運気 八門人相 房中術 癒しの杜 菜根譚 小説 会報Back No. 合気 蜘蛛之巣伝 死の超剋 霊的食養 心法
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旅の衣・後編 3

「士は己を知る者のために死す」という。一口に、“士は己を知る者のために死す”というが、人間はそう簡単に「己を知る者」のために、果たして簡単に死ねるだろうか。そこまでの人間は滅多に居ない。また、そこまで「知を致す者」は居ないであろう。
 死ねと言われて死ねる分けでない。凡夫
(ぼんぷ)ほど、死ねないものである。何しろ凡夫にとっては、死は滅法怕(こわ)い存在であるからだ。
 怕い故に簡単には死ねないし、命を捨てることは出来ない。いつまでも生きていたいと思うのが、凡夫の習性である。
 したがって、凡夫が「士」になったところで、その許される極限は見えている。死を直視して、死の前から逃げ出すのが、また凡夫なのだ。死は怕い存在であるからだ。
 これを度外視して、死する凡夫など、皆無に近いと言わねばならない。
 凡夫にとって、“士は己を知る者のために死す”の言は、言葉の勇みだけで萎
(しぼ)んでしまう場合が少なくない。売り言葉に買い言葉の、ただそれだけの虚言なのである。


●日没

 由紀子を送り出して、これまでの重石(おもし)が取れたような気がしないでもなかった。一方で、一抹の寂しさが蘇(よびがえ)っただろうか。
 人間は勝手なものである。居たらいたで煩
(わずら)わしく、また居かければ居ないで寂しさを感じるものである。この寂しさは権威の尊大さに平伏して、自分の名誉と操すら投げ与えてしまうような、由紀子の一面を垣間みた思いがしたからである。それは自分の将来を手に入れる権威のためであろうか。
 学究の徒と言えば聞こえがいいが、世の中には、わが身と引き換えに、こういう権威を手に入れようとする人間も少なからずいるようだ。
 これと似たようなビジネス空間は、上場企業の秘書室のそこに居るスタッフにも似たり寄ったりのものがあると聴いたことがある。人間には自分の持つ何かと引き換えに、手に入れようとする欲望があるようだ。

  精緻
(せいち)な眩(まぶ)しさの陽射しの太陽が少し傾き始めた頃だった。
 「夕陽でも見に行くか」
 「どこに?」松子が訊き返した。
 「博多港だ。この港から平戸行きの高速船が出ている。国鉄の高速船ビートルだ。あの船を見ていると望郷の念にかられる。平戸桟橋まで、ひとっ飛びだそうだ」
 私は、些か望郷の念に駆られて吐露していたようだ。
 「どうして平戸なの?」
 「生まれ故郷だからだ。この船には、まだ一度も乗ったことがないが、そのうち、これに乗って帰ろうと思っている」
 「健太郎兄さんは、平戸で生まれたの?」
 「生まれて半年くらいで八幡に遣って来たという。 母が出産のために平戸の実家に還り、そこで生んだんだと聞く。そしてその後、乳呑み児は八幡に帰って来た。父が八幡製鉄の職工だったからな。
 父は軍隊から帰って、八幡製鉄に勤めていたというが、その頃のことはよく知らない。母は病弱で、おれが八幡で幼稚園を終えると、平戸の伯母に預けられて、そこの家で育てられた。そしてその後、小学三年の頃に一度八幡に戻るが、また何ヵ月かして病気になり、親戚中を盥
(たらい)回し。小学校も長崎、有田、嬉野と転々とした。おまえの旅から旅とは違うが、子供の時から他人の冷や飯食いだった。おまえの苦労に較べれば高が知れたことだが……」
 「わたしも旅から旅だったけど、小学校は何度か行ったことがあるのよ。子平が行った先で手続きしてくれたわ。旅芸人の子供たちと同じように、行った先で転校届けを出して一時期、入れてもらうの」と、感慨深そうに言った。
 「楽しかったか?」
 「さあ、どうかしらね。一人で遊ぶの、馴れっこだったから。楽しいも悲しいも、また厭なことも、いいこともなかったみたい」
 「根っからの旅烏か?」
 「旅から旅の旅烏も、夜明けには、あまり空の美しさ感じないの。だから、これまで、朝日を見て美しいと感じたこと一度もないの。一日の始まりの朝日は、旅から旅に開ける者にとって、決して輝かしい一日を象徴するものではなかったわ。むしろ不吉と不穏を感じさせる一日の幕開けだった。その日、何が起こるか分からないから。そしてわたしと子平の身にも、何が降り懸るか分からない。だから、わたしにとっても子平にとっても、怕
(こわ)い一日の幕開けだった。でもね、夕暮れが近付いてくると、今日は何もなかったことに、何故か安堵(あんど)を覚えるの。わたしはいつも夕陽を見て、はじめて美しいと感じることが出来たわ。それは安堵の美しさだから」
 松子の心境には、旅に鍛えられた心情があったのだろうか。

 「その安堵、苦労人特有の安堵だな。分からなくもない、おれとよく似ている」
 私は朝の太陽を見て、今日も一日頑張るぞという世間一般がいう、そういう気持ちになれないのである。
 私の感覚としては、今日一日の始まりが朝から始まっているのでなく、なぜか夕刻からその日の一日が始まっているような感覚がするのである。
 私の人体時計の感覚からずれば、それは一日の始まりが、夕刻に始まって、そこから24時間と観じているからである。したがって私の一日の始まりは、黎明期のその時間帯ではない。だから、夕陽を見ていると、そこに何か途轍
(とてつ)もない近未来の希望が宿っているように観じるのである。夕陽や夕焼け空に惹かれる所以である。
 「暮れるわね、いい夕陽。こういう夕陽、見ている安堵を覚える。そして沈む瞬間に何処からともなく闇が襲ってくるでしょ。その刹那に、願を懸けるのよ、明日も夕陽がありますようにって」
 松子の言葉を聞いて、自分でも《こいつは、やはりおれに似ている》と観じるのである。それは男女の性別を超えて、なにか共通項を見付けたような感覚を得たのである。

