運気 八門人相 房中術 癒しの杜 菜根譚 小説 会報Back No. 合気 蜘蛛之巣伝 死の超剋 霊的食養 心法
続々 壺中天・瓢箪仙人 1
続々 壺中天・瓢箪仙人 2
続々 壺中天・瓢箪仙人 3
続々 壺中天・瓢箪仙人 4
続々 壺中天・瓢箪仙人 5
続々 壺中天・瓢箪仙人 6
続々 壺中天・瓢箪仙人 7
続々 壺中天・瓢箪仙人 8
続々 壺中天・瓢箪仙人 9
続々 壺中天・瓢箪仙人 10
続々 壺中天・瓢箪仙人 11
続々 壺中天・瓢箪仙人 12
続々 壺中天・瓢箪仙人 13
続々 壺中天・瓢箪仙人 14
続々 壺中天・瓢箪仙人 15
続々 壺中天・瓢箪仙人 16
続々 壺中天・瓢箪仙人 17
続々 壺中天・瓢箪仙人 18
続々 壺中天・瓢箪仙人 19
続々 壺中天・瓢箪仙人 20
続々 壺中天・瓢箪仙人 21
home > 壺中天・瓢箪仙人 > 続々 壺中天・瓢箪仙人 4
続々 壺中天・瓢箪仙人 4

歴史は繰り返すと言う。しかし歴史は繰り返さない。決して同じことを繰り返さない。歴史が繰り返したように見えるのは、人間の思考がいつの時代も同じだからである。その同じ思考の結果で現象が起こるから、一見歴史が繰り返したように映るだけである。
 (写真は当時見たものと無関係で、平成27年10月10日、陸上自衛隊西部方面隊駐屯地の目達原駐屯地上空で筆者撮影)


●円卓会議

 赤い夕陽の満洲の曠野を、急行『はと號』は京浜線の徳恵
(トッケイ)駅、哈拉哈(ハラハ)駅、米沙子(ベイサシ)駅、一間堡(イッケンポ)駅など哈爾濱・新京間の240km強の路線を一路新京に向けて疾走していた。
 途中、遅れた時間を取り戻すように疾走を続けた。脱線も辞せず、それは機関車のボイラーが毀
(こわ)れるのではないかと思うほどの猛烈な勢いでの疾走であった。車窓からの景色は飛ぶように速い。沿線周囲の畑も家も瞬く間に飛んで行った。
 その疾走状態は、車内の揺れの大きさと震動と車体を繋ぎ止めているリベットの軋
(きし)みの音で、スピードに負荷が懸かっていることが分かった。そして烈しいのは横揺れである。加速に加速を加え、あたかも遅れた過去の時間を追い掛けているようであった。横揺れと震動は、いつ終わるともなく続いていた。

 陽のどっぷりと暮れた夕刻、急行『はと號』は、やっと新京駅に滑り込んだ。定刻より約七時間遅れの到着であった。哈爾濱・新京間の240kmの距離がいつもより長く感じられた。長い旅路である。この区間を行き来している人は、そう思う筈である。
 奇
(く)しくも、乗り合わせた列車が停車したまま何時間も動かなかったので、この列車の乗客達は、一種の大旅行を体験したような感じだった。
 御多分に洩れず、吉田毅の案内で新京まで辿り着いた六人も、大旅行を体験したように錯覚した。黄土の曠野
(こうや)の広さを思い知らされた。満洲は広大であった。

 一行は津村を覗いて疲れていた。疲れ果てたと言う状態である。強靭な人間でも時間が予定時間以上に長引くと疲れを感じる。
 特に途中、昂昂渓
(コウコウケイ)から『タカ』の一員に加わったアニー・セミョーノヴァを含む女五人は、長旅で疲れている所為(せい)か、何も言わなかった。その無口が疲労のほどを窺わせた。
 列車旅は途中で長時間停まり、進んだかと思えばまた停まる、そういう旅が一番辛いのである。彼女達は時間の長さ疲れ、満洲の広さに疲れていた。誰もの口が重かった。普段は晴れがましい、艶やかなエアガールの制服も、何だか疲労で草臥
(くらび)れているような感じだった。

 新京駅、午後7時20分到着。暮れ泥む夏の夕刻である。もう外は昏
(くら)かった。日没は日本の内地よりも早い。
 彼女達はこの地で、些か善意を傷付けられたような面持ちでいた。
 また、これから内地へ向けての帰途の難儀を、脳裡に巡らせているようだった。満洲では何から何まで、日本とは違う。スケールも事情も、日本とは異なっていた。
 この時期になると、陸地を疾る列車だけでなく、制空圏まで連合国側の手に移っていたので、日本人の行動は制約され始めていた。新京飛行場から、無事に日本に帰るというのが、また一苦労であった。その空路が如何に困難であるか、それを一番よく知っていたのが、航空指揮官のアン・スミス・サトウ少佐であった。彼女は先ず、出発時間に難儀し、無事、飛行が実行出来るかに苦慮していた。今後のことを懸念していた。

 水面下では『梟の眼』の機関員が動いていた。彼らは満洲での事情を能
(よ)く知っていた。気候風土や満人の気性までもである。満洲では利権に群がる敵味方を交えた攻防戦を掻い潜っての格闘があった。その中には亡命露人、満洲を牛耳る日本人、そして満人に溶け込んだ漢民族や華僑の富豪達。更には米国政府までもを動かす国際石油資本(メジャー)……。
 だが、利権の争奪戦において、こうした彼らは最も恐れるものは、この利権の中に日本の軍部が一枚噛んでいることであった。関東軍である。

 一方で、『梟の眼』は地下偵諜網を大陸の至る所に張り巡らせていた。目的は戦争を一刻も早く終わらせるためである。そのために、水面下での暗躍を得意として諜報活動する組織である。機関員らは秘密戦の何たるかを、憲兵隊や特高警察以上に能く知っていて、暗躍に精通していた。この道のエキスパートだった。官憲とは異なる次元で理解していたのである。
 一方憲兵隊や特高警察は、情報に対して傲慢
(ごうまん)であり、かつ尊大で、秘密戦に対して全くの無理解であった。智慧より、暴力や権力で動き、検挙第一主義を貫いていた。それだけに敵からは悟られ、結果的には蜥蜴(とかげ)の尻尾きりのような結末を招いていた。それは、まったく秘密戦とは無縁だった。

 だが『梟の眼』は違う。
 非合法活動を行いながらも、この組織は権力を持たない。他者を抑え付けることをしない。“支配者”対“被支配者”と言う意識がない。強制力という暴力を行使するより、智慧を使う。
 その違いは、あたかもイソップ挿話の『太陽と北風』を想像すればいいだろう。物事に対しての厳罰で臨むがよいか、あるいは寛容に対応して最終的には大きな効果を得るのがいいか、これは人間の動かし方の相違だけでなく、行動学での原理原則の根本的な違いである。
 人は厳罰では意地で対抗して来る。執拗に食い下がり、抗
(あらが)おうとする。頑(かたくな)になる。そして窮鼠(きゅうそ)になれば、反抗の手を緩めない。無闇に強制すれば牙を剥(む)く。
 これは蜂の巣を想像すれば分るだろう。蜂の巣相手に無闇に突ついて暴
(あば)けば、蜂は総掛かりで逆襲を企ててくる。巣の中を覗こうとすれば、悟られないように、静かに煙りを散布しなければならない。そうすれば蜂は大人しくする。蜂の巣は無闇に突ついてはならないのである。

 また歴史の中に体制の逆転がある。歴史の変動機には、支配階級が被支配階級を長い間、虐げるという暴挙がある。その暴挙が階級間の格差を作る。格差が歴然となると被支配階級は、その立場の逆転を企てて、階級闘争に執念を燃やすことになる。こうなれば、果てしない死闘が繰り広げられることになる。斯くして革命が起こる。
 一方寛容さは、気持ちを和らげて従順にさせ、理解に至れば、心から心服するものである。敵を味方に付けて飼い馴らすことが出来る。人を知らねばならない。秘密戦では、この点が重要であった。

