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続々 壺中天・瓢箪仙人 14

『論語』に出てくる「仁」とは、殆ど無縁なる人が、政治の世界に多く登場しているように思うのである。
 しかし、一方で選ばれた被選挙人は、自ら「おれは、わたしは、正しいから大衆の支持を受けて選ばれた」と言う選民意識が、余りにも過剰な自負が生まれた場合、その人の人格は下降線を辿るようである。傲慢
(ごうまん)に変質しては、やがて支持を得られなくなるだろう。

 『論語』の一節に、孔子と弟子の子張
(しちょう)との問答が出ている。
 「先生、私たち士は、どうしたら世間から達人だと、評価されるでしょうか」
 「達人とは、どう言う意味かね」
 「自分の周囲は勿論のこと、国中に名の知られている人物のことですよ」子張は名声を得ることを問うたのである。
 ところが孔子は、どう答えたか。

 孔子は、まず「これ聞
(ぶん)なり、達に非(あら)ざるなり」と釘を刺し「名が知られているのは、単なる有名人であって、達人ではない。達人は実質的な内容を備えていて、義の則って行動するものである。自分の名が売れている少しばかりの有名をひけらかしたりしないものである。
 則
(すなわ)ち達人は、人の話や意見をじっくりと聞き、まず聞く耳を持っている。そのうえ謙虚であって、相手の感情を害さない。だからこそ、周囲の人は勿論、国中の人もその人を達人と認めるのだ。
 しかし、有名人はこれと異なる。
 表面的には仁者風を気取るが、それは実際的には人気者扱いされる意図があって、自分の売込みばかりをしている。また、人気者視されることにおいては、それを観る人が表面ばかりを検
(み)て、見識がなければ、単なる有名人と言う理由で、これを達人と見誤る場合もある」と。


●着水訓練

 新京飛行場内にある満映スタッフの割り当てられた仮設宿舎である。
 大日本航空内の大型機格納庫横にある二階建ての廠舎造
(しょうしゃ‐づく)りバラックの宿舎である。そこには関係者が男女別々に部屋を割り当てられて宿泊していた。後から駆けつけた関係者を含めて、総勢七十人ほどが此処に宿泊することになった。
 この“総勢七十人ほど”は、情報謀略機関に属する猪口敬三の“狗猟り”の策であった。猪口はこの七十名ほどの中に狗がいると検
(み)ているのである。此処に集めて一気に猟る作戦であった。
 また、女優群もその隣接の宿舎内に宿泊くしていた。
 誰もが寝静まった深夜のことである。

 「おいッ、知らない者が表にいるぞ!」と誰かが怒鳴った。満映関係者からの宿泊部屋からである。
 「はては便衣隊か!」また誰かが言った。
 「いや、違う」息を殺している者が返答した。
 「それは男か女か?!」誰かが訊いた。
 「よく分らん」
 「とにかく燈火
(あかり)を着けろ!」
 こうして様々な臆測が飛び交っていた。何が起こっているか、釈然としない場合は、とかく臆測が飛び交うものである。
 「おいッ、表にいるのは憲兵隊だぞ!」
 この一言で、大きな動揺に周囲が揺さぶられた。空気が妙に張り詰めた。
 「何だと?!」
 「どうして憲兵隊が居るのだ?」ぎこちなく慄
(ふる)えていた。憂色が顕われているようにも見える。
 「この中に便衣隊が紛れ込んだらしい」
 「なんだと、便衣隊だと?!」こんなところにも後方攪乱が行われているのかという驚きである。
 「誰だ、それは?!」重苦しい相槌である。
 便衣隊と言われれば、誰もがそのような貌に見えて来る。相互に疑心暗鬼が起こるのである。

 誰が便衣隊か?……、そう言い終わる間もなかった。
 数人の軍靴の足音がドカドカと聴こえて来た。有無も言わさずの闖入
(ちんにゅう)であった。
 「やはり憲兵だ!憲兵だぞ」
 誰かがそう言うと、憲兵が宿舎内に、どっと雪崩れ込んで来た。礼を履
(ふ)まぬ土足行為ともとれる侵入である。
 「奉天憲兵隊の関根少尉である。この中に美雨
(メイユイ)という娘は居るか!」指揮官はそう告げた。
 「美雨だとォ?……」スタッフの誰かが不審に思って訊いた。
 「美雨が何か?……」《なぜ?……》という訊き方だった。
 「スパイだ!」少尉の指揮官が言い捨てた。
 「えッ?美雨がスパイだって?……」
 「あの小娘がか……」
 方々からそういう聲
(こえ)が上がった。周りは騒然となった。
 「美雨がスパイだと?……」
 「なにかの間違いでは?……」
 「間違いでない、スパイだ!」指揮官は断定的に言い放った。
 「……………」一瞬辺りが黙り込んだ。
 「美雨は何処にいる!」指揮官は烈しい口調で再度問うた。
 すると、恐る恐る、前に進み出た少女がいた。しかしその足取りは確かで毅然としたものだった。
 「美雨は、わたしです」美雨が前に出た。
 「お前をスパイ容疑で逮捕する!」

 この一言で、映画関係者のみならず、隣の女優部屋まで響いて騒然となった。
 だが美雨に大した驚きはなく、なおも無言のままである。泣きもしないし、騒ぎもしないし、いい訳すらしない。どこか落ち着き払って、心事を中庸に保っているようだった。ある意味で不思議な娘であった。むしろそれが凛
(りん)とした表情に映ったのである。時として見せる一種独特の彼女の表情であった。眼の瞳が黒真珠のように炯々(けいけい)と輝いていた。その烱(ひか)りに力があった。それは意志の強さでもあった。

 その場が、あたかも戒厳令が敷かれたように物々しい雰囲気になっていた。表には憲兵隊のトラック一輛にサイドカーや黒塗りの乗用車が停まっていてエンジンが掛けられていた。この周辺を憲兵たちが鼠一匹も漏らさぬように固めていた。

 室瀬佳奈がこれを知って、大きく動揺した。大変なショックなのである。踏み込んだ憲兵の猛威と傲慢さに気圧
(けお)されて、表情が真っ青だった。美雨を心配する表情が克明に出ていた。
 「あの娘
(こ)に限って……」佳奈が吐露した。自分でも頭を振っているのである。
 彼女は否定の気持ちを弱めないでいた。あるいは堅忍不抜の気持ちを崩さないでいるようだった。
 「きっと間違いです、心配しないでいいわ。一局面に惑わされてはなりません」アンが慰めた。彼女にいつもの軒昂
(えんこう)と意気の不動は喪っていない。調べれば分るという意味を含んでいた。
 「そうそう、間違いです、まちがいですとも。ひとつ自分が、話を付けて参りましょう」吉田が、のこのこと勇んで出て行った。
 そして指揮官の前に吉田が立った。
 「なんだ、お前は?」
 「検
(み)ての通り、この場の仕切役で、言わば全員の弁護人とでも言おうか」と前に出て、怯(ひる)みは微塵も感じられなかった。
 「うムッ……、弁護人だと?……」一瞬、指揮官は位負けしたようだった。
 「そうだ。これは何かの間違いだと申しておる」
 「お前も、見るからに怪しい」
 「はて、どのように怪しいのかな?」
 「お前も一緒に逮捕する!」指揮官は怒声を上げた。
 「随分と、ご無体なことをする……」大袈裟に両手を広げて嘆いてみせた。思わせぶりでもある。
 吉田は、美雨ともども逮捕されて、憲兵隊の乗用車に押し込まれ連行されて行った。そしてその後、これまでざわついていた喧噪
(けんそう)が、やがて耳に閑(しず)かになった。一件落着と言う感じであった。

