運気 八門人相 房中術 癒しの杜 菜根譚 小説 会報Back No. 合気 蜘蛛之巣伝 死の超剋 霊的食養 心法
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旅の衣・後編 7

かのフランシスコ・ザビエルは言う。
 この神父は、当時の日本人の「清貧」さについて、驚きと感激の念を表しているのである。
 「日本人にはキリスト教国民のもっていない特質がある。それは武士が如何に貧しくとも、その貧しい武士が、豪商と同等に尊敬されていることだった。清貧なる貧しさを、少しも恥だと思っている人はいなかった」と。

 これは生と死の二元大局が導いた「死生観を解決した胆力」であろう。その胆力を知る「胆識」を弁
(わきま)えた思想でもあった。あるいは揺らがない心の「不動心」であろう。
 日々、死をわが心に充て生きる。武士道の教えるところである。


●努力は実るか

 私の持論だが、世に言う“努力は実る”は、全く信じていない。そんなことはあり得ないからである。あったとしても、圧倒的にその確率は低く、大半は実らないで終わる。だからといって、努力は無用だと言っているのではない。

 私は、かつて予備校を経営していたので、その現実を厭
(いや)と言うほど見て来た。
 「努力は必ず実る!」
 この言葉を何度繰り返し、大学受験の生徒を励ましたことだろうか。
 しかし、既に風化しかかっていた。努力という言葉は、もはや死語に近かった。
 努力・努力・努力と繰り返す度に、この言葉に耳を傾けて奮闘する生徒は皆無に近付いていた。
 そして奇妙な川柳まで流布された。
 「親を見りゃボクの将来知れたもの」などの、狂歌に近いものまで出てきて、この頃から、子が親を見下げることが殖え始めたのも、この時期からだったように思う。それは親自身に生涯学習の気概が欠け、厭世的な生き方が始まったことを、諷刺
(ふうし)し始めた時代でもあったように思う。更には、親が子を叱らなくなったのも、この時期かだったのではないかと思う。
 厭世的な諷刺が流布された時代である。
 それに併せて、指導側の叱咤激励も無効になり始めた時代だった。一向に効果はなくなり始めていた。
 おおよそ、私の旧態以前な指導法で奮闘する予備校が、斜陽の一途を辿ったのは、こうした時期であったろうか。なにか、
隠れた共通項があったように思うのである。

 つまり大学受験とは、大学に入学するとは、実は「才能」なのである。才能のない者が、如何にこれに取り組んで格闘しても、単に、嫌々机に齧
(かじ)りついているだけでは、その努力は徒労となる。努力の実らない所以である。努力・努力というは易しである。あまりにも抽象的な概念で、具体性に欠けるからだ。
 受験指導側は、その生徒が大学に行くだけの才能があるか否かを見抜き、行く才能を持った生徒が、いま埋もれているのなら、それを掘り起こしてやるだけで、根本には才能が眠っていると言うのが必須条件となる。だが、埋もれていなければ、そこを幾ら掘り起こしても、才能など出て来ない。その痕跡もない。掘っても掘っても、才能の一欠片
(ひとかけら)も出て来ないのである。

 また、大学に行く才能を持たない者が、大学に行こうとするから、ここに無理と徒労が生じる。
 この時代、大学に行く才能のない者を文部省は駅弁大学という「一時預かり職業安定所」を作った。
 当時、日本の至る所の鉄道沿線沿い駅弁大学ができ、観光温泉地には温泉大学が出来た。こう言う大学を「一時預かり職業安定所」と世間は揶揄した。そのため、学力のない大学生が増殖された。
 「一時預かり職業安定所」とは、如何なる施設か。
 本来、高校生止まりとか、農林・鉱工業の職業高校までの生徒をベビーブームの時代、そのまま放てないようにしておいて、一時的に大学という名の、大学とは言い難い大学を作り、そこで一旦、プールしておく施設であった。もし、中学や高校止まりが世に溢れれば、世の多くの中高年の肉体労働者は仕事が奪われる。雇傭する方は若い方がいいからである。
 戦後の日本では、仕事が階級されてしまった。その階級順は知能順に選別された。上へ行くほど知的作業をする仕事に従事でき、下へ行くほど肉体的労働が濃厚になる。そのために、世に溢れるベビーブーマー世代を「一時預かり職業安定所」でプールしようとしたのである。エコノミックアニマルの補欠群だ。
 しかしこの補欠群は、大学を形なりにも出て、世の中に放り出されても「大学はでたけれど」という下の階級に甘んじるしかなく、そういう青年層で溢れた時代があった。

 ところがベビーブーマー世代で大学に進学したのは、同世代の四分の一以下であった。当時、中卒就職者は金の卵と言われて貴重品扱いされたし、高卒でも三分の一程度しか大学へは進学しなかった。ベビーブーマー世代は政府が考えるほど経済的には豊かではなかったのである。大半は大学に進学せず高校までで就職してしまった。
 大卒者が爆発的に殖えたのは、それから五年か十年後のことである。それ以降は終熄しはじめる。子供の数が徐々に減ったからである。
 何らかの高学歴を背負ったエコノミックアニマルが殖えたのは、昭和50年代からだっただろうか。
 この頃に、会社の社畜の前進である猛烈社員という言葉が出来たのも、この頃からであった。知識武装の大卒者が急増したために、人事考課の評価はサービス残業で奉仕する人間に眼が向けられるようになる。
 また、「出張から帰ったら、女房と息子が、自分達夫婦の寝室で寝てた」というサラリーマン残酷物語が出来るのも、この頃からだった。
 優秀なサラリーマンを作ろうとする日本の政策は、至る所で支障を来たしていた。

