運気 八門人相 房中術 癒しの杜 菜根譚 小説 会報Back No. 合気 蜘蛛之巣伝 死の超剋 霊的食養 心法
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続々 壺中天・瓢箪仙人 11

ロマンの背景を為すものは、自由な発想と創造。それに自然の感情を重んじる浅薄なものだけではない。感傷主義ではロマン性は薄っぺらなものになる。
 何よりも、心が血を噴く思いが知的に整合されていなければならない。それは表皮ではない。内面の奥深いところにあるその血の滾
(たらぎ)りを見逃してはならない。


●艱難迫る

 会議は続いていた。
 再び権藤光司上校
(大佐)が発言した。最も気になるのが、満洲国軍護国飛行隊司令の権藤上校の吐露した満洲国治安局情報の中華民国空軍に配属されたという独逸製の双発重戦闘機メッサーシュミットである。双発重戦闘機メッサーシュミットには機首に20mm機関砲を2門搭載しているという。火力はこれまでとは全く違う。爆撃機ならば一溜まりもないだろう。追尾されれば逃げ切ることが出来ない。速度も違う。

 「一つ、気になる情報があります。わが軍の治安局の掴んだ情報によりますと、近頃、中華民国軍は独逸の双発の重戦闘機メッサーシュミット・Me 410ホルニッセを、空軍の制式戦闘機として認めて、有償援助を受けたそうです。この戦闘機には、機首に20mm機関砲を2門搭載しています。これまでの7.7mmなどという生易しい豆鉄砲ではない。20mm機関砲で襲い掛かられたら、鈍重な四発機など、ひと溜まりもありません。一瞬にしてに破壊されてしまいます。果たして『鵺
(ぬえ)計画』に、この対処策は準備しておられるでしょうか」と鋭い質問をした。

 メッサーシュミット・Me 410ホルニッセはアンが羽田から満洲に向かって飛行中に日本海上空で遭遇している。このとき室瀬佳奈は、「どう見る?」と問われて、「独逸機です」と答えた。機種については「双発の重戦闘機メッサーシュミット・Me 410ホルニッセ。機首に20mm機関砲を2門搭載しています」と答えた。これは満洲国治安局の情報と、その機種とが一致する。
 彼女は、参謀本部
(第十八班無線謀報)へタイピストとして出仕している中川和津子や山田昌子から、時折海外の軍事情報を聴かされていたから詳しいのである。佳奈は記憶力に自信があり、聴かされるだけで自然に脳裡に刻まれてしまうのである。この利発さが買われ、幼少期、鷹司家の眼の止まる所になり、良子の侍女として選ばれることになった。
 また良子の大学進学に伴い、京都から東京に移った後は、東京御徒町の実家から共立高女へと通っていた。
 学校では、殆ど勉強しないでも、学科は悠々クラス一だった。級友からは“便利な頭”と揶揄混じりに羨望された。体育にしても運動神経が発達していて、春秋の運動会では学内トップの十指に数えられていた。それだけに不遜
(ふそん)な思い上がりがあった。だが、ここが『タカ』の眼の付けられることになり、『要視察人』に猟られたのであった。
 そして遊撃戦を主眼とする女子戦闘部隊に組み込まれ、奇妙な縁
(えにし)で、いま満洲に居た。
 だが満洲も黄昏れていた。負け戦は生きている人間に無理難題を押し付けるものである。本来無縁な兵器まで研究させられる羽目になっていた。
 参謀本部ではタイピストでも、陸軍大臣が読むような重大情報を見ることがある。最近、独逸が新型のメッサーシュミットを開発したことを知らされていた。これを佳奈は、印象的に記憶していたのである。
 あのときに視た独逸機は、どうだったかと反芻
(はんすう)する。
 満洲に向かう際に遭遇したメッサーシュミットは、黒く塗装されていて国籍名を定かではなかった。
 ところが最近、国籍名を表示した国民党軍空軍は、この機を制式に採用し、配備されたというのである。これを聴いて背筋が寒くなるのを覚えた。そしてその時の状況を思い出した。同じ機に同乗していた四人は改めて当時の模様を再現させられた。それが脳裡に、ビデオでも視るように鮮やかに再生されたのである。

 あのときは、何とか低空飛行を続けて振り切ったが、追撃をされなかったのは追尾した戦闘機に、実弾が装填されていなかったためだろう。もし装填されていたら、あのしつこいパイロットのことだから、面白半分に満洲便を標的として砲撃し、今ごろは撃墜されて日本海の藻屑
(もくず)となっていたかも知れない。
 機を操縦していたアンは、あの時こそ、戦闘機と比較して、旅客機が如何に脆弱
(ぜいじゃく)であるかを思い知らされたのである。
 しかしと思い直すこともあった。

 もし、あの時、海面すれすれの雑巾掛けをしなかったらどうなっていたのか?……。
 つまり巡航高度の4000m辺りで、飛行していたらどうなっていたのか?……と。
 あの時は雑巾掛けして、難を逃れた。
 一方、中国国民党軍のパイロットは海面すれすれで雑巾掛けする技倆がなかったのかも知れないと思うのである。パイロットの技倆差である。
 雑巾掛けというのは、パイロットにとって、余り好まない飛行法である。それゆえ盲点は此処にある。敵機に追尾されたとき、唯一の非武装機が逃げ切れる手法であろう。

 アンはその場合の回避テクニックを知っていた。
 追われる方は海面すれすれに飛んで、海面衝撃波の派生根元を滑空初期に宿す。波を起こして飛沫
(しぶき)を掻き揚げる。巧(うま)くいけば、海水の飛沫で追尾機は機首から海面に突っ込むこともある。しかしこれを躱(かわ)されれば、次は目潰し戦法で行く。一旦海水で目潰しを噛まして、左へ急旋回する。左旋回はプロペラの回転方向と密接に関係があるからだ。
 プロペラは後方から見て、右回り
(時計回り)している。日本、米国、独逸などはそれである。その関係で、左へ左への極意をもって、横滑りの状態を作る。その隙に左旋回して、敵機に向かって突入飛行を企てる。窮鼠(きゅうそ)の状態を作っておいて、次に、一気に突入飛行から急上昇する。
 その第一段階が、低空を飛んで海面波を起こし、追撃機の追跡を困難にさせることである。第二段階は左旋回して、敵機に向かって突入飛行を企てる。第三段階は怯
(ひる)んだ隙に、一気に急上昇する。

 『空龍』は四発の大型飛行艇である。
 海面波を発生させるには、後部から海面にほんの僅か接触させれば、充分の起すことが出来る。更に両翼の第一発動機と第四発動機下の格納庫にはフロートが折り畳み脚で収納されている。それを直前に伸ばし、併せて着水状態で発生させる。そのときの海面波は猛烈なものになるであろう。
 追撃機は海面すれすれの低空飛行だと、前方の海面波を被
(かぶ)って機首から海面に突っ込んで大破するかも知れない。追撃機にそういうアンラッキーな事態が起こるかも知れない。
 これは剣術でいえば、敵に後ろを追わせておいて、『振り向き態
(ざま)』という「横薙ぎの術」である。誘い込んでの「入身」と思えばいい。剣には入身術がある。
 但しこの場合、余程パイロットの腕がよくないと、水面すれすれの雑巾掛けは、自ら機首を下げて突っ込んでしまう恐れがある。これでは自爆である。併せて至難の業と言わねばならない。
 急がれることは、離水・着水訓練であった。この訓練を早急に行って、技倆を重ね、この業
(わざ)を会得する以外なかった。

