運気 八門人相 房中術 癒しの杜 菜根譚 小説 会報Back No. 合気 蜘蛛之巣伝 死の超剋 霊的食養 心法
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続々 壺中天・瓢箪仙人 9

人間を観るには、「検(み)る」を含めて、人相を研究するのが一番であろうが、この研究に没頭すれば一生涯掛かってしまう。そこで、まず基本を心得ておくべきだと思うのである。
 その基本は、人間に備わっている根幹に「福相」か「凶相」の違いを知り、それを読んで、まず人間を観る基本学習を心得ておくべきである。

 人間社会は、持てる者と持たざる者で、ある程度の割合で分離しているが、その中で注視すべきことは、地位・財産・名誉・美男美女を所有していることでなく、その所有者が「格」を顕す福相か凶相かを観ることである。人物の観相を全体像から確
(しっか)り観ることである。観るとは、則(すなわ)ち検ることである。内面まで読むことである。そして検る場合の物差しは「礼儀」である。その人物の人間性を礼儀と言う物差しで計ることである。
 この物差し無しで人物を評定すると、往々にして誤りを犯す。

 つまり一般人は人物評定をする場合、ただ、好人物に見せかけていたり、愛想がよかったり、調子がよかったり、悪事を働かなかったり、見た目がよかったり、可もなく不可もなくのその程度の人間を「いい人間」と判断したりする。要するに外面判断で、外見の見た目で短見に、近視眼的に判断してしまう。外面判断で好人物と検てしまうのである。若者であれば、好青年と映るタイプである。
 だが好青年に見えたことが、その人間の実体でない。肝心なる深層部は表面偽装で、したたかに隠している。隠れて見えない。

 そういう人物の裡側を見抜けず、外側だけで判断する。例えば第一印象とか、その場の雰囲気やフィーリングなどである。
 しかしこの種に、「人物」と言える者は少ないようだ。
 一番分り易い例が、選挙候補者のポスターである。写真写りのいいポスターからの外面で判断すると、とんでもない愚者を選ぶことになる。また第一印象、雰囲気、フィールングなども同じである。赤心や至誠、また無私の心は一切皆無。人生の機微もなく、人を労る惻隠
(そくいん)も欠如している。
 “心、此処に非ず”を何十人、何百人集めて徒党を組んでも駄目である。勝つ戦も勝てない。

 この「検る」は、顔かたちの表面だけを観るのでなく、その人の考え方や性癖、立ち居振る舞いや思想などの内面部分の、更に深層部の中を読み取ることである。
 その一方で読みが浅かったり、これを見逃すと、以降の人生は大変なことになる。併せて「風
(ふう)を読む」ことが出来なければならない。風向きを知ることである。


●経済圏と位置づけられた満洲国

 人間は自然界の中で最も適応力を持った生き物である。
 どんな環境、どんな境遇、そして危険迫る状況下にあっても、それが飛び道具や火器などで直ちに生命が奪われる殺人的な境地になければ、ほぼ柔軟に対応できる。時間経過の慣れが、そうさせてしまうのである。既に慣れは、この洞窟の中でも起こっていた。環境に慣れて、そこで腰を落ち着かせてしまうことである。
 だが慣れ過ぎると長居してしまう。腰が重くなる。足も遅くなる。遂には歩くのを止めてしまう。
 雪山までの遭難などが、これに近い環境である。雪山の道で迷えば、歩くのを止め、その場に停止し、坐り込んで、やがて眠気が襲って来る。その心地よさに慣れて、いつまでもそれに浸りたいと思うようになる。安堵の錯覚である。そこに蜃気楼
(しんきろう)のような現象が起こる。
 それを防ぐには足を止めてはならない。何処までも歩き続けねばならない。然
(さ)もなくば、死の世界に移入することすら慣れれしまうのである。慣れれば、再び娑婆での日の目は、視ることが出来なくなる。

 津村はその罠
(わな)の恐ろしいことを知っている。天蓋(てんがい)なき暗黒の虚空に幻を見る。明瞭でない視界に幻想が顕われるのである。
 だがこれでは生還出来ない。二度と地上には戻れなくなる。
 人間は環境に慣れれしまえば、死の誘惑すら阻めないのである。死の虜
(とりこ)にされ、魅入られてしまうのである。洞窟の中を歩くとは、一種の九泉(きゅうせん)旅行の冥界を歩くのに似ている。地底とか深海、あるいは前人未到の極地、超高山の山旅は言ってみれば、九泉冥界に出向くのと紙一重である。
 体力を極限まで駆使し、肉体を徹底的に苛め抜く。苦痛・苦悩を体験し、疲労も高まり、精神力も尽きて限界まで追いやられる。こうした瞬間に、ある弾みで死の誘惑に駆られることがある。ふらふらと近付き、誘い込まれることがある。
 それは限界を感じたからだ。心も挫けてしまう。

 体力に恵まれ、立派な肉体を持ち、驚異的な鍛錬を積み上げた人間でも、自分の限界に達し掛かると、これに触れずに回避することは出来ない。回避することを厳守するのは難しい。
 だが、津村にはそれがない。
 限界を回避する術を身に付けている。限界に触れそうになると、打つべき手を持っているのである。津村が手練と言われる所以である。見解に触れそうになると直ぐに回避してしまう。
 また他人が限界に近付いていることも読むことが出来る。それが手に取るように分かる。
 そして思う。
 洞窟を通過している一行は、いま意識朦朧
(もうろう)としている筈だ。併せて渇きを覚えている筈だ。これを回避せねばと思う。いま現在の課題はこれであった。

 「みなさん、此処で小休止しましょう」
 全員疲労困憊しているためは「どうして?」などの愚問は投げ掛けない。
 誰かが「小休止しよう」と言えば、足を止めて素直に従ってしまう。何も言葉を交わさない。何の疑問ももたない。限界に近づいている証拠である。
 これを回避せねばならないと思う。このままでは斃
(たお)れる者も出て来る。それは死を意味した。そうなっては危ないのである。
 「みなさん、喉が渇きませんか?」
 津村は妙なことを訊いた。歩き続けて、誰もが喉の渇きを覚えていた。一滴の水でも欲しい。誰もが喉が渇ききっている。野暮なことを訊くものだと思った。

 「だが残念なことに、此処には水がありません」と残念そうに言う。
 誰もが《分りきったことを言うな》という怪訝な貌を、一斉に津村に向けた。
 「でもですねェ、聞くところによると、この洞窟を抜けた直ぐ先に、梅の林があるそうですよ。そこには梅の実が撓
(たわ)わに実っていると言います。その実をもいで、口に入れたらどうでしょ。きっと酸っぱいですよね。その酸っぱさで、口の中は唾(つばき)が溜りませんか。その唾で、喉の渇きは忘れましょう。もう少しです、梅の林までは。では、また元気に歩きましょう」
 こう言って全員を励ましたのである。これこそが、限界に触れようとした時に、今一歩で回避する術だったのである。斯くして、難所と案じられた雑人溜りの中宮は突破することに成功した。

 人間の価値とは、外面にあるのではない。見て呉れにあるのでない。人物の価値は内面にある。見掛けの良さではない。
 だが、世の中には外面に騙される。意外にもイケメンや見て呉れに翻弄
(ほんろう)される人が多い。
 騙される場合の盲点は、裡側を評定する場合の自身の「物差し」がないからである。つまり「礼儀」と言う物差しである。この物差しを持たない人は、相手が無礼であっても見せ掛けに騙され、イケメンともなれば、悪党でも正義の味方となる。人格や人間性には関係なく、面さえよければ好人物で、善人と言うことになるのである。だが、そこに落し穴がある。邪
(じゃ)が潜む。裏に邪なる人格の自律性傷害が隠れている。
 ドメスティック・バイオレンス
(domestic violence)は、その最たるものであろう。