 則
(すなわ)ち、『梟の眼』は寛容さを選択した。
 権力という支配的暴力より、智慧で潜入諜報を行う。権力をもって行う暴力では、工作を実行しても限界があるからだ。夜郎自大で権力風を吹かしたところで、諜報の網の目が粗くては、首謀者を特定することが出来ないからだ。また核心に迫れないからだ。首謀者を取り逃がし、結局、蜥蜴の尻尾きりで終わる。これでは意味がない。
 秘密戦の行動の指針は、敵に悟られず、闇に溶け、地下にあって偵諜を図ることである。その欠陥とも言うべき検挙第一主義を是正し、諜報工作の何たるかを弁
(わきま)えた組織が『梟の眼』であった。この組織に、武器商社の沢田貿易は深く絡んでいるのである。『梟の眼』は沢田貿易の眼でもあった。この眼をもって、国際メジャーに対抗していたのである。
 それは必ずしも善の部分だけでない。悪の部分にも絡み付いていた。表の正規と裏の陋規
(ろうき)を巧く使い分ける。表裏は両方揃って一体であり、これが『梟の眼』の実体であった。
 だが、『梟の眼』の梟は、善だけで成り立っていない。当然悪の部分も持ち合わせている。それはまた残忍でもあった。梟は性格が荒く、親を食う残忍な鳥とも言われている。そのために「梟鴟
(きょうし)」などとも呼ばれる。何しろ梟雄(きょうゆう)と言われるくらいだから、時として残忍で猛々しいことをする。陋規に準じて行動をする。闇の部分を持つのである。
 光は、光の中では光の輝きを示せない。闇があって、はじめて煌々
(こうこう)と輝く。首を60度回転させて全体像を見抜く、梟の持つ狡猾(こうかつ)な大局智である。

 『梟の眼』は水面下で、火花を散らす諜報及び謀略活動を展開していた。闇の陋規の世界を知る機関員が暗躍した。時には非合法工作も辞さない組織である。
 出迎えは、こうした暗躍の動きの中に組み込まれ、一行を無事に、日本に送り届ける指令を受けているようだった。
 新京駅には出迎え陣がいた。その中に、一足先に来ていた哈爾濱日本商工会の理事の山根耕三と、津村小隊の副官の兵頭仁介が出迎えに来ていた。だが出迎えの一団の中には知らない貌もあった。

 到着した特等車輛の貨物庫からは極秘物資が運び出されていた。手慣れた漢達が動いていた。迅速で、機敏である。満人である。あたかも闇の中で、奇妙な生き物が蠢
(うごめ)くようにである。
 これに従事しているのは、日本で見る力仕事を専門にする人足のような連中ではなかった。日本人とは動きが違っていた。とにかく素早い。大陸人のすばしっこい動きである。
 運び出しているのは金塊である。
 これは哈爾濱日本商工会や哈爾濱在住の日本人有志から、『タカ』実行のために寄附された500kgの金塊である。早期戦争終結を望む哈爾濱の日本資本から寄附された金で、金塊が買われた。金塊運搬の作業に当たるのは、満人のクーリー
(coolie)である。彼らは日本人でない。インドや中国などで言う、荷物の運搬などに携わる肉体労働者である。これを苦力(クーリー)という。

 金塊を納めた木箱は小単位に荷造りされて、上蓋の箱書きには『決號榴弾・丙』と記されていた。
 「丙」とは『タカ』の物資の所在を示す暗号名である。決號榴弾は本土決戦用の極秘物資で、官憲の検閲に遭
(あ)っても、その中身までは検閲されない。積荷の中身を見ることの出来るのは、限られた陸軍上層部の陸軍大臣をはじめとする僅か数人だけである。
 これが目立たない一般車輛のトラックに積み込まれていた。新京飛行場まで運ばれる。そしてトラックの同乗者は沢田貿易新京支店の二名の商社員である。平服の運転士と運搬指揮の漢である。だが目配りや動作は軍人のそれであった。
 荷台にはクーリーの六人の漢が乗り込んだ。だが、このクーリー達の素早い身軽さはどうだ。能
(よ)く訓練されている。彼らは、まるで飼い馴らされた犬のように忠実であった。
 「丙」は積み終わると、トラックは暮れ泥
(なず)む夕闇の中に消えた。鮮やかな消え方であった。

 「こちらです」
 機関員と思える眼の鋭い若者が案内をした。新京駅に出迎えた一堂は、一行を三台の乗用車に分乗して案内人の指示に遵った。そして出迎えの顔ぶれを見て安堵したのか、これでやっと内地に帰れそうであると全員がそう思った。哈爾濱からの一行は、そういう感想を抱いた。
 戦時では平時と異なり、計画通りには事が運ばないことが多い。どうしてもスレや誤差が生じる。したがって戦時常識では、ズレたとしても同時刻に実行すると言うのが常であった。当初の計画で、立案した時刻通りに決行するのである。そしてこの場合、日付は捨て置き、時刻を最優先するのである。
 時刻の最優先により、帰還で来たと言う前例は多い。例えばキスカ撤収作戦の時も、日付優先でなく時刻優先で、約五千数百名の将兵が無事帰還している。この成功の裏には日付を無視して、同時刻の撤収艦船がキスカ湾に入港する時刻を、予
(あらかじ)め決めていたからでだ。艦船はその時刻にしか遣って来ないのである。

 世話役の吉田は、予
め哈爾濱を発つ前に、手回しよく連絡をとっていた。出迎えの車三台を駅頭に待機させていたのである。駅頭には日本から輸入されたと思える『トヨダAA型』が停車していた。
 降りて来た一行を速やかに車の中に収容した。隠密行動をしているためである。
 「よくご無事で」
 津村陽平の貌を見るなり、真っ先に聲
(こえ)を掛けたのは兵頭仁介だった。安堵の貌をしていた。兵頭は津村の生還を奇蹟のように捉えていた。彼は小隊長の無事を喜んだ。また女性達へも同じ気持ちで、全員が無事であることを喜んだ。女性達の中に鷹司良子が居るからである。兵頭と鷹司家との関わりは深い。それだけに良子の笑顔が嬉しかった。
 そもそも兵頭が津村小隊の副官を引き受けたのは、鷹司友悳
(とものり)から懇願(こんだん)されたからだ。そして彼は、哈爾濱に残した職人長屋の老兵達の纏め役である。

 出発時の知った貌が、無事にみな帰って来た。これほど喜ばしいことはなかった。それぞれは、これから先に影響を与える任務を果たし、大きな収穫を得ていた。津村は赤塔
(チタ)の満洲国領事館まで出向いて、これから先の日本を左右する重大な情報を入手していた。ソ連の動向に対しては、その収穫は大きかった。重要欠くべからざる任務を遂行した。事実が明るみに出始めた。
 特に満洲国領事館の情報から、日ソ中立条約が益々“絵に描いた餅”であることが克明になり始めた。
 ソ連の厳戒態勢と国境線の厳しい監視状況から、近いうちに対日参戦の可能性が大となった。一年後には、ソ連は対日参戦に踏み切る……。その確信を得ていた。同時にそれは日本の敗北を暗示するものであった。その暗示が濃厚になり始めている。