 佳奈はアンに訊いた。彼女は何故か落ち着かない。気掛かりで仕方ない。
 「先生。どうしましょう?」
 「でも、何か変ねェ……」アンが頸
(くび)を捻るように言った。
 「なにがですか?」
 「あの娘
(こ)の態度が……」腑に落ちないという意味である。
 佳奈は、それを聴いて、あッと思った。
 それはアンが時折見せる、あの態度と表情に似ていたからである。そしてキャサリンも、時として同じようは態度と表情を見せるのであった。それは作られたものでなく、長い歴史を掛けて、受け継がれた遺伝子の中で何百年も懸かって育まれた、凛
(りん)とした態度を宿していたからだ。長い歴史が形成して来たものと思われた。それは決して付け焼き刃などでない。芯(しん)からのものである。それが、つまり毅然だ……と、佳奈は気付いたのである。
 もしかしすると美雨は?……と思うのである。
 美雨が時々見せる表情に、誇り、不動、忍耐、憐憫、弱者への情愛や労り、慈しみ、悲しみなどは単なる感傷主義から来るものでなく、王妃のそれではないかと思ったのである。そして惻隠
(そくいん)……。
 それを総括すれば毅然に通じる。あの態度、あの品位、それは王妃が見せる……。そして、それは品格。凡夫
(ぼんぷ)には真似の出来ない遺伝子の中で培われた人格的価値……。
 だが、不思議にも美雨には敵愾心
(てきがいしん)と言うものがなかった。人に対して牙を剥く闘争心を宿していない。刺々しくなくて円(まる)いのである。人間の愚行と苦悶(くもん)を、限りない同情で受け止めているのである。凡夫には持ち合わせない一等上の意識であった。その芯の強さが窺えるのであった。
 佳奈は直ぐに“彼女はもしかすると高貴な姫では?……”という推測に行き当たったのである。それを、いま翻然
(ほんぜん)と理解した。

 そこに、監督姿の猪口が戻って来た。擦れ違いと言うタイミングであった。
 「おい、何かあったのか?」猪口がスタッフの一人に訊いた。
 「監督。美雨がスパイですって」
 「なんだと!」この驚きようは、見ようによっては不可解なものであった。
 「監督。大変なことになりましたねェ」スタッフの一員が深刻そうな貌をしてみせた。
 「わが満映にも、スパイが紛れ込むとは……」誰かが、第三者のように呟いた。
 しかし猪口には動揺はなかった。落ち着いたものである。周囲の貌を虎視眈々
(こし‐たんたん)と、狙いを付けて見渡していた。視る眼が鋭かった。
 暫
(しばら)く経って、亀山に近付き、小声で「喰い付いたぞ」と耳打ちした。それは満映の中に狗(いぬ)が居るという意味であった。今度は、猪口から亀山に指令が飛んだ。この指令からして、猪口は単なる憲兵曹長でないらしい。

 「いいか、亀山。狗を含めて厄介なのは、狗だけでない。狗の周りにうろつく、日本の官憲もだ。奴らは狗も便衣隊も区別もつかない。みな一緒くただ。敵味方の識別眼がない。そして直ぐに検挙し、理由の如何に問わず、否応無しに処刑する。これでは確信に辿り着けない。この構図こそ、永遠の土竜叩きだ」そう亀山の耳許で囁くように言ったのは猪口敬三だった。
 「では、狗を遣って、土竜を誘
(おび)き出しましょう」
 「なるほど、貴官も有能な情報将校を演じているという訳か。よかろう」
 「これは参謀本部の強硬派からすれば、大それた反逆計画です」
 「それを承知で、貴官も参加している訳だろう」
 「はい!」
 「彼奴
(きゃつ)には煮え湯を飲まされたからな」
 猪口の言った彼奴とは誰なのだろう。
 「閣下は面子
(めんつ)を奪われた形になりました……」
 「わはははァ……。貴官、なかなか肝が坐っておるな」
 「自分は常に正しい方に付きます」
 「どういう作戦を執
(と)る?」
 「狗の巣を爆破します」
 「土竜はどうする?」
 「重ね合わせます」
 「重ねて斬るか。それで、狐まで誘き寄せられるか?」
 「ご懸念には及びません。取り巻きが混乱している隙に乗じて、瞿孟檠
(く‐もうけい)を誅殺します」
 「では、日本内地にいる瞿孟檠
(く‐もうけい)はどうする?」
 「それを実行するには、もう一人、立役者が要
(い)ります」
 「亀山。これは軍事作戦だぞ」
 「充分に承知しております」
 「だったら、政財界の関係者は遣うな。夜郎自大の制服組の軍人も駄目だ。軍事作戦に政財界に連
(つる)む愚者に口出しさせてはならぬ。誅殺する軍事作戦は、あくまで隠密者に任せるべきだ」
 「責務を果たします」
 「では、撒
(ま)き餌(え)をせよ」
 「はい、閣下」
 「それには関東軍参謀の乙祢
(おとね)(少佐)を遣え。そして貴官は、これから沢田貿易の重役に就任し、新京支店の支店長となる。吉田君の片腕になってくれ」
 「命令系を確認しておきたいのですが」
 「私から甘木少将に言っておこう」
 「わかりました!」
 斯
(か)くして、猪口の指令が発せられた。
 情報将校である亀山の任務は、冷たく、辛く、きつく、見栄えのしない、不思議に気付かれず、人々から忘れ去られた、おそろしく危険な仕事であった。

 こう言い終わってから猪口は、自分が煽り屋であることを、甘木少将から指名された。そのことを思い出したのである。巧く機能していると思うのであった。そして亀山のやつ、《もう一人、立役者が要ります》と言ったことを思い出し、ふと苦笑した。
 その役者、おそらくあの漢がするだろう。そう思うのだった。あの奇妙で不思議な、津村陽平と名乗る小さな巨人であった。
 では、なぜ猪口は矮男
(こおとこ)に執心したのか。
 それは津村の独特の着眼力であった。その着眼力は画家のものかも知れないが、津村には凡夫
(ぼんぷ)が陥り易い似たような事柄の識別能力があると観たからである。
 例えば、それはどう言うことかというと、着眼と考案
(idea)を較べた時に起こる。この世にアイディア・マンの類(たぐい)はゴマンと居よう。着想豊かな人達である。言葉の上でも、着眼と着想はよく似た表現の言語である。そのためこれを同一のものと思い込んでしまう。だが、それは誤解も甚だしい。故にアイディア・マンの“アイディア倒れ”ということがよく起こる。アイディアだけでは成功に覚束無い所以である。
 世の中は今も昔も、アイディア・マン万能主義、アイディア・マン礼賛主義が罷
(まか)り通っている。そしてこのこと自体が、凡夫の眼を錯覚に陥らせた。世人はアイディアを持て囃(はや)し、アイディアのみを美化し過ぎて来た。それが危険を招いた。良識派の判断を狂わせた。