 「戦闘機に追撃された場合の回避対策、無い訳でもありませんわ」
 アンは自分が体験し、実体験に基づいた「海面波回避術」の撃退法を述べた。
 しかしこれを聴いた大半は半信半疑で、誰もが黙り込んでしまった。誰もが無口になり、急に場が白けてしまった。しばらく思案の沈黙が続いた。重苦しい沈黙である。
 この沈黙を破って、権藤上校がパチパチと疎
(まば)らな拍手して、「本官はサトウ少佐の海面波回避術に同意します」と述べた。しかしこれを掛値通りに受け取っては危険だろう。この「同意」は本心から出た言葉でなく、助平心から出たものだろう。アンはそのように熊を警戒した。
 そして場は奇妙な拍手で、更に澱
(よど)んでしまった。

 津村はこういう空気はよくないと悟った。
 「自分は飛行機乗りでないので、口を挟むのはお門違いかも知れませんが、実に道理を得た、いい術策かと思います」津村だった。
 「何故、そう思われる?!」烈しい口調で切り返したのは権藤上校だった。
 「剣には振り向き態
(ざま)という『横薙ぎの術』があります。まったくこの術の通りだと思うからです。その真偽を疑うのなら、ひとつ、自分の後を追って捕まえてみてはどうでしょうか?」
 「おもしろい、実におもしろい。その追う役、本官が買おう。こう見えても本官は剣道五段で、北辰一刀流の免許皆伝である。些か腕に覚えがある。満洲一の名物男相手に、そこまで言うのなら本官相手に、その技、ひとつ披露して頂こう、津村少尉!」と、鋭く熊が吼
(ほ)えた。
 熊は矮男
(こおとこ)に忌々しさを感じているのである。第一気に入らないのが、その貧乏臭い風体である。決して不潔ではないが、乞食でもこれ以下の身形はあるまいと思える装(なり)である。更に喇嘛(ラマ)教の僧侶を模した、また道教の道士のような恰好が宗教家じみて、特に気に入らないのである。
 そのうえ津村の縦長のデカ頭、つまり真言立川流で言うならば、大頭
(だいず)だが、これが本能的に受け付けない。熊はチビでデカ頭が好きでなかったのである。
 熊は、津村を偽坊主というより、貧乏神と思っている。その種の奇人が好きでないのである。それに烈しい違和感を覚え、拒否反応を示しているのである。
 熊は、ここで一つチビに先駆けて「先」をとっておきたいと思っている。その魂胆が表情に顕われていた。

 「人を外面だけで観ると誤りの元兇
(もと)ですぞ」その魂胆を見抜いた矮男は釘を刺した。
 「何を抜かす、この貧乏神めが!……」語尾に怒気を含んでいた。
 「いやいや困りましたなァ、“神”などと囃
(はや)されては……」
 「囃しているのではない。貧乏神だと貶
(けな)しているのだ」
 「いけませんね、神を冒涜
(ぼうとく)しては。貧乏神でも、神は神ですぞ」
 だが津村は《表皮を見掛け通りに受け取っては困る。あんたは既に誤っている》と言いたかったようだ。
 「黙れ、貧乏神!」
 津村は、喧嘩術を心得ている。その挑発に乗らない。
 そして一言付け加えるなら、《世の中には外面ばかりに目を奪われると、外面菩薩
(げめん‐ぼさつ)で内面夜叉(ないめん‐やしゃ)に騙されますぞ》と言ってやりたかった。
 「宜しいかな、大佐殿。そういうのを神への冒涜というのです、反省あれ」
 先に怒って、激怒を露
(あらわ)にした方が負けである。
 売り言葉に買い言葉で乗せられて、感情的に言葉を荒げた方が負けである。怒気は煽れば煽るほどエスカレートして行くものだ。そのうち怒りで冷静さを喪う。

 「抜かし上がったな、鳧
(けり)を付けてやる!」熊は“チビ公”相手に遣る気満々である。
 「では、お言葉に甘えて、ひとつ“神さま”が、奢
(おご)れる御仁(ごじん)の傲慢(ごうまん)なるお口の筋肉でも、揉(も)み解(ほぐ)してしんぜよう」と余裕綽々(よゆう‐しゃくしゃく)で豪語した。完全に権藤上校を“虚仮(こけ)”にしていた。
 「なにをぬかす!」熊は挑発に乗って、怒り心頭に来ていた。
 それだけに、権藤にしてみれば、癪
(しゃく)に障る矮男の言であったようだ。侮辱されていると採った。
 そもそも熊にしてみれば、何でこういう重要な会議に、訳の分からぬ矮男が同席しているのか、それが不可解だった。身形も粗末で、腰瓢箪を下げ、武器を持たずに鹿の角の杖を持っている。それに背嚢なら未
(ま)だしも、背嚢代わりに塗が剥げた笈(おい)を背負っている。少尉と言うが、軍人らしからぬその風体が気に入らないのである。
 いざ勝負となった。世紀の名場面ならぬ、珍場面だった。

 この時、副官の兵頭は、熊に向かって立ち向かおうとしたが、津村はこれを制した。制した貌は嗤
(わら)っていた。余裕の貌である。兵頭は素直に下がった。兵頭はこれまで着ていた平服の背広にネクタイは窮屈と思った所為(せい)か、平服から満洲時代の下士官用の軍服に着替えていた。
 年季の入った古びた軍服に、戦闘帽を被り、軍服の上に古びた茶色の兵用帯革
(へいよう‐たいかく)を締め、右に大型のモーゼル銃、左に曹長刀を吊り、茶色の古びた長靴を履いていた。
 姿形は古参も古参、大古参の下士官然であった。しかし襟章の赤布に星三つの上等兵は、何とも不可解なる階級章であった。兵頭上等兵は腰には、かつて大陸で使っていたと言う通称『馬賊拳銃』と言われるモーゼル連発銃を吊っていた。この拳銃はモーゼルC96
(重量1,100g)という銃で、ドイツ帝国で開発された自動式拳銃である。
 逆の意味では、それだけで威圧があった。激戦地を転々と渡り歩いた年季の入った上等兵……。そのように映る。参謀本部などの砲弾の飛んで来ない後方に居て御託を並べる、実戦知らずの参謀どもとは訳が違う。
 もしこれが一等兵だったら、泣く子も黙る古兵も古兵、超古兵の「古兵殿」であった。兵頭には激戦地の実戦者として、そういう凄みがあった。その象徴が『馬賊拳銃』と言われ大型のモーゼルであった。

 矮男
(こおとこ)の津村と熊のような権藤のひと勝負。その勝敗の行方は?……。
 この現場に居た同席者は唖然
(あぜん)としたばかりでなく、小柄な津村の体躯に比較して、権藤上校は熊のような体躯をしている。大が小と勝負する。これに唖然とする以外なかった。誰が検(み)ても、勝負ありの構図である。
 「容赦はせんぞ、津村少尉」熊は自信満々だった。大柄である。満洲国軍の猛者
(もさ)である。
 勝負は眼に見えていた。そのように映る。
 一同は観戦者となってこの珍場面を傍観するが、しかしのんびりと傍観して見守る余裕がないのが、アンとキャサリンであった。二人は、“勝負有り”を見るに忍びないと思っていた。
 アンは《わたしが変な理屈を捏
(こ)ねて、体験談などを言わねばよかった》と反省までしている。
 それに、この“勝負有り”状況は、良子も佳奈も同じだった。
 さて、どうなったか。

