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続 旅の衣 1


小説・ 旅の衣







 死と、死後の事について、有るか無いか分からないけれど、死後の世界はあると考えることは、大事なことだと思っている。
 “科学的”を強調する戦後日本では、死後の世界などないと考えている人が大半であろう。
 霊の存在は、非科学なる迷信。そして生物は死ねば総て無に帰すると思い込んでいる。そう考えることを今日では「科学的思考」と考えているようだ。
 今日の日本人ほど、死について真摯に考えなくなってしまっている。肉の眼で見える物だけが総て真実。見えないものは迷信で、非科学的と一蹴するのが、昨今の風潮のようである。

 文明が発達し、知識が豊富になってくると、現代人はかつての古代人のように異能という感覚を退化させてしまった。視力自体を取り上げても、現代人は古代人に較べて闇の中を視る視覚が暗くなっている。しかし、そうした退化の一途にある現代人の中にも少数ではあるが、古代人と同じように異能力が退化せずに残っている人が居るようだ。つまり、そういう人は、普通の人には見えないものが見えているのである。人の死すら、その後、どう変化して、魂が元の世界に還っていくか、正確に見えていると言う。
 肉体は滅んでも意識は残る……。
 魂と言うものは、還元すれば「意識」と言ってもいい。その意識を、死後もこの世に居たときのように引き摺っていると、死後の意識体は還るべき場所に、真っ直ぐ復
(かえ)って行けないのである。
 しかし一方で、死後の世界はない。
 そう言い切り、断言するのもいい。無神論者を掲げるのもいい。神仏は存在しないと言い切るのもいいのである。

 しかし、「死後の世界がない!」「自分は無神論者!」「神仏は人間の作り出したもの!」であり、そんなものがあるわけはない。そして、われこそ筋金入りの無神論者と豪語する人がいる。その根性だけで、あるいは尊敬に値するものかも知れない。
 しかし、である。
 この種の無神論者の多くは、宗教への無関心者である場合が少なくない。無神論者ではないのである。
 そういう人は、よくよく考えれば、「宗教への無関心者」と「無神論者」の違いが分かっていないのである。この意味が根本的に違うことを全く理解していないのである。
 宗教への無関心者は、単なる無知か、宗教思想に対する怠慢者に過ぎない。
 真の筋金入りの無神論者とは、神仏との永久的な体験を経験しているもので、その経験に基づいたうえで「神仏の否定」をしていることである。

 だが神仏を肯定するにしても、また否定するにしても、最低十年以上は神仏に対して対決し、心の格闘がなければならない。否、その格闘は一生の課題であるかも知れない。それを早々と「科学的」という科学信仰の勢いに惑わされて、神仏を否定し、自称“無神論者”を豪語している人が少なくないようだ。
 神は存在するのか。仏性はあるのか。これは人間はじまって以来の永遠の問いである。



●隙間風

 私の目前には辛い冬の時代が待ち構えていた。泥濘(ぬかるみ)の道を歩くような冬である。
 由紀子と別れた病葉
(わくらば)の季節、外はもう冬支度を急いでいた。病葉が北風に舞っていた。そして今でも残る幻影は、あの別れた日の朝のことであった。
 もう既に、今日を最後に別れることを約束していたのだった。

 別れの朝のことである。
 別れ際、ホテルの玄関を出ると、由紀子は私に背を向けて歩き始めた。約束通りに、見送ることを聞き届けたからだ。
 「あたしを見送ってくれる?」と由紀子は、そう訊
(き)いたのだった。
 辛い返事を迫られたような感じだった。
 返事に窮したが、約束する以外なかった。眼と眼を見詰めるだけの問いに対し、眼を見詰めるだけの黙礼のような返事で返したのだった。
 そして彼女は付け加えた。
 「あたしの最後の我がまま少しだけ聞いてちょうだい。あたしの姿が見えなくなるまで、見送って……、いいでしょ」
 彼女は私の返事を聞き逃すまいとして、まじまじと私を見詰めて言うのだった。しかし、その聲
(こえ)は何故か昏(くら)かった。
 私は由紀子の最後の願いを聞き届けることにした。

 ホテルの玄関を一足先に出た彼女は、途中で一度クルリと踵
(きびす)を返し、愛らしい靨(えくぼ)をつくって軽く微笑み返し、小さく右手を振ったのだった。何か気になって振り返ったのだろうか。それとも最後の見納めと思ったのだろうか。
 孰
(いずれ)にしても、彼女は振り返ったのだった。