 これを、かつて台湾の蒋介石は、日本の大学生を指して「最高の学歴、最低の学力」と罵倒したことは、まだ日本人の高齢者たちには耳に新しいだろう。その頃の記憶がある人も多くいるだろう。
 それがまた、大学で学ぶ場が、学問の場ではなく、就職が目的なら、それは最悪だろう。
 この最悪の中に自由を削ぐ元兇に気付かなければ、卒業後の人生は「水の百姓」の生活に甘んじなければならなくなるだろう。それば人間牧場の中に入って、個人主義に奔走する生活である。しかし、それに幸せを感じる人も少なくない。個々人の受け止め方であるから、それは好きに遣ればいいことである。

 仮に何処かの大学に入れたとしても、その学生は、そもそも整理整頓する行いに掛けているから、いつも思考力が分散し、あれもこれもの状態で、考え方に一貫性が無く、集中力も失われている。
 この部分を改造すれば正しく機能する者もいるが、大半はこの機能が毀
(こわ)れている。
 したがって、勉強しない、勉強できないの現象が起こり、安易に四年間の大学生活を無駄に過ごし、「大学は出たけれど」だけの、社会の底辺へと押しやられて行くのである。
 世の多くは大学に行く才能がない。家が貧しかったから、大学に行けなかったなどが、これだろう。才能があって、行こうと思えば手段は幾らでもある。
 行ける大学はピンキリだが、大学卒業の学士としての優劣は明白である。
 世が「無学歴時代」に突入したのもこの頃からだった。大学を出ても意味がなく、世間は東大出身者を頂点とする有名大学以外、大卒者と認めないようになってしまった。総ての大卒者を等しく“学士さま”と認めなくなったのである。
 それゆえ、才能がなければ努力の結果は、むしろ「努力は実らない」と確信している。既に教師の叱咤激励が生徒に通じなくなった時代である。
 かつて私が予備校を経営している時代、大学受験指導に対し、現役の高校教師が毎日のように予備校へ見学に訪れていたが、既に現役の教師すら生徒に何を学ばせていいのか不確実になっていた。分からなくなった地確実性の幕開けだったように思う。
 人間は、単に努力だけでは、どうしようもないからである。その要素の欠片が残っていなければ、幾ら努力しても、永遠に徒労なのである。
 努力しても、克服の壁を超越しなければ、努力は先ず実る条件を失い、最終的には徒労に終わる。
 世の殆どの努力は、これに帰着する。
 そして、この手の努力は、それ止まりの努力である。結果を伴わない。

 努力……。
 言葉としてはいい。
 だがそれは、多くの場合、実ることは少ない。殆ど努力は現実に反映されない。結果に結びつかない。
 しかし人間は、それでも努力しなければならない。だが同じ努力でも、報いられる努力と報いられない努力がある。報いられる努力は、現象界に形として顕われ、報いられない努力は形を無さない。
 形を為
(な)すものは有限であり、形を無さないものは無限である。
 ここで有限を採
(つ)るか、無限を採るかということになる。
 有限無限を、例えば現金に置き換えてみよう。その額を一千万円としよう。形状的な大きさとしては煉瓦一本分である。この煉瓦一本分を有限とし、煉瓦一本分の形を無さない価値を無限のものとしよう。無限のものは形として顕せないものとする。
 さて、このどちらを採るかとなると、それを前に、大いに迷うものである。目の前には現生
(げんなま)の現金があり、他方には現金ではなく、それ相当にレシピである。果たして何れを採るか。
 どちらか一方を採れとなると、果たしてどちらを選ぶだろうか。
 これが「額に汗して」という形容でも顕すことができ、前者の場合は額の汗は必要ないが、後者の場合は汗が必要になる場合がある。使い果たせば無に戻る有限か、使い果たしても湧いて出る無限の泉かである。

 使い果たしても湧いて出る無限の泉……。
 これを模索し始めたのも、この頃からだった。
 更に以前も、全くこの種のことは考えなかった訳でない。
 塾や予備校を始める以前は、家庭教師をしながら、将来の不安定に憂う生活を送っていた。この生活はまさに晴耕雨読で、晴れれば畑を耕し雨が降れば農耕をやめて毒手に没頭する生活を言うが、私の場合は、晴れても耕しに出なかった。思索に耽り、憂う将来すら持っていなかった。極楽トンボのような生き方をしていたのである。
 私は極めて暗示に弱い人間である。誰かが暗示を掛ければ、それを直ぐに実行してしまうし、唆しに弱いのである。唆されても、それを本気にして実行するところに私のバカがあった。そのバカを輩も後に出てくる。
 自分では絶対に実行不可能なことを、私を唆せて、豚を樹に登らせてしまうのである。思えば、単細胞人間だった。しかし、人より多く冒険した。
 振り返れば、おもしろい人生であったように思う。気付いたら冒険王のようなことをしていた。つまり王である以上、その王の人生は決して脇役ではなかったのである。如何なる境地におかれても主人公で。主役だったのである。



●夕老

 大学は出たけれどの時期のことである。卒業して間もない頃だった。職がなかった……。
 職がないと言うより、職に就かなかった時期であり、翌月に女子高に就職する少し前のことであろうか。
 退屈な日々を嬉野で憂さ晴らししているときであった。絶望はしていなかったが、失望はしていた。
 その頃の私のある模索である。

