運気 八門人相 房中術 癒しの杜 菜根譚 小説 会報Back No. 合気 蜘蛛之巣伝 死の超剋 霊的食養 心法
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続々 壺中天・瓢箪仙人 6

大道芸人は視聴者が居ようが居まいが、芸を披露する。既に舞台に立った時が、芸の始まりであるからだ。
 それは兵士が観戦者が居ようが居まいが戦闘するのによく似ている。この世に生まれ落ちて、舞台に立たされた時が、則ち芸の始まりなのである。
(写真は当時見たものと無関係で、平成27年10月10日、陸上自衛隊西部方面隊駐屯地の目達原駐屯地上空で筆者撮影)


●プロパガンダ映画『月下の翼』

 甘木正広少将の「よし、任せた!」の言葉で、作戦開始と相成った。機は熟したと検(み)たのである。
 鳳凰
(ほうほう)ならぬ、猛禽(もうきん)で残忍と言われる梟は、夜の大空を舞い上がったのである。あたかも千里を翔(か)るが如くである。一方、良禽は樹を選ぶという。珠(たま)なき樹には棲(す)まずという。
 梟は夜空高く舞い上がった。今を翔る秋
(とき)と検たからだ。
 日本の将来を見据えた戦後の経綸の妙策、相成った。早期戦争終結の策、ここに時機を得た。昭和19年7月××日の深夜のことだった。

 津村陽平の『八門金鎖の陣』の献言
(けんげん)により、次のような作戦が立てられた。
 作戦課題は如何にして陣の中宮の虚を衝き、その隙を窺
(うかが)って一気に中陣を突破するかにあった。包囲網の中宮を乱すことにある。
 その場合、愚は迂闊
(うかつ)にも知らずして、傷門、休門、驚門を侵さないことであった。もし侵せば、被害を蒙り、また杜門、死門を侵す時は、必ず滅亡が顕われる。こうなると一切が此処で潰えることになる。
 敵中突破とは単に“つむじ風”のように、ただ早足で駆け抜けることではない。虚を衝かねばならない。それも気付かれないままにである。悟らせないのである。敵に抜けられたと言う自覚症状を齎さないまま隠微に抜けてしまうのである。暗躍とは、隠微に事を遂行することにある。そのために種々の工作を企てる。

 布袋さまと福禄寿は、サシでの問答に及んでいた。詰めである。そのサシを恭しく拝聴するのは、吉田ただ一人であった。他は人払いをしている。また、吉田は吉田で、今を“国患
(こっかん)の危機”と見ていた。
 「困窮しても、功夫
(工夫)すれば何とかなるものです」
 津村陽平の聲
(こえ)は、語韻(ごいん)に清々しさが宿っていた。
 「では、功夫の要諦を訊こう」
 布袋さまは決断したものの、相変わらず渋い貌をしていた。顔が綻
(ほころ)ばない。炯眼(けいがん)は鋭く迫っていた。
 「東南
(たつみ)の一劃(いっかく)から侵入とは、換言すれば、蹂躙(じゅうりん)に次ぐ蹂躙です。
 この言葉には権力や暴力によって、理不尽な侵害を覚悟せねばならないことを暗示していた。
 「それはまずいなァ」懸念の貌を崩さない。
 「ゆえに許
(もと)へと返します」胸に天地の機を蔵して言った。
 「だが、先ほど東南から突入して、西へ西へと言ったではないか」相変わらず布袋さまの貌は渋い。
 津村は苦労人である。
 それだけに世間の風に曝
(さら)されて来た。苦労人は多数の人間に接し、甘木少将の一見疑わし気な津村の策を見据える表情の底に、ある意味で子供のような心理があることを見て取った。
 やはりこの御仁は、布袋さまと思う。隠れたものが見え隠れした。微笑ましかった。
 また吉田をはじめとする一堂の心理も見通してしまった。単に注目しているだけでない。津村の策に総てを賭
(か)けているのである。答えねばならない。

 「ところが、蹂躙また蹂躙、そして更に蹂躙。そのうえで東南に返す……」
 「なんだと、逆方向へと敢行を返すのか!」《これは異なることを?》という意味にも取れる。あるいは矛盾を指摘したのだろうか。
 「そもそも人間と言うものは矛盾の塊です」
 「ほ〜ッ……」布袋さまは怒りもせず、口を丸めてニヤリと嗤
(わら)った。《なるほど、うまいことを言いやがる》とでも思ったのだろう。その笑いは好々爺に似ていた。
 いつしか思い切りの悪い嗤いが、満面の微笑みに変わったのである。津村の腹芸を見抜いていたかのようだった。布袋さまは、この漢に、人の世に共通な普遍的なものを検たのだろうか。
 それは日本人に共通する古来からの、物の哀れであり、弱者への思い遣りであり、これがしいては全体に共通する共通項と感得したのであろう。
 津村は苦労人であるが故に、人はみな不憫
(ふびん)という物の哀れを知る人間だった。人生の機微も心得ていた。それだけに自身では、人間としての誇りを持っていた。欧米追従主義を許さない。惻隠(そくいん)を重んじ、哀れみ深い人間のことである。
 かの孟子曰
(いわ)くの一節の「惻隠の心無きは、人に非ざる也」の、あれである。
 また、哀れみの中に、人の心の動きを察することが出来るのである。この心を惻隠という。

 だいたい人間と言うものは、人間同士で繰り広げる争いは滑稽であり、かつ醜悪的なものである。二千年の間に二千回争ってとしても、争いに「心」と言うものが生まれたことは一度もない。毎回同じことの繰り返しであり、争いの動機や詳細の醜いことは詭弁
(きべん)によって、醜さを言い繕(つくろ)っている。
 人間どもの寿命は短い。せいぜい長生きして、百年程度である。思えば、津村陽平の生き方は、老荘的であった。浮世を離れた隠棲的な、世から隠れる生き方をしたいと願っていた。
 彼は生きて、使命あって、死生を超えた不老長寿をもって、生きながらに死を知り、死の域まで来て、もし無事に生還出来れば、その学ぶべきことの多さと深さを知っていた。もし学べば、単に生に固執して生きる人間よりは数十倍も数百倍も、あるいは数千倍も己
(おの)が寿命の短さを補って余りあるだろう。これが不老長寿の原点である。
 但し、学んだ智慧を一つ残らず落さずに持ち帰るこのが出来たうえでのことである。だが、それは不可能に近い。だからこそ、人間は不憫なのである。この不憫を伴に分かち合い、人生の機微に帰さねばならない。
 仏教……。特に禅宗が死を覚悟した宗教ならば、道教は死を超越する修行法であろう。死生観を超えたところに何かがあるとするのは、道教が禅宗に極めて近いからである。

 布袋さまは、津村の惻隠を高く評価する。
 十年以上付き合い、それでいて理解し得ない人と、僅か一夕
(いっせき)にして百年と知己となる人がいる。
 心が通じ合うとは、互いが一瞥しただけで惹かれるところがあるものだ。それだけで、その刹那で、一見旧知の如き情を感じるものである。気心が知れ、意気相投ずるものである。
 ここに布袋と福禄寿が腕組みをした。堅い協力体制と、今後の支援である。
 「なにか?……」
 「忌憚
(きたん)なく、方策を披瀝(ひろう)したまえ」
 こう言って布袋さまは襟を糺した。