 権藤上校が津村を追った。熊が後ろから襲い掛かった。だが津村は、振り向き態
(ざま)に、熊の顔面を手刀(てがたな)で軽く払った。その動きが、一見スローモーションを見えたようで、これがなかなか実に速い。柔らかに、舞うように動いた。風のように舞った。しかし減り張りのある動きである。
 ちなみに、ここで言う「手刀」は、空手などで言う「しゅとう」というのでなく「てがたな」という。同じ字でも、意味も違うし、効力も異なる。「てがたな」は剣を手に置き換えた刀のことである。ゆえに手刀
(てがたな)と言う。剣の刀操法と同じくする。

 さて、その瞬間、熊は宙に脚を浮かして舞い上がり、そのまま床に頭を叩き付けて伸びてしまった。脳震盪を起こしたのである。
 「おい!誰か救急隊を呼べ。上校殿が伸びてしまったぞ。救急隊だ、救急隊!」嬉しそうに大声を張り上げているのは吉田毅だった。
 「いやいや、吉田さん。救急隊とは大袈裟な。しばらく、お休みになっているだけです。そのうち眼を醒ましますよ」
 この珍事にアンは《えッ?えッ?今のはどうなったの?》と、不思議そうな貌をして津村を見ていた。
 彼女にしてみれば、これこそ唖然とさせられる妙技を見てしまったのである。
 この光景を観て、甘木少将は大きな布袋口
(ほてい‐ぐち)を開けて大笑いした。
 「愉快・愉快。熊がこう簡単に寝てしまうとは……」布袋さまが頗
(すこぶ)るご満悦であった。
 「お騒がせいたしました」津村は一同に頭を下げた。
 「サトウ少佐の『海面波回避術』の策、さっそく頂こう」布袋さまが言った。
 「閣下、有り難う御座います」
 「おい、閣下はよさんかね、閣下は……」
 この場が、大きな笑いに包まれた。やがて、この笑い声に気付いたのか、権藤上校が頭を振りがなら立ち上がった。
 「おやッ、何かありましたか?」熊は突然眼を醒まし、自分でも何が何だか分らないでいる。
 それを聴いて、更に一同は大笑いした。
 アンは津村を《何と凄い奴》と思うのであった。
 しかし、煽り屋の猪口はこの場には居なかった。あとで知れば地団駄を踏んで悔しがるだろう。その一コマを収録したいと思ったいに違いない。

 場が、がやがやと湧いていた。そして場が笑いで活気づいた頃、権藤上校が、全員を制するように次ぎなる発言をした。
 「とんだお見苦しい、お粗末な“茶番”などをお見せしまして。平にご容赦を……」と一瞬頭をかいて照れ笑いした。
 「茶番にしては、なかなか結構な寸劇だった」布袋さまは愉快顔であった。ご満悦である。
 「お恥ずかしい限りで。いや、いかんいかん。こういう場合は素直に反省せねばならん。礼の違いに格差があったようです」
 「礼の格差か。また、ひとつ学んだようだな、権藤上校」
 「はあッ、老婆心ながら」恐れ入って一礼した。
 「議題を先に進めよ」布袋さまがコマを先に進めた。
 「では早速」吉田が次へのコマ送りをした。

 「気になるごとが御座います」と熊男は言葉を繋いだ。熊は陰湿ではなかった。先ほどの津村から易々と遣られたことは根にも持ってはいなかった。陽性漢である。“陽気な熊さん”だった。
 「と申しますのは、近頃、中国国民党軍は、米国からB29を有償援助受けて、満洲の主要都市を攻撃対象にして、空爆を計画しているという情報もあります。これは確かな情報筋からです」と背筋の寒くなるようなことを言った。
 場が即曇った。思っただけでも悪寒
(おかん)が疾った。

 この情報を権藤上校に告げたのは、満洲国治安局諜報員のミヤ・スコロモスカである。会議に彼女も参加しているが、此処では発言せずに聞き役に廻っている。
 一同は権藤上校の話を聴いたとき背筋が寒くなるのを覚え、辺りには重苦しい空気に包まれた。
 会議はまさに、喜怒哀楽の波の中に揉まれていた。
 熊男の言によれば、B29が出てきては“日中戦争は、これで勝負あり”という言い方であった。
 「そいつは厄介だな、主要都市が空爆を受けると」甘木少将が懸念の貌を見せた。
 「したがって、この計画を一刻も早く押し進めませんと」吉田が追随するように言った。
 「事態は深刻である。艱難
(かんなん)は目前に迫った。参集の各位は智慧を出し合って、忌憚のない建設意見を吐露してもらいたい」甘木少将が吼(ほ)えるように言った。

 甘木少将の懸念は、中国国民党軍が米国からB29を有償援助受けたということである。これを拡大解釈すれば、米国は国民党軍を使って満洲の破壊だけに留まらず、日本も破壊しようと考えているのではないか、そのように懸念するのである。
 国民党軍は単に米国の走狗であろう。この走狗を使って、満洲の満鉄路線の主要都市
(大連・遼陽・奉天・鉄嶺・新京・哈爾濱の平野沿い)を空爆し、次にこの空爆をモデルに日本の主要都市の攻撃をする。この攻撃データから、次に大空襲を計画している。本土決戦を遣る前に総ては介し尽くす。日本の兵力を無効にする。無条件降伏の構図を作る。その懸念を大と検(み)ていたのである。

 おそらく国民党軍のB29は高度1万メートルから爆撃をして来るだろう。高度1万メートルとなると、この高々度まで駆け上がる戦闘機は満洲国軍も関東軍も持っていない。仮に日本軍お下がりの二枚翅の一式戦で駆け上がったとしても、この高度まで上昇するのに40分前後は懸かるだろう。だが、そのとき敵機は早々と退散している筈だ。その後に駆け上がったとしても、いまさら何の意味があろう。
 甘木少将はこれを日本に置き換えて考えた。
 B29は高度1万メートルの高々度を巡航する。日本の戦闘機ではこの位置まで上昇するのに、零戦で30分前後は懸かる。B29は高々度を悠々と巡航する。そして懸念は、満洲を空襲する場合、攻撃目標は単に主要都市だけなのだろうか。満洲経由で、これが日本内地に及ぶ可能性もある。その懸念はないとも言えない。
 更にもう一つ泛
(うか)び上がってくるのは、満洲空襲の総仕上げとして、東京大空襲の計画を、米国は考えているのではないかという危機感である。その懸念は大いにあろう。
 『梟の眼』はナチス独逸
(ドイツ)の信管が「ペーパークリップ作戦」で、これが米国に移動して、ナチス独逸の技術者が加担したこと情報を入手していた。米国FRBがナチス独逸を支援して、貸付金を回収するというペーパークリップ作戦を知っていたのである。広島に投下されたリトルボーイは、ペーパークリップ作戦で完成された原子爆弾であった。
 無慙
(むざん)に人間が殺される。それも非戦闘員の何の罪もない赤子まで……。

