が、そういう徴候を見せる時期のようにである。成長時期的に言ってズレていた。
 知的面も、右脳はともかく、大脳左半分の左脳面の言語力
(幼児言葉が改まらない)・思考的分析力(文字や数字の理解が悪い)・逐次的論理(物事の順序が不明瞭で、仲間とのコミュニュケーションが上手く出来ない)なところは呑み込みが悪く、此処に居る三歳児よりも劣っていた。人間的と言うより、動物的・本能的であった。それだけに猿のようにすばしっこい。鈍でなく敏である。
 鉄男という五歳児、そもそも“犬を背負う”という行為の中に。いったい何が潜んでいるのか。
 犬を赤ん坊のように背負うという発想からして奇妙だが、むしろ左脳より、右脳に優れた面をもっているのかも知れない。

 後で聴いた話であるが、五歳のこの子は戦災孤児という。三年前、関東軍の匪賊討伐で、二親は匪賊に間違われて、家ごと火焔放射器で灼
(や)かれたという。鉄男はこの現場を見たのかも知れない。そうすると、心の何処かに精神的外傷(trauma)を抱えていることもある。
 佳奈は、何を遣るか分らない五歳児に好奇心を抱いた。一応この坊主を気に入るのだが、また何を遣るか分らない悪戯小僧に、これから振り回されようとは、このとき夢想だにしていなかった。
 愛玩動物的存在の鉄男は、底辺に位置しているために、今度は自分もその手下を欲しがる。そこで鉄男は捨て犬を拾って来て、その犬にシロという名を付けた。シロは白犬でなく、雑種の食用の赤犬だった。小型犬である。鉄男はこの赤犬が、冬になると白くなると信じていた。そしてシロを、袋に入れて首だけ出し、おんぶ紐のような物で自分の背中に背負
(から)い、そのうえにダブダブの服を着て、ねんねこ半纏(はんてん)を纏ったように愛玩するのである。鉄男はシロとともにあった。唯一の愛玩物であった。


 ─────甲夜
(こうや)、神父(司祭)宅を訪ねた。
 なお、この物語は神父を敬称として話を進める。
 神父宅は一等地でなかった。日本人や満人の棲
(す)む住宅密集地からは、やや離れた場所にあった。近くに教会の礼拝堂があり、少し離れたところにある粗末な一軒家だった。そこでの生活は、神父には相応しかなる質素な暮らしが窺われた。慎ましいという感じである。
 その家には、神父の病床を世話する中年女性が居た。その女性が江静と連れ立ったアンを見て、余所者
(よそもの)の来訪と見たようである。
 この女性は、彼女ら二人は何の事前の報もなく、また夜中に訪問を受けたことに些か腹立たし気であった。訪れたのは午後八時を過ぎた頃で、昔の時刻で言えば戌
(いぬ)の刻であった。

 「神父さまは臥
(ふ)せっておられます」そう言って、門前払いを喰らわそうとした。
 「いえ、今宵、礼儀も弁
(わきま)えず、無遠慮にも、こんな時間に門を叩きましたのは、お見舞いを予(かね)て、その……」と、語尾を言い淀んだとき、中から聲(こえ)がした。その聲は来訪者を拒んでいない返事だった。
 本来ならば、こう言うときは会わずに帰るのが来訪者の配慮である。時間が遅いだけでなく、訪問された側は臥せっているのである。
 普通、病人の見舞いは昼間が適当で、こう言う時間は遠慮するものである。出直すことこそ礼儀である。しかし江静は、今宵でなければならない事情があった。それを聲の主は察したのであろう。世話係の女性は聲の主の意向を窺いに中に急いだ。そして直ぐに戻って来て、神父が「お会いなさるとのことです」と告げた。
 二人は床に臥せったヨシフ神父の寝所に通された。神父は司祭のため妻帯者でなかった。ロシア正教会では神父
(司祭)になる前の輔祭の役職であれば妻帯は認められるが、司祭以降は婚姻が認められない。

