運気 八門人相 房中術 癒しの杜 菜根譚 小説 会報Back No. 合気 蜘蛛之巣伝 死の超剋 霊的食養 心法
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旅の衣・後編 9

『碧巌録』では、釈尊の坐禅中に、一人の若者が顕われて「ここに女が逃げて来なかったか」と尋問するところから始まり、それに答えて曰(いわ)く、釈尊は「逃げた女を探すより、己を探してはどうだ。あなたは一体どちらが大事かな」と切り返している。
 それを聞いて若者は、思わずハッとして、自分の愚かさを悟ったと言うが、果たして現代人は、この奥が読めるだろうか。

 形や物にこだわる現代社会にあって、今の自分は、本当の自分でないことに、何人の人が気付いているであろうか。
 欲望を追い掛け、地位や名誉、肩書きや財産に固執し、この結果「己に迷うて物を遂う」という愚行を繰り替えしているのではないだろうか。


●捕獲

 誰もが寝静まった深夜の露天風呂である。
 周囲には雪洞
(ぼんぼり)のような燈火が点在していて、静かな夜の湯煙の風情を醸(かも)し出していた。夜のいい風景である。幻想的である。
 湯も懇々と湧き、溢れている。岩と鉄平石
(てっぺい‐せき)を組み合わせて造られた湯槽(ゆぶね)には、こんこんと湯が濯がれ、溢れ出て、深夜の静寂の中に、私は身を浸していた。誰もいない。一人である。

 嬉野温泉。此処には多くの著名人が訪れている。
 思えば、昭和7年
(1932)の満洲国が建国された年の3月15日、山頭火が嬉野に遣って来ている。
 温泉好き、風呂好きの山頭火はその年の初め、北九州八幡で年を越し、静かな元旦を迎え、その後、福岡県芦屋町を経由して福岡姪浜の海岸線を歩き白砂青松と称される松並木を抜けてその風致を堪能している。

 そのときの一句詠んだのが有名な、

鉄鉢の中へも霰

 であった。季節は小寒の入りであった。

 小寒の入り……。
 寒風が来たと思えば、忽
(たちま)ちに大粒の霰であり、網代笠にも法衣にも、また鉄鉢の中にも、大きな音を立てて叩いた。その何とも形容のしようもない烈しい音をたてた。その烈しい音は鉄鉢の中に叩き込まれる白い霰の玉であった。鉄鉢の中にはまるで機銃掃射の銃弾が撃ち込まれるような音を立てて撃ち込まれ、飛び散ったのであろう。このとき山頭火は霰を「有難い笞(むち)」として受け止めているのである。
 これまで山頭火は、この鉄鉢で一銭、二銭と頂いていた。時には米も喜捨された。あるいは焼酎もなみなみと注いでもらったというから、この鉄鉢はいわば、自分が生かされるために食べたり飲んだり、木賃宿の宿賃になってきた世間師の生活必需品であった。鉄鉢に受けたもの。それは寒風とともに遣って来た大粒の霰であった。
 この大粒の霰を山頭火は「有難い笞」と称している。その笞とともに「自分はこれまで多くに人の喜捨によって生かされて来たが、果たして、こうした温かい報謝を受ける資格があるのだろうか」と、自身に疑問を抱いている。
 よく遍路が「巡礼のご報謝を……」と言って千軒の家の軒の前に立ち報謝を願うが、山頭火は報謝の資格は自分にはあるのだろうかと懐疑を抱いている。
 これまで袈裟
(けさ)の陰に隠れ、嘘の経文を読み、貰いの技巧を弄(ろう)して喜捨を受けたが、供に応ずる資格はあるのだろうか。その後の行乞の嘘を、自らで戒め、こういう自分を「厭(いや)だ」と悔悟しているのである。

 鉄鉢の中にも霰……。
 常のその資格を問うた山頭火のこの一句は、雲水として、まだ確立されない自身の未完成を詠んでいるようにも思える。句の中には自戒の念が詠われている。
 耳で聞かされる大粒の霰の音。自身の身体で浴びる大粒の霰。そして笞として撃ち付けられる機銃掃射のような容赦のない霰。
 天は自分を赦してはいない……。そう受け取ったに違いない。このとき山頭火は霰の笞で、天の洗礼を受けたのである。

 私の笞は何だろうと思う。
 三日前、思い付くまま気紛れに嬉野に遣って来た。そこで再会した懐旧の友。そして私の永遠の恋人・文香さん。背景には姉の懐を宛にしてでの策を弄した。
 一方で此処には昔のさまざまな知己があった。知る人も少なくはなかった。姉を頼った。姉の繋がりを利用しようとした。魂胆があったのである。
 山頭火は嬉野に辿り着くまでの旅程で「霰の笞」の洗礼を受けている。では私の笞は何だろうと思う。
 禅では「一日不作一日不食」といって、一日働らかざるものは一日食らわずを説くが、食べることと労働は同義であった。いま風に直せば、喰ったら働けということだろうか。働かねば喰う資格がない。そう教えるのである。

 山頭火の嬉野に辿り着くまでの日記の中に、ある宿屋の娘の話が出てくる。
 この宿の娘は、貌は美しかったが跛
(びっこ)だったとある。したがって年頃になっても嫁に行けない。更には家にいるのも心苦しい。そこへ朝鮮人が泊まり合わせて、娘を誘ったとある。連れ出されたのである。そのとき宿屋の主人は、その娘の祖母だった。祖母はその後、行方不明になってしまった孫の安否を気遣う。また祖母は孫の身の上を心配して、旅をする他の世間師にこう言うのである。
 その世間師に紛れて旅をする一人に山頭火がいた。