 「それは、翌日の白昼に事件や事故の遭遇せず、明日も夕陽を見られるということに願いを懸けてか?」
 「そうじゃないけど、子平は白昼の出来事に警戒していたわ。白昼は、闇の脅威よりも怕いんですって。何者かが窺っていると言うのよ、刺客の眼のような何かが……。
 その白昼の恐怖に取り憑かれると、心から慄
(ふる)え上がってしまうんだって……」
 それは追われる者の恐怖心だろうか。
 「白昼の方が闇より怕いと言うのか!」驚きの余りに訊いた。
 その感覚は、分からないでもない。昼間には不可解な楽観主義が横たわっているからである。つまり、白昼であるからこそ、太陽に見られて悪事は存在しないという人間の楽観の側面である。しかし、思えば白昼こそ虚を衝いた行為が存在していることも、また事実なのである。
 普通、闇が怕いと言うことは度々聞くが、白昼が怕いと聞いたのはこれがはじめてだった。もしかすると、人間の表街道は、裏街道の陋規の世界より本当は怕いところかも知れない。有象無象が人間の皮を被って暗躍する世界であるからだ。もしかしたら、白昼こそ眼に見えない魑魅魍魎
(ちみ‐もうりょう)が闊歩(かっぽ)しているのかも知れない。維新の志士を気取って、白緒の高下駄はいて……。

 「闇は、闇に溶けることが出来るけど、白昼は、顔も身も隠すところがないんですって。白昼の陽の光に晒されて、ターゲットは丸見えだって。それだけ、狙われ易いと言っていっていたわ」
 こう言われてみれば、狙撃者は遠くからターゲットを狙撃するのは、夜間より白昼の方が多いからである。
 ケネディ暗殺も、白昼の人が見ている中で行われている。テキサス州ダラスで遊説中暗殺されている。警護者を欺くように、白昼堂々とである。
 「血の勝負師としては分かるような気がする。人間は陋規にあっても清規と同じように、耳目肉感
(じもく‐にくかん)に偏ることがあるからな。ところで、おまえ、鉄火場(てっか‐ば)に行ったことがあるか」
 陋規の活動は闇。清規の活動は白昼。だが、これは孔子の儒によれば「偏る」と言うのである。そこで孔子は「何事も宜
(よろ)しく中を採(と)り、中道に在(あ)り」としたのである。

 「子平に連れられて、何度か」
 「では『手本引
(てほんびき)』は遣ったことあるか?」
 「実際に賭場で張ったことはないけど、理解した。どんでもない倍率。特に四百倍がある。たった一回の勝負で、一万円が四百万円に化ける。百万円が四千万円に化ける。あれだったら、家の一軒や二軒、失っても当然と思う。博奕の依存症は、此処にあるかもね。特に素人衆は免疫がないから、博徒のいかさまに嵌まってカモにされた現実をよく見てきた、一家離散を……」
 「よく知っているじゃないか」
 これを聞いたとき、私はかつて米の相場師をしていた祖父の米相場の失敗を想い出した。岩崎家は一家離散に近かったという。
 「では健太郎兄さんは、手本引、どうして知っているの?」
 「さあ、どうしてだろう。好奇心が旺盛だからだろうよ」
 「人間の好奇心には、残酷が潜んでいるんですって。これは誰の心にも巣食っている残酷さだって……」
 「そうかも知れない」そうであることを感じた。
 「わたし、子平と旅して、北海道の知床地方を旅したことがあったの。そこで、羆
(ひぐま)やシャチの話、猟師の人から聴いたことがあるの。北海道には、もう狼は絶滅していなかったけど、羆もシャチも、狼同様に誠実な殺し屋だって。そしてそれ以上に残酷なのが、人間だって。
 人間は誠実な殺し屋より、残酷な猟をするんだっていってた。その猟師たち、子平と同じように、シベリア抑留を経験した人達でね、何度も拷問を受けたんですって。そして、言うのよ。人間が好んで拷問するのは、人間に、誠実な殺し屋以上に知能があって、それが拷問への好奇心を駆り立て、知能をもつ者は、殺し屋以上に残酷な愉しみ方をするって」
 「なかなかおもしろいことをいう。それは知能がさせるということか?……」
 「だけど、誠実な殺し屋である肉食獣などの猟をする動物はね、客観的残虐性は、本来的な意味での人間の残酷さとは違うですって。だって、本当に残酷な拷問をするにしろ、殺しをするにしろ、この行為の中には常に計算があるでしょ。その計算が、知能の働きと思うわ」
 「では、シャチはどう関係あるんだ?」
 「シャチは、狼とは違うんだって。これ、猟師さんから聞いた話なんだけど、例えばね、シャチが海岸に接近して、未熟な若いアザラシを猟ったとするでしょ。すると直ぐに喰わないですって。尾でアザラシを打ち据えて失神状態にしておいて、それから遊ぶと言うのよ。これはイルカなどの知能と同レベルで、遊ぶという行為をするからだって。この遊びを、沿岸で散々繰り返して、飽きるか、疲れるかしたら、疵だらけのアザラシをそのまま放置するか、空腹だったら貪
(むさぼ)るかのどちらかですって。
 これは知能の高い動物ほど、残酷であると言えないかしら。だけどね、類人猿などチンパンジーの方が、ワニやコブラより残酷だいうことではないのよ。そうは言わないけど、残酷の行動に知能が関係していることは疑いようもないと思うの。どうかしら?」
 「遊びのために、こうした残酷を遣ると言うのか」
 一瞬、怕いと思った。
 そういえば、残酷は遊びの一種から始まった殺人ゲームかも知れない。あるいは知的レベルの高位にある高級官僚が、底辺の微生物たる愛すべき庶民を見下すような感覚に、もしかすると智者の残酷なる残虐性が潜んでいるのかも知れない。権力者は顕微鏡下の微生物を見下す特権を所持して、庶民と言う微生物を監視の眼で見ているからである。その眼は微生物の一匹や二匹、死のうが生きようが体制に影響がないと一蹴する奢りである。その奢りが知的生命体には存在しているようである。奢りイコール残酷だが、その残酷は、あるいは遊びに繋がっているのかも知れない。

