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続々 壺中天・瓢箪仙人 7

諜報戦は検挙し、弾圧するだけでは目的を果たせない。主目的な欠如していた。そしてこれは、検挙第一主義は方法の無知から起こったものであった。防諜のみに精一杯で、諜報工作が無知では、手駒の「歩」を、成って「金将」に変えることは出来ない。諜報工作は逆利用して、始めて効果を発揮するのである。
 しかし満洲国に君臨する奉天憲兵隊・奉天分室では、殆ど情報の分析やその処理に付いて無知に等しかった。

 一方、新京や奉天の地下暗躍網では、ソ連系、八路軍系、中華民国国民党軍系、犯罪シンジケート系の秘密組織が活溌であった。それぞれが火花を散らす諜報・謀略活動を展開していた。
 そして日本の奉天憲兵隊が、関東軍の威光を笠に来て、権力的な検挙第一主義に奔走していた。だが、その弊害は眼に余るものがあった。秘密捜査を任務とする憲兵隊員は、検挙を第一に掲げ、ただ功を焦るだけであった。


●梟ハ飛ンダ

 二面作戦の外からの炙りの策が開始されていた。この瞬間をもって、秘密機関『梟の眼』の新京本部から日本の佐倉市にある『ホテル笹山』内の東京憲兵隊S分隊の地下施設に向けて暗号文が送られた。ホテルの最上階にはカモフラージュされたアンテナが設置されている。此処の地下施設は秘密構造で、地下二階である。そこに『タカ』の心臓部がある。
 『タカ』は強力な無線傍受設備を持っている。各種の機能が整った一種の地下要塞であった。
 そこに向けて暗号電報が送信された。
 暗号文は「梟ハ飛ンダ」であった。
 夜間に梟が飛び、それに続いて鵬
(おおとり)が飛ぶのである。その先駆けとして、梟は夜陰に乗じて空中から虚を衝き、あらると隙間目掛けて潜り込み、成就の可能性に向けて飛ぶのである。隠密の猛禽でもある。この猛禽が鵬のために道案内する。

 鵬とは『荘子』
(逍遥遊)に出て来る想像上の大鳥のことで、その謂(いわ)れには、鯤(こん)という巨魚が化したもので、翼の長さ三千里、九万里の高さまで飛ぶとされる巨大な鳥のことである。この物語では、日本海軍の二式大艇改造型で、旅客仕様の『空龍(くうりゅう)』のことである。日本海軍の航空技術陣と川西航空機(後の新明和工業)が総智を傾けた“空飛ぶ応接間”を指す。その先駆けとして、いま梟が飛んだ。

 猛禽類の梟は、夜陰に乗じて飛び上がった。
 津村陽平に随行し、吉田毅が案内役を務めていた。そして用心棒として随行するのは、津村の副官である兵頭仁介であった。
 兵頭は大陸経験のある下士官だった。大陸にいた時間も長い。それなりに大陸の気候や風土、また文化面には詳しかった。大陸を転々としていたとき、彼は漂泊の民の心情を理解しつつあった。同時に自身も各地を転戦しながら、瓢零風泊
(ひょうれい‐ふうはく)し、惨めに落ちぶれていく流民の哀れを転戦時に目の当たりにして来た。流民の移動である。あたかも水が低きに流れて行くようにであった。
 民も、戦乱があれば戦乱のないところに、飢饉
(ききん)や洪水が起これば、被害のなかった地域へと移動して行った。大陸の広大さに任せ、流浪することに馴(な)れていた。時には群れをなすこともあった。だがその群れは、貧乏で襤褸(ぼろ)を纏い、逃散して行く姿は不憫(ふびん)の一言に尽きた。

 兵頭は、これがもし自分の父母兄弟姉妹であったら……と哀れみの念を抱いた。その哀れな人々が、彼の脳裡には烙
(や)き付いていた。そして流れ流れて、いつしか落ち着いた場所が、「雑人溜(ぞうにん‐だま)り」という陋巷(ろうこう)だった。環境も風紀も極めて悪かった。劣悪と言ってよかった。
 住人の多くは何の教育もなく、小人同士が人間の悪い性質ばかりを出し合って本能的であり、互いに牙を剥いて噛み付き、腕力をで力関係の序列を作っていた。殺傷や盗み、売春も日常茶飯事だった。大人的な統率者がいないからである。
 要
(かなめ)が失われ、雑人溜りでは人心が分裂していた。心の拠(よ)り所を失っていた。
 不憫なのは、何も知らないで果てなく大陸を流浪し、群れのように犇
(ひし)めく何億と言う土地を棄(す)てた農民であった。農民は流浪の中でも劣悪な環境の中に居た。体力のある者は劣悪を嫌って他の土地へ移動して行くことが出来るが、病を患った者はその中で朽ち果てて行くしかなかった。みな不憫であった。
 こうした場所に逸早く目を付けたのが、紅軍指導者の毛沢東であり、一方国民党軍の蒋介石は民衆の力を軽く見て、雑人溜りに目を向けなかった。勿論、関東軍も雑人溜りなどは目を向けることはなかった。そのために抗日運動も軽く見ていた。

 そもそも戦争は、人間が作り出す精神力の表現なのである。
 『孫子』
(兵勢篇)によれば「音も色も味も、基本は五種類しかないが、その組合せは無限である。同じように戦争も正と奇の二つしかないが、その組合せは無限である」としている。
 無限とは、人間が作り出す者であるからだ。
 これは戦争に科学が介入した近代戦においても同じである。
 近代戦における戦争の仕方は、科学技術に通じていなければ、武器一つ扱えないが、併せて作戦一つ立てるにしても立案や状況判断は方程式化してしまった。しかし極限は科学を超えたところに存在する。つまりそれは人間の精神力に表現である。究極的には人間の精神力の有無に帰る。戦争を行うのは人間であるからだ。人間とは民衆のことである。
 蒋介石の国民党軍も関東軍も、民衆の力を軽く見た。
 戦争について戦争指導者や軍事評論家は、兵器の優劣や将や兵の動かし方については雄弁に語るが、民衆を動かす政治については説くところが少ない。

 また『書経』の一節には「人心これ危うく、道心これ微
(かす)かなり。これ精、これ一、まことにその中をとる」とある。
 大戦末期の大陸で、この意味を理解した者は少なかった。
 関東軍は日本敗戦と同時に、大陸からは追い出され、後に蒋介石が共産党との戦いに敗れた理由は、民衆の扱い方を誤ったからである。
 蒋介石自身、『書経』の一節は言葉の上では理解していたであろう。だが、「中をとる」の部分は儒教の根本思想である「中庸」と理解したことにそもそもの誤りがあった。
 つまり『孫子』の説く「道」を重視して「大義名分」と解し、これを「絶対普遍の原理原則」と解してしまった。そして、これを「主義」と定めてしまった。
 人は主義によって動くのであるから、人民は「天」と「道」とで合体することで、これを原動力にすると思い込んでしまった。しかし人民に天と道とで動く者は少ない。心を分類すれば、おおかた二つある。
 一つは欲に溺れた人心であり、もう一つは道に則った道心である。だが、人の心と言うものは一つである。また道も一つである。分離してならないものを分離して、啀
(いが)み合ったところに結局最後は敗北する結果を招いた。
 そして最も抜け落ちてしまったところは『孫子』の「兵は詭道なり」の非常なる計略の次元を解しないことであった。