 「所詮
(しょせん)『陣』と雖(いえど)も、人間の考え出した策謀に過ぎず、時間が経てば効力を失います。八門金鎖の陣は軍立(いくさだて)から突撃の間のみ、一時的な効果があるもの。有効時間はせいぜい数分程度のものでしょう。策謀はやがて感得され、したがって持続もせず、継続しません。時間が経てば、乗ずる隙の扉を開くだけです。
 しかし中宮を突破されれば、一時的にも陣形は総崩れとなります。となれば陣形はあってないが如し。そこで返すのです。返すには時機はあります。時機は刹那です。ほんの一束
(いっそく)といっていいでしょう。
 この刹那を、わが『津村流陽明武鑑』では、『火殺
(かさつ)の罠』と言います。
 陣形は火で炙
(あぶ)られるが如しに乱れます。四面は焔(ほのお)の墻(かき)。直ぐには建て直せません。混乱が起こります。自滅するように、進んで落ちます。これこそ人間が矛盾の最たるものの証(あかし)。これが戦略の面白さの要諦です」
 津村は怯
(ひる)まない信念で語気を強めた。対峙者に、詰め寄るような情熱をもってである。

 「憂えども力及ばずか。そして猖獗
(しょうけつ)に任せて現状に至る……か。なるほど、いい策だ。
 敵を惹
(ひ)き付けておいて、囲ませ、煽って、誘い、更には蹴散らせて乖離させ、中宮を剿滅(そうめつ)するか。だが、それは裡側の効果のみであろう。果たして外の炙りは如何に?」
 「裡は煽るだけ。そこで中宮を外から炙るために『風』を吹かせます。これ、火と風をもって、弱者が強者を仆
(たお)す決死の策……。風の煽りを効果的にする為に、外から炙る風を吹かせます」
 「火殺
の罠。よきかな……」
 「風は東南
(たつみ)に向かって吹きます」
 それは“侵掠如火
(しんりゃくすること‐ひのごとし)”の意味であった。
 「二面作戦か……、おもしろい」布袋さまが納得の相槌を打った。聲は高からず、低からず、強からず、弱からずであった。その貌は玉瑛
(ぎょくえい)を思わせた。眉には弓のような柳眉のしなやかさが宿っていたからである。

 これを遂行するためには、裡
(うち)と外の二面作戦が必要である。二面作戦のうち、裡に企てることは、疾走陣の風の速さが求められる。所謂(いわゆる)疾風(はやて)である。
 疾風は陣風といい、急風を顕し、この「はやて」の“て”は、風の意味である。驟雨
(しゅうう)あるいは降雹(こうひょう)を指す。一時期の一過性のものである。それは余りにも速く、然(しか)も通過した後は、殆ど跡を残さない。だが「はやて」は、凄まじい速度で猛烈に駆け抜けるという意味ではない。速度を意味するものでない。あれよあれよと思っている隙に駆け抜けている。気付いた時には存在しない。感得する自覚症状を齎さないことを旨とする。『津村流陽明武鑑』の「八門金鎖の陣」である。攻めの陣破りの風である。

 煽動術と言うのは「兵法」と呼んで差し支えないものである。中宮の騒乱対象者を煽ることである。そして根元には「為
(し)て遣る」ことが大事で、企みを上手く遣り終えるという行動である。攪乱(かくらん)し、一泡(ひとあわ)吹かせるのである。
 取り巻きの輪を作り、そこに塊
(かたまり)の一団を据える。しかし取り巻きが、暴徒であってはならない。一団は暴徒化して乱してはならないのである。一見乱れているように思わせつつも、そこには騒擾の奏でる小気味のいい音楽のようなものが流れていなければならない。秩序を持った追っ掛けである。嬌声を上げ、騒ぎ乱れたように映るが、一応の規則性はあるものだ。
 虚を衝き、唖然とした一面を騒擾の渦中で演出することである。ことごとく乱すのである。
 騒がしかったが、何が騒がしいのか、それを思ううちに一団は通過していた……。そういう虚を衝くことである。そうした突破であり、一気に、一つの陣から、もう一つの陣へと駆け込んでしまうのである。問題はその間の通過時にある。乗ずべき虚を如何に衝くかであった。煽り屋の頭を悩まされところである。
 監視の囲いを乱し、攪乱することで、それはあたかも糸を抜かれて綻
(ほころぶ如きの乱れを起こさせる。これが裡側とは対峙する、外側からの炙りの計略である。

 東南
(たつみ)の一劃(いっかく)から突破を企て、西の景門を出る時に西へ西へと寄せれば、乱れを起こす。
 そこに喊声
(かんせい)の如く、取り巻きの感情を昂(たかぶ)らせ、あたかも鬨(とき)の聲(こえ)のような演出を施す。要するに、簡単に言えば有名人に取り巻きの“追っ掛け”が蹤(つ)いて廻る構図の演出である。周囲にキャアキャア騒がせて、その隙に、いつの間にか、中に居た中枢が消えているという構図である。
 それが戦略の妙締
(みょうてい)となる。ここは煽り屋の腕の見せ所である。つまり計る「時機」を掴まねばならない。絶妙なタイミングとでも言おうか。

 この根底には、兵法は戦闘や戦術で勝てるのではなく、戦略のよって勝つという兵法の根本思想が横たわっていた。二面作戦はそのためのものであり、最悪の場合は作戦の一つを失っても、もう一つの作戦が機能するからである。
 大陸の民のしたたかさは、古来より戦乱があれば、戦乱のない地方へ、洪水や飢饉があれば被害のない地域に移動した。そのため大陸に広さに任せて、大陸の民は流離漂泊
(りゅうり‐ひょうはく)に馴れている。これは土地に固執する日本人とは対照的である。
 漂泊の民は大陸の砂塵や豪雨、それに沙漠の炎熱にも虐
(しいた)げられ、熊や虎などの野獣や毒虫の恐怖にも戦(おのの)いた。この漂泊の惨めさを知り抜いているのが大陸の民である。だが、このような難儀の中で大陸の民は、したたかに生き抜く術(すべ)を身につけていた。漂泊の民は、この大陸自体を自身の錬成道場にしてしまった。自然を相手に鍛錬したのである。

 大陸の民は、自分に降り懸る災いを艱難
(かんなん)と看做さなかった。艱難を、艱難として受け止めなかったのである。そして艱難の中で生き抜く術を、身に付けてしまったのである。
 これを「恐るべし」と検
(み)なければならない。これを甘く見れば、甘さの構造に胡座(あぐら)をかいてしまった関東軍と同じ轍(てつ)を履(ふ)むことになる。
 これを警告するために、布袋さまは「更衣隊は日本の官憲以上に質
(たち)が悪い」と言及した。検挙第一主義の奉天憲兵隊より質が悪く、大陸の民の狡猾(こうかつ)さを知らしめたのである。
 津村としては分らぬではなかった。気候風土や太古からの治乱興亡から洞察すれば、よく分ることだ。この大地は支那人のものだった。日本人は入り込む余地がない。揚子江や黄河、それに黒龍江などを、島国育ちの井の中の蛙が制御して、治めることが出来るだろうか。また大河の治水を行った経験がない。