 無慙に殺される死の虚しさ。遣り場のない悲しさ。哀れは此処に尽きる。
 正視するには忍びないという貌をして、布袋さまは腕を組んだまま宙を睨
(にら)んでいた。
 甘木正広少将が始めて戦争に参加したのは、日露戦争開戦時、21歳で陸軍士官学校出たての少尉に任官した時だった。戦地に向かう輸送船の中で見習士官を経て、陸軍少尉に任官の宣誓をした時であった。
 この成り立てほやほやの陸軍少尉は、若山牧水の「幾山河越えさりゆかばさびしさの、果てなむ国ぞ今日も旅行く」が好きで、戦地に向かう輸送船の中でも、よく愛誦
(あいしょう)していた。年齢の同じくらいの兵隊にも、よく愛誦して聴かせていた。威張らないから、兵隊受けもよかった。

 戦地に向かう兵士は、将校も兵隊も、みな精一杯生きて、生を全うして生きたかった筈だ。そして戦地で目の当たりにした若くして死んで逝く惨
(むご)たらしさに何度涙したことか。甘木少将は同時を思い出して「惻隠の心」を、胸に新たにしたのである。
 また多くの命が喪われる……。これを懸念した。
 途端に布袋さまは不機嫌で、深刻な貌になった。沈痛な貌であった。心を砕いている苦慮が漂っていた。こう言うのを惻隠いうのだろう。弱い者への憫
(あわれ)みである。このときに強く意識したのが「武装非戦論」であった。百年兵を練って、防備を固め、然(しか)も戦わないのである。

 会議は『空龍』の航行状況であった。
 「自分としては、本日の離着陸訓練は成功と考えます。緊急課題は『空龍』の航続距離の正確な把握と、明日に控えた着水テスト飛行でしょう。これにパスしないと、日本まで飛ばせません」起立して、発言をしたのは鳴海信吾技術少佐だった。彼は緊張した表情で発言した。一刻も早くという姿勢が感じられた。

 「では、着水時の防禦は無防備でしょうか」アンが発言した。
 彼女は飛行艇操縦の経験がない。
 「実はですなァ。『空龍』には潜水艦から攻撃を受けた場合、魚雷探知装置を艇底に装備してあるのです。つまり、艦船と同じように水中音響機器
(sonar/sound navigation ranging)を装備しています。本機から超音波を発信して魚雷を探知し、また着水時には潜水艦などの位置を確認することが出来ます。ただし本機からの反撃能力は皆無です。重量が増すため、爆雷投射機等の対潜兵器を装備しておりません。万一、海中から攻撃された場合は、早期警戒・早期発見して、発見後、逸早く飛び立つ以外、策はありません」防禦についての鳴海技術少佐の言である。

 「また着水時の早期警戒・早期発見をエア・ガールの諸君にお願いしたいと思います。勿論コックピットからの警戒も怠れませんが、後ろに眼は付いていません。しかし『空龍』には客室の左右に旅客窓があり、後尾には展望室を有していますが、此処からの警戒も、着水時には必要かと思います。この機には二式大艇の名残があって、かつて銃座を据えつけて居たところは展望用の防風窓があり、此処から上空への警戒が可能です。つまり着水時は前後左右、そして上下に対して警戒態勢をとることができます」
 こう切り出したのは、犬塚勉技術大尉であった。

 昭和19年に7月末、戦争は完全に立体戦争になっていた。
 これに伴い、戦術も立体戦を考慮しての体勢でなければならなかった。上空は勿論のこと、海上及び海面下のことも、哨戒厳重が物を言う時代になっていた。
 『空龍』には、三次元立体戦争の縮図の中で揉
(も)まれる運命が定義付けられたようである。


 ─────会議はコックピットクルーにまで及んでいた。燃料の消費の問題である。それは同時に操縦法の問題でもあった。また燃料は、日本軍の深刻な問題でもあった。問題はそこに凝縮されていたのである。同時の『空龍』の設計思想にまで触れていた。
 航空機の運航と言うものは、単に座席に坐っていればいいと云うものではなく、また操縦者なら、その移動手段について、いかに取り扱うか、それ自体に重要な意味を持っていた。
 大日本航空では、これまでの双発の九七式輸送機を旅客機に改造したものを使用して来た。
 ところが、これから大型四発飛行艇を、東京・新京間で飛ばそうとするのである。当面の課題として、長距離飛行のための燃料提言が問題視され、この解決法であった。主旨は燃料節約と機械類を相指しての効率のよい飛行機巡航である。
 それには先ず、燃料消費効率の高い発動機の回転速度を問題にしなければならない。燃料低減のためには、如何なる確認が必要であるかを考えねばならない。
 回転速度は毎分千七百回から二千回の間で、その効率度を確認しなければならない。そうなると高度4千メートルと、8千メートルの巡航では当然燃料の消費量が異なって来る。高度によって回転速度が違って来るのである。
 仮に回転速度の千八百回程度に抑えるとして、気化器の高圧弁を燃焼爆発の不調寸前にまで抑え込んでいなければならない。この値を維持しながら高々度の巡航を維持するとなると、操縦士と航空機関士の密接な連係
(combination)が良好に図られていなければならない。しかしこれは、高度が四千メートルと推移しての計算となる。

 では高度を上げて、8千メートルを巡航基準にするとどうなるか。
 そのデータがないのである。四発大型機を航行するのは、今回が始めてであるからだ。
 『空龍』を四千メートルまで上昇させるのは、おそらく最速でも20分前後を要するだろう。
 では、8千メートルでは?となる。
 この高度で実際に飛行した四発機のデータがないのである。これまでの東京・満洲直行便は、高度4千メートルを維持しての航行であった。
 高度については何一つ明解にできる根拠はなかった。例えば、高度が上がると人間は思考的には、簡単な判断力も難しくなり、その能力が鈍ることも考えておかねばならない。併せて燃料である。

 高度4千メートル、発動機の回転数が千七百から千八百回で飛行した場合、燃料の消費量は発動機1機当たり一時間に約60リットルであった。これは熟練パイロットが操縦しての燃料消費量である。
 この『空龍』はおおよそ4,000リットルを呑む。燃料だけで重さは4,000kgである。
 しかしこの量は、現実には長距離飛行に入った場合、飛び立つ時間が経過するにつれ、燃料は徐々に消費されるため、機体の重量も徐々に軽くなって行く。こうなると、時間当りの消費量は軽くなるため、低減して行くことになる。しかし残念なことに、四発機の燃料消費量の予測がつかないのである。
 万一、途中で燃料消費が増大して、ガス欠状態になり、不時着するような事態が起これば、その後はどうなるのか。
 これは陸地の場合と、海上の場合は異なるであろう。その後の燃料給油に、どういう手段があるかも考えねばならなかった。
 『空龍』は高翼飛行艇である。翼が胴体の背の部分にある。胴体が翼を背負っている。そのため発動機も翼の上部に設置され、この配置は水上飛行機特有の構造である。着水した場合、プロペラを海面に接触させないための配慮である。
 満洲新京と横浜港を結ぶ空路を巡航する。飛び立つ時は陸地を離陸し、降りる時は海上を着水する。この離着陸が、これまでの運航とは全く異なっているのである。
 また『空龍』は四発大型飛行艇である。これまでの東京満洲直行便とは根本的に異なるのである。この異なりを示すデータも、機械性能に関する資料も、何一つなかったのである。
 そして白熱した議論が繰り広げられていた。