 「あなた方は常の何処かを廻って旅をしているのですから、もし孫に遭
(あ)ったら、辛くとも辛抱するように、また自分のことはあまり心配しないように、着物などは居場所が分かったら送るからと伝えて下さい」
 祖母は孫を思い、山頭火を含めて、孫のことを些か気に掛けるのである。
 私はこの山頭火の日記から、朝鮮人によって連れ出され、勿論伽
(とぎ)をともにして寝たのであろうが、その後の運命はどうなったのだろうかと思うのである。おそらく孫は、もうこのとき日本にはいないのではないかと思うのである。拉致されたと思う。婦女子を拉致する習慣が半島にはあるからだ。孫娘は半島か大陸に連れて行かれて、そこで売られたのではないかと思うのである。そうすると、哀れなのは娘の祖母である。
 昭和初期から終戦後に懸けて、各新聞は「人攫いにご用心」という警告を発して、日本人の子女に人身売買業者に注意せよと促しているのである。そのとき山頭火は、どこに連れて行かれて娘がどうなったか、あるいはどうされるか、それは想像できなかったようだ。
 日本に当時、朝鮮人の一部に人攫いがいたことは、よく知られるところである。このささやかな日記の中からも当時の日本の庶民の生活が窺われる。生活苦だけでなく、その隙を衝いて襲ってくる人攫いにも苦慮していたのである。

 山頭火は、更に西へ流れた。
 一月末には一浴一杯、二浴二杯、そして三杯と酒を煽りつつ、よき食欲とよき睡眠、よき性欲とよき浪費を挙げ、それ以外何もないとしている。その性欲が嬉野まで足を運ばせたのであろうか。その年の1月31日に嬉野温泉の到着している。
 嬉野温泉を次のように、友人に書を認
(したた)めている。
 「嬉野はうれしいところです。湯どころ、茶どころ、孤独な旅人が草鞋を脱ぐにはいいところです。私も出来ることなら、こんなところに落ち着きたいのです」
 更には芸妓の嬉野ガールまで宣伝してくれている。
 嬉野ガールは何も昭和大正に始まったことではなく、明治もそれ以前もあったに違いない。そもそも姉の家が江戸時代からあったと言うから、あるいはそれ以前にも、湯屋で世話する遊女はいたのであろう。
 山頭火は大村湾を行乞したのち、また嬉野に遣って来ている。
 日記によれば3月15日となっている。よほど嬉野が気に入ったのであろう。嬉野に来て温泉に入った時のことを本当に極楽浄土と評している。

わたしゅうれしの湯の町そだち
  あついなさけのじゃまけはせぬ
たぎる湯の中わたしの胸で
  主も菜っ葉もとけてゆく

 ざれうたであろうが、日記の中では「もっとも温泉は満喫したが、嬉野ガールはまだ鑑賞しない!」と綴っている。この最後の「まだ鑑賞しない!」とあるのは、鑑賞する!ということだろうか。
 逆も真なりで疑うところである。

 さて、この私……。
 深夜の静寂の中にある露天風呂。もちろん嬉野ガールはまだ鑑賞しない!鑑賞したいのは山々なれど、しかし鑑賞する金がない。金があったら鑑賞したかも知れない色情漢である。金がないことが幸いした。
 静寂、寂寥この上も無し。その夜の風景である。
 聴こえて来るのは湯が沸き、湯が流れる音だけである。あとは何も無い。
 この露天風呂は混浴だが混浴してくれる女も男もいない。ただ一人ある。ひとりぼっちの寂しい真夜中の入浴だった。しかし、誰も言いない雪洞の火影
(ほかげ)を映す湯の里の風情もいいものである。山頭火だったら湯の中に浸かりながら酒の一杯や二杯はかっ喰らうであろう。
 しかし生憎、風呂でかっ喰らう酒を忘れて来た。さて、帳場に行って貰ってくるか……。
 そのときである。上がろうとしたときである。
 風呂の向こうの方から聲
(こえ)がガヤガヤとしだした。
 その聲が「げッ!男が居る……」だった。聲の主は女である。
 私はこの一言で興醒めした。

 主はオランウータン1号と2号だった。この姉妹は二人ともよく似ていた。さて鑑賞に値するか。
 値したとしても、既に人妻である。躰は中肉中背で、顔貌
(かおかたち)は、70年代を風靡した『じゅん&ネネ』の“ネネ”の若い頃のような貌をしている。いいかわるいか、それぞれの好みで別れるところだ。
 私はお返しに「げッ!狒狒
(ひひ)が来た」と切り返してやった。
 「なによ、失礼ね!」
 「ここは天下の露天風呂。老若男女関係無し。一緒に入りましょう、菅野さんたち」
 「なんで、岩崎君が此処にいるのよ」
 「一日の労働の疲れを癒すために温泉に浸って、一人孤独を味わっているのです」
 「もう充分に味わったでしょ、出ていってよ」
 「夜中に寝ている子が起きるようなことを言わないで下さいよ、菅野さん」
 「あのね、わたし、今は金田なんです。旧姓で呼ばないでて言ったでしょ」
 「ああァ、寝てる子が起きてしまった」
 「それ、どういう意味よ」叱責するように訊いた。
 「起きた子、みたいですか?」卑猥にならないように出来るだけ丁重に喋った。
 私は此処で、かの円覚寺
(えんがく‐じ)の悪戯坊主どもが、絶世の美女の慧春尼(えしゅん‐に)に相手に自身の一物を指し「わが一物、長さ三尺。どうだ!驚いたか!」と遣ってみたかった。
 「?…………」しばらく考えたようだ。
 「起きた子ですよ、起きた子」
 こう言って気付いたのか、
 「もうバカバカ!……」と嬌声を発した。
 二人は怒って出て行ってしまった。幸運だったことは、その辺に置いてある手桶を投げ付けられないことであった。
 これで撃退して、ひとり孤独が味わえる。しかし、それにしても風情を楽しみ寝酒がない。寝酒でもして、起きた子を寝せつけなけば、起きっぱなしである。これでは拙い。
 「だれか、お酒を下さい」と吐露しても、酒が遣って来る分けはなし。

 また、向こうの方がガヤガヤし出した。女の聲である。それも若い女である。これでは、いつまでたっても起きた子を寝せつけられないではないか。なんで斯くも、合致あうのだ。偶然だろうか。
 しかし偶然と一蹴するのは短見である。人間の感知できないことは、総て偶然として片付けてしまうが、それは人智では測れないことで、宇宙の藕糸の有機的結合から検
(み)れば繋がっているのかも知れない。終わりもなく、始めもなく繋がっているのかも知れない。物事は断片的に起こっているのではないようだ。何らかの理由があって現象として顕われているのである。それを人間の肉の眼で確認できないだけである。
 では、なんの意味があるのか。

