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続々 壺中天・瓢箪仙人 5

人生を生きた痕跡の過去を振り返ってみよう。
 人には様々な痕跡を残す過去がある。痕跡が喜怒哀楽の中に入り交じっている。それは人それぞれと言えよう。
 側面には、生き態
(ざま)の醜美を引き摺っていることすらある。
 あるいは有情
(うじょう)があり、また詩的ロマンがあるかも知れない。更には、追い詰められれば勇気と、火と水の試煉(しれん)が交互して、その有無を試されることもある。そして伴侶も、自らの生き方の協力者となったり、愛憎の面も形作る。
 愛憎は時の流れの応じて、いかようにも変化
(へんげ)する。
 そもそも人間が矛盾を抱えた有機体であるからである。そして有機的構造の中には、更に生と死を、それぞれ同量分だけ内包している。これこそ矛盾の最たるものであろう。

 人には、人それぞれに中傷誹謗に晒される側面がある。大なり小なり、人は人である以上、側面から譏
(そし)られる「何か」を抱えている。何ぴとも反りが合わねば、指弾あって呵(しか)るべきである。
 人は外に抗
(あらが)って自己主張して生きる生き物だから、多少の怨(うら)みの火の粉は被らねばならない。また中傷されることも、時には甘んじなければならない。
 怨みに甘んじ、然
(しか)も敵の言動攻撃を受けつつ、これをわが身一心で支えて、それでも自己を失わず毅然とした態度で敵中突破を果たさねばならないこともある。十字砲火を受ける場合もある。それでも逃げてはならないのだ。非情と言うべきだろう。
 しかし、胸を張り毅然
(きぜん)とした態度をとれば、鬼神(きじん)もこれを避ける。


●土竜分布図

 資金面の援助と工面……。何れも労を要する。
 巨額な調達は工面が難しい。計画者の苦慮するところである。
 だが目的を同じくする、同じ思想をもっている、考え方や趣意に賛同するなどの有志を募れば、援助も工面も何とかなる。だが、何とかなるにしても、やはり昼夜、主宰者は智慧を駆使し、その努力が怠れない。

 今の時代背景から天下を論じ、危機を訴え、人物を評して、有能な人材を捜し、史を按
(あん)じ、令を功夫(くふう)しなければならない。その信念がぶれなければ、財力は極めて乏しくとも、計をもって工作資金は工面出来るものである。また主宰者自らが工作を企て、上層階級とコネを作り、保券(ほけん)の証人になることも出来る。
 かつてロスチャイルド家の始祖マイヤー・アムシェルは、ドイツ西部地方のライン川の支流マイン川下流にある都市・フランクフルトに、小さな店を構えた、ただの一古物商に過ぎなかった。彼は古銭を商う商売をしていた。普通の人なら安易に見逃してしまう、“がらくた”同様の、どうしようもない古銭に目を付けた。その古銭に、付加価値をつけることを思い付いた。
 マイヤーは安値で古銭を買い集めると、持ち前の智慧を駆使して、手書きの小冊子
(pamphlet)を作り、それに独自の創意工夫を懲(こ)らして、顧客になりそうな王侯貴族に、この冊子を郵送したのである。古物商での第一歩が、同時に今日の世界を動かす「金融王」への第一歩だったのである。

 人間、金はなくとも智慧はある。智慧が枯渇しない限り、何とかなるのである。その構図のおおよそが出来上がったら、次は幕賓
(ばくひん)を得ることである。主宰者の智慧に助言を与え、頭脳(brain)として一計を策する戦略部門陣営(think tank)を構築することである。この構築さえ出来れば、何とかなるのである。
 「なんとかなる」のこの六文字は、一休禅師の言葉である。
 思えば、仏教は覚悟の宗教であると言える。覚悟した以上、確りと肚が据わる筈だ。肚が坐ったら、何が起ころうと、心配は無用である。しかし功夫はしなければならない。
 人間と言うものは自身の心の中に計り難い力を持っている。これが無意識の場合はしばしば有害になるが、逆に意識的に賢明な態度で扱えば、自分の味方につけることも出来るし、生理的・精神的傷害からわが身を退避させることも出来る。これが心の鍛錬である。

 既に述べたが、丸太橋を渡るとき、地上から10cmに架かる橋と、地上から50mに架かる橋の場合、大きさや長さは同じであるにも拘らず、高さだけが違っていれば状況は全く違って来る。特に心の鍛錬が出来ていない者は、足が竦んで一歩も前に進めない筈である。これを克服するには、心の鍛錬をする以外ない。この条件が完成して場合に、「なんとかなる」が始めて発動されるのである。

 だが、大物に取り入る場合、心の鍛錬、則ち功夫が出来てない者は自身の肚の坐りと、人間の底の浅さを見抜かれて位負けし、直ぐに足許を見抜かれてしまう。これでは信用も信頼も得ることが出来ない。
 主宰者は何よりも、重い信頼を抱かせるそこまでの心の鍛錬をしておかねばならないのである。信用だけでなく、信頼を得れば、逆境に次ぐ逆境の窮地に立たされても、隠忍よく活かす道が見つかるものである。それには先ず幕賓を得なければならない。

 弱者が強者を仆
(たお)す。こう言う時代は財力欠乏の折にも、幕賓になるべく、人材が顕われる。天の時であり、地の利である。人の力、思想、経営、作戦、人望などあらゆる人力を結集して大事業はなる。これがやがて烈しい嵐となって吹き荒れる。これを夢想したとき、痴人(ちじん)の夢と一蹴出来ないであろう。その実現を期すことこそ、その時代に吹く嵐であった。賛同者はこれに目的を同じくして突き進むことが出来るのである。
 斯
(か)くして、資金調達は成った。
 そして工面した金で、金塊500kgを捻り出した。

 捻り出した賛助金は満洲国紙幣が、ただの紙屑でなく換金能力のある満洲国政府の貨幣であると言うことを物語っていた、この点が経済謀略に使われた軍票とは大きく違っていたのである。
 『タカ』は『梟の眼』に指令を出した。『梟の眼』はネットワーク網を使って資金調達に暗躍した。
 またそれ以外にも、智慧で資金調達を行っていた。そして最終的には行く付いたのはM資金であった。

 日本では、資金調達に沢田次郎が奔走していた。彼は『要視察人』の特権符で、各界の要人を次々に買収して行った。
 また闇世界で超大物の『呑鯨
(どんげい)』の異名を持つ怪物・安積財閥の総帥・安積徳之助(あさか‐とくのすけ)にも取り入った。重要極秘事項を記した『柳田メモ』やM資金で誘い、幾らかでも吐き出させた。
 更にアラブ石油の山上源太こと『アラ源』にも取り込み工作を働き掛け、少なからず工作資金を調達した。早期戦争終結のための資金である。
 その中に『空龍』の製作費が含まれているのかも知れない。
 察すると、倉科泰三郎の発言権は『タカ』メンバーの中でも大きいらしい。資金面での援助者なのだろう。

 しかし、“アンと倉科”ならびに“吉田と倉科”の遣り取りを黙って聞いているのが、甘木正広陸軍少将であった。自らは“忌憚
(きたん)のないご意見を吐露して頂きたい”と言いつつも、自分では何も言わない。
 布袋さまは黙っているだけだった。腕組みしたまま一言も発しない。助け舟を出そうともしない。何れかに軍配すら挙げようとしない。ただ傍観者を決め込んでいた。
 それは津村も同じであった。
 布袋さまが何も言わないのに、福禄寿が口を挟む分けには行かない。傍観が一番だった。