 このたび満洲に遣って来て、津村は思うのである。満洲の民についてである。
 大陸の民は何故こんなに惨めな、苦しむ星の下の生まれたのか?。もっと生を楽しむことは出来なかったのか?と。更に人間は、みな平等でないことを思い知らされた。
 不平等こそ、この世の現実……。
 この現実を克服するためには、この大陸の上層部に、ひとりの偉人、ひとりの指導者が出れば、この難儀する無数の民は苦しむことなく、もっと愉しい人生を遅れたのではないのか?。
 しかし、大陸のこの地に現在は、中心帰一に帰する指導者は顕われていなかった。そのことが一層惨めにしていたのである。辛うじて中心に寄り添えるものと言えば、関東軍の傀儡
(かいらい)として執政に固執する愛新覚羅溥儀(宣統帝)であったが、これは絵に描いた餅のような皇帝であった。付け焼き刃である。
 斯くして満洲事変から日本敗北までの、建国わずか13年にして亡びることになる。日本が画策した満洲国の命
(めい)は尽きようとしているのである。風前の灯である。

 天には日月があるように、人の頭上にも日月が必要ではないのか。そういう大人物が顕われれば、小人同士の小競り合いはなくなるのに、と思うのである。小人同士が人間の粗悪な性質ばかりを出し合って、欲望に疾るから天下が乱れるのである。
 満洲の地には関東軍が君臨した。しかし関東軍はその偉人になり得なかった。関東軍には荷が重過ぎた。古い考えの富国強兵ばかりに囚われ、この地を益々混乱させるばかりであった。小競り合いの制御能力すら失っていたのである。
 斯くして、辛亥革命当時の帝政を仆
(たお)して、五族(漢・満州・蒙古・西蔵(チベット)・ウイグル)による共和政治体制を樹立する五民族の共和はならなかった。当時の日本の外交政策は読み違っていたのである。欧米の横槍も解さなかった。余りにも欧米のしたたかさを知らなかったのである。
 井の中の蛙が考えた大東亜共栄圏の理想と現実は大きく違っていた。

 その背景には「日本を盟主にして」という日本盟主主義が余りにも強引過ぎた。欧米勢力を排除して、日本を盟主とし、満州国、中国および東南アジア諸民族の共存共栄は現実からだけでなく、理想からも遠かった。
 型に嵌める事を急ぐ日本の奉天憲兵隊は、余りにも無慈悲に検挙第一主義を掲げ、その弊害は罪の無い一般市民にまで及んだ。
 この検挙第一主義は感情的で衝動的であり、加えて暴力的であったから、戦略面では皆無の状態にあった。
 あきらかに秘密戦的なる戦略思想が欠如していたのである。無辜の市民まで累が及んでは、情報一つを入手するにしても、その情報は正確性が欠け、相手の組織の全貌すら掴むことが出来なかった。
 こうした背景に、民衆に紛
(まぎ)れた更衣隊が水面下で暗躍したのである。大陸の紅白両軍の衝突騒動の元兇であった。人間界は相として考えれば、過酷な側面を持つものである。それを身をもって味わうか、そうでないかは、その中に居る者でないと分らない。
 況
(ま)して虚無感がある訳でもない。過酷な経験を経たからと言って、決して不孝だとは限るまい。不幸だと思えば、それだけで負けである。負けたくなければ、抗(あらが)う以外ない。そうした側面に闘争心を剥き出しにした排日運動が起こり、またそれを指導する勢力が擡頭(たいとう)した。日本叩きである。

 だが、日本叩きを仕組んだのは大陸の民でない。欧米の意図が読み取れる。欧米人が考える日本に対しての黄禍
(こうか/yellow peril)であった。排日運動や抗日運動を煽ったのは欧米の流脈により、人工的に煽動されたものであった。
 日本は日清戦争以来、黄禍と思われていた。
 黄色人種の勃興により、白色人種に加えられるという禍害をいう。
 日清戦争後、ドイツ皇帝ウィルヘルム二世が、日本をこのように批判し、日本進出に対し、烈しい反感を抱いた。穢らしいとさえ言っている。独逸の偏見であろうが、その反感論が『黄禍論』である。
 また三国干渉後、カイザー
(ドイツ皇帝の称号で、カイザーは古代ローマのカエサルに由来)の画案になる日本罵倒の寓意画は、ロシア皇帝ニコライ二世にまで贈呈されている。
 これに対し、森鴎外は『うた日記』
(黄禍と新日本)の一節で次のように記している。
 「勝たば黄禍、負けば野蛮、白人ばらの、えせ批判……」
 このことから黄禍とは、アジア人全般を指すのでなく、日本人を指した言葉である。黄禍は後に米国に飛び火し、日本人を指してイエローモンキーは周知の通りである。
 日本蔑視が後の日露戦争に繋がる。

 大陸人は孔子以来、令を尊
(たっと)ぶ国民である。それがこの国のお国柄である。こうした国の人民は、表皮は取り澄まし一見おとなしそうに見える。だが蓋(ふた)を開ければ、他の国の無礼な国の人間と大して変わりない。だからこそ、ほんの少し唆(そそのか)しただけで、騒乱は連鎖する。あとは放置しても、勝手に拡大して行く。礼は有(あ)れども、決して総ての人民に行き渡っているのではないのである。
 斯くして大陸には戦禍が起こり、そして乱れたのである。

 治乱とは、世の中の二つの構造から起こる。その相は二つ、若しくは一つ。陰陽一体になれば一つとなり、離れれば二つとなる。そこに治乱興亡の鬩
(せめ)ぎ合いが起こる。治きわばれば乱を生じ、乱きわまれば治に入るは大自然の理(ことわり)。しかし、大陸では“治きわばれば乱を生じ”の段階から抜け出していない。未(いま)だに革命中であった。地に銃声や砲声の響き、雲には未だに戦鼓(せんこ)の音えず。所謂(いわゆる)乱はますます激しさを増していたのである。

 思えば、日中戦争が始まり、満洲事変から数えて、既に十六年が経過してた。
 人の一生から、十六年と言えば、長い戦争をしていることになる。悠久の歴史からすれば、十六年など、ほんの一瞬に過ぎないであろうが、戦時下を生きる人間は、戦々恐々とした日々を送らねばならない。こうした状況下では、人間もそれなりにしたたかに変化してしまう。更衣隊が登場するのも自然の成り行きだった。
 そして更衣隊排除のために日本の官憲が動くのも、また自然の成り行きであった。この根は深く、日本人の黄禍と言えなくもない。
 斯くして敵味方は相乱れ、四面は敵の海となる。
 このような時代背景下で、状況下で、敵中突破を試みなければならなかった。それも更衣隊真っ直中での敵中突破であり、その周囲には内外の官憲や他国の土竜や狐が暗躍する中宮をである。
 その敵中突破作戦が開始されようとしていた。


 ─────半時ほど前に遡
(さかのぼ)る。円卓会議が行われた隣部屋である。一方では裡側の計略がなされていた。
 敵中突破作戦の二面作戦のうち、裡側を形成する一面は、華やかさ、艶やかさで、豪華に、大っぴらに中宮を衝く策を企てていた。それを五人の女性が実行する。彼女達が実行部隊である。

 奉天憲兵隊の猪口敬三曹長は、満洲映画社の映画監督に変身した。さっそく煽り屋の即興劇が始まったのである。そしてこの試みは五分後には、間髪を容れずに開始される。当ホテルから新京空港までのロケーションが開始されるのである。待った無し、遣り直し無し、そしてぶっつけ本番……。
 国患の危機迫るときに、「今夜は一休みして、明日から……」などと悠長に引き延ばしてはいられない。
 時機を選ぶなら、今である。今が吉日なのである。汐時である。好機である。汐は読まねばならない。
 まさに風雲を告げる時機であった。一刻を争う。悠長に構える場合ではない。