 「あるとき、ある街に、うだつの上がらない老いた漢が棲んでいた。もう、この漢は自分があとどれくらい生きれるかも定かに計算できない漢で、この街にひとりで棲んでいた。漢には妻もなく、子もなく、身寄りも友人すらもいなかった。ときに、放浪癖があり、どこかにふらりと出掛けていくことすらある。
 長い間、ひとりぼっちで、これからもひとりぼっちだろう。この老いたひとりぼっちの漢が、決まって遣ってくる場所と時間がある。限られた場所に、限られた時間に併せて遣って来るのである。
 それは小高い丘の上で、黄昏
(たそがれ)の空に厳(おごそ)かな光が溢れ、その迫り来る夕日を眺めるのが好きであった。そこには櫟(くぬぎ)の林があり、切り倒された倒木は、この漢のベンチ代わりだった。漢は、そこに越しを掛け、その特等席に坐って夕日を眺めるのである。
 漢の愉しみは、越しにぶら下げた瓢箪の中の酒と、懐にしまった朱塗りの盃で、夕日を肴
(さかな)にちびりちびり遣るのである。なぜ此処に来るのだろう……。
 漢は思った。
 それは何十年も繰り返して来た自分の生き方の一部、あるいは全部かも知れないと思うのである。漢はそう思いながらも、ひとりぼっちが好きなのである。いつの頃から、街の人々はこの漢を『夕老』と呼ぶようになった。思えば、夕老は風流人であった……」

 ここまで書き出しておいて、書いた作者は、自身で「なかなかいい書き出しじゃないか」などと自己満足するのである。私はこの書き出し文に『夕老』と題したことがあった。
 夕老とは、夕日が好きな、ひとりぼっちが好きな、人生に窶
(やつ)れてうらびれた老人の話である。その人生の随想であり、それから先の晩年の模索である。
 これを書き上げたら、官能小説の出版社の賞金付作品応募にでも出そうかと思っていた。

 嬉野の姉の家に転がり込んで、何かを模索するとき、私は家に籠らず、決まって出掛ける場所があった。
 この辺一体は佐賀平野が広がり、お茶どころで知られる場所であるが、そういう場所にも高台があった。
 そこは丘陵と言うには大袈裟な場所であるが、そこに来て、夕日を眺めるのが好きなのである。
 武雄方面から嬉野に向う場所にあり、県道から少し登った場所だった。この場所で夕日を西に出掛かった三日月を同時に見れれば、それから先が幸運な一日の始まりと勝手に思い込むことがあった。だがそれはロマンチックと言うものではない。秘めたものがある。それは不穏……。
 『夕老』は傾いた夕日を象徴するものであった。側面には侘しさが漂っている。その侘しさの中に一俟つの不穏が紛れ込んでいる。

 夕日……。
 夕陽
(せきよう)斜めなり……。
 この想いに浸るとき、直ぐに唐代末期の詩人・李商隠
(り‐しょういん)の詩に『楽遊原(らくゆう‐げん)』のあの風景に重ねてしまうのである。夕陽斜めなり……。そして、夕陽限りなく好(よ)し……。
 しかし「好し」とする夕日にも、これから先の不穏が漂っているのである。それが、なぜか心を落ち着かなさせることがある。斜めに傾く夕陽は美しいということだけではない。不吉なものも併せ持っている。
 それが斜陽……。
 作者の李商隠は、この詩の背後に、ある不吉なものを感じ取っていた。
 確かに夕陽だけを見ると、斜めに傾く夕陽は美しい。だが作者は滅び行く大唐帝国の末路に重ね合わせて詠んだのである。美しいものの中には、こういう怕さも隠されている。
 それは李商隠のいう「晩
(くれ)に向(なんな)んとして意(こころ)(かな)わず、車を駆(か)って古原(こげん)に登る。夕陽(せきよう)限りなく好(よ)し、只是(ただこれ)黄昏(こうこん)に近し」の隠された藕糸としての暗示である。

 その時である。
 私が腰掛けた場所から少し離れたところに車が止まり、声を掛けられた。
 「そんなところで何をしているの?」
 文香さんであった。
 「こんにちわ」
 「また、叱られたの?」口喧しい姉のことを訊いたのだろ。
 「孤独に浸っているのです」
 「おかしなことをいうわね」
 「これから先の老後についてです」
 「老後って、きみは二十歳そこそこでしょ。なんで老後なのよ?」
 「盛年
(せいねん)は重ねて来らず。一日再晨(いつじつあした)なり難し……」
 「どうかしたの?」
 「喧噪から抜け出しているだけです」
 「熱でもあるの?……それとも……」
 「遂に来ました」
 「また病気?」
 「永遠の恋人は文香さんだけです、浮気にませんので、ご安心下さい」
 「やはり病気ね。乗りなさいよ、送ってあげるから」手招きした。
 さて、拒めるか。
 しぶしぶ乗った。
 文香さんの車は、結構なものだった。
 シルバーの左ハンドル、ツードアのメルセデス・ベンツ280SLであった。
 助手席に乗ったら、同時に発進させた。鼻息の荒い女性の運転する急発進である。

