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続々 壺中天・瓢箪仙人 12

現代は不安だらけであり、心配の上に、訳の分からぬ心配が重なる。
 ゆえに保障を求め、安心と安定を求める気持ちが貪欲になる。死亡保険の流行はそのためだろう。明日に起こるかも知れない不幸や災難を恐れ、不安に戦
(おのの)くのが、また現代人の人情なのだろう。

 だが、不安や将来の保障は、よく考えれば、虚しい「心の迷いの幻影」と言えよう。
 こうした不安や将来への保障を求める心は、いったい何処から起こるのか。
 それは大半の人が、今日一日を懸命に生きず、今日遣らなければならないことを明日に先送りして「明日があるさ」などと高を括
(くく)り、今日を生きていないからである。その一方で、訳の分らぬ強迫観念に責め立てられているからである。
 単刀直入に言えば、死を恐れているからであろう。だが人間の表裏には生と死が背中合わせになっているのである。


●拿捕者

 会議は終盤に懸かっていた。
 この場に居たのは、甘木正広少将
(予備役)を議長格に据え、進行役の吉田毅(陸軍予備役中佐・沢田貿易哈爾濱支店長)、亀山勝巳(陸軍情報中尉・沢田貿易新京支店社員)、海軍の制服組は鳴海信吾技術少佐、犬塚勉技術大尉、鳥居元一等飛行兵曹、大日本航空の搭乗員の明石洋之航空機関士、加納信也航空通信士、大日本航空重役の飛鳥大造、同社航空技師の川原辰夫(整備技師・大日本航空)、同じく殿山浩(電気技師・大日本航空)、同じく本木勝男(飛行長・大日本航空)、副操縦士の向井田亮介陸軍上等兵、満洲国軍護国飛行隊司令の権藤光司満軍上校(大佐)、機長のアン・スミス・サトウ陸軍少佐、津村陽平、津村の副官の兵頭仁介陸軍上等兵の合計17名での最終会議であった。この議決により、『鵺(ぬえ)計画』の最終決定が下される計画であった。これは併せて早期戦争終結計画でもあった。

 会議室は大日本航空内の大型機格納庫横にある二階建ての廠舎造
(しょうしゃ‐づく)りバラックであった。数日間だけの臨時的のものである。普段は整備員らの休憩所として遣われたところを、急遽会議室へと俄(にわか)造りで設(しつ)えたものであった。

 だが、この席には新京日本商工会会頭の倉科泰三郎と哈爾濱日本商工会理事の山根耕三の支援組は居ない。この二人は、次ぎなる資金調達に動き出していた。戦争するには金が掛かる。だが止めるには、もっと金が掛かる。多くは止めるための工作資金と戦後の復興資金である。これは遣る以上に金の掛かるものである。
 戦争が、軍需産業にとっては千載一遇の金儲けのチャンスにはなろうが、戦争をする当事国は莫大な軍資金が必要になる。この調達が巧くいかないと戦争に勝利することは覚束無
(おぼつか‐な)い。
 当事国は経済的基盤が弱ければ、それだけで戦力が欠落してしまい、戦いの行方は敗戦へと傾き、この傾向が序盤戦から濃厚になる。兵士たちの士気も下がる。また国民も悲観的な考え方をするようになる。
 反戦運動が起こり、状況が益々悪化する。そのために無能な戦争指導者は後手ばかりを踏み、積極策が出て来なくなる。奇手が皆無となるのである。

 つまり、将棋で言えば、初歩的な誤りである「玉
(ぎょく)より飛車を可愛がる」の、下手同士の縁台将棋で観られるあの光景である。これと同じことが、当時の日本海軍には見られ、特に戦艦巨砲主義の幻影から虎の子の戦艦を可愛がった。可愛がるあまり後方に置いて、前線へ出さない策が執(と)られた。消極策である。
 消極策に疾
(はし)ると、それが暫定的であっても、大局的なマクロ眼が喪(うしな)われるため、有効的な善後策が執れなくなる。目先にこだわってしまう。
 する事なす事、執拗にこだわったり、こだわることの好きな日本人は、そもそも欧米人に較べて、戦争観が稚拙で、戦争が不得意な国民である。それでいて自身では“尚武の民”などと豪語する。
 当時の日本列島には、尚武の民は全体の5%以下だった。明治維新以前の武門の遺伝子を受け継いだ階層はおおよそ5%以下である。日本が富国強兵によって軍制を敷き、国民に徴兵を課すことで、辛うじて欧米列強に渡り合ったという程度に過ぎなかった。しかし一般兵士には、戦争をするための軍事観も経済感覚も極めて薄かった。戦争を腕力でする喧嘩観で捉えていた。そして戦争指導者は血の勝負師である概念がなかった。
 更に、戦争をするには軍資金が居るという概念が欠落していて、戦争経済感覚は完全に抜け落ちていたのである。

 兵は経済状況が好転した条件下においてのみ強くなる。兵器はその状況下にあって、優秀なものを手に入れることが出来る。
 『タカ』が四発大型飛行艇『空龍』を所有するのは、国庫から捻り出したものでない。私兵的組織から、戦争早期終結の賛同者によって、私金から集められたものである。言わば民間有志の寄附である。更には、戦後の経済復興を目指しての“仕切り直し”の策から生まれたものである。
 『空龍』を巡航させるには、戦略的な意図がなければならぬ。しかし現状は戦略が欠落していた。国家の展望は一握りの軍隊官僚の強硬派によってデザインされ、かつ横領されていた。国策が一握りの戦争継続派に恣
(ほしいまま)にされていた。そのため戦争継続に歯止めが掛からなかった。日本は滅びの美学に傾き、一億玉砕の方向に爆走していた。
 これに歯止めをかけるには、これに対峙
(たいじ)する勢力が、先ず擡頭(たいとう)し、先手を取って、その機先を制する以外なかった。
 『タカ』に賛同する有志たちは、まず満洲の金蔵を目指して、資金調達のために経済暗躍を始めていた。
 その成果の一つとして、これまでに調達した満洲国貨幣で500kgの金塊を買った。これは満洲国貨幣が換金能力があるということを顕し、軍部が乱発した軍票とは大いに違っていた。
 この金塊を積載して、第一便が日本を目指して飛ぶのである。また、この金塊は戦争継続資金として遣われるのではなく、戦後の復興資金である。終戦を迎えたときに敗戦国を襲うハイパーインフレの抑制のために遣われるのである。
 統計からいっても、万一、ハイパーインフレが起こった場合、一千万人が餓死すると推測されていた。これを抑制し、餓死者の出るのを防がねばならない。そのための資金調達に、新京と哈爾濱の経済人らが奔走していたのである。それも官憲に睨まれないために、地下組織を通じての経済暗躍であった。
 ちなみにハイパーインフレの驚異は、第一次世界大戦の敗戦国の独逸をみれば明白であろう。