 その根本には人心の開始からが抜け落ちていたといえよう。哀れみ、労り、思い遣り、気の毒に思う心、弱者への温情、慈悲、卑怯に対する怒り、不憫
(ふびん)などを総称した惻隠(そくいん)を軽視してしまったことである。実はこれが武士道に帰することであった。

 その様子は裡側を演ずる花畑とは異なっていた。此処では表側がお祭り騒ぎを煽るのに較べて、それを控え影から遠巻きにしながら、一度異常が顕われれば、これに立ち向かうと言う体制を採っていた。
 外側の策……。
 裡側の花園のような中枢を取り囲み、蝟集
(いしゅう)し、大道に満ちて移動するのとは訳が違う。外部にあって隠密行動を執(と)る。花園が光であるならば外部は影である。影のように付かず離れずの行動をする。夜の闇に溶(と)ける。

 「小隊長殿、もう直、雑人溜りに差し掛かります。一行は油断出来ぬ場所を通過します。厳重な警戒が必要です」それは《策を教示ください》と聴こえなくもない。
 兵頭が言った“一行”とは、『夕鶴隊』の五人の女性を指す。彼女らに危害が及ぶ懸念が大であることを促したのである。それを阻止する方法はあるかという訊き方だった。兵頭は、あたかもお花畑を妖精のように飛び回る蝶々の彼女らが危ないと警告しているのである。
 「案ずるは無用です、自然が一番」
 「なんですと?」
 「まだ来てもいない一寸先の闇を恐れても仕方ありますまい」
 この言葉の持つ意味は大きかった。大陸での軍隊生活の長い兵頭も、こう促されては「なるほど」と思う以外なかった。彼もそういう場面に何度も遭遇しているからである。
 また、こう促した津村にも、《アンがそこまでヘマは遣るまい》と信じているのである。わが教え子に限ってという安堵と、彼女への信頼があった。彼女は自分に下駄を預けている以上、師匠としても弟子を信ずる以外あるまい。信じ、信頼しきることが、実は「なんとかなる」に繋がっていると感得するのである。
 福禄寿は楽天的な一面をもち合わせているのである。

 二面作戦の外側を企てる小集団は、喇嘛僧姿の津村陽平をはじめ、副官の兵頭仁介。満洲案内人の沢田貿易哈爾濱支店長の吉田毅。また道案内の同社新京支店の支社員を名乗る亀山勝巳陸軍中尉だった。
 津村は喇嘛僧姿だが、他の三人は背広姿の平服である。商社マン然である。そしてこの三人は、懐にそれぞれ拳銃を忍ばせていた。
 吉田と亀山は護身用のブローニングM1922であり、兵頭だけは長い満洲浪人を窺わせる大型の通称『馬賊拳銃』と言われるモーゼル連発銃だった。この拳銃は狙撃銃としても使われる。それだけ兵頭は腕に覚えがあった。

 だが津村は徒手空拳である。近代戦における科学の力を借りたものを装着しない。恰好は陳腐であり、態度は野放図
(のほうず)である。あるいは野放図を装っているのだろうか。近代武器を持ち出して、格闘する気などもない。火器などの飛び道具を携帯しない。
 彼の唯一の武器と言えば、喇嘛僧を模した修行僧が背負う笈
(おい)と称する旅嚢(りょのう)に仕舞った短刀の数振りである。それを取り出して振り回す気など毛頭ない。あるいは手にしている仙人杖であろうか。
 仙人杖には枇杷の木の杖頭に鹿の角が装着している。鹿同士が争うとき敵に向かって角を立てるが、鹿角というのは尖
(とが)りを向ければ敵を威嚇(いかく)することになる。そして枇杷の杖自体が打ち据え、突くという武器の効果を持つ。
 枇杷は乾燥すれば堅くて弾力があり、外圧に逆らわずに撓
(しな)る武器である。然も折れ難い。時として刀剣類以上に威力を発揮する武器である。
 古くから枇杷の木刀は、打ち据えられれば、打ち据えられた箇所が「腐る」とも言われた恐ろしい武器であった。
 また仙人が杖を持っているが、仙人に杖は多くの場合、魔除けの“桃の木”あるが、道教の『坂道減速』の根本思想である「柔よく剛を制す」
【註】この格言は何も柔道の専売特許でないので注意。道教の「柔制(じゅうせい)」の思想から来たものである)は、桃の木以外に枇杷の木の性質を説いたものであるとも言われている。つまり仙人杖はよく乾燥させた枇杷の木の杖頭に鹿の角を装着したものを指して言ったものらしい。
 津村は喇嘛僧スタイルで笈を背負い、腰瓢箪に、手には仙人杖を持っているのである。

 隠密行動……。
 これを飾らずに言えば、そこは破壊と闘争の暴力の世界で、殴り合いと斬り合いであり、花畑を散歩するのとは違っていた。あたかも戦場の地雷原の上を歩くような、爪先立った猫歩きを影として演ずるのである。気付かれず、悟られてはならないのである。隠忍艱苦
(いんにん‐かんく)の連続行動である。
 だが、歩くにしてもタダでは通してくれない。通行するには、それなりの木戸銭が要る。もうそこは陋規の世界であったからだ。雑人溜りは、まさに陋規で覆われた陋巷
(ろうこう)であった。裏世界である。

 日本は満洲国を自国の傀儡として支配したが、結局、国際的な賄賂術の何たるかを知らなかった。
 国家とは、その土地の気候・風土・民族によって様々に異なっている。そのために取引一つ挙げても、正常取引をするためには賄賂が必要なのである。それも適切な賄賂である。適切な賄賂は、まず効果的であり、意向の国家間の脱線を阻止出来る。これを心得ることこそ賄賂術の真髄であった。単に、正直バカ、真面目バカの可もなく不可もなく無力な善人であってはならないのである。
 一方で、したたかであっていいのである。

 だが、この種の無力な善人が、日本の敗戦後、米国は日本に対して如何なる政策を執ったか。
 敗戦後の日本では、まず米国の占領政策の主眼は、石油資源の入手ルートを断ちきることであった。こうしてルーツを断ち切り、次に一切の石油に関しては米国系メジャーによって首根っこを押さえさせた。メジャーの利益を優先して、日本の財閥を徹底的に解体し、日本産業界の首根っこを押さえつけてしまったのである。
 このため、日本の石油業界はメジャーから供給された黒い原油を、白く精製するだけのクリーニング屋の域の留め置かれたのである。斯くして、日本の石油開発が大幅に立ち後れてしまったのである。
 では、こうした米国の石油製作はいつから起こったのか。

 思えば、昭和16年4月にはじまった日米交渉の悪化から始まった。この悪化の一途は同年の7月には、深刻さを増し、米国の対日資産の凍結により明白となって来る。これに併せて、英国や和蘭
(オランダ)も右へ倣(なら)えしたのである。
 こうなると、日本は全面戦争への突入を余儀なくされることになる。

 当時、日本が備蓄している石油の量は六百万屯とされていた。しかし、この数字は一年分であり、実際には二年半分に匹敵する石油を備蓄していたのである。
 備蓄量六百万屯では一年で底を突く。ゆえに米国としては、一年半の石油を封鎖しておけば、日本は無条件で服従すると考えたのである。日米交渉はその後も続けられ、四ヵ月の及んだが、米国は日本の支那及び仏印からの全面撤退を提示したが、満洲国については一言も言及していなかったのである。
 米国要求の日本軍の全面撤退は国務長官の『ハル・ノート』によってであるが、当時の日本の政治家や軍部は本当の米国の意図を見抜くことが出来なかった。また政財界の両界が分裂していたことにも、情報分析に大きな誤算が生じていた。情報の共有化が出来なかったのである。