 満洲総領事館の屋根裏の秘密部屋からはシベリア鉄道が窺
(うかが)える。観察すれば、東西を往(い)き来する貨車の積荷が瞭然となる。積荷が戦車であったり、大砲であったり、時には飛行機であったり、更に注目すべきはトラックと一体型になったロケット砲であった。多くは新型兵器であった。
 積載物を監視する領事館員は、先ず計数器でカウントしていく。まず数量を調べる。
 しかしこれだけでは充分でない。戦車の重量を推測し、形式、種類、性能などを調べ上げる。またロケット砲は、後輪キャタピラーのトラックに搭載しているため、砲の口径や適用地形なども調べ上げる。これらを貨物列車が通過する際に瞬時の読み取り、時間などとともに記録していくのである。その記録は積載物だけではない。積載物が何処に向かうかの方向である。東西いずれかに向かう貨物列車は、往きと復
(かえ)りで違った状態に気付いたのである。往きは、ある武器を満載し、また復りは空になっている場合もある。これを洞察する必要があった。東西により、積載量の違いが顕われていた。

 当初の観察では、西に向かう積載量が多かった。
 ところが昨年の暮れ頃から、急激な変化が顕われた。西に行く貨車には多くの積荷があったが、今年の夏頃から西に行く積荷は少なくなり、逆に、西から東に移動する貨車の積載量が増え始めていたのである。これは何を意味するのか。
 推理を推
(お)し進めれば、戦線の東西で明らかに変化が起こり始めていることであった。ソ連には奇妙な現象が起こっていた。西に向かうどう裁量が徐々に減り始めた。これは対独戦が近いうちに終結することを意味していた。それに替わって、東に向かう軍事物資が多くなり始めた。対日戦の戦争準備である。その背景には独逸の敗戦が明確になってきたからである。

 かつて英国からは北極海を通って、また米国からは北太平洋を通って、ウラジオストクに陸揚げされた対ソ援助物資が続々と到着していたのである。この構図は、日本一国に対して国際連合軍が総掛かりで日本を攻め込むと言う構図であった。この構図の怕さに、当時の日本人で、気付いた者は殆どいなかった。日ソ中立条約は厳守されていると、誰もが思い込んでいたからである。
 特に日本の戦争指導者は、この思い込みが激しかった。だが、この思い込みが殆
(あや)うかった。亡国に直結する観があったからだ。そして昭和20年4月、ソ連は不延長を通告し、有効期限内の8月に満洲が国境を突破され、対日参戦へと発展するのである。
 日本は米英だけで充分に手を持て余していた。それにソ連が加わるとどうなるのか……。
 その悲惨なる状況は想像に難くない。だがこの惨劇を、陸軍参謀本部や海軍軍令部は、全く分っていないのである。
 ソ連の対日参戦を軍上層部に上申されても無視されるだろう。あるいは佐官クラスの段階で握り潰され、参謀総長や軍令部総長には届かないだろう。この当時、重大情報ほど、上には届かなくなっていた。情報を受け取った担当者は、「自分は見なかった」として握り潰し、上には届かないまま処理されたのである。
 見ざる、言わざる、聞かざるは、また日本の惨劇を大きくし、米国の原子爆弾を、日本人は広島・長崎で浴びることになるのである。

 更に、独逸はもうじき降服する。ソ連によってベルリンは解放される。これに日本は安堵した。軍需物資欠乏の折から、ソ連からの航空機や燃料の武器供与を期待していたのである。だが、これは大変なお門違いであった。西洋は日本人が考えるほど、甘くはなかった。
 『梟の眼』はこのことをよく知っていた。西洋を邪神界
(がいこく)と検(み)て居たのである。
 満洲国ベルリン領事館の参事官の肩書きをもった『梟の眼』の哈爾濱支部機関長・羽垣維四郎
はがき‐つなしろう/仮名)少佐は、かつて『羽(はね)』という偽銘で、ベルリンに対ソ戦の諜報組織を作っていた。この機関名を「羽機関」といった。宣伝と謀略を専門とする機関であった。
 羽機関はベルリンで、ナチス独逸の宣伝相ヨーゼフ・ゲッペルス仕込みの啓蒙並びに宣伝効果に関するプロパガンダ工作を修得していた。大衆に向けての煽動術である。その術をもって、羽機関は新京・哈爾濱間の地下の闇を暗躍する。

 そもそも『梟の眼』自体、秘密戦を認めようとしない前近代的な日本軍に対し、武力偏重以外の「智」で戦う諜報戦を仕掛けていたのである。そこに暗躍するのは水面下の秘密戦士である。
 羽垣少佐はベルリン帰国後、東満国境に混成独立部隊を編制していて、哈爾濱特務組織の長を務めていた。
 かつて羽垣は参謀本部第二部の情報部員であった。作戦を担当する第一部の吉田毅とも懇意であった。だが吉田は参謀本部が肌に合わなかった。予備役に廻された。そして今は沢田貿易の哈爾濱支店長である。この吉田が
津村陽平の案内役を買って出た。心強い案内人であった。


 ─────津村は秘密戦の最前線のチタに向かった。“山こかし”をするための特殊任務であった。出向いた先の赤塔
(チタ)の満洲国総領事館で正確なるソ連情報を掴んだ。ソ連の参戦近しの重大情報である。
 また満洲里では長年の念願だった星野周作にも遭うことが出来た。斉斉哈爾
(チチハル)では星野と一夜を伴にした。
 一方吉田は行きがけの駄賃として、『ニコルスキー交易商会』からPPsh短機関銃500梃を買い付けた。買い付け商談は成功したのである。これをシベリア鉄道でウラジオストクの港まで鉄道輸送し、その先は海軍の潜水艦で大東亜圏のインドや東南アジアまで海中輸送するのである。沢田貿易は海軍上層部にも通じ、自在に操っていたのである。何しろ伯爵・沢田翔洋は妖怪「智豹
(ちひょう)」の異名で外資の国際経済資本(メジャーズ)に恐れた人物である。武器商人であるだけでなく、陸海軍の御用商人として軍部の洞察に聡かった。
 智豹は豹のように遠くを見通し、視界は広く、明るい視力をもち、闇の中すら、蠢
(うごめ)く物を洞察することが出来た。商魂逞しいだけでなく、国際状勢を速やかに察知する。
 『タカ』は戦後を見据えて動いていた。内外政策である。戦後の日本の姿である。それを想起して行動しているのである。

 それは米国の罠に嵌まって、日米開戦の火蓋を切ったが、その罠への反省であった。企てられた『ハル・ノート』への悔悟である。井の中の蛙は外交音痴で、広い世界を見渡せない民族であったからだ。その中にインドや東南アジアまでもの政策も与
(く)されていた。そのため根本的な是正が必要であった。先ずは欧米に虐げられた東南アジアの諸国を独立させる必要があった。西洋に支配されない国家体制である。沢田貿易のインドへの武器供与も、このためであった。
 また沢田貿易では戦後も、軍の御用商人から脱皮して、自社が生き残るために南米を含む環太平洋地域への交易を課題に掲げていたのである。そのテーマが、先ず東南アジアが諸国の独立であった。

 500梃の機関銃は、欧米列強と独立戦争をしている独立解放戦線に、金と引き換えに販売するのである。その武器の買い付けに成功した。チタ行きは、それぞれの目的と任務が成った。吉田は500梃の武器買い付けに成功した。
 また津村は、ソ連の詳細動向を具
(つぶさ)に観察した。この見聞は貴重な情報であった。
 そこで見た物は、最新型のT-34/85の戦車や自走式多連装ロケット砲の『カチューシャ』であった。日本にはない驚異の兵器だった。これが東に向かっているのを見たのである。
 この状況からソ連が中立条約を覆して、参戦準備を始めているという解釈が出来る。対日参戦の近いことを悟った。この感得こそ、そうなる前に戦を止めなければならないのである。参戦による惨劇は、早期に戦争を止めることで阻止出来る。

 また満洲里では、念願の星野周作を探し出すことが出来た。星野は珠緒と鈴江の父親であった。津村の義父に当たる。義父は、これまでの総てを清算するつもりで、津村に会った。そして、これまでコツコツと一生を捧げて蒐集した分厚い書類を差し出したのである。探偵として一切を記録したメモランダムである。更には関連として、重要極秘事項を記した『柳田メモ』に関するM資金の行方である。これは柳田奥太郎少将のメモランダムであった。この総てが一つに大きな輪で繋がっているのである。
 義父はこの一切を津村陽平に譲渡し、これを分析し、研究するように託したのである。