 それぞれの問答が白熱していた。
 「わたくしどもは、女と雖
(いえど)も遊撃戦闘を特殊任務としております」アンが切り返すように言った。
 彼女は男尊女卑に怒り心頭に来ていた。
 「ほーッ……、お嬢さん方は巧
(うま)く作っているが、実は遊撃隊の戦闘員ですか?」倉科は口を丸めて《これは驚いた》と言う貌をした。大日本航空のエア・ガールに扮した女性達を甘く見ていた節があった。
 「女が戦闘員であっては、ご不満でしょうか!」アンは迫るように訊いた。
 甘木少将は『タカ』の一翼を担う有力な構成員で、夕鶴隊の活躍は知り抜いていたが、一方倉科社長はこれまで日本軍の女性戦闘部隊の話を一度も聞いたことがなかった。それだけに女性蔑視の偏見があった。

 「いえいえ、決してそう言う訳では……。しかし、それにしても、何とも国際色豊かですなァ。
 ところで、サトウ少佐。あなたのお国は?」アンを攻め立てるように訊いた。民族が違うと言うふうでもあった。
 「日本です!」
 「えッ?日本……」
 「主人の佐藤信夫は日本人ですから。わたくしは日本人に嫁ぎました。今は日本に帰化しています」
 「すると、あなたのご主人は、貿易商社のサトウ商店社長の佐藤信夫氏ですか?!」一瞬驚いたようだ。
 「そうです。いま上海におります。長らく主人とは会っておりませんが……」
 この夫婦は不思議な夫婦であった。年齢差が三十歳以上もある。歳も極端に離れていた。しかし当初の結婚生活は少なくとも巧くいっていた。この夫婦の生活が狂って、擦れ違いになったのは日米開戦からであった。

 アンと佐藤との結婚は英国王室との“渡り”のための政略結婚であった。その仲介者が伯爵の沢田翔洋であった。
 翔洋は次郎の養父であり、妖怪『智豹
(ちひょう)』の異名で国際経済資本(メジャーズ)に恐れらている人物である。その沢田翔洋が、この結婚を薦めた。何しろ翔洋は政商である。
 薦めた背景には、翔洋自身の腹積もりや策略があったことは否めない。ある意図をもって、人脈的な駆引きもあった。そのために年齢差三十と言うのは、政略結婚の観が強い。それゆえ清規と陋規を見事に使い分けている。賄賂術にも通じている。その智豹が佐藤の婿にアンを指名し、仲を取り持った。背景には企みがあることは明白である。
 一方アンはどうしたか。
 アンは結婚相手が好人物と言う噂で、好奇心から、軽率にも、「結婚してみようかしら」となった。
 周囲の反対を推しきって、沢田翔洋の薦められるままに結婚に至った。だが佐藤の資力と善意に惚れ込んだ危惧
(きぐ)はあった。そう思われる誤解も生じだ。
 ところが、それが目当てではなかった。彼女は年齢の離れた佐藤の人となりに酔心したのである。一目惚れだったかも知れない。父親のような、人に安らぎを与える佐藤の異能に魅
(み)せられたのだろう。

 だが年齢差があるにも関わらず、この結婚は意外に巧くいった。離ればなれになっていても、夫婦仲は益々堅固になっていったことは想像に難くない。そこに“擦れ違い”の現象が起こった。あたかもフランスの作家スタンダールの著書『恋愛論』に出て来る、恋の結晶作用と美化作用が起こったのである。

 アン・スミスは娘時代から、スタンダールの『恋愛論』を愛読していた。そして、上海と日本内地の“離ればなれ”と“擦れ違い”と言う交錯の中にあっては、頭脳明晰な彼女ですら躍らされ、スタンダールが指摘した通りの恋の結晶作用と美化作用が起こったのである。それが本当か嘘か、相思相愛の理想夫婦の構図を作っていたのである。
 軽率な好奇心は、やがて本当になった。情愛に火が点
(つ)いた。こうなると、年齢は問題でなくなる。
 肉体年齢より、深部で心が繋がっていればいい。佐藤信夫との夫婦関係は、固い絆
(きずな)で結ばれ、恋の結晶作用と美化作用がこれを堅固にしていた。人の人生は奇妙な縁に代表され、縁は不思議なものだった。そして、そこには愛と憎しみが複雑に絡み合うのである。
 だが、夫婦、人生の中道で、あい別れる。これほど辛いものはない。

 「さようでしたか……」そう言った言葉の中に、明言は避けているが《それは、お気の毒ですね》という言葉が含まれていた。あるいは倉科の、別の同情があったかも知れない。それを聴いた方は、真意を想像する以外ない。
 「でも、資力に転んだ訳ではありません」アンの弁解は、資産家の佐藤に転んだのではないと云う言い方だった。それに英国王室のロイヤルファミリーの一員でもある。
 「それは、そうでしょう」当り前だと云う返答である。
 アンの真意は、他人には分らない。三十歳以上も歳の離れた漢に、恋心など抱いたことを。
 そしてアンは、佐藤信夫の第一印象として、英邁篤実
(えいまい‐とくじつ)な人物として捉えたのである。この人物の人品にすっかり感悦してしまったのである。
 だが他人に、このことを説明しても分ってもらえないことであった。


 ─────円卓会議は途中休憩を挟みながら、世間話を交えながら進められていた。既に時間は深夜にまで及んだ。しかし、それにも関わらず決定的な具体策がなく、有効な決め手もなかった。だからといって安閑としている心境ではなかった。それが会議を長引かせていた。何れにしろ、然
(しか)るべき理由があってのことでなかった。こう言う場合は、個人の見解や世間話が絡むこともある。誰かが何事かを話せば、それに応じて誰かが別の意見を述べる、このキャッチボールのような会話から、瓢箪から駒が出ることもある。そういう会議は長引いても無駄にはならない。後学に役立つ。初対面ならば、人となりも分ることになる。
 金儲けばかりを考えた販売拡張や、利潤追求だけを論じ合うことが会議でないのである。
 時には世間話や、全く関係のないことを話題にしてもいい。

 「わたくし、マリア・テレジアを尊敬しておりますの」
 彼女は尊敬と言ったが、それは崇拝に近いものであった。崇拝のあまり、魂はマリア・テレジアに帰属しているような印象を与えた。
 「ほーッ……、オーストリアの女帝ですか。なるほど」語尾を引き延ばして納得したようだった。
 「ハプスブルク帝国全土を継承し、かのプロセインのフリードリヒ大王を七年戦争で、てんてこ舞いさせた君主です。ハプスブルク家の稀
(まれ)に見る君主は、女だったのです」アンは倉科に向かって意味深長なことを言った。既に“女だてら”ではなかった。男尊女卑への抗議である。
 「……………」こう聴いて、倉科は思わす声を呑んだ。アンの勝ち気に沈黙したのである。