 遣って来たのはオランの1号2号に加えて、強豪の文香さんだった。
 「この子たちが、変なオヤジが入っているっていっていたけど、きみだったの。苦情が出てますよ」
 1号2号は文香さんの高校時代の教え子なのである。
 「ここはですね、天下御免の露天風呂。老若男女関係無し。公然猥褻罪の適用外。やっと起きた子を寝せつけたばかりなのに……」
 「どおれ?」確認するように訊く。
 「そこまで露骨に言わないで下さいよ」
 あたかも慧春尼のように、「たかが三尺、なにしきのこと。尼僧が一物、底無し!」と遣られたら身も蓋もない。しかし、なにしきのことはなかった。
 三人とも手桶を抱えて湯の中に入って来た。当時は、躰にバスタオルなど巻き付けていない。公然猥褻罪の適用外が多く、世の中全体が大らかであった。乳房も丸出して入って来るのが混浴の醍醐味だった。
 観ると、手桶の中に徳利と猪口
(ちょこ)が入っている。風呂で一杯遣るのだろう。羨ましい限りだった。
 「健太郎ちゃんも、一杯遣りなさいよ。自分のツケで」
 「自分のツケでですか、なんともシビアですね」
 「文香さんは、けっこう酔っていたでしょ、もう醒めたのですか」
 「これから迎え酒よ」
 「なんと?!」
 「もうじき夜が明けるわよ、それまで楽しく遣ろう。酌をせい」になって、文香さんが発破を掛けた。
 これも、私のツケになるのだろうか。
 こうして朝まで飲まされ、気付いたらまた呑まれていた。風呂の中で風呂酒やると酔いが速いのである。
 陽が昇って気付いたら、いつもの部屋の蓙蒲団の上で寝ていた。此処まで、誰がどのようにして運んだのだろうか。フリチンだったが、きちんと浴衣まで着ていた。私は記憶が飛んでしまうことが多かった。これが五十過ぎまで続いて、治ったのが六十を過ぎてからだった。こういうのを「危ない」というらしい。
 嬉野に来て三日目の正午近くだった。陽は南中にあった。此処では二泊三日も草鞋を脱いだことになる。
 二泊三日か。長居をしたものである。
 『欅の会』のシンポジュームは終わった。出送りのマイクロバスが玄関前に三台ほど並んでいた。
 武雄駅まで送る茶亭『福美』の専用バスであり、集まった何割りかは順に還って行く段取りを立てているようだった。爺さん婆さんはバスに乗り込むと順に出て行った。しかし順番待ちの連中は残っていて、温泉につかってひと風呂浴びて帰る連中もいた。

 朝風呂に出も行ってみるか……。いや正午風呂である。
 露天風呂に向った。これが何とも、爺さん婆さんらで込んでいた。みな長老ばかりである。
 その長老の中で、仲間に加えて頂いた。
 この風呂は『仙人風呂』という名称が付いていたが、まさに仙人然とした爺さま婆さまたちだった。
 山頭火の句にこういうのがある。

おそそもちんぽこも湧いてあふれる湯

 なんともユーモラスである。湧き出る温泉での大浴場での感じを、そのまま詠んでいる。
 そういう光景を目の当たりに見る思いだった。惜しむらくは若い女人がいないことであった。
 この年の5月のことである。私は熊本の垂玉温泉に言ったことがある。そこの山口旅館という湯治場を兼ねた旅館に泊まった。そのときも24時間湧いている露天風呂があったが、ここは滝ノ水と温泉の湯が丁度ほどよく混ざり合って入るに適温な温度であった。ここに行くには、当時は国鉄垂玉駅からバスで南阿蘇の山腹の垂玉温泉停留場まで昇ってくるが、昇って来たバスが折り返して下っていくのであるが、バスの車掌が下り時間の待ち時間に露天風呂の横で服を脱ぎ、タオル一枚もって入ってくのである。それも二十歳前後のピチピチした娘だった。
 勿論混浴であるから、他にも女性は入っている。それも、男も女もタオル一枚もって素っ裸である。今のようにバスタオルを巻き付けて入るような女性はいなかった。
 心理は、隠せば大らかさが失われる……ということである。隠そうとすれば余計に見たくなるのである。
 覗きにしても、隠すから余計に見たくなるのである。それは大らかさが隠されるからであろう。現象界は何処にでも作用と反作用が働いていて、反作用には耐性が養われて、再び作用に反映されるのである。最近の性犯罪が多発する所以であり、その裏には時代の流行とその時代に生きた心理に反映されているのである。

 余談だが、満洲引揚者から聞いた話であるが、満洲から引き揚げて来る際、引揚者に割り当てられた車輛は客車だけではなかった。貨車も使われた。それも天蓋のない荷貨車である。こうした貨車に鮨詰め状態で殆どの人が命からがら逃げて来たのである。哈爾濱と新京を結ぶ路線では、蒋介石率いる国民政府軍と毛沢東率いる赤軍とは陶頼昭
(とうらいしょう)駅付近の小競り合いを起こし、長時間停車したという。
 いつ動くとも分からない貨車に詰め込まれた引揚者は大変だったという。客車ならともかく、貨車ならトイレがない。そのため列車から離れた遠くの草叢まで走っていって用を足すのだが、あまり遠くに行くと置いてきぼりを喰う。そのために近くとなるが、婦女子らが貨車の車輪の下に潜り込んで用を足したという。
 しかし突然汽車が動き出し、その犠牲になった婦女子がいたと言う。何とも気の毒な話である。
 文明の発達は、プライバシー云々で隠さねばならないものが多くなる。そうなるとその反作用に結果、それに併せて犠牲を代償として払わねばならぬことも多々あるのである。文明が発達し、文化水準が上がれば個人主義的なガードも固くなり、プライバシーの面では隠す部分が出てくる。現象界の作用に対する反作用は何も良いこと尽くめではないのである。


