運気 八門人相 房中術 癒しの杜 菜根譚 小説 会報Back No. 合気 蜘蛛之巣伝 死の超剋 霊的食養 心法
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旅の衣・後編 10

人間、七十年も生きてくると、全人生を見渡すという心構えと態度が身に付いてくる。
 若い頃は目の前のことしか観測できなかった。
 見通しが立てられず、そのために躓きが起こり、苦難に悲しむことがあった。七十年も生きれば、そういう歳月がいやというほどあった。だが、老いた今、ようやく全体が見渡せるようになった。
 こういう見方を、もし若い頃の出来たらと思うが、やはりこれは風雪に耐える修行をしなければならないようである。


●読まれた行動パターン

 姉の商売の信条は「始末・道具大事・早起き」の三箇条だった。
 これは元を正せば、武門の武門の考え方で、高校時代か大学時代に平戸の祖母に武士の家を為来
(しきた)りを教え込まれているのだろう。
 日本には『士魂商才』という言葉がある。
 この言葉は、武士の精神と商人の才とを兼備する意味である。
 商人は「利を道」とする理才の人を言う。文武とともに理才も兼備していなければならない。
 これは武人に「武の道」があり、賢人に「文の道」があるがことく、商人にも「利の道」があることを意味するのである。
 武士の精神を「士魂」というが、武士と雖
(いえど)も霞を喰って生きられるわけでないから、士魂商才は決して無視出来ず、これは武人の将来において重要な問題点となる。
 したがって多くが思い込んでいる、古来より武人は、「銭
(ぜに)を愛さず」というような思想が頭の片隅に残っていて、それを信条とは違うようだ。

 財なくして君主に、ご奉公できず。祖母の持論だった。この財とは、個人の財ではなく、“いざ”鎌倉と言うとこに駆け参じる財のことである。そのために有事に対して備えておく財のことを言っているのである。いざとなれば、個人でも自ら蓄えた財を全体のために抛って奉仕するという考え方であった。根本には惻隠はあるろ思うのである。人民への奉仕。草莽への哀れみ。弱者への労りがなければ、そもそも武門は存在価値を失うのである。貫かれた精神は惻隠の二文字であった。そこに全人格を打ち出す。これが言わば旗印であり、この旗の下
(もと)で、「みな、死のうではないか。この旗の下で」という、道に生きる姿勢が貫けると思うのである。大旆(たいはい)を掲げるのである。依って以て、死ぬ道を見付けたとき、その心情が訪れる。

 惻隠には、道に沿って自分だけが生きていこう。栄えて行こうという考え方がない。自分が生きるのでは道の本当の価値がなくなる。道と一緒に死ぬのだ。道とともに亡びよう。こういう極地に辿り着きき、窮した後に得た真理こそ、まさに行動を伴う本当の道の姿であり、此処に至って、天下は寛
(お)おどかとなる。心は朗らかとなる。いまさら何を恐れよう。何を動揺しよう。
 力ある生き方とは、これではないのか。此処に辿り着いて努力は実るのではないか。努力ポーズの徒労努力が結局は「努力は実らない」となってしまうのではないか。こう考えるのである。
 真実の奮闘。
 それは惻隠の旗印を掲げたときに通用するものなのである。
 斯くして、懦夫
(だふ)も勇者になる。

 明治期、祖父の米相場の失敗によって、岩崎家は一家離散の憂き目を見た。
 ところが、父に当る兄、つまり叔父に当る人が海軍佐世保海兵団に、特別年少兵として入隊し、水兵の僅かな給料から岩崎家に送金し、父以下の弟や妹のために懸命に働いた人だった。戦時中は父以下、総ての男子は戦死してしてしまった。
 私はこの叔父たちは一度も見たことがないが、父の直ぐ下の叔父は陸軍特攻隊員として、爆撃機の航空機関士として敵艦に体当たりしている。陸軍航空隊は戦闘機だけを特攻に遣ったのでなく、爆撃機や重爆撃機なども特攻に使い、これらの機は航空機関士がいないと飛行機は飛ばせなかった。戦前・戦中は、岩崎家の男どもは叔父と父を残して、みな死んでしまった。
 叔父は、戦後は親和銀行に勤め、私が子供の頃、よく聞かされた話は「金は穢い」というものだった。それは衛生上で穢いと言うのであろうが、霊的にも人の怨みが籠っていて、その穢れをとるには金の勉強をせよと諭されたことがある。

 戦後、岩崎家は叔父のお陰で、再興していたが、その中核には祖母が居て、祖母の発言と行動に関することは絶大だった。その祖母をして、武門の家は「始末・道具大事・早起き」の三箇条だった。あたかも、商家の見紛うほどの格言であった。この一つでも守られぬようでは他に奉仕することは出来ないと言うのであった。
 軍資金なくして戦
(いくさ)は出来ぬ。
 祖母の考え方は、武士が清廉と言われる一方で、口先の徒でなく、約束を厳守し、裏切らず、全人格を前面に打ち出し、惻隠
(そくいん)をもって応えることこそ、武士の本分と思っているような人だった。
 中江藤樹の陽明学思想を自らの生き方に宛ているようだった。凛
(りん)として、威厳のある前時代的な武士の妻女という人であった。
 姉は、そういう祖母から教えを受けていた。大学時代、薙刀部に入っていたから、その共通する一面も持っていたのだろう。その後も度々平戸を訪れたことがあるのであろうが、背後には祖母に厳しい金銭に対する哲学を仕込まれたのであろう。
 現在の茶亭『福美』の隆盛も、祖母の金銭哲学の教えを生かしたからであろう。


 ─────私は「捕獲者」として、指名手配犯人のように追われていた。
 その背後に女三人の「智」と「策」が働いていた。だがそれは姦
(かしま)しく動いていないように思える。
 智と策のうち、松子は刺客だった。「送り狼」の経験がある。
 松子はターゲットを闇に隠れて尾行し、徹底的に尾
(つ)け回して猟るハンターとしての術を心得ていた。もと刺客である。獲物を追う巧妙な策ぐらいは知っているだろう。智に併せて、策が付随した。この小娘が厄介なのである。

