運気 八門人相 房中術 癒しの杜 菜根譚 小説 会報Back No. 合気 蜘蛛之巣伝 死の超剋 霊的食養 心法
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続々 壺中天・瓢箪仙人 2

「空」とは、何も無いことでない。永遠不変で、かつ固定的実体がないことをいう。
 諸々は物事の縁起で成り立つ。不増不滅である。「空」にして、増減は無しである。
 大事を為
(な)すものは、跡がない。
 それは「雲水」を見れば明快だろう。
 まず雲水の「雲」を考えてみるといい。
 雲の去ったのちに、そこには跡があるだろうか。跡はない筈だ。
 物事に跡を残せば、必ずそこには禍
(わざわい)が起こる。
 例えば西郷隆盛は、「児孫のために美田を買わず」と言ったではないか。子孫のために財産を残せば、その結果は必ず禍の元になるではないか。したがって「跡なき功夫
(工夫)」が必要なのである。それは無心に回帰するだろう。

 次に雲水の「水」である。
 これを、どう解すればいいのだろうか。
 勿論、水も跡を残さない。
 例えば、手柄を立てた業績とか功名を誇る気持ちである。人間には、そうした気持ちが存在するから、これを自慢するなと言うのが難しい。何かと、そういうものは自慢したがる。
 水を見て、「空」の回帰するならば、こうした慢心を制御するにも一工夫要
(い)る。

 その一工夫とは、佐藤一斎が言ったように老境期に至っては「老いて学べば、死して朽ちず」であり、これこそが「老謀策」なのである。美しく老い、美しく枯れることを謀る策である。
 つまり自然に枯れて、有終の美として老いるために、学問の工夫を積み重ねることである。この積み重ねによって覚悟が出来る。その覚悟をもって、肚
(はら)を造るのである。
 これが「死して朽ちず」である。
 そうすると、まず不安が去り、心配が去る。何が起ころうと、心はぐらつかない。それが譬え、死を直視したところで……。
 これを「不動心」という。

 要するに不安や心配を取り除くために、学問をせよというのが、『朱子学』を奉じながら『陽明学』に傾倒し、陽朱陰王と評された佐藤一斎の「老いて学べば、死して朽ちず」に回帰するのである。
 学問とは、人間に創意工夫を齎すものなのである。


●経験譚

 ピンチの中にチャンス有り……。
 「素晴らしい、ご解釈ですわ」今にでも拍手せんばかりだった。アニー・セミョーノヴァである。
 「そのように言われると、何だか光栄で、些
(いささ)かテレますなァ……」
 「でも些か、こじつけの観も感じられますが、いかがでしょう。また一言申し上げれば、読みが浅いのではないでしょうか」と、変なところで口を挟んだ。

 読みが浅いといったのは、彼女自身、ミュンヘンから経由地のソ連領を通り、満洲里まで命からがら逃げて来たからである。その旅路は、まさに『困』の連続だった。何度も遭遇した。『困』の辛さを充分に知り尽くしていた。読みが浅いと言ったことは、この経験に基づくものであった。
 「確か、あなたは?……」
 一見忘れたような振りをして訊き返した。水を指されたことで、剽軽
(ひょうきん)に恍(とぼ)けた。津村独特の無分別である。この智慧をもって、世間一般の妄分別から抜けるのである。分別に囚(とら)われない。この漢の抜ける術であった。

 彼女は津村と吉田に、突然、「咒殺
(じゅさつ)される……」と奇妙なことを言って、扶(たす)けを求めたロシア系の名前を持つ独逸国籍のユダヤ人であった。だが、扶(たす)けを求める際に“咒殺”という語は、何とも奇妙だった。これは捕らえられ、何かの秘密結社の儀式で、生贄(いけにえ)にされたり、使役されるという意味であろうか。
 その辺は釈然としなかった。
 ナチスを始め、種々の秘密結社は神秘主義に則って“咒”を行う。黒魔術は、時として生贄を必要とする。生贄の血を欲する。幼児の人肉を食う秘密宗教結社もあるくらいだ。生贄に使われる。性交奴隷にされる。幼子や婦女子が誘拐されるのはそのためである。
 彼女はミュンヘン大学大学院の語学研究生であった。語学が堪能である。そして今は庇護されて、夕鶴隊の一員に加わっていた。彼女も早期終戦を目指して闘う女性戦士であった。

 「あえて名乗るほどの者ではありません」
 彼女は講釈師に不機嫌であった。講釈師が言葉巧
(たく)みに話術を操っていると検(み)たからである。それが如何にも、臆病な狸のように映ったからである。
 「ほーッ〜」《奇なり》というように、狸オヤジが口を丸めた。
 「敢えて言うなら四分の一、ユダヤ人のアニー・セミョーノヴァです。もう、お忘れですか……」
 「ああ、そうでしたな」
 「わたし、影が薄いのです。印象的でなくて申し訳ありません」立派な皮肉で遣り返して来た。
 「いえいえ、随分と斬新な自己紹介ですよ」呆
(あき)れたように言う。
 この漢、自分が不機嫌の発信源でありながら微塵
(みじん)も意に介さない。狸の狸たるところである。

 「但し、わたしく、混じりっけなしのユダヤ人ではありませんけれど……」厭味のように言った。
 「ほ〜ッ、奇妙な言い方もあるものですねェ」講釈師は唐突な奇言に戸惑いはしたが、少し遊ばれて遣れというように切り返した。
 「奇妙でしょうか」不機嫌に切り返す。
 「奇妙でないでしょうか、四分の一、ユダヤ人とは……。それだけで印象的です」
 それはユダヤ人を否定しているからである。
 何故なら、四分の三がユダヤ人でないからだ。混じりっけなしのユダヤ人ではない。更には信仰する宗教もユダヤ教ではあるまい。しかし四分の一の血を理由にナチスから迫害されたのだろう。それを何ゆえ四分の一にこだわるのか……。津村の感想である。
 「……………」アニーは怪訝
(けげん)な貌で、口に緘(かん)して沈黙した。
 講釈師には智がある。それだけに適
(かな)わないと思った。やはり一枚上手を行く狸だった。彼女は瞬時に格の違いを悟ったのかも知れない。

 「さて、本題に戻りましょう。『沢』は八方塞がりの凶卦
(きょうか)。それは剣難の相の暗示。一寸先を警告をしています。この警告を、どう採(と)れば宜しいでしょうか……」
 「どう採れば、とは?!」アニーが鋭く迫った。
 「あなたのような可愛い女性から面と向かってそう迫られると、わが輩としては、気弱な所為
(せい)か、些か赤面を覚えますなァ」
 「ご冗談を……」
 この遣り取りで周囲から、くすくすとした笑いが漏れた。
 狸オヤジはユーモアを言う余裕がある。諧謔
(かいぎゃく)を忘れていない。その諧謔が、この場に安堵を与えたことは確かだった。