 物質至上主義の世の中、内面より、外面に価値観を求める人は多い。そのために内面を窺うことが出来ず、表皮の、見て呉れだけに騙されてしまうのである。人物評定の鑑定眼がないからである。

 礼節度。人を測る物差し。それは同時に心まで計る。
 心の裡
(うち)を計る、この物差し無しで、人を評定する尺度に遣えば、評定後の人物は最初の初見とは異なる人物像が顕われたりする。多くはクズであることだ。小人(しょうじん)と置き換えても言いだろう。
 小人の欠点を上げるなら、まず使命感が完全に抜け落ちていることである。自分主義であり、自分ファーストであり、自分優先を第一に掲げ、そのために社会に還元したりの、自分を抜きにした、自分を後回しにした「無私」の感覚が欠如していることである。ために他人より自分となる。自分第一主義である。
 そして金・物・色指向だから、損得勘定の打算術に長
(た)けている。
 その反面、寵辱
(ちょうじょく)すべを忘却し、功名ことごとく既に抛(なげう)つ……などの気持ちは持ち得ないようである。自分ファーストであるからだ。
 惻隠
(そくいん)の欠如である。労りや憫(あわれ)みの欠如である。これが抜け落ちていると、人を人とは思わない。最後には仲間内を騙(だまし、挙げ句の果てに裏切る。あるいは仲間を売る。人を検(み)る眼を持たないと、この手合いに為(し)て遣られることがある。安易に信用すると、まんまと欺(あざむ)かれる。自分ファーストを掲げる人間は、また失望を与える人間でもあるのだ。要警戒、要注意である

 例えば今風のサラリーマンに置き換えれば、会社の名前や会社を利用してポケットマネーを稼いだり、自らの醜態が部下にバレているのにも関わらず、その恥に気付かず、依然恥を曝
(さら)すような、羞(は)じることを知らない人たちである。これはその人間に礼儀の概念がないからだ。これが欠けた人間は、その非を衝こうものなら、凄い剣幕で猛反撥する。そもそも非が理解できないからである。
 また礼儀の概念が欠けている人間は、詩心がなく、ロマンがない。それは人間の器量は小さく、容量に余裕がないからである。
 器量の大小は、器の大きいほどよく、小理屈や姑息な打算が抜け落ちていて、無私が表面に出ている。
 人物の「格」としては上の部類で、余裕綽々
(よゆう‐しゃくしゃく)のところがある。余裕の修行が出来ているのである。
 東洋では、こういう人物を「風流人」と言った。風流の道に通じている人のことだ。

 風流とは、字から読み解いて「風」である。そして、その風には「流れ」がある。
 人間は単に功利のみに奔走せず、造化の妙に従って、精神的な境地を開拓しておくことも大事である。
 例えば、明代の劇作家の湯顕祖
とう‐けんそ/臨川(りんせん)という。著書で有名なのは『玉茗堂四夢』『牡丹亭還魂記』『南柯(なんか)記』『邯鄲記』の四編で、夢に因むものがある。1550〜1616)のような人物で、この御仁は、音律よりも文辞の美しさを重視したことで知られる。その一編に「有情」を挙げ、ロマンを語っている。
 「以て死すべくして而
(しか)して生き、以て生くべくして而して死す。此れを之(これ)、有情という」
 これが言えるのも風流人ならであろう。
 だが、自分主義、自分ファーストでは有情が抜け落ちている。他人より自分第一となる。小人の最たるものであろう。
 そして大人か小人を見分けるには、窮地に陥った場合のその差が歴然と顕われる。また「仁」において、顛沛時に以下に仁を行えるかで、人物が克明に顕われる。窮した場合である。

 既に論じたが、孔子が門人を連れて陳の国へ赴く際のことである。このとき兵乱に遭遇して食糧が欠乏し、またその煽りを受けて、門人達も病み疲れた。窮地に遭遇した。
 弟子の子路が、孔子に問うた。
 「先生、道を行う君子でも困窮することがあるのですか。これでは、天道さまの是非が疑われます」
 孔子曰
(いわ)く「窮するとは、道に窮するに非(あら)ず。いま丘きゅう/孔子のこと)は仁義の道を抱き、乱世の愚に遭っているだけだ。これを窮するとなさんや。もし食足らず、躰(からだ)まで瘁(つか)るるを以て窮すとなさば、君子、固(もと)より窮す。但、小人は窮すれな、ここに濫(みだ)る」と。

 小人は窮すると、心を乱し自暴自棄の陥り易いと指摘している。また衣食足らずして、いい加減なことを遣り始める。悪事にも手を染める。
 一方、君子は窮しても泰然自若としている。決して己を失うことはない。小人と大人の違いは、ここにあると教えたのである。これを聴いて、子路は貌を赤らめたと言う。自らの卑小さを指摘されたような気がしたからである。
 この問答からも、人間が窮地の陥り、それを如何に対処するかで「格」の高低が顕われて来る。
 窮するも、また「命
(めい)」である。その命を知り、大難に臨んでも少しも乱さない。この乱れのないことを「勇」という。勇は何も格闘技家の武勇伝だけに留まらないのである。暴虎馮河(ぼうこ‐ひょうが)ではお粗末だ。これに奔れば、蛮勇になって見苦しくなる。この見苦しさが小人に顕われるのである。
 失望が襲ったとき、失望に陥らず、失望から如何に心身を躱
(かわ)すかが「勇」なのである。

 更に忘れてはならないことは、「信」において、仲間内に対しては約束を違えぬことである。仲間は約束を違えて裏切らない。信用されていると言う自覚を持ったなら、信用する人間を絶対に裏切ってはならないと言うことである。
 「信」を何処まで貫けるかが、その人の「格」を決定するのである。

 だが「信」においても貫くのは、信頼において形成する仲間であり、それ以外は騙そうと、嘘をつこうと、謀ろうと、それは一向に構わないのである。
 そもそも仏の嘘を方便と言い、武将の嘘を武略と言う。この世は奇計が渦巻いている。如何に悟られずに、巧く騙すかにある。人の世は法に抵触しない計略で溢れている。合法、非合法を含めて、欺
(あざむ)く謀(はかり‐ごと)は兵家の常である。
 肝心なのは、敵味方の識別を明確にすることで、これが曖昧だと、仲間を裏切ることになる。仲間を裏切るのを日本では、卑怯者と言って蔑んだ。これこそ羞じであった。
 しかしこの世を見渡せば、善も悪も綯
(な)い交ぜで、清濁併せ呑む世界なのである。


 ─────「勇」を宿した漢が居た。津村陽平である。この漢、世の中の酸いも甘いも噛み分ける。風流人ならでのことである。
 事に当たっては細心大胆であり、遣ることは躊躇
(ちゅうちょ)ない。中途半端をしない。優柔不断でない。決断が早い。
 相手を呑んで、尻込みしない性格は心法の鍛錬の賜物である。豪胆と言えば豪胆である。そのうえ余裕を持っている。ユーモアも持ち合わせる。
 隠形之術
(おんぎょう‐の‐じゅつ)を心得ていて、仙人然としているため、一見人を喰ったように映り、俗世から遠く離れて飄々(ひょうひょう)として見える。その飄々の中に異能を宿している。
 現代人は文明の発達とともに、自己の備わった異能を退化させて来た。異能の変わりに道具を用いた。そして徐々に異能は喪われ、科学と言う名の物質文明を発達させ、物質主義を謳歌した。その物質主義から表出したのが兵器であった。兵器は古来より、敵も己も斬ることの出来る諸刃
(もろは)の刃(やいば)だった。