 一方、『空龍』の客室乗務員主任世話係のキャサリン・スミス陸軍少尉、客室乗務員の鷹司良子陸軍伍長、同・室瀬佳奈陸軍兵長、同・アニー・セミョーノヴァ陸軍兵長並、調理師のミヤ・スコロモスカの5名は、大日本航空・乗務員指導担当者・川田民絵の指導のもと、現在機内で、貴賓客相手の乗務員心得を習得中で、この場に居なかった。
 要人を搭乗させるに当り、数日後に控えたフライトでは、これまでの一般客のような相手では勤まらない。そこで空飛ぶ応接間の貴賓接待法を教わっていたのである。
 当日には、日本の国運を決定する重要人物が、満洲国新京から帝都東京に向かって搭乗する。更に国運を左右する要人は命の危険にも曝され易い。そのため身辺警護が必要になる。例えば一人の要人を守るには、最低三名のボディーガードが必要になる。つまり要人が五人搭乗すれば、その任数だけで20名となる。当日の搭乗者が26名になっているのが、このためである。

 更に問題点になる懸念は、巡航の途中、敵機に遭遇した場合である。遭遇する相手は、確率的にいって戦闘機が大である。その戦闘機も、中国国民党軍の空軍が最近所有したと思える独逸の最新鋭機メッサーシュミット・Me 410ホルニッセである。
 この機には機首に20mm機関砲を2門搭載している。これまでの7.7mm機銃などという生易しい豆鉄砲ではない。強力な機関砲を搭載している。被弾すれば一気に破壊され、空中爆発するか、撃墜されて海面に墜落し、海の藻屑になるかも知れない。こうした警戒も必要なのである。

 エア・ガール全員は索敵のために、警戒の眼にならねばならなかった。また戦闘機の場合は、一機とは限らない。編隊で襲って来る場合もだろう。血の匂いを嗅ぎ付け、不気味な爆音を発して集団で襲って来る。
 日本情報では、メッサーシュミット・Me 410ホルニッセは完璧無欠の戦闘機に揚げられていた。この戦闘機は科学と蛮性を結合させ、破壊の道具として作り出されたものである。その意味では独逸軍事科学の最高傑作と言えただろう。それだけに警戒と索敵を怠ってはならなかった。客室乗務員は、乗客にはそれと気付かれないように、一糸乱れぬ円滑無比なチームワークで、この任に就かねばならなかった。

 「明後日に控えたこの度のフライトは、君たちのチームワークが物を言う。そこは戦場で、必死の戦いが始まる。しかし運命の不条理に思い悩んでも仕方ない。そういう暇はないからね。
 人間には未来予知をする自衛本能がある。何にせよ、思い案じ、毒づいたり、くさくさして心を乱さないことだ。そしてあらゆる不測の事態に備えて索敵と警戒を怠ってはならない。君たちの細心の注意力と機転が物を言うことを忘れてはならない」犬塚勉海軍技術大尉の言である。
 海軍情報に併せて、監視哨戒体勢について、犬塚大尉から、旅客窓・後部展望室・上部展望台など、細かい索敵の指示があり、更には日本海に出た場合、万一、着水してこれに備える警戒態勢の任務だった。特に潜水艦警戒に対しては、搭載している水中音響機器
(sonar)の取扱い指導を受け、熟知する必要があった。このように戦時と平時では、旅客機の運航一つ挙げても大きな違いがあったのである。飛行機自体が既に戦場だったのである。


 ─────会議中に乗り込んで来た乙祢
(おとね)益次郎少佐は、持ち前の不適な自信で構築した独自の戦争持論を持ち、戦略観の抜け落ちた短見主義で理論武装していた。自惚れが強く、強引で傲慢(ごうまん)なところのある参謀だった。そのため極めてエリート意識が強かった。更に、下克上も甚だしかった。
 上官の頭脳よりも、自分の頭脳の方が上であるという自負を確信し、日増しにそれを強め、その自信のほどが窺われた。そのため、カチカチと言っていいような融通の利かない堅い頭をしていた。

 日本陸軍では、ある時期から、下克上が参謀本部などでは公然と行われ、これが悪しき習慣となっていた。
 当時の陸軍参謀本部では、課員でも、課長でも、上司を一つ超えて、自分の意見を述べてよい習慣が定着していた。その発言力は佐官級に左右された。将官より佐官の発言力が上回っていた。したがって佐官が将官に意見を述べ、将官が佐官の言に従うと言う、奇妙な下克上の弊風がみられた。この弊風が、現地の司令官にも及んでいた。
 例えば、参謀本部の一課員の佐官級の参謀が、現地の駐屯軍司令官に、真夜中でも電話で呼び出し、盛んに主戦論を煽った。何とも傲岸
(ごうがん)である。
 この傲岸の背景には、佐官級の不遜
(ふそん)な自惚れが言わしめた主戦論があった。主戦論は、言った者勝ちだった。戦争強行派たちの勇ましい戦争継続論は、ここに由来する。佐官級間では、明らかに下克上が存在していたのである。

 将官たちの旧態依然の戦争思想を化石化した戦争観と捉え、戦争と経済の関係を逸早く見抜き、経済戦争を展開して、敵側を封じ込める策などを思考し始めていた。その経済戦争の先駆けの媒体となったのが石油資本であった。製鉄業の鉄のみではなく、燃える水
(石油)を求め、またこれを背景にして、玉(ぎょく)をもコントロールするという、鉄と金(玉)を両手に、その潤滑剤として、燃える水を手に入れる。主戦論者たちの戦争継続の根拠である。尊皇愛国の古い頭で、錦の御旗を正面に据え、両手に、片や鉄、片や石油を手にすれば負ける事はないと確信していたのである。
 そして、この度の大戦を世界最終戦争と位置づけ、天皇陛下を満洲にお迎えして、此処でこれまでの負け戦の戦局を打開するという傲慢な策を描いていた。その実行のために、度々下克上を用いた。
 上官でも、持ち前の理論武装した考え方で叱り飛ばしてしまうのである。
 この意味では、乙祢少佐如きは、完全に図に乗っていた。そして参謀肩章を鼻に掛けているようだった。そういう漢が、乙祢
益次郎だった。

 この漢、痩身体躯で、銀縁の眼鏡を掛け、見るからに赤煉瓦向きの、その実、かなり腕っ節の強い風体であった。見るからに切れ者という感じをイメージさせる漢である。自身では、腕にも覚えがあるのだろう。
 強情で、芯
(しん)の強そうな感じもある。自分では抑えているつもりだろうが、敏腕家の自負は豪胆ぶったところがあった。
 今日でも、自国民を顕微鏡下の微生物視し、しばしば高級官僚に見るタイプの人間である。

 この時、ずかずかと土足で踏み込んで来るような真似をした。無礼千万に尽きた。この漢の傲慢の根拠は、軍隊官僚の権力の上に胡座をかいたかたちで象徴されていた。だがこの傲慢は、バックが軍隊官僚だけでもなさそうで、他にも後ろ盾を持ついて、その威を借る狐のようにもあったようだ。つまり何者かの弱味、あるいは相当なる影の権力によって、身分を保障されているというような側面を臭わせていた。
 此処に居合わせた者は、突然の闖入者
(ちんにゅう‐しゃ)に《何の権利があって》と烈しく思うのであった。
 無作法にも程があった。
 部下三名も同じような傲慢
(ごうまん)な態度をしており、何れも大尉で、乙祢少佐と同じように参謀肩章を吊っていた。乙祢の配下で、子飼の仔狐だろう。風体から、直ぐに関東軍参謀と分る恰好をしていた。胸には陸大卒である証(あかし)の天保銭【註】天保銭に似た陸軍大学校卒業の軍人が胸につけた徽章。この徽章は、陸大出でない一般将校とは区別された)を付けていた。
 こうした天保銭組が、一悶着
(ひともんちゃく)を企てたのである。