 「この場合の凶卦の読み方です」周囲を湧かした後に、『困』に纏
(まつわ)る示唆を促した。
 「まるで暗号解読みたいですね」キャサリンが切り返した。
 「その通り。これはまさに暗号解読。この解読に当り、大人
(たいじん)はどうとるか?……ということになります。果たして、大人は字面だけを読むでしょうか」
 それは“藕糸
(ぐうし)を読め”と言う意味である。また肉眼では見えない糸である。隠れた糸である。
 また大人だからこそ、両方を読むと言う意味であり、しかし、大人か小人
(しょうじん)かは人間が決めることでない。決めるのは天である。天がその判定を後に下す。したがって己自身が、自惚れから己を大人と断じてはならない。
 それを断ずるのは天である。人間でない。頭を低くして、謙虚が何よりである。
 このことを承知していなければならない。もし、凶卦に遭遇して、その両方を読めずに、己を大人などと抜かせば、それは小人以下の愚人であろう。謙虚に卦を読んで、その判定を待つ。これこそが大人の姿である。解釈には二通りあるからである。陰と陽である。現象界は決して表だけではない。裏から検
(み)る見方もあるのである。

 「裏に、何かが秘めているとでも?……」アニーである。興味津々で訊き返す。
 彼女に根底には『易経』って何かしら?という神秘への問いがあるからだ。
 「さよう!」オヤジは胸を張って答えた。
 「では、何が秘められているのです?!」その表情は深刻だった。掴みどころがないからである。
 「考えてみて下さい」
 「何をですか!」途端に不機嫌になった。彼女は弱年のためか、まだ感情を操れるほど老練ではない。
 「簡単に答えては意味がない。宜しいかな、お立ち会い。例えばですなァ。数学で言えば、途中の解法を大事にせずに、ただ答だけを訊くようなものですぞ。然
(しか)るに、これでは警告に対して、それを自身で解決せずに他人(ひと)から答えを聞きいて、それで行動するようなもの。ゆえに答が分っても、手順の解法を知らねば、結局、わが身のためにはなりますまい」
 「なるほど、巧いことを言われますなあ」と感心するように言う吉田。
 「いいですか、物事は小人
(しょうじん)的に考えるのではなく、大人の大局観が要(い)ります。大人になったつもりで、凶卦を裏から考えると、どうなりますでしょうか!」逆に迫るように聴衆に問うた。

 「裏から?……」驚いたような訊き方をした。
 「暗号は裏を読む必要があります。字面を読んでも真意は分りません。表面的に読んでも隠れた藕糸は見えてきません」やや気色ばんだという言い方であった。真意を裏からそれとなく覗かせたのである。
 「つまり表は、沢は八方塞がり。そして剣難の相……。ということは、つまり裏から読めば行きたいところに行ける。この願いは災難を排して、正反対の『適
(かな)う』と解釈すればどうでしょう?」とキャサリンが口を挟んだ。
 彼女は安危の別れるところを、表裏の関係と検
(み)ているのである。
 「いい解釈ですねェ、さすが数学者。その通りです、適うのです」
 「適う?……」《でも、なぜ?》という訊き方だった。
 「つまり八方塞がりの逆の正反対は『願いは亨
(とお)る』という意味です」
 「なんですって?」
 「念じれば通じるのです」
 「ウソ……」
 「君子は困ろうと、如何ほどのことも無い……。それは天を信じているからです。
 君子と言う大人は『命
(めい)は天に有り』と固く信じています。物事は困難に瀕(ひん)しても、大人的に考えれば何事も、なんとかなるものです」
 津村の貌には、困惑の欠片
(かけら)も無く、その色すら浮んでいない。貌を窺えば安堵を思わせる。その安堵は不思議にも隠れた人望であった。
 そして「なんとかなる」の信奉者である。道教は禅にも通じているからである。

 なんとかなる……。
 この言葉の表現は科学的根拠を欠き、具体性のない、実に曖昧
(あいまい)で不確かな響きを持つが、この言葉が、時には安堵を覚えさせることがある。
 「なんとかなる」は、一休禅師の言葉だった。
 したがって大人
(たいじん)は、困窮に遭遇しても、悲観はしない。狼狽(うろた)えない。難儀の臨んで、デンと構える。苦労人ゆえである。そして苦労人であるが故に、難儀に当たってジタバタせず、思い煩(わずら)うことなく、腰を据えるのである。まだ来てもいない一寸先の闇を憂いて、恐怖に感じても仕方ない。その時はその時で、なんとかなるものである。

 人間は幾多の経験や体験を通じて、苦労人の域に到達する。そして苦労を身につけた人物ほど、魅力的であることは言うまでもない。ただし忘れてはならないことは、同じ苦労をしていても、苦労を重ねることで悪くなる人間、あるいは悪事を企んで穢
(きたな)くなる人間も大勢いることである。その真贋(しんがん)を見分けるには、眼を絶えず養い、見識を鍛錬していなければならない。併せて胆識までもだ。

 孔子と子路の問答に、このようなものがある。この問答は孔子が陳の国へ赴く途中、兵乱に遭遇して食糧が欠乏し、またその煽りを受けて、門人達も病み疲れていたときのことである。悲惨な状況であった。
 そのとき子路が、孔子に問うた。
 「先生、道を行う君子でも困窮することがあるのですか。これでは、天道さまの是非が疑われます」
 孔子曰
(いわ)く「窮するとは、道に窮するに非(あら)ず。いま丘きゅう/孔子のこと)は仁義の道を抱き、乱世の愚に遭っているだけだ。これを窮するとなさんや。もし食足らず、躰(からだ)まで瘁(つか)るるを以て窮すとなさば、君子、固(もと)より窮す。但、小人は窮すれな、ここに濫(みだ)る」と。

 小人は窮すると、心を乱し自暴自棄の陥り易いと指摘している。また衣食足らずして、いい加減なことを遣り始める。悪事にも手を染める。
 一方、君子は窮しても泰然自若としている。決して己を失うことはない。小人と大人の違いは、ここにあると教えたのである。これを聴いて、子路は貌を赤らめたと言う。自らの卑小さを指摘されたような気がしたからである。
 これは何でも飛びつく、ダボハゼ
【註】ハゼ科のだぼ鯊の俗称で、ゴリともいう。淡水に棲息する小形のハゼ類を指し、多くは食用にならないことからの蔑称)になるなということを言っているのである。

 逆境にあって窮するも、それはまた「命
(めい)【註】天命の意)である。「命」を知れば大難に臨んで、少しも乱れない。自らが乱れないことで、身をもって勇気の在(あ)り方を教えたのである。
 禅道に「花は咲き咲きて成就。葉は散り散りて成就」という悟りの境地を示したものがあるが、これは学僧が象牙の塔に籠
(こ)って奥義を究めた境地でなく、自らが世の実際の「命」の中に在って、そこで悟った言葉である。その命とは、運命の「命」である。命を知るには、運命とか関わりを持たねばならぬ。そのためには運命を避けずに、受け入れよということである。
 人は運命の陰陽に翻弄
(ほんろう)される。その周期に作用される。踊らされることもある。だが、その中に入る。善いことも悪いことも受け入れる。そこから逃げない。逃げずに踏み止まり、何事も受け入れる。つまり自然に逆らわない。現実に、真摯に向かい合う。
 自立奮闘する。自前で自力。そして他力一乗。それが通じ、亨
(とお)るのである。通じるか、亨るかは、ぎりぎりのところに存在する勘である。その勘を洞察力で悟る。