 近世になって、兵器は権力者が管理することになった。つまり政府が兵器を所持することが出来る。これは兵器イコール神と解せば、政府は神の手を得たことになる。この神の手をもって、権力者として政治を展開して行くのである。
 兵器は時代とともに小型化を図り、更には高性能化した。その意味では、諸刃の剣であった。斯くして、競って人類支配を企てる。
 フランスの思想家・モンテーニュ
(Michel de Montaigne)は人間性の深い洞察で知られ、彼は自然に則した生き方を善と考え、ソクラテス的な人生哲学に到達した。神々の時代を、偉大なる智慧の世界だったとの自己反省に至る。この中には異能力も含まれる。この時代、人間は鳥獣とも会話出来たと言う。遠方のニュースは鳥獣から教わって情報を仕入れていたと言うのである。
 奇
(く)しくも津村陽平は、その異能力を失わず、未だに宿していた。飄々に映るのはこのためだった。古代人のように足るを知っているので、身形にこだわらない。だが、ずぼらでない。

 粗末な衣服を身に着けているが、清潔で几帳面であり、その人品骨柄は卑しくない。小柄な体躯だが、褐色の膚
(はだ)は引き締まっている。表情には一片の曇りも、戸惑いも、また弛緩(しかん)もない。齢(よわい)とともに端正さを深めた品格を持っている。
 だが、この漢の欠点は、“調査”と言う好奇心を抱いていることでだ。時として、それが頭を擡
(もた)げ、遂には“散歩”と言う名の徘徊をする。この徘徊は、物事の実体を観ようとするからである。全体像を掴もうとする。そういう好奇心が働く。そのために好奇の対象は、周囲を徘徊することで、事の仕組みを察しようとするのである。マクロ像を知りたがるのである。その意味においては近視眼的でなかった。物事を短見視しないのである。全体像を叩き込んだ上で、実体を測ろうとする。隠形の術者ゆえである。

 長い地下の回廊を縫って、やっとの思いで地上に出てきた。思えば、暗雲との戦いであった。
 その中で全員が、肌に粟
(あわ)を生ずる恐怖を味わった。太い戦慄(せんりつ)を味わった。だが津村の励ましで、喉の渇きにも絶えた。あたかも『三国志』に出て来る「梅酸渇(ばいさんかつ)を医す」を彷彿とさせるものであった。現実の時間の中に、想像上の“梅の実”を割り込ませた。斯くして事態が好転したのである。

 「梅の実が撓
(たわ)わなっている林まで、元気に歩きましょう」
 この漢、粋なことを抜かしおった。
 だが、この言葉がみなに勇気を与えた。喉の渇きを一時的に取り去ったのである。これにより、全員は気力を取り込んだのである。気力を喪
(うしな)えば、全員その場で朽ち果てる以外なかった。
 梅の実の酸っぱさの想像が、口の中は唾
(つばき)で一杯にさせた。その唾で、喉の渇きは忘れさせた。
 人間は限界に接しそうになり、その限界を前に挫けそうになる人は多い。そこで限界を感じ折れてしまう。
 しかし、限界回避の術を知る者は、簡単に限界には触れることはない。迫っても見事に回避する。それは武勇の「勇」ではない。

 普通、「勇」を自称する者は、体力に恵まれ、立派な肉体を持ち、驚異的な鍛錬を積み上げた人間を想像するであろう。だが、この種も似非
(えせ)だ。
 何故なら自分の限界に達し掛かると、押され気味になって、これに触れずに回避することは出来ない。強靭な体躯の持ち主でも、限界を回避することを厳守するのは難しいのである。
 日本陽明学の祖・中江藤樹
(なかえ‐とうじゅ)が指摘するように、当時の武士の中には、ランクも上・中・下とあって、下の武士は平時でも鎧・甲冑に身を固めたような勇ましい素振りをして、言動も勇ましいことばかりを鼓舞し、“イザ鎌倉”となると、尻込みするというのである。
 このランクの上・中・下は身分を言うのでない。それぞれの武士の心の在り方を言う。したがって上級武士でも、心的ランクは下であったり、下級武士でも心の在り方は上であったりする。
 言及すれば、言うことはことごとく空威張りの豪胆無比を自称し、理
(ことわりに照らし合わせれば、暴虎馮河である。豪語して道理に合わないことを言い、虎と素手で闘い、大河を徒歩で渡るようなことを言う。然(しか)も強気一点張りである。また反省する態度もない。謙虚な至誠もない。いつも猛々しく勇ましいことばかり言う。
 しかし世の中には、寛大と言うか太っ腹と言うか、こう言う手合いが居たとしても「まあいいか」といい加減だ妥協をしてしまう小人も少なくない。気の小さな小人ほど、威勢のいい空威張りの武勇に騙され易いようである。
 これでは、やがて「剛を好みて学を好まざれば、その弊は狂」
(孔子の教学精神より)となり、あたかも時代が下って、戦時中の陸海軍の狂態を指摘しているようである。的(まと)を得た言葉である。

 だが、津村にはそれがない。
 全員を話術の中に取り込んで、梅の実への連想誘導が功を奏したのであった。なかなかの術者であった。
 またこの場合、夕鶴隊のエア・ガールに扮したアンをはじめとする五人の女性。それに吉田、亀山、そして兵頭。更には監督の猪口をはじめとする満洲映画社のスタッフ八人、並びに孫齢姫
(そん‐れいひ)指揮する八路軍の女性戦士四人が、津村の箴言(しんげん)に聴く耳を持ったいたからである。梅の実を連想し、よく聞き分けたと言えよう。
 こうして崩壊寸前の地下壕から抜け出せたのである。崩落寸前で、生き埋めにされる危機を、間一髪で躱したのである。
 しかし、思い返せば奇妙な一夜だった。
 ホテルから飛行場に来るのに何故、こうまでに無謀は方法を採らなければならないのか。これ自体が不可解だった。幾らプロパガンダ映画を撮影するにしろ、その撮影の仕方は他にもいろいろあるだろう。わざわざ危険極まりない雑人溜りを経由して、更には八路軍のアジトと思える場所を経由して、然もソ連の秘密工作員に狙われなければならなかったのか。
 返す返す反芻
(はんすう)しても、実に奇妙な一夜だった。しかしこの一夜を通じて、新京市内に暗躍する敵国の組織網の一部が明るみに出たのであった。南満洲鉄道の警備と称して鉄道付近に居座った日本人への敵意は日本人が考える以上に大きかったのである。抗日運動が起こるのも頷けることであった。しかし、統治する関東軍の策も、軍事に胡座をかいた構図であったから、古来よりの大陸の住民である五族、つまり漢・満州・蒙古・西蔵(チベット)・ウイグルの五つの民族に対し、理解を得ることが出来なかったのである。満洲国が僅か十三年で潰えた理由である。