 「そう。訓練のために、敢えて残酷を遣る。それもマニアの愉しみのように。何故か、そう思えるの」
 愉しみイコール遊びのための訓練。なんとも不条理ではないか。遊ばれる方はたまったものではない。
 「そうすると、シャチも遊びの中で、人間並みの残酷を身に付けているということか」
 「そうらしいわ。その残酷を象徴する動物が羆
(ひぐま)だって」
 「羆か……」
 一瞬、あいつは恐ろしいと思う。何しろ人間並みか、人間以上に狡猾な智慧を使うからである。
 「羆は人間の強姦魔と同じようなことをするんですって。人喰い羆はその典型で、羆は競争で鍛えた人間より遥かに早く走るし、樹こそ登れないけれど、川の走破は得意なの。また狡猾なる知能は、人間の知能犯並みですって。婦女子を犯すように腹這いに乗って、裡側から貪るんですって。これが婦女子を強姦するときの体位にそっくりですって。これ以上説明しなくでも分かるでしょ」
 「それで、残虐性について言いたいのか?」
 「でも動物には、本来残虐性なんてないのよ。この残虐性を持つのは人間のみ。
 これ、心理学では知的本能といって、動物が人間と同じような残虐性を有していたら、それはね、対称性つまりシンメトリー
(symmetry)と言うんですって。この説論、科学者なら《全体的安定性》とか、《哺乳動物に備わる全体に備わる属性》というような定義をするかも知れないけど。結局、個々の形態が変化しても、全体としては変わらないと思うんだけど。つまり質量保存の法則から言っても、全体の拮抗がとれているということかしら」
 「もしかすると、そこに人間の悪に惹かれる属性があって、それらが所謂
(いわゆる)自分を善人だとか正直とか真面目だと信じている人間でも、何かの切っ掛けで恋の火遊び(aventure)を始めると、もうそれが止まらなくなったりして、例えば、いまでは軽んじられてしまった、かつての姦通なんて、不倫のと言う名で、今では世間では日常茶飯事だから、こうした魔性も、知的な火遊びとして自由恋愛に疾るのだろうよ。本当に要らんものを、人間がぶら下げているからだろう」
 「つまり、ゲームの法則で世の中が動いていると言うことかしら。この中に利潤追求をするゲーム感覚の近代資本主義も存在している……そういうことかな。更にはこの経済には、戦争まで内包している。
 だから、これらの悪の属性はやがて魔性となって、磨きが懸かる。そして、その磨きは、至る所で懸かり始めた。裏でも表でも、清規のみでなく、陋規でも……。だから、人間は生まれたときから利益を追求する略奪者の本能が備わっているんじゃないかしら」
 「だからだ、パウロの黙示録の冒頭にあるショッキングな『人間は災いなり、罪人は災いなり、なぜ、彼等は生まれたのか』の、あれか?……」
 「もしかすると、イエスはそれを見てきたのかも知れない。それを後にパウロが観じた。
 人間の本能が、もし生まれたときから逆らえない略奪者の本能があるのなら、それは人間である以上、その衝動は起こるのじゃないかしら。今さっき、由紀子さんを東京に送り出したでしょ。そして由紀子さんは得意満面で、小児科学会のシンポジュームに出掛けていった。それも小児科部長の随行者として……。
 あれは彼女、猟られた構図じゃないかしら。あれこそ、略奪者の持ち得る科学的表現に戻せば、略奪者特有の安定した属性と言うのじゃないかしら。小児科部長という役職は白い巨塔では、ちょっとした権力よね。
 つまり、支配構造があって、その頂点に君臣する支配者は自分の地位を保ち続けることで、自分の欲望を満たしているのじゃないかしら。だから人間の支配欲に絡む独占は収奪することに自己が満足する構造になっている。オフィスワイフなども、これに起因していて、それは安定の属性と思うの。ただ、人間は他の動物と違って、複雑窮まる知能が働くから、例えば財産、贅沢、美食や快楽、名誉や地位までもがこの中にあって、男女すら物質界では物として流通している。だから、他から奪い取るという衝動が起こるのじゃないかしら」
 「おまえの言う、安定した属性には、それを駆り立てる衝動の中に人の心の羨望とか、挫折感までもが含まれて、恨みで一杯になっている……。そう言う意味か?」
 「元を辿れば、怨念かしら」吐き捨てるように言った。

 「これは皮肉なことがだ、現代人はますます拡散と膨張を繰り返し、もとの残忍性に逆戻りしていると言うことになる……、そういうことか」
 「そう。今は法で雁字搦めにしているけど、この世には健太郎兄さんが言っているように、現象界には作用を反作用が働くから、秩序はその反対に無秩序も存在し、これで全体量のバランスをとっていると思うわ。
 このバランスのために無秩序は隠されて出て来ないけど、本当は対称性が働いていて、類似的相互で全体のバランスがとれていると言うことかしら。無秩序には戦争が含まれているけど、それは対称性のため……。
 秩序も無秩序も形態は変化するけど、全体量は質量保存の法則から変わらない」
 「なるほど。対称性で人間界を含む現象界を表現すれば、まさにしっくりとした説得力を持っている……。
 そこで、これは再びカオス
(chaos)が始まったと言うことか」
 カオスとは、原初にできた裂け目という意味で、初期条件の僅か差が、長時間後には大きな違いを生じ、実際上、結果が予測できない現象をいう。
 「もともと人間はカオスから派生した生き物……。だから、これまでの禍
(わざわい)の手で、もう一度、カオスに還(かえ)るだけ。そうなると、もう文明なんて偉そうなこと言っていられない」
 「それは、おまえの予言のようなものか?」
 「さあ、どうかしら。観じるだけ」
 「では、その観じに免じで、われわれも罪深い人間になって、生きるために飯でも食いに行こう。夜景を見ながら、血のしたたる動物の肉を貪りながら……」
 「そこまで露骨に言われると、食欲が半減する。罪深い動物感に苛
(さいな)み、啖(く)われる循環の輪の中で迷っている豚の悲痛な気持ちが分かるから、なおも辛くなるわ」
 「しかし空腹には勝てまい?」
 「だから、困る」
 「困っても仕方ない。人間は矛盾の塊だからな」
 「だけど、節度は欲しい。そして秩序も……。全体に影響を与えないような、その程度の労る気持ちは持ちたい。哀れみの心は持ちたい」
 「いい心掛けだ。そういうのを武の世界では、惻隠
(そくいん)というんだ、知っているか」
 「子平から聞いた。武士の情け……」
 私は松子からこう聴いて、子平直政なる人物の底深さを知った。私は一度も会った事はないが、わが師・山村芳繧斎
(ほううんさい)が高弟と称した人物かも知れない。徳を有した人物なのだろう。
 「そうだ。弱者への慈悲や労り、忘れない持っていたい。そうすれば少しだけ救われる」
 「それで、『孟子』に出ている『惻隠の心無きは、人に非ざる也』を引用し、情けの心で少しでも相殺しようとしたのね。でも、弱者をいたわしく思う心はいいと思うわ」
 「おまえ、なんか、あまり情が深い方ではないようだな」
 「どうかしら、だって、僅かこの程度の人生じゃ、人間の本質が分からないもの。人間の本能と言うのは、抑えておけるものではないでしょ。そこが、困り者」
 小娘が生きた19年の人生を、僅かこの程度と言っているのだろうか。
 「さて、罪深い行いで、生命の命を頂きにいくぞ」
 「でも、同じ土俵に、人間の心まで並べないで」
 「ああ、わかっているよ」