 「そもそも日本は欧米とは異なり、女はか弱きものでありませんでした。ところが、どこでどう間違ったかは存じませんが、明治29年、北宋時代の末頃から起こった丙午
(ひのえうま)の迷信で、女性の地位は一気に下がってしまいました。この年に生まれた女は勢いがよくて、男を駄目にすると言う迷信です。この迷信が時代が下がるごとに酷くなって行ったのです。これが日本における男尊女卑の始まりです。
 でも歴史を振り返りますと、欧州でのペチコート同盟
(アンはこの同盟に秘策が秘められていると検ていた)からでも、女の力倆は明白となります」
 アンは核心を突いたようなことを述べた。尊崇するマリア・テレジアと言う女帝の秘説を探ったのだろう。

 「プロイセン国王のフリードリヒ大王に対抗するために、オーストリアのハプスブルク家当の主マリア・テレジアが、ロシア女帝エリザベータとフランス国王ルイ十五世のポンパドール侯爵夫人と結んだ同盟ですな。これで一時期、欧州の平和は保たれた……。そういうことでしょうか」倉科はなかなかの教養人であった。
 「わたくしの押しが足りませんでしたでしょうか?」皮肉めいたことを言った。
 「いえいえ、とんでもありません。一目置いて驚いているところです」
 しかし、内心は“女だてらに”の拭えぬ気持ちがある。それを驚いた振りをして隠しているのである。
 「ご冗談を……」言葉には余裕があった。
 アンには不思議な愉しさがあった。オヤジ改革の愉しさである。実力を見せ付けて徐々に改造してやると言う愉しさだ。
 物言いといい、態度といい、倉科はアンの信念の強さに一目置いたようだ。相手が誰であろうと怯
(ひる)まない毅然とした態度は、あまりにもマリア・テレジアを髣髴とさせたからである。やはり彼女はエリザベス女王の血筋かなと思うのであった。
 こうして有体
(ありてい)な褒め言葉を交わし、双方は品よく笑って世間話が終わった。これも会議の一貫であった。


 ─────近くて遠い未知の挑戦が始まった。新京飛行場までの道は、近くで遠いのである。僅か数キロが無性に遠いのである。
 至る所で土竜が監視し、隙を窺って拉致
(らち)を企てるからである。人攫(ひと‐さら)いに扮した土竜が暗躍していた。目標に狙いをつけると、複数で取り囲み、有無もいわせずアジトに連行してしまう。
 毒牙に掛かれば、秘密情報を採るための拷問、その挙げ句に最後は殺す。二度と生きて還れない。
 昭和19年の日本の敗戦が濃厚になり始めた頃、新京市は以前にも増して治安が悪くなっていた。事件が起こっても、関東軍は兵力温存のために動かなかった。

 殿
(しんがり)は智慧者の登場である。
 「最後になりましたが、『タカ』の智慧袋・津村陽平少尉と副官の兵頭仁介上等兵です」
 二人とも組織戦闘をするには老兵に入る年齢だった。
 「ほーッ……、何と」倉科は二人の老兵に驚いた。口を丸めて、アンの女だてら以上に驚いたのである。
 幹部候補生出身の津村少尉といい、副官の兵頭上等兵といい、兵役には不向きの老兵であるからだ。当時の日本人男子の平均年齢は42歳である。兵士として組織抵抗するには、余りにも歳を食い過ぎていた。
 倉科は帝国陸軍には、《こんな年寄りしか人材がいないのか?》と疑いたくなっていた。

 だが、『タカ』は老兵を指名したのである。それだけに、何かの意味があり、秘密戦を戦う上で大きな意味があるのだろう。参集したメンバーは女性戦闘員のみならず、二人の老兵に注目したのである。
 「妙締を窺いましょうか、津村さん」
 吉田毅はいきなり津村陽平にこのように迫った。
 「さて……、妙締ですか。それは難解ですねェ」矮男
(こおとこ)は難解を理由に恰好をつけている。
 だがその恰好には、それなりの理由がある。この策を訊くと言うのが、綱渡り用の綱
(tightrope)の品質と信頼性を聞くにも相応しかった。
 「あなたは奇蹟を起こせる何かを持っている。その術を心得ている。妙締を明かす義務があります」
 「これは異なことを……」
 だが津村は、綱渡りなどに奇蹟が起こる筈がない。それは綱渡り師の技倆によるものだ。直面している歴史の実体は、機関な綱渡りの離れ業を日本に要求していることであった。
 「私はあなたの妙なるものを、ここ数日で、幾度となく見てきました」
 此処に至っては、津村の智慧に頼るしかない。その縋
(すが)る気持ちが大であった。
 「さてさて、どうしたものか……」困惑したように言った。

 津村は思った。
 戦時の常だが、敵味方が入り乱れての秘密戦や心理戦は、敵の中にも味方が居て、一見味方と思える内部にも敵が居る。そして秘密戦で一番恐ろしいことは、味方の中に居る敵が、巧妙な仕掛けの陥穽
(かんせい)を設けていることである。売国奴的な利敵行為を働き、あるいは無闇に味方の人命を粗末にする輩(やから)の存在である。戦時では尚更、これが複雑に絡み合い、三つ巴、四つ巴の鎬(しのぎ)を削る戦いを演じている。
 特に自覚症状の無い利敵行為を働く高級軍人らに、自ら売国奴であると言う自覚がないことである。自分の演じている秘密の戦いは、あくまでも国益に利すると信じて動いていることである。
 だが、実際はそうではない。巨大な国際的な輪の中に捉えられていて、その輪を操る傀儡師
(くぐつ‐し)の傀儡に成り下がっている場合が少なくない。

 先の大戦、則
(すなわ)ち大東亜戦争では、一部の戦争指導者の中に「敗戦責任」を問われても、当然だと言う高級軍人が売国奴を働きながらも大手を振って戦中も戦後も闊歩(かっぽ)した痕跡があった。
 特に日本海軍の上層部にはこの種の高級軍人が存在し、彼らが日本の戦後復興に携わり、敗戦責任を逃れたことだ。無能ゆえに、戦わずして亡くなった幾百万の陸海軍将兵に申し開きの出来ないことをしている。
 つまり、作戦を実行する上で、「私は命と引き換えにしてもこれをやる」と、幼児的な断言と決断をして作戦に臨んだことであった。しかしそのために、無駄に多くの人命が失われた。真珠湾奇襲作戦やミッドウェー作戦はその種の戦争指導者で決行されたではなかったか。

 噛ませ犬を遣った観が強い。そして敗戦……。日本列島は大半が焦土となった。
 そのため国賊的に、無能な一部の指導者達と、一生懸命に戦ってくれた多数の名も無い無名戦士のギャップは余りにも大きかった。だが、無能なる戦争指導者と、名もなく死んで逝った底辺の兵士を一緒くたにしてはなるまい。だが残念なことに、戦没者への「鎮魂」は現状況では皆無であり、近現代史における日本の戦後の慰霊や供養は、未だに済んでいないのである。

 先の大戦の側面には、無能な戦争指導者は国際規模の巧みな傀儡師の操りで、躍らされた傀儡が、日本を敗戦に導いた痕跡が大なのである。
 これが戦局を考えた場合に、味方の中に秘密の陥穽が設けられていることである。官憲の中に敵味方が入り乱れた。神界に属するものと邪神界に属する者とが、鎬
(しのぎ)を削って相乱れた。この戦争が山場に差し掛かっていることを物語っている。その側面に新兵器が発明され、実戦配備されて使われることになる。
 画期的な武器の発明は人々に称賛されることはないが、驚異の武器を国家が所有することは、その国の政治的利権となり、他国を圧することが出来る。脅しとして抑止力になるという発想で、軍拡競争が始まったのである。
 これを使わせないためには、戦争を早く終わらせる以外ない。これに終止符が打てねば、軍拡競争はますます拍車を掛けることになる。競争することで、各国は武器開発で相乱れて一層拍車が掛かり、過熱する結果を招く。それが大戦終了後も、東西に別れて相乱れたことは周知の通りである。東西冷戦である。