 猟りには二種類の方法がある。一つは集団で猟る方法である。
 例えばハイエナなどがそれである。人間に譬えれば、作業の分配である。この集団狩猟法は地点を設けることである。
 A地点とかB地点とか、更にはC地点を設け、集団で猟をする方法であるが、その特徴として勢子
(せこ)という煽動者がいることである。この勢子がアジテーターとして誘導する役目を持つ。追い立て役である。時として、依頼主の会見代弁者としてスポークスマンになったり、世論工作のためのエージェントを勤める。
 この仕組みは、囲いに追い込んでターゲットを討ち取るという仕掛けを施すことである。
 この集団狩猟法の特徴は罠を仕掛けることである。この遣り方は人間を猟る場合に極めて有効である。
 ターゲットを絞り、罠を仕掛け、最後は射止める。確実にそうなるように巧妙な仕掛けを作るのである。撒き餌をしたり、誘惑をしたりの「こかし役」というのも工作員の特技である。そしてトップのターゲットを、身動きならぬように雁字搦めにして猟ってしまうのである。

 その一方で、一匹狼という単独で猟る方法がある。この方法は巧妙な心理戦を使い、悩ませながら、猟ってしまうのである。動物に譬えれば、狼が鹿を猟る場合に用いる「送り狼」という猟の仕方である。
 細作
(しのび)という術者もこれに当る。猟り方は送り狼である。細作は闇に溶け、ターゲットを悩まして猟るのである。
 送り狼という言葉が、どこから出て来たかは明確ではないが、“山中などで、人の後を追って来て襲うという狼”というらしい。だが他方の解釈として、狼が鹿などを猟る場合に使われたのではないかと推測する。猟をする狼の心理戦を言っているのであろう。
 狼は足の速い鹿を同じ速度で追うことはない。ただ尾行するだけである。尾
(つ)けて、遠くから窺っているポーズを執(と)る。こうなると鹿は足の物を言わせることはしなくなる。ただ尾いてくる狼が気になるだけである。脚力に自信のある鹿も、狼に尾けられたのでは余裕を無くす。脚力に自身とある生き物は、追われる構図に限り、足の物を言わせることがである。
 鹿は、とにかく狼が気になって仕方ない。尾いてくる狼に注意を集中するが、他の危険には注意を払わなくなる。狼の尾行を警戒することで精一杯なのである。こうなると、仮に人間が目の前を横切っても、気付かないのである。ただ、狼が気になって仕方ない。狼しか見ていない。狼は鹿を尾行して、暫くすると狼は休む。それに合わせて鹿も休む。狼が歩き出すと、鹿も歩き出す。精神的に魅入られるのである。狼の巧妙な心理戦であり、この精神状態は、鹿にとって、まさに恐怖そのものであろう。
 やがて鹿は精神を疲弊し、極度な恐怖で折れてしまう。どうにもならない錯乱状態に陥る。その結果、あっさりと殺
(や)られてしまう。狼のしたたかな心理戦である。

 かつて松子は、これを私に仕掛けて猟ろうとした。それも5万円で請負い、ドラム缶詰めにして洞海湾に沈めて、この金額である。ふざけた話だった。そこで、逆スパイとして改造した。完全に改造されたと信じていた。あるいは、思い過ごしだったか。背後に何者かが、闇から影の指令を出しているのか。
 ところが、付かず離れずの“ただ尾行するだけ”となると、話が違って来る。どうも違っている。あるいは複数の指令者が居て、私を猟ろうとしているのか。こうなると益々違ってくる。事は複雑に絡み合う。
 この構図を考えてもらえば直ぐに分ることだ。
 鹿が少し行くと、狼が尾いて来ている。そしてまた、暫く行って後ろを振り向くと、やはり狼が尾いて来ている。精神を悩ます構図である。
 歴史に学べば、抗日運動を展開する八路軍が、日本軍と蒋介石の国民党軍に仕掛けている。
 毛沢東の「一を以て十に当たり、十を以て一に当たる」がこれである。少人数の遊撃隊
(guerrilla)でも、大軍に付かず離れずして、遠くから悩ますのである。日本軍も中国国民党軍も、巧みな心理戦を使う毛沢東の紅軍に敗れたのである。
 だいたい猟って5万円にしか値のつかない私如きを猟って、誰が得をしよう。粗大ゴミ同然の獲物を猟る奇特な依頼主は居まい。

 「おれを捕獲するか、鯨や牛であるまいに。捕獲とは、これ如何に?……」独り言である。
 捕獲とは……。実にふざけた話である。
 相手がその気なら、ひとつ、これを躱
(かわ)してやろうじゃないか。裏をかいて、北九州八幡まで還って遣ろうではないか。それも一文無しで。意地であり、痩せ我慢であった。
 女三人の連合軍は、私の行動原理パターンを読み切って、人間狩りを楽しんでいるのかも知れない。私は猟られる適当な媒体なのだろう。豚かも知れない。頭の体操の玩具なのだろう。このゲーム、私が捕獲されればゲームセットである。
 逃げ果
(おお)せるためには、猟をする彼女らから、少なくとも一週間以上身を隠すことが出来れば、私の勝ちである。それを遣ってやろうじゃないか。
 だが何故、こうして追われなければならないのか。その理由は何か。
 振り出しの戻って、「なぜか?」を考えると、釈然としないところが出てくる。
 単に、身柄を捕獲してその消息を確かめるだけなのだろうか。それは一文無しが、無事であればいいことなのか。何処かに反れて、墜落したり、糸の切れた凧のようになって居なければいいのか。
 であるならば、何も逃亡劇をしないで済むではないか。
 決着をつけるには、電話一本掛けて無事を知らせればゲームセットではないか。