●遊里病

 その後、夕食を摂り、次に博多から特急『みどり』に乗車した。
 だが上りでない。下りである。長崎・佐世保方面に向かう特急の最終列車である。
 「ねえねえ、なぜ上りじゃなくって、長崎・佐世保行きに乗るの?」
 「なんとなく、今日は帰りたくない心境だからだ。今から嬉野温泉でも行って、芸者上げて有り金、全部遣い果たして遣りたい気持ちだ。宵越
(よい‐ご)しの金はもたねえ」
 「それじゃ、品行の定まらない道楽者の放蕩息子じゃない」
 「バカ言え、酒食に溺れるのは仕事ゆえだ。仕事をしない放蕩無頼のようにいうな」
 「じゃ、何処に行くの?」
 「そりゃ、綺麗処が居るところだ。これから先は、接待交際費にしておけよ」
 「誰を接待するの?」
 「社長が、おれを接待する」
 「どうして?」
 「社長のおまえが、おれを接待する。単純明快」
 「なんのために?」
 「資金繰りを円滑にするため。つまり今から金を借りに行くところがる。以上。報告おわり」
 「単純明快だけど、状況が見えない」
 「見えんでもいい。そういうのは、見えん方が、あとからハラハラ・ドキドキする」
 「それで、上りに乗らず、下りに乗ったということね。芸者でも上げて、ぱっと景気よくということ?」
 「察しがいいなァ」
 「本当にこれだと退屈知らずだわ。そして、その奔走に恥も外聞もない。もう完全にいかれている」
 「そういうな。策があってのことだ」
 この頭脳明晰は、私の策の真意の奥の奥を読み込むことが出来るだろうか。
 「どんな?」早速、穿鑿が始まったようだ。
 「説明が難しい。まァ、端的に言えば、沈香も焚かず屁も放らず……、こういうのは好きでない」
 「よけいに見えない」
 私がぼかしたことを懸念したのだろうか。
 「つまりだ、事業をするに財集らざるは恥なり。集めて、これを己のもにとするは、また恥なりというのがあるが、これが『大学』には書いてある。普通、財を集めようとすれば、変に小細工して本末転倒する。財を集めようとして、徳を穢してしまう。おまえ、見たことないか、門司の『ご学友』のところに行く際に、山の上の黄金に輝く変な建物があるのを」
 「パコダのこと?」
 「あれ、今では何と言っているか知っているか?」
 「聞いたことある。穢れたパコダと」
 さて、この穢れをどう解釈するだろう。
 「そう。仏塔を建てるのも、穢い金を集めて建てるとそのように風評が飛ぶ。そのうち、おれのところの増改築も、そう呼ばれるかも知れない。そこで閃
(ひらめ)いた。財のみを集めようとすれば、そう呼ばれるようになる。幾多財があっても徳がなければ、その金は死ぬ。事業とは己の利のために遣っては徳を失う。
 ゆえに還元するという徳をもっていなければならない。徳がなければ、運気も落ちて、道を誤ると説いているのが、則
(すなわ)ち『大学』にある『徳が本であり、財は末という』この箇所だ。
 これまで、少しばかり逸脱して、正しい金銭観を見失っていたようだ。ここであらためて、これまでの見切り発車について、根本から考え直してみなければならないと思っている」
 「反省から、人間的信頼について、再点検すると言うことね。いい心掛けです」
 この小娘、少女には思えぬ戦略家的な見解を持っているようだ。
 「だろう?」
 「本当に改心しましたか!」
 小娘が、小生意気に訊く。

 「おれは山師かも知れないが、自分が裏切られても、人は裏切らない。いや、敵はともかく、味方は絶対に裏切らない。味方は、万難を排しても扶
(たす)ける」
 「敵はともかくか……ですか」
 松子の言ったこの言葉の中には種々の意味がある。味方と確信できたものという意味である。味方陣営にいても、味方と確認できないものは味方でなく、敵陣営にいても味方と確認できれば、味方なのである。それを私は万難を排しても扶けるといっているのである。私の敵味方の識別は、こうした敵味方論で一貫されているのである。
 昨今は味方陣営にいてその配下から裏切られたり、上司から欺かれたりすることが多い。互いに足の引っ張り合で寝首を掻くことが多くなって来ている。物質至上主義の悲しい側面である。更に人は、大半が先入観と固定観念で自分の価値観の基準にして生きているのである。それだけに敵味方の識別が付け難く、また清濁善悪の見極めが難しくなって来ている。何故ならば、そもそも清濁併せ呑み、善悪綯い交ぜの世界に人間界があるからだ。