 私は待っていたように、反射的に小さく片手を上げ、同じ仕種
(しぐさ)で微笑みで返していた。由紀子の顔は微かに笑(え)みを湛え、その表情が妙にいじらしかった。由紀子は歩いて行く。姿が小さくなっていく。私の愛した由紀子が、背中に精一杯視線を受けて歩いて行く。私に見送られて、哀愁の晩秋の街の中を歩いて行くのだった。由紀子の表情には、精一杯の笑顔があった。その笑顔が脳裡に焼き付いた。
 しかし、それは寂しい笑顔だった。翳
(かげ)りのある笑顔だった。決して人工的なものではなかったが、その眼にも、また彼女の表情にもそれが現われていた。別れを惜しむような、それであった。それは悲しくもあった。そのとき私の心には狼狽が疾った。もう、二度と彼女に会うことがないだろう。それはまた、未来に暗雲に似た翳(かげ)りを投げ掛けたようだった。
 これからはハラハラもドキドキもない平凡な人生を生きるということであろうか。
 これまでを思えば、一炊
(いっすい)の夢であった。
 道士呂翁
(ろおう)から、「栄華が意の儘になる」という不思議な枕を借りて微睡(まどろ)んだ、邯鄲(かんたん)の夢のような、黄粱(こうりょう)がまだ煮えないほど短い間の夢であった。そのように思うものの、やはりその夢の残骸は、私の脳裡を執拗(しつよう)に支配していた。

 別れた後、私の心に隙間風が吹いた。
 それは無常の風だった。
 今日からは、赤の他人以上に他人なる、よそよそしい疎遠の寒々とした風だった……。
 無常の世の悲哀、あるいは生きとし生けるものの嘆き、そして何かしら、人生の重荷というものが感じられてならなかった。それは実を言うと、私には懐かしいものに感じられた。今、過ぎ去ってしまった懐かしさを回想する、郷愁を誘うものが私の心に押し寄せていた。
 私も由紀子と違った別の道を歩くことになった。病葉の舞い落ちる、それぞれの違う道を……である。
 そして歳月が流れた。



●行き詰まる打算の世の中

 『楼月園』では水琴窟
(すいきんくつ)の音が響いていた。松子が付加価値として付けた音である。
 何とも耳に心地よい音で、ひと時の慰安の安らぎを覚える。心地よい音が響き渡っている。その音を聴きながら庭の樹木を愛で、池に映る付きを眺める。なんともいい風情であった。
 三階には楼台がある。此処で明月が鑑賞できる。いい造りになっている。これを、松子は「わたしの宇宙の曼荼羅」と称した。
 四季おりおりの景観が何ともいい。
 夕暮れ時から観る、空に架
(か)かる月がまたいい。池の水面(みずも)に映る月もいい。日々中秋の名月とはいかないが、時として皓々(こうこう)たる月が架かる。雲一つない夜空から明月が池に落ちて、一帯を染めている。あたかも池に沈んだ月である。その周囲には季節の草木が咲き誇る。葉裏には珠の滴(しずく)を湛(たた)えている。桃源郷に錯覚する風景だった。
 こういうとき、私は慌てて酒を台所に取りにいって、ちびりちりび一人で手酌を遣るか、小娘を呼びつけて相手をさせて、ひと時の慰安に浸るのである。

 私は風流人になっていた。
 春・夏・秋・冬、一年365日、風流ここにありだった。
 この風流に力を与えるのが、水琴窟の響きだった。日本庭園ならではの音響サウンドである。琴の一弦の響きである。その音色さえ、時折、月を隠す雲の果てまで通るようである。大した付加価値を付けたものだ。彼女の先見の明である。

 近代資本主義では「付加価値」という認識は薄いかも知れないが、これこそ資本主義を代表する資産的な商品になりえた。この経済システムは資産を運用することで近代化を計って来たのである。
 この意味において、松子はこの事をよく理解していた。困ったときが計算されていた。そのときに付加価値が高値で売れるのである。いわば先を見越した定期預金のようなものであった。

付加価値とは産出額から原材料費などの中間投入物の額を控除したものである。ふつう賃金・利潤・利子・地代・家賃などに分配されるものだが、これを精神性に換言すると、どうなるだろうか。
 日本文化独特のソサエティーに繁栄させ、それを伝統として受け継ぐ。失われていく日本精神の砦とする。
 この砦を形成することで、よき生活環境を維持する。それは安らぎを感じる至福の一時ではあるまいか。