 「何だ、此処は?!国家転覆の謀議でも遣っているのか!」その第一声は割れ鐘の如きだった。
 そして第二声が「毛唐の女までも居やがる!」であった。明らかに侮蔑の言だった。
 第三声に至っては「おやおや大日本航空のお歴々に、海軍さんまで紛れ込んでいる。帝国海軍は人材不足であるらしいな。そして毛唐の女まで動員している。英国の敵国人に人材を借りかねれば、海軍は戦えぬというのか?まさか日露開戦以前の日英同盟が復活したでもあるまいし。確か日英同盟は大正12年
(1923)に締結破棄になっておったが……」と皮肉たっぷりの言である。
 この漢の権力指向と、バックの後ろ盾は、この漢をここまで傲慢に仕立て上げていた。
 まず海軍の揶揄
(やゆ)から始まった。

 「海軍の奇襲から始まる真珠湾作戦は、無益な戦争の火蓋
(ひぶた)を切った。斯(か)くして、わが帝国はその結果、今日のような負け戦を強いられる羽目になった。これからまた海軍は、負け戦を、あたかも負け将棋のように、愚なる勝負を永遠と繰り返しますかな。まァ、それも軍資金が辛うじて残っているときは、負け将棋でも、もう一番、もう一番と続けられようが、尽きたら、どうなりますやら……。
 今や国民は飢えている。嵩
(かさ)む戦費で食糧が欠乏し、物資の不足は甚だしく、国民の大半は塗炭の苦しみを味わっている。一体こうした事態に、海軍はいかが対処されるご所存ですかな……」
 詭弁
(きべん)を弄(ろう)し、正当論を装飾して御託(ごたく)を並べたてた。この御託は、自分流のこじつけを正当化して憚(はばか)らず……という観がある。そして至る所でこれを公言し、吹聴している台詞のようだった。
 つまるところ、傲慢の二重奏、三重奏である。
 これこそ陸海軍間の犬猿の仲をよく象徴していた。

 この時代に至っても、陸軍と海軍の足並みは揃っていなかった。そして、大戦末期になると、日本陸軍は航空機に触手を伸ばし、自力で陸軍の航空母艦を建造しようとしていた。
 陸軍の空軍化は、その象徴が陸軍航空士官学校の創設であった。此処に有能な生徒を集めようとしていたのである。その気風は、遠く満洲の関東軍にも及ぼうとしていた。
 言い放った言葉は傲慢に満ち、舌鋒鋭く、威圧的であった。これまで散々人を見下し、いかに酷して来たかが窺われた。人を、一般庶民を、如何に微生物視して来たか、その傲慢が何よりも雄弁に物語っていた。

 「負け戦はするものでない。とどのつまりが、毛唐の女まで動員しおる。戦は日本男児の軍事専門家に任せておけばいいのだ。毛唐が、日本国籍を有している方と言って、出しゃばる幕でもあるまい」
 「それは、わたしくのことについて言っているのでしょうか?!」アンは鋭い口調で席を立った。
 「そうだ、お前だ。お前は敵国人だ!」
 その言い方は実に傲岸
(ごうがん)だった。完全に見下していた。

 アンはこれまで気高く、エレガントな生き方をしてきた。それはおそらく死ぬときも、その姿勢は変わらないだろう。今も、この姿勢は微塵も崩れていない。それだけに、毛唐呼ばわりは屈辱
(くつじょく)であった。その耐え難い屈辱感は胸に広がるばかりであった。彼女は慚愧(ざんき)と恥辱に苛(さいな)まされていた。
 それでも怯
(ひる)まない。彼女は立ち向かうだろう。
 英国ロイヤルファミリーの姫として、今まで通りに、気品をどこまでも通すだろう。

 だがそれ故、脆
(もろ)い一面もある。それは自身の誇りが崩れた時だ。
 そのことを逸早く見抜いていたのが、津村陽平であった。
 彼女の精神的弱点は、気持ちが逸
(はや)って、感情が暴走すれば脆(もろ)いのである。
 だが救いもある。その一つは彼女特有の品格である。
 『北風と太陽』のグリム寓話の、太陽の去
(い)なし方を知っていれば、この一局面は簡単に逃れることが出来よう。さてこの局面を、彼女はどう躱(かわ)すか……。
 太陽に匹敵する教えは、既に授けた。その極意は授けた。津村はそう思っている。
 《心の剣で、相手の心をどう斬る……。愛弟子、アン・スミス・サトウよ。その答えは?》津村はその会得具合を検
(み)てみたかった。
 果たして彼女は、心の剣の使い方を覚えただろうか。先ほど説いた、力の剣以外に、心の剣があることを、どう会得しただろうか。津村陽平の感心は、そこにあった。

 「なんと、傲慢で無礼なお言葉。もはや武士道を標榜する帝国軍人も、既に惻隠の心を失いましたか!一体どうしたら、そこまで傲岸になれるのでしょうか」
 「なに!」
 アンが鋭く突いたのは、このように言い切った先に、日本人の魂の拠
(よ)り所を指摘したからである。
 併せて霊魂の帰属する中心帰一的な心的領域も指す。単に、物欲や肉欲に翻弄
(ほんろう)されて物質性に膨張・拡大して行く遠心的なことを言っているのではない。内面的なことを言っているのである。
 あたかも『旧約聖書』に出て来る「マテオによる福音書」の一節のようにである。

 法律学者とファリサイ人達が、姦淫(かんいん)の現行犯として逮捕された女を連れて来て、人々の前に立たせ、イエスに言った。
 「先生、この女は姦通の最中に捕らえられたものです。モーセはこういう者を石殺しにせよと律法では命じていますが、あなたはどう思いますか」
(「ヨハネによる福音書」第8章、4、5)
 この時、ファリサイ人はイエスをジレンマ
(dilemma)に陥れる意図があった。両刀論法である。二つの仮言命題を大前提とした策である。相反する二つのことを持ち出して板挟みにする策である。
 これを見抜いたイエスは言う。
 「あなた達の中で罪のない人が先ずこの女に石を投げよ」
(同書、第8章、7)
 これを聴いた人々は果たしてどうなったか。
 老人をはじめ、一人去り、二人去り、最後はみな去ってしまった。
 つまり誰一人刑を執行する人は居なかった。これこそ重要な結論であった。
 罪と刑が対応しているのである。人間の外面行為に基点を置くと、ついにはこうなる。だが、内面に迫ると事情が異なってくる。
 罪は外面行為によってのみ論ずるのではないからである。