 併せて情報分析は表皮に固執し、正か邪かの清規判断のみで、その隠れた部分の深部は読み取ることは出来なかった。表裏に通じていなかったのである。
 したがって隠れた意図を読むには、陋規に通じていなければならなかったが、藕糸を読む思考は失われていた。総て欧米の体系主義に習ったのである。そしてその体系主義による負の部分が、力で相手を抑え込む帝国主義、植民地主義だった。総てこれらは欧米の物真似だった。
 隠して日本人は弱者に対する思い遣りを忘れることになる。結局行き着いた先は、自国だけがいい、時分掛けがいいと言う“自分主義”に奔ったことであった。満洲も考えれば、自分主義に奔った、実体は傀儡国家である一面が否めない。帝国主義、植民地主義の成れの果てであった。しかしなってしまった以上、その現実は無視出来ない。
 なるようになる。これが「なんとなかる」の原点である。


 ─────遠くから、コツコツと甲高い音が聴こえる。ハイヒールの靴音である。それに合わせてエキストラも靴音を追う。追って移動し、聴衆に歓迎されているカメラ映りを演出していた。
 女優群は青い制服に青いエア・キャップ。型には黒のショルダーバックを掛けている。
 大日本航空のエア・ガールに扮した五人が、靴音も高らかに雑人溜りに近付いて来た。胸を張り颯爽としている。誰もが女優然である。余りにも大っぴらに目立ち過ぎていた。その歩きは早からず遅からず、どこまでも毅然としていた。
 その歩きに監督は思わず注視し、一瞬釘付けになった。何故だろうと思う。あの毅然とした歩き方、一体誰の足取りだっかと想いを巡らせてみた。しかし思い出せない。だが、かつて見たことのあった歩き方だと思うのである。果たして誰だったか?……。そして遂に思い出せなかった。
 一方で懸念もあった。何とも目立ち過ぎる。
 猟られないのか?……。外部からの眼で検
(み)た懸念である。そこに狙撃者の目は無いのか。

 雑人溜りは犯罪シンジケートのも、それなりの存在と影響力
を持ち始めた。危険地帯であるからだ。
 その存在
(presence)は無視出来ず、また影響力が懸念されるところであった。雑人溜りは、今では流民が寄せ集まって、まんまと土民に収まっただけでなかった。
 漂泊の流民は土着後、艱難の境遇が過ぎれば土地にも水にも馴染み、やがて二世三世が生まれて来る。その世代が父母や祖父母の難儀を知る訳でない。中には、悪環境下の中で犯罪に手を染める者も出て来る。そこに新興の犯罪組織が擡頭しても不思議でない。犯罪に全部が全部汚染される訳ではないが、そのうちの何割りかは犯罪組織に染まることもある。遺伝子に残留している本能が眼を醒まし、先祖の流浪時代の記憶を蘇らすかも知れない。生き抜くために血を売り、肉を売ったかも知れない。あるいはそれらを喰らったこともあろう。決してあり得ないことではあるまい。
 そして一番手っ取り早くて金になるのは麻薬と売春である。麻薬に誘惑されれば、高貴の婦女子も一介の売春婦に顛落する。

 種々の犯罪の中でも、麻薬に絡んだ売春は深刻で更には、陰では人身売買が取沙汰されていた。日本人の婦女子を攫
(さら)って、奴隷市場で売却するビジネスが横行し始めていたからだ。
 日本女性は黄色人種には珍しく、特に色白で、木目の細かい肌を持つ日本女性は上等とされ、高値が付いていた。バイヤーは挙
(こぞ)って日本女性に高値を付けた。商品の入手は半島や大陸ばかりでなく、日本内地でもその猟の手は伸びた。そして猟られた後、集荷の中継基地が雑人溜りであった。そういう暗黒の地下基地があった。麻薬や売春の巣窟である。
 しかし、此処は満洲国官憲の取り締まり外の地域であり、また奉天憲兵隊も容易に手が出せず、此処から堅気の衆に昏
(くら)い翳(かげ)を投げ掛けていたのである。

 兵頭はこれを「危ない」と思うのである。
 内外の美女が五人も集まれば、狙われるのも当然である。掴まれば高値で売れるからである。何しろ大日本航空のエア・ガールである。安かろう筈がない。世界の富豪が、これに高値を付けない訳がない。
 雑人溜りこそ、津村が指摘した中宮であった。最大の難所であった。そして推理を深めれば、この中宮に人身売買組織が存在しているのか?……。あるかも知れないし、ないかも知れない。だが疑惑はある。津村の疑いである。
 その疑いの中から、一人の人物の名が泛
(うか)び上がって来た。M資金に絡む瞿孟檠(く‐もうけい)。貌のない影の皇帝である。そして手下には、日本内地での人身売買に絡む堀川彦宸(げんしん)を名乗る戸籍上の作右衛門の弟で、本名は公瑞兆(こう‐ずいちょう)。人種は中国人、そして今は、農務省の農事技官に成り済ましている。巧(うま)く作っていた。
 この構図からも、雑人溜りは何かあると思うのである。
 津村は回想する。
 もしかすると前妻の鈴江は似非祖国と言う名で唆
(そそのか)されて攫われ、そして無慙(むざん)に殺された後妻の珠緒も、雑人溜りと無縁でないと思うのであった。そこに目に見えない巨大な輪が廻っているように思えてならなかった。


 ─────この中宮を突破する……。主目的である。
 全員、無事に突破しなければならない。しかし、そうは問屋も降ろすまいと懸念するところもあった。
 案の定、問屋は簡単には卸さなかった。
 横から不穏な集団が接近しつつあった。表面は満人の集団であるかのように映るが、実体は違うらしい。ある意図を持っていた。夜陰に乗じて動く暗躍であるらしい。何者かの指令で動く隠微な集団であった。それが花園を歩く五人に近付いているのである。

 「小隊長殿、来ますぜ」兵頭が警告を発した。
 「いよいよ敵が動き出しましたか、走狗の満人たちが……」
 「そのようですなァ、ソ連の飼い犬でしょう」
 「さて、そろそろ犬退治をしますか」
 豪胆な言い方だった。
 兵頭には、内心“こうこなくっちゃ面白くない”というような気軽な相槌を打った。これを程よい緊張と言うらしい。
 人間には常に一定割合で、「ほどよい緊張」があった方がいいのである。危険は災禍
(さいか)として遠ざけるのでなく、時には危険の中に身を置いて、程よい緊張があった方がいいのである。こういうのを「無意識の緊張」と言う。人間は常に、程よい圧迫(pressure)が懸かっている方が、精神の正常を失わないのである。威圧感を忘れてしまうと、則ち“ボケる”のである。刺戟を与え続けられることが肝心なのである。また刺戟を嫌うと、大きな圧力が加わった場合、不安や恐怖の種になり、ストレスを生じさせるのである。
 要するに中庸・中道に位置する拮抗が難しいのである。