 大戦末期、そして戦後に至る過程。そうした近未来の緊迫下を見据えて、早期戦争終結するために『タカ』メンバーが接点を持った。これから先の行動の決定事項を下すためである。
 まず当面の問題として、此処から抜け出して新京飛行場までに行く路程を確保しなければならない。路程を開くことは敵中突破に等しかった。満洲国は、既に日本人のものでなくなり、その所有権は他者へと移り始めていたのである。したがって、路程も敵の海の中で拓かねばならなかった。当面の課題として、これをどうするかであった。誰一人として損なうことは許されなかった。

 時々刻々と驚異が高まっていた。敵の海に囲まれては、どうしてもそうなる。そして兎の群れに狐を入れられても困る。世話人達は、それを懸念していた。
 これから内地に向かう六人を、どうしても無事、日本に送り届けたい。そのためには四方を敵の海に囲まれた現状から敵中突破を企てねばならない。何が何でも新京飛行場まで向かわねばならない。距離は近いが、辿り着くまでが遠いのである。これはまさに、綱渡り的な名人芸を必要とした。
 そして会議は白熱していた。

 僅か数キロの距離が、実は長い。飛行場までの突破口である。
 敵の海に囲まれた中では、敵の中宮を突破することは容易ではない。これが敵中突破の難しさである。
 世界はそれぞれの思惑で動き、水面下では情報が飛び交っていた。その情報に対しては、更に新情報で対抗する。攪乱戦であり、心理戦である。

 此処に至って妙案を出せと言う。奇手を使えと言う。津村にしてみれば、これが今から直面する「困」であった。その元兇をどう覆すか?……、逃れるか?……。これを津村は難解と言ったのである。
 「どうします、この『困』を?」
 吉田毅はいきなり津村陽平にこのように迫った。
 津村陽平の『易』から出た「困」に注視している。あたかも困っている時に通り過ぎず、一緒に立ち止まって一計を案ずる助っ人である。求められるべきは細心で大胆な有効策である。
 唯一の有効策は、急激な動きの中に敵の隙を捜して、これを勝機のなし、弱点を衝いて崩して行くしかないのである。
 「地勢の不利の奪還ですか?」
 取られた地を、どう奪還するかであった。日本は点と線の進撃だけで、肝心な面を治める陣取り合戦には負けていた。
 「そうです」
 「さて……、成らざるを成す。勝ち難きを勝つ……。これは不時の難に当たっても同じです。道理はいつの時代も変わりません」地の奪還。難解である。その成し難きを指摘した。
 「具体的にお願いします」
 「では地勢図を拝見致しましょうか」
 「地勢図?……」《何のことやら》と吉田は思う。

 『津村流陽明武鑑』には状況判断をする場合に、地勢図を用いる。方術である。陽明武鑑は仙術を基盤にしているからである。これにより、敵味方の判別をする。
 「あなた方の情報網が調べ上げた地勢の優劣図ですよ。新京市には土竜
(もぐら)がうようよ居る。その土竜をどう退治なさいます?」
 土竜の暗躍は赤塔
(チタ)の満洲総領事館の秘密部屋からも観察済みである。
 「面白いことを言われますなァ……」
 吉田は平常心を崩さないように虚勢を張っているが、そのように切り出されると内心穏やかでなかった。それに情報の何処に目を付けているのかと言われるのも、些か手抜かりがあるとの観が指摘されかねない。
 「近辺の地図を見せて下さい。この地には土竜
が多く出ますからなァ、まるで雨上がりの竹の子のように」
 津村にそう問われた吉田は、配下に新京市内の地図を直ちに用意させた。それに、方眼升目入りのハトロン紙である。

 姿勢状況を判断する検証に入った。次々に記入して行った。
 だが険相が漂い始めている……。まずい……。これが津村の感想である。
 地図には諜報員独特の印が付けてあった。しかし印は物理量で表示されていた。肝心なものが抜けていた。それが抜けているのでは連続して起こる変化を見ることは出来ない。あまりにも比喩的でない。隠喩法を用いていない。だがそれを津村は独特の色彩で判断するからだ。この漢、独自の色彩変化法である。
 色彩の変化で状況を判断するのである。

 これは数値法とは異なる。数字でなく、色彩で変化や状況を検
(み)る方法であり、この漢特有の画家としての変化を、地図の中に当て嵌めるのである。換言すれば、隠形之術(おんぎょう‐の‐じゅつ)を遣って碁盤の目の上の500m四方を描き出す方法である。隠形之術は三元式(縦・横・高さを加え、平面配当盤でない高低を持つ立体図)という半時計回りに「八門の術」に遵(したが)う。東西南北を脳裡に入れた方術である。
 これにより碁盤の目の八方を、八門の遁甲術に習い洞察する。
 絵画的判断法である。これは津村にしてみれば、絵を描く前の構図設定であった。

 地勢と形勢の構図を作る……。これを併せて、状況が変化して行く様が浮き彫りになる。
 それは土竜の配置された構図でもある。そして土竜分布図でもある。
 これはインスピレーション、あるいは閃
(ひらめ)きのよるものであろうか。
 自分も見ている。だが相手も見ている。そういう相対関係が生まれているのに気付くのである。見ているものと、見られている者の鬩
(せめ)ぎ合いである。これを大局的に読む。
 津村の構図決めの観察方法は、画家であった。画家のそれである。

 この方法は数日前、チタの満洲国総領事館の館員にも披露した方法である。新京市内の近辺地図の上にハトロン紙を載せて碁盤の目を描く。家伝の『津村流陽明武鑑』にある「方眼法」である。
 アナログ的に物理量が表現された部分を碁盤の目に合わせ、色分けして載せていくのである。地図の上に、1cm刻みの正方形の碁盤の目を描いた薄いハトロン紙を被せた。これを光に透かして、出発点を現在地のヤマトホテルとし、正方形の西南の角と終点の西北の角までを、阿弥陀籤
(くじ)のようにして、碁盤の目を辿るのである。地勢図から分ることは、出発点の近くには中央通南端に児玉公園があり、この他、大同公園、白山公園、牡丹公園があって新京市の面積のおおよそ七割りを占める面積を持っていた。併せて、永昌路(えいしょうろ)付近には日本人の住宅街があった。

 当時の新京市は、この規模だけで世界的な大都市の体裁を整えていた。長春時代は僅か17平方kmだった市街が、昭和14年に入ると100平方kmの巨大な規模に拡大されたのである。根底には国都建設計画の推進があったからだ。これは、まさに碁盤の目のような構造をしていた。
 ちなみに敗戦当時焼け野原になった焦土の日本では、戦後の都市復興を満洲時代の新京市の国都建設計画に沿って推進され、新京市を手本としたのである。つまり何もない曠野に新京市を出現させ、近代建築を次々と建設したのである。