 「この車、見る度に結構なものと思うのですが、どこからこの資金が出て来るのでしょうか?」訊かないでいいことまで口を滑らせた。
 「労働の結果よ」
 「人間の労働に、どうしてこうまで、格差が生じるのでしょうか」
 「じゃあ、きみも格差が生じるように労働しなさいよ」
 「ぼくのような、大学は出たけれどの者に、どのような労働が残されているのでしょうか」
 「自分で考えなさいよ」
 「考えています」
 「どんな?」
 「嘘っぱちを書く作家を」
 「きみは数学者になるのじゃなかったの?」
 「才能がないのでやめました」
 「それで、作家というの?」
 「嘘っぱちには自信があります」
 「そっちの方が、もっと才能がないじゃないの」
 「他も考えているのです」
 「どんな?」
 「乗り役です」
 「乗り役って?」
 「日活ロマンポルノの女を犯す強姦魔の役です。生まれながらに、天性の才があると思うのです。これだったら自信があります。チンチクリンではありませんから。極楽浄土に何度も行き来させることが出来ます」
 「あのね、きみ。その程度の能しかないの」
 「封切られた、文香さんも映画館で楽しんで下さい。極楽行きが如何に極楽であるか。エロ映画鑑賞を堪能して下さい」
 「それ、真剣にいっているんでしょうね?」
 「人の命の果敢
(はか)なさは、道に舞い上がる埃(ほこり)のようなものです。機会があれば楽しみ、悦楽に浸り、楽しむべき時に楽しみ、再び明日同じものが巡って来ないと、陶淵明(とう‐えんめい)大先生もいっているではありませんか」
 「きみね、それ、大変な誤訳もいいところ。どうして陶淵明が、そんなこと言っているのよ。
 あれはね、帰去来辞に由来する『対酒』に出て来る故郷の田園に隠棲
(いんせい)する際に詠んだ作で、彼は不遇な官途かんと/官吏)に見切りをつけ、四十一歳の時、彭沢県令(ほうたく‐けんれい)を最後に田園生活を送る隠者の心境を歌ったったものなの。だから、今日一日の事は、再び明日同じものが巡って来ないのだ。従ってこの時期にあっては、楽しむべき時に楽しみ、勉強すべき時に勉強をしなければならない。歳月というものは、決して人間が老いて行くのを待ってくれないものだ」という、人生の飄々(ひょう‐ひょう)とした現実を述べているの」
 「さすが、国文出の文香さんですね」
 「感心している場合じゃないでしょ、本当に作家になりたいの?」
 「嘘っぱちを捏造するのは得意ですから」
 「きみは作家より、山師が向いているんじゃないの」
 勿論これは冗談であろうが、私は文香さんの「山師」と云う言葉に閃
(ひらめ)くものがあった。
 「じゃあ、お言葉通り、山師を遣ります」
 「バカね、冗談を本気にする人がいますか。そういうものは聞き逃すのよ」
 「でも、何だか惹かれるものがあって……」
 「きみと話していると、無性に腹が立って反撥を覚えるのよね。でも不思議なことに、その反撥
(はんぱつ)させるものが、なぜか魅力になって惹き付ける。まるでフェロモン。最初、話していると反撥させ、次に苛立たせ、叱責したくなるくせに、時間が経つ和らいでいる。対立と愛着が同居している。当然、的を得ていない面もあるけど、傾聴すべき点も少なくないわ。本当に変なやつね、きみは……」
 「そこまで言われると、有頂天に舞い上がって胸を張り、山師を自負したくなりますよ」
 「なんていう人なの、ほんとうに呆れるわ」
 「山師……、いいですね。憧れます」
 「ついにやられたか。やはり本気で、老後を考えた方がいいかもね」
 「文香さんの一言で目覚めました。あとで姉に相談してみます」
 「終わったわね」
 「最初はみなそう言います、諦めないでください」
 「じゃあ、あとで山師の作文、添削してあげるわ!」
 ついに怒り出してしまった。怒るのは勝手だ。しかし作品と言わずに作文と言いやがった。作文では、まるで小学生の文章の練習ではないか。甘く見ているではないか。

 さて、なかなかいい書き出しじゃないかの続きである。
 「夕日爺さんを、人呼んで『夕老』という。黄昏れた人の意味も含む。夕老と呼ばれた漢は、かつては人々と同じように、愛を求めたこともあり、伴侶をみつけて家庭を築こうとしてこともあった。この街に棲んでいる幾人かは、かつて夕老が青年時代、そのように生きたことを知っていた。しかし、彼はその時代、最初に愛した女からは裏切られ、やっと迎えた嫁も、不倫に奔り、逃げられてしまった。その後、後妻を迎えたがその女房は死に、三度目は結婚詐欺師で、一切の物を奪われた。彼は一文無しになって、いま生活保護を受けて、傾いた廃屋寸前の築70年の木造アパートの一室に棲んでいる。この廃屋は、夕老とほぼ同じ年齢である。
 老いているだけに、彼の後ろ姿は痩せていかにも見窄らしい。だが、夕老はあれやこれやと、先のことを心配しない。ボケるときにはボケ、死ぬときには死ぬ。そう思っている。いい覚悟だった。夕老の肚の据わったところはボケを恐れていないことだ。そして手に余るようであれば殺してくれればいいと思っている。そういう度胸を据えている。この辺はなかなかのサムライであった。
 街の人々は女運に恵まれない老人に、人生を諦めた静かな孤独を見た。夕老の背中に蕭々
(しょうしょう)と風が吹き抜けていった……」
 しかし、果たして官能小説の出版社が、賞金付作品応募者としてその資格を認めるか否か。
 「どこに官能の要素があるのか」といわれればそれまであった。もっと卑猥さを織り込まねば……。


 ─────この世の中は碌
(ろく)なところではない。だがそれを苦に、世を果無(はかな)んで厭世観に陥ってはならないと思う。人生を諦めてはならない。
 辛抱強く耐え、諦めずに時機
(とき)を俟て、なんとかなる。嵐は遣り過ごすに限る。絶望することは早計である。短気は損気である。限られた寿命まで縮めてしまう。

 現象界に存在する人も物も、みな生き物である。それゆえ、いつかは必ず死ぬか、滅びる運命にある。だがその存在を役に立てることは、その運命を背負わされている人間も物も、果たすことが大きな義務である。
 この世に、なぜ人が存在し、物が存在知るのか。現象界に存在したものは、必ず何処かで受け入れられるものである。
 ゆえに「こんなもの」ではあってはならない。また「こんなもの」で放置されてはならない。腐らせてはならない。それは人も物も同じだろう。生きている生命は遣い切ることである。それは無駄なく役立てると言うことである。これは金銭も同じだろう。