 ─────私は12輪の大型トレーラーの運転手の好意で、博多まで運ばれていた。
 「兄さん、また検問ですぜ。今度は派手に張り込んでいる。動員人数が多い。警戒態勢が異常だな。今までにこんな大掛かりな捕物をみたことがない。これが、ちょいとした大捕物になりそうだ、どうするね。前方に停まっている西海水産のトレーラー、わしらの運転手仲間なんだ。あれには助手が乗っている。やつのユニホームを借りて、入れ替わってみるかね」運転手は何だか声が硬かった。緊張しているのであろう。
 警察車輛の赤色回転灯が無数に点滅していた。
 車が検問を前に、長々と昆虫のように繋がっていた。闇の烱
(ひか)るテールランプが奇妙なイルミネーションとなっていた。いったいこの異常は何か。
 高が私一匹を猟るのに、こうした非常体制が執
(と)られるものなのか。あたかも戒厳令を髣髴とさせるではないか。
 それにしては、何だか訝
(おか)しい。私以外に逃走犯がいるのか。あまりにも物々しいではないか。
 「では、お願いします」
 「一分以内に話を付けてくる。直ぐに戻ってくるから、移動の準備をしておいてくれ。必ず逃がしてやる。あとは大船に乗った気で、任しときな」
 運転手は機敏に降りて駆け足で前方のトレーラーの運転室へと疾った。その後ろ姿が何故か硬直しているように見えた。背筋が石のようだった。いつしか私自身も、全国指名手配の逃亡者のような錯覚を抱き始めた。
 時間は一分と言いう。
 この時間がまた長い。自然と手足が突っ張って来た。なぜか額にまで脂汗が流れていた。
 一分以内。
 運転手は、そう約束してくれた。
 「兄さん、話、まとまったぜ。こいつのユニホームの上衣だけを借りな。そしたら西海水産の者に見えるだろう」
 「ありがとうございます」
 一緒に連れて来た若者のユニホームを借りた。そしてTシャツの上に羽織り、手を通した。
 「よし、わしはここまでだ。ここで交替しよう。いいかい、兄さん。捕まるんじゃぜ。逃げ果せることを祈っているからな。グッドラック」運転手は親指を立てて無事を祈った。
 私が「義によって……」と言ったことが、今は逃亡者だが、それには冤罪的なものがあって、逃亡者は仮の姿と思い込んでいるようだった。それだけにこの御仁も、自らは逃亡者の逃走を扶
(たす)けることが「義」なのである。この御仁は自分が、いま歴史の中に生きているということを、ひしひしと感じているのだろう。
 内心はハラハラ・ドキドキしながら、これまでの退屈な人生にピリオドを打ったような感じだった。これまでの微温湯の中に熱い湯が濯がれて、シャキっと目が醒めたのであろう。弛んだ肌が引き締まったのである。

 私も指を立てて「グッドラック」といって、前方のトレーラーに疾った。
 「あんたかい?」前方のトレーラーの運転手は快く迎えてくれた。
 交替したトレーラーの運転手は気さくに聲
(こえ)を掛けた。こういうのを恐るべき偶然、あるいは好運というのだろか。ツキは見放していなかった。しかし、いいのだろうか。
 再び、好事魔が多しが繰り返された。どうやら好事恐怖症に罹ったらし。

 「お世話になります」
 「いいってことよ。必ず逃がしてやるぜ」
 この運転手も交替した運転手から、私の大まかな素性を聞いたのであろう。実に協力的であった。
 「よろしくお願いします」
 「ところで、八幡だったな。この車、北九州高速を抜けて、次は下関直行なんだ。急ぎの荷を積んでいる。八幡となれば、その途中だが、まず下関に一緒に行ってもらって、そこから折り返すと言うことでは?」
 「では、下関までお願いします」
 「八幡でなくて、すまんな」
 「構いません。少し戻ればいいこと。下関で降りて、単独で行きますから、お気遣い無く」
 「そうかい。さて、やっこさんら、こちらに来るぜ。安心しな。軽く去
(い)なせばいいこと、わしが躱すから黙ってな」
 「お願いします」
 二人一組の警官が遣って来た。先ほどと同じような作業を行われたが、いったん車外に出され、警官は車内を念入りに調べあげていた。運行助手にされて正解だった。もし下に潜り込んで隠れていたら、間違いなく発見されていただろう。危ういところだった。
 さて、この厳しい検問をどう解釈するべきな。追われているのは、果たして私なのだろうか。あるいは別の事件の逃亡者か、重大犯罪者を追い掛けているのだろうか。この辺が定かでなかった。

 再び反芻
(はんすう)してみる。
 嬉野を出発した時点に、何があったのか。それを、つらつら考えてみる。
 私の痩せ我慢が仇
(あだ)になって、姉は「勝手にせい」となった。そしてバスで武雄駅に向おうとした。
 だが思案すること多々あり、他は眼中になかった。景色は見えなかった。そこで見逃しや聞き逃しがあったかも知れない。その途中、休んだ。雨に降られた。そこで文香さんに遭
(あ)った。乗れと誘われた。痩せ我慢で辞退した。文香さんは怒ったふうで、私を置いて行った。これも、いわば勝手にせいである。
 私は勝手にした。
 この私の勝手を、その後、どう解釈したのだろうか。気になるところである。
 おそらく、その後を追跡して分析したと思われる。あるいは放置しても構わないのだが、姉と文香さんの「勝手にせい」は共通項を持っているように思うが、この共通項に松子の考えが加わると、どうなるだろか。
 この点が不明である。
 一文無しでも、ヒッチハイクするかも知れない。松子はそう助言したのかも知れない。またヒッチハイクをしたということについて、姉と文香さんは「猿くらいの知能はあるのね」と嘲笑したのかも知れない。
 猿程度か……。
 もしこのように踏んで、こう認識したのであれば、同じ猿でもアウストラロピテクス程度ならば、石器の使用は可能である。この石器を使わずして、どうする。猿人は直立姿勢がとれるのである。直立姿勢をとってやろうじゃないか。そして立つばかりでなく、足で移動ぐらい出来るのである。

 トレーラーは佐賀県から福岡県に入った。いったん三号線に入って、此処から再び高速の乗り、一気に関門トンネルを抜け下関に直行する。福岡県に入ると、もう検問はなかった。高速を快適に走り抜けていた。
 ここまで来て、あの検問は佐賀県だけだったのかと思った。
 これを判断するのに二つある。一つは、あの検問はその時間、何者かの重要犯人を捜索するための特別警戒で、犯人が逮捕されるなどして、一斉検問はその時点で落着した。
 もう一つは佐賀県内に限りであり、県内では今もなお検問が行われている。そのために捕獲は未だ終了していない。つまり、佐賀県内をうろついていると看做されて捜索が続いている。その何れかだろう。しかし、ここまで抜け出してしまっては、後者は多大な浪費だろう。税金の無駄遣いであろう。それを政治的圧力で何者かがしたことになる。