 「神父さま。客をお連れ致しました」
 神父は床に臥した上半身を起こし、二人の客を視て、驚いたように眼を屡叩
(しば‐たた)かせていた。
 「お前は外に居なさい」と、中年女性に促した。
 「ですが神父さま……」と、《お一人で大丈夫ですか》と言いたげであった。
 「いいのですよ、瀬口さん。私は客人と話したいのだ」
 「では、わたしは……」女性は下がった。
 神父は世話係の女性を退けたのである。
 話が込み入るかも知れないと懸念したのであろう。

 上半身を起こしたのは、痩身で皺だらけの80前後の老人だった。
 神父と呼ばれた老人は、粗布の喪服のような黒の法衣を着て、胸の十字架
(cruz)は法衣に縫い付けられたアップリケであった。神父のそれは、ロシア正教会特有の重厚な金銀をあしらったクルスでなく、布で十字に縫い付けたものであった。清貧に甘んじていることが窺われた。
 「ようこそ、あばら屋へ」
 この神父は日本人居留民の中で布教しているためか、嗄
(しわが)れた聲だが、流暢(りゅうちょう)な日本語で喋った。歓迎と言う意味であろう。
  江静とアンが中に残った。
 「お別れに参りました」江静が告げた。
 「そうですか。もう来る頃だと思っていましたよ」と、ゆっくりとした口調で話し、神父は近未来を観て、手に取るように、総てを知っているとふうだった。神父は彼女が近いうちに来るだろうと予感していた。死を前にした人間の勘が冴えて……という、近未来予知が出来るのと似ていた。
 「もう、お察しでしたか」
 「ああ、私には分るのだよ。そろそろあなたと、お別れの挨拶をしようと思っていたところです。何とか間に合ったようですね」皺だらけの貌を、いっそう難儀そうに動かして喋った。
 アンは神父の貌を観て、もう覚悟した聖人の姿だと思った。死相が顕われていると検
(み)てとった。
 「……………」江静は言葉を失ったようになった。
 妻の間の沈黙が訪れた。

 「江静さん、幾つになられました?」
 「今年で、三十でございます」
 「ほ……ッ、もう……。粟末靺鞨
(ぞくまつ‐まっかつ)の姫も三十になられたか」
 江静が六世紀以来、連綿と続いたツングース系民族の首長・阿骨打
(アクダ)の血筋と知っている。その経緯を知っているのである。娘の美雨のことも知っているのであろう。江静は靺鞨ツングース族の王家の血筋と言うことになる。それも現在は30歳の姫である。
 ということは、美雨は江静の16歳くらいのときにの子供となる。早期婚姻の風習に倣
(なら)ったまでであろうが、現代に較べれば早く、靺鞨の世継ぎを狙ったものか……。
 かつての王室は国家を安定させるために、早い時期に婚姻するのが常であった。
 「長い間、お世話になりました」
 言葉は少なかったが、これまでの世話になった経緯が凝縮されているような言葉に響きだった。

 「此処を去ると言うことは、これからどういうことが起こるか、分るでしょう。くれぐれも気を付けて行かれよ。後のことは心配なさるな」それは《任せておけ》という意味だった。
 「ありがとうございます」
 「ところで、娘子
(むすめご)がどうされた?」
 「それは……、たぶん元気だと……」と言い澱んでいた。いまの消息をはっきりと知らないのである。
 「それは何よりです」
 「神父さま?……」遠慮気味に問い掛けた。
 「何ですか」
 「早乙女さんと孟檠さんの関係を、ご存知ありませんか」率直に訊いた。
 こう問われて、神父は一瞬思い迷った表情を漂わせた。自身の葛藤があった。何を鬩
(せめ)ぎ合っているのだろうか。