 一方、特異な着眼を持った者は、どういう扱いをされたか。
 評価は殆どなかった。右脳発想者は奇人変人扱いされた。
 特異な眼で物事を観察し、それに評定を下す。こういう眼を持った者を、どう扱って来たか。
 奇人と看做すだけだった。そして愚なるは、危険視したのである。
 この異能者を劇薬同然として扱ったのである。そういう眼を危険思想とした。この眼を、特に嫌ったのは政治家たちだった。危険思想は政治家にとって敵対者であり、また軍部も同じように扱った。
 特異な着眼の眼を持つ者は、社会に変革を齎すと恐れたからである。アイディア・マンは礼賛するが、着眼者は危険思想で、害を撒き散らし、変革を迫る悪しき権化と位置づけてしまったのである。
 政治家にしても、軍部にしても、古い世襲的な中で培養される組織体である。この媒体が適温状態で生き続けるペトリ皿
(Schale)の中では、突拍子もない変革は好まない。況(ま)して劇薬に等しい革命的なものは言語道断であった。出来上がった恒例は、変更を好まない。旧態依然の世襲制を大事にするのである。
 現に、陽明学は江戸期、寛政異学の禁に触れた。幕藩体制を揺るがす危険な学問と位置づけられた。朱子学のみを正学としたのである。これこそ世襲制の肯定であった。

 では日本が何故、戦争に負けたか。
 その理由も、一つは世襲制に準じたことである。その悪しき例が「先任」という動かし難い禍
(わざわい)であった。先任は平時だけでなく、戦時にも適応され、かつ厳守された。依然、石頭だった。
 そして陸軍参謀本部や海軍軍令部で採
(と)られた政策は、多くは参謀たちの机上の空論に終始した。
 頭だけの、知識だけの、解答上手のペーパーテストの暗記力優秀者。体系主義主体の左脳優位者。これらを持て囃した。斯くして軍隊官僚が構築されることになる。暗記力旺盛者は従順で遣い易いからである。
 これらの優秀者の中で派閥争いが起こり、欲だけの、自分の立場だけを考える軍隊官僚が、如何にも官僚らしく振るまい、この官僚は所謂
(いわゆる)発想力だけで考え、観察力や判断力、更には発想したものを現実に反映させる実行力に乏しかった。奇手まで着眼できなかったのである。

 では、津村陽平はどうだったかと、猪口は反芻
(はんすう)する。まさに奇なる漢である。奇人変人の類と扱われ易い。身形から、また寸足らずの体躯から侮られ、軽く見られ、見下げられてしまう矮男である。
 だがこの漢、それを意に介さない。表面にこだわらない。拘泥がなく、執念深くないところに、この漢の利点が横たわっていた。人相骨相、必ずしも卑しからず。しかし風体は奇なり。この漢の特異である。
 だが智を持つ。無尽蔵に智が出て来る。虚空蔵のようにである。広大無辺の智である。
 この漢の思考の原点は体験主義に基づいている。現場でその実情を知り抜いている。更には生活面においてもコンパクトの整っていて無駄をせず、それでいて社会に直結し、多彩な経験談を活かして、物事を考え、それにより特異な着眼力を持っている。

 単に発想するだけでない。これに観察力が加わる。眼力がある。それだけに物事の真相を見抜き、隠れた部分を巧みに読む。藕糸を手繰る。その結果、下す場合の判断が早く、それが行動と連動されている。
 だが、その見方は決して近視眼的でもないし、ミクロ的でもない。常に大局を見据え、何手先か、何十手先を易々と読んでしまう。思索は総合的であり、着想だけに終わる訳でないから、その着眼力は行動と連動されている。換言すれば、着想や発想は所詮
(しょせん)着眼力の一部に過ぎないのである。ゆえに軍隊官僚の赤煉瓦の主のように、自らのエリート意識に溺れない。
 津村には、そういう意識は微塵
(みじん)も存在していなかった。常に底辺の矮男を演じている。だがそれに不服がない。底辺を演じても不平不満を洩らさないのである。
 津村が歩き回り、常に動くのは徘徊の意味ではなく、独断的な、想像を逞しくする妄想から抜け出すためであり、机上の空論を嫌うからであった。
 つまり、種々のものを観察することで、着眼の心眼を養うためであった。

 津村陽平……。
 猪口敬三は、この漢を奇抜だが、おもしろいと思う……。出遭ったその日以来、そう思っていた。
 科学の発達で地球の距離は現実には小さく縮まってしまった。わずか数時間のところに、日本を取り巻くアジア諸国がある。この国の中には日本を敵視している国も少なくない。
 だが日本は、こうした国に眼を向けることなく、欧州に眼を向け、独逸と伊太利亜とに三国同盟を結んでしまった。その後遺症が、そろそろ出て来る頃だと猪口は思った。近いうちに、日本はその深刻さに頭を抱えねばならない時が来るだろう。既に後遺症は出てきている。現に、ハイエナ擬きの狗に、母屋が囲まれ始めたからである。このまま放置すれば、日本列島は狗に食い荒らされるだろう。そうなると、これまで連綿と続いた文化も伝統も崩壊する。猪口はその懸念が大と検て居た。

 日本のこれまでの検挙第一主義をもって、棒で散々叩き、転んだ者には少しばかりの飴玉を加えさせる遣り方は完全に時代遅れになっていた。江戸時代の拷問主義では解決出来ないところにまで来ていた。
 今こそ、智者の智慧が要る。その智慧者とは誰か。
 そこに浮んだ名が津村陽平であった。
 彼をおいて他にあるまい。繰り返し猪口は、そう思うのである。
 他を捜そうとしても、直ぐに津村に戻って来る。何とも魅力の多い漢だった。
 世の中は、それぞれに意味があって、その意味を、人間は行動を通じて果たしていると猪口は納得するのであった。

 再び寝静まったのを俟
(ま)って、闇の中に小さな騒擾(そうじょう)が起こり、暗躍の影が濃厚になった。炙り出し作戦の始まりである。周囲には闇に暗躍する隠微な集団が動いていた。静かな動きである。


 ─────憲兵隊の乗用車の中である。吉田と美雨は連行されて行く途上にあった。
 「ご苦労だった、関根少尉」
 「はあッ!」
 「そこを曲がった角で停めてくれ」
 「はい」
 関根少尉が運転している下士官に、吉田の意図を伝えた。
 吉田と美雨は、ある民家の前で降ろされた。そこは日本人の住宅街であった。
 その家の玄関には街灯が点
(つ)けられていた。来客者を犒(ねぎら)う柔らかな燈火(あかり)であった。その燈火の色が、何となく萌葱(もえぎ)色をしていた。それが美雨には不思議な安堵感を与えたのである。
 玄関の引き戸を開け中に入った。この家はたいして大きくもないが、また小さくもない。部課長級の役付の会社員の家という感じであった。
 玄関も、また玄関から真っ直ぐに延びる廊下も、どこもかも人の手がゆき届き、気持ち良く生活しているさまが見て取れた。美雨は中に入って、居心地の良さそうな家だと思ったようだ。