 だが津村には、悔いることがあった。
 それは星野の娘を二人も預かりながら、一人からは去られ、もう一人は死なしてしまったことである。珠緒の死は、死なしたと言うより殺されたのである。その経緯が、もしかすると、渡された種類の中に記されているかも知れない。単に輪姦殺人ではないように思う。それを指令したものがいる筈だ。
 調べ上げ、分析し、研究すれば、何か真事実が浮上して来るかも知れない。

 また日露戦争前夜の沖禎介
(おき‐ていすけ)の話も、理由とともに詳細に記載されているかも知れない。なぜ大陸に渡ったのかを……。
 単に、刀剣の玉鋼
(たまはがね)を求めてだけのことではあるまい。他に何か目的があった筈だ。そして“山こかし”の最重要課題とも言うべきM資金の存在である。この存在も明白になるだろう。
 手渡された分厚い書類の中には、彼
(か)の地を探偵として見聞して廻った事の真相が記載されていることであろう。その中には新田郷の庄屋・堀川作右衛門の戸籍上の弟を名乗った中国人の堀川彦宸(げんしん)こと公瑞兆(こう‐ずいちょう)や、M資金に絡む貌のない影の皇帝・瞿孟檠(く‐もうけい)のことが記されているかも知れない。星野周作にとって、大陸とはそう言うところだったのである。
 彼は当時、日本軍に雇われた探偵であった。日露の開戦前夜、沖と出遭い、挺身隊員となり露国の懐深く入り込んで、ロシア軍の『東方輸送妨害作戦』を企てた。闇に暗躍する探偵であった。
 これらを分析・研究すれば、これまでの隠されたものが浮き彫りになるだろ。津村にしてみれば、大きな収穫を手に入れていた。

 一方、松花江に浮ぶ太陽島に出掛けたエア・ガール四人組は、津村から授けられた策をもって、ソ連の狐猟りをした。彼女達はバカンスを満喫して、浮かれ、騒げばいいのである。囮となって敵の諜報員を充分過ぎるほど惹
(ひ)き付けたのである。更に、アンが良子を伴ってポーカーに興じている時、キャサリンと佳奈は、G・P・U高級将校のカウフマンの部屋に潜入を企て、彼の持つアタッシュケースの中にあった八枚綴りの暗号文章をマイクロフィルムに撮影することに成功している。これに併せてシャンデリアの上に隠した封筒内の三枚綴りの極秘の暗号文書を探し出し、この撮影に成功したのである。諜報活動としては大成功であった。
 またアンは、ポーカーでカウフマンを破産寸前にまで追い込んだ。出し抜いたと言うべきだろう。

 囮作戦も成功した。充分に惹き付けた。
 土竜も惹き付けて、土竜叩きと、併せて狐を猟ったのである。
 狐や土竜は『梟の眼』で暫く飼う。飼育して、飼い馴らし、洗脳し、逆用する改造工作をする。満洲側への諜者の侵入を阻止出来なければ、捕らえて逆用するしかないのである。
 また津村と吉田は、斉斉哈爾でナチ秘密警察のゲシュタポ
(Gestapo)から追われていたアニー・セミョーノヴァを扶(たす)けて保護した。今後、日本に連れ帰り、夕鶴隊の一員として訓練する。女子遊撃隊員に仕立て上げる。
 それぞれは任務を遂行して成功をおさめたのである。
 だが、これで終わったのではない。これからが本当の地獄行きの始まりだった。出し抜いた分だけ、反作用が働く。人間現象界の掟であった。これからは、その反動を覚悟せねばなるまい。遂に地獄の釜の蓋
(ふた)を開けてしまったのである。


 ─────同じ時刻に、何かが起こる。
 人間界で現象が起こる場合の鉄則のようだ。
 それは同じ日付でなく、かつてあった同時刻なのである。西洋の体系主義は同一現象が起こるのを同一
(どういつ)日としているようであるが、東洋では同一日ではなく、同時刻に、かつてあったことが起こるとしているのである。
 不可視現象が顕われるのは同一日でなく、同時刻なのである。これこそが体系主義では観測出来ない“藕糸部分の読み”が必要になって来るのである。

 『タカ』の指令である「新京発東京行キノ直行便ハ本日、貳参参〇
ふたさん:さんまる/午後11時30分)」の“本日”は二日遅れで、時刻だけは何とか厳守出来そうだが、本日の準備が整っていない。同時刻に飛び立つ見通しが付いたが、予定通りに離陸はなるのか。その未知は不透明であった。あるいは明日以降となるのか。これは運行指揮官であるアン・スミス・サトウ少佐の気になるところであった。

 満洲里から昂昂渓の間、何ものかに尾
(つ)け回された。
 そこで扶
(たす)けを求めて来たアニー・セミョーノヴァを追っ手から匿(かくま)った後、その日は『梟の眼』の草(機関員)経営の宿屋に泊まった。万一の場合の緊急避難場所の存在で危機を脱した。だが時代が変化していた。変化が早い。併せて予想外のことが起こる。
 その早さの中に一つの時代が終わり、時代が変わろうとしているのである。予期せぬことが変化として顕われることこそ、時代が風雲急を告げている証拠であった。

 昭和19年7月頃になると、戦局も終盤を迎えていたためか、国家間では権益などの思惑に併せて、動きが活溌になっていた。この慌ただしさは、満洲国の地にも及んでいた。これまでの平和が一変したように不穏な動きを呈し始めた。これこそが時代の変化である。特異点では番狂わせが起こり、どんでん返しが起こる。
 現に、この年の7月には満洲でもB29の初空襲が鞍山
(あんざん)や奉天にあり、終局を暗示させた。
 満洲国全土をのんびりと、列車で旅する時代では無くなっていた。そういう楽しみをする時代ではなくなっていた。日本人が考える支那大陸のロマンは喪失しつつあった。赤い夕陽の満洲は遠い昔になりつつあった。

 だが日本の国家の中枢を担う軍隊官僚の頭の中は旧態依然であった。進歩も発展も皆無であった。
 思考は昭和6年
(1931)当時の満洲事変のままで停止していた。同年の9月18日のままで止まっているのである。
 奉天
(今の瀋陽)北方の柳条湖の鉄道爆破事件を契機とする日本の中国東北侵略戦争を機に、十五年戦争の第一段階を経て、翌昭和7年には、満州国を樹立した。脳裡(のうり)に残る軍隊官僚達の思考は柳条湖事件当時のままなのである。時代が動いているのだが、時々刻々と言う変化の切り替えに疎(うと)かった。現場の深刻な状況は、銃後の安全圏に居て、作戦や立案に携わる軍隊官僚には理解出来る筈もなかった。机上の空論からでは、奇手は生まれないのである。
 そう言う状況下での移動には難儀が強いられた。こう言う状況下に出くわすのも何かの因縁、その暗示。現象界は総て意味あって起こっていることである。それを偶然と言い捨てるのは短見的な捉え方であろう。
 因縁が動いている。絡み付いている。その暗示を、あるいは示唆を何かが黙示しているのである。示しているのである。これを読む必要があった。

 津村陽平はこの読みにおいて『易』を用いた。易の暗示から、一寸先の闇の中を視るのである。それを読むだけの視界は明るい。だが読むだけでは駄目だ。願っても駄目だ。実行に移して事は成る。
 時の運は如何ともし難い。事志は必ずしも成就するとは限らないからである。志を立てるだけでは駄目だ。実行に移して事志は成る。だが、これを運の所為
(せい)にしてはならない。
 顧みれば、事が成就しない多くは、周囲に人材がなく、またよく聴く耳を持つ才がないからである。責任は自らにある。そして無いものは補うしかない。
 この補い方を知る者が戦略の妙締を得て、忍び難きを忍んで、切り抜ける事が出来る。成らざるを成す。