 松子の仕掛けた水琴窟。依然として琴の音が響いている。
 庭で、縁先手洗鉢や蹲居
(つくばい)の流水を利用した音響装置であり、その仕掛けは地中に伏瓶(ふせがめ)を埋め、その空間に空洞を作り、そこにしたたり落ちる水が反響して、琴の音色を奏でる構造になっている。この仕掛けを、京都の古美術界で著名な久我宮修平先生から教わったのである。
 松子の言によると、将来高値で取引できるような構造をした庭だという。ゆくゆくは福利厚生施設としての癒しの杜の会の場として、まず此処に来てもらうための誘致策を考え出し、これを公開し、目と耳とで体験して、宿泊してもらうという計画を立てたのである。彼女の言う付加価値であった。商業をよく理解していたと言えよう。

 一方私は、商行為を理解していなかった。商いは
金銭の集積ぐらいにしか考えていなかった。今になって振り返れば、この点が甘かった。
 商いをして、儲けて、それを貯め込む……。この程度の理解で、商行為をしていたのである。そのため、貸借対照表と損益計算書が読めればいいとくらいにしか考えていなかった。複式簿記の意味は知っていたが、経済の裏に、実体以外に金利が絡む金融経済の現実を、よく理解していなかったのである。金が金を呼ぶ経済システムである。これを知らなかった。
 後に無知から、事業に失敗する起因を作った。
 つまり、金は天下の回りもので、それを集めて溜め込む。そして貯め込んだものを、時として、ダムの水のように排出し、それを事業に反映させる。それがやがて繁栄に繋がる程度の認識だった。経済が金利で動く、資産運用型に変化しつつあったことを見逃していたのである。甘かったと言える。

 したがって資本は見せ金で、お飾り程度にしか考えていなかった。プールした資金で、これを投資し、運営して行くという認識に欠けていた。付加価値という認識の欠如も、資産の運用という金融経済の特徴を知らなかったのである。未開の野蛮人感覚で、貨幣を用いずに現物のみで、物々交換の商いをしていたのである。貨幣経済に意味に疎かった。そして貨幣経済は、金銭は利息がつくと言う基本的な意味を理解していなかったのである。
 集めた金を運用して、投資と言う概念がないのもそのためだった。
 もしかすると、この見逃しは後の学習塾を予備校に発展させるまでの、それまでの過程は功を奏するが、底まで到達した以降のことを全く考えていなかった欠如は、既にこのときに始まっていたのかも知れない。金利概念の欠如である。
 ところが松子は、世の中の移り変わりを観測していたようだ。
 (株)山善を叩き台にして金を集め、それをトライアングル構造下の四方
(よも)建設に貸付け、此処から金利を得ると言う循環を作り出していたのである。松子の金融循環システム。苦肉の策で、小娘が考え出したものだ。
 その中心課題は、貸付資金によって四方建設に雇用を作り出すことであった。これが出来ない限り、この会者は大きく発展できたいと検
(み)たのである。この会社が発展することによって、貸付債権の回収が容易になると検て居たのである。
 トライアングル構造下の三社の循環を容易にさせ、ダミーの(株)丸善も役目を果たすことが出来る。一種の連鎖による経済効果で、小娘は「」と称した。連鎖を利用したものである。
 これは、一少女のレベルで考え出せるものではなかった。また極楽トンボの経済無知の、私如きでも無理であった。その意味からすれば、
彼女は全く、恐れ入谷の鬼子母神だった。

 また松子には、そもそも「退屈」と言う現象が起こらないのであろう。よく智慧を絞って動いた。行動は的を得ていた。
 退屈という微温湯
(ぬるまゆ)に浸かるような生き方はして来なかった訳だ。
 そのうえ、もと刺客であるだけに、生も死も超越していた。人間が生命
(いのち)の賭(か)ける決断に、その都度、迫られた筈である。そういう過酷な人生を経験している。
 その一方で、彼女は「普通」に憧
(あこが)れていた。
 かつて松子は、わが家の貧しい食卓を支えるために、能管を吹いて木戸銭集めをしたことがあった。素人自慢のような舞台で、合格の金を鳴らしたことがあった。そのときに訊かれた感想が「ふつう」だった。
 「将来何になるか」と問われて、「ふつうの主婦」と答えた。ふつうに憧
(あこが)れていた。彼女の野心はふつうだった。