 煽り屋は汐を読んだ。「今だ」と読んだ。
 この漢は独逸宣伝相ヨーゼフ・ゲッペルス仕込みのプロパガンダ術を心得ている。民衆の煽り方を充分に熟知しているのである。
 国民啓蒙並びに宣伝効果のその大きいことを熟知し、またヒトラーが信奉したリヒャルト・ワーグナーにも精通していた。特にナチス政権の国家的庇護を受けていたバイロイト祝祭劇場の特殊な音響効果の大であることは、音響が映像とともに、視聴者に訴える効果が大きいことを知っていた。それだけに、煽れば民衆は狂喜することを知る抜いていたのである。

 この世の中は、正直と真面目だけで動いていない。それを猪口敬三は知り抜いていた。
 したがって彼には、例えば戦後、続出した戦争に至って原因を、戦争に煽り立てた軍と、軍の持つ軍律の所為
(せい)にしなかった。戦後、大半の日本国民は、戦争責任を天皇に有りとする輩(やから)でなかった。
 その時代を生きた人間は、その時代に責任をもたなければならないのである。その責任とは、国民の政治参加であり、また社会参加であった。これを怠り、金・物・色に狂奔をしておいて、何が自分は戦争に無関係だと言えるのかという、そういう憤りが、この漢の原動力になっていた。一種の憤怒である。
 人間は生きながらに戦いを強
(し)いられているのだ。
 戦いの世界。それが絶えない人間界……。
 猪口は言う。その世界は実際には人間界に居るのではなく、一等下の阿修羅界
(あしゅら‐かい)に居るのだという自覚をしていた漢であった。その自覚が、あるいは煽り屋に奔らせたのかも知れない。

 また彼は、真面目と正直を否定する。嘘をつかないことまで否定する。
 嘘をつくな、正直であれ。万人の願うところである。彼自身もそうでありたいと願う。その願いを敢えて否定する。
 何故か。
 嘘をつくな、そして真面目で、正直では、果たして人間が何処まで厳守し通せるか、ということだ。不可能だろう。
 嘘をつきたくない。正直で、真面目な生活を全うしたい。善人でありたい。人を傷付けてはならない。誰もが諸手を上げて賛成するところだろう。だが何故これが果たされないのか。
 そもそも、生まれて此の方、嘘をつかなかった人間は人間界に果たして居るのか。居たとしたら、これこそ大嘘つきである。
 釈尊は仏の嘘を方便と言う。武門の嘘を武略と言う。嘘を肯定している。そして孫子の言の兵は詭道なりは戦略を意味している。戦略こそ、嘘と策謀で固められているのである。
 これこそ、この根元には清規に対峙して、陋規があるのではないかと確信するのである。この漢にとって陋規こそ、人間社会の真の姿であった。陋規が存在するからこそ、表の清規が烱
(ひか)るのである。

 満洲映画社の監督を自称する煽り屋・猪口は、女性群を隣室へと招いた。言われた通りの準備を開始したのである。迅速である。即興劇を演出するから当然のことであった。そして煽り屋は、憲兵から映画監督へと急変していた。
 ズボンも下士官ようの袴下
(こした)から、登山などの際に履(は)く、ゆったりとしたニッカーボッカーズだった。恰好(かっこう)は監督のそれである。首にはラッパ型の拡声器(megaphone)をぶら下げていた。
 室内には、いつにも増して匂うような色気が漂う始めていた。化粧の開始てである。
 彼女達の廻りには一斉にスタイリストが取り憑いた。髪型や装飾品を整え始めた。その場に監督の猪口敬三が厳しい注文をつける。彼女達の瞳には愉し気な烱
(ひかり)が点々としていた。一種の有頂天であろうか。
 彼女達は、あたかも映画女優並みの扱いである。すっかり“その気”にさせている。この辺が、さすが煽り屋であった。煽
(おだ)てるのが上手い。この漢の才能であろう。

 煽り屋は矢継ぎ早に説明し始めた。そして何もかも遣ることは早かった。間髪を容
れず注文をつける。有無も言わせずにである。
 「今が攻め秋
(とき)です」畳み掛けて来た。
 「えッ?攻め秋?……」《どういうこと?》と訊いてみたい。何の事やら分らない。唐突にそういうことを言われても、理解に苦しむ。アンの小さな混乱であった。
 煽り屋は余りにも発想の次元が違っていた。その異なること、狂人の如しであった。陋規を信奉する漢ならば当然かも知れない。
 アンは陋規が理解出来るほど、まだ老練ではないし、老獪
(ろうかい)でもない。酒で言えば、老酒(ラオチュウ)のようにじっくりと醸造・熟成されていないのである。熟成途中である。清規と陋規の比重を較べれば、圧倒的に清規に傾いてしまうのである。

 「攻めるには、今が一番宜しい。時が経つほど条件が悪くなります。みなさん、これは初の日満合作映画の『月下の翼』のクランクイン
(crank in)です」勝手にタイトルまで付けていた。
 一時期、これを聴いて周囲が騒然となった。
 『月下の翼』?……それ、なになに?……というような、初めて、いま聴かされたタイトルであった。
 しかし、アンはピンと来た。猪口敬三の遣り口が少しずつ分って来たのである。
 「なるほど、すぐに撮影開始ですか……」彼女は《そういうことか》と納得した。だが彼女は、その言葉を聞いて、今更ながらに、そんなに差し迫っているのかと、今の事態を懸念した。危惧
(きぐ)でもある。
 だが、このオヤジに押されては一方的になる。好き放題に遣らされる。それでは困る。警戒しなければ……とそう思う。主張すべきは主張する。彼女はそう感得するのある。

 「いま自分達は禍
(わざわい)の唯中におります」
 「禍?……」此処の居ること事態が渦中なのだろうか。
 「達人は未萌
(みほう)を察して、未形を観(み)ると申しますが、この芽生え、既に形を為(な)し、歴然たる姿を顕しつつあります。疑いも躊躇(ためらい)いもあってはならず、一瞬の躊躇(ちゅちょ)は、今を、明日を失います」
 「御尤もです」大事が迫っていることの覚悟の返事である。
 「責任ある者として、この映画の重要な場面をさっそく説明します。宜しいでしょうか、女優の皆さま」
 このように切り出した話が、本当か嘘か分からない。だが、彼女達をその気にさせる語り口は、すっかり彼女達を酔わせ、然
(しかも)も女優然とさせて満悦の域に誘った。何しろ煽り屋である。誘導が上手い。
 「えッ、えッ?……、わたしたちが映画女優ですって?……」
 こう聴かされて、これまでの長時間の長旅の疲れが、一度に吹き飛んでいた。衝かれた貌に輝きが宿った。美なるものを求めるのは、共通の女心であるかも知れない。

 アンは映画女優という言葉を聞いて、他の四人の同じように、もう忘れかけていた乙女心が蘇った。
 彼女自身も、かつては純なる乙女心を記憶の中に留めていた筈である。しかし、背景が戦時と言う時代は、多くの美醜を経験した。自分が純であった頃の記憶が定かでないほど、純を失う心が早かった。だが、ここにきて乙女心のような少女時代の憧れが蘇ったのである。