 アンは人間の内面を衝
(つ)いた。衝いて、心の所在を問うた。
 人生の機微、温情、優しさ、慈悲、弱い者に対しての労りなどを指摘しているのである。そして「仁」に照らし合わせているのである。
 「いきなり他所に闖入
(ちんにゅう)して来て、礼を解さない。帝国陸軍はそこまで地に落ちましたか!」と叱責するように言い放った。無礼を咎(とが)めた。
 「うム!……」乙祢は不意を突かれたようになった。
 人間の内面には虚があり、不意がある。唐突にそこを突かれれば、たじろぐこともある。
 「そのご婦人の言う通り!」こう言い捨てたのは、満洲国軍の権藤光司上校だった。
 しかしアンは、これを《いらん邪魔立てを》と思った。彼女にしてみれば、料理するタイミングが外されたからである。

 「おやおや、これは誰かと思ったら、権藤大佐殿ではありませんか。満洲軍切っての猛者と言われる、あなたまでこの謀議に加担していようとは……。まったく驚きましたなあ」皮肉と冷笑を浮かべていた。
 乙祢少佐は、アンが弁舌家であるのを予知したのか、攻撃の鉾先
(ほこさき)を権藤に振った。話術で搦め捕られる防禦策を講じた。機転が利く。この漢、知能指数が高いためか、指し方の鉾先を巧妙に変え、状況判断に富んでいた。自在に応用が利くというやつである。記憶力旺盛な、左脳人間の特長をよく顕していた。
 「おぬしら、礼儀を弁
(わきま)えておらんようじゃな」
 土足で踏み込んで来た関東軍参謀らを、権藤上校が制した。
 「なにを!」三名の部下が軍刀の柄に手を掛けて、熱
(いき)り立った。しかしそこまでだった。傲岸は虚仮威(こけおど)しであった。しかし見ていて、腹立たしいと思ったのが兵頭仁介だった。

 「やかましい!」
 兵頭上等兵が、この三人を蹴り倒し、部屋の外へ叩き出した。目には目をであろうか。
 兵頭は、弁論合戦は余所
(よそ)でやれという大陸経験の猛者である。弁論と腕力の両方は成立しないからである。これまで、弁論で十字砲火の下を無事に潜れ果(おお)せたことは一度もないからである。話せば分るのではない。話しても分らない場合がある。最後は白兵戦になることを知っていた。
 「貴様、上官に反抗するか!」
 「何が上官だ。恥知らずで、礼儀知らずどもめが!……。そういう者は、兵に号令を下す上官ではない。無頼漢である。帝国軍人は無頼漢の言には従わぬ。帝国軍人が従うべき言は、“おそれおおくも天皇陛下”の言のみである。無頼漢の言ではない」
 兵頭は“おそれおおくも天皇陛下”と言ったとき直立不動の姿勢をとった。
 だがバカどもは収まらなかった。
 「なんだと!」無頼漢は熱
(いき)り立っていた。

 そのときアンは《ああァ……、先に言われちゃった》と地団駄を踏みたい気持ちであった。
 兵頭上等兵の凄味のある言が続いた。
 「お前らがオシメをして這
(は)い這いしていた頃、この俺は大陸の激戦地で戦っていた。銃弾と砲弾の十字砲火の中、命を張って、その間、風雪20年。その大陸歴20年のこの俺に、なんだと!とは何だ。如何なる理由からか!……。此処はお前らの場違いだ。早々に失せろ!」
 このように怒鳴って、三人を蹴り倒し、二階の会議室の階段から蹴落としてしまったのである。参謀肩章を吊った大尉三人は、階段の上から転げ落ちて行った。このときばかりは、言葉と暴力が一致して、何とも奇妙だった。
 兵頭仁介の貌には、確かに長年の風雪が刻んだ縦皺が深かった。錆びた鉄のような肌をしていたが、それなりの兵
(つわもの)としての剛健なる艶(つや)はあった。風雪20年は、単なる脅しではなかったようだ。

 「乙祢
(おとね)!」吉田が怒鳴った。
 「あッ!吉田さん」
 はッとして、以外な貌に気付いたようであった。
 「貴様も随分と出世したもんだな、関東軍の参謀に潜り込み、そして少佐とはなァ」凄むに言った。
 「……………」乙祢少佐は吉田の貌をみて唖然
(あぜん)とした。
 「貴様!そういうケチな驕
(おご)り昂った考えで、同胞の苦しみを忘れ、人間の命を弄(もてあそ)び、人命の浪費に現(うつつ)を抜かして来たのか。無益な英雄気取りはよすことだ。それでは、そのへんでのさばる夜郎自大の、やっかみ屋の有象無象と何ら変わりないではないか!人間としての大義やモラルはどうした?!」吉田の言は怒りが籠(こも)って鋭かった。
 「……………」吉田の怒声に、乙祢は言葉を喪っていた。
 「貴様はそういう野暮天で、傲慢
(ごうまん)なエリート風吹かして、肩で偉そうに風を切り、たいそうな参謀肩章を吊って、現場の将兵に檄(げき)を飛ばして来たのか!」
 この怒声に一瞬、乙祢はすっかり怯
(ひる)んでしまった。吉田から睨まれて、あたかも蛇に遭遇したカエルのような貌になっていた。
 「……………」喉の奥で言葉を詰まらせていた。
 吉田は自らが陸軍参謀本に席を置いたことから、参謀の正体を見抜いていた。殊更
(ことさら)に肩を聳(そび)えさせ怒らせ、肩で風切るその傲慢は、一皮めくれば、この態(ざま)だった。

 「貴様のトレードマークは、参謀肩章に、襟元の鉄十字勲章。だがなァ、乙祢。そういう独逸で貰った勲章はだなァ、ちっとは遠慮気味に着けるものだ。あれを見ろ。あの海軍一飛曹の、あの下士官のようにだなァ、襟元の裡側に、遠慮気味に着けるものだ。あの遠慮気味な勲章、なにか知っているか。貴様が付けている鉄十字勲章より上の、柏葉
(はくひょう)騎士十字勲章だ。独逸空軍のゲーリング元帥から授けられたものだ」
 乙祢少佐は陸大を首席で卒業し、独逸留学経験を持っていた。その際、知力優秀を買われて、独逸陸軍省から鉄十字勲章を授かっているのである。それがまた、乙祢の唯一の自慢だった。

 吉田毅は陸大を恩賜で卒業し、参謀本部出仕の前、しばらく陸大の教官をした事がある。そのときの教え子が乙祢益次郎であった。乙祢は陸大時代から、吉田には頭が上がらなかった。また彼には天敵であった。何故か吉田には頭が上がらないのである。弱味を握られているのかも知れなかった。幾ら優秀でも、弱味を握られた人間は弱いものである。目の前に天敵が顕われれば、尚更だった。
 そして乙祢は、この席上に吉田が居るとは夢にも思わなかったのである。思い上がったカエルは、まさか此処で天敵に遭遇しようとは思っても居なかったようだ。