 私の金銭哲学は、金と言うものは自分で稼いで、自分が遣う。金を貯め込んで、それを子孫に残すことではなく、子孫も金は自分で稼いで自分で遣う。これが自前主義の原則である。そして稼ぎ過ぎれば社会に還元すればいい。そもそも本来の資本主義は、自分の稼いだ金の何割りかを社会に還元することが資本家の義務であった。だがこの考え方は、近代資本主義では完全の崩壊し、近代資本主義と個人主義がドッキングしたため、経済はとんでもない方向へと爆走している。
 そして子は親の金を宛にして自分の方に多く転がり込むように、兄弟姉妹間では見苦しい相続合戦を繰り広げている。
 仮に転がり込んだとしても、親からもらった金品は不自由なものである。

 私は中学三年の夏休みの蝉時雨が降る中、その最中に父は息を引き取った。ほんの家族だけの寂しい通夜と参列者の少ない葬式を遣った経験がある。
 父の葬儀の日、姉は嬉野から遣って来なかった。来なかったのではなく、来れなかったのである。来たいのはやまやまであったろうが、母の遠慮から来れなかった。また祖母は、母と折り合いが悪く、平戸から遣って来なかった。そういう些か親戚間の啀み合いの中で、家族だけの寂しい葬儀を遣ったことを覚えている。こうした貧苦の中の葬儀だったから、たいそうなことは出来なかった。

 もう、次の日から私は働いていた。高校受験の時も中学を出たら、しきりに就職を薦められたが、就職はせず働きながら、全日制の高校を出た。学費が自分で働いて払っていた。大学受験のとも同じだった。
 某大学の医学部の推薦入学の権利を獲得していたが、入学金がなかったために、ここは断念して、金の掛からない大学へと進んだ。このとき、私のアイディアとして、家庭教師をしながら刀屋を同時にするということを考え付いた。したがって、親が残してくれたのは、僅かばかりの150坪の土地とそこに断つ古い家屋だけだった。あとは何も残された遺産の恩恵はなかった。
 しいていえば、親が残してくれたのは、小賢しい立ち振る舞いをする少しばかりの脳味噌と、少しばかりの健康な体躯だけであったろうか。したがって全く財産を貰わなかったという訳でない。それなりに財産は引き継いだのである。
 それ以降の家財道具とか、食器類などの生活必需品は、自分の働きの応じて自ら働き買ったものである。
 この時に感じたことは、金といういうものはあり過ぎても、無さ過ぎでも困るのである。だが、自分が一生食べるだけのものは蹤
(つ)いて来るものである。

 嬉野で遊んだ時も、人からの金を湯水の如く遣ったのでない。自分で働いた金で、自分の思うまま、自由に遊んだのである。借金などをして遊ぶのは論外だが、しかし私は至る所に借金を抱えていた。これは些か評判を下げていたのである。心苦しいと言えば、苦しく、この不甲斐なさを恥ていた。
 更に、今回の姉に対しての借金の申し入れであった。だが、私一人が足を運んでも、おそらく門前払いだっただろう。多くの前科があった。
 だが奇
(く)しくも、松子を伴ったことが功を奏した。彼女の貢献が大きかった。
 要するに私は信頼がなかったが、松子は担保として信頼されたのである。
 さて、これで私の役目は、どうやら終わったようだ。



●欅の会

 一夜が明けた。
 茶亭『福美』では、特別な催しが行われていた。朝から騒がしい。
 何かの準備で、人が慌ただしく動いていた。
 この日は猫の手を借りるほど忙しい日だと言う。
 「健太郎、帰るのか」
 亮燕が訊いた。
 「ああ、そろそろと思っている。あとは松子が巧く遣るだろう」
 「残念だ……」
 「おれは、おまえと違って此処でお大尽を遣れるほど閑人ではない」
 「なに言っているんだ、おれだって遊んでいる訳じゃない。それなりに仕事がある」亮燕が言い返した。
 やつにも意地があるらしい。あるいは言い返すほどの何らかの胸を張れる自負があるのだろうか。
 「そうか。先入観でいったことは悪い、赦せ。では、行くか」
 「まあ、俟て。今からおもしろいことを遣る。今晩は泊まって帰れよ」
 「そうもいかん。忘れ物をしてきたからな」
 「残念だな。これからおもしろいことが始まるところなんだがなァ」
 「そうか、残念だな。また縁があれば……」
 「寂しいことをいうな。今日は、特別の日なんだ」亮燕が何故か誇らしく胸を張って言ったのである。
 「どういう日だ?」
 「今日はなあ、『欅の会』の日なんだ」
 「欅の会!……。まさか、あの欅に因
(ちな)んだ会か?」