 「私は白系ロシア人です。ソビエトに迫害された過去があります。満洲の地まで尾
(つ)け回されました。
 今もその延長にあります。そこで悪魔と取引して保身を図った。この場が、悪魔の住処になることを許してしまった。
彼らが投げる餌を貪った。こうして、おめおめと生き存(ながら)えた。恥の上乗せをした。それがなければ、かかなくていい恥も、かかずに済んだでしょう……」神父の言葉には深い悔悟の念があった。
 「……………」江静とアンは神妙な貌で聴いていた。
 「しかし、善いことも一つくらいはしたい。悪の存在は、世に知らしめて警告しなければなりません。勇気をもってです。あのお方のように……」そういって、壁に掛かったキリスト像を震える指で差して、複雑な貌になった。だが奢
(おご)った貌ではない。弱々しく、どこか儚気(はかな‐げ)な貌であった。しかし晴れ晴れとした雰囲気も漂わせていた。
 アンと江静は、神父が指したその画像を見入った。
 「贖罪……ですか?」と、どちらからともなく言葉を発していた。

 神父は自らの罪も、また悪に手を染める者達の罪も、わが身一身に背負って罪過を贖
(あが)うと言うのであろうか。そのような覚悟にも見て取れた。それは死を覚悟したものであった。
 ヨシフ神父の命の焔
(ほのお)は儚気に揺れていた。この場でひと息で吹き消されても訝(おか)しくない。そういう痩せさらばえたヨシフ神父が、最後の言葉と思えるようなことを喉から搾り出した。

 「この国には神が居ない。周辺国にも神が居ない……。残念なことです。人間に権力を持たせる民主と標榜した国こそ、神は皆無です。神を信じないばかりか、神を冒涜
(ぼうとく)した結果、戦争に及んだ。人民に選挙で選ばれた権力者は、政治的解決や地道な経済発展を望むより、最も手っ取り早い武力を行使して戦争を選択した。
 デモクラシーこそ、人間に誤りを齎しました。人間は政治をする。近代は神に代わって人間が政治をする。それ自体は決して悪いことではありません。しかし、政治をする権力者は、神の如く冷静で、無私でなければなりません。私
(わたくし)が有って、如何なる政治が出来ましょう。人間が人間を選ぶ。人間の群れからエリートを選ぶ。これ自体に間違いはないが、選ばれたエリートが、その後、取り巻きの影響で変色するのは如何なものでしょう。ナチス独逸然り。人間が、大勢の人民を代表して権力を持つと独裁へと暴走し、結局、ソビエトのような一党独裁の国家が出来上がる。反ソビエト政権の白系ロシア人のように迫害される。それは日本も例外ではありますまい。
 こうして人間は、ますます神から遠ざかる。科学万能主義、至上主義を論
(あげつら)って……」と、一気にここまで述べた。
 そして呼吸を整えるために暫
(しばら)く無言となり、再び静かに語り始めた。

 「科学が人間に物的面を補佐し、寄与していることは認めよう。しかし、これも思い上がり傲慢になれば、科学が戦争をエスカレートさせる。戦争は人間がするからだ。戦争を抑止するには、人間側が精進して知識のみならず、精神性まで神に近付かなければ、悲劇は抑止出来ますまい。奢
(おご)れば、科学から第二のヒトラーやスターリンが出てきましょう。人は、人を殺してもならないし、人から殺されてもならないのです。
 人が人を殺す。何故こういうことをするのでしょうか。人間がする政治の原則は、人間が愚民であればあるほど人間が人間にする政治は悪魔の道具に遣り易いと言うことです。そうならないためには、人間側の一人ひとりの、人としての自覚が必要で、人が人を選ぶ政治形態では、個々人が自己に責任を持ち、正しい人を選ぶ見識を養っておかねばなりません。養う努力と学ぶことを欠してはなりません。人を見る選択において無知と事なかれ主義は禁物です。
 いやしくも政治と自分が無関係だなどと他人任せにしてはなりません。こうなると人間は何処までも戦争を繰り返し、その体験を重ねねばならず、人間はどこまでも雪の泥濘
(ぬかるみ)を歩くことになりましょう。その泥濘は人間が遣らかす蛮行に他なりません。
 もう、そろそろこのような蛮行に終止符を打って、人間は狭き門より入る鍛錬をせねばならない時期に来ています」
 ヨシフ神父は床に上半身は起こして語ったが、最後の力を振り絞るように訴え、その度にむせた。嘆願するように必死の訴えであった。しかし、総てを言い終わったのであろか、貌が安らかになった。