 言うまでもないが、人物への洞察力を身につけることで、人と実体を知る。
 先ずそれを知るには『人間学』を徹底して学び、人を知り、人を見ていなければならない。より多くの人間を知って見識を深め、人から学ぶことで、場数を踏み、人間学の真剣勝負に通じていなければならない。時には表面を着飾った“贋作
(がんさく)人間”に騙されることもあろう。その虚飾に惑わされることもあろう。
 だが、この偽物にぶち当たったとき、人は贋作への騙された反省が生まれ、その経験を通じて、真なる鑑定眼を持つことになる。その養成から、最終的に出てきた言葉が「なんとかなる」であった。
 「命」に遵
(したが)えという。これは苦労人ならの言葉である。禅僧・一休宗純は苦労人だった。

 陽明学的に言えば、「事上磨錬」である。
 経験や体験の場数が物を言う。人間は運命から験
(ため)される局面があるからだ。この局面を克服することで徳を得る。大人に近付くための法である。
 困窮の中に好機有り……である。
 ゆえに克服し、乗り越えれば、願いは亨
(とおる)のである。これこそが極意会得の道であった。
 だが、極意会得も“聴く耳”あってのことである。その舵取りは容易でない。耳を塞いでいては何も聴こえない。神風の囁
(ささや)きは微風で、細く、小さく囁くからだ。風(ふう)を知るにも、風を読むにも聴く耳を持っていなければならない。また一般解釈に終始してはならない。
 前途窮まった状況は、一般的に「凶」と検
(み)てしまう。一般解釈で行き詰まったと感得する。そして困窮する。

 しかし津村陽平は違った。この漢の捉え方は、常人とは違っていた。
 『困』を、次元の異なる解釈法で読み解いた。困窮の中に好機有り。この論は禍
(わざわい)の中に好機があるという解釈である。困は何も、それ自体が凶でないのである。禍福は糾(あざな)える縄の如し。変化し、入れ替わる。
 世の中の幸不幸は、縒
(よ)り合わせた縄のように、常に入れ替わりながら変転して行くものである。悪いことばかりが永遠に続くことはない。善いことも同じだ。人の運命は陰陽の周期に弄(もてあそ)ばれて、善悪は交互に入れ替わる。必ず、何れも変転期が訪れる。

 禍福は糾える縄の如し……。変転を暗示している。
 それだけに、津村の「なんとかなる」を掲げるこの漢の身の周囲には、不思議と涼しい風は吹いているのである。涼しい風が吹きまくっているような風采があるのである。凶は吉に変転する風だ。
 津村は不思議な漢だった。困難の中にチャンスが有りと検ているからである。

 例えば『三国志演義』に出て来る一場面にも変転の風が見られる。
 劉備玄徳は一時期、劉表の許
(もと)に身を寄せていたことがあった。ところが劉表の配下には、劉備のこうした状況を快く思わない者があった。劉備と言う食客を苦々しく思っている。荊州で一躍人気者に躍り出た劉備への妬みからである。特に蔡瑁(さいぼう)と劉表の妃の蔡夫人らは、常々劉備を除かねばと考えている。そこで諜略を企てる。
 蔡瑁は部下と謀って宴会にかこつけ、劉備を殺害しようとした。それを感じた劉備は逃走する。
 『三国志演義』では「愛馬“的盧
(てきろ)”に乗って逃走し、この渓(檀渓/だんけいに墜落した」と記された箇所である。的盧は馬相からすれば「眼下に涙漕があり、額に白点があは凶馬といい、乗り手に祟(たた)りをなす」とされた馬であった。凶を孕(はら)んだ馬である。そして指摘通りに逃走中、渓に嵌まった。
 だが一方で的盧にも救われている。その名場面が的盧の“三丈跳び”である。そのために危害を逃れた。九死に一生を得た。
 凶馬が一変した。渓を踏んで、九死に一生を得た。変転の風による。

 渓は『易』で言えば「困」であり、「沢」である。
 一見八方塞がりを思わせる。だが塞がったのではない。此処にチャンスがあると検
(み)ている。「困」の中に好機有りである。津村はそう検ているのである。
 困れば、それはチャンスと裏返しなのである。何故なら津村は、これまで九死に一生を拾って還ったような痕跡があるからである。自身でも、檀渓を踏むようなことがあったのかも知れない。それだけに、この漢には在
(あ)りし日の顛末(てんまつ)をつぶさに見る人生の「経験譚」が豊富であった。その豊富なる経験譚が八方塞がりを好機と採(と)る裏付けによって、「困」の真相が語られているからだ。「困」の実体を文字通りに捉えず、裏側から検ているのである。その見識に間違いはあるまい。それが、この場に安堵を与えた。

 「なんとかなるですか?……。小人的に考えずに、大人
(たいじん)になったつもりで……と仰るのですね」
 「さよう」涼しい貌で答えた。
 「でも、並みの人間には大人感覚が分りません」キャサリンである。
 彼女はまだ、人生の至る所に存在する陥穽のトリックに通じるほど老熟していないのである。
 「こだわれねばいい!」断定的に言った。
 「こだわらなければ、大人になれますか?」キャサリンの切り返しである。
 「こだわりを捨てればいい!」更に鋭く言い放った。
 こだわる愚の依怙地
(いこじ)はやめよと言う。拘泥(こうでい)および意地は張るなと言う。肩の力を抜いて考えればいい。思考や発想を柔軟にすればいいのである。
 「こだわりを捨てる?……」キャサリンが感慨深そうに吐露した。
 「この世は、何事も捨てて行く中に真理がある。ただそれだけのこと。他には何もありません」
 キャサリンの心に、津村の言った“何事も捨てて行く中に真理がある”の語が深く刻まれた。
 「それが大人の感覚ですか?」
 「こだわりを捨てれば、何事も困らない。失うまいとして足掻くから困る!」
 「?…………」《うそ?》という疑問符が入る。