 吉田が乙祢の胸座
(むなぐら)を掴んで吼(ほ)えた。
 二人はだいたい身長が同じくらいであるから、両者の目線は一直線であった。最初は静かに、次に睨み合いの煩悶
(はんもん)から始まり、徐々に激化するにつれ、吉田の勢いが勝って、ついに燃え上がってしまった。
 「ただでは済まさんぞ!」
 「なんでしょうか……」居直った観があった。しかし、吉田の叩き付けるような怒声にも、構わぬ仮面のような表情を崩さなかった、
 「貴様の言い分と申し開きを、これからじっくりと訊こうじゃねいか、えェッ。威張りたくってしょうがねえ青二才よ」
 吉田は柄悪く、噛み付くように怒鳴った。
 吉田にしては、虎の威を借る乙祢のような男が嫌いであり、互いは妙に張り詰めたところがあったが、押され気味の乙祢は「ちがうんです」と、恐れる余りに妙なことを口走っていた。
 「どこが違うと言うんだ!」
 「あのッ、そうじゃないんです」
 「そうじゃない?この期
(ご)に及んで、貴様、正気か」
 「正気です」
 「正気だと?……。正気の人間はあァ、そんあものがあれば、こういう無意味な闖入で、無礼事は働かないものだ」
 「……………」乙祢は、ばつの悪さに戦慄
(わなな)いたまま沈黙してしまった。
 それは無言の傲岸
(ごうがん)としか解しようのない沈黙だった。この期に及んでも、深部には切り札を隠し持っているようだった。
 意地と意地の小競り合いだが、吉田の剛力が、乙祢の胸座を掴んで離さなかった。
 カエルの王者ガマガエルでも、相手が蛇ならば勝てる訳がない。

 「吉田さん……」
 「正気かと訊いているんだ!」
 「正気です」
 こう言った乙祢の言葉が、また吉田を激怒させた。
 「それは狂気だろう。狂気でないと、他人の家に土足では踏み込まないものだ!」
 無頼漢然を咎
(つが)めているのである。そのうえ怒り心頭に来ている。
 彼を引き寄せるように、吉田は手頸
(てくび)のスナップを利かせながら、腕(かいな)を返しつつ、自分の貌に相手をくっつけるようにして言った。
 吉田は柔道の猛者で、腕っ節が強い。引き付ける力が強大である。いかに乙祢が腕に覚えがあっても、吉田の剛力には適
(かな)わない。
 「貴様こそ、英雄機取りで、上官を随分舐
(な)めた口調で、口を聞くじゃねえか」とやんわりと囁いた。
 いつの間にか、それが凄みのある脅し文句になっていた。
 「あのッ……」
 「訊いているのだぞ!」
 「……………」
 「まだ返事がない。貴様、どう始末を付ける。それとも、このまま沈黙を通して、頬っ被りか」
 これは“落とし前”を、どう付けてくれるという言い方であった。
 乙祢らの遣った、この種の傲岸な闖入行為を、無意味なハプニングと指弾している。それにけじめをつけろと言っているのである。

 津村は神を感じる漢だった。常に、周囲に神を感じているのである。
 神を感じるが故に、また「神は検
(み)ている」そして「験(ため)している」ということも知っている。
 だが、神は人間の正直さとか、真面目さとかのその点だけを検ているのではない。時にはその人のユーモアまで検て採点しているのである。融通の利かない堅物では、神は退屈してしまうのである。人を惹
(ひ)き付けるユーモアがいるのである。神に飽きられないためには、時には面白い御神楽的なパホーマンスが必要なのである。
 映画でも芝居でも、堅物の、可もなく不可もなく、沈香も焚かず屁もひらずの真面目劇では、ちっとも面白くないであろう。時には喜怒哀楽を落込んだ感情の面白みが必要である。特に面白くない筋書きに固執する芝居では、役者自らが演出家になって芝居を面白くする必要がある。
 敵の敵。そしてそれは味方。この筋書き、神は喜ぶのではないかと津村は思った。

 「まあまあ、吉田さん。そんな荒げないで。参謀殿は射竦
(い‐すく)められて、すっかり縮み上がっているではありませんか。もうそれくらいで宥(ゆる)してあげては」津村が仲に割って入った。
 寛大に処してやって欲しいという意味である。日本人同士が、こんな言い掛かりをつけて熾烈な戦いをしても無意味であることを見抜いていた。そして津村は、この乙祢という参謀を敵と検
(み)ていなかった。強硬派の中に居る“敵の敵”と検(み)ているのである。戦略家なら抱き込むべきだと思っていた。既に、双方を呑んでいるのである。
 津村には、敵の敵は味方であるという発想がある。取り込んだら、遣えると思っていた。
 「はあ」吉田が同意した。
 吉田も強硬派の中に、味方になりそうな人間の目星を付けていたのである。それが乙祢であった。
 「吉田君、その参謀。何者かね?」布袋さまだった。
 関東軍の参謀本部ではなく、参謀の程度を訊いているのである。布袋さまも、乙祢少佐には些か興味があるらしい。「猟れ」という暗黙の示唆を発したようだ。
 乙祢は猟られるだけの才と価値があると検たからである。

 「この漢、実は『タカ』が猟った野鼠
(のねずみ)でして……。しかしこの野鼠、どうした訳か、血気はやったすえに血迷いまして、とんだ茶番をやらかしてしまいました。重々お詫びを」
 「今日は茶番劇続きだなァ」布袋さまが呆れた。
 「申し訳ございません」
 「てめいッ、甘木閣下の御前である。敬礼せんか、敬礼を!」
 「はッ!関東軍参謀、乙祢益次郎少佐であります」
 「今ごろでは遅いんだよ、今ごろでは。このバカ野郎めが!」
 「はッ!大変ご無礼致しました」
 「てめいッ、それで謝っているつもりか!それとも陸大時代を思い出して、俺にこってり可愛がってもらいたいんか。どっちなんんだ、えェ、乙祢!」
 「はあ………」冷や汗をかき始めていた。
 「お前なァ、まず最初に詫びることがあるだろう。それを先に遣ったらどうなんだ」
 「あのッ、どういうことでしょうか?」
 「どういうことでしょうか?とだとォ……。それ、まだ分らんのか。その程度のバカ頭で、天下の陸大を卒業したのか。乙祢ようォ……。けじめとして、指でも詰めて謝らせてもいいんだぜ」
 「……………」
 乙祢少佐はすっかり縮み上がっていた。

 「二十世紀の地球で、軍部は五族協和などと大した理想を掲げ、皇軍を標榜して、この満洲に居座った関東軍が、何をして来たか、貴様も知らぬとは言わさんぞ。その蛮行、知っているだろう。てめえ、そのように徴集兵を死の催眠術にかけたんかい!」語気を荒げた。
 「……………」乙祢は僅かに首を振った。
 それは知らぬと答えたいのか、それは違うと言いたかったのか、吉田には判断がつかなかった。しかし乙祢は何かを知っているのは明白だった。『タカ』が、乙祢を猟った意味もそこにある。