 「海千山千の遣手婆
(やりて‐ばば)なら、人を欺くなど朝飯前だろうが、山師と言うものは平然と世間を欺いても、欺けない、ある特定の人物は欺かず、純粋で、真っ正直なつ尽くし方をする場合がある。それが、いま誰かはっきり分かった。その人だけは、どうしても欺けない。
 だから上りに乗らず、下りに乗って、いま向っているところなんだ」
 私は嬉野に居る姉のことを言ったのである。この姉は、そうしても騙せず、欺けないのである。
 「だから何も見えない方がハラハラ・ドキドキするという訳か。開けてびっくり玉手箱ということね。
 健太郎兄さんって、そういう抽き出し、幾つもっているの?」と小首を傾げて訊いた。
 「さあ、幾つかなァ……」
 「単なるアクション・スターの冒険王じゃないらしいわね。蛮行だけが勇気じゃない、そういう自負する曲芸師かしら?」と小生意気に切り返す。
 「そうかもな。しかし、この曲芸師は、しらふでは遣らん。酒が一杯はいって、なんとかなる」
 「どうして?」
 「おれは小心で臆病者。酒の勢いでなんとかなる。その種の旧式原動機しか搭載していない。常に油の補給が必要なんだ。そこでだ。有り金叩
(はた)いて、まず旧式原動機を動かす油の原料である、酒と肴(さかな)を買わねばならん。おまえに丸ごと財布を預けるから、ひとっ走りいって、何処かで酒肴を買って来い」
 このとき札入れを丸ごと渡してしまった。だが、これがいけなかった。あとで、とんでもないことになる。このとき松子に、札入れを渡したことを失念してしまうのである。
 「有り金って、幾ら?」
 「あと、だいたい2、3万というところかな」
 「これでは帰れないじゃないの」と叱責するように訊く。
 「行った先で借りる」
 「借りるって、幾ら?」
 「二千万円は欲しい」
 「えッ?二千万円?……」と一見、合点がいかないように訊いた。
 「そうだ!」念を押すように言った。
 「その担保は?」
 「おまえだ!」と松子に向けて指を差した。
 「えッ?えッ?わたし?……」
 「おまえを売り飛ばす」
 「そこまでいうと、何だか、冗談きつくない?」
 「おまえだったら、おれの五万円と違って、その器量好しからして、二千万円くらいの価値はあろう」
 「人でなし!」
 「何でも言ってくれ」
 「人非人!」
 「それから?」
 「人身売買に、奴隷商人に、人攫
(さら)いに、人身保護法違反に、えっとそれにねェ。結局、山師!」
 「そう、おれは山師。ひと呼んで、山こかし。こかしてみせよう、山のひとつやふたつ……」
 「要するに、見せ金工作……てしょ?」
 「察しがいいなァ」
 しかし、「悪党!」と言わないところが、小娘の可愛いところであった。
 「だけど、二千万円くらいじゃ安くない?」
 「幾らだ?」
 「倍は欲しいわ」
 「さて、その価値はあるとして、先方の資金力もあろからな。それに二、三日のことだし」
 「二、三日の身売り?」
 「しかし春は売るなよ。ピンクは駄目だぞ。絶対に駄目だぞ。しばらく居て、飲んで、喰って、寝て、ときには気が向いたら、掃除や洗濯なども手伝って、恃
(たの)まれたら、湯治の爺さま連とも添え寝して、一宿一飯の恩義を果たせばいい」
 「そういうことですか」冷ややかに、鋭い視線で睨んだ。
 いまにも私のことを「悪党!」と言い出さんばかりだった。

 「そうだ、察しがいい。おまえも今では立派な、おれの幕賓
(ばくひん)だ。幕賓に性別などない。長幼の差もない。本来ならば、おまえは三顧の礼で迎えるような人間だったかも知れない」
 「だけど、三顧の礼が執
(と)れなかった。健太郎兄さんは貧士だったから……ということね?」
 「貧士にして客好き。それに酒好き、女好き」
 「それは困ったことだ」
 「そのうえ困ったことに、やたら議論したがり、酒まで呑ませたがる。男でも女でも」
 「バカね」
 「だがバカがやめられん。一方で白眼超然としながら、癪
(しゃく)な人間のことが気になる。そして財布の底を叩いて、呑めや喰えたの大騒ぎを遣りたがる。まるで『酔古堂剣掃』の世界ね。貧にして客を享(もてな)す能(あた)わず。而(しか)も客を好むか……、いいな、この世界に生きれたら。子平もそう言っていたわ。もっと草鞋を脱いでいたいけれど、それもそうはいかない。由紀子さん、そういうこの世界のこと、知らないのかしら」
 「さて、どうだろう。こういうの性格からして、以外と白眼視するかも知れない」
 「でも、そういいながら、実は毒に触れて痺れて、退屈知らずになっているから、おもしろい人物を需
(もと)めているのかも知れないわ」
 「そうだろうか」
 「いまごろ、電話が掛って来て、出ないので、頭に来ているか、心配しているか、一人で騒いでいるか、要らぬ穿鑿
(せんさく)が悩ましているか、その何れかね。おもしろいことになったと思わない?」
 「うム?……」何のことだ?……。
 松子は僅から停車時間の隙を衝いて、酒肴の買い出しに疾った。
 極楽トンボの私は、既に後先もこれから先のシナリオがどう展開するか、まったく考えていなかった。人生主人公を演出する演出者としては失格であった。失念、そして行き当たりばったり。
 日本は大東亜戦争に敗北して以来、平和ボケに首までどっぷりと浸かり、平和・平和と呪文のように唱えて繰り返し、その結果、臆病、卑怯、未練、無責任、無関心、意気地なし、懶惰
(らんだ)など諸々の悪徳を通用させるようになる。それを隠れ蓑して、ぬくぬくとしてきたのである。この私とて、平和ボケの中にあって、性欲だけはゴリラ並みという醜態を晒していたのではあるまいか。そして世の中は、一億総不倫時代へと突入していく。
 男の、男としての誇りは、首より上の精神性は去り、首より下の下半身に集中させてしまったのである。
 この私自身、滑稽な道化師に成り下がっていた。


 ─────午後11時過ぎの武雄駅前である。嬉野に行くには、当時、ここからバスに乗るか、タクシーに乗るかしかなかった。佐賀平野の茶畑とか、田園地帯を行く手段は、二つに一つの何れかだった。
 だが、この時間、最終が出たあとだった。それで、タクシーとなったのだが、すべて出払って、今のところ一台もないという。
 さて、どうするか。
 まず駅前の公衆から電話した。迎えに来て欲しいと電話した。返事は、今から行くが、駅まで30分は掛かるという。これが短いようで、また長い。
 私の欠点は、短気な性格の俟たされることを何よりも嫌う人間だった。まだまだ人間造りの欠如した、至らない未熟人間だった。学ぶ気持ちはあるが、叡智に欠ける人間だった。滑稽なる愚直……。その塊であった。
 そこで知り合いは居ないかと辺りを見回すが、深夜のことで人影はまばら。知った顔もない。