 「大人は如何なることが前途を塞いでも、こだわりを捨てて行くから困らないのです。『困』を裏から読んでしまうのです。困窮を楽しむ方法もあります。真理への探求は必要だが、その追求にこだわる必要はない」
 「つまりですよ。落胆せず、大人になって考えれば、行きたいところには行けるということでしょうか。願いは亨
(とお)るということでしょうか?!」誰かが烈しく迫った。
 「その通り!したがって今を躱
(かわ)せば、そして去(い)なせば、なんとなかる。こうなると果たして、筮竹なるものが要(い)るでしょうか。実は、筮竹なるものも、こだわりの結果だった。本来は、そんなものは要らない」
 「なんとかなる……ですか」
 「手繰
(たぐ)る糸は、功夫(くふう)すれば何とかなる以上、まだ絶たれていません」それは働き、遂げよということである。そうすれば、成る可能性もあるのである。
 「では『困』は、易経の意地の悪い局面が出たと検
(み)るのでしょうか」
 「さよう。易占をしない卜者こそ、そこに本当の易断が生じてくる。世に、これまでにも、例えば無知無学でありながら、平凡な生計
(くらし)に始終しつつも、それでよいと思って生きて来た人はゴマンと居ます。彼らは哲学をするための哲学をする暇がなく、それでいて大哲学者だったという人達です」
 「誰ですか、その哲学をしない大哲学者って?」

 「百姓ですよ、大地を耕す百姓」津村は奇妙なことを言った。
 百姓と大哲学者がどう関係あるか、意味不明である。
 「えッ!お百姓さん?……」
 「さよう。百姓は自然のことを何でも知っていた。大地のことを知っていた。教科書を見なくとも、いつ種を蒔
(ま)き、それが苗に成長して、いつ植え替え、それをいつ収穫するかを知っていた。農事には哲学が無かった訳でない。しかし哲学はちゃんと備わっていた。百姓は哲学をしない哲学者だった。
 かつての叢
(むら)とは、哲学無用の哲人社会だった。それが百姓と言う大地の哲学者の姿であり、百姓の土性骨(どしょっぽね)は、一切が何もしない無の哲学で構築されていた。此処には、無為自然の哲理が長らく存在していたのですよ」
 それは自然科学でなく、自然そのものを大地と接することで知っていたからである。その意味で大地と接して生きて来た百姓は、自然を知る大哲学者であった。ここで言う百姓とは農民のことでなく、太古の時代の総ての人民を指す。国民寡黙
(かもく)の時代の人々を指す。この時代の人は、自己の道徳的完成を目指した人達であった。そのために「土」に学び、大自然の大地に学んだ。学ぶことにより、「いつ」という秋(とき)を知っていたのである。つまり人民の殆どが自然を知る人民であり、人民は大哲学者であった。太古は哲学無用の哲人社会だったのである。

 「それは、老荘の思想ですね、西洋哲学否定の?……」このように言ったのはアニーだった。
 「大自然とともに生きるにはコペルニクス的転換も無用。況
(ま)して『体系』という西洋の自然科学も、また無用……」
 そう言い切った言葉に、不思議な人徳が漂っていた。人を愉しくさせる安堵である。
 「それって、いいですねェ。何だか、いい……。本当にいいわ。西洋哲学を否定すれば、キリストの原点であるエデンの花園の復活に繋がる……。そう思いませんか。わたしには眼から鱗
(うろこ)ですわ」ギリシャ正教の信者であるアニーが、眼を爛々(らんらん)と輝かせて言った。彼女は『旧約聖書』の創世記で、人類の始祖であるアダムとエバが置かれた楽園を想像したのである。

 「しかし甘い夢を見てはならない。人間社会は平時ばかりではありませんぞ。平時は、戦争と戦争の間に挟まれた、ほんの束の間の出来事。いつ変化するか分らない。人間は不安定な現実に曝
(さら)されています。何事も滑るように上手くは生きません。順風満帆を期待しないことです。理想に向かって奮闘することは結構なことだが、人間現象界に生きると言うことは、現実と甘い夢の誘惑が常に交差しています。ゆめゆめ、このことをお忘れなく」釘を刺すように言った。
 この漢は不思議な人徳を醸し出しつつも、一見呑気やでありながら、人間の重みがあり、篤実があり、威厳すら感じさせるのであるが、はっきり言えば凡夫
(ぼんぷ)には掴みどころがない人物なのである。
 飄々としているが、経験譚が豊富で、容易に底を覗くことが出来ないのである。



●戦火の中の徘徊

 津村は停車して動かなくなってしまった列車から、ふらりと抜け出した。それも、抜け出すところを誰も見つからずにである。内心《うまくいった、よしッ!》と思うのである。
 自分の頭さえ入る空間や穴があれば、何処でも出入りする。関節を自由に外せる術を心得ていた。時として隠行之術を遣って姿を晦
(くら)ます。神出鬼没で何処にでも出現し、また霧のように姿を消してしまう。

 この漢、長い間の停車で退屈で仕方なかった。
 そうなると好奇心の虫が騒ぐ。徘徊癖
(はいかい‐ぐせ)が疼(うず)くのである。
 この癖を、津村は「散歩」と称する。何処でもで歩き廻る。ところ構わずである。その迷惑度は認知症の老人並みである。ただボケ老人と違うところは、ちゃんと帰って来る。
 だが、言い分もある。歩き廻ることで思考を正常に保つ。自分ではそう思っている。この漢の精神的健康法の一つであった。
 退屈は停滞を招く。停滞は精神的にも肉体的にも一種の苦痛である。思考が眠る。眠れば智慧が枯渇する。枯渇は謀
(はかり‐ごと)を杜撰(ずさん)にする。この漢は、これを嫌うのである。
 外に出て、ところ構わず歩き回るのである。それが戦火であっても同じである。
 この漢の脳裡には、戦時と平時の区別がない。境界線が毀
(こわ)れているのかも知れない。境目を区切る浸透圧の圧力差が比較出来ないのであろう。これを平常心と言ったら、言い過ぎだろうか。

 あたかも半透膜の両側に、溶液と純粋な溶媒とを置いたとき、両側に表れる圧力差は不在なのだろう。
 況
(ま)して溶液濃度など見知(けんち)しようがない。要するに絶対温度の比例装置がないのだ。
 いい意味で言えば常に平常心、悪い意味で言えば“ところ構わず”である。そして時には、ところ構わす歩かれた方は迷惑になることもある。心配させることもある。だが、構わない。この点がオヤジの悪いところと言えば、言えなくもなかった。しかしこれに頓着しない。境目がない。

 このときの散歩……。いったい何処に行こうとするのか。
 この漢はこう言った散歩を「戦場の歩き方」という自説論まで持っている。戦場では、戦場の歩き方があると言うのである。そして、この漢、戦場を歩く時も、御丁寧に笈
(おい)を背負い、腰瓢箪に仙人杖である。
 時代遅れの陳腐な恰好で戦場を歩き廻るのである。一度決め込んだ喇嘛僧スタイルは戦場でもなかなか変わらなかった。もし、この恰好で紅白両軍の兵士に出遭った場合、兵士はどういう表情になるのだろうか。仰天して戦場に仙人が顕われたとでも思うのだろうか。