 「俺はなあ、皇軍を標榜するお歴々の中で、特に関東軍では、どんな漢が立派で、どんな漢が阿呆か、だいたいのことは分る。俺が参謀本部を辞めて、大陸に来たとき、この大地で見てきた、かつての上官らや司令官らは、はっきり言って、みな阿呆だった。その阿呆どもを一番よく知っているのは、お前らであろう」
 「どういうことでしょうか?」
 「まだこの期
(ご)に及んで、恍(とぼ)ける気か」
 「……………」乙祢はすっかり動揺していた。一度に複数の質問をぶつけられて狼狽
(うろた)えていた。
 「貴様、下克上の口だろうが?……」貌を近付けて静かに囁くように言った。
 「どういうことでしょうか?」
 「貴様、よくよくバカだな。俺は下克上で、誰を脅したかと訊いているんだよ。
 つまりだなァ、猛将とか剛の者とか、また傑物と言う、そのように呼称されている連中の弱味を握っているんだろ?……。例えばだ、俺が貴様の弱味を握っているような関係でな」と疑惑めいたことを言った。
 それは脅しているのか、鎌を掛けているのは判然としないが、乙祢は何かの秘密を知っていることは容易に想像がついた。そうでなければ、闖入当時の傲岸は理解し難い。
 つまりバックが控えており、そのバックを楯に、阿呆な上官どもに下克上を仕掛けていると思われる節があったからである。その盲点を吉田は見逃さなかった。そして吉田の強みは、直接軍に所属していない民間人の立場で、側面から横槍を入れていることである。これに乙祢は、恐れを為
(な)している。官憲の天敵は、何らかの事情で、もと官憲から野に下っている草莽(そうもう)と言われる天皇の民であった。

 「それは……その……」そこまで言って聲を呑んだ。
 「阿呆な人間の遣ることは、直ぐにボロが出る。その盲点を衝いて、下克上を企てているのだろう?」
 「そんな、下克上なんて……」
 「違うというのか?」
 「……………」
 「誰のキンタマを握ったか?と訊いてるんだようォ、乙祢。貴様、事を有利に運ぶために、何者かと取引したんだろ?」秘密を吐けと迫ったのである。
 「……………」硬直したまま苦悶の表情が引き攣
(つ)っていた。
 「覚えていないというのか。それなら、今から確
(しっ)り思い出すようにしてやってもいいんだぜ。貴様は猟られたんだ。御丁寧にわざわざ蜘蛛の網に掛かってな。それを忘れるなよ。いったい誰のキンタマを掴んだんだ?!乙祢よォ……」
 「それは……」喉の奥で言葉を詰まらせ、かつ困惑した。
 「貴様、陸大の学生当時、俺の授業で『謀略術』の講義を受けたことがあろう、覚えているか」脅し半分で鎌を掛けるように言った。そこに恐怖の暗示があったようだ。
 「!…………」乙祢は、はッとして思い当たったことがあった。
 「あのとき譬
(たと)え話として、魏の曹操が遣った手口を指導した。いま一度、確(しっか)り思い出してもらおうか」
 「?…………」狼狽する様子がありありだった。

 それは曹操軍が寿春(じゅしゅん)攻略に遠征した時のことであった。
 このとき曹操は寿春にいた。この地方は水害に見舞われ酷い有様だった。城攻めをしようにも兵に配給する食糧が乏しく、囲んだ城の周囲は食糧皆無で空骸に等しかった。そして立て籠る寿春兵は中々手強い。堅固な籠城だった。
 その寿春に寄せ手として、曹操軍の三十万が殺到した。だが曹操軍は食糧不足に悩まされ、気力もなく、城は簡単には陥なかった。城攻めは長引くばかりであった。輜重
(しちょう)部隊が持参した食糧も底を突き始めていた。また現地調達も不可能だった。何しろ水害で食糧がない。
 郊外百里四方は洪水の跡が生々しく残り、田畑は泥沼と化していた。兵は飢えはじめ、酷く悲観的になっていた。そして士気は低下していた。
 曹操はこの誤算まで読み切れなかったのである。これには大いに当惑した。
 しかし曹操はタダでは転ばない漢である。智がある。
 兵糧総官の王垢
(おうこう)に目を付けた。王垢も食糧難に大いに弱って困りはっていた。
 「兵の糧米
(りょうまい)が続きません」
 「それは予の所為
(せい)ではない。予は糧米配給の兵糧総官ではない」曹操はわざと嘯(うそぶ)くように言った。
 王垢は大いに困り果てた。
 「如何なさいましょう?」
 「兵糧総官はお前だ!」
 「はァ………」溜め息をついた。
 「さようなことが勤まらんのか。勤まらんなら辞めてしまえ!」
 「……………」王垢は益々困るばかりだった。
 そこで曹操は王垢にやんわりと耳許
(みももと)で囁く。
 「案ずることはない。予が、そなたにいい智慧を授けよう」
 「はい」王垢に喜びが戻った。
 「兵に配る糧米の測る枡の大きさを変えればいい。今までのものより小さくして小枡にせよ。さすれば、だいぶん違うだろう」
 「なるほど、枡目を減じるわけですな」
 「さよう」
 これを聴いた王垢は、さっそくその日の夕刻からこれを用い始めた。
 だが兵は、これに納得したか。
 否。
 これまで一人五合の割り当てが、夕刻から一合五勺の小枡配給となってしまったのである。飢餓時の糧米なので、兵は満足する訳はない。兵の不満は益々高くなり、これに対し喧々囂々
(けんけん‐ごうごう)たる非難が飛んだ。  

 「どうだ。この件
(くだり)、思い出したか」
 「!…………」唖然とした貌になった。唖然とするだけでなく、乙祢を顔色は真っ青になった。
 肚の裡
(うち)では《まさか、自分に王垢の役を遣らせる腹積もりでは?》と悟ったのである。だが、むろん人間的要素は欠いてない。この漢にも救いのある一点だった。
 乙祢は吉田が、何を要求するか事前に察してしまったのである。戦慄する以外なかった。
 「貴様は猟られたのだよ。それとも、この件のように、出征時の宣言を違える有難い、てめいを首を差し出す損な役を引き受けてみるか」
 「もう、こうなったら、どうにでも料理して下さい。既に僕
(しもべ)です」
 「それでこそ優等生だ。貴様のような物分りがいい奴、好きだぜ」
 「……………」
 「お前のキンタマは俺が握っている。お前もバカどものキンタマを握っている。これ、いい構図だとは思わんか。我々と利害が一致した構図だ」吉田はにやりとした。
 「友軍相争っては、敵に塩を送るばかり。ここは一つ、わが輩にも、そのキンタマ握らせて頂けないでしょうか。友軍和
(なご)んで、相握る……と洒落込みましょう」津村が煽って、和音は三重奏になった。
 構図は『三竦
(さん‐すく)み』ならぬ、三掴みとなった。
 これを聴いたアン・スミス・サトウ少佐は、漢どものバカバカしさに呆れた。
 「まあッ、随分と高尚なお話ですこと……」と、漢どもの下品さを皮肉ったのである。