 ─────昼過ぎ……。その予定で準備していた。
 「じゃあ、帰るよ」
 姉に言った。
 「そう」
 引き止められもしなかった。何故か素
(そ)っ気ない。
 役目を終えた粗大ゴミのような印象を受けた。横には松子もいた。姉と松子は、もう一仕事も二仕事も終えたという貌をしていた。公証人役場や銀行にも行ったのだろう。結果は訊かなかったが成ったのだろう。
 私の役は終わった。
 「松子、元気でな」
 「永久
(とわ)の別れのようなことを言わないでよ。二、三日したら帰って来るのだから」
 「さて、金がない。旅費交通費として会社から金を出してくれ」
 「それは自費でお願いします」
 「なに?自費だと!経理担当重役は誰だ?」
 「いまのところ、わたしが」
 「だったら出せ」
 「出せません」
 「おれも苦しい」
 「苦しいのはお互いまさです。うちの会社は経営が苦しいのです。だから飲み食いした交際費等は無し。交際費も無し。その他、機密費も無し。そもそも、わが社にはそう言う科目が経理記載の項目にありません」
 「なんだと?!」
 「だから自費なんです。タクシーに乗りたければ武雄駅までの料金は約5000円強。それは乗る人次第ですが、ランクを下げて、これがバスだと420円で、これだと随分お得です。
 また国鉄料金は武雄・八幡間を普通列車で行くとして、こまめに乗り換えしながら行けば、1500円くらいでしょうか。特急か急行を使うと1200円アップで、一等車に乗れば1000円アップ。合計2200円は無駄遣いということになります。鈍行ならば1500円だけ。こして比較すると、随分お得であることが分かります。この急場を凌ぐには、社長以下一丸となって、難局を乗り越えましょう」
 「なんという、しぶちん」と呆れて言う。
 「いけずなのは、そっちの方です」と呆れれ切り返す。
 「といわれて、粘る根性も無し。さて、行けるところまで、行くか……」
 「いい心掛けですね。でも、間違わずにちゃんと還って下さいよ、糸の切れた凧のようにならずに」
 「そういう手もあったな……」思わず顎
(あご)を撫でていた。
 「もういいから、出して上げるわよ。これを放置したら、本当に糸の切れた凧になるかも知れないから」
 姉が往生際の悪い私に、痺れを切らせたようにいった。
 「いいですよ、これから往生際よくしますから」
 「そう、だったらいいわ」あっさりと退いて。姉はむっとしたようだった。
 「諦めが早いですね」
 「じゃァ、お昼御飯くらい食べていきなさいよ」
 「飲み過ぎで、食べたくないんだ」
 「ああ、そう。じゃァ、勝手にしなさい!」遂に諦めた。呆気なかった。あっさりと、踏ん切りを付けられてしまった。それに、些かの怒気が孕
(はら)んでいた。
 姉は私の性格をよく知っている。ここまで言ってしまうと、あっさり退いてしまう。それ以上は、くどくは言わないし、切れ味がよく、また潔い。それは、私も姉も似たような意地っ張りのところがあるからだ。
 ただ双方の相違は、姉は苦労人だが、私はそうでない。極楽トンボである。
 結局、痩せ我慢を利用され、こうなることを読んでいたのだろうか。商才も度胸も、私より上である。

 残された作業は、翔太の父親から預かった刀剣を梱包させて、八幡大蔵の実家に送らせるように、松子に手配させた。運送代その他は、売却後の利益の中から支払うと言うことで、建て替えてもらい、その他一切を任せたのである。
 老兵は去るのみ……。
 そう思うと、なぜか辺りに哀愁が流れた。一種の寂寥だろうか。

故郷の人と話したのも夢か

 山頭火の句である。
 私の行乞相は、山頭火ほどよくなかったのではあるまいか。
 やはり寂しい。寂しいのが本当なのだろうか。人生とは、実は寂しいものなのかも知れない。

 昼過ぎ、私は嬉野を発った。別に急ぐ旅でもなし、復
(かえ)りを急ぐ旅ではない。
 今さら急いで帰っても、どうなる分けでもない。本来ならば、三日前に帰っていなければならない。約束の期限は過ぎていた。
 逃げられただろうか。捨てられたのだろうか……。それはそれで、さっぱりしていいではないか。
 一件落着。私は妙に諦めの早いところがあった。
 ねちねちとした粘着質の人間でない。根性が足らないというか、ストーカーになる才能がないというか、諦めだけは、妙にさっぱりとしたところがあった。未練を曳かない。踏ん切りがいいのである。
 負けたら負けたで、手を挙げ、後ろを見せて去る。だが、ただ去るだけでない。「仕切り直し」を謀るのである。タダでは転ばないのである。負け将棋を、もう一番もう一番とする方ではない。あっさり諦め、最初から仕切り直しをする。
 老いて、死を目前に着替えて、延命治療などを図らず、さっぱりと娑婆を去りたいと思っている。

 人生、どう考えても、ならぬものはならぬのである。
 いつ着いても、着かなくてもいい。極楽トンボの旅は、そう言う旅である。もし、一雨来そうなときは、急いで避難せねばならぬが、今はそういう時間であるまい。夕立が来るには、まだ時間がある。
 大した荷物はない。腰に提げた図嚢の皮鞄一つ。あとは手ぶらである。気楽なものだった。ゆっくりと鈍行にでも揺られて帰るか……。
 旅行く放浪癖がある放浪者……。裏ぶれた言葉だが、なぜか憧れを感じる私である。
 しかし全部が気楽と言うものではない。生きていくためには、幾らかの心配もある。全くない訳じゃない。
 炎天下、てくてくとバス停までの道を歩いた。歩きつつ、有り金を調べた。大してない。訳の分からな買い食いその他で、確り浪費していた。人間は浪費する生き物である。
 もし私が剃髪していて、網代笠に法衣ならば、その辺の拝み歩いて『般若心経』一つも唱えれば、あるいは喜捨する人が一人くらいはいるかも知れない。しかし、そうはいかない。後ろ姿の黄昏れた者に、誰も喜捨する人などいない。自らを自嘲した。

 そろそろ仕切り直しかな……。茶亭『福美』を跡にした。
 炎天下……。
 暑いなあ……。
 とにかく真昼の夏の直射日光は頭上を灼く。炎天が頭上を、首筋を灼く。被り物などない。丸出しで歩いている。丸出しよ言うより、剥き出しだろうか。陽を遮るものがない。