 漢は、ふらふらと砲声や銃声の響く方に歩いていた。半分は好奇心である。地響きのする方向にである。虎口に引かれるように、ずるずると引き寄せられていた。
 最初、聞くところによると、哈爾濱・新京間は武装中立地帯と言うことになっていた。ところが昭和19年頃になると、この地域は不穏を呈するようになった。以前のように満鉄を使って安穏と旅行出来ないようになっていた。
 だが津村は呑気である。
 銃声がしようと、砲声が響こうと、一々気を病む漢ではなかった。一向に構わない。いつしか小競り合いを好奇の意識で、吸い寄せられるように近寄っていた。地面を確
(しっか)りと履(ふ)で、然も力みなく、銃声や砲声に恐れを為(な)して拳を握り固めると言うふうでもなかった。砲弾が炸裂している中、自然な立ち姿で足を進めていた。
 好奇心は、両軍の戦いぶりを観戦してみたいと言う気持ちあった。更には、何故この場所でないといかないのか?……と言うことであった。他の場所でもいいのではないか。だが何故?……となる。
 この漢にとっては、この「何故」が問題だった。
 これが好奇心を擽
(くすぐ)たれた漢の成れの果てである。擽りは、時として忘我となる。われを忘れる。そして奇態なものに惹(ひ)かれてしまう。

 この漢の散歩は奇妙である。
 だが弾が飛び交っている。徘徊僻に併せて冒険癖もある。スリルとサスペンスに誘惑されつつも、やはり無断で抜け出して来たことには、それなりの引け目も感じている。そのくせに、好んで虎口に入り込んでいるのではないのか。
 その一方で、本人は探偵のつもりであった。それも敵陣に忍び込み、敵情を探る軍事探偵である。
 好奇の気持ちが騒ぐのか、つい、その方向に向かってしまうのである。
 だが特技を持つ。
 徘徊した辺
(あたり)を、即、映像的に記憶してしまう。方眼の枡の中を、一枡ごとに記憶する。
 目印のない大地でも、何らかと関連づけて、記憶してしまうのである。あるいはこの漢特有の勘と、持って生まれた異能力で、大地の下の鬼神と会話するのか。始めての土地でも、その能力を発揮すれば、大地の神の加護を受けるようだ。足の裏から、進むべき方向を示唆すると言う。
 不思議なところに辿り着いた。

 これは何だ!
 『麦と兵隊』に出て来る一節の、「往
(い)けど進めど、麦また麦……」ではなかった。
 辺一帯には、ただならぬ気配が漂っていた。ただの田園地帯ではない。一見、普通の畑と見えるところに、不可解な仕掛けがあった。ところどころに土嚢を積んでいたり、落し穴が掘ってあった。これは何を警戒してのことか?……。そしてこの畑は何だ!と思うのである。

 麦か、高粱
(コーリャン)か、あるいは粟(あわ)か?……。
 いや違う。
 高さ4mほどの植物は一体何か。それを注視すると、その隙間に別の植物が自生している。高さ1mほどの植物だ。一体これは何だ?そう思う。
 少し考えた。過去の記憶が蘇
(よみがえ)った。大麻か?、いや違う。芥子(けし)だ。それも夥(おびただ)しい芥子であった。
 満洲で日本人農民が作物として栽培していたのは、水稲、麦、高粱、大豆、小豆、大麻、煙草、南瓜などの蔬菜類であった。煙草を栽培していたために、大麻も合法的に栽培していたのである。しかし、芥子となると事情が違って来る。
 大麻はアサから製した麻薬といわれるもので、栽培種の花序
(かじょ)から採取したものをガンジャ、野生の花序や葉から採取したものをマリファナ、雌株の花序と上部の葉から分泌される樹脂を粉にしたものをハシシュといい、これらを総称して大麻という。喫煙すると多幸感や開放感があり、更に幻覚、妄想、興奮を来す薬草である。そして常習性がある。
 しかし芥子は、未熟の果実の乳液から阿片あるいはモルヒネを製する薬草である。鎮痛た催眠作用を呈する代表的な麻薬である。これを煙草にしたものを「阿片煙草」と言う。そして常習性があり、烈しい中毒症状を起こす。それも慢性中毒であり、神経や精神症状を強くする。その常習性は阿片を渇望するようになる。これが禁断症状であった。この渇望は大麻よりも烈しい。
 津村陽平は薬草に詳しい。
 津村伝来の『秘伝丹』の丹薬を食餌法として、また健康剤として自家製販売した経験を持っている。その関係から、「芥子だ」と一発で見抜いたのである。

 擦れ違う人など、何処にもいない。無人地帯である。遠くに軍隊が見えるだけである。だが、その近くの畑で芥子が栽培されていた。小競り合いも、こうなると必然的となる。なるほど……。
 畑は背の高い高粱をカムフラージュにして、芥子を栽培している地域だった。広大な芥子畑である。
 これ自体が驚きであった。
 では、なぜ此処で小競り合いするのか?……。その意味が分かったのである。此処では芥子を廻っての争奪戦が行われているのだ。
 戦争は武器だけを必要とするのではない。
 戦争を遣るのは人間である。武器を使うのも人間である。その人間は、恐怖を紛らすために性欲が高まり、また精神は不安定になったとき、薬物を用いようとする。薬物のよって精神の安定を図ろうとする。更には官能を高揚させるために、刺戟の強い薬物が必要となる。
 それが麻薬だ。

 こうした欲望は、何も兵士だけでない。
 例えば、シリコンバレーで、世界的な発明を捻り出すインテリも、芸術家も、それに付随する職業人など、感性を高め、閃
(ひらめ)きをアップさせるために麻薬を必要とする。
 日本でもアーティストと称する連中が、時として薬物を飲用したり、所持したことで刑法に抵触し、官憲に収監されることは周知の通りである。芸術家と称する連中は、自身に高い評価を受けたいがためだ。
 戦争……、それは麻薬などの薬物とは無縁ではなかった。

 陶頼昭
(とうらいしょう)駅付近の小競り合いは、実はこれが原因だったのかと津村陽平は悟った。
 また、これが戦争に利益を齎す側面となり、背景に人間の欲望が絡んでいた。深部には、攪乱と謀略があったのである。
 このことは阿片戦争を検
(み)ても明確となるだろう。

 高粱畑を掻き分けて進んだ。その先きには黒煙が上がっていた。両軍が衝突しているのである。
 陶頼昭から数キロ先の国民党軍と紅軍との小競り合い。根元には人間の欲望があった。
 歴史を変化させる根底にあるものは、紛れもなく人間の欲望である。
 体制の支配者は、権力と地位を維持するために、自らの欲望を、他の誰よりも満足させようとする。国益と称する、富の収奪と独占もそうだ。
 一方、反体制側にある被支配者は、その立場の逆転を狙って、地下水面下で暗躍し、それにひらすら執念を燃やす。その原動力こそ、人間の欲望であった。斯くして両者は対立し、死闘を演ずることになる。
 再度思い返して、「なるほど」と思う。

