運気 八門人相 房中術 癒しの杜 菜根譚 小説 会報Back No. 合気 蜘蛛之巣伝 死の超剋 霊的食養 心法
旅の衣・後編 1
旅の衣・後編 2
旅の衣・後編 3
旅の衣・後編 4
旅の衣・後編 5
旅の衣・後編 6
旅の衣・後編 7
旅の衣・後編 8
旅の衣・後編 9
旅の衣・後編 10
旅の衣・後編 11
旅の衣・後編 12
旅の衣・後編 13
旅の衣・後編 14
旅の衣・後編 15
旅の衣・後編 16
旅の衣・後編 17
旅の衣・後編 18
旅の衣・後編 19
旅の衣・後編 20
旅の衣・後編 21
旅の衣・後編 22
旅の衣・後編 23
旅の衣・後編 24
旅の衣・後編 25
旅の衣・後編 26
旅の衣・後編 27
旅の衣・後編 28
旅の衣・後編 29
旅の衣・後編 30
旅の衣・後編 31
旅の衣・後編 32
旅の衣・後編 33
旅の衣・後編 34
旅の衣・後編 35
旅の衣・後編 36
旅の衣・後編 37
旅の衣・後編 38
旅の衣・後編 39
旅の衣・後編 40
旅の衣・後編 41
旅の衣・後編 42
旅の衣・後編 43
旅の衣・後編 44
旅の衣・後編 45
旅の衣・後編 46
旅の衣・後編 47
旅の衣・後編 48
旅の衣・後編 49
旅の衣・後編 50
旅の衣・後編 51
旅の衣・後編 52
旅の衣・後編 53
旅の衣・後編 54
home > 小説・旅の衣 > 旅の衣・後編 5
旅の衣・後編 5

人は変わる。
 確かにそうだ。それが世の中の常だ。
 時も、刻々と変化する。
 しかし、その変わりようが進化であるのか?……、あるいは退化であるのか?……、それは自分自身では観測できない。自分には関わりないからである。
 人が変わるには、これまでの固定観念を打ち崩し、信条を新しいものに塗り替えなければならない。それが出来てこそ、新たなものが生まれる。それが新生の条件だ。
 しかし、それが進化なのか退化なのかは、本人の知るところでない。大なり小なり、人生は人間的な修養を積まねば変わりようがないということだ。


●鑑定

 住職の金田巳堂(みどう)老師に引き合わされた。
 「老師さま、お久しぶりございます」深々と頭を下げていた。
 老師は眼光鋭く、鎌倉武士のような威厳があった。老いても、朽ちていなかった。
 「悪童、きおっかたか!」
 「相変わらず、お口が悪い」私は苦笑しつつ言った。
 「倅
(せがれ)が、未だに性根が据(す)わらぬのは、こやつの所為(せい)だ。こやつが愚息を誑(たぶら)かしおった!」老師が指を差して、私に怒りを露(あらわ)にして言った。
 「老師さま、それは言い掛かりというものです」
 「こやつの所為で、愚息は坐禅三昧の境地にも、未だ到達せず、こういう恥さらしの愚僧になったのは、岩崎健太郎。おまえの所為
だぞ!」老師は鋭く指弾した。
 「何とご無体な、言い掛かり……」
 「愚息に、愚息の磨きを掛けおって、愚息が、更に愚息の域にとどまっているのは、おまえが、倅を色情因縁の闇に引っ張り込んだからだ。そして、おまえの色情因縁も、いまだ輪廻の世界を廻って、迷い放しで一向に解脱できぬではないか!
 健太郎。諸悪の根元は、おまえだ!」
 「老師さま、それは思慮浅はかな近視眼的見解というもの。誑かされたのは亮燕には、もともとその誑かされる才能があったからです。こいつは生まれながらの、色の狂う、天下御免の色事師。それは一種の才能というべきものでしょう」
 思い切り亮燕を持ち上げたが、一向に通じない。

 「黙らっしゃい!」老師は更に激怒した。
 「うム!……」
 この爺さま、実に手強い。
 「健太郎、人の事は言える柄か!……。おまえの色情因縁が、周囲に多大なる迷惑と甚大なる害を及ぼしておる。深く反省せして、改心せい!」
 果たして老師はこう言っているが、その真意はどうか。
 それに亮燕が勢いづいたのか、
 「おい、健太郎。老師が、こう仰っておる。破戒僧という汚名。おれが招いたことでない。そもそも悪の権化は、おまえから出た!」と破戒僧は他人事のように、私に指を突き付けた。指弾である。
 「目屎
(めくそ)鼻糞を笑う、馬鹿者どもが!」老師が雷を落した。
 その雷
(いかずち)、舌端火を吹くが如し……。
 破戒僧は、その落雷に思わず首を縮めた。

 しかし松子だけは、バカの遣り取りにおもしろがって、口に手を当てて聞いていた。
 老師にも、ずっこけたところがないとは言えない。剽軽
(ひょうきん)なところがある。
 松子はこういう家族的な、ドタバタ騒動の茶番劇が好きなのだろう。おそらくこれまで、こういう家族的な茶番劇を一度も経験したことがなかったかも知れない。ときには茶番も人を和
(なご)ませることがある。
 私は側面から、松子の貌をそっと盗み見で、その表情の豊かさに、ほっとするのであった。これまでの疵が癒されているのを感じた。

 この老師、実は姉に「政子」という名をつけた名付け親だった。老師によれば、姉が赤子のとき、その泣き声から“北条政子”をイメージしたと言う。舌端火を吹くが如しの激しさをもっていたのかも知れない。
 私と亮燕とは小学校時代の悪童仲間である。悪童仲間は敵味方の識別が明快だった。
 U川を挟んでこりちらと、川向こうの子供とは、当時対立関係にあった。その当時のガキ大将が、寺の息子の亮燕だった。ガキ大将は猿蟹合戦の猿だった。
 霜龍寺の境内は悪童仲間の遊び場だった。樹に登り、庭の芝生や苔を荒らすなどの悪戯をしては、老師からよく叱られたものである。そして怒れば、昔取った杵柄
(きねづか)の槍身の一槍をお見舞いするのである。
 老師は宝蔵院槍術の達人だった。
 一槍
(いっそう)突き出されると、悪童たちは心胆を寒からしめて一目散に霧散したものであった。左手の捻って扱(しご)き出す槍は、ビュンビュン音を立てたものである。