 私としては、此処まで来てしまった以上は、もうどちらでもよかった。「なんとかなった」のである。
 暁闇のすいた道路だったので、意外にも早く下関に到着した。トレーラーは集荷基地に入った。空がやっと白んだ朝の早い時刻だった。この基地は下関港の近くにあり、向こう側に門司港が見えていた。僅かな距離だが関門海峡を挟んで本州と九州を分けているのである。この海峡は潮の流れが速いことで知られている。
 此処で私は西海水産のトレーラーの運転手と別れた。運転手は逃亡資金として、「少ないが」と断って、三万円を握らせてくれた。私は「結構です」と断ったが、是非ともと言うことで掴まされてしまった。
 運転手は言った。
 「これは、兄さんといろいろ興味深い話をしてもらって、事故もなく、検挙もされず、兄さんを此処まで無事逃がし終えたという感謝も意味もあるんだ。これ、アルバイト料と思って、黙って受け取って貰いたい」
 こういって、押し付けられるように握らされたのである。
 一文無しの私としては有難いことであった。
 別れ際、運転手は「握手をしてくれ」と言うので、右手を差し出して握手するとき、二ヵ所の刀疵
(きず)に気付き、「凄い刀疵だな」と驚くより、感動したようだった。この御仁も倶利迦羅紋紋が好きなのだろう。
 人の情けに縋り、惻隠を感じたとき、日本人共通の温情に触れたような気がした。
 一つの勇気を感じた。懐疑も不安も消えれば、臆病者でも勇者になる。
 そこにあるものは、だた前進するのみ。闘って生き尽くすという心境である。
 死のうと決意したのであるから、死んだとていまさら後悔はない。死んでも惜しいとは思わない。そこに至れば不思議なことに、死ぬどころか却
(かえ)って生を得るのである。人を生かしむる偉大な行動は、ここに生まれるのである。

 これから先、下関から門司へと渡り、門司港駅から小倉まで向って、西鉄電車の乗って八幡大蔵まで行くことにした。なぜかアパートには戻りたくなかったのである。実家に戻って、工事の進み具合を確信したかったからである。
 実家に辿り着いたのは午前八時頃であったろうか。よく辿り着いたものである。
 工事屋は朝が早かった。ユンボが唸る声を上げて動いていた。土木仕事が絡んでいるためか、熟練の年配者が何人がいて、秋月こと馬が指示を出していた。こうして一望すると、どうしても姉の茶亭を比較してしまうため、やはり狭いと思うのである。
 隣の老夫婦の老人ホーム行きが決まっていて、此処を買収する段取りも進んでいた。敷地は併せて230坪になるが、決して広いとは言えなかった。勿論、母と二人で暮らすには広過ぎる家であろうが、全体に奉仕するには狭過ぎる家屋しか建たない。私が兎小屋と揶揄したのは、個人の住居に対してではなく、大勢が利用する場所として、兎小屋然と言ったのである。

 それにしても、秋月の奥さんは美人で器量好しというだけでなく、よく働く人だった。この原動力は何だろうと思うのである。おそらく夫婦共通の同じ共通項と言うものがあって、言わば亭主の夢に一枚噛んだ協力者なのであろう。夫婦が同じ方向を見ているから、こうした働きが出来るのだろう。目的地は亭主も女房も同じ処を目指しているのである。そのように映った。
 気紛れに、嬉野まで松子を伴って足を伸ばし、かつての悪童に再会したが、破戒僧・金田亮燕はオランウータン1号こと雅代を嫁に迎えていて、曹洞宗霜龍寺の巳堂老師によく仕えていた。雅代は破戒僧と揶揄される亭主のよき協力者でもあった。これも偏に、夫婦どもども目指している目的地が一緒なのだろう。
 また前山
(さきやま)種苗店の若旦那の翔太は、オランウータン2号こと公美(まさみ)を嫁に迎え、これも種苗店を盛り上げていくことで、目指している目的地が一致しているようだった。

 二組の夫婦は目標がブレていないし、目指す目的地も同じなのである。双方何れかが途中下車などしないのである。また不倫もアバンチュールも今ところないように思われた。そして秋月夫婦も同じだった。
 みな人生のよき伴侶を得ているのである。こういう夫婦は、一生退屈しないだろう。
 同じ方向への共通項をもった人生を夫婦伴どもに歩くならば、もしかすると死を代償とするほどの快感を感じることがあるかも知れない。これは途中下車の片割れでは感じることの出来ない喜びである。
 私がこれまでの見てきた夫婦像は、よきパートナーを得ることで、死を代償とするほどの未来がその先にあるのではないかと言うことである。
 死を代償とするほどの快感……、それは愛を媒介として得られるものなのであろう。だが、これは単に肉愛を通じてのみでは得られないものである。こうなると人間の心を荒廃させる眼に見えに退屈は駆逐されているだろう。

 では、私の場合はどうか?……。
 由紀子との再会は運命の悪戯か、彼女の気紛れから始まったものであろう。
 思えばこれまでの彼女は退屈であったのかも知れない。それが綱渡りの下手な曲芸師を見て、退屈しのぎの雨宿りをしたのかも知れない。退屈は、貧富の差なく遣って来るものである。貧乏人でも退屈する。中間であっても、それ以上の金持ちであっても、退屈は襲う。そして貧富の差なく、その退屈の中で不倫を働き、アバンチュールを求めて異性の中を飛び回り、時には姦通や強姦を働く。
 人を欺き、陥れ、騙し、犯し、掠め、奪い、魂まで盗む。
 この元兇は何だろうと思う。そして側面には、孤独が転がっている。
 果たして大東亜戦争当時、孤独は存在したのか。退屈は存在したのか。おそらく内地にいても空襲で逃げ回るに精一杯の時代であった。食糧に事欠き、食べ物を求めて徘徊したであろう。孤独も退屈も無縁の時代であった。生きるに精一杯の時代であった。
 だが微温湯に浸かった平和ボケの平時。退屈も孤独も駆逐できないで、逆に精神を病み始めた。幸せと感じた結婚生活も、半年もすればそれが幻影だったと思い知らされ、そこから退屈が始まり、夫婦のそれぞれが目標とする目的地を見失い、孤立してやがて孤独に陥っていくのである。