 退治する……。
 「?…………」吉田と亀山はその意味が分らず、目が飛んだようになっていた。急激な変化に対応出来ずにいるようであった。変応自在に変化することが出来ないのである。つまり顛沛時
(てんぱい‐じ)の咄嗟の行動の欠如である。顛沛とは僅かな時間を言う。その時に急激な何かが起こる。その急変に如何に対処するかの判断である。
 ここで顛沛
(てんぱい)について語りたい。
 顛沛とは、咄嗟
(とっさ)の弾みなどで、躓(つまず)き顛倒(てんとう)することを言う。
 だが、仁者はこうした顛倒時にも、仁をなすと言うのである。更には、いつ如何なる時も、仁を違
(たが)えないというのである。
 その顕著な例が、直心影流の榊原鍵吉
(さかきばら‐けんきち)と、その弟子の山田次朗吉(やまだ‐じろきち)の話に出て来る『雪の九段坂』であろう。この話は、ある著名な武術家の著書に記述されている。
 榊原鍵吉は天保元年
(1830)十一月、麻布広尾の榊原邸で生まれたが、天保十二年の十三歳の時、男谷精一郎(おたに‐せいいちろう)の門に入り、直心影流剣術を学んだ。
 以降、研鑽十年、天性の素質と才能に加えて、稽古熱心であったため、免許皆伝を得て、安政三年築地の講武所剣術教授に抜擢
(ばってき)され、また小川町の講武所剣術師範として、師の男谷精一郎と、その門下十三人衆と共に名を連ねる程の腕前になっていた。

 こうした鍵吉の得意絶頂にあった頃に、入門したのが山田次朗吉であった。
 山田次朗吉は師匠の榊原鍵吉と共に、雪の九段坂を歩いて来た時の事が、この話には出て来る。この話は、ある咄嗟
(とっさ)に起った「顛沛事」を取り上げている。
 雪のために鍵吉の履いていた下駄が滑って鼻緒が切れ、わが師・鍵吉が顛倒
しようとした瞬間、山田は鍵吉の躰を咄嗟に支え、残る片手で今度は自分の履いていた下駄を素早く脱いで、師の足許(あしもと)にあッという間に差し出したのである。一瞬のうちに踏み履かせ、顛倒を防止すると同時に、わが師の足許(あしもと)に自らの下駄を踏み敷かせたのである。これこそ、まさに臨機応変の最たるもので、これ以上の「妙」はない。

 「退治ですよ、退治」念を推した。
 それは何者かの指令で動く満人の隠微集団を指している。これを退治すると言うのだ。
 だが、唐突にそう言われた二人も、何が何の事か分らない。迂闊
(うかつ)には手が出せないのである。危険な蜂の巣を突つくのは賢明でない。
 躊躇している二人を前に、兵頭が懐からモーゼルを抜いた。
 「では、退治します」
 「早まっては駄目ですね、兵頭さん」彼を制するように津村は言った。
 「退治するんですよ、いま遣らねば」《いま遣らねば取り返しのつかないことになりますぞ》と言わん気であった。
 「違いますね、その方法は」
 「違うって?……」怪訝
(けげん)そうな貌で訊いた。なお、詳しく訊きたいと思って口を開きかけた。
 「方法論が間違っています。兵法に帰れば、戦わずして、相手を屈服させるのが上策と言っています。その上策、自分が先ずは手本を示してご覧に入れましょう」
 津村はそう言って、集団の方につかつかと歩き始めた。矮男
(こおとこ)である。何とも頼りなく、迫力も威圧もなかった。だが、この小さな巨人はそれを解さない。
 吉田は、その姿勢を「肚の出来た人」と検
(み)た。
 自国は暁闇に近付いているとは言え、まだ暗い。夜は明けていない。しかし上弦の月光は仄
(ほの)かに差し込んでいる。その仄かな明かりから相手の数を即座に感得し、建物の陰に一旦身を隠し、近付く集団を窺っていた。
 津村は修行によって夜目が利く。
 闇の中が見渡せる。陰の動きすら分る。その陰を一つ一つ順々に追って行き、総勢十人と検
(み)た。その十人は、この種の暗躍に馴れた者と検てとり、生死の汐時を計った。視力を研ぎ澄まし、凝視すると、集団を指揮する首領格を発見し、「あいつだな」と思う。狼のような相貌(そうぼう)の漢であった。この漢が羊の群れを掻き回すのだろう。あいつを仆(たお)せばこの集団は崩壊すると検たのである。
 この集団は静かな動きをするが夜盗ではない。その静かさは、行き過ぎる夜陰に微風を漂わせているだけであった。

 津村は近付き、小腰を屈
(かげ)めた。前方の暗を透かして見ているのである。陰は真っ暗だから、他の三人には動きがよく分らない。
 兵頭が津村に近付いた。
 「どうしたのです?」その聲
(こえ)は低い。
 「しッ!だまって」叱った聲も低かった。闇の中の暗躍は無言で行うものだからだ。気合いすら発しない。
 兵頭には恐怖はなかったが、なぜか背中に冷気が疾るのを覚えた。モーゼルは構えたままである。いつでも狙撃できるように構えていた。

 津村はゆっくりと接近し、首領格の狼だけを狙っていた。首領を倒せば集団は一気に崩壊するからである。そのことを熟知している。
 闇の中の行動律……。静寂の中で常に動き、移動していなければならない。動きを止めればそれまでだ。
 こちらも近付いているが、向こうも津村が小腰で接近して切ることに気付かなかった。矮男
(こおとこ)は突如、黒豹に変化(へんげ)した。異様なほど、しなやかである。そして兵頭を制したまま、やがて闇に溶けた。殆ど見えなくなってしまったのである。兵頭は消えたような津村に唖然とした。
 突如、闇の中で何かが動いて躍った。シュッと風を切るような刃物の音がした。闇の中なので何が動いているか分らない。モーゼルを構えているが、狙う目標が全く闇に溶け込んで確認することが出来ない。ただ鋭い音がするだけであった。

 何かが動き廻っている。速い。速いが重くない。軽快な切り返しのような動作で去
(い)なしていた。
 切り返しは、切り据えるような重い動きでは駄目である。重くては次の動作に移れない。重く、切り据える事は厳禁なのである。切り返しは軽快で速いことをよしとする。
 だが、それが何か分らない。早い動きである。何が起こっているか分らない。ちょうど建物の陰になって分らないのである。
 何秒か経った。
 したたかな手応えが響き、呻
(うめ)きとともに、何かが暗闇の地を這(は)っていた。
 次の瞬間、踏み込み態
(ざま)に抜き合わせるような鋭い音がし、烈しい衝撃とともに、赤い火花と刃物の閃光(せんこう)が疾(はし)ったようだった。巧みに杖を振って払い上げている様子が、闇の中に泛(うか)び上がっていた。次々に薙ぎ払い、回転させて急所を突いた。相手のどこを突いたか分らないが、ビューッと杖が撓ったようだ。足は払われ、薙ぎ倒され、幽かな悲鳴が上がった。津村は驚くべき手練であった。
 剣や杖は素手で殴り合うより、恰好よく動けるものである。アクション映画では素手の殴り合いの場面を派手にみせ突きと蹴りの連打を、振付け師の脳裡に描いた娯楽性の巧妙なトリックによるコンビネーションで再現しようとするが、それは素人の眼に映る幻影に過ぎない。
 実戦で最も有効なのは、次ぎ次ぐに繰り出される派手なコンビネーションでなく、地味な、目立たない剣術および杖術の“切り返し”だけである。したがって容子
(ようす)がよくて、腕もあって、好青年然とした役者では荷が重過ぎるのである。津村は矮男(こおとこ)である。見るからに好青年とは言い難い。年齢的には黄昏れ近いオヤジである。なかなか映画俳優のようにはいかないものである。
 だが、その矮男が奇妙な立回りをした。とにかく速い。その速さで、自分は無傷のまま相手を総嘗
(そうな)めにしている。これを何だろう?……と兵頭は思った。