 「皆さんには、これから大日本航空のエア・ガールに扮したヒロイン役を演じて頂きます。新たな衣装を用意しております。一際目立つ、映画社特製の、こちらの制服・制帽を着用して頂きます」それは夜目にも目立つというものである。直ぐに着替えよと言う。
 単なる制服とは思えない、上等な縫製に、生地は上質である。こてまでとは一ランク違っていた。映画撮影ように特製の衣装であるらしい。数着あるうちから自分にあったものを探す。その作業に懸かった。
 全員は一応うなずきはしたが、まだ何か懸念がある容子
(ようす)だった。表情が強張り、凡俗意識が抜けず女優としての覚悟が蹤(つ)いてこない。煽てられるままである。非日常経験の濃密な任務を無理矢理押し付けられたという感じであった。
 煽り屋が押し付ける“煽りのワンカット”は何だろう。

 破壊と闘争に明け暮れる大戦末期、終盤戦ともなると、益々動きは敵味方入り乱れて活発化していた。
 飾らずに言えば、一歩間違えば打ち壊しや殴り合いが起こってもいいような場所で、その場を、まるで花畑のように演出し、そこを軽やかに、颯爽と歩くような演技である。そのような危険な場所で、危険を感じさせえない演技の押し付けを企画しているのである。
 あたかも、周囲の騒擾に感染せず、花園を飛び回る五人の妖精のような企画かも知れない。

 煽り屋は監督としての独自の権限を持ち、命令一過で、既に映画会社の衣装係や化粧係、髪結いなどのスタイリストを配していた。この漢のすることは迅速であった。そして仕上がりまで「5分以内」と厳命したのである。厳守する以外ない。今は攻めの秋
(とき)だからである。

 五人の女性に、先ず化粧係は待人のような少女が付き従った。動きが早く、然も細やかである。細部まで気が付く。化粧係について、化粧を手伝うアシスタントの満人の少女が、周囲を掛け廻った。実際にはこれから先、死地に赴く彼女達の難儀も忘れて、うっとりとしたような眼で、大輪の華を見つめていた。羨望の眼でもあった。しかし、それも束の間だった。
 煽り屋が、“此処に居る女性五人は、これから満洲映画社を背負って立つ未来の大女優だ”と、口から出任せを言ったからである。少女達は真に受けていた。
 また、この中には英国人のアンとキャサリン、独逸人のアニー、そして良子と佳奈の女性らがエア・ガールに扮していたからである。この構図を、満人の少女達は国際的と思い込み、彼女達を、いま売り出しの映画女優と思い込んで信じて疑わないようだった。少女達は女優の逆鱗
(げきりん)に触れないように注意しながら、迅速に動く。丁寧で、機敏な動きだった。

 満洲でも、エア・ガールは憧れの職業であった。東京・満洲間の直行便が運航されていたからである。少女達は五人の女優がエア・ガールに扮した国際的な映画だと勝手に理解していたのである。
 彼女達も婦人部隊と雖
(いえど)も一応軍人である。軍人は上官の命令に従わねばならない。上層部から命令が下れば、それに従う以外ない。女優を遣れと言われれば、偽装女優でも遣る以外ない。国患にあたっては尚更であった。

 彼女達に化粧が施されていた。
 大輪の華は化粧が進むにつれ、彼女達の容色が輝き、肌まで潤い始めた。
 しかし満人の少女達は内心《この人達は化粧なんか必要ないわ》と内心、羨望まで覚えるほどであった。
 また、髪結いは髪のセットまでを行い、ますます際立たせた。夜の照明の中で、その映えるさまはアシスタントの少女まで、そわそわさせるものであった。
 特に年齢が同じくらいの室瀬佳奈は、満人の少女と同じくらいの普通の少女と変わらない。しかし化粧と髪結いの仕業と、更には大日本航空の青の制服・制帽が普通の少女を見事な大輪の華に変えていた。満人の少女達は映画女優と言う触れ込みで、好奇心をますます昂
(たかぶ)らせる一方であった。

 「猪口曹長。これからの任務は、わたしたちが女優に化けることかしら?」アンが訊いた。
 「そうであります」
 「それって、嬉しいような、恥ずかしいような、心臓の鼓動の高まりを覚えて、困りましたわ」
 「任務であります」
 それは今後の日本の運命を決する任務と言わんばかりであった。
 「よろしいのかしら?」ちやほやされての遠慮である。
 「何がでありますか」
 「こんなに上げ膳、据え膳の高きに置かれる優遇をされて……」
 そしてアンは、日本に居る『夕鶴隊』の隊員達の今を思った。彼女達は今どうしているのだろうか。
 内地では相変わらず、“状況造り”のために闇米や芋の買い出しに駆り出されているのだろうか。
 食事はカボチャの四つ切りの1/4とかジャガイモ2個とかサツマイモ2個、あるいはキュウリや茄子の何れを5本ずつの食事だろうか。食糧難に悩まされているに違いない。そう思うと気の毒でもあり、また自分達が優遇されている現実を、内地の連中に済まないと思うのであった。
 戦時下とは言え、満洲と日本内地とでは物資や食糧面では雲泥の差があった。そして数日前太陽島では、日本では考えられない贅沢なバカンスを楽しんだ。アンが優遇といったのは、このためである。

 「それも任務であります」
 「では任務として、どういう映画の内容ですか。台本などもあって、言う台詞は?」
 「台本などありません。ご自由に遣って頂きます」
 「困りましたわ」
 「困ることはありません。既に経験済みかと思いますが」
 「えッ!経験済み?」《わたしたちが?……》という訊き方であった。
 「コードネームの『常山の蛇』は、遠く満洲にまで届いております」
 「……………」
 「数週間前の『黎明の祭典』の出来事です」
 「あのときの……」良子と佳奈はこう言われて、当時のことを思い出した。
 「米海軍機『グラマンJ2Fダック』との格闘戦の話はラジオを通じて、殆どが耳を傾け、満洲全土に知れ渡っています」
 映画監督・猪熊敬三は、あの時と同じような光景をドキュメント風に収録して、最高傑作のプロパガンダ映画を撮りたいのである。それを、当時の同じように再現したいのである。それだけに何かを企んでいるように思えた。

 煽り屋は夕鶴隊が米海軍の水陸両用の複葉機を強制着陸させ、あたかも『娘子軍
(じょうしぐん)』のような活躍をしたことを知っているのである。つまり爆弾を抱えた“米軍機”と、日本の娘子軍の“武装四起”とが、一騎打ちの格闘戦を演じたことだ。だが、それだけではなかった。
 注目すべきは、『ダック』が着陸体勢に入るとき、大石や窪
(くぼ)みなどの障害物で、バウンドして車輪軸が折れ、その後、機は滑るように、胴体着陸して何本かの樹木を薙(な)ぎ倒し、大木に激突して停止した時だった。機体から、もくもくと黒煙を吹き上げていた。あわや爆発炎上。そう言う時である。機内には三人の米兵が乗っていて、一人が、気絶している二人を助け出そうとしているところだった。
 だが『ダック』は、まだ爆弾一個を抱えていた。機体から黒煙を噴き上げていた。そのとき後から追って来た憲兵隊の指揮官が大声で叫んだ。
 「爆発するぞ、機から早く離れろ!爆弾に誘発するぞ!」