 ─────『空龍』は無事着陸し、今は整備員の手に委ねられていた。
 滑走路から牽引車で、格納庫に曳かれて来たのである。これから機械のメンテナンスが始まる。
 整備員たちは『空龍』を取り囲み、機体下には、発動機の架台や分解したパーツを収める整理箱が運ばれて来ていた。格納庫の天井には走行型のクレーンがあって、四機の発動機の真上で停止し、これから動作確認の点検を始めようとしていた。
 整備員の一人はコックピットの操縦席に乗り込み、発動機の火を入れて、プロペラの回転具合を点検するようである。操縦席に坐った整備員は、スロットルや混合器レバーを操作し、低速回転させて、給気温度などの調整を検ていた。この光景を遠望してみると、大きな『空龍』に整備員たちが、あたかも蟻が四方から群がるように取り憑いていた。
 整備員は全員が聲
(こえ)を出しながら、計器類を点検していた。時には分解しなければならないだろう。この作業が深夜まで続けられるのであろう。あるいは徹夜だろうか。


 ─────会議は一旦休憩に入り、一堂は一時解散することになった。
 午後の木漏れ日は柔らかく、差し込む木陰のベンチで笈
(おい)を枕にごろりと横になった漢がいた。津村陽平である。この奇景、一見すると仙人が横たわっているようにも映る。その風体は人骨人相卑しからずと雖(いえど)も、少なくとも福の神ではない。限りなく貧乏神に近い。しかし貧乏を気にしない座敷童(ざしきわらし)のような小型の神であった。
 満洲の夏は日本に較べて短い。外では蝉時雨の物憂
(もの‐う)い午後であった。
 津村は一人仰向けに横たわりながら、楡
(にれ)の木陰からの木漏れ日を愉(たの)しんでいた。木の葉の隙間から、紺碧(こんぺき)の空を見上げていたのである。その風体はどこか仙人然だった。
 道教支持者の福禄寿は思う。縦長のデカ頭には凡夫
(ぼんぷ)には及びもつかない「智」は詰まっている。
 その「智」が、想うことがある。
 破壊のために費やされる気力の、何と無駄なことであろうかと。無分別の「智」はそのように夢想する。
 人間は物を創造
(つく)ることに費やされるエネルギーよりも、物を破壊する場合に費やされるエネルギーに流れる力の方が遥かに大きい。戦争でも騒乱や暴動でも、その破壊者は、そのエネルギーの凄まじさに一時期酔う。またその気力に憑(つ)かれる。

 負のエネルギーに憑衣されて、喜々としてひと暴れする。普段から押さえつけられた鬱積
(うっせき)したエネルギーは、感情にも相乗している。相乗現象を起こして、一気に爆発することがある。暴動も似たような負のエネルギーから起こるものだ。
 気力の対象が何であれ、噴出される破壊エネルギーに、大衆は酔い易いものである。その場合、洋の東西を問わず、破壊者は子供のように短慮になる。
 何と愚かだろう。何と子供染みているのだろう。老荘子思想を貫く津村はそう思う。
 戦いでも、一手先の読み違いで、戦況が思わぬ方向へと傾くことがある。そしてその方向に流れ始めると、もうそれを止めることは容易でない。流れが激流化するからだ。激流化して荒れ狂うからだ。
 これを鎮めるのは容易でない。感情に慣性の法則が働くからである。基本的なニュートン物理学で言う「運動の法則」である。
 「運動の法則」の第一法則。静止または一様な直線運動をする物体は、力が作用しない限り、その状態を持続する。これを「慣性の法則」という。

 この度の大戦において、連合国も枢軸国も、双方とも読み違ったが、勢いを強引に掴み取ったのは連合国側であった。そして後者は大きく読み違った。
 特に日本は、その読みの外れが大きかった。この読み違いで、日本は、天地の理
(ことわり)を妨げてしまったのである。
 世界は十八世紀後半から、おおよそ一つの流脈により、人工的に誘導される構造を構築した。特定の意図を持った隠微なる集団が水面下で暗躍し始めたのである。
 それに大きく絡んでいたのが、資本主義の中枢を担う軍産複合体であった。兵器は消費財である。烈しく消費させることで軍産複合体は利潤の追求が可能になり、そこに余剰利益が生まれる。
 つまり資本家の儲けだ。
 金儲けのステージは、戦争と言う新機種の登場によって、不可解にも、戦争を浄化するという作用が生じたことであった。
 戦争を浄化することで、新しいシステムが造られ、しかし一方で、全体のバランスが崩れる、危なかしいリベラル・デモクラシーが戦場を浄化すると言う不可解な現実が生まれた。

 先の大戦は、こうした拮抗が崩れての、危なかしいリベラル・デモクラシー
(個人主体的自分ファーストの自由主義)を表出させたことであった。世は、デモクラシーを標榜する個人主義へと傾くことになる。
 これは持てる者と、持たざる者との経済格差を生じさせた。上層と下層の極端な格差が生まれた。
 更に追い打ちを掛けて天変地異が襲った。冷害による農村の極貧がこれを雄弁に物語っていた。農村からの身売りする少女はあとを断たなかった。
 当時の日本では、昭和の幕開けとともに冥
(くら)い出来事で始まった。
 世界的な異常気象。世界的な経済不況。火山噴火や地震や津波などの天変地異。多発する奇怪な事件や要人の暗殺。エログロ・ナンセンス。無政府主義。ファシズム。世の中の不穏。婦女子の誘拐。人身売買。これに戦争の昏
(くら)い翳(かげ)りが、至る所に影を落すようになっていた。
 大衆は分裂し、中心帰一の求心力を失い、幸せの青い鳥を他国へ求めるようになった。満洲もこうした現象の中から生まれた傀儡国家であった。以降、日本は神風が無風状態になってしまった。

 神風の吹く国・神国日本。神国日本には、常に神風が吹いていた。
 しかしこの神風を聴く耳を持った戦争指導者は皆無であった。戦争指導者に祀
(まつ)り上げられた権力者どもは、神風より、西洋風の体系主義に入れ揚げ、かつ固執した。東洋の陰陽の理を知らず、傾きを観ず、中をとって、独逸と伊太利亜(イタリア)の太鼓持をしたのである。遊客の機嫌取りしか出来なかった。斯くして日露戦争で有利に働いていた日英同盟は破棄されることになる。爾来(じらい)日本は軍国主義に傾いた。
 そして当初、独逸の快進撃に魅
(み)せられ、翻弄(ほんろう)され、高級軍人どもは血迷った末に、強者に甘えることを覚えた。そしてこれ以上、甘えることが罪であることを知らなかった。

 人間は甘えることを考えると、直ぐさま虎の威を借りた如くに付け上がり、転じて、しばしは逆運を喰らう羽目になる。
 この当時の日本は、独逸のワーグナーで侵攻する快進撃に甘えた。この甘えは今日では、アメリカの傘の下に潜り込み、この国の軍事力に甘えて、世界から逆運を喰らう羽目に陥っている。
 こうした事実は、これまで幾度のなく確認されている。
 時代を遡
(さかのぼ)れば、当時の津村陽平も、為(な)して仕上げるべき事柄と考えていたようである。彼の“山こかし”は、そこに起因する。