 「神父さま、どうかお安らかに……」江静がいった。
 「孤児たちは、わたくしが責任をもって安全な場所に保護致します、ご安心を」アンが了解を求めた。
 「では、あなたにお願い致しましょう」神父はアンの貌を正視して言った。任せられると思ったのだろう。
 「神父さま、これにてお暇
(いとま)です」
 江静は最後の別れを告げた。辺りに一抹
(いちまつ)の寂しさが漂っていた。
 「うむ」その返事は弱々しかった。
 神父は、ゆっくりと躰を横たえ、もうぴくりとも動かないようになっていた。
 ヨシフ神父が言いたかったことは、民主主義デモクラシーが古典の民主政体論ままで留まり、進化の跡が見えず、未
(いま)だに狭き門より入る神の道の軌道に至っていないことを指摘し、最後の力を振り絞って、斯くもこのように言ったのである。政治家こそ欲望を捨て、無私に徹して、最も神に近い存在でなければならないと言っているのである。

 狭き門より入れ……。
 『マタイ伝』
(第7章、7)の冒頭にある。それに続く言葉として、「滅びに至る門は大きく、その路は広く、之より入る者多し。生命(いのち)に至る門は狭く、その路は細く、之を見出す者少なし」
 ヨシフ神父にしてみれば、今の世に神を感じる人は皆無に近いと言っているのだろう。
 近代兵器とは科学技術の粋
(すい)を集めた結晶の賜(たまもの)である。科学力を基盤にする近代戦は、十九世紀の戦いと違って、大量殺戮が主体になった残忍な殺戮行為を繰り広げる。
 それはまさに、人間が人間とも思えぬ残虐な行為であった。
 神父はこれを、自らの贖罪に置き換えて購
(あがな)おうとしているようだった。それは戦争に走ってしまった人間に対し、これを阻止出来なかった自分自身に振り替えているのである。
 人間は災いである。あたかもパウロの黙示録の冒頭に出て来る言葉のように……。
 罪人は災いなり、なぜ、彼等は生まれたのか……。
 ヨシフ神父は神の不在を嘆いた。

 当時、日本人の行くところ、至る所に神社があった。
 満洲国にも朝鮮半島にも、また樺太にも神社があった。ところがこれらの神社には、神が不在だった。
 神不在では、神の囁きすら聴くことが出来ない。神風が吹いても、風を感じることすら出来ない。民主主義は結局此処に停滞し、愚かにも選ばれたエリートたちによって戦争継続の策が練られていたのである。
 ちなみに民主主義の逆は、どういう政治システムかと、多くの人は“軍国主義”などとトンチンカンなことを言う。軍国主義すら、人間が行うから立派な民主主義である。それは共産主義でも社会主義でも、立派な民主主義である。独裁政治すら、人間が遣る以上民主主義である。独裁体制は、民主独裁という政治形態から誕生しているのである。独裁者は神から選ばれた独裁者でなく、自身が神に成り代わって、神を語る独裁者なのである。

 民主主義の反対の政治システム……。
 それは人間が政治を遣る以前の、デモクラシーに対峙
(たいじ)したシオクラシーである。神主主義である。民主でなく、神主である。
 人類は戦争を無くす以前に、この課題に取り組むまでの様々な難問を山積みしている。そして、民主主義こそ人類最高のシステムであるという欠陥が、未
(いま)だに見抜けていないのである。
 また民主主義の欠陥点を変えようとしても、それは方法論の変換であり、根本的な変革法をまだ見出していないのである。残念なことは、民主主義デモクラシーに入れ揚げ、これが人類の最終システムと思い込んでいるところに、人間が戦争を終焉
(しゅうえん)させきれない悲劇があるのである。これはこの政治システムが、未だに人類の幸福に通じる政治の最終形に至っていないと言うことを雄弁に物語っている。
 英国の思想家で、功利主義倫理説を主張したベンサム
(Jeremy Bentham)の快楽の増大、苦痛の減少を総ての道徳や立法の窮極の原理とする「最大多数の最大幸福(the greatest happiness of the greatest number)」は、最大の快楽を為(な)す次元まで到達していないのである。
 だが、これにも人類にとって難しい課題が残されている。人類全体が幸福を浴するために、ギリギリの生活をするという難問である。
 もし民主主義デモクラシーが社会科学の線上に存在しているとするならば、人類は社会科学上の自由・平等・博愛の精神に辿り着けない、未
だに未科学の分野を手探りで模索していると言えよう。