 兵頭は、あれが『津村流陽明武鑑』の術の一部か?!……。凄いと思った。
 津村流陽明武鑑の術の中には、方・道・躰・心・命の五術があるからだ。その何れかが絶妙に遣われたと思われた。飯縄遣
(いづな‐つか)いの妙術を、闇の中で見たような憶(おも)いだった。過去にそう言うものを見た記憶があったからだ。
 人体が斃
(たお)れ、打たれる音が鈍く響いた。肉が叩かれていた。
 その動きの中で、幽かな呻き聲
(こえ)が上がり始めた。やがてその聲を背に、津村の姿が闇の中から忽然(こつぜん)と顕われた。飛び道具の火器などは一切持っていない。仙人杖一振りだけである。奇妙な生還であった。忽然と顕われる、その姿は実に奇妙なものであった。

 兵頭は唖然
(あぜん)としたまま、口を開けて聲が出ない状態であった。生還を喜んでいいのやら、驚いていいのやら、何れともつかぬ戸惑う表情をしていた。
 「……………」唖然とした余韻
(よいん)が未だ抜けないでいた。
 「退治しました。では、まいりましょうか」全員に促した。
 吉田も亀山も一体どうなったのか分らないでいた。こういうのを速いと言うのだろうか。いや、どうも違うらしい。訳の分らぬ活劇を見てしまったような貌をしていた。
 全員は、これまで居た場所から数十メートルほど進むと、仄かな月明かりの下に、黒い蠢
(うごめ)く物体が呻き声を上げて転がっていた。野獣の一団が狙いをつけて躍りかかる一瞬の虚を衝いたらしい。闇の中に崩れていたが、死んではいなかったようだ。もとより、この一団が何者であるか分る筈もなかったが、羆の走狗だろう。

 「何とも恐ろしい勢いですなァ」吉田が凄まじさの余りに呟いた。それは日常ではお目に掛かれないと云う言い方であった。
 続いて亀山勝巳も「こう言うのを暗闘というのでしょうか……、それにしても……」と吐露した。
 亀山は無口な漢だった。眼だけが異様に鋭い。これまで殆ど口を聞かなかったが、珍しく感想のような言葉を漏らしたのである。彼にとっても驚きだったであろう。
 「いやいや、へっぴり腰で、弱過ぎるのですよ」
 「こういう勢いの凄まじいものを、自分は、どの戦場でも見たことがありません」今度は兵頭だった。彼は満洲が長かったと言うから多くの戦歴を持つ勇士であろう。
 これを目撃した吉田と亀山は内心《あの強さは何事だ?》と不思議に思うのであった。
 津村には戦さの経験はないが、暗闘の経験やその訓練は父・十朗左衛門に連れられて赤城連邦・黒桧
(くろび)山に入り五術の修行をして来た。併せて、神道無念流の剣術も学んでいる。そこは日常とは違っていた。非日常のサバイバルの世界だった。

 父は『三尺達磨』の異名を持っていたが、津村もよく似た体躯をしていた。
 だが、その体躯から繰り出される術は恐るべきものがあった。戦いを知る漢であった。集団戦を理解し、戦いに熟知しているらしい。敵の一意見烈しい攻勢も、それは一時のことである。集団戦を戦うには、まず鋭峰
(えいほう)を去(い)なす必要があった。最初にそれが出来れば、あとは総崩れとなる。それまで疲れるのを俟てばいいのである。
 敵の最初に繰り出す弾みを抑え、あるいは去なし、戦意の萎
(な)えるのを俟てばいい。派手なアクションこそ禁物なのである。敵が攻め疲れ、それが崩れた時に一気に畳み掛ける。暗闘での戦い方であった。闇での戦い方は喧嘩式の“意地っ張り”の戦いは下の下である。それでは弊害が起こる。腕力に任せ、己(おの)が腕に溺れ、結果的には墓穴を掘る。
 怒りに任せては行けないのである。戦術的配慮を知らねばならない。集団戦に惑乱されて早まり、歩卒の戦闘を遣ってやならないのである。闇の中での視界の明るさを養い、よく観察すれば、自ずと弱点が見えるものである。津村は虚を衝いたに過ぎなかった。

 「不思議です」亀山の吐露である。
 「何がでしょう?」
 「疲れを知りません」
 亀山は津村の疲れを知らないところに不可解な疑念を抱いた。
 「人は動けば疲れるもの。充分に疲れています。だから、これくらいにして、ほどほどで止めたのです」
 亀山は《異なこと……》と思った。何が何やらさっぱり分らない。
 津村は暗闘の中で、敵から弾き返されれば、それを疲れと検
(み)る。わが勢いが挫かれれば、自分が疲れていると観測する。そういうものは自ずと気付くものである。暗闘の術を心得ていれば、先鋒(せんぽう)の集団に奮迅(ふんじん)の動きをさせずに阻止することが出来るのである。単に、その理(ことわり)を教わった原理原則に従って、忠実に厳守したまでのことであった。しかし、これを厳守することが難しい。何故なら、厳守することの才能がいるからである。厳守の結果、そこから凄まじいエネルギーが発気されているのである。それが虚を衝くことであった。

 津村陽平恐るべし……。目撃者の感想である。
 この漢は手強いどころの騒ぎではなかった。普段は飄々としているが、実戦への変化では歯応
(は‐ごた)えがあり過ぎるのである。
 「安心しないで下さい。今のは肩慣らしのようなものです。これから、徐々に歯応えのある連中が妨害し、あるいは襲撃して来るでしょう。特に羆
(ひぐま)大明神は凄まじいの一言に尽きますからなァ」
 その恐ろしさを一番よく知るのは津村かも知れない。それだけの言い放った言葉の中には、息遣いの柔らかさが感じられた。こういうのを「徳」と言うのであろう。顛沛での「仁」は何も行動においてばかり顕われるのではない。その言動においても、仁は現れるものである。そしてこの仁に背景には、津村が失うものを何一つ持っていないからであった。失うものを持っていない者は強い。強靭である。そのうえ心術で心を鍛錬していれば、不屈の精神が確立していると言えた。

 だが、失うものを持ち得た者はどうか。こだわりを持ち、頑迷に迷っている者はどうか。こうした拘泥は道を閉ざされた者と検
(み)る。特に見られるのは、何ものかにこだわり、幻影に迷わされ、固執する何かを持っている者は弱い。そこに泣き所がある。
 堅気の人間は失うものが多過ぎるからだ。また日常と非日常の切り替えに疎い。脅されて「命乞いをせよ」と言えば、進んでするだろう。土下座も辞さないだろう。家族や愛するものを人質にされて、脅されれば、それを靡
(なび)くだろう。
 津村は堅気の世界を“諸刃の剣”と思う。この世界は総て“お義理”で動いていると検
(み)ているからだ。義理と人情のうち、義理の比重が圧倒的に多い。例えば女房である。堅気の女房はどうであろうか。亭主は女房に対し、言葉でもポーズでも、常に欧米人のように愛情表現をしなければならないのではないか。欧米人のように露骨に「愛しているよ」と言わないまでも、それに似た表現とシグナルを常に送り続けていなければ、そっぽを向かれると言う懸念と強迫観念は否めない。
 だが、よく考えれば、それはこの世限りの幻影ではないのか。
 この幻影に似たものが、もう一つある。明治維新以来の、欧米が間接的に持ち込んだ民主主義である。
 爾来、民主主義は世界最高のシステムだと思われ、大正の人民が表面に突出したデモクラシーに入れ揚げることになる。議会制民主主義である。それかた大東亜戦争へと突入した。突入の背景には民主独裁が存在していたことは否めない。永遠と信じた果てが、実は戦争だった。現に民主主義から国民に選ばれる制度の手続きを踏んでヒトラーも登場し、ナチスが第一党に擡頭した。これに恐怖した当時の独逸国民は果たしてどれだけいたであろう。