 また高校の頃、嬉野に舞い戻って来て、亮燕には、いろいと色事を仕込んでやった。根っから破戒僧の愉悦に浸らせてやった。野郎は完全に目覚めた。
 前から後ろから、そしてヘリコプターの回転運動まで。
 野郎を図解コーチ入で指導した。
 だが、破戒僧は短小のため、いまだに基本的な『前つけ』『向う突き』『本間どり』『鴨の入首』『担ぎ上げ』『松葉絡み』『善光寺』『架けもたれ』などの基本技が出来ず、況
(ま)して奥伝の『さかりかけ』については挿入以前で未熟と言えた。回転する前にポロッと抜けるのである。したがって、色道の免許皆伝が与えられず仕舞いであった。

 「老師さまも、ご高齢とはいえ、なかなかご健勝のほど、お喜び申し上げます」
 ここまで煽
(おだ)てたのは精力絶倫と言う意味である。この爺さまは68歳のときに、後妻との間で亮燕を種付けしている。畏れ多い精力絶倫のラスプーチン(帝政ロシアの怪僧)の上をいく怪僧であった。
 「世辞はいい!」
 巳堂老師は、また父を知っていた。
 日中戦争が始まった年、父は予備士官学校を出て、陸軍少尉に任官して間もない頃、休暇で、久留米から平戸に向う途中、嬉野に立ち寄り、此処である女性に知り遭った。そして姉の母親が芸妓だったが、その結婚は赦されず、またこの結婚は祖母も猛反対したらしい。
 更に陸軍将校が婚姻する場合は、陸軍大臣の許可を得なければならなかった。将校が婚姻をする場合は憲兵隊が相手方の身辺調査を行い、親族までも徹底的に犯罪歴などを調べられ、芸妓を嫁に迎えることは以ての外だった。父とその芸妓の婚姻は赦されず、姉は出生以来、母子家庭の子として育てられた。そういう悲恋の因縁を抱えていた。思えば姉は悲恋の間に生まれた女だった。

 そして、後で分かったことだが、姉とところで支配人をしている滝口と言う六十過ぎの人は、かつて父が、対馬砲兵隊で通信隊の中隊長をしているとき、副官の滝口誠一准尉という人だった。姉の話によると、実直な人だと言う。滝口氏が姉のところで支配人になったのは、そういう経緯であったらしい。
 しかし滝口氏は、私が嬉野に居たとき、まだ姉の置屋には居なかった。この人が来たのは、姉の茶屋が大きくなり始めた頃からだった。
 滝口氏は公認会計士で、億単位の金まで扱える人だった。経理に明るい人だったのである。


 ─────『霜龍寺』では老師の、私への叱咤を交えてお説教と世間話を挟んで、小一時間ほど過ごしただろうか。
 そして茶を馳走になったあと、破戒僧・亮燕は茶亭『福美』の露天風呂に行くという。今日は特別な日だと言うのである。亮燕は何か特別な活動をしているようだった。
 また、露天風呂は混浴だからである。野郎の考えそうなことだった。私は最初そのように考えていた。
 またこの活動には前山種苗店の翔太も噛んでいた。
 私は、このとき彼らの特別な活動を知らなかった。
 さて、戻る段になった。だが来た道を、てくてく歩くのも、まどろっこしい。
 そこで亮燕に、「お前のところの管長専用のキャデラックを出せ」となった。
 この高級車、不思議なことに、管長の巳堂
(みどう)老師は一度も乗ったことがない。老師は何処に行くにも歩きである。
 結局、亮燕が自分の趣味で、管長車を廻しているのである。夜な夜な鬘
(かずら)を被り、キャデラックに乗って女漁りに行くのであろう。その意味では破戒僧であった。未(いま)だに煩悩多き衆上であった。
 日中は衣を着て、坊主に化けているが、生にも死にも執着がある俗人である。そして日が暮れると、夜の巷を徘徊する。仏罰間違い無しの破戒僧だった。

 私と松子を乗せた亮燕の運転するキャデラックが、静かの寺の門を出た。滑らか走り出した。そのガソリンの消費量。千円札をばらまいて疾るが如し。
 もしこの高級車に、金粉を塗
(まぶ)した屋根が載っていれば、紛れもなく葬式用の霊柩車である。
 「亮燕よ。後ろに乗せられていると、なんか、霊柩車で運ばれている運ばれている感じがする。おまえ、葬式の依頼のとき、この車に、金粉を塗りたくった屋根を乗せて檀家廻りしているのではないか」
 「バカ言うな。しかし、それもアイディアかもな。その案、さっそく採用しよう」
 「おまえ、坊主より、商売人が向いているのではないか」
 「おまえも、そう思うか。実はおれもだ」
 「じゃあ、寺はオランウータンの尼僧に任せて、おまえは病院と組んで葬儀屋を遣ったらどうだ?」と茶化して訊いてみた。
 「それもいいな。おれは衣より、背広が似合う。頭を七三に分けて営業する方が似合うんだ」
 「ついでに人工受精の種付屋も遣ったらどうだ。有難い老師の血筋である血統書を持って」
 さて、野郎は怒るか。

 「人工受精の種け屋か、それは名案だ。声が掛かれば何処にでも出張する。種付屋だったら天職かも。これだと、だれ憚
(はばか)ることはない」
 こいつは完全にいかれていた。まさに破戒僧だった。このままの方が幸せなのかも知れない。
 「おい、親戚の種屋の前に来たぞ。翔太がオランウータン3号の手を引いて俟っている」
 「3号か……。うまい!」
 「だが嫁さんの親戚だろう。ちと、酷くないか、あの子、傷付くぞ」
 「でも、3号。こうして遠くから観ると、なかなか可愛いじゃないか」
 「その向うが翔太の女房の2号だ」
 「少しは見られるようになったじゃないか」
 「それでも、おれのところの方が上だ」
 たいして変わらぬ。贔屓目に、そう思っている間なら救われる。
 こうしてバカ話して、ついに霊柩車は前山種苗店の前に到着した。破戒僧が種付屋で、翔太だ種屋だった。
 親戚中、一字違いの似たような商売をしていた。