 人の世は権力にありつこうとも、いいこと尽くめではない。むしろ悪に遭遇し、蝕まれることが多い。これを克服する力が要る。
 そのために陽明学は事上磨錬を謳
(うた)っている。事に臨んで、磨かれるのである。
 人間の生涯における貧苦、逆境、更には不時の難に当たっても、道理は真理を貫いている。不偏で変わることはない。
 必ず克服し、必ず成就すると信念を抱くことである。あとはそれに定めて進めばいい。暴策を用いても、自滅を早めるだけである。信念し、それを確信することは暴策を用いて自滅を急ぐのとは異なり、そもそもその信念の次元が違うからである。そのために自滅する愚かな“滅びの美学”に趨
(はし)らないのである。それをせがまないのである。


 ─────出迎えの若者は、一行を新京ヤマトホテルの、ある一室へと道案内した。ホテルは大同大街
(おおがい)と東西を走る「都大路(みやこおうじ)」と言われる官庁群が居並ぶ通りにある。

 ホテルの食堂で軽い夕食を終えたあと、一行は会議室のなような広間に通された。そこには一人の御仁が待ち構えていた。
 部屋は漆喰壁
(しっくい‐かべ)で塗り上げられ、天井は高く、豪勢なシャンデリアが設えられていて、室内装飾は植物の枝や蔓(つる)を思わせる曲線が際立ったアールヌーヴォー風の三十坪ほどの洋間だった。床には毛の長い赤い絨毯が敷き詰められてあった。十九世紀末の新芸術の名残を留めていた。部屋の中央には大きな楕円(だえん)の円卓が据えられていた。重厚な茶褐色(dark brown)の丸みを帯びたアールヌーヴォー調のテーブルである。
 その御仁は暖炉の飾棚
(mantelpiece)を背にして腕を組み、置物の大きな信楽焼(しがらき‐やき)の狸のような恰好で、どっかりと陣取っていた。しかし、年齢不詳、身分不明であった。

 吉田は一行に着座を促した。それぞれが指定された席と位置に着いた。
 円卓を囲んで着座したのはアンとキャサリン。津村と吉田。新京駅に出迎えに来た五十搦み新京日本商工会議所の会頭で満洲護国産業の倉科泰三郎。哈爾濱日本商工会の理事の山根耕三。鳴海信吾海軍技術少佐。それにマントルピースを背にした狸の置物のような御仁である。
 この御仁、ふくよかであり、また恰好は狸のように滑稽で、剽軽
(ひょうきん)でもある。頭は剥(は)げて、布袋(ほてい)を髣髴とさせた。拝みたくなるような相貌(そうぼう)をしていた。
 粗末な身形はしているが、ふくよかさは甲斐性があるようにも見える。あるいは包容と言うべきか。人に安堵を与える徳を備えているようにも映る。この置物が、中央にどっかりと坐っていた。
 一方身形
(みなり)の貧相な喇嘛(ラマ)僧を模した福禄寿(ふくろくじゅ)の津村に較べると、この御仁は、まさにふくよかな“布袋さま”であった。
 布袋さまは眼光鋭く、骨相と人相は卑しからず。そして布袋と福禄寿の共通項は、骨相・人相ともに卑しからずであった。

 取り巻きが、それぞれの直属の担当者の背に並んだ。
 津村の副官の兵頭仁介、それに夕鶴隊の鷹司良子、室瀬佳奈、アニー・セミョーノヴァの計四人は、自らの所属する指揮官の後ろに立った。着座はしていない。
 更に年齢不詳の御仁の後ろには、道案内役の青年が立った。
 「布袋さま」は、粗末な衣服を身に着けている。襤褸
(ぼろ)と言っていい。果たして変装用だろうか。その御仁を、吉田は恭(うやうや)しく「閣下」と呼んだ。

 「閣下はよさんかね、吉田君」寂
(さび)のある、低い野太い聲(こえ)だった。
 聲から推定して、年齢は六十前後であろう。
 閣下と呼ばれた御仁は、この呼称が好きでないようである。だが軍人であることは容易に分る。おそらく将官の退役軍人であろう。
 「はあッ、失礼しました」
 「前置きは省略する。さっそく参集の各位を紹介し給え。また、わが国は重大な岐路に立たされている。逆境に次ぐ逆境である。これを如何に打開すればよいか、どうか、各位、忌憚
(きたん)のないご意見を吐露して頂きたい」布袋さまが議長格として、参集の全員に発言を促した。
 吉田はこの場に参集した全員の顔ぶれと、それぞれの任務と目的とを、ただ一人知っているらしい。

 「では、私から、お集りの参集の方々をご紹介します。
 こちらは甘木正広
あまぎ‐まさひろ/仮名)陸軍少将です。満洲全土に地下偵諜網を有する『梟の眼』の総括者(機関長)であり、わが沢田貿易の最高顧問です。
 また、こちらは新京日本商工会議所の会頭で、また満洲護国産業の代表取締役の倉科泰三郎
くらしな‐たいざぶろう/仮名)社長です。またこちらは、哈爾濱日本商工会の理事で山根興産の山根耕三社長です。次に、こちらは海軍の二式大艇の設計チームに加わった経験を持つ、飛行艇に詳しい鳴海信吾海軍技術少佐です。そして大日本航空の新京支社長の葉山泰三氏です。
 最後になりましたが、本日の道案内役は亀山勝巳陸軍中尉です。しばらく皆さま方のお世話を致します」
 こう説明されたとき、アンは「おや?」と思った。“しばらく”の言葉に引っ掛かったのである。
 “しばらく”の表現が曖昧であるからだ。
 普通“しばらく”といえば、「ほんの僅か」と言うふうに解釈してしまう。だが“しばらく”とは、言ってみれば、「無制限」と言う意味も含むからである。“しばらく”イコール無制限……。
 アンの脳裡には“しばらく”の意味が不可解で、なんとも釈然としなかったのである。

 吉田は言葉を繋いだ。
 「さて、こちらの女性群は夕鶴隊の方々で、何れも『タカ』のメンバーです。
 ちなみにアン・スミス・サトウ少佐は、英国王室ロイヤルファミリーの一員であり、もと英国空軍のテストパイロットで英国空軍少佐であり、現在は陸軍航空士官学校の顧問少佐。また妹君
(いもうと‐ぎみ)のキャサリン・スミス少尉も同士官学校の顧問少尉です。
 そして後ろの女性三人は、夕鶴隊の鷹司良子伍長と室瀬佳奈兵長、それに同隊員で独逸人のアニー・セミョーノヴァです」と、吉田は紹介したのである。

 「吉田君、われわれの重大任務を話し給え」布袋さまが促した。
 「はッ!では早速。さて……、これからは機密に属することです。絶対秘密で、他言は慎まなければなりません。何しろ、これから先の日本の運命を左右します。今後の日本の早期戦争終了計画です。
 この計画を『タカ』といい、『タカ』は一つの重大な目標に向かって動き始め、既に計画の最終段階に入っています。その最終目的をもって、水面下では『梟の眼』が暗躍しています。則
(すなわ)ち、国際メジャーに対抗して、その思惑を阻止することにあります」
 それは主に鉱物やエネルギーなどの資源や富であり、また金融である。そして、これを利権とするのが軍事力であった。国際規模での力関係は、偏に軍事力に裏付けられるものであった。
 帝国主義、植民地主義が始まった二十一世紀は、自国の努力と長い時間を掛けての経済成長を待つより、軍事力を駆使することにより、民族や国家を征服し、そこから富を簒奪する方法が効率的で合理的とされた。軍事力を駆使した方が手っ取り早いのである。そのために支配者や権力者が感情家である場合、ポピュリズムに訴え、国民を煽動して戦争へと駆り立てた。棍棒外交などもその一つである。
 吉田は重大目的を話し始めた。内容は複数のことが絡んでいた。水面下では敵味方に別れて、諜報と工作が繰り返されていた。