 民主主義……。
 ギリシャ語でデモクラシー
(demokratia)と言う。demos(人民)とkratia(権力)とを結合したものである。権力は人民に由来し、権力を人民が行使するという考えとその政治形態のことだ。
 そしてこの政治形態から、中産階級が出現した。その階級は自分の生活基盤を“中の上”と自負した。自負の中で、自分は“まあまあの生活者”だと思い込んだ。この基盤が末永く続いてくれればいいと思った。
 では、それ以下はどうだったか。“中の上”以下の肉体を酷使する連中はどうだったか。また農民はどうだったか。そして疑念は中産階級の実体は何かを考えるようになった。“中の上”を、いい暮らしと定義付けるのなら、それ以下は何か。果たして家畜か?……。“中の上”に使役される下級労務者か?……。こういう疑念は直ぐに社会に繁栄されるものである。

 “中の上”のいい暮らし。
 これは永遠に続くものでない。この現象界は常に変化し続けている。“中の上”も永遠に安泰ではない。どこか自転車操業に似たものもある。繁栄がベースになっているからだ。繁栄は、一旦始まったら最後、永遠に繁栄し、反省の清澄を示さねばならない。資本主義の最大の欠点である。
 それはあたかも、一人の政治家が在任を永遠に長く務めるのに似ている。だが、それでは新陳代謝を失う。
 変化は老化を来たし、老朽化することを認めない。普遍的でない。
 今の財を永遠に継続しようとすれば、必ず何処かに疲弊を来すのである。それは失う物があるからだ。失うまいとすると、そこには無理な負荷が懸かる。それが弱味になる。

 だが津村には、失うものが何一つない。気軽である。軽快である。見通しが利く。故に眼は曇っていない。
 状況判断が正しく、それだけに周囲の景色が能
(よ)く観察出来るのかも知れない。それは至って変則的な事態と、自らも時差罪なる策が繰り出せるからだ。
 霊的神性を曇らせる迷いから解放されていた。その解放眼で羆の生態を観察した。自由自在に、柔軟に、ありのままを先入観の介在無しに観察する。動き方の実態がよく観測出来る。

 津村はチタの満洲総領事館で、獲物を狙う前の羆の生態を検
(み)てきている。暗躍する集団の目的と意図を察した。
 それはシベリア鉄道の貨物輸送が、西から東に変わったことであった。状況に変化が顕われている。これを先ず第一に危惧
(きぐ)しなければならない。この漢独特の観察眼である。そして羆の習性を知った。兇暴さも分った。
 傷付いた羆が荒れ狂えば、手が付けられないだろう。羆とは、ソ連の精鋭諜報員のG・P・U
(ゲー・ペー・ウー)を指す。その首領は怕(こわ)い。
 特に国家政治保安部首領のパヴロフ・カウフマンは、太陽島の高級リゾートの遊戯場で、アン・スミス・サトウ少佐からポーカーで破産同然に追い込まれたからである。カウフマンにとって、アンは怨み骨髄の対象である。あの時の怒りを失っていまい。彼女は、この漢を手負いの羆にしてしまったからだ。
 また今しがた、手先の走狗の満人が津村に打ちのめされた以上、これからあらゆる手を使って襲撃して来るだろう。
 津村の恐れることは、羆自体に恐怖を抱くのではない。羆の本当の怖さを知らないアンのような闇の中の世界を知らない者が怕いのであった。彼女は未
(ま)だ羆の残忍さを知らないのである。

 何しろ首領のパヴロフ・カウフマンは残忍で知られる。非常に頭がよく頭脳明晰で、学識もあり、その理解力においては群を抜いている。幼少年期から神童的で、かなり早熟であったという。
 幼少期、兎が欲しいと父親に頼んだ。がウ不満の父親は医者だった。そして兎を飼うことを許された。数羽の兎を飼った。その兎をどうしたかと言うと、一羽の兎の耳を、何と鋏で切ってしまったのである。
 何故そうしたかというと、耳の短い兎が作りたかったいうのである。これは年端の行かない子供の遣ることではなかった。この年齢では、御伽噺に興じる幼少期である。早熟・神童であるとは言え、そこまでは遣らないだろう。
 耳を切られた兎はどうなったか。
 兎の耳の疵口は日増しに悪化し、化膿が始まって畸形し、穢くなったので、今度は父親の医療器具から注射器を持ち出して、心臓に空気だけを送り込む静脈注射をした。心臓に空気を打ち込まれた兎は、その場できりきり舞いをはじめ、数分後には死んでしまった。そのきりきり舞いが面白いのか、飼っていた総ての兎に心臓注射をして殺してしまったという。この幼少年期の一面だけでも、充分の残忍である。そして、そのカウフマンは医学者としてソ連の国家政治保安部の首領として君臨している。カウフマンは科学万能を信じるあまり、科学に誘惑されたのだろうか。
 戦争は科学に誘惑された人間を、次から次に作り、そう言う人間から新たな新兵器が作られる。神への挑戦として……。原子爆弾開発も科学に誘惑された科学者によって作り出された。
 カウフマンは科学万能を信じきっていた。この漢は、神に代わる権力と権威を手に入れようとしているのかも知れない。それが幼少期から、神をも恐れぬ……という行動に出たのかも知れない。唯物論一辺倒に凝り固まった者に見られる特長である。
 カウフマンの配下には秘密警察が控えている。総掛かりで襲って来る懸念も否めなかった。

 そして、津村が予見した通りに、これから徐々に手強い高等訓練を受けた刺客が襲うとなると、今のように簡単に片付けられそうにもない。また向こうから音もなく忍び寄って来る敵は、虚を衝く隙も見出せようが、落し穴を仕掛けて待ち構えている敵は、直ぐには発見出来ないものである。夜陰に乗じて、突然、闇の中から顕われて来る。
 なおも警戒は解けない。これから先の難儀が思い遣られた。

 津村はつい先ほどのことを序曲と感得している。それは今はじまったことであった。これからの難儀は山積みであった。
 そう思う矢先に、次の難儀が襲い掛かった。その難儀は傍若無人の集団であった。
 「前方から融通の利かない連中が遣って来ます」亀山が警告した。それは“質が悪い”という意味と同義だった。確かにこの連中は融通が利かない。検挙第一主義の連中である。諜報工作が不得手の連中である。
 市中見廻り巡邏隊である。指揮官の将校一人と下士官・兵の隊員十人ほどで隊列を組んでいた。
 軍の威光と官憲の特権を笠に来て、功を焦る連中である。間者を穿鑿する防諜だけに精一杯で、然
(しか)も融通が利かない。それだけに質が悪い。その権限で職務質問するらしい。
 関東軍第二課
(情報担当部)の保安局治安分室の連中で、指揮官は、腕に憲兵の白地に赤の腕章をした下士官を従えていた。保安局治安分室は機構上は満洲国の役所に属するが、水面下では関東軍が情報を担当していたのである。大っぴらに憲兵然としているので、少なくとも秘密戦を戦う戦士ではなかった。虎の威を借る狐であった。