 ─────話は一年前に遡
(さかのぼ)る。この話を別の角度から抉(えぐ)ってみたい。
 私は、邂逅間もない頃のことを思い出した。
 もしかすると、松子は「ふつう」を得るために能管
(のうかん)の演奏をしたのかも知れない。
 能管は龍笛
(りゅうてき)によく似た横笛(おうてき)である。形状もよくにているが、龍笛より少し太い煤竹の材質で、雅楽の横笛である。管内に「喉(のど)」と呼ばれる管を挿入して内経を細くし、異なる音律が出せる特殊な横笛の一種である。
 彼女の言う「ふつう」は、自らがそうありたいと願ったのだろう。
 能管の演奏に願いを懸けたのかも知れない。そういう願いで吹いていた痕跡があった。
 普通に接近したい……、普通を満喫したい……、そういう思いがあったのかも知れない。多くを望んでいなかったのである。普通であれば、それでいいのである。彼女は、これを自らの将来の願望にしていた。

荒れた日よりも、凪の日がいいと思う。平和主義者なら、なおさらだろう。誰もが、穏やかであって欲しいのである。

 当時のことを回想すれば、『平家物語』壇ノ浦・関門の合戦の一幕
(ひとまく)を演奏した。海のものとも山のものとも分からぬ松子には、拍手は疎(まば)らでパラパラだった。寂しい拍手であった。しかし、そういうものに頓着しなかった。
 彼女は彼女自身のために吹いたのである。

 松子は静かに、歌口
(うたぐち)に唇を充(あ)てた。
 その瞬間は恐ろしいほどの静寂があった。彼女の姿が、一瞬会場を飲んだのかも知れない。そこに突如、静から動への変化が疾った。予想外の移入である。
 公園中にいきなり、能管の迫力のある笛の音が響いた。まず、出
(で)出して聴衆を惹(ひ)き付ける。いい作戦である。これは演奏家でなく、戦術家の駆引きと思われた。
 辺りは水を打ったように静かだった。
 烈しい音から、なだらかに変化し、穏やかなさざ波のように波打ち、突如悲鳴のような高音域に変わり、それは合戦の騒乱をイメージさせ、そこで狂ったようになり、そして静かに沈み、亡者がしくしくと哭
(な)くような音を経て、再び最初の迫力のある音を出し、やがて流れるような音色になって徐々に静まっていった。戦いすんで、兵(つわ‐もの)どもが夢の跡を思わせた。その寂れた哀愁が漂っていた。聴かせるだけの哀愁である。いい響きを齎した。松子ならではのものであったかも知れない。
 それを聴いた聴衆客はいたって静かだった。水を打ったような静寂が、まだ余韻を曳いていた。
 そして何処からともなく、拍手が巻き起こった。それがやがて渦となった。
 司会のオヤジは暫く忘我状態だったが、我に返ったように突然、キンコンカンキンと合格の鉦を叩いた。
 こうして松子の演奏が終わった。

 司会者は松子に訊いた。
 「いやーッ、凄い演奏でしたね。驚きました。感動しました。まさかこのような可愛いお嬢さんが、あのド迫力の音を出すのですから、驚かない方が不思議です……」
 「いまのはほんの触りです。みなさまのお耳を穢
(け)して申し訳ありません」と謙遜して答えた。
 「いえいえ、決してそうではありません。ああ……、そうだ……。見て下さい、この木戸銭の山。これ、何に遣いますか」
 「晩のおかず、買います」
 彼女の能管演奏の動機は、今晩のおかずだったのである。わが家の貧しき家計を支えるための動機が、能管演奏に繋がったのであった。
 「えッ?、おかずですか」オヤジが呆れたように訊いた。それは欲がないですねという訊き方だった。
 周囲から爆笑が湧いた。
 「おかず買って、余った分は共同募金会に寄附します」この辺も話術の妙だ。
 聴く者に錯覚を起こさせる。何気ない言葉が、思い込みへと誘導しているからである。
 何で、わざわざ余るようにおかずを買うか。晩のおかずは今日のみに非
(あら)ず。明日も、明後日もずっと続く。そうオヤジに言ってやりたかった。余るわけ、ないだろう。
 だが現実は、「おやおや……いい心掛けですね」だった。
 では「いい心掛け」とは、何を基準にしているのだろう。
 人間の思い込みとは、斯
(か)くも甚だしく先入観で汚染されているのである。これは松子の話術の妙であった。