 「よきかな……」
 太陽が貌を覗かせる白む空をみて、津村は思わず吐露した。
 この漢のよきかなは、よくぞ無事に此処までこれたという安堵を吐露したのかも知れない。このように吐露した津村の貌は、妙に柔和で、どこか幸福そうだった。
 「遂に出ましたねェ」吉田だった。
 「みなさんのお陰です」津村は目を細めて空を見詰めた。
 「はて?……」何のことかと思う。不可解に思って眉間
(みけん)に皺(しわ)を寄せた。
 「運命とは皮肉に富むもの。善くも悪くも天命次第。ところが、こうして日の目を見ることが出来ました」
 「それは津村さんのお陰です」
 「いやそれは違いましょう。出た目の善し悪しは時の運……」
 「なんと?」
 「ただ、天の下には人が居る。そこに居る人が、わが輩の言をよく聞き、用いて下さった。そのために悲惨な憂き目に遭遇せずに済みました。わが輩の仕業
(しわざ)ではない。みなさのお陰です。よく聞き分け、用いて下さった皆さんの成果。わが輩ではない」
 この漢が言いたかったことは、梅の実の話をしたのは自分だが、梅の実を連想したのは、皆さん方の脳裡だという意味である。馬を水呑場に連れて行っても、水の呑むのは馬であるという意味のことだ。その行動や連想は個々人に委ねられる。
 「なるほど、感服しました」
 「感服は、よく聞き分け、用いた皆さんにお願いします。わが輩に向けては、お門違いと言うもの」
 「いやはや……」吉田の眼は潤んでいた。
 「吉田予備役中佐」アンだった。
 「はい?」
 「魅せられましたね?」それは津村にということである。
 「?…………」
 「わたくしもです」彼女の眼は、朝日の光を浴びて清々として晴れていた。

 この二人の会話を鈴江こと孫齢姫
(そん‐れいひ)は、どういう気持ちで聴いていたのだろうか。
 奇
(く)しくも元亭主と再会してしまったが、津村の人物評より、黄土の大地が、より以上に貴重だと感得したに違いない。少なくとも以前はである。そのために日本に帰化するよりも、中国人であることを臨んだ。
 亭主も舅
(しゅうと)も、わが子も捨てて、八路軍の革命勢力に参加した。その後、高等訓練を受けて、日満の情報機関を欺き、細作(しのび)となった。情報将校として、大の漢を手玉に取るほど、有能な工作員になっていた。日満間を行き来して、敵国諜報員を能(よ)く欺いた。

 孫齢姫の人生観は破壊型と言うような甘いものではない。その非常さは絶対型といっていいものだった。彼女は独り内向して亡びると言うものではない。自分の愛したものを自分の破滅の中に引き摺り込む恐ろしさを持っていた。
 もし、彼女に「生きるって何ですか?」と質問すれば、逆に「生きるって、ただ長生きすること?」と訊き返すだろう。果たして、現世を甘く生きている人の多くは、この質問に対し明確に答えられるだろうか。
 現代人は、生きることを、ただ長生きすることしているのではないだろうか。それは内向型の人生観だと言えよう。つまり自分ファーストの生き方なのである。この種の生き方を選択している人は、生きること長生きすると捉えているようだ。

 「では皆さん、此処でお別れです」鈴江が言った。
 「もう、行って仕舞われるのですか」アンは翳りのある貌で訊いた。
 「わたしたちは此処までです、これから先には行けません。元の鞘に戻ります」
 「齢姫さん……」その言葉には愛惜
(あいせき)のような未練が籠(こも)っていた。名残惜しい情である。
 「これで、貸し借り無しです。ごきげんよう」
 「どうか、お元気で……」
 「あなた達も」そう言って、鈴江は何を思ったのか、キャサリンの前に来た。そして「キャサリンさん」と声を掛けて、「あなたも、お元気で」と言った。
 キャサリンは「はい」と小さく聲
(こえ)を発して頷いただけだった。
 キャサリンが、わが子・次郎と徒
(ただ)ならぬ仲を知っているようだった。それだけに胸の奥に沈んだ心境は複雑であった。もどかしさもある。何か言い残したい事があるようだった。
 おそらくしれは《命だけは大事にしてね》とでもいいたかったのだろう。ほんの一瞬、未練が疾った。
 だが彼女は、それを振り切ったようである。それ以上は何も言わぬ、無言の別れであった。

 鈴江は一新して笑顔を作り、津村の前に遣って来た。
 「お別れです、津村少尉殿」
 「うム?、わしのことか……」一瞬面食らって、狼狽
(ろうばい)したような貌をした。それに《あんたは中佐だろ》と言いたかった。
 津村は自分では陸軍少尉でなく、一等下がって“見習い少尉”と思っていたからである。大戦末期の即修教練による幹部候補生出身の少尉は、士官学校出と同等に扱われては申し訳ないと思いがあった。津村は自身では見習い少尉と自称する所以である。

 「また、いつの日か」それは、わが子を宜しくという意味であった。
 彼女は苦痛に耐えて、次郎をこの世に産み落とした。わが子への憐憫
(れんびん)の情であろう。
 「そうだな、いつの日か……。お前も達者でな」
 ふと、津村陽平は鈴江を“もの”にした時のことを思い出した。
 あれは中等学校時代のことだった。
 鈴江の容貌は群を抜いていた。美人であった。その美貌に惹かれた。
 津村は狂わんばかりに恋慕した。寝ても醒めても鈴江だった。鈴江が欲しいと思う。

 当時、『刀剣鍛錬処』の娘・星野鈴江のセーラー服姿が眩しかった。憧れの女性だった。それぞれは同じ学年だが、津村が15歳で鈴江が14歳であった。鈴江は、学校復
(かえ)りに、跡をつけて来る津村陽平が腹立たしかった。
 彼女は陽平を、矮男
(こおとこ)の癖に……と思う。普段から蔑んでいる。
 鈴江はこの漢が好きでない。大嫌いだった。虫酸
(むしず)が疾るくらいだった。厭で厭でたまらない。恰好も悪い。容姿端麗が完全に不合格であった。

 確かに津村は矮男である。
 だが佝僂
(くる)ではない。幼児期、佝僂病に罹った訳でもない。親が、更にその親が、先祖が、小柄なだけであった。父の津村十朗左衛門も小柄だった。祖父の津村鍵十郎も小柄だった。
 父は“三尺達磨”などと揶揄されたこともあった。しかし父は意に介さなかった。書画にも通じた文武を納めた人である。神道無念流剣術の達人であった。小柄だが腕が立った。父は、祖父の鍵十郎を凌ぐ小さな巨人であったと言う。先祖は代官であったが、また剣客でもあった。
 陽平は、その小柄な父も祖父も誇りに思っていた。決して人には知られないが、その二人を誇りに思っていたのである。人情家の面が好きであった。恥を知るばかりでなく、人の不憫も知っていた。人生の機微を知る武士だったという。
 矮男の津村は、それを誇りに思っていた。したがって、矮小なる体躯を揶揄されても挫けない。馬鹿にされても毅然とすることを喪わなかった。サムライ精神は不屈であった。
 その自信をもって鈴江の跡をつけた、そこは寂しい村外れだった。
 彼女は、こういう男が嫌いであった。傴僂でないにしても、矮男が嫌いなのである。それに陽平は躰に較べて頭が異様にデカい。そのデカさが、また大嫌いであった。鈴江は津村の何処から何処まで、大嫌いだった。
 そういう大嫌いな矮男から、尾行され、跡を蹤
(つ)けられるのが厭(いや)でたまらなかった。