 翔太が店前で手招きした。刀を鑑
(み)る約束をしていたからである。
 「道楽オヤジが、お待ちかねだ。びしっと言って遣れ!」翔太はなぜか怒っていた。
 「ああ。じゃァ、松子。降りるぞ」
 「おいおい、どうしてこの子、此処で降ろす。降りるのは、おまえだけでいいじゃないか」
 「おまえは天下御免の破戒僧だ。保護者のおれとしては、おまえの種付菌に感染されては困る」
 「感染だと、ひとを黴菌
(ばいきん)のように言うなッ」
 「しかし、心に手を当てて、よく考えろ。それが完全に否定できるか!」問い詰めるように訊いた。
 「うム!……」
 「釈迦牟尼がおまえを見ている。否定は出来まい。仏罰は必定!」
 翔太の家族も、これから茶亭『福美』の露天風呂に行くらしい。婆さまをはじめ、嫁は洗面器大の手桶を抱えて準備していた。


 ─────道楽オヤジの座敷に通された。
 翔太は娘の3号を連れていた。この子は、“お父さん子”なのだろう。父親と確り手を握っていた。
 「わざわざ、お越し頂いてすまんな、健太郎さん」
 道楽オヤジは、大きな風呂敷に包んだ一抱えもあるような蒐集品を差し出した。
 「ずいぶん沢山ですね」
 「実は、これなんじゃが……」
 その中の一振りを取り出した。たいそうな外装がついていた。これが問題の一振りなのだろう。
 私は手に受け取り、鞘を払った。そして、柄頭を握って、まず刀姿を鑑
(み)た。
 裏と表を返し、重ね幅を読んだ。なるほどと思う……。
 それを横に坐っていた松子に、差し出し、
(おまえはどう思う?)という合図を送って、彼女の鑑立てから、その見解を訊こうとした。これだけで日本刀の操作が、どれほどのものか、窺えるからだ。彼女はその意図を、即座に読んだようだ。

 「おや、このお嬢さんは刀を鑑るのですか、これは驚いた……」
 道楽オヤジにしては、小娘と日本刀とのギャップが大きいのだろう。滅多の見られるものではない。
 私は、一旦鞘に戻して、松子に渡した。
 彼女は押し頂くように恭
(うやうや)しく手に取り、一礼して、左手で鞘を握り、刃を上にして右手を引いて鞘を払った。
 次に、目釘に目釘抜きを宛てがい、目釘を抜き取り、柄からひと叩きして、刀身を抜き出し、中茎
(なかご)を鑑みた。その手順に、刀捌き、目利きの刀剣蒐集家か、プロの刀屋のそれであった。扱い慣れていた。それだけ多くの刀を鑑てきているに違いない。
 なるほど松子は、これまでこの種の修行も子平直政から仕込まれているのかと推測することが出来た。
 思えば子平は、松子に何かを託しているよう思えた。だが、今は意図が分からない。

 「地鉄、小板目、よく結んで地沸
(じ‐わ)きが能(よ)く付き、小糠肌(こぬか‐はだ)。刃紋、沸き出来、直刃(すぐは)。匂口(においぐち)、締まり心で、刃中、小足(こあし)が入り、出来、健やかなる……。
 時代、慶長の頃の肥前国忠廣。作は二代忠廣を思われる……」と、このように鑑定結果を締め括った。
 その後、私が受け取った。

 「なるほど、作は二代忠廣か?……。いい線だ。
 さて……、しかしだ。二代忠廣は、近江大掾
(おうみ‐だいじょう)藤原忠廣と銘を振り、三代は陸奥守忠吉として銘振りをするが、これは二代忠廣か?……。思うに、五代忠廣であるまいか?……。だが……」
 「だが、何だね?」
 道楽オヤジが身を乗り出して訊いた。その先が知りたいようである。
 私は、もう一度、松子に渡した。

 「此処を、よく鑑てみろ」
 「あッ!」と驚いたようだった。
 彼女は鑑立て違いに気付いたのである。
 「いったい何だね?」
 「よく出来た贋作……ということかしら?」
 「そう。時代は江戸中期以降!……。これでは時代が合いません」
 「えッ?!」道楽オヤジの貌が青冷めた。
 ババを掴まされたのである。
 「おやじさん、ご覧の通りです」
 「しかし、鑑定書があるのだがなァ」
 「そんなもの、宛になりませんよ。それを信じる方が訝
(おか)しい」
 世の刀剣愛好家に、このお墨付きを妄信する人は少なくない。

 「つまり、わしは、まんまと掴まされたということか?……」
 顔面蒼白だった。
 「そのようです。これから、もう道楽はこれくらいでやめますか。それとも、高い月謝を払って、今後も、まだ続けますか?」
 「うウッ……」
 「何事も、対価を払わねばなりません。タダでは済まされないのですよ」
 「とうちゃん、ほらみてみろ、この態
(ざま)じゃないか。道楽で、身代、潰す気か!」翔太が迫った。
 翔太は正常な金銭感覚を持っているようだ。
 「わしとしたことが……」道楽オヤジは意気消沈していた。
 「おじさん、ほかも処分するのなら、併せて全部、捌きましょうか?……手数料は売り上げ金額の2割り。
 ざっと、みただけで五百万円くらいはあるでしょうか。自分は古物鑑札を持っている刀剣商です。刀剣市場に出入りできる鑑札があります。したがって、今の刀剣の最尖端
(さい‐せんたん)価格が把握できます。時価相場を知ることが出来ます。任せて頂ければ、現在の流通価格で販売することが可能です」

 私は小刻みに商売をすることを忘れなかった。これは刀剣の価格の尖端を知る故である。
 尖端は常に変動しているからである。尖端とは頂点にあって需要と供給が時間の進行によって変化しているからである。その変化は、価値の云々でなく、売手に対して買手が何人つくか、買手の「今」が時間のともに絶えず揺れ動いているからである。この見極めは、常に複数の刀剣会の市場を出入りしていなければ分からない。
 また、顧客筋の程度である。
 サラーリンマン相手か、上層の財に自由のある富豪であるかの階層程度による。こういう抽き出しを複数もっていなければ、この世界で極めることは難しい。したがって在庫を抱えていたり、刀屋が刀に惚れてはならないのである。金離れ、刀離れが迅速でなければならない。よくある売主の売り渋りは、結局長い目で見た場合、損をすることになる。買手はついたときに薄利でも売却してしまうことである。
 しかし、素人はこれが出来ない。愛好者の多くは、買値より下がれば売らない。だが、それを何年も抱えれば所得税ばかりが懸かり、無駄な税金を払わされることになる。ただし、素人に所得税の感覚はない。多くは放置する。素人はこうしたことも疎
(うと)いところもある。これが怕い。素人の怕さである。