 碁盤の目……。
 曲線がないだけに見渡しが利く。守る側には盲点であり、攻める側には利点である。敵中突破は攻めの術である。
 一方、そのため身を隠すところが少ない。陋巷
(ろうこう)がないのである。では陋巷は何処に行ったのか。
 おそらく公園付近に移動したと思われる。そこが地下となり、地下組織もまた此処に巣食った。そしてそこには土竜が暗躍した。
 攻め術では、此処が要所であった。利点は、また盲点も抱えているのである。決して万事がいいことずくめではない。守りに入ると弱点を持っていた。
 まず方眼法で地勢図を辿り、各交叉点を起点におく。国都建設計画では大商店街、銀行街、会社街などが軒を連ねていて中央に日本通りがある。この通りを起点とした場所に金泰百貨店があって、ここと交差するのが吉野町であった。吉野町は、日本で言えば東京都中央区の繁華街の銀座に当たる。新京市一の繁華街である。
 東京がそうであるように、また新京市の繁華街も東京銀座に酷似していた。東京では京橋から新橋まで北東から南西に延びる街路を中心として、高級店が居並んでいる。新京市の街の構造もよく似ていた。

 新京はかつての長春城内であり、四馬路の街頭も角から角まで阿弥陀籤
(くじ)のようになっていた。角を辿るのである。その辿り方は無数にある。これを無作為に、乱数的に選び出し、数枚のモデルを作る。
 このモデルから仕切られた碁盤の目を、照準器のレンズのような眼で観察するのである。その一つひとつを順に観察し、機械的に覗いているとある種の漠然としたものが泛
(うか)び上がって来る。視点が定まらなかった攻撃点(pinpoint)が浮上して来るのである。
 それぞれの位置関係と、人相から判断した内面を読み、蛮人的で灰汁
(あく)が強ければ赤(A)、観察眼に欠け間抜けならば紫(B)、それ以外ならば中間位置を顕す若草色(C)で塗り分けた。そして碁盤の目の中に誰も居なければ白(D)を塗る。その場合、二人以上を黒(Z)とし、これを座標軸の中心に置くのである。これを携帯していた色鉛筆で方眼の上の塗分けしたのである。これにより監視網が一目瞭然になる。

 「なるほど……」吉田が思わず相槌
(あいづち)を打った。
 「これで監視網の死角が歴然となります」
 「監視網の死角ですか?……」
 「人間の行動原理は、常に楽な方に流れて行こうと言う意識が無意識に働くものですよ」
 「楽な方に、無意識?……」
 そこに隙が生まれることを、津村は指摘したかった。大半の者が見逃す盲点である。
 「生きとし生けるものは、何事も合理的に効率のよいものを選択して行く。それが地図上に難易分布が顕われます。方眼の上に記した全体像は何色に見えるでしょう?」
 「あたかも色盲検査のように映りますなァ」
 「漠然とした色で、赤や紫は数えるほどです」
 「さようですなァ」
 吉田も数日前、領事館員に説明した時と同じような感想を返して来た。
 「この色盲検査分布は、実は警戒の甘さ、あるいは監視の甘さを顕しているのです。お分かりですか?」
 「なるほど、そう説明されれば分ります」
 「これは敵味方の識別
(みわけ)る方法の一つです。色が薄ければ、敵は少ない。濃いくなるにしたがって、ケバケバしさが増し、ドぎつくなると敵は殖えていることになります。少なくとも、今は敵が少ないと検ていいでしょう。しかし、その後は濃いくなります」

 その表示法は、光と影を読む方法である。色彩は影と光からなる。
 建造物の夜間の燈火分布である。燈火があれば人がいる。その火がなければ、人が潜んでいるか、全く棲息無し。そこで燈火が一番強く映ったところは座標軸の中心点におき、それを黒
(Z)。ぼんやりした燈火を若草色(C)。燈火がない箇所を白(D)で顕すのである。赤(A)と紫(B)がないのは、夜陰での人間の表情まで窺うのは難しいからである。白と黒だけでも座標軸の中心が、どのように動いているかが分るからである。追うのは、あくまでも中心座標軸の点の位置である。その動きに伴い、若草色と白の分布である。絵画的発想がこの色識別分布を考え付いたのである。
 裏が覗けなければ、表を見ればいい。そして表も裏も、人間の居る居ないで、存在が不思議にも重なり合うのである。夜陰に乗じて事を起こすとは、その色の気配を観測することなのである。
 津村は、闇に潜む静かな闘魂の眼を開いていったのである。

 「これは何だかお分りでしょうか」
 「さあ?……」
 「八門金鎖
はちもん‐きんさ/八門鉄鎖とも)の陣です。この分布から窺うと、なかなか手際よく、合理的かつ効率的に土竜を配置・分布しているように映りますが、惜しむらくは土竜どもは、陣の中宮(中陣)の主持(しゅじ)に欠けていることです」
 「そもそも八門金鎖の陣とは何です?」
 「八門とは、休・生・傷・杜・景・死・驚・開の八つの門のこと。この門のうち、生門、景門、開門から入るは吉。しかし、傷門、休門、驚門を知らずして入ると傷害を蒙ります。また、杜門、死門を侵す時は、必ず滅亡が顕われます。現在地を中心点において諸部の配陣の分配図を観ますと、それぞれに兵路を綾なし、殆ど完璧を施しているように映りますが、ただ中宮は手薄です。土竜を操る傀儡師
(くぐつ‐し)は、土竜の傀儡を動かすにも、中枢の指令が後陣に控えているため思うように檄(げき)が飛ばせない象(かたち)です。これは乗ずる隙がありと観て宜しいでしょう。困の窪地の湿り気が潤いを齎すのです」
 「では、中宮を乱すには?!」迫るように訊いた。

 「生門より侵入して、景門へ出る策を立てます。これにより、配陣の分配図はあたかも布の縦糸が抜かれたように、横糸も綻
(ほころ)ぶでしょう。これにより中宮は乱れます」
 津村は八門金鎖の陣の理論を明かした。
 「なるほど……」
 「困窮しても、功夫
(工夫)すれば何とかなるものです。それなりの先入観をもって物事を見るから相が険悪に映るのです。如何にも最悪に映ってしまう。しかし、実際に困窮に直面してみれば、最悪と思えたこともその中に好機を孕(はら)んでいることが多く、何とかなることが分ってきます」
 斯くして道が開け、監視の眼から逃れることの見通しが立ったのである。
 「やはり、なんとかなりましたねェ」
 一同は非常な信念を与えられたように勢いづいた。用兵の妙である。機を掴んだのである。
 八門金鎖の陣を配当盤に当て嵌める時は、まず今を読む。その刹那をつまびらかにする。今日の日付の時刻計算である。色分布と八門の配当盤を重ね合わせる。そこに兵路が綾なしているのである。