 「あんた、何故、わたしの跡をつけるの?」鈴江はこのように、大嫌いの意志表示をした。
 「それは……」津村はしどろもどろになった。
 「わたしを奪う気?……、チビの小人
(こびと)さんで。奪うなら奪いなさいよ。でも、矮男なんぞに、タダで奪わせないわよ。わたし、こう見えても高いのよ。
 分る、小人さん。わたしは高級娼婦以上に高いの。高価なの。あんたの家、貧乏でしょ、極貧でしょ」
 「うム!……」
 こう言われると些か我慢ならない。頭脳明晰な津村も、心穏やかでなくなり、自分の肉体を揶揄され、家の貧乏のことを言われると、腹が立つ。怒り心頭に来た。そうなると普段の冷静さを失う。
 「あんた、それでも男?……。わたしと添え寝して貰いたいと思うのなら、あんたの母様か、父様の隣にでも入れてもらって、おチビさん同士で慰め合えばいいのよ」
 「もう赦さん!お前がそこまで言うなら……、お前は、もうオレの女だ。お前を遠慮なく奪う!」
 「何をバカな……」見下して意に介さない。
 「既に、お前は俺に仕えている……」
 「口先ばかりでは、何とでも言えるわ。チビの小人さんに資格などありません」
 鈴江は津村を臆病者と検ていた。
 「オレをそこまで愚弄
(ぐろう)するか!」陽平は吼(ほ)えた。
 「ええ」
 陽平が猛り狂ったのとは正反対に、鈴江は冷静に、冷ややかな返事をした。
 「ならば、見せたいものがある」
 津村は度胸を験されていると検
(み)たからである。
 「なにを?」
 「これだ!」
 袴を捲り揚げ、天を衝くような、巨大な松の節くれのような一物を見せた。躰とはアンバランスで、とにかく一物はデカい。大人の、“並み”ではない。天下の上品
(じょうぼん)だった。最高品質と言ってよかった。
 津村の県立中学では洋服の制服が主流であったが、一部の貧しい家の子弟は紋付の着物に袴であれば、それもよしとして看做されていた。
 「……………」それを見た鈴江は唖然
(あぜん)とした。同時に、巨根に魅せられた。憑(つ)かれた。
 津村は、もう一度、鈴江に言った。
 「お前は、既にこれに仕えている」《これをしゃぶれ》と言わん気であり、鈴江はその言葉の暗示に掛かったように、つい「はい」と返事してしまった。彼女は完全に毒を抜かれていた。気付いたら、一物に奉仕していた。強引に押し入って来る巨根を、陰唇一杯を広げて、男女の契を結んだ。

 やがて鈴江を、津村家に入れた。年齢的には少年少女だが、陽平は鈴江を娶
(めと)った。父・十朗左衛門も反対しなかった。嫁の美貌を讃えた。そして男子が生まれた。
 生まれた男子は一貫目
(3,750g)はあろうと思われる玉のような赤子であった。生まれながらに健康優良児であった。
 しかし、健康優良児は放置され、鈴江はそれから暫くして姿を消した。そして歳月が流れてた。
 津村にしてみれば、遠い日のことであった。元女房の鈴江とは、そう言う過去があった。

 「齢姫さん。いえ、孫中佐殿。有り難う御座いました」アンが礼を言った。
 「こちらこそ。また縁があれば、いつの日か……」
 「はい、わたしたちは負けません」それは戦争に負けないと言うことでなく、自身の精神力を指しているのである。女であっても、気丈であることを意味していた。
 「その意気込みです」
 「わたしたちは夕鶴隊です、負けません。毅然・清潔・淑女の三つの誓いは、わたしたちの眼目です」
 「素晴らしいわ、その簡潔にして明瞭なるスローガン」
 彼女が言いたかったことは、そのスローガンを胸に不朽の意志を貫き、もう直、終焉
(しゅうえん)するであろうこの戦争の戦後も、三つの誓いで、新しい希望を抱いて、元気に生きて欲しいと言う願いだった。その不朽の意志は、いつの時代も変わらない普遍的な人生の意義を考えていた。そこに同じ共通項を持っていた。
 鈴江は彼女たち夕鶴隊が、既に戦後に向けて戦っていることを悟ったのである。
 そして此処で、飛行場へ向かう者と元の鞘に戻る者との双方が、敬礼を交わして別れたのである。

 飛行場に向かう者たちは津村一行や夕鶴隊、それに猪口をはじめとする満洲映画社の面々、そして元の鞘に戻って行くのは孫齢姫を指揮官とする八路軍の女性戦士らであった。
 時代は世界大戦が末期に近付いていたことを告げていた。愚かしい戦争の愚かしい終幕の局面で、これまでの「大東亜に新秩序の建設を」のスローガンは、歴史から置き去りにされ、既に色褪せていた。
 関東軍の愚は満洲国を経済圏と位置づけたことである。経済圏では武器無用とした。そしてその無用が革命の戦場になってしまった。満州族を含めた満民族同士の小競り合いはそれを象徴していた。
 ただ日本人のしたことに評価する一面があるとすれば、大東亜を掲げ、東南アジア諸国を欧米の植民地支配から脱出させて、独立へと導いたことであろう。


 ─────地上に出たとき、空はかなり白みかけていた。夏の太陽が地平線から貌を出す寸前であった。そして前方には新京飛行場の広大な全貌は拓けていた。そして全貌に智に富む雄略
(ゆうりゃく)の展望があり、また一縷(いちる)の希(のぞ)みに賭けて、まだ希望が広がっているように思えた。
 飛行場の営門には一向の到着を予期してか、出迎えいた。恰幅のいい平服の中年と海軍士官に海軍下士官の三人だった。一行を飛行場内へと招いた。
 この飛行場には四つの飛行組織が同居していた。

 まず関東軍飛行空挺団、次に満洲国軍護国飛行隊、更に海軍新京航空隊、そして東京・新京直行便を飛ばす大日本航空の四組織である。
 『タカ』に属する飛行団は大日本航空を基軸に海軍新京航空隊が技術提供をしていた。その結果生まれたのが『空龍』であった。海軍の二式大艇を改造した四発航空機である。大きさは二式大艇とほぼ同じで、能力と機能ならびに仕様が全く違いた。仕様は旅客機で、設計思想の中には水陸両用の離着陸方式を採用していた。四発の水陸両用の旅客飛行艇である。『空龍』という。その飛行艇が格納されている新京飛行場に、一行は命からがら辿り付いてのである。

 『空龍』は戦争早期終結のために、特別生産されたものである。ライセンス生産するものでない。
 設計生産は、川西航空機の新京飛行機工場で、その製作費用は沢田貿易と佐藤商店が総額の半分を担い、残りを大日本航空、南満洲鉄道、新京日本商工会議所、哈爾濱日本商工会議所、満洲国、満洲護国産業、山根興産、ガリル財団が共同出資で捻出した。計画では、同機種を3機、生産することになっていた。その第一号機が満洲国新京から東京羽田に向かって飛ぶのである。そういう予定になっていた。
 ところが、第一号機の離着陸の試運転も、高々度の飛行テストもまだ出来ていなかった。巨費を投じて製作したものの、そもそも『空龍』が飛ぶか否かも定かでなかった。
 そこで『タカ』は、アン以下エア・ガールに扮した夕鶴隊員を搭乗員に指名したのであった。

 特にアン・スミス・サトウ少佐は、彼女の勇気と操縦の優れた技倆を買われてのご指名だった。また女性にしては、珍しい男勝りの剛直さた大胆さも買われた。
 予定では三日後、満洲国新京から東京に向けての初飛行が、『空龍』のテスト飛行だった。
 この鵬は目論み者の意図通り飛ぶのだろうか?……。その懸念は未だにアンの脳裡を支配していた。
 だが彼女には幽かな希望があった。分のいい負け戦を演じる日本において、僅かな選択肢があるとすれば、『空龍』を操縦して、一日も早く日本に空輸することであった。
 だが初飛行は機体だけを空輸するのでなく、500kgの金塊を積んだ上に、日満の要人と思える26人もの乗客を乗せてである。そして鈍重と思える『空龍』を、横浜港に無事着水させることであった。
 アン・スミス・サトウ少佐は、もと英国空軍のテストパイロットで空軍少佐。かつてスーパーマリン社のスピットファイアのテストパイロットであった。