 「おい、いま帰ったぞ」
 此処は吉田宅であるらしい。
 「は〜いィ」女の聲
(こえ)がした。
 この女性は吉田夫人であろう。
 「さあ、こっちだ」吉田が美雨を手招きした。
 三十代初めの女性が出てきて、「お待ちかねです」と言った。
 この女性は色白の細面
(ほそおもて)で華奢(きゃしゃ)な躰付きをした婦人であった。
 美雨は、いったいこの女性は誰だろうと思った。しかし彼女の穿鑿
(せんさく)も、そこまでであった。
 そして彼女は、いま自分は沈没寸前の傾いた船から、設備の整った大きな救助船に扶
(たす)けられたような錯覚に陥った。その証拠に貌には安堵の色が顕われていた。
 吉田に案内されるまま、美雨は黙って蹤
(つ)いて行って、廊下を通り抜けた。そして座敷の襖(ふすま)を開けた。

 「いや、ご苦労さん」聲
(こえ)の主は、待ち兼ねたように労をねぎらった。
 美雨はその貌を見て、「あッ」となって、これまで少しばかり憂えた貌が、いつしか笑顔に変わっていた。白面は思わずパッと紅潮したようになった。その色は、果たして安堵の色であった。恐怖から解放されて、それが胸に湧
(わ)いていた。沈鬱と不安から急変し、力が蘇(よみがえ)ったようになった。
 聲の主は「うまく連れ出したものだ、吉田中佐」というふうな貌をしていた。聲権藤光司満軍上校
(大佐)だった。


 ─────美雨は満映に下働きとして雇われたとき、監督の猪口敬三に連れられて、満洲国軍護国飛行隊を訪れたことがあった。この利発な少女は、飛行隊司令の権藤から随分と可愛がられた。この誼
(よしみ)から、一式戦『隼』に何度か乗せてもらったことがあった。
 猪口に連れたれて満洲国軍の飛行隊に来たとき、権藤は戦闘機の座席を前にずらして、後部に美雨を同乗させたことがあった。当時は12歳くらいで、今より躰はずっと小さかった。後ろにすっぽりと嵌まった。
 権藤にも娘があったが、娘は東京の女学校に行っていて、夏冬の休みにならないと満洲には帰って来ない。子煩悩なオヤジは、美雨を満洲での娘代わりにしていたのである。

 権藤は、もと日本陸軍飛行隊の飛行第59戦隊に所属し、多摩陸軍飛行場で腕を磨き、のちインドネシアやミャンマーにも転戦した。主に南方作戦に従事し、その後、上校待遇で、満洲国軍護国飛行隊の司令の任に就いた。満洲国軍飛行隊に配備されていたのは、日本陸軍お下がりの型落ち二枚翅の一式戦であった。型落ちとはいえ、権藤にはよく知り尽くした戦闘機であった。
 美雨は度々同乗させてもらううちに、権藤の離陸時の口真似までするようになっていた。
 権藤は「ひと回りしてくる」と地上員に告げたあと、美雨を搭乗席下のステップに登らせて、後部座席に放り込んだあと、自分と同じように、飛行帽とゴーグルを着けさせ、それが終わると、操縦装置などを一つひとつ操作して確認を行う。補助翼、昇降舵
(しょうこうだ)、方向舵の確認である。こうした一連の操作手順を、美雨も検て、自らも補助翼の上下の操作と動きを観察するのである。そして手順を覚えてしまった。

 次に、地上の整備兵に「クランク廻せ」と合図を送る。
 整備員が発動機覆
(cowl)の下部のクランク棒を廻すと、発動機に火が入る。胴体下ではクランクを廻したのが確認出来る。イナーシャ・スターターが回転音を上げ、やがて最大となる。
 「直連
(contact)!」
 主断器を入れ、慣性機動機と発動機軸を直連させるのである。
 直ぐに二枚翅のプロペラが回り始める。素早くスロットル・レバーを僅かに開けて、発動機の回転数の調節を行う。その後、発動機に火が入る。発動機の気筒の内部に小さな爆発が起こったのである。すると排気口から黒い煙りが出て、むせたような音を立てる。内燃機関の頼もしい爆音である。
 やがて爆音は最高潮に達する。

 「前離れ」の手先信号を送る。
 調節か完了したところで、整備兵に車輪止めを外させる。権藤は周囲に眼を配りながら、戦闘機をゆっくりと滑走路へと侵入させて行く。
 機は遅速から徐々に速度を上げ、地上滑走で滑走路の端まで移動させた。プロペラが勢いよく回り始めた。離陸開始である。吹流しの風の方向は北西の風であった。

 権藤はフラップを全開し、ブレーキをいっぱいに踏み込んでから、発動機を過給圧
(boost)計をゼロ近くまで吹かした。やがて発動機の唸りが高まり、プロペラの回転数が上がった。次にスロットル・レバーを開け、いよいよ飛行機は離陸滑走を始めたのである。
 一式戦の脚を通じて滑走路の起状が機内に伝わり、操縦席の両脇は風に鳴った。離陸のための力を貯めた状態で徐々に速度を上げ、振動が烈しくなったとき、揚力を得て、機体は空中に舞い上がっていた。
 上昇時、脚把柄を上げにとり、両脚表示灯は青から黄色に変わり、赤へと変わった。この状態になって引き込み脚が主翼下部に折畳まれて格納された訳である。滑空する機は空気抵抗を喪いつつ、ふわりとしたように軽くなったのである。機は基地の上で大きく左旋回して高度を上げて行った。
 操縦者の権藤は操縦桿を正中の位置に戻し、防風窓を閉めた。

 満洲国軍の一式戦の機体には満洲国軍護国飛行隊という文字が両脇に書かれている。また翼の両側には丸の中に五色旗の横縞が入っている。
 本日の飛行計画は、巡航高度を三千メールと付近に持って行き、速度は150km/h
(80.9ノット)で巡航する予定だった。
 発動機に火を入れ、滑走走行から離陸、そして操縦桿の戻しや両足の使いからなどを、美雨は権藤の後ろから窺って、その手順をほぼ全部覚えてしまったのである。着陸時の操作も同程度に覚えてしまったのである。
 美雨には飛行機乗りの素質があったのかも知れない。
 そういう父親のような権藤に、吉田宅に匿われたときも安堵の色があったのである。


 ─────近代化への推進力は、厖大な“基礎投資”の有無で決定される。
 基礎投資のことをマルクスは“原始蓄積”と呼称したが、資本主義にであろうと社会主義であろうと、厖大な基礎投資がなくてはどうにもならない。したがって基礎投資が欠けていては、近代産業社会が成立しないのである。
 さて、歴史を返り見れば、日本は大東亜戦争当時、工業水準は米国に較べて極めて低かったが、世界最新鋭の兵器を取り揃えるべく努力した。そのために部品製造が間に合わずに、設計段階は優秀にも関わらず、多くの兵器は故障が相次いで、稼働率は低下する有様だった。
 その顕著な例が、陸軍の戦闘機・飛燕
(ひえん)であろう。この戦闘機は、昭和18年当時、世界最新鋭で液冷発動機を搭載していたが、故障が相次ぎ、また稼働率は低かった。本来ならば、世界最強の戦闘機になる筈であった。