 この奇妙な様子を『梟の眼』の機関長である甘木正広少将は黙って見ていたが、「なるほど、あんたは『タカ』の、まさしく智慧袋だ。面白い術を遣う……」と言ったまま腕組みをした。腕組みしたまま表情は変えなかった。何かを深く思案しているようだった。
 機関長の貌は風雪で刻まれた皺が深かった。満洲の曠野で日焼けして錆びた鉄のような肌をしていたが、それなにに艶
(つや)があった。
 「しかし難解です。何処までも至難の業
(わざ)が付き纏います」
 「便衣隊
(べんいたい)に気を付けなされ」甘木少将が呟くように言った。
 「便衣隊ですか?」津村には釈然としなかった。大陸での経験が皆無であったからだ。だが、平服で暗躍するゲリラであることは想像がつく。
 便衣隊とは、日中戦争時、平服を着て一般市民に紛れ込み、満洲やその他の占領地に潜入し、非合法活動したり、日本軍の後方攪乱をなす中国人の遊撃グループの抗日分子をいう。時として、暴力を用いて世相を不穏にしたり、秩序を破壊するために街中で発砲事件などを起こし、日本官憲を悩ましていた。

 「至る所に便衣隊が仕組んだ陥穽がある。その陥穽、それを設けた者の計画通りに追われ、尾行させ、印象づける。これだけで楽勝への錯覚が生まれる……」
 それはまさに尾行者の心理であった。
 「よく分ります」苦労人ならではのことであった。
 「便衣隊は官憲以上に質
(たち)が悪い」それは抗日に対して異常なまでに熱血漢で、狡猾(こうかつ)だと言うことである
 「お人好しな日本人には無い、狡獪
(こうかい)ですね」
 大陸では日本人以上に一枚も二枚も上に行く。
 明治以来、日本軍は、半島人は日本陸軍に徴用したが、大陸人は徴用しなかった。これは狡獪度に違いにあった。大陸人は半島人以上に狡猾であり、日本人にはない独特の風土で染まっていた。
 日本は大陸文化に学んだが、良いところは取り入れ、悪いところは排除した。その最たるものが宦官
(かんがん)である。大和朝廷ではそれを排除して、日本独特の国風文化が生まれた。民族に備わる遺伝子が違うのである。それが日本人特有の感性となった。だがその感性も、世が国際化の波を煽りを受けて、二十世紀に入ると急速に薄れた。交通の便が良くなり地球が狭くなると、異文化が雪崩れ込み、日本人特有の霊的神性が破壊された。

 「この国には紅白入り乱れての影の権力が存在している。権力は何も憲兵や警察だけでない。官憲の制服だけとは限らない。無邪気な女子供の中にも驚異はある。婦女子の力を甘く見るべきでない。この力は恐るべき集団となって、影の権力を擁護する組織がある。攪乱を企てて、巻くのは土竜だけではありませんぞ」
 尾行者は何もソ連狐やその走狗の土竜だけでない。秘密指令を受けて動く日本側の官憲も同じであった。憲兵隊および特高警察も同じように警戒せねばならない。それに併せて、民衆に混じって紅白相乱れる更衣隊の存在である。この更衣隊を、甘木少将は特に警戒せよと言っているのである。

 心理戦において、第一線の官憲が群集の中から手配する遁走者を追う場合、官憲の存在を意識する手配される追われる者は、眼の動かし方に一種独特の仕種
(しぐさ)がある。官憲はこの仕種をする者を、先ず第一に目標を絞り込む。更には、聲(こえ)を掛けた時の慌てようと、躰の動きのぎこちなさである。官憲はこれほど無気味な存在である。だが官憲だけではなかった。群集の一人ひとりが、そうなのである。
 群集の中には、群集ならではの特殊な心理が働く。多数の人間が一時的・偶発的に集まってつくられた集団現象である。そのときに起こる群集の状態におかれた人間が示す、心的状態である。そして恐るべきは、この状態の中から、無責任性、被暗示性、非論理性などの傾向が起こる。
 それは群集と言う一定地域の何らかの関係により、共通項をもって、関心を惹
(ひ)く対象に向かって類似の反応を示すからであり、この反応には不動的な無統制な偶発性があるからである。

 例えば群集の中の誰か一人が、指をさし、聲を上げて「あいつだ!」などと、特定の個人を告発するように叫ぶと、指をさされた者は忽
(たちま)ち、いま遁走していると思い込まれ、何故か悪党の烙印を押されてしまうのである。この告発者を煽動者とも言う。
 街角には恐怖政治に似た悪夢が転がっているのである。この火付け役をするのが、少数で動き廻り、武器を隠し持つ便衣隊であった。衣服にしたに武器を隠し群集に紛れ込んでいる。そして、「あいつだ」と名指しで指弾されれば、忽
(たちま)ち集中砲火を浴びせ掛けられることもある。大衆を煽動し、事実無根のデマも辞さない。この方法は、ある特定の人間を陥れるために使われる陥穽であった。

 「お言葉、有難く頂戴致します」
 「成功を祈る」
 「はァ!」湯村は身を引き締めた。そして「しかし成功するには、まだまだ役者不足です」と言及した。
 「なんだと?」
 「役者が不足していると申し上げているのです」津村は駒が足りないと力説したかった。
 津村の観測は満洲の地に来て、日本内地では観測の出来ない国際化の波、ならびに地球規模のグローバル化の気配を感じたのである。地球は以前にも況
(ま)して狭くなったと感じたのである。これは日本内地では感じることの出来ないことであった。
 思えば、なぜ父・十朗左衛門が長らく大陸を放浪したのか、またなぜ星野周作が大陸を徘徊したのか、それが分かるような気がしたのである。そして恐るべきは、狭くなったグローバル化の裏に、何か巨大なものが動いていることを感じたのである。
 国際化……、これは何も良いこと尽くめではなかった。良いこと尽くめの裏には、それに匹敵するだけの反動が起こるものである。裏にはそれが隠されているということを悟り始めたである。
 満洲国建国……。それは日本人にとって国際化の幕開けだった。
 民族が、人種が満洲の地では相乱れていた。国際色豊かと言えばそれまでだが、この裏には別の意味を観測していたのである。

 「どういう意味かね?」
 「自分達は満洲国は始めてで、新京市内の地理には不慣れです」それは哈爾濱同様、新京は欲望の絡み合う国際色豊かな街であったからだ。それだけに国家間や富豪どもの利権が絡み合って、動きが複雑であり、追い込まれれば、ウサギの“隠れ穴”のようなところが必要なのである。
 「道案内が居
(お)ろう」
 津村は果たして“隠れ穴”への誘導者が居るのか居ないのか、兵法では、これが重要なのである。
 「敵中突破を企てます。策は敵の中宮の手薄を衝いて、難所を突破します。詭計
(きけい)を図るには肝心なる役者がおりません。人を隠すには、人の中と申しまして……」鎌を掛けるように言った。
 「しかし、人は、人民は羊に似ている」意味深長な言葉であった。
 「それだけに、羊の群れには羊飼いが要ります」
 「なるほど、巧いことを言う……。だが、この羊の群れに狼が侵入したらどうなる?」
 「攪乱され、羊は啖
(く)われることになります」
 「惨事だな。この状況下で、羊に譬
(たと)えた人間が隠せるかな?」
 「だから、群れを煽り、狼もろとも攪乱する、もう一匹の狼が要ります」けものの予知能力が欲しかったのである。
 「その狼、羊飼いが化けた狼と言うことか?……。なかなかの策士だなァ」布袋さまは感心した。
 「?…………」《これは皮肉か?……》津村の貌には、ほんの僅か懸念の色が浮んだ。
 「これは別に悪気があって言ったのではない、許してくれ給え。実は本気で言ったのだ」
 「うム?……」喰えないオヤジだ、人が悪いと思った。
 あたかも布袋オヤジは、小人を検
(み)て、小人に気付かぬのが、また小人とでも思っているようである。まんまと、その手に乗せられた観があった。