 市中見廻り巡邏隊が近付いて来た。
 「お前ら、この夜中に何をしている!?」剣幕気味で怒鳴った。巡邏隊の指揮官である。
 この連中は巡邏
(じゅんら)と監視を兼ねているようである。しかし軍用犬は従えていなかった。この巡邏隊は四人の行く手を道を閉ざして阻んだのである。
 「怪しいものではありません」吉田が代表した。
 「怪しい奴ほど、怪しくないとほざく。それが怪しい証拠だ。領事館警察の交番まで来てもらおうか」威圧的に吐き出すように言った。近くの警察の交番まで引き立てるらしい。
 「困りましたなァ……」吉田である。
 「野党の類
(たぐい)であろう。連行する!」決め付けるように言った。
 「われらは野党を働くほど、懐は冷え込んではおらん!」亀山が言い捨てた。
 「よくも言ったな!貴様」平服の亀山を侮ったような言い方だった。
 「さて、どうしたものでしょうか?みなさん」吉田が促した。
 「畳みましょう」兵頭だった。
 「そういうのは賢明でありません」津村が制した。
 「では?」
 「任せて下さい」話術で丸め込もうと言うのだろうか。
 「?…………」
 こう聴いて津村以外は沈黙したが、この沈黙は出方によっては腕力で抑え込もうと言う魂胆があったかも知れない。巡邏の憲兵隊など物の数ではなかったからだ。津村の腕を考えれば、簡単に纏めて小一時間ほど眠らせることも出来る。だが、それは賢明でないと言う。果たして、どう言う手を遣うのか。

 「なんだ?貴様は」
 「私の恰好がどうかしましたか?」津村としては、人からじとじろと見られる謂
(いわ)れはない。
 「その奇妙な形
(なり)は何だ?……」喇嘛僧然として笈(おい)を背負い、仙人杖に腰瓢箪。そして履いた草鞋(わらじ)。これが奇妙でない筈がない。だが、人は見掛け通りに受け取っては誤ることになろう。
 津村陽平と言う漢、避け難いと知れば決して修羅場を通ることを恐れたりはしない。自身で、今が試煉の時機
(とき)と知れば恐れずに立ち向かう。
 勇気とは、何も武勇伝をちらつかせる勇者のみの徳ではないのである。津村のような「勇」を自覚する者にも備わっているのである。

 「護衛の者です」《夜陰に乗じて、いま隠密行動をしている》と言いたかった。
 「護衛だと?異なことを……」
 指揮官は津村の貌を再びジロリと睨
(にら)んだ。そして喇嘛僧姿の全体を上から下まで舐(な)めるように見降ろした。笈(おい)を背負い、仙人杖に腰瓢箪。この漢は何者なのか?……。
 他が平服であるのに較べ、一人だけ奇妙な恰好をしていた。怪しいと言う懸念を崩さない。
 「護衛です」毅然と言い放った。
 「誰の警護だ!」
 「いま要人を護衛している。したがって護衛を中断し、あなた方の要望に応える訳にはいきません。我々は陸軍省の極秘指令で動いています」
 「なんだと?!そんなことが通ると思うのか」怪訝
(けげん)な貌を崩さない。貌には忌々しさが泛(うか)び上がっていた。
 「フン!極秘指令だと?……。大の男が、女どもの下劣な警護か」指揮官が吐き捨てた。
 この言葉は五人のエア・ガールを指していた。頭ごなしにバカにしている。それを“女ども”と言って嗤ったようだった。
 この指揮官は満洲映画社の、今晩の撮影中の情報を知っているらしかった。その護衛が、この四人と思ったのだろう。だが津村だけは、どこまでも怪しかった。

 「我々は任務中ですので、あなた方と問答する暇はありません」
 指揮官は津村をじろりと見回した。そして矮男
(こおとこ)であることを嗤ったようだった。
 「何が警護だ、矮男めが!」身体的欠陥を罵倒した言い方だった。
 「私の身長は五尺に満たない四尺八寸
(145.4cm)です。自分が矮男であることは認めます。矮躯(わいく)を嗤われても仕方ありません。
 しかし権力を笠に、そういう、人を見下した言い方はいけませんねェ」津村は毅然と胸を張った。そして背丈の低い自身の体躯を否定せず、それがチビであって嗤われることも辞さないからだ。覚悟の上であえる。しかしこれを恥だとは思っていない。
 また矮躯は自分の責任ではない。生まれつきである。先天的な欠陥を嗤うことは、人間として、それこそ下劣であった。だが、これも否定していないのである。自分は人間であり、あなたも人間であろうと、指揮官に問うているのである。人の身体的欠陥を罵倒して、恥ずかしくないのかと迫っているのである。それだけに津村の態度は堂々としていた。

 「なに!」
 「私は、人を見下すなといっておる!」語気を弱めず言った。
 「何が見下すなだ、下劣な女どもの撮影に加担しおって!今わが国は戦争状態にある。非常時だ!多くの同胞が各地の戦場で散っている。その英霊に対して申し訳ないと思わぬのか」
 「だったら余計に礼節を糺
(ただ)さなければ!」ズバリ斬り込んだ。
 「なんだと、いわせておけば」
 「礼を知らぬのなら未
(ま)だ許せます。しかし礼を知りながら無礼を働くのは許せません。それとも、あなたは職務質問にあたり、礼を履(ふ)んでいるでしょうか。人間には遣っていいことと悪いことがある。同じように、口の利き方を考えれば、言っていいことと言って悪いことがある。その区別のつかない貴殿では御座るまい」
 「うム?……」《言わせておけば》という表情は崩さないが、指揮官は思わず絶句した。同時に怒りも消え失せたようだ。思わぬ虚を衝かれたからだ。
 自らを羞
(は)じたのだろうか。
 指揮官は矮男がしたたかなのか、いかれているのか、さっぱり分からぬという表情だった。要するに津村の話術に呑まれたのである。
 しかしその表情の心の奥底に、まだ意地悪さの残滓
(ざんし)が燻(くすぶ)っていた。

 「今は戦時ですぞ。敵味方の識別を確
(しっか)り致されよ!陸海軍の軍事警察を司り、司法警察と行政警察の両方の権限を持つ憲兵と雖(いえど)も、人を侮辱する権限は御座るまい。また我々は犯罪者でもない」鋭く切り返したのである。
 こう言われた指揮官は、はッとしたようだった。自らの無礼に気付いたのだろうか。
 「うム………」それは揚げ足を取られて忌々しいと言う表情であった。
 「では、我々は護衛の任務を続行致します。道を開けられよ」津村は毅然と言い放った。
 サシで堂々と話術で渡り合ったのである。
 巡邏隊は津村の毅然さに気圧
(けお)されて、直ぐさま道を開けた。呑まれたという感じである。そして指揮官は、四人の後ろ姿に敬礼した。

 もし憲兵に怯
(ひる)んで押されていれば、今ごろ、遠巻きにしたエア・ガール五人の外側からの護衛には支障を来たしていたであろう。二面作戦は崩れることになる。
 礼を知り、羞を知り、聴く耳を持っていた指揮官に救われたと言えなくもなかった。こうして二つの序盤に起こった障害を取り除いたのである。
 戦いは、何も腕力を揮うだけで片付かない。武力行使に至る前段階でケリをつけることも出来る。政治が戦争の一面を抱えている以上、話術で制する戦いもあるのだ。言い分の道理を通した方が勝ちである。