 これと似た状態が、米国陸軍のB29である。
 この大型爆撃機は、当初、作っても飛べないと悪評が立っていた。日本の陸海軍情報部も、飛ぶことはないと高を括
(くく)っていた。また何とか生産に漕ぎ着けても、その後、故障が続出した。ケースとしては飛燕と同じだった。
 だが米国はB29を直ぐに使える空の要塞とする大型爆撃機にしてしまった。それが出来たのは、米国の経済力である。厖大な“基礎投資”が物を言ったのである。物量ではなく、米国の基礎投資が出来る金融構造が功を奏したのである。大半の日本人は、敗戦原因を物量の差として理解しているようだが、実際には物量差でなく、基礎投資に違いに問題があったのである。

 では物量を顧みた場合、日米開戦当初の昭和16年の時点では米国と日本を較べて、その物量ならびに軍事力の差はどうであったか。
 今日でも、日本は米国との物量差において負けたという神話が罷り通っているが、実は物量差などで負けたのではない。この時期、物量では日本が米国に勝っていた。ミッドウェーにしてもガダルカナルにしても、日本は楽に勝てる戦いであった。この当時は日本軍の方が、兵力も武器も圧倒的に優勢であった。物量的には決して劣っていなかったのである。それにも関わらず、なぜ負けたのか。
 理由は唯一つ。
 軍隊官僚どもの戦争指導に拙劣さがあったからである。米国に対して、度し難い侮蔑の態度があった。
 敵を知らず、そして己までも知らなかった。それが戦争観の不在に結びつき、戦争目的は皆無だった。

 平和は多くの兵器を所有したり、あるいは武器を遠ざけ、反戦の怒声を高らかにシュプレヒコールを挙げるだけでは遣って来ない。こちらから血を流しながら呼び寄せるものである。そして平和の女神を掴む。
 つまり戦後の日本人は、特に戦後生まれの子供達は、等しく「戦争を知らない子供たち」と評されたが、戦争を知らないのは、何も戦後生まれだけではなかった。当時の軍隊官僚の中にも多くいた。戦争を知らないだけに、彼らを戦争指導に遣うには、全くの不向きであったのである。戦争は、戦争ごっこではないのである。


 ─────飛行場での翌日の早朝のことである。
 猪口敬三は吉田毅と相談を交えていた。
 このとき彼は憲兵曹長・猪口敬三に戻っていた。吉田は猪口の正体を知らない。猪口の正体を知っているのは諜報工作を任務とする一部の情報将校だけである。
 会話は、双方の地位と階級が逆転していた。吉田が予備役中佐で、猪口が憲兵曹長だった。
 「中佐殿。江静・美雨母子を救出したのち、次は何処に匿いますか?」と猪口が訊いた。
 「猪口曹長。日本に連れて行くとうのは、どうだろう?」吉田の考えである。
 「いい考えですなァ」猪口の相槌である。
 「で、どこにする?」
 「ひとまず山梨県の軽井沢辺りはどうでしょうか。東京からも遠いし、空襲の恐れもありません」
 「うん、軽井沢か。いいだろう。で、どういう方法で日本に連れ出す?」
 「明後日に発つ、Z便に乗せてはどうでしょう。それも要人扱いとして」
 要人扱いにするということは、既に猪口が江静・美雨母子の血筋の素性を知っているからである。

 「いい案だ。その案、頂こう」
 「軽井沢はもう直、軽井沢開きです。今からだったら、八月二日に間に合います」
 猪口敬三は八月二日が“軽井沢開き”であることを知っていた。これは、この地に別荘を構えていないと分らない。庶民の下々では知らないことであった。
 「匿い先は?」
 「平地ではなく、山地の方がいいでしょう。例えば癒しの杜とかの。満洲国の旅券は明日にでも……」
 「あの母子には、暫
(しばら)く静養してもらいましょう」
 「それがよかろう」
 「中佐殿。こういう言葉をご存知ですか。『おい、斥候
(ものみ)よ、夜は何のときぞ』(イザヤ書)というのがあります。自分はこの言葉を聞くと、身も心も引き締まる思いがします」猪口は陽気な言葉で鎌を掛けた。
 彼は闇で暗躍する一大戦略家であった。
 脳裡には早期戦争終結のグランド・デザインが出来上がっている。そして津村陽平の“山こかし”と、自らのグランド・デザインの利害が一致して、その目的に向かって動いていた。大局を見逃さない一大戦略家と言われる所以である。


 ─────初日の『空龍』は、ほぼ期待通りの性能を発揮したように思える。
 だがこの機は、生産がライセンス化に継続されるものでない。如何に優秀でも、である。
 同性能の機を三機製作して、それで終了する。
 兵器で問題になるのは、大量生産するためのライセンス化の有無に懸かる。これが実行出来るか、否かなのである。幾ら優秀な兵器を所持しても、生産ラインに載せるためのライセンス化のシステムがなければ、優秀な武器を保有しているとはならない。保有するだけの下地がいる。その下地は、大量生産するための基礎科学であり、基礎工業力であり、また土台を支える基礎経済力であった。つまり整備やメンテナンスのシステムの確立になる。兵器と言う機械は生産がライセンス化された時に、その優秀さが継続される。一方が毀れても、他方のものを遣い廻しすれば、同じものが復元出来るからである。

 だが、新しい機種の兵器を作るには、昭和19年7月末の時点の日本では不可能であった。新しい兵器開発には厖大な基礎投資が必要であるからだ。
 いわば『空龍』は手造りの飛行機である。一方、米国が保有するB29などは大量生産で生産出来るライセンス化の上のベルトコンベアに載せられていた。ゆえに最初から勝てる訳がないのである。つまり基礎投資の決定的な違いであった。
 そして『タカ』は必要最小限度の人物で構成され、少数精鋭主義の立場をとっていた。組織の愚者や素人を混ぜないのである。人材を弾除けにしてはならないという組織思想があった。

 一夜明けて二日目の訓練に入った。離着水訓練である。
 新京から約200km先に鏡泊湖
(きょうはくこ)という湖がある。ここで離着水訓練が始まったのである。
 海での離着水訓練とは異なるが、波のない凪
(なぎ)の想定から湖で行うことになったのである。
 この湖は、一万年ほど前に火山の噴火の影響によって、牡丹江が塞き止められて形成された湖である。幅が広いところで4km、全長は45kmである。これだけあれば充分に離着水出来る。
 この湖は面積は琵琶湖のおよそ七分の一で、日本が満洲国を統治していた時期は、湖周辺に多くの日本人が暮らし、発電所も設置されていた。昭和15年頃からは日本人居住者とにもに、ロシア正教会古儀式派の無僧派の一派である礼拝堂派の信徒たちも居住していた。小型の地方都市を形成していた。