 「どうするの?」
 「さて、思案の為所
(しどころ)……」愚直は一応考えてみた。
 「考えても、なんとかならないでしょ」
 「そこを、なんとかなるように考える」
 そんなときである。後ろから声がした。
 「健太郎ちゃん。健太郎ちゃんじゃないの」
 「あッ!……」
 文香さんだった。
 「こういう夜中に、なにをしているのよ?」
 その女性は日本髪を結い、裾を持ち上げら芸者の恰好をしていた。ハッとするような美人で、項
(うなじ)まで白粉を塗り、高島田を結って、夜目にも映える艶やかなコバルトブルーの着物を着ていた。
 「車を俟ってるんです」
 「この時間。タクシー掴まらないわよ。お座敷帰りで、何処も忙しいから。ねえねえ、健太郎ちゃん。夜中に女子高生を連れ回すって、お安くないわね」と興味津々で訊く。
 「そんなんじゃない」
 「じゃァ、どんな?」
 「わたし、この人に誘惑されたんです。すけこまされたんです。いまから売り飛ばされるんです」松子が遠慮なく割り込んだ。こういうところは小悪魔だった。
 「おもしろいこという、お嬢さんね。いったい、だあれ?」
 「わたし、この人に騙されて、ここまで連れて来られて、苦海に身売りされるんです」
 しかし、二度も類似されたことを言われると、些か信憑性が帯びてくる。ウソでも信じてしまう心理効果が生まれてくる。
 「ほんとうにおもしろい。それ、冗談かしら、ユーモアかしら?」
 文香さんは興味津々だったが、小娘の言うことは頭から信じていないようだった。だが、もう一度、繰り返されたらどうなるだろうか。
 「ご覧の通りです、わかるでしょ、文香さん。この心労、いささかでも、気の毒と思って、どうかお察し下さい」肩をすくめてみせた。
 「うちの者に送らせましょうか。直ぐそこですから」
 文香と言った女性は、姉の同級生で、県立S高校から県立女子大と、姉とは同業者の置屋の娘だった。いまでは“おかあさん”と呼ばれている地位にあった。三十そこそこの人で、姉と歳が同じだった。
 私と松子は文香さんの連れられるままに、置屋兼茶屋へと向った。温泉は武雄にもあり、そこでも芸者衆の席があった。

 大きな門構えの料亭に連れて来られた。門構えだけで敷居が高いように思われた。お大尽しか出入りできないような店構えであった。看板には『志乃はら』とあった。茶屋としては、かなり大きい方である。常連客はお忍びで県外から遣ってくると言うことだった。九州の財界人の交流の場なのであろう。
 文香さんのフルネームは篠原文香という。
 私がこの女性を何故「文香さん」と呼ぶのか、それには事情あった。

 文香さんは、まず上がれと薦めた。ある座敷の朱壁
(しゅかべ)の艶(つや)っぽい部屋へと通された。庭に面した部屋で、外は竹林が見える十畳ほど部屋だが、襖を開け放てば、広さは倍以上になるのではないかと思われた。
 「いま、お茶を持ってきますからね、ゆっくりしてらして」
 文香さんは、衣擦
(きぬ‐ず)れの、切れのいい裾捌きで部屋を出て行った。
 暫くすると、着流しを来た「男衆
(おとこし)」という青年が入って来た。
 そして、お茶を振る舞って一言を切り出したのである。
 「自分を覚えておりませんか、健太郎さん」
 「えッ、だれでしたか?」
 「福千代の弟の秀次郎でございます。思い出して頂けましたでしょうか」
 「はあ、あのときは……どうも……」
 私には福千代と聞いただけでショックが大きかった。昔を思い出したからである。更には、後ろめたさがあった。それだけで、悪党の名に値する。私のトラウマである。一生抱えていかなければならない、引け目であった。
 「これまで京都に居
(お)りました。半年前、佐賀に舞い戻ってまいりました。いまはこちらで男衆を遣らせて頂いております。車の用意できたら、お報せに参ります。どうぞ、ごゆっくり……」きびきびした挨拶と動作で去って行った。その動きは、筋者を髣髴とさせた。

 「健太郎兄さんって、いろいろな人、知っているのね。これ、影のネットワークというのかしら。
 人脈が広いと言うか、陋規に繋がっているというか、それも表の人脈でなく、裏の人脈にも……。
 でも、どうして、こんないい手駒持っているのに使わないの?」
 「おれは、将棋指しとしては、才能がないからだろうよ」
 「じゃァ、指南役がいるということか……」松子が納得するように頷いた。

 そのとき文香さんが入って来て、こういうのであった。
 「ねえねえ、健太郎ちゃん。今日ね、『福美』満員だって。政子ちゃんがね、今日は、まだ終わらずで、てんてこ舞いだそうよ。だから今晩は、うちに泊まって、ゆっくりしていってということなの。今晩はうちに泊まりなさい」
 「そこで、文香さん」
 「なあに?」
 「そしたら、明日、姉のところに行くとして、もう、今日はお終
(しま)いなのかなァ?」
 「お終いって?」
 「綺麗処」
 「例のあれね」
 「そう」
 「相変わらず、治らないわね」
 「長患いでして……」
 「芸者上げてドンチャン騒ぎよね、健太郎ちゃんには、まったく恐れ入るわ。一向に、お大尽病、治らないわね」
 「お大尽病?って、何ですか」松子が訊き返した。
 お大尽病とは、色里の徘徊者である。この病気に罹ると、まず完治する見込みが、限りなく小である。
 「健太郎ちゃんたらね、高校生の頃に、この病気に罹ったのよ」
 「文香さん、やめてくださいよ。知らない人が聞いたら、鵜呑みにするじゃないですか」
 「この辺
(あた)りで、健太郎ちゃんのお大尽病、知らない人が居るものですか」
 「そこまで有名人になってしまいましたか、悪いですね」松子は呆れたように相槌を打った。
 「その治らずじまい、ますます悪化しているのよ。もう重傷。まったく処置無し。たいていの茶屋には、けっこうな借金抱えているのよ」
 「まあ、呆れた」松子が白眼視して睨んだ。
 「でも、今日は特別。健太郎ちゃんだったら、来てくれるかもね。けっこう有名人だから……。
 うちの妓
(こ)と、それに何軒か声を掛けたから、スパー珍種の珍しさもの見たさに来るかもね。呼んであげるわ、健太郎ちゃん、人気者だから。だけど、御代をちゃんと払えば、もっと人気が出るのにね」
 「まだ踏み倒してはいませんよ、ちゃんと払う気持ちあるんですから」
 「気持ちだけはね」
 この“おかあさん”は、当時、この業界では珍しく大学出のインテリの中に含まれていて、姉と同じく異端視されていた。同じ境遇なだけに、高校時代から姉とは親友のような関係だった。
 これから、お余りを掻
(か)き集めてくれるのだろう。