 「先生。午後のお昼寝ですか」
 聲を掛けたのはアンだった。
 津村は彼女の聲に、むくっと起き上がり、「わが輩に何か?……」と訊ねて、「退屈なさっているのではないかと思って」と気遣うようなことを言った。
 「いえいえ、とんでも御座いません……」
 「では、お散歩でもなさいません?」
 「散歩ですか、いいですなァ」
 「でも徘徊なさっては駄目ですよ」
 「いや、そこまでは箍
(たが)は外れてはおりません」
 「今から外されるのでは?」
 「順逆の道ぐらい知っています」
 この“順逆”の意味は、どういうことを指すのだろうか。

 「先ほどの先生の妙術、お見事でした」
 「どんだ寸劇をお見せしまして」
 「決して寸劇などでは御座いません。わたくしには驚きでした」
 「即興の茶番劇、そこまで煽
(おだ)てられては弱りましたなァ
 「熊さんを去
(い)なした勝負、結構な、眼の保養になりましたわ。ところで先生、わたくしにも一手」
 「いやいや、そんな大したものではありません」
 「では秘訣を」
 「心得るべきは、剣は何も力だけに頼るものではありません。力を用いて斬れば、わが輩如きは剣に振り回されます。力の剣は無用なもの。剣には、心で斬る剣もあるのです」
 「心で斬る剣?……」
 「さよう。心の剣で、相手の心を斬る。これはわが輩が、少佐殿から教わったことです」
 「わたくしが、いつ?」
 「先日、満州に来る際の乗った飛行機で少佐殿は海面すれすれの雑巾掛けから、左へ左への横滑りの状態を作られた。そして左旋回して、自己暗示で窮鼠
(きゅうそ)になられ、一気に上昇なされた。
 あれこそ、わが『津村流陽明武鑑』で言う剣術でいえば、敵に後ろを追わせて、『振り向き態
(ざま)』という“横薙ぎの術”で御座る。これを『入身』と言えば宜しいかと。もう、すっかり修めておられる。わが輩如きが、何を教授することがありましょう」
 「でも、一手ご教授を!」
 「そこまで、せがまれては困りまりましなァ」
 「でも、一手!」
 「さてさて、どうしたものでしょう……」
 「どうしても、一手!」
 「そこまで申されるのなら、教えてしんぜよう。それは心の剣。この剣で、相手の心を斬りなされ。
 昨今は物に執心し、物にこだわる時代。そのためか、急速に心が失われています。しかし心が失われては、相手の心を斬る剣が使えません。物に眼が奪われれば、物から魅入られ、心が死ぬ。心が死んでは、心の剣は使えません。さて如何!」
 「意味深長なお言葉。実に考えさせられますわ」
 「力んでは駄目ですぞ」
 「何事も、こだわらず、力まずにですよね」
 「さよう。力んでは、心臓にも悪く、心臓肥大症にもなるし、第一、肛門にも悪く、痔にもなる」
 「えッ!なにか最後のオチがいただけません」
 「だが、事実です」
 アンはこれを聞いて妙な貌になった。話が暴走しそうである。下ネタの気配を感じて、「品」が下がっているのではないか、その懸念をしたのである。

 「では、心の剣を遣うに当り、心構えをお窺いしましょう」
 「天に愧
(は)じず地に愧じず、そして人として愧じない行為をする。その行為に偽りは禁物。『孟子』(尽心‐上)にある通り、『仰(あお)いで天に愧じず、俯(ふ)して地にはじず』です。これを『俯仰(ふぎょう)天地に愧じず』といいます。視られている。それは天から視られ、地からも視られている。その視られている自分に『愧じは無いか』と点検し、愧じがなければ、それが心の剣となる。
 人間は同胞に対しては、愧じない生き方をしなければならない。
 仲間を裏切り、欺
(あざむ)き、偽り、騙し、奪い、盗み、酷使し、家畜のように使役してはなりますまい。
 人は総て、みな同等・同格。それに上下はない。役職や階級は仕事をしている時だけが有効。それ以外は、みな同等・同格。仲間とは、そう言うもの。同胞とは、同等・同格をもってその庇護下にあるもの。
 仲間に欺瞞
(ぎまん)は禁物。もし在(あ)らば、この愧じが『兵は詭道(きどう)なり』を曇らせ、効力を無効にしてしまう。詭道は敵に対して向けるもの。同胞に向けてはなりますまい。
 欺瞞
は決して味方に向けないもの。そのために、敵味方の識別をハッキリ付けねばなりません。敵味方の識別があって、はじめて『兵は詭道なり』が働くもの。宜しいかな」
 「先生のお言葉、有難く頂戴致しました」

 津村陽平は思っていた。
 いま大陸の黄土の大地に居る。この大地の気から感じられるエネルギーは、何だろうか?……と。
 そう思うと、好奇心漢は興味津々のなるのである。
 津村の脳裡に直ぐさま浮んで来ることは、堯舜
(ぎょうしゅん)の風を学び、禹湯(うとう)の徳を抱く、そういう徳の貴人がいつのではないか?……と、そこに行き着いてしまうのである。
 もし居
(お)らば、身を屈して貴人を招き、己を粗にしてその人を貴ぶ。その人は何処に?……。貴人に去られて、冥(くら)きに向かわせるは愚なり!……。そのような反芻(はんすう)があった。
 今し方の転
(うた)た寝の中で、そういう啓示を受けたのである。
 アン・スミス・サトウという英国王室ロイヤルファミリーの姫はどうだろうか。
 確かに貴人である。貴人ならば身を屈して、招き入れ、己を粗にして貴ばねば……。好奇心漢の率直な感想である。

 「先生。此処は平和ですねェ、ほんのひと時かも知れませんが……」
 「平和とは、戦争と戦争の相中
(あいなか)に訪れた、ほんの瞬きの如きの憩いです。その憩いは壮大な宇宙から見れば、瞬きであり、刹那です。人の一生など、一瞬に過ぎますまい。
 しかし、人はこの一瞬の刹那
(せつな)に無駄なエネルギー、つまり、これを負に転嫁させて、憩いの瞬きまで争い事で埋めてしまう。愚かですな、有史以来人類とは……」
 「意味深長というか、深刻ですねェ」。
 「そして分っていながら、また、分りきっていると豪語しながら、同じ轍
(てつ)を踏む。尋常(よのつね)の人の世とは、所詮(しょせん)こういうものだが、これを軽々しく検(み)ては間違いですぞ」
 「敵を知るものは勝つ……ですか」
 「そして人を知るものは勝つ!」
 「先生の教えに従えば、恐るべき敵を知ることは、恐れても決して怯気
(きょうき)でない……ということでしょうか」
 「さよう」
 「更に、先生の教えに従えば、鶏を割くに、牛刀を用いん……でしょうか」
 「さよう。少佐殿は、なかなか習得が早い」
 「それは、教える先生がいいからですわ」
 「そこまで煽てられると、わが輩としては、些か狂喜しますなァ。あたかも釈尊の掌の上で狂喜する孫悟空のように」
 「でも、先生。狂喜し過ぎて、釈迦の掌の上から、散歩と雖
(いえど)も、くれぐれも遠方まで徘徊なさらないように」釘を刺すように言った。
 「さて、これに確約出来ませんなァ」
 「どうして?」
 「此処は大陸。わが輩の見物したいところは至る所にある。まず喇嘛教寺院にでも訪ねて、タントラの女神や歓喜天にお目通り願いたいと考えております」
 「うム?……」彼女は歓喜天に何らかの反応を示したようだ。歓喜天は双身像であるからだ。
 「これは、ご理解の埒外
(らちがい)でしたかな?」
 「莫迦を言っては困ります」
 「では、ご了解頂いたことにしましょう」
 「それも困ります」
 「師は弟子の分からず屋を諭
(さと)して、それを理解してくれた時は嬉しいものです。ところが弟子が師の警告を無視して他に奔り、他に魅入られつつも、弟子面して、これはいい、あれは悪いなどと区別されると辛くなります。情けなさを感じます。習・破・離をご存知でしょうか」
 「習い事の手順と進歩段階を表した言葉ですね」
 「習の段階で、これを遣られると、特に堪えます。これまでの教えは何だったかと情けなくなって、総ては水の泡に帰してしまいます。これを師の終日といいます」
 意味ありげで、訳の分からないことを言った。