 時代は転機を迎えようとしていた。昭和19年
(1944)から20年(1945)に懸けて、世界は転機を迎えようとしていた。一つの時代が終わり、別の一つの時代が始まろうとしていた。
 アンは、ひょっとして“この今”を、歴史的な瞬間かも知れないと感得した。
 彼女は転機に敏
(さと)い。これは彼女の悟りといってもよかった。
 世の中が、人間界が、新たな歴史を加えるために転機を向かえようとしていたのである。此処で新たな歴史の第一歩が始まる……。彼女には、そのように映ったのである。
 やがて“どんでん返し”を齎す、その特異点に自分が居る。そう捉えたのである。
 もしかすると、その立役者を演じようとしているのではないか……、アンはそう思えてならなかった。
 何故ならその下準備として、沢田次郎が『臨時徴用令状』の名目に有能なる女性を集め、更にはその女性を教練するために、彼女と妹のキャサリンを収監地獄の監獄から救い出し、『タカ』計画遂行のために夕鶴隊を組織し、その教官に据えた。これも彼女達の1ページだったが、これから起こることは日本戦後の歴史を動かす冒頭のページだった。

 これまでを振り返れば、アンは謂
(いわ)れのない理由で、日本の官憲に逮捕され、獄に繋がれた。国家転覆罪で死刑の判決が下り、刑の執行を俟つばかりだった。またキャサリンも同じだった。彼女も言い掛かりをつけられ、治安維持法に抵触したと難癖を付けられて無期懲役の判決を受けていた。彼女らの言論の自由が弾圧されたのである。そして二人とも府中刑務所に居た。
 これは国内に、敵の工作員が侵入し、謀略が行われていることを暗示させた。無実の罪への冤罪の懸念である。そのように仕組まれたと言っても過言ではない。
 この二人の姉妹は、傲慢
(ごうまん)なる官憲の捏造(ねつぞう)の罠に嵌(は)められたことは疑いようもないようだ。官憲自体に売国奴工作の暗躍者が巣食っていたからである。この温床に工作活動が企てられ、これに内務省の高級管理も絡んでいた。捏造工作の冤罪が企てられたのである。その毒牙に掛かり、二人は府中の独房に繋がれ禁錮状態にあった。

 かつてアンは元英国空軍少佐でスピット・ファイアー社のテストパイロットで、種々の航空機の操縦に長けていた。軍人としても独特の思想と感性をもち優秀であった。妹のキャサリンはお茶の水大の数学講師で暗号解読に長け、もと英国陸軍少尉だった。この二人に目を付けたのが、陸軍法務官で憲兵大尉
(当時は中尉)の沢田次郎であった。沢田は二人の能力を買った。そしてキャサリンは、かつての沢田の婚約者だった。
 しかし、彼女は一時視力を失い、身を引いた。当時、内務省の特高警察次長として猛威と手腕を揮っていた堀川久蔵の毒牙に掛かり、失明した。それを理由に身を引いたのである。
 だが、彼女の失明をクリスチャン・サイエンスのメアリー・ベイカー・エディに肖
(あやか)って見事に暗示で恢復させたのが津村陽平であった。不思議な廻り合わせである。
 『タカ』のメンバーは、生国も地域も違っているのに不思議な輪の中で繋がっていたのである。

 沢田次郎は陸海軍の司法権を持つ陸軍法務官で、その権限は陸海軍のみならず民間にも広く及び、「要視察人」として恐れられた漢であった。その漢が、収監されたアンとキャサリンを救い出したのである。沢田の論によれば、敵の敵は味方であるからだ。根が英国人であってもである。沢田は味方を救出したのである。
 そして、この二人を時代の転換期に顕われる狂人と位置づけたのである。
 狂人とは、思い込みによる通常観念や一般的な日常の妄常識や、あるいは冥
(くら)い妄分別を逸(いっ)する人という意味である。気違いの意味ではない。
 沢田の見通しは、転換期を大きく変化させるには狂人でなければならないという考え方があった。
 また大きな変化に平気で耐え得る人間は、狂人でなければならないという信念があった。『タカ』はその信念で動かされていた。それだけに『梟の眼』の地下偵諜網は恐るべき組織であった。歴史を返るだけの情報組織であるからだ。

 「あのッ?……」アンが訊
(たず)ねるように切り出した。些か遠慮気味でもある。
 「何でしょうか?サトウ少佐」吉田が受けた。
 「先ほど“しばらく”と言われた言葉の意味が釈然としませんが……」
 「それはですなァ、しばらくという意味です」語尾を濁した。
 「これを解すると、このしばらくは無制限にも感じられますが?」
 「さて、そう訊かれると、どうしたどうしたものでしょうか、困りましたなァ……」如何にはぐらかす困惑していた。
 「吉田君。総て、包み隠さず話したまえ。われわれは生きるも死ぬも一緒だ。計画の総てを、此処に居る連中は知る権利があろう」布袋さまが、包容力のあるところをみせた。

 「はッ!了解しました。では、鳴海少佐。これから先は貴官が説明したまえ」吉田は鳴海に振った。
 鳴海信吾技術少佐は、鞄の中から一枚の折畳んだ青写真を取り出した。そして円卓中央に広げた。
 「これは海軍の二式大艇を改造した四発航空機です。大きさは、ほぼこれまでの二式大艇と同じで、酷似していますが、能力と機能ならびに仕様が全く違います。そもそも設計思想が違うのです。この機は旅客機である上、水陸両用の離着陸方式を採用しています」
 図面を広げてこのように説明されたとき、この期
(ご)に及んでも、日本が戦争に勝ち抜こうとする努力の跡が見て取れた。
 「水陸両用の旅客機?……」アンが訊き返した。
 「そうです!」
 「四発の水陸両用の旅客飛行艇ですか?……」アンが驚きとともに、思わずそう呟
(つぶや)いた。
 そして彼女の眼は爛々
(らんらん)と輝いたのである。好奇心が頭を擡(もた)げたのか、図面に食い入るように覗き込んでいた。

 「現在、この機は1機のみ完成しております。然
(しか)し乍(なが)ら、この大型四発機を操縦するパイロットが満洲にはおりません。そこで、サトウ少佐に操縦を、お願いするに至りました」
 そう切り出したからには、アンの経歴を総て調べ尽くしているのであろう。
 「えッ!わたしくに?」
 「つまりですなァ、しばらくと言ったのは、このためです。『タカ』は、あなた達を満洲に呼んだ時から、この計画に従って、密かに計画遂行を開始していたのです。しかし如何せん、滑走試運転も短距離初飛行もまだ済んでないのです。完成はしたものの、飛ばせないのです。
 そこで、もと英国空軍のテストパイロットのあなたに白羽の矢を立てた訳です。あなたこそ、この機を操縦出来る、随一の適任者と看做した訳です。どうでしょう、サトウ少佐」と吉田は、少しばかり遠慮気味に切り出しているが、あなた以外いないという口調であった。
 「光栄ですわ、わたくしを選んで下さって。だって戦争をしているのですもの、このさい贅沢は言っている場合じゃないし、選
(よ)り好みも出来ませんわ」
 「しかし、気乗りでないのなら、お断りなさっても結構です。わが海軍にも、多くが戦死したとはいえ、まだ二式大艇の操縦者は何人か残っております。外地に散っている飛行機乗りを召集します」鳴海中佐が鎌を掛けるように言った。
 「いいえ、ぜひ遣らして頂きます」
 「そうなると、まずこの四発機を動かすのは、最低でも一週間の訓練を要します」
 「その一週間、短縮して頂けませんか」
 「短縮って?」
 「既に、内地に戻る計画から二日も遅れています。そこで訓練期間を三日に短縮して頂きたいのです」
 「しかし、たった三日間では無理です」
 「いいえ、時々刻々と戦況が変化する今、悠長に一週間も掛けていられませんわ」
 「しかし……ですなァ」
 「わたしは四発機操縦の経験があります。英国では空軍のテストパイロットの前は、民間航空防衛隊に所属していました。後に航空輸送補助部隊に配属され、戦闘機をはじめとして、四発輸送機も操縦しました。ランカスター、スターリング、リベレターなどです。自分で言うのも烏滸
(おこ)がましいと思いますが、四発機の空輸に関する限り、女性パイロットが二百名ほどおりましたが、その中でも空軍では十指に数えられておりました。その後、航空将校への道を進み、ハリケーンやボーファイター、そしてスピットファイアのテストパイロットになりました。だから四発機の空輸も、お手の物です。妹のキャサリンも、かつて民間航空防衛隊に所属しており、陸軍航空隊で爆撃機の空輸操縦の経験を持っています」
 「サトウ少佐が操縦に長けていることは重々承知しております。しかし、この度、内地に向けての空輸は重要任務です。単なる飛行機の空輸ではありません。この機は重要なメッセージを携えて、満洲から日本へと飛び発ちます」
 「重要なメッセージ?……」アンは頸を傾げた。内心は興味津々でもある。