 二日目は先ず、鏡泊湖方面に向かって飛行し離着水訓練を行う。
 飛行場内の吹き流しは北北西の風で、小止
(こ‐や)みなく吹いていた。本日の飛行計画としては、北北西の風を能(よ)く読み、風速、方位、偏差、自速、針路角等あらゆるデータを計算しておかねばならなかった。敵機と遭遇すれば、智で躱すのである。格闘戦をしない。去(い)なすだけである。

 また一番の弱点は『空龍』は要人空輸を目的とした旅客機である。強力な火器を搭載していない。兵器体系を持つ航空機でなく、旅客体系を持った空輸機で、兵器体系に準ずる機器は僅かであった。
 例えば貧弱な電波探知機とか無線通信設備、精密測距儀などであり、併せて着水時の警戒機器として、水中音響機器
(sonar)などの搭載である。
 しかし幾ら哨戒配備を厳にしても、攻めて来る方の戦略には適
(かな)わない。戦略の有利性は、何処を攻撃するか、またいつ攻撃するかは戦略を企てる方に有利な点が多いからである。
 当時の日本軍部には、戦略という意味は殆ど認識されていなかった。戦略家と言われる軍人は数えるほどしかいなかった。その意識改革が望まれたが、当時これに同調する軍人は皆無に近かったのである。これこそが戦争を知らない軍人たちの偽らざる姿であった。


 ─────『空龍』の二日目の訓練が開始された。しかしこの訓練は『空龍』のみの単独飛行ではない。航法誘導をしてもらわねば、飛べないのである。そもそも満洲の詳細な航空地図がないのである。特に河川部や山岳部、それに沙漠部の地方地図は皆無であった。更には民間航空路線は未
(いま)だに開発途上にあった。そのため本日は満洲国軍護国飛行隊司令の権藤光司上校が、一個中隊の編隊を率いて誘導機となる。
 既に満洲国軍飛行隊は、三機の一式戦が、既に発動機を廻して飛び立つばかりになっていた。
 また一方『空龍』も、昨夜から早朝に懸けての整備のお陰で準備は万端であった。整備員たちの徹夜の作業が功を奏していた。
 『空龍』の整備長が整備状況を報告した。
 「発動機、機体、装備において、何れも不具合は出ておりません。いつでも離陸可能です」

 機長が、「発動機廻せ!」を命じた。
 発動機が回転し始める。回転音が響き始める。
 「コンタクト!」
 歴史的な瞬間の指令が下った。
 発動機軸と慣性機動機が直結された。星形複列18気筒・ハ43型改の発動機に火が入った。力強い爆発音とともに、二重反転式の六枚翅のプロペラが四発とも同時に回転を始めた。プロペラが勢いよく回転し、加速を加えて忽
(たちま)ち滑らかに空気を切り出した。やがてプロペラの回転が上がって、一瞬逆回転を始めたように見えた。整備は最高の状態に整えられていた。それはプロペラの回転の滑らかさに窺われた。熟練整備員の腕である。

 『空龍』は離陸待機エリアで停止したまま、まだ車輪止めが外されていない。プロペラの回転を追うように発動機軸も回転を始めたのである。スロットル・レバーが徐々に開かれている。排気ガスを吹いて軽快な爆発音が響き始めた。
 副操縦士が聲を出して確認を求める。所定通りの計器確認後、発動機始動の指示を下した。管制塔とも離陸のための連絡を取り合っていた。
 確認後、『空龍』の下で車輪止めを外し、一連の作業を終えた整備員に合図を出した。整備長が整備員に機から離れるように命じた。
 機長がコックピットから整備員たちに短い敬礼を送った。発動機の回転は益々勢い付いた。搭乗員は全員、着座して安全固定帯
(seat belt)を装着している。離陸に備えてである。

 『空龍』は離陸待機エリアから、ゆっくりと滑走路に向かって動き始めた。発動機が咆哮
(ほうこう)するような唸り声を上げ、機は滑走路に入って向きを変えた。滑走準備に入ったのである。
 「スロットル全開!」スロットル・レバーが開かれた。これまで抑えていたパワーが一気に解放された。
 「テイク・オフ
(take-off)」離陸滑走が始まった。
 これに併せて、満洲国軍飛行隊の一個中隊三機も離陸滑走の準備を始めていた。
 地上員たちは駐機場の前に一列に並び、敬礼したあと帽子を脱いで、整備長の「帽ふれェ〜」の掛け声とともに、一斉に帽子を振り、本日の離着陸訓練の成功を願った。『空龍』はこれから、戦後の日本を背負って立つ飛行機であった。その願いが整備員たちにも溢れていた。

 『空龍』は滑走路を疾走しつつ、まだ新しい重厚で優美な機体が、細やかに振動している。コックピットの防風ガラスの窓が鳴り響いた。機体は地面からの烈しい凹凸
(おうとつ)を受けて軋(きし)み音を発し、軋みが消えたとき轟音を発して『空龍』は地上を蹴って大空に舞い上がっていた。堂々とした離陸である。
 やがて機は機首を上げた。引き込み脚がゆっくりと胴体の格納倉に収まって行った。飛行機は飛行場上空を大きく左旋回した後、東に機首を向け、そのまま高度を上げ、やがて機体は上空の雲の中に姿を消した。機影が見えなくなると、これまで響いていた爆音も消えた。戦闘機の爆音も消えていた。

 高度は三千メートルを基準に水平飛行に入った。一個中隊の戦闘機が『空龍』の前を誘導している。
 満洲の地は満鉄の玄関口の大連から新京を経由して哈爾濱までの内陸地の平野部路線には、列車運行にもほぼ直線コースで遮るものがないが、この平野部を外れると丘陵以外に高い山々が聳
(そび)えている。西には大興安嶺(だい‐こうあん‐れい)山脈が横たわっている。中国東北部の高原および丘陵性の山系で、西側を北東方向に走る延長約1200kmの大興安嶺と、北部で南東方向に転じて黒竜江沿いに走る延長約400kmの小興安嶺とに分かれる山脈がある。大興安嶺では標高が千メートル以上の山々が連なっている。