 「現在の流通価格と言うのは、刀剣名鑑などに上がっている価格と違うと言うことか」
 「そうです。あれが勝手な値段がついていて、蒐集家の思惑が繁栄されています。しかし、実際にはああ言うものは、全く宛になりません。あれを当てにして、素人同士の立会で買うことは危険です。素人は、ある意味で玄人より恐ろしいことをします。それは知らないと言う無知から来ているのです。おそらく、この贋作も素人同士の立会で掴まされたのではありませんか」
 立会とは素人同士が七、八人集まり、その席で交換や売買をする闇取り引きである。
 こうしたことは本来は古物営業法違反となるが、この種のことは何処でも行われ、中には参集者がサクラを伴って随伴し、価格を吊り上げたり、引っ張ったりなどの行為をして、嵩
(かさ)挙げをする思惑まで含まれている。そのため、刀剣蒐集者が一人での参加の場合、嵌めると言うババ抜きの策が仕掛けられる。この時ばかりは顔見知りでも、裏切りや騙しが平気で行われるのである。

 この立会で最も多いのは、例えば道場などでの師弟関係が確立されている団体で、先生と道場生の関係にある場合、先生が無知な弟子に法外な価格を付けて売却をするというケースである。
 金額的には五万、六万円のその程度のものを、これまで私の知っているところでは、これを四十万円で売り上げた先生が居た。しかし先生に「自分は悪いことをした」と言う感覚が全くない。むしろ「世話をして遣ったのだから、有難く思え」と、善行をしたように確信している。刀剣妄想である。

 素人は、売りも買いも、遣ることが怕い。
 こういう席で、ババを掴まされたとして、その真贋を問われ贋作であったとしても、この贋作に腹を立て官憲などに訴えても、殆ど取り合ってくれない。民事不介入であるからだ。
 結局、ババを掴まされた者は高い物を買わされたと言うことで、泣き寝入りする形が多い。
 おそらく翔太の父親も、この種の立会でババを掴まされたのであろう。
 二、三人で予
(あらかじ)め共同謀議をして、売主とサクラの関係を作っておいて、売主とサクラの関係を反映させ、高値て買わせるババ抜きの策である。こうした場合の価格は刀剣市場の十倍以上とされる。せいぜい定価が十万円程度だったら、その十倍であるから、百万円で売主の贋作をババ抜きさせることがある。
 ババ抜きとは、売主の不要な物を高く売り抜ける意図が含まれて仕掛けるものである。

 こうしたババ抜きは商行為としては悪質だが、立会に参加しているのは、素人同士であるから、本人たちは悪質な行為を働いていると言う自覚がない。素人が怕い所以である。
 また、今回のババ抜きで、ババを掴まされた翔太の父親自身、既に自分も誰かにババ抜きをさせた前例があるのだろう。つまり前科だ。
 しかし本人に自覚症状がないから、今度は自分は嵌まったと言うだけである。嵌まったことだけが悔しいのであって、自分がこれまでにした行為は棚に上げているのである。
 だが、こう言う行為をしているのは、悪人ではなく、紛れもない善人である。この善人こそ、実は悪人の自覚のない、世の中の何処にでも居る可もなく不可もなくの善人、あるいは自分は正直で真面目だと思い込んでいる善人の皮を被った、正体は中途半端な悪人かも知れない。世の中では至る所に中途半端が横行している。

 「その通りだ」
 「素人同士の立会では、ババ抜きの策に嵌まりますからね」
 「わしは、ババを掴まされたということだな」
 もし切り返して、尋問する言葉があるとするならば《あなたも、以前、同じ行為を、他者に仕掛けた経験があるのですね》ということを訊いてみたかった。それが巡り廻って、今回は自分の跳ね返って来ただけのことである。
 「そうです」
 「よし、そこまで言い切るのなら、恃
(たの)もう」
 だが、この御仁
(ごじん)は、これでやめないだろう。総ての刀剣を処理して、金輪際、この種の蒐集をしないという意味ではない。
 再び智慧を付けて、高度なババ抜きの策を考えるだろう。
 差し引いて残った金で、第二、第三の愚行を重ねるに違いない。まだまだ高い月謝を払い続けるだろう。足るを知らないのである。人間の欲望がそうさせるのだ。
 欲搦みでの蒐集家が陥る罠が、この世界にはあるのである。この世界は教養と欲望が絡み付く諸刃
(ものは)の世界である。刀剣美術の世界とは、そういう世界であるからだ。

 刀は女と同じで、女好きが一旦女に魅入られて惚
(ほ)れてしまったら、もう惚れる暗示に掛かって、とことん惚れ抜くしかないのである。
 だが刀剣は、日常生活では必要のないものだ。刀は、生活必需品でないから、人生を送るに、無くても困りはしない。何の支障もない。
 しかし刀剣類の鑑賞や鑑定は、深く教養に絡んでいる。人間性と知性を高める意識がなければ、欲搦みでは成就しない。好き者の世界は満喫できない。
 したがって、これを知るには、教養がないと出来ることでない。盲では、贋作ばかりを掴まされて、眼の勝負では負けて、敗北した人生を送ることになる。古美術や伝統や文化を理解する才能がない人は、刀剣類は手を出すべきでない。火傷をしないためだ。
 刀剣はそもそも、心の拠
(よ)り所を求めて信念でやるものである。金儲けでやるものでない。