 此処での紅白戦の根底には、利権があった。影響力を狙った画策があった。
 人間は、人より一歩、先んじようとする欲望がある。人より、社会的にも高い評価を受けて、いい暮らしがしたいのである。そしてその欲望の主体は、自分を評価してもらいたいからである。民主主義下では、主権が一人ひとりの草莽
(国民)であるから、自分を評価してくれる人に対しては、「お客さま(評価してくれる人)は神様です」などと言って憚(はばか)らない。
 人間は心の片隅に、善行も悪行も交互に繰り返しながら、人より一歩先を行って、優位に立ちたいと言う願望がある。先んずれば人を制す……。『史記』項羽本紀に「先んずれば即ち人を制し、後るれば則ち人の制する所と為
(な)る」と記されている。

 いつの時代も同じである。
 人間の考えることも、欲する希
(のぞ)みも、みな同じである。欲望がそうさせる。
 これは発展においては孔子的であるが、老荘的でない。
 だが終熄
(しゅうそく)に向かいとき殖やすことではなく、減らすことである。殖(ふ)やせば、老子の小国寡民(かみん)から遠ざかる……。津村はそう思うのである。
 そして更に想う。彼は老荘世界を夢想した。
 国は在
(あ)っても、国の住民は少ない。軍隊はあっても使わせない。百年兵を練るも、他国と争わない。
 しかし西欧列強は違った。
 近代は富の形成から始まった。資源、食糧、貴金属、工業製品、労働力、領土の拡張などであり、これが富国強兵とともに植民地主義や帝国主義の猖獗
(しょうけつ)を極めた。大東亜戦争も民族の解放や五族共栄、また西欧列強を阻止する“聖戦”を標榜したが、結果的には手段を選ばずとなった。目的遂行のために、昭和陸海軍は方法論を誤ったのである。

 小競り合いの観戦である。高みの見物であるから、気楽なものであった。
 まず蒋介石麾下の国民党軍。
 この軍隊を論ずれば、中華民国軍の軍事顧問のアレクサンダー・フォン・ファルケンハウゼン中将仕込みの独逸式の近代化の進んだ質・量ともに優れていた。
 片や毛沢東麾下の八路軍は、前近代的な武器で闘っていた。その殆どは日本軍からの鹵獲
(ろかく)によるものだった。更に両軍を比較すれば、前者は独逸式の近代化の上に米国製で外見を繕(つくろ)い、後者は御多分に洩れず、貧弱で、“資本家のロープで資本家を吊るせ”式の日本製の鹵獲品に併せて、ソ連仕込みの合理主義的な戦闘術を会得していた。少人数で展開する遊撃戦である。

 両軍を表面的に観ると、物量差で勝負有りなのだが、士気と闘士は紅軍の方が勝っていた。そして少人数でゲリラ戦を展開する。遊撃しつつ、時として奇襲を用いる。これに国民党軍は悩まされていた。
 あれこそ、兵法で言う「一を以て十に当り、十を以て一に当たる戦法だな」と津村は思った。それが、またよく訓練されて巧妙であった。これこそ、『孫子』にある「常山の蛇だな」と思ったのである。
 銃声も砲声も依然と続いていた。
 紅白両軍、生き残りを賭しての攻防戦を演じていた。烈しい撃ち合いである。
 今後の参考のために、しかし両軍を観戦する意味は大きかった。津村には“山こかし”の腹芸が課せられているからである。敵を知れば、殆
(あや)うからず。そして、己自身もだ。
 津村は、己はよく知っているつもりである。怕
(こわ)がったり、怯(おび)えたりするのは危険な目に遭ってからでも遅くない。そう決め込んでいる。常に心情を中庸に保って、混乱の遭遇してもそれに振り回されることはない。混乱は混乱として素直に受け入れ、それとは別に自分の動かぬ意志を肚に据えているのである。
 普通、混乱時、様々な感情が渦巻くが、そうした感情の点滅に、己の肚に秘めた不動の構えがあれば、脅されても怯
(ひる)むことはない。不動心でいられる。周囲に乱舞させられる事はないのだ。
 津村陽平はそのことを幼少時から、父・十朗左衛門から教わっていた。つまり「心術」である。
 心術を用いれば、錯乱に陥ることなく、買収などでの媚蠱
(びこ)が侵入する際も、隙を作ることなく阻止出来るのである。
 恐れるのは、恥となるような真似だけを恐れればいいのである。

 好奇心……。
 珍しきもの、未知の不確かなもの、得体の知れないものなどの興味を抱くことを、好奇心と言う。
 だが面白半分で、野次馬主義の好奇心は危ない。媚蠱に誘惑され易いからである。媚蠱を知らず、魅せられることの恐ろしさを知らねば、邪なるものから魅入られ、取り込まれる。誑
(たぶら)かされる。自らが、邪となってしまう。
 その気持ちが、もう少し接近して、出来れば、後方に回り込んで、その手の裡
(うち)を見たいと思う。軍事的な観察をしてみたいと思う。支那人特有の、巧妙な手の裡を検(み)たいと思うのだった。
 だが一方で、《とんでもないところに来たものだ》と気付いたのである。戦時の緊迫感をひしひしと感じ取っているのである。何故なら、芥子畑を経由しての観戦であるからだ。これに命の危険を感じないわけにはいかない。その懸念は大いにあった。

 両軍の戦闘は終盤戦に入っていた。
 「もう、そろそろ勝負がつくかな」
 紅軍優勢、国民党軍劣性。武器は国民党軍が圧倒的に優れているのだが、その圧倒的が、逆の押され気味である。士気の違いで紅軍の勝ち。津村の観戦結果の感想である。
 ということは、「汽車もそろそろ動くようだ」と思うのであった。
 戦闘が止めば列車は動くのである。長居は出来ない。此処から抜け出す汐時
(しおどき)が来ていた。今がその時と判断した。判断は早い方がいいのである。
 「さて、戻るか」と呑気に独り言をいった。充分に傍観したのである。
 来た道を戻り始めた。高粱畑を掻き分けて戻るのである。
 だが高粱をカムフラージュにして、芥子を栽培している事実を知った今、“往きはよいよい、復
(かえ)りは怕い”の呪縛に懸からなくもなかった。知った以上、身に危険を感じない訳でもなかったのである。この事実を知った人間は、どうなるのだろうか?……。津村の偽わざる恐怖心であった。

 戦争と軍事力の強弱ならびに優劣。
 これを決定するのは、戦争を後押しする軍産複合体である。その傘下に種々の軍需工場がある。それは巨大な雇用を生む。戦争は儲かる商売だ。
 武力闘争することが儲かるのでなく、武力闘争させるその経緯と過程において、群がる連中が鼠算式にぶら下がって来るから儲かるのである。戦争と麻薬。決して無関係ではない。