 『空龍』クルーは満洲の地図を把握するために、試験飛行をかねて、大興安嶺方面手の機首を向けた。
 約250kmの巡航速度を保ち、高度三千メートル付近を航行していた。大興安嶺を上空から把握するために飛行しているとき、思わぬ強い北風によって生じる山岳の乱気流に揉
(も)まれ始めた。これまでの安定飛行が一気に急変した。
 機体はぐらぐらと揺らいで気流に煽られ、昨日とは打って変わった試験飛行となった。そのうえエアポケットに入ると、大地に吸い込まれるように落下し、聳え立つ山頂まで、あと五十メートルか百メートルかと思うくらいの高さまで墜ち、思わず“危ない!”と反射的に吐露するくらい、手に汗を握る場面に遭遇した。
 中でも、鉄道での旅しか経験のないアニー・セミョーノヴァは、思わず眼を閉じて、一瞬身動きのままならぬ状態となった。彼女が飛行機の乗ったのは斉斉哈爾
(チチハル)から哈爾濱に向かった時と、昨日の新京飛行場上空での試験飛行に併せ、今回が三度目だった。彼女は股(もも)の筋肉が引き攣(ひきつ)るほど緊張していたのである。おそらく眼を閉じたまま心の中では、“神さま、お願い、扶(たす)けて”と叫んでいたかも知れない。
 飛行機はエアポケットで急落下したのち、今度は猛烈な勢いで急上昇し、四千メートル付近で漸
(ようや)く水平飛行に移り、機体が安定した。その耐え難い一瞬の恐怖に、彼女は驚愕(きょうがく)していたようだ。
 このような上下の体感を感じるのは、「気」が上丹田
(上焦)に集中しているからだ。乗り物酔いなどで気分が悪くなったり身体バランスを壊すのは、丹田の気が上丹田か中丹田(中焦)にあり、下丹田(下焦)にないからである。俗に、肚が据わるというが、それは下丹田に気を集め、心的にも安定した不動心のことを言う。

 アニーは、乗務員指導の川田民絵から注意を受けた。
 「セミョーノヴァさん。わたしたち客室乗務員は、お客さまの前では常に笑顔を絶やしてはなりません。どんな状態になろうと、常に笑顔、スマイルですよ」
 それは《心の修養をしなさい》というふうにもアニーには響いた。
 「これから改めます」とは言ったものの、果たして本番時に、これが守れるだろうか。アニーの危惧したところである。これからも搭乗を経験して、躰で慣れるしかないのである。

 『空龍』には天井上部だけでなく、中間部の壁左右にも半球の防風出窓が付いている。そこから地上が窺えるのである。飛行機は、やや高度を下げ、高層雲の上端、おおよそ三千五百メールと付近を航行していた。大興安嶺の幾つかの高峰が雲海の上に頭を出していた。この日の飛行は雲の切れ目から、眼下の山々に眼を凝らしながらの飛行をしているらしかった。谷間や小さな盆地が見える。山岳民族の集落なども点在していた。

 飛行機が、大興安嶺に差し掛かる少し前、これを地上から観ていた漢たちがいた。
 津村陽平である。この漢は、万宝山の丘陵地に居て下から空を見上げていた。彼は、別にもう一人の漢を従えていた。健脚、強脚の異名を持つ元猟師の岩村重蔵である。岩村は軍属として津村隊に所属していた。兵士として認識票を持たない文官待遇の民間人である。兵隊でない。
 この漢が津村に従って、いま万宝山の丘陵地に居た。
 「ほーッ、今日は夜飛ぶ鵺
(ぬえ)が、昼間飛んで飛行練習か……」
 津村は上空を見上げて四発大型飛行艇のことを、このように吐露した。
 「陽平さん。それ、どういう意味だ?」重蔵は意味が釈然としないことから訊き返した。
 「あの飛行機だよ、あの莫迦デカいやつ」
 「あれが鵺か?……」重蔵は巨大な飛行機に驚いたように相槌を打った。
 「重蔵よ、わしらも先を急ごう。こりゃあ、一雨来そうだぞ」驟雨
(しゅうう)の予告である。
 「ああァ……」重蔵はやや間延びした返事をして、先へ急いだ。上空が少し曇り始めたからである。

 飛行機は一瞬暗くなった上空を飛行していた。風雨の先鋒群が機を襲い始めた。再び乱気流が機体を揺すり始めたのである。
 先頭を行く隊長機が、翼を左右に揺すり始めた。黒雲の中に突入する合図である。
 僚機間は電話の無線封止をしたまま回線を開いていない。無線封止をしたまま航行するのも、また訓練の一つであった。その場合、僚機間での情報交換はない。計器類を見詰め、ただ有視界飛行に頼るだけである。
 しかし『空龍』には、こういう場合の有視界飛行を補助する荒天用回転窓が操縦席の左右前方に二基装備されている。窓に嵌め込んだ円形のガラス板が高速回転して、雨、霰、雪など、また海面に着水した場合に波浪の飛沫を排除し、どんな荒天時でも明瞭な視界を提供する装置を設えてあった。ワイパー式でないのである。
 これは海面への着水時に備えて、荒天時にも有効とされる計算で設えてあった。
 『空龍』は黒雲を捕捉し、いま高速回転を始め、雨粒を排除して視界は明瞭になっていた。
 前方を先導して飛ぶ満洲国軍の編隊は三角形を組み、先頭が隊長機、左後方が二番機、隊長機の右後方が三番機であった。この三機の一式戦の赤い後尾灯が明瞭に確認出来ていた。この編隊陣形は、攻撃にも防禦にも最善の編隊飛行であった。

 「今から雨雲に突入する。乗務員は足場を固め、落雷や乱気流に備えて着座し、安全固定帯
(seat belt)を締めよ」機長が機内放送で命じた。それはこれからの大揺れの恐れを警告したものであった。
 この機長命に、再び緊張したのがアニー・セミョーノヴァだった。
 その緊張顔を検
(み)て、良子が言った。
 「アニーさん。笑顔、スマイル……。そんなに怕
(こわ)い貌することないのよ」
 「はい」そう答えた聲に幾らかの余裕が生まれたのか、青白い顔にやや朱が差し、笑顔が戻ってにっこりとした。
 「そうそう、それでいいわ」
 良子のそう言った言葉は短いものだったが、アニーにとっては天佑とも言うべきもので、溺れかけている者に差し出された一本の藁
(わら)であった。短い言葉の中に、天佑の藁が含まれていることがある。

 飛行機が雲の上を飛び越えるには、これから一気に五千メートルまで上昇する必要があった。しかし、燃料消費量の問題もあり、また酸素量にも関係し、暫
(しばら)くは三千五百メートル付近で飛行するか、暗雲を迂回する必要があった。飛行機は暗雲の端を掠(かず)めながら、雨雲の壁の手前で大きく左旋回した。
 機は相変わらず揺れていた。機の姿勢は立て直したが、周囲が急に暗くなり、大粒の雨が防風ガラスを烈しく叩き始めた。機内の温度は一段と下がったようである。急に冷え込んで来た。しかし直ぐに雲の切れ目に出て降下して行き、これまで黒雲の中に居た高度から、下へと回り込んで、東へと向きを変えた。

 「これから鏡泊湖へと向かう。航法員、距離と時間は?」
 機長は航法員の鳥居一飛曹に訊いた。
 航法員の鳥居の席の前には、小さなテーブルが設えてあって、その上には精密測距儀、計算尺、算盤、分度器、定規、コンパス、山岳地図などが散乱していた。地文航法に関する針路の航法計算をするためである。
 「高度三千五百メートルを維持し、速度120ノット
(222.24km/h)。これより東南東、約300km。進入路は牡丹江沿いに、東北の上流方面より南西方向に侵入。現在、北北西の風、風速3(m/s)。鏡泊湖上空まで所要時間は約80分」
 これと同じような航法計算は、先導する三機編隊の権藤機も計算済みであろう。航空機として速度を上げていないのは燃料の節約のためであろう。また飛行機は航法計算が成ったとして、いつまでも真っ直ぐ飛べるものでないし、巡航速度は気象条件によって、時々刻々と変化するものなのである。
 戦闘機3機、そして大型飛行艇は鏡泊湖方面へと飛行していたが、やがて目的地が接近して来たためか、三機編隊の隊長機は、再び翼を左右に振り始めた。先導は此処までという合図である。