 新京城内には旧長春
(ちょうしゅん)城内の四路馬(すまろ)の街頭、また露店が並び、そこでは食料品・衣類・燃料・線香・爆竹などが売られていて、通りは脂の匂いがあり夜遅くまで夜店のような店舗が出ている。
 また大街には都大路の他に東萬寿
(とうまんじゅ)、西萬寿(せいまんじゅ)、承徳(しょうとく)、長春、順天(じゅんてん)、東盛(とうせい)等があった。この通りには順天公園が隣接していて、その大通りには司法部があり、それと平行して日本の商社のビルが並んでいた。満洲国に翳りが出たとはいえ、それはあたかも東京駅前の丸の内のオフィスを髣髴とさせた。此処には日本から優秀な商社マンが送られて来ていた。沢田貿易のビルも、その一劃にあった。

 「よし分った。あんたの意に添おう。わし自ら、陣頭指揮を執る……」鶴の一声だった。甘木少将は決断したのである。
 「光栄です」津村は決断の速さに感謝した。
 「吉田君!彼奴
(ぎゃつ)を呼べ」甘木少将は津村の意図を悟った。この一行を日本に無事に送り届けるための帰国作戦である。
 この作戦に早期戦争終結なるか、否かを決定する鍵あるのである。一行は重大情報と500kgの金塊を抱えて日本に戻る。
 「はッ!では、さっそく」吉田が気声を発した。彼は機転の利く漢であった。
 人を隠すには人の中の「人が足らない」の、津村の意図が分ったのである。
 甘木少将が“彼奴”と言ったのは聴衆屋のことである。聴衆を集め、騒がせ、煽る工作を専門とする攪乱屋のことである。悪く言えば、動物を罠に追い込む時の勢子
(せこ)という煽動者(agitator)である。この煽動者が“彼奴”であった。

 『困』からの脱出は、津村の双肩に懸かっていた。
 敵の海から逃れねばならない。土竜の監視から現在地を抜け出し、飛行場まで辿り着き、無事飛行機に搭乗する。だが、囲まれた中でのこの行動は難しい。敵の海の中を泳いで行くのであるから難儀であった。
 そこで智慧袋は、一計を巡らした。地勢図においてである。



●煽り屋

 マキアヴェリによれば「君主の頭脳程度は、その国の宰相を見れば分る」と言っているが、蒙古
の政治家でジンギスカンの宰相であった耶律楚材やりつ‐そざい/遼の王族の出身で、遼の滅亡後、金に仕えた。名は晋卿。1190〜1244)は、はじめ金に仕えたが、1215年ジンギス汗に降り、その西域遠征に従軍した。耶律楚材は宰相の才を持っていた。
 オゴタイ汗の即位に功があり、複雑多岐なる蒙古の国政を運用し、また学問に優れ、その学の中でも天文、地理、医学にも通じた人物である。

 耶律楚材は幼少より儒学を修め、天稟
(てんぴん)の偉大さは周囲から羨まれるほどだった。
 彼が金に仕官した頃、この国の社稷
(しゃしょく)は傾き、国全体は頽廃的で国民はなげやりになっていた。亡国の兆しは明確であった。
 その中に在
(あ)って耶律楚材は、若くして三界に住まうところなき魂の不在に襲われ、やがて儒学から禅へと転じていた。そして聖安寺の澄公和尚を師として、その和尚の紹介により万松老師を得て鍛錬中にジンギスカンが金の首都・燕京を占領し、その間に耶律楚材はジンギスカンと邂逅することになる。

 この邂逅を思うと、吉田毅に関わる人物像が浮き彫りになる。吉田は将来を嘱望された有能な陸軍を背負う参謀本部員だった。ところが、参謀本部の傲慢に辟易して野に下り、予備役に廻された。
 この野に下った漢を伯爵の沢田翔洋が目を付けた。この漢を沢田貿易の哈爾濱支店長に据えた。邂逅から始まったことである。
 また甘木正広という得体の知れない陸軍少将である。
 『梟の眼』の総括機関長で、沢田貿易の最高顧問である。これも邂逅から始まっている。吉田は、走狗のように動いているが、その原動力は邂逅によるものであった。人物同士の結びつきである。

 甘木少将の鶴の一声で、彼奴
(きゃつ)が呼ばれた。
 『梟の眼』は人を能
(よ)く遣った。
 彼奴は見事な傀儡師であった。傀儡を上手に操り、躍らせるのである。時には乱舞までさせる。
 あたかも釈迦の掌の上で、孫悟空を踊らせ、酔っぱらい劇まで演出してしまうのである。その種の工作人材は豊富であった。秘密戦の何たるかを熟知しているからである。
 その意味では憲兵隊や特高警察とは一線を画し、蜥蜴
(とかげ)の尻尾切りを遣らず、また無辜(むこ)の市民まで累(るい)を及ぼす愚考はしなかった。況(ま)して尊大でもない。肩で風を切らない。闇に溶けるのが巧みである。
 権力風を吹かし、傲慢と尊大を働かない。むしろ逆であった。巧妙に相手側に接近し、巧妙に工作を進めて行くには、夜郎自大に振る舞っては却
(かえ)って警戒されるばかりか、敵の情報は掴めず、工作員は危険に晒されることになる。それでは本来の機能が充分に発揮出来ない。
 当時の日本軍は全体的に情報に関しては無知であった。絶望的に無理解であった。
 秘密戦において、その組織作りと情報を得るための地下偵諜網の形成は、一種の芸術作品にも似た繊細な行動が必要である。ただ無骨で、がさつで、武張った猛々しいばかりの蛮勇では話にならない。豪胆なる武勇伝は無用なのである。

 では『梟の眼』は如何なる方法で組織されたのか。
 組織形成上で、特別なモデル・ケースはない。柔軟で奇抜なる発想と芸術的創造が、地道な智慧の集積を行っていたのである。それが積み重なって極秘のノウハウを作った。聴衆屋という奇なる人物も、繊細な人間観察術から生まれた。そえれだけに途方もない根気と忍耐力を必要とした。これは検挙第一主義の憲兵隊や特高警察とは逆行する発想であった。この意味で、検挙第一主義が秘密戦では敗北していた。

 時間は刻々と差し迫っていた。
 だが行動は短時間の間に複雑に考え、それを実行に移さなければならないことに迫られることがある。安閑としている時ではない。
 そこに奇妙な漢が出頭した。
 「奉天憲兵隊の猪口
(いのぐち)曹長、極秘令により、只今出頭致しました!」きびきびと敬礼した。彼奴は迅速であった。彼奴は憲兵が板に付いていた。
 本当に奇妙な漢が姿を顕したものだ。一堂はそう思った。
 軍帽の顎紐
(あごひも)を締め、腕には白地に赤文字の鮮やかな「憲兵」の文字が際立っていた。しかし彼も老兵の部類に入る。有に五十を超えた年齢である。だが、五十オヤジが、なぜ憲兵隊に居るか分らない。あるいは『梟の眼』が飼い馴らして手懐(てなず)けたたのか。