 「ところで将来は何になりたいですか」
 「ふつうの主婦です」
 「ふつうの主婦ですか?それ以外は?」
 「それ以外の野心はありません。ふつうに結婚して、ふつうに子供を産み、ふつうの主婦になって、ふつうに歳とって、ふつうに枯れて、ふつうに死んで逝くのが、わたしの野心と言えば野心でしょうか」
 松子は「ふつう」に飢えていた。ふつう願望がるのである。偉大なる「平凡」に飢えていた。
 「ほッ……。心に響く素晴らしいことを言いますね」
 このとき司会者自身が感動の坩堝
(るつぼ)であった。

 それは深淵
(しんえん)の彼方に、何かを予感する恐れを故意に避け、また深淵すら存在しない長閑(のどか)な牧歌的な風景に憧れと羨望を示し、身近な出来事に関心を示して「普通」に生きることだった。
 だが、これは適
(かな)わぬことだった。そういう「普通」は何処にも存在しないからである。非日常へと変化した儘(まま)だった。思えば、非日常の戦場のような生活を送ってきたのである。

 一般に「普通」と思い込んでいる世界は、小我
(しょうが)が横行する世界である。現代が個人主義が謳歌される時代である。通常人の小さな感情が入り乱れる世界である。
 この世界では異口同音にして、誰もがこう言う。
 「優しくなければ生きていく資格がない」などと……。またこの言葉は、日本人の口癖
(くちぐせ)になっている。「女に優しい」考え方が正しいような言い方をする。個人主義の人間偏倚(へんい)である。個人主義が現代人を変えた。その意識すら変えた。
 だが、そんなものは戦争になれば別である。個人格差は最小値に向う。全体主義が擡頭
(たいとう)するからである。個人は無きにしも等しくなる。軍靴が高らかに鳴り響く嵐の前に、個人はその中に呑まれて行く。
 今は個人主義が謳歌される時代。平和の象徴であろう。しかし、それは束の間のこと。
 戦争と戦争の間に訪れる、ほんの一時
(ひととき)が平和である。

 平和が「日常」であるのだから、戦時の「非日常」に至っては、か弱き女であるとしても、権利ばかりを主張するのでなく、痛めつけられる場合も、男女の区別なく同等・同格でなければならない。
 非日常で起る惨状は、夥
(おびただ)しい血飛沫(ちしぶき)が起り、大小便が垂れ流され、性器が剥(む)き出しになるばかりでなく、人体の手足が吹き飛び、首が飛び、胴体がちぎれることもある。
 そこに転がる死体は、まさに糞袋としての汚物である。
 躰が無慙に切り裂かれ、ぶっちぎれる時も、男女は平等でなければならない。
 ほんの数分前まで、美しい肉体を維持していたとしても、直撃弾を喰らい、手足が吹き飛ばされれば、一瞬にして眼も背けたくなるような汚物と成り下がるのである。
 当然、これを視
(み)た傍(そば)にいる目撃者も、この惨状だけで気が狂うであろう。それは自他同根でないからだ。自他離別で視るから、他人の物質は穢(きたな)く映るのである。それは自他が分離しているため凄まじい光景である。


 ─────さて元来、武は文と対峙(たいじ)するものであった。
 シビリアン・コントロールと称する如く、武は文の下位に置かれるものである。
 武が文にとって代わった、征夷大将軍を拝命した源頼朝以降の鎌倉・室町・江戸の武家勢力も、文の権威の最高峰に位置する天皇には全く太刀打ちできなかった。
 以降、武は文の従として、一等低い価値観の対象でしか評価されなかった。
 これは武の、野蛮な、粗暴な、無知性で、ただ闘うことしか知らぬ、戦闘感覚が敬遠されたのであろう。
 その事から、私は自身の性格上、殺伐とした自慢話の中には、人間としての血の通った心情を見つけ出すことは出来ないと思っている。その極めて人間臭さを失ったところに、私は親しみを覚えない。

 古今東西、武術家や武道家の自叙伝は多く出版されているが、その殆どが「斬った」「張った」の喧嘩三昧(けんか‐ざんまい)や、人殺しの場面が、その話の中心となっている。しかし、私の場合は必ずしもそうではなかった。
 他人の生命を奪おうとする猛獣的闘争心は、私にはない。兵法は「平法」であってこそ、人間の真の姿に回帰するものである。
 したがって私には「無頼漢(ぶらいかん)を痛快に葬り去る武勇の功」等の、自らを誇張する殺伐とした場面が何処にも見当たらない。したがって社会の多くの人々に尊敬を与え、感服させるまでには至っていない。そこに武術家や武道家が、社会から一等も二等も低く見られ、二級市民以下の市民権しか、持ち得ていない現実がある。