 ─────とにかく日本では、軍事に関しての人事や人材適用の眼は曇りがちである。人物を見抜く眼も、先入観によって曇らされている。
 明治維新を経て明治・大正・昭和と時代を下るごとに、軍人の質もペーパーテスト形式により、答のある問題を解く解答者を起用し、最初から答などない問題に関しては殆ど解答を出せないという白紙記入解答者の選出がなされなかった。総て暗記力優秀者に頼った。こうして陸海軍は上部組織の参謀本部や軍令部が官僚化していったのである。
 そもそも戦争とは、最初から解答の存在しない白紙に解答を記入する頭上演習問題ではなかったか。計算出来たり、確固内に適語を当て嵌めると言ったものでない。況
(ま)して五択もない。白紙にデザインし芸術へと仕上げて行くところに平時の人事登用とは異なった違いがあるのである。机上の空論ではない。此処では実戦経験が物を言う。解答上手は必要ないのである。
 先の大戦の日本の敗北を考えれば、これらに併せて先任主義が仇
(あだ)を為(な)した。米国のように戦時に対する柔軟な考え方がなかった。日本の戦争指導者に最後まで奇手が出なかったのは、人材を見抜く眼に欠点があったからだ。幾ら局地戦で小さな勝ちを収めていても、大局で戦機を喪(うしな)っているのでは勝ちようがない。遂に日本では、チェスター・ウィリアム・ニミッツ(Chester William Nimitz)やジョージ・スミス・パットン・ジュニア(George Smith Patton Jr)のような人物を登場させることができなかった。年功序列と先任主義にこだわった。

 平時と戦時……。
 比較すれば同じものでない。状況が異なる。戦時に平時の専門化や細分化は愚であろう。平時の文明の体系主義はそこには適用されない。戦時は臨機応変で、柔軟に対応する余裕を有していなければならない。平時の鈍才も戦時に変化すれば思わぬ才能を発揮することがある。過去に戦歴や経歴は無用である。
 堅気のシステムでは、尋常に機能しないのが非日常の戦争状態にある場合だ。
 また堅気の平和主義では、戦場で勝てない。日常とは別の次元の奇想天外さが要求されるのである。
 奇人・狂人の類
(たぐい)でないと戦時には対応出来ないのである。近代戦では戦い方が一変した。少数精鋭での遊撃戦も、本来平時の軍隊にはない奇戦であった。正攻法でない奇戦の“奇手”が必要なのである。奇手は教科書通りの解答集に、その答があるのではない。解無しである。最初から白紙の上にデザインして行く地道な作業が必要になって来るのである。
 戦時も平時も区別のつかない軍隊官僚が、民衆の軍人に対する平身低頭をいいことに、威張り腐って夜郎自大になり、自惚れ、奢
(おご)ったことも日本の敗北を早めた。虎の威を借る狐どもを集めても、戦争は勝てないのである。しかし当時、この愚を見抜ける者は少なかった。
 ただ陸海軍の将軍や提督は急々として戦をする。そして礼を履
(ふ)まなかったことは何よりも汚点だったであろう。
 民衆はラジオで聞かされる戦地での、小戦闘の局地戦に一喜一憂しただけであった。大局で勝っているのか負けているのか、全く判断がつかなかったのである。ただ負けが込むと、余裕がなくなって来るということだけを肌で感じていたのである。それが物資欠乏に直結されていた。負けが込むと、いよいよその欠乏は深刻になって行った。


 ─────難儀はこれからであった。
 外側からは、女五人の中枢を遠巻きにしながら、付かず離れずを繰り返して進んでいた。
 「本当になんとかなるものですなァ」吉田が吐露した。
 「あれは序の口です。背後には恐るべき組織がある。そういう組織と、いま対峙しているのです」津村にはその規模の大きさが想像付くのである。
 「どういう意味ですか」
 「これは単に新京飛行場までの通行の阻止ではない。この行為の裏に、もっと大きなものが隠されている。その組織と我々は対峙したのです」
 それは大東亜戦争そのものがその巨大な輪の中に取り込まれて、これと抗う構図を作ってしまったと言う意味のことである。途方もなく大きいのである。
 「?…………」
 「そのうえ巨大な輪が放つ細作
(しのび)は強力です。秘密戦の何たるかを熟知しています。一方、わが軍が幼児並みに未熟。既に細作に悩まされている……。攻められたら、躱すべきものが殆どありません」
 「巨大な輪が放つ細作とは?」
 「例えば、貌のない影の総帥と言われている瞿孟檠
(く‐もうけい)のような……組織力を持った、そういう忌まわしいものです。奇態で、正体のはっきりしない闇の存在です……」
 「瞿孟檠ですって?」表情が強張った。
 「そう、日本に破壊を齎す死神です。我々は不覚にも接近し過ぎたかも知れません」
 「なんですと!……」
 「瞿孟檠を甘く見ては行けません。奴は役者で言えば、性格派俳優として天才的です。心身総てを能
(よ)く作っていますよ。大勢を誑(たぶら)かす術も心得ている。その影の皇帝の触手が、この地の新京まで延びているとしたら……」
 「我々は秘密戦に未熟でした……」反省と悔悟の意味が含まれていた。
 「そう、未熟。だが邪
(よこしま)なりとはいえ、秘密戦の“イロハ”も知らないより知っていた方が、多少は増しのこともあります」
 敵は満人の手下
(てか)まで使って、無尽蔵に策を繰り出すことが出来る。特殊な養成機関で高等訓練が施されている。これが羆大明神の恐ろしさだった。
 次から次へと繰り出して来る阻止の動きの中には、敵味方が相乱れている。“三つ巴構造”が、より複雑になった。だが一方で、味方が阻止の敵になり、敵の敵が阻止を扶
(たす)けるかも知れない。
 一寸策の闇の中は、いまだに未知数だった。
 「?…………」
 「そして、影から関東軍まで動かすとしたら……、これから如何なりますかな?……」鎌を掛けた。
 「裡側に工作員が入り込んでいると言うのですか!」まさかの驚きの聲
(こえ)を上げた。
 「いえ、工作人ではありません。買収されているのです。そして自身では買収されていることに自覚症状がない……。亀山さん、司令部の誰かに思い当る該当者はいませんか?」
 「そう言えば……」
 「やはり該当者はおりましたか……」
 「戦争遂行の強行派の連中……、あれは確か……」と言い掛けた。
 「しッ!人が来る」
 何ものが接近しているのかは不明だが、津村は、今度はそうはいかないと思う。今までとは違う。本当に手強い。そういう集団が忍びよっていると言うことを悟った。
 殊
(こと)の外、静かで、闇の中で動く動作が敏捷で、然(しか)も細作(さいさく)がいる。その高等訓練を受けている。忍びだ。細作とかいて「しのび」と読む。敵の方が一枚も二枚も上のようである。その細作が颯爽と歩いて来るエア・ガールの五人に近付いていた。彼女達は完全に標的(target)になっていた。
 奇襲の様相を見せ始めていた。護りの難しさであった。
 エキストラに囲まれた中枢は、このままでは狙撃されるが、あるいは一発の銃声で、取り巻きは輪を乱して霧散するだろう。そうなった時が一番殆
(あや)うい。撮影も何もあったものではない。その関係者も片っ端から屠(ほふ)られるかも知れない。危機が迫っていた。
 津村の脳裡には、悪夢の後味の悪さはいつまでも残留していた。


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