 私はこのとき退屈はしていなかったであろうが、孤独であったに違いない。
 由紀子は権威に目覚めて、小児科医学連合会の学術会議に小児科部長と随行して上京した。
 また、私は私で(株)山善プランニングの山師的な策を考え付き、それに奔走していた。双方とも完全に分離していた。
 現代の世は秘密主義が横行しているため、守秘義務と言うのがあって親兄弟は勿論、夫婦でも明かしてならないという奇妙な孤独主義が横行している。もう夫婦すら孤独の風に晒されているのである。相談相手が居ない、本当に聞いてもらいたい洩らす相手が居ない……。孤独主義の直中に現代人いる。こうした関係にあって孤独は必然的な結果であった。夫婦も一心同体ではないのである。
 夫婦で男女が一緒の屋根の中に居て、もうこの状態でアパート暮らしなのである。隣近所も人は棲んでいても、その人が何をする人が分からないばかりでなく、声を掛けられない、掛けてなならない人になってしまったのである。その関係が、夫婦の中にも入り込んで来ていたのである。夫婦の関係はセックス付のルームシェアなのである。

 秋月が私に気付いて、駆け寄って来た。少し慌てているようだった。
 「おい、岩崎。おまえ何処に行っていた?」
 彼は詰め寄るように訊いた。
 「どこに行っていたって、資金集めだよ」
 「お前のお袋さん、体調を悪くして昨日、救急車で運ばれたそうだぞ」
 「何だって?!どこの病院だ?」
 「製鉄病院だ」
 運ばれたのはいいが、救急隊を誰が呼んだのだろう。
 「わかった」
 一難去って、また一難であった。好事魔が多しとはこの事か。
 「それに昨日から、嬉野局だがなあ、何回も電話が掛って来た。今朝も、お前が戻る前にだ」
 「嬉野……」
 これは一体どういうことだろう。
 「早く連絡しろよ。えっと……、そうだ。県立T高に行っている松子さんと言う人からだ」
 秋月は、初日の工事のとき、松子が県立T高の体操着を着て檄
(げき)を飛ばしていたから、そう思ったのだろう。それに甥の坊主も県立T高だった。また松子の声で、そう分かったのだろう。
 言われる通りに、嬉野の姉の家に電話した。直ぐに姉が出た。
 「おれ」
 「おれって、どこのおれ?」姉は怒っているようだった。
 「だから、おれだよ」
 「おれじゃァ、分かりません。お名前は?」
 「いやだなァ、そう言う返事されちゃ……」
 「はいはい、じゃあ、代わります……。松子ちゃん、おれから電話だって」
 「健太郎兄さん?」
 「おれだ、何か用か?」
 「緊急の際ですので単刀直入に、単細胞でも理解できるように要点をまとめると、その一、急性肺炎で入院した。その二、現在、八幡製鉄病院の緊急の集中治療室で治療を受けている。その三、その治療に由紀子さんが立合っている。以上、この三つ。では、今からどうすべきか考えて下さい。難しい謎解きではありません」
 「分かった。そこまで万全な支援体制が出来ているなら、おれの出番はないから。じゃァ、“馬”の仕事でも手伝って、“馬”から馬車馬のように扱
(こ)き使われて、穴掘りの土方作業でも遣るよ」
 「もしもし、気は確かですか?」
 「確かだが……」
 「かなり一般常識から外れていると思うのですけれど」
 「そうかな」
 「もう知らない、勝手にしなさい」
 「昨日も言われたよ」
 「もう、バカバカ……」松子は怒って、受話器を叩き付けるように切ってしまった。

 私は、これを案ずることはないと採った。気は確かではなかったのだろうか。
 さて、これから土方作業でも手伝って、少しでも労働経費を浮かすか。私が出来ることは、これ以外にはなかった。昨日以来、粗大ゴミ然であった。果たして、これ以上のことがあるだろうか。
 個人的には、急いで見舞いにいきたいのは山々なれど、ここは個人を排して奉仕の一員として踏ん張るしかない。これを狂った行為、異常者の行為、世間の一般常識から外れた行為を指弾するのは優しい。
 だが指揮官は時として常識破れのことをして、世間に倣わなくてもいいのである。公私混同を帝王学は、最も嫌うのである。もし、私が集団を率いる長の坐になければ、真っ先に、何を差し置いても病院に直行するだろう。それでこそ人間であり、人の子である。
 だが人の子も、時として非常になり、親子以上に厳守しなければならぬ掟がある。長として帝王を自負するならば尚更だろう。

 あるとき、偶然にもアメリカン大リーグのマリナーズとの対戦相手は忘れたが、その試合を見ていた。そしてマリナーズの監督は、娘の何らかの祝いの席に出ていて本日の試合は欠席で、格下のコーチ格が陣頭指揮をとって、この試合を負けた。イチロウもさっぱりだった。米国の個人主義、その将来は殆
(あや)うしとこときばかりは痛感した。監督は、全人格において球団と契約したのではなかったか。
 それを、「娘のことだ」とは、この国の指導者は、その程度の帝王不在の国だと思ったことはない。
 また、日本でも、ある国会議員が「おれにも育児休暇を与えろ」とほざいた若僧が居たが、これなどは最初から国会議員の資格を失っているであろう。育児休暇が欲しければ、国会議員などならず、会社勤めして、ふつうのサラリーマンになればいいのである。役人風を吹かす必要なない。また不可解なことに、有事の際でも育児休暇を認める議員立候補者に、一票を投ずる日本国民の選挙感覚も高が知れていると言うことになる。
 現代の日本では、人民が人民を選出するという選挙意識は外国に較べてレベルが落ちるのは「この程度」の国民であるからだ。
 昨今に日本では、小学校などでは父親参観日と言うのがあって、サラリーマンはこれに有休を取って出掛けるそうだ。だが、これを決して批判する気持ちはない。民主主義国家の「民主」と云う言葉の意味は、誰もが一廉
(ひとかど)の人物というが、裏を返せば、「誰一人、重要人物でない」と言うことになる。
 民主主義が、人民の中で巧く機能していない証拠である。最高のシステムと信じられているこの政治システムは、最終的な域まで達していないのである。