 「通信士より機長へ。権藤上校殿が電話回線を開けと打電しております」
 「では回線を開け」
 開くと例の豪胆な聲が届いて来た。
 「そろそろ着きますぞ。われわれの路案内は此処まで。サトウ少佐。これからは、あなたの腕の見せ所。われわれは空からゆっくりと、着水ぶりの妙技を拝見してから去りましょう」
 「諒解」とアン。
 「では、幸運を祈る(good luck)
 「副操縦士。これより反転し、もう一度東北に進路を取る」
 「諒解しました」もと逓信省飛行搭乗員で、陸軍上等兵の向井田亮介である。
 湖には当然航空標識灯も立っておらず、そもそもこれまで着水した飛行艇など一機もない。今回が始めてのことであった。着水末路末端標識もない。更に着水を指令する航空管制塔や航空指揮所の類もない。
 あるのは発電所のコンクリートの建物がぽつんとあり、周囲には民家のあるだけだった。飛行機は低空で侵入しながら湖の上を大きく旋回し、着水位置を探していた。
 火山噴火の影響によって牡丹江が堰止
(せき‐と)められた湖だが、牡丹江の支流に通じる東北側は、あたかもナイアガラの滝のような瀑布(ばくふ)となって水が流れ落ちていた。その方角から、湖中央の千メートル付近に着水を試みようとしていたのである。前代未聞の試みである。しかし、決して蛮行ではなかった。
 上空から見る湖の形だけで位置を判断するのは危険だった。アンは、先ず脳裡で着水路をイメージして進入経路を想念し、それに方向を示す矢印を想起した。イメージが着水点を決定するのである。
 搭乗員全員に安全固定帯
(seat belt)装着の指示が出た。

 「ギアーダウン」
 「フラップ35度」飛行機の下げ翼が角度を付け始めていた。
 「フラップ全開」
 コックピットでは、こうした専門用語は次々に繰り出されていた。
 いよいよ鏡泊湖に着水する。これまで黙って見ていた漢が身を乗り出した。
 着水指導は既に退役して、満洲に移住した石窪拓巳
(いしくぼ‐たくみ)元海軍兵曹長だった。退役して、のんびりと例年後の生活を、この地で送っていた40歳のオヤジだった。昼間は退屈紛れに僅かな土地を耕して百姓などをしていた。時として、趣味の馬術やグライダー操縦に興じる。新京飛行場内には満洲グライダー倶楽部がある。そこの倶楽部員だった。
 石窪はかつて十五試水上戦闘機の試験搭乗員だった。元海軍航空隊のテストパイロットである。十五試水上戦闘機などの水上艇に乗っていた。

 十五試水上戦闘機は、昭和15年に試作が始まり、昭和17年6月に完成した単座型五号機は重量及び抵抗が減ったため高度五千メートルで時速533kmを記録した。
 しかし問題点もあった。発動機と胴体間の内翼下に330リットル増加燃料タンクを懸架可能とし、またジェラルミン製のタンクを落下させると、主フロートを傷つけることがあった。その改良で、今度は竹製の籠枠を作って、和紙を巻き、漆にて防漏を行いフロート破損に務めた。だが、最後は陸
(おか)に揚げられ、陸上戦闘に変更されてしまった。
 昭和15年当時、石窪は36歳だった。そして海軍下士官は40歳で満年となり退官する。今は退官後の悠々自適の生活を送っていた。ところが、それが面白くない。グライダー倶楽部に通う傍
(かたわ)ら、大日本航空の次期旅客機の二式大艇界改の『空龍』を度々見ていた。搭乗してみたいと切に思うようになった。
 そこで、自ら着水指南役を買って出たのである。また彼を『空龍』搭乗員の一員に推挙したのは猪口敬三だった。

 『空龍』の第一発動機、第四発動機の下部に格納されていた格納倉から、フロート付きの脚が折畳まれていたが、それがゆっくりと下に伸びて来た。油圧で脚が下がり、着水準備完了のランプが赤から青に変わった。
 飛行艇は飴色掛懸かったグレーの機体を陽光にきらりと光らせながら、着水飛行体勢を採った。高度をゆっくりと下げていった。機体の胴体と両翼に描かれた赤に白縁の日章旗が何とも鮮やかであった。

 「よォーそろッ
(よきに候)……」《そうそう、そのまま……》と言いたげな口調で、着水指導役の石窪元海軍兵曹長が吐露した。
 『空龍』は後部の艇底から、ゆっくりと着水し始めた。湖面の水飛沫
(みず‐しぶき)を巻き上げながら水面に接し、徐々に速度を落とし始めた。滑らかな着水だった。艇底部の水力抵抗を受けて速度は徐々に落ち、上手く着水した状態から水飛沫が消えると、飛行艇のフラップが上がり、発動機の回転が落ち、向きを変えて湖面のほぼ中央部に停止した。
 石窪元海軍兵曹長は『空龍』の着水状況を考えて、アン・スミス・サトウ少佐は、やはり評判通りの技能を持った飛行士だと思うのである。もと英国空軍のテストパイロットで空軍少佐。スーパーマリン社のスピットファイアのテストパイロットの経歴を持ち、こういう技能者は、陸軍航空士官学校
(陸軍航空総監管理下)が欲しがる筈だと思うのだった。今回始めての着水訓練を、たった一回で会得したのである。
 『空龍』に無線電報が届いた。
 「機長。電報であります」航空通信士の加納信也だった。
 「読め」
 「只今ノ着水、見事ナリ。満洲国軍護国飛行隊司令・権藤光司」

 その停止した飛行艇に向かって、猛スピードで近寄るクルーザー型の動力艇
(motorboat)があった。この舟艇の艇尾には日章旗が掲げられている。三人が乗船し、そのうちの一人が手を盛んに振っていた。果たして歓迎の意味なのだろうか。
 「左舷後方傾
(ななめ)より、日章旗を掲げた舟艇が急速接近中です」と、左舷の半球防風出窓より確認したのは室瀬佳奈だった。
 『空龍』の左右の半球防風出窓、天井部の半球防風出窓、艇尾展望台にはコックピットに直結された受話器が装備しており、そこからの電話伝達が、操縦席の拡声器にそのまま反映されるようになっていた。
 佳奈の発見を受けて、良子が艇尾展望台へと急いだ。
 「舟艇より手旗信号。《ワレ接舷ナラビニ乗艇求ム》と信号を送り続けています」
 「接舷を許可する。ただし搭乗扉付近は細心の注意を払え」
 「諒解しました」良子は“接舷よし”の合図を手信号で送った。
 舟艇に乗っているのは日本人居留民なのだろう。彼らは訳あって乗艇を希望しているのである。
 日本が満洲国統治時代、鏡泊湖周辺には約2万人の日本人が暮らしていて発電所まで建設していた。


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