 また、私のこれまでの多くの人を検
(み)てきた。また武術家とか武道家と言う人の中で、刀剣類を蒐集して失敗する人を多く検て来た。
 一般的に、武具刀剣類は「武」と名のつくものに関連は深いと考えがちだが、実はこれが一致してないことが多い。例えば居合とか剣道の指導者の中に、刀を正確に鑑定する人が殆ど居なかったことだ。剣道家に至っては、その才のある人は殆ど居なかったし、また居合道でも同じだった。したがって、武と刀剣類は関連性が薄いのである。現代の武道家の文武の一致ないところである。選手として格闘においては優れていても、文に劣る人は多い。
 近年、私の道場に個人教伝の入門審査に遣って来た入門希望者の話を訊いた。なぜ入門したいのかと。
 その御仁は、長年ある古武術を遣っていて、自分の師匠と長年付き合って来たが何故か合わないと言うのである。それを訊いて来た。すると、この御仁。「その先生が頭が悪い」というのであった。
 私は、その師匠を直接見たことはないが、何となく想像がつく。昨今はそういう指導者が殖えているようである。おそらくその師は、“武人に教養無用”と考えているのだろう。
 刀剣鑑賞の世界も、この論が一部に横行している。残念なことである。
 つまり刀剣鑑定と言うのは、教養の一部であることを理解しないのである。
 そのため刀剣鑑賞と格闘やスポーツの世界とは殆ど関係なのである。これで理由がつくだろう。
 したがって目利きが少ない。眼の勝負師は、日本には殆ど居ないのである。みな外国に出て行ってしまっているようだ。日本人にこの種の教養人は減れば、日本文化は外国に持ち去られてしまう。
 武道家イコール武具刀剣類に明るい?……の、これが世間に誤解を生んでいるところである。だが、現実は明るくない。武具刀剣類には疎いのである。

 また、その誤解を大いに煽っているのが、テレビや映画の時代劇である。
 この劇の中では、人間をまるで大根のように斬る捨てていくが、実際にはそうはならない。人体は、そんなにヤワではない。肉体は、鍛錬の差はあろうが、誰もが強靭にできている。大根を切るようにはいかない。
 肉体イコール大根?……。
 それが素人に、刀は「斬れる物」という暗示を与えている。
 だが斬り方を知らなければ、刀で物体は切断できない。また、斬る行為だけでも、それだけの代償を払わねばならない。それを所持し、遣うという行為の中には、それだけ代価に叶う責任が必要なのである。代価を払う能力の無い人は最初から、そういう行為をするべきではないのである。
 こういう行為を執
(と)る人は、「それでも」という信念の持った人である。生半可なこと、あるいは中途半端な動機で始めてはならない。
 先ず始めるにあたり「求道者」でなければならない。
 「道」を乞う人でなければならない。「教え」を乞う人でなければならない。知らないことは、知っている人から学ばなければならない。それも、教えてくれでなく、頭を垂れて、謙虚に学ばなければならない。土下座する覚悟は必要である。教わるとは、そう言うことである。

 さて、翔太の父親は如何に……。
 もし、「乞う」気持ちが欠けていれば、同じ轍
(てつ)を踏むだろう。要は人間の「格」の問題である。
 「あとで詳細な計算を出しますよ」
 「しかし、健太郎には驚いた。実に厳しい眼で物を検
(み)る。まさに眼の勝負を見る思いだ。うちのオヤジの凡眼などの比ではない。おまえには恐ろしいところがある。なかなかだなあ。やはり先生のことはある。まったく恐れ入る」
 翔太が、私を先生と言ったのは、かつての高校教師を指してのことか、現在の道場師範であることを指したのか定かでない。
 「そうか、煽
(おだ)ててくれて、有り難うよ」
 「煽てたのではない。それに驚いたのが、そちらの女子高生のお嬢さんだ。最初、誤ったとは言え、直ぐに修正するところなど、さすがという他ない。いやいや、恐れ入ったよ。世の中には凄い女性がいるのものだ。これからは今までの先入観を改めなければならない」
 刀気違いのオヤジより、翔太の方が、人間は一ランク上を行っているのかも知れない。
 オヤジの方は、これからも眼も心も曇らされたままであろう。曇らされた凡眼に、家族を巻込まねばと祈るばかりである。
 斯くして、私は売り上げの2割りの儲けが、転がり込んだのである。だが、これは刀剣市場にいって、売り捌いたあとのことである。人間、歩けば、金儲けに打
(ぶ)ち当る。
 まさに金は天下の廻りものだった。

 「では、健太郎さん、一任するから、宜
(よろ)しく恃むよ」翔太の父親が恃んだ。
 「お任せ下さい」
 「よし!」
 なにが「よし!」なのか分からないが、翔太のおやじさんは席を立っていった。その「よし!」には異様な気合いが入っていた。
 この人も、種苗店をしている以上商売人である。道楽の損は、商売で取り返す腹なのだろう。
 眼から鱗
(うろこ)であれば、幸いである。

 また斯
(か)くも金が循環するのは、人生の仕組みにおいて、人生を生きると言うことが、綺麗事だけでは済まされない側面があるからである。綺麗だけな人生もないし、穢いだけの人生もない。
 率直に人生とは何か?……。
 人生を生きることは何かというと、己のうちなる部分に抱えている矛盾とともに生きることであろう。
 矛盾は、無理に削り取ったり、否定するのではなく、出来るだけ矛盾は少なくする努力は必要であろうが、矛盾は矛盾のままに生きればいいのである。欠点は欠点のまま、長所は、より長所が伸ばせるように努力すればいいのである。
 私はこれを、自ら「努力する他力」と称している。

 矛盾は矛盾のままに、それをいつまで内蔵し、ありのままに生きている人にこそ、本当の魅力があるのではないかと思うのである。単に真面目とか正直とかを、自慢する人が居るが、その人は、もしそれが本当なら実にくだらない面白みのない人であろう。そういう、可もなく不可もなくの真面目な善人では、そのうち付き合うことに退屈し、やがて失望し、最後には絶望してしまうかも知れない。矛盾を抱えて、それを前面に打ち出していく人こそ、本当に人生を生きているのではないかと思うのである。これが分かってこそ、悪を知る善へと導けるのではないかと思っている。
 人間は、矛盾の中を生きることの辛さに耐えられなくのではなく、「努力する他力」をもって、徐々に矛盾を小さくし、縮小させ、矛盾を少しずつ削り、整理し、分かり易くして、スッキリとした筋を通していくことだろ思うのである。そしてこの間に、当然のようにエゴイズムと、優しさや物の哀れを知る気持ちが相剋し、またその葛藤に苛
(さいな)まされるが、その時間が長いほど、多く経験した人は人間味が溢れる人物に近付いているのである。それには清規だけでなく、あわせて陋規の両方を兼ね備えていなければならない。悪を知らねば、善は分かる訳はないからである。
 だが、そのことだけに、こだわる必要はない。
 人間、他人に理解されるもよし、されぬもよし、何れもよしなのである。自分は自分である。淡々と、あるがままに自分を表現していけばいい。