 「みなに紹介しておこう。この漢は奉天憲兵隊の猪口敬三
(仮名)曹長だ。だが、憲兵とは名ばかりで、牙を抜かれた猪(いのしし)。憲兵は表の貌、裏は煽り屋だ。これがこの漢の本職。嘘八百を言って、大衆攪乱を得意とする名人芸を持っている。つまり人民を煽動する煽り屋だ」《こいつは大した悪党だよ》とでも、付け加えたいようであった。
 「煽り屋?……」此処にいた一堂は“煽り屋”と聴いて驚いた。
 本職と言った言葉が、何とも釈然としないからである。猪口曹長のことを知っているのは吉田と甘木少将、それに案内役の青年のみであった。他には知らされていなかった。
 本職とは職業と言うことだろう。生業
(なりわい)を言うのかも知れない。
 だが、職業というものは所詮
(しょせん)揺れ動く頼りないものである。一つ間違えば、権限も金銭からも、忽(たちま)ち見放されてしまう。過去を揺曳する蜃気楼(しんきろう)である。その蜃気楼は見る者の心象が映って幾重にも見える。その意味では、猪口は明らかに表の貌と裏の貌の二面を持っていた。

 「つまり、芝居の演出家と言うことですか?」二面の裏はそうかも知れないと津村は思った。
 「察しがいいな、津村君。そうだよ、この漢は聴衆を煽動する名人だ」
 「悪く言えば、アジテーター。よく言えば聴衆を端役に、即席に仕立ててしまう演出者」
 「まさに」彼奴が相槌を打った。否定もしない。
 「羊の群れの中で、狼を演ずる演出家兼出演者というところでしょうか?」
 「よく分っているじゃないか」
 「要するに彼をおいて選択の余地はない……ということですか」
 敵中突破を遣る以上、肚を決める以外ない。味方が誰であるか問題ではないのだ。目的は同じなら、それでいい。非常時に贅沢は言っていられないのである。役者に不足はない。津村はそう思った。

 「そうと決まったら決行だ。では猪口曹長。さっそく派手に“場”と“時”を煽ってもらおう」甘木少将が妙なことを言った。
 「お任せ下さい。釈迦の掌の上で、孫悟空を乱舞させて頂きます」それは寸劇の『俄
(にわか)』を意味していた。漢は俄芝居の達人のようだ。
 一席打って聴衆を沸かせ、騒がせ、そして煽って騒然とさせる。それは羊の
群れの中で、群れを煽る狼に相応しい。『梟の眼』は官憲の中にも手下(てか)を飼っていた。
 「釈迦の掌の上で乱舞とは……」
 「煽り屋は小賢しい振る舞いは致しません。この際です、驕
(おご)ったままで決行することが、つまり功を奏することになります」
 「驕ったままで生きて行くのも、時には面白いかも知れません」彼奴が断言した。

 猪口敬三は、もと「羽機関」に所属していた。
 羽垣維四郎少佐に随行してベルリンまで行った漢である。そこで宣伝相ヨーゼフ・ゲッペルス仕込みのプロパガンダ工作術を習った。満洲では哈爾濱の『梟の眼』に所属していた。ここから奉天憲兵隊に送り込まれたのである。したがって身分も本名も、また戸籍も、猪口敬三と言うのは偽銘である。更に、軍席簿にある憲兵曹長というのも階級詐称であった。
 「羽機関」に属していたことから、一介の下士官などではない。二重の階級を持つ将校である。彼も秘密戦士なのである。だが一等下がって、下士官を偽っていた。
 この漢は、戸籍を捨てた漢であった。したがって猪口敬三も、本名であるかどうか分らない。
 そして『梟の眼』の一員としては、裏の貌が“煽り屋”であり、憲兵の他に満洲映画の映画監督であった。偽りの職業である。
 時と場所に応じて、直ぐさま憲兵の制服から、映画監督風の平服に戻るのである。姿をカメレオンのように変容させる。その際、煽り屋として、満人の大量のエキストラを使って撮影を模することを得意とした。多くの群集を集め、映画撮影のロケーションのように装うのである。強弱・大小・貧富・身分・長幼の陰陽を利用して自在に化けるのである。奇妙な特技家であった。

 「兵法に則って、よく考えましょう」津村が切り出した。
 「どういうことだ?」甘木少将。
 「長春城内には敵味方相乱れて、われわれを監視し、動きを阻止すつために工作員が配備されています。味方でも、戦争屋がいます」
 戦争屋とは戦争継続の強行派のことである。
 「強行派の連中か……、始末が悪い。この連中は井の中の蛙
(かわず)で、敵の土竜よりも始末が悪い。目先ばかりに囚われている。厄介な連中だ」甘木少将は吐露するように言った。
 「そうです、その通りです。城内にはそういう厄介な官憲が蔓延っています。陸軍の中の日本を主張する連中です。そして彼らの呪禁
(じゅきん)が怨念となって逆巻いています……」
 「その、呪禁とは何だね?」
 「精神主義です。則ち万歳突撃などの下級の将兵を縛る呪縛です。誰もがこの呪縛に懸かっています。その呪縛は自分のような老兵にも及んでいます」
 「弾除けにされた訳か」
 「そうです。したがって敵味方相乱れる中宮を突破するには、同時に二者が縛られるとも限りません」
 津村陽平が言った二者とは、『梟の眼』の組織と、これから情報と、金塊を積んで日本に戻る二組を指しているのである。同時に動けば、二者とも縛られるという警告であった。

 「その場合、一者は外から掩護します」煽り屋が発言した。
 「それは妙案だ。無闇に、強行に敵中突破を企てるより、その方がよほど助かる可能性が高くなる。相互扶助か……、妙案だ。真綿で締めるが如く、真綿で巻くというわけか」布袋さまが膝を叩いた。
 「さようで御座います」
 「では、煽り屋はどうする?」
 「5分後に当ホテルから新京空港までロケーションを開始します。総て手筈は整っております」
 「ほ〜ッ……」甘木少将が口を丸めた。
 「映画撮影のためのエキストラを既に、このホテルの前で騒がしています」
 「さすが、煽動屋だね。満人から手練を募って準備を整えていると言うことか。考えれば、満人が長春城内にいるということは、突破のために好都合と言う訳だな」
 「そうです。闘気を闘気で応ずる訳です。慎重に遣るべき、これが真剣勝負の正念場です」
 「君の計には、時として計りかねる事象が多いが、エキストラへの礼を心得ていれば間違いあるまい」
 「決して無謀ではありません、奇計です」

 「では自分が一計を……」津村が口を挟んだ。智慧者の智慧の授けどころと検
(み)た。
 「なんだね、津村君?」
 「サトウ少佐殿以下、女性の方々を入念に化粧して下さい。この意味、映画監督であれば承知の筈……」
 この漢は、画家として彼女達を見ていたのである。
 「妙案ですなァ、それは」煽り屋がポンと膝を叩いた。
 「大いに利用して下さい」
 「そういわれると、監督としての芸術心が起こりますなァ。そうだ、既に女優は此処に居る。その女優を最高に引き立てるのは監督に仕事ですからねェ
。シナリオは絶世の美女五人組。これから最高の芸術的なプロパガンダ映画を撮影してご覧にいれます」煽り屋が相槌(あいづち)を打った。
 「よし、任せた!」甘木少将は決断をした。布袋さまに迷いはなかった。即決即断である。


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