 そこへ翔太が、分けの分からぬ爺さん婆さんの団体を案内している。
 「なんだ、あれは?」
 「あれはだな、一年に一回の、おれらが社会に還元する恩返しと言うか、敬老会とか老人ホームを廻って呼び集めたおおよそ百名ほどの老人たちだ。あの爺さま婆さまのためが、かつて学徒動員などで、日本防衛のために頑張ってくれたから今の日本があり、また経済復興にもなった。あの老人らを粗末に扱えまい」
 「いいことをいう。老師の受け売りか」
 「考えたんだ、みんなの智慧を集めて」
 「いい事というより、おもしろそうな催しだ」
 「おれらのこの会に、尽力してくれた先生がいるんだ。誰か分かるか?」
 「さて?……」
 「それはだなあ……」と勿体をつけやがった。
 「誰だ?……」
 「それは、だなあ……。篠原……文香……先生だ」
 野郎はスタッカットの如く、音符になおして言いやがった。
 「なに?……」
 「文香先生は、おれが高三の二学期と三学期、大学受験に併せて代理で、現代国語と漢文、それに古典の先生だったんだ。おれたちベビーブームの世代は、人数も多くて、グラスは50名以上が詰め込まれていた。
 受験時期、県立S高は文香先生だった。学校中が湧きに湧いた。なにしろ超美人の先生だからな。それに翔太の県立S農高も文香先生だった。翔太も赤点取らずに卒業できた。
 このときばかりは、文香先生の担当する高校の男子生徒は急に行儀がよくなるんだ。
 例えば文香先生は、S高始まって以来の絶世の美人先生だったからな。それに、おれも、あの先生のお陰て少しばかり成績が上がって、何とか仏教大学に合格したんだ。それも推薦入学なんかじゃないぞ。一般試験を受けてだぞ。そとのきオヤジは狂喜して、そのまま昇天してしまうかと思ったくらいだ」
 老師も歳老いて出来た子には、子煩悩だったらしい。人間臭さがよく出ていた。
 老師にして、いまだに煩悩消え非ず。
 私としては、その煩悩、消えずとしてもなんの不思議ではない。未練は、この世にまだまだある。

 「そうか、よかったな。では今度は、美人の文香先生に、おまえがいま練習中の『妙法蓮華経観世音菩薩普門品』なんかを教えてもらったらどうだ?こんな経典など、横に美人がいたら、一発で覚えてしまうぞ。恃んでやろうか」
 「そいうい考え方もあるなあ。しかし、あの先生は畏れ多い」
 「というと、文香さんは、朝と昼は高校教師で、夜は芸者か?」
 「そういうことだな。しかしその境目が確りしていて、いまも、その正体が分からないでいるからな、朝昼は篠原文香先生、夜は売れっ子芸者の文吉ねえさん。何と凄いことか……」俗界に棲む破戒僧は、破戒僧らしい俗事を言った。気取った高僧には程遠いが、人間臭くてなかなかいい。

 周囲が騒がしかった。
 「今日は、莫迦に手伝いが多いなァ……」私は当りを見ていった。
 「そりゃそうだ、この『欅の会』は文香先生と、おまえの姉さんが音頭取りしているからな。それに、おれたちは、文香先生の補佐役。翔太も、おれのかみさんも、そして野郎のオランウータン2号も。みな、この時ばかりは、一つになる。毎年の恒例行事。このために遠くに出た者まで、この時ばかりは舞い戻ってくる。
 更には、当時の教え子のS高やS農高の連中もいるからな。みな大ファンだ。なにせあの美貌、いまだに衰えずだ。文香先生の遣ることなら、万難を排してやって来る者が多い」野郎は妙に胸を張った言い方をした。
 だがそれが、何が誇らしいのか分からず仕舞いだった。

 そこに松子が顕われた。
 「健太郎兄さん。平戸のお婆さまから電話ですって」
 「なに、ばあちゃんから。おい、なんでおまえ、そんな恰好している?」
 松子は、鬘だろうが髪を後ろに束ね、官女のような恰好をしていた。何でも、よく化けた。
 「わたし、此処の担保ですもの」
 「なんだって?」
 「担保のお仕事。いまは此処のお運び」
 「お運びだと。おれは、おまえを奴隷として、此処に置いたのではないぞ」
 「だって、好きで遣っているんですもの。健太郎兄さんのお姉さんが、制服、クリーニングに出したから、しばらくこれで我慢してねというの。それで、いまはお運びの恰好で、お運び」
 そこに文香さんが飛び込んで来た。
 「ああ、よかった。松子ちゃん。いまバスで着いたお爺ちゃん婆ちゃんを、楓の間にご案内して」
 文香さんも忙しそうに動いているようだった。文香さんは芸妓らしからぬ、教師らしい普通のスーツを着ていた。スカート丈だけは短く、あいかわらず美しいお御足を披露していた。
 「なんか、忙しそうですね」
 「きみも手伝わない?」
 「爺さん婆さんを相手にですか」
 「そうよ。きみも、やがてああなるのよ」
 「枯れ行く老残の日々……、そして好々爺に落ち着く、欲望も情念も消滅した濃厚な老後……。わるくないですねェ」
 「妙に老けたこと言うのね」
 「そうでしょうか」
 「でも、それが生きとし生けるものの自然。それが太古の昔より自然であるとすれば、その自然に身を委ねるのが一番自然と思うわ。わたしは、老いて、枯れて、朽ちることが、決して悪いとは思わないわ。あと五十年もすれば、やがて、ああなる。そして今、きみも、わたしも、過去があって、今があって、その先に未来がある。そういう時間の流れの中で生きているのよ。全部関連して、その連続の中にあるのよ……」
 「だから、連続する時間の中で、貯め込むのでなく還元してそれを捨てる。捨てて行くところに、この世の中の真理と言うものが横たわっていると思いますが、どうでしょうか?」
 「じゃあ、なにを捨てるの?……。それ、分かった?」
 「いまはそれが分かりません、思案中です」
 「でも老いたら、何もしないことではないのよ。活動はちゃんとする。定年を迎えて遊んでは駄目なの。
 ここに集まってくるお爺ちゃんお婆ちゃん、七十になっても八十になっても、活動しているの。だから、今でも昔の老人のように、みな尊敬されているの。その活動を通じて、若者に役に立てると自負しているの」
 「それは、なんですか?」
 「あとで分かるわ。ねえ、きみの連れてきた生徒の松子ちゃん。あの恰好、よく似合うでしょ?」
 「しかし、時代錯誤の白拍子のような恰好ですね、直垂ひたたれ・立烏帽子たてえぼしに白鞘巻は差していませんが……」
 「なにいってるのよ。あの子の恰好は、禁中もしくは院中で、ひとり住みの房
(部屋)を与えられた高位の女官の姿なのよ。あの子からいろいろ聴いたわ。彼女、お公家さんの出なのね。もと華族。わたしの乏しい知識で言うけれど、宮中では女房と言われる女官の上臈(じょうろう)という位。緋(ひ)の袴こそ履いていないけれどね」
 「そういうものですか」
 「だから、あの子、よく似合うと思わない?」
 「ああ、そうですね……」
 「なんか、気がない返事ね。どうかしたの?」
 「考えることが、多々ありまして……」
 そのとき、遠くから「健太郎兄さん、お婆さまから電話ですってよ」と松子の聲
(こえ)がした。
 「そうだったわね、早く急いでいきなさい」