 当時の時代背景からいうと、ルーズヴェルトもチャーチルも、またスターリンも人民の選挙で選ばれた。更にはヒトラーすらも国民から選挙で選ばれた独裁者であった。
 しかし日本だけは違った。天皇に最大最高の統帥権を与えながらも、これを一度も遣わせなかった。天皇は統帥権を持っていたが、これを軍来官僚は一度も遣わせなかった。天皇が戦争をやめたいと考えても、それは官僚どもによって拒否された。天皇は確かに、日本軍を統括する統帥権
(大日本帝国憲法第11条は、これを天皇の大権と定め、一般国務から独立させて、発動には陸軍参謀総長ならびに海軍軍令部総長が参与した軍隊最高の指揮権)を持っていた。天皇に最高指揮権はあったが、この大権は遣われず仕舞いであった。負け戦を長引かせた一つの要因である。
 一方、憲兵は違った。高が上等兵クラスの予備憲兵であっても、容疑者の検挙に当たっては猛威を揮い、残忍を極めた。この権力は、天皇すら足許には及ばなかった。
 大東亜戦争自体が無謀でなく、戦争指導者自身が無能であった。無能の軍隊官僚に指揮されては、勝つ戦いも勝てる訳がないのである。軍隊官僚のそもそものシステム機構自体に問題を抱えていたのである。
 昭和16年12月の日米開戦当時、日本は米国より軍事力が勝っていたことは既に述べた通りである。

 ヨシフ神父は、更に続けた。
 それは始終監視されているということで、日本官憲への密告を生業
(なりわい)とする密偵に注意されたしということだった。
 「この地域に新興宗教が群がっているのは、日本官憲の虎の威を借る狐の手先と、狐が操る土竜が居るからです。土竜は、また狗を巧みに遣う。これが密告者です」というのだった。
 現に密告者が密偵と言うポーズを装いながら、その立場を悪用し、容疑者捏造の構図を企んで「憲兵に黙ってやるから」とか「罪一等を軽くしてやるから」などの持ち掛け、日本人が日本人の同胞に対して官憲に“仲間を売る”という密偵ゴロがうようよしていた。
 悪質な密偵ゴロになると、自分で企んだ架空の捏造案件を、持ち掛けた相手が金品の要求に対し、拒んだ場合、その捏造案件をそのまま憲兵隊に密告し、逮捕させるなどの仕返しがあった。これを恐れて、密偵ゴロに金品を渡すと言う詐欺事件もこの時期には多発していたようだ。この事実をヨシフ神父は「気を付けよ」と示唆したのである。更に驚愕すべきは、密告者には密告者を牛耳る闇の密告組織があると言うのである。
 これが一つの獲物を集団で猟りをすると言うのであった。単独より、集団で組織的に猟った方が効率がいいからである。検挙第一主義の裏には、こうした隠微なる狗を培養する温床があった。日本の官憲は、密偵を利用しようとして、逆に利用されていたのである。

 密偵ゴロ……。
 時機の権力者に纏い付き、政治や政策に関わる寄生虫的なごろつきである。
 これは日本人だけでなく、満人にも似たようなケースがあった。
 例えば憲兵に逮捕された家族のところに行き、「金品を出すならアリバイを作ってやる」とか「日本語が堪能なので都合のいい通訳をして遣る」と話を持ち掛け、それでも金品を出さなければ「不利益にな通訳をして重罪に処してやるぞ」と脅しを掛ける例もあった。
 こうして密偵ゴロは、日本人や満人あるいは漢人や朝鮮人を問わず、この手を遣って容疑者の家族から金品を奪い取っていたようだ。これは日本人だから、あるいは他の人種だからの云々ではなく、人間の悪と善が明白になった人間性を顕したものである。人種や民族ではなく、人間そのものの善悪から派生した、人間の悪の一面である。