 「翔太。おまえ、おやじさんの刀を抱えて、あとで茶亭『福美』まで持って来てくれないかな」
 大小併せて13振りほどあった。重さとして10kg強ほどであろうか。だが、この重さ抱えて移動するには少々骨が折れる。
 そこで翔太の種苗店の車を恃んだのであるが、
 「俟
(ま)てまて、表には亮燕の車が未だ俟っているぞ。あれに積み込もう」となったのである。
 翔太がトランクを開けさせていた。

 翔太にはベッタリ離れずについている幼稚園の女の子が纏わり付いている。
 その子が、大きな眼でこちらをじっと見ていた。その眼が、何故かオランウータンに似ているが、表情は可愛かった。
 翔太が一抱えの刀剣の束を積み込むまで、女の子は一時期、置き去りにされた。無言のままで、しきりにこちらを見ているのである。気があるのだろうか?……と手招きした。
 私は子供が好きである。
 特に三歳児くかいから、小学三、四年生までであり、それ以上になると次第に憎らしくなってくる。
 だが、幼稚園くらいの子供の生態を観察すると、そこに興味深い感動を覚えるのである。その動きを、いつまでも見ていて、飽きないのである。その行動、仲間同士の会話、種々の仕種などいつまでも見ていて飽きないのである。
 その変化し、変わって行くさまは、実に可愛いものである。それは穢れを知らないなどのことでない。
 だいたい、それくらいの年齢の子供は、実に産酷なことをいう。だがそれは、物事を実直に正確に、隠さず表現するからである。それゆえ余りにも実直過ぎて、残酷なことすら平気で言う。
 幼児の会話に、何が適語で、何が差別語か分からないし、知らないのである。見た物、感じた物をそのまま表現して言うのである。そこに善悪はない。それはまた、残酷であることを覚悟しなければならない。幼児の言葉を解すならば、聴く方は残酷を覚悟のうえで聴く必要がある。

 さて、手招きしたオランウータン3号は、どう反応するか。
 この子はトコトコと歩いて近付いて来たが、私の傍に坐ろうとせず、松子の横にぺたりと坐ってしまった。
 松子の横顔を窺うと、彼女には慈母の眼差し顕われていた。その子をそういう慈悲のような眼で見ているのである。
 「その子、おまえが好きなようだ。膝に載せてみるか」
 「ええ」頷いた。
 その子は、松子の膝に坐ってしまった。
 「感想はどうだ?」
 「やわらかい」
 子供の躰の搗きたての餅のように柔らかいのは、心も柔軟であることを顕しているのである。
 「名前、訊いたらどうだ」
 「お名前、なんというの?」
 「きよみちゃん」小さな女の子は答えた。
 「きよみちゃん、か……。いいお名前ね」
 「おねえちゃんは?」
 「まつこ」
 「じゃあ、まつこちゃんね」
 「きよみちゃんは、いくつ?」
 「四さい!」と大きな声で、右手の親指を折り大きく開いて前に差し出した。
 「まつこちゃん、いくつ?」
 「さあ、幾つだろう……」
 「だけど、まつこちゃん。高校生だよね」
 「まあ、そんなものか……な」
 「おとし、わすれたの?」
 「ながく生きていると、わすれるのよね」
 「じゃあ、おとうさんより、どちらがうえかなあ」
 「?…………」
 「でも、おかあさんより、まつこちゃん、とし下だよね」
 「?…………」
 松子が沈黙したのは、これまで、子供が素朴で、見たままを表現する率直さに驚いていたからである。

 子供に複雑な思考はない。特に幼児にはである。複雑でない素朴、実直、そして朴訥なまでに嘘をつかない純真さであった。おそらく松子は、これまでこういう接し方を、一度もしたことがなかったからであろう。
 これまでを振り返り、自らが、子供の頃から世間師に混ざって、非常な人生を生きてきた自分との比較で困惑か生じたのかも知れない。自分が四歳のとき、どういう生活をしていたのか……。そういうものを振り返っているのかも知れない。
 松子の子供を見る眼差しは、これまでの憂いが消えたように見えた。まさに慈母の優しさが漂っていた。
 一口に優しさというが、苦しんだことのない者に優しさなど分かる筈がない。世の中は優しさの受け売り、そして優しさのオンパレードである。だが本当の優しさは、人間の理解力、洞察力、推理や推察の力が培われてこそ発揮し得るもので、口先だけの優しさでは真物
(ほんもの)でない。松子は側用人の子平に連れられて、子供の頃より旅をして来て、世間の風に晒され、その辛さを身に滲みて感じ、漸くその意味を掴み取ったのであろう。世間師の中で揉まれ、他人への気配りや形式を教えられ、その形式を従うことで、一方で人の優しさとは何かということを考え続けて来たのだろう。そして聖美という幼稚園児に接することで、自身を取り戻したのかも知れない。
 少しでも、彼女の心の癒しになれば幸いである。

 翔太が戻って来た。
 「おおッ、聖美
(きよみ)ちゃんは、お姉ちゃんの膝の上か。そうだ、カメラ、カメラ……。そのまま、じっとしておくんだよ。動いちゃァ、駄目だぞ」
 子煩悩な翔太はカメラを取に疾った。子煩悩なオヤジになっていた。
 戻って来て、「お嬢さん、うちの子と一緒に写真、撮らせてもらえませんか」と断った。
 「ええ」松子は心よく承諾した。
 子煩悩な翔太は、松子とわが子が座るこの構図を最高のカットと思ったのだろう。彼はこの構図を、純真無垢なわが子に結びつけているのである。
 これは思えば不思議なことであった。
 こういう無垢な孫を持つ祖父は、実は世の中の何処にでも居る可もなく不可もなくの善人、あるいは自分は正直で真面目だと思い込んでいる善人の皮を被った、正体は中途半端な悪人かも知れないのだ。何と皮肉な廻
(めぐ)り合わせだろう。


 ─────舞台は茶亭『福美』に移る。
 翔太のおやじんの刀剣手入道具一式、刀剣の床に敷く緋毛氈
(ひもうせん)、刀枕、長さを計るスケール、身幅と重ねを計るためのノギスを借りた。この手の蒐集家は、これらの一式を所持しているのである。それは廻り番で立会をしているという証拠で、その裏の部分の人間の欲も、思惑も、私はよく知っていた。
 松子に頼み事をした。
 それは、『刀剣銃砲類登録証』の「反り」と「長さ」をまず計らせ、銘の確認および種類が登録証と一致しているかの照合を恃んでおいた。反りの長さはミリ単位で違っていても、また銘がある場合、一字でも違っていれば刀剣の戸籍は一致しないことになるのであり、この状態で売買すれば觝触
(ていしょく)するのである。
 彼女はこの事に関しても承知しており、詳しいのである。