 私の足跡に武勇伝は存在しないのだ。
 ただ、あるのは、いつの時代も困窮しながら、「あるが儘(まま)」に精一杯生き抜き、必死に歩いた不徳の足跡があるだけだ。
 その生き方は極めて『理趣経(りしゅきょう)』的である。
 弘法大師が、「顕蜜(げんみつ)は人にあり」と言った言葉に注目したい。
 男女の欲望を現実のあるが儘(まま)に認め、その欲望を実現に具現し、体現して、その中の人とならねばならないというのが、私の持論である。

 人間は、如何に生き、如何に死ぬべきかを、現代に訴えるものが、『武士道』である。
 科学兵器の発達した現代、武技を練ることは、一見無用の長物と思えるが、そこには精神の拠(よ)り所の『武士道』があり、武道とは異なる側面を持ち、それが辛うじて日本人の今日を形成している。しかしこれも危うくなり、危機に瀕(ひん)している。
 日本は、敗戦によって、アメリカの押しつけた指導型民主主義を、一方的に正義公平と信じさせられ、盲目的に「自由・平等・博愛」の謳(うた)い文句に入れ揚げてきた。
 また、これを世界の新秩序として、定義する動きも見え始めている。誰もが、その後を夢遊病者のように、ぞろぞろと引き摺られるようにして、蹤(つ)いていき、それに疑いの目を向けなくなってしまっている。既に、そこが虎口(こぐち)でもあるににかかわらず。これこそまさに亡国であり、現在日本は現在、破滅への一方通行を猛烈な勢いで驀進しているようにも思える。
 しかし、この破滅に向う勢いに拍車を掛け、これを正常の戻そうとする勢力は、現在のところ見受けられないように思う。誰もが時代に流されているのだ。

 私の直感で感じることは、日本の死である。日本はおそらく死ぬだろう。否、もう死んでいると言っても過言でない。他はさておき、一点の疑問の余地もないほど、死亡宣告を突き付けられているのである。それは日本の外交などに見ることが出来る。それらのことは一々揚げるまでもない。「死に体」の様相を見せ、その姿勢での外交といえるのではないか。
 日本は死を経由するだろう。大勢の死人が出る現実を体験するだろう。戦争を放棄した日本人は、戦争とは無関係に、死の凄まじさを思い知らされるだろう。日本人が戦争を放棄しても、戦争は日本人を放棄しないからである。世界同時関連国際情報で動いている世界では、世界が連動して、同時に噛み合う歯車の中で生きているからである。日本人の戦争放棄は、今や通用しない。
 今日の日本人は、そういう日本列島に生きているのである。そして、痛感させられることは、「人の死」である。これを再認識させられ、先の大戦以上に悲惨な阿鼻叫喚
(あび‐きょうかん)の生地獄を体験させられるかも知れない。

朝に夕に、常に死を、心に充(あ)てていれば、無駄で、無益な俗界の柵(しがらみ)は一掃されて、本当に生きる目標が定まり、利害や欲望にも目を向けることもなく、最も単的に、自分の生き方を素直に表現する事ができるのではあるまいか。
 「死を以て抗
(あがら)い、死を以て己の鎧(よろい)とし、楯(たて)として、永久に死を充て続ければ……」俗世の迷いも権力闘争も、一縷(いちる)の価値すら感じられなくなるのではという、柵の一掃である。
 即ち、最高の状態を保ちつつ、最善の道が開けて来ると言う事を説いたのが「武士道の本義」なのだ。
 そこには「至誠」があるからである。
 この至誠について吉田松陰は、次のように説く。
 「至誠にして動かざる者は、未だ之
(これ)有らざるなり、吾(われ)、学問すること十年、齢(よわい)(また)而立(じりつ)《三十歳》然(しか)るに、未だ斯(こ)の一語を解する能(あた)わず」と。

 日本では、かつての惻隠
(そくいん)が失われてしまった。日本人の心から惻隠が死んだ。労りが死んだ。思い遣りが死んだ。慈悲の心が失われ、弱者へ手を指し延べなくなった。個人主義の蔓延(はびこり)りである。これが日本の死である。