 しかし、この聲
(こえ)に耳を貸さなかった。強制着陸をさせた『改造型武装四起』の良子以下三人はこの聲を無視したのである。一目散に不時着機に駆けつけた。救助するためである。
 勝負がつけば敵も味方もないからだ。そして遂に、彼女ら三人と無傷の米兵一人の併せて四人が、負傷した二名を安全圏まで引き摺り出し、無事、救助に成功したのである。
 敵兵を捜索に来た指揮官の憲兵が言った。
 「自分は東京憲兵隊S分隊の安達曹長であります。捜索隊の指揮官であります。今の、あなた達の勇気は、心から感服致しました。ただ一つだけ質問したいことがあります。なぜ撃墜しなかったんでしょうか。そればかりは、どうしてわが身の危険を冒してまで、米兵を、爆発寸前の機内から助けたのでありますか?!」
 「敵は強制着陸命令に応じました。これは降参したからです。降参した人に、どうしてこれ以上、無用な仕打ちや、生命に危害を加える必要がありましょう」
 良子は、自らの信条を諄々
(じゅんじゅん)と説き、静かに諭(さと)した。これを聴いた捜索隊の指揮官は、思わず「うム!」となって言葉を呑んだ。
 このとき良子は「降参した人に危害を加えることは戦時国際法に違反します。また武士道に外れます」と言った。
 煽り屋は彼女達のこの経緯を知っているのである。したがって、この漢のシナリオには、台本のない偶発的に起こる意外な場面を、彼女達に期待しているのであった。

 これを美談として世界に向けて発信し、プロパガンダ工作に使うと言うのである。この漢も、なかなかの策士であった。既に敵中突破に、この即興劇を映画撮影しようと言うのである。宣伝映画を作るかも知れない。
 煽り屋オヤジは、すっかり映画監督になりきっていた。映画スタッフに指図の檄
(げき)を飛ばしていた。その中に、この漢の考えや意図するところが詰まっているのである。

 「これから『娘子軍』を遣って頂きます。みなさん、全員がヒロインです」
 そのように言われれば、それに扮する以外ない。
 「どういう行動をするのでしょうか?」
 「目立つように艶やかに撮影させて頂きます。それをカメラが追います。区間は当ホテルから新京飛行場までです。まず旅客機に搭乗するまでの撮影を行います。その間、周囲にはエキストラがみなさんを見守ると同時に、囲うように飛行場まで移動して行きます。その数はおおよそ千名」
 「えッ!千名……」アンが驚いたように言った。
 「日の丸の小旗を持って、エキストラが待機しています」
 おそらくこの漢の即興詩的な宣伝の達人であろう。
 ヒトラーが大衆から熱狂的な声援を受けたのは、背後に宣伝相ヨーゼフ・ゲッペルスがいたからだ。ゲッペルスの遣り方を猪口敬三は知り抜いていた。彼我が、煽り屋と言われる所以
(ゆえん)である。
 これから、そのロケーションの経緯を説明すると言うのである。この漢は外の土竜だけでなく、裡側にいる味方の官憲までも煽るのである。煽りの背景には、大っぴらだから却
(かえ)って人目を惹かない。そういう群集心理を計算してのことだった。
 そして、したたかなのは、騒乱者達の群集心理である。

 群集と言うのは煽りに弱い。デマに弱い。まるでヌーの群れのように動く。退けば追われ、留まれば直に呑み込んでしまう。群集心理である。煽動一つで、どうにでもなることであった。
 この心理を利用して、一つの筋道を付け、騒擾への方向を与え、それをコントロールすることである。そこに烈しい感情が流れるからである。群集と言うものは、感情で動くものである。決して正義などではなく、自身の感情を移入し、自己の要求を代弁してくれる者へと自らを委ねるのである。吹き荒れるものはポピュリズムである。

 煽り屋は五人の女性をその気にさせて、ホテルの玄関前へと誘導していた。その誘導中に、既にカメラが廻り始めていた。
 「皆さんは満洲映画社を背負って立つ、未来の李香蘭
(り‐こうらん)のような大女優です。ご自分を思い切りアピールして、目立って下さい。五人の李香蘭です」煽り屋は囃(はや)し立てた。エア・ガールの女性達を颯爽と歩かせながら、小刻みなカットを収録し始めていた。音声係は追っていないので、ここは映像だけのカットであろう。
 「えッ!李香蘭のような?……、わたしたちが?……」
 誰もが娘々
(ろうろう)とした眼を輝かした。その輝きすら、既にカメラは舐(な)めるように追っているのである。
 「だから衆目の面前で、皆さま方の個性を思い思いにアピールして思い切り目立って欲しいのです」
 「えッ!目立つ?……」
 「そうです、思い切り目立って欲しいのです」
 「どうしてですか?」
 「人の中と言うのは、大ぴらに振る舞うから、却
(かえ)って攻め難いのです。衆目と言うものは誤摩化しの利かない眼で観察します。盲点です。それだけに土竜は近付き辛い。また敵の狙撃手からすると、聴衆で見え隠れする標的(target)は照準が定まらず、絞り難いのです」
 こう説明されて「そんなものか」と、女五人は納得する以外なかった。敵の心理からすれば、そう言うものかも知れない。

 煽り屋は知っている。
 こうした何気ない会話の中にも、女性達の真剣な表情や微笑みがあることを。そのほんの僅かな隙間すら見逃さないのである。
 「では試演
(rehearsal)無しの、いきなり本番ですか?」
 「火急の場合です。そんな贅沢は言っていられません。あとは皆さんの演技力にお任せします」
 こう切り出されると反論の余地がない。とにかく遣るしかない。お膳立てはしてもらっている。それ以上の贅沢は言えないのである。先ずは目先の横たわる危機を乗り超えねばならない。出来なければ明日を失う。
 現象界。
 特に人間現象界では、最大の危機と思った瞬間、その時に最大の危機が襲って来るのである。そのことが危機に変貌
(へんぼう)しているのである。恐れるものは皆来るである。恐れただけで遣って来る。
 だが実際には最大の危機も、最少の危機も存在しないのである。したがって考えなくてもいいし、思わなくてもいいのである。思い患
(わずら)うと、足を取られることになる。知らぬ振りをして、考えず、思わず、見えるものを見て、見えただけを物思うだけである。あたかも野生動物のように……。そのことを煽り屋は知っていた。

 「自分は少佐殿の理解者です。か弱き女が、それを売物にして虚を衝く策。必ず成功します。成功は祈るのではなく、自身で固く信ずるものです」
 「面白いことを言いますわね、猪口曹長。しかし此処一番、わたしたちも、あなたの信頼に応えてご覧にいれますわ」
 カメラに撮られながらも、アンは自分達が映像にされていることすら忘れているのである。思い患うことは消し飛んでいた。話の中に引き込まれ、上げ膳、据え膳の優遇にご満悦であった。そして、煽り屋は、この“ご満悦”の表情を見逃さない。総てカットに収めてしまうのである。その笑顔までもを……。
 だが、こう言った彼女は、まだ世の中の表舞台にある清規は心得ているであろうが、水面下で暗躍する本当の裏街道の陋規の怕
(こわ)さまでは、未(ま)だ分っていなかった。
 こうして『月下の翼』のクランクインが開始された。


 ─────これまでのことを回想してみる。
 現象人間界は綺麗事だけでは済まされない。醜美は表裏一体の関係にある。その醜の穢
(きたな)い部分に賄賂術の達人が横行する。
 日本人は徳川幕府以来、清規重視の政治体制の中で枠に嵌められ矯正されて来た。
 特に仏教は、民衆を型に嵌める道具として使うには最も便利な手段であった。その手段でも、念仏宗は徳川幕府の幕藩体制に大きく貢献している。幕府側にとっては、最も都合のいい民衆禁欲の手段として念仏宗が用いられた。また併せて、朱子学もであった。この二つは民衆を従順にさせるからである。これらが重宝されたのは、反抗の牙を抜く手段として効果的であったからだ。