 復
(かえ)り道に思うのであった。
 戦争とは兵器を必要とする。この兵器とは何かと思うのであった。兵器と言えば、手持ちの小銃や軍刀ばかりでなく、それを用いる人間には別の武器が必要ではないのかと。その武器とは麻薬……。こういう筋書きが読めて来たのである。
 更に勘繰って考えると、武器商社の沢田貿易自体の会社の構造である。
 吉田毅は、津村と一緒に赤塔
(チタ)まで行った。吉田は商社マンである。社用でチタ郊外にある『ニコルスキー交易商会』に出向いた。彼はソ連を通過出来る商業特権を持つ。だが、考えればこの特権自体も不可解なものである。
 『ニコルスキー交易商会』は武器専門交易商社であり、そこからソ連製の71発入のドラム・マガジンのPPsh短機関銃二梃を見本として、五百梃の機関銃を仕入れる商談を成功させている。五百梃の現物は、シベリア鉄道で東に運び、ウラジオストクの港まで鉄道輸送し、その先は海軍の潜水艦で大東亜圏のインドや東南アジアまで海中輸送すると言った。表向きは、アジア諸国の独立戦争を標榜してる。欧米列強と独立戦争をしている独立解放戦線に、金と引き換えに販売すると言った。その引き換え代価は何だろうと思うのである。
 もしこの代価がインド産の阿片だったら?……と思うのであった。思っただけでも空恐ろしい。

 上海には、沢田貿易の支店があり、また貿易商のサトウ商店の佐藤信夫がいる。なぜ上海に沢田貿易の支店があり、サトウ商店の佐藤がいるのだろう?……。そして佐藤は、アン・スミスの亭主ではないか。
 また、伯爵・沢田翔洋に養子に出した次郎は、今では沢田貿易の御曹司に収まっている。その沢田貿易の沢田翔洋は政商ではないか。権力者と癒着の観が強い。
 この構図に、深い疑念が頭を擡
(もた)げたのである。
 阿片はモルヒネ・コデイン・パパベリン・ノスカピンなど種々のアルカロイドを含み、鎮痛作用ならびに催眠作用を呈する薬物だ。これも、裏の武器として扱われているのではないか。そういう疑念が湧いて来たのである。
 世の中は綺麗事だけでは済まされない。
 人間社会は清規だけではない。そこに裏社会があり、陋規の世界がある。まさに人の世は、偽・私・放・奢の甚だしきものが渦巻いていた。金・権力・影響力は人間は欲しがるものである。これを成就させるために、ある種の手段を講じる。そこに麻薬が道具として使われていた……。あり得ると思う。これこそ否定出来ない陋規の世界の存在である。人間現象界の暗部であり恥部である。
 津村が復り道に心の誓ったことは、この事を秘して語らずであった。

 脱兎
(だっと)の如く駆け出していた。地の鬼神は津村の足の裏から危険であることを知らせていた。大きな危険が襲って来たこと告げていた。津村は疾(はし)りに疾った。
 疾る途中、背中にぴりぴりとするような違和感を感じた。何者かが、背後から狙撃銃で狙われているようか感覚である。疾るのを止めれば、撃たれるかも知れない。ひたすら疾るしかなかった。高粱でカムフラージュした芥子畑から一刻も早く抜け出さねばならない。此処で争えば、禦
(ふせ)ぐ訳にもいかない。今は風前の消えかかる蝋燭の焔(ほのお)のように殆(あや)ういのである。もし、風が吹けば、こんな焔など吹き消されてしまうだろう。命のシグナルはそれを報せていた。
 命ずるままに疾った。
 漸
(ようや)く抜け出したとき、津村はやっと安堵感を覚えることが出来た。
 「命拾いしたか……」独り言を呟いた。


 ─────汽車は動かずに停まっていた。最後尾の特別車輛も何の異常もない。汽車を見て、津村は自分を俟っていてくれたような錯覚に陥った。
 「有り難うよ、俟っていてくれて……」小さい聲
(こえ)でそう呟いた。
 列車内には気付かれないように、そっと潜り込んだ。だが表情は未だ硬い。だがそれでは、徘徊して局地戦での敵情視察したことが知れる。これを拙
(まず)いと思うのである。硬さを崩して、平常心の裏に隠さねばならない。
 それに、芥子畑を見てしまったこともだ。
 猫のように滑らかに潜り込んだ。自分では成功だと思った。気付かれずに、何事もなかったように戻ったつもりだった。
 ところが、
列車に忍び込む現場を発見されたのである。
 「あれッ……」
 とんだドジをしたものである。油断していた。迂闊
(うかつ)だった。そう思う。最後の仕上げで失敗した。哀れ……。現行犯のよな、現場を他の全員に取り囲まれたのである。早速、叱責が始まった。

 「だいたい今まで、何処に行ってらしたのです!」詰問
(きつもん)口調で言う。烈しい叱責である。
 アン・スミス・サトウ少佐だった。彼女は眼を三角にしていた。腕組みまでしている。剣幕が貌に顕われていた。彼女は一応上官である。
 「ついに見つかってしまいましたか……」あたかも母親に悪戯を見付けられ、咎
(とが)められた子供のような貌で、しくじりを吐露した。
 「見つかってしまったが、あるものですか!」頭ごなしであった。
 「これは、とんだドジを履
(ふ)んでしまいましたなァ」独り言のように言う。
 「智慧者と雖
(いえど)も、何処か抜けたところがあるものです」その間抜けを指摘した。手厳しい。虚の落し穴を指摘したような言葉でもあった。
 だが彼女は、津村に向けた信頼しきった眼をどうすることも出来ない。その眼を、津村はしげしげと監察したのである。あるいは、彼女のこの眼を見るために仕込んだ俄芝居か。

 津村は小柄ながら、頭の回転も早く、機敏に素早く動き、判断も明晰
(めいせき)な漢である。迷ったり、悩んだりすることがない。仮に、そう言う事態になっても、直ぐに自分を立て直してしまう。
 これは確かに長所であるが、長所が仇
(あだ)を為(な)すこともある。短所が少ない人間に見られる行動律である。つい、うっかり隙を作ってしまう。また、仲間内を甘く見ていた。
 親しき仲にも礼儀ありを失念していた。裡
(うち)への警戒することを怠っていた。
 欺くのは敵ではなく、味方からであった。だが、それが分っていて、敢えて隙を作ってみせたのは、やはり芝居だったのであろうか。

 そもそも細心大胆な漢が、この種の基本的なミスは犯す訳がない。わざとそうするのは、訳があってのことだろう。
 何しろ津村は、破獄術の達人である。獄舎の中でも自由に出入りする。高度な隠行之術まで心得ている。
 小柄ながら体力、腕力、知力、更には抜群の集中力に加えて、幼少期より特異体質を利用した修行を赤城山麓の山の中で、父・十朗左衛門から神道無念流の剣とともに仕込まれて来た。
 更に特異体質と言うのは、この漢、関節の包が柔らかく、それに併せて動かす場合の紐帯
(じゅうたい)の稼働範囲が広い。加えて両手両足に特異性を持っていて、掌(てのひら)や足の裏が吸盤のように吸い付き、また足の指が長くて、広がるのである。あたかも『山嵐』でならした西郷四郎の蛸足(たこあし)であった。
 どんな狭いところも、頭さえ入れば、あとは肩の関節を外し、あるいは手足の関節も自由に脱臼させて自在に出入り出来るのである。猫のような柔軟さを有していた。その猫が侵入時にドジをした。そういうことがあるだろうか。
 ドジの裏には芥子畑の悪夢が残像しているのか。