 本来、惻隠とは『孟子』の「公孫丑
(上)」に出て来る「惻隠の心無きは、人に非ざる也」に回帰し、慈悲を基調に弱い者への労りや、哀れみ、情けなどを含む「惻隠の情」から起こるものである。人は「みな哀れ」あるいは「みな不憫(ふびん)」と思う心に、人の世の廻(めぐ)り合わせがある。また、邂逅(かいこう)もその側面にある。廻り遭(あ)う「よき縁」がある。
 おそらくそれは偶然などではなく、必然であろう。
 これを「奇妙な偶然の一致」と総称されるが、深層心理学者のユング
(Carl Gustav Jung)は、この現象を一般化して「共時性(synchronicity)」と称している。

 私はこの当時、確かに人の廻り合わせを見た。共時性は日常の至る所で観測できる。ごく些細な、取るに足らない出来事からも観察されるのである。普段は単なる偶然として無視しているだけである。また一般人が考える思考には偶然の出逢いという先入観があった、総て因果律に載らない現象は、一切が偶然となってしまうのである。深層に隠された理由など、追求しないのが一般的である。

 戦後の日本人は科学的思考に慣らされるように教育されたため、偶然の出来事やその一致を「虫の知らせ」とか「夢枕に立つ」という事象を吐露などすれば迷信と一笑に付すのが大半である。全体的に検
(み)れば共時性という概念は、心理学の分野以外、殆ど定着していない。眼に見えない秩序は無視されがちである。更に「予知夢」に至ってはその最たるものであろう。
 況
(ま)して、共時性を持つ邂逅(かいこう)などといえば、非科学の槍玉に挙げられそうである。
 だが現実に眼に見えない秩序があり、偶然ではなく、起こるべくして起こるのである。


 ─────時系列を俊宮松子と、邂逅
(かいこう)を得たときに戻す。おおよそ一年前のことである。
 かつて私に、奇妙な事件が舞い込んだ。
 道場生の一人が、街のチンピラに絡まれ、喧嘩
(けんか)を売ってしまったのである。
 チンピラ相手に、五人斬り
(1対5の喧嘩)をやらかしてしまったのである。師匠としては捨て置けないからである。道場生の言によれば、奴ら数人を叩きのめし、重傷を負わしたという“言掛り”をつけられたというのである。これにより、トラブルに巻き込まれた。
 それが、私の「義によって助太刀もうす」であった。
 義によって助太刀もうす……軽薄な大義名分は、当初は勇ましかったが、それが蛮勇であったことを徐々に思い知らされたのである。
 訪ねた事務所には、道場生から暴行を受けたと、口を揃
(そろ)えて自称する末端組員数名が、頭や手や足に包帯を巻いて、行儀よく勢揃(せいぞろ)いしていた。その勢揃いを見て、一瞬ハッと竦(すく)んだ。それには威圧があったからだ。この日、負傷したと云う事を理由に、難癖をつけるのは明らかであった。

 金を出せ、慰謝料を払え……こうした理不尽で、陰湿な嫌がらせが始まった。そして、送り狼まで尾
(つ)けられる羽目になった。
 送り狼……。
 これに狙われたら、最後という気がしないでもない。
 組の勢揃いしたメンバーの中に一人だけ、私に対しては牙
(きば)を剥(む)く狂犬病のような、十代後半の少年が居た。私の目には性格粗暴者で、狂暴と映った。その少年は周りの男に抑えられているが、一度(ひとたび)その抑えが解かれれば、今でも飛び掛からんようなポーズをして睨(にら)み据えていた。
 異様な眼である。眉間に縦皺が入り、手の付けられない性格粗暴者を思わせた。
 手には、長さ10cmほどの缶切りや鋏など諸々が併用になったキャンピングナイフを握っていた。
 今にも襲い掛からんとする咆哮
(ほうこう)を放っていた。抑えが解かれれば、今にでも襲い掛からん噛ませ犬だった。獰猛だけで頭が弱いのか、それとも性格粗暴者なのか、判明は付け難かった。要するに鉄砲玉に改造された少年だった。
 「こいつは、わしらも手を持て余す獰猛
(どうもう)なやつなんだ」
 組員の一人がそう言った。鉄砲玉を取り押さえている男はニタニタと嗤
(わら)いながら、私の心を寒からしめていたのである。いかにも粘着性の嗤いであった。
 獰猛な狂犬……。
 この噛ませ犬が、私に向けて放たれたのである。