 ちなみに、『謀略術』の譚の先を進めると、更にこう続く。『三国志演義』をご存知の方なら、その先は直ぐに分るだろう。

 胃袋を満足に満たせない兵は曹操を詰(なじ)った。
 「丞相も酷いお方だ」
 また、
 「これでは出征時の宣言と約束に違反するではないか」
 あるいは、
 「空きっ腹かかえて、命を張って戦えるか」
 このように非難囂々の声が、兵士間から挙がり始めたのである。不平は将兵全体に満ち溢れていた。
 そこで曹操は総大将の立場から、王垢は訊いた。
 「お前は兵糧総官であろう。将兵のあの声をどう思うか?」
 「申し訳ございません。至らなくて」困窮の貌を曹操に向けた。その貌は申し訳なさで、苦渋に満ち溢れていた。
 「して、鎮める声の策は?」
 「ございません」
 「そこでだ、お前から一物を借り受けたい」
 「えッ?それがし如きからですか。はて、何をでございましょう?」
 「そなたの首を借り受けたい」
 「げッ!そんなご無体な……」王垢は仰
(の)け反るほどに驚いた。
 「済まぬ、この場はどうしても凌
(しの)ぎたい。その方が死ねば、此処に居る三十万の兵の怒りは鎮まる。だが貸してくれねば直ぐにでも動乱が起こる。
 三十万の命と、その方の一人の首。どちらが重いか、分るであろう。その方が死んだ後、妻子の保障は生涯心掛ける。どうじゃ」
 「何卒、それだけはご勘弁を」王垢は号泣をして命乞いをした。
 しかし曹操は手筈通り、武士に命じて王垢の首を刎
(は)ねた。その首は直ちに陣中に梟首(きょうしゅ)された。その横に立札が架かり「兵糧総官・王垢、糧米を盗み、小枡を用いて私服を肥やす。罪状明白。依って軍法に照らす」とあった。
 これは単に、曹操の責任転嫁ではない。王垢を梟首することで、将兵の飢え状態にあるときに用いた苦肉の策であった。つまり士気を高めることが第一の目的だった。
 凡夫
(ぼんぷ)は、これを曹操の責任転嫁と狭量に捉えるようだが、士気一変の転機を狙ったもので、士気を鼓舞する策であった。
 将兵たちは口々に「兵糧総官・王垢は何と言う酷いことをする。実は小枡は丞相の命令ではなかったのだ。彼奴
(きゃつ)が、私服を肥やすためにこの悪事を働いたのだ」と信ずるに至った。
 果たして以降、大いに士気は高まった。
 曹操はこの高まりに、即日大号令を下し、「今夜より三日のうちに寿春を攻め陥す。奮闘する者はその功を大いに讃え褒美を遣わす。背く者は軍法に違反したと看做し、直ちに頸
(くび)を跳ねる」と厳命した。
 このとき曹操は率先して将兵を率いた。士気は大いに高まった。あとは殺戮のみである。肉薄戦の後、遂に寿春は曹操の手に陥た。 
 

 『謀略術』の講義をしたのは吉田である。
 吉田は「兵は詭道なり」の真意をよく理解していた。つまり用兵である。
 指揮官には兵の用い方が問われる。兵をよく用いたのは、まさに詭道であった。この詭道を、もし敵にではなく、味方陣営の幹部に用いたらどうなるか、そのことを説いたのである。指揮官の用兵は、兵卒に用いるだけでなく、陣営の役付の重臣にも用いる事があるのである。
 これは劣勢の時に仕掛ける策である。負け戦の緊急時に、一頭の生贄
(いけにえ)を差し出して士気を高める術に用いられるのである。
 当時の陸大出の教官だった吉田が、この策を陸大生に講義したのである。
 明晰
(めいせき)なる頭脳を持つ、乙祢はこのとき、この術を高級将校に用いられたらどうなるか、その恐ろしさを充分に把握したのである。乙祢が戦慄する事柄は、実に此処にあった。巧妙な策を知る、吉田を恐れる所以(ゆえん)である。

 「乙祢、よく聞け。貴様もこれから『タカ』のメンバーとして、ひと肌脱いでもらおう」
 「?…………」乙祢にしてみれば、その“ひと肌”が怕
(こわ)かった。そわそわと身じろぎしだした。
 「落ち着け、乙祢。今日は、貴様にとって厄日となるか吉日とするか、貴様次第だ」
 「?…………」そう言われて彼はじっと虚空を見詰めた。賢明なる頭脳で何か考えているふうだった。
 「ひと肌脱いでもらうにあたり、その前に教えておきたい事がある」そう切り出して少し間を置いた。

 そして暫
(しばら)くしてから、「つまり『タカ』は、日本の戦後に向けて動いている。今の戦局を打開するためではない。戦争が終結した時点を想定して動いている。ここまで負け戦が込んでいては、挽回の余地はなかろう。この戦争を指導した戦争指導者は無能だった。戦争しているのに、戦争目的が不在だった。
 戦争目的が不在では、勝てる戦争も勝ちようがない。勝ちようがない戦争は早々と止めて、仕切り直しをする必要がある。仕切り直しをして、そこから再建を始める以外ない。だが日本の戦後は、二つ考えられる。
 一つは、戦争指導者が戦争を長引かせて、精根尽き果てて万歳する無条件降伏と、もう一つは、今の頃合いを検
(み)て、早期に戦争を終結させてしまうことだ。
 つまり、よりよい負け方をして、有利な終戦を迎える。その場合、日本列島の戦争損害は軽微で済む。日本人は、その後も日本人の魂を失うことはない。
 だが、前者のように、戦争を長引かせるだけ長引かせ、丸裸にされ、大量殺戮を受けた後では、どういう選択があるか考えてみることだ。その場合、間違いなく無条件降伏を強いられる。残されるのは破壊され尽くした戦後である。日本列島は悉
(ことごと)く焦土と化す。総てが焼き尽くされる。在(あ)るもの総てが灰燼(かいじん)と化す。
 そして物資難は今以上に深刻になり、日本経済はハイパーインフレ状態に陥って、大パニックを招く。そして一千万人以上の餓死者が出る。食糧不足は益々深刻になる。
 あとは身も心も奪われるだけ奪われる。
 金や物や領土だけではなく、文化も伝統も、総て精神破壊を受ける。こういう戦後を日本が向かえた時、筆舌に尽くし難い惨めさが襲うだろう。戦勝国の横暴な屈辱にも耐え、婦女子は恥辱にも絶えねばならない。
 したがって同じ敗戦国になるにしても、早期で止めておくのと、だらだらと負け勝負を繰り返しながら、丸裸で負けるのとは訳が違うのだ。
 丸裸にされた上に、恥の上乗せをして、無条件降伏をした場合、これまでの日本人の持っていた自己同一性
(identity)は悉(ことごと)く破壊される。そして日本は、戦勝国の属国にされ、世界史では悪玉日本が歴史の中に刻まれるだろう。
 そうなった場合、これまでの日本人の美徳とされた『惻隠の心』は跡形もなく消滅するだろう」
 こう言って、吉田は言葉を締め括った。
 彼の言には一見押し付けがましいところがあるが、喋る言葉には人を魅了するものがあった。その信念、その率直さ、そして惻隠の心は、乙祢には惹
(ひ)かれるものがあった。