ホイトウとよばれる村のしぐれかな

 山頭火の哀愁を感じさせる句である。
 このとき山頭火は、自分が歩く周囲に「乞食が来たぞ」と、子供たちが群がり、笠の下から覗き込まれ、物貰いの自分の境遇を愧じている。そして「乞食が来た」といわれると、やはり寂しいとおもうのであった。
 しかし、その寂しい旅人も、子供たちからは「乞食」と囃
(はや)され人気者だったのかも知れない。
 私の場合は?……。
 乞食と囃されもしない。子供は一人も群がって来ない。
 それは乞食としても中途半端で、そのどっともつかない迫力のなさに敬遠される要因があるのだろう。
 それに炎天下。とにかく暑い……。
 この炎天下に飛び出して、覗きに来るような奇特な子供は居
(お)るまい。

 暑い、とにかく暑い……。
 記憶が跳ねた。
 由紀子のことである。
 最近の彼女は、これまでとは表情が変わっていた。なぜか険しく感じるのである。松子の所為だろうか。
 由紀子が変わりはじめたのは、松子の家庭教師を恃んだ頃からだっただろうか。それに、松子の背中の彫物である。これを、どう捉えているのだろうか。少女の彫物など、常識では考えられないことであった。
 普通、一般社会でも見られないものであり、清規の棲
(す)む人間には理解できないことであった。由紀子の感情に、どういう波風が押し寄せているのだろうか。それは苛烈とは言わないでも、些かの烈しさを伴うものであろう。その烈しさは、私に対するものなのだろうか、自分自身に対してのものなのだろうか。その何れでもないような気がする。
 由紀子の中に、力を押し拡げようとする人間の権威主義が芽生えたのかも知れない。何らかの権威を手にしようとしているのだろうか。あの空港での喜々とした表情には、それが漂っていたのではないか。あり得ないことでない。
 彼女には今、優越感と劣等感に対する感情が同時に芽生え、同時に漲
(みなぎ)り始めたの違いない。医学者としての名声だろう。
 もしそうだとしたら、その権威主義とは如何なるものであろう。
 権威に目が眩
(くら)んだとしたら、それはやがて尊大に変貌しよう。これは多くの科学者に見られる現象である。その現象は人を導くものでなく、迷わせるものである。教えるものでなく、抑え付けるものである。そこには野望があり、人間の欲がある。由紀子は曇ったのだろうか。あるいは何者かに曇らされたものなのだろうか。

 では、私の今日この頃はどうなのか。
 何か勘違いしているのではないか。
 なぜ嬉野まで来たのか。姉に金を借りに来たのか。この借り方は些か正当でないような気がする。松子をダシに使い、その死角を衝いて企てを謀ったのではないか。
 この世の人生道。山頭火の句集を繰り返し読むと、そこには世間師としての生き方でなく、人生の根本が横たわっているようにも思えるのである。
 寂寥……。
 これこそ、人生のあるが儘の実体ではないのか。宇宙とはそういう深閑としたものであるに違いない。

 嬉野に来て、この三日間に何があったのだろうか。記憶の中で忘れかけていた悪童たちとの再会。そして文香さんとの再会……。
 それ以外に何もなかったのだろうか。
 思い付きのように、下りの列車に乗って嬉野に遣って来たことは、懐旧を温めるだけでなく、忘れられない一つの想い出の1ページを作った。だが私の旅は、ここで終わったのでない。これからがまた、新たな出発の始まりだった。その始まりを、いま炎天下で体験している。
 振り返れば、何もかも巧くいった。出来過ぎと思えるくらい巧くいった。すべてが良過ぎた。
 だが、これが危ないと思う。好事魔が多いからだ。
 それに今回、私の採った行動はどうだったか。正しかったのか。義を貫いていたのか。
 思えば思うほど、疑わしくなる。
 歩きながら、再び繰り返す。好事魔が多し……と。

 猟の最も巧妙な方法に「豚を盗んで骨を施す」という俚諺
(りげん)がある。
 猟る者は、大きな悪事を働いて、その代償に僅かな善行をすることの喩
(たと)えである。全部が全部とは言わないが、慈善事業に世界に見られるものである。
 また一方、「豚は太らせて食え」というのがある。高橋是清
(これきよ)の有名な言葉である。
 人間は豚と言う家畜に譬
(たと)えられ易い。
 高橋がこの言葉を豪語した時代は、昭和6年
(1931)から9年に懸けてのことだった。
 この時代、消費者物価指数も平均実質成長率も鰻上りとなり高騰を記録した。此処で使われた手法は、端的に言えば、疲弊した地方都市や農村に輪転機で金を刷り捲り、これを散蒔き、一方で、市場に介入しインフレを意識させて円安へと誘導したことであった。
 だが達磨オヤジは、達磨の如く手足を縮め、他には何もしなかった。財政出動を増やし、日銀の国債引き受けたに過ぎなかった。金を刷り捲った所為で、金本位制の放棄せざるを得なかった。構造改革すら遣らなかったし、産業政策も皆無だった。インフレに導いたに過ぎなかった。これで確かに豚は太った。肥えた。
 だが肥えた豚は、好きに料理されて、啖
(く)われるだけの運命だった。誘導し、これを啖ったのが、当時は欧米の国際金融資本(マネー・メジャー)だった。
 そして一方、欧米に抗
(あらが)うために大東亜戦争が起こったのではなかったか。

 この仕組みの影に、ある国際金融資本が動いたとなると、その政策の背後にあったのは不景気打開策か。
 あるいは増税の圧力か。それに国債残高の累積の官僚たちの増税進言もあったと聞く。だがである。
 達磨オヤジはユダヤ式に、豚は太らせて食えと一喝したと言う。豚の「ゴイム」は一方で宗教用語として使われる。
 昨今の日本列島の外国人誘致に、何らかのこの策が使われているのではないか。
 今日の日本は、何処へ行ってもそのご当地から聴こえて来るの外国語ばかりである。日本語などを聞くのは稀
(まれ)である。あたかも敗戦国日本が占領された如きである。経済後進国日本で、これに気付く日本人は少ないようだ。
 好事魔が多し……。上辺だけの経済発展。殆
(あや)うし。
 また、「豚は太らせて食え」の同じような現象が始まった。これは歴史が繰り返したのではない。いつの時代も人間の欲望が繰り返しただけなのである。歴史は繰り返さない。人間の欲望が繰り返すのである。それが歴史が繰り返したように映る。