 清規五箇条としては、その一、嘘をつくな、正直であれ。その二、朴訥
(ぼくとつ)に、真面目に働き親孝行せよ。その三、人のものは盗むな。その四、借りたものは返せ。その五、他人(ひと)の女房と姦淫するな、また女房も他の男と姦通するな等の、一般的な道徳が、特に百姓・町人に強制され、厳守することを強いた。
 だが、これらはみな表向きの清規の領域である。肝心なる裏の存在は知らされなかった。

 陋規は裏街道の世界のルール。
 これこそ、清規に対峙する「陋規」の世界であった。
 例えば、賄賂には賄賂の取り方があるとする賄賂術のルールである。ダークサイドの道徳と言えよう。裏街道を歩く者の仁義の世界である。
 中国では、古来より、陋規が乱れると、必ず社会が乱れるとされた。こうして社会が乱れると、この大陸では革命に突入するのである。例えばスリや泥棒のなどの犯罪者が、ダークサイド道徳を失うと、社会は危険信号を示すのである。

 喧嘩の仲裁においても、ここでは清規と陋規のすれすれの判断が必要になる。それだけに、何れにも精通していなければならない。つまり、これが賄賂術である。
 この賄賂術が中国伝統のダークサイドの道徳であることを関東軍は知らなかった。
 斯
(か)くして、蒋介石率いる国民党軍と毛沢東率いる紅軍との、結局は、仲裁することが出来なかったのである。そのために介入しないことで、せっかくの仲裁のチャンスを逸した。そして仲裁するどころか、双方の小競り合いを放置した。これが一層、満洲国の崩壊を早めたのである。関東軍に守られた日本の国益は、満洲の曠野に築いた砂上の楼閣に君臨したに過ぎず、やがて無に帰することになる。

 賄賂術の崩壊。
 つまり陋規の崩壊は、それ自体に人心の荒廃をも語が立っている。この荒廃が、中国伝統の革命行動となって更衣隊を蔓延らせる結果を生んだ。
 関東軍が後始末をすることをしなかったのである。ただ夜郎自大になって、満洲の地で威張り腐るだけであった。陋規違反を仕出かしていたのである。斯くして満洲の地では人心が荒廃し、不穏な動きが起こり始めていたのである。これが抗日運動であった。陋規を平然と犯すところに日本人の愚があり、病巣の深さがあることを顕していたのである。こうなると根本的な原理原則まで崩れる。そうなれば、あとは革命に突入する以外ない。いま大陸はそう言う状況下にあった。



●騒擾演出

 大っぴらに遣る……。これは秘密戦でありながら、何か矛盾する戦略のようにも思えた。
 アン・スミス・サトウ少佐は、これまで官憲に収監され、獄に繋がれ、権力の暴力に遭
(あ)い、それなりに陋規の裏世界も垣間みて来た。そこで国家転覆罪として死刑の判決を受けた。
 これは妹のキャサリンにおいても同じだろう。彼女は官憲の拷問を受け、一時期は失明までした。充分に苦汁を舐
(な)めた。その意味では苦労人と言えた。
 人生の一コマあるいはワンカットは、単に、それだけの単独した短編ではあるまい。一コマは巨大なリングで映画のフィルムのように繋がっているのである。繋がっている以上、一コマ、アンカットと雖
(いえど)もそれなりの意味がある。その意味は、巨大なリングに回帰する。そして今から起こるワンカット、更にはこれまで体験した種々の一コマは、これから先の巨大なリングへと帰って行くのである。
 もし、これに意味があるとするならば、アンは、このリングは日本内地への飛行を成功させ、全員が生還出来る帰途に繋がっていると思うのであった。

 猪口敬三のロケーション設定であった。その設定の中にエキストラを配置する。
 エキストラは、あたかも騒擾の塊のようになって五人の女優を取り囲む。満人達で構成された騒擾の塊は、惰性で動き、次に進行中は市内周辺を一通り蹂躙しつつ移動する。その移動媒体は、一個の生命体が動くようにであり、塊は長春城内そして公園、あるいはその他の場所へと移動する。そのように仕向け、煽り屋が背後から焚き付けるのである。その実体は「お祭り騒ぎ」に名を借りた騒擾演出である。
 では、こうした状況下、虎視眈々とこれを窺う土竜や狐はどうなるのか。果たしてこの塊の移動を阻止することができるのか。
 阻止も襲撃も無理だろう。

 諜報員は任務第一である。
 国家に中世で、責任感のある、意思の強さを持つ諜報員でも、騒擾の混乱の気に呑まれれば、それに染まることを阻止しようとしても、おそらく困難だろう。塊に取り込まれて無力化されてしまうことがオチである。
 集団の気に圧倒されれば、最後は呑み込まれる。阻めば、疲労が増すばかりである。躰は疲れて、足は重くなる。ただ愕然
(がくぜん)とするばかりだろう。そういう構図を、煽り屋は「お祭り騒ぎ」のシナリオとして脳裡に描いているのである。

 煽り屋は大陸の気候や風土ばかりでなく、文化様式さえも知り抜いている。
 礼を重んずる国では、公共社会は共同の礼により、社会を構築している。相互の信頼と尊重こそ、礼の基盤になければならない。相互間の礼の関係は、信頼と尊重と区別のこの三つを、日常の習慣とすることで安定することが出来る。それは礼と無礼とに、一線を画す事で齎される。
 しかし本来、こうしたものは、不安定で不確かなものである。
 安定しているかに思える平常心に、ほんの一握りの余所者
(よそもの)が紛れ込み、羊の群れの中で狼を演じれば、斯(か)くも簡単に、礼など消し飛んでしまう。そうなると騒擾の塊の中で何が起こっているか分らなくなる。原因究明は不可能となる。為(な)す術(すべ)がない。煽動者の意のままである。
 この構図を意図的に仕掛ければ、中宮の敵中突破は成功するだろう。そして難なく、新京飛行場のフェンスの中に逃れ込むことが出来る。

 だが、騒擾の仕掛けた計画通りの策が、必ずしも成功するとは断言出来ない。何故なら、途中に抗日のアジトが幾つか存在し、そこには下層の雑人溜
(ぞうにん‐だま)りがあるからである。また途中、何が偶発的に起こるか分らない。目標を設定しても、完全にコントロールすることは不可能であった。
 エキストラの移動する塊は、決して暴徒ではないが、塊に接近した民衆が、呑み込まれた後、訳も分らず暴徒化する恐れがある。
 移動中、特に警戒しなければならないのは、盲点となる市場や庶民街である。長春城内はこうしたところが点々としているのである。そこに、内外の暗躍する土竜や狐が待ち受けているかも知れない。
 演出する構造的な盲点は、その移動中、退けば追われ、留まれば呑まれるのである。常に移動していなければならない。その移動も、無定形の蠕動
(ぜんどう)を起こす、地を這(は)う軟体動物であってはならない。一定の秩序が必要である。この秩序を失うと、甘木少将が警告したように、隙を衝いて便衣隊が紛れ込む恐れがある。抗日運動の材料にされる。
 大陸のこの地では、想像することと行動することの間に、たいして大きな差はない。思いは、想いよりも散漫で弱く、雰囲気や成り行きに酔わされ易いのである。
 思いと想い……。そして、その隔たり。それを埋め合わせるために、煽り屋は一ひねりして、秩序の一貫としてエキストラに日の丸の小旗を持たせて、満人の歓迎の模様を煽ったのである。これがプロパガンダ工作の一貫であった。この目が吉と出るか、凶と出るか……。監督の溝口は便衣隊の侵入を警戒していた。