 「金塊です。それも500kgの!……」吉田かきっぱりと答えた。
 「えッ!500kgの金塊ですって?!」アンは金塊にも驚いたが、もっと驚いたのはその重さである。
 果たして、二式大艇の改造機で、乗員乗客を乗せた上に、果たして500kgの金塊を搭載出来るものか。
 言及すれば、大日本航空の東京満洲直行便の九七式旅客機並みに航行が可能なのか。彼女の懸念は、その重量であった。更には、この大艇は機種名は『二式大艇改』であり、改造した上に図体も大きい。それは小廻りの利かない鈍重さを顕しているのかも知れない。彼女の最も懸念するところであった。
 「それに、ですなァ……」言い淀
(よど)むように切り出した。
 「それに何です?!」《まだあるの?》という条件付きへの懸念であった。
 「実はこの機には今回、乗員と乗客を合わせて26名が搭乗します」これこそ重大発言であった。
 「500kgの金塊に合わせて、乗員乗客26名……」アンはこの重量に愕然
(がくぜん)とした。
 「この旅客飛行艇は旋回銃座を取り除いているため、リクライニング・シート16席、二人が卦のソファ席が2席で全席、高級な総革張。機内の内装は満鉄の客車工場が手掛けました。また旅客窓を設
(しつら)え、後部は展望室で、更に乗務員室兼用の調理室を備えております。あくまで旅客空輸が目的です。空飛ぶ応接間を模しています」胸を張るような回答であった。それだけに、この機が豪華に格調高く製作されたと言うことが分る。
 だがアンの懸念は他にある。
 格調高いのはいいとして、ひと回り大きくなった設計に、金塊500kgを乗せ、更に乗客を26人も乗せるという、正気とも思えない
無謀さ……。こんなに重くて、本当に飛ぶのか?という怪訝(けねん)が蹤(つ)いて廻った。操縦者にとっては『二式大艇改』を操縦するのは至難の業である。
 では、空飛ぶ応接間に搭乗する客は誰なのか。26人の乗客は誰なのか。要人であることは間違いない。

 「空飛ぶ応接間?……」アンにとっては、何から何まで驚きで、物資欠乏の非常時において、呆れるばかりの豪華さであった。あるいは乾坤一擲
(けんこん‐いってき)を賭けるための小道具か。何か他に、秘められた意味を持っているのだろうか。
 いよいよ艱難
(かんなん)が迫っていた。その気配を感じたのである。
 「搭乗客は満洲国各省庁の高級官吏と皇帝・溥儀
(宣統帝)の関係者、それに満洲経済界からは新京日本商工会議所の理事達で、更には哈爾濱でロシア人救済事業を展開する白系ロシアのガリル財団のメンバーです。
 早期戦争終結と、日本の戦後を処理するために、日本と満洲間において、経済工作で資金調達をして頂く方々です」
 早期戦争終結を目論む組織は連携をとって着々と動いているようであった。だが綿密な配慮はあるのか。

 「空飛ぶ応接間のお値段は、お幾らでしょう?随分とお高いのでしょうねェ」アンが付かぬ事を訊いた。
 「そうですね、1機あたり、約72万円というところでしょうか」
 「うわッ!」アンは大金に驚いた。
 「海軍の一式陸攻が34万円ほどですので、おおよそ二倍強というところでしょう。この機を3機製作しますので、合計216万円が必要になります」
 昭和19年当時のこの額を、現代の金銭に換算すると、総額は約63億7千2百万円ほどになる。一機当り約21億2千4百万円である。随分とお高い値段であった。
 「では、壊したり、撃墜されたりしてはいけないのですね」
 「勿論です」
 「もしその場合、わたくしが弁償せねばなりませんの?」
 「さあ、どうでしょ?……。頬っ被りでも宜しいのではありませんか、戦争をしているのですから」
 「それを聞いて安心しましたわ」
 「さて、日本は既に本土決戦を想定して、内閣が動いています。その本土決戦費用は約900億円。陸海軍の将兵合わせて250万人。しかし、総ては虚構に過ぎません。経費の計算額の900億円は、一部に軍票掛金も入っていて、実質は絵に描いた餅。また250万人の兵力は、女子供も含んでのことであり、敵に対して組織抵抗するだけの能力はありません。武器も貧弱で、竹槍で敵兵を倒すという愚なる精神主義は、既に周知の筈です。絵に描いた餅では、いい条件で、この戦争を早期終結させることは出来ません。以上、お分りで頂けたでしょうか」吉田は重要任務のほどを明かした。
 この話を聴いて、誰もが無言の相槌
(あいづち)を打った。それは、遵う以外に選択肢がなかったからだ。

 「サトウ少佐は、おそらく金塊もさることながら、貨物量に合わせて、乗員乗客の総重量を気にされていると思いますが、それならご安心下さい」鳴海技術少佐だった。
 「どういうことです?」
 「この二式大艇改造型は旅客仕様で『空龍
(くうりゅう)』と命名されています。日本海軍の航空技術陣と川西航空機(後の新明和工業)が総智を傾けて完成した結晶です。
 特長としては、発進基地の水陸両方に離着陸が出来、離着陸の際に水陸差を設けております。
 乗員は10名
(操縦士、副操縦士、航空機関士、航空通信士、航法員、乗務員のエア・ガール4名、調理師)、乗客は20名から25名の重量を計算して改造設計がなされました。
 機体もこれまでの全幅38mから40mとし、また全長も28.13mから30.00mとしました。これはちょうど三角比の3:4:5の比に値し、空中航行でのGの強度を重視しました。
 発動機も、三菱火星22型を改良して強力なハ43型改
(星形複列18気筒)とし、離昇時の1,850馬力から2,050馬力にアップしました。プロペラは二重反転式・六枚翅で推進力を増強し、最高時速270ノット(500km/h)、そして高度8千7百mの上空を航行します。
 高々度を飛行することにより、燃費の節約になり、機体の安定性も依然より増しました。
 但し『空龍』は、これまで搭載していた7.7mm旋回銃の4門を撤去して、前部防風枠に上下稼動斜抱形式の九七式20mm自動速射砲を1門搭載し、後ろの銃座室は旋回銃を撤去し、後部展望室になっております。
 また20mm自動速射砲は非常時における、あくまで威嚇
(いかく)のためであり戦闘機と空中戦(dogfight)するには不向きです。以前の二式大艇様式の旋回銃座は総て取り除いています。あくまで速力を重視した旅客機仕様です。
 したがって最大重量も35,500kgです。重くなった分、操縦には伎倆
(ぎりょう)を要します。
 設計目的は旅客機としてであり、政府要人や皇族、それに満洲国要人や皇帝一族の空輸を旨とし、東京羽田・満洲新京間を行き来するためのものです」鳴海少佐が淡々と説明した。