 上辺だけ……。
 この砂上の楼閣は、既に昭和四十年代から始まっていたのだろう。やがて斃
(たお)れる懸念もある。
 それは私の企てた虚飾的な借入にも似ていたのではないか。
 早く終わらせねば……。
 そういう懸念が脳裡を掠めつつ、時間ばかりが過ぎていくのであった。
 ふと気付くと、考えながら歩いたためか、二駅ばかり先の停留場に来ていた。一体バスはどうなったのか。私を追い越して、疾
(とう)に通り過ぎて行ったのか。そうだったかも知れない。
 ぼんやりしていた。
 何かに偏ると、他方を忘れてしまう。大いなる欠点であった。同時に二つ以上のことを同時進行させる能力が磨かれてなかった。その訓練に欠けていた。無態
(ぶざま)な指揮官であった。

 そのとき何の気なしに、後ろのズボンのポケットに手を遣った。札入れがない。
 では腰に提げた図嚢入れの皮の鞄には?……。
 こもにも入ってない。鞄の中にあったものは、松子から渡された子平直政の記したメモランダムの手帳一つであった。それ以外なにもない。
 では札入れは、何処に?……。
 落したのか、それとも何処かに忘れてきたのか。どちらともつかない。落しなのなら、それは、もう存在しまい。拾われて中身は使われているだろう。
 では忘れて来たのか?……、そうだとすっると何処に忘れて来たか。しかし思い当たらない。二日酔いが三日酔いになっていたからだ。
 酒は止めなければならない。この時ばかりは猛反省した。記憶が飛んでしまう酒に呑まれる愚は止めなければならない。
 さて、これからどうするか。戻るか、それとも戻らずにこのまま歩くか。
 帰るも地獄、行くも地獄。何れを採っても地獄。さて、どうする……。
 戻るのは面倒だ。揶揄もされよう。行けば、進めば……、揶揄だけは免れる。では、進もう……。
 炎天下を歩いた。方向さえ間違っていなければ、やがて八幡には、いつかは辿り着けよう。
 しかし、クソ暑い。大量の汗。それに粘着性。体力も消耗する。
 歩いているうちに、歩くのが厭になった。
 ここらで、腰を掛けて休もうか。
 山頭火だったら、こういうときどうしたのだろうか。歩いたのだろうか。休んだのだろか。
 足を投げ出して、休んだ句もあるから、こういうときは無理をせずに休んだのだろう。
 坐り心地の良さそうな石があったので腰掛けてみた。

 「何時だろう?……」
 時計を見た。止まっていた。汗で止まってしまったか。防水だったが「安物はだめだなあ……」そう吐露したが、どうなる分けでもない。
 先ずは、此処で休もう。
 腰掛けて、つらつら反省してみる。
 好事魔が多し……。同じ言葉が吐露された。
 その元兇は何処に巣食っているか。
 問題は、私が搾取者でなかったからではないのか。額に汗をしない不労的なものを目論んだ結果から、天罰が当ったのだ。私は搾取者か。いや違う。そんな生易しいものでない。実は掠奪者でないのか!……。
 考えれば、自分の金を出してドンチャン騒ぎしたのでない。してもらったのだ。お貰いをしたのだ。
 これこそタダ酒の掠奪者でないのか。羞じるべきだ。
 こういう大盤振る舞いを受け、期待するようになると
、やがて金銭感覚をうしなう。天は、札入れを私から奪うことで、正常な金銭感覚に戻るよう諭したのかも知れない。反省するいい機会であった。

 「夏炉冬扇
(かろ‐とうせん)」という言葉がある。
 『論衡
(ろんこう)』逢遇に、「作無益之能、納無補之説、以夏進炉以冬奏扇」とある。
 「無益の能を作
(な)し、補い無きの説を納(い)れ、夏を以て鈩を進め、冬を以て扇(せん)を奏(すす)むるなり」と。
 時機に合わない無用の事物の喩えを言う。だが芭蕉は、「わが句は夏炉冬扇の如し」と言っている。
 思えば俳句は夏炉冬扇である。冬夏炉扇であるからこそ、意味をもってくるのである。そこに重いものを軽く用い、軽いものを重く用いることが出来るのである。換言すれば、荷物の重さが執着の重さであるから、それを減らせば軽くなるし、殖やせば軽い物でも重くなる。
 さて、人生の真理は減らしていくこと、捨てていくことに真理があるのではないか。物は減らすことで人生に深みが出てくるのではないのか。
 捨てる筈の人生に、捨てるより、拾えばどうなるか。それが人生の柵
(しがらみ)と言う重荷を背負うことになるだろう。

 札入れを失った。捨てたと思えばいい。その分、軽くなったのだ。捨てていく中に人生の真理がある。
 陽が傾き始めた……。
 『夕老』の世界が始まった。いい景色である。しばらく此処で眺めていくか。
 夕陽斜めなり。好きな景色である。
 此処は小高い丘の上ではないが、黄昏
(たそがれ)の空に厳(おごそ)かな光が溢れに値する。もうじき黄昏が遣って来る。ひとりぼっちの漢。そこに夕老の姿がある。
 夕老にはいつも坐る席がある。切り倒された倒木は、この漢のベンチ代わりの特別席だ。その席に、私が坐っているのだろうか。夕老は風流人であった……。
 だが、夕日はいいこと尽くめでない。斜めに傾く夕陽は美しいということだけでない。背後に、ある不吉なものもある。そういうものを含む。それは、滅びゆくもの……。
 夕陽
(せきよう)限りなく好(よ)し、只是(ただこれ)黄昏(こうこん)に近し。そして隠された藕糸としての滅びの暗示である。李商隠(り‐しょういん)の『楽遊原(らくゆう‐げん)』の一節である。