 電話口に急いだ。
 「もしもし、健太郎です」
 「健太郎かい、おそいわね」
 「いろいろ、取り込んでおりまして」
 「政子から聴いたよ」
 「そうですか……」
 「一度、復
(かえ)っておいで……」
 「……………」
 「聴いているのかい?」
 「ああ、聴いているよ」
 「復っておいで」
 「ああ、考えておく」
 「きっとだよ」
 「ああ、なんとかする。都合みつけて帰るよ」
 「婆ちゃん。昨日の夕刻はどんな天気だった?」
 「いい夕焼けだった。お前の好きな、一杯遣りたくなるような、美しい夕焼けだった」
 「いいなあ、赤い夕陽……」
 「元気で頑張っているかい?」
 「なんとか……」
 「健太郎」
 「なんだい?」
 「いや、なんでもない……」
 祖母は、わが子を総て失っていた。
 「婆ちゃん、元気でな。切るぞ、忙しいから……」
 「おまえこそ、元気でね。ごきげんよう」
 祖母との会話はこれだけだか、何かそこには複雑なものが漂っていた。わが子を総て亡くしていた。
 私の心に一つの念が湧いた。それは望郷……。無性に帰りたいと思う。平戸は父母の生まれた故郷……。
 そして私の生まれは故郷、平戸……。それは、身土不二が関わるものであろうか。

一日の始まりはいつか。
 古代バビロンでは、三日月が西の空に見える夕方から、一日が始まったという。古代の日本でも『日本書紀』には「夕日のくだち」を挙げ、夕方6時頃から一日が始まり、これが古代人の意識の中に存在したという。
 現代は漠然と一日は朝から始まると思い込んで来たが、それは今日のイスラム暦に由来しているのだろう。
 しかし、始まりが夕方6時からだとすると、現代人は歴史的にも空間的にも、固定観念で思い込み、それは主観的な判断を長い間、信じて来たことになる。

 夕陽を見て、不思議な力があふれて来るのは何故だろう。それは、本当は一日の始まりだったからではないのか。
 夕方が一日の始まりとするのは、つまり太陽ばかりでなく、この背景には月が関係したことになる。太陽が没し、それに変わって月が登場することを顕している。
 昼と夜とで一日を構成する人間の感覚は古代人も現代人も、その感覚は人類の基本的な単位であろう。
 だが暦が繰り返す時間のサイクルの一日の始まりは、何処にあるのだろう。


 ─────故郷の仲間、身土不二を共有した仲間。
 そして日本の仲間。日本人の総てを含めて同胞という。
 精神分析学の権威で、オーストリアの精神医学者フロイト
Sigmund Freud/人間の心理生活を、無意識の領域内に抑圧された性的衝動(リビドー)の働きとその制御という観点から分析することを提唱。1856〜1939)の弟子であったフランクルViktor Emil Frankl/オーストリアの精神科医、心理学者。脳外科医としても第一級であった。1905〜1997)は、自分がユダヤ人であるために、アウシュビッツ強制収容所に送り込まれた。
 そこでフランクルが見たものがあった。

 師匠のフロイトは、常々人間と言う生き物を「性悪説」で捉え、そのように弟子達にも教えていたが、フランクルが見たものは確かに、理性や知性を失ったユダヤ人が、本能的に、あるいは無意識に同胞のユダヤ人を売り渡し、同胞の死んで逝く姿を見ながら、横で、平気でパンを食べる姿を見た。これは師匠のフロイトの言う通りだった。
 一方、同じユダヤ人でありながら、ごく自然に、自分の命を投げ出し、同胞の命乞いをするユダヤ人に何とか救助して、獄舎の檻
(おり)から解き放そうとする奇特な同胞達も見た。
 そこに、人間の厳然たる事実を見た。これは、師匠のフロイトの言とは違っていた。
 本能的に無意識の中に存在する、深層部の働きの底には、更に深い無意識があって、これは何重にも覆い隠されていて、最終核に「何が」かあることに気付いたのである。
 この「何か」は、奇
(く)しくも、栄西禅師の説いた「仏」に重なるのである。
 栄西は、自分の努力で引き出せと言った。欲を捨て去った、そこに本質である仏あると言った。
 それと同じように「何か」が重なるのである。
 それは「仏」だったのであろうか。あるいは覆いを外した人間の「本性」だったのだろうか。

 一体この共通項は、何処から起こったのであろうか。
 あるいは人類は、このような共通項を、生まれならがらに誰もが持ち合わせているのだろうか。
 そうなると、性悪説は覆され、仏心は洋の東西を問わず、誰にも平等に、同等に、同格に備わっていると言うことになる。
 これはフランクルの見た無意識層の最終中心核であり、この最終中心核に呼び掛けの応じた人が、自分の命を投げ出しても、他人を救うという無私に趨
(はし)ったと検(み)ているのである。
 これこそ、栄西禅師の教えた本質なる仏であり、この「仏」の共通項によって、人は「同胞を思う」という無意識が働くのだと栄西は教え、これに道元が学んだのである。
 つまり「無私」である。
 これは無我の「我
(が)」とは、些か違うようだ。単に「我」の否定でないからだ。
 無私と言う行動を伴わせることで、本性が見えて来るからである。
 そしてまた、フランクルもフロイトの言った性悪説を否定し、無意識の超越的意識の中には、人類共通の「宗教的無意識」があると論じたからである。