 操縦に技倆を要するとは、並みのパイロットでは駄目と言うことである。
 特に「皇族」という言葉が、傍
(はた)で聞いていた津村陽平には気掛かりであった。
 この時期、大本営は天皇陛下を満洲にお迎えして、英米と徹底抗戦する腹であったからだ。この遂行には、裏で陸軍の戦争継続派は動いていたのである。これでは戦争が長引くばかりであった。
 この『空龍』は戦争早期終結のために、特別生産されたものである。この機の設計生産は、川西航空機の新京飛行機工場で、その製作費用は沢田貿易と佐藤商店が総額の半分を担い、残りを大日本航空、南満洲鉄道、新京日本商工会議所、哈爾濱日本商工会議所、満洲国、満洲護国産業、山根興産、ガリル財団が共同出資で捻出した。生産計画では、同機種を3機、生産することになっていた。その第一号機が満洲国新京から東京羽田に向かって飛ぶのである。長距離初飛行であった。
 そして『タカ』は、戦争の早期終結のために、水面下で経済工作まで行っていたのである。経済工作の中心課題は、敗戦国の戦後を襲うハイパーインフレの驚異の阻止である。

 「ところで、第一号機の機長は、サトウ少佐ですか」倉科泰三郎が質問した。機長が女であることに不満らしい。この御仁は、この時代において、優秀な操縦者が激減していることを知らない。
 「そうです、適任者は少佐をおいて他におりません」吉田がこれを受けてきっぱりと断言した。
 「他の搭乗員の方々は?」倉科が食い下がった。
 「副操縦士は向井田亮介
(陸軍上等兵)。航空機関士は明石洋之(大日本航空)。航空通信士は加納信也(大日本航空)をコックピットのクルーとして、乗務員は主任客室世話係(purser)のキャサリン・スミス少尉(夕鶴隊教官)、鷹司良子伍長(夕鶴隊第一班班長)、室瀬佳奈兵長(夕鶴隊第三班班員)、それにアニー・セミョーノヴァ(亡命ユダヤ系独逸人)。そして調理師は、ミヤ・スコロモスカ(満洲国の女諜報員)の搭乗員全員で計9名です」吉田が詳細な説明した。現在のところ航法員は未定だった。飛ばすための要である航法員が抜けてては重量があって、鈍重と思われるこの二式大艇改を長距離飛行させることは出来ない。単に操縦すればいいと言うものでなく、距離と位置計算と残量燃料など、そして正確なコースの航法計算をしなければいけないからである。
 「えッ?!ミヤ・スコロモスカさんが……」アンがミヤの名前を呟いた。
 ミヤとは数日前に、太陽島で別れたばかりであった。そのミヤが調理師として同機に搭乗する。彼女は白系ロシア人で、満洲国保安局の諜報員である。その彼女が来る……。それはいつだろう。アンは何故か、数日前のことを懐かしく思うのだった。

 「彼女は哈爾濱から、明日、到着の予定です」
 「では、また会えるのですね。でも、副操縦士の向井田上等兵は、どう言う人かしら?」
 更に奇妙なのは、搭乗員の操縦士の中に陸軍上等兵がいることだった。
 彼女は階級で、パイロットの技倆を疑った訳ではないが、上等兵のパイロットの適用とは何とも風変わりである。こんな話は、一度も聞いたことがなかったからだ。
 「心配には及びません。この漢は、哈爾濱・東京間、新京・東京間、更には以前、横浜・サイパン間を単独飛行で何度も往復しています。もと逓信省通信隊の連絡職員です。外地便の空路に詳しいのです。『空龍』を運航するには、どうしても必要なクルーです」

 向田上等兵は、いわば兵隊のパイロットである。士官でもなく、下士官でもない。だが副操縦士と雖
(いえど)も、飛行機を操縦するパイロットである。欧米ではパイロットは、総て将校以上であり、日本の陸海軍でも搭乗員は下士官以上である。それが向井田亮介は兵隊であった。上等兵の操縦士である。上等兵の操縦士など今までに聞いたことがなかった。
 「ほォーッ……、兵隊のパイロットですか。これは驚いた!」倉科である。口を丸めたそれは、冷ややかで大袈裟過ぎる驚き方だった。
 「彼はこれまで逓信省の航空機を操縦していた漢です。操縦は確かです。操縦経験も航法経験も充分にあります。それに航法計算を専門に行う航法員としても優秀です」
 「しかし、ですぞ。全搭乗員中、何と、女性が6名ですぞ。戦局の雲行きが怪しくなった終盤からは、大和撫子が、男に成り代わり、活躍すると言う訳ですかな?」慇懃
(いんぎん)だが見下したような倉科の訊き方であった。このオヤジの腹には《女の機長に、上等兵の副操縦士。大丈夫なのか?》という疑いである。
 「あなたは女性では、役者不足と仰るのか!」吉田毅が激怒して反論した。そして睨んだ。
 「そうは申しておらん!」吉田の言を受けて倉科も睨んだ。
 吉田はこの種の人間を陸軍参謀本部で度々見てきたからである。
 「あなたは、そんな古い考えで、『タカ』のメンバーの一人として、これまで辣腕
(らつわん)を揮って来たのか!」吉田の烈しい叱責であった。睨むのをやめてはいなかった。
 「いや、決して……」倉科は首を竦
(すく)めるように言葉を繕(つくろ)った。既に視線は落ちていた。
 互いに睨み合ったが、倉科は吉田に位負けした。吉田を睨んでいると、なぜか目線から気を吸い取られるようであった。これが二人の差なのである。

 吉田は倉科のような保守的な思考に固執する、この種の人間をこれまで度々見てきたからである。エリートとしてお高く停まり、頑迷な封建思想が、昭和陸軍を腐らせてしまった。
 昭和の戦略家と言われた石原莞爾すら、予備役に廻されて参謀本部から追放された。いつの間にか強硬派に押されて、不拡大方針が拡大方針にすり替わった。更に、満洲に駐留する関東軍を独断専行の方向へと暴走させた。参謀本部の意向は関東軍には届かなかった。
 関東軍司令官の梅津美治郎陸軍大将は、日本の生命線たる満洲の地に、騒動が起こることを好まず、各地の小競り合いを鎮圧しようともしない。責任追及の懸念を嫌って沈黙し、関東軍の独断専と既成事実の積み上げだけに皇軍を維持しようとしている。また、満洲を日本の生命線として、そのように誘導して来た。これが長い間の関東軍の伝統になってしまったのである。そしてこの伝統は、官憲だけでなく民間にも及んだ。
 おそらく新京日本商工会議所会頭の倉科泰三郎は、その影響下に置かれて、知らず知らずのうちに前近代的な封建思考に染まっていたのかも知れない。

 「染められましたか、関東軍に」吉田は倉科が関東軍の御用商人であることを知っていた。
 「いや、決してそんな訳ではないが……。ただ優秀な男は、みな戦場で潰えましたからなァ。さて、女性に任せて、大事な虎の子
(空龍)は大丈夫でしょうか。私はそれを懸念しているだけのこと。悪意は御座らぬ」
 倉科は厭味
(いやみ)のような言い方をした。
 この御仁は新京日本商工会議所の会頭の倉科は、資金面で重要な役を担っているらしい。そして丙午の迷信を信じ、男尊女卑の思い込みは甚だしかった。


<<戻る トップへ戻る 次へ>>


  運気     八門人相     房中術     癒しの杜     菜根譚     小説     会報Back No.     合気     蜘蛛之巣伝     死の超剋     霊的食養     心法