 さて、不吉なもの……。
 空の向うに入道雲が湧いていた。そろそろ来るか。
 一雨来そうだった。一雨叩かれて、驟雨
(しゅうう)の笞を受けるか、山頭火が霰の笞を受けたように……。
 いよいよ来るぞ。
 そう思ったとき、ついに来た。
 決して悪い雨でない。いい雨である。叩かれるにはいい雨であった。
 そのとき車のクラクションがした。文香さんだった。嬉野から武雄に帰る途中なのだろか。
 「乗りなさいよ、武雄駅に行くんでしょ?」
 私は手を振って拒否した。それは行かないとも、車に乗らないとも、何れかにとれた。
 「これは奇遇ですね」
 「なにが奇遇よ」
 「どうぞ、お先に……」
 「なに、バカなこと言っているのよ」
 「先を急ぎませんから、どうぞお先に」
 手を招くように、「お先にどうぞ」のジャスチャーをした。

 「雨が降っているじゃない、直ぐに、ずぶ濡れになるわ」
 「いいじゃないですか」
 「本当にバカだから……」
 駅の方向に歩き始めた。
 「おい、なでんで拗
(す)ねている!」文香さんが怒鳴った。
 「拗ねてなんていませんよ、ここに来たのが、間違いだったと気付いたんですよ。反省しています」
 そのとき、雨が驟雨から豪雨に変わった。激しい雨である。
 「ドブネズミ!」
 「いいじゃないですか、ドブネズミだって」
 歩く後ろから車は徐行でついてきた。
 「困ったものだ」呆れ顔で言う。
 そういって、文香さんは車を急発進させて走り去っていった。分からず屋に怒ったのだろうか。
 こういうとき、甘えない痩せ我慢もいいものだ。
 自らの足で地面を踏ん張り、立って歩いているという感じがするからだ。このときばかりは、自尊心を取り戻す。われに還る。毅然とした誇りが蘇
(よみがえ)ってくる。甘えは駆逐しなければ、甘えの構造の中に取り込まれてしまうのである。
 濡れて、いい雨だった。雨の降り頻
(しき)る中を武雄方面に向って歩いた。

 本来なら、もし痩せ我慢をしないと、どういう構図が顕われただろうか。
 おそらく、総てよしの構図が、顕われていたのではあるまいか。有頂天に舞い上がる落し穴である。
 有頂天が訪れていたら、まず文香さんから車で送られて武雄駅まで行っていただろう。そして同乗者は松子と姉である。いいようで、結果的には最悪の構図。
 だが、この構図こそ「甘えの構図」だった。滅びの構図である。人を宛にする構図である。閃きで未来を想像するアイディアマンも、一挙に地に堕
(お)ちる。
 かの信長は、この甘えの中にあって、本能寺の変が企てられ、光秀から暗殺されたではないか。
 その意味では信長は、光秀を秀吉と同じように扱い、墓穴を掘った。甘えの構図の恐ろしさである。時代は人によって作られるからだ。また、人は時代によって作られるからである。

 やがて雨が上がった。涼風が吹き始めた。雨上がりの風である。
 濡れたい服を乾かしてくれるような風である。肌に心地よい。風の中を歩いた。
 さて、何時間歩いただろうか。
 かなり歩いた気がする。二時間だろうか、三時間だろうか。あるいはもっとだろうか。
 昼下がりの太陽に灼
(や)かれ、傾いた夕陽(せきよう)に灼かれた。晩夏だが、既に風は秋だった。風は初秋だった。秋の陽に灼かれたのである。これでけで充分に日焼けした。陽に焼けると同時に風にも灼かれた。
 灼かれて、黒くなるのはいい。しかし濁ってはいけない。純粋に黒くなればいいのである。自然に陽に灼かれればいいのである。

 私は夕暮れ間近な道をてくてく歩いていた。その脇を車がビュンビュン通り過ぎて行く。砂埃を巻き上げていく。その砂埃を頭からもろ被る。雨に一旦は洗われた塵埃
(じんあい)だが、また汗と一種の貼り付いた。
 私は夕日にも灼かれて歩いていた。それがどうしたことか、快い徒歩禅だった。歩きながら精神は安定し、叡智に近付こうとしていた。この時ばかりは、不思議と妄念は除去されていた。
 少しずつ日の暮れる時間が早くなっていた。辺りはすっかり暗くなり、嬉野から歩き始めて寄り道などもしたから、武雄まで六時間以上を過ぎていただろうか。しかし此処が終着点でない。此処まで来たから、それで終わったと言うのでない。
 今からが本番だった。これから先、どうやって博多に辿り着き、博多からどうやって北九州八幡へと向うかであった。一文無しは、移動するための資金をもたなかった。難儀はこれからであった。
 だが案ずることはない。なんとかなる。上り方面の福岡に向う長距離トラックをみつけてヒッチハイクすればいいのである。運が良ければ拾えるだろう。
 さて、これからが運試し。吉と出るか凶と出るか……。

 夜の国道である。旧三号線を東へと向う。
 山頭火同様、宛のない旅の、つくつくぼうしだった。
 車の往来は頻繁だが、福岡ナンバー、北九州ナンバーがなかなか見つからない。手を挙げ、止まってもらうと言うことも簡単ではない。うら若き乙女ならドラーバーも眼を向けようが、ドブネズミのような食い詰め痩せ浪人は、そう簡単ではないのである。美女と醜男では格差が大きい。
 東に向って歩きながら、些か疲れた所為
(せい)か足許はふらつき、頭もぼんやりしてきた。ヘッドライトの洪水に溢れていたが、山間部に差し掛かった頃は真っ暗であり、車が道を照らして走り抜けるときは、道も明確となるが走り抜けてしまうと光を失い、また元の闇に戻る。この辺は幾分盆地になっているのだろうか。夜霧が掛かっているようだった。なぜか空には星の数がまばらであり、辺りは薄暗い。
 周期的にベットライトの光芒の中で渦巻く霧は、排気ガスと混ざって、煙りのような粉塵を上げた。

 だが、こうしている最中、嬉野の姉の家ではとんでもないことが巻き起こっていた。
 私は財布を持たずに一文無しであることが分かったのである。姉、松子、そして文香さんの三人は、これから緊急召集して共同謀議の策を巡らし、「捕獲せよ」となったのである。保護ではなく「捕獲」であった。
 いま現在、私に当て嵌まる日本語での適語は、捕獲以外にないようだ。
 女が三人よれば姦しいというが、ただ姦しいだけでない。智慧者の女が三人集まれば、もうそれから先は謀議である。それに松子は刺客だった。獲物を追う巧妙策ぐらいは知っているだろう。智に併せて、策が付く。これが最も始末が悪い。だが、それだけではない。
 更に厄介なのは嬉野発の「行方不明情報」が北九州に通達されたことである。母のところにも出され、また一番厭な同居人のいるアパートにもである。しかし、ここは生憎留守だった。それもその筈である。四泊五日で居ないのである。知られないだけでも不幸中の幸いか。