 また密偵とか、密偵ゴロであっても、真摯に生計
(くらし)を図る善良な市民とは異なる余得があった。
 それは憲兵隊が、駐屯地における経済作戦と言われる経済の一貫として行われていた「敵地域への横流しを抑える」という名目で開始される経済封鎖である。
 この場合、憲兵隊は先ず食料品や生活必需品を抑えに掛かる。経済封鎖だから、移動は禁止である。したがって、この作戦が実施されれば、地元の商売人は商売が成り立たなくなる。しかしこれを逆手にとって、地元民でも憲兵隊の証明書さえあれば、物資の移動は自由に出来る。そのために取り入る。袖の下を遣う。
 つまり密偵は移動証明書発行のために憲兵隊に口を聞くという仲介をして、この仲介において金品の授受が行われる。これ自体が密偵や密偵ゴロの収入源になったのである。これが人知れず、水面下で罷
(まか)り通るようになると、この恩恵に憲兵までもが浴することになった。法の番人である前に、所詮(しょせん)欲望多き俗人である。また大戦末期の憲兵なると、即席指導で質が落ちた。昭和13年代以前の憲兵ではない。
 更に、憲兵不足のを補うため、半島人から多くの日本軍憲兵が採用された。この結果が、どう言う事態を齎すか、想像に難くないだろう。まさに虎の威を借る狐だった。
 そして、最も大きな恩恵が麻薬取引の恩恵であり、これは大変な金額であった。その最たる材料が、銅臭芬々
(どうしゅう‐ぷんぷん)の阿片であり大麻であった。欲望が露(あらわ)になるため換金力が強力である。

 人間である以上、金が欲しい。それも大金が欲しいと企む者は多いであろう。しかしこうした企みを、憲兵が敢えて密偵や密偵ゴロを雇い、麻薬取引に加担した日本官憲も居たのである。つまり、巨大な組織から、組織自体が日本官憲を飼い馴していたという驚嘆すべきことが起こっていた。
 この構図は米国の、ある治安の悪い地域の暴力的犯罪組織
(mafia)が警察を買収して手懐(て‐なず)けるという構図に酷似している。また近代は、犯罪組織が経済組織に変貌して、これをビジネスとして展開していることである。暴力優先から経済優先へと変わったことである。

 人間の棲
(す)むところ、至る所に密偵在(あ)りである。監視の眼が人を陥れる。告げ口をして、他人(ひと)を陥れる。そして自分が、他人より先んじて優位に立つ。制したい。人間の生まれながらに持つ欲望の為(な)せる業(わざ)である。神が不在になれば、地獄の沙汰も金次第で、どうにもなることなのである。
 人間と言うものは理不尽で不当な理由も、捏造した企ても、更には悪しき如何わしき音楽も、敵に向かって進軍するときは何と輝かしい烱
(ひか)りを放つことだろう。その烱りが悪からの発信源であっても……。
 ヨシフ神父は自らの死を目前にして、この事を人類に向かって絶叫したかったのであろう。

 神父の寝所に入る時も、世話係の女性も伴に入ろうとしたが神父はこれを断った。この女性自体が狗である可能性も高いであろう。それを神父は知りつつ、彼女の入室を拒否したのであろう。
 そして重要な話を江静とアンだけに小声で囁いた。ドアの外に瀬口と言う女性が傍耳を立てたとしても、完全には聴こえておるまい。
 もしその女性が狗ならば、江静とアンは別れを告げに来たと言うことが、早乙女老人麾下の組織に筒抜けになっているかも知れない。警戒は言になるだろう。これは二人の懸念事項であった。二人は礼をいい、神父と別れを告げて孤児院へと急いだ。


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