 真夜中、官庁群が居並ぶ大同大街
(おおがい)から東西を走る都大路(みやこおうじ)の沿道には、日の丸の小旗を振る観衆で溢れていた。びっしりと埋め尽くされていた。歓声が上がる。歓呼の喚声である。実に異様な光景であった。その光景は、時間が斜めに歪(ゆが)み、視界が捻れ、思考が完全にズレていたからだ。

 「アクション、スタート!」
 煽り屋は“かちんこ”を鳴らした。拍子木の下に小さな黒板をつけた道具である。カチンと音がすると同時にカメラが廻り始めた。
 カメラは数台がトラックの荷台にセットされ、車輛には満洲映画社の旗が棚
(たな)引いていた。映画の撮影とひと目でわかる。満洲国の国旗に似た目立ち過ぎるくらいの派手な旗である。
 あるいは、わざとそうしているのかも知れなかった。そして監督としては、単に真横からだけでなく、複数のカメラで、様々なカットをカメラマンに要求し、更に意欲的な撮影法は、頭上から鳥瞰
(ちょうかん)の眼で観ているようなカットを欲した。上空から観た鳥瞰図のようなカットである。

 演出としては、五人の女性を中心に半径50mほどの円陣を作り、エキストラが取り巻き、彼女らが颯爽と歩く様を収めたかったのである。そして囲んだ集団の塊は、商店街や住宅街を通過して、飛行場まで向かう道程に、移動的に配置する計画であった。また商店街を通過して行くカットも収録したいところであった。
 この場面こそ、プロパガンダ映画として世界に発信したいところであった。監督の意欲的な野心であった。
 商店街で商いをする商人は様々である。
 夜店の光景であった。賑
(にぎ)わっていた。

 夜の市場に、勤勉に商品を並べて小商いをする商人もいれば、大きな店を構え店員に檄を飛ばすだけの頭領格の商人もいる。そうした店先を覗き、買い物をするカットも欲した。その商人も、エキストラに扮装させていた。
 エキストラの中には、客の呼び込みをする商人に扮
(ふん)した者もいれば、買い物客に扮した者もいた。
 その中に五人が混ざり合っている。五人はそれぞれの夜店を覗き込み、あるいは「綺麗」と吐露して、蝶が花弁の蜜を見付けたように喜々として舞い、互いに貌を見合わせて笑うのである。妖精のように、花々を飛び回るのである。あたかも平時の日本の縁日のようである。戦時下とは思えない光景であった。
 この構図は、それでいて塊を為
(な)す移動する集団であった。動物で言えば羊であり、よく調教された群れであった。撮影はリハーサル無しの、ぶっつけ本番のみ。これをドキュメント風に収録するのである。

 先ず先ずの出だしだった。煽り屋はそう思う。
 深夜と雖
(いえど)も、空は満点の星であった。下弦の月まで掛かっていた。
 何の妨害も入らず、順調な移動が開始された。辺には日の丸の小旗を振るエキストラで溢れていた。それに接近する妨害の魔の手が近付かないこと自体が、逆に不自然なくらいであった。何しろ、誰もが寝静まる真夜中であるからだ。
 しかし真夜中であっても、それは暁闇
(ぎょうあん)の場面とえいば、暁闇に見えなくもなく、そのシナリオは編集次第で、どうにでもなることである。
 煽動者には、一つの計算があった。

 満洲国を代表する大同大街
(おおがい)と、東西を走る都大路(みやこおうじ)の官庁街の風景をバックに、颯爽と歩く女性達に焦点を合わせたいのである。彼女達は夜目にも艶やかな華であった。ただ歩くだけのアクションだが、莫迦に妖艶さを感じさせたのである。寝静まった深夜だからであろう。それだけにエキストラの歓呼の聲(こえ)が際立つのである。これをマイクが追った。
 しかし一方で、集団と言う塊を利用して、雰囲気と気品を渾然一体にさせて、中枢に五人を置き、エキストラ自体がバリアになる策を立てた。それが日の丸の小旗とともに移動して行く。そういう計算の許
(もと)でカメラを廻しているのである。

 昭和19年半ばを過ぎると、新京市の治安は以前ほど安全ではなくなっていた。不穏は日増しに烈しくなっていった。したがって日本人の映画女優にも、少なからず危害が加えられるという反日を思わせる小事件が起こっていた。
 市内の至る所には、何かを探して歩き回る輩
(やから)、幽鬼のように虎視眈々(こし‐たんたん)と何かを起こそうとしている輩(やから)が反抗的な態度に出ていた。そうなると危ない。騒擾が一段界進めば騒乱になり、次に暴動になる恐れは充分にあった。紙一重の演出である。

 煽り屋はプロパガンダ映画の監督である。その工作に、現在でも新京市内は安全な街とする宣伝効果を狙って敢えてこうした策を採っている。国際都市の新京市のプロパガンダ画像である。
 だが日本人が街を歩くことが出来ないと言うのであれば、幾ら誇大宣伝しても、その信憑性はないものとなってしまう。安全に歩くことが出来るというのが中心課題にあった。これが出来ないのであれば、セット上の作為であり、ヤラセであった。
 大袈裟に演出するならば、煽り屋は日本の五人の女性が、あたかも花園の中を歩いているような情景の中での小劇
(sketch)を世界に向けて、その記録(document)を発信を目的にしていた。それがプロパガンダ工作の要諦であった。これはエキストラを集団催眠の中に取り込み、暗示を掛けて行くことであった。
 このようにして、二面作戦の裡側の策は順調に開始された。この滑り出しを考えれば、何か測り難い守護があるようであった。

 では、外側はどう策を用いたか。
 この移動で最も難所に入るのは中宮であり、そこには雑人溜りがある。危険区域であったが、避けて通れない場所であった。迂回しても不可能であり、迂回すれば土竜や狐の思う壷である。
 したがって、どうしても雑人溜りを通過せねばならない。だが、そこは些か治安が悪い。この対処に、二面作戦の外側の策が効果を発揮せねばならないのである。そして此処を抜ければ、新京飛行場は眼と鼻の先にあった。此処を車でなく、徒歩で通過するのである。監督としても、このカットは欲しかった。
 もし、こう言う場所を車で走行するなどすれば、車を目掛けて複数方向から、火炎瓶が投げられる懸念が大であった。新京市でも、そういう危険区域であった。そうなるとエキストラの塊では守れない。下手をすれば隙を突かれて、ゆるやかな騒擾は一気に動乱に発展して勝手に拡散し、市街戦のようになる。煽り屋はこれを懸念したのである。
 蜂の巣は突ついてはならぬである。
 市場付近の騒擾も、雑人溜りでの騒擾も避けねばならなかった。そうでなければ、満洲国の安全はアピール出来ないのである。一場の夢は悪夢に変わり、プロパガンダ工作は失敗に終わることになる。

 煽り屋はどこまでも大っぴらに明るいカットは撮りたいのである。それも格調高くである。中途半端な出来損ないでは困るのである。喜怒哀楽のうち、喜と楽をアピールしたいのである。
 煽り屋の描いたカットは、五人の女性を大和撫子として、潤いと艶を与え、あたかも秀雅
(しゅうが)にして高からぬ緑の丘陵、そして清澄にして深からぬ青い湖水の様に置き換えた瑞々しい日本の女性像であった。


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