 私は決して薄情な人間ではない。
 しかし薄情と思われても、それを否定する気持ちはない。だが決して人非人ではないと確信している。世間風に躍らないだけある。風潮に煽られないだけである。俗にあって、俗に染まらないのである。
 松子の報告によれば三項目で、解すれば急性肺炎で病院に担ぎ込まれた。その後、集中治療室で治療を受けている。その治療には医師である由紀子が立合っている。この状態を、これ以上、どう案ずる必要があろう。
 そして、いま私が出来ることは、作業を手伝うことだけしか役に立たない程度の人間である。
 自らを知れば、結局そうなる。狂っているのだろうか?……。
 ただ身の程を知って、長
(いさ)の非常を実践しているに過ぎないと思うのだが、読者諸氏はどう思われるだろうか。感覚は、経営者か雇用者の関係であり、経営者は雇用者と同じレベルであっては最終的には責任が取れないだろう。経営者が雇用者一人を雇うと言うことは、その下にぶら下がる四人の家族の面倒をみると言うことである。

 「おい、お前。病院には?」
 「行かないよ」
 「何だって?」気は確かという訊き方だった。
 「いいんだ、どこを手伝えばいい」
 「おい、本当にいいのか。昨日は大変だったと聞くが」心配そうに訊いた。
 「昨日は、おれも大変だったんだ」
 「そうか……、なんか分からんが。では、今から測量するから、うちやつと同じように測量標を持って立ってくれないか」といって、測量器のアリダードやトランシットを据えた。また緯度儀を覗き、手で左右の位置を指示していた。
 だが、こうしている私も、決して心境は穏やかでなかった。勿論、脳裡には母のことが心配であった。だが狼狽えても仕方がない。古来より、長はこの試煉に耐えて来たのである。耐えられないのなら、長は辞退するべきだろう。

 朝から正午まで、測量の手伝いだけでなく、労働と言う労働をして額に汗した。昼食を挟んで、また午後まで働いた。晩夏とは言え、また暑い。首にタオルを掛け、上半身はランニング一枚で、下はズボンに地下足袋という姿で肉体労働をした。ユンボは入って来れないところは、鶴嘴とスコップで掘っていくしなかない。
 鶴嘴を目一杯振り上げ、そして落下の重力に併せて固い土を穿
(うが)つ。こう言う箇所は人間削岩機以外ないのである。
 ひとふり、振り下ろすたびに汗が飛び散る。労働しているという実感があった。


 ─────1日の労働が終わった。日が落ちた夕刻のことである。外はヒグラシが「カナカナカナ……」と哭いていた。寂しい、夏の終わりを告げる哭き方だった。私はこのヒグラシの「カナカナカナ……」を高く美しいと表現する人が多いが、なぜかうらびれた寂寥を感じるのである。

 これから病院にでも行こうか……、そう思った時である。ふと図嚢
(ずのう)の中身が気になった。
 私が図嚢に入れて持ち帰った子平直政のメモランダムを読み始めていた。無意識の行動であった。

 「昭和32年、松子さま、4歳。姫さまを伴い、放浪の旅に出る。途中、追手あり。その尾行者不明。のち尾行者の輪郭浮上。心当たり有り。わたくし、子平直政は憲兵中尉以来の事件追及の結果、戦後、日本で樺太庁庁舎本館から出火工作を図った意外なる人物と奇
(く)しくも遭遇する。爾来(じらい)、松子さまを連れて各地を行脚(あんぎゃ)する……」とある、旅から旅のその経緯に付いてである。

 なぜ子平直政は、旅に明け暮れなければならなかったのか。この謎が妙に引っ掛かるのであった。
 推測からすれば、追われていたことが分かる。何者かに追跡されていたと窺
(うかが)われる。
 その起因は、樺太庁庁舎本館から出火に関わりがあると思われる。その調査に当り、樺太・豊原憲兵隊から派遣された調査班の班長を仰せつかった子平憲兵中尉であり、出火は本館フィルム室より火の手。放火による疑い大。犯行はソ連軍工作員と思われる。
 この放火事件で陸軍省法務局の山村芳樹
(芳繧斎)中佐が調査に来る。フィルム室は、日本軍のプロパガンダ工作の映画フィルムが収録されていて、日本軍が戦争終結の模索を始めていた頃である。この事件に関して何かがあったことを窺わせる。子平が松子を連れての諸国行脚は、実は追手を逃れての逃亡ではなかったかと思われる。