 「健太郎兄さんの、人脈、ひろッ」
 「微々たるものだ」
 「でも、あちらこちらに借金があるの?」
 「気にすることはない」
 「払わずに踏み倒す気?」
 「おれは借りたものは返す主義だ。必ずという保証はないが。今日は此処で、明日のための細やかな前夜祭を催すつもりだ」
 「やはり、山師と言われるだけあるわ、呆れますねェ」
 「今から、ぞくぞくと綺麗処が来るぞ。おまえも、スクラム組んで楽しめ」
 「あのッ。ここのお勘定、だれが払うんですか!」
 「そりゃ、会社だろう」
 「会社は出しません!」
 「それは拙かろう」
 「社長命令です、会社は鐚
(びた)一文出せません。経営が苦しいのです。このままでは、もう直やってくる手形の期限到来に、不渡り出して倒産します!」
 「心配するな。なんとかなる」
 「今度遣れば、二回目です。もうこれ以上、なんとかなりません!四方建設との裏書きした融通手形、忘れたのですか!」
 「それは、一先ず、忘れろ」
 「あと何日あると思っているのですか!」
 「ほら、来たぞ。綺麗処が、ぞくぞくと……。喜べ」
 「喜べません!」
 「こう言うときは、素直に、率直に、単純に喜んだ方がいい」
 「バカも休み休み言え。そこまで遣ると、告げ口するぞ!」松子が尖った。
 「だれにだ?」
 私はこのとき、告げ口される相手を完全に失念していた。思いも致さなかった。
 「早く気付け、単細胞!」
 「単細胞。おおいに結構。極楽トンボ、また結構。こんな結構なことはない。この時ばかりは、生きていてよかったなァ……と、つくづく思う瞬間だ。分かるだろう?」
 「分かりません!」
 「そこを何とか分かるように、努力するのが社長の努めだ」
 「この現状、忌憚
(きたん)なく申せば、完全いかれている。人生は、もう終わった……」松子が呟いた。

 「みてみて、お座敷に女子高生が居る……」
 綺麗処の誰かが言った。
 「可愛い〜」
 「いや〜、こんなお客さん、はじめて……」
 「それにしても、いま流行
(はやり)のアイドルみたい〜」
 「どこの学校かしら……」
 口々に囁き始めた。
 「ねえ、健太郎ちゃん。一体このお嬢さん誰なのよ?」文香さんが言った。
 「わたしのこと、知りたいですか」松子が勝手に割り込んだ。
 「ええ」文香さんは、是非と言う貌をした。
 「ジャーン、愛人です!」
 私は松子の登場音の“ジャーン”と聞く度に、心臓に堪える。左から右に移動するような感覚を覚える。そしてジャーンに続く代名詞は、いつもショッキングな単語が並ぶ。これが心臓にいい訳がない。
 これは何かの、お返しなのだろうか。例えば、手形決済などの……。それにしても小悪魔過ぎる。
 この構図では、どう検
(み)ても、私が女子高生を勾引(かどわか)した山賊のように映る。弁解が、益々困難になる。
 「ウソですよ、ジョーク、ジョーク」
 「無理矢理、手込めにされて、女にされたんです。いまでは哀れな愛人です」
 もし松子が、哀れな愛人を“哀れな娼婦です”などと言っていたら、どうなっただろうか。おそらく、周囲から袋叩きされる構図だろう。小娘の恐ろしい話術に遣り込められそうだった。

 「えッ?えッ?……」
 周囲からも、「うそ〜ッ?!」「愛人ですって?」「信じられない!〜」の黄色い悲鳴のような、驚きのような、苦笑のような、呆れるような聲
(こえ)が方々から湧き上がった。
 私も直ぐに、われに返り、「これは悪い冗談ですよ、冗談!」と声を大にして否定してみたが効果無し。
 「でも、本当かもよ……」
 「本当だったら、赦せない……」誰かがそう言って、私の貌を睨んだ。
 「あのッ、そういう冗談を本気にすると、これからの人生を失いますよ」と私は必死に宥
(なだ)めた。
 「じゃ、説明してちょうだい!」文香さんが怕い貌で迫った。
 文香さんは「愛人」と云う言葉に違和感を感じていた。
 「全部ウソ!こいつが勝手に言っているだけ。全くのウソですから、根拠はありません。絶対に信用しないで下さい!小娘の悪い冗談ですから、どうかお鎮まりを」と掌で制して弁明したが、さて効果のほどは……。
 鎮まらない。まったく効果無し。弁解・弁明の類
(たぐい)は一切受け付けなかった。
 よけいに騒々しくなったのである。その騒々しさ、都会の雑沓の騒音の如し。
 こういう流言は沈静化せず、次に更なる疑念を引き寄せ、波及する。言うだけ、逆効果だった。