 現代の世は一見表面上は、平和のように映る。そしてこれからも、これまで維持した平和が未来永劫に続くように思われる。
 事実、血腥い手と事件も、また心胆を寒からしめる血みどろの争いや、内紛に発展するような戦いは、現代の日本列島内では起こっていない。表面は平穏を装い、平和の恩恵に浸っている。現代の多くの日本人は平和な日々を送っているように見える。多くの日本人は不倫劇の故意の行方に傷付きながらも、その疵に苦しみもしないし、すさみもしない。だから、いいじゃないかという安穏の中に生きている。だが、一番怕いのはこれである。

 何も考えない。人の気持ちが分からない。他人を感じることもない。他人を思い遣ることもない。何も痛感を感じない病気。何も考えない病気。惚れたでもなく惚れるでもなく、ただ性欲だけを荒げる病気。目論むは金が手に入ればいい。それだけでいい病気に罹ってしまった現代人。
 先のことも考えないし、過去のことも、未来のことも考えない。何も考えず人真似が得意になった日本人、実に楽天的。
 太古から続く伝統も文化も失い、そして日本特有の気候屋風土も知らず、外国人の為
(な)すまま。
 歴史すら顧みない。過去に何があり、どう歪められたか思っても見ない。
 既に道徳以前に、自分の人生すら考え、悩み、苦しむことを放棄してしまった現代の日本人。
 そして有名大学へ入ろうとするのは、何のためか。自分の将来の安泰のためか。優越感に浸る、自身の個人主義を満喫するためか。

 人類共通の「宗教的無意識」は何処に行ったのだろうか。共通に宗教的無意識。日本人には残っているのだろうか。
 人間としての基本というか、大切な感性……。どこに消滅したか。
 それを消滅させた元兇は日本の学制が向おうとする知識篇重。これに偏り、中庸を崩せば、好きなことは何かが分からなくなる。
 確かに知識は必要だろう。といって、知識ばかりの人間では、一方のみに偏らないか。昨今の日本に沈滞しているのは「知識だけの人間」を、政治と経済がやらかしているのではないか。
 どんな職業に就くかよいうより、どんな人間になるかではなかったのか。大学に行く理由もどんな職業に就くかであり、どんな人間になるかでないようだ。既に学問は二の次になっている。

 さて、忌まわしい事件現場。
 アウシュビッツでフランクルは何を見たのか。フロイトの学説が証明されたのか。
 したがって、アウシュビッツ強制収容所に送り込まれたフランクルのような過酷な体験は、誰もが皆無であろう。そういう体験も、今の日本国内では皆無に近いであろう。
 だが栄西が言った「修証一体」は、またフランスの哲学者であり数学者のパスカル
Blaise Pasca/日本人にはパスカルの原理で知られ、人間は「考える葦」として「知らない宇宙」よりも偉大であり、更にすべてを知っていることよりも、一つの小さな愛の業の方がなお偉大であると説いたことで有名。1623から1662)までもが、ほぼ同じことを言っているのである。

 パスカルは言う。
 「人間にその偉大さを示さないで、人間外に禽獣に等しいかと言葉ばかりを知らせるのは危険である。また人間にその下劣さを示さないで、その偉大さばかりを知らせるのも危険である」
 この言葉は、キリスト教の言う人間を性悪説で定義する考え方と、真っ向から対峙する。
 そして言葉は続く。
 「更に、人間にその何れかをも知らせずにおくことは一層危険である。だが、人間に両面を示してやるのは非常に有益である」
 人間には「善悪両面の心がある」と言うことを言っているのであり、これは性善説でもないし、また性悪説でもなく、物体・精神・愛という秩序の三段階を説き、今日では実存主義
(普遍的な本質ではなく時間・空間内にある個体的存在をいい、スコラ哲学以来、本質存在に対比して用いられる。特に人間的実存を意味する)の先駆者と看做(みな)されている。
 更にパスカルは言葉を繋ぐ。
 「人間は自分を禽獣に等しいと思ってもならないし、天使に等しいと思ってもならない。その何れを知らないのもいけない。両方を知るべきである」と。
 その結果、パスカルはイエズス会士との『論争書簡集』もあるくらいである。
 つまり、パスカルの言を借りれば、人間には性善説で説くような無意識と、性悪説で説くような無意識の両方があり、何れにも偏らず、拮抗を保って、孔子の説いた「中庸」と釈尊の説いた「中道」に徹したバランス生活を行いつつ、何れにも偏らないと言うことが大事なのである。
 したがってバランスのとれた生活とは、何か、ということになる。

 中庸、そして中道……。何れにも偏らない。
 真中を貫くことによって、左右のバランスを失わない。等しく拮抗を取る。その拮抗の中に、長幼を問わない惹
(ひ)き付けるだけ魅力を放っているのではないか。
 人間は一つの物だけを繰り返し、偏った生き方をしていては変えられないものである。陽に偏れば、陰が恋しくなるものである。また、その反対も好きになり、厭になる。濃厚な西洋食ばかりを食べていれば、やがては食傷を起こそう。これは食事のみに限らず、異性においても娯楽においても同じであり、毎日同じことが繰り返されればげんなりさせられると言うものである。
 これは道においては、単に清規のみではなく、裏に存在する陋規をも把握していなければ、中庸は保てず、また中道を貫けないと言うことである。


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