 子平のメモランダムは更に続く。

 昭和33年10月20日、杖立温泉に到着。松子さま、5歳。杖立川に沿って些か険しい山道を歩き、やっとの思いで到着した。松子さま、幼少とは言え、その脚、健脚。周囲は雑木林の紅葉、鮮やかなり。絵心のない小生とて、思わず驚嘆し一瞬、絶句する。杖立温泉の湯治場旅館、『神納屋』に逗留する。旅館の主人は温厚で親切な人であった。また宿屋の夫人も、松子さまをよく構って、小生、感謝する。黒目がちな大きな瞳で笑うその笑顔、なんとも可愛らしい。もし、お妃の祥子さまが生きてお出でだったら、どれほど喜んだであろうか。だが、それも束の間、背後に暗躍の影あり。追手か。だが、追跡者が釈然とせぬため、その影、はなはだ煩わし。
 同月、26日、杖立温泉より日田へと移動する。その道中にも影有り。杖立より日田まで村人によれば六里ほどという。おおよそ24キロであろう。紅葉、ますます深し。あたかも赤絵の具を打ちまけたような雑木林の色彩、目が覚めるものである。その山中移動において、松子さま。途中で止まっては、落葉を拾い聚
(あつ)め、あたかも宝物のようにして、ご自分のクレヨンケースに仕舞われた。その表情、愛らしさに尽きる。その日の夕刻、日田盆地にある『日田屋』なる木賃宿に宿泊する。近くには川があり、堪えざる水の音が響いていた。だが、その音に紛れて、不穏な跫音の接近するのを感じて警戒す。この宿に逗留すること三日。
 同月、29日、日田より筑前英彦山町に向う。ここ英彦山町は町とは言え、実は村であり、紅葉が時雨れる中、松子さまの手を引き、元亀石坊庭園を伺い、ある人物と会う。この地は内務省指定の庭園であり、その利用者の多くは官憲あるいは大東亜戦争当時の戦争指導者らが利用した景勝地である。小生が訊ねるに至ったのはこの地に、故俊宮奉文さまの陸軍大学校同期の、もと水田義男陸軍中将閣下が居られるからである。奉文さまは生前、水田閣下に預けたものがあると聴いている由、それを受け取るためであった。
 翌30日、水田閣下のお屋敷を訪れたが、その日の面会は断られた。仕方なく、後日に出直す旨を家人に伝えた。
 同年11月1日、落葉しぐれの中を松子さまの手を引いて再び水田閣下のお屋敷を訪問。その日は、奇しくも来客のために面会できず。その来客者を一瞥して分かったことだが、どこか見覚え有り。直ぐには思い出せず。同月2日、再び水田閣下のお屋敷を訪れる。面会に応ずるも、些か不機嫌なり。奉文さまからのお預かり物を、お私願いたいというも「知らぬ」と烈しい口調で断られた。仕方なく、宿屋へ虚しく立ち帰る。
 あのとき、ちらりと見た人物は、かつて樺太庁庁舎で見掛けた人物ではなかったか。はて、誰だったか。
 この夕刻より、宿屋の周囲が慌ただしく感じるように思えて来た。何者かに付け狙われているような、そういう気配を感じてならない。何故だろう。
 翌2日、危険を感じて移動を開始する。宿屋より、国鉄日田駅まで五里の行程。その間、尾行者あり。重苦しく迫る滅びの跫音にこれからの不安が暗示されているように思える。その日の午後、日田より2時半に汽車で小倉に向う。更に小倉より山口県下関市に向かい山陰線の幡生
(はたぶ)を経由して、埴生から厚狭、厚東、嘉川まで松子さまの手を引いて先を急ぎ、そこから汽車に乗って○○へ行った。 

 メモランダムの中の○○の箇所は、わざと塗りつぶして消しているのである。なぜだろう。
 読み辿って感じたことは、これを運命の悪戯と一蹴してよいものかと思った。簡単にそういい捨てられるものでなかった。
 この流れの藕糸には遺伝とか、不運だとか、陰謀などが人生の災難として用意されていて、その源流を遡っていくと、日常生活に隠れている非日常の実体が見えて来るのである。人間が気付いていない無意識の破壊的な影の力に辿り着くのである。それは自己は快適なものであるかも知れないし、因縁による他力的なものであるかも知れない。

 自己は内的なものの遺伝の中には、女に溺れる、酒に溺れる、博奕に溺れる、同胞を敵に回す、成功のチャンスを取り逃がす、事件事故に遭遇する、病気に罹るなどであるが、当の本人は無意識の裡にこうした苦悩や迷いを求めた無意識があるのかも知れない。自殺願望的な自己破壊である。
 これに対して、他者から命を狙われるなどの貶
(おとし)められる行為から起因する外圧である。
 私は奇妙な現象の中に巻込まれようとしていた。

 私には「溺れる」という性癖があった。
 そして、色情に溺れるだけでなく、刀にも溺れた。だが、溺れるのは惹
(ひ)かれるからだ。
 男女の間で惹かれるのは、両者間に「香り」があるからだ。西洋の神話などのよれば、男は女の香りに惹かれる蜂であるという。その蜂は花が美しければ、まず惹かれる。花が美しい装いをすれば、その中に芳醇な香りを持つ蜜があることを知っているからだ。だから花は美しく身を飾る。
 蜂は美しいものに寄っていって、花の注文に何でも聞くようになる。そのうえ魅せられるから、この花のためなら守らねばという意識が芽生える。これは人間も同じだろう。
 蜂である男は得たい、尽くしたい、幸福にして遣りたいと思うようになる。
 だが、女が美しいとありたいのは、男の機嫌取りなんかではない。男の賛美と奉仕を受けるための満足感のためである。

 そのため女の美しさを愛
(め)でるためでなく、愛でられたいと昨今では変貌した。ここに香りの変化が顕われ出した。それは向上する変化でなく、低下する変化である。
 基準も精神とともに退化し始めているのである。
 基準低下とともに、かつての憧れを手中にすると言う目的でなく、男は自分の恰好よさのアクセサリーを手に入れようと奔走するのである。美意識が低下したといえるだろう。
 先んずれば人を制す……。
 人より一歩先を行く。人よりいい暮らしをして優越感を味わいたい。自分を飾り、ひけらかし、恰好よく見られたい。愛でる基準がアクセサリー化したといえよう。男が墜落し、男の墜落に併せて女も墜落していく。そして何の悩みもなく、疑いもなく可愛らしくあればいい……。
 時代と言うものが、その方向に流れ始めたのもこの時代からであり、威厳も誇りも失われ始めた。
 不規則で、恣意的で、これまでカオスを内包していた体系は、混沌体系から出発時を、この時代を起点としてというふうに置き換えれば、その後に顕われる結果も意図的な変更のまま流れて行く道筋を辿る。
 もう時代は、本来とは違った方向へと進み始めていた。これまで単純であったものが、複雑へと変化したのである。

 そう思いつつ、病院に行かなければ……。その気持ちもある。
 そのときである。玄関の引き戸を開けて、由紀子が入って来た。もう彼女にとっては、勝手知ったる他人の家
(うち)だった。半嫁のような感じだった。
 双眸
(そうぼう)が睨(にら)んでいた。三角に近い。
 これにどう答えるべきか。
 「なんとか、助かりました。電気ショックや心臓マッサージで一命は取り止めました」小学生が劇の台本を読むように言った。
 「そう思っていましたよ」
 「薄情なのね」叱責するようにいった。
 「そうでしょうか」
 「昨日はね……」と言いかけて、言葉を止めてしまった。
 「知っています、大変だったと……」
 「では、あなたは?」
 「大変だったのです」だが、これは分かってもらえまい。
 「前日の約束は?」迫った。
 「失念してました」
 「前々日は?!」迫り方のトーンが強かった。
 「失念しました」
 「そういうことだろうと思いましたわ!」既に指弾だった。
 「ところで、あなたのお帰りは、お早いようですね」
 「松子ちゃんが出発前の空港で、もし困ったら、これを……と。小さな袋をくれたのよ」
 「困ったのですか?」
 「ええ、その晩、直ぐに」
 「なるほど、読みが深い……、さすがだ。何から何まで確
(しっか)り読み切っている……」
 それで、昨夜の捕獲作戦に出たのか。その理由が分かった。あれは糸の切れた凧を探す手段だったのか。
 なるほど……と思う。これで合点がいった。
 松子は、私の行動も由紀子の行動も読み切っていたのだ。まんまと手玉に取ったのである。
 あれでこそ刺客だ。さすが猟り名人のハンターだ。