 だが、噛ませ犬は、単に私に噛み付くだけのことで終わるのだろうか。噛み付いた後、ターゲットを猟るのではないか。その懸念があった。もしかすると、この狂犬は猟をする犬なのか……。そういう犬が放し飼いされたのである。
 面倒なことになった……、殆
(あや)うい。私の正直な感想だった。
 義によって助太刀もうす……。
 言葉だけは勇ましい。だが、私の行動は、愚行を通り越して、蛮行の域であった。
 爾来
(じらい)私には死神の影がちらついていた。陰湿な嫌がらせが、やたら付き纏うのである。いつも何処かで窺っている。陰湿で予断の赦さぬ眼である。
 その影は払拭
(ふっしょく)しても、払いきれない。忌まわしい、煩(わずら)わしい影だった。

 何者かが尾行していた。「送り狼」のような煩わしさだった。何しろ刺客である。
 遠くから、いつも窺っているのである。そういう羽目に陥った。奇妙な若者に尾
(つ)け廻された。その若者を、最初、少年と思っていた。この坊主が、夏だというのに何とも暑苦し気な恰好をしていたのである。
 少年は野球帽を目深
(ま‐ぶか)に被り、マスクをして、貌が解らないようにしておいて、もう直、梅雨が始まろうと言う時期に、冬物の膝下まである長めの黒っぽいコートを着込み、襟許(えりもと)を確(しっか)り両手で閉じて、奇妙な恰好で私を尾け回していた。まさに、真夏に行われる『納涼我慢大会』の出演者のような恰好をしていた。
 私の同情意識として「それでは、暑かろうに……」という感想が疾った。
 そして膝下から見える細い足にはピッタリとしたブルージーンズに汚れた赤のスニーカーを履いていた。

 さて、これをどうするか。
 無視するか、それとも寄って行くか。私は験
(ため)されているのである。しかし、無視は出来ない。怖じ気づいていると少年風情から思われるのも癪(しゃく)だった。
 近付くと、左拳の親指を一旦上に向け、そして下に向けるのであった。これは「次で降りろ」という意味だろうか。これも験しているのだろう。
 この送り狼然の少年には「ヤッパの俊」という異名があった。刺客である。刺客は、私を執拗
(しつよう)に尾け狙っていた。油断をすれば、いつでも猟(か)られる羽目になる。一瞬の隙が命取りだった。警戒する以外ない。
 眉間に縦皺を寄せる。この相を人相学では「凶相」と言う。険のある相である。接触すれば、必ず禍
(わざわい)に見舞われ、「剣難の相」とも言う。命を喪(うしな)う相である。兇悪相と言えた。

 だが一方で、私はこの「スーパー珍種」が珍しかった。これまでに出遭ったことのないタイプだったからである。直感だが捨て難いものを感じた。不思議なことだが、この坊主が愛
(いと)おしく感じたのである。
 奇妙な邂逅による出遭い。そして、毒に痺れるような痛感。併せて、癖になりそうな阿修羅
(あしゅら)に対面する心の底からの戦慄(せんりつ)。しかし、慄(ふる)えるものの、どれもこれも捨て難かった。何故かそう思ったのである。

 送り狼は何処までも尾
(つ)いてくる。蒔くに蒔けない功名さがあった。何しろ刺客である。一瞥して、では頭の程度はと考えてみる。貌は汚れて薄汚い。あるいは故意にそうしているのかも知れない。見るからに文盲のようにも窺われた。もし文盲だとすれば、平仮名もカタカナも読めないのではないか。学校の禄に行ったことがない、そういう完全な文盲のようにも思われた。
 《おまえは学校に行ったことがあるのか?》そう問い詰めてみたかった。しかし、訊いても答えまい。刺客に学問は無用であるからだ。では、出生地は?となる。戸籍はとなる。果たして、これに答えてくれるのか。
 あるいは両親は?そして住所は?……と訊いても答えまい。だが私には、執拗にそう問い糺
(ただ)したい衝動に駆られていた。
 暑苦しい恰好をして着膨
(き‐ぶく)れだが、体躯は細身であった。身長も170cmに届くか、届かないくらいだろうか。そのうえ色白である。貌は汚れていたが、よい貌の持ち主だった。

 だが、戸籍も分からず、文盲だと分かれば、こういう小僧を遣う雇用主はいまい。せいぜいヤクザの鉄砲玉くらいだろう。意外と取り憑き難く、無口かも知れない。陰気で、更に文盲となれば、まず遣ってみようと思う者はいないだろう。
 私はこの小僧を、ヤクザに飼育されている何かなにかのように思い込んでいたのである。


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