 ところが事実無根の科
(とが)で、国家転覆罪として死刑宣告を受け、府中刑務所で刑の執行を俟つだけの運命だった。それを陸軍刑務官で東京憲兵隊の沢田次郎大尉が救った。以後の身分は、航空機の操縦技術を買われて、陸軍航空士官学校(陸軍航空総監管理下)顧問少佐である。『タカ』メンバーの一員であった。そして大日本航空の九七式旅客機を操縦して満洲国新京市に到着した。そして哈爾濱へ。そこから松花江・太陽島を経由して再び新京へ舞い戻った。
 中国大陸を始め東南アジアに地下偵諜網を持つ秘密機関『梟の眼』の指令で、四発大型飛行艇の『空龍』を横浜港まで空輸する任を仰せつかった。白羽の矢が立ったと言えば聞こえがいいが、要するに、この大型飛行艇を操縦出来る飛行士は日本陸軍航空隊の中には居なかったのである。また海軍から、戦地に散らばっている飛行士を呼び集めてこれを操縦する訳にも行かなかった。既に満洲に飛び立つ前から、彼女の登用が決定されていたのである。

 その一方で、津村陽平少尉は“山こかし”のために敵状視察を兼ねた調査で、満洲に同行したのである。
 赤塔
(チタ)の満洲総領事館に赴く際、津村はアンに、ソ連諜報員並びに内外の官憲の眼を惹(ひ)き付けてくれるように恃んだ。囮(おとり)である。
 大日本航空エア・ガールに扮した夕鶴隊四人は、見事に囮となって惹き付けた。その間に津村と吉田は、それぞれの任務を果たすことが出来た。
 囮なって太陽島で島一番と言うリゾート・ホテルに宿泊したエア・ガール四人は、G・P・Uのパヴロフ・カウフマンを手玉に取り、ソ連機密情報を盗んだだけでなく、アンはポーカーで、カウフマンを破産寸前まで追い込んだ。だが当然、怨みを買った。以降、命を狙われたのは言うまでもない。
 こうした手の込んだ策で新京飛行場まで足を運ぶ方法を採ったのは、ソ連に秘密工作員の暗殺を警戒してのことであった。そこで、津村の策である“人を隠すは人の中”が採用されたのである。内と外の二面作戦で、何とか難所の中宮を突破したのである。そして命辛々
(いのち‐からがら)、友軍の新京飛行場に辿り着いたのである。


 ─────大日本航空の格納庫の前である。その中に鵬
(おおとり)のような大型飛行機が収められていた。
 一行は『空龍』を目の当たりに観た。これまでの陸軍機にはない大きな飛行機であった。水陸両用の飛行艇である。
 「うわァ〜、大きい……」誰の口からも、そんな感歎の声が飛び出してきそうな大きさだった。
 その姿は、どこか翼を広げた猛禽類の鷹を思わせた。あるいは夜飛べば、獲物を狙って滑空する獰猛な梟だろうか。そういう猛禽類の大鳥を連想させた。その表情は優しくもあり、怕
(こわ)くもあった。
 近付いて観察すると、とにかく大きい。思わず「でかい」と驚愕
(きょうがく)しそうだった。
 機体は飴色
(あめいろ)と呼ばれる水飴のような光沢のあるグレーで、発動機部分を覆うカウルcowl/エンジンカバー)は黒であった。軍用機とは違う塗装がなされていた。主翼の尖端(せんたん)と胴体中央部には、くっきりと赤い日の丸に白の縁取りがあり、日本国籍の象徴が鮮やかであった。

 胴体中央部のネーム・ステンシル
name stencil/合羽版)に目を向けると、形式については『二式大艇改』とあるだけで、製造番号は空白、製造年月日も空白になっており、垂直尾翼のみ白いペイントで『改1』と小さく描かれていた。
 これは万一、撃墜されたり、不時着して敵国から調査された場合、機種や製造工場を隠すための配慮であった。塗装がこれまでの深緑に較べると、塗装自体に洗練された色の美しさがあり、シルバーとも違った金属性の光沢とは違っていた。これまでの二式大艇は深緑で鈍重なる鉄塊のイメージが強かったが、この塗装だと鋭敏な意志を感じさせる飛行機であった。まさに『空龍』に相応しい塗装が施されていた。

 『空龍』は軍用機でない。それを否定するのは、飴色のような光沢のあるグレーで塗装されているからだ。それが旅客機であることを印象づける。
 前部に20mm自動速射砲は搭載されているが、これは敵機と遭遇した場合、迎撃したり空中戦を行うものでない。あくまでも非常時の威嚇
(いかく)のための装備である。お飾り的な物である。あたかもそれは第一次世界大戦当時、旅客船が護身のために隠し砲台を搭載して、海賊に対処したことに似ている。『空龍』を船に譬えて言うのなら、武装商船か、封鎖突破船のようなものであった。

 アンはこの飛行機を観て、一瞬釘付けになったようだった。キャサリンも同じ感想で見ていたの違いない。そして二人は機体の周りをゆっくりと歩き回り、機体の細部まで外部から見て回った。
 それに触発されたのは良子も佳奈も、アニーまでもが、アンに倣
(なら)った。また、その後ろに津村、吉田、亀山も蹤(つ)いて廻った。
 始めて四発飛行艇を見る者は、大きいというより巨大と感じていた。
 アンは長いこと眼を細めて見ていた。全体像を眩
(まぶ)しそうに眺めていた。
 また、英国では民間航空防衛隊に所属し、のち婦人士官を志して少尉に任官し陸軍航空隊で四発爆撃機の空輸操縦の経験を持っていたキャサリンも、周囲を歩きながら機体の細部に見入っていた。朝の陽の光を撥ね返すような機体を各自が眼に焼き付けようとしていた。そのおのおの姿を満洲映画社のカメラが追っていた。

 飛行士や乗務員は、これを日本まで空輸して戻る。そういう感慨を各自が胸に新たにしたのである。
 もし、『空龍』が空に浮び、高々度を飛行するとなれば、B29に迫ることになり、兵器のミリタリーバランスは拮抗がとれるのではないかと言う可能性が出てきたのである。その可能性が大となれば、この戦争は早期終結する可能性もあり得ることになる。それはいい条件下の終戦である。兵器自体は戦争を抑制する効果もあるからだ。戦争抑止は、単に「戦争反対!」のヒステリックな青臭いシュプレヒコールだけでは、絵に描いた餅なのである。陰陽にバランスがあり、表裏にバランスがあるのである。現象界の掟であった。

 格納庫に案内した大日本航空の重役と海軍技術将校、それに下士官が一行を前にした。
 そして背景説明
(briefing)を始めた。
 恰幅のいい重役は「これは軍機に属するものです」と前置きし、いま見た物について漏らすなということを言い、大きさや形状、装置や性能、電気系、光学系、電波探知機や精密測距儀、無線通信装置などを熱っぽく語った。『空龍』が旅客機という名で偽装した兵器であることも明確になった。船舶で言えば大砲を隠した偽装商船に匹敵するものであった。兵器であることを何から何まで偽っていた。