 幸か不幸か、そこに12輪の大型トレーラーが幅寄せして来て、ブレーキ音を軋
(きし)ませて停止した。
 「どこまでいく?」
 運転手が訊いてくれた。
 「北九州八幡まで行きたいんですが」
 「これは博多止まりだ。そこまででよければ、乗りな」
 運転手は放浪者の気持ちが分かるようだった。過去にもヒッチハイカーを拾って乗せてくれたのだろう。
 「ありがとうございます。では、博多まで」
 助手席に這い上がるとドアを閉めた途端、トレーラーはディーゼル音をけたたましく上げて発進した。これで何とか一安心だった。
 だが、一方で裏では、捕獲作戦が展開されていた。逃走犯の追跡劇のような捕獲作戦だった。
 「兄さん、どうして歩いているんだね?」
 「いろいろと事情がありまして」
 「ほーッ、すると追われているのかね」
 「まァ、そのようなものです」
 「じゃ、ムショ破りとか?……」
 「近いですね」
 「だったら、一文無しだね?」
 「囲いを破りましましたから……」冗談で答えたつもりだった。
 「えらい!それでこそ男だ!」運転手は勝手に感激した。
 「わしが、必ず逃がしてやるからな。任しておきな、サツは蒔いてやるぜ」
 「何な知りませんが、いやにパトカーが多いですね」
 「そりゃ、ムショ破りをしたんだろ?この先の高速道路入口のジャンクションでは、よく交通取り締りの検問を遣っている。そこでだ。わしの勘では、高速に乗らずに県道に出て、そこから旧国道へと進入する。そうすると何とか逃げ果
(おう)せる。安心しな、必ず逃がしてやるからな」
 「それは、どうも……、お世話になります」
 「で、何やったんだね?殺人とか、火付けとか強盗とか、強姦とか猥褻とかだよ」
 「威張れるほどのことではありません。ささやかなことです」
 「その、ささやかが穏やかではないね。いったい何やったんだね?」
 運転手は興味津々だった。この場合、強制猥褻で「電車の中で痴漢働きました」などと言ったら、直ぐに怒って「降りろ!」となるだろう。
 ここは大きく行こう。
 「まあ、何と言うか、義によって助太刀もうしたというところでしょうか」
 「義によって助太刀……とは、例えば忠臣蔵とか、『唐獅子牡丹』の健さんがやる、あれのことか?」
 「そのようなものです」
 「相手は、どこの組なんだい?」
 「ケチな田舎の極道でして」
 「相手は何人だ?」
 「さあ、夜でしたから数えた訳ではありませんが、ざっと40人、いや5〜60人はいたのではないでしょうか……」
 「それは、兄さんひとりて相手、したんかい?」
 「はあ、味方がいなかったものですから、已
(や)むを得ず、ひとりで……」
 「えらい!それでこそ日本人だ!」
 運転手は益々感動して、涙でむせぶ直前だった。この人は義理と人情物の倶利迦羅紋紋の世界が好きなのであろう。勝手に人情物の世界に入り込んでいった。
 「前方では検問が行われていますね」
 「任しときな、兄さん。後ろの席の蒲団が敷いてあるから、その下に横になって隠れるところがある。ちと狭いが、しばらくその中に入って隠れていな。必ず匿ってやる」
 「じゃあ、お言葉に甘えて」
 私は言われた通り、後ろに移り、蒲団の下のボックスに隠れた。
 ここまで来たら、単なるヒッチハイクですなどと言えない。サツに追われる逃亡者を装うしかない。
 この御仁を失望させたら、こんなところで叩き出されてしまう。あくまで最後までムショ破りの逃亡者を演出しなければならない。ムショ破りは勝手な思い込みだが、この劇においては、最後まで逃げ果せるというシナリオが出来上がっていなければならない。

 警官が寄って来た。
 「なにかありましたか?」運転手が訊いた。
 「捕獲の指令が出ています」警官が妙なことをいった。
 全国指名手配なら分かる。しかし、捕獲とはこれ否に……。
 姉が考えたのだろう。県会議員や国会議員に姉のファンが多いと聞くから、おそらくこうしたところに手を回し、佐賀県警に圧力を掛けて、捕獲者の人相・年齢・風体などを報せたのかも知れない。もしかすると、この捜索のモンタージュ写真などが作られたりしていて……。
 「それ、どういうものなんですか?」運転手が訊いた。
 「ずいぶん危険なやつで、狂暴ということです。見掛けたら、必ず110番をお願いします」
 「そうですか。もし、見掛けたら近くの交番に報せるか、公衆から110番しますよ」
 この時代、トラック無線も発展途上段階で、殆ど装備されておらず、携帯電話などは皆無であった。

 「積荷は何ですか」
 「佐世保港から水揚げされたマグロを博多へ直行しています」
 「では、車内を改めさせてもらいます」
 「どうぞ」
 「一人ですね。助手の方は?」
 「今日は自分一人です」
 「では、ドライバーの方は一度、車から降りて、中を詳しく見せて下さい」
 「どうぞ、ご自由に」
 警官がもう一人を呼び、二人で車内の懐中電灯を照らし捜索を始めたが、不信なものはないと言うことで検問の通過が赦されたようだ。隠せ果
(おお)せたのである。
 「匿って頂いて、有り難う御座います」
 「なあに、いいってことよ。あとは任しときな。仲間に手配して、博多から先も逃げられるようにして遣るからな。何だかおもしろくなってきたぜ」
 運転手は嬉々としていた。これまでの退屈な運転に、私が新たな旋風が吹き込んだのだろうか。
 おもしろくなる……。これが捕物劇に発展すれば、世の退屈人は、これを機に半減するかも知れない。しかしその主役は、再び釈迦の掌の上で、孫悟空を演じなければならなくなるのである。


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