 「先生の教えを懸命に守ります。何卒、ご教導下さい」
 「教導も何もありません。ひたすら学ぶことは、これ、傀儡師の芸と同じ。自らを恃
(たの)みとして、ただ道をひたすら学ぶだけ。道を学ぶには、まず他人の模倣に始まり、人は他人から模倣されることで、総てが終わります。われながら適切に表現したつもりですが、如何でしょうか」
 「姿勢はよくわかります、しかし手段が不純ですわ」清冽
(せいれつ)な気品をもって言う。
 津村としては、タントラの女神を易々と口にしたことが拙かったと反省した。いらぬことは滅多に吐露するものではない。
 「これは手厳しい」
 「でも、それを理由に、放浪と言う徘徊をなさってはだめですよ」
 そのうち津村がふらりと放浪の旅に出る行動に釘を刺しているのである。
 この漢、道を乞うと称し、時として「散歩」という徘徊をする。やがて徘徊は放浪に変わっている。そういう漂泊癖がある。そう視られている。
 大陸では道を乞う場所が多過ぎるからである。飽きたら、退屈したら、漂泊の旅に出る。それが津村陽平である。そう視られていた。
 しかし、徘徊は準備段階にある。まさか彼女とて、津村自身の満洲国の旅券がラマ教の僧侶・暢伊仙
(ちょう‐いせん)であることは知るまい。この名前は、赤塔(チタ)の満洲総領事館に出向いた際に名乗った名前であった。官憲の検問も、この名前で通り抜けて来た。この名を捨てることはあるまい。津村はそう思う。
 「さてさて、弱りましたなあ……」

 一方、津村の脳裡
(のうり)には“山こかし”の構想があった。
 というのも、星野周作から受け取った分厚い記録帳の一部を通読していたからである。特に「M」の箇所が興味を惹
(ひ)いた。
 星野は日本陸軍の探偵であった。探偵が生涯を掛けて調べ上げた記録帳である。その記録帳に、万宝山の丘陵地帯のことと、内モンゴリア西部のモンゴル貴族と、更には喇嘛教との関わりが記していたからである。
 なぜ星野周作が沖禎介とともに喇嘛
(ラマ)僧に扮して、露国入国を企てたか明らかにさていなかった。
 不明な部分を推理すれば、黄帽派ラマ教の布教には、何か秘密があるように思えたからである。ザバイカル地方も、同じような秘密があるように思えたからである。ぜひ出向かねばという気持ちがある。

 更にM資金の「M」は何処かの地名を指している。「M」が何故か気に掛かるのである。
 この「M」は最初、満洲の「M」と思ったり、種々の謎解きをしてみたが「M」の実体が分らなかった。そして万宝山に思い当たったとき、星野の記録帳には、万宝山の名前が矢鱈多く出て来るのである。
 万宝山も「M」である。これに何かあると思ったのである。
 そのためには散歩という名の、徘徊をせねばならないと考えていたのである。万宝山に謎解きに出掛けなければなるまい。その調査に懸かる予定であった。そしてコジツケは、画家を模してのタントラの女神の拝見であった。これを不純と視られたのかも知れない。
 しかし津村が思うのに、タントラの女神には何か意味がありそうの思うのである。この女神を、津村の見解と、アンの卑猥視とは雲泥の差があった。
 要するに津村は、この件に関しては卑猥漢視されていたのである。この神は、魔王と交会
(こうえ)をし、露骨で凄まじい女神であるからだ。


 ─────そう言う時である。
 「先生!美雨
(メイユイ)を扶(たす)けて下さい」満人の少女と仲良くなった室瀬佳奈であった。息を切らせて掛けて来たのである。
 「うム、美雨?……」津村は急にそう言われても釈然としなかった。誰のことを言っているか、分らなかったのである。
 「満映
(満洲映画社)の化粧係の娘(こ)なんです。監督さんから、『もうお前は馘(くび)だ』と言われて叱られています。先生、どうか美雨を……」と懇願した。
 佳奈の言は、《彼女を何とか扶けてやって下さい》という意味である。
 こう聴いて津村は、膝を叩くように、はたと思い出し、《そうか、あの娘の名は美雨というのか》と記憶に留めたのである。そして、ふと「惻隠
(そくいん)」の二文字が泛(うか)び上がった。

 美雨は高麗鼠
(こま‐ねずみ)のように、まめまねしく働き、動作も機敏で、律儀で、気の利いたところを見せるが、少しばかり無口で、しばしば不機嫌と受け止められ、無愛想な娘だと仲間からも陰口を叩かれることがあった。いい娘であることには違いない。津村はそう検(み)て居た。
 しかし彼女は、人に後ろ指を差されても仕方のない身分だと諦めていた。寒村の貧しい家の娘であった。彼女は自身で、そのように踏ん切りを付けていた。津村にはそのように映った。
 ところが、どうした訳か、これを見間違えた相手がいた。
 佳奈とは不思議に気が合うのである。話も弾んだ。今日ばかりは水を得た魚のように、極めて歯切れのいい口調で話をし、相互に笑いを交えながら、だべっていた。そう検た漢がいた。猪口である。
 この漢は厳しいところがある。それだけに、映画に打ち込む執念は凄まじかった。
 佳奈と美雨の笑談……。
 この二人を遠望した監督の猪口は、自分の仕事を忘れて無駄話をしていると捉え、またいつもとは異なる美雨の後始末の悪さと、次の撮影のメークに怠ったとして、怒り心頭に来ているのである。
 「お前みたいに杜撰
(ずさん)な仕事をする奴は馘(くび)だ。満映では要らない。直ぐに辞めてしまえ!出て行け!」と激怒しているのである。
 佳奈が懇願しても、猪口と怒りは収まらなかった。そこで津村に、急遽
(きゅうきょ)懇願の依頼となったのである。
 そこで、津村としては《何処でだ?》となった。