 翔太の娘・聖美は一時的なことであろうが、松子に能
(よ)く懐いた。
 茶亭『福美』の奥にある住居部分の座敷の一室である。
 そこに松子と聖美と、翔太と私が居た。
 松子は聖美のことを「きよみちゃん」と呼び、聖美は松子のことを「まつこちゃん」と呼んでいた。
 松子は私に恃まれた作業を始めていた。『刀剣銃砲類登録証』の確認である。その作業中に聖美が纏わり付いて離れなかった。よほど気に入ってしまったのだろう。
 その作業をしている部屋に翔太も亮燕も集まって来ている。庭に面したもう直、正午に差し掛かる時間であった。外は晩夏の強い陽射しが降り注いでいるが、この部屋は縁側の大窓が開けられていて庭から竹林を抜けて程よい風が吹き込んでいた。
 そして畳の上には緋毛氈が敷かれ、その前で作業をする毛氈の緋の赫
(あか)と、松子の夏の上衣が紺襟に白と下が紺の制服とが奇妙なコントラストを為(な)し、一つの迫力であった。緋の色が輝きを増していた。
 そのうえ松子の手には日本刀が握られていた。「何とも……」という形容以外つけようのない、この光景は対照的で、静中に動、動中に静であった。何かが突如、動き出してもおかしくない「妙」であった。また、その妙は鮮烈なのである。

 「いはやは、驚きましたなァ」亮燕がいった。
 「おやじの愚物を処分するんだ」翔太が吐露するように言った。
 果たしてこの吐露に、どういう意味が含まれているのだろうか。
 「しかし、婦女子の、これまで見たことのないはじめての姿を見ると、何か考え方を改めねばならんなァ」
 このように話す二人は、それぞれに菅野家のオランウータン姉妹を女房にしている。年子の姉妹である。二人とも同じような貌をしていた。『じゅん&ネネ』の“ネネ”の若い頃のような貌である。
 当時、姉の雅代が24歳で、妹の公美
(まさみ)が23歳であった。この姉妹を、二人で分けて野郎どもは親戚同士になっていた。結婚は妹の方が早かった。翔太は妹の公美を18歳のときに嫁にしている。翔太が20歳の時であった。

 その親戚同士は一時期、松子の刀剣捌きに魅入っていた。
 だが、この親戚同士も、松子の為
(な)す動作に奇妙なものを見ているのであろう。
 今まで、一度も見たことのない光景であったからだ。年端もいなかい小娘が……という感想なのであろう。つまりギャップの差が烈しいからである。これまでの固定観念 を一掃するような、意外性なのだろうか。


 ─────この日は、金田亮燕が裏で音頭取りをしている。特別な日であるらしい。
 夕刻から、そろぞろと蟻が砂糖に群がるように茶亭『福美』に集合し始めているのである。夕刻から、もと悪堂によって催しものがあるらしい。しがし年寄りが多い。
 この席上に、何故か知らないが文香さんまで動員されていた。そのように映った。亮燕の破戒僧の考えることだ。無差別にランダムに自分の知っているところに片っ端に電話して動員したに違いない。しかしこの漢は破戒僧である。
 遣っていることが全く読めなかった。
 あるいは文香さんが、此処にいるのはそれ以外のに目的があるのか。

 文香さんの名前は、篠原文香という。茶屋『志乃はら』はその苗字からとった屋号である。
 文香さんは姉と高校・大学と同級生で一番の仲好しだった。そして家も、同じような職業をしていた。
 私は文香さんには苦い想い出がある。
 私は高校の頃、田植休暇を貰って、嬉野に来て、若僧の分際で芸者を上げ、ドンチャン騒ぎをしたことがあった。そのとき、たいそう叱ったのが文香さんだった。あとで懇々と意見された。それ以来の知己である。
 物をずけずけ言う人で、姉の弟であろうと、容赦はなかった。
 最初、私に「頭
(ず)が高い!」と叱責したのも文香さんだった。批難というか指弾だったかも知れない。
 自分では気付かなかったが、態度が横着だったのかも知れないし、あるいは若僧の分際で、この放蕩であったかも知れない。普通、高校生の分際で茶屋遊びはしないからである。それが頭が高いだったのだろう。
 こういう人は敵に回すと怕い人である。

 だが、この怕い人に魅入られたことがあった。寝ても醒めても文香さんだった。文香さんの美貌に惹かれたというべきだろうか。この女性に高校の頃、たいそう熱を上げたのである。そして何らかの理由をつけて姉のところの転がり込み、何とか文香さんとお近づき願えないものかと下手な策を弄していた。人を想い、また想われる。こんな愉悦もあるのだなと思うと、それだけで胸をときめかす、そういう絵のような恋愛劇に傾倒したこともあった。私は単純に惚れ易い質
(たち)であった。
 しかし、ガキの考えることなど、文香さんはお見通しであった。私の瑕瑾
(かきん)を早々と見抜いていた。
 結局、果たせずじまいであった。
 さて、文香さんについて少し語ろう。
 当時、文香さんは嬉野ナンバーワンの芸妓の評判が高かった。美人芸者として知られていた。
 あるとき、悪童三匹がそのナンバーワンを“落す”ことを考えた。



●悪童三匹の共同謀議

 悪童三匹集まれば、共同謀議以外ない。亮燕と翔太と私である。
 謀議の目的はナンバーワンを落す……。それだけのことである。
 時代は悪童の高校一年の頃に遡
(さかのぼ)る。

 当時、私は博多の伯母の家、つまり伯母の婿に当る人がS学院大学の大学教授をしていて、一家は福岡市西新に棲んでおり、その教授の家で一時期、下宿していたことがあった。このとき私は博多・嬉野間を何度行き来したことか。そして休み
(春・夏・冬)の度に、勝手な休暇(田植休暇)の度に嬉野に舞い戻ってきて、悪童三匹がつるむのである。色に絡む悪巧みである。
 嬉野で、悪童の一匹・亮燕は県立の普通高校に通っていたが、補欠入学の野郎は、成績はワーストスリーで評判の有名人だった。
 翔太は県立だが、受験すれば誰でも入れるという定員割れの最下位のS農業高校に通っていた。勉強より、例えば、田植え実習などの実務向きの漢であった。そして悪童三匹が集まると、しまいには色の話になる。
 私が博多で仕入れた春吉や川丈などで見聞した卑猥情報を、嬉野までいってやつらに流す。やつらはそれに脳を灼かれ、二匹が神妙に聞き入る構図である。最後は共同謀議を謀る。三匹は、こういう愉しみしかない虚しい高校生活を送っていた。毎日がギラギラ・ムンムンの時代である。