 吉田のような見解を持つ、早期戦争終結論者を快く思わぬ戦争継続強行派の軍人は、満洲には多かった。時の関東軍はその巣窟であった。
 だが乙祢少佐は、吉田の言を呆れはふうでもなく、また拒んだふうでもなく、聞くだけ野暮だとも思わず、真摯に耳を傾けていた。その姿勢が見て取れた。そして、もし彼が、吉田の言を狐疑逡巡
(こぎ‐しゅんじゅん)として、この妙機を聞き逃したとしたならば、天は彼を暗愚の徒と看做し、早々に見捨てていただろう。彼としてみれば、ギリギリの命拾いであった。

 こうして乙祢少佐は、爾来『タカ』から貪られる運命を歩くことになる。
 否、吉田の言を聴いた後からは、自ら進んで『タカ』に、わが身を捧げる覚悟が出来たのかも知れない。無礼千万なる闖入者は、こうしてまんまと料理されてしまったのである。
 礼儀知らずの恐ろしさから始まった愚行だったが、最後に、自身の魂を取り返したことだけは救いであったかも知れない。
 智があっても、礼がなければ、こうした策に嵌まることもある。傲慢が過ぎたようだ。
 反省とともに、乙祢益次郎少佐が生まれ変わって、再生すれば幸いである。

 顧みれば、関東軍の中に居る乙祢少佐は、関東軍を敵とする『タカ』にすれば、彼こそが「敵の敵」だったのである。つまり敵の敵は味方であった。この味方を拿捕し、捕獲したたのである。事態は以外は方向へと転換し始めていた。


 ─────この日の最終会議は、闖入者の茶番劇を挟んで幕が引かれた。
 あとは明日からの『空龍』の離着水訓練に期待し、以後の国運を賭けるしかなかった。『空龍』は運命を背負って日本へと飛ぶのである。
 いよいよ未明から離着水訓練が始まる。
 新京市から東に約200km先、鏡泊湖
(きょうはく‐こ)という塞き止め湖がある。ここで離着水訓練が始まのである。
 この湖は一万年ほど前に火山の噴火の影響によって、牡丹江が塞き止められて形成された湖である。
 幅が4km、長さが45kmである。面積は琵琶湖のおよそ七分の一で、日本が満洲国を統治していた時は、湖周辺に多くの日本人が暮らし、発電所も設置されていた。
 『空龍』は鏡泊湖に向かって飛ぶ。明日への希望に向けて飛ぶ……。それは選択肢の中でも、僅かな可能性だろう。しかし僅かな可能性でも、粉骨砕身して賭けてみる価値はある。

 「日本に向けての出発は明後日です。あと二日後。時間もそんあにありません。気掛かりは航続距離です。
 自分が気遣う唯一のことは、『空龍』の最大効率です。本来ならばサトウ少佐には、まだまだ長時間飛行を積んでもらって、もっと習熟して頂きたかったのですが、時は逼迫
(ひっぱく)しております。どうしても、いま遣って頂く以外、方法がありません」と『空龍』の製作を担当した鳴海少佐が言った。
 「わたしは『空龍』なら、希望を乗せるだけの価値があると信じます」アンが毅然と言い放った。
 「サトウ少佐以下の搭乗員は、この訓練期間中は海軍空技厰実験部の軍籍になります。終了後は大日本航空所属の搭乗員となります。何か質問はあるでしょうか」
 「この空輸計画には、『鵺計画』という名前がつけられていますが、具体的にはどういうことでしょう?」
 「夜、飛行するからです」と憶せず答えた。
 「すると、夜間に航行するということですか」
 「そうです。存在を知られないために、満洲国外では夜、航行して頂きただきます。いわば大日本航空の夜間便ということになりましょうか」
 それは夜間便が、単なる言葉のあやでなく、夜こそ『空龍』と活躍の場と考えていたからである。
 「夜間便……」
 「そうです。鵺という名は、自分としては打ってつけだと思いますが……」
 「夜に飛ぶ鳥、それが鵺……。わたしたちにとっても、打ってつけの名前ですわ」
 「ほかになにか?」
 「いえ、べつに……」
 「では、自分はこれで」鳴海少佐は敬礼して、この場を離れた。
 鳴海は踵
(きびす)を返した後、アン・スミス・サトウ少佐の飛行機乗りの無類の頑健、無類の優しさ、無類の有能を思って、その場を後にして行った。
 彼は思っている。
 もしかすると、本当に瓢箪から駒が出るかも知れないと。確率は小さいが、あり得ることだろうと思った。

 アンは長いこと、整備員から整備されている『空龍』に、眼を細めて全体像を眺
(なが)めていた。そして、もう一度周囲を歩きながら、機体の細部に見入っていた。
 格納庫に差し込んで来る陽光を撥
(は)ね返す機体を、もう一度確(しっか)り止めに焼き付けた。その姿形は二式大艇改と銘打っているだけに改造された部分が、どこか斬新で新鮮なものに感じた。
 だが一方で、障害ない訳ではない。行く手にどんな障害が待ち構えているか分らない。果てしない大地と海を渡らなければならない。政治的、軍事的な障害は抜きにしても、この初飛行が容易でないことは重々承知しているのである。日米開戦当初ならともかく、大戦も、末期に差し掛かり、日本は負け戦が込み、既に制空圏を喪
(うしな)っているのである。飛行しているところを発見されれば、敵機の来襲は確実であった。
 それだけに困難である。
 しかし困難だが、無意味ではないし、無理でもない。そこが唯一の恃
(たの)みとするところであった。

 顧みれば、その「恃み」の中に、何を信ずるか懸かるものがある。何を信ずるか。それは信ずるということの根底に愛があるからだ。それは則
(すなわ)ち人間愛であり、また日本人に対する同朋愛であろう。
 自分の国を愛することの出来ない者に、愛の根本など分ろう筈がない。愛は男女の恋愛の愛ではない。根本的な人としての愛である。アガペー
(agape)的な愛である。自己犠牲的な愛である。己を殺して人を生かすための愛である。突き詰めれば、惻隠の心に回帰される。
 同胞への憫
(あわれ)み、そして人間全体への慈しみ。弱者は労り、手を差し伸べて哀歓を解する。人の不憫が分る人生の機微。総てはそこに回帰するのではないか。
 遠い異国の地にあって、アンは過去への強い郷愁を想った。郷愁こそ浪漫性の背景を為すものであった。

 暮れ泥む今日の日から思えば、総てが遠い過去になったと解せばいいのだろうか。日一日が遅いようにも早いようにも感じられるこの頃であった。慌ただしい時間の中を通過して来た。
 外は黄昏時だった。
 その陽を受けて『空龍』が神々しく映った。
 この機は、もうじき早期戦争終結のための、一縷
(いちる)の希(のぞ)みを背負って日本に飛ぶ。
 今しか見られないいい風景の中に『空龍』が輝いて見えた。陽光を全体に受けた機の姿が、何もかも輝いていた。それを、暮れ泥む夕陽
(せきよう)が象徴しているようだった。


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