 また技術将校は「同じことを、くどくは申しません。ぐれぐれも他言なさらないように」と在り来たりの“他言無用”を一席ぶって釘を刺した。この将校も『空龍』が巨大な兵器である告白した。聴いていると、この機が航空戦艦に化けるかも知れないという危惧があった。ただ、将来この機が航空戦艦になり得る可能性は実証されていなかったのである。もし航空戦艦になり得るとしたら、航続距離を伸ばし、また1万メートル以上の高々度を飛行し、米国本土の爆撃も可能になるだろう。
 しかし他言無用と言いながら、一方で満洲映画社の撮影は暗黙の了解のうちに黙認しているのである。撮影の目的がプロパガンダ映画であるからだろう。あるいは遠大な構想を披露して、世界に向けての脅しを掛けるのだろうか。
 敢えて秘密の手の裡
(うち)を、世界に向けて驚異を公開しようという宣伝工作があるのかも知れない。一通りの触りについては“一般公開可”という感じであった。
 あるいは、そもそも『空龍』が、ただ莫迦
(ばか)デカいだけの張り子の虎ということで、誇大宣伝を兼ねた捏造映画を撮らせようとしているのか。その何れであるかも知れなかった。

 海軍技術将校の階級は大尉
(だいい)で、犬塚勉といい、下士官一人を随行していた。しかし下士官は副官ではないらしい。随行者の階級は海軍一等飛行兵曹(略して一飛曹(いっぴそう)。旧一等航空兵曹)であった。
 日本海軍航空隊の下士官は昭和16年
(1941)6月に改められ、それ以前までは航空兵曹と呼称し、略して空曹であった。この漢の名前を鳥居元とりい‐げん/仮名)といった。二十歳前後の若者である。

 鳥居一飛曹は好青年というより、見るからにヤワで“いいとこのボンボン”という感じの優男
(やさおとこ)に映る。色白で痩身タイプで、上背もある。海軍下士官の白い第二種軍装で、あたかも背広メーカーに出て来る衣服モデルのような感じで軍服を着こなしていた。そして飛行兵曹という階級を付けているが、飛行機乗りとしては何の覚悟が無いように映る。
 犬塚技術大尉は鳥居一飛曹に、自己紹介するように命じた。
 「あのッ……」些か聲
(こえ)が上擦っていた。貌から火が出るような赤面状態である。
 「自己紹介だ!」犬塚大尉は念を推した。
 「あのッ……、ぼくは……鳥居元です。えっと……、ぼくは……」と、やっと自分の名前まで切り出したところで、しどろもどろでその先が続かない。貌は赧
(あか)くなって硬直し、完全に上がっているのである。
 「おい、鳥居一飛曹!軍隊では、ぼくといわずに自分というのだ!」犬塚大尉の罵倒が飛んだ。

 鳥居にしてみれば、これまで男所帯の軍隊で野郎ばかりを見ていたので、青色の色鮮やかなエア・ガールを見るのはこれが始めてであった。五人のうち、三人の髪の毛の色が金髪
(blond)で白人ある。五人がみな十代から二十代である。何れも匂うような女性だ。
 周囲には満洲映画社のロケ隊が彼女たちに張り付いている。一見女優のようにも見える五人だった。五人が五人とも毅然とした態度で、淑女然としている。近寄ると、何だか畏
(おそ)れ多い。一般人とは距離があるように思える。そのために彼は緊張し、不覚にも赤面して上がってしまったのである。
 「鳥居一飛曹、自己紹介だ」
 「えっと……、ぼくは、いや自分は……」
 「ねぇ、ぼく。それくらいで宜しいわ」アンが制するように言った。
 周囲から周囲が漏れた。
 「えッ?………」ますます赤面した。
 「鳥居一飛曹。あなたが朴訥
(ぼくとつ)で、純情で、はにかみで、人前では上がるという性格を充分に理解出来ましたわ。特に女性の前では」アンが人を喰ったようなことをいった。
 鳥居はエア・ガールの制服を着たアンが、何者か分からずにいた。貌は見るからに白人種であるのに、日本語が日本人と同等、あるいは上流日本女性の教養を持ち合わせた高学歴のインテリ女性に重ね合わせたからである。彼は一体この人は何者だろうと思う。
 アンは運航指揮官であるのに、まだ紹介もされていなかった。映画撮影のためのエア・ガールに扮しただけの服装をしていた。鳥居は五人の女性を、満洲映画社の女優か何かと思っているらしかった。

 「犬塚技術大尉。君も随分と人が悪い」吉田が、犬塚の揶揄
(からか)い半分の、鳥居への悪戯を制した。
 「いやそのッ……、自分も、些か気を遣い過ぎた副作用が出まして……」
 「副作用だと?……」
 「鳥居一飛曹。こちらはアン・スミス・サトウ陸軍少佐だ。君の上官でもあり、『空龍』を日本まで操縦する日本でも屈指の優秀な飛行士だ。もと英国空軍のテストパイロットで、空軍少佐。スーパーマリン社のスピットファイアのテストパイロットだった。現在は陸軍航空士官学校の顧問少佐だ」
 吉田からこう紹介されて、アンの経歴の詳細を聴かされると、「もと英国空軍のスピットファイアのテストパイロット!……」と鳥居だけでなく、犬塚までが唖然
(あぜん)とした。
 「吉田予備役中佐。もうそれくらいで宜しいですわ。余り長々と詳細に説明なさると、犬塚技術大尉も鳥居一飛曹も眼を回してしまいます」
 「わたしはアン・スミス・サトウ少佐。隣は妹のキャサリン・スミス少尉。ほかの三人は夕鶴隊員の鷹司良子伍長、室瀬佳奈兵長、それにアニー・セミョーノヴァ隊員。わたしたちは女子遊撃隊の戦闘員です」
 「えッ?女子遊撃隊!……」
 犬塚も鳥居も、女子遊撃隊など、これまで一度も聴いたとがなかったからだ。


 ─────『空龍』の特長としては、発進基地の水陸両方に離着陸が出来、離着陸の際に、水陸差を設けている。車輪の出し入れに自動油圧装置を採用しているからである。着水時には車輪が引っ込み、変わりに両翼の第一発動機と第四発動機の下部に内蔵されたフロート
(float)が自動的に伸びて来る。
 飛行場での着陸時には車輪が収納庫から出てきて、逆にフロートが発動機下の格納庫に収まるという新構造が採用されていた。高度8千7百mを航行するからだ。これが『二式大艇改』と言われる所以である。
 これまでの二式大艇では、フロートは左右の翼に取り付けられたまま出し入れが出来ず、そのため飛行時の空気抵抗が大きくなり、高々度への上昇も、30分以上と時間が懸かり過ぎていた。
 水上飛行艇で問題視されていたのは、フロートの収納であり、翼下に付けっぱなしで、フロートをワイヤーを張って固定するという構造上の難点があった。これを発動機下の格納倉に収納することで、無駄な空気抵抗を取り除いてしまったのである。
 飛行時の鈍重さの些かの回避であった。

 『空龍』の乗員は10名
(コックピット・クルーは操縦士、副操縦士、航空機関士、航空通信士、航法員の計5名、乗務員は調理師1名を含むエア・ガール5名)、乗客は20名から25名の重量を計算して、改造設計がなされていた。あくまで旅客機仕様である。
 機体もこれまでの全幅38.00mから40.00m
(+2.00m)とし、また全長も28.13mから30.00m(+1.87m)で、ちょうど三角比の3:4:5の比に値し、空中航行でのGの強度を重視している。
 発動機も三菱火星22型を改良した。強力なハ43型改
(空冷星形複列18気筒)であり、離昇時の1,850馬力から2,050馬力にアップした。
 プロペラは二重反転式の六枚翅
(VDM 定速)で推進力を増強している。最高時速270ノット(500km/h)、高度8千7百mを航行する。高々度を飛行することにより、機体の安定性も増し、燃費を極力節約する。
 武装は九七式20mm自動速射砲を機首に1門搭載し、後部銃座室は旋回銃を撤去して後部展望室になっている。但し20mm自動速射砲は非常時における、あくまで威嚇
(いかく)のためだ。したがって戦闘機と空中戦(dogfight)するには不向きである。そして、調理室を備えてある。最大重量も35,500kgである。
 この重量から鈍重で、戦闘機のように小回りが利かないことを想像させる。重くなった分だけ、操縦には伎倆
(ぎりょう)を要するのである。並みのパイロットでは駄目であった。