 その頃、ある茶屋の芸妓に目を付けたのである。超美人といっていい人だった。
 亮燕が、「あの芸妓を落そう」と言い出した。
 最初、その芸妓が姉の友人の文香さんとは知らなかった。座敷では「文吉」という源氏名で出ていて、評判の美人芸妓であった。だがこの人が、ときどき姉のところにくる同一人物とは思っても居なかった。
 夕刻である。白粉化粧で完全に識別がつかなくなっており、私服の素顔の時と、座敷に出ている時の文香さんと、見分けがつかなかったのである。
 女は、昼と夜とでは極端に変化する。そのため識別がつかなくなる。
 そういう時の文香さんだった。この女性に「さん」を付けねばならぬ理由は、頭が上がらないためである。

 座敷が終わった夜、文香さんを見たのは、あるプールバーでのことであった。当時はプールバーと称していたが、カウンター式の洋風酒場である。
 ある小説に出てくる「われは静かに『青きペパミントの酒』を啜
(すす)りて……」と形容するような、そういう店である。
 嬉野悪童二匹が独自調査で蒐集した「文吉情報」を、私に告げたからである。
 それはいつ座敷が終わり、その後、どういうコースを採って家路に就くかであった。亮燕は、まだ破戒僧になる以前で、翔太は完全包茎の皮被りであった。
 そして文吉情報の分析に入るが、二匹は口先だけで実行力に乏しかった。
 まず言い寄れるか否か。次に落せるか否か。当時、文香さんが悪童のナンバーワンにランクされる売れっ子の芸妓だった。二匹の掻き集めた文吉情報によれば、驚くほど美しく、瞳が大きく色が抜けるほど白いと言うことだった。背もすらりとして高く、鼻筋も綺麗だという。こうした端麗な芸者が文吉という芸妓だと云うのである。
 しかし、本人に会うために座敷の乗り込めるほど資金力がない。ガキの分際では無理な話だった。
 そこで、座敷の終わり際を狙って、接近を謀るという策を立てたのだが、二匹は、いざ実行となると、からっきしだらしがなかった。野郎二匹は気後れで尻込みしてしまったのである。
 そこで右代表として、私が現場で実行犯を遣る羽目になった。だが私一人が転けても、やつらまで共同正犯が構成する。

 エロ映画館に行っても、「あんた高校生でしょ」といって、門前払いの18歳未満はお断りとなる。また茶屋に入ろうとして、玄関に立っただけで、「18歳未満お断り」と言われて、体よく追い返された。
 それに花代である。当時で5、6万円はしたのではあるまいか。
 私と姉を知るところでは、「あんたの姉さんにいいつけるわよ」などと叱責する茶屋もあった。
 仮に入れたとしてである。そして文香さんを指名する。小銭をせっせと貯め、ナンバーワン芸妓を呼び、その滞空時間はせいぜい一時間未満である。金の切れ目は途端に、時間切れとなって縁の切れ目となる。それ以降はお払い箱だ。
 世の中には18歳未満お断りのところが多かった。
 そうなると、別の策を立てねばならなかった。それが帰り際に接近して、お近付きになり、あわよくば襲うという不埒
(ふらち)なことを考えたのである。
 この成功・不成功を、悪童三匹が角を付き合わせて、謀議を謀
(はか)り、賭(か)けをしたのである。
 一人一口1万円出しで、成功すれば掛金丸取り、失敗すればそれぞれに払うというやつである。
 亮燕は高校生には分不相応な小遣いを貰っていた。内訳は、額に汗しない不労所得からなる檀家からの布施その他であろう。坊主丸儲けの金である。十万、二十万の金は大して体制に影響しない。そういう坊主丸儲けの家である。
 賭けで、亮燕が5万円を叩
(はた)き、翔太が3万円叩いた。二匹は連合軍で併せて8万円である。

 「丁半、どっともどっちも……」亮燕が盛んに煽る。
 「どっちもどっちもといっても、おまえらが連合しているから、おれ、ひとりで8万円も張るのか」
 「そうだ!」亮燕が毅然と言い張る。
 「くそったれ!持ってけドロボウ!」バイトで稼いだ金を、全部叩いてしまう。
 「これで丁半、駒が揃いました」
 このとき私がひとりで8万円。亮燕と翔太の包茎組合が8万円で、合計16万円が集まり、丁半いずれも駒が揃ったのである。私が成功すれば丸取り、負ければ丸損である。
 勿論、他の者でも成功すれば全部取ることが出来る。ただ尖兵
(せんぺい)をやるだけの根性と勇気がないのである。悪童が考え付きそうな幼稚な博奕である。
 文香さんを“もの”にするか、否かの賭けである。
 しかし文香さんは嬉野の高嶺の花であり、射落とすのは難攻不落と思われた。文吉姉さんはナンバーワン芸者だった。
 だが悪童三匹が、こういう博奕をしているとは『霜龍寺』の巳堂老師は全く知らないのである。老師が知ったらどうするだろうか。

 芸妓姿の文香さんは、美人画から抜け出したようないい女だった。
 ほっそりとした貌で、瞳が大きく、色白であった。白粉は塗っているが、その白さは、手の指の白魚のような形容からも窺われた。彼女の様子を三匹で遠くから助平たらしく窺うのである。
 座敷が終わると毎回、文香さんは寄るところがある。それはあるプールバーであった。静かな洋風酒場であり、彼女は此処に一人で立ち寄って、その日の憂さばらしをするのである。
 周囲から窺っていて、文香さんが店の中に入った。
 途端に「さあ、行け!」と、悪童のどちらからともなく嗾
(けしか)けたのである。
 私は掛金を取り返すために、噛ませ犬になって、噛み付きに行く以外なかった。


<<戻る トップへ戻る 次へ>>


  運気     八門人相     房中術     癒しの杜     菜根譚     小説     会報Back No.     合気     蜘蛛之巣伝     死の超剋     霊的食養     心法