 しかし松子に、この猟の仕方を教えた子平直政とは如何なる人物か。恐れ入るばかりである。
 子平なる人物の物語は、何も松子が生まれてからの話ではあるまい。それ以前の戦中、否、戦前からあるのかも知れない。
 子平は憲兵中尉だった。そして、樺太庁庁舎本館から出火して全焼した。この調査に当ったのが、陸軍省法務局の山村芳樹
(芳繧斎)中佐だったとある。この両者には何かある筈だ。そして、その延長線が私に伸びているとしたら……。そのことを危惧(きぐ)した。
 あのとき、山村師範は私に、「わしは、知らんぞ。聞いてもおらんし、見てもおらん。そういうメモは、疾
(とお)に忘れた。メモは何者かが盗み去った。それだけのことだ」と言ったことが何とも妙ではないか。
 だが、子平直政なる“此処までの人物”が斬られたという。ヤクザ同士の出入りで斬られたという。
 しかし真相はそうではあるまい。では、この裏に何があったのか?……。

 「なにを言ってるのよ、約束したでしょ!」詰問した。
 この由紀子の詰問で、「今」に戻った。現実に引き立てた。
 「だから失念してました、以上。岩崎健太郎、報告終わり」
 「重ね重ね、本当に退屈しませんわ。どうして、こう次から次へと新しいシナリオが出て来るのかしら」
 「それは、ですね。僕にその才能があるからです。人を退屈させないシナリオが、ぎっちり詰まっているのです。最近では詰まり過ぎて暴発しそうです。しかしご安心下さい。少しずつ放出していますから」
 「これ、なんと答えたらいいんでしょ。あたくしの場合、最低部分に“呆れる”という形容がありますが、それ以下の形容がないのです。日本語にはそれ以下は見つかりません。適語はないのです。これ以上、蔑む言葉が見たりません。この形容、どうしたらいいでしょ?」ほとほと呆れたという言い方をした。
 「そうですね、社会不適合者などでは如何かがでしょう?何の役にも立ちませんから……」
 「それを正面切って言われて、恥ずかしくないの?」斬り込むように訊いた。

 「少しは感じるでしょうか……」
 私は何とも相槌
(あいづち)の打ちようがなく、肩をすくめて吐露するように答えた。
 「少しですか?……」彼女は聴き手のリアクションなど、どうでもいいふうであった。
 「あなたが、それ以下の形容がないように、僕にも社会不適合者以下の適語がないのです。お許しを」
 「いくら社会不適合者でも、約束を守るという意識くらいはあるでしょ?」
 「だから失念していました。次は証文か約束手形をご呈示の上、詳細に、履行の大事を説明して頂ければ、失念防止にもなり、少しはなんとかなるかと……。最近は記憶が曖昧になって、飛んだりするのです。嘘ではありません。先日も酒に呑まれて、約6時間ほど記憶がなくなっていました。病院に行って検査してもらった方がいいでしょうか」
 「大体こういう質問されて、どう応えていいか。あたしの知る限りの日本語には、適語がありませんわ」
 バカバカしい、あるいは呆れて、処置無しと言い方をした。バカに付ける薬はないのである。
 また、両者間の溝は今後の努力にもよろうが、ユークリッド公理の平行線のように交点を持たないかも知れない。それは永久に交わらない水と油かも知れない。あるいは清規と陋規との平行線の関係だろうか。
 平行線の定理に、同一平面上にある二本、あるいはそれ以上の相互に平行な直線は交わらない……。
 「では、見舞いにでも行きますか」
 「結構よ、いまさら。あす、退院です。大事はありません、松子ちゃんがお迎えに行くそうですから」
 (ほーッ、松子のやつ、明日帰って来るのか……。総て巧くいったらしい)思わず顎を撫
(な)でた。
 「何から何まで、お世話になって心苦しい限りです」
 「これでハラハラ・ドキドキは終わりでしょうか」言い方が皮肉めいていた。
 「出来るだけ心労をお掛けしないように、社会不適合者としては、人畜無害の余所
(よそ)で、ハラハラ・ドキドキの現象を放出してきますから、ご勘弁を」と遠慮気味にいった。
 「あたくしは、もう立派に人畜有害ですわ!」
 カッ!と睨んだ眼に、松子の背
(せ)で哭いてるおそれ入谷の鬼子母神を髣髴とさせた。


 ─────つらつら考えてみる。
 箴言する。格言を述べる。また、武士は陰腹を切って主君を諌めたという。自ら覚悟のほどを示し、命を張って諌めたという。
 更には、武士が身分の差なく、軽輩でも殿中の上がるとき
(実際には「お目見え」の身分の武士のみが赦された)は脇指の帯刀が赦され、諌めることで意見や方針が異なって益のならぬと判断すれば、自分の脇差しを抜いて重役に刃向かうことも赦されていた。但し、その場合、刃向かうのであるから、死を覚悟の上である。事を起こすにあたり、覚悟ななければ、その人生は鈍(なま)らであろう。微温湯(ぬるまゆ)に浸かるような甘えの人生に終わろう。
 私が失念したとは言え、山師から指弾される「たわけ」だった。微温湯
に浸かっていたのである。


 ─────赤い夕日。夕陽……、なせか懐かしい。
 祖母のいった「一度、復
(かえ)っておいで……」が、私の心の中に残留して哀愁を募るのであった。
 私の生まれは故郷、平戸……。それは、身土不二……。還りたいと思う。望郷の念が湧いた。遠い日の追憶が脳裡を過った。


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