 搭乗員は機長はアン・スミス・サトウ少佐
(夕鶴隊主任教官)、副操縦士は向井田亮介(陸軍上等兵)。航空機関士は明石洋之(大日本航空)。航空通信士は加納信也(大日本航空)の四人をコックピットのクルーとして、客室乗務員(cabin attendant)は主任世話係(purser)のキャサリン・スミス少尉(夕鶴隊教官)、鷹司良子伍長(夕鶴隊第一班班長)、室瀬佳奈兵長(夕鶴隊第三班班員)、それにアニー・セミョーノヴァ(亡命ユダヤ系独逸人)。調理師は、ミヤ・スコロモスカ(満洲国の女諜報員)の搭乗員全員で計9名であった。
 しかし運航にあたり、肝心な航法員の選定が出来ていなかった。

 「犬塚技術大尉。航法員はどなたです?」
 「この漢です」
 鳥居一飛曹の肩をポンと突いて前へ押し出した。
 「あなたが?……」
 「はい、ぼくなんです。いえ自分であります」
 「軍隊言葉が不慣れなら、“ぼく”でよろしいわ。で、ぼくは、航法経験があるの?」
 「理論上ですが、大学の研究室で航空力学を少々……」
 「少々とは随分と遠慮気味ね」
 「こいつ、こう見えても、東大工学部航空学科出の秀才なんですよ。独逸に留学経験も持っています。そこでメッサーシュミットBf109戦闘機の航続距離アップの燃料タンク改造に関する論文を書いて、ゲーリング空軍元帥から騎士十字勲章を授かったのです」犬塚技術大尉が言葉を繋いだ。
 「おや、まあ」
 「鳴海技術少佐が『空龍』をして、“空飛ぶ応接間”と称した航空思想には、こいつの考え方が採用されているのです。流体力学により、発動機の性能も、武装や速度も、その他もろもろも、そして風洞計算も、浮力計算も着水時、第一と第四の発動機下からのフロート出し入れも、着陸時の車輪出し入れも、こいつの頭から出らの発想なんです。どうしても1万メートルの高々度に迫りたかったんです。
 東京・新京間をノンストップで、然
(しか)も途中一切、給油なしで重量35,500kgの図体を浮上させ、最短空路で約1500km強の距離を航続させる燃料計算も、最短空路の航法計算も、この優男の脳味噌から出てきたものです」
 「まあ、そう。少しばかり“ぼく”を見直しましたわ。しかし、ぼく。実戦経験は?」アンがズバリ斬り込んだ。
 「遺憾
(いかん)ながらと申しましょうか、独逸留学時ベルリンのガトウ飛行場で複座型練習機FW190を二十時間ほどの飛行時間で、何とか練習機なら操縦出来る程度です。日本で言えば、霞ヶ浦航空隊の初級者用の複葉翼練習機“赤とんぼ”を何とかというところでしょうか。率直申せば空中戦(dogfight)は皆無です。
 搭乗員としては、超がつく初心者です、少佐殿の足許にも及びません!」
 「はっきりと仰
(おっしゃ)るのね」呆れ気味に言う。
 「申し訳ありません」しかし謝っている容子
(ようす)ではなかった。売り言葉に対する相槌である。
 「つまり、『空龍』は机上の空論から出た計算ということかしら?……」
 「はあ、遺憾ながら……。飛行機乗りとしては超初心者ですが、航法員としては自信があります!」
 そういった言葉に、それを裏付ける学者魂のような、きらりと烱
(ひか)るものがあった。計算から出たと言うが、それを裏付ける根拠は、これまでの長所と短所を研究して、多くのデータから克服した実証例を有しているのであろう。それだけに自信を喪(うしな)ってはいなかった。滾(たぎ)るような信念を持っていた。胸を張るだけの、何かの根拠を有しているようだった。
 「大した自信ですのね」
 「しかしこの自信、これでも控えめです。わが国の航空開発技術をもってすれば、1万kmの長距離を運航することも可能です。しかし軍は、ぼくに飛行開発の技術や技能を要求しませんでした。負け戦を強
(しい)いられて、こうして不肖ながら、やっとぼくに及びが懸かったという訳です。日本に人材はあっても、日本の偉い軍人たちは、人材を見る目はありませんでした」
 彼の言には、“時は遅かった”と言う怒りのようなものが込められていた。
 「……………」アンは、鳥居一飛曹の言っていることは的を得ていると思った。
 このとき大本営陸海軍部は、これまで長距離航行開発の技術向上を怠り、今ごろになって米国本土まで風船爆弾を気流に乗せて送り込むという幼稚なことを考え付いたが、物資が底を突いてしまう前に、なぜ長距離飛行が出来るB29以上の飛行機を開発しなかったのだろうか。鳥居一飛曹の懐疑と怒りは、ここにあった。

 アンは、どこか鳥居一飛曹の、一見優男に見えるその裏に、したたかさが潜んでいたことを見抜いていた。そして彼を一癖も二癖もある、侮れない人間と検
(み)たのである。その意味では、津村陽平の飄々さと酷似する共通点を感じ取っていた。背丈こそ違うが、性格が何処となく似ていた。
 また彼女は時として、自分が女であることを忘れる。
 能力においては、女とか男とかの区別がないことをよく知っていた。飛行士の世界は、その操縦技術者としての能力だけが物を言い、性別は無関係だった。能力だけが評価される世界である。その意味ではテストパイロットの敵性に適していた。

 斯くして『空龍』のコックピットのメンバーは総て揃った。
 あとは三日間の操縦訓練を行って、日本に向かって飛ぶだけである。だが、問題はこの四発大型飛行艇がこれまで一度も試運転をせず、格納庫で暫く眠っていたという。飛行場での離陸訓練
(touch and go)も、上空での滑空訓練も、一切なかったという。要するに、この機は誰も操縦したことのない日本初の一番最初のテスト機なのである。アンはこの事実に唖然としてしまった。
 そもそもこの飛行機が離陸することだけでも可能かのか、それ自体に疑問が生まれていたのである。

 あとから駆けつけて来た鳴海技術少佐に「鳴海技術少佐。だいたいこの飛行機、離陸するために滑走路の長さはどれくらいでしょう?」と訊くと、「さあ、たいたい千メートルくらいではないでしょうか」というような曖昧な返事が返っただけであった。
 そして今度は鉾先を変えて、犬塚技術大尉と鳥居飛曹に「離陸後、浮きますの?」と詰問すると、犬塚は頸を捻って俯いたが、鳥居はきらりと眼を烱らせて「少佐殿、あなたは浮かないとでもお思いでですか!」と逆に切り返して来た。妙に晴れ晴れとした聲
(こえ)であった。
 それだけ、この漢には自信があったし、胸の張り方も尋常ではなかった。ここまできて、彼には途中で降りる気持ちも、頓挫
(とんざ)することも全く考えていない。どこまでも毅然としていた。
 そして優男の詰め襟の海軍第二種軍装の裡側には、ゲーリング空軍元帥から授かったいわれる騎士十字勲章が襟元で見え隠れしていた。毅然の発信源はこれだったのである。
 その毅然さに、アンは一瞬ハッとするものを感じていた。


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