 「健太郎ちゃん、本当なの?!」文香さんの眼が三角になった。
 「いやだな、淫行を働いたような眼で見られるのは……」
 「えッ!やはり淫行だったの?」
 「絶対に赦せない!」と方々から指弾の聲
(こえ)が上がった。
 「違いますよ。どうして、これが本当なのです、ウソなんですよ、ウソ。こいつがいつも、こうして揶揄
(からか)うんですよ、文香さんだって、それくらいのことはわかるでしょう」
 「もし、そうだとしてもよ、どうしてこんな綺麗な、可愛らしいお嬢さんが、こんな時間に連れられて歩いている?……。なんとも不自然だわ。まだ、高校生でしょ。それも、真夜中の、この時間に。なぜ?!」
 文香さんが鋭く突いて来た。
 「そう、それが訝
(おか)しい……、絶対におかしい」と口々に芸妓衆が指弾の聲(こえ)。一向に鎮静化する気配はなかった。松子が火に油を注いで煽るからだ。小娘は話術だけでなく、煽動者の素質も持っていた。
 「さあ、どうでしょうか。これを説明するのは、甚だ困難でありまして。冤罪で、針の筵
(むしろ)に坐らせれている如しと言いましょうか、さて、どう申してよいか……」
 私は益々困窮するばかりだった。
 「まさか、本当に騙して、夜の夜中に連れ歩いているのではないでしょうね?!」と鋭い指弾。
 「これには、まったく身に覚えがあしません。無実です!」
 さて、きっぱり言ってみたが、その結果はどうか。
 「でも、警察に通報されるわよ。正直に言った方がいいんじゃない」
 「だから、冤罪といっているではありませんか!」
 こう弁明しても、逆手に取られていく最悪の末路を辿っていた。私の立場は益々危うくなっていた。
 「なんだか、ウソっぽいわねェ。そのいい訳が、そもそも怪しい」
 疑いの眼は消えていない。誰もが白眼視する強い視線を向ける。
 「健太郎!白状しろ、何もかも正直にいえ!」と今度は松子まで、一緒になって突っ込んで来た。
 小娘から遊ばれているのである。あたかもシャチが、アザラシを打ち据えて遊ぶようにである。
 「そう、白状して!おねがい……」一斉に芸妓衆の目が向けられた。
 「本当は、どうなのよ?!」
 文香さんまで、松子の話術に乗せられて、興味津々であった。
 「えッ?なんで、こんな小娘の言うこと信用するのですか」
 「だから、なんで連れているのよ、こんな時間に。未成年でしょ、おかしいじゃないの」

 「そこを何とか、穏便に、すませていただければ……」と、しどろもどろになっていたが、何故こうなったのかは、私自身も混乱して適当な言葉が見つからなかった。
 「どう穏便に?!」それは《下手ないい訳はできませんよ》という疑念だった。
 「この際、こういう小さなことは追求せず、穏便にして頂いて、その、今から派手に、パァ〜ッと楽しく、景気よくいきましょうよ、そんなに睨まないで」
 「理由を訊かなければ、そうもいかないでしょ!」
 「この冥
(くら)い空気を一掃して頂ければ、その、自分としては、佐賀くんだりまで来て、実に有難いというか、来た甲斐があったというか、なかったというか……。派手に遣っているうちに、その核心は、おいおい分かると思いまして、やはり、こういうのは、素面(しらふ)では何分にも拙いのではないかと……、はい」
 「ねえ、お嬢さん。なんで健太郎ちゃんと一緒に居るの?」
 「わたし……、本当は……騙されたんです」と松子が、両手を顔に当て揶揄
(からかう)ように言った。
 嘘泣きのポーズである。こういう演技をして、小娘は私を手玉に取って遊んでいた。
 「やっぱり……」と得心がいったように文香さんが相槌を打った。
 これは実に拙い。これでは誤解が益々深まるばかりだった。
 「違いますよ」と私は両手を振って金切り声を上げていた。
 「どう違うの?!」と鋭い突っ込み。
 「あのですね……」と躱す術
(すべ)がなく、語尾がしどろもどろなっていた。
 「じゃあ、お嬢さんは、どうなの?!どうして?はっきり言って!」文香さんが松子に突っ込みをいれた。
 「そう訊かれても、わたしとしても、その……、なんというか……、巧く説明できないというか……、そのように矢継ぎ早に訊かれても、佐賀くんだりまで連れて来られて、今からどうしていいか、本当に困っているのです」と松子が銷沈したように吐露した。
 「でも、そういいながらも、お知り合いなのでしょ?」
 「ええ、それはそうなのですが……、なんというか、深い事情がありまして、申し上げ難いのです」
 「何だか変ねェ……、だいたい何で、二人はこうしているのかしら?」
 「さあ、どうしてでしょうか……」と私は肩をすくめて惚
(とぼ)けてみせた。
 「ねえねえ、みんなこの謎解き、出来る人、手を挙げて」
 「うん……、わかんない。どうしてでしょう?……」
 それぞれに考え始めた。だいたい、なんでこうなっかた混乱の余りに目標点を見失っていた。仮に説明しても実に長い。
 「うん?まてよ。お嬢さん、どこの学校だったかしら。その制服、うム?……。かつて受験のとき、見たことがあるような。もしかしたら……」
 「分かりましたか。その、もしかしたらです」
 「なんだ、早く言ってよ。福岡の県立T高校の生徒さんね」
 「わたし、家庭教師で、お世話になっている先生なんです。でも今日、博多駅で、この先生のドジのお陰で上りと下りの列車を乗り間違えて、気付いたら、佐賀の武雄まで来ていたのです。決して、誘拐されたり、攫われたり、売り飛ばされたりの、そういうことでありませんから、ご安心下さい」
 「おもしろいこというわね。でも、おうちのご両親は心配しているでしょ?」
 「わたし、この先生のおうちに寄宿して、大学受験の学習指導を受けているのです。だから、今のところ、保護者はこの先生なんです」
 「なんだ、そんなこと。びっくりするじゃないの、健太郎ちゃん。人が悪いわねェ」
 周囲から笑いが漏れた。人が悪いと言っても、勝手に決め付けた方が悪いのだ。いい迷惑だった。

 「自分としてましても、路銀を使い果たした上に、政子姉
(ねい)のところに寄って、少しばかり借用して帰ろうかと思いまして、斯くもお恥しいしだいで、どうせここまで来たついでだから、昔の馴染みで、派手に花火を打ち上げて頂けないものかと、思いまして……はい」
 「じゃァ、こうなったら、出血大サービスで、近所迷惑も顧みず、ぱっといこう!」文香さんがドンチャン騒ぎの許可をしてくれた。三味線や太鼓のお囃子衆まで総動員の、馬鹿騒ぎをしてしまった。
 この時ばかりが、私もわれを忘れて莫迦になった。
 ときには、人間、莫迦になって遊ばないといい智慧は浮んで来ない。何事も、遊び抜きでは考えられないのである。しかし、本当の悪夢はこれからだった。


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