 「あの……、ちょっと、その辺を散歩でもと思いまして、ついふらふらと」下手な言い訳だった。
 「言い訳ですか!」
 「いいえ、言い訳ではありませんが、説明にはなると思いまして。退屈紛れに散歩をしてたということは説明にはなりませんでしょうか」津村はアンの弁に隙を見出して、そこを狙って何とか躱すらしい。
 「散歩ですって!」
 「さよう、散歩」
 「まあッ!」《何と言う人なんでしょ》と言いたげな貌をした。
 「自分如きが出歩いたとしても、いい歳のオヤジです。背丈は子供並みに低いですが、誘拐なんぞはされませんよ、ご心配なく。ちゃんと帰れます」
 「んまァ、開いた口が塞がりませんわ!」観察するように強い視線を注いでいた。
 津村は、《そう拗
(す)ねないで下さい》と言いたかった。
 「……………」津村としてみれば、返事に窮して、かなりこの場の居心地が悪い。
 そして思う。
 世を避け、人を避け、隠れて自分の存在を不明にしてしまうことは、なかなか難しいものだと思った。
 道教の仙人達は、隠者として、わが身をまんまと霞
(かすみ)の中に眩(くら)ますが、この術の難解さが、今更ながらに思い知らされたのである。わが修行、未(いま)だに未熟!……。
 この漢にしてみれば、一つの悟りだろうか。

 「先生、宜しいこと。わたくしたち、団体行動をしていますの、お分かり?そして此処は内地ではなく、始めての外地、それも五族が入り乱れる満洲です!」矮男オヤジの個人プレーを叱責したのである。《許可なく勝手に出歩かないで下さい》と言う言い草だった。
 「それは、もう重々……」表面的には項垂
(うなだ)れてしおらしい。だが演技だろう。
 「だったら、一人の不心得者が全員の足を引っ張ります。先生は、わたくしたちを全滅させるおつもり?」
 「全滅とは大袈裟でしょう」叱責されても全く反省の色がなかった。
 「その楽観が命取りになります!」
 「さて、こう責められては、自分としては如何に回答すべきか……、この点は難しい」と悩むように吐露したが、実に滑稽で、嘘ぽかった。
 「苦悶
(くもん)するには及びません。鉄道には駅と言うものがあります。乗り降りする場合、駅のホームを使います。お分りでしょうか」
 「では、自分としては今後、列車が線路上で停車した場合、勝手な散歩は慎みます」
 「そういう意味ではありません!」
 「さて、これをどう答えたものか……、益々難しくなりますなァ」
 「いいですか、先生。居場所を明確にさせておいて欲しいのです、一言ことわるなりして。自分一人で、ところ構わず、勝手に出歩かないで下さい。此処に居る全員は、生きるも死ぬも、一緒なのですから!」
 全員が一丸と言う。個人プレーとして、痛く指弾されたような気持ちになった。
 「反省しております」
 「といいながら、心の中では舌でも出しているのではないでしょうね」なかなか厳しい。
 「滅相もありません」
 「何だか嘘くさい……」
 「では、廊下に出て、バケツでも持って立ちましょうか」いい歳をしたオヤジが、小学生の子供のようなことを吐露した。
 「えッ?……。先生って変な人……、おもしろい……」《廊下に出て、バケツなんて……》と思う。
 津村の剽軽
(ひょうきん)が、何ともおかしくて、然(しか)もユーモアがあった。
 彼女は思わず“くすッ”と笑った。憎めない人だと思う。《この人は掴みどころがない……》とアンは思うのであった。これが人徳と言う無形の力なのだろう。
 「冗談ですよ、冗談。冗談に決まっているではありませんか」
 「でも、先生だったら小学生のように、“廊下でバケツ”と言うのも、似合うかも」
 「?…………」《こっちの方が一枚上手か……》津村。
 「先生、冗談。冗談ですよ。先生の冗談のお返し……」
 「いやはや……」
 アンは、して遣ったと思った。話術の影響力が恐るべき力を発揮し、ときに人を酔わせる効果があることを知った。まんまと乗せられたという気がしないでもなかった。
 「冗談に聴こえてよかった……」アンは胸を撫で下ろすように言う。
 「?…………」
 「さて、一件落着と言うところで、一息入れましょう。この列車から、ちょいと離れたすぐ先で、“さんざし売り”が出てましてねェ、お土産として買ってきましたよ。満人ってのは商魂逞しいですなァ」
 これは取り囲んだ聴衆の心を揺さぶりつつ、煙に捲きながらの饒舌
(じょうぜつ)であった。だが、そうは問屋が卸さない。

 「嘘でしょ!」驚いて訊き返した。
 「嘘ではありませんぞ!ほれッ、この通り。杏
(あんず)と姫林檎を飴で煮込んで、固めたお菓子です。どうです、ここらでお茶でも入れて、一息入れましょう」
 そういって懐から、菓子箱のような包みを差し出した。
 「?…………」
 全員は津村の話に沈黙した。一斉にと言う感じである。“さんざし売り”自体が信じ難い。
 だいたい、この銃声や砲声の響く中、どこに“さんざし売り”が出ているのか。これ自体が臭いのである。

 「あの……、津村さん。あなたは一体何処に行ってきたのですか。こう言う曠野のど真中に、“さんざし売り”など出る訳がないでしょ。だいいち付近では、銃声や砲声からも分るように、紅白両軍の衝突が起こっているのですよ。そのうえ街まで何十里もある。“さんざし売り”などと、異なことを言われる」こう口を挟んだのは吉田であった。彼は怪訝そうな貌をしていた。
 「まあ、そう仰らずに吉田さん。あなたも一つどうです?皆さんで“さんざし”でも摘んで、お茶にしましょう」そういって菓子箱を吉田の鼻先に突き付けた。菓子箱の匂いで信じ込ませた。これは話術の妙か。
 人間、一度
(ひとたび)手に乗せて信じ込ませてしまえば、人間の思い込みは、そう簡単には変わったりしないものである。やがて定着してしまう。
 この場に居合わせた者は、言葉や雰囲気で酔わされた観があった。あるいは津村の話術に呑まれたと言うべきか。

 「うム?……」と吉田は思う。
 だが津村の差し出した菓子は、“さんざし”といえば“さんざし”だった。
 “さんざし”は匂いからして、杏と姫林檎を煮固めたものであり、甘酸っぱい匂いがする。
 では、これを何処までいって買って来たのか。
 吉田には最大の疑問であった。彼は津村をじろりと睨
(にら)みつけた。だが、性急な言葉は控えた。詰問するには事情が分らな過ぎる。話をもっと詳しく聞きたかったからである。
 果たして“さんざし売り”が出ていたという話、本当だろうか。そして“さんざし売り”が出ていたとして何処でどう都合をつけて買ってきたのか、吉田は、遂に分らず仕舞いであった。
 また津村は、こういう事は黙して語らずの人であることは百も承知していたからだ。


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