 佳奈に案内されて、津村とアンが簡易楽屋に直行すると、美雨は猪口の罵声を浴びていた。美雨は馘を言い渡される寸前であった。
 それでも美雨は、ひたすら頭を下げ続け、眼に一杯涙を溜め、馘撤回を請うていた。
 「ここを辞めたら行くところがないんです、お願いです。どうか此処
(満映)に置いて下さい」彼女は眼からは大粒の涙がこぼれていた。必死に懇願していた。
 「だめだ!」
 「もういいではありませんか、猪口さん。あなたも辞めさせるとは、実のところ、本心ではないのでしょ。
 今どき、こんないい娘は居ませんよね、金の草鞋
(わらじ)を履いて捜しても……。それは、あなたが一番よく知っている筈だ」
 「はァ」諭されて、些か怒りが収まっていた。
 津村は猪口の心情を早々と読んでいた。
 「よし美雨さん、馘は撤回です。監督さんがそう言っている。美雨さん、安心しなさい。これからもずっと此処で働いていいと言ってます」
 「少尉殿には参りましたなァ……。いいか美雨、もう一だけチャンスをやろう。同じ轍は二度と踏むなよ。これから仕事だ。次のロケの準備をしろ。女優のみんなを遊ばせるんじゃないぞ」
 この御仁は、人使が荒い。女優でも何でも扱
(こ)き使う。そして一時も遊ばせない。
 「はい!」美雨は涙を拭って、元気な返事をした。
 彼女は満面に笑顔を綻
(ほころ)ばしながら、元気な聲(こえ)を発してスキップしながら走って行った。
 それは、あたかも水を得て蘇生
(そせい)した魚のようにである。
 「先生、有り難う御座いました」佳奈が美雨に代わって礼を言った。
 二人とも未
(ま)だ少女の域を出ていない。
 その後ろ姿を視て、一度は叱った美雨だが、彼女を何とか守ってやりたいと、猪口は思うのだった。この漢にも惻隠があった。

 人は話せば分る。
 しかし、それは相手が聴く耳もってのことだ。聴く耳を持っていなければ、神の囁
(ささや)きすら聞くことは出来ない。そして囁きを聞くには「惻隠の心」がいるのである。
 津村は思う。
 いま蝉が夏の終わりを告げて、狂わんばかりに哭
(な)いて蝉時雨を降らせて居る。この蝉に聲(こえ)も聴く耳あってのことである。
 戦局は益々悪化の一途を辿っていた。いかに大本営発表が言い繕
(つくろ)っても、それが国民生活に、悪い方向に反映していればその嘘は容易に見抜けるものである。大本営発表など、本気で信じる者はいなかった。日本内地では日増しにその深刻さが深まり、困難は増大しつつあった。
 しかし満洲国では、撫順
(ぶじゅん)や奉天などに、蕋江(しこう)や衡陽の発進基地から飛び立ったB29の空襲があったとは言え、日本ほどではなく、また一般市民の食生活も比較的豊かであった。まだ飢餓の憂き目を見ていないし、食料品は配給品でなく自由に手に入った。満洲は多くの物資に余力を残していたのである。
 深刻な経済状況の中、満洲は「日本の生命線」と言われた所以である。
 日本が大東亜戦争を戦うにおいて、満洲は経済的には大いに日本の貢献していたと言えるし、もし当時の日本に満洲がなければ、先の大戦を戦う経済力は無かったであろう。戦争とは猛烈に金を啖
(く)う産物であるからだ。これは日露戦争をするに当り、資金面は大いに困窮していた。軍資金がなかったのである。それを時の日銀総裁の高橋是清(たかはし‐これきよ)は国際ユダヤ金融資本である英国の金貸し「ヤコブ商会」から借りて戦ったのである。

 1904年、ヤコブ・シフはロンドンで高橋是清と初めて会った。
 日露戦争の際に、当時の日銀総裁だった高橋是清が戦費調達に走り回っている頃、アメリカでは日本の国債を誰一人買おうとしないときに率先して買い、またユダヤ人銀行家に日本国債を薦めて廻ったのは国際ユダヤ金融資本の勢力だった。しかし、アメリカでは殆ど強力な資金援助は成就しなかった。こうして支援成就を据え置いたのは、国際ユダヤ資本の意図があったからであろう。そのために高橋はニューヨークを跡にし、あるユダヤ人の勧めでロンドンに向かうことになる。
 金貸は慈善事業でもないし、また善意に溢れた慈善家でもない。貸したものは必ず回収する。これが金貸の偽らざる姿である。


 ─────当時、日本の官吏登用制度は曇っていた。野に遺賢なしと見縊
(み‐くび)っていた。
 しかし実際には、野に人材は豊富にいたが武力の猛威に翻弄
(ほんろう)されて、欧州戦線でナチス独逸の快進撃にすっかり酔わされてしまった日本陸軍は独逸と軍事同盟を結ぶことを熱望し、やがて海軍まで、その酔いは廻っていた。斯くして日本は軍国一色になる。
 つまり、日本は真物の血の勝負師ではなく、軽薄な売り言葉に買い言葉の路上の喧嘩師を模倣することになるのである。戦争指導者に戦争観も戦争目的も不在のまま、中国戦線を大陸全土、はたまた太平洋にまで拡大してしまったのである。

 政治家は大正・昭和の過度期、時代の移り変わりに鈍感で、一方軍部は平民軍隊官僚が幅を利かした。
 戦前・戦中のわが国では、三大難関があった。一つは“高文”という高等文官試験で、今日の国家公務員採用I種試験である。これに匹敵するのが、陸軍士官学校およびに海軍兵学校の入学試験であった。この三大難関を合格した者には無条件で平伏した。批判すら慎んだのである。その無批判が、やがて官僚をのさばらせることになる。官僚の欠点は吹き上げた。そして5.15事件や2.26事件を経由して軍人独裁の世の中へと変貌した。
 更に悪いことは軍人独裁政治が、戦争観も戦争目的も不在だったことは、日本を地獄の淵へと引き寄せて行った。ずるずると虎口に引き摺られるようにである。

 もうこのとき戦争への流れに歯止めを懸ける賢者は、日本には居なかった。居ても、官憲の暴力を怖れて沈黙した。三猿となった。見ざる・聞かざる・言わざるを通した。
 その結果ナチスと結託して、日・独・伊三国同盟を締結した。昭和15年9月、日本は日・独・伊防共協定を発展させて三国同盟を結んだ。そしてこのことが、米英との対立激化を招き、大東亜戦争へと突入することになる。
 だが日本は米国と違い、先任主義が禍して、次席の人材や野に隠れた人材は無視されて登用されることが殆どなかった。
 いつの時代も人の中には人は居るのだが、それを見出す者がいなかった。また有能な人物がありがら、それを用いる組織が悪くては、有能な人物でも無能になってしまう。
 吉田毅は有能な人物であったが、彼を用いる組織が悪かった。それで予備役に廻された。その意味では鳥居元も同じだった。
 しかし『タカ』はこれを見逃さなかった。炯眼
(けいがん)で猟り、仲間に取り込んだのである。その時の猟人が沢田次郎だった。こうして『タカ』メンバーは、『空龍』を飛ばすために智慧を捻っていた。

 こう言う時に怒鳴り込む一団があった。
 「貴様ら、いったい此処で何を談合している!」
 割れ鐘のように怒鳴る者がいた。穏やかではない。
 乙祢
(おとね)益次郎という漢だった。この漢が部下三名を引き連れて乗り込んで来た。その凄まじさは殴り込みを髣髴とさせた。肩には参謀肩章を吊っている。関東軍の参謀である。
 今から、いちゃもんが始まるところだった。


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